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2009/09/07 (Mon) 私的に子育て支援
先月、8月31日で訓練校最後の修了式を迎え、60名の受講生が賞状を授与された。
なかには、インフルエンザで来れなかった噂のNさんや、実習途中にトラブルが生じたために、数名の訓練生たちが除外されていた。また、なかには複数の証書を授与されている人もいた。
複数の証書とは、3ヶ月間勤しんできた受講内容の資格試験の合格証だった。

「これからも時々会いたいね。」
「また、来月末も会えるね。」
「再受験がんばろうね。」
「就活もね。」
「ああ~、でも就活疲れるなあ~・・・」

各々の実習先は決していいことばかりでなく、最後に臨席したYさんは円らな瞳がチャームポイントなのに、口角をへの字に下げていた。
実習期間の4ヶ月を終えてみたところで、すぐに就職先が転がり込んでくるわけじゃない。
「お世話になりました。」
次期入校生たちのお世話で気忙しそうなヤマピー先生に挨拶し、訓練校の所在する雑居ビルを出た。
時々、交流していた中途身障者のYさんに声をかけた。
「Yくん、元気でね。」
しかし、彼は知らん振りして杖をついて遠ざかっていった。
実習中、コバンザメのAちゃんと同じ現場だったらしいけど、どうなったんだろう??

午前中のうちに、訓練校仲間とは別れて、正午には「旅立ちの鐘」の前でSちゃんと待ち合わせた。
同じ受験にSちゃんは合格して、同じ業界の就活を先んじて始めていた。
長年の友情のおかげで、情報交換でダベリんぐしながら、しばし、午後の優雅な(?)ランチを楽しんだ。

「民主党圧勝でなんだかいい気味!4年前のブログには確か自民圧勝って書いた覚えがある。」
お互い長引く不況と相俟って就活が厳しいことにめげずにがんばれることをひたすらがんばろうと、
ケーキセットに舌鼓を打ちつつ励ましあった。

けれども、さすがに9月に入っても、8月の実習夏バテモードを引きずっていた。
Sちゃんを呼び出し、専用テキストを借りて再受験勉強体制を整えたはずが、スランプモード。

今週、Pさん宅を2回訪問する機会を得た。
2日の夜は、共通の恩ある知り合いであるN先生のお誘いを受けて公共施設で毎月行われている
発達障害児を対象とした事例研究会に初参加した。
N先生によれば、K駅付近のこの施設でとある障がい者の親の会が主体となって、教職員関係者や
小児科医を召喚してのスーパーバイズつきの本格的な支援活動が始まって10年ほどの歴史があるという。
隣のN市内に在住在職する現役の小学校・支援学校の教員が、それぞれの現場で問題を抱えている
発達障害児とその家族支援のためにグループワークを行っていた。

といっても、それはほんの一握りの熱意ある教員なんだろうか?
転職すると決めて1年経過してみると、案外、それまで教職員大学院では当たり前にこびりついていた「発達障害」やら「アスペルガー」「特別支援教育」という文言は、身近に見聞することからフェイドアウトしてしまったように思う。

事例のA君(小4)の問題点を私なりに掘り下げる作業を、ベテラン教員に混じってグループ討議することは、4年のブランクにもかかわらず、別段難しいことではなかった。
私には、最後のH保育所でかかわったR君との日々が蘇ったからだ。
コメンテーターでA君の主治医のY先生が、彼がウツ状態で、リタリンとLドーパを服用しながらギリギリの学校生活を送っていることを慮っての支援を要請して、閉会した。

世間は広いのか狭いのか、私は閉会してN先生に告げた。
「私としては、今回N先生のお誘いいただき、本当にありがたいです。ようやく小児科医のY先生にお目にかかれたって感じです。
5年前の受験勉強の際、研究計画書をお願いしていた自閉症のお子さんは、Y先生が担当医でした。
今年に入って、踏切を挟んだ商店街の一角でわんわんコミュニティというサークルに参加していますが、代表の中学生の保護者の方がY先生のクリニックで愛犬を介したふれあい活動を行っているんです。」
「そうですか。Y先生にかかっている発達障害のお子さんたちは付近にたくさんいらっしゃいますね。
でも、Y先生がABA以外にもそのような活動に賛同していらっしゃるとは知りませんでした。」

それから、P家を再訪したのは、昨日6日の午後。
お正月ぶりに、Pさん一家が勢ぞろいした。
といっても、ゆきんこの場合はP家に仲間入りして1年半と日も浅いし、まだまだ他人行儀が抜けない。

そんなとき、遠慮がちな大人の関係を緩和するのは無邪気な幼児の存在であることは間違いない。
「Yちゃん、来たよ~!!」
「イヒヒヒヒヒ~!」
ちょうど4歳になったPさんの姪のYちゃんの保育は、終日、ゆきんこの専任となった。

「ひとつだけ食べよう」
「くまさんの横にある四角いのな~んだ?」
「これ!!」

長年、大人よりも子どもとかかわってきたゆきんこの保育技術は我ながら廃れていなかった。
Pさんの弟夫婦には、数多の他児たちと比べて我が子が今、どんな発達状況のどんな課題をもっているのかまで、専門家チックに分析はできないだろう。

「ゆきんこさん、いっしょにしよう!」
「いいよ。でも、ママにいいってきいた?」
Yちゃんから無邪気に手を引いてキャッチボールやかくれんぼ、リカちゃんの幼稚園ごっこなど諸々の遊びに誘われると、根っからの子ども好きな私としては、楽しくて断りきれないのだった。

どうも先月、『新・児童心理学講義』を読んだせいかな?
そういうわけで、翌日の今日はかなりくたばっています。。。


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2007/10/14 (Sun) 幼年教育実践学会第7回大会
昨日、13:10~16:10まで「幼年教育実践学会第7回大会」に出席してきました。

本学会は、会長のT先生によれば、日本でもっとも小さな学会とか。
ゆきんこの所属大学の教員と修了生・在学生で構成され、発足したのは
平成13年度なので、実にこじんまりしているけど、立派な学会のシンポジウムだ。

