日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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母から受けたKさんのエピソード
2008年10月09日 (木) | 編集 |
午後6時から母との夕食を食べながら「かんもく」の話題になった。

滅多にお目にかからない「かんもく」の人々が、ブログでリンクをはじめてから次第次第に日常茶飯事になりつつあるゆきんこの人生。。。

それは、ブログやネット上だけでなく、現実ともリンクしていくだろうというゆきんこなりのボトム・アップのアプローチでもあり、当事者の方々に対する有形無形の過去の懺悔でもある。
それは、私の生業として無意識に見過ごしていた罪を誰もが背負っているのではないかという懺悔だ。

私は、若く容姿端麗なKさんにお会いしたのは、認知症もどきの母と話をしても何年前か明確に思い出せない。後にも先にもその時、たった一度だけだった。
その時のKさんの印象がまるでない。

Kさんと、母、母の同僚のIさん(故アムロの飼い主さん)、Hさん(ゆきんこの同窓生の母)そして
ゆきんこという5名のメンバーで、付近のレストランで「お別れ会」のランチパーティーを催したのだ。

何のお別れ会かといえば、母が25年間運営してきた小さな無認可の簡易保育所を閉所し、この保育所に勤務したことのある職員が集まったのだ。

ゆきんこの場合、10年前に自閉症の療育施設を退職して、言語障害の専攻科に進学を決めたのだが、入学するまでの1ヶ月間アルバイト保育士をさせてもらった。

その数年後、Kさんは、母の保育所にアルバイトという名目でやってきたので、私はKさんと一緒に働いていたわけではない。
Kさんは、ある事情があって依頼を受けて母がお預かりしていた娘さんだった。
母がKさんの御母さんから間接的に共通の知人に頼まれ、Kさんにバイトをしてもらうことになった。
当時の推定年齢は中学卒業後、高校進学はしなかったので、16歳だろう。

母はKさんのことを「こんなに綺麗な子がいるだろうか」と女性から見てもうっとりするくらいの美貌だったと強調して形容した。

保育所管理者だった母によると、Kさんのはじめの仕事振りは、はっきり言って保育どころではなかった。
Kさんは、バイト時間の大半を小さな畳の保育室にじっと正座をしたまま、動くことも話すこともしないで過ごしていたらしい。
Kさんの微動だにしない様子に、ことばを発し始めた数名の乳児・幼児たちとじ~っと見詰め合っていた。

しかし、母をはじめ、同僚保育士のIさんとHさんも彼女に特別の干渉もせずに、淡々と普段と変わらぬ
保育を務めた。
Kさんは、話すには話せたが、母だけに耳元でそっと小さな声で話したという。
母は、そんなKさんにできることから少しずつ仕事を与えていった。
Kさんの得意は、イラストを描くことだった。
Kさんは、保育室の壁面飾りや手作り絵本の作成に力を発揮した。

ある時、母はKさんに子どもたちに絵本の読み聞かせを頼んでみた。
その時、Kさんは子どもたちの前ではじめてことばを発したのだ。
「これ、ゾウやで!」

しばらくしてKさんは、デザイン好きという趣味を活かしてネイル・アートを習い出し、保育所のバイトを終えた。

後日、母がKさんのお母さんに再会する機会があったのだが、Kさんの御母さんからその時Kさんの面倒をみたことについて、感謝だとか、特に挨拶らしい挨拶もなかったことも、妙に印象に残っているようだ。

それから、数年経った現在、「Kさん」を知る母の知人から今頃になって「Kさんの話」が再浮上した。
それは、今日母が出かけたサークル活動のメンバー間での話題となった。
サークルのメンバーは、殆どが引退した嘗ての保育・教育の同業者だ。
母は、当時の保育所で過ごしたKさんの様子を回顧してメンバーに話し、彼女は恐らく「かんもく症」だったのではないか?と持ち出した。

すると、メンバーのひとりがKさんの学齢期のことを思い出したそうだ。
やはり、Kさんは学校で「話せない子ども」として教育者から認識されてはいたようだ。
しかし、やはり問題視はされずにいた。
Kさんは小学校3年生で不登校に陥った。
不登校の間、親族の中にも学校関係者がいたようで、家庭教育を受けたのだが学力も落ちていったそうだ。
そして、Kさんの母親もまた、保育園の園長という子どものプロであるにもかかわらず、Kさんの学校での様子をどのように受け留めていたのか?知っていたのかどうかさえ、闇雲だったと推測される。

