ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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9月になりました。
8月はオリンピックも甲子園の高校野球大会もあって、
例年よりは賑やかだったのですが、
猛暑も、台風の被害もひどかった。
8月は夜も寝苦しく、冷房を切ってしばらくすると、
じっとり汗をかいて、目が覚めてしまいます。
しかし、冷房をつけっぱなしでは寒くてまた眠れず。
深夜のオリンピック生中継もつい視聴してしまって
結局ぐっすりと眠れませんでした。

ですので、9月になったというだけで、ほっとしてしまいます。
案の定、熱帯夜から免れて、
やっとエアコンをつけていない本来の寝室で熟睡できるようになりました。

我が家のロケーションは大阪の端っこで、
適度に街、適度に田舎で実家よりもずっと居心地良いんです。

マンションもあるけど、山、川、森、湧水もあって、田畑もあります。
春には鶯や野鳥が囀り、初夏はカエルの鳴き声、
そして、真夏が終わろうというこの時節は、
鈴虫やコオロギの虫の音が、
窓辺からとっても涼やかに聞こえてきます。

こういう自然の音って騒音にはならないので、
心地よく入眠できるのです。

さて、晩夏のこの時期、
我が家の殺風景なベランダに、
今朝、5輪の花が咲きました。
ゼフィランサスの花です。

猛暑の8月のうちは、単なる草茫茫で、
あんまり水のやりがいもないのですが、
やっぱり花が咲くと可愛いです。

ゼフィランサスは地味な球根です。
多年草で、この暑さが緩む時期に
今年も濃いピンク色の花を咲かせてくれて、嬉しいです。

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一昨日の夕方、整骨院で偶然、見つけた遠い記憶の名前。
その夜就寝すると共に、Kさんや他の学童友達との小学生時代の思い出が次々と浮かんできた。
ちょっと暗めで、こっそり目立ちたがりの転校生の私と仲良くしてくれてありがたかった。

その名前のKさんにまたしても、夕方の整骨院で再会した。
一体どんな風に明かそうかと、一昨日は見知らぬ患者同士のふりをしたのだが、、、

毎日通院するうち、顔なじみの通院仲間の女性と会話していると、
彼女、女性と私の会話に傾聴し、関心を示した。
そして、女性が先に帰ると、離れたベンチからわざわざ私の傍に座りなおした。

「あの、すみません、ちょっとお聞きしていいでしょうか?」
「はい、何でしょうか?」
「さっきの方と更年期のことをお話しされてましたよね?」
至近距離でまだ私に気づいていない。
「はい。」
「あの、私45歳なんです。」
堂々と、自分の年齢を開示してきた。
「そうですか、私も45歳です。」
「あら、同い年?」
「ええ、、、、だって私は貴女のクラスメイトでしたから。」
「え!?」
「子どもの頃は、仲良くしてくださってありがとうございました。」
「まさか?」
「私、ゆきんこです。一昨日気づいてました。でも、30年以上も経ってて、あんまり久しぶりすぎてびっくりして声をかけられなかったの。整骨院で患者同士で偶然会うなんて」
「そうだったの?」
「しかも、『エースをねらえ』読んでるし・・・私、全部読み終えちゃった。」
「そう、結婚されて名前、変わったのね。おめでとうございます。」
「40歳でね。今からでも素敵な人、見つけてくださいよ。」

すると、同級生のKさん、懐かしさのあまりか、堰を切ったように身の上話を吐露し始めた。
「そんな大事な話、こんなところで言っちゃっていいの!?」
「いいのいいの。おおっぴらな性格なのに、20代の頃からうつなんですよ。見えないって言われるけど」
「うん、見えないね。」

少女時代あんなにスリムで小麦色の肌が魅力的だったKさん。
33年という歳月の流れは残酷です。
もしかして、現在のその体型は薬の副作用?
話が盛り上がり中、私が先に呼ばれて、中断した。

「Kさんと知り合い?」
「はい、小学校5~6年生の同級生。彼女が班長さんで、私が副班長でした。」
「へえ、そうだったんだ。」
整体してもらい、そのまま先に失礼することになった。
「わあ、すごい荷物」
「買い物帰りだから。じゃあ、お先に。またね。」

幼い時から、人は誰しも言えない悩みや不安を抱えて生きているのかもしれない。
子ども心にそれを隠して、日中明るく何事もないようにその時期、瞬間を過ごしているのかもしれない。

思春期前の思い出が二人の脳裏に去来し、Kさんが一体、私のどんな記憶を呼び覚ましたのかと
やっぱり恥ずかしさの方が勝ってしまった。

そして、子ども時代の自分がクラスメイトにどんなふるまいをしていたのか、
ますます懺悔の気持ちも湧いてきた。
その時の自分をかなりよく憶えている親しかったクラスメイト
それがまさしくKさんだった。
嬉しいけれど、やっぱりかなり恥ずかしい。