ちなみに、9月下旬の3連休に開催された日本特殊教育学会は、会員数
2500人以上の大所帯で、シンポジウムもあちこちで賑わっていた。

先週9日のYゼミでは、Y先生から「うちは設営担当のサブだからね。」
とお達しがあったので、12時30分と早めに到着した。
既に受付が始まっていて、2年生の幼稚園副園長のI先生が座っていた。
「こんにちは。」
「こんにちは。担当、サブゼミだと聞いたので、早めに来たのですが、
何かお手伝いありますか?」
「いえ、何もないです。」

会場はストレートの日中の若い院生さんたちが、リクルートスーツで机を移動させ、セッティングの真っ最中。
窓際に鞄を置いてお手伝いに参加した。

早めに着いていた1年生の年上の後輩にご挨拶。
「先生、半年大学院生活されて、如何ですか?」
「も~、難しいこと全然、わからへんねん。」

蓋を開けたメンバーは
大学院だから、すごい~~!
というわけでもなくて、日本の大方の教職員関係者の平均年齢が50代半ばであることから、大学院入試は、白髪交じりの院生諸氏が自然現象としての加齢に伴う記憶力の減退も考慮して、「受験することに意義ある」方式で、ハードルは結構低い。
しかし、入学したからには、出席率や出席態度、期日厳守のレポート提出をきちんとこなすことが当然の責務だ!

そういうわけで、出席者過半数は、頭がごま塩というベテラン層で小さな講義室1は満席になった。

初めにY先生が口火を切って、総会が始まり、次いで拍手で会長に再任されたT先生から挨拶があった。

続いて13:30よりシンポジウム。
テーマは、変革期の幼児教育・保育 -認定こども園をめぐって-

司会のS先生が、この数ヶ月お会いしないうちに別人のように激ヤセした
姿に多くの院生たちが驚きを隠せなかった!!(特にゆきんこ)
「今や家庭という絆の脆弱化と3分に1組は離婚し、残りの2組のカップルも不妊に悩んでいるという、産み、育てることの困難が少子化に反映されています。」

はい。私もその中にふくまれていま~っす!!(自慢じゃない)

「山田教授によれば、私たちにとってかけがえのない、生まれる条件が厳しい社会現状が次々と起こり、生まれてきたかけがえのない命がネグレクトなどの虐待に脅かされている。
家庭や地域から子ども集団を育む時間・空間・仲間のサンマ(三間)がなくなり、その置換としてインフォーマルな子育てサークルなども創出
されてきました。
また、幼保一元化の動向のなかで「認定こども園」は「第3の子ども施設」と言われながら、確固たるものではない。スタートには憶測や懸念も飛び交いました。」

話題提供は、4タイプのこども園からそれぞれのタイプを代表して
県下の3名の代表者に提言いただいた。

初めは、Mこども園のH先生
「昭和23年に児童福祉法が制定され、社会福祉法人化して30年後に
もう一箇所必要だろうと、理事長が保育園を設立した。時代は、第2次
ベビーブームと女性の社会進出が目覚しくなり、保育所の需要に迫られた。狭い園舎に子どもたちがわんさかいた。
2003年に法人を2分割して、新エンゼルプランの下に子育て支援や次世代育成の法制化を文科省は推進し、待機児ゼロ作戦が施行された。

そこで、幼保一元化の歩み寄り案が浮上した。
モデル園として「総合施設」が30箇所設置されたが、横須賀市などでは問題も生じた。
大臣のなかには、保育所から幼稚園、18歳までの学齢期の児童を管轄する「子ども省」を提案する人物もあった。

「認定こども園」には4タイプあるが、保育に欠ける・欠けないという区別よりも、2時までの短時間保育・2時以降の長時間保育という分け方にさせてください。
保護者の就労の有無に依らず、幼稚園と保育園の機能を併せ持つ施設として好評を得ています。

次に、幼稚園タイプY園のK先生は、主にパワーポイントで視覚的に園の様子を紹介した。
運営でややこしいのは、短時間保育と長時間保育とでは、サービスを提供する時間が違えば、保育料も違う。だから給食費も違ってこれが、運営上ややこしいというのだ。
醤油何%は短期保育園児の負担とかなんとか、細々したことで横須賀市では大議論に発展したとか。

最早、日本のあらゆる福祉は、国家責任から丸投げにされ民営化した功罪によって、すっかり措置制度から契約制度に変わってしまった。
これについて云々は、省略するとして、

K先生の発表はあまり印象に残っていなくて、強いて言えば、
2歳児の短時間保育をする「たんぽぽ組」と、
就労する保護者の子どもを2時以降も保育する長時間の預かり保育の
実情を報告していた。

最後は、幼保連携型のOこども園からT先生の発表。
O園は、幼稚園と保育所をそのまま合併したこども園だ。
いわば、別々の銀行同士が倒産しないように吸収合併されて1つになる
プロセスと同じだ。
デメリットとしては、ベテラン職員同士の幼稚園と保育園のカルチャー
ショックが大きかった。

例えば、昼中活動する動物と夜行性動物とが共に生活すると双方にストレスが溜まるのにも似ている。
4時間保育に慣れていた幼稚園の先生たちは、保育時間が夕刻にまで及び、記録や翌日の保育準備の時間が削減されて困憊したのに対し、
保育士たちは、その条件に慣れてきたので、それほどでもないとか。
お互いの保育方針が譲り合えず、バトルも多少生じた。
保育所では、異年齢保育は自然だけど、幼稚園教諭には、年齢の異なる
保育の捉えに抵抗感を示した先生もあったらしい。

でも、最大のメリットは、幼稚園も保育園も子どもは変化に自然に順応し、0歳から5歳まで共に保育する喜びを実感しあったのだそうだ。

ところで、会長で、指定討論者のT先生は、黒板の御前から気のせいか、
ゆきんこの方に注目していらっしゃるではないか?
おまけに年下准教授のI先生ときたら、私に遭遇するたびに、細い目の中の瞳孔をそんなに大きくして仰け反って驚かなくてもいいでしょうが。

両先生は、ゆきんこが社会人大学院生になった3年のうちに、
バーンアウトしたり、失業したり、会社員したり、専門学校の教員したり、また辞めてしまったりと、波乱万丈、煮ても焼いても食えない
ニートスレスレおばはんシングルに憂いや辟易もしているのだろう・・

すなわち、子育て支援の保育士のくせして、少子化加担の張本人ここにあり!

