ドラマ「私を離さないで」を視聴して

2016年、新年も無事明けました。といいたいところですが、
実は、年末年始ちょっとしたアクシデントがありました。
幸い、大したことなく、ほぼ無事な状態で過ごしております。

新年から始まったドラマ「私を離さないで」についてちょっと書きます。
たしかブログに書いてたかなと思って確かめたら、3年前に読書感想文をアップしていました。
ベストセラー小説や話題作のドラマ化はよくありがちです。
私の場合、大抵、ドラマ見てから、原作を読んでみたりしていましたが、
この作品は、原著そのものがインパクト大きく、印象深いものでした。

しかも、原作は、外国人(西洋?)が登場人物なので、ドラマで和製化されると、
やっぱり原作の自身のイメージが多少削がれてしまうと思いました。
主役は、綾瀬はるかさんですが、結局、原作のキャシーという主人公のイメージよりも、
主演女優を誰にするのかが優先で、視聴率も左右されるのでしょうね。

テレビばっかり見ている私ですが、
読書でイメージを膨らませ、また読解力を養うことが大切であると感じた反面、
スマホや映像技術が進化する中、読み書きの力が衰えないように工夫する必要があると思いました。

ま、それはそれとして、どうやってこの作品をドラマ化されていったのか、
私の率直に感じた感性とどれくらい重なり合って表現されているのか、
上から目線の一視聴者ですが、最終回まで見守りたいと思います。

ところで、私の母が認知症と診断を受けて数年経ちました。
症状が顕著になる寸前まで、多趣味な母は、エッセイを綴っていました。
改めて、原稿用紙に目を通し、全うな文章構成力に感心しました。
たとえ、将来自身の記憶力が損なわれることがあっても、後から振り返ることができる記録をしておくことが、 
やっぱり備忘になるんだなと実感しました。

もう母はメモを書くことや、文の構成も難しくなってきていますが、
なんとか読み書きの力が少しでも維持できるようにと願っています。




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だまし絵(Visual Deception)展

9月の最終週の3日間は、雨が降ったりやんだりのぐずつき模様で、
末日の今日は朝から日本列島の太平洋沿岸では津波注意報が発令中です。

私の日常は憂いも混じる中、比較的穏やかです。
今朝のNHKの放送では「趣味悠々」という番組でヨガエクササイズを紹介していました。
やはり、ゆきんこのマイブームはひとりよがりのマイブームではないらしい。
番組では古代インド発祥で最も由緒ある流派を受け継ぐアイジンガー博士が提供するヨガポーズが紹介されていました。

いくつかのポーズやインストラクトには、私が続けてきたダンヨガと共通点がかなりありました。
間接の澱んだ気の流れをほぐし、爽快な心身を磨くために精進する点はどのヨガも同じみたい。
でも、違うところもたくさんあるかな?

明日から本格的に働き出すので、27日に無事資格取得の再受験を終えたら、残り3日の余暇は
やっぱりフルスケジュールになってしまいました。
昨日29日は、午後からPさんと芸術鑑賞を楽しみました。
もともとは、訓練校で親しくなったアラサーのAさんと「猫カフェ」に行こうと約束していました。
5月から8月末日までの訓練校での内容は専ら、再就職支援のためのとある専門的業界の資格試験勉強に特化していました。
オシャレで素敵なAさんとは、心理学オタク且つ目指す資格試験の他に、アート好き、ペット好きといういくつもの共通項目が合致し、年の差を超越してなんとなく親しくなっていきました。
急遽、Aさんからキャンセルのメールが入り、代わりにPさんと前約束していた「芸術鑑賞」に変更しました。

午後12時40分にK駅で待ち合わせ。
行き先は、阪神岩屋駅から徒歩10分に位置する「兵庫県立美術館」
午後2時過ぎから「だまし絵(Visual Deception)」を鑑賞しました。
「Pさん、この美術館来たことある?」
「あるよ。」
「いつ?」
「う~んと、いつだったかな?」
「私は去年の3月。修了式の時に大学院で仲良しだった管理栄養士のSさんと『ムンク展』見にきたんだ。」

