日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
実った葡萄
2005年09月29日 (木) | 編集 |
只今、甲子園球場での阪神-巨人戦の実況中継を観戦中。
7回裏5対0で、阪神優勝へ王手をかけるか?

午前中は曇り、午後からは真っ青な快晴でまた夏の陽気だ。
でも、日暮れは早くなり、帰宅した6時15分にはすっかり
日没していた。

H保育所で過ごす日もあと1日。
わたしの仕事は、タロウチャンの水浴びと巣箱の掃除。
タロウチャンは、今日も水道のホースから水をかけると
支柱の上をピョンピョン跳ねた。
隣の網の折の中のアヒルのララとイブキにもかけてみた。
ララは後ずさりで水がかかることをいやがっていたが、
イブキはされるがまま、身体に水を受けていた。
同じアヒルでも、反応が違う。

世界遺産のここに行きたいベスト30のうち、ベスト3は何だろう?
興味津々!万里の長城かしら?

3位はエジプトのピラミッド
2位は、フランスの巡礼修道院モン・サン・ミシェル
そして1位は、ペルーの天空都市マチュピチュ!

それから、所長に指示された職員室の表側にある
ぶどうの葉の裏についた青虫の駆除。
はじめの一匹は所長がつまんで、黄色いバケツに入れると
「ナムアミダブツ」と呟いた。
確かに殺生には違いない。
こんな些細な言動にもその人となりを推し計ることもできる。

思えば、所長のT先生のご厚意のお陰で、わたしは明日までの
契約期間をようやく全うできるようなものだ。
たとえ、今後2度とふるさとの公立保育所での保育を禁じられ、
子どもたちとのかかわりが許されなくても、
人との出会いは一期一会。
3ヶ月間の限定された期間だからこその経験やかけがえのない
思い出がたくさんできたことに今は素直に感謝したい。

それでも、何人かの子どもたちはこう言ってくれる。
5歳クラスののっぽのTくんは、
「今日も、ぼくたちのクラス?」
「ううん。今日はずっと窓拭き。なんで?」
Tくんは、照れくさそうにその場を去った。

所長のあとに、青虫の駆除をしていると、
運動会の出し物で合同のわらべ歌「仲良し3人組」の練習の
最中もかかわらず、
「あとで、毛虫見せて。」とHくん。
「そんなに見たいの?練習終わったらね。」

砂場の上のぶどうはたわわに実り、すっかり紺色に熟していた。
7月8日のプール開きの当日、今日のように毛虫とりを指示されて
30匹近く割り箸でつまみとった毛虫は、枯れ葉になってしまった
今は、一匹も見当たらなかった。
園庭を挟んだ向こう側に移動して、畑の畝の葉もチェックした。
トマト、獅子唐、オクラも手ごろな大きさに成長していた。

一昨日、家のドアで人差し指を挟んだRくんは、通院して
遅れてやってきた。
集団が苦手な彼は、そろりとエスケープして、
芋畑で毛虫探しをしていたわたしの背後から抱きついた。
「せんせい、なにしてんの?」
「ああ、Rくんおはよう。病院行ってきたんだってね。
 せんせいは、今日はけむしとり。」
「Rもする。」
「Rくんは、今運動会の練習でしょ?一緒に行こう。」
Rくんと手をつないで、集団の中に送り届け、また
畑に戻ると、再び彼もくっついてくる。
「Rくん、がんばって!せんせいここからちゃんと見てるから。」
またRくんを送り届けて、加配のT先生とAちゃんに両手をつないで
もらった。

阪神の岡田監督が優勝インタビューに応じている。
特に阪神ファンじゃないけど、地域がら悪い気はしない。
周囲の人たちは、間違いなく明日上機嫌で、話題にするだろう。

それからは、昼食を挟んで4時過ぎまで、ひたすらに
園舎の窓拭き掃除。
毎日、幼児の午睡介助、主にRくんを担当していたのだが、
今日は、T先生が担当し、他の子どもたちにも要請されなかった。

この時間帯はクーラーの効いた部屋でのほほんとトントン保育もどきのできるはずが、
午後からは窓に直射日光が当たり、ジリジリするくらいだった。
普段はなかなかできないが、数日立たないうちに
窓ガラスも網戸も汚れてしまう。
雑巾もバケツの水も真っ黒になる。
いつもは、途中でT所長から、複数の雑用の指示が入るのだが、
今日は、保育所全体が余裕があったのか、
6時間以上は、窓拭きに専念できたお陰で、物思いに
耽りながら、独り気ままな時間つぶしができた。
きっと、今日の日もいい思い出になる。

3時になると、サッカーの上手いSくんが一番に
起きてきた。
「せんせい、なにしてるの?」
「窓拭き。」
相次いで、5歳児クラスの面々が窓越しに話しかけてきた。
「なんかここ臭い!」
「ねこのウンチがここに固まってるから。」
「あれ、歯ブラシ使ってる。」
「そう、窓の桟の隅っこに埃がこんなに溜まってるの。
それをはぶらしでかき出すんだけど、やっぱり全部とれないよ。」
「うわ!まっくろ」とバケツを覗き込む子。
「ちょっと(歯ブラシ)かして。」
「取れる?」
「見て、取れた!」
「窓の桟の汚れだって全部とれないんだから、歯ブラシで
歯の汚れ、きっと全部とれないよね。歯と歯の間もちゃんと
磨いてる?」
「・・・・」

そこへ、担任のY先生が現れた。
「ちょっと、おやつ食べるのに、みんな何してるの!?」
窓辺で口々に話していた5人くらいの子どもたちは、
遊戯室に戻った。
今度は、Rくんのお気に入りのAちゃん
「ねえ、どうして今日はずーっとお掃除なの?
ゆきんこせんせいはどこの(担当)せんせい?」
「せんせいは、お休みの先生がいたら、お手伝いに行くの。
昨日は4歳クラスのI先生がお休みだったから、入ったんだよ。
みんな(所長の)T先生が決めてるんだ。
今日は1日ずっと窓拭きをお願いされてるの。
それに、せんせいは明日で、ここの保育所はもう終わりなの。」
Aちゃんは、しばらく考えていた。

T所長が労って
「水分補給にいらっしゃい。」
「はい、ありがとうございます。」
玄関でペンキ塗りをしていた同世代の用務員代替臨時職員の
Yさんを誘った。
「暑いでしょ?帽子かぶらなくて大丈夫?」
「うん、平気。先に入ってて。」

3人でお茶を飲みながら
「今日はいいお天気ですけど、暑いですね。何度かな?」
「30度もあります。」
「うわ、やっぱり暑いはずです。」

4時からは、脚立に登って職員室の換気扇をお掃除。
窓の向こうに園庭で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。
Rくんは、4歳の子どもたちと4人で長縄とびを楽しんでいた。
加配のT先生はなぜかRくんと離れて太鼓橋や滑り台であそぶ
子どもたちの護衛をしていた。

汚れた雑巾を洗っていても、わたしを見てくれる
子どもたちが必ずいる。
「せんせい、なにしてるの?」
「お掃除だよ。なにしてるの?」
「ぶどうあらって食べるんだ。」
「え?そのぶどう食べられるの?」
「うん、洗ってね。」
「そうか。今朝、毛虫を探しているときおいしそうなだと思ったけど、食べられるとは知らなかった。おいしい?」
「うん。甘いよ。」
「へえ、せんせいも食べてみようかな?」
「これ、あげる。」
「ありがとう。いただきます。Sくんっていい人だね。」

こんなさりげない親切ができる男の子はなんだか
素敵だなと思った。しかも、私好みの円らな瞳の
屈託のなさが、私を魅了した。
このまま、いい大人になってほしいなあ。
こういうのが、ささやかな幸せだなと実感した。

でも、きっとわたしのこと忘れちゃうよね。

明日は最終日、楽しく笑顔で過ごそう。

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2005/09/29 22:04 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ナメクジでおおはしゃぎ
2005年09月28日 (水) | 編集 |
今夜のニュースでは、公務員の平均給与は、減給になっても
年収600万円だと報じている。
反面、昨晩は、50歳代の男性の自殺者が急増していると伝えていた。

昨日、帰宅後の午後6時過ぎから今朝方まで雨が降り続き、
レインコートに身を包んで、自転車で出勤した。
保育所に着くころには、雨は殆ど上がっていたが、気温は23度と
「涼しい」という感覚を通り越していた。

ひとたび、遊戯室の子どもの輪の中に身を投じると、
殊にこのH保育所において所属がないわたしは、
その時、その場の臨機応変さを要求され、振り回されるので、
微細な感覚に酔いしれている余裕はなくなる。
・・・という短所もわたしの保育士たる素質として不向きだと
自覚せざるを得ない。

にもかかわらず、わたしは終日5歳児クラスのRくんの
担当を任され、思った以上に楽しく充実した一日を過ごした。

どういうわけか、Rくんはわたしが傍にいるだけで、
気持ちが穏やかになるらしい。
Rくんがわたしの腕にまるで恋人のように腕をからませて
廊下を往復しているのを見て主任のY先生が
「なんだか、Rくんの所有物みたいね。」と呟いた。

園庭は雨あがりでぬかるんでいたので、
室内でオリガミの製作を行った。
Rくんは静かに担任のY先生の折り方の手順の説明を聞いていた。
しかし、いざ手元で折るときには、順番を短期記憶として
留めて、再現することは難しい。
描画も「これは、どんぐりのおうち」とオレンジのクレヨンで
閉じ○をグルグルとオリガミのどんぐりを囲んでかくと、
「できた。」と言い放ってY先生に見せた。

それからわたしの手をさっきと同じように引いて
ブラブラと廊下を往復する。
「なにしてあそぶ?」
わたしの問いかけには答えず、さりとて外に出られないので
暇をもてあましていることは明らかだった。

徐に、遊戯室へ入り、障害児のための畳2畳分の
小さいコーナーの横に置かれた机の上のテープレコーダーに
目を留めたRくん。
「ドラゴンボールしたい。カセットはどこ?」
引き出しを勝手に開けて、探し出した。
「せんせいは知らないよ。どの先生に聞いたらわかるかな?」
T先生の許可を得て、探し出してもらい、スイッチを入れると
Rくんはノリノリで踊り出した。
「Rくんが先生になって、ゆきんこせんせいに教えてくれる?」
「いいよ。」
この曲は、4歳クラスの発達障害の坊ちゃんたちや担当の
先生たちと一緒に、昨日遊戯室で何度も練習していたダンスで、
Rくんは殆どの振り付けをマスターしていた。

2回踊りきるとRくんは満足して、また廊下に出る。
鼻歌を歌いながらまだその振りをしていたRくんに、
廊下でダウン症のTくんのトイレのお世話をしていた
T先生が、話しかけた。
「Rくん、どうしたの?ご機嫌だね。」
「さっきまで、ドラゴンボールのダンスの練習してたの。」
「そう!♪ダンダン~~って?」とD先生がふりをすると
Rくんは「もう!」とT先生を足蹴にした。
4月から8月までRくんの専属だったD先生になぜ
こんな振る舞いをする反面、わたしにこんなに執心の
Rくんの「応用行動分析」の必要性は十分にありそうだ。

8月末に、このD先生がRくんの問題となる
他者に危害を及ぼす行動に悩まされ続けた結果、
4歳児クラスの障害児4名を担当していたT先生と
9月の初めに交代したのだが、その頃から
Rくんは、わたしに何を思ったのか、T先生よりも
傍にいてほしがることが徐々に増えていた。
前任のD先生も手を拱いていたRくんの私に対する親しみ様に、
複数の職員からも少なからず、注目を引いていた。

昼食もグループのKくん、Mちゃん、Aちゃんと一緒に
わたしも仲間入りして食べた。
わたしのお弁当は、多分、物珍しさだと思うが
子どもたちの好奇心の的になる確率が高い。
「うわ、いっぱい入ってる。」
「朝6時に起きて作るの。」
「この黒いのなあに?」
「黒豆」
「このキュウリ食べてみてよ。」
「いいよ。」
「レタスも入ってる。」
「そう。」
などとおしゃべりしていると、Rくんはテーブルで一番早く
全てのお皿を空にしていた。

食後は、このメンバーがふとんしきの当番にあたっていたが、
男の子たちは、期待通りに期待をはずし、手伝うどころか、
遊戯室をグルグル走り回るだけだ。
「じゃあ、今から布団敷ききょうそうね。よ~いどん!」
Kくんはその気になってエンジンをかけてくれたが、
「わたし13枚しいた。」
「わたしは10枚。」
「Kくんは?」
「オレ、え~23枚。」
「うそだぁ、ここの3枚だけで広げてないじゃない。」
ふてくされたKくん、一番沢山しいたMちゃんに八つ当たり。
「Mちゃんに当たったらかわいそうじゃない。
一番になりたかったんだよね、Kくん。まだやってもらうこと
あるんだ。カーテンを閉めてないの。」
すると4人は四方に分れてカーテンを引いてくれた。
更にKくん、洗濯バサミで両側のカーテンをとめてくれたのが、
いじらしかったので、
「Kくん、ちゃんと洗濯バサミで留めてくれて気が利いているね。
じゃあ、花丸30点つけます。」
「せんせい、15点でいいよ。」
「そう?じゃあ15点ね。お手伝いありがとう。」
「うん!」
Kくんは気を取り直して、小走りに部屋に戻った。

後追いして担任のY先生に5歳児全員の前で絵本を読み聞かせる
ことを頼まれた。集団の前に立つのは最も苦手な私。
それでも、絵本の内容に子どもたちは次第に誘われて、
だんだんに楽しいムードになり、面白くなってきたところで、
連絡ノートを書いていたY先生に中断され、Rくんがトラブっている
から駆けつけるように指示された。
「勝手なんだから・・・」とはブツブツ言っていられない。

午睡の定刻1時に遊戯室で3歳クラスのE先生に叱られている
Rくんの姿が目に跳び込んできた。
Rくんはずっと前から3歳のSくんが大のお気に入りだ。
今日は、昼食後からSくんと一緒にパズルを楽しんでいたせいも
あって、Sくんの隣で寝るとダダをこねていた。

「RくんとSくんの寝るところは、いつもと同じ!
Rくんが傍にきたら、Sくんが眠れないからダメです!!」
担任のTA先生が禁止する。
すると、Rくんはふてくされて、一度はSくんから対角線の
布団の位置に向かったが、すれ違いざまにSくんの加配の
E先生の鼻を拳骨で叩いた。
「ごめん、E先生!Rくん、なんでE先生を叩くの?
E先生がRくんを叩いたの?」
「ううん?」
「Sくんと寝たいの?」
「うん。」
「じゃあ、E先生にもう一回きいてごらん?」
「Sくんと寝てもいい?」
「ダメ!今度はSくんを叩くんでしょ、Rくん。」
「E先生ダメだって。E先生はSくんの先生だからトントンするんだよ。
今日は、ゆきんこ先生はRくんの先生になったからトントンしようと
思ったけど、Rくんは、Sくんの先生になってトントンするのかな?
だったら、ゆきんこせんせいは、他の友だちをトントンするよ。
どっちがいい?」
「いやだ。」Rくんはわたしに抱きついた。
「Rくん、職員室で寝ておいで。」
TA先生の指示にRくんは応じて自分のふとんを片手に抱えて引きずり、
わたしの手を引いた。

ダンスを楽しんだ2畳スペースに布団を敷いて
Rくんは身体を横たえたが、今度は所長から
「会議があるから、5歳クラスに移動して。」
とまた指示。アルバイトは、こんなふうに正職員の言い成りだ。

「さあ、Rくんどこに寝よう。」
「カメさんの横。」
「わかった。じゃあ、今日はカメさんとお昼ねきょうそうだ。
昨日は、Rくん早くねたんだよ。Yちゃんも早かったけど、Rくんは
1時15分には目を閉じて上手に寝てた。」
そういって、Rくんに暗示をかけたが、今日は運動不足と
環境が変わったせいで、1時30分を過ぎても眠くならないRくん。
また廊下をウロウロして遊戯室の間仕切りのアコーディオンカーテンを
開けた途端、Y先生に咎められた。
「まだ1時半です。おふとんで寝てください。」

結局、Rくんは午睡できなかった。

おやつの後は、やっと戸外に出ることができ、わたしに構わず、
虫捕りに専念していた。
夕刻、迎えにきたRくんのお母さんと玄関で会い、談話した。
「Rが、帰宅後もゆきんこせんせいの名前をよく言っているんです。」
「こちらこそ、Rくんに仲良くしてもらって嬉しいです。
 わたし、お母さんに似てるんでしょうか?どうして気に入って
くれたのか、よくわからないんですけど。今日も1日ご一緒できて
楽しかったです。Rくん、宝物見せてくれたり、ダンスも教えてくれました。」
「そうですか。」
「でも、今日はお昼ねできなくて、お家ではどんな風ですか?
お母さんとも添い寝してるのかしら?」
「いいえ。家では自分からふとんに入って独りで眠ります。」
「保育所とは違うんですね。折角仲良しになれたのですが、
わたし、あと2日で契約が終わるんです。」
「まあ、残念です。」
「あと2日ですが、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、お願いします。」
「じゃあ、また明日ね、Rくん。」

Rくん親子に手を振って、玄関の掃除で定刻まで時間つぶしを
するはずが、まだ迎えを待つ5歳の子どもたちがわたしの手を引いた。
「ちょっときて、ちょっときて!」
「なに?わたしもうすぐ帰るんだけど。」
「せんせいもカラオケしようよ。」
ベンチに座らせられた。
「せんせい、何を歌う?」
「そうだな~、あ、『優しさに包まれたなら』にします。」
「わたしは、ドラえもんにしようっと。」
すると、今度はさっきのKくん
「せんせい、おばけごっこしようよ。」
「今、カラオケごっこしてるんだけど。」
「せんせ~い!なめくじがでた!!」
「え?どこどこ?」
砂場で見つけたYちゃん。
「これ、どうする?」
「そうだ!」
Yちゃん、黄色いバケツとスコップ、しゃもじを取ってきた。
「Yちゃん、うまいうまい。」
スコップとしゃもじでなめくじを挟んでバケツに入れることに
成功。
「このなめくじ、どうしようか?そうそう、なめくじに何かをかけると小さくなってなくなるよ。知ってる?」
「こな?」
「わかった塩だ!」
「Mちゃん、よくわかったね。でも、保育所には塩はないよ。」
「じゃあ、水につけてみよう!」
それから、YちゃんとMちゃんは他にもなめくじはいないかと
どんどん探し出した。
可愛らしい面立ちの二人にわたしまでナメクジを必死で
探しているのが可笑しかったし、何より、
彼女たちの行動は、わたしが昨日の朝、子どもたちと
おおはしゃぎした「毛虫取り」の再現に他ならなかった。
よっぽど、楽しかったらしいし、
「毛虫(害虫)の駆除係り=ゆきんこ」で
それは、面白く奇異な行動として楽しんでいるのが
本当に可笑しくてたまらなかった。

