ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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明けましておめでとうございます。
今年も良い年でありますように・・・
アクセスのあるなしにかかわらず、ゆきんこらしく気ままに更新していきます。

さて、クリスマスからお正月にかけて充実していたので、多少疲れています。
ただ今放送中の朝の連ドラ「純&愛」のごとく、ダイジェストに綴ります。

昨年12月23日には思い切ってレンジフードの大掃除につとめました。
やれやれ、慣れないコテコテのひどすぎる油汚れと格闘し、約6時間を費やしました。
その甲斐あって、心おきなくキレイにスッキリしました。

しかし、年末から年始にかけても、TVショッピングで宣伝されている「シャーク」などの高熱スチームで除菌洗浄する掃除道具に魅力を感じています。

クリスマスには、多少手抜きしつつもクリスマス料理を作り、仕事納めの27日までアルバイトしました。
仕事の疲れを癒したいと、28日にはHさんと新今宮のスパワールドでリニューアルオープンした岩盤浴でほにょりと癒されました。
大晦日には、お買い物と多少手抜きしつつも午後からお節料理作りに取り組みました。
晦日そばを食べて、紅白歌合戦をわき見しつつ、着替えて真冬の夜空の下、初もうでに繰り出しました。
目的地は、参拝客の多さで日本屈指に入ると言われる伏見稲荷神社です。

参拝は今回で2回目ですが、初回はまだ20代初めの頃に行ったきり。
やたらに数えきれない鳥居の参道をひたすら歩いたこと、最寄駅から境内までの道中に踏み切りがあり、サイレンの鳴り響く中、線路の只中にいてひかれるんじゃないかとひやひやしたことを記憶していたくらいでしょうか。

神社でカウントダウンを唱えたのは、今回が初体験。
ドンドンドンドンと神主さんが叩く大太鼓の音と共に、参拝が始まりました。
あまりのすし詰め状態でのお参りにおぼれそうになりながら、(一応、関西にしては行儀よく並んでいた方かも?)何とか鈴を鳴らし、柏手を打って祈願しました。

それから、奥へ奥へと鳥居の階段が小1時間もかかり、途中ではぐれて迷子になってしまいました。
こんなときに限って、事前に報じられていた通り、携帯の通信が制限され、連絡が取れません。
まあ、結局は駅で落ち合って無事に帰宅したのは、午前3時半でした。

私もすっかりミドルエイジなので、若者のマナーの悪さや憚りなくラブラブなカップルの所作には眉をひそめてしまいます。新年早々にそういうオバタリアン世代になったんだなとつくづくと思いました。

翌朝は、少し寝坊しましたが、白みそのお雑煮とお節を午前中からいただきました。
午後からは母を招いて、のんびりと過ごし、付近の★MK宮に2度目のお参りです。
展望台から美しい夕焼けを望み、何だかいい年の幕開けになる予感がしました。
ここでおみくじをひいてみたところ、小吉でした。
「長閑なる 春の野中を 家人と 心安けく 行く心地かな」
とあり、私の心境に近似しています。

2日は父を訪問し、新年のあいさつを交わしました。
普段は全く交信をしていませんが、お正月くらいはいい笑顔を交わせて良かったです。

3日は神戸三宮へ
昨年より鑑賞したかった神戸市立博物館の「マウリッツハイス美術館展」を堪能しました。
ここでも入り口までに30分の行列待ち。入館後も人数制限でなかなかゆっくりと鑑賞する環境とはいきませんでした。
年も年だし、これからは年始の芸術鑑賞は控えたいと思いました。
しかしながら、実は、誰にとってもお目当てのフェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」が来日し、やっぱり直に目にした実物は感慨深かったです。
何しろ、この作品、恐らく10年ほど前にも天王寺美術館にやってきていたのですが、
その時、友人宅でのらりくらりと最終日を過ごしてる間に、閉館時間に間に合わず見逃してしまったという経緯がありました。
だからこそ、今回はしっかり目に焼き付けることができ、やっぱり良かった。
他に、ルーベンスやレンブラントなどオランダ名画が勢ぞろいで、見ごたえばっちりでした。
帰りがけには生田神社へも3回目の参拝へ寄り道しました。

