ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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うっすらと雲のかかる水色の空。暑くも寒くもないいいお天気だ。

M町自治会文化部主催のファミリーハイキングに参加した。
母がお弁当を拵えて、9時に自宅を出発したが、なんと参加者は既に勢ぞろい。
「9時にM坂駅に集合ですよ。さっきからお宅に電話していたんです。」と担当責任者の女性に言われ、親子でペコペコ平謝りだった。

予定時刻の9時33分発の電車には余裕で間に合ったので、大きな迷惑はかけずにすんだ。
9時45分 K駅に到着し、周辺を散策しながら目的地へと向かう。

暇があっていいお天気のとき、わたしは気が向けば、目的地の周辺まで
小1時間、自転車を走らせていくことがある。
いつも、自転車でその看板の前を横目に通り過ぎながら、
一度は訪れたいとかねがね思っていた植物園だった。

看板の奥へ入り、新設の橋を渡って10時に植物園へ到着。
想像していた「温室の中の植物園」とは、随分かけ離れていた。
意外に大きい!!
敷地面積は、25.6ha 標高40~120m

リーフレットによると、
「昭和25年にO大学理学部の付属施設として発足し、植物の採集と保存に
努めてきました。とくに樹木の収集に力を入れ、当園の野外で生息可能な日本産の樹木の約450種育てています。また、単なる収集に留まらず、日本の代表的な樹林型を自然に近い形で造形しています。この他、学問的に重要な外国原産樹木、園芸的に重要な花木、草木類などの収集にも力を入れてきました。・・・」


只今、またもや近所のN町で、団地の5人家族が一酸化炭素中毒で
病院に搬送されたとニュースで報じられた。
どういうこと!?
26日にも、I4丁目廃棄物工場が爆発炎上事故を起したり、
殺人事件もあったところなのに・・・
ほんまにこの町に生きていることが怖い・・・

昨夜は、わが町に高遠菜穂子さんが来て、イラク戦争の
生々しい現状報告を聞いたところだから、
余計に怖いと思ってしまうのかな。

とにかく、わが町で度重ねて起きてしまう諸々の不穏な事件に
煽られるような不安が何をするにも邪魔をするわけで、
I先生の講演会でのさりげない誘い文句にも素直に反応できず、
前に進むのに躊躇を隠し切れない。

それにしても、隣のK市のこの植物園はわが町と違ってのどかだ。
鳥の囀り以外の騒音は何も聞こえないし、見渡す緑の向こうには
人為的な建物も見えず、水色の空が広がっている。
10月の花暦は、サザンカ、フヨウ、モクセイ、そしてコスモス。

M町住民参加者80名が広場に集まって、荷物を置いて解散。
植物園を自由散策した。
母と母の友人のFさん、わたしの3人で雑談しながらブラブラ歩く。
サクラ山の紅葉がきれいだという噂を耳にして行ってみたが、
葉はまだそれほど赤くなってはいなかった。

わたしが印象に残ったのは、セコイアやモミなどの植林された
外国産針葉樹園のエリアだ。
時節柄、コスモス以外の花々が見られなかったせいか、
植物園は一見して地味な印象もあったのだが、
モミや、見上げるほどの大きく立派な樹木が多いのが、他の植物園との
特徴的な違いだと思った。
だから、植物園というよりも、「樹木の多い自然公園」という感じで、
その辺りの自然公園よりも樹木の手入れは丹念にされているのだろう
という人為性も伺えた。

約1時間散策して、もとの広場に住民家族が集まると、
担当者の引率で、親睦タイム。
男性、子ども、女性の3グループに分かれて3列に並び、
「静かな湖畔で」の輪唱を楽しんだ。
3回目くらいで調子をつかんで息が合ってきた。




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昨日は、終日よく動いた。あっという間だった。

朝6時に起床してお弁当を作って出かけたのは9月30日以来。
1年前の受験当日と同じ茶色のパンツスーツで8時に出発した。
行き先は、今月初めて鑑賞した宝塚歌劇の再びの地域だった。
雲ひとつない秋晴れの清清しい青空を車窓から眺めつつ、
緊張感が徐々に増してくる。
阪急中山駅の最寄の公共施設「ぷらざこむ」
開始時刻の10時5分前になんとか到着した。

会場に到着してみると、スタッフはまだ準備中で、
講演会の講師も到着していなかった。
受付で参加費を支払い主催担当のUさんに挨拶した。
「おはようございます。一昨日は、ご案内ありがとうございました。」
一昨日の大学院のゼミ室で偶然始めてお会いしたUさんに
今回の講演会の案内をしていただいた。

わたしは、落ち着いて座れるお決まりの最後列の端の席に着き、
持参したお茶で喉を潤した。

30人定員の部屋がほぼ満席になり、定刻をかなり上回って
「まだ、来られませんね。」とスタッフの誰かが呟いたとき、
遅れてそのプレゼンターは現れた。

肩にはバックパック、片手にパソコン。
荷物を下ろして、パソコンの立ち上げる講師を参加者は一同に黙して見つめた。
「あれ?出てこないですね。今朝は動いていたのですが。
それじゃあ、お手元のレジュメに添ってお話を始めます。」

パソコンだけでなく、講師は全身がくたびれきっているのが、
一目瞭然だった。

お目にかかるのは、今年の2月以来、実に8ヶ月ぶりの6度目だった。
いちいち数を数えているのもおかしいのだが、
それくらい、本心はこの時を待ち焦がれていたのかもしれなかった。
けれども、偶然の諸々の事が度重なって、自分の願望通りに
ここに導かれていることに、不思議な気さえしていた。
わたしは、プレゼンターから無意識に自分の姿が見えないように、
顔を伏せて前に座る参加者の背中に隠れるようにしてレジュメに講演のメモを書き込んだ。

普通の講演会なら、こんな怪しげな振る舞いはしない。
どの講師にも、わたしがどこの誰ともわからない匿名のリスナーだ。
度重ねてお目にかかることもない。
しかし、その時のわたしは師の姿が目に飛び込んだとき、
恥ずかしくてどうしようもなかったのだ。

わたしには、メモをいちいちとるまでもなく、講師の話が手に取るようにわかった。
殆どは、毎日見ていた既に師のブログやHPに載っている内容だったからだ。
それが、手元のレジュメの内容とリンクしているのを確かめつつ、
時にコミカルに語る話術に、緊張感はほぐれていった。

「何といっても、保護者同士の連携や、情報交換が大切です。
一人で役所に訴えても、大学の先生をしている私が言ってもダメで、
やはり、グループで訴えないことには、行政は動こうともしません。」

30分くらい経過した頃だろうか、わたしは、気を緩めてふと顔を上げた。
I先生と目と目が合った。 わたしはその瞬間、固まっていた。
いつ、気づかれたのだろう。

何度かお目にかかりながら、わたしはプレゼンターの
I先生の誰よりも鋭いプロフェッショナルの観察眼にいつも心奪われていた。
なんという目をした人だろう。

死角をわざわざ選んで座ったのに、見つかってしまった。
全国を飛び回り、もっと大きな会場の講演会でいちいち一人一人の聴衆の顔や名前など憶えていられるはずもないのに。

あんなにもくたびれきっていたのに、師は2時間みっちり
自分のノウハウを会場の人々に各々の発達障害児の事例を具体的に
挙げながら、面白おかしく伝えようと弁舌を振るった。
「学校には行きたくありません。でも、大学院は楽しいです。」

参加者は、合間、合間に笑ったが、笑いの中にもどこか、
シニカルな悲哀をわたしは禁じえなかった。
裏を返せば、
「どうして、わざわざ『大学院』でしなくちゃならないの?
やってることは、社会性に、身辺の諸々のこと
いつでも、どこでもだれでもできることじゃない?」
笑った瞬間、I先生と目を合わせていた自分が結構冷静だった。
驚きも度を越すと、こうなるのかな?

だって、前の人の頭に隠れたその奥に、大きな右目が、
わたしの左目と見詰め合っていたのだから・・・釘付け
そして、わたしがいつもブログを見ていることを
わたしの反応からI先生が確かめていることもわかっていた。
あんなに毎日寝る暇もなく、超多忙生活を送っているというのに。

「人間には、感情があります。それがお互いの邪魔をしたり、
迷惑を掛け合ってしまうことがあります。そんなときには、とにかく
落ち着いてクールダウン。そして、お互いの言い分に耳を傾け合い、
共に支えあっていきましょう。HPなどで仲間を作り、その輪を広げていきましょう。」

定刻を過ぎて、レジュメから逸脱しっぱなしのI先生の講演は終わったが、
「まだ、次の訪問先までしばらく時間がありますので、個別に質問ある方どうぞ。」

数名の保護者たちが、I先生の周囲に集まり、わたしは荷物をまとめて、そろりと部屋を退出した。
ああ、、、またこうして自分からチャンスを捨ててしまった。
I先生とのブログのコメントである女性にボランティアをすると約束したのに。

JR中山駅まで徒歩で40分ほど、物思いに耽った。
でも、もう少し、時間をちょうだいよ。
本当にこの世界がわたしに相応しい処なのか。
ゆっくり考えさせてよ。

人生は一度きりで、かけがえのないものだから。
ひとつの選択肢を選んでしまったら、他の全てを捨ててしまわなくちゃ
ならないの。

結婚だって同じでしょ?
この前の子育て支援の講義でS先生こう言ってたよ。
「結婚するときはね、目の前のこの女性をこの先、何十年も愛し続けることができるかどうか、私は不安でたまりませんでした。
それほどに、愛は不確かでいいかげんで、移ろい易いものなのです。」

大学院なんて、ある意味、高級牢獄みたいなものなんでしょう?
動いているように見えるけど、結局、先生はそこから一歩も動けないから苦しそうに見えたよ。

3時過ぎに地元の駅前に戻ってくると、わたしの自転車は
市の放置自転車の駐輪所に運ばれて無くなっていた。
「あぁ~、しまった!」
とぼとぼと、バス停7つ分小1時間かけて歩くと汗ばんできた。
現地に着いて、罰金1500円支払う。
今後の戒めのために付記しておこう。ウウウウ・・・
10月第4週、4回目のN先生の講座は楽しい。
特急電車の中で、待合のプラットホームで
慌てて宿題の文献プリントに目を通し、赤ペンで線を引く。
「レッジョ・エミリアから何を学ぶか」
リリアン・G・カッツ(Lillian.G.Katzs )

前半は、遊び半分の実技で、子どもたちとのふれあいが絶たれている
わたしとしては、自らが子どもになって嬉々としてしまう。

「これは、目の不自由な子どもたちのための表現活動です。」
2人1組でペアになり両手に1本ずつ長い毛糸の端をそれぞれの手で
持って自由に上下させる。
目を閉じてするのだが、
「相手の存在を向こうに感じて。」が、適度な緊張感を生む。

「目を開けているときと、動かし方がちがうでしょう?」
「開けているときは、早くなります。」

今度は目を閉じて、身体を回転させて毛糸を巻きつけながら
相手に接近する。触れ合ったときに
「おしくら饅頭」みたいに相手の存在を感じてみる。

毛糸を返したら、長いゴムひもが登場。
ゴムひもといえば、遊び方は専ら子ども時代の
「ノータイム」「たんてい」「にんぎょう」しか思いつかなかった。

先生も加わって7人で円陣になり、自由に表現する。
はじめは、クラシカルなバイオリンの調べに合わせて、
音叉を使って、音の始まりと終わりにも気を配ってみる。
「最後に、いまの表現にタイトルをつけてみましょう。」
「雪の結晶」「蝶々」などなど

後半は、机を円陣にしてディスカッション
本当は、小学校や幼児期からディスカッションは
やっておくべき重要なコミュニケーションスキルだ。

しかし、今になって、大学院でようやくそのトレーニング中。
「前回のVTRとこの文献からの感想を述べてみてください。」
シ~ン・・・一同無言
N先生が3人指名して意見が出てこなかったので、
「ゆきんこさん、どうですか?」
「はい。キーワードはいくつかありますが、
わたしは、前回も申し上げたとおり、プロジェクトが印象的だと思いました。
従来の、指導する-される立場や企業型教育システムを超えて、
共に知恵を出し合って、知らないものを探求し、発見する力、新しいものを創造する力を育む取り組みが、緻密にかつ大家族的な雰囲気で
実践されているのが素晴らしいと思いました。」

ここで、リリアン・カッツの「まとめ」より、7つの教訓を引用しておこう。

①子どもと教師が一緒に、プロジェクトの作業において幼児に興味の
 あるトピックであるかどうかを吟味し、さまざまな視覚的図像的
 かたちの優れた用い方をしている。
②子どもが将来についての話し合いや作業の基礎に、自分の描画や
 絵画などを使うとき、大変細やかに熱中している
③観察的で現実的な表現を早期に導入することが、決して子どもの
 能力や抽象的で創造的な表現の手段を使う願望を抑制していない
④子どもによって実践される作業の種類は、
教師-子ども関係に 豊かな学びの体験を提供している。
⑤子どもに伝える大人の行動が、子どもの作品の全側面を真剣に捉えている。
⑥詳細にわたるドキュメンテーションと子どもの考えや作品の展示が、
 子どもの学びや親の参加を豊かにする基本的な方法になっている。
⑦生活の基本となるモデルは、アメリカ(日本)では、産業-企業モデ ルの侵略によってひどい状態であるのと比較して、
 家族や共同体の関係に近い

受講生の中に、既に「畑プロジェクト」で実践研究に取り組んでいる
幼稚園教諭のK先生に質問してみた。
「このプロジェクトを導入して、今は納得していると仰いましたが、
納得するまでは、どうだったのか?なぜ、納得できたのかをもう少し
聞かせてもらえませんか?」
「プロジェクトの前は、従来のやり方でいいんだと信じていました。
 ことばかけや、先取りをして教え込むことをやめて、半信半疑で
取り組み始めて、子どもが目覚しく成長し、作品にもそれが反映されて
きたことを実感しました。」
「失敗は成功の母みたいな感じですか?」
「そう。敢えて失敗して、なぜ失敗したのか、今度はどうすればいいかも話し合います。」
「わたしたち自身が「できた」ことだけを賞賛されて育ってきました。
 上手にできるのが当たり前で、失敗したら叱られるだけ。
 反対に、砂場で子どもが泥だんごを一生懸命作っても、チャイムが鳴って、先生がお片づけ子どもたちにを急かせて、大切な芸術作品を壊してしまっても平気でいることもありますね。それを大切に『どこにしまっておく?』という心のゆとりが教師にないのです。」

「僕は、子どもの「気づき」に教師が「気づく」ってことが一番大事だと思います。」と次期園長のTさん。

今日のラジオから流れる「名曲の小箱」は
チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より花のワルツ

さあ、今日はABAのF先生のゼミに飛び入り参加しよう!



わたしは、40万人の人口衛星都市に住む生まれながらのH市民である。
現在住んでいるのは、国道1号線沿い。

しかも、徒歩5分圏内の沿道にはコンビニ、郵便局、ゴルフショップ、
ファミリーレストラン、サラリー金融、レンタルビデオショップに、
ドンキホーテまで、ありとあらゆる商業施設が立ち並んでいる。

昔は自然もあったし、自営で今もがんばっている農家も数が減ったけど
この10年は、それさえもコンクリートで固められた感じがしてならない。

両親の祖父母は10年以上も前に皆他界して、帰省する田舎もない。
だから、手付かずの自然がわたしの憧れである。

昨夜、大発見をしたわたし。
なんと、タヌキと遭遇した!どこで?
その自然とはまるで関係ない自宅の隣の隣で!

昨夜、大学院から駅に11時すぎに到着し、自転車で自宅に戻った。
駅前のパチンコ屋の前で金属音が響いている。
茶髪の20代のお兄ちゃん、お姉ちゃんが閉店時に毎深夜
灰皿の吸殻をバケツの水に漬けて洗っている。

川を横断し、進行方向に半円になったオレンジがかった月に見とれながら自転車をこぐ。

午後11時20分ごろ
自宅についてガレージに自転車を入れて、ガラガラ・・・とシャッターを閉めたとき、
オレンジの月に微かに照らされた小動物のシルエットに気がついた。
わたしは、時々近所をうろうろしている野良猫かと思った。
しかし、似て非なるそのシルエット。
しっぽが短くて太くふさふさしている。ニャーと鳴かない。

「え?あんた、タヌキ!?」
わたしは、ガイジンさんにあったかのように、肩に力を入れて
無意識にことばを連発した。

「え?どうしたん??ほんまにタヌキ?
びっくりしたわ。家の前で会うなんて!
なんでここにいるの?どこからきたん?まいごになったん?」

タヌキちゃんも、じーっとその場を動かずにわたしの声に
耳を澄ませていた。その間2分ほどだったろうか。
わたしは、就寝しているだろう母を呼びにいこうかとも
思いながら、きっと逃げてしまうだろうと思った。

「もしかして、おなかすいたから、エサ探しにきたん?
ごめんやけど、エサないねん。
あんたもそろそろお家に帰りや。気をつけてな。」

わたしが、そう言って門を開けたとき、
タヌキもどこかへ移動して去って行った。

タヌキさん、また会えるかな。
でも、かわいそうにね。
住宅地に君が出没するなんて、環境が悪くなった証拠だよ。

♪迷子の迷子のタヌキさん、あなたのおうちはどこですか?
あなたのエサはどこですか?
わたしの仕事はどこですか?

みんなのおうちは地球です。
地球もきっと泣いてます。
今日で、中越地震からちょうど一年になる。
午後7時のニュースの冒頭が報じた。
被災地では、まだ仮設住宅で過ごす人々がいるそうだ。

ゆきんこの名前は偶然にも実はここからも由来している。
わたしの本名は、父方の祖母が名付けてくれたが、
祖母の故郷は、この地震の地付近、雪深い里であることにも因んでいる。
そしてわたしは、雪がよく降る冬に生まれた。

ブログは面白い。
いろんなことに興味を持ち、いろんな分野で活躍している
思いがけない人からのアクセス。
それが一番楽しい!