彼女たちが就学するとき、こんなに無邪気に純真に
ナメクジを探したりなどするだろうか。
それとも、楽しかったいい思い出になるのだろうか。






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2005/09/28 21:33 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
毛虫でおおはしゃぎ
2005年09月27日 (火) | 編集 |
涼しいが、一日中曇り空だった。
今朝のミーティングでは、昨日、夕刻に保育所を訪れた
ある母親の語りを元に、報告も兼ねて、参加した正職員から
一言ずつ、感想が述べられた。

「保育での接し方、ことばかけの大切さを改めて感じた。
『胡坐をかいていないか』といったことも胸に沁み、お母さんの
3年間引き摺った辛い思いがわかった。」
「信頼関係のボタンの掛け違い、足の怪我の写真を実際に見せてもらい、教訓にしなければならないと思った。Yさんがこのことを
関係者に伝えるのに、すごいエネルギーを使っていると感じた。」
「丁寧な対応が大切だ。言わないと伝わらない。」
「親としての思いは同じ。わが子への強い思い、大変な思いで各保育所を廻っていることに、自分の中におちたものがあった。」
「独身の私には、自分がそれだけわが子のことを思う母親になれるかと
話を聞いた。」
とても辛かっただろうな、色んな辛いことが重なって、不信感が
積もり積もっていった。いろんな保護者がいろんな境遇を背負っている。それに寄り添えるかどうかが大切。」
「一方的でなく、聞くことが大切。保育士という仕事の重み、深み
位置づけを怖いと感じた。連携の大切さ。」
「保護者の受け止め方の実例として勉強になった。」
「教訓を生かすとは、泣き叫んだときのしんどさの共感。」
「すれ違ったままだったことを改めて感じた。トラブルや怪我は
全くなくすことはできないが、そこから逃げずに立ち向かう集団に
すること。信じあう、共感しあう、保護者との信頼関係。」

信頼関係、共感、連携ということばが、専門分野でも
あちらこちらで踊っている。
わたしは、なぜだか、このことばの意味がよくわからず、
実感できない、もうこの仕事を10年以上はやってきたつもりなのに。
この目に見えない心情を2者以上の人間で、どう実感しているの
かを確証するのに、どんな術があるだろう。

ミーティングの時間が瞬く間に過ぎ、わたしは一時
遊戯室に入って、幼児たちが整列する最後尾に加わった。
そうすると、わけもなく腕を振ったり、回転したり、
後ろの友達にちょっかいを出したり、という男児たちが
目に付き、何となく鬱陶しくなっている自分は
やっぱりこの仕事に不向きなんだろうと思う。

心のエキスパートの臨床心理士といえども、人の悩み事ばかり聞いていたり、無益な愚痴や罵りを聞いていると仕事でもうんざりしてくるのに
似た感じかもしれない。
去年の今頃は、その受験勉強にまっしぐらだったことを思い返すと、
その時は落胆したが、今は不合格で本当によかったと思える。

また、いつものように、タロウチャンの水浴びをしていると、
所長に呼び止められた。
「子どもたちが毛虫を見つけたので、ちょっと取りにいってください。」
わたしは、毛虫を漬けた洗剤液の入った黄色い小さなバケツを
手渡された。
数人の子どもたちが、わたしに群がり、
「こっちこっち!」
「どこどこどこ?」
とジャングルジムの近くの木に案内する。」
わたしが割り箸で毛虫をつまむと、声をあげて盛り上がる子どもたち。
「見せて見せて!」
口々に黄色いバケツの中を覗き込んでは、
「うわ~!!」と歓声をあげる。
「そんなに楽しい?」

楽しいのかな~?
今、9時20分のTVでは、男子大学生のシンクロナイズドスイミングが
オンエアされてるんだけど、
そんなに美しいパフォーマンスかな~?

「はいはい、触ったら毒が廻るかもしれないから、
もうおしまいね。」
そう言い放って職員室に持ち帰った。

昨日の続きで園舎裏側の窓拭き掃除を昼食まで行った。
ちっとも飽きないし、窓の汚れが雑巾にバケツの水に移し変わって、
真っ黒になるのが、何となくカイカンのわたしは、
案外、お掃除おばさんになれそう?なんて思う。
そろそろ、片付けようと思っていたところへ、4歳クラスの
女の子がやってきてわたしに話しかけた。
「なにやってんの?」
「窓拭き掃除だよ。」
「うわ~、ここ真っ黒。」
「そうなのよ。なかなかとれないんだ。」
「歯ブラシで擦ったらいいよ。」
「そうだね。すごい!どうして歯ブラシ使ったらいいって
知ってるの?」
「おばあちゃんが言ってた。」
「そう。おばあちゃんと一緒に住んでるの?」
「うん。」
「おばあちゃんにいいこと教えてもらったね。
 うちにもおばあちゃんいるよ。おばあちゃんになったせんせいの
おかあさん。え~70歳。」
「ふ~ん。」
「歯ブラシ使ってるんだけど、取れるかな。」
「ちょっと貸して。」
女の子は、自分から手伝い始めた。
「あら、いいの?助かるなあ。」
こんな小さな女の子の掛け値なしの親切に心が温まる。
「もういいよ。先生もお腹すいちゃった。
手伝ってくれてありがとう。」

Rくんは、午睡の時間までわたしのところへ
殆どくることもなく、1時過ぎに遊戯室に入ると、
窓際の端にタオルケットに寝転んで大人しく待っていた。
「Rくん、昨日はAちゃんと競争して、惜しかったなぁ。
Aちゃんのほうが、ちょっと早かったんだ。
今日は、RくんとYちゃん、どっちかな?」
Rくんは、素直にわたしの暗示にかかってくれ、
15分には目を閉じて安らかになり、20分には眠りに落ちた。
それでも、わたしが背中のマッサージの手を止めると、
それを察知して、わたしの手をぎゅっと握った。
わたしはもう片方の左手で隣のYちゃんの背中をマッサージ
すると、いつもは2時ごろまで寝付けない彼女も
数分で眠った。

30分で3歳児を中心に半分くらいの子どもたちは眠ってしまうが、
5~6歳になると、2時を過ぎても寝付けない子が何人か
残るので、そういう子も寝かしつけるのがわたしの役どころになった。
次にイガグリヘアーがトレードのTくんの頭を
マッサージしてしばらくすると、彼ははじめて
口を開いた。
「せんせい、あのね、ぼく今度、お兄ちゃんの運動会に
お父さんと行くんだ。」
「そうか。楽しみだね。先生にも教えてくれてありがとう。
じゃあ、おやすみ。」
「今日は眠れないな」
「そうだね。眠れないときもあるよ。トントンとマッサージ、
どっちが気持ちいい?」
「こっち。」
「わかった。」
わたしはTくんのイガグリを少しゴシゴシと小刻みに擦った。
2時になる前にTくんは眠った。

主任のY先生から指示があった。
「2時からは乳児室をお願いします。あなたには誰も泣かないから。」
昨日窓越しのベッドの中で鼻を垂らしていたリンちゃんは、
カゼでお休みだった。すやすやと眠っている赤ちゃんたちも
風邪気味で鼻がつまり、呼吸が苦しそうだった。

乳児室に入れるのは嬉しいが、もうあの事故以前のように、
「伸び伸びと」という心持で赤ちゃんたちとは遊べない。

きっと本当に開放感を味わえるのはここを去るときなのだ。
わたしというお荷物を放り出す今月末で何かが即決するわけでも
ないのだが、母のことばをそのまま引用すれば、
「あなたのしでかした事で、その保育所の皆さんに心配かけたのは
間違いないんだから、やめてケリをつけることで少しは肩の荷が
お互いに下ろせるのはいいことなんじゃない?」
「そう。そう思うよ。」
「少なくとも、子どもたちに慕われてるんだから、全く役に
立っていないわけでもないと自分で思うんでしょう?」
「そうよ。」

こんな母の傍にいられることが、サイコーだと思った。

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2005/09/27 21:59 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
初秋の散歩
2005年09月26日 (月) | 編集 |
今日は、朝から夕方まで爽やかな風の吹く週明けだった。
この保育所で過ごす日々も今週限りになった。

朝のミーティングが終わると、所長がわたしに言った。
「タロウチャンの巣箱のお掃除お願いしますね。」
「はい。」
わたしは笑顔で答えた。

3連休のうちに、九官鳥のタロウチャンはすっかり
餌を食べつくし、お腹を空かせているようだったし、
わたしが巣箱を持ち上げて移動すると、
いよいよ水浴びだとわかるようで嬉しそうに見えた。

しばらくすると、5歳クラスのRくんもやってきた。
いつものように、エスケープがてら巣箱にこびりついた
緑の糞を束子で擦り落としているわたしに気がついて、
寄って来た。
「先生、おいで。」
「待ってよ。今、タロウチャンのお世話してるの。
 Rくん手伝ってくれる?」
「いいよ。」
Rくんと二人で巣箱を運び、タロウチャンを元の
玄関に置いた。

今日は、主任の許可を得て、初めて園外の散歩に
付き添うことになった。
初めてといっても、他の保育所で勤務した経験では
何度もあったが、この保育所においては、
要注意扱いで、囚人気分で過ごしているから、
所長の釘指しが、出かける前にもあった。
「声の掛け合いを忘れずに。自分ひとりで判断しないように。」
「わかりました。」

Rくんは、親切にわたしに赤いキャップと水色のブラウスを
手渡してくれた。
「ありがとう、Rくん。」
手をつないで門の前に並んだ。

Rくんは、静かにわたしと列の最後尾を歩いたが、
その前のクラスメイトの坊ちゃんたちが、
おしゃべりが止まらない、前をよく見ないで
ふざけながら列を乱したり、途中でどんぐりを
拾ったりとはらはらし通しだ。
「ちょっと、前見てよ!」
「ちゃんと詰めて歩いて、アブナイ!」
まるで注意が入っていない。

10年前にはいなかっただろうこういった再三再四の指示を
ことごとく聞いていない坊ちゃんたちは、
いちいちそう思いたくないが、
「来年、学校だよ大丈夫?」とか、
「まさか、ADHDじゃないでしょうね」と勘繰ってしまう。

この町の環境丸ごとが、落ち着きのない殺伐とした
ムードに包まれているからなのか、原因ははっきりしないが、
明らかに「発達障害」と診断されている子どもは、
この保育所90名中7名で、そのうち4歳児クラスに4名在籍している。

柿の実が色づく畑や、コスモス、彼岸花の咲く空き地を横切って
20~25分でS公園に着いた。

公園に着くと、子どもたちは一斉に大型固定遊具を目指して駆け出したが、
Rくんは、しばらくわたしと手をつないで公園の沿道を歩いているうち、
友達の持っていた大きな石に興味を示し、さっと横取りした。
この頃、少しマシになっていた彼のイケナイ行動スタイルが、
顔を出した。
「Rくん、ちょうだいって言ってないよ。」
「いいよ、あげる。」
「いいの?ありがとう。」とRくんの代わりに言ったが、
彼は無言でその石を握っていることだけに執着しているようだった。
担任から注意が入った。
「投げたり、危害を加えないように気をつけてね。」
「わかりました。」

わたしは、Rくんに事前にくどくならない様に言い置いた。
「Rくん、大事な石だから落とさないように持っていてね。
お友達に投げたら危ないから、その時は、Y先生に持ってもらうよ。
いいかな?」

Rくんは返事をしない。
そのうち、どんぐり拾いや、あとから追いついた
3歳クラスの子どもたちが来て賑やかになり、
Rくんは、仲良しのSくんを追いかけて手をつなごうとした。
固定遊具にものぼって、滑り台で滑ることを楽しみ出した頃、
「せんせい、持ってて。」と石をようやく手から放した。

公園を出る時間をRくんは憶えていて、
一番先にしゃがんで出口の近くに待っていたが、
後からできあがった列と離れて並んでいたから、
先頭のSくんの前に陣取ったRくんは、Sくんに
「俺たちが一番前だぞ!」と文句をつけられ、その途端
手が出てしまった。

このように自分のつもりと、状況がずれてしまうと
Rくんは担任の説明にも納得したり、我慢したりできず、
怒りを抑えられなくなる。
多分、あまりだらだらとした説明はわからないだろうし、
何より、理由はどうあれ自分の要求を阻止されたことや
叱られた口調などに神経が苛立ち、感情を取り乱してしまう。

こんなときは、ほぼ90%の確立で、友達に譲歩してもらって
事なきを得ている。
Rくんはわたしと先頭を切って保育所に戻った。

さっき拾った大きな石は、彼のコレクターに加えられた。
保育所に戻ってくると、Rくんはロッカーの上に置いてある
黄色い籠の中身をひとつひとつ見せてくれた。
「また宝物がひとつ増えたね。見せてくれてありがとう。」
わたしや第3者の目から見て、彼の宝物はガラクタにしか
見えない。

そんなRくんにわたしは努めて穏やかに接している。
なぜなら、わたしの父は幼い頃きっとRくんのようだった
だろうと想像するからだ。

昼食の支度にもわたしの手を引きそばにいて欲しがるRくんに
加配のT先生が言った。
「Rくん、お昼寝のときゆきんこせんせいにきてもらうんでしょう。
何ていうの?」
「お昼寝のとき、きてね。」
「いいよ。じゃあ、1時にね。」

そういうわけで、1時から30分間で彼は寝入ったものの、
Rくんはみんなより15分早く目を覚ますと、ふとんをさっさと
畳んで、またわたしの手を引いて雑魚寝の遊戯室を出る。

今日は、2時から障害児のお母さんたちが集まっての
「おしゃべり会」があって、Rくんのお母さんも
出席していた。Rくんが職員室でお母さんの存在に気づいたところで
バトンタッチ。

おやつの時間からは、運動会のゼッケンのアイロンかけ
それが終わって、4時から5時15分までは窓拭き掃除で時間を潰した。

乳児室の前を通ると、外で13ヶ月のYちゃんがじっとわたしを
見ていた。前にも同じ状況があったのだが、
わたしが手を振っても、またじーっと見て眉をひそめていた。
Yちゃんは1歳を過ぎたばかりなのに、いろんな状況や気持ちに
気づいたり、感じたりしているようだ。
乳児室には、固定の3名の保育士が配置されているが、
1名が欠けるとエキストラで数名の保育士が代理で入る。
送り迎えが遅く、多くの保育士に自分の身を否応なしに
預ける反面、Yちゃんはきっと人を見る目も自ずと肥えてくるだろう。

8月には、自分からわたしのところによちよち歩きで
親しんでくれていたYちゃんの、ことばにできない気持ちを
推測してみる。
「ゆきんこせんせい、またそんなおそうじばっかりで、
ちっとも来てくれないんだから・・・」

わたしがいよいよ姿を消す日には、Yちゃんは気がついてくれるだろうか。

園舎の端の乳児室の外側の窓から拭いていく。
窓越に、ベビーベッドで8ヶ月のりんちゃんが
うつ伏せになっていた。わたしの顔を見て
りんちゃんはニコっと笑った。
「りんちゃん、わたしのことわかるんだね。」

裏に回って、網戸を拭いていると、乳児室の担任が
洗濯物を取り込みに来た。
「S先生、連休楽しかった?」
「ウ・・・ン」
「今日は涼しい1日になったね。」
「ほんと~。先生、もうあと4日なのかぁ。」
「わたしのこと、気にしてくれてるの?」
「気にしてるわよ。だって、何か、何か・・・」
「いいよ。何も言わなくて。その気持ちだけで嬉しい。
わたし、8月に乳児室に入れて、せんせいに親切にしてもらったこと
本当に感謝してる。
10月になってここを辞めたら、すっきりすると思うんだ。
気分転換に旅行に行こうと思ってるの。
今回の事故は、自業自得だし、アルバイトだって自分で選んだんだもの。
わたしは、自分のことだけ考えていればいいけど、
小さい子どものいるS先生には、お金が必要なんだし、
正職員だからいやなこともいっぱいあるんでしょう?」
「ええ、そうよ。」
「だから、気にしないで。」

1歳児クラスに窓拭きを進めると、子どもたちは
「あ、せんせい」と指差しして微笑む。
「おしっこでた?」
「せんせい、見てこれつくってん。」
「きのうな、○○おとうさんと行った。」
傍にいる室内の保育士に言えばいいのに・・・

雑巾を洗って職員室に戻ると、正職員が勢揃いして、
ある母親の語りに神妙な態度で傾聴していた。
「あの事故から3年も経ちましたが、あっという間でした。」
市内のある保育所での怪我が元で子どもが意識不明の状態が
依然として続いているという。

あと1週間でお払い箱のわたしだが、こうした不祥事の
積み重ねと過去の対応のまずさを自治体は引きずっているという
背景が今回の処遇を余儀なくしたのだ。
わたしは重々しいムードから逃れるように所長に一礼して退室した。

平穏無事が何より一番だと切に思う。




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2005/09/26 21:00 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
たまには演奏家
2005年09月25日 (日) | 編集 |
昨日は、ハイキングに出かけたので、
もともとオタクなわたしは、今日は終日家で過ごそうと
決めていた。

音楽を聴いて楽しむ人はたくさんいるが、
演奏となると、その一割だそうだ。
わたしは、随分前に吹奏楽団に所属し、クラリネットを
吹いていた。
卒業前の定期演奏会で「12番街のラグ」をスタンドプレー
したのが、自分のピークだった。
今はもう殆どふけない。

初めてこの楽器の音を出したとき、
口にマウスピースを当てて、両唇を内側に巻き込むように
突っ張らせて、上下の顎にも空気を入れないように
リードとマウスピースの間に空気を送り込む。
これに1ヶ月はかかり一苦労した。
それに舌打ちのタンギング、滑らかな運指など、
自由自在に演奏するまでには、諸々のテクニックが必要だ。

それでも、音楽が好きだから、歌うだけでも飽き足らず、
たまには演奏してみたくなる。

ハイキングに出かけるときに、歌の本とリコーダーを
リュックサックに詰め込むのもそれが理由。
誰もいない自然の中で、思いつくまま浮かんだ曲を
吹いてみる。
レパートリーは最近あまり広がらない方かも知れなくて、
誰もが知ってる名曲に近いくらいのCMでBGMに
流れているようなのが好き。
ジャンルは眠そうなスローバラードとかクラシックの名曲。

正午ごろから、久しぶりにキーボードを弾いてみた。
腕前は大したことなくて、両手でバイエルを卒業した程度。
譜面を見ながら、自分の好きな曲とそうでないものに
選別して弾く。

どんなジャンルの世界でも究めていけば、
そこに果てしのなさを感じて、怖気づいてしまうこともある。
ブログの世界もすごいな~と圧倒される。
こんなにも沢山の人が、独自の世界を物語っている。
明日は出勤だし、ちょっと休もう・・・





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2005/09/25 16:21 | 音楽 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
星のブランコ
2005年09月24日 (土) | 編集 |
只今、千秋楽前日の大相撲秋場所を観戦中。
注目は、ブルガリア出身の琴欧州の優勝なるか!?

