どうなる?ワーク☆

甲子園での90回目の全国高校野球大会が無事開幕した模様

親睦会から尾をひいて、うだる暑さと共に不快感窮まる授産施設での1週間
月曜日にヘッドハンティングで登用されたO氏が正式に辞職願いを提出し、盆休み明けまでの勤務となった。

・・・ということは、O氏が背負っていた重い責めは、ずっしりとゆきんこの背中に・・・
そう思うと、憂鬱だったO氏のふっきれた表情と裏腹に、私の表情が険しくなりだした。
最重度の利用者さんにこれから一体、どんな支援をしていけばいいのか、全くアイデアが浮かんでこない。

週明け送迎者の運転士さんが、親睦会の様子をきいてくれた。
私は「他言しないでくださいよ。」と前置きしてから運転士さんに詳細を伝えた。
Tさんからとばっちりを受けていない他の職員もTさんの気性をわかっていて
「あの人はあのキャラできたんだな。もう今更直らないよ。」という類似のコメントを残した。

それから、3日後の7月最終日
玄関で帰りがけの私に、送迎車で戻ってきたTさんが私の顔を睨みつけていった。
「ちょっと、親睦会のこと運転士にいったでしょう!
私はああいう席でもなければ、話す機会がないから敢えて言ったのよ。
自分のいったことぐらい自分で言うのに、その席にいなかった運転士に言うなんて
感じワル〜!!」
「・・・・すみませんでした。」

Tさんのこの台詞で、彼女が先週の発言を全く反省していないことがわかった。
もうこの人と一緒に働きたくないと思った。

「その人もかわいそうね。60代半ばまで自分を改められずに人から嫌われたまんまきたなんて。
あんたがその人を直してあげたら?」
「無理よ。恐ろしいおばさんなんだから。私の言うことなすことなんでも攻撃の材料なのに、20年以上も年配者をどうやって直すっていうの?」

Pさんにも仕事の窮状はこれまで愚痴程度にしか聞いてもらえていなかった。
「Pさんに仕事を辞めるなと言われるとストレスが溜まる。」
「わかった。もう言わないよ。じゃあ、ゆきんこさんどんな仕事がしたいの?」
「もう保育士はしない。・・・・う〜ん、清掃業がいいかな?
辞めてもいいといってくれてホッとした。夫と母に心配してもらって幸せ者です。」
これが大学院修了者の台詞だ。
大学院出たって、返って一般人にとっては煙たいお邪魔虫なのだ。

その夜は浅い眠りで翌朝、平常通りに出勤するなり早速施設長に事の次第を伝えた。
「Oさんが辞めることになって、ゆきんこさんはどうするのか気がかりだったのよ。」
「Oさんの辞職が一因でないわけではありません。でも、私は3月に施設長の面接を受けたときにも
人間関係を一番大切にしたいと言いました。紹介をしてくださった先生もその点は安心できると太鼓判を押してもらって再就職したのです。それが、開所間もなくこんなことになって落胆しています。仕事は少々きつくても、給与も少なくても職員関係がなにより大切なのです。しかし、Tさんに何を言われるかと怯えながら仕事をすることが、ひいては利用者さんや保護者の方々に取り返しのつかない
事故につながらないかと、不安なのです。実際、Oさんが抜けたあとの☆班が私一人で対処できるはずはありません。」

「私の立場からTさんに進言できるのは、支援の仕方は支援員ひとりひとりの個性や職歴に応じて発揮してもらっているから、Tさんのやり方がベストではなく、それを他の支援者に押し付けることはできないということだけよ。あなたが不快な思いで追い詰められていることは見ていてわかります。
でも、年配で自分のやり方にもプライドをもっているTさんご自身が自省しない限り、私も人となりのことをとやかく言えないのよ。この組織を束ねられないことに私も悩んでいて、正直、私も辞めたいと思っているのよ。」

