平成19年度学位授与式

春麗ら
今日から甲子園球場で選抜高校野球大会が開幕した。

公私共に、出会いと別れ、そして自分自身が内面と外面とが脱皮している今日この頃だ。


21日もうすぐ正午というギリギリの午前11時40分ごろPさんに電話をかけて出発した。
「おめでとう。今まで、3年間がんばったね。」
「うん。大学院に入学していなかったら、Pさんには会わなかっただろうね。
それじゃ、今から行ってきます。」

午後2時。
待ち合わせ場所は阪神岩屋駅
ぽかぽか陽気だけど、風力はいささか強めで交差点を行き交う人々の上着の裾をあおり、
ヒュウ〜と音がなる。

しかし、お相手のSさんは運転中なのか、携帯がなかなかつながらず結局、落ち合ったのは
目的地の「兵庫県立美術館」

論文作成の真っ只中からテレビをチラっと見ては、開催中に絶対鑑賞したかった「ムンク展」に
学友のSさんを誘っていた。
なぜなら、「社会人大学院生」という特権が使えるのもあと10日。
どんな特権かといえば、学割の利く入場料だ。
一般社会人なら1000円だけど、学生なら前売り券を購入すれば700円。

まだ建てられて数年にもならないという真新しい美術館の3階へ入った。
「Sさん、ムンク好き?」
「嫌いじゃないよ。この前は日本画を見に行ったんだけど、私は洋画の方が好きやわ。」
「もしかして、神戸の浮世絵?」
「そう。洋画はサイズも大きいし、大胆だから」

平日の午後ならかなり人手も空くだろうと予想していたけど、案外多くの人々が鑑賞に訪れていた。
1年前には、Pさんとダリ展を鑑賞したのだが、どんな作品展に誰を誘うのかによって随分鑑賞のしかたは違うものだ。
Pさんは、何事につけ一度集中すれば、結構とことんのめりこむところが、ゆきんこのそれを凌駕しているな〜と尊敬している。
鑑賞時間もじっくりゆっくり殆ど私語もなく一つ一つの作品を堪能しながら鑑賞していた。

Sさんと私の共通の話題は、大学院仲間同士でどうしても「研究」になる。
Sさんは、修士論文の作成と同時進行で3月上旬に、博士課程の受験を終えて進学先も決まったところだった。
だから、話題は目の前の「ムンク」の作品に集中できず、且つ鑑賞者の数が多いと気が散ってしまったことが、かなり残念だった。

本当にゆっくり鑑賞したいなら独りでくるべきかもしれないけど、そもそもかしましいからやっぱり
誰かを誘って、その場で見たまま感じたままを述べ合える友人と鑑賞したいのが、ゆきんこ流。

本物を直に眼にする醍醐味は、ブラウン管や印刷物からは感じ取れない、作品そのもののオーラや
アーティストの筆の質感をとらえることができることにある。

ムンクの「フリース」には、ムンクならではの筆づかいだけでなく、やっぱりあふれ出てくる何かがあった。
そのあふれ出る何かというのは、一言でいって「カリスマ性」というのかどうか適合することばは
見当たらない。
「職業的にはアーティストと研究者って似ているんだって。」
「テーマに沿って何もないところから順序立てて作品に仕上げていくものね。」

確かに、人を惹きつける魔力というか、魅力というか目に見えない「それ」は何だろう?
やっぱりオーラですか?
若き日のムンクは、漠然とした不安と死と隣り合わせにある生を描き、寧ろそうした作品が彼を有名にしたのだろう。
だけど、私は年を経て明るい色彩でおおらかに描かれた作品の方が断然好きだ。
清清しい空の青と緑、憩いの公園で抱きあう男女のモチーフは安らぎを感じる。

因みに、私自身の論文自体も、加齢と共に自身のキャラクターの変化も織り交ざってきたように思う。
1作目の学部生時代は、「生き方についての一考察」というテーマで、病気、自殺、殺戮のノンフィクションを取り上げた実にネクラなディスカッションで検討した。
今回3作目は、1万年も共生してきたイヌが子どもと大人をつなぎコミュニケーションを活性化する一助になるだろうという観察データを収集した。