琴欧州といえば、わたしに思い出させるブルガリアの青年
目に浮かぶ。
2004年の5月末まで英会話サークルに入っていたのだが、
ブルガリア出身の留学生のニックさんと出会ったのは、
2004年の1月と3月のことだった。
当時のレギュラーの講師だったニュージーランドの
ケーシーが一時帰国している時に代わりに来てくれたのが
ニックさんだった。
「ブルガリア・ヨーグルトって知ってる?」
「ああ、もちろん」
その端正なスラブ系の顔立ちと日本の歴史に
釘付けで、尚且つ将来外交官志望と語ったニックさんの
質問攻めにサークル仲間は圧倒されるほど、印象的な
キャラクターだった。

いよいよ、12勝1敗琴欧州の土俵入り

3月の終わりに再会したとき、わたしはニックさんの顔を見るなり
「わたし、あなたにもう一度会いたいと思っていたのよ!」
I am so glad to see you again!
と臆することなく発した。
当時、わたしは直接会話が英語でも日本語でも
苦手で、予め作文にして音読することを習慣にしていた。
ニックさんには、確か「小児科医療フォーラム」に
出かけたときの様子を聞いてもらったと記憶している。

ああ!琴欧州の足が土俵から出てしまった!
「2敗になってしまいました。」
「硬くなってたのかな。」
「稀勢の里の気迫勝ちですね。」
などなど、アナウンサーと解説者のコメントが入る。

英会話が終わったあと、わたしはニックさんと
東海道沿いに駅まで自転車を並べて走った。
彼は、英会話では触れなかった自分の趣味の話をしてくれた。
「これ、見てよ。ぼくは、相撲ファンなんだけど、
琴欧州を応援してるんだ。」
「そうなの。」
「彼は、ブルガリアでもすごく強かったんだ。
君も応援してくれよ。この英字新聞の記事、君にあげるよ。」

 4月には帰国するといってニックさんと握手して別れた。
「君はいいワイフになる。仕事も素敵なパートナーもきっと見つかるさ。」
通りすがりの異国の青年に会うこともないだろうけど、
きっと彼は、琴欧州の今場所の活躍ぶりに固唾を呑んで
見守っていることだろう。

午前中、「地球大好き」という番組の中でこんなコメントを聞いた。
「人が認めてくれなくても、自然や森が認めてくれればいい。
森の中に生きようとする者ならば。」

それに感化されて、朝食を食べているうち久しぶりに
ハイキングに出かけようと思い立った。

紺色の布製のバックパックに、
バナナ、かりんとう、ごませんべい、イカリ豆
お茶にビニール風呂敷、そして、岡本夏木著「幼児期」の単行本、
みんなの歌とリコーダーを詰め込んだ。
自転車の籠に乗せて午前11時に出発。

外へ出てみると、快晴で陽光が眩しかった。
気温はきっと30度以上はあっただろう。
通過する道路沿いに、広がる田んぼは黄緑の葉と黄土色の稲穂が
頭を垂れていて、野生の彼岸花の紅が艶やかに見える。

「星の里いわふね」に12時前に到着し、自転車を止めて
川辺でバーベキューを楽しむ家族やグループの間を縫って
13時7分歩き始めた。ゴールは吊橋「星のブランコ」だ。

「あら!あの虫何だろう?」
見たこともない昆虫がひらひらと跳んでいるのに気がついて、
わたしは、その虫のあとを追って歩いた。
その虫というのは、蜻蛉のようでもあり、蝶のようにも見える。
羽は真っ黒だ。何ていう虫なんだろう。
後で調べてみようっと!

バーベQ広場を過ぎると、誰もいなくなり、
わたしは「♪あの素晴らしい愛をもう一度」を
くちずさみながら、独り小道を進んだ。
耳を澄ませれば、ミンミン蝉にツクツクボウシの声
遠くから聞こえる鳥の囀り、川のせせらぎ、風に揺れて竹林の葉のそよぐ音。
音楽好きなわたしも、こんな自然のハーモニーは
人間が創り出すことは決してできないんだと
ひとり感無量になった。観客はわたし独り。
なんて贅沢だろう。そして、なんて残念なんだろう。
誰とも共感できないなんて・・・

という気分に浸っているうち、帽子の上に乗せて引っ掛けていた
10年前にフランスの蚤の市で買ったサングラスを
どこかで落としてしまったらしい。
ベンチでランチを食べる若いカップルの横を通りすがって
こっちが何となく恥ずかしくなってしまったせいだろうか。
それとも、時折目にする黄色い蝶に見とれてしまったせいかしら?

13時45分、ゴールまであと400メートルの「ぼうけんの路」
ここからが、勾配の急な丸太の階段がずっと続いている。
10分で丸太の階段の坂を登りきると、目の前に
吊橋「星のブランコ」が現れた。
スタート地点から55分でゴールに着いた。

橋の全長は280メートル、最高地上高50メートルの
「耐候性鋼材」でできたこの吊橋は、普通の錆とちがって
水や酸素を通さないから、内側の鋼材まで浸透することを
防ぎ、年月の経過と共に、こげ茶色の落ち着いた外観になる。

橋の中央でまた誰もいない時空間を満喫し、カイカ~ン!
少し強い風と、自分の歩調に橋の揺れを全身で感じていた。
家族連れの男の子が「ヤッホ~!」と叫ぶけど、
コダマはなかった。
14時5分、星のブランコを渡り切って、おねすじの路を
300メートル下る。もとのぼうけんの路に戻りついたのは、
14時20分だった。

ピトン小屋付近の楓は黄緑色だが、中には、赤くブレンドされた
葉も見つけた。何年か前にはじめてここを訪れた時分と同じように
きっと勤労感謝の日辺りは、もっと大勢の人々で賑わっているだろう。
行きも返りも人工のロッククライミングを楽しむスポットに
同じ男女がぶら下っているのには驚いた。

帰り道は、ゆっくり掲示板も読みながら帰る。
「天の樟船渓谷の朝霧

天の川の上流には鮎返しの滝の景観はたくさんの大岩が
一ヶ所に集まってとても珍しいもの。
元禄2(1689)の南遊紀事(貝原益軒)によれば、
『岩船石の下を天川流通る。奇境也
凡、大石は何地にも多けれども、かくのごとく、
おびたたしき石の一所にあつまれる処をいまだ見ず』」

まだ、時間もあるし、足を伸ばしてみよう!
と思ったが、道路が決壊していて通行止めになっていることを
示す掲示板にがっかり。

お腹が空いて、3時から10分間、さっき恋人同士が
座っていたベンチに掛けて、おやつを食べて休憩。

3時15分天の川に一羽の白鷺の姿を発見した。
くちばしで川の中の餌を突っつく。
餌はなんだろう?ここからでは、川の中の生物まで見えない。

15時30分自転車を止めていた「星の里いわふね」に到着。
デジカメを持っていたら、何枚か実写も添えて載せたかったんだけど。







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2005/09/24 20:06 | ハイキング | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
家族の笑顔
2005年09月23日 (金) | 編集 |
今日は、秋分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるが、
昨日よりも汗ばむ陽気だ。
休日はいい。煩わしい職場の人間関係から免れる。
朝もゆっくり寝坊できる。
それに加えて、何気なくつけたTVの映像が現実離れしている場合、この上なくわたしを慰め、癒してくれる内容だったら、
布団から出るのに、勇気が要ってしまう。

「喜びは創りだすもの」
バーモント州の片田舎で理想の花園を30年の歳月を
かけて育んできたアメリカの女流絵本作家
ターシャ・テューダーの世界にうっとりとまどろむ。

男性陣が何と言おうが、こんな御伽噺のような
100年前のアメリカ開拓時代そのままに、
絵本の世界を頑なに実現していることに、
羨望しないでいられるだろうか。

日中は、広大な庭の手入れ
大きな桶に溜めた雨水を庭に撒く。
秋にはリンゴの収穫とジュース作り
手作りの蝋燭の照明で読書や絵本製作
「人付き合いは苦手、ひとりでいるのが好き」
「電気を発明したエジソンは偉大。感謝している。」
「どんなに厳しいときも、幸せは心の持ち方にある。」

斉藤由貴のナレーションと、90歳を超えた独居老女ターシャの
愛犬コーギーのメギーが短足のモンローウォークで歩く姿が
なんともいえない演出だ。

春から夏にかけて色とりどりの花で賑わう庭と対照的に
真冬に咲くSNOW DROP マツユキソウも印象に残った。
案外わたしって、ドメスティックかもしれない。

その余韻に浸ることは、今朝はできなかった。
11時には、9月のはじめから約束していた
家庭教師のサブワークに出かけた。

Tくんは初めの30分はレモネードをおかわりしたり、
TVアニメを見入ってなかなかその気にならなかった。
お気に入りのネコにまつわる絵本「11ぴきのねことぶた」と、
自作のABAの技法のひとつトークンエコノミーをヒントにした
手作りのネコシールとカレンダーを切り抜いた
マスを提示すると俄然、ヤル気満々になった。

市販のイラストシールをそのまま使うのが定番だが、
ゆきんこ流は、シールもご本人にひと手間かけて作ってもらう。
「あれ?このねこかおがない。」
「うん、Tくんかいて。」
「わかった。このねこはこわいかお。」
「ほんと、こわ~い!」
「せんせい、このねこのかおかいて。」
「いいよ。このねこ、やさしそうなかおじゃないね。
いじわるなかおだ。」

はさみもセロテープも手先が器用なTくんには、
敢えて用意せず、自分で家の中から探して用立ててもらう。
どんな動物自分の欲するものを自分で手に入れようとするはずだからだ。
シールは購入しないといけないが、自分で簡単なイラストをかいて、
使い古しのカレンダーを切るだけなので、経済的。

そんなわけで、モチベーションの高い門下生に
師匠は冷たいと噂では聞いている。
ABAの理論上、行動そのものが報酬になったとき、
強化子は不要になるというのだ。
だから、ABA的に言えば、もっとも崇高な個体は、
自ら目標を作り、それを達成する上で何らの
報酬もなく、自らの喜びとする。ということに帰結する。
だから、ボランティアの人たちをブログのなかでは
賞賛するのだが、わたしのような誰にも褒められない
無名の食えないプロ場合、
そのバランスが悪すぎて、美談にできないので
シニカルになってしまう。
とても、ターシャの超越した心境には程遠い。

座卓と壁際に置いた椅子の上に脚立に立ってそこから
座布団にジャンプを繰り返していたYくんだが、
集中力が途切れそうになると、自然に自分でイメージを
膨らませていった。
「ネコの特急列車、ガタンガタン、」
「なにえきですか?」
「え~と、ねこやまえき」
「ブレーキ、キキーッ!」
「その音、耳が痛いよ、Tくん」
といいながら、マスにひとつひとつ「駅に着く」印に
シールを貼っていた。

30分も延長して頑張ったので、久しぶりに会った
お父さんもご機嫌だった。
「ゆきんこさん、よかったらランチをいっしょにどうそ。」

数年前からのお付き合いのご家族の団欒に加えていただき、
Tくんと兄のFくん、ご家族の近況について
ゆっくり聞かせてもらえたことも、わたしにとっては
大きなご褒美だった。
次々にパパさんが、デザートなどを振舞ってくれるので、
「わかった。わたしを食べ物でひき付けて、太らせようっていう魂胆でしょ。お尻に根が生えてきたらどうするんですか?」
テーブルを囲む家族に笑みがこぼれた。

「わたし一人暮らししようと思うんだけど。」
「賛成!わたしの部屋を共有しない?」
「ええ?いいの?」
「あ、でも掃除とか雑用頼むけど。」
「独りより、ちゃんとできると思うよ。それよりも
わたしの方が邪魔にならないかな?」
パパさんの妹で、近くに独り暮らしをしているYさんからの
冗談半分の提案にも花が咲いた。

3時に帰宅すると、そのまま6時過ぎまでうたた寝を
してしまった。カイカ~ン!

夕食の準備を済ませた母がこう厭味を言った。
「あんたの年頃でこの時間にうたた寝なんかしている
女性はいないわよ。少しは気配りしたらどうなの?」
「その必要がないんだもの。誰にも迷惑かけてないでしょ。」
わたしは、炊きたてご飯を二口食べながら、問いかけた。
ニュースでは、自殺サイトについて報じていた。
「ねえ、お母さんには、恐いものなんて何もないよね。」
「そうね。もう老後だから、あとはどうにでもなったらって
感じよ。」
「5歳で母が死んで、戦争も経験して、結婚しても、
パートナーには未だに、苦労かけさせられて、
母子家庭で働き続けて・・・」
「頼る人もなかったけど、乗り越えてきたし、
どうってこともなかったわ。」

母とターシャの生き方がなんとなくつながるような気がした。




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2005/09/23 20:54 | 家庭教師 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
憧れの乳児室
2005年09月22日 (木) | 編集 |
今朝、7時ごろ小雨が降っていたが、8時までには止んで
一日中曇り空に、そよ風が吹いていた。
それでも、軽運動をすれば、汗が滲むという気温は26~30度
といったところだ。

先ほど、お気に入りの師匠のブログを見てみたが、更新はされていなかった。
昨日わたしが書き込んだコメントのレスがあるかなと
期待してみたのだが、反って凹ませてしまったかもしれない。
ABAの理論どおりに100%事が運べは、みんなもっと幸せだろうけど、
現実の実践や現場では、それがなし崩しにされて絶望の縁に
立たされることの方がずっと多い。それがわたしの人生。

今更、師匠を「理論どおりにならないじゃない!」と苛めてみても、
自分で自分の人生をなんとかしないといけないのは、
誰だって当然なのだ。
それをわかっていて、昨晩、わたしはコメントを入れた。
「障害児教育の臨床家や専門家に傷つけられて、その後の
障害受容が困難だったり、拒否しているケースに対応する
具体例はどのようにされるでしょうか。
かくいうわたしが、その当事者です。」
その返答がなかったのだ。
不誠実だ!ペテンだ!

わたしは、屈託やウソ偽り、騙し合いのない子どもの世界が好きだ。
保育士になったのは、「でもしか」だったけれど、
「この仕事で自分らしく生き、自己実現できる。」
そう思い込んでいた。

朝のミーティングが終わると所長に指示を受ける前に
九官鳥の「タロウチャン」の水浴びをした。
タロウチャンは、わたしが巣箱を持ち上げると、
人の声の人まねではなく、「krrrrrr・・・」と
サイレンがクレッシェンドするように喉を鳴らす。
水をかけると、除けながらも嬉しそうな感じで棒の上を
ピョンピョン跳ねる。
「きもちいい?タロウチャン、今日はあんまりウンチしてないね。」
そういって巣箱にこびり付いた緑色の糞を束子で擦る。

運動会の練習は、5歳クラスのオープニングの和太鼓の
セッティングの手伝いと片付け、
それから主任のY先生とペアになって「かけっこ」のゴールテープを
担当した。
1歳児クラスから順に子どもたちは、みんな楽しそうに且つ
一生懸命ゴールに向かって走っていた。
中にはテープを切るとき、ブレーキをかけて慎重になる子も
いたが、大抵の子どもはそれが一番楽しい瞬間には違いない。
わたしもゴール係なんて、保育士になって初めての経験だった。

誰だって、走り出したらゴールに向かってそのテープを切る
快感を味わいたい。それなのに、テープを切れるのは
たった一人なのだ。
そうした目に見えない競争を我々は一体いつまで、
どこまで強いられなくてはならないのだろう。
そんなことを、感じているのは年長の幼児たちだ。

続いて4,5歳児は、小さな園庭いっぱいにやかんの水で描いた
楕円状のトラック1周紅白対抗リレーの練習だ。
4歳児のスタートは、クラスに在籍する4名の発達障害の
子どもたちが、加配保育士の配慮の元にラインに並んだ。
予めラインに足型の段ボールを敷いて、トラックのカーブに
→マークで視覚支援してわかりやすくしてある。
そのわが子の姿を隣のマンションのフェンス越しに
見つめる母たちの心境を思うと、わたしは過去の経験から
胸が痛くなってしまう。

ぎこちなく、あるいはスムーズにバトン交代しながら、
「はやいよ、はやいよ~!!」と先生たちのエールも
大きくなり、レースは初回にもかかわらず、本番さながらに
盛り上がった。クラスで長身な男の子に後追いする男の子が
悔し泣きした。

最後にフィナーレのダンス「オチョオチョ」をみんなで踊って
今日の練習は終わった。
このフィリピンの暢気そうなヴォーカルがコミカルな振り付けのダンスを踊ると
自然笑っちゃうのだが、わたしが個人的に笑っちゃったのは、
太腿をリズムに合わせて3回擦る仕草で、何人かの子どもたちは
お腹をさすっていたことだった。

園庭に沿って立てられた園舎の窓ガラスは、すぐに砂埃がついてしまう。
自由遊びから昼食までの小1時間は、窓拭き掃除。
軽く吹いただけで、雑巾は見る間に泥色に染まる。
11時前に乳児室の窓を拭いたら、食事中のみなさんが、
もぐもぐの口を止めて、わたしをじっと見ていた。
普通に掃除したのでは面白くないから、下から上半分のガラスから
顔を出すときには「バア~」なんてサービスしちゃうと、
素直に愛らしく笑ってくれるから、こっちも単純な拭き掃除が
楽しくなってくる。
掃除が一通り終わる頃には、賑やかな園庭には、誰もいなくなった。

午後1時、いつものように今日も幼児クラスの午睡の支援に加わった。
先日まで専属だったR君のトントンを離れて、3歳児クラスの
子どもたちを順にトントンしていくと、30分で10人くらいの
子どもたちが寝入っていった。
そうしている間もRくんはなかなか眠れず、加配のT先生と
悪戦苦闘していた。
「もう、ちゃんとお布団の上にいなかったら、きてくれないよ!」
40分経過して、休憩を取っていないT先生を気遣って
担任のY先生が、わたしに耳打ちした。
「もう少しして眠らないようなら代わってあげて。」