4日5日両日共に、親族や友人とも新年の挨拶を交わしたり、会食を楽しみました。
5日は午前中に整骨院へ初通院。
待合の患者さんたちで賑わっていて、おみくじの話で盛り上がりました。

私は今まで1度も「凶」とか「大凶」をひいたことがなく、初詣なのだから、全て吉なのだと思い込んでいました。
ところが、患者さんたちの話しでは
「ありますよ。私なんて家族全員で引きました。」
「ホントに!?見せてくださいよ。」
「そういう縁起の悪いものは枝にくくってきましたよ。持ち帰ったら、後を引くかもしれないし。」
「そうですね。」

3が日を過ぎると、お正月ムードも徐々に平素に戻り、本日6日から仕事始め。
2013年になってから、一番の早起きをしました。
ありあわせのおかずでお弁当を作り、出勤です。
昨年末に「良いお年を」と挨拶した同僚が、去年と変わらず、ぞろぞろと出勤し開口一番
「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶を交わしました。
そうした新年には、厚かましい挨拶をリクエストしています。
「実は私、今日誕生日なんですよ。」
「そうなの?それはダブルでおめでとう!」


もう四捨五入すれば50。年齢を2倍すれば90歳と加齢は大して嬉しいことではないのですけどね。
はてさて、今年はどんな1年になるでしょうか?
とりあえず、年始は順調な感じでスタートを切りました。

新年と誕生日に際し、
「今年こそはもっと腰痛を軽減し、その分仕事とお給料を増やして、素敵な新しい出会いに乾杯!」
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遅まきながら、ささやかながら、3日前の金環日食の瞬間を私なりにアップしてみます。
金環日食がブームになる2か月ほど前の3月には仕事の関係で既に関心を寄せていたにもかかわらず、
日食グラスをゲットできなかったこと自体が遅れをとっていました。

職場と同じビル内に属する蔦屋書店の店頭でしばしば日食の雑誌を立ち読みしていたにもかかわらずです。
迂闊でした。

それで、当日の朝、どうしたかです。
まず日食は、当地では午前7時28分頃と報じていたので目覚ましを7時20分頃にセットしていましたが、
「日食始まってるで!」と
起こされて寝ぼけ眼でベランダから曇り空を見上げました。

太陽を直視したのでは、たまったものではありません。
それで、半透明のプラスティック容器から透かして眺めました。
案外頭上高く昇天していた太陽は小さく、斜め左下方向から三日月型に欠けて見えました。

それから、小一時間後。いよいよ日食のピークが近づき、我が家の真上は殆ど灰色の大きな雲に覆われました。
それだけでなく、日食が進んで薄暗くなってきました。
もうこれは、テレビ中継越しに見るしかないなとあきらめかけた瞬間、
金環になった太陽が雲間から薄らとその姿を見せてくれました。
「神様が見せてくれたんだ!!」

本当にその一瞬だけで、瞬く間に金環日食は雲に隠れました。

その日1日はTV報道ではかなり熱を帯びたように報道されていましたが、
私の身近なところでは何となく静かに騒いでいたという感じでした。

例えば、
いつものように午前中のうちに整骨院へ通院すると、
「先生、日食見えましたか?」
「ええ、見えましたよ。」
「そうでしたか。ウチもなんとかギリギリ見えました。ずっと雲が立ち込めていて一瞬でしたけど」
「こっちは、ちゃんと見えましたよ。近所の方が外へ出て一緒に見上げました。」
「やっぱり数駅違うと雲の出方も違うんですね。日食グラスで見たのですか?前日書店に行ったらとうに売り切れてて」
「実はレントゲンフィルムを使ったんです。何だか今回の日食は真際になってからブームで日食グラスが売れたので、連休前には200円だったのが、ギリギリに値段が2倍以上に吊り上ったそうです。」
「そうでしたか~・・・確かに誰も噂することもなく、油断してました。」