母は、Kさんの情報を提供したその人に、Kさんとその御母さんの消息の手がかりまで尋ねた。
しかし、学校関係者であったその人も、今更、Kさんについてそれ以上は言及したくないという微妙な反応を示したそうだ。

こうして、Kさんの謎は謎のまま、話題に上らなくなってしまう。
誰も「Kさんはなぜ話さない子どもだったのか」、「どうしたら話せるようになるか」まで、追究しようとしない。
仮に、「かんもく症」ということばはどこかで知り得ていても、目の前にいた「話さない大人しい子は、かんもく症」かもしれないというセンサーが働かなければ、家族はもちろん、学校関係者にも当然、見過ごされてしまうだろう。

できることならKさんにもう一度会ってみたい。そして、私の近況を伝えたい。
Kさんも、たった一度だけ会食を共にした私を憶えていないだろう。

現在20代前半になったKさんが、ネイル・アートの世界をきっかけに、話せるようになったとか、
その後、結婚して幸せに暮らしているらしいという伝聞に、第4者の私は、ただその伝聞通りであって欲しいと祈念するだけだ。



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2008/10/09 19:55 | 緘黙 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ひとりよがり
2008年08月31日 (日) | 編集 |

昨日、自宅を出発して約2時間。
午前10時30分半年振りにJR神戸線に乗り、はじめての駅で降車した。
昨年通ったハーバーランドを通過して、須磨浦の海を眺めた。
不思議と水面をみているだけで少し穏やかになった。

さて、「穏やかになる」のは脳内でどんな科学変容が起こっているのだろう?
JR東加古川駅に降り立つと、ほんわかした町のムードが漂ってきた。
改札口には最寄の大学のオープンキャンパスの案内看板が表示してあった。

バスターミナルで専用マイクロバスに乗り込むと、恥ずかしながら浮いている自分を感じつつ平静を装った。
他の乗客は、キャピキャピの現役コギャル。
乗ること10分で大学の入り口に到着した。
「受付でアンケートに記入してください。」
「あの、受験生ではないのですが、こちらの専任講師の方が知人で、ご案内いただきました。」
「そうですか。では、よろしければ講義棟までご案内します。」

いつもなら気さくに何か話しかけようとオバタリアン根性を出してみるのだけど、
昨日の続きで凹んでいるので男子学生の後を無言で追随した。

「ゆきんこさん!?」
「K先生!!」
「まあ、よく来てくださいました。おひとり?」
「はい。昨日までバタバタしていて結局お誘いできませんでした。」
「遠いところ、来てくださって嬉しいです。2号館の2階なんだけど、今教材の準備中なの。」
「では、そちらでお待ちしています。」

この3月まで教職員大学院で親しくしていたK先生が、修了後H大学の講師に就任された。
オープンキャンパスの公開体験授業を担当することになり、昨日ご招待いただいた。
演題は「生命のサインをとらえる -脈拍・体温・血圧-
受験を志望してやってきた高校生から一般向けにやさしくわかりやすい実習だ。

実際に体温計・指先での脈拍のとり方・血圧の測定を実習した。
いずれも身近な計測物だけど、講義室となると改めて新鮮な気持ちで体験できた。
K先生のお弟子さんがアシスタントでペアになってくださった。

特に血圧計は、いつもはクリニックで手早く看護師さんに測定してもらうのが常だけど、
自分で相手の腕を測定するともたついていた。(だから、不器用)
女学生さんの聴診器を通して心臓の鼓動の音がドクドクドク聞こえた。
その鼓動の音と脈拍計の水銀が小刻みにリンクして上下に揺れた。
「へぇ・・・心臓の音ってこんな音ですか。生きている音って不思議ですね。」

ゆきんこのワーク☆での5ヶ月間は終わっても、私の心臓が動いている限り、
こうしてK先生に再会することもできれば、ブログにその出来事を綴り、
誰かに伝えて、わかってもらうことができる。
ありがたいことだ。

「どうだったかしら・・・ちょっと初めてで緊張しましたが。」
「いえ、先生とても落ち着いた口調でわかりやすかったです。それに、身近な問題なのにとても新鮮でした。楽しかったです。」
この大学の卒業生で現役養護教諭(保健室の先生)がK先生に近づき、挨拶を交わした。
娘さんはまだ中学生だが、御母さんと同じ職業を夢見て将来受験される決意をしたそうだ。

