「断捨離」を読んで

今年は何だか妙な6月です。
さっきの天気予報ではどこかの地方では既に梅雨明けしたと報じられました。

6月は会社都合で、イレギュラーなシフト調整を余儀なくされ、たったの4日しか勤務していません。
こんな非常勤アルバイトで、一体どうやって自活しろというのでしょうか?
でも、会社の方針で扶養されている主婦とか、主たる家計者が本人でないという条件で、
いつ何時解雇しても痛くも痒くもない。
そういう会社だから、辛うじて雇われたというのが実情です。

そんなお菓子仲間同僚の一人から紹介された臨時のアルバイトに応募したところ、
今回もすんなりと採用が決まりました。
といっても、雇用期間はわずか3週間です。
明日から研修が3日間始まるし、今回は週5日のフルタイム。

猛暑の中でのフルタイム勤務挑戦!
気合入れないと!!
こうしている間も、もっと大変な危急存亡の最中で刻一刻を戦っている方もいらっしゃる。
また、貧困とゴミのような環境の中で遊んでいるナイジェリアの子どもたちも少なくありません。


前置きはこの辺で、
6月に入って、久しぶりに図書館でリクエストした本を借りて読んでます。

『新・片づけ術 断捨離』
2009年12月17日 第1刷発行
著者  やました ひでこ
発行所 株式会社マガジンハウス

本格的に断捨離できたら、理想的なんですけどね。
本書を読まなくても、身近なところに片づけ上手、きれい好きの人が模範なんですけどね。
私の観察したところ、
そういう人たちは、いつもきれいピカピカにしていることが快感で、捨てることに躊躇ありません。
そして、なぜかお金に困る人ではありません。
羨ましいなあと思うけど、私の場合、性格的に、そしてきっと経済的に難しいです。

私の場合、
そんな羨望の、いつもきれいにしているお宅を訪問する機会があると、
やはり多少は刺激されて見倣いたいと、帰宅すればかなりがんばって掃除する傾向はありました。

しかし、これは明らかに言いわけですが、
まず自身の腰痛に苛まれ、やりたくてもできないという事態に陥りました。

そして、家族。
やはり、家族が複数人いて、きれい好きよりモノグサな輩が多ければ多勢に無勢となります。
やがて、おじゃる丸にも登場する貧乏神のビンちゃんが住み着くという始末です。

この猛暑到来の時節に読んでしまったのもキツイ。

その反面、我が家は子ども時代から母が終日仕事に出かけ、引きこもりの父の存在のおかげで
汚いのはもちろん、友達を招いて遊ぶという家庭環境ではありませんでした。

現在も類似した状況で、ホームパーティーなどは夢のまた夢。
でも放っておけば誰かがキレイにしてくれる訳もなく、キレイにするのもしないのも自業自得。
断捨離はそんな自分のライフスタイルや深層心理にも突っ込んでくるので、ほんとにキツイ本です。 

以下に本著の最終章の一部を抜粋します。

所有の発想から解き放たれる。
やっぱりネガティブなものは重い。非常に重たいです。
所有とは結局思い込みです。
あらゆるモノが地球からの借りものなんだと考えていけたら…
自ずと感謝や畏敬の念が湧いてきます。
色即是空
カタチあるものはみな虚しいもの。
そして、ご縁が終わりの時を迎えたら、
潔く手放していく。
それが断捨離の願いです。


このくだりを読んで思い出した出来事がありました。
3年前にある身寄りのない方の遺品整理に遭遇したのですが、
主を失った昭和30年代の初めごろに建てられたと思しき廃墟に参入する機会がありました。

冷蔵庫の中身は腐敗し、
タンスや物置から時代おくれの珍しいガラクタが溢れ出さんばかりに収納されたままでした。
もったいないお化けの母が、それらのいくつかを実家のガレージに引き取ったはいいのですが、
認知症の母にキレルことはできませんでした。
はてさて、次なる使途は3年経過した今も未定のままです。
私はその時、つぶやいてしまいました。
「いずれ、我が身もゴミになる」

本気で断捨離したら、金運アップするかしら?
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『わたしを離さないで』を読んで

日本全国、春の嵐の到来のせいか、大阪春場所も三役陣の連敗が報じられています。
残念ながら、初顔合わせの結びの一番で二横綱に敗れた勢関。
その大健闘に、大きな拍手を送ってしまった私。
すっかりミドル世代になったことを自覚してしまいます。