「そうでしょう。私が先生の立場でもそう思いますよ。」

「でも、豊富な職歴のある人々が開設からどんどん険悪になっているのは、私の監督のせいなのかしら?ひとりひとりが引き起こしたことでしょう?」

「それは、私自身にも問題がないわけではありません。誰もが赤字経営で関係を修復するだけの
余裕がないのですね。この暑さも士気をどんどん萎えさせているように思います。」

次に、送迎車に乗り込むと運転士さんに問い質した。
「私、他言はしないでくださいって言ったと思うのですが。」
「オレ、言ってないよ。Tさんから親睦会の話題を自分で切り出したんだ。」
「でも、また誰が言った言わないってことになれば、私も信用してお話できなくなります。
Tさんとすれ違う度に、何を言われるかと怯えているのですよ。私、気が弱いんです。この仕事も不向きだからもう辞めようかとまで思いつめています。」
「あんな人どこにだっているんだから、ゆきんこさんも思いつめずにもうちょっと我慢したらどうだい。
自分をいじめる人がいるという理由で、その度に転職したらあんたが損するだけだよ。」
「他業界から我慢しますよ。でも、障害のある人をサポートする職場の行く先々で職員同士が険悪なのは、もう懲り懲りしているのです。」

送迎車に一人また一人と利用者が乗り込む。
ことばも拙い彼らは、嫌なことがあっても噛んだり、引っかいたり、唸ったり吠えたりすれば、
あとはご機嫌でいてくれる。
その笑顔に少しは労われているかもしれない。
その日、その瞬間が無事に終わり、夕方の送迎車が空になったとき、静寂と安堵が訪れる。
猛暑の気だるさが私の帰属感や勤労意欲を低下させていた。

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4ヶ月目の授産施設

「ワシとあんたの仲じゃから・・・」
という接頭語で、ゆきんこのヘタクソな仕事ぶりを温かく見守ってくれる昭和7年生まれの年配者のA氏と、週末の送迎者の中でぼやいてみた。

独身時代は、こういう台詞はセクハラだと目くじらを立てていたが、ヘタレモードの時にはどうでもいいですよ〜と投げやりな七夕も去った7月第2週。

「結局、どんな仕事も楽じゃないが、人様のめんどうをみる、それも障害のある人なんていうのは、
まあ〜、余程善良な人か、バカしかできんよ。」
その自然体のおじさんの口調が、やれやれと利用者さんを送り届けた私をフッと笑わせてくれる。

「Aさんは運転士のお仕事をこれまで続けてきてどうでしたか?」
「ん?わしの場合は、転職のときには自分が潮時だと思ったときに、ちょうどうまい具合に他から誘いがあったんだよ。そのときの仕事が辛くても転職先を探すことで乗り切れたんじゃな。」
「ふ〜ん・・・そうですかぁ」
「どうしたんじゃ?なんか、しおらしい返事じゃな。辞めるのか?」
「いえ、辞めたりしませんよ。」

試用期間3ヶ月が経過して、職員の個人本採用契約を受ける時がきた。
初番が、私で利用者さんたちを送迎者で見送って間もなくの午後4時過ぎ
常務理事のM氏と相談室で面接した。
約30分間、殆どM氏の一方的な発話で私は無条件に「はい」と応答するだけの契約だった。
つまりは、「新設の授産施設は3ヶ月目にして赤字経営状態なので、ない袖は触れない。支援計画内容を見直し、しっかり儲けよ。」との仰せである。

しかし、カンタンにハイと返事できないのが、重度重複障害者の吹き溜まりであるわが☆班。
障害者更正施設で長年貢献してきた熟練支援員O氏への期待と希望は消失寸前である。

利用者一人一人が問題行動を噴出させるか、あるいはトイレを何往復するだけで1週間がヘトヘトになる。
それでも、☆班だけの自己満足かもしれなくても、利用者のみなさん方は、O氏とゆきんこの支援に
一言も文句を言わず、個々には改善振りを見せてくれ、保護者との連絡ノートにも朗報を伝えた。

