ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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2005年も、あと12時間あまりとなった。

今年も色んなことがあった。
一番大きかったのは、社会人大学院生になったことかな。

でも、わたしにとっては期待したほどでもなく、
却って諸々の苦悩は増えてしまったように思う。

ABA的に言えば、その理論を自分なりに追求し、実践してみた結果、
見えてきたことも多かったが、その分ますます孤独感とか、
人間関係の泥沼と、落胆にも苛まれた。
これが、憧れていたI先生の実態だったのかとまざまざと追体験することになろうとは…
はぁぁぁぁ~

普通の人たちにとっては、恋人ができたり、結婚したり、子どもが出来た。そんなことがビックイベントなんだろう。
わたしの人生にそういったビッグイベントはなく、
それは他人事の仕事の範疇のなかにあった。

午前10時から、戦後60周年にちなんで「あの日」という
NHKスペシャルを視聴した。
わたしの両親は、ロイヤルカップルと同い年で、
この番組で、当時の10代から思春期を過ごした体験を物語っていた
著名人たちと同世代にあたる。

また70歳代の人々は、戦前、戦中、戦後のめまぐるしい20世紀から21世紀の日本をまたがって生き抜いてきた人だけに、
いろいろの思いや体験が駆け巡っていくのだろう。

母は、大晦日だというのに午前中から「こころの電話相談」の
ボランティア相談員の当番で出かけていった。
ボランティアだから当然、無給である。
こんな年の瀬も、悩み事を払拭できず、鬱々として電話をかけてくる
常連者がいるのだ。

わが町は、ご近所に大正時代に建てられた日本で2番目に古い精神病院がある。
3年前に「精神医療センター」に改称されたが、長いコンクリートの壁の向こうに鉄格子も覗いて見える。
最近は、地域の中で普通の生活をしながら精神障害の方々を支援する
動向へと変化しているが、
結局のところ、薬や注射では治らない心の病気は自助努力に委ねられていると言える。

専門家の医師は、適当に薬を処方したり、とりあえず診るには診るけど、「完治」というのはないから、白衣を着て患者の前で偉ぶっているけど、治せない病気を診ているだなんて、一体何の役に立っているんだろうと疑問が涌いてくる。
年末年始もコンビニ営業という研修医や駆け出し医師の不養生というのも、
小児科に在職していたときには、目の当たりにしてきたから、
全ての専門家が職務を怠っているとは言わないし、自分が同じように
代わりにやれと言われたって「お気軽に」簡単にできるものではない。

障害も「不治の病」みたいにその範疇にあって、○○療法もいろいろ
開発されているが、やっぱり「完治」というのはない。

臨床の研究論文の中には、改善とか善処などの「結果」はなんとか出せるけど、まだまだ謎々だらけである。

それで、一体何を書きたいんだろう。

母は明けて2日にも、電話相談の当番を任されている。
正にボランティア精神の大安売りである。

昨日は、年末の恒例だから、散らかった部屋を掃除して整理整頓した。
部屋の隅々から、無頓着にゴミなのか宝物なのかわからないものが
出てくる出てくる。

「あちらこちらに、輪ゴムを引っ掛けたり、紐をばらまいて置くのはやめてよ!一箇所にまとめておいて!」
「その書棚の出っ張りにメガネを置いたら、戸を開けるときに
落ちちゃってもいいの!?何回も言ってるでしょ。」

70過ぎて物忘れも多くなり、耳も遠くなった母に、
頭ごなしに大きな声で罵声を浴びせて、自己嫌悪に陥る。
若い頃は、真っ直ぐ置いていたものを触られるのもいやなほど、
几帳面だったのに。

「別にいいでしょう。そんなに綺麗にしなくたって。
好きにさせてくれないなら、もう出て行ってちょうだい。
あんたの扶養義務は終わりました。あ~、疲れた…」

私も日々、ひたひたとオバタリアン化してるのと、
仕事をしていないストレスの発散に普段はなんとも思わないことでも
イライラしてきてしまう。
実母と娘の間でも、半日掃除するという一つ屋根の下にいれば、こうなるのだから、
年末年始の嫁・姑のバトルはいかばかりかとも思うわけである。

今更、誰かの嫁になるなんて、やっぱり無理難題やな。

書きたいのはこんなことじゃなかったのに。
イライラしているのには、もっと深層心理的なことで、「明日に」
覚悟を決めきれない自分のやるせなさにもあった。

母は時々、こう呟く。
「どうしてこの自分は自分なのだろう。」

いい加減、いい年してるのに、自分のことがよくわかってなくて、
父と母の出会いにまで詰って、
「なんで結婚したんや!」
「だから、生まれてきたくなかったって、言ってるやん。」

どうして神様は、こんなにか弱い泣き虫のわたしの傍に
もっと弱い、悩み深い人々を遣わすのだろう。
きっと、今晩華々しく紅白歌合戦が繰り広げられようとも、
今後、貧富の格差が深まるにつれ、私はこれまで身を置いていた
業界に骨をうずめる運命にあって、
もうすぐどこかへ行かなくてはならないだろう予感に慄いていた。

ライブドアAUTOのホリエモンのCMを眺めつつ、
いつも明るく、笑顔で、お金やモノやありとあらゆるいいことに
恵まれている日本の人々が多い中にも、全く正反対の運命を余儀なくされている方々の矛盾から、1970年代好景気の子どもの頃からずっと目を凝らしてきた。

今は、戦後の混乱でもないのに、それをきちんと受容できなくて、じたばたして、根性無くて、何者かに八つ当たりしている自分がいた。

ああ、なんて大晦日なんだろう。

紅白までに、2階を掃除しよう。

こんな独りよがりのブログだから、
誰も見てくれないのはわかってるけど、(見せるつもりもない)
皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。
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2005年も残すところ、あと3日になった。
日本で一人暮らしのお年寄りや独身の男女も増えているけど、
社会全体が休息する年末年始は、寒いせいもあって寂しさも募るだろう。

12月26日~27日の一泊2日美山の冬の旅について、忘却の彼方へ行ってしまわないように、
もう少し記録しておこう。

朝は、8時過ぎに起床。宿泊した民宿久やさんで目覚める朝は我が家より寒い。
布団の中は電気毛布でほかほかあったかいが、空気が断然冷たい。
窓の外は、まだ雪がちらちらと降っていた。
例年は、2月頃に積もるのだが、年明けの前に雪が数十センチも積もるのは、美山でも珍しいとのことだ。

朝食を済ませると、10時過ぎに1日目の月曜日、定休日だったお向かいの「民族資料館」へ出かけた。
資料は、茅葺中層農家の家屋丸ごとも含めて、約200年前、江戸から明治にかけての家屋や生活の品々をそのまま保存して公開したものだ。

パンフレットから抜粋
「旧屋号は「伊助」という初代の名前で呼んでいましたが、
平成12年5月の火災で母屋と納屋を焼失しました。
火災以後、保存地区の核になる施設の復元をという行政、住民、来訪の
方の物心両面のお力添えで、平成14年9月に再建・復元をみることができました。
資料館は母屋を中心に、納屋、倉の3棟で家を構えています。
展示物は地元を中心に、町内外から広く提供していただいて開館することが出来ました。」

印象に残ったのは、いろりのある母屋の奥の新婚さんの部屋だ。
窓がない小さな3畳ほどの板の間の戸を締め切ってしまうと、
はだか電球の照明をつけなければ、真っ暗闇だ。
縁に沿って鏡台や、枕、裁縫箱などが並べられていた。

また、藁細工と一口に行っても、さまざまな品々があるのも、
興味深かった。
草鞋、赤ちゃんを入れる丸い籠、背負子(しょいこ)蓑に傘、
そして屋根を葺く萱。
これらは全て植物性だから地球に優しい。

ひとつの素材でたくさんの工夫をしながら道具を作った
昔の農民たちのリーズナブルなアイデアだ。

倉の1階には、文楽の浄瑠璃見題と衣装も展示されていた。
「時代劇のかみしもより、意外と小さいよね。」
「私たちと同じ背丈くらいかな?」
「西洋人から比べると日本人は小さいけど、昔の人ってもっと小柄だったんだろうね。」

住まいの特長は、
「京都北山型の農家住宅の母屋34棟のうち、かやぶき29棟、鉄板覆い6棟、他は瓦葺、鉄板葺きとなっています。
かたぶき以外の家も、かつては大半が杉皮ぶきであり、大部分が築100年以上で、同じ間取りや、構造をもっています。
全体の家が比較的大きいのは、村中持ち山(惣山)等での用益権のもとで、用材の調達ができたことと、相互のたすけあいの力があったことを
物語っています。
庶民レベルでは用材、屋根材料、燃料を含め、住居空間とあわせた住まいの文化では、天下の三都(江戸・大坂・京都)よりもはるかに高いレベルを維持してきました。」

…というわけで、どのお家もなかなか立派で大きい。
そして住民の結束力、絆も強い。
美山の子どもたちのとてもお行儀のいいことを、11月の実習の際には、
なんとなく感じていた。

そして、エコロジカル!
ゴミ箱はない。作るとそこに捨ててしまうから、外部のものは持ち帰らなければならない。

一見、美しい山々に囲まれた桃源郷を思わせるが、
「郷に入れば郷に従え」という、自然と共存しながらの不文律は
けっして「ゆるくない」
当然、昔ながらの半強制的な村人の寄り合いや、嫁イビリなんかも現存している。
プライベート、自由気ままな休日もお正月もない。
きっと今頃は、村の女性たちが総出で、3日間のおせち料理を拵えるのに
どたばたしていることだろう。

美山ならではの、助け合いは、度々起こる自然発火の山火事に備えて
自衛の消防団があることだ。

こうしたお互いがお互いを見守り、監視しあうという独自のコミュニティシステムは、非行や犯罪のしようもないというのだ。

この頃は、かやぶきブームの美山の村興しにつられて、都会の喧騒から逃れて移住する人々や、団塊の親の代に村を出たが、就職もないなどの理由で、団塊ジュニアのIターン移住も徐々に増えている。
しかし、移民の受け入れは、美山においても、世界共通の問題と言えそうだ。

「あんたは、里がえりするところもなくていいわね。私が死んだらどうするの?」
耳が遠くなってきた母がそう言い放って、買い物に出かけた。
どうするのかな~?
ちょっと、ラベンダースティックを嗅いで、考えよう…

とにかく、昔の人はすごいと思う。何もないところからいろんな知恵を出し合って生き延びてきた。日本の中に現存しながら、大都会の流れに左右されることなく、その独特なプライドを保っているミヤマヤンの
威厳に触れた気がした。

わたしなんか、今日ものらりくらりとPCに向かって好きなことを気ままに綴っている。

11時半に資料館を出て、久やのご主人に車で、次なる目的地の
「自然文化村」へ送ってもらった。
あいにく、25日のクリスマス以降は休館で、土日限定の名物バラ風呂も楽しめなくて、がっかりだった。

元美術の先生だったM氏にバトンタッチで、閉まっていた店をわざわざ開けてもらって「手作り体験館」でのワークを楽しんだ。
挑戦したのは、「ドリームキャッチャー」
ネイティブアメリカ・インディアンのおまじないグッズだ。

見た目はそんなに可愛いって感じがしない。
ワックスでコーティングされたタコ糸を、藤の枝をワッカにしたものに
網目模様を作りながら、内側に向かってひたすら巻き付けていく。
中心は開けておくと、網目にいい夢は引っ掛かり、悪い夢は中央の穴から抜けていくという言い伝えがある。
○枠の上にはぶら下げる為の紐をつけ、真下は4色の自然を象徴する
モクセイビーズの端に、縞ふくろうの羽をつけて出来上がり。

所要時間は、1.5~2時間でお値段1600円だから、安いとは思わなかったが、
保母さんの私としては、作ったあとも飾って楽しめることに醍醐味があった。
Oちゃんも小さいサイズのドリームキャッチャーを作って満足そうだった。

27日に帰宅して早速、ドリームキャッチャーを頭の上に吊るして眠って試してみた。
わたしは、滅多に夢を見ないし、見ても覚えていることも少ない。
昨晩、瞼を閉じて間もなく見た夢は、I先生の夢だった。
かなり鮮明に憶えていた。

どうしてだか、わたしは肩を強張らせてかなり緊張しながら「はとぽっぽ体操」を踊っていた。
これは、試験のシーンだ。
ABAのI先生は、この幼児教育界では著名なダンスを全く知らなかった。わたしに存在を気付かれないようにこっそり隠れて観察していた。
I先生の顔は全く隠れていて、首から下だけが覗いていた。
そして、私にはI先生が隠れて観察していることがわかっていたが、
それを知らん顔して踊っていた。