その後、午後から勤務先で数名の同僚と話し、金環日食を見たと報告し合いました。
しかし、そうそう日食オタクな話までは浮上しません。
私だけが特別暇だからでしょうか、金環日食と皆既日食の違いにまで気を留めていたのは。。。
あくまで、素人の備忘録ですが、月の軌道は楕円形で地球から月の距離が近い場合には皆既日食、遠くなる場合には金環日食になることを知りました。
そして、月はやがて地球から遠のき、軌道を外れて当て所もなく彷徨う彗星になってしまうだろうとのことです。

金環日食のその日の特別番組コズミックフロントによると、太陽は途方もないエネルギーの球体ですが、実は、その直径はまだ定かではなく、NASAと月探査機かぐやなど諸説によって日食の限界線が異なるというので、京都の鴨川の河川敷などの限界域の自治体で、今回の金環日食と部分日食との境を地道に調査研究されていたり、ベイリーリーフという現象を捉えることで、太陽に関するより正確な情報が得られるのだそうです。

人類はいろんなことを解明し、宇宙の謎にも挑んできました。
それでも不思議なことばかりです。
太陽があって、地球があって、月があって、それぞれの引力で軌道を回っています。
それがひとつに重なる瞬間を私たちは生きていて、共に体験しました。

もちろん、これからも日食の瞬間は度々やってきます。
次の日食は18年後の2030年です。

しかし、日食がこの先、地球のどこでいつ起こるのか、その瞬間、自分がその一直線上にいられるのかどうか、
その確率はどれくらいなのでしょうか?

多分、0パーセントに限りなく近いと思います。


今日、実家に帰って母と日食の会話をしました。
母は、日食グラスの代わりに茶色の小瓶を透かして眺めたそうです。
わざわざ日食グラス買わなくても他に方法はあるもんだなと感心しました。
この老齢の母が、仮に18年後95歳で存命していたとしても、果たしてどういう状態だろうか、
まさか、北海道まで見に行くまいと。

そして、やっぱり不思議に思います。
どうして宇宙があって、地球があって、月があって、空がある。
自分が地球に生まれてきて、日食をほんの一瞬経験して感動したら、
時間が流れて、全てがすれ違って動いて変化していき、また明日がいつものようにやってくる。
それは一体どうしてなのか、誰も説明できないんじゃないかしら?

いずれ自分がいなくなってしまっても、きっとそれ以外のモノは当分の間、存在していると思いますが、
いずれ、地球も、太陽もなくなる時がくるだろう。
いずれ、人類はすべての不思議を解明できるのか?
それとも、謎は宇宙のように膨張するばかりなのか?

まあ、私ができることは、せいぜい不思議だなあと思うことだけですが、
不思議と思える自分も案外捨てたもんじゃないと。
金環日食モノローグでした。
引越しは無事に終わった。
・・・といいたいところだけど、無難に終わったと報告した方が正確かもしれない。

昨晩の午後8時に、Pさんと私は双方の実家に荷物を降ろし、地元のレンタカー屋に辿りついた。
しかし、転居する度に諸々の事後処理のためにレンタルの大型トラックを延長し、現場検証しなければならないアクシデントに見舞われた。

その理由は、実家はせせこましい蛸壺のような町並みなので、道幅が狭すぎるという宜しくない環境にあった。
引越し屋さんに頼む代わりに、Pさんが慣れない運送をひきうけてくれたはいいが、曲がり角をトラックがゆとりをもってハンドルを切ることが誰が運転しても無理難題のM町界隈で、トラックと軒先は接触を免れることはできなかったのだ。

こんなとき、接触者同士がどのように双方の折り合いをつけるのか?
双方のソシャル・スキルが試されるわけなのだが、事を穏便に運ぶというEQのトレーニングは
人と人とのかかわりの中で育つものなのかもしれない。

丸12時間経過した今朝8時。
Pさんと私は、4回目のレンタカー屋さんで再会した。
地元でオープンして間もないスターバック・カフェに初めて入ると、平日の午前中は閑散としていて奥の座り心地のよいソファも貸切状態で寛げた。
「引越しって、案外いい全身運動だね。あちこち筋肉痛。」

