ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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一人暮らしの2日目
といっても、パラサイトで、3度目のモラトリアムの
わたしは、実のところ、一人暮らしの経験はない。
ただの一度も。

正午過ぎに、昨日の予定通り、スーパーペリカン便の
PCを引き取りにパソコンポの係員がタイミングよくやってきた。

身支度をして自転車で目的地へ向かう途中、可愛らしい若い女性が、
正面から自転車で軽く会釈し、わたしも同調行動する。
すれちがって、振り向き、ブレーキをかけた。
「ごめんなさい。どなたでしたっけ?Mさん?」
「いえ、Nです。」
1秒くらいまだピンとこなくて、
「あ!N先生のお嬢さんですか?」

知らなかった。徒歩1分の行きつけのクリニックの受付の
女性が、まさか、N医師のご令嬢だったなんて。

それから、母の友人から譲り受けたチケットをゲットして
開演時間の2時ちょうどに、市民会館大ホールの指定席に着席した。
友の会のはんこつきの指定席はなんと前から5列目の最も
見ごたえのある場所だ。

着席するなり、茂山千三郎が、中央に正座して、
「狂言の話」が始まった。
幼児から、中高生、女学生に、成人まで、幅広い客層の
狂言に対する反応や狂言の歴史などについて話した。
想像力は、幼児期の子どもたちがもっとも豊かで、
例えば、柿をもぎとって食べる演技ひとつも、
「そこはもうとった。」などどクレームがくるので、
狂言師のほうも手を抜けないとか、
女学生の場合は、狂言師の摺り足の様子が、妙に受けてしまうとか。

演目「萩大名」のあとに、15分間の休憩時間を挟んで、
2番目の演目は教科書で有名な「附子」(ぶす)
主役の太郎冠者は、十三世茂山千五郎の次男、若手狂言師だ。
父、千五郎が主人の役で親子共演と
「あおげあおげ」「あおぐぞあおぐぞ」の掛け合いも
単純に楽しかった。

最後の演目「梟」(ふくろう)も梟に取り付かれた弟を
祈祷で治そうとするが、結局、兄も弟も祈祷師までもが
梟にとり憑かれてしまい、そのジェスチャーがコミカルだった。

言わば、南北朝末期に登場した、能と狂言は、
能が悲観的なら、狂言は昔のコメディーそのものだ。
「面々に楽しゅうなること、めでたけれ。」
役者が去ったあとに、後見という係りが道具を片付ける前に、
そう言って、舞台袖へ降りた。因みに井口竜也という若い男性だ。

直系の男児でない門下の弟子は、こうした下積みからトレーニングを
積むのだな・・・・とついつい板についてない
ABA的観点から、眺めてしまう。
どんな微々たる変化にもいち早く気づく、という自負心を
持ちつづけていなければ、この業界で本当のプロとして食っていけない。

というか、はっきり言って、出遅れ、出直しのわたしにとってもう後はないのだ。

美容師のSさんも来てくれて、終演後に、近くのスターバックスカフェでコーヒーブレイクを楽しんだ。
午後4時すぎのスタバは、満席だ。Sさんは初めてスタバに入り、
わたしは、初めて「マカロン」を食べてみた。カラメルみたいな
歯触りが、印象的な甘いお菓子だ。

眠くなってきた。

明日はいよいよ発表なんだけど、狂言を鑑賞したら、
もう夕方で全く準備ができていない。
大丈夫かな?
ケセラセラ、明日は明日の風が吹く。
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今日もあっという間の一日だった。

母上は、今日から2泊3日で中学時代のバレーボール部の仲間と
淡路島方面へ旅行へ出かけた。

今朝、10時きっかりにSONYの修理担当に電話すると、
ラッキーなことにすぐに通じて、翌日宅配便で壊れたPCを
引き取って点検してくれることになった。ホッ

PCを2002年の3月2日に購入したパッケージに元通りに詰めて
付属の修理カルテを書き込み、梱包すると、
今度は道路を隔てた隣町の行きつけの美容室へ向かった。

人間、正直なもので、気の合う人同士は会話が弾む。
見るからに癒し系の聞き上手なSさんが気に入って、
この10年くらい入り浸って、何かのイベントの度に髪の手入れとともに
人生相談にも乗ってもらってきた。
わたしは、セルフセラピーカードと、美山町から調達してきた
諸々のパンフレット、そして追加でカーペンターズのクリスマス
キャロルのCDも持っていそいそと出かけた。

鏡の前に座ったら、週刊誌に目もくれず、ヘアーサロンは独壇上に
化してしまう。
もちろん、聴講生(美容師のSさん)が、わたしを優しく癒しながら、
上手に聞いてくれるから、わたしもどんどん饒舌になり、
近況を話してしまうのだ。

「先週、京都の美山に行ってきてね。もうすごくよかった!
2日目は、同窓生S先生の紹介で先生のお友達が北方面の茅葺美観地区で、
この7月に再オープンしたばかりの穴場の民宿にたった一人で
泊まったのよ。茅葺家屋は、今のご主人の中野さんの曽祖父が
大工さんで、子々孫々のことも考えて丹念に作った築120年の
由緒ある民家なの。囲炉裏もあって、豆炭で暖まりながら、
昨今の教育論を闘わせてとても楽しかったし、あとから思い返すと、
たった一人で泊まらせてもらえるなんて贅沢極まりないよね。

今のご主人は、もともと知り合いのS先生の同僚で、現役の教師時代は
山村留学にも貢献されたのだけど、
お父さんが亡くなられて、後を継ぐことになったんだって。
お母さんの手作りの地鶏なべや、山で取れた葉をブレンドした
オリジナル薬草茶もいい香りで、おいしかったよ。
それで、おばあちゃんに作り方を教えてほしいとお願いしたら、
分けてくださったの。それで、Sさんにも少しお裾分け。」
「ありがとう。いい香りね。」
「よかったら、Sさんもご家族で訪ねてみてください。
迷惑でなければ、こちらのお客さんにも紹介してもらえない?」
「いいわよ。」

わたしは、民宿久やさんの小さなチラシを数枚渡した。

久やさんとの約束で、このブログで民宿のアピールをさせてもらおう。

まさにアットホームなふるさと体験をしたい人、
懐かしい郷愁に浸って癒されたい人に、お奨め!!
これからちょっと寒くなるけど、囲炉裏端で、
おばあちゃんのおそのさんの話を聞きに行ってみてはいかがでしょうか?


問い合わせはこちら

〒601-0712京都府 北桑田郡 美山町北
TEL 0771-77-0550
民宿 久や(中野家)


友人のOちゃん、わたしの母の友人にも宣伝しましたよ!

