義援金を募りました。

未曾有の東北関東大震災から1週間経過しました。
被災者の皆様には、平凡な一日本人としてお見舞い申し上げます。

ちっぽけな自分に何ができるのか、
結局、周囲に追随するのがせいぜいですが、
私の場合、半分仕事、半分ボランティアで16日の夕方と今日、19日の午前中、最寄のスーパーの店頭に立ち、
義援金の募金活動に参加しました。

「東北関東大震災で被災された方々への義捐金、ご協力お願いいたします。」
募金箱を首からぶら下げ、買い物にきた住民の皆さんに声をかけると・・・
ほとんどの方々がすんなりと募金をしてくださいました。
「少ないけど・・・」
「気持ちだけ。」
なんて言いながら、皆さん、内心は他人事だと思っていないようでした。

最も印象に残ったのは、まだ社会人になっていない学生や幼い子どもたちの募金する姿でした。
なかには、卒業証書を携えて募金してくれた生徒さんもいました。
「どうもありがとう。」
「どうしてお金を集めるの?」
「津波でおうちが流されて困っている人のためです。」
この1週間、連日震災関連の報道が続き、幼い心にも響いたのでしょうか?

一緒に活動した初対面のボランティアグループの方々とも談話しました。
「やっぱり、募金を通して子どもの道徳心を育む教育が大切よね。」
「お金は自分だけでなく、人のために役立つ使い方を学べたらいいですね。」
「大震災は辛く苦しいことだし、地震は日本のどこに住んでいても起こるのかもしれないけど、こうして義援金を募ることで、支えあえる日本人の助け合いの心が被災者の方たちに届いて、きっとまた立ち直れるという力に変わると思うわ。」
「そうですよね。日本人って、まじめでやさしいんですもの。」

ボランティアの方とのこんな会話になんだか、私の方が勇気付けられてしまいました。

ところで、
私が現在勤務している公共施設の敷地内の一角に、地域のボランティアセンターがあります。
勤務している事務所は、しょっちゅう来所者や関係者、電話応対でせわしなく、息がつまる思いで過ごしてきました。
そこで、昼休みは、こじんまりしたボランティアセンターでエスケープして、
地域から寄せ集められたペットボトルのキャップのシールはがしで気分転換をする日が増えていきました。

今回の大震災を受けてこのセンターでは、今週から災害ボランティア活動の窓口になり、毛布とタオルを集めることになりました。
事務所にかかってくる電話もその問い合わせが多くなってきました。
こちら関西は、表面的には平穏でいつも通りかもしれませんが、
地球上の全ての人々にとって「他人事でない」という空気が及んでいるように思いました。

おかげさまで、ぎっくり腰はすっかり癒えて、仕事に復帰して2週間経ちました。
去る7日、復帰初日の朝礼が終わった直後、I次長から呼び出しを受けました。
「今まで一生けんめい勤めてくださって、契約更新の希望をきいていましたが、3月末日で契約満了させていただきます。やはり、これからは資格の時代。この事業は、この4月より有資格者に非常勤勤務してもらうことになりました。」

というわけで、自然、弥生は別れの季節かな。
なんだか緊張の糸がほどけてしまいました。
とりあえず、3連休のんびりして、あと2週間残務処理を終えるつもりです。
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平凡な3連休

世の中には「自分にしかできない」使命を果たそうとする選ばれた人々がいる。
そうした人々は多くの人々の誉れを受け、後世に名を遺すのがいいと思う。
それは、ほんの一握りの才覚に恵まれた特権なのだから。
せめて、自分にだけ与えられた天からの恩恵なのだと感謝し、万民に寄与してもらいたい。


凡庸な私に何かの誉れがあるとすれば、一応、室町から続いてきたらしい親鸞聖人の一門に属する家系の末裔といったところでしょうか?
今のところ、名もなき平凡な兼業主婦です。

それを実感したのは、30年以上も昔昔の子ども時代ことです。
当時7歳、小学2年生の初夏でした。
父方の祖父の葬式が生まれて初めて参列した葬式だったと記憶しています。
参列者は父、母、私と女性親族、を除いて全て黒い袈裟姿という色あせたカラー写真がアルバムに入っています。