それから、カラオケ屋も安い!
2人で1時間500円
マクドナルドは12時から1時にかけては、高校生やら母子やらでほぼ満席だけど、420円で
お腹も満たせた。

別居の初日は、まるで不登校生みたいな何気ない午前を二人で過ごし、子ども時代から慣れ親しんできた市街地を歩いた。

午後2時には帰宅して、PCのネット接続もスムーズに完了した。
故郷の市街地は、10ヶ月ほど不在にしたうちにそれほど変わっていなかった。
だけど、10ヶ月前に同じカラオケ屋に行ったPさんと私の関係や内面の心理状態は、固定しているようでも、その都度変化しているようでもあった。

母は、同じころ「心の電話相談室」の創設者の告別式に出かけた。
夕方帰宅して会話した。
「そういえば、マーくんが亡くなってから随分経つけど、最近よく思い出すようになったんだ。
どうして、子ども時代に彼の気持ちに気づかなかったんだろうって。お墓参りに行こうかな?」
「ああ、そうね。小学生の頃、ずっと一途に思ってくれていたよね。」

住み心地は、サンビレッジは確かに快適だった。
でも、実家や生まれ育った地縁は、子ども時代の街の面影が薄れてもすっかり全身で馴染んでしまっている。

お隣の同窓生もすっかりおばさんだけど、しばらく故郷を離れて、非日常が日常になることの積み重ねは、変わらずにあることの有難さと、変わっていけることの嬉しさを再発見できる劇的ビフォー・アフターかもしれない。

さてと。
ガレージはまだ段ボール箱でいっぱいだけど、そろそろ、明日の発表の準備しなくちゃ。

桜の花が咲いたのを発見したのは、
確か、先週3月下旬の月曜日、19日の朝の通勤時だった。

そうそう、M駅の踏み切りの前で犬と子どもの遭遇シーンをメモった直後のこと。
いつも何気なく通っている道すがらに、「どうして今頃!?」と
すっかり忘却の彼方に葬っていた記憶がフラッシュバックすることがある。

どうしてこんな風にヒトの記憶というのは、厄介なものなのだろう。

反対に、「これを忘れちゃおしまいだ!」
「それを言っちゃおしまいだ!」とわかっているのに、
どうしてわざわざ、人生を台無しにしてしまったりするのだろう。

無意識?なのか、故意なのか?

とにかく、今日の特別の余暇がウソみたいに、ブログからもメールからも遠ざかっていたこの2週間で、ゆきんこの人生はまたまた
劇的ビフォーアフターを遂げた。

何をどう書いていいのか全く頭のなかで記憶の整理整頓ができない。

まずは、このブログそのもののことなのだが、
現実のゆきんこを知る方々、特に仕事関係者の目に触れることが
多くなってきたことは、結果として、私を悶々とさせることになった。
私のブログの内容が決して読み手に対して好感を持ってもらうものではないことは、承知していた。
私自身は、ブログを現実と乖離させておくことが前提で、ありのままを
綴っていたつもりでも、
ブログだって生身の人間が書いた限りは、生々しく辛辣であって当然だ。

たとえ、それが社会通念的に美辞麗句を並べた卒のない文章であっても、公表して書いた限りは、不当なブーイングやバッシングがくることも覚悟しておくことが、私には不覚だったのだ!

私個人の行動を不特定多数の方々がどのように解釈しようともそれは「個人の自由」である。
私が多くの職場を転々としても尚、解消されない永遠の悩みが付き纏っていた。
私を敵視し、或いは嫌悪・憎悪の対象とし、排斥する人々はどの職場を逃れようとも付き纏うものだった。

「子どもを慈しみ、擁護する」という最も平和を尊ばれるはずの環境は
障碍児業界においても、それ以外のいかなる環境においても、
私はこれまで、それを探し出すことはできずに今も彷徨っているのだ。

それは、一見、私を歓迎し穏やかに見えた★営業所でも同じだった。

どこに見出せずにいるのか、
個々人の「心」という目に見えない「環境」のなかに発見できないのだ。

2004年から最近まで一頃、私の心の拠り所であったABA(行動分析学)の理論と専門用語は、
日本における主流の力動学派のようなドロドロクサクサしたところがなくて、「何となく」シンプルで無味乾燥な理性チックな印象を覚え、夢中になった。

しかし、わたしの場合、マイブームよりも他者からのエナジェティックな(ゴーインな)アプローチによって横槍が入ると、
脆くも人生行路そのものが風向きによってフラフラしてしまうことに
この年になっても一向に気がついていない。

右往左往して、10年ぶりの師匠の前にどの面提げて何と言うのか
積年の隠蔽されたパンドラの箱を、自分から開けるなんて、
天然アホのゆきんこにしかできない神業だ!