O氏がたった一人で100坪近くの農園の畝上げから日々の畑の手入れを大型農耕機具もなく、正に
戦後じゃないの?という鋤・桑を人力で耕す。
農耕具や種・肥料購入の請求をすれば、事務方に「経費の無駄遣いだ」とお小言を言われるので、
自分の給料から材料を購入する。
耕している間に、誰かが逃走しては連れ戻す、もしくは逃走しないように見守る、その30分以内に誰かが失禁する、トイレ誘導するという有様だ。

トイレ誘導といっても、車椅子の身体障害者2名を含む☆班は、畑から施設内への移動に少なくとも
3分、靴の履き替えに3分、最後にトイレ着脱し用を足すのに10分・・・
これを4人分やっているわけだ。

昨日も、登所してすぐ女性の利用者をトイレ誘導したところ、15分以上もかかってしまった。
その間、残りの5名の利用者を支援者が待機させなければならず、畑の収穫作業がオジャンとなってしまった。
「判断ミスだぞ!!」
「すみませんでした」

6名のうち、1名は重度の自閉症でどうやら水中毒症状も呈している。
うだるような暑さ・高湿度ともなれば、彼はアトピーもひどくなるのでイライラ感も増幅し、それに伴って、渇水と排尿を10秒単位で繰り返す。
ついでにトイレで水遊びやマーキングで気分転換するからトイレはアンモニアの臭気を帯びて水浸し。

支援員よりも大柄の彼が、昨日の午後も「何気に」ゴンゴンと頭を叩いたり、壁に頭を打ち付けたり、手噛みを始めたら、自ずと狂気めいた目つきに変わった。
他害を懸念して施設長や看護師も駆けつけて、彼を宥めたり、精神安定剤を服用させるなとの対策をとることになった。

でも、もう遅かった。
「もう俺はきれた」
「俺の知ったこっちゃない!」と主担のO氏は言い放った。
その日の個人面接でO氏は自身の力量の限界を理由に、常務理事に正式採用の契約を断った。

たったの3ヶ月でO氏の勤労意欲を台無しにしてしまったのには、組織力の稚拙さにあると考えている。
赤字スタートの新設の授産施設内で、他グループの自立部門や就労支援部門の支援員が実にシニカルなのだ。
喩えていうなら、他のグループはインドなどの新興のアジア諸国だが、☆班といえばアフリカさながら
という様相。

施設長には「掃除して何か作業考えて」といい置かれてあわてふためく始末。
午前中には、地域の支援学校から教諭と保護者が見学にくるから、「やってます、がんばってます」と
いう格好を見せないといけないのに・・・
「すみません。今、畑から帰ってきてクールダウンしてます。」
机の上には何もなく、もの言えぬ利用者さんたちがじっと着席しているところをお目にかけただけだった。

支援者は、この3ヶ月かけてようやく利用者さんたちを静かに一定の時間着席しているようにトレーニングにはこぎつけた。

しかし、それだけじゃ「なにやっとんねん」という冷淡な評価しかしないのだ。
この評価を下すのは他でもない他グループの支援員だ。

油断すれば支援者が目を離した隙を狙って、笑いながら利用者が別の作業室へ走っていく。
別の利用者がトイレに駆け込み、下半身裸で佇んでいる。
やることなすことが全て職員間でのバッシングの対象。
弱り目に祟り目でO氏はGW明けから腰痛や不定愁訴をこぼすようになり、とうとう辞職の声明となった。

「質はともかく、施設はとりあえず回っていくことは回っていくさ。」
「Oさん、どうするんですか?」
「きかんといてくれ!俺はせっかくやりたかった仕事に戻れると思ってここへ来たんだ。
それなのに、みんなバラバラじゃないか!」
「障害者の施設なのにどうしてでしょう?」
「障害者畑で生きていく術や手の内を見せるわけないだろう?そうやって、残ったものが淘汰されていく世界なんだ。だから俺は、自分の限界を感じて辞めることが悔しいんだよ。」