さて、この夢は正夢になるんだろうか?
夢分析してみよう!
今日も地球はいろんな命を乗せて回っている。
わたしにできることは、ちっぽけなこと。

障害のある人にとって、外出するということはとても大変なことだ。
だから、自分の存在価値や自尊心は、ただ息をして存在している。
眠ったら、目を覚ましてまた生きていて、何かができるというささやかなことに喜びを見出すことも、素晴らしいことなんだと実感できる。
多分、お金をガバガバ儲けてのし上がっていこうという、
ここ数年蔓延してきたある種の日本を覆っている価値観と、
自分が常に乖離してきたことを自覚している自分にとっては、
今が、正念場なのかもしれない。

その意味で、営利を介さない純粋な事物が、わたしにとって
何よりも大切だ。
それは、多分性別とか、年齢とか障害とか、色んな違いを超えられる
存在としての友情なのかもしれない。

ビジネスというよりも友情とか仲間とかいうカテゴリーが
私には大切だ。
そのために骨身を惜しまず、共有できる時間を、一緒に食べたり、
遊んだり、泣いたり笑ったりして過ごしてきた。
だから、気がついたらわたしの周りには何にも残っていなかった。
気がつけば、わたしは何もない真っ白な世界に取り囲まれていた。

ちょうど1ヶ月前の11月24日から26日京都の美山町へS先生の指導実習で訪問した。
S先生の知り合いの「久や」さんを紹介してもらい、茅葺屋根の
超アットホームな民宿に一泊して、すっかり美山の原風景に魅了され
翌日27日の日曜日、旧友のOちゃんはじめ、何人かの知人、友人に
紹介して、ボランティアで散らし配りまでした。

自分で言うのもなんだけど、掛け値なしの動物本能レベルで
純粋なオペラント行動をしたときは、楽しい。
でも気がつけば、プロになりきれず、ボランティアの領域を出ることもなく報酬は無い。
この世知辛い「弱肉強食」のご時世において、なんと骨折り損なキャラクターなのだろう・・・なんて
IT長者盤の「人生ゲーム」のやりきれなさに落胆もする。
次世代にどんなふうに影響するんだろうかと心配・・・

いささかビジネスライクな臨床の専門家には、同情の域を出ないで、
一緒に泣いていたり、その渦に巻き込まれたりしてボロボロになったのでは、何の解決にもならないと私自身の呆れられたり、匙を投げられたりしてきた。

こんなとき、良くも悪くもユニークと称されてきたゆきんこは、
旅に出る。
Oちゃんが、築120年の茅葺民家のホームステイ旅行に関心を持ってくれたのもある意味チャンスだった。

多分、こんな純白の美山に触れるという体験が実現できたのは、20年続いた腐れ縁の友情に支えられてのことだったと思う。
そして、クリスマス・イブに偶然見つけた亡き御祖母さんの誘いのようにも思われた。

10時50分にJR京都駅の改札口で待ち合わせ、11時4分発快速園部行に乗った。
トンネルで、耳が痛くなり、Oちゃんと耳抜きの話題になった。
「随分前に、飛行機で耳が抜けなくなったって言ってたね。」
「ああ、10年以上も前かな。憶えてたの?」

その長いトンネルを抜けると、本当にそこは
雪国だった!

園部からワンマン電車の福知山線に乗り換えて、和知駅で美山町営バス
で、美山町へ
秋の色とりどりのオシャレな山々は、純白の雪化粧で出迎えてくれた。
正面のバスの車窓から雪の結晶たちが、体当たりしてくる。
というより、フロントガラスに吸い付いているという感じがする。

メカニックなモノにはお任せのOちゃんは、彼女の目線で素敵な
シーンを見つけては、デジカメのシャッターを切った。
でも、その正反対の私は、デジカメも携帯もなく残念ながら
今ここの美山の壮大な美しさをお伝えする術は、旧式のゆきんこ流の
文字の羅列ということしかできない。

泉というバス停で、民宿「久や」さんの北山へ向かうバスに乗り継ぐ間
傍の「サラダ館」で雪長靴を物色した。
・・・といっても女性用は1~2点しかないし、雪が積もるところでは
必需品でも、都会では滅多に活用することも無いので、二人で当然躊躇した。

結果として、2時前に到着した「久や」さんで、厚かましく
雪長靴と傘までお借りして、北山の雪の散策を楽しんだ。

人目がなくて、気の置けないOちゃんとであれば、年甲斐も無く童心に返ってしまう。もっと無邪気な子どもがいてくれればもっと盛り上がるんだけど。
「♪雪ってながぐつスキだって」
「そんな歌あるの?」
「うん。♪ゆ~きのこぼうず空から降ってきた。」

鎌倉社でお参りし、知井(ちい)八幡宮へ行こうとしたが、
小さな渡し橋の上には積雪30センチ以上もあるこんもりとした
未踏の雪で覆われていた。
ここで、ゆきんこはおおはしゃぎ!

ズブズブと膝あたりまで雪に埋もれながら一歩一歩と前進した。
こんな他愛もないことが、「雪の積もった橋を渡る」という目的であり
「渡った」という結果と達成感をもたらしてくれた。
そこに、どんなふうに?どれだけ?という曖昧なバロメーターを
形容詞的な「何となくの」感覚で叙述するのではなく、
何歩で?何分でという世界が、言わば研究的ビジョンにつながるわけだ。

だから、その同じ日に、恐らくABAの講義で締めくくったI先生が2年前の壇上と同じ台詞で
お気軽に大学院にどうぞ」と仰ったのはやっぱり、ペテンではなかっただろうとも思う。

しかし、実態はお気軽なんてものじゃなかった。
I先生はどこまでも突っ走っていた。
私は、鼻水を垂らして相変わらず泣いていた。

真っ白な雪の美山は本当に美しい。
ゴールは目前で、数歩歩いて、辿り着ける距離なら楽しい。
でも、それが何年も、何十年も、何十歩も、何万歩も、
その果てしない向こうに何があるかもわからない未踏への探求心
人生も、時代もそんなものかもしれなくて、
このご時世は確かに頭の回転も含めて速い者、多いもの強い物が、
マスコミの波に乗って賞賛されているように「見える。」

雪山のど真ん中で泣いていたら、アンパンマンがその叫び声を聞きつけて
飛んできてくれるだろう。
自然は素敵だ。でも本当はとても怖いモノだ。
自然と共存してきた代々のネイティブ美山の末裔は、やはり
都会育ちの人間とは、明らかに異なる価値観やユニークな風土が裏づけになった人となりが垣間見える。

昔から山に取り囲まれた辺境の地に「共に」という助け合い精神は、
裏を返せばおせっかい主義の、温かくもノープライベートな時空間を
余儀なくされる。
他人であっても、美山に住んでいれば家族なのだ。

久やさんには、なんと客間にテレビはない。
Oちゃんと私は、うろうろ雪の散策やらデジカメでの記念撮影を
しばらく楽しんだが、休日明けのしかも雪の降り積もる村落で、
あとはバス停横のみやげ物や「きたむら」さんを物色するくらいしか
することはなく夕方5時には、宿に戻った。

それから日暮れと共に、名物の地鶏鍋をご馳走になったが、
食事の最中から、9時に入浴して、11時半ごろの就寝まで、
延々とおばあちゃんのおそのさんと語らい続けた。

話題を全て記述していたら、誰も読んでくれない。
平成5年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けて以来、
脚光を浴び始め、町興しの名産品の宣伝にも力を入れ出した。

それまでの平成のはじめのことまでは、おそのさん曰く
「しずかなしずかな村」だった。
たまには、大名行列やサスペンスのドラマロケなどがあり、エキストラ
で出るくらいだが、通常は人間よりも動物の方が多いくらいの村なのだ。

これは、特ダネ中の特ダネの話
12月9日に久やさんの敷地内に、非常に珍しいお客さんがお出ましになった。
白菜を差し上げたのだそうだが、お客さんは召し上がらず、
1時間以上もそこに佇んでおられた。

お名前はないのだが、国の天然記念物であられる
ニホンカモシカさんだった。
結局、村の人々が手足を縛って、里山に返したのだそうだ。

おそのさんは、手先が器用でこの1ヶ月のうちにクリスマスの
パッチワークキルトのタペストリーを仕上げて装飾しておられた。
囲炉裏端での手芸品の品評で雪の夜長が過ぎて、Oちゃんと私は来年の干支の犬のぬいぐるみをお土産にちょうだいして、花丸ラッキーだった。


大寒波と大雪が一段落して、今朝の気温が昨日よりも3度上昇したら
シバレル~という感じはしなくなる。

感じることと考えること どっちも大切な人間のお仕事だ。
わたしは、至って凡人で、スケートでジャンプする技も、特に取り得も無いないけれど、
時々、第六感とか根拠も無い予感におそわれることってないだろうか?
傍から見ると、理由も無く突然サメサメと女優のように涙をこぼしているように見えることがある。

深夜、途中で目が醒めて、私は祖母を思い出してしばらく泣いた。
昨日、父の住処で祖母の手紙を発見したことは、偶然なのか、
亡き祖母の御霊がそうさせたのか?
こんなことは、ABAでは全く理論化できないことだ。そして何の根拠も無かった。
肩に祖母がいるような気がした。

「やっぱり、親父の夢枕に来たんだから、御祖母さん成仏していないんだろうか?」

今朝、自転車で駅に向かう途中も、私は祖母が背中にいるような気がしていた。背後霊??

昨日から私は、祖母と父の昔を思って何だか上の空だった。
今日は終日、大阪医科大学のキャンパスで資格を取るための養成セミナーに参加した。

3年前から年3~4回のペースで単位講座を取得し続けてきたが、
教師たちに囲まれて聴講するとき、今回はひときわ神経質になっていた。
そしてすっかり緘黙モードに陥っていた。

講義の最中にメモを取っていても、自然に涙が滲んできた。
どうしても、祖母がわたしの背中に居て、一緒に聞いているような
気がしてならなかったのだ。
「ゆきんこさん・・・ゆきんこさん・・・」

すごいわね。こんなセミナーに来て、がんばって勉強しているのね。
私も知っていたら、Aさんに辛い思いをさせずに何とかしてやれたのに
ごめんなさいね。
貴女を見守っているわよ。わたしの無念を晴らして、
どうか障害のある人たちのためにがんばってね。
あなたも辛いでしょうけど、一人じゃないわ。」

わたしは、誰のためでもなく祖母のことを思って泣いた。
どんなにどんなに、父のことが心配だっただろうかと。
私たち家族が困っているのを百も承知で、助けたくても助けられないことを切なく思っていただろうかと。

その祖母の手紙に託されていたやりきれない思いが自分に乗り移ったんじゃないかと思えるくらいに泪は溢れて、ガーゼのハンカチまで
ぐしょぐしょになった。

自分で生きているつもりでも、生かされていると思えるときがある。
どんなに抵抗してみても、生きる道は定められているような気がする。

わたしはどこへ行くのだろう。
これから何をするのだろう。

明日はまた美山へ行く予定だ。
雪は積もるだろうか?
「年賀状出してくれた?」
母が昨年の年賀状の束を触りながらわたしの傍で聞く。
「出しました。」

ゆきんこは、両親に似ていない。父方の母や姉、従姉などに似ている。
隔世遺伝である。
本名は、古風すぎて気に入っていないが、祖母が曾祖母の名を命名してくれた。

只今、「オーラの泉」を視聴中。
クライアントは元ピンクレディーのケイこと、増田啓子さんだ。

昨晩10時半ごろ、別居の父から久しぶりに電話があった。
平成天皇よりも3ヶ月早い生誕の父は、2年前にバイクと自動車の衝突事故で、下半身を骨折し、
以来杖をついて辛うじて歩けるという状態になり、ホームヘルパーさんのお世話になりながら、通院生活をしている。
「腰がちっとも曲がらなくなった。明日入院するかもしれない。
明日の朝、電話するから手伝ってくれないか?
この電話の返事でお前たちの反応を確かめているんだ・・・」
「わかった。じゃあ、明日8時ごろもう一度電話をちょうだいね。」

母と私は、父には冷やかだ。
どうしてこの家を追われた最期の思いを忘れることができるだろう。

それでも、受話器の向こうの情けない父の声のトーンを無視することなどできるだろうか。
今朝、いつもより早く母とわたしは、ふとんを上げて、父の電話を待った。
しかし、「風のハルカ」が終わって8時半を過ぎても電話は無かった。
「こっちからかけて確かめよう。」
留守電だった。こんなとき、いいことはあまり想像しない。

父の住処へ移動した。
父は不在だった。
どうやら、自力で病院へ向かったらしい。
帰宅を待って、汚れた部屋を掃除した。あまり掃除しすぎると、
清潔な状態に不快感を示す父にわからない程度に、昨晩の窓の結露など
を拭き取るなどして、小1時間過ごした。