今時の若い人たちもしっかりしているのだなあ。
ゆきんこの場合、中学時代には、心理学を専攻し悩んでいる人の相談に乗りたいと思っていた。
それから、彼女たちの御母さん世代になってみて自分の半生を振り返ると、あたらずとも遠からずという周辺をうろうろ彷徨って、閉ざされた門の前でジタバタしてきた気がする。

心理学を学びたい。
それは幸せに寄与する科学だという憧れがあったからだ。
どうして泣いてばかりきたのか、
どうして父は働かず家でガラクタばかり作って時間を潰しているのか
母の留守には目の色を変えて私を竹の棒で叩くのか
私は誰もいない部屋で一人で泣き、母の帰宅までには平静にしていた。

悲しい過去を穿り出して自己憐憫に浸る時間を無益だとこれまで何度も自分を奮い立たせてきた。

「それじゃあ、お部屋へどうぞ。」
研究棟の非常階段をかけあがり、K先生は研究室へ案内してくださった。
「うわ!素敵なお部屋です。大学の教官ともなられると個室があるんですね。
ここでゼミもされるのですか?」
「ううん。大抵一人で居残って残務しているから、なんだか落ち着かなくて寂しいのよ。
それに、食堂へも行かないの。だって大勢のなかでたった一人で食事するのは孤独よ。」
「先生、まさにそれがかんもく症の人の姿です。」
「あなたが送ってくださったシンポジウムの案内拝見しました。
ああ、そうだわと思って、私の文献も改めて調べなおしてみたの。
よく送ってくださいました。こうして知らせてもらわないと気づかずに忘れてしまっていたことを
思い出したんです。」
「先生、ありがとうございます。」

K先生は、昨年までは地元で養護学校(特別支援学校)で長年、障害児教育に従事してこられた。
学校心理士として、保健室登校や不登校生徒の相談も歴任され、現在は養護教諭(保健室の先生)を目指す学生を指導していらっしゃる。
私が授産施設でバーンアウトした経緯にも熱心に傾聴してくださり、労ってくださった。
「聞いているだけで、昨日までの日々がどんなに大変だったでしょう。養護学校では1対1対応の重度障害の方を一度に3人も担当するなんて無謀ですね。しかも、クリーニング業務を行っている
他の班と反目しあっていたというのも、頷けます。養護学校でも同じようなことがありますね。
重度の方の支援はやったことがなければわからないわね。」

続いてかんもく症のことについても懇切なコメントをいただいた。
「私も実は、相談センターに勤務していたときにかんもく症の方にお会いしたことがありました。
彼らは、知的障害や発達障害でなくても、明らかに特別支援の対象です。私が若い頃には、教職員は知っていたと思うし、研修のテーマにも掲げられていた時代がありました。だけど、いつの間にか次第になくなっていったのね。誰にも気づかれないうちに・・・かんもく症児がいなくなったのではなくて、
取り沙汰されなくなって忘れられていった、取りこぼされて犠牲者にさせられたということに、はっとしたんです。これはいけないことだと。」

「そうです。どうして大学院でそういってくださる先生にお会いできなかったのでしょう。臨床心理士コースの修了生にも何度もチラシを渡しました。当事者はいってみれば、存在しているのに書面からその文字を削除されて抹殺されたようなものです。だから、私が思うに、教職歴30年から40年の先生の世代の方々とそれ以降の教職員の方々の間にかんもく症についての知識の有無にギャップがあったと思います。」

「特別支援教育というのは、私は教育の基盤だと思っています。だから一人一人の困った問題に対応する教育の対象として、学会が緘黙症に注目したのは画期的なことだったんでしょう。学会の専門誌上に緘黙症の文言が載るということだけでも、今後は全然違ってくるはずです。そして、保健室の養護教諭は必ず備えておかなければいけないことですね。かんもく症だけでなく目の前のどんな問題を持った子どもに対しても適切な対応が必要です。ところが今は発達障害や自閉症だけが当事者が増えたので、それだけが特別支援の対象だと勘違いして大騒ぎしているけど、少なくても他の障害もあるってことを軽視しているのね。他にも、チックとか一般に知られていない障害はたくさんあるけど、知らなくていいということではないわね。」

「先生、ありがとうございます。報告させていただいても構いませんか?」
「いいですよ。あなたの知り合いに養護教諭を目指したい人がいたら紹介してください。」

記憶は変容し、やがて埋没して再生・再認不可能となる。
おんきせがましいと言われても、私は恐る恐る記録する。
そして、場当たり的な下手なやり方でもソーンダイクの猫みたいに、試行錯誤すればヒットすることがある。

