悩みはいつも人間関係
昨夜は、テレビの映画放送で「南極物語」を見た。
1983年の作品で、随分時間がたった気もするし、ついこの前のような気もする。
作品中に夏目雅子が存命していて、荻野目慶子もすっかりオバサンになっているから、やっぱり時の流れは感じるなあ。
そういう中途半端な年代の私も、ボランティア相談員がそこそこ板についてきた。
今日は終日、午前10時から午後6時までを電話ブースのなかで過ごし、
ひっきりなしの相談に応じていた。
まずは、常連相談者から10時きっかりに立て続けに電話のベルが鳴った。
「おはようございます。」
「え・・・と、服はどこで買いますか?百貨店とか?」
「さあ、人によると思いますが?」
「禁煙して一ヶ月半になります。」
「どうやって続けてるんですか?」
「禁断症状が出てきたら、飴を舐めたり、ガムを噛んだりしています。」
正午になって、ちょっと外出させてもらい、総合福祉施設の福祉図書
コーナーに絵本を借りに行った。
こんなに安らかで居心地のいい場所(…といってもそれは私だけかもしれないけど)があることを市民の何人が知っているだろう。
「こんにちは。絵本を借りに来ました。」
「こんにちは。」
「Uさん、質問ですけどね、小学校1年生のとき、算数は得意でしたか?」
「はい。得意でした。」
「どうやって勉強しましたか?」
「プリントの宿題を家でしていました。」
「ふ〜ん。私、家庭教師をしているのですが、算数をどうやって
教えようかなと思ってね。」
「・・・・」
「あ、子どものころにどんな御伽噺や昔話を読みましたか?」
「金太郎を読みました。」
「他には?」
「・・・・、こぶとりじいさん。」
「こぶとりじいさんね。なるほど、ありがとう。」
Uさんの意見を参考にTくん向けの教材を探していると、休憩時間を
済ませて、ペアの女性が戻ってきた。
お互い存在を知っていたが、女性と話をしたのは初めてだった。
「こんにちは。また来ました。」
「こんにちは。よくきていらっしゃる方ですね。」
「あら、私の声でわかりますか?そういえば、ニュースで聞いたのですが、耳の聞こえとか速聴に鋭敏になるそうですね。声がどの辺の距離から聞こえてくるのかわかるんでしょう?」
「ええ。わかります。」
「この前、家の近所の交差点で、すぐそばにポールがあって、信号が
青なのに、目の前に横断歩道を遮って、大きなダンプカーが止まっていました。危ないので白い杖の女性に声をかけたんですが、音を聞き分けて、ぶつからないように立ち止まっていらっしゃってすごいな〜と思ったんです。」
「そんなことがあったんですか。」
「雨の日は聞こえ方も変わるんですってね。」
「ええ。雨の日は全然聞こえなくて、怖いですね。」
「盲導犬は使わないんですか?」
「私、イヌが怖くて、傍で吠えられたことがあるんです。」
「ああ、イヌがこわいと使えませんよね。イヌも匂いを嗅ぎ分けて
イヌが好きな人かどうかがわかるんですよね。
算数はどうやって覚えるんですか?」
「書くと、量が浮き上がってくる特殊な紙を使って、触角を頭の中で
イメージして覚えていくんです。」
「じゃあ、普通に覚えるのと同じですか?」
「そうですね。」
「ある視覚障害者の方の話を思いましましたが、色だけは想像が難しいと。」
「ええ、私も生まれつき見えませんから、話を聞いてイメージで覚えていますが、色も混ぜ合わせたり複雑なものはわかりません。子どもの頃
塗り絵をしましたが、クレヨンは持った感じではどの色も同じですから。」
「ああ、赤は血の色で、白は牛乳の色」
「ええ、想像はできます。」
「形や重さとか、長さは触ってわかるけど、色はどうしてもね。」
「そうですね。」
「どうも、ありがとうございます。」
「いいえ、また来てくださいね。」
「ええ、また来ます。ここも居心地よくて広々していていつもきれいなんですけど、初めの頃よりは、少しカーペットも傷んできてますよ。」
「はあ〜、そうですか。」
自分でも気がつかなかったが、彼女は随分前から声色を聞き分けて、
私を知ってくれていたようだった。
それなのに、今日の今まで、会話しなかっただなんて。
電話相談も、顔の見えない声だけのやりとりで、どこの誰だかわからないという匿名の気軽さで、深刻な話の中にも笑いが飛び交うこともある。
「お久しぶりね。」
「はい。私の声を覚えていらっしゃいましたか?」
「ええ。1年ぶりくらいかしら。ちょっと相談したいことがあって。」
この頃は世相を反映して金銭や経済的なトラブルの話もあったり、
自分の許容量を超えた相談内容など多岐に渡ってきたが、
それも、自分自身の辛酸舐めた体験が、何となく効を奏してくる確立が
高くなってきた。
トイレに行く時間もなく、ずっと電話の向こうにひたすら耳を傾け、
自分なりのない知恵を絞って、アドバイスもしてみた。
「ここの相談員さんのアドバイスを色々試してみましたが、
タバコがやめられません。」
「どんなことを試してみたの?」
「本数を減らすとか、種類を変えるとか。」
「どうしてやめられないのかな?」
「う〜ん、自分に負けちゃう。」
「そうかぁ。いくら相談員がアドバイスしても、自分でがんばろうと思わなくちゃ、負けちゃうよね。」
「はい。」
「今日は、何本吸ったの?」
「2本です。」
「あと、何本吸いますか?」
「今日はもう吸いません。」
「明日まで吸わないで我慢できますか?」
「がんばります。」
「それじゃあ、がんばって!明日まで吸わずにがんばれたら、明日また電話をください。」
「はい。」
「自分で、明日まで吸わないって決めたんだよ。自分との約束だよ。」
「はい。ありがとうございました。」
保育士という肩書きを捨てても、私の言動は、保育所の中でも外でも
あんまり変わっていなかった。
子どものころに積み残した宿題は、大人になってもチラチラと顔を出して、周囲の人々を巻き込んでいくことがよくあるような気がしている。
因みに、石切神社のベテランの占い師さんや霊媒師さんたちの話もある相談者から教えてもらったのだが、本当かどうかはさておき、子どもの頃以前の、前世から克服できなかった課題を何百年単位で人は引き摺って生まれ変わってくるのだそうだ。
…てことは、わたしの特異な緘黙も?独身を維持していることも、
神のお告げで定められているって?
そんなこと聞いたら、修論が書けないじゃないの!