更に5分経ってもRくんの抵抗は続いていたので、
わたしはそろりと二人に近づき、囁いた。
「ねえ、T先生かわいそうよ。Rくんが眠れないと
ずっとお休みしていないんだって。どうする?
お休みしてもらおうか?」
「うん。」
「だめ!Rくんちゃんとわたしと寝なくちゃ、ゆきんこ先生に
とんとんしてもらえないからね!」
譲歩しないT先生に、とうとうRくんは降伏して大人しくなった。
Rくんはすっかり疲労していた。
「Rくん、これで先生と代われるんだね。じゃあ、先生が100トントンしたら、もう眠ってるかな。
1・2・3・・・」
Rくんは、T先生が離れてわたしがトントンし始めて、
30も数えないうちに眠ってしまった。

あとでT先生に話すと
「もう眠りかけてるのに、無理に目を覚ましてトントンして
もらえるまで粘ってるんですよ、Rくん。」
「わたしのお面でも被ってたらどうかな?」

2時半から5時15分までは、久しぶりに乳児室での保育を許可された。
職員室で所長に釘をさされた。
「充分に気をつけてくださいね。声の掛け合いを忘れずに。」
「はい。なるべく雑用にまわる様にします。」と一礼した。

約2週間ぶりの乳児室に入ると、泣く子はいなかった。
わたしの顔をじ~っと見て、数秒してからにこっと
笑ったのは、生後8ヶ月のリンちゃんだった。
どうやら、わたしは彼の見覚えのある顔だったらしい。
一番小さい6ヶ月のYくんが目覚めると、わたしは
あの事故以来、抱っこさせてもらった。
「あの時は本当にごめんなさい、Yくん。」
トッターに座らせてベルトを締めるとわたしはお辞儀をした。
Yくんはじ~っとわたしを見て、「あんた誰?」という真顔。
目の前を横切る担任のI先生を目で追いながら、目と目が合うと
Yくんは、にこっと笑った。
「I先生に笑ったよ。」
「エヘへ、担任の特権かな。」
「もちろん。」

主任のY先生も加わって、わたしの監視も兼ねているから
保育は慎重にも慎重にならざるをえない。
それを気にしながらも、数日ぶりの乳児室のみんなの
発達の変化がわたしを嬉々とさせた。
「わあ、Yちゃん歩くのが早くなった!」
運動会の練習で賑やかになった外の世界や、乳児室以外の
他の部屋で人々がしている雑事にも興味津々の1歳を1ヶ月を過ぎた
Yちゃんは、「お外へ行こうか?」の声かけに
窓ぎわでスタンバイしていたが、
「やっぱり、Tくんが食べ終わってからね。もうちょっと待って。」
と担任が待ったをかけると、怒って泣いた。

また、夕方に部屋に連れ戻されると、指吸いしながらまた泣いた。
「Yちゃん、もっとお外で遊びたかった。前はそんな顔しなかったのに。気持ちがいっぱい出てきたね。」
わたしのコメントに主任はハッとした表情だった。

14ヶ月のSくんは、わたしに「ぽーん」と言い、ボールを投げつけた。
わたしが受け取り、「いっせいのーで、ぽーん」と放り投げ、
ボールを「まてまて~!」と小走りに追いかけると、
SくんのあとからYちゃんもボールをキャッキャと追いかけて
しばらく盛り上がった。
涎が出るほど面白く、そのはしゃぎ様に、他の保育士たちはやや呆然と
見ていた。

5時ごろに相次いで、お父さんお母さんのお迎えが来ると、
ハイハイで近寄るりんちゃん、ひときわ笑顔のYくん、
エ~ン!と泣いて両手を挙げて抱っこをせがむKくん。
みんな親子の絆がちゃんとあって、他人の保育士にも
自分を安心して預けてくれる。

やっぱり、わたしは赤ちゃんが大好きで、
今度もどこかで待ってるかわいい子に会いに行きたいと思う。
そして、どの子も親に愛され、慈しまれて育って欲しいと願っている。
「○○ちゃん、大好きだよ!」
そういうだけで、どの子も素直でいい子に育つ。























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2005/09/22 21:57 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
運動会の予行
2005年09月21日 (水) | 編集 |
アメリカにはハリケーン「リタ」がいよいよ上陸したとニュースの
冒頭に告げている。
夏ももう終わりのはずだが、今日は曇り空だというのに、
汗をかいて午前中を過ごした。
10月の運動会に向けて、H保育所では運動会の予行練習を行った。
わたしは、道具の出し入れの係りを担当した。
鉄棒に、マット、平均台、小道具、畳まである。

運動神経と、その場での俊敏な判断力、体力がモノをいう
こういう役どころは最も苦手な私。
だから、保育士たちに揶揄されたり、「やめれば」「不向きだ」と
罵られてきた。

自分で自分を笑うしかなかったのは、
2歳児クラスの演技が終わった後に、道具を戻しに
出たのだが、次々と他の保育士たちが、道具を運んだ後に
何も残っていなくて、そのまま手ブラで、引き返したときは、
恥ずかしいのと、まるで自分のツイてなかった人生を
暗示するようで全くバツが悪かった。

わたしにとって、同業者の保育士は
「子どもにとっての理想的な良妻賢母的存在」
というのは、幻想のように思われることもある。
しかし、弁護を許してもらえれば、子どもというのは、
決して可愛いだけの存在でなく、
その発達の途上でなんやらかんやらやらかしてくれる人々であり、
笑いあり、涙あり、バトルあり。

その両者の相互作用は、時に嘆かわしいムードへ変貌することもあれば、ラブラブに好転することもある。

また、夫婦不仲な間の子どもがダブルバインドに苦しむように
保育士同士が不仲だったり、性格の不一致があると
子どもの人格形成にもいい影響を与えるとは思えない。

わたしが、この保育所でどうでもいい目障りな
窓際保育士であることも、お部屋のなかで
がんじがらめになっている保育士たちにとって
ありがた迷惑な存在であることも自覚しているから、
全ての保育室ではないが、主任の指示で、
飛び入りお手伝いをするのは辛かったりする。

普段の担任と子どもとの関係は良好なのかどうか、
いちいち気にするまでもなく、わたしはタダの
お掃除おばさんにしか過ぎないのだが、
部屋に入るとすぐに、ム~ンと険悪なオーラを
感じつつ、「お手伝いに入らせてもらいます。」
とその部屋に入ると、2歳のYちゃんが
「ゆきせんせい」と微笑む。
「あら、Yちゃん、せんせいの名前知ってたの?」
そのやりとりに、担任が面白くないのは、想像して
もらえるだろうか。

その敬遠のある保育士に、予行の最中に
もたついていたにしても、片手で突き飛ばされたときには、
「やっぱり、わたしのこといやなんだ。」
と確信した。

5歳のRくんは笑顔でフェンスの向こうから手を振っているのに
驚いて、加配のT先生に尋ねると今日は療育施設へ通う日だという。

午前中は、肉体労働でいい汗かいて、子どもたちもめいめいが
非日常のムードでがんばっていた。
印象に残ったのは、2歳クラスの平均台くぐりと4歳児の玉入れ
案外籠の中に狙って玉を入れることの難しさと、一人一人が
集中して投げ入れていたのがよかったし、わたしも
「おし~い!」「ねらってねらって!」「やったー!はいったー!」
と掛け声に熱が入ってしまった。

昼休みは、昨日から引き続き、所長や主任たちは
職員旅行のお土産で買ってきた炭酸煎餅の話をしていた。
管理職たちと入れ替わりに、乳児室の保育士たちが入ってきて
わたしは、徐に15日の課長とのことや自分の心境を述懐した。
「所長が朝礼でいくら信頼関係と声高にいっても、課長がわざわざ
出向いてわたしに辞めろと言いにくるなんて、パワハラじゃない。
わたしに子どもがいたとしても、預けたいなんて思わない。」
「わたしも、正職員だけど、確かにこの10年で保育環境は悪くなったし、自分の子どもは隣のY市に預けた方がよかったと思っているよ。」
「乳児クラスの子達、人見知りがひどい子ばかりなのに、
ゆきんこさんが初めて来たときから、誰も泣かなかったし、
みんな嬉しそうでしたよね。」
「先生方が、わたしを温かく迎えてくださったからです。
他の保母さんとはあまり上手くいかないから・・・
だから、乳児室の仲間入りをしてどんなに嬉しかったか。
でも、課長の命令だから、もうH市では勤められません。」

1時前から、昼食を摂って、45分ごろ遊戯室に入ると、
3歳のY君がまだ寝付くことができずに、担任が手を拱いていた。
「この子トントンして」
わたしが交代すると、Yくんは自分から寝ようとする体制をとった。
それを見て担任は、苦笑いした。
「何かおかしいですか?」
「うん、おかしい。」
Yくんは、わたしとRくんのトントンの様子を見ていたのだろう。
全くかかわったこともないわたしの膝に頭を乗せると
それでリラックスしたのか、目を閉じて10分以内に眠った。

2時から職員会議で正職員が席を外すと、気のせいか
午睡から目を覚ました子どもたちは、羽を伸ばしているように見える。
わたしが3歳クラスの穴埋めをするのに、子どもたちの
テーブルに座ると、彼らはやっぱり嬉しそうにしていた。
「みんなたまご上手に運んでたね。せんせい見てたよ。」
乳児室にきょうだいのいるYちゃんとMちゃんは、その話も
嬉々とする。子どもたちが伸び伸びと屈託なくおしゃべるする
その姿にわたしも微笑むと、Yちゃんはチーズの包み紙を
わたしに渡して「せんせい大好き!はい、お手紙」
「ありがとう。ほんとだ、先生大好きって書いてある。
せんせいもYちゃん好きだよ。」
同じテーブルの子どもたちも笑っていた。

その後は、窓拭き掃除をして退勤時間まで過ごした。
非常勤のM保育士から自閉のJくんのエスケープに付き合って
保育に加わるように要請されたが、
「ごめんなさい。子どもたちとかかわるのを控えているんです。
また何かあるといけないから・・・」

「わかった。Jくん先生とボール遊びしよう。」
「♪なげてとって、なげてトン!」
懐かしい聞き覚えのあるメロディーにJくんもわたしも
ノリノリになった。

雑巾を洗っていると手洗い場の横にあるアヒルのララとイブキが
うつ伏せにひっくり返った餌の容器をくちばしでつついているのに
気づいた。
「そうか。ララちゃん、今日運動会の予行があったから
当番の先生に餌をもらっていないんだ。お腹空いたんだね。」
そう声をかけてカギに手をかけると、その途端、
普段は鳴かずにうずくまったままの2羽が共に大きな声で鳴きだした。
「うわぁ、よくわかってるんだ。すごいね!」

餌のことを用務のKさんに聞くと
「ああ、大丈夫よ。あなたの仕事じゃないから、勝手に檻を
開けないで。」
「ごめんね、ダメなんだって。」
鳥には人間のことばが随分わかっているみたいだ。
ララとイブキは諦めて元通りにうずくまった。

自転車で市街地へ向かう街道を走る途中、日暮れの始まる曇り空に、
鳥の群れが頭上高く渡って行った。
わたしは見上げて思った。
「人に飼われていなければ、自由に空を飛べるのに。
人間だって、自由が一番いいはずなのに。」





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2005/09/21 21:29 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
声なき声に
2005年09月20日 (火) | 編集 |
昨日は父の誕生日だったのに、気がつかないでいた。
些細なことに気づいていけるようにと、心がけていたいのに、
実際には、見落としたり、気がつかないでいることが多い。
そこが、凡人と偉人との大きな違いで、わたしは、最早
凡人の域を出ることはないと悟るしかない。

3連休で保育所の職員たちは、それぞれにリラックスしたり、
気分転換したあとの表情をしていた。
それもそのはず、日・祝で兼ねてから企画してきた職員旅行を終えて
帰ってきたからだ。

行き先は有馬温泉とか。
でも、参加した保育士たちは、わたしの前ではその話を
遠慮していることがわかった。

わたしがこの保育所に来たのは7月1日で、
それ以前から旅行の計画が建てられていたし、
その時点で、わたしは9月末日までの3ヶ月限り
この保育所でお世話になる契約だったので、
初めから誘いは掛かっていなかった。

こうした境遇の上に、保育士という仕事から
遠ざけられ、わたしに与えられるのは、正に
「猫の手」のようなお手伝いに過ぎない。

今朝は、いよいよ本格的になってきた
運動会の練習に使う道具の出し入れ、
子どもたちがダンスの練習の最中には、
九官鳥のタロウチャンの巣箱の掃除と水浴び
靴箱の掃除で午前中を過ごす。
こうした間にも、子どもたちとのかかわりは
皆無ってわけじゃないのが、今のわたしのせめてもの慰めだ。

乳児室の窓越しに12ヶ月のYちゃんが指吸いをしながら外を
眺めていたので、わたしは「Yちゃん」と手を振った。
しかし、彼女は眉をひそめてじっとわたしを見ていた。
「あれ?もう2週間も経つと、忘れちゃったかな?
大きくなったら忘れちゃうよね。」

生まれてはじめての戸外での運動会の練習で、
まだ、8ヶ月のリンちゃんは、緩やかな斜面の上に
腹ばいにされると、大泣きしていたが、
Yちゃんは余裕の笑顔で手押し車を押して、
かなり遠くから眺めていたわたしに愛らしく手を振ってくれた。
わたしも手を振りかえした。

5歳児クラスが演じる和太鼓の台を調整するのに、
所長から、台の切断を依頼された。

昼食時には、用務員のKさんが主に
職員同士が和気藹々と旅行や宿泊サービスを楽しんだ様子を
話してくれた。
一番若いアルバイトのU保育士は昨日、H市の就職試験を
受けたらしいが、採用人数8名に対して受験者は120名と
かなりの倍率で難関な試験になっている。
保育士の試験に一般常識で数学に政治学など、
篩にかけるためだけの無駄な努力を強いる問題に、
実技と面接の3次試験まであるらしい。
「最終的には面接試験での人間性で決まるんでしょうね。」
とTO所長。
「ピアノが弾ける保育士が必要よ。演奏できるとはいっても、
バッハやモーツァルトなら弾けるのに、実用的な童謡が
弾けないんじゃ仕方ないんだもの。」と主任のY先生。

わたしも、ここの採用試験は何度も受けて無駄に落ちた。
採用試験はパスした例がなく、誰もが易々と合格するはずもない
大学院なんかにはパスするものだから、どうやって生きていったら
いいのか、途方に暮れてしまう。

面接は、結局、面接官の好みに拠るところもあるんじゃないかと思う。つまり、主観とか、偏見が必ずそこに含まれるのは当然だ。
わが町の公務員族は、地元出身者はとても少ない。
住居も他市に住んでいる人が多い。
そして、わたし個人の意見で、誰にも同意してもらえないことは
わかっていて、敢えて言いたいことは、
この町は、ある政党組織に牛耳られているという胡散臭さを感じる。
同じ狢同士ではこうしたムードに違和感はないが、
例えていうなら、わたしは「醜いアヒルの子」と見做されているのだ。

Rくんは、今日もご機嫌さんで、わたしの姿を見つけると
また手を引いてくれるが、今の所長から子どもたちとの
かかわりを厳重に監視されている以上、断らなくてはいけない。
それでも、太鼓を外に出すときには、R君は健気にも
傍に来て、お手伝いをしてくれた。

午睡の時にも、Rくんが抱きついて好意を示してくれるのも
嬉しいのだが、「添い寝はしないで。」と
3歳クラスの担任からチェックが入る。
そんなわけで、ほんの僅かなのかかわりも
ちっとも楽しく保育できない。

R君が40分ごろに寝入ると、今度は自閉のJくんを
任されたが、J君の入眠確立は、R君に比べて20%といったところだ。
2時を回っても一向に寝付かないJくんに根負けして、
二人で職員室の畳コーナーに移動した。
Jくんは、カタログの上にクレヨンでアルファベットをかき出した。

Y主任が午睡から早く目覚めた12ヶ月のTくんを
畳コーナーに座らせていたが、
わたしが近づくとTくんは、2週間以上も会っていなかったのに
わたしがお世話したことを記憶に留めていたらしく、
8月からはまっていたミルク缶のポットン落としに集中しだした。
それに飽きた頃、紙コップでできた「いないいないバア」の
クマさん人形を見せた。

「いないいない・・・」というと、
「バア」とTくん。
それを数え切れないくらいTくんは、「バア」「バア」と
発語した。わたしは、彼が「バア」という度に
クマちゃんをコップから突き出した。
つまり、Tくんは、「バア」と自分が言えば、クマちゃんが
顔を出すことも、わたしがそのクマちゃんを操作していることもわかっているのだ。
そして、コップを畳に置くともっとしてほしいので、Tくんはコップをを取ってわたしに差し出す。
「ありがとう」わたしは受け取り、また「いないいない・・・」

こうしたシンプルだが、モノ(クマちゃん)を介在した
コミュニケーションは、既に1歳前後から始まる。

さて、自閉のJくんの場合は、1歳でこうしたやりとりが
できただろうか?
Tくんが2時半におやつの時間になって、Y主任に抱かれると、
彼はわたしの方を見つめて泣いていた。
こんな瞬間が、母じゃなくても胸キュンになってしまう。

気を取り直して、Jくんのお相手をするが、全く通じていない
とは感じないものの、
「やっぱり一方通行だよな~」と、なぜかそこがわたしの笑いの
ツボを誘ってくれる。
4歳のJくんは音声言語は獲得しているが、概ね動詞抜けの1語文だし、職員の使う電話や印刷機の電光表示などに目ざとく反応する。

「オリガミ」
「オリガミするの?」
Jくん、勝手にオリガミの棚から取り出そうとするので
TO所長「一枚だけだよ」
ゆき「何色ですか?ピンク?紫?」
Jくん「ピンク」
ゆき「ピンク1枚ください。」
Jくん「ピンク」
ゆき「1枚ください」
Jくん「ピンク!」
・・・とまあ、こんな感じだった。
「ください」の意味がわかんなかったかな?