奇しくも25日未明、六甲の中腹の合宿所では、ゴーゴーと「春の嵐」が一晩中、音を立てて吹き荒れた。

ここで、BGMからショパンの前奏曲第12番変ニ長調「雨だれ」が耳に響いてきた。

私が★営業所にやってきた丁度1年後に、2名の新人営業員HさんとUさんがやってきた。
Uさんの隣で、顧客ファイルの束をシュレッダーにかけたり、
「Uさん、これ使ってください。」
と空のファイルの束を譲ったり。

「何だかいやですよね、入社したばかりで隣の人間が辞めていくなんて。
体がコピーできていくつもあったら、いるんですけど・・・」

「ゆきんこちゃん、ホントにいなくなっちゃうの。」
「あなたの人生を邪魔して悪かったね。」
「O所長、出戻ってきたら、また宜しく御願いします。」

注意:という台詞を私に言ってくれるのは、全ての営業員ではない。

22日(木)最後の出社日に、S支部長からお褒めに預かるような餞のおことばを頂戴し、(具体的な台詞はもう忘れてしまいました)
確か、「いつも明るく楽しくしてくれた」と仰ってくださっていたように思う。
2月の支部昇格以来、高級な色とりどりの花束に囲まれていた上に、
更に花束を贈呈していただいた。

「本当はお花もらうの、あんまり嬉しくない・・・」
特に鉢植えでない「花束」は、私にとっては別れの象徴だった。

「初めて★営業所に来た日から、最後の今日まで、毎日楽しく、
笑顔いっぱいで過ごせたことを心から嬉しく思います。
★営業所のお一人お一人の人柄や雰囲気がいつも私をそうさせてくださっていました。
また、毎朝の「おはようございます」「いってらっしゃい」「ありがとうございます」の挨拶は、人間として基本的ないつどこへ行こうとも
大切なことですが、★営業所で毎日唱えることで、改めてその大切さを
経験しました。
1年間のおつきあいでしたが、皆さんも日々の厳しいノルマと多忙な日々で、大変とは思いますが、どうかお体に気をつけてお一人お一人が、
唯一無二のかけがえのない人生を歩んでいっていただきたいと思います。ありがとうございました。」

それから正午には、新人営業員Hさんと引継ぎの公共施設H衛生工場へ、ご契約をいただいた2名のMさんとSさんにもご挨拶した。
「解約しといて!頼むわ!!」
「はい。」

え~、、、そんな・・・
アフターサービスの切れ目が縁の切れ目ですか。

ともかく、ゆきんこの★営業所に要請された(会社の営利に貢献するという、はたまた各々の目標(野望)を達成するという)使命はとりあえず果たされた。
会社の3月決算も終わって、それまで営業員の数と営業成績が挙がったら、
「はい、ゴクローさん」の使い捨てオバサンに用はない。
よい子よい子のゆきんこは、ちゃんとS支部長との約束は果たした。

営業員を2名採用すること。
支所長から「支部長」と呼ぶこと。

私には富も地位も名声も栄誉も何も要らない。
必要とする人のところへそれは、訪れるものらしい。
心の底では、無用の用ではないかと思われる目に見えない
そんなプライドが、実は人間様にとっては、重要だったりするものだ。
私には陳腐と思われる呼称や称号が、やはり、一個の人間の幸福を左右する。

私は昔からいつも、それをひけらかしているヒトに異常な反応を示してきた。
なぜだかわからないが、私の連綿とした遺伝子が自然、そうさせてきた。
・・・としか、何の根拠もないので、言えない・・・