今度、どんな顔して会って、何話すんだろう?
震災から2年たち、まだまだ解決しない復興のことを思うと綴るのもはばかられてしまうのですが、
申し訳ないことに、子どものいないアルバイト主婦の早春は、暢気なものです。

大阪では、10日より大相撲春場所が開催され、殊に地元力士の勢関と豪栄道関への歓声は、テレビを通してでもひときわ大きく響いてくるように思います。
奇しくも、ご近所には春日野部屋の合宿所に★会館が使われていて、朝稽古を公開されていると聞きつけました。

そこで、今朝は7時ちょうどに起床し、7時半には自宅を出て、15分後には現場に着きました。

現役力士の皆様に御目にかかるのはこれが初めてではありません。
20代後半の頃、療育施設で発達障がいのある方々の支援員(当時は指導員)として従事していたとき、
偶然にも、カラオケ店で余興に来ていた力士の方と隣室になったことがありました。

しかし、今回は仮設の土俵でシリアスな場所稽古の真っ最中である春日野部屋一門を堂々と見学です。

★会館の扉を開けると、今朝は冷え込んで土間にストーブが焚かれ、すぐ傍の腰掛ベンチに座って暖を取りました。
腰を据えて、まず目に飛び込んできたのは、最も若い序の口だろう力士の方の稽古姿。
兄弟子の胸倉を借りて、体当たりの立会練習です。
まわしを身に着けていなければ、髷も贅肉もない到底力士には見えないだろう男性を見て、
「こんなごく普通の体格で勝てるんだろうか?」
と率直に思ってしまいました。

続いて、印象に残ったのは、奥に控えて自主トレをしているらしき大柄の外国人力士。
後から調べてもらったところ、栃の心関か、碧山関らしいと推定されました。

下の番付の弟子たちに、土間の最前列のパイプいすに座した春日野親方が何やら指導めいた声かけに、「はい」「はい」と返事をする力士の皆さん。

四股を踏み続けるのに、結構膝を痛めるんだろうなと、
サポーターを付ける力士の方々も少なくなく、我が事のように想像してしまいました。

8時半ごろには見学から引き揚げて、一時帰宅し、朝食後、買い物を済ませて一休み。
午後3時から大相撲のTV放送を視聴することにしました。

いつもは勢関か、豪栄道関くらいにしか注意を払っていませんが、
今日は午前中目の当たりにした春日野部屋一門の力士の皆様に自ずとクローズアップしてしまいます。

期待に反して、本日の力士の皆様の勝負の結果は、ほとんどあっけなく黒星。
「私たちが珍しく見物したせいかな?」
「親方さん、怒ってるかも。明日の朝稽古、機嫌が悪かったりしてね。」

蚊帳の外の一観客は、なんでも自由にコメントできていい気なものです。
「千秋楽までにもう一度、見学に行こうかな?」

願わくば、やっぱり地元力士の勢関にもお会いしてみたいものです!
梅雨本番。日本列島雨嵐、水浸しの今日このごろです。
おまけに、仕事も6月後半は会社の都合で勤務がありません。
ようやく明後日は、4時間勤務が予定されていますが、先週の日曜日以来、まるまる2週間専業主婦。
退屈気味に室内で大人しく過ごしています。

しかし、仕事がなくのんびりしているというのも考えものです。
その間、当然収入が途絶えています。

ニュースに目をやると、ちょうどギリシャの大統領選挙が行われ、なんとなく他人事とは思えません。
結局、緊縮策を打ち出した候補者が当選したようで、ユーロ離脱の危機は免れたと報じていました。
ギリシャのある家族が取材されていて、ある男性が失業し、再就職のめども立たず、家賃が支払えなくなり、妻の実家に身を寄せて一家が居候することになったというケースもあるようです。
全くもって明日は我が身という切実さを感じます。

そんなとき、通院先の整骨院も施術代が値上げになったので、毎日いそいそと出かけることもできなくなりそうです。

そして、昨日、恒例の特別専攻科の同窓会の案内はがきが舞い込みました。
修了して4年くらいの間は、現役で特別支援教育のはしくれとして出席していましたが、同窓生は皆さん、公立のベテラン教職員。
あまりの料金の高さに、毎年失業しては、その度減給している私にとっては参加すること自体、次第に辛くなりました。
最後に出席したのは、このブロクを綴りはじめた2005年の4月だったと記憶しています。
以来、同窓の先生方にはぱったりとお会いしていません。
残念ながら、今回も欠席に〇をつけて即座に今日、返信はがきを投函しました。
今回の幹事役は、まだ障碍児加配保育士だった時分にお世話になった同窓の先生でした。
お礼が言いたくて、懐かしくお会いしたい気持ちが募り、よほど久しぶりに参加したいと思いました。
しかし、主賓のT先生を招く諸経費もかかるため、どうしても捻出は難しいです。