それくらい、わたしはABAと同じくらい美山町に丸ごとはまって、
ボランティア精神の何者でもないという宣伝活動に勤しんでいた。
もちろん、お給料も何もない。

でも、色々の構想は、私の脳裏で浮上していた。
山村留学と、ABAと、子育て支援と、ペアレントトレーニングが
うまく合体すればいいのになあ。
貸しきりバスを手配して、田舎体験で、ブレーンストーミングも
いいよなあ・・・

美山の名産品の行商活動しようかなとか、

あのM小学校の通級指導教室(ことばの教室)のなんと贅沢なこと!
S先生の受け持ちの生徒数は、町内全域で7名だから教師にも負担がかからない。
わが町のご近所の自閉症の施設では、待機児がわんさかいて、放置されたままだというのに!

美山の字面どおりの美しいオレンジの紅葉に染まる山々に魅了されて
実習前までは、都会の通勤電車の人込みで、背中がキリキリ疼いていたが、
それも、美山の素朴な人々のキャラクターに何時の間にか治ってさえいた。

大学院の事務局のYさんに、「営利目的でないものなら構わない」と
許可を得て、エレベーターのフロアに、北村かやぶきの里、
山村留学センター、雪の配達、しめ縄、もち花作り、田舎の生活体験教室
冬のネイチャーガイドハイキング、手作り体験館などなどの
パンフレットを並べてきた。反響が楽しみだ!!

幼稚園経営者の次期オーナーのTさんに頼んで、12月5日は、
昼のキャンパスへ便乗させてもらうことになった。ラッキー!
Tさんの幼稚園は、2週間ほど前から、マスコミで取りざたされており、
それが、先週のT先生の授業でも議論の的になった。
今週は、日刊スポーツに掲載されたとか・・・


ああ、今週も早かった・・・
それも、仕事をしているわけでもなく、
ぷー太郎のはずなのに・・・

ちょうど1週間前から、わたしのPCは、起動させたり、
キーを叩き始めると、画面が真っ黒になってしまうという
アクシデントに見舞われ、レポートの発表をを2つも抱えているから、
焦りにあせりまくっていた。

22日の夜には、なんとかトラブルを起こさず、プリントアウトもして
発表にこぎつけることもできた。

しかし、23日にはもう殆ど起動する気配さえなく、
その日の午後は、電話相談のボランティアをこなして、
再びの美山町での指導実習の荷造りを始めた。

1週間経過した美山に特に変化はなかった。
少し出発が遅れたのと、乗り継ぎのホームで1本予定時刻の
電車を逃がしてしまったので、今回は京都駅発のJRバスで
一路北山の峠越えルートで周山(しゅうざん)を経由し、
美山町営バスで、M小学校へ赴いた。到着も30分以上
オーバーした上に、金額も掛かってしまった。

今回の実習は、通常の学習時間を返上して、2名の生徒さんが
わざわざわたしのために、放課後にお母さんに連れられて
協力してくれた。

2週続けて来させてもらって、先輩教師の
S先生に見守ってもらいながら
始めはもたもたしていたが、器具の使い方も慣れてきた。
何より嬉しかったのは、全くの初対面にもかかわらず、
「S先生の友達で、保育所の先生」と
自己紹介することで、24日のTくんも、25日のMちゃんも
真剣そのもので、取り組んでくれたことだ。

「出題を切り上げるタイミングがまだ、掴めないようだね。
1時間以上になると、授業でも45分なんだから、負担が大きくなってくる。
それと、ヒントは絶対出しちゃダメ!正確なデータがでなくなるよ。」
「はあい・・・。やっぱり、こういう厳選なマニュアル通りの
検査って性に合わないよ。」
「まあね。ここから出たデータを基に、子どもの特徴を知って
有効な指導方法を考えて、実践する方がずっと大切なんだけど、
テストはできても、やりっぱなしの指導者も少なからずいるのは確かだね。
ゆきんこさんの場合は、本当にしたいことは別にあるんじゃないの?」
「そうですね。ずっと同業者から辞めたほうがいいとか、不向きだと
言われ続けていたのも辛かったし、もう何度も失業しながら、
いろいろ勉強もしたけど、将来には結びつかないですから。
ABAのF先生も、要するに食べ物と水を確保するために何を生業と
するのかで、その手段としての職業技能を身に付ければいいんだと
言われてしまうと、何のために大学院へ言ってるんだろうと・・・
『もっと早くABAに出会っていれば、よかったね。』とゼミの時間に
言われてがっかりです。」

さて、そろそろお風呂に入って、今日は休もう。
毎日休みには違いないけど、今週はどうにも起動しないPCや
実習のことでてんてこまいだったから。

今日、代理のPCを貸してくれたOちゃんには、めちゃめちゃ感謝している
ゆきんこだった。



真っ赤な秋。それはどこ?

わたしは、京都府の美山で1週間前に発見した。

日本の原風景の残る素敵な田舎町だ。
京都府で一番大きな町であることも知らなかった。

10月の半ばに、同業者で同窓生のS先生に指導実習を依頼して
ついに、17日から19日の2泊3日で達成したのだ!!

この特別な実習は、2年前からずっと気にかけていたもので、
わたしのこれまでの経歴(アルバイト保育士)では、
到底、実現できるものではなかった。
それも、昨年大学院を受験する一因だった。

3年がかりで続けてきた資格取得の投資をそのまま
スポイルすることは、悔しくてできなかった。
「何の為に、専攻科へ行ったのだ?2倍の、或いは
それ以上の投資をしながら、なぜ就職に結びつかず、
わたしは何度も失業しないといけないのだ!?」

その苦々しい思いは、T先生に募るばかりだ。

S先生の快諾に、慌てて指導教官のY先生のお墨付きの
依頼書を郵送し、17日午後2時前当日、
美山町のS小学校を訪問したわたしに校長先生は
恭しく接待してくださった。

もちろん、こんな丁重な扱いは大学院生という肩書きと、
大学の依頼書がモノを言っているわけで、
それもなければ、わたしはただのプー太郎なのだ。

美山町は総面積の95%が山また山
だから、鉄道がない。
JR山陰線和知駅から町営バスで小1時間車窓を眺めながら
そして、色づく山々の美しさに見惚れ、
大空を自由に舞う鳶のつがいに憧れて見上げるばかりだった。

小学校も平成元年に改築して、全てが木造のログハウスみたいな
洒落た校舎だ。グラウンドもわたしの地域に比べても広々している。
機材や設備も新しい。美山の方がずっと先進的な感じさえした。