ショップでは「不安」というタイトルの絵葉書を1枚100円で買った。

Sさんの車で移動し、最寄のマクドでハンバーガーを食べた。
それから、午後5時30分。20日ぶりに海沿いの大学院へ到着した。
修了式1時間前の館内は、いささか厳かな雰囲気に包まれていた。
ガラス扉を開けて毎回挨拶を交わしていたMさんも濃紺のスーツ姿だ。
「こんにちは。その後かぜはどうですか?」
「ありがとうございます。でも、花粉症はもう10年くらい毎年・・・(笑)」
「あ〜、花粉症じゃない人の方が珍しいかもしれませんね。
修了しても出没すると思うのですが、もうお会いする機会が少なくなるのは淋しいですね。」

おさわがせ大学院生だったゆきんこ。
年若いのに凛としたMさんにいつもご厄介をかけては、私語も挟んでちょいとコミュニケーションを楽しんでいた。
お陰で、PさんだけでなくMさんもよく笑って接するようになった。

ここからが、最後の最後まで大学院生魂の抜け切らないところ。
お決まりの図書室のテーブルの端にカバンとコートを置くと、
まずは、常連院生のNさんの隣に腰掛け、PCの暗証番号を入力した。
「もう来てたの?先日はありがとう。その後、どうなった?」
「どうって何も・・・」
「じゃあ、アルバイト登録?」
「うん・・・多分ね。あなたは?」
「4月から働くよ。」
「決まったの?」
「うん。もう保育所じゃなくて今度は18歳以上の障害者の施設。」
「ふ〜ん、よかったじゃない。」
「ありがとう。ところで、入ります?」
「何が?」
「『結婚しましたハガキ』作ったんだけど、もし迷惑なら受け取ってもらわなくてもいいし。」
「ええ、まあ、どっちでも・・・」
どっちでもという返事の場合、通常判断に迷うけど、Sさんと共に論文作成の渦中を共にした
同世代の印に手渡すことにした。

それから専門学術誌を陳列したコーナーの4月号を物色したり、いつもは目を通せなかった臨床心理学関連の文献の目次をざっと見て、関心の高い項目をいくつかコピーした。

面識のある人にはもちろん、Pさんが手作りしてくれた私の真新しい名刺を配れるだけ配った。
「3月3日に名前が変わったので、それも兼ねて・・・」
「あら、ホントに名前変わって結婚したの!それはダブルでおめでとうございます。」
そういえば、狙ったわけでも何でもなく、婚姻と大学院修了は殆ど同時に押し寄せた人生の2大イベントには違いなかった。

他コースで殆ど会釈しかしていなかった遥かに年配の同期の修了生の方々も新姓になった私の名刺を快く受け取ってくださった。
「まずはHPにアクセスしてください。それから、できましたら掲示板にコメントも御願いします。」
こうして、名刺を配布していたら、1時間はすぐに経過してしまった。

6時30分。
式典会場の講義室4・5に移動する人々が次第に集まった。
入り口で事務係りの方に学籍番号と名前を告げると、パンフレットをもらった。
なんと各コースごとに指定席になっていて、私は最前列の7番目だった。
真正面は教壇に金屏風、向かって右端に学旗と左端には、日の丸が掲げられていた。

「いやだ〜・・・一番前なんて」
既に中央に陣取っていた2番目に在籍数の多い生活・健康系コースの面々は余裕でスタンバイしていた。
しかも、5分前になっても同じコースのMちゃんもY先生も姿を現さなかった。

事務連絡がアナウンスされていた開始寸前に、両隣の同期生も着席した。
「おめでとうございます。すごいですね。ご結婚も決まって。」
「既に2児のヤンママのあなたに言われたくないわよ。」
「これから子どもはどうするんですか?まだ産めますよ。」
「それも、セクハラオヤジの台詞!パシッ!!」
そのはしたない暴言と同時に博士帽のいかめしいお偉い先生方が参列して目の前を通過された。

午後7時。会場は静寂に包まれて、「平成19年度学位授与式」が開式された。

式次第 開式の辞
     学位記授与
     学長式辞
     修了生代表挨拶
     来賓紹介
     閉式の辞

学位記を授与された社会人大学院生は総勢50名
そのうち、ゆきんこの所属する幼年教育コースは6名だった。
学長のK先生が花粉症で喉を痛めておられるのをおして、一人一人丁寧に読み上げて、厳かに
授与してくださった。
「おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」