今月4日は、再受験勉強の前に既にAさんと「ルーブル美術館展」も鑑賞できました。
ふりかえってみると、ゆきんこにとっては、そのキャラクター通り「受験の秋」「芸術の秋」満喫の9月となりました。
そのルーブル美術館との鑑賞のおもしろさの相違点は今回の「だまし絵」展、大いに、大いにありました。

まずは、初来日したポスター表紙のジュゼッペ・アルチンボルト作(1590年頃)「ルドルフ2世(ウェルトゥムヌス)」がお出迎え!
全て野菜果物で、肖像が構成されている古典的な名作でした。

そして、何といっても出展アーティストの描画技術の精密さです。
ついついどの作品も食い入るように見つめないではいられない。
ゆっくりじっくり鑑賞し、遠くから近くからいろんな角度でながめては、
「うわ~すごい~・・・」
と感心しないではいられない。

殆どの作品は印象派以前の16世紀から18世紀にかけての「トロンブルイユ」
という精密な静物画が展示されていました。
トロンブルイユとは、フランス語でさもそこにあるかのような限りなく実物に近い絵画技法です。
当時のメガネ、動物の死骸、木枠の木目、金品装飾品の光沢、ガラスの破れ目、新聞や写真、手紙の消印、切手やシールの剥がし跡、鏡など、今に伝わるありふれた日用品を実物のまま、手を伸ばしたらそこにあるみたいに描写されているのです!!
作品によっては、実物以上にリアルすぎて、ぞ~っとするほど気色悪いものまで・・・

トロンブルイユは、画家が鑑賞者の視覚に挑む知的な遊戯として、バロック時代のヨーロッパ、さらには19世紀のアメリカで大いに流行しました。

最も人気を博していた人だかりの作品は、2008年の新進気鋭のイリュージョン画
パトリック・ヒューズ「水の都」でした。
傍で見ると、立体的に浮き出した3つの建物があり、その先端部の平面に小さな水面が描かれています。
しかし、少し遠ざかって鑑賞すると錯視が起こります。
なぜか、一番出っ張っている水平線の景色が遠方に見え、角度を変えながら移動して鑑賞すると、
不思議やフシギ!
3つの建物の角度が3D感覚で左右に向きを変えた動画を楽しむことができました!!
この作品の前では、老若男女問わず、誰もが「へえ~」「おもしろ~い」と言いながら、
左右をうろうろと何往復もしていました。

閉館5時までの3時間たっぷり鑑賞したら、海岸に面した美術館の夜のとばりが落ちてきました。
離れ離れでそれぞれの目標に向かって活動してきたPさんと私にとって、
ひととき安らぎの鑑賞を楽しむことができました。

いよいよ明日から気分一新で働き始めます!

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うつくしの森の物語

今日から、甲子園の全国高校野球が開会され、理想の男優リチャード・ギア主演の日本の名作「HACHI」が全国ロードショー公開。
でも、トップニュースはアラフォーとしては見逃せないのりピーの逃走事件かな?
どうやら、出頭したという最新報道も入ってきました。

8月4日から職場実習が始まり、無事にやっとサタデーを迎えました。
実習の模様はダイジェストにまとめて書くこととして、

今日は久しぶりに劇鑑賞を楽しみました。
わんわんコミュニティで出会ったチワワのモモちゃんの飼い主Tさんにメールでお誘いがありました。
Tさんの小学校3年生の娘、Aちゃんが出演する子ども劇団8月公演を見に行きました。
同日、旧友のHさんを誘って、午後からデートすることになりました。

その前に、午前中行きつけの美容院に寄り道しました。
肩まで伸びてしばらくポニーテールにしていた髪を切ってすっきりショートにしました。
彼是、12年越しのおつきあいになるSさんに近況を話し、ドッグカフェオーナーと現在の職場実習の様子を話しました。

