ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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立派にではないが、凡庸に年を重ねて、気が付けば半世紀。
けっこう長く生きてきたんだな~と
姿見に増える白髪をかきわけつつ、

「ゆきんこさん、なぜ染めないの?」
「アレルギーで、ヘアマニキュアもすぐとれちゃうから。」
と弁解し、天然白髪の吉川晃司風を目指しています。

そんな私に近頃、同窓会の誘いが舞い込んできました。
N中学校3年6組の同窓生のMさん。
携帯メールには、「お会いできるのを楽しみにしてます」
と決まりの誘い文句。

う~ん、白髪頭で会うのもなんだし、メールだけでもいいんだけどな。
それから気になる情報も。
「Wさんがゆきんこさんを整骨院でみかけたそうですよ。」
え?
確かめたところ、過去ログでも綴った★駅付近の通い詰めた整骨院だったとか。
ぜんぜん知りませんでした。
でも、気づいてもやっぱり声かけないのかな。

しかし、同窓会に参加したい気持ちはなくはないのですが、
3年6組の最後の同窓会は、もう22年前の、
まだ独身で若かった20代後半の頃です。
♪話すことはたくさんありすぎるけど。。。

それどころではないイベントが今月起こってしまいました。

人生何が起こるかわからない、
あの未来がたくさんあった15歳だった思春期から、今は思秋期、更年期。
やんちゃで、反抗期で、ぜんぜん子どもだった、学ランにミニスカートの悪ガキヤンキー同級生たちが、
おじさん、おばさんなんて
想像すると面白いですよね。

そうそう。
ヤンキー先生だって、今や副大臣だし、
人生ほんとにわからないものです。
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先週の土曜日12日で、ペーパードライバー教習は全11回を終了しました。
ラストは、昨年1年間、通院し続けたS整骨院へ、高速道路を使って走行しました。
最終回はベテランのH先生で安心感いっぱいで運転できました。
逆に言えば、やっぱり実力じゃないです。
だって、助手席にサイドブレーキもあるし、先生の指示通りに、ハンドル切ったり、加速したらいいだけですから。
高速道路の走行は思った以上に簡単、楽ちんでしたけど。
やっぱり、自分独りじゃ、怖くて不安。

そして、翌日から教習車ではなく、愛車のmocoを使ってリアルなドライバーを目指し、
まだまだトレーニングが続きます。
今日は雨模様のため、当然、車通勤しませんでした。

当分の間、車庫入れトレーニングに励み、
まずは身近な道路で運転に慣れていきたいと思います。

今日は思いがけないギフトをいただきました。
実は、夏休みの初め頃、同僚のOさんに厚かましくリクエストしていた品です。

夏のある日、Oさんが事務所に会社のキャラクターの「ヤー坊」を持ってきました。
ヤー坊の作り主は、Oさんの息子さんです。
息子さんは、専門学校でモノ造りのエキスパートを目指しているそうです。
手先の器用な彼は、粘土細工で小さなヤー坊を作ってくれました。
私はその出来栄えの素晴らしさに感動し、
「私、おじゃる丸が大好きなの。息子さんにおじゃるの粘土細工作ってもらえないかな?」
と、厚かましくもおねだりしたのでした。

それから3か月以上も経ち、リクエストに応じてもらえないものと
そのままフェイドアウトしていました。

ところが、先週Oさんから
「ゆきんこさん、大変お待たせしましたが、できましたよ。」
と予告があり、本日、立体的おじゃる丸を頂戴しました。

Oさんはお菓子の段ボール箱におじゃる丸だけでなく、
更に本格的な大きなサイズのヤー坊の粘土細工まで
持参してくれ、スタッフの皆々から大絶賛を受けていました。

私も掌サイズのツインのおじゃるに大満足です!
Oさんによれば、一体目は少し失敗したので、
もう一体作ってくれたとのこと。
よく見ると、ほっぺたのふくらみ具合や、ピンクの杓を持つ手の角度が
少し違うくらいで、双子のような精度の高さです。

因みに、こうした才覚のあるOさんの息子さんの
将来の夢は、ジュエリーデザイナーとか。
夢がかなって、お母さんにオリジナルの宝飾を
プレゼントできるといいですね!