続いて、学長式辞
「皆様に餞のことばを2つ申し上げます。ひとつは昼間の大学院生へ、もうひとつは学部生へ贈った
餞のことばです。」

クリスチャンでもあらせられる学長のK先生は、ひとつめに「最澄」の教えをわかりやすく説いてくださった。
足元の自身にできるささやかなことを責任をもって行うこと。
現行の政治に象徴されるように、大事業や壮大な構想があっても、実行できなければ多くの人々を混乱させるだけである。
しかし、どんなに小さなことでも自分のできることを確実に実行し、責任を果たすことが肝要なのだと
説いてくださった。

2つめには「REFLECTION」自省、ふりかえるということ。
社会人大学院生として入学するまでの道のり、学業を終えて歩き出す道のり、
その岐路に自分自身の生涯学習の過程をふりかえることが大切だ。
常に振り返り、心を耕すことしてほしいと説かれた。

10年前の修了式の祝辞のことばも蘇った。
そのことばは「Think Glovaly Act Localy」だった。

式が終わるや否や、職場では教鞭を執る方々も役割変わって「先生も学生」の修了生たち
とりわけ、多数派の教育臨床心理学コースの袴姿艶やかなセラピストの女性陣が、
金屏風の前でデジカメ撮影を躍起に始めた。
両隣のMちゃん、Y先生ともデジカメ撮影したあと、彼女たちは所用で早々に引き上げた。

幹事係りの在校生たちが、懇親会の隣室に案内するが、なかなか移動しない。
数十名の人々を統制するという仕事は同業者同士でも儘ならないものだ。
ましてや、「テメエのいうことなんかききたくねえんだよ」という方々を相手に束ねるのはどんなに骨が折れるだろう。

廊下で幼年コースの諸先生方に挨拶して、ようやく指導教員のY先生にもご挨拶した。
図書室に戻って、Y先生に改めて『結婚しましたハガキ』を手渡した。
幼年コースの在学生の先生方が、会を進行してくれた。
まずは、紙コップに飲み物を注ぎ、全員で乾杯!

「ゴンタくれですみませんでした。」
「いやいや。」
「すみません。夜は私一人なのにわざわざ来てくださったのですか?」
「一人だってゼミ生だからね。」
「お忙しいのにありがとうございます。夜は私1人でしたが、昼のゼミ生さんは4名でY先生はとても大変だったと聞きました。」
「あ、わかってくれた?」
「はい。私1人でも大変だたったのに、全員で5名だったのですから・・・」
「まあ、留年生が2名いたからね。」
「先生もようやく肩の荷が5人分降りたのですね。」
「ホント、そうだね。」
「ご心配をおかけしましたが、就職も決まりました。」
「そう!いや〜よかったね!!」
「はい。今度は障害者の授産施設で正職員として採用していただくことになりました。」
「正職員か。前の専門学校を紹介したのも無駄ではなかったのかな?」
「いえ、とんでもないです。先生が敢えて私の腕試しにと白羽の矢を立ててくださったにもかかわらず、結果として不適任だったのですから・・・
あの転職と転居がなければ、結婚もなかったと思います。」
「新婚生活はどうなの?」
「まだ当分は実家にいて、私の仕事が安定したら新居を探すことになっています。
今回、先生のご指導で子どもと大人というテーマで論文を書かせていただきましたが、
改めて自分は大人なんだろうか?まだ子どものままなんじゃないだろうかとことば1つ1つの字義にも
ますます疑問が募るようになってきました。でも、4月からは田んぼを耕します。」

はてさて、宴もタケナワとなってきたころ、ゆきんこの目標に向かっての行動を起こすときがやってきた。3年前初々しかった入学の頃からすると、殆ど「不安」を感じることも少なくなった、いや、相当面構えも厚くなったオバタリアンかもしれない。
会場の両脇に各コースごとにかたまって会食しているので、自ずとお偉方数名のコーナーは閑散としていた。そこへ、さも無邪気にゆきんこおばさんはこの会場で、いや、恐らく日本の教育界において最強の権威を誇るその方に声をかけた。