今日のお客さんは海苔男さんだ。
熊本の海で海苔の養殖や研究をしている人らしい。

午後2時にわたしは自転車で市民会館へ出かけた。
既に会議が始まって1時間あまりが経過していた。
わたしは、会場に入る前に、また廊下の一角にある催し物のちらしを物色していた。

「そろそろクリスマスコンサートか、
国際人形劇フェスティバル(11月3日~13日)これも楽しそう。」

第2会議室に入ると、丁度こんな宣言がされていた。
「戦後60年がたち、今、平和が脅かされています。
(略)今、憲法9条は世界の宝として、著名人から小さなグループの
無名の人たちから、9条守ろうの声が広がりを見せています。
ガレキの町、うめき声の町、空腹と無秩序の町は
地球上からなくさなければなりません。
大勢の仲間と気軽に話し合える、そんな地域社会づくりに
私たちは力を注いでいきましょう。
これからも「よく学び、よく遊び、健康をめざす」
を実行し、仲間を増やし、集めた力を、私たちは年金者組合H支部に
結集していくことを宣言します。  2005年10月23日」

休憩時間に入り、わたしはお菓子の入った紙皿を、
参加者のテーブルに並べた。

母の知り合いの組合員の数名の女性と挨拶を交わした。
「いつもお世話になっています。」
「お母さんに色々活躍していただいています。
素敵なお嬢さんね。」
「もうオールドミスです。」
「未だにパラサイトとしてます。」
「お母さんのもとを離れたくないのはよくわかるわ。
 ずっとミスだなんて素敵じゃない?」
「そうですね。この際だからずっとミスで居続けようかしら?
その方が、羨ましいって言われること多いんですもの。」

第2部の記念講演が始まった。
テーマは「9+24+25」-いきいき暮らす女性と憲法-
講師は 大阪市立大学名誉教授 柴田悦子先生だ。
柴田先生は兵庫県芦屋市在住。
芦屋はご存知の通り、インテリ族の多いお金持ちの町だ。

「みなさん、お若いですね。」と挨拶し、戦争体験を記憶に留める
シニアの女性たちに笑みがこぼれる。

「わたしの得意分野は憲法や女性問題ではなく、
実は国際物流論なんですが、それはさておき、
女性はなぜ強いのか?考えてみましょう。」
「女性は打たれ強い。」
「女性は傷めつけられている。」
「女性は生活の場で生きている。」
「そうです。どれも正解。
経済活動に駆り出されている男性は定時制市民、女性は全日制市民です。
長い歴史の中で、女性が強くならざるを得ない要素がたくさんありました。
男性陣が主にDVや酒場での憂さ晴らしをするのに比べ、
女性は3人寄れば、かしまし娘。
おしゃべりは脳の活性化にもいいわけです。
第2次世界大戦前の女性の社会的地位は、
参政権なし、男女別学、姦通罪など不平等でした。

では、戦争が終わって嬉しかったことはどんなことでしたか?」
「空襲が終わった。」
「親元に帰れた。」と私の母。
「ああ、疎開されていたのね。」
「寝巻きを着て眠れた。」
「電気をつけられた。」

「わたしは、芦屋に住んでいるので、阪神大震災も体験しましたが、
室内がぐちゃぐちゃになって、足元が危ないから、家族にはすぐに靴を履くように言いました。
戦争中、枕元に靴を置いていつでも逃げられるようにしていたことが
皮肉にも役に立ったのね。」

教科書では絶対に教えてもらえない真実。
戦時中のヒロシマの原爆投下の経緯のエピソードも興味をそそられる。
1944年、アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が
どこに原爆を投下するのかを相談した。
ドイツが降伏するのは時間の問題だが、日本は思いのほかしぶとく粘っている。
ヒロシマは投下するのに、最適のロケーションだ。
山がなく、平地が広がっているから、効果覿面!

そういうわけで、原爆投下に備えてそれまで空襲を受けなかった。
何も知らない庶民は、「ヒロシマは空襲がないから大丈夫」と
こぞって疎開してきた。ヒドイ!!
これに対し、ナガサキは「帰りの駄賃」
投下地予定の北九州は8月9日お天気は曇り
晴れていた長崎がターゲットに変更された。
ヒドイ!!! 

現行の日本国憲法が発布され、はじめて女性は男性と平等になった。
女性も大学に進学できるようになり、
柴田先生も、大阪経済大学の前身の高専から、大阪商科大学
(現、大阪市立大学)へ進学した。
300名の男子生徒の中でたった2名の女学生だったので
柴田先生は一躍、キャンパスの有名人。

20世紀後半に世界規模で男女平等が進んだことは、国連の果たした役割が大きい。
1975 国際女性年(メキシコ)を皮切りに10年かけて女性の社会的地位の向上に努めてきた。
1980 「女性に対するあらゆる形態の差別撤廃条約」(コペンハーゲンで署名)
1985 国際女性年世界会議(ナイロビ)
1995 世界女性会議(北京)
2005 世界女性会議(ニューヨーク)
これらの会議に各国のNGOの参加も増加した。

国連の動向に伴い、日本の法整備も確立してきた。
1985 男女雇用機会均等法
1991 育児・介護休業法
1999 男女共同参画社会基本法
2001 DV(ドメスティック・バイオレンス)防止法

しかし、今日解決を迫られる課題は山積している。
間接差別
バブル経済崩壊後の歪んだ日本企業の経営が、ルールなき
資本主義を生み出した。
労働組合のないやりたい放題、長時間労働を強いている。

若者に「やったっておんなじや。」という諦観
「組合活動はダサい」
「一人で勝手に生きていくのがカッコイイ」などの価値観を
上手く植えつけ、経営者は賢い弾圧に成功した。

雇用機会均等法は、文字通り、雇用のチャンスだけが均等に
なっただけで、求人票に、「男子のみ」の文面がなくなった絵に描いた餅だ。
採用時も昇格試験も、男性が無条件に優遇され、
なぜ不採用になったかの結果の開示はされない。
開示できるわけがない。
はじめから公正じゃないんだから。

先日、小泉首相は突然に靖国神社を参拝した。
A級戦犯を祀る神社にわざわざ参拝することに、物議を醸しているものの、日系企業の殆どが中国に流出し、経済的には既に持ちつ持たれつの日中関係は、簡単には崩れないだろうと柴田先生は、考察し指摘する。

「より安い人件費を求めて、日本から中国、中国から今度は東南アジア
へと、企業そのものが、世界をフリーターのようにさまよい、
利益を生み出すどころか、反って損失してクビを閉めている。
若い新人を採用しても、朝から晩まで扱き使い、使い捨てる雇用は、
若者に技術を継承できす、長期的に見ても、経済の大損失、果ては
倒産に追い込まれざるを得ない。
嘗てのGM車がトヨタに買収されたのは、アウトサイドのホテル業、
観光業に進出し、新技術開発のための研究費を削減したことが
敗因だ。」

100人のうち1人が秀才なら、あとの99人は大人しく従う人間でいい。
教育基本法もよく吟味する必要がある。
その結果、フリーターやニートなど
まちがった自由、いや、間違っているとも正しいとも
思わない、親世代と隔絶された若者世代が生まれた。
と柴田先生は解説。

②社会に染み付いた慣習
③ジェンダー・バッシング
④「新しい歴史教科書を作る会」からの
 ジェンダーフリーや、男女共同参画に対して攻撃

男女平等への妨害と攻撃は、政治の右傾化と無関係ではない。
戦後60年、世界と共に男女平等と女性の発展に成果をあげてきた
日本の女性たちは、今、逆風に負けてはいられない。
運動を続けてきたわたしたちのエネルギーとノウハウを
若い世代にどう伝えていくかが、重要な課題である。

質疑応答で、誰からも挙手がないのを見計らって
わたしは勇気リンリンで挙手した。
「わたしは、母の勧めで今日こちらに参りました。
社会力を提言したK先生の講演にも先週参加したのですが、
親子でどれだけ話をしているか、過去の体験が語り継がれて
きたのかも問題ではないでしょうか。
ヒロシマのことも、重い口をようやく開かれたことと思いますが、
今回の平和のことも、地球が安心して暮らせる環境を維持することに
危機的な状況になるまで、今頃山積みの問題を次世代にバトンタッチ
なんて、あまりにも責任が重過ぎるような気がします。
このような場に、友人を誘いたくても、選挙にさえ出かけない彼女らにどう理解してもらうのか難しいですね。
寧ろ、ごく幼い子どもたちに伝えることに、希望を見出したいと思います。
わたしは、障害児のサポートに従事してきましたが、最も弱い
立場の人が幸せであってこそ、女性だけではなく男性も幸せになれると思っています。」
「芦屋や西宮での平和の集会は、いずれも世代を問わず、満席で、
熱気を感じました。確実に、個々人の将来への危機感が強まっている
現れですね。」

7年前のキャンパスでカウンセリングも受けたことのあるY先生のことも思い出し、
わたしは、芦屋も探訪してみようと思った。



只今、ラジオで英会話レッツスピークの後に、社会福祉セミナーを
聴講中。今日のテーマは「保育士 看護士 栄養士」
これらの3代専門職種は、昔も今も女性に特権的な職業として君臨して
いる。
が、男女同権が叫ばれるようになり、保母は保育士に、看護婦も看護師
に改称されて久しいものの、まだ7年くらいだと考えられる。

午後2時から出席する会があってそろそろ出かける時間が迫ってきた。

PCを開けると、昨日初めて出会った女性からメールが届いていた。
H病院から、自転車で一路向かった先、G美術センター。
第18回目の作品合同展が18日から今日23日まで開催されている。

わたしは、20日の午後に一度訪れていたが、玄関先に愛用している
柿色の帽子を落としてきたのを思い出し、再び受け取りにいく
ついでにもう一度、鑑賞した。

2年前まで、わたしは「つくしんぼ」というサークルに所属し、
年1回のこの作品展のために出展する側にいた。
昨秋は、受験の真っ最中、無事に合格した今年から向こう3年間は
夜間大学院との両立が困難なため、大好きな英会話も含めて余暇活動できない。

だから、今回のプータロウは、わたしにとっては
お金ではない、お金以上の自由時間のご褒美だ。

再びの鑑賞の前に、階下の図書館や、エレベーターの脇にある
ちらしを一枚一枚チェックして鞄の中に放り込む。
交通機関を利用して1時間以内で、しかも安価または無料で
楽しめるイベントを見つけ出して、出かけていく
これが、ビンボウなゆきんこ流の余暇活動。

共通のことに興味をもつ人々が集まるところで、
わたしは気分が昂揚してくる。
すると、自分からオペラントにことばを発する。

第1会議室から、パンフレットの作品名と照合しながら、
わたしは好きな作品チェックを入れていくことにした。
無名のアーティストの作品が6つの展示室に、
41団体、448人分の作品が一挙公開されている。

2回目に訪れて、1回目に見てどの作品が
印象に残って記憶に留めているのかを、
自分でチェックして楽しむということを思いついた。

最後の第6展示室で出会ったのが、今朝メールをくれたSさんだった。
只今、NHK「週間こどもニュース」を視聴中。
自動車メーカーは、環境にやさしい水素自動車や燃料電池車を開発中
と紹介している。
化学の実験で、硫酸の中に亜鉛を浸すと、ブクブクと泡立つ気泡
これが水素だ。
水素を燃やすと水蒸気が発生する。だから空気を汚染しない。
この水素自動車は、2006年度より、地方自治体で実用化の予定。
わが町は、いつごろだろうか?

ISOというよくわからない国際規格も2~3年前に早々と採用しているから、比較的早く導入されるだろうと、わたしは思っている。

ハリケーン ウィルマがメキシコ湾上空カンクーンに上陸した。
アメリカも随分な災難続きで、気の毒なくらいだ。
「どうすればいいか、わからないわ。」

朝夕はめっきり冷え込み、6時になる前に日没して真っ暗になってきた
今日このごろ、今日はじめて冬物の入った引き出しから上着を出した。
もう涼しいを通り越して「寒い」と形容したい室温は20度をきっていた。

只今、ニュースでわが町の市民会館大ホールで演説する
拉致被害者家族の有本さんが映し出された。
知らなかった!そんな大事なイベントが行われていたとは!

午後1時、近くのH厚生年金病院へ出かけた。
どこが悪かったわけではない。
病院は、休診で自動ドアの透明ガラスの入り口はまだ閉ざされていた。
中から白衣の初老の医師がカギを手動で開けてくださった。
「さわやか健康教室のご参加ですか?」
「はい。」
「どうぞ、こちらへ。」
案内に従って、初めに入った部屋で、
早速、看護婦さんに血圧を測定してもらう。
「ちょっと低いですね。」
「そうなんです。でも、まだ高い方です。」
「普段はもっと低いんですか。」

予約していた地域の人々の集まりが遅く、訪れた人々は
しばらくリハビリ用の幅広いソフトマットの上に座って開始するのを待った。
アンケートと健康の記録をかねた所定の用紙に書き込みを済ませて、
窓の向こうに風にそよぐコスモスを、わたしは誰とも会話も、退屈もしないでただぼ~っと眺めていた。
どういうわけか、昨晩Sちゃんと待ちに待って見に行った
「マンマ・ミーア」と同等の感覚でずっと観察していた。

このような観察眼がかなりついてくると、
どんなことにも、驚きと発見があり、そんな小さな幸せが
わたしのこころを自然と豊かにしていくような気がした。
そう。万物がわたしの師なのだと。

1時30分を過ぎて、リハビリ科の主宰の医師F先生の挨拶で
「さわやか健康教室」が始まった。
集まった市民は約40名くらい。殆どはご年配のシニア世代のみなさんだ。
ところが、迎えた医療スタッフは若い20才代のお姉さんたち。
その中間にいるわたしは、なんだか不思議な気分だった。
医療系の就職は他業界よりもまだ有利なんだろうか?
失業中のわたし、ちょっと羨ましい。
高校時代、3年間連続で保健委員だったが、当時はそれほど医療に関心もなかった。健康に問題も自覚もない10代の頃だ。

精神・神経科、皮膚科、形成外科を通過して、長い廊下の突き当たり
会場の大きな体育館に通されて、説明が始まる。
「昨年に引き続いての第2回目の今回のテーマは、『歩く』です。
まず、歩く前に、自分の立位での姿勢を意識してみましょう。
わたしたちは、自分で自分の姿を見ることができません。
ですから、他人に見てもらう必要があるのです。」

市民は、数列に分かれて、医師たちの前に立った。
「誰しも、真っ直ぐに直立している人はいません。
 必ずどこかが、捩れたり、歪んだりしています。
まず、それをチェックしましょう。だからといって
気にしすぎないでくださいね。少しでも正しい姿勢を保って
歩くこつをつかんでみましょう。」
一人一人が、人体のイラストに歪んだ箇所を赤鉛筆でチェックして
もらうと、次は平行棒の間に片足立ちをする。
「左が軸足の方が上手ですね。」

今度は座位をとってみる。
「お尻の真下に、坐骨が座面にゴリゴリとぶつかるのがわかりますか?
それを意識した状態で、自然に上半身を真上に乗せます。
加齢と共に、前かがみになるのは、腹筋が衰えるのと、地球の重力に負けて上半身を支える力がおちてくるからです。
人間以外の動物には腰痛や肩こりはありません。
動物は生まれると4本足ですぐに立つ。
人間は立って歩くのに1年もかかるのは、人間ならではの複雑な骨格構造のせいで、一番重い頭を一番上に乗せて背骨のカーブのバランスを保ち2本足で立って歩く。
だから、腰痛と肩こりは人間の避けされない宿命なんですね。」

厚みが5cmほどの細い板の上につま先だけを乗せて
踵を浮かせてバランスをとって立つ。
反対に、踵を板にのせてつま先を浮かせる。
このバランスが案外見た目以上に難しかった。
「最後に、苦手な方の軸足で片足立ちしてみてください。」
「あ、さっきより楽に立てます。」
「お家の敷居の段差などで、試してみてくださいね。
つまづいたり、転倒防止のトレーニングになりますよ。」

次は、「生活習慣予防のための運動」のアドバイス
交代したプレゼンターは、わたしよりももっと小柄で若い駆け出しの白衣の女医さんだ。円らな瞳が印象的で、はきはき強い語気で話す姿に
明らかに聡明さを感じた。
「こんな自分よりもしっかりしている若い人もいるんだ。」
と見とれてしまった。

①右手の人差し指と中指と薬指の3本で、左手首の親指付け根の動脈を
 触って脈を計る。心肺能力の指標になる。
 安静時脈拍(    /分)
 
②次の計算をする。
 210-(年齢   歳)=   / 分
 この値を最大脈拍の100%と考える。

③健康維持に最適の運動は、
日常、運動している人なら60%
0.6×(100%脈拍ー安静時脈拍)+安静時脈拍

あまり運動しない人なら 40%脈拍が運動中の目標となる。
0.4×(100%脈拍ー安静時脈拍)+安静時脈拍
 
わたしの目標脈拍は、129/分

これを算出した後、参加者が並んで3分間体育館を巡回歩行した。
1回目はいつもの歩く早さで
2回目は早歩き

ポイント
○自分の心肺能力に応じた歩行スピードで
○20分以上続けて行う
○最低隔日、毎日続けるとベスト
○継続することで、心肺能力が向上する

わたしは、両隣に居合わせたシニアの女性、男性と
談話しながら、最後は笑顔まで交わした。
「一人だとなかなかがんばれないけど、みんなが集まるとヤル気が出るわね。」
「なんや、あんたの目標脈拍まだまだやんか。」
「そうですね。普段運動しないから、もっとしないといけませんね。」

参加することに意義ありで、最後に「お~いお茶」ももらって
挨拶して帰った。嬉しい♡

戻る廊下の途中に「病児保育室」のプレートも目に飛び込んだ。
4年前、1年近くを過ごした小児科病棟のプレイルームが懐かしく
脳裏を過ぎる。 ちょっぴり未練・・・
ハロウィーンのお化け屋敷ごっこで
入院中の子どもたちとカラーセロファンやスズランテープで
お化けを作って、看護婦さんたちをお客さんに招いて
脅かしたり、大爆笑したことは、ずっと忘れないわたしの宝物だ。

でも、普通の平凡などこにでもいる素朴な市民。
それもわたしらしいアイデンティティだ。
偶然、横にいるお隣さんは、
年齢も性別も何もかもを超えたただの人間同士。
ちょっと同じ行動をその場でするだけで、笑顔になれるし、慰めたり、励ましあえる。
きっと昔の共同体はそんな感じだっただろう。