校長室で、休憩兼昼食を摂り、校長先生と少し話した。
「全校生徒は何人ですか?」
「64名です。年々少子化で少なくなってますね。」
「はあ・・・わたしが勤めていた保育所の人数よりも少ないですね。」
「どうぞ、パンフレットを差し上げます。」
「ありがとうございます。」
校長先生は黄色の横断幕に青い文字を書き込んでいた。
「何だか、お忙しいときに実習に来させていただいたみたいで恐縮です。」
「すみませんね。週末に駅伝大会がありまして、その準備中なんです。」

さて、観光地として名高いこの町だが、目的は実習だ。
窓のカラフルな山に脇目も振っていられず、
S先生とのマンツーマンの実習が始まった。

マニュアルに沿って滞りなく手順を進めなければならない。
これが初心者にとってなかなか苦痛だ。
わたしの場合、どんくさいから尚のこと。
「今の台詞がちがうよ。」
「ちゃんと対象者のようすを観察して、できるだけ忠実に
記入すること。」
などなど、細かいチェックが入る。

でも、はるばる美山へ来て、S先生に依頼した甲斐は
大いにあった。
他のどの関係者に依頼したとしても、もっと多額の講習会でも、
ここまでの誠心誠意篭った有形無形の指導は
受けられなかっただろうと感謝の気持ちでいっぱいだった。

「ウ~ン・・・実際にやってみたけど、これだけで全てがわかる
わけじゃないよね。」
「そう。関係者の詳細な情報との照合が何より大切だ。
けれども、この指導実習で、曖昧糢糊とした対象児の問題点がはっきりすると、それを今後に役立てたり、解決の糸口になるんだ。」
「やっぱり、客観的な物差しは必要ってことね。それで、冷静に振り返ることもできるし、クールダウンできるんだ。」

わたしは、S先生の本棚にI先生のABA入門を発見した。
そして、竹田先生の講演会の帰り道に立ち寄った三宮の図書館でも。

「ああ、今そのABAってブームなんだよね。」
「そう。今からクールダウンで振り返ると、
そんな大人気のI先生のゼミに入れるわけもなかったのに、
一体、何やってるのかって凹むよ。」
「来週ももう一回おいでよ。実際にやってみるといい。」
「ありがとうございます。都合をつけてまた来ます。」

そういうわけで、3日間ではとても終了せず、
24日と25日にまた出かけることになった。

19日の正午、小学校から程近い、小さな萱葺きの
美術館と民芸館でバスの時間を待ちつつ、雨宿り。
神戸・塩屋の画家、菅原洸人の世界展はさることながら、
明治初期から昭和初期までの教科書、電気機器
例えば、電話、蓄音機、農機具など、レトロな
昔の日本を偲ばせる品々に見入った。
気温は11月の下旬並みと寒かった。

19日に帰宅して、早速ブログを書くつもりが、
PSが何度電源を入れても立ち上がらない。
その日は諦めて早めに就寝し、翌日トライしたが、やっぱり
電源が途中で切れてしまう。
ヤバイ!!
レポートも2つ残っている!焦った!
起動しないことには、手書きにしなければならないかも・・・

旧友のOちゃんに電話で泣きつき、一旦、プラグを元から抜くという
強硬手段に出た。
それで、何とか使えるようになり、
20日は昼過ぎから晩まで、ABAのレポート8枚分を仕上げた。
昨日の午後は、受講者30名分の印刷もして、
夕方には、普段通りに学校へ出かけた。

7時限目は、唐突に幼稚園の時期オーナーのTさんからこんな提言があった。
「実は僕の幼稚園が朝日新聞の19日の夕刊の1面の記事に掲載されたんですが・・・」
「これでしょ?」
幼稚園教諭のK先生がその記事のコピーを見せた。
それで、脱線討論で1時間あまりが経った。

先週の論文発表者だった幼稚園の副園長のT先生がくたくたになって
遅れて加わった。
「明日は、新入園児の面接なのよ。」
「え~!寝る時間あるんですか?どうしてそんなに多忙なのに、
通学されるんですか?わたしの時間差し上げたいくらいです。」
T0先生は苦笑いした。

帰りの快速電車に揺られ、ベルバラのチラシをしげしげと眺める。
もうすぐ前売り開始日だ。Sちゃんに電話しなくちゃ!

さて、そろそろ終わったら出かける準備をしよう。
何せ、今日はレポートのプレゼンテーションの当日だ。
そして、その前に母と友人の作品展にお見舞いすることになっている。

では、行ってきま~す!


午後1時 自転車で官公庁団地に出向き、菊の花が展覧されているテント
前に自転車を停めて、市民会館へ入る。

今年で何回目か知らないが、同じ市民で大学時代からの友人のTちゃんが
毎年出演している。

Tちゃんの下の息子のKくんが、市長も通園していたという一番老舗の
幼稚園に通っているのだが、音楽好きなTちゃんは、ママさんコーラスに
所属している。

わたしは前から10列目くらいの右端に席を見つけた。
「ママー、ママー」と真後ろから声がする。
「シー」
振り返るとパパに抱かれた1歳から1歳半ほどの坊ちゃんがステージの上のママを見つけて指差していた。
わたしは、クスッと笑った。
「ステージ上のママをすぐに発見なんてなかなかイケテルなあ」

出番は3番目で、「劇団四季」の名作ヒットメドレーを3曲歌った。
わたしは、一通りのステージの上を見渡して、3分から5分は
ママさんたちの中からTちゃんを見つけられなかった。
「あ、なんだ真正面の一番端だ。」

今、ABAと共に、「マンマ・ミーア」のテーマ曲のABBAに今度は
挑戦しようと思っている。
昨日、帰宅してTVコマーシャルを見たら、延長公演が決定したそうだ。
ついでだが、このPCの真上の砂壁に「クレイジー・フォー・ユー」の
チラシを貼っている。

4番目は、9月に「くるみ割り人形」を演じたH市少年少女合唱団だ。
集団から前に出た2人の少女。向かって左側は主人公クララだった女の子だ。小さいのになかなかの声量で、花形なのが今日もわかった。
最後にクレッシェンドの歌声が、響き渡って終わると、会場は少しどよめき拍手も大きかった。

そういう自然な観客の拍手の大きさは、ある意味では公正な評価だと言えそうだ。

ステージからママさんコーラスの彼女たちが降りてきて、わたしが座していた場所の通路を通り過ぎた。列の一番後ろにTちゃんがいた。
「Tちゃん!お疲れさん。一番後ろだったね。」
「来てくれてたの!?」
「うん。また遊びに行くね。」