自室にしていた部屋も、父の衣類が吊るされていて、学生時代の
思い出の品々も埃を被ったりしているが、引き出しを開けると、アーカイブ。懐かしくて、つい手がとまって脳ミソがタイムワープしまう。
思春期から使っていた白いカラーボックスの中段の蓋を開けると、
母が結婚前に勤務していた幼稚園時代の花瓶、そして母の旧姓の宛名の4通の封筒が出てきた。
差出人は、父方の祖母だった。

「もうそろそろ帰りそうだけど、どこの病院へ行ったんだろう?」
「N病院かな?」
「電話しようか?」
「電話帳が見当たらない。」
「ちゃんと帰ってこられるか心配だから、二人で行こう。」

戸締りをして、N病院へ向かったが、あいにく父の受診は終わって
病院を出たばかりだった。
再び、父の住処へ戻ると、父が自由の利かない足で自室へ向かう階段を昇っている最中だった。
「こんなことになるなら、1階を選ぶんだったな。」
「入居するときは、見晴らしがいいって気に入って最上階を選んだんでしょう?」
エレベーターなど気の利いたマシンは、築25年以上のこの集合住宅には設置されていない。

ともかく、母と私が支えて父を食堂の椅子に座らせた。
母が薬局へ折り返し薬を取りに行き、私は父の昼食の支度を手伝った。
腕を少し動かしても腰に激痛が走るので、父はイライラしながら、私に
諸々の指示、命令を出した。
「そんな口のきき方、ヘルパーさんにしてたらいやがられるよ。」
それでも、同居していた20年前の父よりも白髪のよぼよぼじいさんに
なった今の方が譲歩できる私になっていた。
それだけの年月が過ぎていた。

父は私に幼少の思い出を語り、涙脆くなっていた。
「昨夜も眠れなかった。枕元に婆さんが来て、なにやらごちゃごちゃ
言ってるんだよ。」
「こんな哀れな息子の姿をあの世から見かねて心配で来るんじゃないの?私もさあ、不思議なんだけど今大学院に行ったことを御祖母さんが一番喜んでくれているように思うんだ。
予備校に通ってたとき、交差点で信号を待つ間、何の前触れも無く、
ふっと御祖母さんのことが頭を過ぎって、涙が出そうになった。
ねえ、御祖母さんってどんな人だった?」
「純真で真っ正直だが、不器用な人だった。親父からも暴力を受けていたから、夫婦仲は悪かったし、親父を恨んでいた。
実家の方がずっと格式も高く歴史もある寺だったからな。」
「御祖父さんと結婚して踏んだり蹴ったりだったんだね。
何か私に似てるなあ・・・逆子で難産で生まれたって本当?」
私は、母から間接的に聞いていた父の出生や幼児期を確かめた。

「ああ、そうだよ。昔は産婆さんが取り上げたから、一度出掛かっていた身体を体内に押し戻して産んだから、御祖母さんの母体も危なかったらしい。おまけにワシは、5歳のときに御堂に上がってそこから転落して、お袋は気が狂ったようになっていたらしい。」
「この2つの出来事だけでも、十分どこかで脳損傷受けてる可能性あるよね。勘当してしまったお父さんのこと、死ぬまで気がかりだったんだね。だから心配でこの辺うろうろしてるんじゃない?」
「ああ、まるでハムレットだ。御祖母さんの墓参りに行こう。
雷鳥に乗るときは、お前も一緒に付き添ってくれよ。」
「うん。いいよ。」
父とわたしはハモって泣き、運命を嘲笑した。

「この前の衆議院選挙のとき、TVに映ってたWさんって親戚だって
母が言ってたけど。」
「深雪伯母さんの婚家の義理の兄弟だ。よく知っていたな。」
そうこうしていると母が戻ってきた。
母は自覚していないが、父と話すときの母の声のトーンはヒステリックになる。それが私の神経を逆撫でる。

私は、ふとさっきの白いカラーボックスから祖母の手紙の束を
リュックサックに入れて、父に別れを告げた。
「月曜日、電話ちょうだいね。ちゃんと来るからね。」

自宅に戻って軽食を摂ると、今度は電話相談のボランティア当番に出向いた。
今日はクリスマスイヴの土曜日のせいか、件数は少なかったが、
私は3件の応対をした。
「今年は、パーティーの誘いがあったんだけど、行かなかったの。」
「そうですか。独りで過ごす人も増えてるんでしょうね。」

「私は戦前生まれですけど、世代のギャップは仕方ないのかしらね。
孫に何十万円もの成人式の晴れ着を買ってやっても、ありがとうの
一言も無いわ・・・」
「飢えも知らず、モノに取り囲まれて、お金で買えば何とでもなるという時代に育つと、有り難いという感情を持ちにくいのではないでしょうか。」
「そうね。戦争で辛い思いをしたから、次世代には同じ思いをさせたくないと甘やかし過ぎたのかもしれないわ。」

定刻をオーバーして、元薬学の研究者だったというW氏との初顔合わせコンビのボランティアを終えて、私は自転車で自宅に戻った。

「ねえ、今日、御祖母さんの手紙を見つけたの。お母さん宛のだよ。」
「え?そんなもの見ないほうがいいわよ。」
「でも、御祖母さん見つけて欲しかったんじゃないかな?
昨夜も夢枕に現れたらしいよ。うん。そんな気がする。」

私は、母の前で祖母の手紙を音読した。いつの日付かもわからない
遠い日の手紙を。
「お手紙ありがとうございました
当地は今年は雪の量も少なく割合に過ごしやすい冬でした
春はそこまでやって来ているので寒いとは云いながらもうしばらくの
辛抱と思っております。
さて あなたのご苦労を手紙をいただかなくても
まざまざと見ている私としてはほんとうにやりきれない思いで一杯です。
私に経済力があれば貴女に請求されなくても直ぐにでも送金したいのですが それが出来ない事が一番心苦しく悲しいことです
毎日そんな事ばかり考えておりますので頭がぼんやりしてしまって
何をする気力も起こりません 耳もすっかり遠くなってしまって
人との対談は不可能に近いものです」

母は、私の幼少時、祖母と深雪さんにしばしば手紙のやりとりで、
窮状を訴えていたが、祖母に深雪さんとのやりとりは、婚家との
いざこざを懸念して遠慮するように咎められた。

それが、断絶の要因となった。
豪雪の大寒波は、平成天皇の誕生日の今日も、日本列島を覆っている。
わが町にも降った昨日の雪は、昨夜のうちに殆ど解けたかに思われたが、
今朝は居間のある裏側の窓越しにポタリ、ポタリと水の滴る音がした。
表側は、寒いけど青空の快晴だ。
「そうか、雪解け水の雫の音だ。」

クリスマスパーティーのドタキャンがあってもブログを書きながら、
スペシャル番組を見るのもいい。

今朝9時から、「浮世絵の快楽」という番組にいろいろの閃きがあった。
プレゼンターは、日本在住のフランス人漫画家フレデリック・ポアレ氏。
日本の今時の女の子をターゲットに他国のティーンには感じない、
独特のジャパネスクな仕草や、表現に魅了され、漫画にしている。

高校時代、演劇部と併せて漫画研究会に所属していた「ゆきんこ」は、
(因みに、それ以来ペンネームを長年愛用している)
自ずと、ポアレ氏の抱く謎に引き込まれていった。

日本女性の妖艶な魅力のルーツを、フランス革命と裏腹な同時期の
江戸時代に求めた。
当時、大ブレークしていた「浮世絵」だ。
江戸の天才浮世絵師たちが競って繰り広げた、アイデアの宝庫を見ているうち、
なんとなく、I先生が発達障害児業界で、デザインしてきた「工夫とアイデア」にも、また昨夜、中之島のバラ園で鑑賞した芸大の学生さんたちのプロジェクトにも、オーバーラップするのだ。

例えば、浮世絵の版木だが、何枚もの版木に色を別々に一枚の和紙に
重ね刷りをするのだが、色がずれないように、紙を固定する「見当」
(けんとう)という「カギカッコ」の型が拵えてある。

この工夫に、ゆきんこは、数年前から手先の巧緻性に問題のある障害児さんたちに関連付けて応用してきたアイデアがあった。

ちょっとしたことだけど、かまぼこ板を直角カギ型『に2つ綴じ付ける。
この真ん中にオリガミの端をあてがって、角と角を合わせて三角に折るというものだ。

実際に、一昨年担当だったK君(当時5歳)が発達相談員にオリガミの課題を提示され、お母さんに相談されたときに、提案してみた。
「かまぼこ板なら簡単だ。」とお父さんが早速作って試してみたが、
結果は不作に終わった。
二つのかまぼこ板が水平にならず、オリガミの角は全然、板の角とフィットしなかったのだ。

そして、当時使われていた和紙。
手漉きで、版画に最適丈夫。高級感がある。
材料は、コウゾだから、これを現在のプロジェクト総合学習に、
そのまんま、応用できるじゃない!?

絵の具も藍や紅花、クミンも、全て植物性の自然素材が原料だ。
丹念に、栽培するところから初めて、製品に仕上げ、これを販売する。
デリケートな障害児、者のみなさんも、ゆきんこも、
こわ~い上司がいて、監視が厳しかったり、締め切りにやいやい追い立てられたりするのは、反って才能が発揮されない。

寧ろ、加速する時代という洗濯機の渦から逸れて、
慌てず、焦らず、マイペースにオペラント、
そして自然と共にエコロジカルなのがいい。

葛飾北斎は、富岳三十六景や東海道五十三次で名を馳せているが、
実は、人間大好き、元祖人間観察巧みな漫画家でもあった。

浮世絵は、当時も今も、世紀と国境を越えて多くの芸術関係者に
賛美され続けている。
これをローテクアートエコプロジェクトにデザインできるんじゃないかしら?

注!このアイデアは無断でパクらないようにお願いしたい。

ゆきんこ、冴えてるなあ(自画自賛)
さて、大切なお友達に年賀状の宛名描こうっと。
只今、NHK総合「知られざる野生」を丁度、見終わったところ。
南半球パプアニューギニアの真夏のクリスマスのイルミネーションは、
天然の蛍の照明だ。一斉に樹に留まって、それぞれの蛍が同時に点滅し、雄が雌にプロポーズの争奪戦を繰り広げる。
なかなかゴージャス且つワイルドな求愛行動だ。
日本の男性諸氏にもがんばってもらいたいものだ。
もしも、「今年も彼女いなくて、外へ出かけるのが虚しいんだよな・・・」
なんて、ふてくされているのなら、鳥や虫を拝察してみよう。

口下手でダイレクトに口説けないだなんて言い訳は、生物の世界には無い。
最終的には、ことばなんかは凌駕されるものだ。
夜空には、オリオンとシリウスが輝き、君の工夫とアイデアに満ちた
アクションを見守っている。

・・・・と冒頭から偉ぶった文体なんだけど、
わたしが、星の王子様なら冬の風に昨夜寒そうに震えながら咲いていた
雪の中のバラ園に囁くだろう。
「君のその凍えるようなダンス、なんてセクシーなんだろう。
ベルサイユのバラよりずっと可憐だよ。」
なんてね!

う~ん、10日のポリテクセンターの選考会には落ちたけど、
即座にSちゃんに頼んだところ、なんと来年1月から公演の「ベルバラ」
のチケットが入手できたのだ!
こっちの方が、断然、倍率高かったはずなのに!

本当は、今日家庭教師先のT家のクリスマス・ホームパーティーに
招待されていたのだが、昨夜、訳あってママから電話でドタキャンを告げられた。

昨日、一昨日とお楽しみがあったので、ちょっと長くなるけど、それをまとめて書こう。

一昨日21日は、今年最後の夜の学校の授業。
所属ゼミのY先生(専門は社会心理学、仲間関係)が予め提示された研究論文に、受講生たちがそれぞれにコメントをメールで送信し、それについてディスカッションをした。
・・・といっても、それぞれの現場を抱えている教師たちの思惑があり、
日本人は忌憚の無い意見交換を憚るという文化・風習をそう簡単に
改革できるわけもなく、だんまりになってしまう。
「送信するコメントで、ここは伏せて欲しいという箇所があれば、
それも付記して下さい。」

お題は、クラス仲間間で幼児が2年連続でリジェクト(拒否)される傾向にあるのか、ソシオメトリックテストを用いたその相関と、孤独感についてだ。
ソシオメトリックテストとは、心理学者ドッジが考案した調査質問紙の1つで、内容はクラス内で、各子どもたちが好きな子どもと嫌いな子どもを選ぶ言わば、人気投票みたいなものだ。
類似テストにGUESS WHOテストというものもあり、こちらは
「遊びたい子は誰ですか?」「すぐにけんかする子は誰ですか?」など
ひとりずつ指名して記入するタイプもある。

結果と考察は、固定化されたクラスの中で、一度、人気者と仲間はずれのグループが出来上がってしまうと、それが長期化してしまう。
拒否児に選ばれた子どもは、自然、孤独感を抱きやすく、攻撃的な要素も持ち合わせやすいので、これに対する方策としては、SST(社会性スキルトレーニング)の導入も考慮するのも一案だ。とまとめられた論文だ。(広島大学 前田教授)

10名足らずの学生の各教師たちのなかには、
「子どもの頃にテストをした経験があって、厭な思いをした。」とか、
「R群(拒否児)が出現しないようにクラス替えを頻繁に行なった。」とか、テストの実施そのものに難色を示すコメントもいくつか寄せられていた。
その裏を斯いて、Y先生のコメントは、
「ぼくの娘なんかは、小4でこのテストを受けたらしいけど、
仲良しの友達と離れ離れになりたくなくて、わざと仲良しでない演技を
したらしいが、これは女の子ならではのテクニックで、男の子なら、
こんな巧妙なことは思いつかないだろうな、ハハハ」
途中、真冬の雷が轟き、しばらくして氷雨が降り出した。

「じゃあ、今日はこの後も忙しいんで、ちょっと早めに終わります。」
年明けの題材になる論文を配布して講義が終わり、Y先生とゼミ生たちが
夜の氷雨の街に繰り出したのは、とある宴会場。
既にサラリーマンたちのの忘年会でがやがやと賑わっていた。
ビールをグラスに注いで「お疲れ様でした。」と一同乾杯!