IQの高すぎる白衣のスタッフは、目の前で気さくに跪いて、
にわかな作り笑顔を見せるが、シニカルなわたしには高飛車で無用な存在に思えた。
本当に健康だったら、病院へのこのこ出てくる必要もない。
けれども、こんな大きな町で、気軽にそんな関係が作りにくくなった。

わたしも含めての、若者が生き辛く目標を見つけにくかったり、人間関係が下手だったりするのは、急激な環境の変化に晒されてきた
さまざまの要因があるが、端的に言ってモノと
人間が多すぎるからだと思う。





どうしよう・・・
咄嗟の行動って何をしでかすかわからないなあ・・・

早速、I先生のブログを見たら、
昨日、わたしが最初に書き込んだコメントのあとに続いて
4つものコメントが連なっていた。
うわぁ!どうして??
そういうことが、面白くて嬉しかったりするから、
またコメントしちゃった。

Mさんが「もっとボランティア増えないかなあ」と
書き込んでいたからだ。
それに、最後のI先生のコメントに吹き出す。
やっぱり中身は3枚目やな。4枚目か5枚目かも。
実際は、専門誌の表紙を飾る売れっ子スターだ。

火曜日の夜の通学電車では、「行動分析学入門」を読みながら
一人でにやにやニコニコして吹き出してしまう。
わたしにとっては、この専門書がマンガみたいに面白い本なのだ。

午後8時10分からの講義では、先週から意を決して
指導教官のF先生にリクエストしようと思っていたことを実行した。
「F先生、講義のあとで、お願いしたいことがあるのですが。」
「はい。じゃ、あとでね。」

講義の最中も、いろいろの過去の映像が浮かんでは消える。
わたしの場合、デジカメも携帯もないから
記録は頭に刻みつけた映像をなるべく忠実に文字に変換していくという
ことでしかない。
その文字を読むことで、また映像が頭の中で再現されるから、
思い出し笑いで、ひとりでウケテしまう。

それも、ゆきんこ流の記憶術ってわけ。
そうさせてくれたのも、父を筆頭に数多の困った坊ちゃんたちの
お陰かなと、泣き笑うしかない。
助けて欲しいときに、「助けて」と言えなかった。
なにかをリクエストしても、それに応えてもらえるか
どうかわからないと、誰も信じられなくなりそうになった。

自分のオペラントで本当に、物事が好転していくなんて
考えられなかった。

昨夜の講義は第3章「嫌子消失による強化」と
第4章「嫌子出現による弱化」の要旨を2名の学生が発表した。

人にも、動物にも好き嫌いがある。
好きなものはどんどん欲しがり、どんどん嬉しくなったり
楽しくなったりする。

嫌いなものからは、遠ざかり、なるべく避けようとする。
嫌なものをなくそうとする行動は、どんどん増える。
嫌なものがあることで、行動がなくなっていく。

他にも、いろんな行動のメカニズムがあるけど、
それを意識して操作しているのか、無意識なのかで、
面白さは全然変ってくる。

このABAの講議を初めて聞いたとき、
わたしはすっかり笑いのドツボにはまっていた。
それ以来、どこへ行って何をしても殆どの物事が面白くなってきた。

だから、過去のいろんな背中がぞくっとするような
恐ろしい体験も、あとからABAでなんとかすればよかったのにな、
それも自分自身が哀れな被験体だったんだなと思えたら、
笑いに変えることができるのだ。

嫌子(いやな物事)というのは、大方、わたしの人生を妨害してきた人々だった。
それ以前に、自分が何が好きなのかをはっきりさせておくべきで、
そうでないと本当に他者に振り回されて自分自身の人生を楽しむことなんてできないと気がついてはいた。

それは、大方「教師」という同業者の人々だったので、苦しくて
どうしようもなかったのだ。

ABAを学ぶこと、この先もハンデを負った子どもたちの支えに
なることが、自分の幸せでなかったら、どうしてこんなに勉強できるだろう。
いくら保育課長や所長が、不適任だといっても、
ABAの理論も実践も知らないで、主観と自分の権限だけで
好きなものをやめてしまえと人の人生に口出しができるのだろうか。
科学は真理の探究なのだから。

F先生が何をコメントしても、わたしは可笑しくて笑い声を殺していた。
その姿もF先生の目にはちゃんと映っていて、
他にも何人もの学生がいるにもかかわらず、
わたしは、うんうんと頷いたり、ニコニコしたり、
アイコンタクトで、たくさんコミュニケーションしていた。

「神なんか、今まで誰も見たこともあったこともないのに、
信じるものは救われると思ってるんだから。」
「嫌子の例はもっとたくさん出てきそうなものだがなあ。」

講義のあと、
「名前を呼ばれた人から帰ってよろしい。」
教室が一斉にザワザワして、その音は、人気とともに消失していった。

「先生、わたしまだ名前呼ばれてないんです。」
「あれ?どうしてかな、ノートに名前がないな。」
「すみません。初回は遅刻してしまいました。」
「それで、書いてなかったんだ。名前は?」
「ゆきんこです。」
F先生のゼミの女性3名がなにかの予定の打ち合わせで
割り込んで話し出した。
「それで、F先生お願いがあるのですが、先生のゼミに参加させて
いただけませんか?」
「ああ、いいですよ。昼にしますか。夜にしますか?」
「どちらでもいいんですが、面白いのは?」
「そりゃ、夜だね。昼は緊張してるけど、夜はリラックスしてるもの。」
「そんなに雰囲気違うんですか。じゃあ、夜にします。
え・・・と時間は。」
「火曜日の6時半から。」
「それじゃ、来週参加させていただきます。よろしくお願いします。
今日の講義もとっても楽しかったです。いくらでも例は思いつくの
ですが・・・」
「勇気がなくて言えないんでしょ?」
「はい。」わたしはニヤっとした。

それからは、頭の中ですっかり花が咲きっぱなしだ。
車窓から真上の小さく光ったまんまるお月さまを見上げた。
「そういえば、受験勉強では月の錯視のレポートも書いたっけ」

今朝、日課のI先生のブログを拝見。
本当に、もっとたくさんの人が見てもいいのにと思うけど。
「消去バースト」以来、はじめて恐る恐る書き込んだ
コメントのあとには、わたしのコメントを待って
強化してくださったI先生のファンとI先生自らのコメントがあった。
だから、わたしはABAを信奉し、ますますのめり込んでいた。
















只今、ラジオで名曲スケッチ
マーラー作曲交響曲第5番「アダージェット」を聞いている。
あ~、気持ちいいなあ・・・リラックスする。

疲れたときは、美しい音楽や絵を鑑賞すると
穏やかな気持ちになる。
仕事してないんだから、何に疲れるってわけじゃない。
でも、生きていることそのものに疲れてしまうこともある。

思い切ってコメントしたら、すっきりした!
その後、有酸素運動のラジオ体操でまたすっきり!

続きで、大杉正明さんが講師の
「シニアのための面白英語塾」では、英語音楽のリスニング。
題材は、フランク・シナトラの[FOR ONCE IN MY LIFE]
日本語では、「一生に一度」

わたしを必要としてくれる人がどこかにいる。
人生が自然に導くように。

びっくりして、慌てふためいているうち、番組はシナトラの歌声と共に
フェイド・アウトしていった。

わたしの人生も志もまだフェイド・アウトしていない。
さあ、今日はABAの講義だ。
学校へ行く準備をしよう!!
プータロウ生活も3週間目。
10月も半ばを超えて、とてもいい気候になってきた。

何もしがらみのないライフスタイルに慣れてくると、
今まで、お給料のためとはいえ、
耐え忍んでいたバイト生活を思い出したくもないほど、
今が快適、快感と思うから厄介だ。

昨日は、2週間前からのお達しで当たっていた宿題のレポートを
仕上げたり、
「ビデオリサーチ」のアンケート用紙に記入したりしているうち、
学校へ行く時間も迫ってきた。

通学電車の定期券を買うのに、順番を待ったり手間取ったりして、
少し遅刻してしまった。

エレベーターの中で、バギーに乗った小さな子ども連れの
国際カップルに会った。
エレベーターのボタンを押すと光って点滅するのが面白くて
その子は何度も押していたのが、ちょっと可愛かったので、
日本人のお母さんに話しかけた。
「フフフ、英語の表示もあるといいですね。」
「そうですね。」

定期を購入するとき、学生証を提示するのが、
なんとなく嬉しかったりする。

そうだ。
やっぱりわたしは、昨夜もT先生に言われたのだ。
「ゆきんこさん、あなた勉強が好きなんだね。」
「先生、わかりますか?友人にもよく言われます。
でも、成績はよくないんです。
テスト不安があったりするので。」
「まあ、わたしも大変ですよ。お給料はみんな
30歳近くになっても学生してて社会人にならない
二人の息子の仕送りに使い果たしちゃうから、
自分の楽しみのお酒代は我慢するんです。」

月曜7時限目に初回のプレゼンターの命を受けたお題は、
「幼稚園指導教育要領と保育所保育指針に見られる子ども観」

「それじゃあ、ゆきんこさんオンステージ!」
「先生、人前に立つのはとても緊張しますね。」
「なに言ってるんだい、そんな風にはとても見えないよ。」

保育所ではガチガチになって全く本来の自分を出せないのに、
大学院では本当に寛いでいた。
わたしにとって、自分が安心して心地よく居られる場所だからだ。

サテライトに着くと、図書室に入った。
2度あることは、3度ある。
「先生こんばんは。一昨日のフォーラムでもご一緒でしたね。」
「あら、そうでしたか。あんまり目立つことはしたくないんですけど。」
「偶然続けて3回もお会いするなんて、嬉しいです。」
「ありがとうございます。」
その名前もわからない先生は再びパソコンに向かった。

一度目に会ったのは、12日(水)この建物1階の玄関先
「エレベーターの方が早かったのね。」
「階段で降りてこられたんですか。」
「ええ。どちらからですか?」
「H市です。」
「あら、遠いのね。わたし以前H市に住んでたのよ。」
「そうですか。どの辺りに?」
「Kの付近です。」
「わたし、K保育所で働いていました。」
「あら、あなた保育士さんなの?在住していたときは
子どもを預けていたんです。」

2度目にその先生に会ったのは、フォーラムの会場だった。
先生は、質疑応答で発言されたので、わたしは気付いていたのだが、
その時は、些か「社会力」に欠けていたので、自分から声をかけずに
いたのだ。

コピーを取り、遅れて講義室に入ったら、既に始まっていた。
講師のN先生が私に気づいて背を傾けて歓迎してくれたように見えた。
何枚もの布を使って、1人1アイデアで遊びを考える。
①布玉入れ。
布で作った輪に、布のボールを投げ入れる。
②電車ごっこ一人ずつ入る度に布をクロスする。
「指定席に入ってるって感じでいいですね。」
③ねずみのしっぽ取り
④闘牛士ごっこ(ゆきんこのアイデア)
♪トレロカモミロのBGMで
「モ~」と人差し指を頭に乗せて牛のポーズで布に突進!
⑤親指と人差し指の間に布を挟んで引張りっこ
⑥布を丸めた布玉合戦 当たっても痛くない
⑦ひらひらと風になってダンス
「ハリケーン!」と廊下に出てグルグルグルと渦を巻く。
⑧全部の布をつなげて縄跳び

改めて布遊びのバリエーションに驚き!
保育所では「おばさん」でも、ここのクラスの中では
若年層にカテゴライズされる中途半端な年齢の私は、
浮いていることも気にせず、歓声を上げたり、
笑い声を上げたりと暫しの
ストレス発散を大いに楽しんだ。

後半は、初回の続きでイタリア「レッジョ・エミリオ」の
実態ビデオを視聴した。
2001年に発売された最新鋭のプロジェクト型、幼児教育実践映像だ。
それを元に話し合った。
「保育の最中にドキュメント(詳細な記録)を取るとか、
ディスコース(話し合い)をするなんて普段の保育では
なかなかできませんね。」
「子どもたちがひとつの課題にあんなに集中して取り組むなんて
どうしてできるのかしら?」
「やっぱり、環境でしょうか。一昨日のフォーラムでも
テレビやゲームを視聴している時間と、集中力との関連性を
研究対象にしていると講師の先生がおっしゃってました。
わたしの従妹も、今イタリアに留学していますが、居心地がいいのか、
帰ってきませんもの。」

この台詞のあとにノーコメントだったら、寂しくなってしまう・・・

わたしは、帰りの電車の中でもI先生のブログにコメントに
したくて、本当のところはウズウズしていた。
あまりにも、障害児教育、幼児教育、科学技術というのが
こんなにも密接で、そういう同じアイデアは、ゆきんこも
7年前からずっと持っていたんだって。
あのボロボロの自閉症の療育施設で、お金も資源も何もないところで、
二十代のみんなが励ましあって、ない知恵を搾り出していた。

でも、哀しいことに誰にも気づかれずに、隠滅されてしまう。
わたしの思い出のなかでしか、あの日々を再現することは
できないし、それを重ね合わせることもできない。
「消去バースト」だなんて書かなければ・・・

「あなた、わたしと考え方が似てますね。学者になれますよ。」
T先生が、わたしをどういうわけか、見込んでくださり
今日の講義のプレゼンテーションを無事に終えて、
そういってくださった。
「わたしはお世辞を言いません。
 ただ、まだ平面的にしか視点を捉え切れていないから、
多面的に、関数軸で論じられると、立派な論文に仕立て上げられる
こともできます。
この場合『子どもの概念』では、現在の専門書の知見、その背景にある理論仮説との検証、自分自身の幼少時代、自分自身の子どもたちとのかかわりの体験、そして専門家、見識者の文献です。」

自分自身を一体どのように評価するのか、
それから、わたしはどうするのか、
ちっともわかっていなかった。
だって、子育て支援室では、「不適任だから辞めろ」と
同業者に罵られ続けてきたのだから。

でも、本当にこの町のシステムはおかしい。狂ってる。
今朝から何回も中央図書館から電話がかかっている。
当人が不在の場合、プライバシーの保護のために
リクエストしていた本のタイトルや用件を
家族にも言付けないことになったらしい。
そのため、わたしが、母の代わりに先週から5回くらい
図書館の担当者から電話をうけているのに、
その度に、「また駆け直します。」と電話を切るだけ。

「なになに法」というのも、我々の知らないところで
勝手に国会で決まってしまうが、それが結果として
自分の首を絞めるようなことになっていないか、
決まってしまうまでのプロセスを見届ける煩わしさ、めんどうくささが、私たちにはないだろうか。
プロ野球がうざったくて、結果の勝敗だけ見て済ませてしまうのと
同じだ。

後は、何を言っても喚いても「消去バースト」
これが、果たして「公共性」に則った民主主義と言えるだろうか。
あまりにも、何もかもが疑わしく、
わたしはまだ、
フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を
夜更けの電車に揺られて読んでいた。

そして、今からI先生のブログにコメントしようと
意を決した。


 


昨夜の気象情報によると、10月11日に富士山頂で初冠雪が観測されたが、例年より1週間から10日遅れだそうだ。

日曜日の午後7時30分から8時までは、
NHKテレビアニメ劇場「雪の女王」を視聴している。
雪の女王に見初められ、連れ去られた少年カイの行方を追って
幼なじみのゲルダが、元軍人将校の吟遊詩人のラギと共に
探し続ける旅の物語である。

アニメでは、ゲルダが皿洗いや、バイトをしながら
旅先の人々とのかかわりの中で支えあったり、助けあったりして
カイを一途に思い続けていじらしく、ひたむきに生きる姿が
とても切なく思ったりする。

この日曜日のゴールデンタイムは、30年前から大学生の時分まで、
世界名作アニメ劇場に釘付けだった。
高校時代、漫画研究会と演劇部に所属していたわたしは、
以来「ゆきんこ」のペンネームを使っている。

今年は、アインシュタイン生誕100年とか、戦後60年とか
テレビ放送開始50年とか、いろんな節目の年だけど、
この童話の作者、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンの
生誕200年記念でもあり、この番組が放送されている。
『雪の女王』は、主役が涼風真世さんで、彼女は、言わずと知れた
「ベルサイユのバラ」のオスカル役で活躍した元タカラジェンヌだ。

この「ベルバラ」も、
来年は、マリーアントワネット生誕250年記念に因んで
2006年度星組と雪組公演が予定されている。
その特集番組、3~4日前に放送の「生活ホットモーニング」で
主役のフェルゼンとアントワネットの二人のインタビューを見ていた。
う~ん、ベルバラ見に行っちゃおうかな~?
微かなる新マイブーム到来って感じ!

アントワネット役に初めて抜擢された白羽ゆりさんを
テレビでははじめて見たのだが、
わたしは、どこかで見たことあるなあという
ぼんやりとした記憶はどこから来るものかを数日考えていた。

昨日、毎月家に送られてくる阪急交通社の旅の情報誌
「トラピックス倶楽部」を探し出して確かめてみた。
やっぱり!
表紙を飾る左端の写真のイメージキャラクター
それが白羽ゆりさんだ。

まあ、どうでもいいことなんだけど。
毎日何気なく目にしているのに、意識していなければ
気づかないことってホントにたくさんある。

今日、午後4時5分ごろ発見したのは駅前のモニュメントだ。
生まれ育ったこの町
毎日、この駅を利用して電車に乗るのに、
今日までただの一度も気づいたことがなかったのだ。
「あ、噴水の横に緑青色の裸の男女が向かい合った
あんな彫刻があったんだ!」

生まれて間もない赤ちゃんは、毎日瞬時瞬間が
そうした未知との遭遇だから、驚きと感動の連続に違いない。

その時、わたしは同時にフランクルの著作
「それでも人生にイエスと言う」の中に付記された
いくつかのドイツ詩人や哲学者の格言に目を留めていた。

ゲーテ(1749~1832)シラーと共にドイツ古典文学を確立
「なにかを行うこと、なにかに耐えることのどちらかでなければ、
 高められないような事態はない。」
 

古代ギリシアへの憧憬を格調高く詠った形而上詩人
ヘルダーリンFriederic Holderlin(1770~1843)
「自分の不幸を足元にするとき、私は一層高く立つ」
カント『実践理性批判』の結論の冒頭のことば
「それを考えること長ければ長いほど益々新たにして
かつ増大してくる感嘆と崇敬とをもって心を充たすものが二つある。
それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳的法則とである。」
(岩波文庫版 225頁)

たった今、午後9時前のニュースで
「わが町の小学校の女の子がブランコに乗って
けがをして指を切断した」と報道された。

あ~!いやだ!!
これだから、夢から現実にひき戻されちゃう!