前日から2日連続の祭りは、参加グループ46団体、1グループあたり
3曲は披露するから、130曲もの名曲が楽しめる。
知らない曲が、殆どだが改めて曲と歌詞に耳を澄ませて聞きいると
また、新たな感動が涌いてきたりする。

可憐なピアノ伴奏も素敵だが、アカペラの男声合唱団「グリーンハーモニー」のロシア民謡の3曲もいい。なかでも「エルベ河」がよかった。

会場の反響がよかったのは、9番の「レティチア」
宝塚90周年にちなんだメドレーで、タカラジェンヌもどきのブーケを上手に使って可憐さを上手に演出していた。
前列の女装は純白のドレス、後列の男装の麗人は黒のタキシードで決めて結婚式っぽいコントラストも振り付けも絶妙。
最後は自然に拍手と笑みがこぼれた。

衣装もそれぞれのグループで趣向を凝らしていてとてもオシャレだ。
どの演者もステージの上で衣装を身につけ、第3者に披露するというのが、身が引き締まり、達成感や感動を共有するのだな。

わたしの目を惹いたのは、スパンコールのキラキラしたものや、純白の衣装。
白に惹かれるわたしって、カラーセラピーするとどういうことを意図してるのかしら??

どっちかというとメロディーが好きなんだけど、
歌詞に聞き入ってしまう曲もある。
パンフレットと照合してみると、それらは谷川俊太郎氏の作品だ。
「世界の約束」「明日」「地平線のかなたへ」など。

そして、涙をそそる「たまねぎ効果」 (ゆきんこのオリジナル語)
14番のPTAコーラス「一本の鉛筆」
18番オクリエコーの「防人(さきもり)の歌」
チェロの前奏が、初めからキュ~ンと胸に迫りくる。
さだまさしのこの名曲の単純なリフレインがじわわわっと堪らなくなる。
「♪山は死にますか。~は死にますか。ふるさとは死にますか・・・」

反戦チックな曲や、名画、ドラマなどが頻繁に放送される昨今って
最早、「平和」とは言えないんじゃないか。

今週、ミュージカル歌手の本田美奈子.さんが白血病で急死し、
同い年の親友のナンノが黒いスーツに身を包み、嗚咽した。
わたしとTちゃんの間に、大切な人たちとの間に起こって欲しくない。

なぜか、「雪の女王」第25話「王家の鍵」は、
戦死した彷徨うアルフレッド王の亡霊の話・・・
さて、宿題の「ヒトラーの児童期」のレポートに取り掛かろう。

I先生のブログにも「生と死について」のコメントを書いた。

誓いのことばは
「たとえ果てしなき旅路でも、こころは永遠にふるさとにあり」
ゲルダは不思議の泉を覗くと、雪の女王の馬車に乗ったカイの姿が映し出された。
切なくて、泣けちゃうなあ~!!
午前11時前にバタバタと自宅を出発した。
昨夜さっさと床につけばいいものを、一人暮らしの週末は
わたしにヨサリを許可してくれるので、
丑三つ時まで、パソコンを眺めていられる。
・・・大学院のレポートが2つも後回しになっていても。

時計と競争しながら、乗り継ぎの駅の階段を駆け足で
上り下りして電車に滑り込みセーフで、いつもよりも
ロスタイムはなかったが、目的地に開始時刻に到着するには、
三宮駅で5分前は、もうひとつ隣の春日野道駅へは到底無理だった。

「今日は音楽会などで来たいのに来れない関係者も
たくさんいたみたいです。お陰で参加者のみなさんには着席してもらうことができたので、ほっとしています。」
1時5分頃、既に開演の挨拶が終わりかけている間に、
わたしはバタバタと空席を見つけて席に着いた。

座った丁度向かい真正面の演題に立ったプレゼンターのT先生は、
何を隠そう7年前の山の上のキャンパスのわたしの同窓生だ。
「神戸市の軽度発達障害への取り組みを通して」と題し、約1時間の
ご講議だった。
同窓の先生たちが、各方面の第一線で活躍する姿に、わたしは
羨望とあるいは、劣等感をこれまで助長させてきた。
当時の取り返しのつかない大失敗は、自分で蒔いた種だから仕方がないが、
所詮教育畑にいなかったわたしは、はなからプレゼンテーションがヘタクソで、
ディベートや何かと黒板の前に立てば、緊張感で口篭ったり、
持病である緘黙に苛まれていた。

しかし、当時の同窓先生の誰にもその事実を明かしたこともなく、
何より自覚もしていなかったのだ。
父と私は、当事者だったということを。

T先生のお話の中で印象的だったのは、平成16年のデータで
既に総数680件の電話相談やアセスメントの申し込みが殺到し、
平成18年度まで待機している方が90件近くも繰り越されているとのことだ。
「コーディネーター」という肩書きを持つ特別な先生たちは、
(すなわち、わたしの嘗ての同窓生の殆どはそういう立派な方々なのだが、)
異口同音に諭す。
「発達障害の子どもたちの多くが学校という縛り、家庭の中で
悩み、生きる術を自分で見つけられずに苦しんでいる。
まず、机に座ることから始まる。
叱られる→いやな経験が積み重なる→ずっと引き摺っていく」
そして不登校、ひきこもり

7年前に比べると、当たり前のことだが、専門用語は
随分と刷新された。
「反抗挑戦性障害」という用語も遅まきながら、
実は昨年の今頃、受験勉強の最中に知った。

「たったこれだけの工夫と配慮で、トラブルは解決するという
ケースも多いです。」

休憩時間になり、メインプレゼンターの竹田先生が
「韃靼麦茶」の宣伝をしておられたので、喉がカラカラだったので
早速、試飲してリラックスした。
トイレに並んでいると、わたしの後ろの先生が
そのお茶の紙コップを持ってふ~ふ~冷ましていた。
「おいしいですか?」
「ええ。麦のいい香りよ。」
「あれ、麦?」
「ええ、ダッタン麦茶ってさっき竹田先生が。」
「そうでした。」
いかにもベテランの女の先生は、すっかり嗄れ声だった。
竹田先生の言語障害の専門にかかれば、嗄声(させい)は立派な
「音声障害」だ。