すると、ゆきんこが結婚してしばらくしてから、娘さんも結婚したという朗報に添えてSさんのアドバイスは、
「ゆきんこさんは勉強が好きだし、全くやったことがないドッグカフェよりも、資格や勉強好きの特性を活かせる今の実習の方が向いていると思うわよ。」
「私もそう思ってる・・・。実用的ではないので、保育士もこの歳で挫折せざるを得なかったと思うんだ。」

スッキリショートヘアに変身して、午後12時半過ぎに自宅を出発。
お馴染みの総合福祉会館のエレベーターに乗り込むと、
フリースクールの主宰BX先生にお会いしました。
「先生、こんにちは!」
「ああ、こんにちは。」
「あれ?先生私のこと、覚えてくださってるんですか?」
「もちろんですよ!」
去る3月15日にわんわんコミュニティに飛び入りして、いきなり論文とドッグCAFE構想を持ち出したときのインパクトが大きかったのか、まだ5回しかお目にかかっていないBX先生に対するゆきんこの印象は大きかったらしい。

今回の子ども劇団の演目はBX先生脚本の「うつくしの森の物語」。
そもそも地元のN中学の先生だったBX先生は、一戦を引退し、不遇となった嘱託教員の傍ら卒業生主体となる「不登校」「ひきこもり」「障害児・者」の進路に苦しむ仲間の居場所となるフリースクールとして2年ほど前に子ども劇団を発足させた。

そのフリースクールの名は悪名高き「とれぶりんか」という。
その名の由来は、子どもの権利条約の基礎を築いたユダヤ系ポーランド人ヤヌシュ・コルチャック先生と200人の孤児が命を落とし、灰となって再生を誓い合った「トレブリンカ強制収容所」に因んでいる。
彼らの犠牲を無にしないように、彼らの想いを受け継いだ世界中の子どもたちや若者たちとつながっていけるようにという願いを込めている。


ゆきんこの論文と創業計画の詳細は、アップしきれないのと、ちょっと起業秘密にしていますが、
今年1月にわんわんコミュニティが発足して間もなく飛び入りしたゆきんこの夢と合致したのと、
私より有名人となった元家庭教師先のTさん親子もこのコミュニティに参画していた力強い有志だったので、すんなりと意気投合したわけです。

ついでに、自慢ではありませんが、ゆきんこ21歳当時の学位論文は「生きかたについての一考察」
をご紹介。
第2次世界大戦経験の世代と非経験の世代の2群の比較において、戦争、病気、差別と貧困という3つの極限状態のノンフィクションを精読し、所定の設問についてディスカッションなりコメントをしてもらって、自分の平素の生きかたに対する価値観が変容するかどうかを検討しました。
題材にした戦争のノンフィクションは、アウシュビッツの強制収容所で他の捕虜たちの身代わりとなって殉死したコルベ神父を取り上げました。

21歳当時、母校N中学に教育実習した時も、偶然、授業を任されたのはヒトラーの台頭の箇所で、
論文に協力してもらったのは、ちょうど20年前の夏休みでした。
教育実習の同窓生たちに、母の経営していた小さな保育所を提供してもらって研究しました。

そういうわけで、根っからのネクラ学生だった21歳の私とそれから障がい児・者界隈で20年経過した現在の私は、BX先生の想いとものすごくオーバーラップするわけだ!!


さて話は今日の出来事に戻って・・・
物語は、
うつくしの森を新規事業開発を目論む事業者と村長の交渉から始まった。
うつくしの森に住むタヌキたちが次々と殺され、存亡の危機に曝されていた。
村長の娘サヤカは、英才教育を施されることを拒んでいた。
盲目のかわりに目に見えないものが見える。
普通の人間の傲慢さや醜さを忌み嫌っていたサヤカは、タヌキのアニキと親友になり、人間との架け橋になってタヌキのコミュニティを守りたいと願う。

アニキがサヤカと親しくなったことがタヌキたちに発覚し、一時は亀裂が入るが、結局、タヌキたちは盲目のサヤカの真心を信用することとした。
しかし、サヤカの願いは虚しくタヌキたちは惨殺され次々と銃に倒れ全滅してしまった。

人間を猜疑し憎むサヤカは、自分もそうした強欲な人間であることを再認識し、タヌキたちに生き残ることを誓い、弔うのだった!

