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2013/04/15 (Mon) 四国日帰りお遍路巡礼ツアー
4月に入ったかと思いきや、もう中旬になってしまいました。
その間、少し早めにお花見も楽しめたものの、先週6日の春の嵐で、ゲストを招く予定はキャンセルになってしまいました。

今年に入ってから腰痛の調子も良かったのですが、花見シーズン前後からまたもや一進一退しています。
腰痛そのものよりも、足首やアキレス腱、背中の強張りといった腰痛に付随していた副次的な症状が辛かったりします。
そんなわけで、PCに向かうと背中が突っ張り、仕事も前半のうちに休みがち。
更新が後回しになっていました。

一昨日13日、無事に日帰り旅行を楽しんできたので、アップします。
13日は前日から実家に泊まって就寝し、日本を震撼させた明け方の震度6弱の地震で目覚めました。
幸い、我が家はいつもより揺れが大きいなという程度の震度3で何事もありませんでした。


6時には起床して、実母と共にきっちり朝食も摂って7時過ぎに家を出ました。
定刻通りに来たバスに乗って、スムーズにH駅に着き、そこから集合場所まで目的地行きの観光バスに乗り継ぎました。
行先は、四国八十八か所お遍路のバスの旅 第1回企画で札所1番~6番を巡礼します。
お金と時間に余裕のありそうなシニア世代が40人参加しました。
本日の日帰りバスは他にも周辺地方都市や大阪駅からも同時発着しているので、総勢では大阪からだけでも数百人が一路バスで四国を目指すというわけです。
ちょっとしたシニア向け日帰り修学旅行といった雰囲気です。

このツアーに参加したきっかけは実に単純でした。
いつものように、毎木曜日実家に帰ると、決まって目を通していたのは、地元ローカル週刊情報誌の「サンケイリビング」
ちょうど1か月ほど前に掲載された1面記事に阪急トラピックス主催のお遍路ツアーがありました。
第1回目の日帰りツアー参加費用はなんと、2000円という破格の安さに、つい申し込んだというわけです。

この格安ですから、満足度は高いものでした。
料金の中には昼食の筍弁当と果物、お茶が含まれています。これだけでも1000円以上相当に違いありません。
さらに、お遍路巡礼グッズ(ローソク20本、御線香57本、御札100枚、簡単な経本)もサービスで配布されます。
そして、旅の最後には、数珠玉6玉までプレゼント。
これには、次回の続きへいざなう目的があってもらえるのですが、全13回を最後まで無事に完了できれば、巡礼した寺院の総数の数珠玉88粒が揃い、それをつなげて数珠を仕立てあげて目的を達成するというのです。

第1番札所の霊山寺からスタートした巡礼も、すっかり日焼けした赤ら顔のツアーコンダクターのお姉さんの優しい手引きでスムーズでした。
各々の寺社には本堂と大師堂とがあり、それぞれロウソクと線香を手向け、日付と住所氏名を記入したお札を修めて柏手を打って、更にはそもそもはサンスクリット語である般若心経を唱えます。
スムーズにといっても、各所でトイレに行ったり、御土産屋さんを覗いたりしていたら、1か所につき小1時間はかかりました。
明石海峡大橋を経由し、正午近くに鳴門に着いて、そこから6か所巡礼し、12回も般若心経を唱えたら、淡路島の最後の休憩所では午後6時になっていました。

私にとって、四国は初めての地ではありません。
幼い頃、父母と桂浜で海水浴をした色あせた写真や、若い頃、ダイビングに興じた宿毛の海。
でも、徳島鳴門は初めて、連続6か所のお遍路ももちろん初体験。
元祖ヒーリングスポットに、なんとなく霊験新たかな心地になり、いつしか気分転換リフレッシュされていました。


当日、通過した淡路島では、やっぱり地震の被害が報じられていたらしいですが、申し訳ないことにすっかり忘れて、各巡礼地は終日雲一つない快晴と陽気に恵まれ、にわかに賑わっていたのでした。
弘法大師さまのおかげでしょうか?