1983年の作品で、随分時間がたった気もするし、ついこの前のような気もする。
作品中に夏目雅子が存命していて、荻野目慶子もすっかりオバサンになっているから、やっぱり時の流れは感じるなあ。
そういう中途半端な年代の私も、ボランティア相談員がそこそこ板についてきた。
今日は終日、午前10時から午後6時までを電話ブースのなかで過ごし、
ひっきりなしの相談に応じていた。
まずは、常連相談者から10時きっかりに立て続けに電話のベルが鳴った。
「おはようございます。」
「え・・・と、服はどこで買いますか?百貨店とか?」
「さあ、人によると思いますが?」
「禁煙して一ヶ月半になります。」
「どうやって続けてるんですか?」
「禁断症状が出てきたら、飴を舐めたり、ガムを噛んだりしています。」
正午になって、ちょっと外出させてもらい、総合福祉施設の福祉図書
コーナーに絵本を借りに行った。
こんなに安らかで居心地のいい場所(…といってもそれは私だけかもしれないけど)があることを市民の何人が知っているだろう。
「こんにちは。絵本を借りに来ました。」
「こんにちは。」
「Uさん、質問ですけどね、小学校1年生のとき、算数は得意でしたか?」
「はい。得意でした。」
「どうやって勉強しましたか?」
「プリントの宿題を家でしていました。」
「ふ〜ん。私、家庭教師をしているのですが、算数をどうやって
教えようかなと思ってね。」
「・・・・」
「あ、子どものころにどんな御伽噺や昔話を読みましたか?」
「金太郎を読みました。」
「他には?」
「・・・・、こぶとりじいさん。」
「こぶとりじいさんね。なるほど、ありがとう。」
Uさんの意見を参考にTくん向けの教材を探していると、休憩時間を
済ませて、ペアの女性が戻ってきた。
お互い存在を知っていたが、女性と話をしたのは初めてだった。
「こんにちは。また来ました。」
「こんにちは。よくきていらっしゃる方ですね。」
「あら、私の声でわかりますか?そういえば、ニュースで聞いたのですが、耳の聞こえとか速聴に鋭敏になるそうですね。声がどの辺の距離から聞こえてくるのかわかるんでしょう?」
「ええ。わかります。」
「この前、家の近所の交差点で、すぐそばにポールがあって、信号が
青なのに、目の前に横断歩道を遮って、大きなダンプカーが止まっていました。危ないので白い杖の女性に声をかけたんですが、音を聞き分けて、ぶつからないように立ち止まっていらっしゃってすごいな〜と思ったんです。」
「そんなことがあったんですか。」
「雨の日は聞こえ方も変わるんですってね。」
「ええ。雨の日は全然聞こえなくて、怖いですね。」
「盲導犬は使わないんですか?」
「私、イヌが怖くて、傍で吠えられたことがあるんです。」
「ああ、イヌがこわいと使えませんよね。イヌも匂いを嗅ぎ分けて
イヌが好きな人かどうかがわかるんですよね。
算数はどうやって覚えるんですか?」
「書くと、量が浮き上がってくる特殊な紙を使って、触角を頭の中で
イメージして覚えていくんです。」
「じゃあ、普通に覚えるのと同じですか?」
「そうですね。」
「ある視覚障害者の方の話を思いましましたが、色だけは想像が難しいと。」
「ええ、私も生まれつき見えませんから、話を聞いてイメージで覚えていますが、色も混ぜ合わせたり複雑なものはわかりません。子どもの頃
塗り絵をしましたが、クレヨンは持った感じではどの色も同じですから。」
「ああ、赤は血の色で、白は牛乳の色」
「ええ、想像はできます。」
「形や重さとか、長さは触ってわかるけど、色はどうしてもね。」
「そうですね。」
「どうも、ありがとうございます。」
「いいえ、また来てくださいね。」
「ええ、また来ます。ここも居心地よくて広々していていつもきれいなんですけど、初めの頃よりは、少しカーペットも傷んできてますよ。」
「はあ〜、そうですか。」
自分でも気がつかなかったが、彼女は随分前から声色を聞き分けて、
私を知ってくれていたようだった。
それなのに、今日の今まで、会話しなかっただなんて。
電話相談も、顔の見えない声だけのやりとりで、どこの誰だかわからないという匿名の気軽さで、深刻な話の中にも笑いが飛び交うこともある。
「お久しぶりね。」
「はい。私の声を覚えていらっしゃいましたか?」
「ええ。1年ぶりくらいかしら。ちょっと相談したいことがあって。」
この頃は世相を反映して金銭や経済的なトラブルの話もあったり、
自分の許容量を超えた相談内容など多岐に渡ってきたが、
それも、自分自身の辛酸舐めた体験が、何となく効を奏してくる確立が
高くなってきた。
トイレに行く時間もなく、ずっと電話の向こうにひたすら耳を傾け、
自分なりのない知恵を絞って、アドバイスもしてみた。
「ここの相談員さんのアドバイスを色々試してみましたが、
タバコがやめられません。」
「どんなことを試してみたの?」
「本数を減らすとか、種類を変えるとか。」
「どうしてやめられないのかな?」
「う〜ん、自分に負けちゃう。」
「そうかぁ。いくら相談員がアドバイスしても、自分でがんばろうと思わなくちゃ、負けちゃうよね。」
「はい。」
「今日は、何本吸ったの?」
「2本です。」
「あと、何本吸いますか?」
「今日はもう吸いません。」
「明日まで吸わないで我慢できますか?」
「がんばります。」
「それじゃあ、がんばって!明日まで吸わずにがんばれたら、明日また電話をください。」
「はい。」
「自分で、明日まで吸わないって決めたんだよ。自分との約束だよ。」
「はい。ありがとうございました。」
保育士という肩書きを捨てても、私の言動は、保育所の中でも外でも
あんまり変わっていなかった。
子どものころに積み残した宿題は、大人になってもチラチラと顔を出して、周囲の人々を巻き込んでいくことがよくあるような気がしている。
因みに、石切神社のベテランの占い師さんや霊媒師さんたちの話もある相談者から教えてもらったのだが、本当かどうかはさておき、子どもの頃以前の、前世から克服できなかった課題を何百年単位で人は引き摺って生まれ変わってくるのだそうだ。
…てことは、わたしの特異な緘黙も?独身を維持していることも、
神のお告げで定められているって?
そんなこと聞いたら、修論が書けないじゃないの!
テーマ : 1人で悩むしかないわけですよ。 - ジャンル : 日記
母と電話相談
昨夜午後9時 NHKスペシャル「気候大異変」を視聴した。
私は結構天気を気にする方だ。
高校時代も自転車通学で、現在も自転車通勤しているから、
その日、その時の天候には、敏感なのかもしれない。
番組では、アメリカの気象のエキスパートによる未来の地球シミュレーションで、将来の自然災害を予測し、今から対策を取ろうとしている。
昨年9月にアメリカのフロリダを襲ったハリケーンカトリーヌの原因は、
地球温暖化によるもので、100年後の地球の至る所で、起こりかねないという。
100年後の日本は、雪は降ることもなく、1月には紅葉、5月には海開きが
始まり、夏の季節は約半年で、冬はなくなってしまう。
真夏には熱波のために死者も続出するという。夏の間も昨日は20℃かと
思えば、翌日は35度という激しい温度差のために、体温調節が追いつかなくなるためだとか。
また、海抜の低い地域では、巨大な台風がもたらす高潮の被害で、
大勢の人々が高いサイクロンシェルターに非難しきれず、生き残るのは20%に過ぎないとか。
その未来の災害に備えて、世界各国が巨額の対策費用の備蓄は必至と
番組は警告していた。
やっぱり、「備えあれば憂いなし」かな?
我々、20世紀から21世紀を生きている世代は、いまだ嘗てない科学技術の恩恵を受けて、ぬくぬくとおいしいとこ取りをした栄華を謳歌した
世代かもしれない。
自分が生まれる前の昔のことも、死んだ後の未来のこともわからないけど、「自分さえよければいい」人々が増えすぎたために、
未来をめちゃくちゃにしてしまうのは、あまりにも傲慢のような気がする。
昨日のボランティアのようすを母に話すと、40年間保育にかかわってきた人だけに色々のブーイングが返ってきた。
「そんな小さい子どもたちに事故や怪我でもあったら一体、誰が責任を
取るの?だいたい、偶発的なグループで何の統制もとっていないなんて
危険極まりないじゃない。」
「お母さんたちも確かに無防備よね。初対面の人を信頼しきって、
赤ちゃんを任せるなんて。」
もちろん、みんないい人ばかりならいいけど、昨日のニュースのこともあり、世の中物騒になっているのは間違いない。
信頼関係が目に見えるとはどういうことなのか。
午後2時から6時まで、電話相談ボランティアをした。
今日の当番は、初めて母とペアになった。
前回、ペアを組んだY氏が午前の当番に来られていたので、早速話した。
「こんにちは。どう?その後どうしたか、心配してたんだ。」
「すみません。ご心配かけて。今は新人研修受けています。
水曜日テストがあって、90点取って合格しないと社員になれないんですけどね。」
「そう。がんばって!」
「ありがとうございます。」
「会社はどこにあるの?」
「近いんですよ。バス通りのTとかK方面へ行く道路の茶色の建物です。」
「ああ、あの辺ね。」
「昨日、保育ボランティアに参加したら、帰りがけに総合福祉施設の近くでばったりWさんにも会いました。」
「へえ、そうなんだ。」
「あ、2時になりましたね。」
「待ち合わせたんだ。もう行かなくちゃ。」
「いってらっしゃい。楽しんできてくださいね。」
「ありがとう。じゃあ、お先に。」
今日は、前回より相談件数は少なかった。
3日後の試験に備えて、「まちがいやすい問題集」を解きながら、答えあわせ確認した。
3時ごろ、1件目の電話のベルが鳴った。
「はい。こころの電話相談です。」
「禁煙を再開して3週間になりました。でも寒いし、気分が塞いで外出する気になりません。」
「そんなときもありますよね。春になったら気分も晴れて自然と外に
出かけたくなるかもしれませんよ。」
2件目は、初めて相談するという初老の女性だった。
「先日、退院しましたが、身体が思うように動かなくて些細なことで
イライラします。主人に話しても、私の世話ができなくて
『また入院するか』なんて言うんです。半年近くも入院してたのに、
とにかく、ずっと黙り込んで何もしないでいるとそれだけで
ストレスも溜まるものですから。」
こういう話は、自然「うん、うん」と相槌が多くなる。
「それは、本当にお辛いことですね。悩みを打ち明けられるお話し相手を探してみては?