確かに、職員間のコミュニケーションは支援者と利用者間に比べて希薄だ。
定時になれば、さっさと帰ってしまう。
そのひとつには、授産施設といえども営利目的事業があり障害者を抱えて遂行することだけでも、
職員がクタクタになっていて親睦するだけの余裕がないことにある。

施設長も、わずか3ヶ月のうちに職員間の仲の悪さがひいては、利用者の方々に影響して、悪循環に陥っていくことを懸念していた。

きゅうりや茄子・プチトマトも汗だくになってO氏が収穫してくれた。
でも、買ってくれる第3者がなければ、自分たちの給料で賄わなくてはならない。

O氏の辞職宣言に、明日の施設運営に一抹の不安を覚えた。
O氏を追い込んだ古株の職員にも少しは、言動に責任を感じて欲しい。
どうして、目も見えない、歩けない、ことばも話せない、生きていくだけでやっとの人に営利目的のどんな行動ができるのでしょうか?
そのための支援内容とは、何なのでしょうか?
私には何のアイデアも浮かんできません。
誰も教えてくれません。

まるで、薄氷を踏み外して餓死していくホッキョクグマや両親を亡くして途方にくれる孤児と似ていませんか?

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きゅうりができた!


起床午前4時半、就寝午後9時半バタン・キュ〜
という新しいバイオリズムを繰り返している平日はなかなかブログが更新できない。
休日もダラダラとリラックスして1週間の溜まった疲労を回復するだけで何となく終わってしまう1週間のサイクル。
別に更新しなくても、大してアクセスありませんけどね。

昨日25日
嬉し、ウレシヤ給料日

なんといっても、虐げられがちの福祉業界でこの日ほど、日ごろの疲れが吹き飛ぶ瞬間はない。

その同日の朝、畑で初めてきゅうりを収穫しました。
4月初旬の種付けから今日までにこんなに(どんなに?)大きくて食べごろのきゅうりが採れるとは
全く想像もつかなかった!

想像もつかない日々。
ブログを綴りだしてからの3年近くというのは、
毎日・毎時が思いもよらない出来事の連続だ。

4月1日以降、毎日月から金まで1日6時間を共にしている人たちは、
一体、どこからともなくやってきた不思議なご縁でつながった約30名
そのうち最重度と査定された6名の知的障害者の方々とみっちり過ごす時間はやはり甘くない。

彼らを施設の外から畑へ連れ出し、畝上げやら熊手をもっての雑草抜きなど
全く初めての経験だ。
この1月までPCにかじりつき一応、研究論文とやらを書いた教育学修士の称号をもつ人間がやっているのも妙だな。。。
それでも、授産施設での日々も3ヶ月目に入り、同僚支援員のOさんとのコンビや☆班のアットホームなグループの輪板についてきた。
足には長靴、両手に軍手、鍬で畝を盛り上げる農家のおばちゃん姿もサマになってきた。

「Dさん、やろか」
「やらない、やらない、やらない!!」
「じゃ、20回」
集中力が続かないウルトラマン(3分しかもたないから)Dさんもことばかけの工夫次第で作業に応じるようになってきてくれた。

「Dさん、やろか」
「やらない、やらない、やらない!!」
「じゃ、見てて。あとでやってね」

「Dさん、やろか」
「やらない、やらない、やらない!!」
「じゃ、おかたづけお願い」
などなどのヴァリエーションで少しでも支援員の誘導に応じてくれれば

「ありがとう」
「助かったわ」
といった労いや感謝のことばをかける。

しかし、こうしたささやかな行いを彼らの就労意欲を支援するには、並大抵の信頼関係ではなく
家族に準ずる、家族以上の配慮やら神経やらを要するのだ。
それなのに、やっぱり給料こんだけか〜
バイトのときよりは、大分ましやと思わなくちゃ・・・

さてと、
明日は午前中には避難訓練。
午後は七夕飾りと収穫した野菜を宣伝し販売するためのポスター作り

予知が叫ぶ。
今の日々の積み重ねが未来に続いている。
夢のこぐまクリニックへの構想へと・・・












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福祉の仕事は甘くない?