「(間)ちょっとの工夫っていってもね、加配の先生が途中で
いなくなっちゃうと、担任一人ではとても・・・」
「わたしは加配の保育士でした。いつも追いかけて連れ戻す役です。」
「加配の先生がいると本当に助かるのよ。でもどこも赤字だものね。」
「特別支援に人材が必要なのに、実際には人手がいないんですから、
矛盾ですよね。わたし、いつも契約がきれる度に失業してますから。」
「竹田先生は、人手が足りなくてもどうにかしろって巡回の時は
仰るけど・・・」
「竹田先生、そんなことおっしゃってるんですか?」

さて、今度はいよいよ師匠の名誉教授の竹田節が唸る。
第8回 LD・ADHD・高機能自閉症へのかかわり方
「軽度発達障害といじめ・不登校について」
配布資料にはない談話をピックアップしてタクト(叙述)してみよう!
「1週間前、アメリカ・カリフォルニア州、ハリウッドの北部にある
ビレッジ・ブレーンという公立の発達障害の学校へ行ってきました。
幼稚園の年長から高3までの400名の生徒が在籍していますが、
誰もがセルフ・エスティーム(自尊心)が高い。
IQの高いアスペルガーの生徒たちのエリートコースまである。
費用は全額シュワルツェネッガーが出しています。」

0~2歳の「ゆさぶり症候群」などの虐待が、自動車事故の衝突に類似した脳と頭蓋骨がズレる脳障害を引き起こすことが最近明らかになってきた。
虐待する親は、虐待の体験を持っている。
親も子どもに取り返しのつかない罵声を浴びせる。
「あんたなんか産むんじゃなかった!」
「もう、何べん言ったらわかるの!」
「出て行きなさい!」

わたしは、そこで笑った。今だから笑えた。
幼少の父は祖父にそう言われて本当に出て行き、しばらく帰ってこなかった。

親の一言、教師の一言がグサリと胸に突き刺さり、
それをいつまでも根に持ち続けて、しっぺ返しがやってくる。
「オレなんか死んでもええねん。」
「殺したろか。」

わたしが、自分を当事者と自覚する13年前に
灯台下暗しでこの仕事に就いたけど、誰かのサポーターになったから
やっと父を許せるようになった。
そしてきっとキャンパスの父と崇めた先生のことも、
雪が解けるように多分、許せると思う。
その時、わたしの緘黙は、ようやく完治するだろう。

一番、興味をそそられたのは、創設して1年という
京都市立洛風中学校のユニークな不登校の専門教育だ。
生徒数43名 教師数19名 スクールカウンセラー3名
京都教育大学の学生ボランティア30名を要してなかなか贅沢な人員配置だ。
ちょっと見学に行っちゃおうかな?
ゆったり教育、芸術や科学、創造工房など、聞いた感じでは
あの「レッジョ・エミリア」幼児学校みたい!と思った。

ベルなし、校則なし、苛めなし、いつでもタイムアウトOKで、アロマの檜の部屋でキラキラした万華鏡の癒し・・・なんてサイコ~~!!
それでいて成績がアップしているというから不思議だ。

中身だけでなく、立地も烏丸御池の繁華街のど真ん中とユニーク。
「宇治少年院の更正プログラムや神戸市本山中学の運動中心のモデル事業に今後も期待と注目をしていきます。
時間オーバーしましたが、また次回お話したいと思います。」

4時を10分くらい回って、最新情報満載の講演会が終わった。
わたしは三宮まで一駅分、徒歩で帰路についた。
三宮の手前で、勤労会館の図書館を見つけ、ふらりと立ち寄った。
教育のコーナーには、I先生の「ABA入門」が入っていた。

1年前の同じ時刻、わたしはY町のキャンパスからバスターミナルへの
田んぼ道を歩いていた。
沿道の土手には、一輪の季節外れの白百合が咲いていた。

面接試験のI先生の顔がリフレインした。
「試験に際して、どんな専門書を読みましたか?」
「心理学の基礎知識と臨床心理学大全の教育と心理臨床を読みました。」
I先生の質問は何もなかった。どうしてだったんだろう?
「みんな合格させてあげたいけど、落ちてしまったらごめんなさい。」

それが、自分になるなんて、ちょっとくらいは思ったけどさ。
まあ、いいや。もう済んだことだもの。

今日はどんな面接だったかな?
受験生はほっと胸を撫で下ろしただろうな。
今年も沢山受けただろうな。

ああ、またレポートが後回しになっちゃった!
「チャングムの誓い」が始まるぞ。









今日は、午後6時半から8時前まで家庭訪問療育をしてきた。
笑顔でヤル気満々のTくんとパパの顔がリフレインする。
がんばったな。喜んでもらえてよかったなと実感するとき、
この仕事は、誰が何と言おうと、わたしの天職かもしれないと
自惚れてしまうこともある。

しかし、謙虚さを見失って悦に入ったときほど、
家康の格言通りに「勝って兜の緒を締めよ」と振り返りたい。

それもこれも、色んな人々との出会いの連なりの中で
起こってきた行動の連鎖の賜物なのだから。

朝9時半にわたしは、自宅から徒歩5分のとある場所へ
買い物袋を提げて出かけた。既に、20人ほどの地域住民が
並んでいた。
ハッピを着た係りの男性が声をかける。
「4列に並んでください。ご持参のカードと引換券を交換します。」
昨日、図書館で借りた岩波新書の「怒りの方法」(辛 淑玉著)を
読みつつ、待つこと15分から20分。
辛さんの辛らつな文体にわたしは、何故かしら頭がスカッとしてくる。
きっと、彼女の背負ってきた境遇がわたしとオーバーラップし、
今まで素直に言えなかった代弁をこの1冊の本の中に凝縮されているから
なのだろう。


順番を待って入ることを許されたその建物の中は、
半分食糧倉庫といった感じ。
「お待たせしました。本日、ここN町に通信販売のメリーマート
オープン記念特別販売をさせていただきます。」

今日から3日間、先着200名に指定の数品を午前10時と午後2時の
タイムサービス特別価格で販売のちらしが、一昨日投函されていた。
気になるお値段は、なんと100円!