「あの、K先生失礼致します。」
「名前が変わりまして、新しく名刺を作りました。お受け取りいただけませんか?」
「どんな活動をしているのですか?」
「はい。2006年に発足した新しい会ですが、当事者の方々も保護者の方々も学校現場で大変お困りのようです。先日もある保護者の方から一人ではお子さんのことを学校へ要望するのはとても勇気がいるそうで、私も同伴で学校を訪問しお話を伺ってきました。幸い、特別支援学級の先生が大変真摯に応じてくださり、貴重な対談ができたと保護者の方にも喜んでいただいてきました。」

学長のK先生も親身に傾聴してくださり、「名刺を介して」朗報を伝えることができた。

さらに、ひときわ盛り上がりっぱなしの教育臨床心理コースの面々が集団撮影を終わった直後、
介入した。
まずは、EMDRの第1人者であるI先生に渡した。
手渡した瞬間のI先生からの確たるリアクションはなかった。
しかし、全く知らないというわけでもないI先生の微妙な反応を私なりに感じ取っていた。
所詮、自分の範疇にない障害には、「プロトコル」という専門語をはじめとする不可解な分厚い専門書監修の第1人者といえども、こんな感じなのかもしれない。
「すみません、臨床コースの修了生さん方ですね?」
「はい。」
私は名刺を次々と差し出し、挨拶してHPへのアクセスとコメントを求めた。
「どうか当事者の方々のために論文を書いてください。支援者を募集しています。」
そこで、どうして質問なり、興味・関心の反応がないのだ!?
君たちは、臨床家なんじゃないのか!?

もちろん、修了式後の懇親会という場所で名刺を配るのは場にそぐわない行動なのかもしれなかった。
でも、私がこの夜の大学院で現役生として振舞える最後の活動だった。
何だか無神経・鈍感そのものに見えるこの人たちが「臨床心理士」だなんて私の偏見だけど全く信じられない。
だって、被虐児だった私はいくつになっても振りかえる度にいつだって高感度でセラピストを品定めしているのだから。

「終わった・・・」という感じ。
それは、子ども時代の無邪気な達成感とか、突っ走った後のランナーの爽快感とは違っている。
結婚や、修士号の取得、新しい出会いと就職
いつになく「おめでとう!」といってくださる方々の笑顔が連呼され、コダマしている。
本当にありがたく、嬉しいことだなと感謝の気持ちでいっぱいだ。
今までの苦しかった泣いてばかりいた日々が嘘のような、一体、皆さんは誰に祝福と賛辞を贈っているのだろうか?
憂いに満ちた過去には、私は人々の幸せを心から喜ぶ人であっただろうか?

でも実は、なぜか素直に喜べない、気がかりなことは表面の慶びごとの背後に渦巻いているからなのかもしれない。
「禍福は糾える縄の如し」

明日の今頃は、6日間日本をエスケープするのだから、そろそろ旅支度を始めよう!















「P





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ココロメーター

11月はじめの社会人大学院。

先程、11時30分頃帰宅して、忘れないうちに書いておきたいけど、
眠気がさしてきた。

6時限目の特別支援教育基礎論では、キュートな年下講師のI先生の第4回目の特別支援教育の歴史の最終回。

第2次世界大戦後、日本はアメリカの占領下において戦前の誤った教育の改革を迫られた。
学校教育法の文言には、義務教育として盲・聾・養護学校が当たり前に
謳われるようになったが、施行は後からついてくるのが歴史の常である。

また、障碍種別によらず歴史に名を残す発端となってきたのは、
有史以来、社会的弱者であり続けてきた当事者自身よりも、その保護者たちの運動や提言によって、社会や歴史は動いてきたのだ。

これも、ABAにおいては、オペラント行動の最たる勇姿といえるのかもしれない。
あるいは、コミュニティ心理学的には、アドヴォカシー(代弁者による提唱活動)と換言できるだろうか??