23日は、楽しみにしていたスケジュールをドタキャンしてしまった。

前日、解約の手続きに、自分の保険の名義変更、午後7時には、夕訪で
担当地区のお客様への挨拶回り、
午後11時過ぎまで書類の整理に追われていたので、他の営業員とも最後の挨拶がきちんとできなかった。
「立つ鳥後を濁さず」と美しく飛び立っていくなんてなかなかできないんだな・・・

だって、彼女たちには明日も、明後日もやってくるのだから。

23日の午前、またもや布団から起き上がれなくなった。
けれども、健康保険証は、期日までに会社に返却しなければならず、
正午前に、ドタバタしているのを承知で顔を出した。
「ゆきんこちゃん、遅いやン」
「すみませ~ん、遅れちゃって」
「なんだか、しんどそうだね。」
「ちょっと熱があるみたいです。また帰って寝ます。」

翌日は朝から雨。
明日から実施されると思っていた「特別支援教育士指導実習」に備えるべく、まずは午前11時に大阪駅に出かけた。
Fゼミの既卒で、現役小学校教愉のH先生のお嬢さんと待ち合わせ。
奇しくも、同セミナーの資格取得を目指していたH先生に無理を承知で
指導実習に際して必要不可欠なマニュアル本を拝借するのが目的だった。

どこへも寄り道せずに、1時前に帰宅すると、押入れからスーツケースを
引っ張り出して、荷造りを始めた。
「明日は、5時ごろ起きたら間に合うかな・・・」
資料に目を通して、興醒めした。

「あッ!今日からになっている!!!」

この時点で、お先マックラ・・・

慌てて、宿泊所に問い合わせたところ、スタッフから折り返し電話するとのことだった。

電話のベルが鳴った。
「どうしたの?もう始まっているわよ。」
その声の抑揚は、事務的で冷淡に響き、瞬時に9年前の大失態の瞬間をフラッシュバックさせた。
「申し訳ありません。カレンダーには以前から明日からと勘違いして書き込んでいました。」
「そうなの。30分以上の遅刻は、受講資格がありませんよ。」
「承知しています。ですが、お金は払い込んでいますので、もしお許しいただけるなら、せめて今から参加だけでもさせていただけませんか。」
「ちょっとスタッフと相談してみます。一端、切りますね。」

それから、熱に魘され、母からの「もうええわ」というくらいのしつこい罵詈雑言を浴びながらドタバタと身支度のスピードを速めて待機した。

再び、電話のベルが鳴った。
「ゆきんこです。」
「事務局の者ですが・・・」
(何でそんなに事務的なんだろう、ま、当然か・・・)
「スタッフと相談の上、参加は許可することになりました。但し、グループワークの参加だけで、受験はできませんから。」
「許可していただきありがとうございます。それでは到着は午後8時くらいになると思いますが、よろしく御願いします。」
「そんなに遅くなるんですか?どこから来るの?」
「H市です。乗り継いで到着するのに、3~4時間くらいはかかると思います。」
「そうですか。わかりました。」

そんなわけで、熱が出ていようがドタバタしないではいられなくなり、
荷物もスーツケースに突っ込むだけ突っ込んで、雨の中を出発した。

もう、この時点で受講資格がなくジタバタしたってしかたがないのに、どうしてジタバタしてるんだろう。

午後6時。
思った以上に乗り継ぎが良過ぎて、最寄り駅の谷上駅に着いたはよかったが、駅長室で宿泊所へのアクセスを尋ねると、
「一駅前の箕谷駅で下車して、そこから市バスですね。」
というので、反対のホームで、着いたばかりの電車に飛び乗った。

すると、おかしい???
着いたところは、一駅どころでない元の木阿弥の「新神戸駅」

結局、一往復して再び、6時30分に谷上駅に到着した。
そこからホテルに電話したところ、マイクロバスを手配してくださることになり、大助かりだった。

私のズッコケ人生に、なぜかこんなマンガみたいな不注意は、往々にして付き纏う。

降りしきる雨夜の中を、マイクロバスは山奥へと向かって走り抜けた。
ホテルのフロントから2階の食堂に案内されると、入り口で、電話の主が
困り笑顔で、出迎えてくださった。