注目されずにこっそりと、でも、ありのまま自由気ままに綴るのがゆきんこ流。

忘れたい古く遠いココロの瘡蓋は書かなくても、いつでも何度でもリピートして涙ぐむことができる。
でも、忘れたくない今、忘れてはならないことばは、明記しておきたいのだ。
忘れられない数々の刃物につきつけられたような台詞に積み重なって頭にこびりつき、悲しい記憶になったとしても。

さて、ここで深呼吸したら脈拍変わってリラックスするかもね。
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2008/08/31 16:18 | 緘黙 | Comment (3) Trackback (0) | Top▲
名刺配りは一期一会
2008年07月06日 (日) | 編集 |
午後4時半
池添先生の講演が終わるや否や、私は躊躇う気持ちを押して名刺を一枚取り出した。

くるりと会場を振り返ると、見覚えのある女性の姿が目に留まった。
「こんにちは。S保育所の先生ですね?」
「あ~!?」
「ゆきんこです。アルバイトでS保育所に勤務させてもらっていました。」
「久しぶりですね。お元気ですか?」
「はい。先生、今もS保育所に?」
名前は度忘れしてしまった保育士さんは、4年前当時、隣のクラスの担任だった。

「(ゆきんこ)先生はどうしていますか?」
「障害者授産施設に就職しました。それから実は、こんなことをしています。」
私は、池添先生渡したかったはずの名刺を差し出した。
「すごい~!活躍しているんですね!」
「苗字も変わって結婚しました。」
「羨ましい~」
「ところで、あの当時、先生が担当していたクラスにかんもくのお子さんいらっしゃいましたね。」
「ああ、Aちゃんのことかな?」
「先生、もし関心があれば、HPをご覧になってください。PCはどうですか?」
「あ~、ごめんなさい。私、PCは苦手で殆ど使わないの。」

入り口で保育士さんと別れて、池添先生の姿を探したが見つからなかった。


次に向かったところは、同じフロア内の福祉図書コーナー
過去10年は失業の度に、出没していた癒し空間だったけど、
この4月から受付のスタッフが入れ替わったらしい。
お馴染みだった視覚障害の女性と聴覚障害の女性も異動になったようだ。

そこで、借りた本は、
『発達と障害を考える本 ふしぎだね!?言語障害のおともだち』
牧野泰美 監修 阿部厚人 編 ミネルヴァ書房(2007)

受付で貸し出しカード見つからず、もたついてしまった。
新顔の柔和な女性スタッフが、やさしい口調で言ってくれた。
「新しいのを再発行しましょうか?」
「そうですね。名前も変わりましたので・・・」
「住所・氏名を記載したものを見せてもらえますか?」
「じゃあ、名刺を・・・」
私は女性スタッフと車椅子の男性スタッフに渡した。
「かんもくって知ってますか?」
「いいえ。」
「では、折角ですからこの機会にもらってください。障害のある方々かかわる人にも、殆ど知られていません。HPもご覧になってみてください。」

私は借りた本の監修者と編者のプロフィールに目を留めた。
「牧野先生は特殊教育学会に所属しているんだ・・・」

午後5時30分。
H駅に向かい、タイムリーに到着した特急に乗り込んだ。
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2008/07/06 13:12 | 緘黙 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
MISSスランプ
2006年06月04日 (日) | 編集 |
先週めいっぱい働いて、学校に通って、
忙しいのは私だけじゃなく、もっともっと忙しい人もたくさんいます。
睡眠時間を削ればそれなりに捻出できないわけでもないですが、
帰宅が毎晩11時半で、お腹が空くからお味噌汁をチンしてホッとして、
それから明日の身支度の準備とか時間割、
歯磨きに洗面などをしていたら、真夜中の12時。

家は狭くて、PCの横に母が布団を敷いてしまうと
もう寝かせてあげないとかわいそうだし、
朝は7時になる前に起床しないと、お弁当も作らないといけませんので
全然メールを見ている時間もありません。

今週、土日の連休で、おまけに同居の母が仲良し12人グループで
美山のかやぶき民宿「とみ家」さんにホームステイ旅行へ出かけてくれたので、昨夜から終日、PCの前で宿題の研究論文検索に勤しむことが
できました。

