同僚のブログ

口は災いのもとといいます。

昨晩の代理で夕方から夜のバイトに臨時出勤したところ、口が滑ってしまいました。

休憩時間のお喋りタイム。
っていっても、仕事中も我々はしゃべってなんぼの商売です。
前回の流れで、同窓会の話題で盛り上がりました。
そして、なぜか話の流れは早婚で3人のお子さんがいるというMさん。
どうやら晩婚でDINKのゆきんこに興味津々のご様子。

「ゆきんこさん、40にしてどうやって出会ったんですか?」
「ブロトモだよ。」
「え~!!私もブログやってます!リンクしていいですか!」
いつも明るく素敵な雰囲気のMさんに好奇心たっぷりに言われると、
余計にはずかしい・・・
だって私から見ると、なんだかMさんって真逆にセンセーショナルな感じするから。

「いや、ブログは自己中に書いてるから、ごめんやけど、トップシークレット。
でも、この仕事に因んで、ヨーグルトのことをアップしたよ。」
「なんか難しそうなこと書いてるんじゃないですか?」
「私は最近ブルガリアヨーグルト食べてるんだけど、中ブタの豆知識を転記しただけ。」
「私はアメーバブログやってるんです。」

ってことで、親切にもブログ名を教えてもらい、さっきアクセスしてみた。
すると、ご当人の写真も何枚も投稿されていた。☆彡

う~ん、第一印象といい、ブログといい生きざまからして堂々としてるなあ
もしも、Mさんこのブログに着いたら、めでたしめでたし。
でも、わかんないように更新してますからね。
用心深いのです。
これも、生き方の姿勢の違いなのかもね。

現実の私を知ってる人にブログ見てもらう必要ないと思ってるんだけど。
更新するまえに、もう話してますから。
直に会っておしゃべりする仲間。
それが一番と思っています。

自分は誰とも知らない人にこっそり読んでもらいたい方ですが、
Mさんのブロク読者となりました。
では、来週もよろしく。
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ブログの功罪

ブログの世界は、摩訶不思議。
人間はことばを持ち、ウソをつくこともできる有機体だ。
本当のこともウソや虚構も混ぜこぜになっている。

わたしの場合、かなりリアルに日々のことを綴っている。
プライバシーへの配慮は、これまでの仕事柄怠っていない筈だけど、
なるべく真実を綴りたいのは、自分の本能に根ざしたものだ。
このことは、かなり勇気のいることだけど、それを承知の上で
ブログを作っている人々は、話題を選択し提供することは当然だろう。

実名を公表している社会的に著名な方々というのは、常にその功罪を弁えることが必至だ。

ブログを始めた理由は、単純だったし、昨日からひたひたとS生命の
トレーニングを受け始めた私も、そのきっかけというのは、単純だった。
1月5日にハローワークで誘ってくれたのが、足に障碍を負ったBさんだったからだ。

単純に、面と向かい合わないことが前提でコメントできるのが、
ブログのいいところ。

顔を見る、声を出して実際のコミュニケーションをするのとは、大違い。
ことば以外の「その人」自身が醸しだすありとあらゆる情報によって、
話さなくともいろんなことが読み取れたり、わかったりすることは
膨大だ。

それが怖くて溜まらないから、思いかけないところで緘黙に陥り、
障害児業界のプロになりきれずに泣いてばかりきたのだ。
私の実物を十分に知る人なら、それをもどかしく思いつつも、わかって
くれている「だろう」と思う。

今年の1月から、人生のベクトルは思いもよらない方向へ動きだしている。
その一方で、過去にも片足を乗せたままにしている。
こんな中途半端な歩き方ってあるかしら?あるよね。

純粋なNPOだけで生きるなんてあまりにも過酷過ぎる。
それなら、「仕事は仕事」と割り切って、本当に好きなことを余暇にしてしまった方が、今までのように苦しまずに、ゆきんこらしいナチュラル・サポートができるんじゃないか?