ありがとう。
大事に飾らせていただき、おじゃるに癒してもらいます。
昨年も突然、東京に赴く出来事があったのですが、
今年も11月の終わりから師走にかけて、1泊2日の東京へ臨時に出かけることになりました。

11月29日の夜
予てから、元の会社の同僚のおばちゃん仲間を誘ってサイゼリアでストレス解消の食事会に興じ、
珍しく午後11時を廻って帰宅し、郵便物を確認しました。
それから何気なくホテルの封筒に入った青いインク文字のお便りに、
てっきりDMとばかり思い込んで1~2日放置していたのです。

そろそろ寝ようかなと何となくその封筒を裏返し、差出人を見てみると、
あら?
住所は東京都
遠い記憶の父方の従兄の名がそこにありました。

書面は、父の姉である伯母の訃報を知らせるものでした。
12月2日通夜と3日には告別式を行うため、是非参列してほしいとのこと。

はてさて、私の場合、
両親が既に6歳で離婚し、父方の親族は他人も同然。
しかし、父の姉にあたる伯母の存在は記憶の奥底に眠っていました。

離婚後も私が成人するまで両親は共に暮らしてきましたが、
それは、父に全く経済力と社会人としての技能がなく、非常識な眉をひそめたい数々の問題行動。
仕方なく、母が私の父親を乞食にすることはできないと、
断続的に父からの暴力に耐え忍びつつも、家庭内離婚状態で、
父を扶養してきたのでした。

私にとっては、どこへもでかけていかない父というより迷惑な子どものような存在でしかなく、
母は大変苦労して、どうしようもない父と私を扶養してきた経緯がありました。


従って、父の生家の家族が、もう少し母を支援してくれてもよさそうなものでしたが、
子ども時代から冷遇されて育った父には、最早帰る故郷もなく、音信不通で消息もわからぬままになりました。

そんな中、父が慕い、また父をかわいがってくれたのが伯母だったのです。
私が子どもだった頃、伯母の嫁いだ雪国のお寺に、夏休みに訪れ、
実際、それが今生での最後のお別れとなりました。


当時、学生だった従兄が帰省していたので、私は年の離れた従兄に遊んでもらい、
伯母にもらったオルゴールとたぬきのぬいぐるみが宝物になりました。

これはいけないと、
深夜にメールを打って、翌日には父を訪れ、手紙の文面を読ませました。

「姉さんが死んだのか。これは行かないといけないな」

年老いて、室内をうろうろするのがせいいっぱいの要介護2の父を連れて
東京まで行かなくちゃ。
その時点で、ストレスはマックスになりました。

すぐ父に荷造りさせて、日曜日は喪服などの身支度で翌日の出立に備えました。
翌12月2日には、まず勤務先に電話を入れて2日間休む許可を得ました。
次に父のケアマネージャーに車椅子の貸し出しを要請しましたが、
夕方にならないと手配できないとの返事で、このことが、東京までの往復の道中を険しくさせました。

杖も持ってこなかったので、いきなり親とはいっても、要介護の人を旅に連れ出すのは、
かなり至難だったなと振り返ります。
それでも、アイソン彗星のごとく、この機会を逃せば、もうあとはありません。

タクシーを何回も乗り継ぎ、切符を買って改札を通り、ホームのエスカレーターまで歩き、
なんてこともないこの行動が、これほどまでにしんどいものかと、
お年寄りの皆様の辛苦を味わい尽くした道程でした。
大勢の人々が行きかう新宿の横断歩道がすぐに赤信号に変わってしまい、とても長く遠く感じられました。


そんな中でも、久しぶりに新幹線にも乗れて、童心をあらわにした父。
エレベーターや電車の乗り降りでは、道を案内してもらったり、居合わせた通行人の方々とおしゃべりしたり、
葬儀場の若い係のお姉さんに恭しく遇していただき、かなりお世話になりました。
父は終始「う~ん、東京の人たちはなかなか皆親切だな」
「これも姉さんのおかげだ」
と疲れた中にも、楽しんでいました。