もちろん、こちらにお電話くださって、気が晴れるのならお役に立てて
嬉しいのですが。ピア・カウンセリングというお互いの悩みを相談する
グループもありますよ。」
「どちらに問い合わせたらいいでしょうか?」
「活動の窓口がある総合福祉施設をご案内しましょうか。」
「ありがとうございます。」
2件とも、所要時間は30分くらいだった。
従来のカウンセリングは、ただ聞くに徹するというものだったが、
この頃は、あれこれ提案してすっきり電話を切ることもできるように
なってきた。
悩みのない人はいない。悩むから人間。
人間だから、笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり、妬んだり、
恨んだり。
私は、できるだけ笑っていたい。どんな人にも笑っていて欲しい。
自分が笑っていても、泣いている子がいたら気になって笑えない。
そんなのは幸せじゃない。
昨日のごちゃごちゃの保育室で笑っていたのは、障碍のある男性だった。自分から私に「アハハハハ。」と笑顔を向けてくれた。
でも、なかなか笑えないな。
困っている人や幸せじゃないと思っている人が多すぎるから。
地球は声を出さないけれど、悲鳴をあげている気がするから。
午後9時「地球大異変」の第2回が始まった。
私は結構天気を気にする方だ。
高校時代も自転車通学で、現在も自転車通勤しているから、
その日、その時の天候には、敏感なのかもしれない。
番組では、アメリカの気象のエキスパートによる未来の地球シミュレーションで、将来の自然災害を予測し、今から対策を取ろうとしている。
昨年9月にアメリカのフロリダを襲ったハリケーンカトリーヌの原因は、
地球温暖化によるもので、100年後の地球の至る所で、起こりかねないという。
100年後の日本は、雪は降ることもなく、1月には紅葉、5月には海開きが
始まり、夏の季節は約半年で、冬はなくなってしまう。
真夏には熱波のために死者も続出するという。夏の間も昨日は20℃かと
思えば、翌日は35度という激しい温度差のために、体温調節が追いつかなくなるためだとか。
また、海抜の低い地域では、巨大な台風がもたらす高潮の被害で、
大勢の人々が高いサイクロンシェルターに非難しきれず、生き残るのは20%に過ぎないとか。
その未来の災害に備えて、世界各国が巨額の対策費用の備蓄は必至と
番組は警告していた。
やっぱり、「備えあれば憂いなし」かな?
我々、20世紀から21世紀を生きている世代は、いまだ嘗てない科学技術の恩恵を受けて、ぬくぬくとおいしいとこ取りをした栄華を謳歌した
世代かもしれない。
自分が生まれる前の昔のことも、死んだ後の未来のこともわからないけど、「自分さえよければいい」人々が増えすぎたために、
未来をめちゃくちゃにしてしまうのは、あまりにも傲慢のような気がする。
昨日のボランティアのようすを母に話すと、40年間保育にかかわってきた人だけに色々のブーイングが返ってきた。
「そんな小さい子どもたちに事故や怪我でもあったら一体、誰が責任を
取るの?だいたい、偶発的なグループで何の統制もとっていないなんて
危険極まりないじゃない。」
「お母さんたちも確かに無防備よね。初対面の人を信頼しきって、
赤ちゃんを任せるなんて。」
もちろん、みんないい人ばかりならいいけど、昨日のニュースのこともあり、世の中物騒になっているのは間違いない。
信頼関係が目に見えるとはどういうことなのか。
午後2時から6時まで、電話相談ボランティアをした。
今日の当番は、初めて母とペアになった。
前回、ペアを組んだY氏が午前の当番に来られていたので、早速話した。
「こんにちは。どう?その後どうしたか、心配してたんだ。」
「すみません。ご心配かけて。今は新人研修受けています。
水曜日テストがあって、90点取って合格しないと社員になれないんですけどね。」
「そう。がんばって!」
「ありがとうございます。」
「会社はどこにあるの?」
「近いんですよ。バス通りのTとかK方面へ行く道路の茶色の建物です。」
「ああ、あの辺ね。」
「昨日、保育ボランティアに参加したら、帰りがけに総合福祉施設の近くでばったりWさんにも会いました。」
「へえ、そうなんだ。」
「あ、2時になりましたね。」
「待ち合わせたんだ。もう行かなくちゃ。」
「いってらっしゃい。楽しんできてくださいね。」
「ありがとう。じゃあ、お先に。」
今日は、前回より相談件数は少なかった。
3日後の試験に備えて、「まちがいやすい問題集」を解きながら、答えあわせ確認した。
3時ごろ、1件目の電話のベルが鳴った。
「はい。こころの電話相談です。」
「禁煙を再開して3週間になりました。でも寒いし、気分が塞いで外出する気になりません。」
「そんなときもありますよね。春になったら気分も晴れて自然と外に
出かけたくなるかもしれませんよ。」
2件目は、初めて相談するという初老の女性だった。
「先日、退院しましたが、身体が思うように動かなくて些細なことで
イライラします。主人に話しても、私の世話ができなくて
『また入院するか』なんて言うんです。半年近くも入院してたのに、
とにかく、ずっと黙り込んで何もしないでいるとそれだけで
ストレスも溜まるものですから。」
こういう話は、自然「うん、うん」と相槌が多くなる。
「それは、本当にお辛いことですね。悩みを打ち明けられるお話し相手を探してみては?
もちろん、こちらにお電話くださって、気が晴れるのならお役に立てて
嬉しいのですが。ピア・カウンセリングというお互いの悩みを相談する
グループもありますよ。」
「どちらに問い合わせたらいいでしょうか?」
「活動の窓口がある総合福祉施設をご案内しましょうか。」
「ありがとうございます。」
2件とも、所要時間は30分くらいだった。
従来のカウンセリングは、ただ聞くに徹するというものだったが、
この頃は、あれこれ提案してすっきり電話を切ることもできるように
なってきた。
悩みのない人はいない。悩むから人間。
人間だから、笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり、妬んだり、
恨んだり。
私は、できるだけ笑っていたい。どんな人にも笑っていて欲しい。
自分が笑っていても、泣いている子がいたら気になって笑えない。
そんなのは幸せじゃない。
昨日のごちゃごちゃの保育室で笑っていたのは、障碍のある男性だった。自分から私に「アハハハハ。」と笑顔を向けてくれた。
でも、なかなか笑えないな。
困っている人や幸せじゃないと思っている人が多すぎるから。
地球は声を出さないけれど、悲鳴をあげている気がするから。
午後9時「地球大異変」の第2回が始まった。
保育ボランティアでてんやわんや
今日もぽかぽかいい天気。三寒四温の春の気配を感じます。
雪が降るほどさむ〜いのも楽しいけど、今年はあまりにも寒すぎたので、先月の光熱費はいつもより遥かに高かった!
因みに気象情報によると、開幕1週間のトリノオリンピックは、北海道稚内よりも高い緯度に位置しているが、最も低い緯度で雪が降るのは、日本の北陸地方だとか。
土曜日の朝9時15分からは、NHK総合の「くらしと経済」を最近しげしげと見ている。
今日のテーマは「医療保険」
高齢者の医療費が、近々1割から2割に引き上げられる。
一生涯のうちの医療費の半分は、70歳以降の高齢になってからかかってくるので、我が家も例外ではない。
既に両親は70代に突入しているので、ご本人は「病気になんてならへんわ。」と言ってるが、それじゃあ、なんでテレビを見る距離がじわじわと前進しているの?と嫁に行かない私は、思ったりする。
ついでに目下、保険のお勉強最中の私。
スカウトされたS生命の1押し商品の医療・介護保険が、ダントツに
売れていて、追い風が吹いている。それに伴い、営業社員の採用も積極的に行なっている。
元祖、辛苦を舐めてここまでの日本社会を築きあげた戦前戦中の年金世代も、安心した医療をこれから先も受けられるのかどうか心配なので、
「備えあれば憂いなし」と加入者がかなり増えているらしい。
無事に合格したらとりあえず、私も最適な保険に加入したいと
思っている。加えて、正しくためになる保険情報も随時アップしたい。
今日の午後1時から4時半まで、H市総合福祉施設で、保育ボランティアに
参加してきた。
この施設には、度々のイベントや図書コーナーを利用していたが、
施設内の保育室に入ったのは初めて。
13日月曜日に若いお母さん向けの「小児科医を囲む会」があり、保育ボランティアを募るメールが長くご無沙汰していたWさんから入っていた。
2004年の春から夏にかけてW氏がリーダーになっている地域の子育てや
教育を考えるメーリングリストに一時加入していたご縁だ。
予定も無かったし、元来はお子様だ〜い好きなので、お受けすることにした。
保育室には、子どもよりも多いボランティアが既に集合。
興味深かったのは、中高生それも男子5名を含む10名とシニアの大人が
10名で20名。老若男女バラバラなメンバーと、対象児の殆どは3歳未満児
で、乳児さん含めて20名。
どうなるどうなる3時間?