今年で2年目の夜の幼年教育コースのY先生のゼミは
2年生が2名、1年生が2名の4名でこじんまりしている。
現場も職種も年齢がバラバラなのが、いいところで、それが、
Y先生のねらいでもあった。

「類は友を呼ぶ」で、似たもの同士は、幼児期から自然、仲良しになるが、それが固定化されることなく、流動的な仲間関係が健全だというのが、「僕はアメリカ嫌いでね。」というY先生のモットーだ。

同期で2歳年上のTさんは、男性で学部は元々経済だったらしいから、
初めの頃は、かなり場違いな感じと、幼年教育の内容に抵抗感もあった
ようだが、「だいぶリラックスして慣れてきました。」とビールを飲んだ。現場でサンタクロースになって子どもたちにプレゼントすると語っていた。

子どもにクリスマスのプレゼントを何にしようかとか、
子ども時代はサンタをいつまで信じていて、いつごろファンタジーに気づいたかとか、印象に残ったプレゼントは何だったのか?など
ざっくばらんに談話した。

ゆきんこにとって、実は3回目のゼミなのだが、前の研究室やメンバーの
雰囲気とのギャップにもようやく慣れてきた。
T先生は、アメリカでドクター(博士課程)を修めた権威だったから、
アメリカ大好き、英語を話せないのはナンセンス。
7年前当時、プレゼンテーションも、ディスカッションもディベートも全く初めてで全然できなくて、緘黙に陥り、悔しい思いをした。
現役のバリバリ教員たちに囲まれて研究室はいつも花盛りだった。

ここで、「風のハルカ」にも英語で主役のハルカが、英会話するシーンがオンエア中。


昨日のブログを書き上げてから、母が一通の郵便を手渡した。
H市の子育て支援室から「平成18年度の保育士のアルバイト登録」の
依頼書だった。
「どういうことよ。9月にはK課長直々に金輪際勤めるなといっておきながら・・・」

午前10時母校H高校の近くのある事務所に、母と参加した。
目的は、市会議員のHさんによる「H市の子育てについて」実態報告会兼
昼食会である。

2児の母でもある子育て真っ最中のHさんは、先代の父、Y市会議員の意思を継いで30代前半で白羽の矢を立てられた女性若手ホープだ。
朗らかな笑顔で、調査に基づく近況をフランクに語った。

全てを叙述するのは、難しいのだが、印象に残ったことを書き留めてみよう。
「広報を見ていますと、なんだかいいことだけやっているように
見えるんですが、マスコミが、いかにイメージが先行しているかも
読み取ってください。ずっと取り組んでいるような記事でも、
ほんの数日だけで、写真にいいとこだけ収められているということが
あります。」

ふ~む。
ゆきんこの数少ない交流のあったジャーナル関係者もそんなこと言ってたな。

「わたしの小6になった娘が言うんです。
『ちょっと前までゆとり教育だったのに、今度はヤレヤレ教育っておかしいよね。』

 最近、教育委員会は、相変わらずの縦割り制度が蔓延っている。
校長に就任するのに、どれだけ自分のスローガンを掲げて、
リーダーシップを発揮していくかを競い合ってます。ちっとも民主主義
じゃないから、生徒たちがついにボイコットした小学校もあります。

「特別支援教育に関しては、コーディネーターを派遣しだしたけど、
全く形骸化しています。元養護学校の教員が担任にあーだこーだと言うけれど、自分の担当の複数の子どもたち以外にも、複数の通常学級に在籍する軽度発達障害の子どもたちの指導を担任にしているという信じられない負担です。根本の問題解決になっていない。
赤字だらけの予算内で担任が、クラスに在籍する軽度発達障害の子どものニーズに応じた個別支援教育のカリキュラムを作るように言われて、
担任一人でやらなくちゃならない。だから、府下では、最も残業や休日出勤が増えている自治体になっているんです。」

悲惨だ!!

「これに対し、H県A市にも調査に行きましたが、こちらは限られた予算でも障害児の保護者のニーズに応じた支援が実践されていました。
校長はワンマンでなく、話し合って進めていこうとするシステムができているのです。

とにかく、大切なことは全て非公開で決議されていこうとしています。この10月の英語教育推進特区の申請も、結局それが通過したのですが、英語が話せる市民を作ろうというスローガン、ブランド都市のイメージだけが先行して肝腎の市民主体ということは、お座なりにされています。わたしも英文科を出ているし、英語も好きだけど、主体である
子どものニーズや成長発達に応じているのかが抜けています。」

やっぱり?
T先生が12月6日のH大学の講演会で「H市にも派遣しました。」
と声高に言ってたけど、どうだかな~?内心は思ってたんだ・・・

それに、英語教育モデル校の特区申請の件も、彼女のブログにアクセスした時、実は河本先生からわたしのブログにもアクセスされていた。
「今や、公立高校の授業料も最も高くなり、目下、公民館の有料化も騒がれていますが、
これも蓋を開けてみますと、H市で社会教育主事の資格を持って専任している市職員は、たったの1名です。」

何だって!?
ゆきんこは、持ち腐れた社会教育主事まであるし、
その履歴書だって、過去7回も採用試験の面接でここの管理職たちの目に
触れていたのに、とても公正に不採用になったなんて思えない。

事実、H保育所の保育士が言ってたのだ。
「議員の親戚や知人で、どう考えても成績悪いのに、コネで受かってる
人いっぱいいるんだから。」

昼食タイムになって、わたしは偶然、H市会議員の傍でざっくばらんに
話した。
お友達ではなかったが、彼女も随分前に、わたしと話したことを
記憶に残していたらしかった。
「わたしのこと知ってたの?」
「ブログに書き込みしてくれてたんでしょう?」
「大人が子どもで、子どもが大人。それは本当にそうだと思うな。
自分がいい年になっても子ども意識抜けないから、同世代は相変わらず選挙にもいかないし。寧ろ、小学生時分の方がちゃんと児童会もあって選挙して『清き一票を』なんて言ってたもの。」
「今は、児童会無いんだよ。児童会活動。校長が独断でアンケートとるの。
今の教育に何が必要か?学力だけを重視してるのね。高校の選択肢は
広がったけど、難関の進学校か、そうでないかで2極化しているから
『普通』っていうのがないの。」
「今の学校の管理職って、はっきりいってでもしか先生じゃない?
だから、塾とか私学志向にも拍車が掛かっているのもどうかなと思う。
システム上、貧富の差が出てきて、それに呼応する形で貧しい家庭の子どもは教育費を払えないから、学力が低下するという傾向になってるのが、心配だなあ。」
「子育て支援も、公立の幼稚園を廃して、保育所も民営化して、
その潰して浮いたお金で、全く別のスタンスの子育て支援を声高にしてるから、矛盾なのよ。」
「管理職を早期退職させて、バイトで埋め合わせてもいい保育なんか
できるわけがないと言ったら、私K課長に追い出されて・・・
それなのに、昨日、子育て支援室から郵便物来てたの。おかしいでしょ?選挙のとき、最後のH保育所の前で、退職したK先生がビラ配りしてたら、主任と所長はいやな顔してブツブツ言ってたよ。」

ともかく、本能的に心地よく集団帰属できる居場所を見つけられている
若者は少ない。
誰もが、腹の底には不信感が渦巻いていた。
それが、無党派のノンポリ層を肥大化させているに過ぎないし、
ジワジワと100人中、99人の無感動、無関心、無責任人間を
育んできた我々世代が受けた教育のしっぺ返しに他ならなかった。

H議員のこんなことばも頭に残った。
「平成20年以降にいよいよ深刻な本当の少子化に突入します。」
参加者のある女性のこんなことばもあった。
「確固とした支持政党があるのは、羨ましいことだと言ってくれた人もありました。」

ごま塩頭の女性たち20数名のうち、子どもはたったの1名だった。
裏方では、落選した議員候補がいそいそとお茶を入れて接待し、
なぜか、T先生がLD講演会の休憩時間に宣伝していたのと同じオリジナル商品の「韃靼麦茶」が振舞われていた。

さて、「発達104(2005年10月号)」を少し読んで幼年教育のゼミの
忘年会に繰り出そう。
I先生のブログは、なぜかキャンディーズの話題で花盛りになっていた。

どんな話が飛び出すかな?
今日もいい天気。空気は冷たい。
学校からほど近いルミナリエは、昨夜も賑わっていたらしく、
最寄り駅の改札は人々でごった返していた。
一昨日の日曜日は、氷点下0.4℃とあんなに寒かったのに43万人も集まったとか。
夜の学校の学生は、たったの3人だった。

一人っ子のゆきんこには、小雪さんという大好きで不思議なお姉さんがいる。
父の最期の虐待から逃れて間もない13年前(1992年)の9月
奈良、大和郡山市の「内観寺」の内観療法で出会った。
言わば、内観というのは、心の垢落としというか、和式の懺悔みたいな
ことをする、一種の心理療法だ。
その涙を共にした一期一会で、こゆきさんとゆきんこは、血のつながらないきょうだいになった。

昨夜、夜の学校から帰宅して玄関の冷たいポストを覗いてみたら
小雪さんからお手紙が届いていた。
11月22日に小雪さんの個展のギャラリーを母と訪れ、そのお礼状と、
3人で一緒に撮った写真が同封されていた。

そして、1994年(平成6年)に小雪さんが投稿した記事も添えられていた。
「身体を考える会」の機関紙に載ったエッセイだ。

「小学校4年のとき、リレーの強化練習で足を痛めたことが、
今から思えばそれが『変形性股関節症』という私の病気の始まりでした。
でもほんとうにわたしが病気だと知ったのはそれから10年たっていました。
登山での下り、痛みで歩けなくなって・・・、
10年間というもの、人一倍歩き、動き回り、スポーツ大好き少女で、
私は健康であると信じて疑いませんでした。
其故、医者に病気だと云われても少しもピンと来ず、事の重大性を認識するのに又十年の歳月がかかってしまいました。
書を一生の遣るべきことと決め、ちょうど油の乗ってきた頃、
かつてなかった痛みがやってきたのでした。
書を遣りたいばかりに手術してしまったのです。
合計1年の入院生活、それにも拘らず、松葉杖での退院。
医者の云う、「歩けるのは勿論、走れるし、書も存分に出来る」と云う
ことばを信じて・・・、
それがことごとく打ち砕かれてしまいました。
私の本当の痛みとの戦いは、退院後から始まったのです。
痛み止めを飲んでも効かない、足の痙攣、眠れない日々が何年も続きました。
ヨガ、ストレッチ、自分で編み出した身体をほぐし、リハビリ、を毎日
続けながら、人が良いと言うことは全て試みました。
電気治療、針治療(四国、高知へ毎月二泊三日で1年半通う)
光線治療、カイロプラクティック、神霊治療(東京や長崎へ)等など・・・
何を試みても歩けるようにはなりませんでした。
十年の歳月が立っていました。
そして漸く気付いたのです。
誰かに治してもらおうといつも受け身だった自分が間違っていたと。
病気と、お友達になって、そして、一生、松葉杖でも良いと・・・・、心の底から思いました。
そしたら、どうでしょうか・・・・、
今迄、鉛が入っていたように重く痛かった足が、急に軽くなり、痛みが消えたのです。
不思議な体験でした。
 心が解放されると今迄詰まっていた細胞も解放される、そして病気からも・・・・・・、心の持ち方一つで、どんな風にもなるんだろうと云うことを、身を以って体験しました。全てが上手く回りだしたのです。
人間医学者との出会い、東条百合子氏の自然療法との出会い、
玄米菜食、そして二年が過ぎ、アレルギー性の身体が、すっかり健康に
自然体で生きていると、黙っていてもいい出逢いが次から次へと・・・・。
良くなる方向へ行くしかないと云うふうに動いてゆきます。
病気は自分で治すのではなく、自然が治してくれる。
宇宙と一体になっていれば・・・・、
手術後、自分のことで精一杯だった私が、人様のことで走り回れるようになったのですから有り難い事です。
筆も漸く持ち始め、今の身体に合った字が書けるようになりました。
そして、書道教室も始めました。
私を囲む全ての人に支えられてここ迄来ました。
こんなに平安で心が充実している日々が来るなんて、痛みと戦っている時には、想像もできないことでした。
生きている、生かされている、ということは、本当に素晴らしいことです。」