パンフレットによると、この子ども劇団の他にも、BX先生のコーディネートで、「音楽部」「ふれあいマップ隊」「カフェ」「国際交流部」「環境部」などさまざまな専門部が若者の手で作られた。
その最新部署である「わんわんコミュニティ」に突入したところ、ゆきんこの同志がどば~っと集っていた。

ゆきんこワールドは広がっているのか狭まっているのかわからない。
銃弾に倒れ息を引き取ったブン太を演じたAちゃんは、その昔、ゆきんこが通ったS小学校の後輩だし、旧友のHさんは、4年前その小学校に勤務していた。

舞台の上には特別支援教育コーディネーターのH先生が現在赴任しているT小学校の卒業生の姿があったらしい。
そして、実習先はこの総合福祉会館の斜め向かいにそびえている。

公演が終わって、タヌキのメイク姿の子どもたちが入り口で丁寧におじぎしてくれた。

今度は、H先生と少し喫茶店で近況を談話するとH先生の自宅へ引き返した。
H先生の甥御さんが、母の保育所で赤ちゃん時代を過ごして以来、アート仲間としての家族同然のおつきあいは、甥のY君が24歳になった今も現在完了進行形だ。
当時、高校生だったゆきんこが同業種として公私共々相談しあってきたベテラン教諭のHさんとしては、とうとうの転職に複雑な思いがあったらしい。
でも、Hさんのお気に入りのお洋服の数々をゆきんこが着脱しては二人して姿見鏡を覗き込んで微笑んだ。
「ちっとも、スタイルが変わらないからよく似合ってるよ~!」
「本当にもう着ないの?」
「もう着れないから捨てることもできないし、あなたに着てもらえたら嬉しいのよ!」
「やっぱり、持ち前のアートセンスが選んで買った洋服に現れてるね。ありがとう!愛用させてもらいます。」
数年ぶりに見せてもらったHさんの描きかけのキャンバスは以前と明らかに画風が変わっていた。


昨晩、ヨガ仲間のNさんとひさしぶりにヨガで汗を流した。
元不登校生だったまだ20代半ばのNさんは、後輩の問題生徒たちのサポートという重責を担っている。自らの過去を払拭しようとヨガワールドに飛び込んだ彼女も劇的ビフォー・アフターを遂げている。

私より後からスタジオに加わったNさんは、仰向けになっての脳波振動エクササイズに没頭すると、
手足をバタバタさせて断末魔の如く泣き叫んでいた。
しかし、出すものは全て出し切ってエクササイズが終わると、ケロリとさわやかな笑顔を称えていた。

「久しぶり!前から美人だったけど、更に美人になったね!」
「ホントですか。最近、生徒たちが親しんで寄ってきてくれるようになりました。」
「最初に会ったときが、アイコンタクトのエクササイズだったでしょ?正直、目つきがこわかったもん。
あの時から3ヶ月経ったけど、笑顔や目元や優しく自然になったよ。」
「ゆきんこさんもですよ。」
「私も変わったのかな?とにかく毎日新しい出会いがあって前は苦手だと思っていた人とも何の気ないしにすぐ仲良くなれるようになったよ。もともとその傾向はあったけど、ますます人脈が広がっている感じ!毎晩、ヨガをやってるせいかな?」
「毎晩ですか!?」
「うん。そして、いつも宇宙のことを考えてる。」
「へえええ~!!」

やっぱり、ヨガのインストラクターのお達しの通り、毎日、毎時がキセキなんでしょうか!?
このまま実習がうまくいけばいいなと、お盆休みに先立ち天に召された万物に祈りを捧げます。