お母さんと離れたばかりの全く知らない者同士のめちゃくちゃ保育の
はじまりはじまり
母子分離もままならない1歳代の子どもたちは、大人たちで埋め尽くされた雰囲気に圧倒されて、だっこされてもわんわん泣いていた。
「ママがいいよね〜。」
たらい回しにだっこするのは、この場合よくない。
「とりあえず、マンツーマンでラポートをつけましょう。」
私は、即座に滑り台に張り込み(刑事じゃないんだから)
何名かの男児たちが、登り台のところでだんご状態。
「さかさのぼりはやめようね。」
しかし、何度注意しても逆さのぼりをやめようとせず、友だちの新幹線を無理やり取り上げようとしているKくんがいた。
はじめから、最後まで彼の言動にはずっと気になることが多かった。
もっとちゃんと観察しておくべきだったけど、とにかく聞き分けがなく、複数のボランティアが、仲裁しては「ダメよ」と言われているのに、人の持っているおもちゃを我が物にするまでそのしつこいこと。
後で、K君のお母さんに「子育て困ってるでしょう?」と聞くと
「はい。」と困り笑いで答えた。
一期一会のボランティアごときでは、医者でもないのにいきなり「ADHDかも?」なんてことは言えない。
でも、プロ中のプロのI先生には適わなくとも、13年間いろんな子どもたちを見てきたから、発達障害児なのか否かくらいは、かなり的中できる
自負心はある。
見知らぬ者同士でも、誰かが音頭を取らないと、ブラスバンドでも同じだけど、楽器を寄せ集めたからといって、コンダクターなしで、
ハーモニーを奏でられないのと同じだ。
中学生の男の子が、自分の好みでカワイイ子をだっこしているが、
急に抱き上げられたら、怖くて泣いている。
あ〜、やっぱり子どもとかかわりの希薄な今時のティーンたちは、
本当に子どもの気持ちとか間合いがわからないんだな〜と思った。
「その子、すぐにだっこされるとこわいって泣いてるよ。」
彼はスッと窓際にふてくされて離れたが、めげずに積極的にかかわっていた。できれば、感想を聞きたいところだったけど、
デリケートな思春期の男子とかかわるのは、自分の現役時代から苦手。
手作り絵本の「地獄のそうべえ」を数人の男子が一生懸命読んでくれたけど、聴いていたのは3歳の女の子1人。これにも唖然。
「これは、難しすぎるよね〜。」
バラバラにブロックとか絵本とか広げて、めちゃくちゃ保育。
まだ歩けない1歳くらいのK君が泣き止まないので、気分転換にだっこして施設内をお散歩。
「ママどこですか〜?」と言うと、この人はママを一緒に探してくれるんだと、小さい子どもは魔法にかかってくれる。
スーッとトイレに入って身障者用のトイレのドアのボタンを押した。
「スイッチオン」
ドアが開く。
「あら〜、ママいませんね。」
ひとつひとつの大人用のトイレを除くのは、1歳の坊やにとっては、
大冒険!しかも、扉のなかをひとつひとつ除いたり、この月齢の子どもが感覚運動期の水場が大好きな時期なのも知っていた。
電動式の蛇口に手をかざすと、
「うわ!おみずでた!!」
これを繰り返すと、ついにKくんは笑い声をあげた。
「ウフフ面白いねぇ。Kくんもする?」
彼の小さいお手手を蛇口に近づけた。
水が手を濡らした。
「あ〜、気持ちいいねぇ。」
彼は自分から手を伸ばした。
「もう一回するの?1・2・3ジャ〜」
Kくんはすっかりハマッてこれを5回ほど繰り返した。
エレベーターであちこち出かけるのは、かなり学習しているのか、
ボタンのスイッチにもよく手を伸ばしたが、ことばはなくても、
充分指差しで、初対面の私に要求を出していた。
まさに、無料で社会性&コミュニケーションの診断テスト
休憩がてら、私も別室のママたちの学習会にお邪魔した。
生後10ヶ月のNくんも抱っこさせてもらった。
ママに似た感じの女性に自分から目を合わせてニコッと笑う。
「あれ?全然人見知りしませんね。」
「いえ、いつもはよく泣くんです。」
「へ〜、今は泣いてないのにね。どんなときに泣くんですか?」
「ん〜、どんなときかな?機嫌の良し悪しもあると思います。」
「他に困っていることはありますか?」
「この頃、断乳してミルクを飲まなくなったんです。」
「離乳食は食べていますか?」
「はい。」
「じゃあ、母乳と粉乳では味が違うのかも。離乳食を食べていらっしゃるなら大丈夫だと思います。」
なんて勝手に保育のアドバイスをしてみたりして!
でも、ことばだけでなく実際の場面をみないことには本当のところは
的確な助言ものだけど。
その点、助産婦さんとか小児科医の子育て話というのは、どれだけ実用的なんだろうか?
「うわ、おしっこで紙おむつボトボトだね。」
「はい。そろそろトイレットトレーニングしないと。」
「布オシメの方が、おむつ取れるのは早いよ。紙おしめは3年くらい
かかっちゃうから。」
「本当ですか?でも、布オムツ売ってないんです。」
「そんなことないよ。私、去年保育所で、おしめかえていたんですから。保育所に通っているお母さんにどこで買ったか聞いてみたら?」
3歳未満児の挨拶の上手なこと。
4時半にママが迎えに来ても、まだ遊びたい子もいたくらいで、
最後にはどの子も「バイバイ」と手を振って帰っていった。
帰りがけには、複数のボランティアさんと連絡先も交換した。
人口40万のわが町だけど、こうした一期一会がとても貴重だ。
「さすがに保育士さんね。ちゃんと滑り台についてくださって。
もっときちんとしたボランティアができればいいのだけど。」
「どうなるかと思いましたが、最後にはみんな仲良く楽しんでいましたね。プロでないことが反って息詰まりしなくてとても楽しかったです。」
「こちらは、地域通貨です。」
「ありがとうございます。ずっと前に市長への提言はがきでリクエストしてたんです。いつからできたんですか?」
「去年の12月頃です。M商店街限定ですが、お買い物もできますし、
ボランティアのギブ&テイクにも活用してください。」
登録用紙には、提供できる内容は「犬のさんぽ」「保育(障害児を含む)」と記入した。
してほしいことは、「英会話」と「園芸」
あ、ピアノでもよかったけど。
約半年振りに保育めいたことをやってみて、純粋に子どもたちと
かかわることが私の幸せな時間だった。
それだけでなく、赤ちゃんからお年寄りまで誰も知らない人たちの
集団があっという間に仲良しになれるコミュニティになるんだなと
それが一番、嬉しかった!
いたたた、背中と腰が突っ張っていたいよ〜。
雪が降るほどさむ〜いのも楽しいけど、今年はあまりにも寒すぎたので、先月の光熱費はいつもより遥かに高かった!
因みに気象情報によると、開幕1週間のトリノオリンピックは、北海道稚内よりも高い緯度に位置しているが、最も低い緯度で雪が降るのは、日本の北陸地方だとか。
土曜日の朝9時15分からは、NHK総合の「くらしと経済」を最近しげしげと見ている。
今日のテーマは「医療保険」
高齢者の医療費が、近々1割から2割に引き上げられる。
一生涯のうちの医療費の半分は、70歳以降の高齢になってからかかってくるので、我が家も例外ではない。
既に両親は70代に突入しているので、ご本人は「病気になんてならへんわ。」と言ってるが、それじゃあ、なんでテレビを見る距離がじわじわと前進しているの?と嫁に行かない私は、思ったりする。
ついでに目下、保険のお勉強最中の私。
スカウトされたS生命の1押し商品の医療・介護保険が、ダントツに
売れていて、追い風が吹いている。それに伴い、営業社員の採用も積極的に行なっている。
元祖、辛苦を舐めてここまでの日本社会を築きあげた戦前戦中の年金世代も、安心した医療をこれから先も受けられるのかどうか心配なので、
「備えあれば憂いなし」と加入者がかなり増えているらしい。
無事に合格したらとりあえず、私も最適な保険に加入したいと
思っている。加えて、正しくためになる保険情報も随時アップしたい。
今日の午後1時から4時半まで、H市総合福祉施設で、保育ボランティアに
参加してきた。
この施設には、度々のイベントや図書コーナーを利用していたが、
施設内の保育室に入ったのは初めて。
13日月曜日に若いお母さん向けの「小児科医を囲む会」があり、保育ボランティアを募るメールが長くご無沙汰していたWさんから入っていた。
2004年の春から夏にかけてW氏がリーダーになっている地域の子育てや
教育を考えるメーリングリストに一時加入していたご縁だ。
予定も無かったし、元来はお子様だ〜い好きなので、お受けすることにした。
保育室には、子どもよりも多いボランティアが既に集合。
興味深かったのは、中高生それも男子5名を含む10名とシニアの大人が
10名で20名。老若男女バラバラなメンバーと、対象児の殆どは3歳未満児
で、乳児さん含めて20名。
どうなるどうなる3時間?