本日で、ワーク☆に就職して、9日目。
昨日は、運転手のAさんを待つ交差点で真新しい白いスニーカーを履いた学生服の中学生の姿を見かけた。

どうやらピカピカの新中学1年生らしく、袖丈が長い。

クリーニングの流れ作業も1週間でなんとなく掴めてきたが、ゆきんこの担当は、もっともっと重度重複障害の方々なので、来週からお迎えする皆さんに楽しんでいただくためのプログラムも独自にかんがえなくてはならない。

それに先立って、特に要注意と思しき3名の方々の家庭訪問と、姉妹施設として平成16年にオープンしたワークKにて今日、明日の2日間研修させていただくことになった。

ワーク☆への通勤に1時間30分を要しているが、研修先のワークKは、ゆきんこの故郷にある。
しかも、現在の住所に転居する16年前に居住していたお馴染みの場所だから、因果なものだ。
もしも、ここが新しい職場なら自転車で25分で通勤できたのに・・・・
田んぼのど真ん中にあるロケーションよろしくないワーク☆と比べても、ワークKの付近には、
JRの駅あり、バス停あり、コンビニあり、その他の福祉施設も充実していながら、自然もあるという
羨まし立地条件だ。

同じ生活支援員として採用されたTさんと、施設の付近で出会った。
「おはようございます。」
「もう、遠すぎるわ・・・今朝は寝不足や。」

F駅から徒歩5分でワークKに到着し、早速、施設長I氏の説明を受けた。
I氏は、誰にでも気さくで包容力たっぷり。そして風貌はいかにも福祉の人そのものだった。
次いで、施設の室内を案内してもらった。
ワークKも設立4年目で、スタッフもめちゃくちゃベテラン揃いって訳じゃないけど、
9時を廻った頃に、巡回送迎バスで次々と利用者の皆さん方がやってきて、一人一人が、
ありのままを尊重され、穏やかに、且つ仕事を楽しんで取り組む姿が一目瞭然だった。

「おはよう。」
「おはよう。」
「名前なに?」
「ゆきんこです。よろしく。」
今時の健常と言われる大人よりも、もしかすると、礼儀正しいかもしれない。
いや、誰もがニコニコと挨拶し、握手やスキンシップを求めてきた。
それでいて、3年前には同じ地域の保育所で子どもたちとかかわってきた殺伐とした日々とは
明らかに違う雰囲気を醸しだしていた。

年齢も、障害種別も、その程度もさまざまだから、当然、支援の方法もさまざま。
にもかかわらず、整然とした落ち着きのある軽作業のグループで修行は始まった。

更衣後、まずは戸外でラジオ体操
「ゆきんこさん、Hさんについてください。」
今時流行のパンツがズレているのもお構いなしに、ハンケツのHさんの分厚い手を握った。
「ゆきんこさん、Hさんに『げんこつやまのたぬきさん』やって。」
防護ヘルメット姿のMさんとペアでワンクール
すると、ごま塩頭のHさんは「だっこして・・・おんぶして・・・」
と私の手をプロンプトした。

しかし、自分でできることは潜在的にはたくさんありそうなのに、
じ〜〜〜〜っと周りを見ていると動かなくなってしまうHさん。
「支援者は、イライラしないで待ってあげる。我慢です。」
とスタッフからアドバイスを受けた。

再び、軽作業室に戻り、Hさんはホワイトボートの自分の写真カードを取って席に着いた。
日直のメンバーが前に出て、今日の日付と天気、出欠を取った。
次にエキストラ飛び入りスタッフゆきんこの自己紹介。

それからの主担任らしき男性スタッフのプレゼンテーションの長かったこと。
なんと小1時間も、じっと話を聞いていなければならないのだ。
しかし、皆さん方は相当鍛錬されてきたのだろう。
Yさんがしばしば機嫌を損ねて側頭を叩いて自傷したり、
Hさんはぐーすか居眠りしたりするものの、多少のコミュニケーション障碍も当然お持ちの面々は、
静かに傾聴なさっていた。