この(ほとんどシニア向け)お遍路ツアーですが、2000円という奉仕価格は第1回だけのこと。
2回目以降は早期予約で1000引きですが、札所は徐々に遠距離になり、後半は宿泊もあるので、その分当然お値段も上がっていきます。

私は根っからの旅好き、そして、行った先では好奇心に任せて五感で未知の体験を楽しむのが好きです。
そして、無事にとっぷり日も暮れたお馴染みのH駅に戻ってきたら、また何気ない凡庸な日常頑張ろうと思えたらそれでいい。
私の慢性腰痛に鑑み、まずは試しに経験できたのが良かったかなと思います。
いつかチャンスがあれば、本格的な巡礼にチャレンジしたい気もしますが、お金も時間も余裕がないし、修行だけの旅行はまだ時期尚早かな?
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2012/11/26 (Mon) 東京&横浜
今朝方見た夢。

初めてお会いする何人もの女性の方々と交わすことばはなく、とりあえず、笑顔を交わしています。
初対面ですが、その方々とつながっているのは、パートナーを介する人々です。
そして、出会ったばかりの女性たちが集まって宴の打ち合わせと準備が始まりました。
「まあ、なんとかなるでしょう。」そんな以心伝心の雰囲気が漂っていて、私は戸惑いながらもその集団に加わりました。

隅っこには、その活動に加わらない女性たちとつながっている男性が独りポツリと佇んでいました。


その夢の光景は、現実においてもどこかで見たようなデジャヴだったかもしれません。
夢は現実にあった出来事を整理する作用があるといいます。

23日は勤労感謝の日で祝日でしたが、午前10時に出勤し、4時間パートで働きました。
退勤後、職場から最寄りのイオンでお買い物。
サービスコーナーで地元の銘菓 「暁」を購入しました。

それから、一駅向こうのM駅で途中下車し、サンディで105円の玉子をゲットしました。

帰宅して、夕食はレバニラ炒めを作って食べて、旅支度。
いつもより地味に飾られたクリスマスイルミネーションのビル街を通過し、深夜の大阪駅前から夜行バスに乗りました。

乗り心地はそう悪くありませんでしたが、バスの中では足を横たえられないので、予想通り、足がむくみました。
翌朝、雨上がりの新宿駅前に到着。

全国どこへ行ってもガストがあるのはありがたい。
でも、せっかく久しぶりに東京へ馳せ参じたのだから、東京ならではというところを見物したい。

というわけで、
午前9時にやってきたのは、リニューアルした東京駅。
事前に特別番組も見ていたのですが、一望した限り、どこがどうリニューアルされたのかよくわかりません。
煉瓦造りの表側から裏側に出ると、今度ははとバスのターミナルにズラリと人々が待ちならんでいました。

そこから丸の内を通過して、あこがれの銀ブラに繰り出してみました。
銀座に行ってみたいと思ったのは、私の想像するイメージと、銀座には似合わない自分が銀座に行ったらどうなるのか、それを現地で確かめたかったからです。
「確かこの辺り、ロンドンオリンピックのメダリストがパレードしたんだっけ?」

「銀座は大阪に喩えると、心斎橋筋を数倍大きくした感じ」
との前評判は聞いていましたがこれまた、四十路半ばの私としては、どうも素直に感動しなくなってしまったのでしょうか?

名立たるブランドショップが居並ぶ通りを歩いても、
「ああ、20歳の時、ニューヨークでもティファニー行ったもんな。」
って感じでした。
ただただ自分は銀座に場違いな人間なんだけど、こんな自分でもリュックサック背負って闊歩したって構わないんだとある意味、開き直っていました。

三越のアナウンスは中国語が流れ、富裕層が訪れていることを察しました。
まるで20年前のバブル期の日本も海外でこんな感じだったんだろうと思いを馳せました。

パンのキムラヤやはと時計で有名なビルの前までやってきたとき、慢性腰痛が災いしてか、
股関節が痛み、びっこあるきになってきました。
やむなく、小休止をとることにして、ギンザのドトールコーヒーを除いたら、値段が普通のドトールよりも2倍以上もしました。
「やっぱり銀座だから料金も高いんだ」