お母さんと離れたばかりの全く知らない者同士のめちゃくちゃ保育の
はじまりはじまり
母子分離もままならない1歳代の子どもたちは、大人たちで埋め尽くされた雰囲気に圧倒されて、だっこされてもわんわん泣いていた。
「ママがいいよね〜。」
たらい回しにだっこするのは、この場合よくない。
「とりあえず、マンツーマンでラポートをつけましょう。」
私は、即座に滑り台に張り込み(刑事じゃないんだから)
何名かの男児たちが、登り台のところでだんご状態。
「さかさのぼりはやめようね。」
しかし、何度注意しても逆さのぼりをやめようとせず、友だちの新幹線を無理やり取り上げようとしているKくんがいた。
はじめから、最後まで彼の言動にはずっと気になることが多かった。
もっとちゃんと観察しておくべきだったけど、とにかく聞き分けがなく、複数のボランティアが、仲裁しては「ダメよ」と言われているのに、人の持っているおもちゃを我が物にするまでそのしつこいこと。
後で、K君のお母さんに「子育て困ってるでしょう?」と聞くと
「はい。」と困り笑いで答えた。
一期一会のボランティアごときでは、医者でもないのにいきなり「ADHDかも?」なんてことは言えない。
でも、プロ中のプロのI先生には適わなくとも、13年間いろんな子どもたちを見てきたから、発達障害児なのか否かくらいは、かなり的中できる
自負心はある。
見知らぬ者同士でも、誰かが音頭を取らないと、ブラスバンドでも同じだけど、楽器を寄せ集めたからといって、コンダクターなしで、
ハーモニーを奏でられないのと同じだ。
中学生の男の子が、自分の好みでカワイイ子をだっこしているが、
急に抱き上げられたら、怖くて泣いている。
あ〜、やっぱり子どもとかかわりの希薄な今時のティーンたちは、
本当に子どもの気持ちとか間合いがわからないんだな〜と思った。
「その子、すぐにだっこされるとこわいって泣いてるよ。」
彼はスッと窓際にふてくされて離れたが、めげずに積極的にかかわっていた。できれば、感想を聞きたいところだったけど、
デリケートな思春期の男子とかかわるのは、自分の現役時代から苦手。
手作り絵本の「地獄のそうべえ」を数人の男子が一生懸命読んでくれたけど、聴いていたのは3歳の女の子1人。これにも唖然。
「これは、難しすぎるよね〜。」
バラバラにブロックとか絵本とか広げて、めちゃくちゃ保育。
まだ歩けない1歳くらいのK君が泣き止まないので、気分転換にだっこして施設内をお散歩。
「ママどこですか〜?」と言うと、この人はママを一緒に探してくれるんだと、小さい子どもは魔法にかかってくれる。
スーッとトイレに入って身障者用のトイレのドアのボタンを押した。
「スイッチオン」
ドアが開く。
「あら〜、ママいませんね。」
ひとつひとつの大人用のトイレを除くのは、1歳の坊やにとっては、
大冒険!しかも、扉のなかをひとつひとつ除いたり、この月齢の子どもが感覚運動期の水場が大好きな時期なのも知っていた。
電動式の蛇口に手をかざすと、
「うわ!おみずでた!!」
これを繰り返すと、ついにKくんは笑い声をあげた。
「ウフフ面白いねぇ。Kくんもする?」
彼の小さいお手手を蛇口に近づけた。
水が手を濡らした。
「あ〜、気持ちいいねぇ。」
彼は自分から手を伸ばした。
「もう一回するの?1・2・3ジャ〜」
Kくんはすっかりハマッてこれを5回ほど繰り返した。
エレベーターであちこち出かけるのは、かなり学習しているのか、
ボタンのスイッチにもよく手を伸ばしたが、ことばはなくても、
充分指差しで、初対面の私に要求を出していた。
まさに、無料で社会性&コミュニケーションの診断テスト
休憩がてら、私も別室のママたちの学習会にお邪魔した。
生後10ヶ月のNくんも抱っこさせてもらった。
ママに似た感じの女性に自分から目を合わせてニコッと笑う。
「あれ?全然人見知りしませんね。」
「いえ、いつもはよく泣くんです。」
「へ〜、今は泣いてないのにね。どんなときに泣くんですか?」
「ん〜、どんなときかな?機嫌の良し悪しもあると思います。」
「他に困っていることはありますか?」
「この頃、断乳してミルクを飲まなくなったんです。」
「離乳食は食べていますか?」
「はい。」
「じゃあ、母乳と粉乳では味が違うのかも。離乳食を食べていらっしゃるなら大丈夫だと思います。」
なんて勝手に保育のアドバイスをしてみたりして!
でも、ことばだけでなく実際の場面をみないことには本当のところは
的確な助言ものだけど。
その点、助産婦さんとか小児科医の子育て話というのは、どれだけ実用的なんだろうか?
「うわ、おしっこで紙おむつボトボトだね。」
「はい。そろそろトイレットトレーニングしないと。」
「布オシメの方が、おむつ取れるのは早いよ。紙おしめは3年くらい
かかっちゃうから。」
「本当ですか?でも、布オムツ売ってないんです。」
「そんなことないよ。私、去年保育所で、おしめかえていたんですから。保育所に通っているお母さんにどこで買ったか聞いてみたら?」
3歳未満児の挨拶の上手なこと。
4時半にママが迎えに来ても、まだ遊びたい子もいたくらいで、
最後にはどの子も「バイバイ」と手を振って帰っていった。
帰りがけには、複数のボランティアさんと連絡先も交換した。
人口40万のわが町だけど、こうした一期一会がとても貴重だ。
「さすがに保育士さんね。ちゃんと滑り台についてくださって。
もっときちんとしたボランティアができればいいのだけど。」
「どうなるかと思いましたが、最後にはみんな仲良く楽しんでいましたね。プロでないことが反って息詰まりしなくてとても楽しかったです。」
「こちらは、地域通貨です。」
「ありがとうございます。ずっと前に市長への提言はがきでリクエストしてたんです。いつからできたんですか?」
「去年の12月頃です。M商店街限定ですが、お買い物もできますし、
ボランティアのギブ&テイクにも活用してください。」
登録用紙には、提供できる内容は「犬のさんぽ」「保育(障害児を含む)」と記入した。
してほしいことは、「英会話」と「園芸」
あ、ピアノでもよかったけど。
約半年振りに保育めいたことをやってみて、純粋に子どもたちと
かかわることが私の幸せな時間だった。
それだけでなく、赤ちゃんからお年寄りまで誰も知らない人たちの
集団があっという間に仲良しになれるコミュニティになるんだなと
それが一番、嬉しかった!
いたたた、背中と腰が突っ張っていたいよ〜。
Y氏と人生相談
どこかへ出かけると、なにか面白いことがある。
ブログやメールを開けてみると、文字が躍っていて、面白いことが
書いてある。
返信メールを送信したら、砂壁に貼ってある未来のスケジュールを真新しい1月のカレンダーに書き込んで、それを実現しようと思う。
気分は自然に素直にそんな感じ。
午後2時から、今年初めてのボランティア活動、電話相談の小さな
部屋を訪れた。
2004年6月に認定を受けて、1ヶ月に1回4時間という機序(ルール)で、始めたボランティアも、1年半くらいで板についてきた。
雪は過疎のお年寄りの小さな村を容赦なく襲った。
只今、視聴中のNHKスペシャルは「豪雪 村を襲う」
100名を超えた死者は、足腰の弱ったお年寄りだった。
事務机でタバコをふかすU氏に一礼してご挨拶。
「今年もよろしくお願いします。」
表をあげるとびっくり!両目の周辺は痣で痛々しく変色していた。
「どうしたんですか?そのお顔!」
「この間、つまづいてこけたんだよ。」
「ええ〜!どこで?」
「警察の前で。」
「あらあ、痛かったでしょう。それで救急車で運ばれたんですか?」
「警察の前だったからね。すぐに呼んでもらったよ。」
「それは、警察の前でよかったですね。」
2人1組でペアになったお相手は、研修期間で顔なじみだったY氏だったが、再会したのは実に1年以上も前だった。
「久しぶりだね。」
「同期生同士のペアになりましたね。お仕事はどうですか?」
「うん、まあ、ボチボチだよ。」
「確か、1年ほど前は3ヶ月ほど泊り込みだって。」
「ああ、T市にね、建築の依頼があって。」
「Yさん、お仕事は、」
「建築だよ。」
「そうでしたよね。職種は現場監督さんですか?」
「そうだよ。」
「じゃあ、現場ではヘルメット被って事故や怪我がないように
監督するんですね。結構、気を遣うお仕事ですね。」
「うん。そうだね。ゆきんこさんも保育士続けてるんでしょう?