そんな本日は、午後から本降りにもかかわらず、プチパーティー気分です。
めんどうだなと思うと、モチベーションも何もかもがネガティブになってしまいそうなので、
無理のない範囲で、いいこと探しをしてみます。

例えば、春の装いで、たまにはフレアースカートはいて、どこかへお出かけを企ててみるとか、
イオンで1パック300円以内でイチゴを買って、65円のアイスとコーンフレークでプチデザートを作り、
3時のおやつにウチカフェを楽しむ。

その前に、埃を被った照明器具と、床も掃除したら、昨日のしょうもないくよくよしたことまで、拭きさってしまえるような気がします。

さて、夕食はツナのカリフォルニアロール寿司と、春野菜のミネストローネ、春野菜のソーセージとチーズオムレツと決めました。

その前に、先週読み終えた カズオ・イシグロ著『わたしを離さないで Never let me go』の感想文をアップします。

背表紙には、以下の概説が記載されています。(転載いたします)

残酷な運命に翻弄された若者たちの一生を感動的に描くブッカー賞作家の新たな傑作
自他ともに認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。
キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間の提供者だ。
共に青春の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。
キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、
施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。
図工工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、
そして、キャシーと愛する人々がたどった数奇で皮肉な運命に……。
彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく
英米での絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』に比肩すると評されたイシグロ文学の最高到達点。

この著作を読もうと思ったきっかけは、1年ほど前にEテレで放映された作者カズオ・イシグロのドキュメンタリー番組を視聴したからです。

幼少期を長崎で過ごし、その後はイギリスで育ったというイシグロの作品は、とりわけ記憶を遡って展開される物語であることが特徴的であると本人が番組の中で語っていました。

私が何となく感じた印象では、結末が悲しくやるせないことがわかっていて、過去の思い出を読み進むので、
楽しいシーンさえもが寂しさや悲しさ、やるせなさが背景に漂ってくるような情景を想像してしまいました。

主人公のキャシーとルース、トミーの3人は共にヘールシャムという施設で育った幼馴染のクローン人間という設定です。
しかも、青春期を三角関係で過ごし、トミーと恋人同士だったルースは、最後に臓器提供をする際、キャシーにトミーとの仲を裂いたことを詫び、キャシーにトミーと恋人として介護して欲しいと遺言するのです。

ごく普通の教育を施され、楽しい思春期を送った若者の末路。
それは、臓器提供を果たすという使命でした。

私は改めて人為的に生み出されたクローン人間といえども、一人格を有した血も涙もあり、恋愛感情をもつ仲間。
それでも、最後には臓器提供を余儀なくされ、普通の人権を持つ人間として生涯を全うすることが許されないクローン人間。


いよいよ、iPS細胞が実用化されつつある21世紀。
この物語がフィクションの領域には終わらないことを予感しながら読むと、
これまで、普通にご先祖様からの有性生殖を経た人間とクローン人間との間に、
差別とか論争、あるいは、戦争にまで及んでいくのではないか?
クローン人間を生み出してまで、ヒトは一体どこまで生きながらえれば満足するのか?

自分には父と母があり、10月10日母体で育まれて、誕生しました。
そういう今まで普通の経路しかなかった人間が生み出されることが、実現できるほど科学は躍進しました。
もしも、自分の命が危うい時、不治の病を自分のクローンがいることで、やっぱりその人を犠牲にしてまでも、生き延びたいのか?

そうでなくとも、アンチエイジングだとか、いつまでも健康で長生きという願望は、もう欲望になっている気もします。
平安時代、蔓延する感染病に恐れおののき、陰陽師に縋って祈祷していた時代に比べれば、全くもって贅沢な時代です。

非科学的なことを言わせてもらえるなら、生まれ変わりという説もあるので、
私の場合は、とりあえず、現世でクローンのお世話になるのはやめて(お金もかかるだろうし)
いつまでも生き続けるというよりも、
とりあえず、あの世とか、別世界も経験して、また別の時代に生まれてみたいです。

その時には、性別は1種類または、3種類以上ならいいかな?
現状では、女子の方が長生きですが、それ以外は妊娠出産の負担もあるし、社会的にはいろいろ我慢したり、損させられていると実感してますから。

