『科学と人間行動』

アテネオリンピックの年に紀伊国屋で発見した翻訳書を入手した。

府立図書館から拝借したその専門書の返却期日は明日まで。
大学図書館なら夏期休暇中なら2ヶ月は貸し出してくれる。

しかし、修了した今、北京オリンピックが来るまで読まずにいたのは、自分のせい。
ABAの初心者から脱する気配も、今更セラピストになる可能性もない私が読んでも
仕方がない518ページにも渡る分厚い本だけど、
明日、返却するのは名残惜しいので、とりわけ印象に残った文章を引用・転写させていただきます。(私のブログなんて誰もアクセスしてませんから・・・)

「セラピストが初めて患者に出会ったとき、(患者から)"問題”を与えられる。
患者は常に不利な行動や危険な行動の新しいパターンを、行動を理解する新規の経歴とともに示す。
しかし、セラピストは最終的に"何が悪いかを見つけ”、行為を矯正するコースを示唆できるだろう。
それが問題に対する彼の解決である。
しかし、そのような解決が個人に提案されたとき、たとえそれが正しくても、必ずしも効果的でないことは往々にしてある。
しかし、もし患者が自分自身でその解決に至ることができたら、彼は効果的なコースを選択する可能性が非常に高い。
(中略)
誰が見つけたにしても"解決を見つける”ことが治療なのではない。どこに問題があるかを患者に話しても問題となる独立変数を効果的に変化させることにはならず、したがって、治癒への進歩もほとんどありえない。どこに問題があるかを発見した場合、解決が患者自身のうちからもたらされ、それが重要というのではなく、彼自身で解決を発見できたことは、実はその問題に関連する行動が大きく改善されたに違いないことである。
セラピーは、患者に自分の問題を発見させることではなく、患者が自らそれを発見する方法で患者を変えることである。」


ところで、
私は自分が何者なのか、どうして生まれてきたのかという自問自答に回答できていない。
ABAを完璧に理解していないくせに、励行してきたことがある。
無駄と思える徒労に過ぎない障害児・者支援の日々の積み重ねのなかに、自己満足的な変化を見出すときだ。

例えば、現在の施設で最も成長したと感じる利用者の女性Mさんの行動変容があった。
4月からGWにかけて彼女の失禁の回数は1日に10回近くだった。
私は彼女の腰元のようにトイレと更衣室を往復し、下着やトイレを洗って過ごした。
この失禁行動の減少を目標に、1ヵ月後には一連のトイレットトレーニングがだいたい確立して、
私のサポートなしに自分で用を足し、失禁はゼロになった。
彼女に幼児期に出会っていたらもっと楽に身辺自立できたのじゃないか?
これまで彼女にかかわってきた人々は何をしてたのだろうとも思った。

それだけでも、すごいと思うけど、
真夏の炎天下でトマトの収穫を一番してくれたのは、Mさんだった。
無発語のMさんの知的水準は私の推測では1歳半にも満たないだろう。
Mさんが1日も休まず、笑顔で送迎車に乗り込み支援者とがんばってくれたこと。
これくらいしか、私にはご褒美といえるものがない。
事実、授産施設は赤字が膨らんでいく一方で、ボーナスもない。
施設長には、
「すごい履歴だけど、ゆきんこさんってこの施設では何ができる人なのかわからないわ。」
と凹まされ、モチベーションも口角も下がった。

なぜ、自分もジリ貧で慢性的な疾患があって、病んでいる実家と婚家を引きずって、
いつ、どこで利用者の誰かが、事故や発作を起こすかどうかハラハラドキドキしていても
ほんの一瞬、ひきつり笑顔でいられるのか?

「ブリッコだなあ」(嫌子)とPさんはゆきんこの傷心を慮ってくれないけど、
食事の後かたづけの食器洗いをオペラントにやってるらしいし、お義父さんとお義母さんは、
笑顔で私を迎えてくださる。(いずれも好子出現による婚家訪問行動の強化?)

それは、ABAの師匠たちとスキナー博士のお陰といえば、あまりにも拡大した論理の飛躍なんだろうか?

公私共にトイレに入っている時間がいささか長めの私だけど、
排泄行動は、実は人類の永遠不滅の研究テーマなんじゃないかと思っている。
確か、I先生の研究論文にもあったよね!?