1年前には、偶然、淀屋橋駅や梅田あたりで会ったよね。」
「そうでしたね。あの時は、実は予備校に通ってまして、
合格したので、今は大学院へ行ってるんです。」
「へえ、どこまで?」
「神戸の元町です。」
「また行動半径が広がったんだね。」
「でも、また失業中で、転職しようかと…相談に乗ってもらえます?」
久しぶりに会ったY氏に、近況方々電話の合間を縫って相談させてもらった。
今日の相談者は、30分ほどで機嫌よく晴れやかに電話を切るケースが
多かった。殆どが常連の相談者だが、聞き手の返答が、楽しかったり
未来に期待することばが出てきたら、お互いに清清しい気持ちを
共有できた気がする。
「また、あの子に会いに行ってみようかな?」
「そうしてみたら?もうすぐバレンタインデーだから、
誰かあげる人いるの?とかアプローチしてみたら?」
「半年前から面識が会った女性とメールの交換を始めたんです。
もう、返信メールが待ち遠しくて・・・・」
「よかったですね。」
「喜びや、感謝の気持ちはすぐに表現することで、また次にも
いいことがやってくるんですよ。
笑う門には福来るっていうじゃありませんか?」
「そうですよね。私にも教えてくださってありがとうございます。」
「私、何か宗教を始めようかと思うのですが、お勧めのところは
ありますか?」
「さあ、私がいいと思っても貴女にいいのかどうかは、わかりません。
ご自分で判断した方がいいのでは?」
人生という問いには、正しい答えはないから、本当のところは、
100%完璧なアドバイスなんてない。
辛うじて成功といえるのは、「ありがとうございました。」と
気持ちよく電話を切ってもらうことに尽きるような気がする。
「生保の勧誘員の誘いを受けていて、明日も営業所に呼び出しを受けてるんです。」
「さあ、やってみないとわからないだろうけど、どんな仕事だって
いいことばかりじゃなくて厳しいよ。私の知人でノルマがきつくて心身症になった人を知ってるし、仕事に就く前に、厭なことも敢えて聞き出して覚悟しておいた方がいいよ。」
「そうですよね。確かに、今のところはいいところしか見えていないのかもしれません。」
「大学院の方はどうするの?」
「もちろん、誰でも入れるところではないことはわかっていて、
社会人になって10年以上も立ってから入ったのですから、
最後まで修めるつもりでいます。きっと母も、生保への就職よりも、
学業を優先することを望んでいますから、当面の生活のためと許して
くれていると思います。
新卒時に、ストレートで院に進学したかったのですが、その時点では、大学を出してもらったことも贅沢なことだと断念しました。
今になって夢が叶ったのですが、一人っ子の私には、両親の老後が
目前に迫っています。アルバイトで食いつなぐ生活が心もとないと、
専門性を研きたくて去年、進学を決意したのですが、蓋を開けた
大学側も、はっきり言って、社会人に門戸を開いて収益を得る方向に
変遷しているわけで、将来性が見込めるかどうかは…」
「どこだって厳しいのは同じだよ。それだけは覚悟しておいた方がいい。社会人になっても大学院へ行こうだなんて余裕があるんだよ。
本当に余裕のない人は死に物狂いで職種も選ばず働いているさ。
私だって、家にはお金を運んでいるようなもんだ。」
「そうですか。朝の生活ホットモーニングで、今『熟年離婚』が
流行ってるんだそうです。」
Y氏は苦笑いした。
「どこだってそうじゃないの?」
「でも、男女の諸々のプロセス踏んで、お子さんも成人されたのですから、私たちの世代って、そのスタートラインで価値観がズレているから
お付き合いの段階でそれ以上進まないんだから。
私の友人も半分位は、私と同じ。結婚せずに、気がついたら15年くらい経って、子どもを産んで育てるより、今までのキャリアにしがみついて必死なんですよ。同じ条件で、Yさん、仕事辞めるなんてことできますか?」
「そんなことできないよ。自分で積み上げてきたものなのに。」
「女性にだけ仕事を辞めろと強要するのは、不平等条約というものです。
結婚する女性は、初めから仕事へのウェイトは少ないから、主婦になるという割りきりがあるかもしれませんけど。
結婚を遅らせた男女の場合は、お互いの老親が足枷になるのも事実です。だから、30歳までがいいと思いますけどね。」
団塊世代のY氏と私は、忌憚なくお互いの意見を述べた。
勿論、「電話相談室のブース内で」という信頼感と安心感がそうさせていた。
その話を、創始者のU氏が耳を欹てて聞いていることもお構いなしに。
夕暮れは遅くなった。
相談室の窓から大きな雲に覆われた市街地の空が、ドーナツ状に丸く、青かった。
5時15分から少しづつ暗くなり始め、6時に戸締りをした時には、
日没していた。
ブログやメールを開けてみると、文字が躍っていて、面白いことが
書いてある。
返信メールを送信したら、砂壁に貼ってある未来のスケジュールを真新しい1月のカレンダーに書き込んで、それを実現しようと思う。
気分は自然に素直にそんな感じ。
午後2時から、今年初めてのボランティア活動、電話相談の小さな
部屋を訪れた。
2004年6月に認定を受けて、1ヶ月に1回4時間という機序(ルール)で、始めたボランティアも、1年半くらいで板についてきた。
雪は過疎のお年寄りの小さな村を容赦なく襲った。
只今、視聴中のNHKスペシャルは「豪雪 村を襲う」
100名を超えた死者は、足腰の弱ったお年寄りだった。
事務机でタバコをふかすU氏に一礼してご挨拶。
「今年もよろしくお願いします。」
表をあげるとびっくり!両目の周辺は痣で痛々しく変色していた。
「どうしたんですか?そのお顔!」
「この間、つまづいてこけたんだよ。」
「ええ〜!どこで?」
「警察の前で。」
「あらあ、痛かったでしょう。それで救急車で運ばれたんですか?」
「警察の前だったからね。すぐに呼んでもらったよ。」
「それは、警察の前でよかったですね。」
2人1組でペアになったお相手は、研修期間で顔なじみだったY氏だったが、再会したのは実に1年以上も前だった。
「久しぶりだね。」
「同期生同士のペアになりましたね。お仕事はどうですか?」
「うん、まあ、ボチボチだよ。」
「確か、1年ほど前は3ヶ月ほど泊り込みだって。」
「ああ、T市にね、建築の依頼があって。」
「Yさん、お仕事は、」
「建築だよ。」
「そうでしたよね。職種は現場監督さんですか?」
「そうだよ。」
「じゃあ、現場ではヘルメット被って事故や怪我がないように
監督するんですね。結構、気を遣うお仕事ですね。」
「うん。そうだね。ゆきんこさんも保育士続けてるんでしょう?
1年前には、偶然、淀屋橋駅や梅田あたりで会ったよね。」
「そうでしたね。あの時は、実は予備校に通ってまして、
合格したので、今は大学院へ行ってるんです。」
「へえ、どこまで?」
「神戸の元町です。」
「また行動半径が広がったんだね。」
「でも、また失業中で、転職しようかと…相談に乗ってもらえます?」
久しぶりに会ったY氏に、近況方々電話の合間を縫って相談させてもらった。
今日の相談者は、30分ほどで機嫌よく晴れやかに電話を切るケースが
多かった。殆どが常連の相談者だが、聞き手の返答が、楽しかったり
未来に期待することばが出てきたら、お互いに清清しい気持ちを
共有できた気がする。
「また、あの子に会いに行ってみようかな?」
「そうしてみたら?もうすぐバレンタインデーだから、
誰かあげる人いるの?とかアプローチしてみたら?」
「半年前から面識が会った女性とメールの交換を始めたんです。
もう、返信メールが待ち遠しくて・・・・」
「よかったですね。」
「喜びや、感謝の気持ちはすぐに表現することで、また次にも
いいことがやってくるんですよ。
笑う門には福来るっていうじゃありませんか?」
「そうですよね。私にも教えてくださってありがとうございます。」
「私、何か宗教を始めようかと思うのですが、お勧めのところは
ありますか?」
「さあ、私がいいと思っても貴女にいいのかどうかは、わかりません。
ご自分で判断した方がいいのでは?」
人生という問いには、正しい答えはないから、本当のところは、
100%完璧なアドバイスなんてない。
辛うじて成功といえるのは、「ありがとうございました。」と
気持ちよく電話を切ってもらうことに尽きるような気がする。
「生保の勧誘員の誘いを受けていて、明日も営業所に呼び出しを受けてるんです。」
「さあ、やってみないとわからないだろうけど、どんな仕事だって
いいことばかりじゃなくて厳しいよ。私の知人でノルマがきつくて心身症になった人を知ってるし、仕事に就く前に、厭なことも敢えて聞き出して覚悟しておいた方がいいよ。」
「そうですよね。確かに、今のところはいいところしか見えていないのかもしれません。」
「大学院の方はどうするの?」
「もちろん、誰でも入れるところではないことはわかっていて、
社会人になって10年以上も立ってから入ったのですから、
最後まで修めるつもりでいます。きっと母も、生保への就職よりも、
学業を優先することを望んでいますから、当面の生活のためと許して
くれていると思います。
新卒時に、ストレートで院に進学したかったのですが、その時点では、大学を出してもらったことも贅沢なことだと断念しました。
今になって夢が叶ったのですが、一人っ子の私には、両親の老後が
目前に迫っています。アルバイトで食いつなぐ生活が心もとないと、
専門性を研きたくて去年、進学を決意したのですが、蓋を開けた
大学側も、はっきり言って、社会人に門戸を開いて収益を得る方向に
変遷しているわけで、将来性が見込めるかどうかは…」
「どこだって厳しいのは同じだよ。それだけは覚悟しておいた方がいい。社会人になっても大学院へ行こうだなんて余裕があるんだよ。
本当に余裕のない人は死に物狂いで職種も選ばず働いているさ。
私だって、家にはお金を運んでいるようなもんだ。」
「そうですか。朝の生活ホットモーニングで、今『熟年離婚』が
流行ってるんだそうです。」
Y氏は苦笑いした。
「どこだってそうじゃないの?」
「でも、男女の諸々のプロセス踏んで、お子さんも成人されたのですから、私たちの世代って、そのスタートラインで価値観がズレているから
お付き合いの段階でそれ以上進まないんだから。
私の友人も半分位は、私と同じ。結婚せずに、気がついたら15年くらい経って、子どもを産んで育てるより、今までのキャリアにしがみついて必死なんですよ。同じ条件で、Yさん、仕事辞めるなんてことできますか?」
「そんなことできないよ。自分で積み上げてきたものなのに。」
「女性にだけ仕事を辞めろと強要するのは、不平等条約というものです。
結婚する女性は、初めから仕事へのウェイトは少ないから、主婦になるという割りきりがあるかもしれませんけど。
結婚を遅らせた男女の場合は、お互いの老親が足枷になるのも事実です。だから、30歳までがいいと思いますけどね。」
団塊世代のY氏と私は、忌憚なくお互いの意見を述べた。
勿論、「電話相談室のブース内で」という信頼感と安心感がそうさせていた。
その話を、創始者のU氏が耳を欹てて聞いていることもお構いなしに。
夕暮れは遅くなった。
相談室の窓から大きな雲に覆われた市街地の空が、ドーナツ状に丸く、青かった。
5時15分から少しづつ暗くなり始め、6時に戸締りをした時には、
日没していた。
Merry Xmas My Grand Mam
「年賀状出してくれた?」
母が昨年の年賀状の束を触りながらわたしの傍で聞く。
「出しました。」
ゆきんこは、両親に似ていない。父方の母や姉、従姉などに似ている。
隔世遺伝である。
本名は、古風すぎて気に入っていないが、祖母が曾祖母の名を命名してくれた。
只今、「オーラの泉」を視聴中。
クライアントは元ピンクレディーのケイこと、増田啓子さんだ。
昨晩10時半ごろ、別居の父から久しぶりに電話があった。
平成天皇よりも3ヶ月早い生誕の父は、2年前にバイクと自動車の衝突事故で、下半身を骨折し、
以来杖をついて辛うじて歩けるという状態になり、ホームヘルパーさんのお世話になりながら、通院生活をしている。
「腰がちっとも曲がらなくなった。明日入院するかもしれない。
明日の朝、電話するから手伝ってくれないか?