午後3時半。
新宿駅から最寄りの大きなホテルに到着し、車椅子を借りることができました。
さらに小1時間かけて葬儀会場まで移動して、夕方5時過ぎに本家本元の伯母の遺族の方々に対面する機会がやってきました。

なにせ、従兄のSさんと実に36年ぶりの再会です。
そして、もう一人の従兄であるSさんの兄のAさんとは実質初対面でした。
当然、2人の従兄の奥様方と成人された子どもたちとも初対面。

「初めまして。でも私、伯母さんに似てるでしょ?」
「生前、ずっと叔父さんに会いたがっていたんだよ。孫たちにも関西に親戚がいることは話していたんだ。
今年、生家にゆきんこちゃんから年賀状が届いていたと聞いて手紙を出して、やっとつながった。」
「私も去年、父が伯母様に会いたがっていて手紙を出したんです。でも、宛名不明で戻ってきて途方にくれていました。」
「そうか。。。それが無事に届いていたら、生きているうちに再会できたかもしれないね。」

伯母は他界するまでの20年間アルツハイマー型認知症で、人格も崩壊していたそうです。
無理もありません。
20歳で嫁いで、ただお寺を守るために献身しただけの生涯でした。

祖母、伯母、私と流れている遺伝子を想像するに共通点が浮かび上がってきました。
伯母は面倒見がよく、高校教師としても活躍していたこと。
筆まめだったこと。
同じところにホクロがあること。

棺の中の亡きがらに
「伯母さん、父をかわいがってくれてありがとうございました」と花を手向けました。
どうか極楽浄土で安らかでいてください。
遺族だけの家族葬はシンプルでからりとした雰囲気で終わりました。

12月にしてはうららかな小春日和の告別式でした。

後日談としては、
午後3時に帰路に着いたのですが、電車を何本も乗り過ごして帰宅が10時を廻り、クタクタになりました。
翌朝は、腰が動かなくなり、4時30分に起床できませんでした。
明日はがんばって、職場に復帰します。

喪服のおつきあいよりも、普段着の気楽なつきあいがやっぱりいいですね。
平凡な主婦の日常は、特にこれといったこともなく、安穏と過ぎていきます。
それでも、地球は絶え間なく太陽を規則正しく周っているので、春は廻ってきました。

雨上がりのエイプリルフールですが、ほんまにダウンジャケット来て、休日出勤でした。

現在、お世話になっているアルバイト先の会社でおかげさまで半年勤務させていただいています。
先頃、会社はプライバシーマークを取得し、守秘義務は厳重になっているため、ブログに綴ることは以ての外とのお達しが出ています。

それでも、嬉しかったこんなことくらいはいいのかな?
2月に引き続き、3月もしばしば持病の慢性腰痛で休みがちだったので、顔なじみの同僚にはしばしばこんなおことばをいただきました。

「最近、お会いしませんでしたね。」
「ありがとうございます。実は、ぎっくり腰がクセになっていて、時々起き上がれずに休ませていただいていました。」
「大丈夫ですか?お大事にね。」

こんな些細なことですが、やっぱり今の会社は優しくて親切な同僚の方が多いので嬉しいです。
しかも、同僚だけでなく、上役の正職員の方々にも
「大丈夫ですか?」
「どうですか?」
と心配していただくほどでした。

しかし、いくら会社が親切だからといって休んでばかりもいられません。
持病になりつつあるしつこい慢性腰痛を根治させると目標を掲げ、★駅付近の整骨院に毎日通院しています。
こちらの整骨院も実は、ある同僚の方に紹介していただいたのですが、その後も親切にも勤務で顔を合わせる度に
「通ってみてどうですか?」
と私の容態をずっと気にかけてくださっていました。