夜明け前から雨。
なんとなく熟睡できなくて、8時前にアラームが鳴る前に目覚めた。
昨夜、9時過ぎにある人に思い切って電話したのだが、
不在で、8時に掛け直すことになっていたからだ。
わたしにとっては、S先生に対する勇気リンリンの「初めての」
電話だった。
今年もらった年賀状に書かれた電話番号にリダイアルした。

「はい。」
「S先生でしょうか。ゆきんこです。朝早くから恐れ入ります。」
「ああ、どうしたの?」
「わたし、LD教育士の受講科目、あと指導実習だけになったんですが、
検査を練習したことがないんです。
赤ちゃんたちに検査なんかしないでしょう?
受講しにいくと、実習の前に必ず3例は練習しておくようにと、講師がいつもおっしゃってたんです。
他には誰もお願いできる人もなくて、思い切ってお電話しました。」
「そうか。専攻科では、全然使わなかったの?」
「はい。一度も使ったことないんです。」
「じゃあ、時間を作ってなんとかしてみよう。いつ来る?」
「今、仕事をしていないので、いつでも。あ、大学院があるから、
木、金、土、日なら大丈夫です。」
「11月にしよう。」
「うわ、嬉しい!ありがとうございます。よろしくお願いします。」

電話を切ってから、更に嬉しさが込み上げてきた!!
なかなか頼みごとを気安くできない性分なので、
相手のS先生がふたつ返事で、さっさと決めてくれたのが
とても嬉しかった!
こんなことってあるんだ!

人間不思議で、困ったときに便宜を図ってくれた人に、
好意を寄せるものだ。
嬉しいときに「よかったね。」
イライラしてるときは、宥めてくれたり、
落ち込んだら「だいじょうぶだよ。」と励ましてくれたり、
そんな関係がずっと続くと、安心できるし、
確かな信頼関係に変っていく。
・・・と信じたい。

全般的な男性恐怖症のわたしにも、例外がある。
その数少ない例外が、7年前のキャンパスでの同窓生の一人であった
S先生だ。
S先生は、とてものどかな観光の穴場として知られるM町で
小学校の通級(ことばの教室)を長年担当してきた。
年1回の同窓会で、わたしはS先生の臨席になることが
なぜか多かったのと、おしゃべりが楽しくて、いつも
「遊びにいっていいですか?」
「はいはい。いつでもどうぞ。」
と二つ返事をしてくれていた。
今から、S先生に会えるのが楽しみだ~!!


今日も、一日じゅう雨だったが、午後から出かけた。
行き先は、キャンパス・イノベーションセンター
H大学大学院の主催する教育実践学フォーラムに出席してきた。
昨年から年4回ペースで開講されていて、今回は2年目の
第6回「社会力を育てることこそ教育の急務」というテーマ。
ゲストスピーカーは、T学院大学学長のK先生

終日、雨が降っていて参加者は遅れる人が何人かあったので、
フォーラムは、定刻を少し回って2時から始められた。

心理学用語に、「ソシャルスキル」とか、「社会性」とかいうことばがあるが、これは、社会にうまく適応して生きる力と言い換えられる。
しかし、昨今の社会にうまく適応していることが、いいことだろうか?
とK先生は問いかける。
今の社会のあり方を好ましいと思わない、もっとより良い
社会に変えないといけないと考える人の方が多いのではないか?
そう思うのは過半数、しかも、中学生のアンケート調査では
90パーセントを超えた。

その、イケてない現代社会を積極的に変革する推進力、一人一人の市民レベルを向上させようとしていく力
これを社会力social competenceと定義し、K先生は、1999年ごろから力説してこられた。

小中学生に全国学力テストを実施なんかしたら、
ますますひきこもりやニートが増えて大変なことになる。

今の若者世代がおかしくなるのは、当たり前で
60歳のK先生曰く、若者とは、1960年代安保大学闘争以降の
高度経済成長期以降に出生した世代、つまり、45歳以下の
中年期にさしかかる成人も含むという。
この世代の何が変ったのか?といえば、他者との相互行為
とりわけ、大人との直接的なかかわりが不足したことが、
思いやりの少ない三無主義(無関心・無感動・無責任)が、
1980年代から徐々に深刻化していったと解いてくださった。

子育て支援や児童虐待のの問題や、親子関係は既に、
乳幼児期からはじまっており、情報過多のマスメディアに晒されて
育ったこの世代の、脳神経に与える影響力との関連や、
0歳の時点での、自分から積極的に働きかける力を備えているかどうかの
テストや、母子関係のあり方など、乳幼児期の最先端脳科学の
情報も絡めての、実に実に、耳の痛いテーマであった。

20余名ほどの参加者は、殆どが現職の中学・高校の教員で、
カウンセリングや生徒指導を担っている。

3時半すぎに、休憩とティータイムを挟んで、
質疑応答の時間になったが、なかなか
フォーラムという語源どおり、ざっくばらんな「広場」での
おしゃべりって感じにはならない。
「なるべく当てたくないので、どうぞ質問してください。」
それが、プレッシャーなんだよね。

資料としてK先生オリジナルの「社会力」チェック
アンケート調査用紙も少し受け売りしてみよう!
一般人用が25問、中高生用が23問で構成されている。

特に重要な設問は、
○お父さんやお母さんといろんな話をする。
○近所の大人ともよく話をする。
○地域によく知っている大人が何人かいる。
○他の国の人の悲しいニュースを聞くと悲しい気持ちになる。

さて、TVでは「世界の教育を変える100円の使い方」を
環境アナリストの筑紫みずえ先生が教えてくれている。

地球の裏側のことまで想像して、思いやる能力と
学力との相関関係を解明するのが研究の目的で、
3年おきに3回の調査比較によって検討するとしめくくっておられた。

こういうとってもフォーマルな場、講演会にしばしば私は出かけて
知らないことを学ぶのがわたしは結構好きだ。

このフォーラムを知ったのも、丁度1年前に受験の前に
会場のキャンパスに下見に出かけた際に、リーフレットを
手にしたのがきっかけだった。

但し、無料なのに、多くの人々には宣伝されていない。
というか、これも自らの社会力のバロメーターと言えるかも
しれないが、ちゃんとインターネットHPでも宣伝されているのだから、
それに気がついて、自分で関心を持って行動するかどうかも
社会力ってわけ。
わたしは、受験を終えて以来、まだ大学院生でもなく、失業していた
去年の12月から連続4回出席している。
休憩時間の、お菓子とかお茶、コーヒーのサービスなんかが、単純に嬉しかったり、
ちょっとした未知との遭遇も楽しんでいる。
でも、残念なのは、直接仲のいい友人・知人を誘うだけの社会力とか、もともと引っ込み思案の怖がりなので、
一人で楽しんでしまうところが、自分でも惜しいって思う。


いつも一番後ろで目立たないように黙って座っているが、
なぜか、毎回ゲストスピーカーと目と目が合ってしまうと、
「金縛り」だ・・・

終わってから、トイレに入った。
洗面所で、わたしは気が向けば自分から口を開くこともある。
「一人ですか?」
「はい。」
「どうでしたか?」
「雨で大変でしたけど、滅多に聞ける話ではないので、
聞きにきた甲斐がありました。」
「え?どちらから来たんですか?遠いんですか?」
「鳴門です。」
「徳島ですか!!」

色んな研究分野のエラ~イ先生たちって、
日本中にはたくさんいて、なんとかしなくちゃって
本当に、心配してくれているのに、主役の若者たちがそこにいない。
聞いているのは、40代~50代の熟年層。その中にいる
わたしは、結構目立ってしまう『若者』代表なのだ。

そういうわけで(?)
わたしのブログを発見してくださった方に、
せめてもの受け売りができたら幸いである。
これも、ブログを見てくださる誰かさんへの「思いやり」です。

自分から知らない人に声をかけるなんてのも、
小心のわたしの場合、公のそれも、そういう社会学者が
観察しているのがはっきり被写体にバレていると、
全く逆効果。
でも、社会性にやや問題ありの保育士という仕事柄で、ずいぶんこれもわたしなりに努力してきた。

では、どういう環境を作れば、社会力がつくのかも、
ABAで、自閉ちゃんたちだけでなく、自分にも十分応用してきた。
ずばり、旅に出る!
どれだけ、携帯電話なしで一人でいられるか?
本などの暇つぶしのツールも敢えて排除してみる。
自分で困って、誰かに助けを求めるのだ。

去年の9月16日、初めて受験校を訪れたとき、
ロケーションがわからないから、道を何人もの人々に尋ねた。
時には、不安になって、寂しくなって、人恋しくなるのも、
つい話しかけちゃうのも社会力。
そして、ママの代わりの私でも、ニコニコ笑って
しがみついて、抱きつきにきてくれたたくさんの赤ちゃんたち。
わたしなんかよりもっとすごい!!

帰宅して、やっぱりI先生のブログを見てみた。
「障害者自立支援者法案可決」についての
シリアスな内容が綴られていた。
わたしは、コメントしようかと躊躇ったが、
ちょっと、他のみなさんのコメントの様子も見てからにしよう。
あの法案成立の経緯がちっともわからないし、
多くの障害をもつ人々の反論の余地がまるでないではないか。

どうして政治の世界は、学会と違って公正でもなく、
あっという間に、理不尽な「ルール」がさっさと
決まってしまうのだろう。
わたしたち一人一人の社会力の衰弱化をいいことに、
そこに胡坐をかくごときではないか?

というのは、これも社会力との関連で、
イギリスでは3割の若者が選挙に行かないとブレア首相自らが、
憤慨しているのに、
日本では、投票する若者が3割に満たない上に、当時の森首相は、
なんの危機感も覚えていない。
首相レベルにおいても社会力の低下が疑わしいと、言えないだろうか?

では、本当に障害者の実情に配慮した支援法なのか、
その思いやりの社会力は、行政当局はいかほどか
K先生、リサーチするんでしょうか?
まずは、やっぱり一般人かな?

ちなみに、わたしの社会力自己採点ですが、
25問中、「かなりあてはまる」の最高得点が13問
14問目の「自分と考えや、好みや、やり方が違うからといって、
その人を遠ざけるようなことはしない。」が最低点でした。
なかなか難しいです。











夕方、午後6時すぎ、気晴らしに
「世界の車窓から 世界一周鉄道の旅 ~5大陸、55ヶ国列車の旅~
ユーラシア大陸(3)ドイツメルヘン街道、東欧の旅~
を視聴して、家庭訪問先に出かけた。

T君は、今週水曜日は、雨で延期になった運動会
今日は、午後からうちの近所の発達障害児療育施設のS園へ
兄のF君と療育を受けて、帰宅していたので、とてもお疲れさんだった。
「そういう時は、無理しないようにしましょう。
無理矢理やって、いやになるといけませんから。」
お母さんのAさんは、なんだか不思議な人だ。
できるだけ沢山の人脈とブログなどのネットワークを
つないでおくことが、得策だと考えるのは、多くの
聡明なこの業界における関係者とも一致するところなのだが、
飽和状態になって、身を滅ぼしそうになっても
それを停めてしまったら、バランスが悪くなるから
やめられないという状態にわたしには見えたりする。

わたしも精神的には決して強壮でないのに、
辞めたいと喚きながらも、続けているのは、
Aさんとの持ちつ持たれつの関係を維持しているからなのだ。

自分では自分のことはよくわからない。
いいところも悪いところも。
けれども、凹んだときに、タイムリーに慰めてもらうと
また前を向いて頑張れたりするものだ。

Tくんは、疲れているにもかかわらず、
「今日は疲れたね。運動会がんばったんだって?
 また、今度にする?」
「ううん、する。ちょっと待って。」
「じゃあ、待ってる。」
その間にAさんと雑談して待った。
30分ほど、だらだらとお気に入りのテレビアニメを見てから
Tくんは、運動会のパンフレットをわたしに見せにきた。

今日は兄Fくんの担当のもう一人の家庭教師Iさんは
お休みだったので、Fくんもブラブラしながら
ブロックで遊んだりしていた。
元々わたしは、6年前にはFくんの初めての家庭教師だった。
その時の記憶を彼がどれくらい留めてくれているかは
わからないが、Aさんが、わたしのことを気に入って
ずっとかかわらせてもらってきたことにも
改めて感謝の念が涌いてきた。

Fくんがブロックの人形をわたしの目の前に見せた。
「パパ」
「Fくんのパパ?ほんとだ、メガネかけてる!」
「Tちゃん」
「こっちはTちゃん?ひげはえてるよ、フフフ。」
Fくんも笑っていた。Fくん流のジョークかな?
2月からはじめて今日で16回目だったが、
Tくんはこの頃、自分で自分の意識の集中のさせ方や
落ち着き方が、コントロールでき、小1時間は着席していられるように
なってきた。今日は久しぶりに、おかいものごっこをして、
はじめてお店屋さんになり、「ありがとう」と上手に応対していた。
写し文字なら、数字もひらがなも書けるし、何より指示に
素直に応じてくれるようになっていた。

初めはわたしの方が泣いて断ったケースだった。

Aさんは人脈や情報量の幅広い人なので、わたしの方が
勉強させてもらっているところがずっと多い。
なのに、わたしに深々とお辞儀をしてくださった上に
帰りがけにはこんな励ましももらったのだ。

「何度、失業しても、これまでどうにか自分の力で食いつないで
いらっしゃるじゃありませんか。ただ、ゆきんこさんの場合、
周囲の人々との軋轢のために、自分の力を発揮できないことが、
難しいんですね。どんな業界においても厳しいのは同じです。
大学院にまで進学されると、今後、それが反って
あなたの人生のハンディキャップにならなければいいのですが。
でも、前向きにがんばろうとすることに無駄はありません。」
「Aさんだって、これまで多くの関係者の方々を品定めの上で、
今もこんな私を頼みにしてくださっているのですか?」
「もちろんです。自分の人生を作るのもゆきんこさん次第。
自分が変るだけで、相手も変ってくれるんです。」
「そういえば、わたし、Aさん前回お会いしたときと
変ってるって、今、お会いして思っていたんです。」
「本当?嬉しい!!」
「あなたの子どもにかかわるいい才能をもっと生かして、
磨きをかけてごらんなさい。そうしてもらえれば、幸せになれる
救われる子どもたちもどんなに喜ぶでしょう。」
「こちらこそありがとうございます。なんだか失業中は、どうしても
凹んじゃって・・・こんなに励ましていただいて・・・」
「それじゃあ、次回よろしくお願いしますね。」
Aさんが深々とお辞儀するので、わたしのお辞儀も深くなった。

帰宅して、記録を書いて、恐る恐るブログを見てみた。
何事もなく、楽しげなコメントが何人もの人たちから
寄せられていた。

地域の情報誌の来週の星占い
「目標達成は目の前。
チャレンジしがいのある高い目標ほど、星は味方に。」


明日8:00には、早速S先生にもう一度電話をしようと思った。
勇気リンリンで!



昨日も今日も、晴れたら暑い。
室温は26度。

昨夜も寝付くのに、時間がかかった。
夜中にみぞおちや、背中がキリキリと疼いてくる。
働いている間はそうでもなかったのに。

わたしの脳裏には、夢ともイメージともつかない
映像が何度も蘇り、刻まれる。
小高い山の上にあるコンクリートのキャンパス
ここには、数え切れない何段も続く階段も、電動で
スイスイ上がれる長い4つのエスカレーターも
ついているのに、
夢の中では断崖になっていて、わたしは何かに
突き落とされ、どんどん落ちていくのだ。

I先生のコメントの中で言い放ったことばの意図を
考える度、頭の中がそのイメージと共にグルグル回っていた。
「私がどうと言うより・・・」
「公共性という最低限のルール」

それは、その「何か」を象徴していた。
「自分の人生なんだから、自分でなんとかしてよね。」
という突き放しにも聞こえた。
蚊帳の外のわたしが、中に入れない以上は、
泣いても喚いても無駄で、
結局、自分の手中に収まらない君は、あの研究室から
スポイルされた時点で、こんなに時間が経ってから
駆け込まれても無駄なんだ。

「そういう素直でない性格してんだったら、
僕だって救いようがないよ。
君自身が、初めからルール違反してるんじゃないか。
 それに、お願いだから、僕のクライアントには
余計な不安材料持ち込まないでくれないかなあ。
ホント、君のメールには辟易してたんだ・・・
T先生もダメ、歯医者さんもダメなら次はボク?
勘弁してよ。
こんなに忙殺されるっていうのに。」


そうなのかア・・・セイテンノヘキレキそれじゃあ、思い切って自己満足だけの
骨折り損のクタビレモウケな仕事は辞めてしまった方が
いいんだろうか?