この電話の返事でお前たちの反応を確かめているんだ・・・」
「わかった。じゃあ、明日8時ごろもう一度電話をちょうだいね。」
母と私は、父には冷やかだ。
どうしてこの家を追われた最期の思いを忘れることができるだろう。
それでも、受話器の向こうの情けない父の声のトーンを無視することなどできるだろうか。
今朝、いつもより早く母とわたしは、ふとんを上げて、父の電話を待った。
しかし、「風のハルカ」が終わって8時半を過ぎても電話は無かった。
「こっちからかけて確かめよう。」
留守電だった。こんなとき、いいことはあまり想像しない。
父の住処へ移動した。
父は不在だった。
どうやら、自力で病院へ向かったらしい。
帰宅を待って、汚れた部屋を掃除した。あまり掃除しすぎると、
清潔な状態に不快感を示す父にわからない程度に、昨晩の窓の結露など
を拭き取るなどして、小1時間過ごした。
自室にしていた部屋も、父の衣類が吊るされていて、学生時代の
思い出の品々も埃を被ったりしているが、引き出しを開けると、アーカイブ。懐かしくて、つい手がとまって脳ミソがタイムワープしまう。
思春期から使っていた白いカラーボックスの中段の蓋を開けると、
母が結婚前に勤務していた幼稚園時代の花瓶、そして母の旧姓の宛名の4通の封筒が出てきた。
差出人は、父方の祖母だった。
「もうそろそろ帰りそうだけど、どこの病院へ行ったんだろう?」
「N病院かな?」
「電話しようか?」
「電話帳が見当たらない。」
「ちゃんと帰ってこられるか心配だから、二人で行こう。」
戸締りをして、N病院へ向かったが、あいにく父の受診は終わって
病院を出たばかりだった。
再び、父の住処へ戻ると、父が自由の利かない足で自室へ向かう階段を昇っている最中だった。
「こんなことになるなら、1階を選ぶんだったな。」
「入居するときは、見晴らしがいいって気に入って最上階を選んだんでしょう?」
エレベーターなど気の利いたマシンは、築25年以上のこの集合住宅には設置されていない。
ともかく、母と私が支えて父を食堂の椅子に座らせた。
母が薬局へ折り返し薬を取りに行き、私は父の昼食の支度を手伝った。
腕を少し動かしても腰に激痛が走るので、父はイライラしながら、私に
諸々の指示、命令を出した。
「そんな口のきき方、ヘルパーさんにしてたらいやがられるよ。」
それでも、同居していた20年前の父よりも白髪のよぼよぼじいさんに
なった今の方が譲歩できる私になっていた。
それだけの年月が過ぎていた。
父は私に幼少の思い出を語り、涙脆くなっていた。
「昨夜も眠れなかった。枕元に婆さんが来て、なにやらごちゃごちゃ
言ってるんだよ。」
「こんな哀れな息子の姿をあの世から見かねて心配で来るんじゃないの?私もさあ、不思議なんだけど今大学院に行ったことを御祖母さんが一番喜んでくれているように思うんだ。
予備校に通ってたとき、交差点で信号を待つ間、何の前触れも無く、
ふっと御祖母さんのことが頭を過ぎって、涙が出そうになった。
ねえ、御祖母さんってどんな人だった?」
「純真で真っ正直だが、不器用な人だった。親父からも暴力を受けていたから、夫婦仲は悪かったし、親父を恨んでいた。
実家の方がずっと格式も高く歴史もある寺だったからな。」
「御祖父さんと結婚して踏んだり蹴ったりだったんだね。
何か私に似てるなあ・・・逆子で難産で生まれたって本当?」
私は、母から間接的に聞いていた父の出生や幼児期を確かめた。
「ああ、そうだよ。昔は産婆さんが取り上げたから、一度出掛かっていた身体を体内に押し戻して産んだから、御祖母さんの母体も危なかったらしい。おまけにワシは、5歳のときに御堂に上がってそこから転落して、お袋は気が狂ったようになっていたらしい。」
「この2つの出来事だけでも、十分どこかで脳損傷受けてる可能性あるよね。勘当してしまったお父さんのこと、死ぬまで気がかりだったんだね。だから心配でこの辺うろうろしてるんじゃない?」
「ああ、まるでハムレットだ。御祖母さんの墓参りに行こう。
雷鳥に乗るときは、お前も一緒に付き添ってくれよ。」
「うん。いいよ。」
父とわたしはハモって泣き、運命を嘲笑した。
「この前の衆議院選挙のとき、TVに映ってたWさんって親戚だって
母が言ってたけど。」
「深雪伯母さんの婚家の義理の兄弟だ。よく知っていたな。」
そうこうしていると母が戻ってきた。
母は自覚していないが、父と話すときの母の声のトーンはヒステリックになる。それが私の神経を逆撫でる。
私は、ふとさっきの白いカラーボックスから祖母の手紙の束を
リュックサックに入れて、父に別れを告げた。
「月曜日、電話ちょうだいね。ちゃんと来るからね。」
自宅に戻って軽食を摂ると、今度は電話相談のボランティア当番に出向いた。
今日はクリスマスイヴの土曜日のせいか、件数は少なかったが、
私は3件の応対をした。
「今年は、パーティーの誘いがあったんだけど、行かなかったの。」
「そうですか。独りで過ごす人も増えてるんでしょうね。」
「私は戦前生まれですけど、世代のギャップは仕方ないのかしらね。
孫に何十万円もの成人式の晴れ着を買ってやっても、ありがとうの
一言も無いわ・・・」
「飢えも知らず、モノに取り囲まれて、お金で買えば何とでもなるという時代に育つと、有り難いという感情を持ちにくいのではないでしょうか。」
「そうね。戦争で辛い思いをしたから、次世代には同じ思いをさせたくないと甘やかし過ぎたのかもしれないわ。」
定刻をオーバーして、元薬学の研究者だったというW氏との初顔合わせコンビのボランティアを終えて、私は自転車で自宅に戻った。
「ねえ、今日、御祖母さんの手紙を見つけたの。お母さん宛のだよ。」
「え?そんなもの見ないほうがいいわよ。」
「でも、御祖母さん見つけて欲しかったんじゃないかな?