昨日午後5時過ぎまで、6月の修士論文昼間発表に備えてまずは
先行研究論文を検索していて、特に「緘黙症」に関する内容を調べていました。

さて、この1週間の経緯と、検索内容をご紹介しようと、
午後6時すぎから約5時間もアホみたいにブログに綴っていましたが、
何しろゆきんこはメディアリテラシーが大したことない。

ちょっと別のサイトにアクセスして、また続きを書こうと思ったら
なんと、5時間かけて綴った文字が消えうせていました。。。
「もう寝よう・・・」

昨夜視聴した「宮廷女官チャングムの誓い」では、
権力争いの陰謀の果てに謀反の罪でチェジュド(済周島)に流罪に
なったチャングムが、そこで出会った医女に師事しながら、
修行に励んで、いつか王宮へ戻って復讐することを企てているという
お話でした。

さて、2年前ゆきんこがある意味、一念発起し、臨床心理士を目指して
いいおばさんなのに社会人大学院に臨んだのも、似たようなリベンジがその原動力になっていた。

いつまでも独身のままで、恋愛らしい恋愛もせず、
「選り好みしてんじゃないの~!?」
と、保育士仲間からは言われ続けてきた。

2年前の春「私、大学院を受験する。」
と両親に宣言すると、二人は同意してくれた。
1999年に言語障害の専攻科を修了したものの、
使い捨て保育士として右往左往しながら、
半分くらいは人間不信と鬱状態で
保育所を転々としてきた日々を知っていたからだ。

今の仕事もその延長上みたいなもので、
ヒトトコロにじっとしていると追い立てられるように
「査定がクリアできない」
「締め切りまでに目標達成!」
などなど、上司の上司からはっぱが掛かってくる。

それをいちいち真に受けていると身が持たなくなるので、
そこは自己コントロールだ。
「ゆきんこちゃん、大きな声では言えないけど、
誰もいないところで、上手に息抜きしなさいよ。」
と、がんばりやさんで姉御肌のBさんが励ましてくれる。

5月26日にBさんと同行してレストランで食事を共にした。
「ゆきんこちゃん、今この仕事をしていることは人生の無駄には決して
ならないよ。あんたの人生の目標が他にあるのなら、今すぐじゃなくてもそっちの方に行く日が来ると思う。」
「私、Bさんが声をかけてくれたのはやっぱり縁があったと思うし、
一緒に働きたかったから、後悔なんてしてないよ。」
「あんたは、こんな街中に育ったと思えないくらいほんわかしてるから、田舎の方があってるんじゃないの?」
「転校する度、よく言われたよ。どこの田舎からきたん?って。」

大学院に進学したことで、
それまでお付き合いしてきた方々と疎遠になり、
出かけていった先で新たな出会いも増えたように思う。
そこで出会った多くの先生方自身の人生のプロセスに触れ、
一人一人の先生方もまた多くの生徒やご家族の方々との
かかわりの中で悩んだり、辛い思いを乗り越えて、
疲れきった顔を合わせながら、同じことを共有する時空間を
噛み締めている。

で、ブログが更新できないし、相変わらず不人気な内容なので
気ままに綴っていますが、
緘黙症について調べたことを少し報告したいと思います。

もっと真剣に取り組めたらいいのですが、なかなか凡人の域を出ない
宙ぶらりんな人生行路を余儀なくされているので、
どうか「自分のできる範囲で」ということでご容赦ください。

日本における緘黙症に関する研究論文は、130件あまりあることが
わかりました。
一般の大手の専門書などにはまだまだ文献は少ないですが、
学術機関には少なからずあるようです。

1.まずは国立大学法人のHPにアクセス
2.そこから図書館のサイトに入る
3.論文検索の専用サイトをクリック
因みに私が行き当たったのは[CiNii]という研究論文サイトでした。


昨日調べたのは、1998年に在籍していた特殊教育特別専攻科で
お世話になったことのある2名の指導教官の先生方が養護学校の
先生方と執筆された2005年9月の実践報告の最新の研究論文です。

執筆者のY先生は、脳神経医学
F先生は不登校児に対する絵画療法がご専門の先生です。

「養護学校における個別の特別支援教育(1)-場面緘黙症の生徒に対して
-」
事例は、知的障害および場面緘黙症と診断された養護学校高等部の
女子生徒A子で、高等部に入学してからの3年間の取り組みの経過を
それに連携的にかかわったクラス担任、進路支援担当者、プレイセラピー担当者、養護教諭、精神科校医の記録に基づいて要約するとともに、
場面緘黙症の生徒への教育支援のあり方について若干の考察を加えた。