わたしの手前味噌な主観と感性でしかないが、
母子と愛着している1歳ごろの赤ちゃんは、
養育者との間に共に「絆」を感じることができるのだが、
その点、自閉ちゃんはやはりそれが全くないとは
断定しないまでも、薄いな~と感じる。

ところで、帰宅してお気に入りの師匠のブログを
拝見すると、これに近い専門的な情報が提供されていた。
つまり、1歳半健診前後に自閉症の兆候をより早く
行動観察から把握する研究が進んでいるらしい。

その点では、わたし自分で言うのもなんだけど、
元来は引っ込み思案でも、自己宣伝することも必要なので、
10歳のころから沢山の赤ちゃんや、障害を持って
生まれてきた子どもたちとも接してきた経歴から、
かなり早くから、健常乳児か否かは、見極められると思う。
・・・でも、誰かが認めてくれないことには、
わたしは、のこぎりで木片を切ったり、電話番をするなどの
平凡なバイトおばさんに終わってしまっても、
自業自得だっていう気がする・・・誰にも文句は言えない。

12ヶ月のYちゃんは2週間も会わなくても
わたしのことを憶えてくれていたと後から思い返した。
きっとそうだ。彼女はこう感じたかもしれない。
「ねえ、ゆきんこ先生。8月までは毎日遊んでくれたのに、
どうしてこのごろちっともお部屋に来ないの?」

そう思うと、あの事故がなかったら、わたしは、
Yちゃんや他の赤ちゃんたちと遊んだり抱っこしたり
楽しいことがいっぱいできたのに・・・
とまた、胸キュンになる。

「そんな処遇で、あなた屈辱的じゃないの?」
夕餉の支度をしながら、元同業者の母が聞いた。
「そりゃあ、屈辱的だよ。でもなぜだか、保母さんたち、わたしに
気兼ねして敬語使ってくれるの。平気でわたしも更に謙るから、
それで自尊心をキープしてるの。」

故郷の自治体からは、絶縁状を突きつけられたわたしだが、
ペーパーの保育士試験で一体、保母の感性や資質がどれだけ
測れるというのだ。面接でどこまで「人間性」を確認するというのだ。
そんなのは、当の赤ちゃんたちや子どもたちに「選挙」してもらった
方がよっぽど、理に適ってやしないだろうか。
お世話して欲しい養育者を、赤ちゃんは自己選択できる能力を
持っているんだから。

やっぱり、この仕事をそう簡単に辞めるわけにはいかない。
「気持ち」や「ココロ」がわかりにくい坊ちゃんたちの
行く末が、さっきの9時前のニュースで裁判沙汰になった
青年の判決と、師匠のブログ、父の生涯がリンクしていくだろうと
予感するからだ。






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2005/09/20 21:41 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
こころの電話
2005年09月19日 (月) | 編集 |
3連休の最終日は、敬老の日。
朝から、それに因んだドラマ「輝く湖にて」
「森光子さんの放浪記」のドキュメンタリーを視聴した。
生老病死に四苦八苦の煩悩に苛まれることは、
有史以来の不可避な我々の課題だ。

わたしは、偶然見つけた講演会に出かけるのが好きで
そこで印象に残ったセリフを後から何度も反芻してみるのも
好きだ。
本のなかの感動したことばも、書き留めてみたりする。

お気に入りのブログの主は、業界では超有名人だから、
いつも多忙そうだが、案の定、3連休も更に忙しそうだ。
正午にリンクしていたブログに選挙についてのコメントを
かなり意を決して(という内容)
送信ボタンを押したところ、リジェクトされてメールに
戻ってきた。

そうこうしているうちに時間が迫ってきて、
午後1時すぎに身支度を始めて、
2時から6時まで「こころの電話相談」の当番を担当した。
2004年の6月以来、仕事と学業の合間に月に1回始めた
ボランティア活動だ。

最近は、講演会や読んだ本のなかの台詞を、電話相談で応用してみると、
案外、お相手にストンと納得してもらえて、
「なるほど~」
「わかりました。ありがとうございました。」
と言って貰える事が増えてきた。

相談員もそれぞれ異なるフィールドを持つ
人々の集まりなので、電話応対しない時間は
当番になった相手同士で雑談するのも楽しい。

それでも、「類は友を呼ぶ」だから、
相談員になった動機は、自分自身の
人生においての危機を乗り越えた結果、
「共に悩みを理解し、分かち合いたい」ということに行き着く。
要は、電話のこちらもあちらもそんなに変らないと
感じることが多くなった。

だから、「わたしもおなじです。」なんていう台詞も
言ってみると、相手の方も安心してくれるように思う。

しかし、相談者は身近なところで
「聞いてくれる人、わかってくれる人がいない」という点で
孤独な人といえるのかもしれない。

かくいうわたしも、専門の心理学や障害をもつ子どもたちや人々に
かかわりながら、「わかる」「共感する」ということが、
どこまでわかっているのか、それを計る物差しはないんじゃないかと
思っている。
電話を切った後は、「本当にこれでよかったのかな?」と思う。

人を信頼する、信用することの難しさを思うし、
相談室から窓の外を、駅のロータリーに屯しているタクシー、
バスや乗用車、人々の往来をぼんやり眺めていると、
「なんのためにみんな生きているんだろう。
明日、わたしが死んでも、どうってこともないやんか。」

夕方にかかってきた電話の相手との会話を抜粋する。
「死にたい気持ちと、生きたい気持ちが半々です。」
「半分は生きたいんですよね。」
「はい。」
「あなたが死にたい人なら、ここに電話してこないんじゃないですか。」
「死んでしまったら、あなたとわたし、こうしてお話できませんね。
生きているからあなたは、電話をかけてきたのでしょう。
もっと生きたいと思っていらっしゃるのでしょう。」

但し、どんな風に生きるのか、それがその人唯一無二の
人生においての幸福感を左右することは否めないと思う。
それは、不器用なわたしにも、幸せだと言い切ることが
できないで、相談員というボランティアをしている所以だ。

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2005/09/19 20:13 | ボランティア | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ちいさな まど
2005年09月18日 (日) | 編集 |
3連休だというのに、特に出かける予定もない。
もちろんお金もない。
昔から、お金に余裕はないものの、何より出かける気がしない。
家でぼさ~っとしていても、時間は過ぎていくし、
退屈する性質でもないから、気がついたらこんな時間って感じ。

それでも、起きている間、家の中で何もしていないわけではない。
サンデーモーニングが終わる頃、ふとんを上げて、
遅い朝食を摂る。

母が、近くの小学校へ「敬老の集いに出かけた。」
わたしは、母に頼まれた手作り絵本の挿絵の構想コンテ
を描くことにした。

子どもの頃から漫画や落書きするのが好きだったのだが、
いつの間にか、かく能力が衰えていることを感じた。
何事につけそうだが、やり続けてこそ、その能力は
維持されるし、苦手なことも、続けているうち、
できるようになると、達成感や自信につながって
それが楽しくなってくる。

わたしにとって、それが障害を持つ人々と歩んできた半生そのものだった。
その反面、彼らと本格的にかかわるようになったことを契機に
それまで自分自身が続けてきた楽しみを殆ど代償にして、今ではそれらのことが当時ほどにはできなくなってしまったことに気づく。
子どもを持って親になることのプロセスもそれに近いかもしれない。

人は何かを取捨選択しながら生きていく。
それが、人生のルーレット。

さて、母が数年前から、自分の自叙伝的童話絵本を
作りたいといっていたそのシナリオは、
戦中の生家のようすを綴ったものだ。

60年以上前の、しかも母の幼い頃の記憶のなかの
イメージしかない映像を視覚的に再現するなんて、
レポートや論文並みになかなか難しい宿題だ。

「送電線てどんなの?」
「何種類もの建築資材が天井まで届く棚にぎっしり
詰まっていた。」
「その資材を牛や馬が荷車で運んでいた。」
「近所のおばさんが電話を借りに来た。」
「小さなまどには、節分の厄除けの鰯の頭が突き刺してあった。」
「近くのお寺に紙芝居屋がやってきて、30人くらいの子どもたちが
御堂の中で聞いていた。」

などなど、戦争中の子ども(母)の暮らしぶりは、
わたしの子ども時代と全く違っている。
それでも、わたしなりのイメージ力で、表現してみると、
母は、わたし独特のイラストのタッチが好きみたいで、
「そうそう、こんな感じ。でも、電話は、もっと目線のところに
本体が柱に取り付けてあったの。」
などと、修正を加える。
ついでに、母の一番古い記憶についても聞かされる。
祖母が、結核で5歳のころに亡くなったこと。
弟は、そのために乳児期を親戚に育てられたので、
なかなか「家族」になりきれなかったこと。
姉に厳しく体罰を受けながらしつけられたこと。


お金がないとかなんとか言ってみても、
全くないわけではなく、今の生活水準を維持するのには、
少し辛抱しないといけないという程度かもしれない。
こんなに科学や技術の目覚しい時代の恩恵を
受けていることに対するありがたみを
どこかで、忘れてしまっている。
仕方ない。わたしが生まれたころは、一通りの
家電製品はすっかり整っていて、それが当たり前だったのだから。

誰かのブログを覗き見て、いろんな世界があることに
改めて驚くし、これも、メディアリテラシーがわたしに
辛うじて備わっていればこその恩恵なのだ。

それにしても、わたしたちは、究極には
放っておけば、自然に自分の好きなことに囲まれて
突き詰めていることに気がつく。
「好き」だということに気がつく前にもう行動して
しまっているのだ。きっとそれはある程度、幼児期に定まっているのだ。

好きな曲は聴いた瞬間に「あ、いいな~。」と感じて
憶えるまで練習する。
「わたし、この人が好き!」という感情は、
もう既に赤ちゃんのころに決まっている。
幼いときに好きな友達と遊んだ。
小学校時代の初恋の面影は、不思議なことに大人になっても変わらない。
「好きだ」と脳みそが決めたことに理由などあるのだろうか。
その意味では、わたしは至って純粋で正直なのかもしれない。
(つまり、子ども)
それなのに、「なぜ、これが、この人が好きなんだろう?」
とまた考え込み、妄信的になってやしないかとモニタリングしてみる。

今、このときが、過去からつながっている。
そして、未知の明日へとつながっている。

わたしは、こんな近未来を描いてみた。
10月になったら、独り暮らしのための下宿を探してみよう。
できれば、学校の近くで、マンスリーレオパレスみたいなのがいいかも。
何枚も書くのはいやだけど、履歴書も書いて就職活動もしよう。
来年は、Y先生のお薦めの資格試験も受けてみよう。

去年のわたしは、受験勉強の真っ最中で、
今、こうしてブログを綴っているなんて思いもよらなかったのだから。



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2005/09/18 21:05 | 未分類 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
観月会
2005年09月17日 (土) | 編集 |
昨夜は、窓を閉め切ってクーラーも入れずに、
タオルケットの上に薄い綿布団を被って就寝した。
もうすっかり秋の気配になった。
今朝は、「くらしと経済」を見ながらメモを取る。
遠距離に住む老親の介護の方法について、
①親の健康に不安の大きい人は、ハイテク見守り機器
②親元で受けられる声かけサービス
③時間預託制度で遠くにいればいるほど、先手必勝

いずれも、障害児、者にとっても応用可能なサービスだ。
4年前に初めて耳にしたエコマネーにも似た
ボランティアのギブアンドテイクの時間預託は、
わが町の市長に提言したことがあったが、未だに
実現されておらず、NPOもそのまんまボランティアだ。

母が知的障害者のグループホームから戻ってきて、
遅い朝食を摂った。

それから、ラジオ英会話リスニング入門の2005年3月号を
徐に探し出す。2階の押入れの段ボール箱に詰め込んだ
3年間分のバックナンバーを探す。
結局、1階の居間の書棚に入っていた。
3月にオンエアで聞いていた「ハッピープリンス」の
シナリオをもう一度日本語と英語で確かめたかったからだ。

岡本夏木さんの「幼児期」のしつけの章を読む。
「正直者がバカを見る」この国の人々の作り上げた
社会システムが否応なく幼い子どもにのしかかる現在を
作者は憂いている。とても読み応えのある著作なので、
誰かに口コミしようっと。

いつものように、カーペンターズをオーバーラッピング
しているうちに、後半は、窓から吹き込むそよ風に
うつらうつらと30分ほどうたた寝をしてしまい、それがもとで
風邪を引いてしまったらしい。
夕方から晩にかけてくしゃみと鼻水が断続的に出てきたので、
上から更に一枚長袖シャツを羽織った。

またお気に入りのブログを見てみる。
話題は、オモチャをどのように学習や実社会に応用する
ツールとして使い、また売り込むか?の提言から、
「人生ゲーム」に転じていた。

確かに、人生はゲームのようなものかもしれない。
わたしのルーレットには、いつも災難が待ち受けながらも、
稀にはラッキーなこともあった。
わたしには、助手席も、後部座席も未だに空席のままで、
お金はスズメの泪
・・・と実際には車もなくて自転車だから、乗せることもできないから当然か。

夕方には、民主党の新代表に前原誠司氏が、対立候補の
菅直人氏を2票差で凌ぎ、選出された記者会見が報道された。
しかし、政治について騒いでいるのは、ジャーナリストだけで、
主権者である一人一人の個人の脳みそに確かにそれが、浸透しているだろうか。教育や子育てについても同じで、教師や保育士に全面的に
責任が転嫁されすぎなのは、当事者の主体性や思考力、自己責任能力を阻むことに加担しながら、本来は裏方の専門家がでしゃばり過ぎて、
忙殺に追い込まれてしまっているとも考えられる。

つまり、Y先生の「サブに徹せよ」の助言とも合致するのだ。

今夜の夕食メニューは、残ったカレーライス、ざる蕎麦、冷奴と茄子の煮物、オムレツ。
それを平らげて、後片付けを済ませると、母と夜の散歩に出かけた。
徒歩10分の最寄の特別史跡に出かけると、古典楽器の音色が
聞こえてきた。

筝と尺八のアンサンブルでソーラン節が奏でられる。
ビニールシートの上には、ご近所の30名ほどのご隠居の皆さんが
静かに座していた。

観月会と称されてはいたが、見上げる夜空に星もなく、
月も残念なことに、完全に雲に覆われていてぼんやりと霞んだ
照明に化していた。

途中でバックパックの留学生と思しき異国の青年が
足を留め、デジカメでその風物詩にシャッターを切った。
「何か、話しかけてみたら?」
母がそう促したが、躊躇しているうちに彼は、立ち去った。
いざ、咄嗟の行動をするのが、わたしは苦手だ。
なかなか治りきらない対人不安がその要因にある。

母とわたしも曲の終わりに、隣接の神社へとお参りした。
「今回の大学院の受験も、ここにお参りしたのよ。」
「そうだったの?じゃあ、この神社、わたしの学業に関しては、
ご利益があったのか。」
並んで前に書かれたイラストに従って拍手を打った。
「何をお願いしようか?」
「授業料の免除申請通りますように。」
「論文書いて、無事に修了できます様に。」

「この掲示板に去年の11月に格言があったの。アインシュタインの。
それが、受験の10日前でそのことをHPに書き込んだんだ。」

小高い駐車場から、市街地を一望した。
「ずっと昔からいい場所だったんだね。天皇の縁の地なんだもの。」
「今の市民の殆どは、地方から移住してきた人で、地元の人の方が
ずっと少ないけど。」
「この10年で集合住宅が立ち並んで、人口が増えたから、環境は
悪くなったもんね。」
「土曜日なのに、こんなに車で渋滞してるなんて。」

「神社のご利益が学業だけというのも、なんだかおかしいね。」
「仕事があったら、進学しなかったわよ。」
「今の社会システムで仕事を辞めたら、次に見つけるのは至難の技よ。」
「そうだね。」
「それにしたって、偉いわよ。ちゃんと進学しようと決めて努力して、
それが実現したんだから。」
「うん。貴方もわたしを育てながら、働くの大変だったでしょ。
今のわたしの年でもうお母さんだったんだから。」
「そうでもないよ。植物を育てるようなもので、枯れないように
水だけやってたって感じ。」
「そうだね。わたしも育ててもらったという実感ないな。」

居住区の入り口の交差点で、母の知り合いの老人会会長と
偶然に会って、会釈した。
自宅の沿道に差し掛かると、自宅の真上には、満月が輝いていた。

中秋の名月の主人公は今も昔も月。
日本の政治の主権は国民にあり、人生ゲームの主役は自分だ。
そのことを自覚している人は、選挙権を行使しただろうか。
それとも既に、「幼児期」にそうした意識を持つことを
身近な大人に禁じられたために、行使できる術を学習することなく
盲目に育てられたのだろうか。


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2005/09/17 21:55 | 鑑賞 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ゼミと秋風
2005年09月16日 (金) | 編集 |
昨日から、「爽やか」と形容される風が吹き、秋めいてきた。
わたしは、季節の移ろいを肌で感じるのが好きだ。
「あ、鈴虫の声が小さくなったな」とか、今日は汗拭きタオルを
忘れたけれど、結局汗を拭う必要はなかった。

今週は、少し短く感じた一週間だった。
昨日の朝、所長からこう告げられた。
「午後2時に子育て支援室の保育課長が来られるので、
そのつもりでいてください。」
わたしはその途端、眉を顰めるしかなかった。
昨日の午前中は、何をしていただろう。
ノルマの来年度の誕生カード120枚は完成した。
1時にいつものように幼児クラスの午睡のトントン
手伝いをする。

Rくんがわたしに寝かせて欲しがり、ふとんの上で
バタバタしていたが、これ以上彼と仲良くなっても
仕方がない。今の加配のT先生を足蹴にする彼を
少し離れたところから見守ることにした。
30分かかってRくんはT先生の付き添いで眠った。

2時過ぎに所長から声がかかり、いよいよ課長との面談の時が来た。
別段、緊張したりはしなかったが、
わたしにとっても、K課長にとっても向かい合わせたくはない
顔同士だった。

「9月6日の事故経過をもう一度あなた自身の口から説明してもらえますか?」
わたしは、声を詰まらせながら説明し、いろんな要因があったにせよ、直接の原因は私自身の不注意によるものだったと自白した。

「以前にも、度々、判断ミスがあったとK保育所の所長からも
報告を受けていますが、自分ではどう思いますか。」
誘導尋問に対して、わたしには弁解の余地がなかった。
「K保育所でも、不向きだとの忠告は受けていました。」
「あなたに合った他の仕事を探した方がいいですよ。
金輪際、当公立保育所での勤務はしないでもらいたい。」
所長も追い討ちをかけた。
「子どもの大切な命には代えられないのです。無事だったから
よかったものの、万が一後遺症でも残ったら、あなたの人生も
台無しになるところだったのよ。」
わたしは黙って頷いた。

「自分の生まれ育った故郷で、大好きな子どもたちとかかわる
仕事に就きたいとただそう願っただけです。子どもたちには、
わたしのように自分の夢を諦めて不本意な生き方をして欲しくありません。」
「そんな話をしてるんじゃない。
どんなにこの仕事が好きでも、好きと言うだけでは、困ります。
夢を追い求めるだけでは生きていけないでしょう。
とにかく、わが市で勤務するのは、これで最後です。
何か他にいうことはありますか。」