ゆきんこも、相変わらず不器用で臆病だけど、
町の電車の中の、怖い顔のおじさんたちに囲まれていると背中が痛くなるし、
おばあさんになった母の前でワ~ワ~昨日も年賀状書きながら泣いたけど、、、、
こゆきお姉さんと生きている、生かされている。
今まで出逢ってきた大切な人々と一緒に。





失業中はいいな。
外は日本全国、大寒波。日本海側は、大雪が容赦なく過疎でお年寄りたちが肩を寄せ合い辛うじて生き永らえる故郷にも降り積もる。

わたしの街には雪はやってこないけど、
キッチンの窓を開けたら、爽やかな青空と白い雲が覗いて見えた。
3日間まるまる引き篭もって家の中にいても、
こんなにいっぱい、自分だけの時間がある。

午前中は、「関西思い出シアター」で百人一首のかるたクイーン決定戦
や、ラジオ英会話の再放送、「社会福祉セミナー」を視聴しながら、
昨日終日描いていた、残り10枚のギリシャのネコたちを彩っていた。

今年の8月にブログを始めたお陰で、自宅に居ながらにして、
たくさんの人たちの目にこのブログが留まって
自分のことを知ってもらうことができた。
本当に、有り難いことである。

12月に入って、4月から9ヶ月間中古の売物件だったお向かいに
若夫婦がやってきた。
姉歯氏の偽造建築が明るみに出て、マンションの新購入の受注も
社会不安を助長して、減少するかもしれない。

「久や」のご主人のなんと羨ましいことだろう。
茅葺のご先祖様の宝物のなかで、今年も年を越すだなんて。
次男だった父は、祖父と伯父から虐待を受け、勘当された。
雪の降る故郷だった。
名産品は、CM「♪ゆきちゃんのかおりはこうじみそ」
駅の看板はまだあるかしら?

ゆきんこの伯母さん、父のお姉さんはどうしているかしら?
伯母さんの名前は深雪(みゆき)さんという。

ゆきんこの雪に因んだ、忘れてしまいそうな、忘れてしまいたい思い出をちょっと綴ってみよう。
(♪夢想花)

深雪さんは、父にはやさしいお姉さんだったと聞いている。
どうして過去形なんだろう。
父と断絶してしまい、もう30年も消息がわからないからだ。
生きていらっしゃれば、80歳前後だ。
祖父が他界した後に、「風の盆」で有名なふるさとで、
父と母、深雪おばさんと、わたしが撮った写真が1枚アルバムの中に
貼ってある。
わたしは、その当時の深雪さんにだんだん似てきたように思う。
父は、祖父の遺影に瓜二つだ。

父の故郷の親族は、実はかなり由緒のある人々だ。
そして、昔から堅実な全国でもかなり教育熱心な土地柄だ。

そんなことは、今、失業中の私には、なんら関係のないことかもしれない。
でも、関係ないことも無いのだ。
殆どが、教育関係者なのだから。

久やさんの茅葺のお家もとても素敵だけど、
父の実家は、400年以上も古く大きい。
代々のお仕事は、英語で言えば、プリーチャー。
両親の初めの仕事も、コームインだった。

戦前の幼い父は、その大事なご先祖様の築かれた御堂の上によく登っていたらしい。
時々、ヴァイオリンも弾いていたらしい。
出生時は、逆子で難産だった。

祖母、伯母、母、私と4人の女たちを、今日に至っても尚、
ハラハラドキドキさせながら、世に憚ってきた。
曲がりなりにも健常児、健常者として扱われてきた悲惨な生涯を。

当時、私は今と同じように、とても暗くて寂しい小学生だったと思う。
そして、随所に緘黙にも陥っていただろうと思う。
1年生のクリスマス・イブのこと、6歳の誕生日以来、離婚して1年も経たないうちに、40にして総入れ歯、ベレー帽の父はクリスマスケーキを携え、やってきた。

翌日の神聖なキリストの誕生日からDVは再開した。
外でも「3日坊主」で、職場を転々、ついには
50代で約10年間の引き篭もりという、常にご迷惑な存在であった。

誰も、私たち家族を理解しても、支援してもくれなかった。
昔からずっと、今もずっと・・・
私たちの順番はいつも後回し、大したこと無いからっていう理由。
そっと捨て置けっていう理由。
臭いものには蓋をしろ。見てみぬふり。知らぬが仏。

真実を打ち明けた、信じようとした人は、差し出した手を戻して
去っていった。

みんなみんなが、わたしから自然、保身に回って、後ずさりしていることをどこへ行こうと誰と会おうと、センシティヴに見透かすことができた。
社会的地位のある、税金でご飯を食べている心理学者、
教育関係者の誰もが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎かった。」

この頃は、子どもだけでなく、先生たちも病気になったり、不登校になったりしている。
ちょっといい気味だったりするけど、案外いい先生のほうが、犠牲になっているものだ。

わたしの根深く降り積もるMutismは、そのルーツにある現在進行形である。
喉から出そうな要求が、音声言語でその権威に伝えられなくて、
「Discomunicater」と言われた。
わたしは地べたを這いずって、誰もいない一人の部屋で
「迷惑にならないように」慟哭してきた。

父に掛けられた玩具の手錠で、試験勉強ができなかった。
好きなオルガンを弾けば、「うるさい」と蓋を閉められ、指が挟まった。
外ではめいわくをかけないように「普通」にしていた。
ふつうで、平凡で、目立たないようにそこにいたかった。
仲間はずれにしないで欲しかった。
今も必死でそうしているけど、
わたしは、何も悪いことをしていないのに、はみ出してしまう。

こんな寒い雪の日は、受験を終えた去年の12月、川原の土手で読んだアンデルセンの
「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」が涙を誘う。


去年、必死に勉強したけど、大学の第1志望コースから逸れた。
「白い巨塔」がオンエアされていた一昨年の冬に、
大阪医科大のキャンパスで、I先生の臨場感あふれるあのABA講義を聞き終えて、帰宅し母と話した。
「やっぱり、LDだったんだ!!」

昼のキャンパスは遠すぎて、I先生の講義は、3回受けるのがせいいっぱいだった。
ブログの中のI先生が、もうすぐ忙殺されてしまわないかとシンパイで堪らない。
授業料の免除申請もしたけど、今回も却下。
Sちゃんと行こうといっていた「ベルバラ」は申し込み殺到!


なになに、今週の占いは、
「交流が広がり、新しい人脈を得るなど、友人や仲間を通じて発展しそう。多様な考えや価値観を知ることで人間的な成長も。
金銭面は、用心深さが目立ちそう。無理なローン組やクレジット払いは
注意」

早く来年にならないかなあ。
今夜もアニメ「雪の女王」見て、年賀状仕上げようっと!

明日は明るく夜の学校へ行こう!
だって、ゆきんこは、学校が大好きだもの。
ご先祖さまの古くて大きなお家は、学校と言われる前からの学校だったんだもの。
今朝10時半からNHK総合「趣味悠々」では、犬の散歩、トイレット
トレーニングの方法を遠藤久美子が、愛犬と実践していた。

見れば見るほど、I先生の著した「ABA入門」の中身そのまんまだった。
エンクミは、「おすわり」と言うと(SD:先行刺激弁別)
ダックスがエンクミの顔をじっと見つめてお座りする(B:行動)
トレーナーが、「そこですぐにワンちゃんを褒めて」と指示。
エンクミ「いい子いい子~」と頭をなでる。(C:社会的報酬)

同じ状況、散歩の途中で飼い主同士が「こんにちは」と挨拶する。
これを数回繰り返すと、ダックスくんは、じっと自分で考えた。
「おお、ここは僕の出番だ。エンクミは僕がお座りしたら、きっと・・・」
ダックスくん、オペラントにお座り(行動)
エンクミ「いい子、いい子ね!!」と撫でた。

もう!どうしてワンちゃんはこんなに純粋で可愛いんだろうね!

余談だが、4年前くらいに、自称犬の訓練士を名乗った殺人犯の
死刑が確定したと、別のニュースでは告げていた。

今日は、大寒波。寒い~~~!
日本海側は、広範囲に、断続的に雪が降り続き、日曜日まで降り続くと
気象庁は告げている。

こんな寒いときに臨月を迎えている妊婦さんもきっとどこかにいるだろう。身体暖めて冷やさないでね。

ちょっと昔、好景気に沸いていた誰もが平和で幸せだった年の暮れに、
臨月だった母のように。


また、厚生労働省の白書によると、
少子化は、女性1人あたりの出生率が1.29人と最低記録を更新した。
男性の初婚年齢が、昨年度より2.6歳、女性は3.1歳上昇し、晩婚化と晩産化が進んでいる。
子育てにかかる費用は、年間38兆5000億円で、これは、高齢者福祉に
宛てられる費用の65%に相当するが、今後の子育て支援には、
仕事と家庭の両立の支援が不可欠ということだった。
塾通いをする子どもたちが都心部のみならず、遠隔地においても20%近く増加し、公教育や公立学校の教師への不信感や学力低下を懸念して、
私学志向の保護者たちが増加しているという。

昨日のブログを書いて、午後2時にある好々爺とある事務所で面談した。
わが地域で元市職員だった「生活と健康を守る会」財務理事のI氏だ。
わが母がI氏のような「正義の味方」を知っているなんてほんとに
有り難い!!

「早速聞くけど、2004年度は、どんな風に働いていたの?」
「ずっとH市子育て支援室のアルバイトでした。去年の1月から7月末までは、S保育所でした。それから10日間は引き続きS保育所の病休代替、
アテネオリンピックの2週間は、K保育所で病休代替でした。
その後、12月15日から年末まで障害児施設のS園に所属していました。」
「ということは、その間の年収に応じて、国民健康保健の年間納入額が
決まるんだ。確定申告はしたの?」
「もちろんしました。あ、給与明細は持って来ましたけど、
確定申告表は忘れました。」
「それ1枚で十分だったんだけどな。それで、今は失業中?」
「はい。翌年の今年1月末までS園にいたのですが、パワハラで解雇を
言い渡されました。身の危険を感じて、議員さんにもお願いしたのですが、水掛け論になるからと要請に応じてもらえず手遅れでした。
主任から無理やりに退職届を書かされたのです。

それから、子育て支援室に出向して、パワハラがあったことの不服を申し立てて、弁護士事務所などにも相談に行きました。
でも、市長を訴えることになり、膨大な労力もかかるから貴女次第だと
助言ももらいました。

4月から6月まではK保育所、7月からはH保育所で、最後は子育て支援室の
K課長に『2度とH市で働くな』と釘をさされたのです。管理職は何も言えなくなって所長もリストラの対象になっているから、これ以上H市にいてもあなたのためにならないとまで進言したほどでした。」

「そういうことだったのか。わたしが在職中の30年前から20年前までは運動も盛んで、いい町だったんだがね。
N市長が就任してからの10年で、本当に市庁舎も町全体の雰囲気も悪くなった。じゃあ、国民健康保険課へ行こう。」
「はい。あ、録音テープ、持ってきたらよかった。」
「録音テープ?どうするの?」
「もちろん、証拠実録のためです。」
「そんなものいらんよ。わたしがついていくんだから。大丈夫。」

I氏はバイク、ゆきんこは自転車で市役所へ移動し、落ち合った。
市庁舎の前に来ると、気分が悪くなり怒りが込み上げてくる。
窓口の態度のよろしくない女性の応対にも虫唾が走ってくる。
でも、彼女たちだって厭なとばっちりを受ける気の毒な役割を担っている。わかっていても、私の怒りはボルテージに達した。

I氏が昔、同僚だった課長に事前に挨拶した。
そして、受付番号を呼び出す機会音のアナウンスが鳴った。
「○○番の方、窓口へどうぞ。」
I氏も一緒に並んで掛けた。
「こちらは、本人で世帯主のゆきんこさん。お母さんと同居していますが、お母さんが離婚なさっているので、姓が違っています。」
「はあ。」
「11月の終わりに国民健康保険の手続きに来ましたが、あまりにも
納入額が高額なので、なぜこのような額を請求されるのか、ご説明願います。説明もなく一方的に払えとは、納得いきません。老親の母を扶養するのに、こちらでバイトをしている際に、申請したら、わたしの年収が低すぎて扶養義務を果たせないからと、断念させられ、母は国保に
加入しました。契約が切れて失業したら、更に2人分で母の納入年額の
2倍以上を請求されるのはおかしいです。なぜ、そんな大事なことを
役所の窓口に説明する人を設置していないのですか?」