自称、恥ずかしがりなどと言いつつ、いそいそとでかける私に
母が呟く。
「あんたもようやるねぇ。」
「こういうのが、大学院行ってるんだから、一般庶民感覚と
これからの時代、両刀使いでいいんじゃないかなぁ?」

午後からは、訪問先のTくん(6:2)の教材とカリキュラムを作成した。
昨夜10時にTくんのご両親に依頼され、Tくんは3日前から発熱が
続いていて、保育所も休んでいたのだが、わたしの来訪を
心待ちにしているので、是非来て欲しいと懇願されたのだった。

5月頃にも、同じようなことがあり、わたしはその時かなり
冷淡な態度で断っていたのを、きっとご両親は懸念されたのだろう。
5月当時、わたしは保育所で9時から5時までの保育をしていた上に、
週末の金曜日の夕食時に慌てて駆けつけていたため、現在の失業中
のように、心と時間のゆとりがなかった。
また、Tくんともう1件の家庭訪問に、週3日の夜の大学院で
帰宅は午後11時半。
そして、担当のクラスは荒れに荒れまくっていた。

わたしはとうとう6月にはバーンアウトした。

8月にTくんのお母さんのご依頼で、再開して月2回、
1回につき1時間のペースで、今回で18回目になった。
2月から始めたときに、ご両親もわたしもこんなにも彼が
好転するとは、思ってもみなかった。

「雨が降ってご不便をかけますが、どうか来てください。」
「はい。じゃあ、今から出かけていきますね。」
午後6時過ぎに、確認の電話が再び入り、わたしはピンクのレインジャケットに身を包み、雨の中自転車を走らせてTくんの町へ向かった。

「あ、パパさん。今日はお休みだったんですか?」
「いや、出張でね。直帰だったんです。」
「そうですか。お疲れ様でした。Tくん、こんばんは。」
「T、ちゃんと先生にご挨拶して。」
「Tくん、お熱あるって?大丈夫?
 今日はパパと一緒にしようか。」

Tくん、今日は発熱にもかかわらず、過去最高、絶好調だった!!
どんな風に絶好調だったかって?
(ああ、このブログあんまり人の目に留まってないのにね)
初めから終わりまで一度も離席をしなかった。

はじめに、くもんの線引きプリントを8枚ものの3分でしてしまう。
「ええ、もう全部できたの?すごい!」
次に「11ぴきのねこ」
「Tくん、とらねこたいしょうになって、おさかなをわけてください。」
大きさはバラバラだけど、Tくんは自分で魚を描き、
適当に切った破片を、パパが11匹のねこの上に並べて確認した。
「惜しかった。1枚余ったけど、上手に分けたね。」

読解のポイントは「どうしましたか」の質問に答えること。
Tくん「え~とね~・・・」と考えていた。
わたしは質問を変えた。
「じゃあ、絵を見てお話を作ってみて。」
パパが言った。
「隣にいなくても、ちゃんと自分でできるじゃないか。」
「そうですね。でもパパが横にいて見ていてくれるから、
Tくん、お熱あるのに頑張ってるんだと思います。」
「お前、こんなに細かい紙くずまで拾って、手先が器用なんだな。」
「ホント。このお星様のトークンシールも、自分で切って剥して
上手に貼っているね。」
さすがに、40分ほど経過してTくんは発熱もあって疲労と集中力が
ピークに達した。
「疲れたでしょう。おしまい。」

夕食が出来上がったお母さんに見てもらった。
「なるほど、黄色い紙の裏に両面テープを貼ってシールにしてるんですね。」
「はい。星型に沿って、Tくんに一枚ずつはさみで切って
貼ってもらうようにしてみました。」

毎回、上手くいってるわけではない。
だからこそ、上手くいった時には記録しておくことが大切で、
たとえ上手くいかなくても、「失敗は成功の母」
失敗を成功へ転じるためにも記録が必要。
帰宅すると、ビデオも時計もなくていい加減なのだが、
(そこが、正真正銘のプロと言い切れないところ)
あとは10年余りの職人感みたいなので、時系列にザーッと記録する。

第3者のわたしが、超禁断プライベートゾーンのご家庭に
介入するなんて、どこまで守秘義務を守るのか、
どこまで信頼関係を掘り下げて、「家族もどき」になれるのか。
幸い、T家の皆さんは、Tくんがお腹にいるときからの
長い付き合いを許してくださってきた。

「ねえTくん。この上手にできたやつ、せんせいのせんせいに
みてもらってもいいかな?」
「すごいね。先生の先生っておじいちゃんみたい。」

一足早く、勉強を済ませた兄のF君が階下へ降りてきた。
「ゆ~きやこんこ・・・」とご機嫌で歌いだす。
Fくんが襖を開けてこちらを覗き見たので、
わたしのテーマソングを歌ってくれたFくんにお返しした。
「♪ゆ~きやこんこ、あられやこんこ」
Fくん、にっこり。

18回目の終了シールを貼って、Tくんは寛ぎモードに入った。
「パパさん、20回目は記念パーティーにゲームをしませんか?」
「ゆきんこさんも一緒に?」
「もちろん。じゃあ、考えておいてくださいね。」

全ては必殺仕掛け人の、I先生の技をバックボーンに
いかに自分とTくんとのオリジナリティに持っていけるかの
MY ABA WAY なのだ。

さて、明日はK先生の講演会に出かけよう!




朝夕の冷え込みがめっきりきつくなってきた。
風車のテンプレートでは寒々しい感じもする。
午後1時50分の時点で室温は16℃なんだけど、
皮下脂肪少な目のわたし、指先も冷えるし、サル模様の
チャンチャンコを羽織っている。

今朝、10時前に裏のWさんが、わざわざ家にやってきた。
「ブログ見たよ。上手に書けてるね。」

嬉しい!コメントはないけど、読んでくださっているのだから、
まともな内容にしなくちゃね。

昨日も一昨日も終日出かけていた。
月曜日は、奈良の正倉院展へ出かけた。
日曜日が雨だったのか、それとも平日だろうと
期間限定のたったの2週間の公開だからなのか、
はたまたマスコミの前宣伝が華々しかったのか、
やっぱり、年金族のシニアの皆様の余暇活動には
最適なのか?

いろいろ理由はあるけれど、わんさかと黒山、
いや、胡麻塩頭の人だかりだった。

待ち合わせの改札に10時30分に着いたけど、
相棒のSちゃんの姿がない。
公衆電話をかけると、Sちゃんが出た。
「え~!最終日の14日じゃなかったの?」

どうも行き違いで、わたしのラストメールはSちゃんに届いていなかった。
わたしのプロバイダーは時々リジェクトされて、
相手に届かないことがある。
それに、今時まだ携帯を持っていないのも、
友人、知人に迷惑をかけている今日この頃。

携帯にはいろいろの功罪がある。
いろいろ考えてやっぱりその方がいいと思わないツールは
高価なものならなおさらすぐには買わない。
業界に詳しいプロの友人の見立てで、パソコンも手に入れたのは、
2002年の3月2日だった。

「今からでも来てくれるのなら、待ってるわ。」
心優しいSちゃんは、わたしのわがままに応じて
慌てて身支度をして特急に飛び乗って駆けつけてくれた。
嬉しい!