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MANMA・MIA

3度目のぎっくり腰もようやく全快して、今週の動き。
15日は終日、履歴書・職務経歴書の書き直し作業。
転職サイトやハローワークの求人サイトを眺めていると、だんだんと嫌気がさしてきた。
16日の午後、ある会社の人事課に電話で問い合わせ応募の確認と職務内容について詳しく説明を受けた。けれども、即答はせずに話を聞くにとどまった。
17日の午前中、雪のちらつく中、市駅前の資格取得スクールの説明会に出かけた。
黙々と20名ほどの女性受講者がPC画面に向かって学習中だった。
資料を封筒に入れてもらい、次にハローワークへ向かった。
職業訓練校の斡旋窓口で女性担当者と会話した。
「12月に再就職されましたよね?」
「はい。試用期間内に採用取消の通告を受けまして・・・。
それで、採用されたときに、同時に訓練校の入校許可証をいただき、その時は断ったのですが
再度、申し込みたいと思いまして・・・」
「ああ、通っていらっしゃったのですね。そうですか・・・でも、どうして採用取消に?」
「適性がないとのことでしたが、はっきりとはわかりません。」


夜中にあるとグルグルと思索が巡り、眠れなくなってくる。
16日の夜には、大学院でお世話になったIS先生お勧めの哲学書
ジル・ドゥルーズ著『無人島1953-1968』(2003河出書房新社)を読み終えた。
自分の頭では到底、理解不能な本だった。
しかし、この本の随所には、あらゆる哲学者の名言が散りばめられていた。
一番、印象的だったのはニーチェについて述べられている文章だった。

17日の夜、『無人島』を読み終えた感動を伝えたくて、IS先生に1年ぶりにメールを送信した。
就寝後は、すがすがしい眠りに陥った。
もともと脆弱なゆきんこ流の日々の暮らし術。
1週間先の喫緊未来に、たあいない余暇やお楽しみを取り入れて、気が滅入り過ぎないように
自動回復装置が働くらしい。

2月から劇場公開中のミュージカル映画「MANMA-MIA!!」を鑑賞に出かけた。
その前に、4ヶ月ぶりに総合病院で再受診。
時節柄、マスク姿の患者さんたちが多く、午前中の予約者がずれ込んで3時ごろまで
待合室は込み合っていた。
なかには、「いつまで待たせんねん!次の予定が立たんやないか!」
と事務方に文句をつける男性の姿もあった。

午後1時半の予約だったのに、終わったのは午後4時だった。
同伴してくれたSちゃんをすっかりお待たせしてしまったのだが、
なんとか6時台の上映にこぎつけて、座席を確保するころができた。
観客は、ざっと99%が女性だった。

マンマ・ミーアは、3年前に劇団四季が劇場公開していたのを鑑賞して2回目だった。
私としては、メリル・ストリープ主演であること、初のミュージカル映画ということに見ごたえが大きかった。

もちろん、脇役もバツグンのキャスト構成だった。
殆どがABBAのヒットメドレーで占められているのも飽きがこなかった。
70年代後半~80年代初めのポップスなのに、なぜか、新鮮なのだ。
やっぱり、もう1回英語でABBAソングに挑戦したいと思った。
その瞬間、瞬間の演技はコミカルで、歌詞にも笑いがこみ上げた。
主人公孤島の安ホテルのオーナーでシングルマザーのドナが、昔の恋人に
別れた時の心情を歌に託して告げるところでは、ウルルル・・・と泣きに泣いた。
「♪勝者が全てを奪っていく」

最近、歌を聞くくらいでは泣いたりしませんでしたが、久しぶりにカタルシス効果ありました。
私個人は、映画の方が舞台よりも満足感が高かったのだけど、会場の盛り上がり度は、直に観客と面して演じきる「四季」の舞台の方がダイナミックで白熱感もあったと思う。

でも、嬉しいのはそんなことじゃない。
Sちゃんは、ゆきんこのずっこけ人生に根気よくつきあってきてくれた旧友だ。
お互いアラフォーともなると、
「多分、このまま地球のどこで暮らそうと、どこでどうなってもずっと友だちでいられるよね?」