わたしだって苦しんできた。
あの7年前の弾劾でズル剥けになって、今日まではいつくばって生きてきた。
目の前に子どもたちの屈託のない笑顔が途切れ途切れにあったからだ。

どんなふうに人生を選んでみても、工夫してみても
環境に要請しても、誰かにすがったり頼ったり、もがいたり
慟哭してみても、
やっぱりどうにもならないことってあるんだ。

特にABAを知ってからという1年10ヶ月
わたしは、ABAとI先生の著作をよすがにしてきたのだ。
それを、
「ボクをいちいち自分の人生の引き合いに出すのは、もうやめてくれよ。」
と言い放たれては、「消去バースト」するしかない。

「消去バースト」というのは、赤ちゃんや
ことばが十分に使えない子どもなどが、自分の要求を
通すために、泣き叫んでそれがエスカレートすると、
かんしゃくを起こして暴れまわるというものだ。
それでも、相手がそれを堪えて、要求に応じなくなるまで、
無視を続けていれば、
「泣く子も黙る。」
「泣き寝入る」
というABAの無慈悲な手法である。


その禁句中の禁句だったコメントを言い放ったわたしは、
もう前言撤回できないのだ。
そういうわけで、昨日もブログもHPも見なかった。

それでも、熟睡はできて今朝は少し早めに起きることができた。
それでも、朝はテレビ体操でウォーミングアップして、
夕方6時半に控えている「たった一人のお客さん」のために、
時間を割いてカリキュラムを考えた。

来年就学の6歳のTくんに向けての教材は
「11ぴきのねこ どろんこ」(馬場のぼる こぐま社)
1996年10月10日第1刷発行だから、ちょうど9年前ってことになる。

前回の課題とポイントは、
「だれだれは、どうしていますか?」の質問に答える。
1ページ1問で、トークン1ポイント、合計20問だ。
これをどれくらいの時間集中できるか、時間も計る。

それから、おかいものごっこ
ちらしの値段と品物を書いたコピーと
カラー広告チラシでマッチングさせるという課題だ。

五味太郎さんのシリーズも大好きで
「すうじの絵本」(岩崎書店)も選んでみた。

I先生の突き放しのことばが、胸に刺さって哀しい。
ABAは、これまでわたしが試してきたどの子どもにも
実に有効だった。
わたしには、I先生からのご褒美は一切なくて、
ついに論文を書く要求も閉ざされたけど、
どの子どもも本当にわたしに信頼を寄せて、成長してくれたのだ。
だから、ずっとI先生を崇めてきたのだ。
自分勝手だけど・・・

けれども、わたし自身の人生は、ABAを知ったその日から、
どんどん追い詰められていった。
子どもたちやお母さんたちに喜んでもらっても、
それを面白くないと考える正職の公務員たちの嫉妬や陰謀の
対象になったのだ。
わたしは、アルバイトでもいいし、
ただ子どもたちやお母さんたちに少しでも
役に立とうと思っただけで、それを自分の喜びにしたかっただけなのに。

昨日は、ようやくハローワークに足を向けた。
銀行に寄って、失業保険の給付を受ける用紙に銀行印をついてもらった。
この町の官公庁界隈は便利だ。駅前から徒歩10分以内に、
税務署、法務局、パスポートの発行所、ハローワークも含む
諸公共団体が勢ぞろいしている。
ないのは、裁判所くらいだろうか。

その辺りを、正午や午後5時過ぎに自転車で通り過ぎると、
わたしの目から見て、千と千尋の神隠しに登場する
「カオナシ」のような公務員の皆さん方が、タバコをプカプカさせて
ゾロゾロと歩いている。

昨日は正午あたりにハローワークで離職票を提示し、
所定の用紙に必要事項を記入して、受付で手続きを行った。
ハローワークの各窓口担当者は、2月に訪れた時とは
ガラリと顔触れが変っていた。
若い新人らしい男性職員が、至って
事務的な、慇懃丁寧なマニュアル通りの応対ぶりで
なんとなく嫌気がさした。
バブルのはじけるちょっと前までは、
プータロウの扱いは、蔑みにもにたぞんざいな対応もあったらしいし、今は、パワハラに、セクハラ、リストラ対応で
やかましくなっているから、何事も卒なく穏便に計りたいのだろう。
「ガムをソファに押し付けるなどの悪質なイタズラはお止めください。
警察に通報します。」というオレンジの張り紙も見に入る。

求職者の数も、その頃よりはずっと少なかったのも印象に残った。
わたしも、応対の男性の説明に
「ハイ、ハイ、」と事務的に相槌を打った。
つまらないコミュニケーションだ。
赤ちゃんと「いないいないばあ」している方がよっぽど楽しい。

そんなつまんない、他愛無いわたしだけの嬉々とした
一方的な報告も、2004年の1月からこのブログを開設した
今年の8月のお盆の頃まで、ずっとHPに書き込んできた。

今はそれも、あまりにも虚しすぎる行動だった。
その間、わたしは2回もハローワークに裁判所や
労働監査基準局、弁護士事務所まで訪れたのだ。
その果ては、やはり「消去バースト」だった。

頭には、カーペンターズの「デスパラード」が
リフレインして、とぼとぼと自転車を押して歩き出した。

自転車を市民会館の自転車置き場に停めて、
わたしは、ダイレクトに隣接の建物の扉を押した。
「9月末日まで、アルバイトで働いていた者ですが、ちょっと
聞いてもらいたいことがあって来ました。」

メガネの中年の長身の男性がソファに案内してくれた。
「お話、伺いましょう。」
わたしは、市のアルバイト職員として、1年半のうちに5箇所の
保育所を転々としたものの、口先だけの
信頼関係や俊敏な連携を求められても、それが難しかったこと、
正職員以上の常に厳しい上司の監視下に置かれ、
その度に、精神的に追い詰められたこと、
他のパートを要請したからと、無理やり退職届けを書かされたこと、

最後は、正職員でさえ、一切面談のない
子育て支援室のK課長から、2度も呼び出しを受けて
「2度と勤めないように」と通告を受けたこと、
これは、明らかに弱い立場のアルバイトに対する人権侵害だ。
結局、この町の自治体の人間関係の悪さが、
市民生活にも影響を与えているのではないか。
とにかく、生まれ育ったこの町の自治体の職員たちから
受けた有形無形の精神的ダメージはあまりにも大きすぎる。

アルバイトでもそうなんだから、きっと正職員同士でも
そのようなことがあるのだろう。
『あなたのために、辞めた方がいい』と進言する正職員さえいたのだから。

メガネの男性は、だんだんと顔を曇らせていった。
「近くのK市では、アルバイトの身分も保証されていると聞いています。
市の財政が悪化していますので、確かにアルバイト雇用は増加していますが、そのような子育て支援室の実態は知りませんでした。」
男性職員にそれ以上のことばはなく、わたしは涙を拭って
その建物を後にした。

そんな昨日で、わたしはブログに向かうには、
あまりにも鬱々とした気分に苛まれていた。

駅前のマンションに住む友人を訪ねたが留守だった。
自転車を隣のG駅まで走らせ、G図書館へ行くと、
リストラのおじさんたちが、黙々と読書していた。
わたしは、モームの「環境の力」という文庫本を手に取り、
読んでみようとしたが、頭が受け付けなかった。

外へ出て、G神社の祠に手を合わせて拝んだ。
フェンスの傍に立って、周辺の町を見下ろすと、
ザワ~っと音を立てて周辺の木々がカゼにざわめいた。
「ああ、いいな。風にそよぐ木々の声に、何の悲しみも憂いも、不安も
何もなくただざわめいているだけだ。
わたしのそんな想いも風にとんでいってしまえばいいのに。」

自転車でまた走り出す。団地のあちこちに、
「変質者に注意!」だの
「危険だと思ったらホイッスル!」のポスターが目に付く。
この道を春には子どもたちと散歩で歩いたことも思い出しながら、
10月1日にフェンスの外側から運動会を見たK保育所を通過する。
午後2時、外にいるのは柵に囲まれた一人ぼっちの
アヒルのミケだけだ。

地球には65億人ものヒトが生きている。
日本は、世界で10番目に人口の多い国だそうだが、
少子化で1位ランクが落ちたそうだ。

誰かが生き残ろうとするときに、
誰かが犠牲を払わなければならない。
地球も黙してI先生と同じメタ・メッセージを
発するだろう。

わたしは、スコラ(スクールの語源で「暇な」という意味)を
もう少し味わってみよう。
そのどちらかの選択をする前に。


正午のニュースでは、
北朝鮮拉致被害者のジェンキンス氏の告白が
放送されている。

その頃、ある株式会社から電話があった。
「ビデオリサーチ」という会社だ。
1ヶ月くらい前に、電話があった。無作為抽出で、わたしに
アンケート協力を依頼する内容だった。
今日は、その資料が手元に届いているかという確認と、
22日までに記入して返送して欲しいという内容を
女性担当者が告げてきた。
わたしは承諾した。

わたしは、今日もなんとかこうして生きているし、
穏やかな日常を迎える。表面的には・・・

人生にはいいことばかりではない。
マスコミで被写体になる人や、著名になる人々が
決してしあわせな運命を背負わされた人々だとは
思わない。

わたしは、昨日のI先生のコメントを反芻していた。
「しばらく、タイムアウトしよう。」
困らせることは、わたしの本意ではない。
どんなに多忙で、辛い思いをしてがんじがらめになっているのか、
文面は至って冷静でも、本当は怒っているんじゃないかと思った。

そして、現場になかなか戻りたくないのは、
I先生のコメントからわたしなりに読み取った
メッセージだ。
「結局、自分の人生は自分で選択し、自分で責任をとって
いかなくてはならなくて、専門家にだけ依存するな。」

日本の世の中の諸々のことが、あまりにも
「あなた任せ」になりすぎたのだろうか。
自分の唯一無二の人生さえも。

わたしは、自分の人生の何を選択してきたのだろう。
いつも周りの人々が邪魔をして、無理解だとひとりよがりに
嘆いてきたように思う。

大学院に入ったはいいが、わたしには目的が見えてこない。
毎週火曜日は、一番習いたかったABA(行動分析学)特講の時間なのに。
昨晩夕方6時過ぎに自宅を出て、電車の中で
V.Eフランクルの「それでも人生にイエスと言う」を読み始めた。

「こんにちでは、行動をおこすどんな動機であれ、それは、
ひたすら信じて身を任せることができるような進歩というものが
ないところから生まれるからです。
それはまさに、何が進歩するのかということ、
どれだけ進歩するのかということが、われわれひとりひとりに
かかっているからなのです。これに対して、一般的な進歩はせいぜいの
ところ、技術の進歩にしかないということです。
この技術の進歩こそ進歩そのものであるかのような強烈な
印象がありますが、それは、ただ、私たちがちょうど、
技術時代に生きているからにすぎないのです。
わたしたちは、悲観主義にもとづいてしか、行動を起こすことが
できません。懐疑的な態度をとってはじめて、なお何かしようと
手をのばすことができるのです。それに対して、従来の楽観主義は
わたしたちをなだめすかすだけです。

ナチス時代の若い世代は、ほんとうの理想像をもつことが
できませんでした。いまではもはや、当時若い世代が抱いていた
理想像を抱くわけにはいきません。
その際、ある意味で
不公正な事実があることを隠しきれません。
よりにもよって、いちばんよくある犯罪者の汚名を着せられる人々のなかに、
道を見失った理想主義者
が必ずといっていいほどしばしば見出されるのです。
逆に、彼らよりももっと用心深く、後になってから彼らに反対する列に
加わる人々は、日和見主義者だったのです。
両方の側に対して身を守ろうとした人々、そして今ぬくぬくとしていられるのは、まさにそういう人々なのです。
この世代は、あまりにも多くの外的な、そしてその結果として
内的な崩壊を体験しなければなりませんでした。
それは、一世代が体験するにはあまりにも大きすぎるものだったのです。
ですから、この世代にはもう、そう簡単に理想主義や情熱をあてにしてはならないでしょう。」

今まで、神様のように、あるいは「幸福の王子」のように、
自分勝手に、I先生のことを信奉してきた。
先生の言い放ったコメントで、わたしは対体験的なイメージの中に
囚われていた。

7年前、あの大学の研究室の断崖から突き落とされたかのように。

行き場を失ったわたしが手に取った、アウシュビッツの生き残りの
精神科医のこの文章は、ABAよりもずっと納得できて癒される気がした。

どういうわけか、眠りに落ちるのにわたしは時間がかかって、
考えても仕方のないある種の強迫観念にとり付かれそうになって
いる気がした。
フェンスの外側に出てしまった今、
保育所の中の子どもたちは囚人に、保育士は監視人に
私の目には見えてしまうのだ。
わたしが、監視人つまり、担任から指示・命令された通りの保育は、
わたしのやりたくない理想に反した保育であることの方がずっと多かった。
決められたとおりのルールに則ったルーティーンワーク。
誰が決めたんだろう?
一体いつまで、どこまで、従い続けていなければならないんだろう。
どうして自分のたった一度きりの人生なのに、決められなくては
ならないんだろう?
明日のしあわせなど、確約されていないのに。

わたしが、ハローワークに容易に足を向けたくないのは、
そうした絶望感が押し寄せてくるからだ。

それでも、今日はいいお天気だし、昨日は雨だという理由で
行かなかったから、意を決して、出かけようと思う。
エリクソンの宿題もプリントアウトして、
時間があったら、海を見に行こう。

大学院に出かければ、いい雰囲気の人間模様がオンエアされている。
先週と同じく、わたしは同じゼミ生のNさんの隣に座った。

先週注文した、「行動分析学入門
(産業図書 杉山尚子、マロット他著1998)が届いていた。
注文していた社会人学生たちが、順番に代金を払ってそのテキストを手に入れた。
本体価格は3600円なのだが、指導教官のF先生から直接購入で
消費税込みの2割引で3030円支払うのだが、わたしの財布には、
小銭が一枚もなく、おつりが出せる学生が次々と支払っていく傍で、
その様子をオロオロと見ているところを、口角をあげて
F先生はしばらく見ていた。
「誰か、小銭もっていないかね。」
「すみません。何か買ってくずしてもらえますか?」
わたしは廊下へ出て、自動販売機でペットボトルのSAPURIを
買った。
戻ってくると、
「あ~、ごめんなさい。やっとお釣りできたんです。」
「あら~!」
わたしは、ズッコケポーズをとった。

お金を払っても、欲しいものが手に入ると自然に笑みが
こぼれるものだ。

I先生に直接習えなくても、その上司にあたるF先生の気さくな
授業にわたしは、大満足で、やっぱりニヤニヤしていた。
ページをめくると、具体的な症例のシナリオの文字が躍っていた。
本当は、ドロドロしているはずなのに、ABA関連の本は、
わたしにはコミック的な作用があるようだった。

今日は、第1章と第2章の要約をF先生のゼミ生さんたちが、
発表した。
「それは、ちょっとちがうんじゃないかな~?」
とF先生の面白そうなトーンの突っ込みで、クラスのみんなが笑いの渦。

「何か質問ありますか?」
わたし挙手して質問した。
「この本はマロット先生の著作ですが、ABAの方法に流派はあるんですか?」
「ありませんよ。誰がやっても同じです。」
本当は沢山答えてくださったのだが、質問すれば、答えがもらえる。
それが、わたしには大満足だった。

26ページ「循環論を避けよ」は、なかなか笑える。
「どうしてネズミは水を飲むの?」
「ネズミは水を欲しがっている。」
「どうして水を欲しがっているとわかるの?」
「ネズミが水を飲んでいる。」

単純に面白いと感じさせてくれた新しい学問
それが、ABAだったのだ。
これを極めると、誰でもシナリオライターもどきになってくる。

わたしは毎週開いているというF先生の
ゼミ見学をさせてもらえないだろうかと目論んでいた。

さて、今日は早めに身支度しよう!
プータロウ生活も早2週目に入った。
カレンダーの赤い日は、普段働いている人たちも、休みだから
自分も休んでいいんだという気持ちでいられるが、
平日にブラブラしているのは、心穏やかでなくなる。
わたしは、人生をシフトするときには、かなり神経質になる。

別になにをしようとも、わたしの自由な24時間。
好きなことをすればいい。

昨日は、今朝起きたら、ハローワークに出かけようと思っていた。
大学院のある最寄り駅からは、歩いて海に行けないことも
ないから、頭を冷やしてみようかとも思っていた。
午前中は、雨が降っていた上に、昨夜はよく眠れなくて、
わたしは気分が塞いでいた。

I先生が外部の一般人の絶え間ない誹謗中傷に疲れきっているだろう
ことは、ブログを通して百も承知しているはずだった。
わたしも、あんなコメントして本当にいけなかったなと
いろいろな想いが、夜中にグルグルと交錯しては駆け巡る。

その時分の真夜中に書き込んで下さったであろうI先生の
コメントを遅い午前に私は確かめた。怖いもの見たさで。

「私がどうというよりも」
そのセリフが引っ掛かる。
「公共性を考えてコメントするのは、必要最小限のルール」
つまり、わたしのコメントは「公共性」を欠いていると!?

そのコメントにさえ、心が掻き乱される。
たった一人で、歯を食いしばってがんばってきたことは、
なしの礫になってしまう。
2階に上がって、何もする気がしなくて泣いた。
去年の秋は、ここであんなに必死に受験勉強したのに。

まあね。
こんな性質だから、客観的にはなれなくて、「どうしようもない」
のもわかっている。
でも、「公共性」って何だろう?
公人こそ、公共のあらゆる物事を、わが物顔で使っているんじゃ
ないだろうか?
公人は公正に選ばれてそこにいる人なんだろうか?
公共の福祉やサービスに匹敵する人格者なんだろうか?

わたしの実体験からすれば、はっきり言ってNOだ!
わたしには、公務員族は、税金でのうのうと左団扇で
生きている人たちにしか思えなかった。
さもしい事がなかったら、胡散臭い態度、
仏頂面や、鉄仮面のような無粋な応対をするわけがないのだ。

夜になると、背中がゾッとして、
アルバイトの心細さを反芻する。
この地球上で、安心できる場所なんてどこにもない
そんな気持ちに襲われる。

昨夜のクローズアップ現代では、「エアガンの人気が急上昇」と
報じていた。アーミー服を着た男性が汗を流して爽快な表情を
浮かべている。
「これじゃあ、やっぱり戦争になるわ。」
母がため息を漏らした。

アウシュビッツのようなことが、きっとまた近い将来起こる。
次々とネガティブなイメージで頭がいっぱいになる。

ひとしきり泣いて、ぼ~っとしていたら、
今年の春に頂いた2005年「幼年児童教育研究」が目に入り、
ページをめくってみた。

一番最後は、「統合保育の場の障碍(しょうがい)を持つ子どもの育ちについて」の研究論文だった。
読んでみよう!

わたしは涙を手で拭って、前期授業の資料の束を片付けた。
ABAのノートが見つからなくて、家庭教師用の鞄を探してみたら、
「それでも、人生にイエスと言おう」V.E.フランクル 春秋社 が出てきた。
ドイツ語では、Victor Emil Frankl
Trotzdem Ja zum Laden sagen
10月1日に、H保育所の運動会を見学したあとに、図書館で借りていた。
フランクルは、これまた著名な実存分析を創始した精神医学者だ。
わたしは、学位論文に「夜と霧」を引用した。
その頃、こんなにも日本中が不安な気持ちに襲われていなかった
イケイケムードのバブルの真っ最中に、わたしはそんな本を読んでいた
ニヒリストだった。

とにかく読んでみよう!