昨夜も夢枕に現れたらしいよ。うん。そんな気がする。」
私は、母の前で祖母の手紙を音読した。いつの日付かもわからない
遠い日の手紙を。
「お手紙ありがとうございました
当地は今年は雪の量も少なく割合に過ごしやすい冬でした
春はそこまでやって来ているので寒いとは云いながらもうしばらくの
辛抱と思っております。
さて あなたのご苦労を手紙をいただかなくても
まざまざと見ている私としてはほんとうにやりきれない思いで一杯です。
私に経済力があれば貴女に請求されなくても直ぐにでも送金したいのですが それが出来ない事が一番心苦しく悲しいことです
毎日そんな事ばかり考えておりますので頭がぼんやりしてしまって
何をする気力も起こりません 耳もすっかり遠くなってしまって
人との対談は不可能に近いものです」
母は、私の幼少時、祖母と深雪さんにしばしば手紙のやりとりで、
窮状を訴えていたが、祖母に深雪さんとのやりとりは、婚家との
いざこざを懸念して遠慮するように咎められた。
それが、断絶の要因となった。
母が昨年の年賀状の束を触りながらわたしの傍で聞く。
「出しました。」
ゆきんこは、両親に似ていない。父方の母や姉、従姉などに似ている。
隔世遺伝である。
本名は、古風すぎて気に入っていないが、祖母が曾祖母の名を命名してくれた。
只今、「オーラの泉」を視聴中。
クライアントは元ピンクレディーのケイこと、増田啓子さんだ。
昨晩10時半ごろ、別居の父から久しぶりに電話があった。
平成天皇よりも3ヶ月早い生誕の父は、2年前にバイクと自動車の衝突事故で、下半身を骨折し、
以来杖をついて辛うじて歩けるという状態になり、ホームヘルパーさんのお世話になりながら、通院生活をしている。
「腰がちっとも曲がらなくなった。明日入院するかもしれない。
明日の朝、電話するから手伝ってくれないか?
この電話の返事でお前たちの反応を確かめているんだ・・・」
「わかった。じゃあ、明日8時ごろもう一度電話をちょうだいね。」
母と私は、父には冷やかだ。
どうしてこの家を追われた最期の思いを忘れることができるだろう。
それでも、受話器の向こうの情けない父の声のトーンを無視することなどできるだろうか。
今朝、いつもより早く母とわたしは、ふとんを上げて、父の電話を待った。
しかし、「風のハルカ」が終わって8時半を過ぎても電話は無かった。
「こっちからかけて確かめよう。」
留守電だった。こんなとき、いいことはあまり想像しない。
父の住処へ移動した。
父は不在だった。
どうやら、自力で病院へ向かったらしい。
帰宅を待って、汚れた部屋を掃除した。あまり掃除しすぎると、
清潔な状態に不快感を示す父にわからない程度に、昨晩の窓の結露など
を拭き取るなどして、小1時間過ごした。
自室にしていた部屋も、父の衣類が吊るされていて、学生時代の
思い出の品々も埃を被ったりしているが、引き出しを開けると、アーカイブ。懐かしくて、つい手がとまって脳ミソがタイムワープしまう。
思春期から使っていた白いカラーボックスの中段の蓋を開けると、
母が結婚前に勤務していた幼稚園時代の花瓶、そして母の旧姓の宛名の4通の封筒が出てきた。
差出人は、父方の祖母だった。
「もうそろそろ帰りそうだけど、どこの病院へ行ったんだろう?」
「N病院かな?」
「電話しようか?」
「電話帳が見当たらない。」
「ちゃんと帰ってこられるか心配だから、二人で行こう。」
戸締りをして、N病院へ向かったが、あいにく父の受診は終わって
病院を出たばかりだった。
再び、父の住処へ戻ると、父が自由の利かない足で自室へ向かう階段を昇っている最中だった。
「こんなことになるなら、1階を選ぶんだったな。」
「入居するときは、見晴らしがいいって気に入って最上階を選んだんでしょう?」
エレベーターなど気の利いたマシンは、築25年以上のこの集合住宅には設置されていない。
ともかく、母と私が支えて父を食堂の椅子に座らせた。
母が薬局へ折り返し薬を取りに行き、私は父の昼食の支度を手伝った。
腕を少し動かしても腰に激痛が走るので、父はイライラしながら、私に
諸々の指示、命令を出した。
「そんな口のきき方、ヘルパーさんにしてたらいやがられるよ。」
それでも、同居していた20年前の父よりも白髪のよぼよぼじいさんに
なった今の方が譲歩できる私になっていた。
それだけの年月が過ぎていた。
父は私に幼少の思い出を語り、涙脆くなっていた。
「昨夜も眠れなかった。枕元に婆さんが来て、なにやらごちゃごちゃ
言ってるんだよ。」
「こんな哀れな息子の姿をあの世から見かねて心配で来るんじゃないの?私もさあ、不思議なんだけど今大学院に行ったことを御祖母さんが一番喜んでくれているように思うんだ。
予備校に通ってたとき、交差点で信号を待つ間、何の前触れも無く、
ふっと御祖母さんのことが頭を過ぎって、涙が出そうになった。
ねえ、御祖母さんってどんな人だった?」
「純真で真っ正直だが、不器用な人だった。親父からも暴力を受けていたから、夫婦仲は悪かったし、親父を恨んでいた。
実家の方がずっと格式も高く歴史もある寺だったからな。」
「御祖父さんと結婚して踏んだり蹴ったりだったんだね。
何か私に似てるなあ・・・逆子で難産で生まれたって本当?」
私は、母から間接的に聞いていた父の出生や幼児期を確かめた。
「ああ、そうだよ。昔は産婆さんが取り上げたから、一度出掛かっていた身体を体内に押し戻して産んだから、御祖母さんの母体も危なかったらしい。おまけにワシは、5歳のときに御堂に上がってそこから転落して、お袋は気が狂ったようになっていたらしい。」
「この2つの出来事だけでも、十分どこかで脳損傷受けてる可能性あるよね。勘当してしまったお父さんのこと、死ぬまで気がかりだったんだね。だから心配でこの辺うろうろしてるんじゃない?」
「ああ、まるでハムレットだ。御祖母さんの墓参りに行こう。
雷鳥に乗るときは、お前も一緒に付き添ってくれよ。」
「うん。いいよ。」
父とわたしはハモって泣き、運命を嘲笑した。
「この前の衆議院選挙のとき、TVに映ってたWさんって親戚だって
母が言ってたけど。」
「深雪伯母さんの婚家の義理の兄弟だ。よく知っていたな。」
そうこうしていると母が戻ってきた。
母は自覚していないが、父と話すときの母の声のトーンはヒステリックになる。それが私の神経を逆撫でる。
私は、ふとさっきの白いカラーボックスから祖母の手紙の束を
リュックサックに入れて、父に別れを告げた。
「月曜日、電話ちょうだいね。ちゃんと来るからね。」
自宅に戻って軽食を摂ると、今度は電話相談のボランティア当番に出向いた。
今日はクリスマスイヴの土曜日のせいか、件数は少なかったが、
私は3件の応対をした。
「今年は、パーティーの誘いがあったんだけど、行かなかったの。」
「そうですか。独りで過ごす人も増えてるんでしょうね。」
「私は戦前生まれですけど、世代のギャップは仕方ないのかしらね。
孫に何十万円もの成人式の晴れ着を買ってやっても、ありがとうの
一言も無いわ・・・」
「飢えも知らず、モノに取り囲まれて、お金で買えば何とでもなるという時代に育つと、有り難いという感情を持ちにくいのではないでしょうか。」
「そうね。戦争で辛い思いをしたから、次世代には同じ思いをさせたくないと甘やかし過ぎたのかもしれないわ。」
定刻をオーバーして、元薬学の研究者だったというW氏との初顔合わせコンビのボランティアを終えて、私は自転車で自宅に戻った。
「ねえ、今日、御祖母さんの手紙を見つけたの。お母さん宛のだよ。」
「え?そんなもの見ないほうがいいわよ。」
「でも、御祖母さん見つけて欲しかったんじゃないかな?
昨夜も夢枕に現れたらしいよ。うん。そんな気がする。」
私は、母の前で祖母の手紙を音読した。いつの日付かもわからない
遠い日の手紙を。
「お手紙ありがとうございました
当地は今年は雪の量も少なく割合に過ごしやすい冬でした
春はそこまでやって来ているので寒いとは云いながらもうしばらくの
辛抱と思っております。
さて あなたのご苦労を手紙をいただかなくても
まざまざと見ている私としてはほんとうにやりきれない思いで一杯です。
私に経済力があれば貴女に請求されなくても直ぐにでも送金したいのですが それが出来ない事が一番心苦しく悲しいことです
毎日そんな事ばかり考えておりますので頭がぼんやりしてしまって
何をする気力も起こりません 耳もすっかり遠くなってしまって
人との対談は不可能に近いものです」
母は、私の幼少時、祖母と深雪さんにしばしば手紙のやりとりで、
窮状を訴えていたが、祖母に深雪さんとのやりとりは、婚家との
いざこざを懸念して遠慮するように咎められた。
それが、断絶の要因となった。