ストーリーは、父親候補と思しき3名の中年男性にドナの一人娘ソフィが、自分の20歳の結婚式に
バージンロードのエスコートを依頼するために、招待状を投函するところから始まる。
最後は、母親のドナがエスコートして挙式するのだが、同時に3人のうちの本命のサムがドナにプロポーズし、母娘が同時に結婚することでハッピーエンドになっている。
サムは、婚約者がありながらドナと出会い、彼女を捨てて結婚した。その後、ドナとソフィに苦労をかけさせてしまったことを悔いた。けれども、二人とも目の前の異性が真実の愛の対象なのかどうか、定めかねてすれ違った20年を埋め合わせることができなかったのだ。娘が結婚するそのときまで。

けれども、最後の最後には、ドナの盟友たちとダンシングクィーンを再び歌いだすのだ。
私には、メインテーマに隠されたこの友情が、清清しく思えた。
いつも映画に同伴してくれるのは、Sちゃんだ。
長年のつきあいのせいか、彼女に会うと自然、「これでいいのだ。」と自己肯定することができ、
気力がわいてくるのだ。
人は、会う人や立場によって言動を臨機応変にしないといけないけど、
その必要が全くない存在、つまり友人や家族というのは、実にありがたく嬉しいものだ。
そういえば、去年の今頃、私に似たようなライフイベントの真っ最中だった。
いずれも失業中とは思えない、苦境でも笑ったり泣いたりして乗り越えることの大切さを物語っている気がしている。

さてと、
明日はどうしようかな?






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奇跡のシンフォニー

今日も快晴の穏やかな小春日和。
心の天気もこのようでありたいけど、そうはいかないのが人間に生まれた辛さかな?

今日はいい夫婦の日。
なんだけど、午前中ご近所の4人のミセスが集まって出かけたのは、市民会館大ホール。
3連休に連れ合いと過ごさない理由は人さまざまですが、
なかなか夫婦円満っていかないのかな~?

19日水曜日に裏のWさんと誘い合わせて前売りチケットを600円で購入しました。
ついでに母と母の知人のSさんも加わって多文化フェスティバル関連事業の国際シネマ劇場に出かけました。

シネマタイトルは「奇跡のシンフォニー」(2007 アメリカ)
ケヴィン・リマ監督/フレディ・ハイモア主演
上映時間1時間54分

児童擁護施設で11年と16日育った少年オーガスト。
彼は消息のわからない両親に捨てられ、絶望的な孤独の日々を過ごしていた。
そんな彼の心の支えは、いつか両親に会えるという希望と神様から贈られた音楽の天賦の才。

12年前のオーガストの出生は、両親にとっても深い心のわだかまりを残していた。
才気あふれる名門チェリストのライラと、ライヴハウスでリードヴォーカルとして人気沸騰中のルイス
ある月夜の晩、奇跡的な出会いに二人は恋に落ち、一夜を過ごした。

しかし、同じ音楽家であっても、一流クラシカル業界に棲むライラと大衆音楽界のルイスが
再会する機会は訪れず月日が過ぎた。
ライラは一夜の恋で身篭っていたが、年若く将来有望な彼女を父親がシングルマザーにすることを拒んだ。

出産は無事に済んだのだが、ライラの父は子どもは死産だったと嘘をついて
身元がわからないように施設に捨てたのだった。

ルイスとライラは、音楽に対する情熱を失い、抜け殻のような人生をそれぞれに送っていた。

オーガストに類まれな天才的音楽の才能を見出したのは、施設の管理人(ロビン・ウィリアムズ)
元管理人とオーガストは施設を脱走した。
自由を得たものの、オーガストのストリートギターで流しをしながら生活を続け、行政から追われる身となった。

ある時、オーガストは教会のゴスペルに混じっている少女と出会い、ピアノのレッスンをかじってみた。
すると、瞬く間にオーガストは音符を書き並べ、シンフォニーを作曲し、ついには、教会のパイプオルガンを即興演奏するという驚異的な才能を発揮した。

オーガストの才覚を見出した牧師の手引きで彼は無名の神童として、音楽院に入学し、
英才教育を受けるまでになった。

そんな折、ライラは父親から「11年前の子どもが施設で生きている」という遺言を聞かされた。
わが子の消息を探し全米を隈なく奔走すると共に、自然、音楽への志気を取り戻していくライラ。
ライブハウスを引退したルイスにも、音楽への再挑戦の転機が訪れていた。