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テーマ : 小さなしあわせ - ジャンル : 日記

コミュニティ・キャット

今日は、朝から夕方まで雨が降っていた。
こんな休日は、(プー太郎の間も天候に無関係で)
一日中、PCの前に正座している。

なんとか仕事にはありついたので、4月から夜間大学院の2年生になり、
本格的に修士論文に取り組んでいくことになる。
その意味でも2足の草鞋を履く生活がしばらく続く。
今度は、去年のようにバーンアウトしないように、健康管理にも気をつけなくちゃ。

毎日のようにI先生のブログを眺めては、しつこくコメントしていた。
滅多に返事をもらったことなんてなかったのに、
ここ数日は直接、ゆきんこ向けらしきお返事が書いてあった!    メチャクチャ嬉しかった!

特に今朝、ブログを見てみると「子どものことを自宅に帰って
家族に話すのはどうか?」という返事と共に、
「ゆきんこさんのアイデアをこれからもコメントしてください。」
とも書かれていた。

しかし、出したところで一円も報酬はない。ボランティアだ。
そこでさもしいことを言ってしまえば、ケチ臭くなってしまう。
私は構わない。私にはいつか両親が亡くなってしまえば、もう自分しか依るべきものはない。

だから、自分のアイデアも考えていることも、ここでぶちまけつつ、
誰かの役に少しでも立つのならこんなに嬉しいことってありません。
どこが違うのかと言えば、見落として気付かずにいること、
当たり前のことなんて何もないと発想を転換すること。
どんなにしょうもないことに見えても凄いことがあると思えること。

それが、ABAそのものが教えてくれたこと。

13日(月)にH図書館でリクエストして借りていた講談社ブルーバックスの
単行本を読み終えた。
『検証アニマルセラピー』ペットで心と身体が癒せるか?
ヒトと動物学会会長の東京大学の林 良博先生の著作だ。

ちょうど1ヶ月前のモーツァルトの250回目の誕生日に、
メンタルヘルス研究会に飛び入り参加した帰り道、ペットショップの店先に置いてあった業界新聞で見つけたのだ!

わざわざ大阪府図書館から取り寄せて、2週間限定で貸し出して下さったので、明日には必ず返却しないといけない。

ゆきんこは、恐らく保育所にはもう戻らない気がしている。
「自分のソシャルスキル」がないとゼミのY先生に言われたことは、
プチトラウマになっている。

新しい職場で上手くやっていけるのかどうか自信はない。
生命保険の女の園も、熾烈な火花が飛び散るだろう。
でも、保育所や保育士たちにも無数のトラウマがあった。
だから、余暇活動にボランティア活動を通して論文を書くしかない。

1日8時間みっちり子どもまみれだった去年から、
子どもとかかわる時空間が殆どなくなってしまった今、
それを確保することから、悩ましい問題だ。

緘黙児を対象を限定すると、自分自身がカミングアウトして大失敗しただけになかなか難しい。とっても悩んでいる。。。
だって、無理強いなんてデリケートな緘黙ちゃんに、そんなことできない…

『アニマルセラピー』の中で、特に印象的なのは、「コミュニティ・キャット」というネコの存在。

私の17歳当時の漫画「ぼくはネコである」のタンゴもそれに近いけど、
「地域社会ネコ」は、特定のご主人や住処を持たないが、複数のお家を
渡り歩いて複数の名前をつけられている最も社交的な世渡り上手なネコ
と定義される。
林先生が、1996年にネパールのカトマンズで3種類の形態で暮らす
イヌやネコの存在を発見し、このような人馴れした動物が、アニマル
セラピーに最適だと述べている。

人間でもおんなじで、生命保険会社の営業部長、課長たちが、
機知やユーモアに富んでいるのは、全国規模で転勤しながら、
数多の女性営業職員を毎月、毎月教育しなければならないという
激務に耐え忍んでいるからだ。

私も固定化した職場になぜか定着することができず、
アルバイトという不遇に耐え続けてきた。
ありとあらゆる自閉症のみなさんや、小児科の子どもたちと
遊びまくってきた。
その体験を毎日、I先生のコメントに書きこんできた。