それで、銀座でお茶するのはあきらめて有楽町駅から次なる目的地の高田馬場駅へ向かいました。
「有楽町で逢いましょう」ってここかぁ~。
東京には歌謡曲で耳慣れた地名が多々ありますが、私の頭の中には東京一円の地図がありません。

山手線い揺られること30分あまり。
高田馬場駅に到着。
ここでも、お目当てはお気軽なガストです。
正午前に陣取った4人掛けの席で、親友を待ちわびました。
といっても、親友は今夏のうちに2回も帰省していたので、会うのは2か月ぶりでした。
家事をどうやっているのかなど、他愛もない近況を語り合っていると、あっという間に時間が過ぎ、4時過ぎにはお別れしました。

そして、次の目的地へ向けて再び山手線へ。
新宿も渋谷も今回が初訪問ではありませんが、ひどい人混みです。
しかも、その大きな人の波は、延々と東横線まで続きました。
さすがに大都会。人に寄ってしまいそうです。

日もとっぷり暮れた頃、横浜に到着しました。
そこでも、初対面の方々3名を含む5名の方々のお出迎えを受けました。
私ははにかみ笑顔を浮かべるのが精いっぱいでしたが、お互いの笑顔に包まれほっとした瞬間でした。
「はじめまして。実は横浜に来るのはこれが初めてです。」

それから、石川町で下車して、中華街で晩餐をとることになりました。
3連休中日の土曜日のせいか、いつもこうなのか、
初めての中華街も、大勢の人々で賑わっていました。
きょときょとしながら歩いていると、
「ハイコレ。ますは食べてみて、そこで半額にしてるからどうぞ。」
と、現地中国人の非常にゴーインなセールスで、甘栗の試食をする羽目になりました。
気が付いたら、剥き栗を掌に乗せられているのですから、思わず食べてしまいました。
だからって、買いたいわけじゃないから、やっぱり買いませんでしたけど。

大通りから少し離れたとある中華食堂の担担麺セットは、ちょうど良い分量とお味で満足でした。

そういうわけで、めまぐるしく土曜日の夜は更けていき、気が付けば、足がすっかり棒のようになっていました。


もうひとつの初体験といえば、その後帰りの夜行バスを待つ間、「ジョナサン」というファミレスでドリンクバーをいただきました。ジャスミン茶や黒豆韃靼麦茶というのがとてもいい香りで、しばしリラックスしました。

横浜ではありますが、隣席からは大阪弁が聞こえ、同じ目的で時間つぶしをしている輩と推測されました。24時まで営業とは、ジョナサンもやるもんです。

ジョナサンという女性の名前のレストランだからでしょうか?壁面の装飾が花のリースであることが印象的でした。

しかし、やっぱり本当にリラックスしたのは、おけいはんにのったとき。翌朝見慣れた地元の田畑や山並みの景色、そして、自宅で布団に体を横たえた瞬間でした。誰にとっても当たり前のことですが。

今回は不意の旅行でしたが、いくつになっても初体験があり、刺激的でいいものです。
しかし、自分は確実におばさんになってるなぁ。
30代の頃と違って、独りではこんな大都会をおろおろしてしまうんじゃないかと思いました。
銀座といい、渋谷といい、あまりにも大きな大都市には、私には不似合いじゃないかとも思いました。

これから、冬が始まります。
今日、届いた封筒の通知。
どうやら郵便局の年末年始バイトは、慢性腰痛が敗因で、不採用になったらしい。
さあ、明日も自分にできる範囲で仕事も家事も取り組んでいきましょう。

2009/03/03 (Tue) 結婚記念日は雪だった・・・
本日、桃の節句・雛祭り
婚姻届を提出した直後、正午過ぎにK市役所前で記念写真を撮ってからまる1年が経過した。

失業中かつ別居婚の慢性的憂いは、そのまま天気になるんだろうか?
ちょうど1年後、母と母の友人で初対面のSさん、ゆきんこは万博記念公園にいた。
3月といえども雪のちらつく寒空の下、満開の梅を見て楽しんだ。