昨日は、「1Q84」のBOOK2を期日までに読み終えて図書館に返却したけど、
2010年10月10日ということに宵になるまで気づかなかった。
本日は、「生物多様性条約」を記念する長時間特別番組を視聴しながらのんびり私らしく過ごしています。
やっぱり、寛げる瞬間は12歳の頃から習慣化したとりとめもなく頭から自ずと浮かんできた何かを書き留めておくことです。好きなTV番組を視聴しながら。

この3連休の初日は、日本全国ほぼ終日雨でした。
雨の日であろうとなかろうと、休みのうち、まずは2~3時間は掃除をするのが定番になってきました。
そもそも、独身時代から気分転換に清掃に没頭するタイプではあったかもしれません。
例えば、襖の桟に溜まった綿埃や、洗い桶の黒ずみを重曹でピカピカにするのが、かなり好き。
今日は、快晴だから朝、身体が少々重だるくても、布団を干しました。
湿った布団に怠惰に寝ていたって構わないけど、そのだるさも、少しヨガの動作で振り払って、布団を天日に干して布団叩きで埃を叩き出したら、何かが一掃されて爽やかになる。
まるで、修行僧は仏像や仏具をお身拭いすることが当然であるかのように。

昨日は、実家に戻ってきました。
休日には、去年まで別居婚で週末夫を待っていた実家へ、現在は私が母から譲られたバイクに乗って母の様子を見に定期的に帰っています。

帰宅したら、母はものすごい音量で液晶TVを視聴していた。
一度、話しかけても一度では理解できないので3回位は繰り返す。その度、声を荒げて大きくなる。
第3者からは怒鳴っていると間違えられるが、難聴の母にはそれでちょうどいいのだから仕方ない。
ついさっき、話していた内容をすぐ忘れてしまう。
「今私が言ったこと、言ってみて。」
「その内容さっき話したから思い出して。」

しかし、母はいつでも開き直っている。
「精神科医のN先生が年相応の物忘れで認知症じゃないって言ってくれてるもの。」
「あと10年は大丈夫よ。」
とお決まりの食材でワンパターンの昼食をふるまってくれました。

午後から母とNPOの介護サービスを主宰しているOさんの別荘件事務所を訪問した。
Oさんと知り合ったのは、お盆休みでした。
Oさんの複数の福祉事業のひとつのうち、私たち母娘が共感できることがあった。
それは、アンペイドワークに束縛され、いつしか自分が寛げる時空間を喪失してしまった人のために、格安のワンルームを提供する事業だ。
「わんわんコミュニティ」を私に紹介してくれたIさんの誘いで、初対面のOさんと意気投合した。
業としてきた人脈は広いようでも狭い。
Oさんが、2年前に従業した授産施設の施設長と近しい間柄というのも奇遇だった。
以来、数回お会いしている。

本当は、同日わんわんコミュニティの定例会で、Y氏が愛犬を連れて初参加してくれる予定だった。
しかし、どういうわけか、突然に代表のHさんとOさんから当分、休止という連絡メールが入った。
二人とも、家事、育児、そして生活の糧を得る仕事に加えて無報酬のコミュニティ活動が大きくのしかかり、結果、「なんで私だけ!?」ってことになったらしい。
なんとも残念の一言だけど、お客さん同然の立場にあった私としては、そういう理由で辞めるのも頷けた。
参加者もうつやひきこもりなどを経験して、社会参加はもとより外出そのものが難航しているというメンバーが気まぐれにやってくるため、そもそも組織としてもいつ消滅してもおかしくない危うさがあった。

「17日空いてる?」
「ええと、午前中なら・・・」
「ええよ。ほんなら9時ごろ市役所前に来て。」

来週17日、地域でNPOフェスタという催しの準備で、手芸の得意な母が、Oさんの出品作品の手伝いをしている。
「暇があったら、なぜかいつも掃除してるなあ。。。」
「どうして?」
「ウチ(実家)に帰ったらやんなさいよ。」
「しません。汚いのがいいんでしょ!」
「新居でそんなに掃除やってるのは、義務感で?」
「・・・そうなのかなぁ・・・」