詳細については、HPを御覧になっていただければ、と思いますが、
驚いたのが、A子さんが入学してから就労するまでこんなに手厚い内容且つゴージャスなメンバーを取り揃えてのサポートが、今の日本の現状で
可能なのか!ということでした。

もちろん、「個人情報保護法」などもあり、まずは「私は~で困っています。研究論文の対象になってもいいですから治してください。」
と、クライアントが自己申告と勇気あるボランティア献体になってくださることが条件で成立する話。

記述によると、A子さんは幼少時より母親からネグレクト(育児放棄)を受け、特に母性愛に欠けていたので、家族愛の代償となる養護教諭の
存在が最も重要だったと述べられ、更に、教師集団が対応に困ったときには随時、精神科医との綿密なアドバイスの元に長期計画を実践できたことが、通常冷淡なタッチで記述されることが多い論文にしては、
なかなか情熱的に、いいアプローチと「グッドな関係」をキープしたことにウェイトが置かれていた。

A子さんへの心の支援策のひとつに「集団コミュニケーション・プレイセラピー」を週1回2年間継続して実践された経過も興味深かった。
はじめは、緊張して遊びに参加しなかったA子さんだが、
終盤には、笑顔で集団に溶け込むことができるようになったそうである。

他にも岐阜大学・富山大学・筑波大学の発達臨床心理研究室などで、
場面緘黙症を対象とした研究論文は2000年以降に発表されていました。

先週の水曜日、5月31日午後10時前のことです。
夜の学校から大阪駅まで、ある現役セラピストの女性とJR神戸線の電車に揺られ、会話をしました。
私が落っこちた教育臨床心理コースに見事合格した彼女によると、
現職で実際にクライアントを持ちながら第1線の大学教官に心理療法を学べる国立大学法人で、しかも夜間開講というのは元町のこの学校だけだとか。


だから年々高倍率の競争率もこんなご時世で激化しているから、
改めて彼女の学業振りを直に聴かせてもらえてのは、ラッキーで
アルバイトで落ちこぼれの障害児加配保育士の私には
手の届かない高値のコースだったんだなと思いました。

「ところで先生、緘黙症の方を治療なさったことはありますか?」
「ええ、小学生の方で2~3人、担当したことがあります。」
「どのようなことを心がけてアプローチをなさいましたか?」
「そうですね。貴方の心の中に入っていかないわよ。でも、
困ったときには役に立ちたいの。そんなメッセージを送り続けました。」

「私は去年の8月からブログを作っています。最近、緘黙症だった
方々と交流するようになりましたが、彼らは教師の認識が薄いことと
社会的認知が広まらないことに憤り、悩みを打ち明けられずに人知れず
困っているようです。何とかお役に立ちたいのですが、
私自身も、去年仕事でバーンアウトした上に、今は会社員として、夜は
前職の幼年教育について学んでいるという全くちぐはぐな状況なのです。」

「ブログで緘黙症の方と交流って?私にはそんな発想がありませんから、なんだか新鮮だわ。だって緘黙の方って人とかかわりたくない方でしょう?」

「わたしの場合は、『緘黙じゃないでしょう?』ってブログ仲間から言われてます。でも、小学校のころから元々話すよりも書くほうが楽だったし、話すとなると、相手の表情や雰囲気とかに左右されますし、何よりその場で声に出して話さなくちゃならないことに、不安や緊張があり、相手の反応に過敏になってしまうんです。
ブログやメールなどの文字が媒体になることで、返事が返って来ることに手応えがあるんですね。相手のリアクションを気にしないでいいので
画面から飛び出してくることはないということも安心できます。
お互いに傷つきやすくデリケートなことをわかっているから、
直接会わないのに、双方向でのやりとりが可能なのもメリットかなと
思います。」

「そうなんですか。直接は人に知られたくないのに、でも自分の存在を
ブログにして公開できるのはどうしてかしら?だって自分のことを
面識もなくどこの誰かもわからない人が知っているだなんてその方が信用できないじゃないですか?」

「会わないし、誰だかわからない。絶対に相手の領域に侵入しないという前提があることが、安心できるのです。直に顔を合わせたらそれで
終わってしまうんです。私の場合はね。
実物の私を知っている人のことは、プライバシーにかかわるので、
反って事実は書けませんよ。」