講義終了後、タイムリーに私はカウンターから持ち出したチラシを講師に渡した。

「ああ、緘黙症ですね。F先生から聞いていますよ。
特殊教育学会で私は役員をしていましたが、当日シンポジウムは盛況でしたね。
私も学生時代、お会いしたことがありました。学校では全緘黙でしたね。」

「いつの時代も現代においても、日の当たらない分野というものがあるのですね。
チラシをこうして現職教員の方々に配布していますが、なかなか先生のように関心をもっていただけないのです。」

「そうですね。実際にかかわった経験がなければ、どうしても関心事に
ならないのかもしれませんね。」

「シンポジウムでは、是非、教職関係者の会員を募集したいと思って活動しています。どうぞ宜しく御願いします。」

ちょうど1年前にも類似した科目「障碍児心理学」の講座でも吃音の当事者会のことを学んだ際には、講師のT先生も既知のところとなっていて
「かんもくの会」の後ろ盾になってくださったF先生からの進言に
よるものだった。

さて、7時限目に厚かましく部外者でありながら出没しつづけている
居候3年目のFゼミ。

今夜、F先生は先週に比べるとかなりお疲れで笑顔の頻度が少なく
ややご機嫌斜めだ。

「・・・どうも、行動分析学的な思考回路が身についていないようですね。」
Fゼミの門下の院生のY先生とI先生が、事例の男の子が「暗闇を怖がる」
という問題行動の解決案を話し合った。

そこへ、ゆきんこが口を挟んで、
「トンネルを抜けるとそこには・・・」
「あ〜、そんなんじゃ、ダメダメダメ!
もっとスモールステップ・スモールステップで確立操作を考えなくちゃ。系統的脱緩作法で、徐々に徐々に」

3人寄れば文殊の知恵といいたいが、
なかなか男の子の「暗闇恐怖症」へのアイデアが出てこない。
素人感覚は、課題分析やらスモールステップの段差を作るのが、
ABAのプロから見たら、粗すぎるのが常なのだ。


I先生が先週、F先生から拝借した研究の神器「ココロメーター」を
取り出した。

「ココロメーター」とは、
唾液中のアミラーゼ濃度を測定し、その測定値が高いほどストレスが
高くなるという、ストレスマネージメントに一躍買う測定器なのだ。

その場で、舌と下あごの間に、唾液を検出するチップを挟んで待つこと
30秒。

それから、ストレスチェック表のアンケートに記入し、測定値との
相関度を試してみた。

結果は、相関なし。
「つまり、ストレスの高い人はチェック欄の「はい」の数が多く、
ココロメーターの数値も高い。」
という仮説が実証されることが理想なんだけど、3人で試して数値の相関に一貫性がなかった。

「おかしいな〜。」
「どっちがおかしいと思う?測定器か、チェック表か」
「メーターじゃないですか?」
「いや、チェック表のはずだ。」

今回、ゆきんこの突拍子もない(根拠のない)発言は、
F先生とまるでずれていた。
仕方がない。
まだまだ当てずっぽうなこと言っていたら、ABAのど初心者の域を出ていない。
あ〜、これって無知の知なんだな〜

そろそろ布団に入ります。
おやすみなさい。

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Let's Nuts !(レッツ・ナッツ)その2

自分を怠けさせるのも、頑張らせるのも自分次第?
でも、自分でがんばるには限界もあるので、それなりの条件が必要?
例えば、自分が好きだと思える指導者や年上の人間には、自然、素直に従えるだろうか?
年上で知識の豊富なヒトであっても、尊敬できず、好きになれなくて反抗してしまうこともある。

逆に自分よりも後から生まれた人でも、自分よりも秀でた才能の持ち主であれば従うべきか?
年功序列が崩れ去り、年下の上司に使える機会が増え、
滑舌の悪くなってきた両親に、「老いては子に従え」などど言えるほど
立派に自立していない。
・・・と平日の真昼にPCを叩きながら思う。

9日(火)に夜の大学院で、修士論文の指導ゼミがあった。
相棒で某私立幼稚園後継者のTさんも遅れて参加し、険悪ムード漂う
Y教官とゆきんこの間に緩衝材としていてくれたので大助かり(ほっ)

そもそも、遡ること2006年6月、緘黙症に関心をもち、
社会心理学者のY先生に相談したところ、専門外の上に、
対象者もいない前代未聞の研究は、あなたのレベルでは到底無理!
とケンモホロロに却下され、7月から観察記録データを収集しはじめた。