私ってやっぱり未練あるのかな?
もうひとつの未練といえば、家族の反対で断念したドックカフェの構想です。

雨あがりの今日は、整骨院の通院の後に実家に帰り、実母を伴ってオープンしたばかりのカフェを訪ねました。
6月16日にオープンしたカフェは実家の最寄駅であるM駅の真ん前にあるのですが、ちょっと奥まっていて素通りされてしまいそうなのがちょっと惜しい立地条件です。

「こんにちは。おめでとうございます!」
「あ、ゆきんこさん!!来てくださったんですね!ありがとうございます。」
できたてほやほやのカフェのオーナーは、まだ30歳にならないSさんです。

彼女との出会いは、去年の真夏に遡ります。
猛暑の中、ハローワークを行ったり来たりして、ひと段落つきそうだった就活。
H駅から徒歩数分という好立地のデザイン事務所に採用が決まったのですが、その面接に応じてくれたのがSさんでした。

どういうわけか、デザイン事務所のオーナーだけでなく、相棒役で事務方のSさんが数名の応募者のなか、私の履歴や
人となりを気に入って、採用してくださったにもかかわらず、たったの3日間で自ら採用を取り消してもらったのでした。


しかし、縁は異なものです。
秋になり、Sさんと私は、現在のアルバイト先で偶然同僚として再会しました。
Sさんは私がデザイン事務所をさっさと辞めてしまったことに、すっきりしない感じがしばらく続いたのだと、述懐してくれました。
私としては、後腐れなくさらりと去ってしまった事務所だったのですが、雇ってくれたSさんには、私の印象は色濃く焼き付いたらしく、もう一度、再会したいと思ってくれていたのだそうです。


それから、冬と春を同僚として過ごしましたが、Sさんは5月連休前には全てのアルバイトを辞めて、自身のかねてからの夢を実現し、共同経営者の仲間と共にカフェのオーナーとして出発したのです!

「すごいわね!このカフェあなたが開いたの?私の知り合いにビラをまいてあげるわよ。」
と母もSさんと会話しました。

因みに、Sさんは、しばしばコメントをくださっているKさんと同郷なんです。
Sさんはゆきんこにカフェの未来予想図を熱く語ってくれました。
「こういう時代だから、誰もが大なり小なり生き迷っていると思うんです。このカフェで自分探しをしてもらい、自分の夢に少しでも近づける空間として利用してもらえたら嬉しいなって。」
そんな独立独歩の逞しい彼女のカフェに、これからどんなお客さんがやってきて、どんなカフェに成長していくのか、お楽しみです。
なでしこJAPANが、優勝して歓喜に沸いて嬉しい!
台風6号がじわじわと西日本に接近していた7月第3週。
月曜日から木曜日くらいまで、どんよりとした「でんでら雲」に覆われていたせいか、
気温は30度前後と、猛暑を免れていました。

その間、実家とハローワークを行き来して、就活にも励んでいました。
不採用が続くと凹みますが、歳のせいか、よくも悪くも鈍感になり、凹みっぱなしではなく起き上がるように習慣づいてきました。
「あきらめない」
なでしこの勇気ある皆様に肖りたい気持ちです。

ささやかなことですが、我が家のベランダで一番に花を咲かせたプチトマトが実りました。
今週に入って、青い実がだんだん黄色からオレンジになり、昨日には真っ赤になりました。
残念ながら、画像は携帯写メールには収めましたが、ブログにアップはできません。(私のスキル不足のせいです。)

そして、とうとう摘み取って今晩の食卓に添えてみました。
自分で育てて実らせた初めてのトマトとなると、じっくり丁寧に味わってみるものです。

食べてみると、贔屓目ではなく、思った以上においしかったです。

他のトマトの状況といえば、すくすく育っているのは8本程度になりました。
というのは、プランターに植え替えた苗の育ちは一番順調だったのですが、
他の苗は、植木鉢だったので、一番容積の小さい2つの鉢の苗は7月を過ぎてから次第に枯れていってしまいました。
最も小さい鉢のものは、台風一過で苗がどうやら吹き飛ばされてなくなっていました。

残りの順調らしきものは、花が咲くのですが受粉されないのか、実がなりません。
でも、きっとこれからが夏野菜の実りの時期です。
私の再就職もなでしことトマトに肖って、結実しますように。

星占いは、
「目下や立場の弱い人のフォローが吉。損な役回りと思えることも後に幸運」

だといいんですけどねぇ~。。。
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