3時からブレイクタイム。
トイレが混んでいたので、ぶらりと外の空気を吸いに遠出したら、
時間に間に合わず、遅刻してコソコソと再入室。
I先生が受付の最後尾にいらっしゃり、勘付かれた。
こらえて、肩で笑うのはやめてくださいってば~~~
わざとじゃないんだから。

生まれつきどんくさぼよよん系なので、パンクチュアルな行動はかなり苦手なことは自認しておりますが、
上には上がいるので、自己弁護しておこう。

15分間の休憩を挟んで、質疑応答タイムが始まった。
H大付属幼稚園園長のN先生が、コメントと質疑した。
「Q.給食問題がクリアされれば、幼稚園・保育園が垣根を越えてやっとひとつになりました。保護者の就労の有無によらず子どもを保育するこども園が実現したことは、社会の要請を受けて歓迎されることです。本来は、幼児期は国が保護すべきですが、社会システムの変動のなか、社会全体としての働き方の問題があります。また、基本は家庭教育にあり、保護者が子育てのイニシチアティヴを執るべきです。この点、こども園がお任せ保育になっていませんか?親も子も基本的生活習慣を育てるという、子育て支援はどうなっていますか?」

「A.祖父母が送迎したり、父親の子育てへの協力も養成しています。地域の方々に園庭解放など行い、ボランティアで保護者に「1日保母さん」「小さな絵本館」など保育者役になってもらったり、イベントの企画を考案してもらうなどの子育て支援プログラムを企画しています。婦人会や老人会との交流会では、近々、稲刈りなどの行事を予定しています。「おやじの会」のやきそば作り「親子体験」などなど、いろんな話ができる場も設けています。」

「A.今は情報化社会。果たして保護者に子育て支援センターの役割を伝えられているだろうか?デイリープログラムの設定保育を掲示板に貼って
伝える。日々の保育を伝える説明責任「accountability:アカウンタビリティ」の必要性を台湾の幼稚園の実践から学びました。
石川島播磨造船場では、午後4時までとそれ以降の2タイプの就労を
選択できるなど、各企業では勤務形態の見直しもされてきたようです。

樋口恵子先生が、安心安全の場はもう保育所と幼稚園しかない。
その環境づくりをして欲しい。とコメントしていました。」

「Q.4月にこども園を新規オープンします。
 保育士と幼稚園教諭のどっぷり浸かった双方の保育文化・意識の壁を
どう乗り越えたらいいでしょうか?」

「A.個人的には、カベはありません。結局は個々の保育者の保育観の相違であり、カベがあること自体、おかしい。ヘンなライバル意識が邪魔しあうのではないかと思います。」

「Q.最後に、今後の夢・展望をひとこと御願いします。」

「A.幼稚園型では、2歳児クラスを設置しましたが、空き教室で0~1歳児保育をやりたくてもやれないことも多く、こども園が全てを引き受ける必要もないと考えています。子育て世帯の在宅支援は羨ましい。
乳幼児の交流の場が作っていける情報交換や特別支援との連携もしていきたいです。」

「A.地域や家庭の教育力の向上にどう役立つか?
 視察も多くなり、保育者・保護者・地域の連携で楽しかったな~という体験を増やしたい。
最近は『気になる子』も増えている。臨床心理士や保健師との連携も必要です。『子どもがしっかり育つこども園』の5年後に向けて作りたい。」

16:10には閉会し、若い院生たちが、再び懇親会のためのテーブルセッティングを始めたので、ゆきんこもせっせと手伝った。

何が楽しいといって、ケーキをお皿に盛っていると、「うわ~、おいしそうですね~」と笑顔とともに涎までこぼれそう・・・

しかし、数種類のケーキに後ろ髪をひかれつつ、ビンボウおばさんのゆきんこ、既知の卒業生の方々に別れを告げて懇親会には参加せず、
海辺にそびえるビルを出た。

サタデーナイトの昨夜は、親になりきれない親子がオシャレな繁華街に
どれくらい屯していただろう。

アーバンでネオンに輝くオシャレな週末の宵もたまには悪くないけど、ヒトは誘惑に弱く、体内時計に反して、好きな物事だけに耽って堕落してしまいそうになる。

栄枯盛衰、奢れる者久しからずや

「楽しければ、それでいいじゃん、」という価値観とモラルハザードが
鬩ぐ街中を抜けて疑問符満々で帰路に着いた。





2005/10/01 (Sat) 快晴の運動会
今日から10月。
今日を迎えるための砂時計のような一日、一刻を
過ごしていたように思える。

昨日の今日の、月の節目は、わたしにはっきりと
「ターニングポイント」を告げていた。

昨日の朝、H保育所のロッカーを開けると、
所長からのプレゼントが入っていた。
「T先生、こんなことしていただいては困ります。」
「気持ちですから。まあ、・・・今後は他の仕事を探した
方がいいでしょうね。」
「今日一日、よろしくお願いします。」

朝礼では、8月中入っていた乳児室に休暇のI先生の代わりに配属された。
「今日でゆきんこ先生が最後になります。ひとことご挨拶をどうぞ。」
「3ヶ月間お世話になりました。事故のことではみなさんにご心痛を
おかけしたことを改めてお詫びいたします。また特に、所長のT先生には
いろいろとご配慮いただき本当に感謝しています。個人的には
わたしは、近くのK病院で生まれたこともあってこちらで過ごさせて
もらったことは、本当にいい思い出になりました。
ありがとうございました。」

9月の事故以来、3~4回は臨時に入室を指示されていたものの、
必ず管理職の目付けから逃れられずにいたが、
今日は隣のクラスの正職員が研修で抜けていて、
主任も遅出だったので、この3週間あまりの乳児室の物々しい
雰囲気は幾分和らいでいた。代わりにT所長がいつものように
とどめのことばを放った。
「ゆきんこ先生、十分気をつけてくださいね。」

乳児室に1週間ぶりに顔を出したわたしに、
8ヶ月のりんちゃんがニジニジとハイハイで寄ってきた。
わたしに辿り着き、ぎゅっと手指でわたしの腕を掴むと
「アア~」と声を出して目を大きく見開いて笑った。
おまけに涎つき。
その愛らしい姿にわたしも涎が出そうになった。