それ以前から、生々流転の保育所でバーンアウトして、プーおばさんになり、
3月にY先生に紹介された転職先も蹴り倒したのだから、指導なんてしたくない憎たらしい徒弟であって仕方ないはずだ。

自分の儘ならない生活をぼやくのはいい加減にしよう!
それもこれも、「自己責任」なのだから・・・

それでも、コツコツ溜めたデータを只今、清書してまとめる作業に入ったが、ヒトも含めての動物の行動ときたら、なかなか「カテゴリー分類」しにくいものだ。
憎たらしい徒弟の稚拙なデータだろうと、納得のいかない中途半端尚且つ独りよがりで自分勝手な、「分類」というのは御法度になっている。

物理学に肖って、モノをココロに置換することによって始まった心理学は、常々「それはあなたの解釈でしょ?」
「自分勝手な思い込みでしょ?」
という突っ込みから免れない。
私の修士論文など、50%の架橋に入ってきて、「やっぱり稚拙だ・・幼年コースだもの。」
と自分の実力の限界や先行きが見通せてきたけど、自己満足に終わらない論文に仕上げるには、もうちょっとの辛抱が必要だ。

で、レッツ・ナッツのその2です。
プーおばさんの、エンゲル係数を下げる技。
でも、ゆきんこは単純に食べるのが大好き。
昨日も一駅電車に乗って、昨年会社の同僚だったKさんとランチしてから、付近の商店街をぶらついて、つい衝動買いしてしまった・・・
いけないな〜、
煩悩を払って倹約しないといけないのに、
仕事の柵から解放されると、享楽的になってしまいます。

ゆきんこおすすめのナッツその2の紹介です。
「さかなっつハイ!」

日本人に不足しているカルシウムとマグネシウムが理想バランス(2:1)に近い形でバランスよく含まれています。
DHAもたっぷり含まれています!
カリッとアーモンドとあっさり脱脂ピーナッツ
国内産100%の小魚ミックスがとってもおいしい。

原材料名 
アーモンド、いわし、落花生、植物油脂、砂糖、食塩、ゴマ、トレハロース、水あめ、魚介パウダー、香辛料、香料、調味料(アミノ酸等)ビタミンD

内容量 10g×25袋

製造者 東洋ナッツ食品株式会社
    〒658-0023
    神戸市東灘区深江浜町30番地

この食品は、大学の図書室で気前よく知らない院生さんたちにもばら撒いて奉仕してしまい、あっという間になくなってしまいました。
そろそろ、夜の学校へ行かなくちゃ・・・

to be continued 「Let's Nuts その3」









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2007年もお盆返上

8月も残り1週間。ブロク更新もできず、リンクしてくださっている方々にもちっともコメントできず、ネット上では何となく孤独だ。

しかし、私にとっては時空を超えようと超えまいと「絆」という目に見えない感情を最実感できるようになってきた。
「今、ここ」という瞬間に。

ブロクを開設してちょうど2年経った。
私のブログはネットの誰かに大した効果をもたらしてはこなかったかもしれない。
けれども、確実にブログを必死で更新していた日々は私の現実とリンクした。

目前の現実と直面していることで余裕がないので、もっとコマメに更新したいけど、ブログの優先順位がすっかり後退してしまったのも確かだ。

約1ヶ月間、修士論文の作成に勤しんでいたならまだ納得のいくいい訳だ。
しかし、それも後回しで8月は全く手付かずだった。
週の半分は、お盆休み返上で週3日の変則非常勤しないと、ボーナスもないから「働かざるもの食うべからず」である。

しかし、なけなしのお給料は、右から左へ無駄な自己投資へスライドする。

3月下旬に、どうしようもない遅刻でポイント取得を逃がした
特別支援教育士養成セミナーの再実習に参加した。
恥ずかしいことに、2回目の参加は私だけ。
同じ研修宿泊施設の箕谷スポーツセンターに17日から19日まで全国から100名の教育関係者が一同に会した。
全員が初対面とはいえ、同業種で同じ目的をもった大集団だから、
初対面から、まるで友達同士のような明るい会話が飛び交う。

このごろは、コミュニケーション力、チームワーク、リーダーシップなどの目に見えないEQが試される上に、4月から日本の教育界を一世風靡
している特別支援教育が本格的にスタートしたので、毎年、毎回、
特別支援教育界は、白熱化している。