大阪ガスの地域のMガスセンターの主催で、なんと500円の参加費で、梅見物バスツアーとホテルでのランチバイキング、それから、午後にはクッキングも体験させてもらった。
桃色といってもさまざまな濃淡の可愛らしい梅の花、一輪一輪に和まされ、気分はすっかり、郊外生涯学習だ。
対象は、お役御免となったシニア世代の主婦の方々に男性が2名ほど混じった総勢41名。
その10名近くは母の声かけでM町の自治会つながりの御馴染みさんたちだ。
失業中でも、母は私を自堕落なひきこもりにさせまいと、早朝からふとんをひきはがし、たたき起こして半強制的に誘われた。

因みにM町婦人会のマダムたちの大半が、子どもは独立した団塊世代だから、こんなバスツアーに参加したらアラフォーでも挨拶はこんな感じ。
「はじめまして。」
「あら、Nさんの娘さんね。」
「いつも母がお世話になってありがとうございます。もう、おばさんです。白髪も生えてきましたし。」
「ゆきんこさん、今日はよろしくね。」
民生委員で誰にでも温厚なMさんが今日のバスツアーの世話役だ。
「Mさん、母共々お誘いありがとうございます。この前はいろいろ愚痴をきいてもらってすみませんでした・・・。」
「いいのよ。そうだ、3月の広報見た?K園の求人があったけどどうかしら?」
「K園は20代のころ受けて落ちました。華奢な体格だからダメでした。メタボ状態の重度障がいの方たちの支援ですから、求人があるのでしょう。介護よりも過酷です。」
「ああ、そうかぁ~・・・」

3日前招待された豪華絢爛な1万2千円の祝賀会よりも、ご近所のマダムたちとのホテルで安価なランチバイキングがゆきんこには何十倍も落ち着く。
そして少々マナー通りでなくても誰も怪訝な顔はしない。
「ケーキがきたわ。」
「雛ケーキじゃないですけどね。」
「そうね、今日はひなまつりね。」
「因みに、今日で結婚して1年になりました。」
「そうだったわね。その後、どうなった?」
「相変わらず家にいますよ。今日も母と参加してますから。」

別にそんなことはどうだっていいんだ。
かなり、いけてない夫婦の方がマジョリティなのがせめてもの救いだ。
マダムたちには当然、パートナーが健在しているはずなのに、誰も夫婦で参加していない。
マダムたちにははじめから「主婦」という無報酬の奴隷制で今日まで生き延びてきたに過ぎないのだから。
開放感のあるひとときを過ごしたいのか、話題は専ら孫のことで夫のことではない。
これ一つとっても、各界のトップリーダーの面々を拝んでみても、あまりにも不甲斐ないわが国の有様よ。

「でも、昭和20年と平成20年とでは全然違いますよね。」
「そうよね~。」
「当時から戦後にかけて幼稚園通っていた人ってどれくらいいます?」
「私、行ってたわよ。」
「私も。でも、行けなかった子どももいたわね。」
「私がお世話になった大学の先生、家が貧しくて幼稚園に行けなかったって。ベルトもなくてひもでくくっていたんですって。それでいじめられたそうです。」
「貧しくなくてもいじめはあるけどね。」
「結局、富を独り占めしたいという本能がむき出しになると、やっぱりいじめや競争はなくならない。
夫は家庭内で経済力のない妻をDVするしね。」
「たとえ年老いて収入にならなくても、元気なうちはボランティアでもやって、社会に役立つ存在なのだと生きがいを感じられるような社会にならないと、ブラブラと遊山させられてもなんだか面白くない。」
「本当はみんな働きたいんだ。それなのに一部の有能な効率のいい人たちや頑健な人たちしか働かせてもらえない社会に成り果ててしまった。」
「古代のアテネでは、富や権力を持ちすぎた人は都市から25年も追放されたんだ。法の下に重罪だったんだよ。」

気のせいか、午後から体験した調理実習の若いアシスタントの方たちは、マダムたちを取り囲むように壁際に佇み、半強制的な企業仕込みのスマイルを浮かべているように見えた。