たしかに、主婦になってある意味、義務感を感じているのは、ゴミ出しなどの生活に伴う定番家事を放置できなくて帰宅してしまうこと。
毎月曜日は、プラスティックゴミの回収日で、それを逃すと来週まで2週間分も溜まってしまう。
冷蔵庫も空になったら、買い物しなくちゃ、何を買って作ろうかと、苦手意識と足りない頭が無理に先走る。
そういう役割は、やっぱり女性に不平等に押し付けられているんじゃないかと卑屈になること。
主婦だからではなく、ゴミ出しは、小学校の掃除当番が回ってきたら誰だってやらないといけないのですが、
家庭においてはどうなんでしょうね?

一方、新しい支援員の仕事でも何かと柵やら矛盾が見えてきた。
実は、支援を要する利用者の方々の大半は、自治体から保護を受けている。
その暮らしぶりは概ね私よりずっと豊かで恵まれているように見える。
私だけでなく、ヘルパーとか、ケアマネとか、デイサービスのスタッフなどさまざまな支援者が一人の利用者に入れ替わり立ちかわり恭しく傅く。
なんだか、ごねたり、不満を言ったりする利用者の方たちが王様か皇女様みたいにうらやましいと思えることがある。
介護だってまだまだ不十分かもしれないけど、保育所で一度に多人数の幼い子どもたちから8時間労働で片時も目を離せない保育士の激務と比べると随分なVIP待遇にも見える。

去年の秋から今年の夏まで、あんなにおびただしいクレーム耐え忍んできた派遣社員の仕事は、時給700円代だった。
毎月の家賃を支払うのがやっとで、月末はうどんをすすっていた慢性過労の年上の独身の同僚がぼやいていたことを思い出した。
「そろそろ辞めたいんだけどなあ~」
「ねえねえ、どうやったら生活保護受けられる?」
と冗談交じりに笑っていた。

それでも、今の私には何が報酬といって、今かかわっている利用者の方たちの笑顔かもしれない。
支援事業に就いて彼是10年という専門員のIさんの助手席の支援員は短期間で入れ替わってきたらしい。
10年続いた理由を自己分析すると、やっぱり利用者の方たちの笑顔が嬉しかったり、感謝してもらえたことだったと話してくださった。
先輩専門員のIさんの手引きで事業所と1週4日間につき延べ10人の利用者の方々の間を関係機関を何往復も駆けずり回っている。
ドタバタ系の業務内容は、結局、営業やら保険のおばちゃん業もかじった私には向いているように思える。
営業職員と違う大きな利点は、相手に忌み嫌われないことだ。
もちろん、ことばの駆け引きや、クレーム対応なども、医療事務の経験が活かせると自負している。
利用者の方々が支援を要するという関係で、ようやく私も新しい生業を立てている。

昼休みには、事業所に併設されたボランティアセンターで子育て真っ最中というの若い上司と、ペットボトルキャップの山に埋もれてシールはがしの単純作業で雑談する。
「1ヶ月前にすごい履歴の方が来るそうだってだってうわさしてたんですよ!」
「そんなんじゃありません。同じ職場でずっと長く安心して働きたいのに、自分としては全くの不本意ですよ。」

20年前は、数カ国を旅した日本人の私が、100キンで中国製の品々を物色し、
中国人観光客が日本の品々を買い漁っている。
昨晩、我が家にインドネシア製のテレビラックが備え付けられた。

お腹が空いたと思ったら、もう3時を過ぎた。
久しぶりにラーメンつくろうかな?