「この度は、申し訳ありませんでした・・・」
私はこの権威ある女性の前で、お辞儀して同じ台詞を一体、何回言っただろう。
「どうしたの?おでこ?」
「はい。電話を切ってから、慌ててしまってトイレのドアでぶつけました。」
「そう・・・。あなたは今からAグループに参加してもらいます。荷物を置いて、食事を摂りますか?」

嘗ての師匠は、「あんた誰?」って感じで、実に他人行儀。
それにはちゃんと、イワク因縁の訳が大有りだったし、そのリアクションに呆れる弟子も少なくない。

それよりも、全く面識のない向学心に燃えた全国津々浦々から集った先生たちの方が余程、初めて会ったとは思えない温かい歓待振りだった。

「雨の中大変だったね。ここにお座りなさい。」
「ありがとうございます。」
「随分、遅くなったのね。どうしたの?」
「それが、明日から開催だと思っていたのです。」
「あら~!!うっかりしてたわね。」
「前日から熱を出していて、昼からのんびり身支度を始めたら、日程が
違っていることに慌てて気がついて・・・」
「そんな人、たまにいるわよね。でも、今から本格的なグループワークだから大丈夫よ。」
「いえ、30分以上の遅刻は、もう受講資格ないのですが、納金してるし、母が旅行だと思って、参加だけでもさせてもらうようにとけしかけてくれて。懇願してそれで許可を得て駆けつけました。」
「いいお母さんね。そうよ。この参加者のなかには、2~3回受講している先生たちだっているし、全国から高い交通費払って受講してるんだから。あなたも、熱を出しても参加するためにここにきたのはすごいじゃない。」
「先生方、随分上手に慰めてくださるのですね。そうですよね。ありがとうございます。あ~、もうこれはこの資格とるのを諦めろって神様のお告げだろうと思いながらきたんですよ。
途中で、電車にも乗り間違えたり、出かける前にたんこぶまでつくっちゃって・・・。ホントばかだな~ってね。先生方にお会いできて、私
そのためにきたのなら、よかったなと思います。」

ネームプレートを見ると、どの先生方も遠方の地名が書かれていた。
「そうね。がんばりましょう。ワークまでもう少し時間があるからお食事ゆっくりどうぞ。」

とにかく、見ず知らずの環境にポンと飛び込むには、勇気が要るのだけど、お熱にたんこぶ、そして、また師匠に恥ずかしい顔を向けて、呆れられるという救いようのない3点セットの災難が、吹き飛ぶ一瞬だった。おまけにご馳走にもありつけた。

午後7時から10時までのグループワーク
因みに、今回の参加者は100名。
Aグループ、Bグループ2つに分かれ、更に、Aグループは、あ~えまでの
4つあり、私は初心者集団13名のあグループに仲間入りした。
「すみません。遅れて参加させていただきます。宜しく御願いします。」
間もなく「会社員」という肩書きをも消滅するゆきんこに、
先生方は、「せんせい」と呼称してくださった。

ワークは、事例Yくん(小6)のWISC-Ⅲという心理検査のデータや情報収集されたプロフィールとアセスメント資料を分析し、障碍種別の総合的判断と、認知特性を明らかにした上で、
具体的な教育方針と配慮を列挙して、方略を立てて、個別の指導計画を
立てるという一連の作業だ。

1セッション3時間を所要して、司会進行、ホワイトボード記録、PC転記
発表の各係を担当して、討議する。









午後8時45分のニュースです!
本日午後3時ごろ、H市O町付近の建設会社に強盗2名が入りました。

犯人は、まだ逃走中です。

さて、ゆきんこは3時半ごろその現場付近を鼻歌交じりで通過中。
O町内は、官公庁界隈で、週3回出没しているハローワークや
★営業所に戻る途中、愛用している通路沿いに母校も建ち並んでいる。