1ヶ月前には、彼の顔の識別の力はもっと
ぼんやりとしていて、毎日顔を合わさない間接的な顔には、
じーっと真顔で覗き込んでいたが、家族や親しい人に
対するリンちゃんの満面の笑みは、健常の発達を遂げている紛れもない証だった。

早速、リンちゃんを抱えてオムツ交換に、
朝の睡眠タイムで彼を乗せるとゴロゴロと乳母車を
押したり引いたりする。

朝おやつが終わって、園庭に、自分の身長よりも大きな
1.7メートル長方の薄い板を運び出し、運動会の練習。
わたしは代理で、レギュラーのアルバイトのI先生の役割を
請け負った。
リンちゃんを乳母車に乗せて園庭の中央に引っ張り出す。
本当はマーくんの乗った車も同時に両手で引っ張るはずだったが、
「わたしがこちらを引きましょう。」
T所長が駆けつけ、助け船を出してくれた。

リンちゃん、マーくんをマットに座らせて待機する。
乳児室の『学級委員長』紅1点の14ヶ月のYちゃんは
意気揚々とバーつき車を押して歩いていく。
足取りもしっかりと低い板の山を登ったり滑ったりを
楽しんでいた。
「いつものようすがわからないけど、今日の練習どうだった?」
「いつもは、誰かが泣いてるよ。今日は3人休みだけど、
落ち着いていてよかった。」

赤ちゃんたちはぶどうの木陰の砂場に移動。
その間に、道具を一式元通りに片付ける。
保育士の仕事は正に体力勝負の力仕事、つまり言い換えれば3Kだ。
保育士の中でも華奢なわたしだが、体育道具よりも軽くても
命ある子どもを手を滑らせて落とすわけにはいかない。

片付け終わったら、今度は赤ちゃんたちをひとりずつ
抱っこして砂場から、対角の乳児室へと運んでいく。

3人連れ戻した時点で、リンちゃんとYくんの食事の介助を任された。
「う~ん。もぐもぐおいしいね。」
初めてこの乳児室に入り、ごはんをあげたのもリンちゃんだった。
3ヶ月前の彼は、まだ自分でお座りもできなかった。
今日は、テーブルの前に座り、以前使っていたトッターに
小さい7ヶ月なるYくんが座る。

スプーンにのせたにんじんを見せてあげると、リンちゃんは
すっと右手で鷲掴みにして、口に運んだ。
Yくんも口のなかが空っぽになるとグズグズと泣く。
「わかったわかった。もっとたべたい!」
とスプーンを口に運ぶと、Yくんはもぐもぐと微細に口を動かす。

14ヶ月のYちゃんは保育士がテーブルを出すと、
いそいそと手洗い場に向かって、「アアア」と蛇口に手を出し、
保育士が来るのを待つようになった。
「はいはい。今お水出すね。」

先月は、この動きはあべこべで、
わたしが手洗い場で「おてて洗うよ、おいで。」
と声かけすると、Yちゃんは1ヶ月早く生まれたSくんの
後についてフラフラとバランスをとりながらも、
Yちゃんは「手を洗う」というお楽しみのために懸命に
歩いて手洗い場に辿り着いたのだった。

どういうわけか、Yちゃんもわたしのそばに寄って来て
自分から抱かれると嬉しそうにしていた。
こういう瞬間は、わたしはYちゃんの実母でもないのに、
心から可愛い~!!と思う脳内物質が流れていると感じる。
私自身は、彼女のように素直に甘えることは苦手なような
気がして、生まれてきたばかりの赤ちゃんひとりひとりの
仕草、初体験を身体全体で感じることの素晴らしさを
学ばせてもらっていたように思う。

Yちゃんは、姉御肌みたいで、自分より月齢の低いYくんの
頭をなでなでする。わたしは代弁した。
「Yくん、いいこいいこねぇ。」
13ヶ月のデリケートなTくんは、管理職が介入して、
ことばをかけると泣いて、なかなか気持ちを切り替えて泣き止まない。
そんなTくんだが、スヌーピーのぬいぐるみを「いいこいいこ」と
なでなでしたり、わたしがぬいぐるみを持って彼のお腹に
顔をうずめて「すきすきすき~!」と揺さぶるとくすぐったそうに
笑う。

反対に、21歳の母を持つ12ヶ月のマーくんは、
保育士の手を離れた隙の自由な時間になると、
ハイハイで自分よりも小さい赤ちゃんに近寄っていっては、
髪の毛を引っ張ったり、噛み付いたりしている。
その度に、保育士は、相手か、マーくんを遠ざけて、
マーくんに「噛んじゃダメ!メンメ!!」と叱ることが
1日のうちに何度となく増えてきた。
最終的には、彼はベッドの柵の向こうに「タイムアウト」に
処せられてしまう。

わたしは、お世話をしながらひとりひとりの赤ちゃんたちに呟いた。
「わたしのこと憶えていてね、っていっても無理か、ハハハ」

昼休みには、休憩室でわたしがお礼の印に持参したカステラと
和菓子を職員に食べてもらったが、所長を初め、何人かの
保育士たちにウケたのが、とろろ昆布でコーティングした
餡餅だった。

休憩室を出ると、主任から指示があり、雑用を頼まれた。
2時になると、職員室には地域の民生委員や児童委員が集まって
会議が開かれた。衝立の向こうから漏れ聞こえる会話は
「主訴は、子どもの発達の遅れと母親の育児不安です。」
「子どもよりも、お母さんの育児下手、育児ノイローゼが
この頃増えているようです。」
「障害児もよくこれだけ揃ってリストアップされたものですね。」


夕方4時には、乳児室から出火という想定で、避難訓練があった。
因果なことに、担任のS先生が
「ゆきんこせんせい、Yくんを抱いて逃げてください。」
と指示したから、サイレンが鳴る前に、他の赤ちゃんたちと早めに
園庭に出たのだが、そこでも、管理職の監視に晒されるのは
当然だった。