夜の授業に備えてのノートや教科書を鞄に詰めたり、
シラバス(授業計画)に目を通した。

総合福祉センターの福祉資料室で借りたビデオ
「世界の車窓から 世界一周鉄道の旅
~オリエント急行、イタリア、スイス登山鉄道の旅~」
を鑑賞する。

うちのテレビのブラウン管は小さいが、それでも、
中の景色は雄大で、ちょっとは気分転換になった。

アルプスの永遠の乙女と称される「ユングフラウ」へのアプローチ
時速15kmで牧草地を登る。
緑色から白銀の世界へ
ヴェンゲルンアルプ駅から、インターラーケンを経由して
クライネシャウデック駅に到着。
そこから年間70万人の乗客がある人気登山鉄道
ユングフラウ鉄道に乗り換え。
1898年の開業で、トンネルが4分の1を占めるから
完成までに16年もの歳月がかかった。
4メートル進むごとに1メートル上昇の急勾配
アルピニストが挑むアイガー(標高3970m)
そのトンネル内のアイガーファント駅を通過して
遥かな地上の風景を望む。
インターラーケンから2時間半で、ユングフラウヨッホ駅に到着。
エレベーターで展望台へ。
そこは、まばゆい銀世界だ。
標高3454メートル、欧州で最も高い駅である。
4000メートル級のアルプスが、どこまでも無垢な表情をたたえている。

これは、映像にすれば、たったの15分程度だが、
実際には、もっと時間がかかるのは当たり前。

テレビっ子、漫画っ子世代のわたしの次世代は、
パソコンから、瞬時にありとあらゆる情報が入手できる。
お金があれば、いろんなモノが手に入り、楽しみも増える。
経験も豊富にできる。
そうして、ありとあらゆる富と権力が蔓延していく。
地球上のほんの一握りの人間だけに・・・

わたしも、日本に生まれたことで、この国の現在の
社会通念に晒されて、ありのままに生きるということが、
何なのか、わからなくなっていく。
「私がどうというよりも」
とI先生がいうのは、本当で、
わがままだけど、自分はどうなのかが、一番大事なのだ。

永世中立国「スイス」はわたしの憧れだ。
自然ほど、無垢で雄大で、何も言わず、そこにあり続けることを
黙して語らない存在はない。

さあ、出かけよう!







お天気は雨
昨日は、あんなにいいお天気だったのに。

昨夜のうちに、あさって提出予定の宿題読書ノートがなんとか仕上がった。
文献は、E.H.エリクソンの『幼児期と社会』(みすず書房)だ。
出題したI先生はわたしより2歳年下の1児のパパである。
「友人はエリクソンを研究していたので、人まねをしたくない私は、
今まで、見向きもしなかったんですが、エリクソンは面白いし、
素晴らしい人です。この文献を書いた当時(1950)の子どもたちに
すぐに還元されないと、孫の代の人々に捧げられた作品ですが、
それが、ちょうど、我々の世代をターゲットにしているんです。」

わたしには、それがだいたいわかった。
症例児サムが、心臓を患っている祖母をからかって突然死んでしまう。
彼をとりまく、家族関係や地域社会との因果関係のなかで、
彼の人格が育まれ、サムの病理や、症状と関連している
と、わたしなりに要約しておこう。

ここで、I先生がポイントにしたエリクソンのことばをそのまま引用しよう。
「自分を責めたところで、それは何の役にも立たない。
われわれ人間を支配するもろもろの作用の前に、もっと謙虚になること
もっと正直にそれらの作用のなかを生き抜いていく能力を身につけることである。」

「これを基に自分の体験を挙げて、意見を述べよ」というのが
もうひとつのお題。
つまり、こころのストリップをせよ!とは辛辣だが、
ここは、正直に大胆に応じたほうが、GOOD ENOUGH かな?

N中学時代に、荒れ放題のクラスの中で、ひときわ荒れていた
在日朝鮮人2世のSくんを怖がって、近づかなかったことは、
彼の境遇を知らなかったとはいえ、「村八分」だったんじゃないか。
担任の先生が、彼に必死になるあまり、他にも問題がある生徒がいたとしても
「あちらを立てれば、こちらが立たず。」で無力だったり、
自分の信念を押し通して、当時のよかれとしたお節介が、
時代の風潮が変わったときに仇になることもある。
それでも、「あの時は、悪かった。」と先生に正直に謝ってもらうことで、心が楽になった。
と、まあこんな感じに綴ってみた。

なんだか、よくわからないけど、人間っていうのは
知らず知らずのうちに、善行が悪行に摩り替っていることが
よくあるから、このご時世、本当によく気をつけて生きていこうよ
というメタ・メッセージに受け止めている。

昨日から、お気に入りのブログにアクセスするが、つながらず、
他の理由もあってわたしはイライラしていた。
イライラしているときは、それをそのままコメントするのも
気をつけないといけないな・・・とちょっと後悔する。

わたしはI先生のゼミに入れなかった。
独学で論文を書くしかない。そう言い聞かせて諦めようと努めている。
けれども、I先生のブログのなかでは、研究生の名前が列挙され、
わたしが、去年から、ひとり現場で手探りで実践してきた手法と
全くそのままの研究論文が発表されていたとわかったら?
今、失業して何の当ても目的もないのに、手の届かない高額なセミナー
の案内がされていたら?
わたしがそれを厭味と受け取っても、反応としたら正常だろう!?

だから、わたしはコメントした。
「先生のブログを見ると落ち込みます。ない袖は振れません。
ご褒美や恩恵を受けられる人はほんの一握りなんですね。」と。
すると、他のファンから
「そんなコメントをしたら、I先生のブログの更新の負の強化になってしまう。」
だから、わたしは反駁した。
「I先生が『言えるのはいいことだ』と言ったのだ。真実を勇気を持って
書いたのに、その通りにすることが先生を困らせているのなら、
本位ではないから、消去バーストすればいいんだ。わたしは、苛められたり、知らん顔されることには慣れている。
それに、こんなコメントでI先生が凹んだりするもんか!」

つまり、I先生にこんなに習いたい思いは飽和しているのに、
それはもう絶望的なのか。
我侭言ってることは本当によくわかっているのだ。

気を取り直して、夏物衣料を押入れのケースに片付けた。
もうひとつの宿題のレポートを仕上げようとしていた
午後2時過ぎ、PCの横の電話のベルがなった。
「ゆきんこさんですか?」
「はい。」
「今日は、電話相談の当番なんですけど。」
「すみません!今すぐ支度して行きます!」

昨晩までは覚えていたのに、そのことで頭がいっぱいだったので
すっかり忘れていた。
お天気は、P-カンの晴れ・はれ・ハレ 
昨日の1日中、鬱陶しかった雨から、一変して爽快だ!

早速、一昨日の「Oh!麗しのタカラジェンヌ!」には
Sちゃんからのコメントが入っていてラッキー!
とっても天気がいいので、
11時半に、母と一緒に徒歩3分の地域の小学校へ出かけた。
地域の住民区別の運動会もすっかりタケナワ。
子どもの数はそんなに少ないとも思わないが、わたしの地域は
実は熟年層やお年寄りも多い。多分、子どもの数よりも。

ここ数年、老人会や自治会に担がれてる母は、
何人かの住民の方々と挨拶をするので、わたしもつられて会釈する。

このN小学校はわたしの母校ではないが、選挙の投票とか、
うちにいながらにして、チャイムが聞こえるので、
懐かしい感じはしなくても、とても親近感がある。
隣のAさんは、わたしと同窓生で、N小に隣接するN中の出身だし、
Aさんの息子は、N小の1年生だ。

フェンスに沿って「ビオトープ」や日時計などの卒業制作も目に留まる。
日時計は随分、年季の入った木製だが、「ビオトープ」は平成14年度の作品だ。
一昨年(平成15年)の夏、この町で自然には滅多に見ることの
できなくなった蛍を飼育していると口コミで聞きつけて、
母と観察したことを思い出した。

M町のテントまでやってくると、うちにチョコチョコ来てくれる
裏のWさんや、共同で無農薬野菜を購入している仲間の
Fさんともことばを交わした。
「どれにしますか?」
Wさんが、参加記念品を勧めてくれた。
「こっちの幅が小さい、長いのにします。」
母が引換券を差し出し、わたしは、ラップを取って、ビニール袋に入れた。
「Fさん、ひとり?」
「そう。子どもたちはみんなバラバラに出かけたわ。」
「もうお子さんたち、大きいもんね。」
母は、誘われるがままに、赤いはちまきを首にかけ、入場門へと
向かった。
「あなたも出る?」
「え?わたしも??」
「参加者の条件、50歳以上なんだけど。」
「アハハ、それじゃ出られないです。」

パイプ椅子に座って、その参加者たちがゾロゾロとグラウンドに並んだ。
競技名は「パー3」
内容は、直線状にゲートボールを打ちながら走るというものだ。
ちょっとした工夫だけど、この「ちょっとした」がとてもいい。

母は、普段の老人会の諸活動では、全くゲートボールをしたことがない。
3人1組の競争で、一番身体が小さいにもかかわらず、
中央のレーンで出だしは一番だったが、ゴール前で抜かれてしまった。

それでも、競技に出れば、参加賞は同じ。
「ニコニコのり」を携えて戻ってきた。
「これ、100円かな?」
「もう少しするでしょう。」

帰りがけに、母からご近所のKさんを紹介された。
H市の公立保育所の保育士さんで、つまり、母とわたしにとっては
同業者にあたる。
母の保育所に子どもを預けに来てくださった古い知り合いだった
Kさんとわたしは、共に障害児保育のキャリアを積んでいて、
歩いていける同じ町内に住んでいて、尚且つ間接的な共通の
知り合いが何人もいながら、今日が全くの初対面だった。

「ええ!1年間で市内の保育所5箇所も廻ったの?
 わたしも障害児施設のS園には16年いたけど、
今のH保育所も5年目で2箇所なのに。」
「わたしは、今年の1月にS園にいました。でも、園長のI先生や主任の
S先生が、わたしを気に入らなかったのでしょうか。1ヶ月もしないうちに解雇と仰ったんです。他のパートさんに来てもらうからと。
今、思い出しても本当に恐ろしいです。」
「そう。H市の行政も本当に悪くなったよ。正職員でも何人も
そういう人の話、聞いてるよ。財政難だからよけいに人間関係ギクシャクしてるし、役職に就いている人間の反感を買ったら、簡単に
スポイルされてしまう。それも、いい保育士たちに限って。」
「わたし、K課長に呼び出しを受けて正直に言ったんです。
S保育所はオモチャはボロボロだし、正職員の保育士さんたちも、トイレに行く時間もないって。こんなことでいい保育はできないって。
職員である前に、『わたしは生まれながらの市民です!』と言ったら
内心はビビっていたように思ったんですけど。」
「そこが、アルバイト保育士を放り出した途端、市民になるから、
課長は警戒したでしょうね。
昔は、もっとゆったりのんびりいい保育をしていたんだけど。」
「正職員でも顔を合わせないK課長に2回も会って、
『理想の保育はよそでしてください』と念押しされたんです。
K保育所のM所長にも、『あなたのために辞めた方がいい』って・・・」
「そう。今は危機管理ばかりが声高になって保育の質が本当によくないと思うし、正職員同士でも意見が言いにくい雰囲気になってきてる。
一人一人の保育士の残務が多すぎて、保育所間の交流も稀薄になってるしね・・・」
「障害児保育も30年前は先端でも、大学と連携していないと、情報が
入ってこないから、今は随分遅れてしまっているんじゃないでしょうか。」
「そうね。今の成長の大切な時期をただ、『怪我をさせないように』
見ているだけの保育しか、していないみたいだものね。
本当の保育は、その子の大人になったときの未来のことも考えた保育
であるべきなんだけど、みんなそこまでの余裕がないのよ。」
「いろいろ大変ですけど、K先生、身体に気をつけてください。
 聞いてくださってありがとうございました。」

こんなにいいお天気だけど、わたしは、これまで渡り歩いてきた
このふるさとの保育所での、1年半の日々を振り返ると、
背筋がぞっとした。
友人のSちゃんが、「保育士に向いている」と言ってくれても、
今はどこへも行きたくなくて、前向きになることを拒んでいる
自分から抜け出せない。

昨夜から、韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」も
総合テレビで始まった。あれは、もちろん陰謀に次ぐ、陰謀、
壮絶な血で血を洗うドラマの世界だが、
わたしは、自分の世界と決して解離するとは思っていない。
わたしは、こうして生きているが、いつも人間ほど恐ろしい生き物は
なく、いつ身に降りかかってもおかしくないと思っている。
そして、昨夜読んで、仕上げられなかった宿題のエリクソンの内容と
見事にマッチしているから、余計にゾッとするのだ。







今日も雨が降ったり止んだりしている。
それも、スポーツの秋、運動会の秋だというのに・・・
午前9時半ごろ、家庭教師先のTさんから電話が入った。
「雨が降り出して、運動会は中止になりました。」
「そうですか。わざわざお電話ありがとうございました。
気をつけて帰ってくださいね。」
8月に6歳になったTくんにとっては、保育所で最後の運動会。
その晴れ舞台を見に行くと2週間前に約束していたが、残念なことに
週間天気予報は、的中した。
そして、9月30日まで勤務していたH保育所も。

金曜日の夕方から土曜日の午前にかけて、わたしは臨時に
「一人暮らし」を謳歌できる時間を持っている。
しかし、ブログを書き終えると、気だるく、眠くなって
その殆どの時間を睡眠に費やしてしまった。

もともとバイタリティやスタミナ不足の体質なので、
ひとりであろうとなかろうと
「夜は、寝るもの」と至って子どもに相応しいライフスタイルは、
この国のだんだん昼夜お構いなしのそれに抗って、
いや、というか、昔から地球上の生き物の
当たり前の生得的なバイオリズムをそのままに維持してきたまでだ。

けれども、昨年の今頃も受験勉強に専念するために、
敢えて失業していたのだが、失業という転機、つまり暇は、
いつもわたしを
「これでいいんだろうか?」
「今度はどこへ行って何をすればいいんだろうか。」
こういう哲学的な時間も実は現代人には、本当のところは
無駄なようで必要な時間だ。

わたしが夢中になっているある専門分野(特別支援教育と自閉症関連)
のサイトに毎日、目を通すのは日課になっているものの、
それを見るたび、落ち込みが激しくなる・・・

もう少し述べてみると、昨年の秋は大学院に入ること、
その先生の下でABAで論文を書くこと、それがわたしの目標だった。
目標達成に対する努力が中途半端なのだと突き放されたらそれで
おしまいだ。
それも、目標とずれたところで的外れな虚しい努力をしているのかも
しれないと気づくのはとても辛いことだ。
一昨日、旧友のSちゃんとレストランで語り合ったように。

第2志望のコースでは、同じ大学院の講堂で同じ時間帯に存在していても、いないも同然だ。
それが壁一枚を隔てた隣のクラスだったら?
それが、本当に習いたいことじゃなかったら?

でも、落ち込んでいても仕方ないから、自分ひとりでも、
お金がなくても、条件が厳しくても、誰にも見てもらえなくても、
「わたしにはいつもそばに自分がいるじゃないか」
ともっていって、凹み防止するようにしている。

必死に代償しようとする。
本を読んでみる。
ブログを見てみる。
同じことを真似してやってみる。
「なかなかイケテル」とひとりでウケル

全然違うことで気晴らしをしてみる。

逆のこともある。
これぞ、わたしのオリジナルだと知らずにやっていたことが、
実は著名な人の「○○プログラム」と銘打って猛威を振るっている。
人間ってなぜか、JAZZYな登録標章(ブランドやロゴ)に弱い。
それも、心理学的には実証済みだ。

「そうなの!!どうして離れていて会えないのに、
同じような時期にわたしと同じことしてるの!?」
「でも、一緒にはできないんだね・・・」
「真似しないでよ!」
などなど心の中で吠え出したくなる気分に襲われる夜は眠れない。

有名か無名か、この世で財を成すのか否かは、
そうした紙一重のところに潜んでいるものだ。
名乗るのに、タイミングを逸してしまうとただの凡人なのだ。
同じ事を同じように同じだけしていても。
オリンピックと同じで、優勝すれば、メダルや褒章は
1極集中、その人だけが独り占めなのだ。
考えてみれば本当にアンフェアなずるいシステムだ!

今は行動分析にはまっているわたしは、元来オカルトチックな
ユング心理学が好きだった。
そのついでに、星占いも大好きで、案外当たっていると信じていた。

地域生活情報誌今週の星占い(10月9日~15日)によると、
「発言はきっぱりと。苦しい局面でも年長者や、大人物からの引き上げも」

枕元に、そのなかなか現実に見えることの適わない人物の面影が浮かんで、なぜだか「強力脱臭剤キムコ」のような吸引力を思わせる。

雨の日に、一日じゅう家の中にいてもわたしは案外退屈しない。
することなんていくらでもあるし、
何より、活字離れした第3者からすれば、読むのがめんどくさい
こんなサイトでも、わたしにしか書けないものだから、
気がついたら2時間もかけてこれだけ書いている。

ああ、早く宿題のエリクソンの文献読まなくっちゃ!

土曜日のお気に入り番組はNHK「科学大好き土曜塾」だ。
今日のテーマは「マラソン」
短距離ランナーと比較実験しながら、
マラソンランナーは心肺機能に優れ、一回の大きな心拍で
多くの血液送りだすので、酸素供給量も多くなり、その結果、
疲労物質の乳酸も溜まりにくくなる。と解説していた。

ふ~ん。
保育士という仕事は、常に身体を動かしているため、
一般的にエイジレス(年齢不詳)なのは、それとも関連しているかも
しれない。

1位になるだけが目標では、残りの99人のゴールは無意味なのだろうか。

人生はマラソンだ。
それぞれのペースでそれぞれの目標を追い求めていく。
わたしには、わかっている。
わたしは、短距離ランナーで、途中で息切れしてその場にうずくまってしまう。
方や、「強力脱臭剤キムコ」はたまた、「超人バロム1」と崇める
その人は、マラソンランナーでいつも金メダルを取り続け、
自分もいつまでもどこまでも走り続けながら、周囲の人々までその吸引力で走らせてしまう御方なのだ。

白身魚のヒラメは砂に潜ってじっとしている。
敵が近寄ったときにさっと逃げてしまう。
赤身のプリプリした海遊魚のマグロは、悠々と地球を股にかけて泳ぐ。
赤身は酸素を効率よく取り込むミオグロビンという成分だ。

番組は「鍛えれば、鍛えるほど記録は伸びる。」
とコメントして終わった。
これぞ、ABAの真髄なのだ!