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『前頭葉の謎を解く』心の宇宙1 を読んで

昨年12月に、中之島へ赴いた際、「教育実践学フォーラム」のゲストスピーカーとして京都大学教授 船橋新太郎先生の講演を拝聴することができた。

はっきりいって愚弟の私には十分にわかりかねる講演内容だった。
しかし、「ワーキングメモリ」ということばは、20年以上も前に学んだ当時の心理学の最先端用語であることを記憶に留めていた懐かしさもあり、船橋先生の著書を一度読んでみたいと思っていた。

そこで、図書館で取り寄せたのが、
『前頭葉の謎を解く』船橋新太郎著(2005 京都大学学術出版会)

裏表紙には、このような概説がある。
「人類は、動物の中で最も大脳が発達している。なかでも前頭葉はひときわ大きい。
それゆえ、この『前頭葉』こそが、「知性の座」ではないかと考えられた。
しかし、事故や病気で前頭葉に損傷を受けた人を見ても、知能や記憶力が衰えた様子はない。
これはどういうことだろうか?
 前頭葉は、これといった機能をもたない「沈黙野」なのだろうか?
 知れば知るほど、もっと知りたくなる脳の不思議な世界へようこそ。」

さて、日本の大脳生理学者の第1人者である船橋先生の240ページにも及ぶ内容をまとめるのは難しい。

まず、船橋先生の代表的なマカクザルを使ったODR(眼球運動を用いた遅延反応課題 oculomotor delayed-response task)と呼ばれる実験の数々で明らかにされたことと、未解明の課題とが連綿と続いています。
これを読むだけでも、一苦労だから、実際に、サルを実験室に慣らすところからはじめ、課題ができたごほうびには、オレンジジュースの好きなおサルさんもいれば、スポーツドリンクが好きなおサルさんもいて。
指さしできないおサルさんたちの機嫌をとりつつ、課題トレーニングの繰り返しの実験の歳月がいかに途方もない大変なことなんだろうかと想像しました。

これだけ果てしない実験を重ねてもなお、まだまだわからないことが増えていくとは、、、
研究者になる方々というのは、もって生まれた知性の前に、地道であきらめない根性が鍛錬された方々なんだろうなと思いました。

かつては第2次世界大戦頃、あからさまにやられてきた人体実験。
多くの戦死者や犠牲を払った方々に対して、その後の心理学やら医学の分野での実験が倫理的にいかがなものかということになって、今ではおサルさんやネズミさんが被験動物になったのです。

そして、今後の課題は、

前頭前野の入力情報のなかで、最も重要なのは、報酬系や情報系からの入力である。
その中枢のひとつとして、側頭葉の扁桃体が知られている。
扁桃体からの情動性情報が、帯状回の神経経路を通って前頭前野のニューロンにどのような影響を及ぼすのか?

前頭連合野のニューロン活動に大きく影響を与える伝達物質としては、
ドーパミン、ノルアドレナリン、アセチルコリン、セロトニンが考えられる。
なかでも、ドーパミンは報酬の有無、報酬出現への期待、注意などの機能と深くかかわることが知られている。
この作用の変化は、注意欠陥多動性障害や統合失調症などの関係することが知られている。

さらに、前頭連合野のニューロン活動の大きさや刺激に対する選択性が、
ドーパミンやノルアドレナリンの局所的な濃度変化により大きく影響されること、
ワーキングメモリ課題の実行に伴って、ドーパミンなどの伝達物質の放出量が前頭連合野内で変化すること、
前頭連合野内のこれらの伝達物質の濃度変化がワーキングメモリ課題の成績の良し悪しに影響すること、
などが明らかにされている。
しかしながら、その具体的仕組みはまだほとんど明らかにはなっていない。

今後の研究で、情動系からどのような情報が、どのようなタイミングで前頭連合野に入力されているのか、
ドーパミン、ノルアドレナリン、アセチルコリン、セロトニンは前頭連合野内での放出量はワーキングメモリ課題の時間的な流れによりどのように変化するのか、
前頭連合野ニューロンの出力はどのように変化するのか、
などを明らかにする必要があるだろう。