5時に主任の声かけで、少し気温の下がった園庭に再び出た。
3歳から6歳までの子どもたちが50人ほど勢ぞろいした。
子どもの前でも声が上ずって震えてしまう。
それほど、プレゼンテーションも下手糞なわたしを
一体どの同業者が「保育士」だと認めるだろう。
「みんなと一緒にけむしをとったり、どろだんごを作って
とっても楽しかったよ。
仲良くしてくれてありがとう。みんな運動会がんばってください。
それから、からだにきをつけて、怪我や病気をしないように、
先生たちのお話をよく聞いてくださいね。」
「はい!」
何人かの子どもたちの返事がバラバラと返ってきた。
「あ、はいっていいお返事がかえってきた!ありがとう。」
「それじゃあ、みんなは『ガンバリマン』の歌を歌って
プレゼントしようね。」
みんなが一生懸命に歌ってくれるのが感動的でまた泣いてしまう。

挨拶が終わると、5歳クラスの女の子たちを中心に
わたしにハグで別れを惜しんでくれた。
その中には不思議と、皆無に近いほど会話も遊びもしなかった
Aちゃんもいた。
「Aちゃん、どうもありがとう。」
3歳クラスの子どもたちは花束のなかを覗き込む。
「このお花なあに?」
「薔薇だよ。」
「こっちは?」
「カーネーション、ママにプレゼントするお花だね。」
「ちょっと持ってもいい?」
「いいよ。写真とってあげる。」
すると、周辺の子どもたち10人ほどが集まってきた。
「待って。写真取る人、順番に並んで。」

5時15分に乳児室を出て、わたしは身支度や、荷物の整理をして
30分後に全体懇談会が始まるのを待った。

10日ほど前に懇談会の案内をしていたが、出席した保護者は
15~6人だった。内訳は、乳児や障害児の母親だ。
所長が、事故の経過と瞬時の対応、今後2度と同じ事故が起こらないようにするための万全を期した対策について説明した。
わたしの名が挙げられて、経過を淡々と語るシナリオがまた
映像化されて再現される。涙が滲んできて、今度はなかなか
止まらなかった。
質疑応答もなく、懇談会は20分以内に終わった。
すっかり日が暮れた園舎の1室1室を廻って、職員に最後の挨拶を
する。
Yくんを抱っこしたお母さんにも
「今日で最後になりました。改めてお詫び申し上げます。
お父さんにもよろしくお伝えください。」
「せんせい。もうそんなに気にしなくていいよ。Yは元気にしてるんだから。」

「お世話になりました。身体に気をつけてください。」
一人一人に挨拶したが、その反応もまちまちだった。
3ヶ月間この保育所のお荷物だったわたしに対して
内心はやれやれと思う保育士も数人いるのは知っていた。
所長にも挨拶した。
「うん。わたしもいい勉強をしました。仕事はきっと
見つかりますよ。」
「はい。ありがとうございました。」

いよいよ、門を出て今晩、最後の目的地に向かった。
自転車を市街地に停めて、プラットホームで乳児室のI先生と落ち合った。
電車で3駅向こう側のニュータウンで下車し、ある料理屋で待ち合わせた。
10分ほど経って、小走りで担任のS先生もやってきた。
運動会1週間前にもかかわらず、わたしを気遣って、
送別会を開いてくれた。
「わたしのせいで、先生たちにも辛い思いをさせたうえに、
こんなことしてもらって、申し訳ないよ。」
「いいの。事故のことは抜きにしても、ごはん食べに行こうって
言ってたし、運動会を待ってから辞めた先生をわざわざ誘うのも
どうかなと思ったから、ちょっと早まっただけよ。」
私より2歳年下の2歳の男の子の母でもあるS先生も、
幹部のわたしの処遇に諸々の思いを抱いてくれていた。

「旦那とも話したのよ。もしうちの子がそうだったらってね。
旦那は、無事だったらよかったなでそれでいいじゃないかって
言ったよ。」
「わたしの主人も息子を自転車から落としたことがありました。
でも、元気で成人しましたから。」
「今朝も所長に言われたわ。やっぱり仕事を探しなおした方がいいって。去年も失業したとき、職業カウンセリングのテストを受けて、
適職は別の職種を言われたから、ゆっくり考え直そうと思うの。」
「いったい何?」
「何だと思う?」
「看護婦?」
「ううん、図書館の司書」
「ああ!!向いてるよ、絶対!」
「やっぱり・・・・」
でも、子育てを終えた年配のI先生がこう言ってくれた。
「うちのクラスの赤ちゃんたちは人見知りがひどくて、
もっと長い時間接している非常勤の保育士さんたちにも
未だに泣くのに、ゆきんこさんが初めてきた日から誰も
泣かなかったじゃありませんか。子どもに好かれているあなたは
それにもっと自信を持ってもいいですよ。今回はいろんなことが
重なっただけで、本当にやりたいのだったら、この町で
できなくても、他の町でもできますよ。」
「ありがとうございます。そういっていただけて、どんなに
励みになるでしょう。」
「私は、去年まで、幼稚園で用務員の仕事をしていましたけど、
赤ちゃんをお世話するのと同じようにお花を植えたり、育てたりするのも楽しかったし、それを見ていた子どもたちも、わたしと過ごしたことが一番楽しかったと言ってくれて、担任の先生ががっかりしていたんです。」
4人は一斉に笑った。

「そういえば、H保育所ではわたしはそんな感じでした。
毎日、今までにない、いろんな初体験もさせてもらいました。」

舌鼓を打ちながら保育や職場の人間関係、恋愛に結婚観の話にまで及んで、10時半に終わった。
「ゆきんこさん、メールアドレスを教えて。またいつか会いましょう」
「本当にありがとうS先生、今まで何人かのクラス担任と組んできたけど、そんなふうに言ってもらったのは、先生が最初で最後かな。」

11時を廻って帰宅してメールを確認したら、4月から6月の3ヶ月を過ごしたK保育所の同僚だったTさんからメールが入っていた。
彼女は、わたしが9月末日で契約を終えることを憶えてくれていた上に、
10月1日は、運動会だとも書いてあった。












2005/09/29 (Thu) 実った葡萄
只今、甲子園球場での阪神-巨人戦の実況中継を観戦中。
7回裏5対0で、阪神優勝へ王手をかけるか?

午前中は曇り、午後からは真っ青な快晴でまた夏の陽気だ。
でも、日暮れは早くなり、帰宅した6時15分にはすっかり
日没していた。

H保育所で過ごす日もあと1日。
わたしの仕事は、タロウチャンの水浴びと巣箱の掃除。
タロウチャンは、今日も水道のホースから水をかけると
支柱の上をピョンピョン跳ねた。
隣の網の折の中のアヒルのララとイブキにもかけてみた。
ララは後ずさりで水がかかることをいやがっていたが、
イブキはされるがまま、身体に水を受けていた。
同じアヒルでも、反応が違う。

世界遺産のここに行きたいベスト30のうち、ベスト3は何だろう?
興味津々!万里の長城かしら?