ゆきんこは、「コミュニティキャット的ヒト」かも知れなくて、
結婚もしてないから、多分これが私独特のライフスタイルになって
いるのだろう。
子どものころは鍵っ子で、母が帰るまで友達の家で居候していた。
血のつながった家族で分かり合えなかったり、話ができない関係なら、
ちょっと斜めの隣のお節介おばさんが聞いてあげる。
それもダメなら、イヌやネコが一番。
だって、「ワン!」とか「ニャー」だけで、絶対ヒミツを守ってくれる。


時々は緘黙になる。それもいい。
I先生とは、たったの一言しかことばを交わせなかった。
何度もコメントしてやっと返事がもらえた。









行動分析学入門

こんなに、こんなに寒いのに、今日はセンター入試試験の第1日目。
受験生の皆さん、指がかじかむかもしれませんが、全力を尽くして
がんばってください!

なんていう私は、ちょっと昔の、一応「共通一次試験」世代なのだが、あの途方もない受験勉強を受ける前から断念して第1志望大学は自宅から最寄の私立専願だった。
今思えば、どんなことでもダメもとでやっておくんだったなと
「後悔先に立たず」である。

日本は、バブル崩壊を境に年功序列も崩れて、実力主義に移行しているものの、女性にとっては相変わらず、不平等感は否めない。
女性でも、相当エリートで優秀でないと、男性と対等な処遇は得られないのだ。

今なら、一浪してでも自分の意志を貫いて将来のことも考えた選択も
あったのかなと思うけど、明日のことは、誰にもわからない。

恐れていたLD指導実習の返信封筒が届いた。参加は却下された。
うっかり申し込み忘れたK−ABCという心理検査が未修得という理由からだ。
年に何回も受講できる講座もあれば、1回逃すと来年まで待たないと
いけないなんて、なかなかシビアだ。
それも、丸3年かけてこつこつポイントを取得し、
実習を残してたったひとつになった「K−ABC」が抜けていたがために
なんて!また1年待たなくちゃならない。
あ〜、時間とお金の無駄だ!!

何だかかんだって、こういう特殊な狭き門の権威たちは、けち臭い!
「僕に習わなくちゃ、他の誰も教えてくれないよ。」
そうやって、弟子を傅かせてガバッと儲けて左団扇を扇ぐ。
お高く留まって、出すものを出せば受講させてやろうという感じだ。

どうして私ってもっと等身大の幸せを見つけられないんだろう。
センター試験に合格すれば、不合格のライバルを蹴落として、
少なくとも、有利な将来が約束される可能性は高くなる。
現役高校生の場合は。

問題なのは、従来のシステムの過渡期から弊害も残されたままなのだ。
つまり、たった一度でも転んでしまえば、あとからどんなに努力しても
堅い扉が、決して開くことのなく、敗者復活戦のルールがないのだ。
一度、コームインになれば、まずは将来安泰で、いろんな特典がついている。臨時のアルバイトとの身分差は、甚だしいものだった。

ABAの世界では、ルールや環境はいくらでも個の利益のために改変しても
構わないのに、法律も含めてわざわざ不公平なシステムによって
一握りの為政者の餌食になっていることに、国民は目を見開いて、学習
しなおすべきだ。

それで、前置きの不満がたった一枚の返信封筒で噴出してしまった。
もちろん、見落としていたのは私自身の責任だし、スーパーバイザーの養成スタッフの絶対数は極小だから、大人しく1年待てばいいんだけど。

2004年1月26日。
このLD養成セミナーでABAという「最新の心理学」を知ってかれこれ2年になる。

そして、今、私の手元には、ABAの第1人者によって書かれた入門書があ
るので、是非是非、紹介したい。

失敗行動や犯罪の原因は、“心”に求められることが多い。
「あいつはやる気がない」「過去のトラウマだ」等等。
しかし、これでは、評価にこそなり得ても、問題解決にはつながらない。
(応用)行動分析学(Applyed Bahavior Analysis)は、
ヒトおよび動物の行動を「行動随伴性」という独自の概念によって
明らかにするもので、行動の原因を個体内部、つまり心ではなく、
個体を取り巻く外的環境に求めていく。
アメリカの心理学者スキナーが創始した学問体系である。
介護や医療、ビジネス、スポーツ、家庭などさまざまな現場で応用されており、大きな成果をあげてきた。


…というわけで、死んでいない人間を含める動物のやることなすこと全てが行動という定義だから、これまで閉ざされた門をドンドン叩いて
泣いているよりも、少々業界が変わってもヘコタレルことも
ないかなんて、割り切ろうとも思ったのだ。

あの営業所には、笑顔とお菓子、和気藹々としたムード。
それが、私を素直に魅了し、「行動随伴性」を強化させていた。

テーマ : 人間観察 - ジャンル : 日記

雨があがったら・・・

え〜、ブログ見たり、メールの返信して寄り道してたら、
何を書くんだったかな?と遮断された記憶を呼び戻すのに
ちょっと時間がかかってしまうことがないだろうか?