統計学の本をひっぱり出したものの、今更どうするっていうんだ?
ドクターPのせせら笑いが脳裏こだまするようだ。
「ゆきんこさんは、そんなことしなくたっていい。」
私はどうやったって、凡人の域を出ない。
F先生みたいなあんな輝かしい笑顔をたたえられないな・・・
「記念祝賀会の文集のなかに書いてあったけど、F先生がある徒弟の先生に『心理士なんて足の裏の米粒だよ』と言ったんだって。心理士を養成する先生がそんなこといっていいのかな?」
「あっても無駄ってことでしょう?」
「祝賀会で私の隣に座ってたセラピストさん、ずっと眉間に皺を寄せて指をもじもじさせていたよ。そんな態度で普段からちゃんと人の相談に乗ってるのかな?それとも、悩み事や困った人の話ばかりきいているからいつも精神不衛生なのかな?」
「そうかもしれないよ。結局、人間相手の仕事ほど難しくて徒労に終わってしまうものはないということじゃないの?」
「だから、F先生3年間通っても、私に何も仰らなかったんだ・・・」
「あんたみたいなすぐに機嫌を損ねるヒステリックじゃダメよ。」
「だったら、最初から受験するんじゃなかったな。入ってから何度もカルチャーセンターの方がましだと思ったよ。」
「まあその感覚で、学者だって学生に貢いでもらって稼いでいるわけだから・・・」
「将来を約束しないならやっぱり詐欺だよ。」

ぴかぴかの最新式の台所用品やミストサウナ浴室、床暖房のショープラザに囲まれているのに、
働き盛りの私たちの方がマダム集団を相手になんだかしょぼくれている。
昭和20年にはきっと結婚直後、戦争に引きさかれた夫婦もあっただろう。
平成21年でもひとつ屋根の下にいても、苦しいだけの夫婦もある。
やっぱり仕事を見つけなくちゃ・・・!!と焦る。

せめてもの慰めは、白杖や盲導犬を使って梅を感じている視覚障がいの方が共に参加し、社会的にも家庭的にも弱者として生きながらえてきた聞こえの悪くなったSさんと母が会話の折々に笑顔を交わす姿に癒されている。

あ~あ、明日はまた上司に会いに行かなくちゃ。
はじめから落ちるとわかっている試験や面接はもう御免だ。

2008/03/29 (Sat) 再見!中国
3月28日金曜日。6日目の最終日はモーニングコールは、5時30分。
上海のホテルで就寝前に母と諍いをして、眠りは浅かった。

前々から、母の認知症かも?という懸念は今回の旅の途でより明確化した。
どこにいるのかわからない。
何度も繰り返し、同じ質問をする。
私以外の他者の音声言語が聞き取れない。

これは正しく私の専門領域としてきた軽度発達障碍の様相と似て非なる徴候のオンパレードであった。
他者なら優しくできるのだけど、ブログにはしたためていない水面下の諸々の責任の重さやら、
いよいよの父母の老後に一人っ子の私としては、昼間はユーモアでもないとやってられない。

上海国際空港で手荷物を預け、ツアコンの蒋さんと運転手さん、王さんに握手を交わした。
「お世話になりました。」
旅は終わって、やれやれ一安心。
関空に飛行機が無事に着陸した後も、検疫・入国審査など、諸々の関所が年寄りには面倒くさいものだ。
「あら、パスポートがない~」

その度に、立ち止まり確認する。
新しい職場でも、これからも母と私の半生そのものを暗示するかのようでもある。

今回の旅でもお金には勘定できない諸々の面白体験が満載だった。
なんといっても「社長」をはじめとする「4人組」は、嘗ては工学の第1戦に寄与してきた方々であり、
童心?で今回の旅を興じていらっしゃるかに見えた。
特に最高に受けた工学博士の名語録は、
「社長は常務取締役で、僕らは、常時取り締まられ役」
吉本新喜劇はだしのボケと突っ込みのオンパレード
骨董品屋の前で高らかに笑った私に
「えらい受けたわ。」と博士も笑った。

毎朝、4時に起床しているという後継者のない農家のご夫婦。
共に白髪の生えるまでという仲睦まじい老夫婦。
中国贔屓の父娘。
一人身でも悠々自適に往復している中国通、海外通の参加者などなど。