3位はエジプトのピラミッド
2位は、フランスの巡礼修道院モン・サン・ミシェル
そして1位は、ペルーの天空都市マチュピチュ!

それから、所長に指示された職員室の表側にある
ぶどうの葉の裏についた青虫の駆除。
はじめの一匹は所長がつまんで、黄色いバケツに入れると
「ナムアミダブツ」と呟いた。
確かに殺生には違いない。
こんな些細な言動にもその人となりを推し計ることもできる。

思えば、所長のT先生のご厚意のお陰で、わたしは明日までの
契約期間をようやく全うできるようなものだ。
たとえ、今後2度とふるさとの公立保育所での保育を禁じられ、
子どもたちとのかかわりが許されなくても、
人との出会いは一期一会。
3ヶ月間の限定された期間だからこその経験やかけがえのない
思い出がたくさんできたことに今は素直に感謝したい。

それでも、何人かの子どもたちはこう言ってくれる。
5歳クラスののっぽのTくんは、
「今日も、ぼくたちのクラス?」
「ううん。今日はずっと窓拭き。なんで?」
Tくんは、照れくさそうにその場を去った。

所長のあとに、青虫の駆除をしていると、
運動会の出し物で合同のわらべ歌「仲良し3人組」の練習の
最中もかかわらず、
「あとで、毛虫見せて。」とHくん。
「そんなに見たいの?練習終わったらね。」

砂場の上のぶどうはたわわに実り、すっかり紺色に熟していた。
7月8日のプール開きの当日、今日のように毛虫とりを指示されて
30匹近く割り箸でつまみとった毛虫は、枯れ葉になってしまった
今は、一匹も見当たらなかった。
園庭を挟んだ向こう側に移動して、畑の畝の葉もチェックした。
トマト、獅子唐、オクラも手ごろな大きさに成長していた。

一昨日、家のドアで人差し指を挟んだRくんは、通院して
遅れてやってきた。
集団が苦手な彼は、そろりとエスケープして、
芋畑で毛虫探しをしていたわたしの背後から抱きついた。
「せんせい、なにしてんの?」
「ああ、Rくんおはよう。病院行ってきたんだってね。
 せんせいは、今日はけむしとり。」
「Rもする。」
「Rくんは、今運動会の練習でしょ?一緒に行こう。」
Rくんと手をつないで、集団の中に送り届け、また
畑に戻ると、再び彼もくっついてくる。
「Rくん、がんばって!せんせいここからちゃんと見てるから。」
またRくんを送り届けて、加配のT先生とAちゃんに両手をつないで
もらった。

阪神の岡田監督が優勝インタビューに応じている。
特に阪神ファンじゃないけど、地域がら悪い気はしない。
周囲の人たちは、間違いなく明日上機嫌で、話題にするだろう。

それからは、昼食を挟んで4時過ぎまで、ひたすらに
園舎の窓拭き掃除。
毎日、幼児の午睡介助、主にRくんを担当していたのだが、
今日は、T先生が担当し、他の子どもたちにも要請されなかった。

この時間帯はクーラーの効いた部屋でのほほんとトントン保育もどきのできるはずが、
午後からは窓に直射日光が当たり、ジリジリするくらいだった。
普段はなかなかできないが、数日立たないうちに
窓ガラスも網戸も汚れてしまう。
雑巾もバケツの水も真っ黒になる。
いつもは、途中でT所長から、複数の雑用の指示が入るのだが、
今日は、保育所全体が余裕があったのか、
6時間以上は、窓拭きに専念できたお陰で、物思いに
耽りながら、独り気ままな時間つぶしができた。
きっと、今日の日もいい思い出になる。

3時になると、サッカーの上手いSくんが一番に
起きてきた。
「せんせい、なにしてるの?」
「窓拭き。」
相次いで、5歳児クラスの面々が窓越しに話しかけてきた。
「なんかここ臭い!」
「ねこのウンチがここに固まってるから。」
「あれ、歯ブラシ使ってる。」
「そう、窓の桟の隅っこに埃がこんなに溜まってるの。
それをはぶらしでかき出すんだけど、やっぱり全部とれないよ。」
「うわ!まっくろ」とバケツを覗き込む子。
「ちょっと(歯ブラシ)かして。」
「取れる?」
「見て、取れた!」
「窓の桟の汚れだって全部とれないんだから、歯ブラシで
歯の汚れ、きっと全部とれないよね。歯と歯の間もちゃんと
磨いてる?」
「・・・・」

そこへ、担任のY先生が現れた。
「ちょっと、おやつ食べるのに、みんな何してるの!?」
窓辺で口々に話していた5人くらいの子どもたちは、
遊戯室に戻った。
今度は、Rくんのお気に入りのAちゃん
「ねえ、どうして今日はずーっとお掃除なの?
ゆきんこせんせいはどこの(担当)せんせい?」
「せんせいは、お休みの先生がいたら、お手伝いに行くの。
昨日は4歳クラスのI先生がお休みだったから、入ったんだよ。
みんな(所長の)T先生が決めてるんだ。
今日は1日ずっと窓拭きをお願いされてるの。
それに、せんせいは明日で、ここの保育所はもう終わりなの。」
Aちゃんは、しばらく考えていた。

T所長が労って
「水分補給にいらっしゃい。」
「はい、ありがとうございます。」
玄関でペンキ塗りをしていた同世代の用務員代替臨時職員の
Yさんを誘った。
「暑いでしょ?帽子かぶらなくて大丈夫?」
「うん、平気。先に入ってて。」

3人でお茶を飲みながら
「今日はいいお天気ですけど、暑いですね。何度かな?」
「30度もあります。」
「うわ、やっぱり暑いはずです。」

4時からは、脚立に登って職員室の換気扇をお掃除。
窓の向こうに園庭で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。
Rくんは、4歳の子どもたちと4人で長縄とびを楽しんでいた。
加配のT先生はなぜかRくんと離れて太鼓橋や滑り台であそぶ
子どもたちの護衛をしていた。