3ヶ月前にも聞いた同じ締めセリフに、何も言う気がせず、
わたしは、伏目にしていた視線を上げて管理職の顔を
見据えた。
「ありません。あと2週間よろしくお願いいたします。」

課長が去ると、間もなく子どもたちが午睡から目覚めて、
また保育所は賑やかになる。
この瞬間が、いずれ過去になり、思い出の彼方へ消えてゆく。
顔も名前も、出会ったことも、交わしたことばも。

2ヶ月振りに最寄り駅の傍に自転車を停めて、電車に乗った。
「確かに取り返しのつかないようなことをしたのは事実だ。
だからといって、課長にあんなことを言う権利があるのだろうか。
どうして人間は、他の動物のように公平に生きることを許されないんだろう。」
わたしは諸々の思索を巡らせながら、ぼんやりと電車に揺られていた。

すっかり日が暮れた夜の学校へ着くと、本来の自分が取り戻せる。
職場では至って大人しくしていると自己弁護するが、
Y先生は、ことば通りにとってはくれない。

ゼミ生のNさんがお誕生日なので、Oさんが持参してくれたケーキを
みんなで食べて、雑談していると、すぐに1時間も過ぎてしまう。
わたしは独壇場で正直に職場での一件を仲間にぶちまけた。

「お役所の人間もいろいろで、都合のいいことを言ってくるわよ。」
「保育所の関係者と大学とがリンクしていくのは、これからだし、
あなたがひとりで『これがいい理論なんだ』と突っぱねても受付けないのは仕方ないよ。押し付けることは、絶対にできないんだから。
まあね、女性はなんだかんだ言っても男性陣より強いから、
そう切羽つまらなくていいよ。履歴書この沿線の各市に撒いておいたら
どうだい。」
「5時ピタできるところもありますよ。」

後半は、7月に発表した1年生の論文計画の報告を2年生にお披露目した。
父親が経営する幼稚園の次期園長になるTさんが、園の抱える
問題点を列挙し、それぞれにコメントした。

わたしは、現場もケースもなくなってしまうので、元の木阿弥といった
状態だ。ABA(応用行動分析学)の事例研究をしたいと入学の時から決めていたことと、保育スタンスをどう取るのかが課題だが、Y先生はこうコメントした。

「さっきから聞いていると、データや効果を出したいがためとか、
論文を書きたいから、それに相応しいケースを見つけると
言っている様に聞こえるけど、それは本末転倒じゃない?
あなたはABAだの、インリアルだのって『パッケージ』に弱いんだね。
そういうマニュアルを拠り所にしているようだ。」
「そうですね。前の指導教官の影響が大きかったし、自分の技術にも自信がないからだと思います。実はこのケースのご家族は、偶然ABAの親の会に入っていた方から依頼を受けて意気投合したのです。」
「もっとサブに徹するということを今後の保育でも貫いたらどうだろう。保護者との共同参画というより、主体はまだあなたの側にある思うよ。」
「はい。まだわたしが主導でリクエストを聞いてそれを基にプログラムを立てています。」
「それはいいんだが、保護者がやっても同じようになっているかの
検証が必要だ。」
「すぐ傍にいる気の置けないお手伝いさんっていうスタンスです。」
「そう。修士論文は何も結果や効果なんて狙わなくていい。
逆にあなたのそういう面持では、この論文の目的には適っていない。
大切なのは、ケースに最終的にどんな感想を持ってもらえるかなんだ。
着眼点が従来の保育サービスと逆の発想だということには、
面白さがあるし、学習理論が障害児に効果があるのも当然だから、
それを使うのにわたしに異論はない。だが、保育のスタンスを目的と本質からズラさないで、絞りきることだ。それがあなたの将来にもつながっていくだろう。」

後から思うと随分真剣にいろんなアドバイスが盛り込まれていたし、
わたしの我侭もよくわかってごちゃまぜゼミに入れてくださったY先生に感謝感激だった。

ゼミの時間は確かにここぞとばかりに我を張りすぎているのは事実だ。
それくらい好きだっていう証拠なのだ。

とにかくポジティブに行こう。
辞めることはいつでも後回しにできる。
こういう時こそ、じたばたせずに、冷静でいること。


今日は、休暇のT先生の代わりに正職のK先生がRくんを担当。
わたしの姿を見つけては、抱きついたり、手をつないだり
したがるが、来春就学のRくんにいつまでもそれを許容する
わけにはいかない。

午前中は、九官鳥のタロウチャンの巣箱の掃除。
運動会のリハーサルと誕生会の設営の手伝い。靴箱の掃除。
いいじゃない?こんな裏方専門も。
Rくんは、行事のランチを食べ終えると、わたしの背後から肩に手を回して「ねえ、トントンして」と頼んだ。
自分で所長のT先生に頼み込んで、添い寝なしのトントンでOKが出ると
布団敷きの当番もはりきっていた。
布団に寝転び、しばらくわたしの半袖の中に手を入れていたが、
トントンの膝枕で23分で眠りに落ちた。

夢は眠ったときしか見られないものか?
それとも起きている瞬間瞬間が、夢に近づくスモールステップなのか。
たとえ叶わぬ夢だとわかっていても、
わたしは「夢なんてね」という考え方はしたくないと思った。
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2005/09/16 22:24 | 大学院 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ご執心もコダワリ?
2005年09月14日 (水) | 編集 |
台風ではないが、窓際のカーテンがはためくほどの
風が一日中吹いている曇り空の一日。

どういうわけか、5歳のRくんは、すっかり
わたしのことが気に入り、廊下などで
わたしを見つけては、腕を引っ張るという行動は、
こだわりチックになってきた。
「ごめんね。今日はまたお誕生カード作りなんだ。
あ~、忙しい。」
そう言って諦めをつけてもらいたいのだが、
職員室にまで探しに来るものだから
ついに、主任が介入し彼を鬼ごっこに誘った。

運動会の練習はいよいよ本格的になり、
午前中は戸外で幼児クラスが合同でリレーの練習で
盛り上がっていた。
わたしは、用務のKさんと、小さい倉庫から
余計な板切れや古い使わなくなった跳び箱などを、
園庭で動き回る子どもたちに当たらないように
迂回しながら、園舎の端の物置に運んだ。

再び、職員室に戻ると子育て支援室の要職者2名が
所長、主任とRくんの協議をしていた。
発達障害児の加配保育士の存続は、この協議次第で、
明日の運命を左右される。不安定だが、仕方ない。
いつまでも、身辺のお世話をする松葉杖は、必要ないのだから。

Rくんの午睡の添い寝の仕方もエスカレートして、
密着しすぎるのは、性に目覚めたりする恐れがあるからと
主任と担任からチェックが入った。

昨日よりも時間はかかって、Rくんは抱っこや膝枕を
求めてきたが、1時40分ごろにR君は眠りについた。

午後から職員会議で正職員が各クラスから一斉に外れると
父母の迎えまで、アルバイトと非常勤職員に
保育が全面的に任されるというシステムになっている。
今日は、Rくんに付き添うことになり、彼は、機嫌よく目覚めると
終始ご機嫌でわたしと手をつないで歩いた。

午後の園庭でRくんは大好きなバッタを見つけると
すばやく捕まえて
「せんせいにあげる」と言った。
「ありがとう。Rくん、先生に優しいんだね。」

風の中、乳児クラスのI先生の押すバキーに乗って
いた3人の赤ちゃんのうち、紅一点のYちゃんに
手を振った。
30メートル以上も離れていてもYちゃんは、
わたしに気付いて愛らしく笑った。
1週間前よりも、覗いた前歯が生え揃ってきたように見えた。

雨がポツリと頭に落ちたのに気づいたRくん
「あめや。はよ部屋に入ろう。」
わたしが手渡した砂場のオモチャを手早く片付けると
1番にクラスに入った。
彼が自らがんばっていることが、わたしにも
ひしひしと伝わってきた。

その手応えに師匠の理論と実践に確かさを
わたしだけが実感していた。

好きな人に喜んでもらいたいから
目の前のことに一生懸命頑張る。
こんな純粋な行いを彼に障害があっても、
一体、誰が否定できるだろう。

明日は2ヶ月振りのゼミなのでお休み



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2005/09/14 22:35 | 未分類 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
Mr.(まだまだ)サマータイム
2005年09月13日 (火) | 編集 |
「暑いね~」と口をついて保育士同士、子ども同士が挨拶を交わす。
気温35度だから、当たり前。
往路の自転車で、二人見知った顔の人にすれ違ったが、
誰だったのかは、もう思い出せない。
朝のミーティングで、フィリピンの「オチョオチョ」というダンスを
職員一同で踊る、その振り付けは随分と身体に染み付いてきた。

午後8時40分懐かしい白いスーツ姿の4人のアカペラにキーを打つ
速度が遅くなる。
近頃の流行歌より、ずっと昔に耳慣れた歌の方がいいと
思うのは、つまり・・・

先週のあの事件以来、わたしが乳児室に入ることは厳禁になった。
「タロウチャンのお世話ならいいでしょう。」
解散した後、所長に命ぜられた仕事は、九官鳥の水浴び。
タロウチャンは、今日はよく話しており、
「ほーほけきょ」の他に
「あ・いうえお」などもしゃべっていることに気づいた。

年長5歳児クラスの太鼓を練習する音が、職員室まで
響いてくる。
それが鎮まった頃、所長に太鼓を固定する台を調整するのに、
プラスドライバーでネジを外す。

管理職と一緒の昼食の時間はなぜだか、上の空になってしまいがちだ。
確か、話題は運動会で、家族と昼食を食べたかどうかの
コフートの違いについてだった。

Rくんは、昨日より機嫌がよさそうで、
担任のY先生との「ヤクソク」も律儀に守っていた。
お昼ごはんをがんばって残さず全部食べたら
憧れの(?)ゆきんこ先生とお昼寝するという
目標のために。

「ゆきんこ先生のことかわいいっていってるわよ。」
「Rくん、美的感覚がちょっとおかしいんじゃないかな。」
「自分でそういうの?」
「はい。」

彼の眠りは安らかだった。
わたしは彼に寄り添って目を閉じ、背中をトントンする。
瞼を閉じるまで、Rくんはわたしの唇を触っていたが、
そのうち寝息を立て、他の雑魚寝の子どもたちよりも
早く25分で眠りについた。
彼の眠りを誘うのに、わたしの今時でない風貌が
功を奏するのなら幻想でもいいじゃないの。

2時過ぎに残っていた何人かの寝付きにくい子どもたちを
トントンして眠りに誘って、洗濯物を干して
職員室に戻ると、所長が机に座り、頭を両手で
抱え込んでいた。
「ああ、今年はどうも試練の年のようですね。」
5日の事故報告をどのように保護者に伝えるのか、
前代未聞・・・ではないにしても、
「長年勤めて来て、こうした責任を突きつけられようとは。」
クビになる寸前のアルバイトのわたしに最早、「口なし」だ。

和歌山県知事が、民間企業と同様の能力主義を導入することを
発表したらしい。
職員室の間仕切りの物置で、カードの猫の顔に茶色い鼻を糊付けして
いよいよ完成までになった。

夕刻、休憩室のクーラーの掃除を頼まれた。
戸外の洗い場でフィルターを洗っていたわたしを
Rくんが見つけてこう言った。
「せんせい、いっしょにいこうよ。」
「ごめん。T先生からクーラーのお掃除を頼まれたの。
今日はとっても上手にお昼寝できたよ。何時だったか
教えてあげようか?」
「うん。」
「1時25分。5番目だったよ。明日もがんばったら、
一緒に寝ようね。」
「うん!」
Rくんはナットクして、その場を去った。

わたしは、倉庫の奥から古ハブラシを発見し、
それで、クーラーの溝にこびりついた埃を拭って、
フィルターをはめ込んだ。しかし、エアコンは作動しなかった。

「ねえ、ここいつまでだった?」
非常勤の用務員をしている一つ違いのYさんがロッカーで
わたしに聞いてきた。
「9月末まで。」
「次はどうするの?」
「わからない。終わってから考える。そんなに器用じゃないから。
もうこの町では勤めないかもしれないけど。」

能力主義ということばが、
わたしのこころを硬くする。
そんなことで、壊れた信頼関係がどうやって
取り戻されるというのだ。
能力主義と裏腹に人の尊厳や生きる権利、
もっと大切なものを奪ってしまってもいいというのか。
能力のない人間は生きる必要がないというのなら、
それは、究極にはホロコーストを是認することに
つながっていくと懸念するのは、極端だろうか。

でも、暢気。
自分独りではどうにもならないこともたくさんある。
だけど、こうしてブログに綴っているということは、
好きなことをしているっていうことは、
わたしは、楽観主義者だってこと。

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2005/09/13 21:20 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
自民党圧勝
2005年09月12日 (月) | 編集 |
9月第3週の週明けは、快晴。まだまだ日中は夏の陽気。
蜻蛉やバッタが宙を舞うのは9月なら当たり前の風景だが、
ひらひら季節外れのちょうちょに
夕方には、小山の木々の間からツクツクボウシの声も聞こえてくる。

6時に起床して、TVをつけるとニュースは誰もが「想定外」だった
自民党の圧勝を告げていた。
午後8時現在も、党首討論は続いている。
郵政民営化はこれで間違いなく実行されるだろう。

出勤して保育所で所長と目が合うと、開口一番
「気をつけていきましょうね。」と釘をさされる。
1週間前の事故が、今後もずっと尾を引いていき、
管理職を苛ませていくだろうことを、わたしはその一言に
察知せずにはいられなかった。

無理もない。
わが自治体は、度々の不祥事が取り沙汰され、
確かに福祉行政は悪化しているのを肌で感じるし、
何事もなかったとはいえ、こうした小さな不注意が、
積み重なって市民の不安や不信を募らせていくからだ。

隣のなんとかはよく見えるというけれど、
発達障害の人々に対する専門的で
きめ細かいフォローやサポートも地域差は大きく、
自分の自治体にしかいないと、情報や正しい知識の
元に本当のニーズに適ったサービスにはきっとなってない
んだろうと邪推してしまう。

所長、主任は、事後の対策に万全を期した監督に
神経を尖らせ、保護者にどのように報告するのが、
信頼関係を損なわない良策かと終日思案していた。

わたしに与えられた業務は、ニッチなモノしかなかった。
九官鳥のタロウチャンの水浴び、巣箱の掃除
台風14号のときに取り外していたヨシズを梯子に昇り降りして
軒先に再び付ける。
そして、誕生カードつくり。
こうした雑用を羨望している子どもたち、つまり
発達障害と診断された坊ちゃんたちは、窓越しに
「なにしてんの?」と自発語を発し、さりげなくエスケープする。
「なにしてると思う?」
「見たらわかるでしょ。」などと答える。

カード作りを小1時間して12時に呼ばれて、
1歳児の食事の後片付け。お弁当をかき込んで、
1時に午睡介助で、5歳のRくんに専属してトントンするが、
今日は眠れなかった。
ある程度運動して疲労しているとか、彼のバイオリズムとか、
その日の天気や気温なども関係していると思われるのだが、
Rくんの眠れない日は、複数の健常児も同様に眠れないことが多い。
午睡後からお母さんが迎えにくるまでの4時間は、加配のT先生が
休みで、専属でボディーガードになった。

眠れないRくんが、わたしに抱きつき、時々キスして
こう言った。
「せんせい、大好き」
「せんせいもだよ。Rくんかわいいし、先生には優しいもんね。」

彼には、別の加配の先生がいるのに、
そうダイレクトに告げられても心中複雑だ。
自由な関係は、お互いを気に入ることに誰憚ることはない。
しかし、学校や職場はそうはいかない。
保母と子ども、教師と生徒
この頃は親と子、こうした関係は自分で選びあうことの
できない窮屈で不自然な関係かもしれない。

5歳児クラスの子どもたちもおやつの時分に聞いてくる。
「今日は、オレたちのクラス?」
「うん。というより、T先生の代わりにRくんの先生。」
大人になってもますます猜疑心の強まるわたしに
保育所の子どもたちは、来年1年生になる年頃でも
なんと怖気づくこともなく、こんなに人懐っこいのだろう。

おやつが終わると、Rくんは3歳のSくんを誘って
プールサイドのベンチに腰掛けると、
わたしに、Sくんのために絵本「たまごのあかちゃん」の
読み聞かせをリクエストしてくれた。
「Rくん、Sくんにやさしいんだね。」

それから戸外へ出ると、3人の男の子が
虫捕りに誘ってくれる。5匹もバッタを捕まえた。
今のところは子どもの世界に没頭する時間がある
暢気なアルバイトのわたしだが、

新しい衆議院の顔触れに、明日の保育は、この人たちが大人になった
未来はどうなるのだろうと思いを馳せる。




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2005/09/12 21:06 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
くるみ割り人形
2005年09月11日 (日) | 編集 |
今日は、いよいよ投票日。
「サンデーモーニング」でまどろみの朝を迎える。
朝食は、フレンチトーストに、牛乳多めのカフェオレと、
肉じゃがを摂って、身支度を済ませて、
11時半に近所の小学校へまずは、投票へGO!
わたしは、昔から支持政党ははっきりしている。
社会科の教員免許と日本語教師の免許を保持し、
英会話が趣味で、こころとことばの世界が好きなわたしは、
だいたい自ずとその専門分野を究めつつあるところで、
自分のポリシーが定まっているからだ。

だからといって、友人や知人とイデオロギーの話はしない。
・・・というか、ダイレクトな思想信条の話はわが日本民族の
和を乱す一因になるから、自然と言及しない習慣が
あるのかもしれない。
一応、表面的には「単一民族国家」を維持しているのだから。

自宅から200メートル圏内の小学校の体育館に入ると
下駄箱の上に、卒業製作の木版のレリーフが目に留まった。
右側は広島ドーム、左側は折鶴を掲げたサダコ像のデザインだった。
わたしの街は、平和宣言都市でもあり、25年ほど前は、
平和や同和問題についても盛んに教育されていた。

次に発見したのは、投票用紙を配布していた女性だった。
去年のアテネオリンピックの時節だけ、
病休代理の保育士として2週間勤務したK保育所の主任さんだった。
彼女はわたしに一切気付く筈もなかった。