今日はカレンダーでGWの祝日は何の日?というテーマでお話が終わって、先程の写真カードをホワイトボードに貼って、作業のグループ分け。
「ゆきんこさんは、女性のグループに入ってください。」

というわけで、シールはがし作業に加わった。
粘着力のあるシールはがしって、結構指先の巧緻性を要するものだ。
それでも、メンバーは根気良く50分ほどのワークをこなしていた。

「ゆきんこさんは、どんな方々の支援をするのですか?」
「身辺自立からの生活支援です。」
「では、昼食はTさんの食事につきそってください。」

真っ先に、昼食時間を取らせていただき、その後、Tさんの食事をお手伝いした。
4年前まで全面介助だったTさんは、スタッフがオリジナルで作った食事台や食器を使って最近、スプーンを自分で口元に運べるようになったそうだ。
いつもは、あまり好きでない味噌汁やお茶も、ゆきんこの上手くないスプーン運びをいやがらず、唇を動かして飲んでくれた。

なるほど〜〜。
ABA(応用行動分析学)を特別知らない業界違いのスタッフでもシステムに包容力と正しい支援策があれば、どんなに重度でも、どんなに加齢しても、その効果が随所に見て取れた。

Tさんの歯磨きをしたら、歯茎から血が出たが、ここは虫歯だらけのTさんにはがまんして頂くところ。
しかし、歯磨き後、気のいいTさんは私の手をとって、部屋を出て、どこかへ誘おうとした。
「先生、Tさんがお部屋に戻ってくれません。」
「ああ、午後からいつもはボランティアさんと散歩に行ってますからね。」

午後のワークが再開されると、Tさんと弟のYさんは抜け出して、戸外へお散歩にでかけた。
背丈も高く、髭も生えている兄弟だけど、背の低い支援者の手引きで彼らのペースでゆっくりゆっくりと歩いていった。
雨上がりの桜が半分散りかけた時節になんだか風流だ。
ワークKは、有名な公園の周辺に老人施設に他のホースセラピーをしている障害者施設も隣接している。
なるほどノーマライゼーションの理念を掲げた30年以上の福祉を先駆してきた歴史も感じ取れるエリアだ。

地元に居住しているスタッフともローカル話にも花が咲いた。
30分かけての散歩コースから戻ると今度は、2時30分から清掃と帰宅の準備。
今日は食堂の椅子を机に上げて、床を箒・掃除機・モップかけ
じっと立ち竦む人・ことばかけで楽しく業務を行う人。

最後に保護者向けの個人ノートに記録して、利用者の皆さんを玄関まで送り出し、送迎車の内外で互いに手を振った。

今日は、何だか健常の人々よりも多く障碍のある方々と朗らかで、ジョークたっぷりの1日を過ごせたかもしれない。
障碍があっても、ひとつひとつの所作に思いを込めてひたむきに施設で過ごす方々に、無垢で純朴であること大切さを学ばせていただいた。

施設長のI氏から最後にコメントをいただいた。
「決められた仕事が遂行できても、生活の自立支援をすることが今後の課題です。
保護者主体でNPOを立ち上げ、親亡き後のグループホームの新設を企画検討していきます。」
同寮のTさんとI氏に一礼して、施設を後にした。




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春爛漫の桜の下で

4月1日付で新職員として採用されたワーク☆

10名の職員同士の顔と名前、役割と人となりもお互いに概ね把握できたところで、滑り出しまずまず好調の1週間が経過した。
春爛漫の桜が満開の穏やかな晴天に恵まれた昨日4月5日の午前10時。
21組の親子が勢揃いし、真新しい田んぼの中の施設は、50名の人々で一斉に賑わった。
靴箱に漢字のフルネームで書かれた自分の名前を見つけると、親子はスリッパを履き替えて、階上の食堂へと随時待機した。