それと反比例するかのごとく、
「10年以上も前は誰も見向きもしなかったくせに・・・」
と居直りにも近いふてくされモードに陥るゆきんこ。

しかし、スーパーバイザーの師匠の監視に耐え忍び、
ここは女優の演技力が試されるところ。
いやいや、ゆきんこはいつだってどこだって天然自然がモットーだけど、かなり気張って無理無理積極的に、超苦手な発言もバンバンやってみた。

「事例のKくんは、幼稚園時代に発語の訓練をことばの教室で受けていた生育歴と、小学校2年現在も、複数の特殊音節の発音に誤りが継続しています。合併する構音障碍は考えられませんか?」

12人の「A−うグループ」で誰も意見しなかった見解を、ダメもとで、主張してみた。
多くの参加者は、通常の学級を運営する上では経験豊富な小・中学校の
ベテラン教員だ。若輩者というだけで、(小柄で華奢で弱弱しい)という外見だけで、ゆきんこの反駁は脆くも却下されてしまうことが往々にしてあり、「あとは野となれ」という心境だった。

しかたがない。
偉そうなことなんて屈辱的な半生に裏打ちされて強化されてきたから、
押し通そうとするエネルギーを無駄に消耗して疲労するよりも、
自分だけが諦めて、他の先生方がガハハと笑ってご満悦ならそれでいいじゃん・・・

まあ、全体的には楽しく明るい雰囲気が終始続き、結果として
直面している困っている当事者の方々に恩恵が巡ることが期待される。
私には、幸か不幸か、最も親密なお相手に純粋な愛情を注いでいれば
いいだけという安穏なる(無益な)状態に甘んじている。

明けて20日の午後1時は「心理学統計法演習」の持込全くなしの無慈悲なテスト本番。
高校時代もっとも成績の悪かったのがコンプレックスだったけど、
実は、現役京大生と同等の出題なんて、おばさんになりかけている私に
無理難題であることが再認識された・・・

そして、23日24日は再び泊りがけで森の奥のYキャンパスへ馳せ参じた。
「オンラインでの個別支援教育計画作りのスキル向上」という講座だ。

ちょうどタイムリーに指導実習を終えて間もないため、内容はかなり重複していた。
異なるのは、「オンライン」直接会談しなくても時空を超えて、協働で
IEP(個別支援教育計画)を作成するプロセスを実演するのが特徴。
従って、参加した教員たちは、同じ教室内にいても、隣り合わせに座っていても直接、話し合わないから静粛としている。
それに違和感を感じる参加者(つまり、ゆきんこ)は、すぐにおかしいと思ったら、遠慮なく挙手しては講師のN先生に質問したり、気安く隣の栄養学のN先生やら、中学校の数学教師などに話しかけていた。

「N先生、例示された計画指導案のなかに、『アイコンタクトで信頼関係を築く』とありますが、私の指導教官には濫りにアイコンタクトという用語を使うなと言われています。学派が違うと、専門用語をそのまま使うことも憚られることもあるのではないでしょうか。それにアイコンタクトで信頼関係を築くというのは確証に基づいているのでしょうか?例えば、卑近な例では、やくざがガンをつけるということもありますよね?」

「・・・・ゆきんこさんは、探究心があるんですね〜。」
先日、お母様を身罷られたばかりのN先生は、苦笑して明答を誤魔化した。

それから、特記しておきたいことは、2日続けて正午の学食でO先生に遭遇したことだ。
なぜ、特筆したのか?
ちょうど2年前に聴講したのが、就任1年目の初々しい年下教官のO先生
の「もじゃもじゃペーター」
そのネタを第2日目にブログに載せたのだ。

あ〜、しまった。話かけてもよかったのにな。もう来年には、遭遇する確立なんて1%もないかもしれないのに。

昨日は、偶然同じ沿線から自動車で来ていた先生のご厚意で、
ヒッチハイクさせてもらった。
「先生、ありがとうございます!わらしべ長者みたい!」
実に久しぶりに未知の繁華街で束の間ショッピングを楽しんで帰宅した。・・・といっても100金ショップで1000円以内の日用品を少々。


やれやれと息つく暇なく、洗濯、炊事、掃除、
そして、わ〜〜〜〜レポート!!