窓口の女性は眉間に皺を寄せ、すぐに課長が応対した。
「申し訳ありません。ご説明いたします。」
加えて、小声でこう言うともなく言った。
「もう国保のシステムは完全に破綻してるんだよ。」
「え~、まずお母様の金額ですが、高齢者につき、既に7割の減免措置がとられています。次に貴女の昨年度の総額年収を元に、国保の納税義務額を
算定しますが、これは法律で定められており、義務付けられております。」
「そんな理不尽な義務は、果たしたくありません。わたしは年収もどんどん下がって既に貯金も切り崩しています!」
わたしは、語気を少し荒げた。
「まあまあ。」とI氏が宥めてくれた。
「だって、教えてくれないし、何もわからないで騙されてるみたいじゃない!!」
「それでは、義務を果たせないという減免の申請手続きをしますか?こちらの用紙にその理由をご記入ください。」
わたしは、提示された書類に減免理由を記入し、捺印した。

パソコンで入力しなおされると、マジックだ。
わたしが当事者なのに、このI氏が水戸黄門の役割をしてくれているから、受付嬢やヘッドの対応はコロリと変った。

11月の終わりに美山から帰るバスの中で、お腹が痛くなったので、
翌週11月28日に手続きしにきた時には、受付嬢は、わたし独りではこんなに恭しく対応しなかった。
「退職と同時に国保も手続きしないといけないんですよ!!」
「そんなこと、ここを退職時には、管理職からは何も聞いていません。」
「え!あなたここに勤めていたの!?」
「はい。生まれながらの市民なのに、市役所から追い出されました。
もう市民やめようかと思うくらいです。」
「そう。よっぽど辛かったのね。わたしもバイトなのよ。」
「カウンターの外だから言えますが、わたし、もう二度と勤めません。あなたもお考えになった方がいいですよ。」
その女性は窓口にいなかった。

初めの女性が、ようやく私の顔を見て、誠実に応対し始めた。
「あなたの年収に応じた算出額から2割の減免措置がされました。
それから納入方法も年額一括払いと、来年12月から5月までの6分割が
可能になります。」
「そうですね。来年、就職しているかもしれませんから(希望!)
分割払いにします。その際には、また就職先の手続きをすればいいのですね。」
「そうです。それでは、こちらは本人様の控えになります。」
笑顔で去っていく私たちに、うなだれて待機している訳ありな人々の
視線が突き刺さった。

専門家のI氏が手続きのおさらいをしてくれた。
「こういうことって、誰も教えてくれませんから、知らなかったら
損をしてしまいます。母がIさんと知り合いで本当によかった!」
「そうだよ。知らないことで損をする。だから君は、今日僕と知り合って、見てご覧、2万5000円も儲けたのさ。そうやって物事いい方に考えるんだ。」
「ありがとうございます。何てお礼を言っていいか・・・」
わたしは、深々と2礼した。
「Iさん、市役所を退職されてから、ご自身の生活はどうなさってるんですか?」
「ああ、年金暮らしさ。この仕事はボランティアみたいなもんだよ。
 それよりも早く仕事を見つけて、いつまでもお母さんに心配かけちゃ
いけないよ。昔この町が、いい町だったとすれば、我々が若い頃、
辛苦を共にしながらも、運動を続けてきたからだ。それが思うようにいかなくなり、みんな年老いて辞めさせられていったんだ。」
「わたしも運動します。ありがとうございました。」
I氏とわたしは、市庁舎の前で別れた。

帰宅すると、ポリテクセンターからの結果通知が軒先の郵便受けに
入っていた。恐る恐るハサミで封を切った。

不合格だった。
ペーパー試験の内容や、面接の受け答えを頭の中でフィードバックしてみた。
来年の1月からポリテクセンターで、Oちゃんと職業訓練に勤しむ姿の
ヴィジュアル・イメージが壊れた。

辛うじて守られているカウンターの中の勤労者たちの、ストレスを覆い隠す無表情な鉄仮面の深層を見透かすという、ちっともお金にならない目に見えない技能に、わたしの生れ落ちた選択の余地のない人生のプロセスと、専門柄故に、長けていく自分がいやで、シニカルに爆笑せざるを得なかった。

去年も今年もボーナスはない。
それでも、お尻の下はポカポカほっとカーペットがあるし、お餅も買った。
飼い主が素朴ないい人だったら、ちょっと餌もらって、すぐに
「いい子いい子~」となでなでしてもらったら、
ホントはそれが小さな幸せ♡

そろそろ年賀状書こうっと!

世間一般のオーソドックスな生き方が、自分という有機体にとって
不適応感を常に感じさせていると自覚している場合、苦しいなと感じる。

自分と同じ境遇は、自然、共感に行き着くが、
前例のない研究世界そのものの生き方を、茨の道を選ぶしかないわたしは、孤高には強い方かもしれない。
無理して、仲間になっていることよりも・・・

昨日、午後1時30分、K百貨店の7階 パステルフロアーで、会員限定の三雲雅子さんのミニチュア粘土細工のクラフト教室に参加した。

ミニチュア粘土細工とは、手にくっつかず薄くのびる樹脂粘土を使って
指先を使って作る。
お部屋のインテリアやコレクション、ちょっとしたギフトにも喜ばれる
かわいらしい作品ばかり。
カントリーやメルヘンの世界をミニチュアにして作る楽しさ、
見る楽しさが味わえる。

参加者は市民8名、4人一組のテーブルに着くと、早速粘土をこねて
先生がお手本を見せてくれた。

題材は時節柄、サンタクロースとビスケットをモチーフにした壁掛け
装飾。

樹脂粘土というカラフルな粘土で、まずサンタの顔を両手のひらの
間に挟んでこねこねだんごに丸める。

はじめは慣れない手つきだが、だんだん粘土の塊を元に、指先で
先端を尖らせる涙型を作る技法にもコツが掴めて、要領を得てきた。

子どもの頃は、何をするにものろくさくて、「グズグズグズベエ」なる
あだ名ももらっていた不器用なわたしだが、アルバイトと言えども、
家庭の奥様たちよりは、保育畑で多少鍛えられてきたせいか、
比較的早いペースで作っているらしかった。

一般の参加者として、安心してそこに居られるのも何となく
嬉しくて、同席の年齢バラバラな初対面の女性たちが、楽しみを共有しながら自ずと誰に言うともなく口を開き始めた。

「クッキーの色は何色の粘土使うの?」
「ベージュです。」
「あ~、小さく可愛くできないよ。」
「初めてだもん。いきなり上手だったら、先生も困るじゃない?」
「ああ、ステッキはこうやってねじるのか!なるほど。」
「爪楊枝もクッキーやハート作るのに、こんな使い方できるんだね。」
「楽しい・・・作ったものをひとつひとつ板の上に並べるのが、
楽しいですね。」
「ニスを塗って仕上げると、我ながら、力作ができたって感じ!」
「孫にあげようかと思ったけど、折角作ったから、もっと作って
いいのをプレゼントしよう。」

「本当に作るのって楽しいですね。いつもは子どもたちがしているのを
見る側だけど、大人になって子どもと同じことをするのも楽しい。」
「あなたお仕事はなあに?」
「保育士です。」
「まあ、通りで早く作ってると思ったわ。いいお仕事ね。」
「ホント、偉いわよ。」
「ありがとうございます。でも見た目ほどいい仕事じゃないですよ。」

出来上がりの作品に、みんな笑顔を浮かべて先生に会釈して帰っていった。

エレベーターの前で、1週間前に衝動買いした万能野菜切り道具
「野菜美人」を買ったコーナーで、再び熊本出身のお兄さんに再会した。お兄さんもわたしの顔を覚えていたようで目が合った。
「あれ?まだいらっしゃったんですか?」
「あの日が販売の初日だったんですよ。今日で最終日なんです。」
「ブログに書いて、宣伝しましたよ。」
「ありがとうございます。」

今日の売れ行きは、お客の数も少なくて、芳しくなさそうだった。
あんなに目を丸くして、目の保養にもならないわたしの顔を見ているなんて、
宣伝効果あったのかも?

午後6時、夜の学校の図書館で久しぶりに会った
学生相談室のカウンセラーの先生に嬉しそうに見せびらかした。
「あら、可愛らしいわね。わたしの作品も見てくれる?」
「小枝で作ったリースですか。素敵!
ところで先生、日曜日にやまだ先生のフォーラムおでかけにらならかったのですか?」
「残念だったわ。予約してたけど、急用でキャンセルしたの。」
「おはなしとてもよかったですよ。今度、レジュメをお見せしますね。」
「ありがとう。」

6時限目は、ゼミのY先生の講義があって、レポートの締め切りを後回しに、ブログ書いてるから暢気暢気。(年賀状もまだ途中)
引き続き7時限目は、1年生のゼミの時間。
先に冷たい部屋に暖房を入れて、待つこと15分から20分で
Y先生とTさんがやってきた。

「だからさあ、論文とか、データとか、結果とか、そんなに焦らなくていいよ。」
「先生にそう言われると余計に不安になります。教育臨床心理のコースは、もう中間報告発表してるし、わたしには現場もケースもないんです。仕事だって自分に合うのは見つからないし、学費も払えるほど余裕ないのに、一体何やってるんだろうって・・・」
思わず、涙ぐんでしまった。
「とりあえず、論文の題目仮に決めておこう。いいかい。論文は、
皆の役に立つものでなくてはならない。でも個別の援助とは別に、
もっと客観的に、何を明らかにしたいのか視点を定めることが大事だ。」
「そうですよね。わたし分裂してます。だって、昨日もハーバーランドへ創業者セミナーに行ったんです。」
「ええ!ゆきんこさん、そんなことしてるの?」
「はい。まあいっちょかみですけどね。だってね、先生。
新聞配達のバイトなら時給1000円あります。でも、保育士は850円。研究だって、人間対象よりも雪の結晶見てるほうが楽だもの。」
「う~ん、そうだなあ・・・」
「人間同士が向かい合うと、どうしても距離が近すぎてギクシャクします。そんなとき、何か緩衝材があれば、コミュニケーションが弾むことがあると思うんです。
例えば、去年から今年は、数箇所の保育所を
転々としたんですが、すぐに新しい環境に馴染めなくて適応するのに、時間かかるでしょう?子どものころから動物好きなので、飼育状況なんかに目が行きます。どんな動物飼っているのか。子どもたちはどんな風に触れ合っているのか?

園庭開放で、お母さんと子どものコミュニケーションがあまりはずんでいないとき、飼っているアヒルを放し飼いにしていると、話が弾んだり
することがありました。
PDDのYくんも、そのアヒルが大好きになって仲良くなれたんです。

9月末までの最後の保育所では、トイレ掃除や窓拭きばかりして子どもとはかかわらせてもらえなかったんですが、害虫駆除の雑用していると子どもたちが寄ってきておおはしゃぎしてました。」

「その着眼点はいいね。飼育動物を扱ったテーマは大抵、いのちの大切さだが、確かに『子は鎹』の諺にも近い動物を介在した人間関係のモデルだね。しっかりメモにとって、もう少し調べてみてご覧。」
「はい!いい論文のテーマが見つかりました!」

エレベーターの中でくたびれたY先生に言った。
「この頃、タバコの量、増えてるんですか?」
「ああ、吸わないときは、吸わないけど。」
「また税金あがるんですかね。」

それから、深夜はいろいろの構想が浮かんでは消えた。
ここは企業秘密で言語化するのは控えておこう。
・・・というのも、誰かに内緒でアイデアマンに話してしまったら、
ぱくられたり、騙されたりした過去の辛酸が山ほどあって、
思い出すたび、腸が煮えくり返るからだ。

慣れているからいい。パクられたという確証もなく「六条のみやすんどころ」になるのは、
まだ早い、、、か、もう遅い。

今朝、母にその構想をかいつまんで話してみた。
最初は頭ごなしに「学費も払えない失業者のあんたが、一体お金がいくらかかると思ってるの。無理よ。」と即座に反論する。
こういう妨害ことばが、だ~いきらい!!