そんな大事件が起こっているとも露知らず。
パトカーが数台並んでいる細い高架下の通路で
「通ってもいいですか?」と警官に尋ねた。
「どうぞどうぞ。」

ああ、今日も自分の目標どおりにだいたい活動できた。ほっ…
まだまだ下手くそだけど、保険提案もできたし、
バイク屋のお姉さんからは、
「ちょっと質問あるんですけど、殺人のときは保険出ますか?」
「もちろん!いざというときの商品ですから。どうしてそんな質問を?」
「この前、店長や従業員同士で話してたんですよ。どうなんだろうって。」
「そんな縁起でもない!元気でいてください。いつも何事もなくお会いできたらそれだけでほっとして嬉しいんですから。」

という会話をしていた矢先のことだった。

★営業所に戻って、けいさつに出入りしている所長に就任して2日目
ほやほやのセンパイ営業員のHちゃんに話しかけた。

「ねえHちゃん、ハローワークから帰る途中、パトカーがいっぱい停まっていたよ。何か事件かな?Hちゃんの知ってる人いるんじゃない?」
「み~んな知ってる人ばっかりだよ。」
「刑事さんの車もあったな。」

…なんて話が平気でできるのも、私たちが凡人で恙無く生きているからだ。

犯人は35歳くらいの男性らしい。
今日のハローワークは、入り口から内部を除いてみたら、
圧倒的に男性ばかりだった。

その中に見覚えのある男性がいた。
先月のお盆休みの前にある公共施設で、昼休みに話を交わした男性だ。
アルバイトで臨時職員になったばかりということだったが、
正職員の仕事を探しにきたのかもしれない。

かくいう私も去年は失業していた。
しかも、2000年のうちに何度ハローワークのカウンターで失業認定の
手続きをしたことだろう。

子どもの笑顔には敵わないけど、
この頃、大人になったお客さんの笑顔が、私のごほうびになってきました。

今朝も、長々と養成部のY部長から1時間あまり研修がありました。
それから個別に質問してみました。
「Y部長、私のご近所で既契約の母の友人の方からご相談を受けました。
別の支部の担当営業員から見直しの提案があったそうですが、
どうも損するのではないかと不安になったそうです。でも、私もまだ
新米で、いいかげんなお返事はできませんので。。。」
「担当者が提案してきた話に新入り営業員が横槍を入れると揉めるもとだ。しかし、営業員を選ぶのはお客さんの自由だから、意に染まない
提案内容ならお客さんの御意思で断ったらいいとアドバイスして差し上げたらどうだろう。その上で、ゆきんこさんから、お客さんの詳しい
事情を弁えた上で、よりよい提案書をお持ちしてみたらどうだい?」

支社長クラスの大出世コースから逸れて、新人営業員の発掘と養成に
余生(?)のやりがいを見出したY部長の助言を参考に早速、
Wさんの契約内容を確認の上、「善は急げ」と午後8時Wさんの帰宅を待って、先ほど馳せ参じてきた。(徒歩1分ですから)

「Wさん、結論から言うと、提案してきた内容あんまりよくないと思います。でも、こちらの無料の特約のご案内は担当営業員からありましたか?」
「ううん、知らなかったわ。」
「それじゃあ、こちらの保全手続きだけさせてもらいますね。
もしも何かあったら、バタバタするし、給付金が出るまでに時間がかかるのは困りますよね。」
「そうよ。知人で本人が銀行に来ないと出さないといって手続きに
2~3ヶ月かかったって怒っていたわ。そんなことになったら大変だから
署名しておくわね。御願いしますね。」
「はい。それじゃ夜分にお邪魔しました。おやすみなさい。」

今は偶然、保険やさんになって忌み嫌われることの方が断然多い、
この仕事だけど、保険や以前のゆきんこを10年以上も知っている
Wさんが、保険の相談に来てくださったのはなんだか嬉しかった。

いざというときだけお役に立つ仕事って結構あるものだ。
例えば、警察。例えば、消防署。例えば、裁判所。
普段はなるべくお世話になりたくない所。
保険はいつもその隣り合わせにある。

強盗事件は今日、私の隣り合わせに起こった。
どうして彼は強盗なんかしてしまったんでしょう。
本能や衝動が理性を凌駕し、その瞬間、人生を台無しにしてしまっただなんて・・・

私は、神様にお祈りしましょう。
今度も無事にブログが更新できますように。
明日も誰かの素敵な笑顔と遭遇できますように。


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