汚れた雑巾を洗っていても、わたしを見てくれる
子どもたちが必ずいる。
「せんせい、なにしてるの?」
「お掃除だよ。なにしてるの?」
「ぶどうあらって食べるんだ。」
「え?そのぶどう食べられるの?」
「うん、洗ってね。」
「そうか。今朝、毛虫を探しているときおいしそうなだと思ったけど、食べられるとは知らなかった。おいしい?」
「うん。甘いよ。」
「へえ、せんせいも食べてみようかな?」
「これ、あげる。」
「ありがとう。いただきます。Sくんっていい人だね。」

こんなさりげない親切ができる男の子はなんだか
素敵だなと思った。しかも、私好みの円らな瞳の
屈託のなさが、私を魅了した。
このまま、いい大人になってほしいなあ。
こういうのが、ささやかな幸せだなと実感した。

でも、きっとわたしのこと忘れちゃうよね。

明日は最終日、楽しく笑顔で過ごそう。

2005/09/28 (Wed) ナメクジでおおはしゃぎ
今夜のニュースでは、公務員の平均給与は、減給になっても
年収600万円だと報じている。
反面、昨晩は、50歳代の男性の自殺者が急増していると伝えていた。

昨日、帰宅後の午後6時過ぎから今朝方まで雨が降り続き、
レインコートに身を包んで、自転車で出勤した。
保育所に着くころには、雨は殆ど上がっていたが、気温は23度と
「涼しい」という感覚を通り越していた。

ひとたび、遊戯室の子どもの輪の中に身を投じると、
殊にこのH保育所において所属がないわたしは、
その時、その場の臨機応変さを要求され、振り回されるので、
微細な感覚に酔いしれている余裕はなくなる。
・・・という短所もわたしの保育士たる素質として不向きだと
自覚せざるを得ない。

にもかかわらず、わたしは終日5歳児クラスのRくんの
担当を任され、思った以上に楽しく充実した一日を過ごした。

どういうわけか、Rくんはわたしが傍にいるだけで、
気持ちが穏やかになるらしい。
Rくんがわたしの腕にまるで恋人のように腕をからませて
廊下を往復しているのを見て主任のY先生が
「なんだか、Rくんの所有物みたいね。」と呟いた。

園庭は雨あがりでぬかるんでいたので、
室内でオリガミの製作を行った。
Rくんは静かに担任のY先生の折り方の手順の説明を聞いていた。
しかし、いざ手元で折るときには、順番を短期記憶として
留めて、再現することは難しい。
描画も「これは、どんぐりのおうち」とオレンジのクレヨンで
閉じ○をグルグルとオリガミのどんぐりを囲んでかくと、
「できた。」と言い放ってY先生に見せた。

それからわたしの手をさっきと同じように引いて
ブラブラと廊下を往復する。
「なにしてあそぶ?」
わたしの問いかけには答えず、さりとて外に出られないので
暇をもてあましていることは明らかだった。

徐に、遊戯室へ入り、障害児のための畳2畳分の
小さいコーナーの横に置かれた机の上のテープレコーダーに
目を留めたRくん。
「ドラゴンボールしたい。カセットはどこ?」
引き出しを勝手に開けて、探し出した。
「せんせいは知らないよ。どの先生に聞いたらわかるかな?」
T先生の許可を得て、探し出してもらい、スイッチを入れると
Rくんはノリノリで踊り出した。
「Rくんが先生になって、ゆきんこせんせいに教えてくれる?」
「いいよ。」
この曲は、4歳クラスの発達障害の坊ちゃんたちや担当の
先生たちと一緒に、昨日遊戯室で何度も練習していたダンスで、
Rくんは殆どの振り付けをマスターしていた。

2回踊りきるとRくんは満足して、また廊下に出る。
鼻歌を歌いながらまだその振りをしていたRくんに、
廊下でダウン症のTくんのトイレのお世話をしていた
T先生が、話しかけた。
「Rくん、どうしたの?ご機嫌だね。」
「さっきまで、ドラゴンボールのダンスの練習してたの。」
「そう!♪ダンダン~~って?」とD先生がふりをすると
Rくんは「もう!」とT先生を足蹴にした。
4月から8月までRくんの専属だったD先生になぜ
こんな振る舞いをする反面、わたしにこんなに執心の
Rくんの「応用行動分析」の必要性は十分にありそうだ。

8月末に、このD先生がRくんの問題となる
他者に危害を及ぼす行動に悩まされ続けた結果、
4歳児クラスの障害児4名を担当していたT先生と
9月の初めに交代したのだが、その頃から
Rくんは、わたしに何を思ったのか、T先生よりも
傍にいてほしがることが徐々に増えていた。
前任のD先生も手を拱いていたRくんの私に対する親しみ様に、
複数の職員からも少なからず、注目を引いていた。

昼食もグループのKくん、Mちゃん、Aちゃんと一緒に
わたしも仲間入りして食べた。
わたしのお弁当は、多分、物珍しさだと思うが
子どもたちの好奇心の的になる確率が高い。
「うわ、いっぱい入ってる。」
「朝6時に起きて作るの。」
「この黒いのなあに?」
「黒豆」
「このキュウリ食べてみてよ。」
「いいよ。」
「レタスも入ってる。」
「そう。」
などとおしゃべりしていると、Rくんはテーブルで一番早く
全てのお皿を空にしていた。

食後は、このメンバーがふとんしきの当番にあたっていたが、
男の子たちは、期待通りに期待をはずし、手伝うどころか、
遊戯室をグルグル走り回るだけだ。
「じゃあ、今から布団敷ききょうそうね。よ~いどん!」
Kくんはその気になってエンジンをかけてくれたが、
「わたし13枚しいた。」
「わたしは10枚。」
「Kくんは?」
「オレ、え~23枚。」
「うそだぁ、ここの3枚だけで広げてないじゃない。」
ふてくされたKくん、一番沢山しいたMちゃんに八つ当たり。
「Mちゃんに当たったらかわいそうじゃない。
一番になりたかったんだよね、Kくん。まだやってもらうこと
あるんだ。カーテンを閉めてないの。」
すると4人は四方に分れてカーテンを引いてくれた。
更にKくん、洗濯バサミで両側のカーテンをとめてくれたのが、
いじらしかったので、
「Kくん、ちゃんと洗濯バサミで留めてくれて気が利いているね。
じゃあ、花丸30点つけます。」
「せんせい、15点でいいよ。」
「そう?じゃあ15点ね。お手伝いありがとう。」
「うん!」
Kくんは気を取り直して、小走りに部屋に戻った。