と記されています。


私が思うに、
現代社会において、ついていけない人や、困った人たちが、時代が進むにつれて増えていくのは当たり前のことだと思います。

サルや原始人ならシンプルな前頭葉だから、悩んだり困ったりする脳の部位もなく、その日その日をケセラセラで生きていた。
文明やら人間が自分で作ったルールに自分を合わせられなくて悲鳴をあげている脳。
そして、脳の神経回路で伝達物質が適当な分量間違ったりして交通マヒを起こしているのだと想像します。

つまりは、自然に還って、もっとシンプルに生きていければ、
現代社会の矛盾や、ついていけなさの中でもがかなくてもいいだろうにと思うのですが。
PC使いこなそうと、ワーキングメモリを出力してもがいている自分は、自分のコメントにも矛盾を感じています。
だから、悩んだり、困ったりするのも仕方ないですよね。
自然に還ったらいいんだっていいながら、還る勇気がないんです。(苦笑い)

結局、この専門本はきちんと読み切れなかったんだけど、
明日は図書館へ返却しに行くつもりです。

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『花言葉』のなかから

水無月も半ばに入り、(?)失業継続中です。
外出すると、日々の食料品の買い物だけでも出費には違いない。
雨天のときは必然自宅謹慎状態ですが、そうでなくても、じ~っと家で過ごしがち。
加えて、以前は日中働いていた時間帯にテレビやネットをダラダラ見ていると、4月5月の電気代が3月より上回っていて結構、電気代がかかっていることに気づきました。

再就職が決まるまで、来る猛暑時の節電生活に備えていかに消費を減らして過ごしていくのかが課題です。

おまけに、うちは珍しく未だしつこくアナログ放送を使用継続中です。
「終了後はどうするんだ?」と言いながら、未だ地デジ化テレビの購入には踏み切れません。
そんな生活保護スレスレの暮らしぶりをどうかお察しください。

しかし、自由な時間がたっぷりあるのが、ある意味贅沢だと割り切っていたい。
なんたって、ウチの近隣は野山に恵まれ、天然自然の美しい野鳥の囀り声は聞き放題というあり難い環境です。
そこで、お金をかけないさらなる贅沢は、読書の時間。

といっても、若い時分からそんなに読書家、本の虫というほどではありません。
図書館でも、込み入った内容の小説などは借りません。
最近は、掃除術やら料理のかんたんレシピ、雑誌などを見流してるだけで、頭脳プレーを怠るばかり・・・

今回、ミーハーな私が選んだのは、『花言葉』三輪明宏 (2010,PARCO出版)です。
副題として「愛の格言集 あなたの心の友 人生の道案内ガイドブック」
ページをめくってみるまでは、ホントの花ことばだと思っていたのですが、
目次は次のように分類されています。

1自分を書輝かせるための言葉
2つらいときのための言葉
3自分を磨くための言葉
4美しく生きるための言葉
5人と上手につきあうための言葉

どれもなるほど癒されることばですが、
ゆきんこ特選をいくつか抜粋してみました。

「地獄極楽はあの世ばかりにあるのではなく、
自分の心のなかにもあるのです。
同じ問題でも、見方、考え方を変えてみるだけで
地獄にも極楽にもすることができるからです。」


「好き放題 おいしいものを食べて、飲んで
健康でいたいというのは図々しい。
口から毒を入れれば、病気になるのは当たり前。
これも『楽あれば苦あり』です。」


「人は姿勢が崩れると感情的になる
首と背筋を伸ばし、体を左右対称に保てば、
魂のお行儀も立派に良くなり、冷静でいられます。」


「なぜ花は美しいのでしょう。
見る人を慰めて、何も見返りを求めない。
ただひたすら献身的だから、花は美しいのです。」

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『幸せはすべて脳の中にある』を読んで

鳩山政権が終焉して、不安定な政治情勢、不安定雇用が依然として続きます。
そんな中でも、奇しくもその当日、厚かましくも有給休暇をもらって
親しい学友を招いて新居でランチパーティができる私って、
教育係りのFさんのことばを借りたらやっぱり
「ゆきんこさんって、楽天家よね。私なら上司からそんな大目玉を食らったらとっくに辞めてるわ。」

仕事は相変わらずウダツが上がらない最低賃金のパートおばさん。
「♪なかなかできないヘタヘタ!」
お気に入り番組のゆうがたクインテットの歌が心にチクチクと刺さるなあ~