それを今、試行錯誤しているところだ。

昨晩、午後5時40分ごろ
夜の学校へ向うJR環状線の電車の中で、大阪駅に着いた瞬間、
向かいの側の座席の壁面の小さな広告に目を留めた。
「ことばは感情的で、過酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。ことばのチカラを」


障碍を持つ人々の世界でことばが通じることは、常識ではない。
だからといって、彼らが無益な存在と単純に遠ざけたり、無視や軽視
してきた歴史は長いし、過去完了進行形でもある。

あまり専門家チックでなく、等身大に今を生きているちょっと変わった
日本に平凡に生まれた一女性が、自分の感じたまま、考えたまま、
行動したままを、誰かに垣間見てもらっているに過ぎない。
その意味で、ブログで自分の世界を公開することには、ようやく
ためらいがなくなってきた。
それも、お陰さまで、元気で無事であること、誰かが読んでくれている
のが嬉しいから、書ける。
だから、幸せという気持ちをかみ締められる。
もっといいのは、たった一人ではなくて誰かと共有できること。
それが、たくさんいる人は、かなり贅沢でもっと幸せだ。

その気持ちが表現できるのは、笑うっていうこれも人間にしかできない
行動のツールだ。
それを教えてくれたのは、他の誰より障碍のある人々だった。

だから、彼らをわかって欲しい。
もちろん、かかわるのはとても難しい人たちで、近づけば傷ついたり、
苦しいことも悲しいこともたくさんあった。

彼らもあなたと同じように幸せになるために生まれてきたかけがえのない存在なのだと。

テーマ : 今日の出来事 - ジャンル : 日記

誰も知らない

午後9時前、またわが地域の自治体にまつわる
物憂いニュースが流れる。この10年くらいで
度々、殺人事件や自治体の不祥事が全国ネットで
ブロードキャストされてきただけに、
「本当に悪い町になったなあ」という実感が否めない。

わが町にも確実に発達障害の子どもたちは増えている。
急増していると言い切れば、過言だろうか。
診断機関や諸々のシステムは、かなり大きな町なので、
比較的整ってはいると思われるが、プロと素人の間に
属するサポーターのわたしには、どうも人材や支援内容に
疑問符が残るのである。
そして、勘違いかもしれないが、なぜかわが町の自治体は
大学の専門家を要請しない。

7年前の指導教官は、ステージに立つ度にぼやいている。
「特別支援教育の進捗は、自治体の為政者に依る。
特に大阪はやりにくい。」
特別支援の教員や保育士も、全く専門知識のない人々が
如何とも診断されない子どもたちをマニュアルも何もなく
あやふやに扱っているのが現状だが、子どもたちがそれなりに
いい方向に成長していく姿で、ある程度のサービスに達して
いるのではないだろうか。

わが町の軒先には、ある政党のポスターが増えてきた。
それと関連するのかはっきりと言及できないのだが、
個人的な意見としては、市民の幸せは、決して
支持政党と不可分ではないとすれば、
この町の福祉もどんどん悪くなっていて、
保育士はますます悪条件で、働きづらくなっているのに、
その政党を支持し続けるのであれば、
ますます住み心地の悪い町に、市民自らがしていると
懸念するのは、この市民のわたしだけではないはずだ。

それなのに、わたしは保育所のどの保育士たちとも
一切、そんな話もできなければ、
今や障害児教育界で最も名高いお気に入りのブログの
主の話や諸々の情報についても、話せない。
その現象こそが、民主主義とは言えないんじゃないかと
思う。

うぬぼれなのかもしれない。
でも、わたしだけが感じている。
今日も子どもたちは、それも保育士たちから
内心は「困った子だな、聞き分けのない子だな」と
思われているであろう子どもは尚更、
やっぱりわたしのところへ近づいてくる。
それだけが、唯一のわたしの誇りなのだ。

子どもたちは、ことばは少ないけど
幼い自分を本当に慈しんで世話をしている
大人なのかどうかを見極める本能があるのかも
しれない。

でも、わたしは魔法使いでもなんでもなく、
ただ、専門家や科学者の理論、本の中に書かれてきた
自分で「これだ!」と思うことを、代入し、
自分なりに試行錯誤してきただけなのだ。
そういった仕事ほど、誰にも評価はされないし、
そうした存在は人知れず、スポイルされていくのだろう。

反対に、社会的地位の高い職業の一部の人々が
優遇されることが、必ずしもその人個人の幸せにつながっているとは
信じがたい。

「幸福の王子様」は、ツバメになりたい
わたしのことなんてなんとも思っていない。
そうでなければ、昨日知り合ったばかりの駆け出しの
児童精神科医といそいそとその日にリンクしないだろう。


ずっと前からこの仕事をしてきたのに、
他にいくらでも幸せになれる別の道があったかもしれないのに、
わたしのことなんて何も知らない人々が
「あなたはこの仕事を辞めるべきだ」と
罵られていることも知らないで。

日本じゅうの発達障害の保護者のサポーターを募る声は
「バーゲン会場が恐い」わたしに覆いかぶさってくる。
だから、わたしは息を顰めて自分の「幸せ」が
わからなくなる。