「お疲れ様でした。」
「お世話になりました。」
「どうぞお元気で。」
今回の旅路もそれぞれの脳裏なり、愛用の録画マシンに焼き付けてそれぞれの塒に帰っていく。
日本人は日本人に生まれたことをよかったという人が概ねである。
けれども、他国に関しては日本を羨んで日本人と婚姻する人々も相変わらず増えている。
帰れる我が家がある。行きたいところがある。会いたい人がいる。
その時、その場所、その人との出会いが、我が人生を彩りのあるものにしていく。

歴史的には、過去の傷跡にどう責任を果たすのか、多民族支配の興亡によって、リベンジ暴動の絶えない世に経済と福祉の繁栄は在り得ない。
個人レベルでも、国家レベルでもルール・マナー・礼節と行動分析学が自ずとオーバーラップしてくるのだから、やっぱり相変わらず、ABAに被れているんだろうか?
他国には他国のよさがたくさんあるけど、
やっぱり、今回の旅は今までになく「日本人でよかった」と実感した旅でもあった。

午後1時には、関空のバスターミナルへ移動し、異国では1週間カメラ代わりにしか用途を果たさなかった携帯電話の電源を入れると、早速入っていたメールは、Pさんと旧友のOちゃんだった。
あれ?さっき挨拶して別れたのに「社長」は隣のバスにいらっしゃる。
私はバスの入り口から顔を覗かせた。
「社長、よろしければ名刺をいただけませんか?」
エコロジーと廃棄物処理が専門分野の「4人組」代表の名刺の裏側は、なんと使用済みのカレンダーを再利用していた。
お見事!

なぜ、今まで無関心だった工学の方々に関心をにわかに寄せているのかは、Pさんの遍歴によるところが大きい。

母は、最寄のクリニックで早速認知症のテストを受診した。
結果は、30点中22点と認知症ボーダーと診断された。

私と入れ違えにPさんは今夜、国内の遠方へと旅立つことになっている。
本当は、一緒に誘われていたハネムーン代わりの所用だったのだけど、
あんまりハードスケジュールは好きじゃないので無理せず、電話でPさんを送ることにした。
「それじゃ、気をつけて行ってらっしゃい。」
「うん。行ってきます。フフフフ」
「え?何よ。意味深な笑い?」
「あ、HP見た?」
「まだだけど。ブログ書いていたから。」

それでは、6日間の備忘録日記もこの辺で、
再見!





2008/03/29 (Sat) 江南6都市周遊モニターツアー6日間 第5日目上海
3月27日(木)5日目第6の都市は、国際商業都市上海。

「シャンハイ」だけは、日本語の漢字変換もそのままスムーズに変換できるお馴染みの単語だ。
前夜の晩餐では、「社長」と隣席した割には、あまり会話が弾まなかった。
そのレストランは、日本でも報道されたことのある有名な四川料理店だ。
有名な理由は、ピリ辛いバーボー豆腐ではなくその店のショーイングにある。
BGMにしては、大きすぎるビートの効いた現代風音楽に合わせて、レストランの中央でローラースケーターたちが、演ずる曲芸を見て楽しめるのだ。

リピーターの男性参加者によれば、3年前までは殆どのウェイターがローラースケートを履いていたそうだ。
従って、社長は、度々席を外しては、傍までデジカメのシャッターを切るのに余念がなかったらしい。

あまりにも華やか過ぎる店の雰囲気と辛すぎるのに品数が少なめであることに、あんまり満足感がなかった。
「踊り子って何だか切ないね・・・・」
「そうよ。踊り子は切ないよ。」

明けて、27日。
団体参加者は3名減って、15名になった。
午前中は、外灘と豫園。
外灘は、上海らしい景観を象徴するスポットのため、外国人観光客を狙ったみやげ物露天商がしつこく付き纏う。
そうした、不快感極まりない人々のお陰で不必要なオモチャと引き換えに財布の紐を緩めてしまう上に、嫌な印象がステキな景色を台無しにしてしまっている気がしてしまう。