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ブログの功罪 その2

6月は2回しか更新できなくて、明後日は七夕を控えている。

七夕発祥地であるふるさとを離れて間もなく3ヶ月になるが、
私の新天地での劇的ビフォー・アフターも梅雨と夏の気だるさがじわじわと漂ってきた気配だ。

そもそも2005年8月下旬にブロクを初めて、ブログの内外では様々な出逢いがあり、3月から4月にかけてはそれが最も顕在化した時節だった。

経済的、心理的に自立することの難しさを肌で感じつつ、
表面的には平静を装ってきた3ヶ月だったけど、
日々、当たり前の家事や生活を軌道にのせるだけで精一杯で、
ブログから次第に遠ざかっている気さえする。

ブログは私にとっては、自分を見つめる心理的な癒し空間の役割も
果たしていた。

ヒトとかかわりたくないときだってたくさんある。
自分探しの旅は一向に見えてこないのに、
ちょっとばかり早く生まれて先生と呼ばれる立場に返り咲くと、
後輩に「世間はそんなに甘くない!!」
と否応なく叱咤激励しなければならない立場にあることを新しい上司に
突きつけられた。

「あなたにどこまで仕事を任せていいのか、迷っています・・・」
「先生にご指摘を受けたことは、過去にも何度もありました。」
「もっと周りをよく見て、あなたがその椅子に座って、どのように
振舞う立場なのかを考えてください。」

それを見透かされる瞬間、
また自分のアイデンティティは揺らぎ、拡散を起こしそうになる。

またオペラントに自発した自分の行動(しなかったことも含めて)
自己責任が当たり前に問われる。

そんな時に、因果なことなのか4年前に在職していた知的障碍児施設の上司から手紙が舞い込んだ。

中身は、半年で退職に追い込んだことへの私に対するお詫びの手紙だった。

私自身は特段の障碍がなくとも、社会的弱者の周辺で社会自立に困難を感じてきた当事者であり続けてきた半生と反省から、
責め口調には過敏に号泣してしまう癖がある。

社会人大学院に進学したのも、
そこに大学院があったから、
そこに憧れの先生がいたから、
という単純・不純な動機だ。

それを曲がりなりにもなんとか続けてきたけれど、
他大学大学院で心理学修士を修め、若干社会人2年目のW先生が
心理学の専門書がズラリと並んだ隣のデスクで飄々と言った。

「心理屋なんてペテンですよ。」
「自分も含めてそう仰るんですか?」
「ええ。」

私は心理屋さんなどと思ったことがない。
だけど、私の周辺には私を心理屋さんだと思って近寄ってきた
当事者はかなりたくさんいたし、ボランティア丸出しで癒された人々も
少なからずいらっしゃったと思う。
私を直に知る学校関係者や履歴から「あなたは専門家」だと評して下さる人もいる。
でも、私にはいい年こいてその自覚も自信も依然としてないのだ。
そして、私のインナーチャイルドが泣き叫ぶのだ。

「やめてよ!私、ヘタレなんだから・・・」

ネコも杓子も誰もが心理学に関心を持たざるを得なくなった時代に、
今更、これ以上、少子高齢化の罪人のように心理学に投資を続けて食えないプロになっても、
当事者に逆恨みされるリスクも過去の辛酸から知り尽くしているつもりだ。

「心理屋さんよりも、お掃除おばさんの方が余程ご飯食べていけると思うんです。」
「あんた、うちの奥さんとおんなじこと言うねえ。」
6月29日、学校心理統計法の時間、SPSSという統計解析ソフトの入力をしながら指導教官のA先生が仰った。

仮に、もっと財産と知性に恵まれてアメリカ留学で心理学博士を修めても、外国でも食えないし、日本では余程の研究論文のバンバン書き続けて実績を上げないことには、これまた食えない心理屋さん。

それなのに、救いきれない当事者は無尽蔵に膨れていて、みんなが
バーンアウト寸前・・・

・・・なんてまた悶々としていたら、学校へ出かける時間が迫ってきた。
今夜は、「児童精神青年病理学」で講師は、精神科医のI先生だ。










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