顔見知りの親子も複数いて、期待と不安の入り混じる会話が展開された。
午後10時30分定刻になり、保護者開所説明会と施設見学会が開かれた。
まずは、利用者一人一人が、起立して名前を言った。
それから、職員挨拶
「生活支援員のゆきんこです。よろしくおねがいします。」

しかし、21組の親子と職員は全くの初対面
なかには、そわそわおちつかない利用者さんたちもちらほら・・・
食堂の集団のムードががまんできず、外へ出たがっている自閉の男性が1名。
「あの、水を飲むと不安が収まりますか?」
「いえ、不安になるから、水飲みが頻繁になります。」
「待って、もう少し、ごめんね」
私は手でストップの合図を出して、彼に要請した。
彼はおどおどとした目で私が誰なのか、確認し、トイレに入る前に、ズボンを下げた。
「トイレで」

それから、恰幅の良すぎる車椅子の男性に付き添い、トイレの様子も保護者から詳しく伺った。

今年養護学校高等部を修了したヘッドホンのあどけない自閉症の男性
といっても、18歳だから未成年だけど、いつまでも彼を「かわいい〜ちゃん」として遇するわけにはいかない。」
「名前は?」
「ゆきんこです。」
「ゆきんこさん。」
「はい。Uさん、よろしくね。お仕事一緒にがんばりましょう。握手」
ヘッドホンのUさんは、至近距離10cm以内にまで接近し、私が人畜無害そうであるのを確認して
微笑んだ。
Uさんのお母さんが親しげに解説した。
「今までの経験から相手の第1印象が決め手みたいなんです。子ども時代から大人の男性でも怖い
人や、自分にはしなくても誰かがその人に怒られているのを一度でも見たら、なかなか信頼できなくて・・・」
「はじめにお母さんから情報を伺って参考になります。ありがとうございます。気をつけますね。」
「O先生がゆきんこさんを絶賛していました。」
「いえいえ、買い被り過ぎですよ。それに、私がこの世界に入るきっかけを下さったのはO先生です。
今回の就職のお話もO先生から紹介いただき、感謝しています。」
「O先生には、竣工式にもご招待を考えています。」
「それでは、またO先生に会えますね。」

利用者とその保護者の一部には、長年自閉症の療育指導をしてきたO先生の元教え子という間柄
である。
ゆきんこがヘタレの新人療育指導員となったご縁をいただいたのも、測り知れない障碍児界隈の人脈の持ち主であるO先生のお陰だ。

しかし、就労支援を目的とする授産施設でそれ以前の課題山積という印象の入所者の方々と保護者の本日を迎えるに至る苦節10数年の思いに改めて責任の重さを感じた。

それでも、泣いてばかりいた過去が私を少し逞しくしていた。
且つ独りじゃなく支えあい、助け合えばなんとかなるという新たな仲間同士の結束に期待があった。

何と言っても独学および、学術的に研鑽した年月は、初対面にもかかわらず、利用者と保護者のあらましを手前味噌にアセスメントする実践力を自然、私に授けてくれていた気がする。
こういった障害者授産施設でのサービス残業は際限なくなり、それも若年層支援者の職業定着率を阻む一因になりかねないことを辛酸舐めて熟知した選りすぐりのスタッフであることも心強かった。

そして、利用者も支援者も対等に働く仲間だから「ゆきんこさん」「Oさん」「Tさん」と呼び合う。
「Iさん、試食のおべんとう一緒に食べましょうか?」
「うん。」
「どうですか?おいしい?」
「うん。  ペギー葉山知ってる?」
「知ってるよ。知ってるの?」
「うん。」
「もう、テレビに出てないよ。」
「出てるよ。BS」
「私、BSないんだ。」
「花見ある?」
「う〜ん、まだわかりません。できたばかりだから・・・」

Iさんのパパは、保護者会の会長だ。
ひえ〜、、、、
手ごわいけど、癒し系天然キャラの笑顔でお相手仕るぞ。
気さくに笑い合って、同じ釜の飯を食う関係になるだろうか?
それとも、、、またバーンアウト?


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