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子どもとイヌとのふれあい活動

プータロウといえども、自分も含めて困難を抱える方たちを見てみぬ振りがどうしてもできないゆきんこ。

ダンヨガの特別プログラムの後は、とてもだるくて気分が悪くてたまらず、
早川先生の講義が終わると、総会をキャンセルして即行で帰宅し、布団に臥せった。
特別のエクササイズの痕跡に鎖骨の下には痣があるし、両手のひらから肘にかけて、
ビンビンと夜中も震えていた。

それでも、翌朝は必ず、老いた母が母親業を怠らず、布団を引っ剥がす。
だから、昨日の同い年の男性のような暮らし振りは、母と同居のうちは絶対に許されない。
気だるさが全身に残るものの、午後からの目的に備えることにした。

12時30分ごろ出発して1時間かけて到着したのは、5駅向こうの隣のN市。
わんわんコミュニティの代表Hさんのお誘いで、わんわんふれあい活動を見学させてもらった。
そもそも普通の主婦で、普通の愛犬家だったHさんが、愛犬のぷうちゃんを飼うことで、
多くの方々とふれあいで社会に貢献したいと活動が徐々に広がって4年目を迎えた。
今日は午後2時から、Hさんたち5名の愛犬家グループが、市内の子どもセンター内の小さな遊び場で、3歳未満の未就園児たちとその母親たちを対象にワンちゃんとのふれあい活動を行った。
集まったワンちゃんは4匹。
トイプードルのぷうこちゃん、コッカースパニエルのななちゃん、ヨークシャテリアのさくらちゃん、
シーズーのココちゃん、のガールスだ。

オレンジ色でHさんのオリジナルデザインのロゴ入りブルゾンでかっこよくきめた子育てママさんたちが、入念な事前打ち合わせを行った。

子どもセンターから、10組ほどのよちよち歩きの子どもたちとお母さんたちが出てきて集まった。
司会の飼い主さんが、はじめにカンタンなイヌとの挨拶を話して、いざ、ふれあいタイム。
イヌにとっては、子どもがどんな行動を起こすか、実は恐怖極まりない体験。
しかし、ヨークシャテリアのさくらちゃんなどは飼い主さんの顔をじっと見て、子どもたちに抱かれたり
触られたりするのを容赦している。
イヌは本当に賢くて忠実だなあ~と感動した。

3歳未満といえども、十人十色でイヌに対する反応さまざまだ。
男の子のなかには、イヌより滑り台、砂場など、関心を示さなかったり、走り回ってばかりで母親が後追いしては捕まえていた。

草を食べさせたり、リードを引っ張る加減がわからず、イヌのかかわりがまずくて乱暴そうな子どももいた。
その子にお母さんが「ダメ!」と叩いた。

親子が去ったころ、活動を労ってセンター長がお茶をふるまってくださった。
「私は、結構です。メンバーではなく今日は見学に来ました。」
「どうぞ、遠慮なく。ここでお会いしたことが嬉しいんですよ。」
「ありがとうございます。・・・実は、私は元保育士で、保育士時代から動物とのふれあいに関心をもっていまして、こちらの愛犬家の皆さん方と知り合いました。」
「そうでしたか。では、これからも子どもセンターにいらしてください。今も現職ですか?」
「いえ、カラダを壊しまして・・・障がい児や被虐児の対応でバーンアウトしました。」
「それは大変で辛い思いをされましたね。尚のこと、このセンターに来てリハビリされたらどうですか?」
「そうおっしゃっていただけて、ほっとしました。またお伺いしたいです。」
「これも何かのご縁ですよ。あなたお名前は?」
「ゆきんこです。」
私よりも小柄なエプロン姿のセンター長のあたたかいことばが胸にしみこむようだった。

反省会では、愛犬家のメンバー同士で対策をどうするかの反省会で話題に上がった。
「やっぱり、教えてあげないといけませんよね?」
私に目を合わせて意見を求められた。
「私は、評論家でも何でもないですが・・・自分の経験ではイヌと小さい子どものかかわりや躾はよく似ていると思います。でも、皆さんは、子どもとイヌとどちらが躾け易いですか?」

「そりゃあ、イヌは冷静にかかわれるんだよね・・・?」
メンバーは苦笑いで、暗黙にイヌであることをほのめかした。

解散して、Hさんは私と特別に話す機会を残してくれた。
駅前に自転車を停めて、バス停のベンチで1時間あまり談話した。
「ゆきんこさん、どうして何者でもないといいながら、不登校や障がいのある人とのつながりをもっているの?」
「どうしてだろう?歩いていたら、勝手に出会って仲良くなっていたという感じ。」
「私もイヌを飼ったと同時に気がついたら自然にふれあい活動をしていて、その延長上に障がい児や困っている人たちとかかわるようになったの。でも、全然知らないから、ゆきんこさんにいろいろ教えて欲しいわ。」
「私も、障がいを持つお子さんとのかかわりから、イヌに関心をもって、こうしてHさんと会えたことを嬉しく思ってます。これからもHさんと一緒に活動したいから、仕事はN市に見つけてHさんのご近所に引っ越して、イヌを飼いたいよ!親離れも私の課題だしね。」