治療費は累積するとかなりの額にはなりますが、それでも、1回5000円の保険診療の利かないカイロよりはずっと安価で、1回10分程度で600円とまずまずの施術を受けられます。
通院して1か月で、まだまだ痛みは取れてきませんが、歪んでいた骨盤や背骨の捻じれも少しずつ正常な位置に戻ってきました。
毎日コツコツ通院するうち、この整骨院の若い院長や柔整師のお姉さんとも親しくなってきました。

ある日、待合のベンチで懐かしいスポーツ漫画を読んでいたら、
「おっ!『エースをねらえ』読んでるね」
「現役世代だったころのマンガだから、懐かしくてね。それに私、高校時代漫研だったんです。」
「へえ、それは知り合いと話が合いそうだな。」

知り合いとは誰のことなのか、その時はわからなかったのですが、
結局、院長の相棒である同僚の女性柔整師さんのことだったのです。

施術を受けている間も、1980年代を風靡したマンガ・アニメの話で盛り上がりっぱなし。
女性の柔整師さんの書棚には、珍しい中古漫画の愛蔵版がざっと1000冊は所蔵されているのだとか。
話の流れで、高校漫研当時の同人誌をお見せすることになりました。

実家からいそいそと引っ張り出してきた古ぼけた同人誌を年下院長とそのまた年下の女性整復師さんのお目にかけて、当時を思い出しました。

いつの間にか、小学校から大学まで同窓だったSさんとは、社会人になってからは一度も会っていません。
当時のクラブ仲間も、今はどうしてるんだろう?
結婚して、子どものいる人もいれば、まだ独身の人もいるだろうな・・・

4歳年下の院長さんが、
「このページがゆきんこさんの自己紹介やろ?メンバーの中で、他の画風とはちょっと違っていていいなと思ったよ。」
「そうですか!?念入りに見てくださったみたいでありがとうございます。」
「漫画の画風よりも、活動や部員同士のやりとりとか、ボヤキみたいなのがプロのマンガと違って面白いですね。」
「このお菓子持ってきてるのは私ですね。昔も今もお菓子好きなのは変わってないです。」

本人の自覚する特徴として「ねこぜ」と書いてあり、姿勢の悪さもこれまた相変わらずです。

その後、大学に進学してブラスバンド漬けと心理学に勤しむ4年間を過ごすことになり、漫画を描く習慣は殆ど消去されてしまった。

そして、新しいマイブームを何となく探し続けています。
最近、TV番組が全般つまらないのですが、暇暇につまらないながらもダラダラと流し見ていることが多い。
そんな中で、ちょっとしたマイブームといえば、放送大学の視聴です。

アルバイト先の会社では、大半の主婦に交じって現役女子大生が健気にも学業の傍ら勤務していて、
年の差半分の平成生まれの彼女たちとの交流もちょっとした楽しみです。

去年の秋ごろ、H駅の改札付近で背後から不意にある女子大生が声をかけてきてくれました。
メガネのアラレちゃん風の彼女、とても聡明で、一流大学で理工学部に所属しているとか。
ある日、「ねえねえ、教科書見せてくれない?」と頼むと、
とても理解不能な難しいテキストを見せてくれました。

そういうアラレちゃんの影響を受けて、放送大学の講座では敢えて苦手な物理や化学の講座を視聴するようになったというわけです。
もちろん、もう40半ばともなると見てもわかんないのですけど。

この年になると、
あの頃は若かったなとか、
あまり物事を覚えるのにそう苦労なかったなとか、
やっぱりその時代、その年齢でなければできないこともある。
でも、適齢期を逃したとしても、その気になれば、いつだって何だってある程度はやり直せるかもしれない。

過去志向ではない自分でありたいのですが、
未来は過去の延長上にあることを否めないことを自覚しつつ、放送大学に新しい気持ちと懐かしい気持ちで視聴しているのです。
水無月に入り、早くも5月下旬には梅雨入りした気象情報により、本日も雨でした。
昨日5月31日は、台風2号が過ぎ去ったもののどんよりとした曇り空。