待ち時間の間に、わたしは1時間以上ものんびりと奈良の商店街を散策していた。
商店街を抜けて石畳の街道を100m歩くと猿沢池に出る。
そのほとりに沿ってブラブラと一周歩いた。
池は抹茶黄緑に濁っていて透明度はよくない。
魚がいるのかもわからなかったが、亀はうようよと30匹くらいが、
浮き出た木片の上に集まって甲羅を乾かしていた。

再び、奈良駅に戻るとSちゃんが待っていてくれた。
「ごめん。ずいぶん早く着いたね。散歩して時間潰してた。」
「とにかく、会えてよかった。」
Sちゃんは息を弾ませてカフェオレを飲んだ。

「この前、Sちゃんとマンマ・ミーアを見て帰ってすぐに
ブログに書いたんだけど、画面を切り替えてたら、なくなっちゃった。」
「ちゃんとこまめに保存したほうがいいよ。」
「それにしても、前宣伝のある催し物は、ゴッホ展といい、
今回の正倉院展もすごい人だね。」
「不景気とかリストラとかあってもそれだけの暇とお金がないことには
経験できないことだものね。」
「うん。有り難いことだね。」

有り難い
なんてことばは、このごろSちゃんと話していると
自然によく使うようになった。

さて、数え切れない人々の間をくぐって、有り難い古代
天平の至宝の数々を目にすることができるのかどうかが、
心配だったが、前評判の高かった至宝は全て見ることができた。
フロアーに入って一番最初が、
JR大阪駅や、元町駅でもデカデカと宣伝されていた
「北倉 平螺鈿背八角鏡」(へいらでんはいのはっかくきょう)
意外に小さい手のひらサイズだった。
そして細工の丹念な細やかさ。
その至宝もそうだが、同じコピーデザインではなく、
ひとつひとつが違っている。全て手工芸品なのだ。

わたしは手先が不器用な方だから、これらの至宝が
当時の名も知らぬアーティストたちの磨きぬかれた技から
生み出された傑作品が、世紀を超えて合い見えることの
有り難さをかみ締めたいと思った。

北倉 木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)
北倉 紅牙撥婁棊子(こうげばちるのきし)
の当時の高級囲碁セットなども見ごたえバッチリ!
碁石にあたる4色の象牙でできた石(棊子:きし)に
ひとつひとつ刻まれた鳳凰の姿に人々は
虫眼鏡越しに目を凝らして覗きこんでは、
「はあ~」とため息を漏らした。

それから、当時を記録した書物
7~8世紀の天平の昔、手漉きの紙は貴重な宝物だった。
そして文字は全て漢字だ。
「ひらがなって、平安時代にできた女の人の文字だったよね。」
記されているのは、高級貴族の給与目録。
正倉とは、お金と同等の価値のある税金となるお米が備蓄されていた。その禄高を記録されたものが保存されている。
「ふ~ん、1000年以上も前の時代から給与明細があったなんて、
今とあんまり変らないかも。」
「そうかな??」

他には、雅楽楽器や奏者のコスチューム、演劇の布製のマスクなども
あり、目はちゃんと穴があいていた。
大きな靴下もあって、
「サンタクロースの靴下みたい!ゴムはないからどうやって履いたのかな?」
「紐でしばったんじゃないの?」

南倉の犀角如意(さいかくにょい)
これも煌びやかなデザインでよかった。
「如意そいえば、歴史の教科書で出てきた如意輪観音像とか
思い出したけど。」
「ここには、如意というのは、孫の手の意味なんだね。」
「ふ~ん。孫の手観音ね。」

とにかく、どこかへお出かけして、何かを見聞して体験学習すること。
友達と一緒なら意見交換や共感もできるから楽しさも何倍にもなる。
幸せ!!

Sちゃんは自他共に認める包容力のある素敵な人だ。
わたしが相変わらず、ABAに夢中になっている話もにこにこと聞いてくれる。
「なんでもいいけど、トコトンはまっちゃったら幸せなんじゃないの?
その先生に会ってからというもの、幸せそうじゃない。」
「そうかな?なんだか見えない糸ではめられてる気もするんだけど」
「テレビで見たけど、クラゲが大好きな幼稚園の男の子がいて、
大学のクラゲ博士と互角にディスカッションしてるんだけど、
先生の方も、のめり込んでいる生徒と話ができるのが、本当に嬉しそうだったよ。」
「それが、幸せってことなのかな。」











今週は、それなりに多忙スケジュールのため、日記を
ゆっくり書いている時間がなかった。

失業中というのは、人生のモラトリアム(猶予期間)でもあり、
尚且つ、発達心理学的に言えば、わたしは「人生の正午」あたりに位置している。

また、10月中は、地元で度々の事件事故が相次いだり、夜間大学院の
レポートや、その他の諸活動があったのだが、
それをブログにとてもまとめきれなかった。

昨夜は、久しぶりに学生時代の友人2名と会って終日を過ごした。
ゆっくり話をしたいところだが、
2児の母であるTちゃん宅に集合して、わたしたちは、バラバラな
行動をしていた。
Tちゃんのパソコンの調子がずっと悪くて、IT業界で活躍してきた
Oちゃんが、そのメンテナンスをするついでに、
わたしにも声をかけてもらった。
11時30分ごろ、わたしはTちゃん宅に着いたが、
それから、9時過ぎまでTちゃんの二人の子どもたち相手に
専属保育をしていたようなものだった。
失業中のわたしには、保育所での保育サービスとは違う
プライベート領域の友人の子どもとのかかわりは、
年に1~2回の付き合いでも誕生直後から知っているという格別の面白さもある。

9時にようやく開放されて、一仕事終えたOちゃんとスターバックスカフェで談話した。

昨夜帰宅したのは、11時半で、そこからブログを書くはずが、
わたしは、Oちゃんに話を聞いてもらってから、
しばらく自分の身の振りかたについて考えた挙句、
I先生にメールを差し出すことにした。
送信したら、もう5日の3時半になっていた。
4時前に、就寝したが、8時のモーニングコールで起され、
寝覚めのすこぶる悪い朝を迎えた。

今日は、こころの電話相談室開設10周年記念講演会が
ある公共施設で10時から催された。

受付でもらったパンフレットには、来賓あいさつに
市長の名前があったが、恒例のように、
代理者が来るのだろうと思っていた。
2003年10月から研修期間を経て2004年の6月に認定式を修了し、
久しぶりに再会した同期の新人相談員のKさんと臨席しながら、
近況を話していると、想定外に定刻寸前に市長がお出ましになった。