出会ってまだ1ヶ月あまりのHさんが親身にゆきんこの近況や、これまでのこと、将来のことまで
話を聴いてくれるのが何より嬉しかった。
Hさんだけではない、ショルダーバッグの中では、目をくりくりさせてぷうちゃんも傾聴してくれていた。

「GWどうするんですか?」
「私はキャンプ。ゆきんこさんは?」
「私はフジパンの工場でチマキの短期バイトです。キャンプ楽しんできてくださいね。」
二股の交差点で、Hさんと別れてツツジの咲く川沿いに自転車を走らせ帰路についた。

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NPOフェスティバル

昨日23日(日・祝)もやや肌寒い空気を感じつつ、早起きして終日、ボランティアに勤しんだ。
昨日は、H市役所前の通りでNPOフェスティバルが開催され、既に今月の初めから予定が入っていた。
午前中は、ホースセラピー牧場が出展する公園エリアで、スタンプラリーの担当。
約50名くらいの市民のみなさんにスタンプを押してもらった。
フェスティバルが始まる10時前に一番乗りで来てくれたのは、旧友のTちゃんと息子のKくんだった。

午後は、別の子育て支援グループのNPO主催のアンデス音楽祭の受付係り。
参加者にグループ別に着席してもらうため、4色のカラーガムテープを名札代わりに肩に貼り付けてもらった。

親子連れの参加者たちは、数曲のアンデス音楽を鑑賞したあと、ワークショップを体験した。
実際にボンボ・ケーナなどの民族楽器の試演奏やダンスを練習し、最後に全員で合奏してフィナーレという賑やかなプログラム構成だった。

電話で誘いをかけてくださった元家庭教師先のTさんと二人の息子さんFくんとTくんにも3年ぶりに再会した。
すっかり背が伸びた二人は、私のことをもう忘れただろうかというくらい、初めはよそよそしかった。
でも、演奏会の後片付けで会場がバタバタしだすと、退屈紛れか、弟のTくんが寄ってきて会話やその場の遊びに誘ってきた。
Tくんは3年前の私との数回の学習内容を記憶に留めていた。
「ゆきんこさんの家、M町?M町ってどこ?」
「今度遊びにくる?」

すっかり日暮れになって、打ち上げパーティーを催す喫茶店に移動した。
アンデス音楽の主要メンバーに混じってほとんど部外者のゆきんこも飛び入り参加させてもらった。
ペルー出身の日系の男性や、その家族・友人、そのまた友人・知人のつながりの20名が小さい喫茶店を占領した。
全くのアットホームな不思議なメンバーだったけど、共通点は南米文化つながりでその場ですぐに
フレンドリーな笑顔と音楽・そしてエキサイティングな踊りが飛び出してくる味わったことのない独特の雰囲気だった。それでいて、緊張感がなく居心地もいい。

気がつけば、ゆきんこはやっぱり自閉のFくんの傍にいた。
「Fくん、おはし使うの上手だね。」
Fくんの円らで空ろな瞳は私とアイコンタクトしないけど、こんな騒然とした場所でも
彼は、淡々とそのムードを楽しんでいる仙人のような佇まいで私の横に座していた。

3年を隔ててもTくん・Fくん兄弟が私を受け入れ信頼してくれたことが一番嬉しかった。


去年の勤労感謝の日は、確かどこへも出かけず論文をたった独りで書いていた。
一昨年は、重要人物殿とお目にかかった。
来年はどうしているだろう?

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ホースセラピー牧場で気力回復!