昨夜から今日の午前中にかけて、今年初めての雨が降り続いている。
明日は、講演会に出かける予定を作ったのだけど、
何となく明日が待ち遠しい。

一人っ子の私は子どもの頃から一人でも退屈はしない性質だけど、
降り続く雨はなんとなく鬱陶しい。
これが、冬中続く雪国の方々の鬱陶しさはどんなだろう。
正午の手話ニュースでは、記録的な大雪のなかで、各地で
被害・雪崩が相次ぎ死者は86人を数えたという。

時間がいくらでもあるというのは、忙しすぎる方々にとっては、
厭味なのかもしれないけど、そこは、社会システムに問題が
まだまだ山積されているからと居直ってみたりする。

スクールの語源スコラというラテン語は、「暇な」という意味で、
暇がたっぷりあって、することなすこと我侭気侭、それを
ブログに好き勝手に書いているに過ぎないのだから、
なんという贅沢なんだろう。

しかし、このままではいけないと勿論、心のどこかでは思っているのだ。

マスコミや世間の動向を見ていると、新しい発想やアイデアを
出しては、実行するということが煽られているような気がする。

そうした裏舞台やからくりに気づかない脳天気人間なら、
もう少し上手く運をゲットできるのかもしれない。

連ドラの主人公ハルカは、涙で旅行会社の社員たちに別れを告げて、
故郷に新天地を求めて旅立っていく。
もともとは、大阪生まれの女の子なんやけどな。
「旅行に行って帰ってくると、家がしみじみいいと思って帰ってくる
まあ、浮気と一緒やな。」
と支店長役の桂 文珍氏の台詞。

ゆきんこの「風のハルカ」の未来予想だけど、
ハルカは幼なじみの正美君と結婚して、時期女将になるんじゃないかな
この推理かなり自信アリです!

ゆきんこは、芸術とともに、自然が好きだ。
ずっと大阪で育ったし、母も大阪生まれ、父の里とは疎遠だったので、
故郷は、この街。でも自然はどんどん少なくなり、住みにくくなった。
自然と共存したいという思いは、子どものころから漠然と持ち続けていた。子どもの頃から、「アルプスの少女ハイジ」の世界は、憧れ、
理想郷に近かった。

ヘッセの「春の嵐」を読み終えて、
高橋健二著「アルプスの少女ハイジとともに」(1984彌生書房)
を昨夜のうちに読み終えた。
典型的なテレビっ子、漫画っ子、アニメっ子だった私は
読書を嗜んだことがあまりなかった。

この本の副題は、「シュピーリの生涯」であり、高橋氏は、
著名な作家の伝記研究家である。
彼女の代表作は燦然と輝く世紀を超えて読み継がれるであろう「ハイジ」だが、主人公の孤児ハイジだけでなく、車椅子のクララ、
頑固なおじいさん、盲目のおばあさんなどの登場人物は、
彼女の原体験に起因している。

ヨハンナの父は精悍な医師、牧師の血を引く母という両親に
育まれ、兄の友人だった青年シュピーリ氏と結婚、25歳で弁護士の妻となった。

一人息子のベルンハルトの子育ての傍ら、公務で多忙な夫とすれちがいの退屈な結婚生活を送っていたが、子ども時代のエピソードを
散りばめた童話を、中年期から晩年にかけて精力的に執筆活動を続けた。

シュピーリは71歳のとき、看護婦学校の記念帳に、ゲーテのことばを
書いてサインしている。

「幸運は、だれに一番美しいしゅろの枝をさしのべるだろうか。
喜んでことをなし、なしたことを喜ぶ人に。」


そうだよね〜。これもABAの真髄にわたしの場合は帰結していく。

私はここでじっとしている。
幸運はやってこない。
自分から向かっていかなくちゃな。

でも、対人不安や恐怖は治っていない。
PCのメールや、テレビ、著作などの超間接的コミュニケーションは、
その受動態である限り、十分な恩恵を受けられる。
無駄に傷つかなくていい。