後追いして担任のY先生に5歳児全員の前で絵本を読み聞かせる
ことを頼まれた。集団の前に立つのは最も苦手な私。
それでも、絵本の内容に子どもたちは次第に誘われて、
だんだんに楽しいムードになり、面白くなってきたところで、
連絡ノートを書いていたY先生に中断され、Rくんがトラブっている
から駆けつけるように指示された。
「勝手なんだから・・・」とはブツブツ言っていられない。

午睡の定刻1時に遊戯室で3歳クラスのE先生に叱られている
Rくんの姿が目に跳び込んできた。
Rくんはずっと前から3歳のSくんが大のお気に入りだ。
今日は、昼食後からSくんと一緒にパズルを楽しんでいたせいも
あって、Sくんの隣で寝るとダダをこねていた。

「RくんとSくんの寝るところは、いつもと同じ!
Rくんが傍にきたら、Sくんが眠れないからダメです!!」
担任のTA先生が禁止する。
すると、Rくんはふてくされて、一度はSくんから対角線の
布団の位置に向かったが、すれ違いざまにSくんの加配の
E先生の鼻を拳骨で叩いた。
「ごめん、E先生!Rくん、なんでE先生を叩くの?
E先生がRくんを叩いたの?」
「ううん?」
「Sくんと寝たいの?」
「うん。」
「じゃあ、E先生にもう一回きいてごらん?」
「Sくんと寝てもいい?」
「ダメ!今度はSくんを叩くんでしょ、Rくん。」
「E先生ダメだって。E先生はSくんの先生だからトントンするんだよ。
今日は、ゆきんこ先生はRくんの先生になったからトントンしようと
思ったけど、Rくんは、Sくんの先生になってトントンするのかな?
だったら、ゆきんこせんせいは、他の友だちをトントンするよ。
どっちがいい?」
「いやだ。」Rくんはわたしに抱きついた。
「Rくん、職員室で寝ておいで。」
TA先生の指示にRくんは応じて自分のふとんを片手に抱えて引きずり、
わたしの手を引いた。

ダンスを楽しんだ2畳スペースに布団を敷いて
Rくんは身体を横たえたが、今度は所長から
「会議があるから、5歳クラスに移動して。」
とまた指示。アルバイトは、こんなふうに正職員の言い成りだ。

「さあ、Rくんどこに寝よう。」
「カメさんの横。」
「わかった。じゃあ、今日はカメさんとお昼ねきょうそうだ。
昨日は、Rくん早くねたんだよ。Yちゃんも早かったけど、Rくんは
1時15分には目を閉じて上手に寝てた。」
そういって、Rくんに暗示をかけたが、今日は運動不足と
環境が変わったせいで、1時30分を過ぎても眠くならないRくん。
また廊下をウロウロして遊戯室の間仕切りのアコーディオンカーテンを
開けた途端、Y先生に咎められた。
「まだ1時半です。おふとんで寝てください。」

結局、Rくんは午睡できなかった。

おやつの後は、やっと戸外に出ることができ、わたしに構わず、
虫捕りに専念していた。
夕刻、迎えにきたRくんのお母さんと玄関で会い、談話した。
「Rが、帰宅後もゆきんこせんせいの名前をよく言っているんです。」
「こちらこそ、Rくんに仲良くしてもらって嬉しいです。
 わたし、お母さんに似てるんでしょうか?どうして気に入って
くれたのか、よくわからないんですけど。今日も1日ご一緒できて
楽しかったです。Rくん、宝物見せてくれたり、ダンスも教えてくれました。」
「そうですか。」
「でも、今日はお昼ねできなくて、お家ではどんな風ですか?
お母さんとも添い寝してるのかしら?」
「いいえ。家では自分からふとんに入って独りで眠ります。」
「保育所とは違うんですね。折角仲良しになれたのですが、
わたし、あと2日で契約が終わるんです。」
「まあ、残念です。」
「あと2日ですが、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、お願いします。」
「じゃあ、また明日ね、Rくん。」

Rくん親子に手を振って、玄関の掃除で定刻まで時間つぶしを
するはずが、まだ迎えを待つ5歳の子どもたちがわたしの手を引いた。
「ちょっときて、ちょっときて!」
「なに?わたしもうすぐ帰るんだけど。」
「せんせいもカラオケしようよ。」
ベンチに座らせられた。
「せんせい、何を歌う?」
「そうだな~、あ、『優しさに包まれたなら』にします。」
「わたしは、ドラえもんにしようっと。」
すると、今度はさっきのKくん
「せんせい、おばけごっこしようよ。」
「今、カラオケごっこしてるんだけど。」
「せんせ~い!なめくじがでた!!」
「え?どこどこ?」
砂場で見つけたYちゃん。
「これ、どうする?」
「そうだ!」
Yちゃん、黄色いバケツとスコップ、しゃもじを取ってきた。
「Yちゃん、うまいうまい。」
スコップとしゃもじでなめくじを挟んでバケツに入れることに
成功。
「このなめくじ、どうしようか?そうそう、なめくじに何かをかけると小さくなってなくなるよ。知ってる?」
「こな?」
「わかった塩だ!」
「Mちゃん、よくわかったね。でも、保育所には塩はないよ。」
「じゃあ、水につけてみよう!」
それから、YちゃんとMちゃんは他にもなめくじはいないかと
どんどん探し出した。
可愛らしい面立ちの二人にわたしまでナメクジを必死で
探しているのが可笑しかったし、何より、
彼女たちの行動は、わたしが昨日の朝、子どもたちと
おおはしゃぎした「毛虫取り」の再現に他ならなかった。
よっぽど、楽しかったらしいし、
「毛虫(害虫)の駆除係り=ゆきんこ」で
それは、面白く奇異な行動として楽しんでいるのが
本当に可笑しくてたまらなかった。

彼女たちが就学するとき、こんなに無邪気に純真に
ナメクジを探したりなどするだろうか。
それとも、楽しかったいい思い出になるのだろうか。






プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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