音楽院で英気を養っていた孤児のオーガストにもチャンスが到来した。
栄えある音楽祭の最終演目としてわずか11歳の少年がオリジナル狂想曲を自らの指揮で演奏するという異例の大抜擢を受けた。

その同じ音楽祭で、母ライラも独奏することは神様だけが知っていた。

ところが、運命は逆戻りした。
元施設管理人が父親だと名乗り出て、オーガストを連れ戻しに来たのだ。
オーガストは管理人に「施設へ連れ戻すぞ」と脅され、指揮台を降りなければならなかった。

管理人の罠にかかり、再び流しの路上ライブで日銭稼ぎに戻ったオーガストは失意に満ちていた。
そこへ、偶然、ルイスが通りかかりギタリストとして親子と知らぬまま再会を果たした。
二人は無心にギターを弾くことで音楽の喜びをかみしめあった。

そして、奇跡のシンフォニー
音楽祭が間もなく始まるという、夕刻。
オーガストは、管理人から逃れ、ひたすらに会場へと走った。
最後の演目の出演に間に合い、浪々と指揮棒を振って数千人の観客に披露するオーガスト
その神から与えられたと思えるほどの調べは偶然、付近を通りかかったルイスと
チェロの独奏を終えたライラの耳にも響いてきた。
消息不明だった息子オーガストは、自ら作曲した荘厳な音楽であの月の一夜以来、引き裂かれていた二人をつなぎあわせ、家族の絆を取り戻した瞬間だった。

ラストシーンに隣のWさんはじめ、多くの観客が涙を拭った。
さて、ゆきんこの場合、今回、素直に泣けない昨今の積み重なった憂さが邪魔をしていた。

まず、アメリカ社会の貧富の雲泥の差が映画からにじみ出る作品だ。
養護施設にいる子どもたちは殆どが黒人だった。
ことばは荒れて暴言と毒舌ばかり。
劣悪極まりない児童養護施設という環境で唯一白人の孤児オーガストは、黒人の子どもたちに虐めぬかれていた。
オーガストと音楽つながりで出会った子どもたちも黒人で、彼らを凌駕して上り詰めていくオーガストに彼らは嫉妬心を覚えていく。

また、いつも好々爺タイプを演じている名優ロビン・ウィリアムズの役どころもシニカルだ。
恩着せがましいのか、オーガストが神童であることを見出した管理人が、施設から脱走し、
金儲けしようと企むところも、アメリカ社会の矛盾を風刺している気がする。

児童福祉にかかわるスタッフも殆どが黒人で配役されているのに反して、
雅な音楽院関係者は白人の割合が多くなる。

音楽を通して父と母をつないだストーリー性よりも、音楽というひとつのプロフェッショナリズムから・能力主義・ビジネスライクに偏狭なアメリカ社会を垣間見て、人間社会は古今東西決して公平でも平等でもないということを思い知らされるのだ。

それに、そもそも子どもを捨てている理由がけしからんじゃないか!
父と母との間に横たわる音楽界の禁断の壁
生まれてきた命をなかったかのように抹殺する人間の卑劣さ、払拭できない差別と偏見が
子どもを犠牲にしている。


なんてことは、チラシの裏に書いてある各芸能人のコメントにはまるでない。
美辞麗句だけでは片付けられないのは、ゆきんこ独自の半生と感性が「伊丹十三」タイプだからなのかも?

そして、自分がどこにどんな風に生まれるのか、どんな才能や環境を与えられているのかは、
やはり神に支配されたものなのか?人間の創出する邪悪な社会システムの弊害か?

なんだか、頭がおかしくなってきた。。。
こういう映画みると、やっぱり、、そもそも(周囲からそう思ってもらえない)ペシミストの私は、
自分の子ども時代を思い出したり、現状の儘ならなさに自分の子どもを産まなくてよかったかも?
と妙な防衛反応が強まってしまうのだ。

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