午前11時。
リニューアルしてまだ1か月経たない大阪駅の改札口に同世代の主婦5名が集まりました。
「久しぶり~」
「おかえり。いつ帰ってきたの?」
「たった今。」
「今!?」
「昨日臨時の仕事入って4時までやってたの。おかげで寝不足・・・」
「それは、大変だね。実家に帰ったらゆっくり寝てよ。」
「うん。新しい大阪駅。なんだか空港みたい。」
「あ、この時計台だ!ポスターに写ってたの。」

遠方から帰阪したOちゃんを迎えて、リニューアルしたばかりの大阪駅へ「天空の農園」を見物しようということになりました。
主婦業には、プラスアルファで園芸やら家庭菜園の手入れがつきもの。
天空の農園はこじんまりとした畑にひととおりの野菜や果物、ハーブが栽培されていて、何となく「これならウチでもできそう」っていう気にさせてくれます。
「いちご赤くなってる!」
「これは、ブドウね。子ども連れでブドウ狩りが楽しめそう」
などと、感歎のことばが口をついて出ました。

農園を後にして、徐にOちゃんが私の服装をほめてくれました。
自宅や近所では、ポロシャツにジャージとどうでもいい服装をしているのが常ですが、いつになくオシャレしてみました。
深緑の麦わら帽子に、若草色のサマーセーター、ちょっと変わったプリント柄模様のグレーのサテン地のフレアスカートでコーディネートしてみました。
「ゆきちゃん、今日のファッション今の季節にピッタリで素敵。」
「どうもありがとう。今日は皆に会えるし、どうしてもこのサマーセーターとスカートにしたかったんだ。今日を逃せば、もう来年以降はこんな恰好できないと思って。」
「大丈夫。年齢なんて気にしないで好きなファッション楽しめばいいじゃない。学生時代から体型が変わらないね。」

話題は、大阪人の特徴、GWの旅行のお土産話、東日本大震災にまつわる話題、お互いの近況、介護と教育、資格試験と就職などなどに終始しました。
40代ともなると、今はそこそこ元気でいてくれてもいずれやってくる夫と自分の親の介護問題と、
いよいよ年頃食べ盛りの10代の子どもの進路と教育問題に板挟みになってくる年代です。
それでも、バブル景気を知っている世代は、30代世代とは切実感が違います。
なんとなくのほほ~んと学生時代を謳歌して、あんまり将来の明確なビジョンがなくても、
すんなり就職できた世代ですから、ありがたいと思います。

「こんなかわいいお店したかったな~・・・」
「一人暮らししてみたいわ」
若いバブル時代以来、家族抜きで可愛らしい非日常的ショッピングに興じつつも、買うのはやっぱり家族の品々。
売れ筋商品としては、節電に備えて、小型扇風機やひんやりグッズとアロマのリラックス商品が目立っていました。

ラクアという新しいショッピングビルをブラブラ抜けて、お馴染みの地下街ホワイティうめだへ
「歩き疲れたし、そろろろお茶しよっか。」
アフタヌーンティの奥の座席をキープして、お茶とケーキセット、おしゃべり三昧を5時前まで楽しみました。

それぞれ抱えてる悩みやストレスはあるけれど、
何が嬉しいといって、それぞれ家庭を営みながら、元気に働いて、
年に数回は、時間をねん出してこういうひとときを共有し、味わえることです。
会うごとに知らず知らず笑い皺と白髪がお互いの顔に増えていき、
「え~と、何だっけ?ことばが出てこない。」
なんてセリフも増えてきて、
「子どもってすぐ覚えてしまってすごいわ~!」
「私たちもそうだったのよ、子ども時代は。」
「そうよね。」
「今時、家族バラバラで孤独な人も増えてるから、年をとっても友達ってとても大切よ。」
「不満や愚痴を聞いてもらったり、おしゃべりするのって認知症予防になるよね。」

と適当にフォローしあえるのが、中年力でしょうか?
おばあさんになっても、何度でもまたこうしてお出かけして集まりたいです。
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