保育所といい、初めて就職した会社といい、「渡る世間は鬼ばかり」
と言わんばかりに精神的苦痛を与えてくる上司や同僚はどこに行っても必ずいた。
それが傷口に塩を塗りこまれているように、本当に辛くてたまらなかった。


失業と言う名目で、父と同様にいい年して引き篭もっているには
違いないのだ。

Sちゃんは、上手に慰めてくれる。
「それは、引きこもりじゃないよ。学生してるじゃない。」

興味のある新聞の求人広告を見るけど、電話をかけられない。
履歴書を引っ張り出すけど、失敗して返却されてきた過去の
履歴書の束を見ると気が滅入る。

その意味では、表面的に「普通じゃない」「明るくて元気じゃない」
と複数の人が言っても、本当にはわかってないじゃないかと、
猜疑心が顔を出す。

その矛先は、あんなに憧憬していたABAの師匠に向けられていた。
勿論、直接かかわった信頼関係をダメにし、されてきた多くの
同業者たちに比べると、I先生の功罪は無にも等しいもので、
第3者からすれば、私がひとりよがりに悶えているだけだ。

大河ドラマ「巧妙が辻」の台詞
「父母を失っても、こうして笑うことができる。」
「ひとはなぜ、いくさをするのでしょう?」
「ひとに欲がある限り、いくさの絶えることはなかろう。」

いくさは男性の専売特許じゃないか?
端的に、オノコは、攻撃欲求や闘志も強い。死の本能も。

土曜日のプログラムでは、「地球大好き」をよく見ている。
今日は名古屋市の自転車通勤推奨の取り組み。
通勤手当を自転車の場合は4000円、自動車では、1000円にした。
Sさんの通勤時間と経費は、
地下鉄 30分 9110円/月
自動車 15分 5000円/月
自転車 15分   0円

自分のペースで途中の景色や鳥、魚も観察しながら
楽しく且つ健康にも地球にも優しく、経済的だ。
この取り組みで、名古屋市民の自転車通勤者は600人増加
自転車通勤者は、1300人減となった。

デメリットもあり、ドイツに比べると自転車専用道が整備されていない
ため、車道を走ると事故に巻き込まれる危険性も高い。
沿道の植物の蔓に車輪が巻き込まれたりすることもある。
これらを克服するのに、HPなどの掲示板で市民の草の根の声も参考に
ガイドマップの作成も行なった。

レンタサイクルショップを市街地の要所に設置するなど、
車から人、自転車社会への転換を試みる街作りが展開されつつある。

ところで、ゆきんこは占い好きである。
心理テストもやってみたら、今年は変化の年、複雑、波乱万丈とあった。
もう保育士を続けることはないだろうという予感は、
度々の同業者の罵りと進言から、兼ねてから潜在意識にあったものの、
相変わらずの暗中模索だった。
こんな時代だから、みんなおんなじなんだけど…

その意味では、暇がたっぷりあっても、こうしている間にも、
お金は使う一方、仕事はないという行動の遮断化された精神状態は、
ユルクナイのだった。

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HAPPY MY BIRTHDAY

2006年度の6日目。
いよいよわたしの誕生時刻が迫ってきた。

今朝のニュースでは、生まれて10日の赤ちゃんが
何者かに誘拐されたと報じていた。
新年早々、なんという事だろう。
どうしてこんなことをする人が増えているんだろう。

犯人さん、あなたにもお父さんとお母さんがいて、
お母さんは苦しい思いをして産んだんだよ。
あなたが大きく成長するまで慈しみ育ててくれたんだよ。
一体、あなたの人生にその行動をしなければならない
何があったというの??