「そうですか。私は直接クライアントと対面することで信頼関係を作るという方法しか知らなかったけど、ブログだから安心できることもあるんですね。
でも、たくさんのブログの中でリンクするかどうかも取捨選択するのですから、実体でも同じ結果になるのかしら?」

翌日、6月1日の夜の学校の共通講義の教室で再び彼女に会った。
「先生、昨夜はありがとうございました。」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。勉強させてもらいました。」

お昼の保険のおばちゃん業では、日中1日平均30人から50人くらいは面談している。それだけではなかなか契約には至らない。
おきゃくさんの百面相に恐れおののきながら半分以上は、門前払いのつら~いお仕事です。

K所長と軽自動車の同行で、彼女の身の上話を聞かせてもらっていると
「まるでピア・カー・カウンセリング」って感じです。

そろそろ日曜日も残り少なくなってきました。
ブログも好きだけど、他のこともしたいから息抜きしなくちゃ。

論文検索に没頭して、
昨日のお洗濯物を取り入れるのを忘れていたことは
母には内緒にしておいて下さい。

私が自転車で横切ったら、
明日も薔薇の花が黙って美しくそこに咲いててくれますように。



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2006/06/04 15:22 | 緘黙 | Comment (4) Trackback (0) | Top▲
味な褒めことば
2006年03月24日 (金) | 編集 |
♪は~るだ、は~るだ、は~るだ、仲間の春だ!

週末の営業所で、Nたんぽぽ保育園で覚えた童謡を口ずさみながらPCを打ち込んだ。
「K市の方がH市よりもサクラの開花早かったですね。」
「え?もう咲いてた?」
「はい。企業から帰ってくる途中に咲いてましたよ。」

新米保険外交員、今時常識外れに、自家用車も携帯もないのに、どうやって仕事する?

午前中は、年下の所長の車に便乗して、自宅の隣町の1軒1軒にチラシのポスティング。
「おはようございます。チラシ入れてもよろしいですか?」
「おはようございます。正職員を募集しています。」

途中、布教活動をしている清楚な女性と会話した。
「今日はお休みなんですか?」
「はい。」
「お仕事は何を?」
「派遣でS生命のコールセンターで電話応対をしています。」
「え?私たちS生命です。時給いくらですか?」
「1200円です。」
「悪くないけど、営業の方がいいわよ。クレーム処理大変でしょう?」
「顔が見えませんからそうでもないですよ。」
「でも、あなたきっと営業できるわよ。大丈夫」
「私も3月に入社したばかりです。この近くに住んでいますが、あなたも?」
「はい。」
「それじゃあ、是非、説明会に来てください。」

チラシと名刺を渡して、ポスティングの作業を終えると、車中で上司に話した。
「この前、営業所に母が来たとき、所長に紹介するのを忘れてました。」
「いいよ。あの時パニックになっていたから。」
「え?いつの間に?全然わからなかった。随分上手に人知れずパニくってるんですね。」
「フフフ。」
「私、ブログのなかで緘黙のみなさんとつながりがあるのですが、
発症の様子などによってさまざまみたいですね。子どもの頃にしんどい
思いをしていても、環境が変わって治ったり、反ってひどくなって社会人になっても回復しない人もいて、臨床家もどうしてもくれないと嘆いていたり。パシキルってお薬があるんですか?」
「あるよ。私も飲んだことある。そういえば、私も全然話さないことあったなあ。自分では普通のつもりだけど母親がおかしいなってずいぶん心配したのよ。それで、おばあちゃんのうちにしばらく預けられていたら話すようになったって。」
「それ、緘黙かもしれませんね。緘黙って本当に知名度低くて、本人も気付いていない場合、多いみたいなんです。」
「結局、誰もどうにもしてくれないから、自分で加減して周りに理解や協力をもらいながらやっていくしかないもんね。」
「本当に6ヶ月間臥せってたんですか?」
「ウン。ゆきんこさんが来る直前までね。」
「へ~、なんだか所長の部下になる運命だったって感じ。
私も緘黙でこの仕事ができるなんてウソだろうと思われているけど、
周囲の理解や支え合いがあって、仕事が続けられるんだなと思います。私には、仕事内容よりも職場の人間関係のよさの方が重要だったんだなと。」
「それは同じ社内の営業所と比べても、チームワークはいいと思うよ。」
「生保の悪しきイメージはともかく、私が決めた理由ってそれしかなかったですから。」