「でも、今やってることをタダでしてたら、ボランティアでおしまいだけど、その人に思いつかないアイデアを出して、仲介してちょっとサービスと工夫するからビジネスラインにのるんじゃない?」
「まあ、やりたいことあるんなら早くしてよ。創業なんて本気だったら、そんなに寝坊なんてできないと思うけど。」


それを埋めてしまったら、時給は850円のままかも知れない。
わたしには、辛うじて夢とアイデアと暗中模索だけが残されている。
昨日も、今日も寒い!!
日本海側は、ゆきんこのゆきマークで大雪警報発令中。

昨夜は学校も休講になった。
ABAのF先生が、携帯電話の向こうから嬉しそうな声で応対したと、
F先生のゼミ生のN先生が学校の前で教えてくれた。

国会では、朝9時半から「強度偽装」の件で騒がれている
元1級建築士姉歯証人の喚問がオンエア中。
ブラウン管の中の姉歯氏は、かなり神妙に応答しているように見える。

昨日は正午にJR大阪駅のホームでOちゃんと待ち合わせて、
神戸ハーバーランドで開催された「創業・経営セミナー」に参加した。

スーツ姿の年齢層多彩な男性陣に混じって、女性の姿もちらほらあったが、明らかに失業おねえちゃんの場違いな参加という感じ。

定刻午後1時になり、講演「雇われないで生きていく独立起業」
というテーマでドリームゲート チーフプロデューサーの
吉田雅紀氏(まもなく50歳)が熱弁を振るわれた。

「無から有を生み出すこと、アントレプレナンシー
わたしは50歳の誕生日に月の土地を部下にプレゼントしてもらいました。
大事なことは、ちゃんとする!当たり前のことは当たり前にする。
整理、整頓、清掃
お金のやり繰りはけちで小さい方がいい。その方が成功する。
お金のないときは、知恵で乗り切る。
でも失敗のない成功者はいない。
そこに居ていつでも準備できている。ガツッとチャンスを掴め!
「そこ」とは、家の中ではなく、外にある。

1時間30分きっかりの講演が終わって、Oちゃんはやや退屈してきたようだった。
9月末まで言論の自由もない使い捨てアルバイトだったわたしも、
すぐにはピンとこない話だ。
そして、これまでかかわってきた坊ちゃんたちの現状を思うと、
まるで月に宇宙旅行とか、別荘を持つなんて気の遠くなる話も、
自分の中で分裂乖離していることを自覚しないではいられなかった。

「結局ねえ~、日本社会は対象が人よりもモノの方が楽で儲かるんだから、正直の話。」
「確かに雇われないで『好き飯』(好きなことをしてご飯を食べる)っていうのは誰にとっても夢だけど、実際には色んな才覚が必要だよ。
お金、情報、人脈、マネジメント、ネットワーク。自分ひとりでそんなのできないよ。」
「じゃあ、雇われる方が気楽なのか・・・」
「雇う方は、従業者にも責任あるもんね。」
「ちょっと、ここのお店覗いてもいい?」

Oちゃんとわたしは違うところもいっぱいあるけど、
動植物と自然派志向という共通点もある。
元町の商店街のアーケードを南京町方向へ歩きながら、
改めて各々に店のレイアウトや、繁盛振りなども自ずと物色していた。
例えば、花やさんなど、生物の扱いなら期限が短いのでリスクも高いだろうとか、数店同じ商品を扱う店があれば、どんな店が繁盛している
だろうとか。
骨董屋やはんこやは、証明も暗くて、あんまり流行っていなさそう。
お茶屋さんが、お盆にのせて、お茶を振舞ってサービスしてくれた。
「ありがとういただきます。」
「ねえ、この前ABAの先生が教えてくれたんだけど、
誰でも生きていくのに絶対に必要なものって何だと思う?」
「食べ物じゃない?」
「そう。それと水。これなら絶対売れるでしょ?」
「ああ、水もこの頃売ってるよね。」

ルミナリエの点燈時刻の6時まで、食事と休憩をすることにした。
アーケードを左に曲がると、南京町に入った。
「7月にここでゼミのみんなでご飯食べに来たの。」
「となりも同じ中華料理だけど、飲茶セット1200円代。」
「こっちのメニューと値段ちょっと見てみる。」
3軒並んだ中華料理屋の一番奥の店は、ダウンジャケットの
中国人のお兄さんが呼び込みをしていた。
「45分で食べ放題。1060円です!」
Oちゃんとわたしは、目配せしてこの店に入った。

これが、ABA経済学の実践例。
入ってみると狭い店内にお客さんがそこそこ入っていた。
入り口のすぐ傍に相席になって、しょっちゅう扉が開閉されるから、
北風がヒューヒュー入ってきた。隣のお客の会話がお互いに否応なく
耳に入る。
それでも、「安く、おいしく、多種多様な中華料理を時間制限いっぱいでたらふく食べる」
この究極目標を達成したから、普段はお上品な(ウソ!)ゆきんこも
大皿にめいっぱい料理を載せて、ガツガツ食べた。
「おなかいっぱい。ズボンピチピチだよ。」

南京町は日暮れと共に、店店の照明が映えて、人々で賑わってきた。
キティちゃんの饅頭とか、露天の買い食い、食べ歩きを気軽に楽しむ
若者もたくさんいた。

順調に、人並みに乗ってルミナリエの入り口に向かって歩いていき、
入り口の前で留まって、6時になるのをおしゃべりしながら待った。
「寒いね~~」
木枯らしがピューピューと唸った。

ライトアップでルミナリエのイルミネーションが鮮やかに点燈し、
群集は、デジカメや携帯を掲げシャッターを切った。
「待った甲斐があったね。」
「独りじゃこんな寒いところで待てないよ。」
Oちゃんと私は、人込みにはぐれないように時々、腕を組んだ。

今朝のホットモーニングでは、熟年結婚が取り上げられていた。
確かに人間は、現代社会はお金がなくては生きていけない。
お金があれば、誰かと腕を組まなくても、衣食住に電気機器にも囲まれて、生きていける。
でも、どんなに物的に、経済的に豊かでも、街中を腕を組んで歩くことを躊躇ったり、「愛してる」と素直に言えない日本のこの頃の
コモンセンスは、味気ないかも・・・
皺だらけの睦まじい男女の笑顔は、年月も羞恥も何もかもを凌駕して
何よりの幸せの象徴に見えた。

あ、涎!






今日の冷え込みは、また格別。
日本海側のふるさと各地はどれくらい雪が降っているだろう。

暑い夏場は、わたしのペンネームはしっくりこないのだけど、
カラフルに染まっていたサクラの葉っぱが全部散って、まるはだかんぼうになった後に降る白い雪は、1週間前に久しぶりにひいてみた
セルフ・セラピーカードの「INNOCENT(無垢)」を象徴するかのようだ。
寒い冬は、クリスマスの後に誕生日の迫りくる「ゆきんこの季節」だなと思う。

昨夜、入浴後、NHKアーカイブス「シルクロード」を見ているうち
まどろんで熟眠してしまった。
昔の名もなき人々の日々の生活を慮るとき、自分はなんてちっぽけ
なんだろうと思う。
悠久の歴史を凝縮した素晴らしい番組を多少なりとも小さな脳みそに注ぎ込むとき、
それもぽかぽかした布団の中で、自分はなんて幸せなんだろう。

昨日は、正午からG図書館で調べものをしていた。
子どもの絵本コーナーに、子連れでもないシングルのおばさんが、
超人気キャラクターの絵本の束を抱えて、メモをとっては出し入れする
姿。怪しい・・・

誰にとっても卑近な存在の隠れたヒミツを(大)発見する。
「そうかあ。知らなかった。♪てのひらを太陽にの作者だったんだ。」
「へえ~。はじめは三越の宣伝部にいたんだ。」
「やさしいライオン」ってどんなおはなしか知らないなあ。

そして思った。
わたしも10年余り子どもたちとかかわってきたけど、
とてもとても彼には適わない。
だって、誰だって「種族保存」よりも「個体保存」の本能が
勝っているものじゃないだろうか?
今年は、惨たらしいことに、幼い子どもを狙った犯行があまりにも多すぎる。ご近所で!!
だから、ついつい引き篭もりがちになりたくもなるのだ。

人間が、本当に相手に思いやりの心を持つには、
自分が身を以ってトラウマスレスレの辛酸なめるという実体験が
どうしても必要なんだろうか。
J.レノンも「Image」って歌ってるけど、想像力には辛い実体験が、
裏打ちされていて、枯れ木にはやっぱり伝わらないんだろうか?

矛盾感じるなあ・・・
うまくことばにできないんだよなあ・・・

2005年酉年最後の失業はいいもんだ。
やなせさんより一回り下のおばあさんになった母が言ってくれる。

午前中、居間の間仕切りのカーテンを架け替えてみた。
クマのイラストと「COME HERE MY HOME」というロゴが入った
赤いタータンチェックの厚手のカーテンだ。
何だか、クリスマスっぽいでしょ?

空を見上げる時間がある。
宙はいつからあるんだろう。
どこまで続いているんだろう。
アインシュタインだって解明できずに死んでいった。

青空に白い雲があって、鳥が飛んでいる。
大抵は2羽の夫婦だ。
鳥は死ぬまで伴侶を変えない。

人間には自由も意思も、ことばもある。
でも喧嘩したり、相手を傷つけたり、上手く使いこなせているとは思えない。
便利になった分、問題も多くなって反って不便になっていることもある。
PCを買えば、使うためにややこしいこと、わからないことがまた増えてくる。
使っている時間が増えて、その分他にやりたかった時間がなくなる。
ついには、睡眠時間という生命を維持する重要な削ってはならない時間まで侵食される。
一番愛している傍にいて欲しい人と過ごす大切な時間が、
向かい合ったが、殺し合い!?に変貌なんて
おかしい!
本当にアンパンマンがいたら、地球のどこかで泣いてる子はいない。
高遠さんが、戦火のイラクでボランティアしに行って、
死に損なって帰ってきて、日本国民に「ごめんなさい」って謝るのもおかしいじゃないか。

だから、人類よりも先に生まれたいつまでもずっと二人で一緒にいる鳥の方がずっと偉いと思う。

そして、ご迷惑をかけてばかりの65億もの人々のいのちをのせているこの星は、
涙も零さないで、「黙って」今日も休まず回っている。

わたしは仕方なく、なけなしのお金を払って教えを請うた先生からの目の前の課題をしている。
1日それに没頭すれば、まずまず楽しく、知らなかったことがわかってちょっと賢くなった気がする。
でも、それが一体どうなのだ?何なのだ?

「♪めだかだって おけらだって あめんぼだって
みんなみんな いきているんだ ともだちなんだ」
 
お天気は晴れ、小春日和のぽかぽかした陽気だ。
わたしのココロも、昨日うだうだしてた割には、
久しぶりに夜も明けぬ午前6時15分に起床して、
黒豆と天ぷら、春雨サラダに、玉子焼き入りのお弁当つくって、
おまけに国語辞典と英和辞典まで、鞄に詰め込んで、
「風のハルカ」が、オンエアされたBGMと共に玄関をスタートした。

多分、昨夜11時過ぎに友人のOちゃんが、同じ会場で別のコースの選考会の面接の様子を詳しく電話で教えてくれたから、それから
開き直って、安眠できたからだろうと思う。
18歳当時(何年前かは聞かないで・・・)遊園地のパレードでエンブレムを握った友よ~!ありがとう!!

因みにお弁当を拵えながらの鼻歌のBGMは、なぜだか中学1年の合唱大会で好きだった「♪ともしびを高く掲げて」

9時には、選考会会場のポリテクセンター関西に着いているはずが、
最寄の大阪モノレール摂津駅に着いたのは、9時10分ごろ。
スーツ姿の3名の女性が、小走りで同じ方向へ走って行くから、
わたしも同調行動で、走ったが、、、ひどい息切れ。
カナシイ・・・
前を遠ざかって行く彼女たちに一人遅れて同じ会場に入ると、
殆どの希望者が、勢揃いしていた。
でも、今回は遅刻ではなあい!(当たり前)

志望コースはプレゼンテーション技術科。
応募者60名のうち、定員の20名が選ばれるから倍率は3倍。
ちょっと、元緘黙のわたしがこんなコースなんておかしいよね。
ここだけの話、直接わたしの緘黙を知る人はいないんだもん。
自分で気がついたのが、去年だったんだから。

指定席に座ってもまだ息切れは収まらず、
ハアハアいいながら、アンケートに記入したり、
鉛筆を3本机上に並べたりして、待機した。
お陰でなのか、何なのかあまり緊張感もなく、
初めの作文に臨むことができた。
お題は、2つ。
・これまでの職務経験でプレゼンテーションを重要だと
 感じた具体例、成功例と失敗例について述べよ。
・将来、習得したスキルをどのように活用していくか?
制限時間は、40分間。

成功例なんて、失敗例の数の比ではない。
でも、職務経験といえば障害児関連しかないんだから、(あとは、大昔の営業経験)
かばんの中に、2冊の辞書だけでなく、もっと余計なものまで
忍ばせて、作文のネタにしようと思っていたのに、役に立たなかった。

それというのは、一昨日、ハローワークの帰りにK百貨店で
衝動買いしたのは「野菜美人」
これをエレベーター傍で宣伝していた熊本出身のおにいさんの
軽快なプレゼンテーションと、絶妙な「野菜美人さばき」に
惚れ惚れと20分ほど見入っていたのだ。
殺し文句は、「幼稚園のお子さんからお年寄りまで楽しく使えて、
みんな野菜が大好きになります!」
・・・ってことは、障害児ちゃんにもOKだよね。