とりあえず、わたしは、
①宿題を済ませて、
②雨が上がったら、
③マグロの刺身を食べて、
④サイクリングで、
⑤スイミングに行ってみようと思う。




一昨日は、雨。
半袖1枚では、寒いから1枚薄手の上着を羽織ってちょうどいい感じだ。
気象予報士は「雨冷」だと告げていた。
昨日は爽やかな秋の快晴で、1日中とても素晴らしい余暇を過ごした。
でも、今日はまた正午前から雨が降り出した。

わたしの心模様そのままの、1日おきの秋の天気の変化は、
「変らないものなど何もない」とわかっていても、
農耕民族の末裔なのだから、元来、安定志向のわたしを
不安定にさせる。つまり、ちょっぴりメランコリック。

午前から衆議院の郵政特別委員会の質疑の模様を国会生中継で見ている。
遅い朝食を食べて、3年がかり続けてきた「特別支援教育士」養成セミナーの10日ほど放置していた、数通の封を切った。
殆どの講義を修了して油断していたところ、まだ未修得の2つの講義
と、指導実習の申し込み期限が迫っていたのだ。

封の中の諸々の情報の中に、何度も目にしている見慣れた講師の
名前を見つけた。確か、春に届いた年間スケジュールの中には
入っていなかったのに?
「今年も年末の行動面の指導は、I先生なんだ・・・」

とにかく慌てて、往復はがきに切手を貼って必要事項を記入し、
近くのポストまで傘をさして歩いていった。投函した。
もう1通のはがきは、懐かしい「お姉さん」へ。
でも、年末3連日の「指導実習」への申し込みは考えた挙句、
今回は見送った。

夢のような昨日。現実に引き戻される今日。
たまに会う懐かしい友人も、日々自分の現実のなかでもがいて
悩んでいるけれど、そこから一時解離させてくれる存在が相互作用で、リラックス&リフレッシュ効果をもたらしてくれる。

旧友のSちゃんに会ったのは、3ヶ月ぶり。
6月中旬の有給休暇に、今や友達から「セレブ」と称されている
Sちゃんと「ヴァン・ゴッホ展」を鑑賞した。
木曜日でも、マスコミの宣伝もあったせいで、かなりの人だかりに
驚いたものだ。そのとき、Sちゃんには9月の契約が切れたら、
プータロウになるから、「マンマ・ミーア」を見に行こうと
約束していたのだった。

11時に大阪駅で待ち合わせた。
所用で少し遅れて現れたSちゃんは、会うたびに髪を短くしていた。
「夏の間は、伸びてたんだけどね、偶然、ゆきちゃんに会う前に
タイムリーに美容院に行ってるみたい。」
「学生時代は、ずっと伸ばしていたでしょう?」
などなど雑談しながら、ハービスENTへと足を進める。

窓口のお姉さんにSちゃんが尋ねた。
「今日のキャンセル待ちはありませんか。」
「今日はありませんね。」
予想通り、期待はずれだった。
Sちゃんの前調べでは、11月の上旬まで予約はいっぱいと
いうことだったが、2週間後の公演に空席があるとのことで、
その場で、チケットを購入した。

「また、2週間後に会えるね。」
「さて、これからどうする?」
「天王寺のミラノ展とか、大阪ならホルストヤンセン展してるけど。」
「わたし、昨夜、思いついたんだけど、まだ宝塚歌劇を見たことが
ないの。」
「宝塚?そういえば、ファミリーランドには何度も行ったけど、
わたしも見たことないんだ。」
「プレイガイドで、今日の公演きいてみようか。」

阪急旅行社のカウンターの壁に11月公演のポスターが貼ってあった。
「『JAZZYな妖精たち』だって。」
「今は電話応対で忙しいみたいね。携帯で問い合わせてみよう。」
Sちゃんがかけてくれた。
「・・・そうですか。今日は午後1時からですね。じゃあ、今からそちらに行きます。」
時計は12時前だった。
切符を買って、阪急電車の③乗り場に快速急行宝塚行きが止まっていた。乗って10秒か20秒かで扉はタイミングよく閉まった。

「なんだか、タイミングよく乗れたね。」
宝塚沿線はわたしにとっては、それほど珍しくはなかったが、
Sちゃんにとっては、思いがけない選択の連続のようだった。

もし、わたしが「宝塚」ということばを持ち出さなかったら、
全く違う1日を過ごしていたかもしれなかったからだ。
人生の些細な1ページや一瞬にそうした
「もし、○○だったら?」という意外性がスパイスになることって
あると思うのだ。

「 他の友達から誘われたこともあったけど、そんなにのめり込んでファンってわけじゃなかった。
でも、ゆきちゃんから誘われたのも意外だったし、二人とも今日が『初めて』なのも偶然、面白いね。」
「前から、1度は見ておくべきだって母から勧められていたのを
ふと、思い出したの。母は結婚するまではこの沿線に住んでいたから。」

12時30分ごろ宝塚に到着した。徒歩で劇場まで人の波に添って移動。

おしゃれな町並みに見とれながらも、わたしは別のことを考えていた。
この町に住むある特殊教育会の著名な先生のことを。
そして、「ソリオホール」を示す看板に、10年前から
その先生の「LDに関する最新情報」を知りたくて何度か拝聴しに行ったことを。

いよいよ、お城みたいな赤茶色の屋根が印象的な宝塚歌劇に着いて
チケットを買うときには、そんなことは、すっかり忘れていた。
ついでに、お金を払ってチケットを受け取るのも忘れて、Sちゃんに
フォローしてもらう始末だ。

「とにかくなんだか、ロスタイムなしに、ここまで順調にきちゃったね。」
公演時刻まであと20分。劇場内のカフェテリアで軽食を摂って
腹ごしらえして、いよいよ指定座席へと向かった。
ピンク色の絨毯に敷き詰められた劇場は、見るからにゴージャスで
これぞ、タカラヅカというムードを醸し出している。
売店に並ぶものも梅田のショッピングモールなどで卑近に目にする
商品とちょっと違っている。なんとなく高級なブランドとか
フリフリのいわゆる「セレブ」な皆様向けのものが陳列されていた。
そういうオプションをゆっくり物色している暇もなく、
着席して3分もしないうちに午後1時のブザーが鳴って、会場は暗転した。
いよいよ、タカラジェンヌのお出ましだ。

ブラスバンドで汗を流していたわたしには、ステージ前方のオケピット
に潜む、生演奏音響も印象的だ。

前半2時間半は、ミュージカルファンタジー
『JAZZYな妖精たち』
JAZZYって単語がわからなくて、辞書を引いてみた。
①ジャズ風の
②興奮した、威勢のいい、けばけばしい
なるほど。
ストーリーは、これから見たい人のために割愛するが、
Sちゃんとわたしは、それぞれの第1印象で
「なぜ、女性たちはタカラジェンヌにはまるのか?」の
謎が解けて、自分たちもはまるであろうと納得したのだった。

男装の麗人は、本物の男性以上に美しい。
女性役の女優もミスターレディと比べるに及ばず、
巷の女性たちより、可憐で気品に満ち溢れている。
綺麗なのは容姿だけでなく、歌声だ。
寸分たがわぬダンスの絶妙さ。次々と出てくる出てくる
煌びやかな色とりどりの衣装のオンパレード、正にドロドロした現実とは夢の別世界!!
今回は純白の衣装がひときわ映えている気がした。

恐らく、ブラウン管の中の芸能界よりも厳選された、
類稀な美貌と舞踏と演劇、歌唱の芸術的センスを兼ね備えた
女性の中の女性たちの舞台が、これまでの他の演芸とは、
一線を画しているのは言うまでもない。

あとからパンフレットで気がついたのだが、
この「JAZZYな妖精たち」は、平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭
参加作品だとか。
ふ~ん、確か先週の日曜日の深夜NHK「アーカイブス」で、そのグランプリ受賞作品のドキュメンタリー「わたしは日本のスパイだった」を
見ていたので、「ふ~ん、そうなのかぁ・・・」と妙に納得する。

というのは、舞台にチョイチョイ出てくる妖精たちというのは、自然をモチーフにしていたし、
主人公のパトリックは、選挙に出馬する下院議員候補という設定。

「メタ・メッセージは、愛・地球博と選挙で、なんとなく今日的な
課題が入ってるみたいだね。」とSちゃんに言った。

終演は4時15分。3時間あまり、どっぷりとタカラヅカに浸った
我々は多くの観客とは分かれて、最寄のガーデンフィールズへと向かった。幕間にSちゃんが、入場チケットで、そこにも無料で入れることに
気がついたからだ。

本日の観客で気づいた人がいただろうか?
それとも、もう夕方だから知っていてもそのまま帰ったのだろうか?
劇場の裏側は、元遊園地。カルーセルや階段など、部分的な名残を
残して、跡地にはモデルルーム展示場とドッグランなどに
リニューアルされていた。

ぶらぶら散歩の風情で、ドッグランで戯れるいろんな犬種のワンちゃんたちの様子も雑談のネタになる。
犬を飼っているSちゃんによれば、犬社会にも社交家と内気な犬とか
いろいろキャラクターがあるらしい。
大きな黒い犬が、興味津々に小さいパピヨンに近寄っていくのだが、
柵の角に追い詰められたパピヨンちゃんは、怖くてたまらず、
ついに吠えていた。
「いやがってるのに、わかんないんだね。」
「人間の世界も同じようなことがあるよね。」
「犬の話を聞いてたら、主語がわからないと、子どもとか障害児と
似てるな~っていつも思っちゃう。」
「犬もいろいろだけど、躾は飼い主によるところが大きいよ。」
「人間もおんなじだね。」
わたしは、読みかけの文庫本『幼児期』のしつけの章を思い浮かべた。
 
英国風のガーデンフィールズもSちゃんとわたしの新発見で、
おまけに誰もお客さんがいなかったから、おしゃべりしながら
清閑な時空間をたっぷり満喫することができた。

そして、イタリアン・レストランでディナー。
6時前に入ったころは、肌寒くなってきたものの外はまだ明るかった。
少しずつ暗闇がレストランを包み、日没すると大きなガラス張りの
白い建物の中は、証明で夜のとばりと対照に浮き立って丸見えになった。

「お互い悩みはあるんだけど、好きなことして、こんなに楽しい
ひとときを過ごせるなんて、幸せなんだよね。」
「今、やっていることに将来、期待通りの結果があるのか、
もしそうでなかったら、絶望的な気分になるかもしれない。
でも、どんな結果にしても、先のことなんてあまり考えすぎないで、
今できることを自分の気がすむようにしておきたいの。諦めるって
簡単なことじゃない。」

「それに、あの時しておいたらと一度諦めたことでも、やっぱり
諦めきれなかったことは、先送りしてもやりたいんだって気がついた。
初めて聞いたI先生の『好きならできる!』
『お気軽にぼくの大学院を受験してください』のあの一言がなかったら、今のわたしはないんだもの。」
「ゆきちゃんって本当に勉強が好きなんだね。それに、その先生の一言が相当、インパクトがあったんだね。同じ会場にいた人は他にたくさんいても、気にしない人の方が多いでしょう。
学部のころはクラブが違ったし、いつもブラスバンド部で忙しそうだったのに、教職課程もたくさん履修してたもんね。」
「同じ科目を一緒に履修してたから、今もこうして付き合えるなんて
学生時代は、お互い思ってもみなかったのにね。」

すっかり日が暮れた午後8時前、Sちゃんとわたしは、席を立って
帰路に着いた。
人はどんどん変わっていく。
でも、変ってほしくないこともある。
わたしは、いつも心優しいなんでもお互いのことを打ち明けられる
Sちゃんが好きで、変わらず友達でいてくれる人に感謝したいと
思う。

好きなことがあるのは幸せだ。
その数は多ければ多いほど幸せだ。
好きな人がいるのは幸せだ。
好きな人や仲間が多いとやっぱり幸せかな?
好きな人に好かれることは、もっと幸せだ。
好きな人と好きなことが同じだと、もっともっと幸せだ。

それは、自分で突き詰めたけど、発見したのは、
スキナーという偉大な心理学者だった。

わたしはこの日記をSちゃんに捧げたいと思う。

正午あたりから、雨が降ってきた。
只今、国会中継を視聴中。麻生氏が答弁している。

昨晩から夜の大学院の後期授業が始まった。
隣のコースは例年人気で、沢山の受講生で
初回のオリエンテーションからざわざわと賑わっていたが、
去年第1志望だったこのコースには不合格で、第2志望の
わたしの所属するコースは、受講生が若干名とこじんまりしている。

結果として、わたしにとってこちらのコースが相応しかったと
今は満足している。

6時限目のN先生の講義のテーマは
Creative Arts
幼児の表現について実践していくオリエンテーションが
終わって、東大の佐藤学先生が監修したビデオを鑑賞した。
イタリア北部の人口14万人の都市
レッジョ・エミリア市の幼児学校の実態ビデオだ。
レッジョ・エミリア市は、第2次世界大戦以後、1945年の
市民のレジスタンス運動が激しかった地域だそうだ。
1963年ローリス・マラビッチによってイタリアで初めて幼児学校が
設立され、イタリア全土に広まっていった。
マラビッチは、ピアジェ、ヴィゴツキー、デューイ、フレーベル、
ブルーナーなどの志を継いで、集大成した独自の指導法を編み出している。

映像が進むにつれ、わたしは2歳年下の従姉のことを思い出した。
学生時代イタリア・アートを専攻していたのだが、
社会人になって、複数の職種を経験した後、
心機一転、2003年の夏、彼女はイタリアで本格的に
アートと語学のために留学した。以来、音沙汰はない。

また、レッジョエミリアという地域性にも魅力を感じた。
公共施設は、民主主義が健全に育まれた町ならば、
必ず、民意が随所に反映されているはずだ。
わたしの住む街も、実は60年前戦前戦中は火薬庫で埋め尽くされていた。
戦後は、平和宣言都市として生まれ変わり、市民運動も一時は
盛んだったのだが、大人になった今、軽犯罪が絶えず
再び火薬庫のあった周辺の住宅地には、「痴漢に注意!」などの
掲示が張り出されて、なんとなくきな臭いムードになってきた
気がする。

映像を通してでも日本の幼稚園とは雲泥の違いだ!
まるで、ちょっとした遊園地。
屋内の中央にピアッツァという公共空間がある。
広い保育室の隣には、贅沢にも2つのアトリエが備えられている。
明るいアトリエと暗いアトリエだ。
なかでも、暗いアトリエは、光のアートを体感するためのものだそうだ。

数え切れない貝殻や石、砂、自然の素材を箱詰めにした大きな倉庫。
ネジやプラスティックの廃材もリサイクルセンターから取り寄せて
教材にする。
イーゼルを立てて作品を描く生き生きとした子どもの姿は
小さなマエストロだ。
「オレンジの香り」を色にしたり、鍵盤で音に表現する。
パソコンを使ったり、プロジェクトを組んで、共同制作するのも斬新だ。色彩感覚が固定されておらず、カラフルで自由な感じが伝わってくる。

わたしは、4月から7月まで前期授業で
「人類と科学技術」という自分らしくない科目を履修していたのだが、専門の幼児教育と一見関連のないこの科目が気分転換で、もっとも楽しかった。
4人の教官のうち、最後のY先生には、毎回メールをいただいて
「どのような分野においても、新たな発想と創造力を育む
エンジニア・スピリットが今後の教育に重要です。」と
締めくくっておられたことが、印象に残っていた。
このビデオのなかに、その答えはまるごと入っているとハッとした。

そして、親と教育者の連携もしっかりしていて、会議では3時間の
議論に及ぶほど教育熱心な自治体でもあるそうだ。

日本が教育熱心でないとは到底思わない。
歴然とした違いは、そのプロセスや時空間を楽しんでしているのか
どうかが重要だと思った。
N先生も「理屈でないセンスとやわらかく素材とかかわること」と
締めくくっていた。

N先生に依頼された調査研究のアンケートに記入して、
なんとか読みきった2冊の本を返却しようと、廊下を出ると
7時限目を担当するT先生がソファにかけて待っておられた。
「先生、こんばんは。ご無沙汰していました。」
「ゆきんこさん、前期のレポートよく調べて書きましたね。
一生懸命勉強したのがよくわかったよ。」
「本当ですか?そんなにほめていただけるなんて嬉しいです。
ありがとうございます。」

T先生は気さくに一人一人に夏休みの近況を尋ねた。
アットホームな講義を受けられるのは受講生がたったの
6人とこじんまりしているから、贅沢なことだと思う。

本の読み方や、文章を執筆するコツなどを雑談のなかに
さらりと語ってくださる。
「本は杓子定規に初めから終わりまで読む必要はない。
木を見て森を見ず、という諺があるでしょう?
日頃から、気になること、おかしいと思うこと、知りたいことについて
課題意識を持っておくことが大切です。」

さて、授業のオリエンテーションと共に、
各受講生が担当して発表する内容と順番を決めた。
「それじゃあ、最初はゆきんこさんからお願いしますね。
幼稚園指導要領と保育所指針持っていますね?」
「はい。」
わたしは、返事には躊躇わなかったが、つい2週間ほど前に
母が書棚からその「保育所指針」を取り出してわたしに問いかけて
いたシーンを思い出した。




ここで、国会の質疑で「障害者自立支援法案」がオンエアされて、
耳がダンボになったわたし・・・
休日には、日ごろの肉体労働後の1週間の疲れがどっと
出て、布団の中で寝返りを打つときにはかなりの腰痛で
「いたたたた・・・」と言ってしまう。

昨日はブログをさぼってしまった。
今日の夕方までに返却予定の書籍を読みきってしまいたいと思ったからだ。
乳児の対人世界 臨床編 D.N.スターン著 岩崎学術出版社」