さて、遡って昨晩は、支社での研修を9時半から4時まで、トレーナーの手厚いマンツーマン指導を受講した後、
午後6時半から1時間、1ヶ月ぶりのTくんの家庭教師
もうすぐ保育所を卒園して、4月からピカピカの1年生になるTくん。

数日前にみぎ・ひだりもマスターして、絵を描いたり、カタカナもすこしづつ書き始めて、数字も10~12までわかるようになってきた。

「ゆきんこさん、Tは先生が本当に好きみたいです。
4月以降の就学後も国語・算数の指導を引き続き御願いします。」
「今後も私でいいのですか?仕事は保育、教育から遠ざかっていますし、既に残業している状態です。大学院との両立も去年、バーンアウトしたので、どうなるかわかりませんが。」

「あなたの子どもにかかわる才能を逸材だと思って、1ヶ月に一度でも構わないから、ずっとTの先生としてつなぎとめておきたいのです。」
「褒めすぎです。私だって本業で食べていけたらどんなにいいか。
でも、大学院にも授業料を納めないといけませんし、免除申請も却下されましたからね。かといって新しい仕事もいい加減な気持ちではできませんから、最優先だと思っています。」
「我侭言ってすみません。仕事は必要なことはわかっていますし、厳しいのも当然です。継続するには家庭教師だって、複数の生徒が必要ですからね。」
「私の場合、Tくんが唯一の生徒さんですものね。ハハハ」

今日は終日、S支所長の同行。この仕事を抜きにしてもめんどう見のよさが五体から滲み出ているといったキャラクターなので、安心して助手席で会話している。昔からの仲間みたいに。

「支所長、以前にもお断りしていたのですが、前職とのかかわりで、昨年、社会人大学院に入学して、4月からまた夜の講義が始まるのですが、仕事に支障のないように履修して、時間調整したいと思っていますので、宜しく御願いします。」
「うん、いいよ。どこまで行ってるの?」
「神戸の元町です。」
「遠いね。間に合うの?」
「5時に退勤させてもらえれば間に合います。」
「この仕事、自分の時間と調整して自己管理さえしてくれれば、プライベートには何も干渉しないから安心して。私だって子育てと両立しながら折り合いつけさせてもらって長年続けてきたんだから。その意味でも
他の職場よりも融通もあって働きやすいはずよ。」

今晩、久しぶりに会うはずだった前のK保育所の同僚Tさんが、体調を崩してドタキャンになった。
「電話くれたんだって?ルスにしててごめんね。今、帰ってきたところ。」
「ゆきんこせんせい~!ごめんなさい。せんせいにずっと会いたかったから、明日会うの楽しみにしてたんだけど。」
「もうせんせいじゃないよ。3月から働いてるの。」
「どんなお仕事ですか?」
「それはまた会ったときにゆっくり話すよ。とにかく早く治してお大事にしてね。」
「どうしてあの時、ゆきんこ先生やめなくちゃならなかったのかって、
私、今でも思っています。こうして話していると癒されるぅ。ずっと一緒に仕事したかったですよ。」
「わたしって癒し系なの?私もせめて3月までは子どもたちと一緒に過ごしたかったよ。途中で辞めて本当に悪かったなって、後悔先に立たず。」
「1年振り返ってみると、別に先生が辞めたからってクラスの状況は好転したわけでもなかったんですけどね。」

「ゆきんこさん、もう7時よ。お母さん心配してるでしょう?」
「あ、そろそろ帰ります。いい年してまだまだ段ボール箱に入ってるもんですから。いつまでも娘扱いを受けてちゃ、ダメですね。皆さんもバリバリ働いてお若いので、私とそんなに年齢変らないですよね。」
「まあ、ゆきんこさん。これ差し上げるわ!」
所長が喜んで販促品を差し出した。
「もらっておきなさいよ。もっと褒めたら何か出てくるかもしれないヨ」
「それに、、、いつも綺麗で輝いて見えます。」
「う~ん、それは言いすぎだなあ。」
「あんまり褒めすぎても、度を越すと気持ちを害してしまいますものね。相手の気持ちにぴったり合った褒めことばって難しいですが、大人になっても褒められるのって嬉しいですよね。」
「そうねえ・・・さあ、もうお帰りなさい。」
「はい。所長も早くお帰りください。」


それでは、ゆきんこも明日のゲストをお迎えするためにそろそろ寝ます。
お休みなさい。。。







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2006/03/24 22:47 | 緘黙 | Comment (4) Trackback (0) | Top▲
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