投票を済ませ、自転車を30分くらい北へ2~3KM 走らせる。
今年の5月にできたてのピカピカの公立図書館へ
「うみきりん」や「EQこころの知能指数」など借りていた
本を10冊返却した。
いずれも、2004年に出版された最新の
子育て支援にまつわる必読の名著なのだが、
なかなか本の虫になれなくて、結局、殆ど読まずに
期限が来て返却した。
そして、「11ぴきのねことぶた」「わっこおばちゃんのしりとりあそび」などの
来週、家庭教師で使用する予定の絵本と
リクエストしていた岡本夏木さんの「幼児期」(岩波新書2005)を借りた。
1時20分ごろまで、返却する前に慌てて流し読みしてメモをとった。


国家の最大の希望は若者に対する至当の教育にある
                     エラスムス


図書館を出て今度は、市民会館大ホールへ向かった。
1時50分に到着し、母と母の友人Sさんと合流して
H市少年少女合唱団定期発表会「くるみ割り人形」を鑑賞した。
合唱団団長兼、教育長T氏の挨拶。母が呟く。
「教育長だったら、原稿なしでスピーチしなくちゃ。」
この合唱団は昭和46年(1971)に発足、35年の歴史があるそうだ。
「全然知らなかった。」
「知ってたら、入ってた?」
「そうね。わたし、実は演劇部に入ってたの。
 でも、演劇好きな子って役の取り合いになるんだよ。
 だから、入ったはよかったけど、照明係りとか音響係りとか裏方だった。小学校では、三蔵法師の役をしたの。
孫悟空は、今は進学塾の塾長になってるわ。」
「へえ。あなた三蔵法師の役だったの?孫悟空が進学塾ねぇ。」
「M塾でしょう。」

さて、舞台は小学校3年生から中学3年生の総勢60名の少年少女たちで、
彩られた。そのうち男子は5名だから正に芸術は、女性優位の世界と
言っては言いすぎだろうか。
舞台の背景や照明、衣装もプロに近い演出が凝らされているから、
学校の学芸会や文化祭レベルよりは、洗練されているが、
プロを養成する子役タレントまでは行かないだろう
半ば、審査員気分で鑑賞を楽しんだ。
王子やねずみの王様、クララのお父さんは、背の高い中学生の
女の子が演技する。
一番光っている子に、観客は自ずと注目する。
主人公クララ役の小6の女の子は、舞台では堂堂と
女優になりきりの存在感を存分に発揮していた。
セリフのないところでも、他の大勢の子どもたちのように
無意識に突っ立っているのではなく、脚光を浴びる役を
演じきっているのがよくわかる。しかし、ピカイチの
彼女はあまりにも浮いていてわたしは、妙な感じを
憶えた。
逆に言えば、芸能界という特殊な世界に生き延びていく
人たちは、ある意味、凡人のなかで既に浮いている異端とも
取れるのかもしれない。
カーテンコールが、終わって、ホールの脇の扉を開けると、
舞台から降りたばかりの厚化粧の子どもたちに混じって、
クララと通りすがった。
「あの子、今時の小6にしてはちっちゃいね。」
「ケーキやけんちゃんにならなければいいけどね。」

いずれにしても、客席に座る側、受身である者は
気楽にいいたいことを言う。
夏休み中、毎日どれだけ練習してきただろう。
今日の晴れ舞台を夢見て。
終日、曇で覆われたわたしの街の子どもたちが、
こんなに生き生きと自分を表現する姿に、
わたしは心洗われていた。
自転車を家路に向かって走らせれば、排気ガスを撒き散らす
車の往来のなかに、清清しい心持は徐々に現実に汚されていく。

少しは、お菓子の国でお茶やコンペイトウ、雪の精の
可愛い踊り、あどけない歌声にメルヘンやロマンを求めるのも
いいんじゃないか。
それだって、立派な現実にある「夢の晴れ舞台」なんだから。
夢と現実は乖離しない。
政治と自分は不可分であるように。

そして、ちょっと昔、三蔵法師だったわたしの夢、憧れと現実は、
彼女たちの未来と同じように、まだまだ
このブログの積み重ねの果てに続いていると信じて。




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2005/09/11 18:22 | 鑑賞 | Comment (1) Trackback (0) | Top▲
明日は投票日
2005年09月10日 (土) | 編集 |
土曜日はオタク族。
これといって書くネタもない。
今日は一日中曇っていたが、午後7時から雨がザーッと降ってきた。

昨日は、「ことり」さんとかいう人が
見に来てくれたようだが、ひとりよがりすぎる
わたしのブログの内容にコメントの仕様がないのか?
それとも、ブログ製作者の殆どが、アフィリエイトで
儲けることが目的だからなのか?

ネットの世界ならではの、生々しくない
面と向かい合わない人間関係の中で
お金が儲かっているというのは、なんとなく不思議だな。

わたしって、もしかすると本当に珍しい
今時じゃない根っからの欲のない人間なのかもしれない。
宮沢賢治の「アメニモマケズ」が好きだったり、
石川啄木の「働けど、働けど、楽にならざり我が暮らし・・・」
なんてのが、マッチするんだから。

今度は、台風15号が近づいていると気象情報が告げている。

わたし特有の価値観なのだが、モノは最終的にはゴミになる。
地球さんの上で生かさせてもらっているし、負担をかけたくないので
ゴミや汚れた空気、水にしたくない。
最終的に、生き物は全て水と空気がなければ
生きていくことはできない。
自然に余計な手出しをせず、できるなら
そのままアンタッチャブルなのがいい。
だからモノはなるべく買わないし、お金もそこそこでいい。
それに、お金儲け目的だけのブログにはあまり個性も
魅力も感じられない。

今回の選挙の争点は、「郵政民営化」の賛否の結果が、
庶民のくらしをどう左右するのかにかかっている。
小泉氏の魅力は、何だろう?
人には、それぞれ「蓼食う虫も好き好き」なのは当たり前。
そして、ことばの内容よりもカリスマ性だの、ムードだのが、
それ以上のインパクトを与え、陶酔感をもたらす。

これもわたし特有なのだが、
人だかりや大衆的な人気をどうとも思わず、
自分がいいと思ったものがいいという「こだわり」
みたいなものがある。
わたしがいいなあ、素敵だなあと思う人というのは、
単に人気があるとか、ちやほやされている人ではなくて、
「その人らしい魅力をさりげなく醸し出している人」
なのかもしれない。

一口に「改革」といっても、
一体、何を改革するというのだろう。
わが町には誰も演説に来なかった。
演説したことも、ちゃんと実行してくれなければ、
絵に書いた餅じゃないか。

幸せとは何か。それが後になって政治にじわじわと反映される。
自分が好きなことは何か、
誰と何をするのが楽しくていい気分なのか。
わたしは、それを今の大人になってしまった人からではなく、
未来を託す穢れのない幼い人々から学びたいと思う。

政党のトップが、子どもに微笑む姿は、
いいイメージ作りのように思えるのはシニカルすぎるだろうか。
いずれにしても、若い人々が自分なりの幸せを求め、
それを実現するには、自分の生活が政治と不可分ではないという
意識を持ってもらい、自分の近未来の人生を
どの候補者の政見を見定めて投票に行くことが
一番大切なことだと思う。

また、我々日本人が反省すべきは、
普段から政治や自治体の具体的な活動に
無関心であり続け、卑近に話題にすることを
憚る因習に囚われているというか、そうした
意識もないに等しいと思われることだ。
そのことは、英会話で数カ国の外国人留学生とも
話題にしてきたことから、わたしは証言したい。
それには、コミュニケーションの問題や教育システムの不備も
否定できないと思う。

ちょっと硬くなっちゃった。
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2005/09/10 20:25 | 未分類 | Comment (1) Trackback (0) | Top▲
ブレインストーム、サンダーストーム
2005年09月09日 (金) | 編集 |
今週も辛うじて無事に終わった。
今朝、6時に目覚めたときの室温は26℃
帰宅して7時ごろに再び見ると、28℃だった。
台風が過ぎてしまうと、日中はまだ真夏の陽気。
保育所の子どもたちは「もう、プールないの?」と
聞いてくるが、発汗の少ない体質のわたしには、
朝夕はクーラーを入れる必要がなくなってきた。

月曜日にわたしがやらかした事件について、
職員会議や市の子育て支援室も巻き込んで、
事後の対策や、書類作成にまで、管理職3名が
総動員でてんてこまいの一週間だった。

従って、ただでさえ小心者で、対人不安傾向の強い
わたしが身を以って、自戒の念にも苛まれ、
毎日何度深々と頭を下げ、「申し訳ありません」と
詫びただろう。
してしまったことは、取り返しがつかないのだ。

また、今日ほどいろんな仕事を任された1日もなかった。
確かにあまりレギュラーの職員が経験しない珍しい
ポジションにいるのだ。
もう少しでいなくなる余計ものの保育士なのだから。

午前中は、遊戯室の扇風機を掃除した。
高い梯子にまたがり、枠を取り外していると
自閉のJちゃんが、興味を示して近寄ってきた。
追いかけてきたJくんの担当の半日加配の保育士と話した。
「10月になったらYさんも誘って、お茶でもしようか。」
「そうしよう。Yさんにメールで誘ってみるわ。」
大きな住宅都市でも、この町に生まれ育ったわたしには、
年々狭い世間で、行く先々の保育所で共通の知人に遭遇する
こともある。

休暇の保育士の代わりに2歳児クラスに入った。
本来は、こうした場合は主任が担当するのだが、
主任は、諸々の所長代行の事務など多忙なので、
わたしは「猫の手」にはなっているようだ。

2歳児クラスに補佐で入るのは、初めてだったが、
3歳児の発達課題である、友達同士でのモノの
共有や貸し借りのことば、トラブルなどの様子が
ほんの30分くらいで、観察できたのはラッキーだった。

新参者のわたしに、親切にお料理を作ってくれた男の子がいた。
彼は1台しかないレンジを使っていたのだが、
ココロちゃんは、あとから何も言わずに、そのレンジを
横取りしようとしたのだ。
彼はレンジを取り戻そうと、引っ張り合いになった。
それをMちゃんが仲裁に入ったのはよかったが、
Mちゃんは、小さいココロちゃんにレンジを渡してしまったから、
男の子は「わ~ん!」と泣いてしまった。
わたしは、月曜日からの実習生のMさんに苦笑いで、つぶやいた。
「濡れ衣だよね。取ったのはココロちゃんだったのに。
なんだか社会の縮図を感じるなあ・・・」

「かして」「いいよ」のやりとりが難しいジコチュウな年齢だが、
「あとでかしてあげる」「じゅんばん」
「次は、○○ちゃん」などの駆け引きや交換条件を
大人が介在し、見本を見せて繰り返すことで、クリアしていく。
普通の子どもたちは。

昼食を食べ始めると、子どもたちはケロリとそんなことは忘れている。
大人の関係もこんなふうにさらりと流せたら楽かもしれないけど。
「せんせいのおべんとうおいしそう」
わたしも一緒に食べ始めたとき、3歳児クラスに入るよう要請された。

今度は3歳のクラスで子どもたちと食べる。
「うわ、せんせいのおべんとうきゅうり入ってる。」
「そうや。食べるから見ててな。あ~ん
やったー!食べたで!」とガッツポーズ
それに、子どもたちはのってきた。
「先生、見ててな。」
「わあ、おさかな大きな口に入ったわ!」
「ほら、もうごはん全部食べたで。」
「え、もう食べたん?はやいなあ!」
他のグループよりいちごグループのみんなが
早く食べ終えて、どの子もご満悦という感じだった。

同じ遊戯室で食べていた5歳児クラスの担任が
わたしを手招きした。
「ちょっとRくんに付いて。」
加配のTさんと交代すると、床にうつ伏せていたR君は
気を取り直して着席し、再び食べだしたが、
どうも今日の献立は苦手だったらしい。
おまけに週末の精神的な疲れで彼はイライラしていた。

大人から見れば、ガラクタにしか見えないモノでも、
幼児にとっては「宝物」ということがある。
ちょっとの付き合いだけで判断はできないし、
わたしの主観にしか過ぎないのだが、
知的にはそれほど遅れを感じないRくんの課題は、
諸々の因果関係に対して普通の5~6歳の子どものようには
すんなり納得いかなくて、
3歳くらいの理解度や我慢の力に留まっていると思われた。
彼にかかわる前にちょうど3歳児のけんかに遭遇したのも
わたしには、タイムリーだった。

Rくんは、手にボールや何かを握り締めている
いわゆる同一性保持傾向もあるようだ。
ブレスレット大のワッカを何気なくポンと放り投げては、
拾ってということを無意味に数回繰り返し、
友達に当ててしまうのでは?と懸念したわたしは、
「お友達に当たりそうだから、先生もらいます。」
そこからが、バトル。
いつもの行動パターンで取り上げられたもの、
欲しいと思うものは執拗に手に入れないと気が済まない。
隠しても、逃げても追いかけてくるRくん。
担任に手渡すと、ふてくされた顔をして部屋を出た。
諦めたのかと思いきや、油断したとき、Rくんの怒りは爆発!
「他の遊びにしようよ。なにする?」
彼は、取り上げられた「宝物」のことで頭がいっぱいで、
気分の切り替えができていなかったらしい。
職員室に入るや否や、「うわ~!!」っと
ピンクの色画用紙を数枚引っ張り出し、廊下に持ち出して
撒き散らした。
この時点では、わたしは彼の行動の理由がわかっていなかった。
しかし、Rくんはわたしに抱きつきどんどん殴ったり、泣いたり
しながらも、こう訴えた。
「ぼくのたからものや。返して。」
わたしは、頭をなでで言った。
「そうか。そんなに大事なたからものやったんか。
取り上げて悪かった。でもな、お友達に投げて
怪我したらえらいことや。お友達が怪我して血が出てもいいの?」
「ダメ」
「そうやな。悪いけど、怪我したらあかんから、
Y先生に持ってもらうことにした。」
「がまんした。」
「えらかった。よくがまんしたなあ。」
「でも、返して欲しい。」
「そうか。どうしたら返してもらえるの?
返してもらったら、また友達に投げるの?」
「投げない。」
「そうやな。約束やで。Rくんの大事な宝物ポーンって
投げないよね。大事なものはどこに置くの?」
「ここ」と棚の上の籠を指した。
「わかった。じゃあ、Y先生に返してくださいって言いにいこう。」

Rくんは、いざY先生の前に来るともじもじし出した。
「言えない。先生が言って。」
「なんで?じゃあ、一緒に言おう。」
こうした気持ちの整理のへたくそさが彼にはあって、
わたしは、父の幼少時代はこんな感じだったのかと
想像してみた。

午睡前に、今日は「救急(99)の日」ということもあって
看護師のY先生が「けがをしたらどうする?」の
紙芝居に、Rくんは見入って終わったときに言った。
「血が出たら、水で流して消毒するねん。」
そして、わたしに抱きつきながら、15分ほどで寝息を立て始めた。

休憩時間に9月に交代したての加配のT先生にその経過を
報告して、今度は0歳児クラスに入った。
部屋の環境は、月曜日の事件からガラリと変わっていた。
紅一点で「クラス委員」のYちゃんが、
わたしが入室するとに~っと愛らしく微笑む。
多分、保育士のなかでは、わたしが彼女のお母さんに
イメージが近いのだろう。
7ヶ月後半のりんちゃんも、おじいちゃん、おばあちゃんに
付随するメガネをかけた他の人々をじっと見ているが、
今日もおじいちゃんが迎えにくると、足をバタバタさせて
ずり這いで近寄っていた。そのスピードは日毎に加速している。

そういうわけで、バラエティに富んだ花金が終わりを
告げようとしていた。
しかし、メインディッシュは、それからだった。

例の件で、保育所で一番小さい生後6ヶ月のYくんの
ご両親に一部始終を報告する瞬間が来た。
お母さんにはその日のうちに謝罪して事情を伝えたが、
お母さんから出張中のお父さんの耳に入ったのが2日前で、
更に詳しい説明を要請されていたのだ。
「信頼関係は築くのに時間がかかるが、崩れるのはあっという間」

お父さんは、予め用意された経過を綴る書面に目を通した。
読み終えて開口一番
「一番気になるのは、なぜベッドが歪んで空間が空いていたのか
ということですね。それがなかったら、こんなことにならなかった。
大切なのは、同じ失敗を二度と繰り返さないこれからの対策です。
何の改善もなければ、同じことが繰り返される。そうならないための
今後を万全にしてもらえるのかどうかだと思います。
それから、もし万が一の後遺症に対する長期的なケアもお願いします。今のところは元気にしているけれど、100パーセントの安心じゃないんだから。」
お父さんは、わたし個人の失態には一切追及しなかった。

主任がきめ細かく質問や意見に対して神妙に応じた。
わたしは臨席で、お父さんの目を凝視しているうち、
泪が滲んできた。

乳児室に移動し、お父さんはその瞬間をイメージしながら
しばらく無言で立っていた。
「お父さん、本当にごめんなさい。わたしがYくんを
落としました。ちゃんとベッドの柵をかけていれば、
こんなことにならなかったんです!」
「先生、頭を上げてください。いつかは誰かが起こしかねない
事故で、それがあなたとYとに起きたんです。
だから、そうした可能性をゼロに近づくべく未然に防ぐ
対応をお願いしているのです。」
そして、Yくんをそっと抱き上げお父さんは言った。
「なあY。お前ベッドでじっとしてなかったから、
みんな心配したんだぞ。」
わたしは頭を下げてクビを振った。

「無傷で済んだからといい加減だったり証拠隠滅されるんじゃ
ないかと、その方が気がかりでした。」最後にそう付け加えた。

玄関までご家族を見送り、関係者はひとまず
肩を撫で下ろした。

既に外は暗くなり、雨が降り出した。
自転車で通過した最寄り駅には
通勤から帰ってきた人々が立ち往生していた。
雨はだんだん激しく、雷まで鳴り出した。

7月1日このH保育所に初めて来た日も激しい雨だった。
最後に去る日も雨だろうか。





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2005/09/09 23:57 | 未分類 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
誰も知らない
2005年09月08日 (木) | 編集 |
午後9時前、またわが地域の自治体にまつわる
物憂いニュースが流れる。この10年くらいで
度々、殺人事件や自治体の不祥事が全国ネットで
ブロードキャストされてきただけに、
「本当に悪い町になったなあ」という実感が否めない。

わが町にも確実に発達障害の子どもたちは増えている。
急増していると言い切れば、過言だろうか。
診断機関や諸々のシステムは、かなり大きな町なので、
比較的整ってはいると思われるが、プロと素人の間に
属するサポーターのわたしには、どうも人材や支援内容に
疑問符が残るのである。
そして、勘違いかもしれないが、なぜかわが町の自治体は
大学の専門家を要請しない。