おっと、熱くなってるなあ…
今日も、雪国はお年寄りが家の中に埋もれていて雪かきも儘ならない。
除雪にかかる経費も20万から30万円もかかるそうだ。

さて、ゆきんこは只今、なんと10年前の懐かしいお気に入り
アーティストのBGMをかけて、ご機嫌さんである。
「傷つけあうより、素直な心と微笑み選んだの
優しさ忘れて暮らしていたこと初めて気づいたの
輝いていた頃の私に再び戻って」

お送りする曲は、アルバムIMPRESSIONSから「♪もう一度」
アーティストは竹内まりや
朝のトーク番組では、森光子さんが、竹内の作詞、パートナーの山下達郎の作曲の歌をプレゼントしてもらったとか。

昨日、ハローワークを後にしたわたしは、G美術センターへ向かった。
H市の市街地から隣駅のG駅の沿線に小学校時代4年間住んでいた。
いつ通ってもとても懐かしくなる。

あの頃、通りでゴム段をした友達の子どもたちは
年賀状の中で小学生になっているのだろう。
でも、私たちの子ども時代の遊びは殆ど踏襲されていないように思う。

なぜ、こんなにも懐かしいのか。
ゆきんこの初恋の思い出もここに詰まっているからだ。
この頃、コミュニケーション力が備わっていないと相手に伝わらない
云々の番組や記事もよく目にする。
わたし自身が常にそれに苛まれ続けてきた。

わたしは、当時から内気な大人しめの女の子だったと思う。
でも、あまりクラスの周囲のことよりも、自分の内的世界を充実させることの方が好きで、休み時間もじっと机に座って過ごしていた。

障碍のある子どもたちの存在も、
既に小学校2年生ごろから、気に留めていたように思う。

自分の誕生日にこれから書こうとすることは、なんだか変かも
知れないけど、ここ数日気になっていた男の子がいる。

7歳当時の初恋の相手は、同じ2年3組の中にいた。
隣合わせの彼の似顔絵を同じ班の友達よりも念入りに描いたことも思い出す。

でも、気になる男の子というのは、「♪年下の男の子」なのだ。
年下といっても、まーくんは同じ年の12月生まれで、学年が1つ下だった。
そして、小学校5年で転居のためにこの地域を離れてから思春期を経て、
成人後も長い間会うことはもちろん、思い出すことも無かった。

しかし、22歳の時に彼と最期に無言のお別れをした。
当時の彼の友達や、彼女も集まってうつむいていた。

私には幼い頃、彼の勉強部屋で年の離れた弟が生まれたときに
「二人の赤ちゃんみたいだね」とかなんとか言って
かなりリアルなお母さんごっこをしていた。

幼稚園から小学校まで一緒だったが、クラスはいつも隣り合わせで、
母親同士が幼稚園の同僚で、ご近所という間柄だった。
でも、その頃の私は、まーくんの気持ちに本当に鈍感だった。
毎日遊んでいたのは、もちろん女の子ばかりだったが、
意中の男の子は、遠くから眺めているだけで、
自分から話しかけるなんてことは滅相もないことだった。

まーくんは、なかなか機転も利いて、知らず知らずに至れり尽くせりという感じで時々遊んだものだ。
彼のことをなんとも思っていなかったから暢気に遊べた。

彼はわたしの転居した先にも、お母さん弟と一緒に遊びに来てくれた。
確か、当時流行だったマグネットが裏返るオセロゲームを楽しんだ。

まーくんのことは、あくまでも友達で幼なじみだったけど、
わたしは男女のそんなスタンスに今でも心地よさを覚える。

もう思い出の中でしかまーくんに会うことはない。
彼は22歳でこの世を去った。
バイク事故で頭蓋骨がめちゃめちゃだったので、
お通夜では棺の中を見ることもできなかった。
少年のころから端正なハンサムだったけど、
青年になった写真を見せてもらった限りでもなかなか立派な感じがした。
はっきりと脳死状態だったが、マラソンで鍛え上げられた心臓の鼓動は
なかなか止まらず、その間、彼のお母さんは半狂乱状態に追い込まれた。

写真には、雄雄しく走る姿が映し出されていた。
有名私大の陸上部の4回生で、箱根駅伝に出場することを嘱望されていた
矢先の事故だった。
それまで、思春期をただひたすらに走り、恋もしただろう。

同世代といっても、いつどこでどんな風に出会うのか、
大人になって社会的な地位が明確になると、
真心や素直な気持ちで人と接することが難しくなる。

まーくんは、性別も感情も何もかもを凌駕している特別な存在として、わたしの胸の中に残る優しい思い出なのだ。

ねえ、まーくんどうして今頃現れたの?
天国で、思いっきり走っていてよね!






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