田舎は田舎で地域格差があり、都会は都会で貧富の差が甚だしいのも中国だけでなく世界の永遠の問題なのだろう。
「千年、センエン!」
「サンエンですか?」
「タダなら買います」

街にはオリンピックTシャツもあれば、キューバ革命の申し子「チェ・ゲバラ」のデザインも垣間見えた。
ゆきんこだって生まれてこの方大阪だけど、
同じ商業都市といっても、大阪人の方が上海よりもビジネスセンスはあるんじゃないかと思ってしまう。

次なる観光名所「豫園(よえん)」では、しつこい商売人から逃れて暫し鑑賞気分に浸ることができた。
石畳といい、建築丸ごとが中様折衷のアーティスティックにうっとりした。
明代に建てられた豫園の見所は、中国様式の門構えに、欧式の手摺りが加わっているところ。

昼食までの豫園商場のショッピングも人込みだけで疲れてしまった。
さすがに、旅の最終日は疲労もピークに達するので、見るもの聞くもの食べるもの全てがMAXの飽和状態。
ちょっとでも商品に触れたら、店員が寄ってきて
「ヤスイデス」

経済や商売は、お客の満足感で決まるということを改めて知った上海流ビジネス。
その交渉スタイルは、オークションと全く逆で、売り手の方からどんどん値下げしてくるのだから、
一体、原価はいくらなのだろうと甚だ懐疑が膨れるというものだ。

日本の中では裕福ではないけど、無駄なもの、不要なものはいくら余剰があってもどんなに安くても
要らない。
寧ろ、お金では容易に手に入らないものを、どうやって手に入れるのか?
「手に入れる」というのは、私の心情に合わない表現かもしれない。
例えば、困ったときやいざという時に助け合えることは、他者を蹴落として生き残ろう、優れて富裕であろうとすることよりももっと大切で崇高な気がするのだけど。

私は諸葛孔明やら三国志の教えを全く知らない。
本当の賢人というのは、奢れることの怖さも知っているから実は小心者かもしれない。

しかし、旅のクライマックスはここ、上海でやってきた!
よくあることだけど、最後の自由行動で4時の集合時間を過ぎても現れない参加者が1名。
母と私など旅に不慣れな初心者は、「社長」の率いる4人組に引率していただき、結局、上海でも
日本でお馴染みの「ケンタッキー」でブレイクタイムをとることで、時間を過ごした。
運転手さんもツアコンさんも総出で、迷っているNさんを探しに出払い、その間、残された参加者が
心配そうに会話しながらで時を過ごした。
今時、「ビンボウだけど」と言いながら、海外旅行に興じられるのは、お金と時間を持て余す元気でイケてるインテリシニア世代には違いない。
そして、ピークを越えた初老賢人の知恵が結集した。すなわち、「明日はわが身」「他人事ではない」
参加者の慮りはことばとなって表出されていた。
「社長」率いる緊急対策本部が構えられ、すぐに公安(警察)にも要請した。

幸い、小1時間ほどでNさんは集合場所に戻ったのでこれもご愛嬌の旅のエピソードになった。
ことばの通じない海外で、「ここはどこ?私は誰?」というのがわからないと人の助けを要することになるのだ。
・・・といって、ことばのない社会的集団動物の方がずっと多いのだから、ニンゲンも動物ならば、ことばはなくとも通じればいいのだけど?

最後の上海の晩餐は、同じ旅行社のツアーでやってきた別のグループと鉢合わせした。
我々と正反対のコースで江南の6都市を巡回し、そのツアーグループは初日の晩餐ということだった。

初老の母との海外の長旅は、もうこれで終わりかもしれない。
旅先で、少々のハプニングはご愛嬌。
でも、100%命の保証はないのだ。
0%でない限り、結局無駄なんだけど、保険に入るし、それでフトコロを温かくしている金融ビジネスマンも元気な人々のお陰で生きている。

最後の晩餐の後は、OPで雑技団観賞に出かけた一群と「ザイチェン(再見)」と別れ、
ホテルで運転手さんにも「ザイチェン」と別れた。









プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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