7年前の指導教官は、ステージに立つ度にぼやいている。
「特別支援教育の進捗は、自治体の為政者に依る。
特に大阪はやりにくい。」
特別支援の教員や保育士も、全く専門知識のない人々が
如何とも診断されない子どもたちをマニュアルも何もなく
あやふやに扱っているのが現状だが、子どもたちがそれなりに
いい方向に成長していく姿で、ある程度のサービスに達して
いるのではないだろうか。

わが町の軒先には、ある政党のポスターが増えてきた。
それと関連するのかはっきりと言及できないのだが、
個人的な意見としては、市民の幸せは、決して
支持政党と不可分ではないとすれば、
この町の福祉もどんどん悪くなっていて、
保育士はますます悪条件で、働きづらくなっているのに、
その政党を支持し続けるのであれば、
ますます住み心地の悪い町に、市民自らがしていると
懸念するのは、この市民のわたしだけではないはずだ。

それなのに、わたしは保育所のどの保育士たちとも
一切、そんな話もできなければ、
今や障害児教育界で最も名高いお気に入りのブログの
主の話や諸々の情報についても、話せない。
その現象こそが、民主主義とは言えないんじゃないかと
思う。

うぬぼれなのかもしれない。
でも、わたしだけが感じている。
今日も子どもたちは、それも保育士たちから
内心は「困った子だな、聞き分けのない子だな」と
思われているであろう子どもは尚更、
やっぱりわたしのところへ近づいてくる。
それだけが、唯一のわたしの誇りなのだ。

子どもたちは、ことばは少ないけど
幼い自分を本当に慈しんで世話をしている
大人なのかどうかを見極める本能があるのかも
しれない。

でも、わたしは魔法使いでもなんでもなく、
ただ、専門家や科学者の理論、本の中に書かれてきた
自分で「これだ!」と思うことを、代入し、
自分なりに試行錯誤してきただけなのだ。
そういった仕事ほど、誰にも評価はされないし、
そうした存在は人知れず、スポイルされていくのだろう。

反対に、社会的地位の高い職業の一部の人々が
優遇されることが、必ずしもその人個人の幸せにつながっているとは
信じがたい。

「幸福の王子様」は、ツバメになりたい
わたしのことなんてなんとも思っていない。
そうでなければ、昨日知り合ったばかりの駆け出しの
児童精神科医といそいそとその日にリンクしないだろう。


ずっと前からこの仕事をしてきたのに、
他にいくらでも幸せになれる別の道があったかもしれないのに、
わたしのことなんて何も知らない人々が
「あなたはこの仕事を辞めるべきだ」と
罵られていることも知らないで。

日本じゅうの発達障害の保護者のサポーターを募る声は
「バーゲン会場が恐い」わたしに覆いかぶさってくる。
だから、わたしは息を顰めて自分の「幸せ」が
わからなくなる。




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2005/09/08 22:11 | ブログ | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
幸福の王子
2005年09月07日 (水) | 編集 |
拝啓 幸福の王子様

わたしは、貴方の僕になれないツバメです。

ゆきんこという保育士は、また今日も泣いてしまいました。
「わたしは子どもたちが大好きなんです。
 それでも、一昨日あってはならない大失敗をして
保育所じゅうの皆さんに迷惑や心配をかけてしまいました。
もう、この仕事本当にやめてしまった方がいいですか。
それでも、どんどん増えている発達障害の子どもたちを
少しでも助けたいという願いは叶えられますか。」

王子様、毎日貴方のブログには、たくさんの
人が集まり、いろんな立場でさまざまな
コメントが寄せられていますね。
本当に、誰にも真似のできない素晴らしい行いに、
わたしは、どんどん敬遠してしまいます。

そして王子様が、どんなに粉骨砕身されて、
やがては、命を燃やし尽くして果ててしまわれるのだろうと
思うと、わたしは泣いてしまいました。

幸福の王子様は、困った人々を幸せにするために
自分の幸福を一番後回しにして
自分の命を差し出して、あなたを創った市長によって
炉にくべられてしまうのですか。

どうして王子様だけが、王子様になってしまった貴方だけが、
そんなに犠牲を払わなければならないのですか。
どうしてそんなに?

子どもの数は減っているのに
どうして障害を持って生まれてくる人は
こんなに増えているのでしょう。

わたしは、どうしていつも不安で、また失敗して
泣いてばかりいるのでしょう。
王子様が
「いつも明るく楽しくいこうね。」と言うと、
余計に哀しくなるのでしょう。

明日は、泣いたりしません。
王子様を悲しませて心配させたくないからです。
「そんな僕は、要らない」と
王子様の足手纏いになりたくないからです。

昨夜、ゆきんこの夢に王子様が現れました。
よく憶えていませんが、仲間に囲まれて
議論しているようでした。
せめて記録係りにでもなれたらと、
ゆきんこは目覚めた瞬間思いました。

それでは、王子様
また夢でお目にかかることができますように。

台風の余波に抗うツバメより




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2005/09/07 21:04 | 悶々 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
♪夢をあきらめないで
2005年09月06日 (火) | 編集 |
九州を襲った大型の台風14号は、数名の死者を出した。
「天災はいつ起こるかわからないね。」
昼の休憩時間、小さなブラウン管に映った台風ニュースを
何人かの職員で見ていたとき、所長は言った。

それまでの午前中は、職員室を仕切った物置で、
謹慎処分。
すなわち、誕生カード作り。
数えなおしてみると108枚だった。
きっと今月中には仕上げられるだろう。

朝礼が終わると、先週午睡に付き添ったRくんと廊下で会った。
わたしに寄り添い並列に抱き合ってこう言ってくれた。
「ねえ、今日はぼくの先生になってよ。昨日はどこにいたの?」
「担任のY先生に聞いてみて。それに、Rくんの先生はT先生でしょ。」
「ぼくね、朝アヒルさんに葡萄あげたの。ほら」
Rくんは砂場の上棚の葡萄の一粒をつまんで、アヒルのイブキに
投げた。
「T先生はどこかな。Rくんだけお外に出てたら心配してるよ」
T先生にRくんを送り届けた。

用務員のKさんの助っ人で、台風に備えて高梯子にまたがり、
保育所じゅうの窓際の簾を外した。
「Kさん、このお仕事どれくらい続けているんですか?」
「10年。身体がしんどいから何度かやめようと思ったけどね。
 自分のペースでできるのがいいから。」
「わたしも9月で、この仕事もうやめてしまうかもしれません。
いくら好きでも、不適任だったらできないんだもの。
結婚だってそうでしょ?ただ好きっていうだけじゃ、
相性悪かったら続かないんじゃない?」
「まあ・・・そうかな。」

主任の指示を受けて作業を中断して保育室に入る。
気の合わないと感じるその場限りの
保育者同士の連携は、どうしても無言になってしまう。
しかも昨日の今日なら尚のこと。

子どもと素直にかかわりたいという気持ちを抑えて
子どもたちがわたしに話しかけてきてくれても
そこに夢中になれなくて、
後片付けおばさんに逃げ込んでしまう。

台風前触れのせいか、プール遊びもなくなってしまい、
子どもたちはいささか運動不足で、3時まで午睡できなかった
子が何人もいた。
自閉のJくんにとっては毎度のことで
「ビデオ1」「ヤ~レンソ~ラン・・・」と
好きな歌やことばが口をついて次々と出てくる。
わたしは、彼の口を時々押さえてマッサージやら、
トントンして眠りに誘ってみたが、2時半で断念した。

午睡から目覚めた子どもたちをそれぞれの
部屋に送り出すと、「謹慎の間」で黙々と
カード作りを再開した。

子どもの笑い声が聞こえて来る傍で、
かかわることを許されない
まるで囚人のような気分になってくる。

ふと、頭のなかを「♪夢をあきらめないで」が過ぎった。
それも7年前、ある療育施設を辞職した
最後の日に、同僚だった在日2世のKちゃんが、
「ゆきんこさんのテーマソングで送り出してあげる。」
とフォークギターを奏でながらわたしのために
歌ってくれた曲だった。

5時15分
保育所を出て、500mほど自転車を走らせ
生まれたK病院を横切る。
「こんどは、どこへ行くんだろう。
自分らしく生きられる場所に辿りつけるんだろうか。
夢をあきらめないで・・・」

本当は、こんな優雅な一日を過ごしている保育士なんて
日本のどこにもいないんだから、ある意味贅沢だってこともわかっているんだけど。







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2005/09/06 21:34 | 悶々 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
かえがえのない「ヒト」の命
2005年09月05日 (月) | 編集 |
大型台風14号が九州地方に間もなく上陸し、また一波乱が懸念される。
それとリンクしたくないのに、わたしのやらかした出来事を境に
午後からは灰色の雨と雲に覆われるように最悪だった。

昨夜よく眠れなかったのと、定期的ないつもの痛みが重なって
しまったのもよくなかったかもしれない。
何を弁解しても、起こったことは、もう元には戻らない。

それを癒すべく、ブログに走る自分もそんなに強くないけど、
NHKクローズアップ現代に登場した「夜回り先生」が対象にしている
薬物に抹殺されていくティーンほど重篤でもない。

どんな仕事も楽じゃないけど、保育士という
仕事は、生まれて6年という人生はじまったばかりの
幼い、けれど、将来を託す人々の命を預かる職務の
重さに圧倒されそうになることが、何度もあった。
・・・つまり、そう感じなければならないほどの
大失敗を今日もまたわたしは犯しそうになったからだ。

昨晩、確かにわたしは浮かれてしまっていたのだ。
コメントなんて期待していなかったブログの主の
はじめてのコメントに、頭は「花咲かばあさん」になっていた。

一人暮らしを始めてみること、そして
これまで続けてきた保育士の仕事を今度こそ本当に
辞めてしまうのか、続けていくのか、
今、わたしはその岐路に立っている。

「好きならできる」
そうなのかな。
これは、わたしの天職だ。
自分にそう言い聞かせて、同業者になんと
罵られようと続けてきたけど、
どんなに目の前のこの子が可愛いと思っても、
命にかえられない親のわが子を思う気持ちに
勝るものはないのだ。

汚れのない澄んだ瞳に映し出されるわたしは、
貴方に相応しい養育者だろうか。

そして、自分以上にかけがえのない存在を生み出す勇気はないのだ。
無数の命を乗せた地球のどこかできっと誰かが泣いているだろうと
想像するだけで。

人は苦悩し、泣き叫び、悶え、誤る。
ゴキブリは、ゴソゴソと夜中に這いずる。
わたしは、人の命を重いと思う。
けれど、ゴキブリを踏み潰した。
ティッシュで潰れたゴキブリをつまんでくずかごに捨てた。
「ゴキブリちゃん、本当にごめんね。」
人ならこんなことでは、代わりに死んでも済まされない。
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2005/09/05 21:25 | 悶々 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
こころの知能指数
2005年09月04日 (日) | 編集 |
今日は、旧友の誕生日だったので、グリーティングを送信した。
毎日見ていたお気に入りのブログにも初めてコメントしてみた。
こんなささいなことでも、元来小心者のわたしには、
実はかなり勇気の要ることなのだ。

わたしは、裏腹に大きな夢を密かに抱いていることもある。
たまに大きな夢を持っているんだな~と感じさせてくれる
実在人物のスケールの大きな話に惹かれてみることもある。
ないものねだりかな?
小さくてもいいから、夢を実現させるということに
憧れを感じるわたしって、
「ナルシストなんじゃない?」
「頭の中が夢見る夢子」と稀に言われてしまうこともある。

昨日印象に残ったドキュメンタリーは、
16歳で召集され、戦後27年経ってフィリピンの奥地から
生還した日本兵小野田さんの生涯だった。
 その後、経済成長で大変貌を遂げた日本の
マスコミに晒された挙句、小野田さんは、
ブラジルに移住し牧場経営を軌道に乗せ、現在も
80代にして日本とブラジルを往復して活躍中である。

夜は、沖縄戦で犠牲を払った読谷村の集団自決の
生き残った人々の体験ドキュメンタリーを視聴した。

「同じ体験をした者にしかわからない。
だから、今まで誰にも語らなかった。」

なんということばにできない重みのあることばだろう。

わたしにも、嘗てそうした体験と心理があった。
「どうせ、話したって誰にもわからない。」

だからといって、幸せになってはいけないだろうか。
楽しさや面白さをその後の人生に見出していくことは
不可能だろうか。

昨日から、今日にかけてダニエル・ゴールマンの
「こころの知能指数」を読み進めてきた。

「EQって知っていますか?」
5月のある月曜日、サテライトの講義で
久しぶりにその単語を耳にした。
「情動のハイジャックって憶えてる?もう一度
読み返してごらんなさい。」
T先生が諭してくださったのがきっかけで読もうと思った。

戦後の経済復興とともに、学歴神話があり、
IQの高い一部の人々だけが、「勝ち組」と称されている。

海の向こうから、「カトリーヌ」が去ったあとに、
車を持たない逃げ切れなかったマイノリティの人々の嘆きが
伝えられてくる。
また別の番組では、党首が角突き合わせて、マニフェストを
闘わせている。

わたしが、はじめてこの本を見たのは、
1998年当時に教えを受けた業界では最も有名な
ある大学教官の研究室の本棚だった。
わたしにとっては、キャリアアップを目指しての進学だったのだが、
結局、そこからドロップアウトしてしまったという悔恨が
どうしても払拭できずにいた。

あの当時と現在、このEQという本が、わたしの
失敗に次ぐ失敗とをつないで、慰め、励ましてくれる。
教官の視線が恐くて、父親のようにあまりにも尊大で
いつも頑なに強張っていた自分が歯痒くなる。

雨が降ってきた。この本読み終えたら
図書館に返そうと思っていたのにな。


今の保育所でも、どこの保育所にもいわゆる
特に理由もなく、僅か1~2歳ですぐに噛み付いたり、
叩いたりして保育士を唆してくる子どもの存在が
どうしても気になる。
そういった子どもは、ニコニコ機嫌のいい子どもに比べると正直、
可愛くなく疎ましい。
しかし、そうする彼らは恐らく親から愛されていない
被虐児であることを、わたしは薄々察知するのだ。

正午にラジオで聞いた社会福祉セミナーの
「児童虐待」によると
被虐児は、「大人は信用できない、危険な存在」という
認識があり、これに当てはまらない、
「優しくて思いやりのある大人」を敢えて
ターゲットにして、わざと困らせたり、攻撃することを
執拗に繰り返してくる。
そして、大人の堪忍袋の緒が切れて
案の定、叱られたとき、彼はこうして間違った安定をする。
「やっぱり、大人ってみんな悪い奴なんだ。お前もか」

保育所を転々としながら、なんで、わたしだけが
大人になっても子どもたちにこんなにいじめ倒されているのか、
その訳がわかった。

こうした子どもたちが、増え続けている
わたしたちの社会のEQは、一体いくらだろうか?
そうやって、常に何かの評価システムに縛られてるのも
辛い現代社会だなと思う。

友人から電話がかかってきた。
フランクに自分の言いたいことが言える。
相手の言い分を不快感なく聞ける余裕のある
関係が嬉しい。
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2005/09/04 16:52 | 未分類 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
うみキリン
2005年09月02日 (金) | 編集 |
金曜日の夜は、案外休日よりもリラックスできる。
1週間が無事に終わり、夕方の家庭教師もなかなか上手くいったなと
思えると、「終わりよければ、全てよし」という好きな諺どおりの
気分にも浸れるからだ。
好きな夕食を数品並べて、片付けて、パソコンに向かう。
そして、たった一人の夜。これがわたしの醍醐味。
偶然、レオナルド・ダヴィンチの描いた「聖母像」や
「マグダラのマリア」が、クラシック・ピアノをBGMに
映し出されているせいかしら?

そんなに快適なら真剣に一人暮らしを考えるべきなのかな?

昨日は、職員室で終日誕生日カード作りの内職だったけど、
今日は、乳児クラスに入った。

このクラスの7名の赤ちゃんたちは、あんまり泣かず、
ニコニコと愛想がよい。
保育所によっては、必ずしもそうではなく、
隣の1歳クラスは、たったの1年しか変わらないのに、
喧嘩の仲裁をする保育士のストレスフルなことばかけが、
隣合わせに聞こえてくる。

午前中はぶどう棚の下の砂場でのんびり過ごした。
8月中は、黄緑色だった房は、少しずつ紺色に染まってきた。
盥の傍にお座りして、7ヶ月半のRくんは、水面をパシャパシャ
手のひらで叩いた時の感触や、跳ね返る水飛沫が顔にかかるのを
面白がっていた。
傍によって不意に伸ばした彼の手を握って
「あ・く・しゅ」と3回振った。
円らな彼の瞳孔は、不思議そうに大きく開いた。
数秒して、また手を伸べる。「ア・ク・シュ」
彼はこのやりとりを楽しみ、20回くらい続いた。

8月は「バイバイ」と手を振ることを覚えた
12ヶ月のTくんは、9月になって「じょうずじょうず」と
拍手することがマイブームになった。

笑顔でじょうずにバイバイしていたYちゃんは、
夕方5時を回ってわたしがリュックを背負って手を振ると
今日は眉を顰めて指すいしながら、わたしの顔を
じっと見ていた。

帰り道、車と出会い頭にヒヤッとして何度か
自転車の急ブレーキをかけたが、フロントガラスの中の
運転席の男性たちに目を凝らすと、いずれも片手ハンドルに
ケータイまたは、タバコという運転スタイルだった。

帰宅して軽食を摂ると、今度は自転車で10分の
家庭教師先へ向かう。
障害児の専門施設でボーダーと診断された
Tくんには、毎度のことだが気を遣う。
今日の絵本は「うみキリン」の3回目
3回目ともなると筋書きもだいたいわかって、
そろそろ飽きてきたようだったが、
2月の中旬にはじめたの頃よりも、机に向かっている時間も
長くなってきたし、かんしゃくやパニックを起こすことも
減ってきたように思う。

「ABAで論文を書いてみたい」
それが、わたしの3度目の正直の受験の動機づけだった。
自分なりの手探り技法は、確立していないし、
何しろデータにする術がない。
「だいたい」とか「~のように思う」では、
研究の世界では、説得力を持ち得ない。
数学も統計も苦手なんだけどな・・・

それでも、Tくんもわたしも今日は
ちゃんと課題をやり遂げたという満足感があった。
それが、いつかお父さん、お母さんとの間で成立したらなぁ・・・
「水いらず」でも幸せな家族はあるのだろうか。

漠然とした不安は、わたしを独身の子育て支援者で
在り続けさせている。






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2005/09/02 22:57 | 家庭教師 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