午前中、国会中継を視聴しながら、自分を見つめなおしたら、次第にお出かけモードになった。
午後1時には、先月から出没し始めたホースセラピー牧場に顔を出した。

ここのスタッフもボランティアも癒し馬のファンだから、みんな気さくでフレンドリー
毎週出没しているだけなのに、ゆきんこの新顔も次第にお馴染みになってきた。
そんな私に6月からボランティアを始めたというYさんも、
「ずっと前から知っているみたい」
と評してくれた。

スケジュールでは、ポニー2頭の馴致の後に、8日の午後にはH小学校を訪問することになっていた。
あいにく、当日は終日雨で、キャンセルとなったとスタッフのGさんから聞いた。

今日は、ポニーは牧場でお留守番。
女子中学生の実習のお相手があるそうだ。

出発までのほんの束の間、引退競走馬のサラブレッドのカシューにニンジンをやった。
馬の唇は肉厚で手のひらでもごもごとニンジンをつままれた。すると少し唾液でぬれた。
大きなつぶらな瞳を覗き込んで、独り言と判別つかない語りかけをした。
「競走馬だったなんてすごいね。そして、今度はセラピーホースとして人を癒してくれるなんて
ほんとお疲れ様・・・」

午後1時30分、ポニー抜きで12月に訪問依頼を受けているN小学校へと徒歩で下見にでかけた。
歩きながら、Yさんから馬の特性について詳しい話しを聞くことができた。

競走馬は、ビジネスライクに仕立てられた走る目的で産み育てられるそうだ。
そのため、普通のギャンブルと違って賭けるお客は、馬の出身地やその両親、馬主、などなどを
考え合わせるのに頭を捻るとか。
馬主が、馬の引退の時期やその後の生死まで決めてしまう。
たまに、赤い目の白馬も生まれるそうだが、見た目に美しい白馬は突然変異だから、
脆弱性をもっている。
最近、「ユキちゃん」という白馬が、それにもかかわらずダービーで優秀な成績を上げているということで人気を集めているそうだ。

N小学校に着いた途端、私は感想を述べた。
「ふ~ん・・・なんだか、サラブレッドの生涯って切ないな・・・
人間社会の縮図って感じですね。私だったらどんな馬でも子どもでも分け隔てなく
かかわりたいけどね。」

帰りは、ゆきんこのナビゲーターで母校であるK小学校経由で牧場まで戻ることになった。
「こんにちは。来年、訪問させていただきます。今日は下見に来ました。」
Gさんが校門前で門番の男性に挨拶した。

馬の学校訪問の依頼は、教育委員会を通して今年に入って複数の小学校から依頼を受けているらしい。
「幼稚園にはいかないんですか?」
「あんまり、範囲を広げると対応できなくなるんでね。」
「それにしてもK学校の坂は急ですね。」
「でしょ?起伏は多いですね。地図ではわからないでしょう?丘がつく地名が多くて昔、仁徳天皇稜並みの大古墳があったと考えられているんです。
でも、住宅地になってしまったから、発掘されていないんですよ。」
「いつ頃かしら?」
「多分、奈良時代より前ですね。600年代かな?この辺は天皇の縁の地名も多いです。」
「ふ~ん。」
「この坂、お馬さん大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫、大丈夫。」

子ども時代を過ごした故郷をスタッフやボランティアのみなさんに案内できて、とてもルンルン気分だった。
実のところ、子ども時代は、憂いと悲しみ色に染められてはいるが・・・

帰ってきたら、所定の用紙に感想や反省点を書き込んだ。
総じていえば、車や人通りが少なくて安心して馬の馴致ができそうだというものが多かった。

馬の視界は真後ろが見えない他は350度と広範囲だ。
草食動物で怖がり。だから、天敵を遠くから一望して察知し、すぐに逃走できるようなしくみになっている。
馴致のときには、車のクラクションや傍で手綱を引く人間に視界をさえぎされ、おっかなびっくり
外へ出る。
舌は鈍感で甘いと苦いしかわからない。
耳はよく聞こえているけど、人間のことばはよくわからない。
低くて安定した音声だと安心する。
こわがっている人間に過敏に反応して、こわがる。