臨床でかかわった母子相互作用における乳児の成長発達に及ぼす
影響の功罪を精神分析的視点からさまざまな臨床家の所見を交えて
かかれたものだ。
7月の終わりに借りて、期限ギリギリまで読めずにいた。
こういう本を読むときは、なるべく自分の実体験と照合させながら
読みたいと努めるのだが、なかなか難しい。
一番難しいのは、現場の当事者同士でそこまで突っ込んだ
議論はできないと常に感じていた。
現場の上司たちにとって頭でっかちで目ざわりな私は
「理論なんて、現場では何の役にも立ちません。」と
取り合ってくれなかったからだ。この自治体に於いても。

午後から夕方にかけて、うたた寝してしまったのと、
日曜の夜は、土曜日よりも気に入ったTV番組が多いので、
結局、書き込む時間を逃がしてしまった。

NHKアニメ「雪の女王」では、マッチ売りの少女に涙し、
80周年記念ドラマ「ハルとナツ」の別れのシーンにまた涙
・・・と9月30日にも3回も泣いたのに、多分わたしは、
ちょっとした可愛そうなシーンに涙もろくなっているらしい。
 
先週まで、平日の起床時間は6時だった。
お弁当を作って、朝食を食べて、朝の身支度をして
8時過ぎに家を出ていた。

10月の週明けの今朝は、いつもの出勤時間を過ぎて起床した。
出かけるところのなくなったお父さんほど、虚しさに襲われることも
なく、平然としている自分がある。
今回で契約が切れて失業するのは実に4回目だ。

のほほんと8時半にふとんを出て、いつも通りの一連の朝の行動様式を終えると
10時半に市の子育て支援室に出向いた。
入り口の外側で気だるそうに喫煙する女性の前を通過すると、
ガラス戸に「禁煙」を表示したポスターが貼られている。

「おはようございます。契約期間が終わりましたので、
保険証をお返しに来ました。」
窓口担当のK氏が恭しく対応してくれた。
「先日、提出された書類は、あれで差し支えなかったでしょうか。」
「はい。あの時はありがとうございました。」
「それでは、離職票の必要箇所に印鑑をお願いします。
わたしは、それに応じた。
「以前は、こちらの離職理由と、あなたの御意志との食い違いが
ありましたが、今回は契約期間満了で一致させていただいて
よろしいでしょうか。」
「はい。結構です。いつごろ発行していただけますか?」
「2週間後になります。職員課から郵送させていただきます。」
「よろしくお願いします。お世話になりました。」
わたしは笑顔で会釈した。

わたしは口にできないK氏の思いを慮っていた。
子育て支援室に回される男性職員は、きっと「窓際族」なのだ。
市職員もいつ、誰がリストラの対象になるかわからない。
わたしは、去年から今年にかけてこのカウンター越しに
数回も顔を合わせていた。契約を結ぶときは、事務的なことばの裏に
特に感情を交えることはなくても、
解消するときは複雑になるだろう。
少なくとも、他人事とは考えない心ある人ならば・・・

自転車で、駅を隔てた向こう側に立つ総合福祉会館へ移動した。
4階の福祉図書コーナーに入った。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
スタッフの男性と挨拶した。
「お元気ですか?」
「はい、元気です。」
「今日は、本を読みに来ました。」
「そうですか。」
彼の口調は卒がなく、穏やかだ。
ぼんやりとPCの前に座した彼の風貌にわたしは何となく
気持ちが軽くなる。

ソファに腰掛けて、約1時間読書。
いつきても、がらんとしていてとても落ち着く空間だ。
市立図書館よりもはるかに空いているのもいいので、
ここはわたしのお気に入りの穴場だ。

先ほどことばを交わした受付のUさんは、中学時代のクラブの後輩にあたる。
失業中の今年3月の中ごろ、彼は当時のわたしを憶えていて
声をかけてくれたのだ。
わたしはというと、ちっとも憶えていなかった。

わたしは鞄から黄色い表紙の
「はじめての応用行動分析」
(P.A.アルバート/A.C.トルートマン ニ弊社2004)を取り出した。
このごろのわたしは精神分析よりは、行動分析の方が、
ずっと素直に理解しやすい脳みそに変容してきたように思う。
でも、まだまだひとりよがりだ。
結局、スーパーバイズを受けながら、洗練されていくことが
大切だと本のなかにもあったので、監視フォビアになりつつある
わたしの最大の苦しい難関には違いなかった。

どうしよう・・・明日から講義が始まる。
仕事もなくなったけど、殆どのABA(応用行動分析)の著作は
かじり読みに過ぎない。

ただでさえ、記憶が曖昧になりそうな上に、
この2冊の心理学関連の名著は、水と油くらい違うスタンスで
書かれたものを同時に読むだなんて、頭の中でまとまらないよ。

さて、学校に出かける前にもう少し読んでおこう。

今日から10月。
今日を迎えるための砂時計のような一日、一刻を
過ごしていたように思える。

昨日の今日の、月の節目は、わたしにはっきりと
「ターニングポイント」を告げていた。

昨日の朝、H保育所のロッカーを開けると、
所長からのプレゼントが入っていた。
「T先生、こんなことしていただいては困ります。」
「気持ちですから。まあ、・・・今後は他の仕事を探した
方がいいでしょうね。」
「今日一日、よろしくお願いします。」

朝礼では、8月中入っていた乳児室に休暇のI先生の代わりに配属された。
「今日でゆきんこ先生が最後になります。ひとことご挨拶をどうぞ。」
「3ヶ月間お世話になりました。事故のことではみなさんにご心痛を
おかけしたことを改めてお詫びいたします。また特に、所長のT先生には
いろいろとご配慮いただき本当に感謝しています。個人的には
わたしは、近くのK病院で生まれたこともあってこちらで過ごさせて
もらったことは、本当にいい思い出になりました。
ありがとうございました。」

9月の事故以来、3~4回は臨時に入室を指示されていたものの、
必ず管理職の目付けから逃れられずにいたが、
今日は隣のクラスの正職員が研修で抜けていて、
主任も遅出だったので、この3週間あまりの乳児室の物々しい
雰囲気は幾分和らいでいた。代わりにT所長がいつものように
とどめのことばを放った。
「ゆきんこ先生、十分気をつけてくださいね。」

乳児室に1週間ぶりに顔を出したわたしに、
8ヶ月のりんちゃんがニジニジとハイハイで寄ってきた。
わたしに辿り着き、ぎゅっと手指でわたしの腕を掴むと
「アア~」と声を出して目を大きく見開いて笑った。
おまけに涎つき。
その愛らしい姿にわたしも涎が出そうになった。

1ヶ月前には、彼の顔の識別の力はもっと
ぼんやりとしていて、毎日顔を合わさない間接的な顔には、
じーっと真顔で覗き込んでいたが、家族や親しい人に
対するリンちゃんの満面の笑みは、健常の発達を遂げている紛れもない証だった。

早速、リンちゃんを抱えてオムツ交換に、
朝の睡眠タイムで彼を乗せるとゴロゴロと乳母車を
押したり引いたりする。

朝おやつが終わって、園庭に、自分の身長よりも大きな
1.7メートル長方の薄い板を運び出し、運動会の練習。
わたしは代理で、レギュラーのアルバイトのI先生の役割を
請け負った。
リンちゃんを乳母車に乗せて園庭の中央に引っ張り出す。
本当はマーくんの乗った車も同時に両手で引っ張るはずだったが、
「わたしがこちらを引きましょう。」
T所長が駆けつけ、助け船を出してくれた。

リンちゃん、マーくんをマットに座らせて待機する。
乳児室の『学級委員長』紅1点の14ヶ月のYちゃんは
意気揚々とバーつき車を押して歩いていく。
足取りもしっかりと低い板の山を登ったり滑ったりを
楽しんでいた。
「いつものようすがわからないけど、今日の練習どうだった?」
「いつもは、誰かが泣いてるよ。今日は3人休みだけど、
落ち着いていてよかった。」

赤ちゃんたちはぶどうの木陰の砂場に移動。
その間に、道具を一式元通りに片付ける。
保育士の仕事は正に体力勝負の力仕事、つまり言い換えれば3Kだ。
保育士の中でも華奢なわたしだが、体育道具よりも軽くても
命ある子どもを手を滑らせて落とすわけにはいかない。

片付け終わったら、今度は赤ちゃんたちをひとりずつ
抱っこして砂場から、対角の乳児室へと運んでいく。

3人連れ戻した時点で、リンちゃんとYくんの食事の介助を任された。
「う~ん。もぐもぐおいしいね。」
初めてこの乳児室に入り、ごはんをあげたのもリンちゃんだった。
3ヶ月前の彼は、まだ自分でお座りもできなかった。
今日は、テーブルの前に座り、以前使っていたトッターに
小さい7ヶ月なるYくんが座る。

スプーンにのせたにんじんを見せてあげると、リンちゃんは
すっと右手で鷲掴みにして、口に運んだ。
Yくんも口のなかが空っぽになるとグズグズと泣く。
「わかったわかった。もっとたべたい!」
とスプーンを口に運ぶと、Yくんはもぐもぐと微細に口を動かす。

14ヶ月のYちゃんは保育士がテーブルを出すと、
いそいそと手洗い場に向かって、「アアア」と蛇口に手を出し、
保育士が来るのを待つようになった。
「はいはい。今お水出すね。」

先月は、この動きはあべこべで、
わたしが手洗い場で「おてて洗うよ、おいで。」
と声かけすると、Yちゃんは1ヶ月早く生まれたSくんの
後についてフラフラとバランスをとりながらも、
Yちゃんは「手を洗う」というお楽しみのために懸命に
歩いて手洗い場に辿り着いたのだった。

どういうわけか、Yちゃんもわたしのそばに寄って来て
自分から抱かれると嬉しそうにしていた。
こういう瞬間は、わたしはYちゃんの実母でもないのに、
心から可愛い~!!と思う脳内物質が流れていると感じる。
私自身は、彼女のように素直に甘えることは苦手なような
気がして、生まれてきたばかりの赤ちゃんひとりひとりの
仕草、初体験を身体全体で感じることの素晴らしさを
学ばせてもらっていたように思う。

Yちゃんは、姉御肌みたいで、自分より月齢の低いYくんの
頭をなでなでする。わたしは代弁した。
「Yくん、いいこいいこねぇ。」
13ヶ月のデリケートなTくんは、管理職が介入して、
ことばをかけると泣いて、なかなか気持ちを切り替えて泣き止まない。
そんなTくんだが、スヌーピーのぬいぐるみを「いいこいいこ」と
なでなでしたり、わたしがぬいぐるみを持って彼のお腹に
顔をうずめて「すきすきすき~!」と揺さぶるとくすぐったそうに
笑う。

反対に、21歳の母を持つ12ヶ月のマーくんは、
保育士の手を離れた隙の自由な時間になると、
ハイハイで自分よりも小さい赤ちゃんに近寄っていっては、
髪の毛を引っ張ったり、噛み付いたりしている。
その度に、保育士は、相手か、マーくんを遠ざけて、
マーくんに「噛んじゃダメ!メンメ!!」と叱ることが
1日のうちに何度となく増えてきた。
最終的には、彼はベッドの柵の向こうに「タイムアウト」に
処せられてしまう。

わたしは、お世話をしながらひとりひとりの赤ちゃんたちに呟いた。
「わたしのこと憶えていてね、っていっても無理か、ハハハ」

昼休みには、休憩室でわたしがお礼の印に持参したカステラと
和菓子を職員に食べてもらったが、所長を初め、何人かの
保育士たちにウケたのが、とろろ昆布でコーティングした
餡餅だった。

休憩室を出ると、主任から指示があり、雑用を頼まれた。
2時になると、職員室には地域の民生委員や児童委員が集まって
会議が開かれた。衝立の向こうから漏れ聞こえる会話は
「主訴は、子どもの発達の遅れと母親の育児不安です。」
「子どもよりも、お母さんの育児下手、育児ノイローゼが
この頃増えているようです。」
「障害児もよくこれだけ揃ってリストアップされたものですね。」


夕方4時には、乳児室から出火という想定で、避難訓練があった。
因果なことに、担任のS先生が
「ゆきんこせんせい、Yくんを抱いて逃げてください。」
と指示したから、サイレンが鳴る前に、他の赤ちゃんたちと早めに
園庭に出たのだが、そこでも、管理職の監視に晒されるのは
当然だった。

5時に主任の声かけで、少し気温の下がった園庭に再び出た。
3歳から6歳までの子どもたちが50人ほど勢ぞろいした。
子どもの前でも声が上ずって震えてしまう。
それほど、プレゼンテーションも下手糞なわたしを
一体どの同業者が「保育士」だと認めるだろう。
「みんなと一緒にけむしをとったり、どろだんごを作って
とっても楽しかったよ。
仲良くしてくれてありがとう。みんな運動会がんばってください。
それから、からだにきをつけて、怪我や病気をしないように、
先生たちのお話をよく聞いてくださいね。」
「はい!」
何人かの子どもたちの返事がバラバラと返ってきた。
「あ、はいっていいお返事がかえってきた!ありがとう。」
「それじゃあ、みんなは『ガンバリマン』の歌を歌って
プレゼントしようね。」
みんなが一生懸命に歌ってくれるのが感動的でまた泣いてしまう。

挨拶が終わると、5歳クラスの女の子たちを中心に
わたしにハグで別れを惜しんでくれた。
その中には不思議と、皆無に近いほど会話も遊びもしなかった
Aちゃんもいた。
「Aちゃん、どうもありがとう。」
3歳クラスの子どもたちは花束のなかを覗き込む。
「このお花なあに?」
「薔薇だよ。」
「こっちは?」
「カーネーション、ママにプレゼントするお花だね。」
「ちょっと持ってもいい?」
「いいよ。写真とってあげる。」
すると、周辺の子どもたち10人ほどが集まってきた。
「待って。写真取る人、順番に並んで。」

5時15分に乳児室を出て、わたしは身支度や、荷物の整理をして
30分後に全体懇談会が始まるのを待った。

10日ほど前に懇談会の案内をしていたが、出席した保護者は
15~6人だった。内訳は、乳児や障害児の母親だ。
所長が、事故の経過と瞬時の対応、今後2度と同じ事故が起こらないようにするための万全を期した対策について説明した。
わたしの名が挙げられて、経過を淡々と語るシナリオがまた
映像化されて再現される。涙が滲んできて、今度はなかなか
止まらなかった。
質疑応答もなく、懇談会は20分以内に終わった。
すっかり日が暮れた園舎の1室1室を廻って、職員に最後の挨拶を
する。
Yくんを抱っこしたお母さんにも
「今日で最後になりました。改めてお詫び申し上げます。
お父さんにもよろしくお伝えください。」
「せんせい。もうそんなに気にしなくていいよ。Yは元気にしてるんだから。」

「お世話になりました。身体に気をつけてください。」
一人一人に挨拶したが、その反応もまちまちだった。
3ヶ月間この保育所のお荷物だったわたしに対して
内心はやれやれと思う保育士も数人いるのは知っていた。
所長にも挨拶した。
「うん。わたしもいい勉強をしました。仕事はきっと
見つかりますよ。」
「はい。ありがとうございました。」

いよいよ、門を出て今晩、最後の目的地に向かった。
自転車を市街地に停めて、プラットホームで乳児室のI先生と落ち合った。
電車で3駅向こう側のニュータウンで下車し、ある料理屋で待ち合わせた。
10分ほど経って、小走りで担任のS先生もやってきた。
運動会1週間前にもかかわらず、わたしを気遣って、
送別会を開いてくれた。
「わたしのせいで、先生たちにも辛い思いをさせたうえに、
こんなことしてもらって、申し訳ないよ。」
「いいの。事故のことは抜きにしても、ごはん食べに行こうって
言ってたし、運動会を待ってから辞めた先生をわざわざ誘うのも
どうかなと思ったから、ちょっと早まっただけよ。」
私より2歳年下の2歳の男の子の母でもあるS先生も、
幹部のわたしの処遇に諸々の思いを抱いてくれていた。

「旦那とも話したのよ。もしうちの子がそうだったらってね。
旦那は、無事だったらよかったなでそれでいいじゃないかって
言ったよ。」
「わたしの主人も息子を自転車から落としたことがありました。
でも、元気で成人しましたから。」
「今朝も所長に言われたわ。やっぱり仕事を探しなおした方がいいって。去年も失業したとき、職業カウンセリングのテストを受けて、
適職は別の職種を言われたから、ゆっくり考え直そうと思うの。」
「いったい何?」
「何だと思う?」
「看護婦?」
「ううん、図書館の司書」
「ああ!!向いてるよ、絶対!」
「やっぱり・・・・」
でも、子育てを終えた年配のI先生がこう言ってくれた。
「うちのクラスの赤ちゃんたちは人見知りがひどくて、
もっと長い時間接している非常勤の保育士さんたちにも
未だに泣くのに、ゆきんこさんが初めてきた日から誰も
泣かなかったじゃありませんか。子どもに好かれているあなたは
それにもっと自信を持ってもいいですよ。今回はいろんなことが
重なっただけで、本当にやりたいのだったら、この町で
できなくても、他の町でもできますよ。」
「ありがとうございます。そういっていただけて、どんなに
励みになるでしょう。」
「私は、去年まで、幼稚園で用務員の仕事をしていましたけど、
赤ちゃんをお世話するのと同じようにお花を植えたり、育てたりするのも楽しかったし、それを見ていた子どもたちも、わたしと過ごしたことが一番楽しかったと言ってくれて、担任の先生ががっかりしていたんです。」
4人は一斉に笑った。

「そういえば、H保育所ではわたしはそんな感じでした。
毎日、今までにない、いろんな初体験もさせてもらいました。」

舌鼓を打ちながら保育や職場の人間関係、恋愛に結婚観の話にまで及んで、10時半に終わった。
「ゆきんこさん、メールアドレスを教えて。またいつか会いましょう」
「本当にありがとうS先生、今まで何人かのクラス担任と組んできたけど、そんなふうに言ってもらったのは、先生が最初で最後かな。」

11時を廻って帰宅してメールを確認したら、4月から6月の3ヶ月を過ごしたK保育所の同僚だったTさんからメールが入っていた。
彼女は、わたしが9月末日で契約を終えることを憶えてくれていた上に、
10月1日は、運動会だとも書いてあった。











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