わたしは、前から2列目の最前列に座るように言われたので、
もし、スタッフの勧めがなかったらこんな厚かましい位置には
座らないのだが、今日は臆面もなく市長や福祉協議会会長、
精神保健推進協議会会長、市の福祉部長代理などの来賓諸氏の
顔をまじまじと拝察することが十分にできた。

はじめに、開設者で元市会議員のU氏の挨拶
「市長と相談員の努力のお陰で今日の10周年を迎えました。
感無量です。」と涙した。

次にN市長の祝辞
「10周年おめでとうございます。
ストレス社会のなかにいろんな施設がありますが、
そこには人間愛が必要だと思います。
これからも相談員の皆さんには、社会を変えていく努力を
続けてほしいです。」

T氏「H市のメンタルケアのニーズは、増加しており、
年間相談数は、3720件にも昇ります。
相談員の皆さんには、まず自己研鑽していただき、
仕事や家事の両立とは大変だが、『わたしがいなければ』という
使命感で取り組んで欲しいです。」

F氏「U氏のご尽力と相談員の努力に深く敬意を表します。
私は電話は嫌いで、携帯も持っていません。
電話に出れば、相手に応対するので、自分の時間を中断される。
こころの電話が流行するのも、医者が必要なのも、
本当は喜ばしいことではなく、悲しいことです。
起源は、キリスト教文化における神の御前での
『告白・懺悔』が変形したものがこうした相談なのですが、
それは、心と心をつなぐ人間関係の希薄化の表れでもあります。
この長引く悲しみを多少なりとも癒すことが大切です。」

11時から第2部の講演会
「こころを耕す」
講師は、世界遺産 奈良薬師寺副住職 山田法胤師
師は、昭和15年岐阜県本巣郡根尾村生まれ
中学3年生で、薬師寺に入る。
昭和39年、龍谷大学仏教学科卒
主な著書「薬師寺」「仏陀の風景」「生活に生きる仏教語」など。

山田和尚は、まずH市のいにしえの奈良時代の歴史に触れる。
縁の第26代天皇の3番目の末息子が29代欽明天皇で、
7世紀のその時代、仏教が朝鮮から伝来した。
このHという土地は古来から栄え、現代では栄えすぎて
心の病も付随して起こってきた。

心は昔、「ころころ」と言い、それくらい変化するものと象徴されていた。
「私、3日前、チベットへ9日間、48名で行ってきました。」
標高3600Mのチベット自治区、首都ラサに世界遺産のポタラ宮殿がある。
生き仏のダライ・ラマは、現在も70歳で存命しているが、
中国の支配下になったときにアメリカへ亡命した。
現城主は、16歳のパンチュン・ラマだ。

チベット民族は、富士山よりも高いところで生きている。
参加者の何人かは、吐き気、心拍上昇、肺水腫などの諸症状の高山病を呈する。
7000M級のヒマラヤ山脈では、5000Mの山々には名前さえない。
雲の上の空気は薄く、直射日光がきついのでサングラスが手放せない。
気温もマイナス4~5度と米もとれない。
地球は生きていて、動いている。
現在、最高峰のチョモランマ(8848M)は、そのうち、K2という山が
隆起し、抜かれるだろうと言われている。

そこで生き、死んでいく人々のことを思えば、
日本に生まれたことを感謝する。

日本列島の長さに匹敵するラサ川に魚は棲息しているが、
チベット人は、漁をしない。
方や、動くものはイタチ、猫、ハクビシン、ゴキブリまでも、
食べてしまう漢民族の侵略に遭い、現在、中国統治下の自治区になった。
その指揮官が中国のコキントウ氏だそうだ。

話題は変って、山田師は今度は、小林一茶の名句と共に、
いくつかの川柳を例示し、
現代の人間模様を皮肉った作品で相談員たちを笑いの渦に巻き込む。

やれ打つな、蝿が手をする 足をする
医も知らぬ 他人の飯に あるくすり

一茶の辞世の句「たらいから たらいへ移る ちんぷうか」
これを現代パロディでは、
「人生は 紙おむつから紙おむつ」
「病院から病院へ移るちんぷうか」
サラリーマンの妻の描写
「まだねてる 帰ってみれば もうねてる」
「一戸建て 手の出る土地は クマも出る」

他にもメモにはいろいろ書き込んだが、とても綴っていられない。

最後に、「人間は自分で何かしようとしなければ、何もしないものだ。
何もしなければ、一体何のために地上にいるのだ。」

これぞ、ABAの真髄!
でも違うところは、ABAは動物も対象になるし、
じっとしているとか、ただ呼吸をして永らえていることも行動と言えるのだ。

予定終了時刻の12時半をかなりオーバーして、後半は、祝賀パーティーだ。
会場の設営を変えて、白いクロスの上に、ご馳走を並べる。
歓談しながらの食事の後は、皆で和やかにゲームや手品、歌唱を楽しんだ。

わたしは、中学時代の修学旅行でクラス仲間と楽しんだ思い出の
ゲームをインストラクションした。
その名も「ウインク・キラー」

「まず、向かい合って円陣になり、ウインクの練習をしましょう。」
「次に、トランプのカードを一枚づつ誰にも見せずに、見てください。スペードの1の方、探偵役でウインクキラーを探してください。」
「ジョーカーの方、挙手しないで、黙っていてください。
あなたが、ウインクキラーです。あなたは今から、目と目が合った人に
ウインクをします。その他のみなさんは、ウインクされたらその場で
座ってください。でも、ウインクキラーを探し出すのは探偵ですから、
最後まで黙っていてくださいね。
それでは、ウインクキラーさんスタート!」

一回目に配ったカードの中から、ジョーカーが漏れていたので、
配りなおして、もう一度やり直し。
探偵は、どこかの自治会長のN氏
スタートの瞬間、皆が、黙して、キョロキョロとお互いの顔を
意味深に見回す。
一人、また一人と座っていく。
半分以上の人が座った頃にNさんは気がついた。
灯台下暗し、左隣の女性がキラーだった。

参加者のうち、初対面のWさんが、後から私に近寄り、
「ルールがわかってからは、何だかドキドキしてきて面白かった。
もっとやりたかったわ。」
「よかった。またどこかで楽しんでみてください。」

わたしが楽しかったのは、手話で歌を歌ったことだ。
4つのグループに分かれて、四季の歌を歌った。
終わりの挨拶で再び、U氏が挨拶し、また感極まって泣いていた。
4時に終了して、三々五々に相談員は帰路に着いた。



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