「ふ~ん、そうやって馬の話をじっくり聞くと、犬とはどこが違うんだろう?
人間とはどう違うかなととても勉強になりました。
私は障害児・者の方々とのかかわりが多かったですが、やっぱり共通点はあるように思いました。
馬と人間なら、人間が後から進化して出てきた種ですよね。ということは、人間らしい前頭葉が機能していない障害のある方々には、人間の祖先にあたる動物と同じ本能部分で似たような特性を示すことがあるんです。

例えば、馬のとてもこわがりであるという特性。
記憶力がよくて一度いやな経験をすると、2度と同じことをしようとせずに、同じ場面に遭遇すると驚いてしまうということは、自閉症のフラッシュバックに似ているんじゃないかな~?」

「へえ~、そうなんですか?」

「私、馬のことはわからないけど、人間はいろいろかかわらせてもらってきましたから・・・
Yさんの馬のお話、とても楽しかったです。」

「こちらこそ、よければ、馬の本をお貸ししますよ。」

「ありがとうございます。」

Yさんは結婚して2年目ということで同じミセス同士でこれからも話題はたくさん共有できる気がした。
牧場の隣には宿泊もかねたセミナーハウス「癒しの家」がある。
Yさんの案内で今日はここにも初めて入らせてもらった。
この癒しの家は、なんとモデルルームを寄贈してもらって移築したそうだ。
こじんまりした新婚向けの真新しい柿渋の白い壁が、何とも初々しい。

スタッフによると、ホースセラピー牧場のそもそもの候補地は、なんとPさんのご近所だったというから
あまりにも奇遇であることに驚いた。
更に驚いたのが、リーダーのGさんの故郷というのが、ゆきんこが昨年、一時独立して論文を書いていたK市内の100メートル以内のご近所だったという話で、
馬にはこんなに人を引き寄せる癒しパワーがあることを実感した。
Gさんには、ゆきんこが海外旅行のついでに乗馬を楽しんだ話も聞いてもらった。
すると、大学では畜産の専攻だったというGさんは、ワーキングホリデーで牧場経験をしたいと考えていたそうで、実に興味深くゆきんこの話に傾聴してくれた。

「グリーンバレーを知り合いに紹介しました。
乗馬クラブでライセンスとってもそれを生業にすることは庶民には難しいです。
ただ馬と触れ合うというニーズは全国的にもきっとあると思うんです。
私がボランティアで出没しているのがすごく羨ましいって。」

「馬って、別に家でペットにしたって全然、構わないんですよ。お世話ができれば。」

「昔は飼っている人結構いたのにね。」

「でも、今の住宅環境じゃ、それも難しい。人間だっておかしくなってますよね。」

「日本って海外に比べると人の住環境も牧場の規模も偏狭だなとつくづく思う。」

「海外志向の人は、一度は留学とか移住とか考えるけど、日本を捨て去って永住まではなかなか
踏ん切りつけられない。帰国したときの受け皿も日本人なのにお粗末ですよね。
JAICAなどでも経済効果のあるボランティアなら帰ってきても企業に収まれるんですが、
そうでない分野は、帰国後の生活がビンボウになってしまうリスクがあります。」

宣伝チラシを4枚持ち帰って、別れの挨拶をした。
「明日、友だちに会うので宣伝しますね。私、口コミが得意みたい。」

どんなに楽しくてもボランティアじゃ生きていけない。
もう子どもじゃないから、誰もパトロンになどなってくれない。
平日の日中、ボランティアできる女性たちは「当然、専業主婦」なのだ。
でも、私は違う。

好きなこと、夢中で注ぎ込める情熱をなんとか、お金に還元できないものだろうか?
私の人生もキャリアも愛情も全てが無償なら、そのうち底をつくのは目に見えている。
日本社会は一体いつまでお人よしの「癒し屋さん」を奴隷にしているのだろうか?
まるで宮沢賢治の「オツベルと象」と同じじゃないか?
いや、ここのボランティアのむごいのは、こちらが身銭を切ってお馬さんにかかわらせてもらって
いるのだ。

私はそんなに貪欲でもビジネスライクな人間でもない。
「認認介護」よりましだというギリギリラインで必死に笑顔を作っている。
そして、夜中に象はとうとう叫ぶ!

「苦しいです。サンタマリア・・・」

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