だからといって、不穏な気持ちを維持させていて幸せなんだろうか?
現在の職場のすぐそばに位置するサテライト図書館でリクエストした本のタイトルはズバリ
『幸せは脳の中にある』(2010年月新刊 朝日新書)
天台宗大阿闍梨 酒井雄哉さんと 脳学者 茂木健一郎氏のビッグ対談集だ。

中身は結構シンプルな人生読本であっという間にさらさらと読めてしまった。
人はなぜ生きるんですか 生きる道はどうすれば見つかるか
幸せってなんですか   選べる自由があるから幸せ、ではない
などなど今時(に限らない古今東西)の悩める方たちが自然に持っている永遠のテーマについて対談されている。

なかでも、私が最も興味を惹かれたのは、
「第2章 縁ってなんですか セレンディピティを生かすには」
もくじの章立てタイトルを見るだけでもなんだか癒される。

出会いという名の奇跡
偶然の出会いを大切にする
縁はぐるぐるめぐりゆくもの
偶然の幸運を生かすかどうかは自分次第
大切な肌のぬくもり
千日回峰行の資格を与えられるまで
人に負けないものがひとつだけあった
自分の道は必ずある
できなくたって、かまわない
行こうか、戻ろうか
他人のために自分を捨てて生きようと思うこと

偶然の幸運に出会うことを、「セレンディピティ」と呼ぶ。
もともと、イギリスの初代首相ロバート・ウォルポールの息子で
作家のホラス・ウォルポールが考案した言葉で、
思いもかけぬ偶然から、自分の人生を良い方向に変えるような
出来事に出会うことを「セレンディピティ」と呼ぶのである。

茂木健一郎氏は、「縁とセレンディピティを逃さないコツ」として以下に記している。
セレンディピティを育むためには、どうすれば良いか。
まずは、「行動」
行動して広い世界に出て行くことが必要である。
次に、「気付き」である。
せっかく、自分の人生を変えるような大切な出会いが目の前にあるのに
それに気付かなかったら元も子もない。
自分の視野の「端」の方にあるものに十分心を傾けることが大切である。
最後に受容することである。
自分が今まで築いてきた世界観、考え方と相容れない何ものかを受け入れる必要がある。
その過程で、当然のことながら自分は変化してしまう。
その勇気があるのかどうか。
大きなセレンディピティに出会うためには、「行動」「気付き「受容」というサイクルを辛抱強く繰り返すしかない。
セレンティビティを育むのは、毎日の習慣である。
習慣を自分のものにすることで、「縁」を引き寄せることができるだろう。


政治と経済だけでなく不安定な感じは、私の履歴にも連なるものだ。
終身雇用が崩れたこの10年間で、履歴書を書いては、時に面接に応じ、上手くいけば採用された。
でも、その先が続かなかったことが悔やまれる。
大抵は、契約切れか、ひどいときには解雇を余儀なくされた。
今だって、上司にお説教部屋に呼び出されはしないかと眉間に皺を寄せヒヤヒヤ、ハラハラしながら過ごしている。
本当は宇宙も地球も慣性を保ちつつも永遠ではないのだから、
自分の明日だってケセラセラ。
セレンディピティをゲットする才能なんてあるんだろうか?
それなら、ご縁というものに肖って、明日どうなるかわからないという
開き直りがやっぱり大事なのかな?

ふと空を見上げると、青空に白い雲が浮かび、鳥の囀りもこだまする。
夜にはカエルの鳴き声も眠りを誘う。
仕事でストレスフルになり、教育係りの手抜かりない厳しい叱咤に耐えている時間が
ばかばかしく思えてくる。
子どもをむやみに叱り付けて、仕事や人間関係の憂さをはらす間違った躾をする親も増えている気がする。
そんな親子のやり場のない怒りや泣き叫びの声が、この真っ青な空の下にいるんじゃないか?

セレンディピティの才能といえば、「翼をください」を英語で歌うシンデレラおばさんの
スーザン・ボイルは、ただのおばさん化している私をときめかせる人だ。
昨年大晦日の紅白歌合戦でその歌声を始めて耳にし、思わず涙がこぼれた。

どんな時代にも信じた畏敬の人に、理不尽にも裏切られ、犠牲を払わされ、闇に葬られる弱者がいる。
葬った者たちは、平気で「それを選んだのはお前だ」「ヒトのせいにするんじゃない」と嘯く。
スーザンの澄み切った歌声はそんな人々への鎮魂作用があるように思える。



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