わたしが、お兄さんの傍で、ウンウンと相槌を打ったり、
笑ったりしているうち、ボランティアでサクラになったのか、
ゾロゾロと10名以上の人だかりになった。
相次いでおばあちゃんたちが5~6個が売れ出した。
もちろん、おにいさんのプレゼンテーションの実力には違いないが、
わたしは、I先生もこの商品は面白がるんじゃないかとすっかり嵌ってしまった。
「チラシありますか?」
「箱の裏の説明書きしかないんですよ。」
「面白くていいアイデア商品だから、宣伝しようと思って。2つ買います。」
お兄さんは、わたしに特別に手を振り、スマイルまでサービスしてくれた。
「今度はどこ行くんですか?」
「また、東京へ戻ります。」
「がんばってください。沢山売れるといいですね。」
こういうささやかなことで、ハッピーになるのがいいよね。

「群れからはぐれてしまった獲物が狙われる」
公共広告機構のシマウマちゃんのCMが何度もリフレインする。
宇治市の塾講師(23歳)が、ウマの合わなかった生徒を殺すなんて狂ってるよ。

脱線したが、
成功例は、詳細なドキュメンテーションに基づいて保護者にアカウンタビリティ(説明責任)を怠らず、子どものよかったところを誠実、且つ
的確に伝えたことで、母子関係が改善したこと。
失敗は、子どもを怪我させたことを上司に執拗に叱責され、
対人不安になり、全く話せなくなったこと。すなわち緘黙に陥った。

時間には余裕があって、20分くらいで書き上げて、あとはちょこちょこ修正した。

40分経過して、応募者は一斉に荷物をまとめて、
面接室のある別館へ移動した。
わたしの面接時間は、一番最後の11時40分だったから、
1時間近く待機時間があった。
ロビーで、ソファを確保して、Oちゃんの前情報を元に面接のシュミレーションだ。

職業訓練校のスタッフも年々人選にはシビアになっている。
でも、失業者は明らかに社会的弱者で、特にレッキとした障害がなくとも、本来は内面的にも色んなハンデがあったりする。

本当の意味での個別ニーズにあった職業支援ができているんだろうかと、さすがに4回も失業してると「品定めするあんたたちは、そんなに完璧な人間様なのかよ!」
とこっちが逆にABA的に品定めしてみたりする。(カワイクナイ~)

11時30分を廻って、先ほど隣の席で作文を書いた女性が、面接室の廊下の椅子に座って控えていた。
「緊張しますね。」
「はい。ホントの就職試験の面接じゃないから、まだましですね。」
女性が気軽に声をかけてくれたからすっかりリラックスモードだ。
「前のお仕事は何だったの?」
「保育士でした。」
わたしは過去形で答えた。
「そう。わたしは看護士。子どもが保育士さんにはお世話になったわ。」
「似たような仕事ですよね。看護士さん大変でしょう。
でも、求人はソコソコあるのに、どうしてこの試験を?」
「腰を痛めてしまってね。保育士もそうだけど、随分な重労働なのに、事務職の方がずっと楽で時給も高いじゃない?」
「はい。職種の幅も狭いし、それ以外となると、PC使えるのが当然
ですものね。」

などなど談話していると、面接の男性から呼び出しがかかった。
「8014番と8015番の方、どうぞ。」
面接官はOちゃんの前情報通り、若い男性2名だった。
わたしの隣の8013番の人が空席だったので、質疑応答の順序は交互に行なわれた。
質問も概ね想定通りで、女性のお陰で落ち着いて回答できた。

「これまで、保育士として従事してきました。ワードの基本操作は
できますが、今回初めて知ったACSESSとパワーポイントは使ったことが
ありませんので、是非とも習得させていただきたいと思います。」
「9月末で契約が満了したのが、今回の離職の理由です。」
「失業して3ヶ月目に入り、ハローワークで時々求人票は見ていますが、今すぐに就職ということは考えていません。30歳を過ぎてからは正職員としての採用は困難で、今回で4回目の失業になります。
自分の適性を見極めて、今度こそ、安心して永続できる職種と就職先を
探したいと思います。起業ということも考慮しています。」

時間は10分くらいだったと思う。
退室して、同席の女性がため息をついてこう言ってくれた。
「緊張しちゃったわ。あなた、上手に受け答えしたわね。きっと通るわよ。」
「ご一緒に面接できて安心しました。60人も受けてるから後は、
結果待ちですね。駅まで一緒に帰りましょう。」
それから、彼女はどういうわけか、わたしに諸々の身の上話をしてくれた。社会に対する不満や家族のことなど、聞いてもいいんだろうかというくらい・・・

縁は異なものだから、通りすがりの聞いてくれそうな「オバハン」に
ちょっと聞いてもらってすっきりするのかも。
わたしだって、美容師のSさんやら、色んな人たちにいっぱい慰めてもらってるんだもの。

午後の講演会は、半年以上も前から予約していた
やまだようこ先生の「ライフストーリー」について

質疑応答でやまだせんせいは仰った。
「人が、何かを語るとき、聞き手の存在は重要です。
誰に話すのかで、2者間の相互作用の中にストーリーが結ばれ、
生成される。幼少期に辛い思いを語れない体験をした人には、
そんなに簡単じゃなくて、世代に語り継ぐことは、もしかしたら、
枯れ木に水を注ぐかのように、次世代に伝わっていくかどうかも
わからない。そんな語りでも、受け継いでいく努力が、はぐくむという
無駄なアクションかも知れませんね。」
最後列に黙って座る私にやまだせんせいの眼差しは確かに何度も注がれていた。(パリン!)
さすがに元師匠のS先生が崇める発達臨床の権威だなあと実感した。

大阪市庁舎の沿道は、真っ暗に日没した午後5時半、
光のルネッサンスの並木道に飾られたイルミネーションと
クリスマスソングが鮮やかに奏でられ、恋人たちや家族連れ、
単独の素人カメラマンが足を留めて鑑賞していた。
わたしも人並みを塗って、ひときわ目映い純白の雪の結晶にみとれていた。
10月のタカラジェンヌの衣装以来、なぜか白が気になるんだなぁ。
カラーセラピーしてみよう。
おや、まあ、今年も独りかい!!
そういえば、BGMは「♪独りきりのクリスマスイブ、Wooo・・・



午前10時、自転車で自閉症の療育施設「S園」の立て看板の前を横切って、生協で頼んでいた注文の品を母の代わりに取りに行った。

我が家は母と2人家族なので、受注品は牛乳、豆腐、ウインナーの3品だけ。いつも少ないけど、
今回は特に少なめ。

配送者の到着が遅れて、その間母の同僚だった昔馴染みのIさんと談話する。玄関を開けると、
犬のアムロがお尻のにおいを嗅いで尻尾を振って相変わらずのご挨拶をしてくれた。

「あんた今、どうしてんの?」
「夜は学校へ行ってるよ。毎回レポートが出るから、昼はずっとパソコンとにらめっこかな。」
「いい年なのに好きなことばっかりして、何だか暢気だね。世の中厳しいのに、いつまでもお母さんに甘えていてどうすんの?同い年でもうちの息子なんかは、外では支店長、ちゃんと家族を養ってるんだよ。どっちかっていうと、そんなにバリバリのキャリアウーマン風でもないのに。」
「うん・・・。40ぐらいになったらしようかな。」
「40でも子ども産めるわよ。」

この手のお決まりのオーソドックスな結婚観や幸福観を相変わらず
焚きつける普通のおばちゃんのお小言に慣れているつもりだが、
心中複雑だ。

好き好んで、4回も失業しているわけではない。
結婚だって、ご縁のものだから、過去の古傷が寒さに疼いたりする。
梅田に出れは、平日から老若男女がうろうろしている。
だからといって、今、積極的に仕事や目標に向かおうとしているのか?
そうではない。

本の虫ってわけでもなく、仕事熱心ってわけでもない。
でも周囲からは、鼻持ちならないとか、大学院になんか行って奢っているとか、敬遠されることも増えてきた。

子どもの前では、失業中でも自然なのか、営業なのかスマイルは出てくる。
プラプラしてるのもいやなので、週3日は一応学生の振りをして
ニートスレスレの精神状態で休まずに学校へ顔を出す。
昔から学校は居心地のいい場所だった。
休憩時間や、ざわざわする自由時間よりも、鎮まり返る先生の独壇の講義が好きだった。

昨日はハローワークへ、失業認定を受けに行った。
4年ほど前はリストラのピークでたくさんの人々が待合の椅子に腰掛けていたが、
昨日は数名だけで、受給資格者表を所定の箱に入れて、
座席にかけるとすぐに呼び出しを受けた。

それから、駅前のK百貨店に徐に寄り道した。
いつもは閑古鳥がないているのに、7階のお歳暮会場が賑わっていた。
扶養してもらっている奥様たちは、紙幣を惜しげもなく使う。
この暮れの時期に限ったことではないが、流通業界も熾烈な激戦が続いている。わが町の三越も37年目にして閉店した。

K百貨店の特別顧客会員になれば、5%~10%割引になるというのと、
文化サロンの無料のサービスもあるというので、偶然、コーナーに
飾られていた粘土細工の壁掛け作品に見入っていて、思いつきで
カウンターで申し込んだ。
「あの、お仕事は今、されていないのですか?」
「9月まではH市で働いていました。今は学生です。」
「学生さんでも入会はできますが、保護者の同意が必要なので・・・
でも、学生さんでも大丈夫ですねぇ?」
「仕事はなくても、お金はあります。仕事だって経営者の都合で
契約が切れたら辞めさせられるのです。クレジットカードを所持していればいいと言っても、講座にお金があるとは限りませんし、わたしは
いつもニコニコ現金払いです。その方が確実な支払いなんじゃありませんか。
お金持ちにしかサービスしないというのなら、ビンボウ人だって
お金が全くないわけではないのですから、寧ろ顧客を他の店に取られてしまって損失ではありませんか?」
「大変失礼しました。カード作成する手続きをさせていただきます。」

独身三十路女、しかも失業者に対する日本の風当たりの酷さは、欧米各国と比較しても甚だしい。
イギリスだか、オランダでは国が公的に同性愛者の結婚を認めているというのに。
男性なら結婚にしても、「手遅れだ」とか「まだ産めるのに」なんていうセクハラもない。

発達障害の子どもを持つ母の苦しみはわたしだって、痛いほど
20代のころから味わってきた。
いや、生まれつきといってもいい。
自分の無力さにいつも押しつぶされてバーンアウトしながらの失業だった。
もう、ボロ雑巾みたいな同じバイト生活はいやだ。
どんなに勉強しても、血のつながらない見返りのない子どもに愛情を注ぎ続けて、1円も儲からないボランティアでニコニコしている都合のいいおばさんになっていくなんて、自分が惨めじゃないか。
ABA論文を書きたいから、大学院に入った。
でも、I先生はあまりにも遠すぎて尊大すぎた。

Tさんに「被験者になってもらいたい」と再三再四お願いしてきたのに、
どうして事後になって逆切れされるのだ!?
「研究者たちは、結局、論文いっぱい書いてそれでご飯食べてるんだから、私たちを食い物にしてるんでしょ。ゆきんこさんの好きで大学院に行ったのも、論文を書きたいのもその動機がなんだかおかしいよ。
あなたに相談もしないことを、バイアスかけて見ず知らずの大学教官に晒したいわけないじゃないですか!!」
昨晩のセッションが終わって私は、初回に断った時以来、Tさんの前で泣いた。
「あら先生、子どもたちにまで苛められてるの?それってよっぽど、人気あるのねえ。何だか、苛めたくなっちゃうんだもの。」

火曜日のF先生はニコリともせず、すこぶるご機嫌斜めだった。
学内では論文のデッドラインが目前に迫ってきている。
わたしは、Kさんと呟き合った。
「研究論文って何の役に立つんでしょう?」
「役に立たない論文もあるんでしょうね。」
もし耳に入っていたら、きっと逆鱗に触れたんだろうな。

こんな精神状態で、明日、職業訓練校の選考会を乗り切れるんだろうか?
ケージの内にいようと外にいようと居場所のない慟哭のネズミになりそうだった。
こんな時は、行動するといっても、じたばたしても無理かな?
ちょっと好きな音楽でも聴いてみよう。
朝から終日、雨。
今年も1ヶ月をきってしまった。早いなあ・・・
とにかくどなたさまも、ドタバタしている日本人だから、
一日中オタクっていうのも、乙な休日である。

あんまり時間がなくても、この頃簡単なレシピなら、
冷蔵庫の在り合わせをピックアップして、自分で好きに料理する。

このいい加減なゆきんこ流が、当たりはずれが大きくて
なかなか楽しかったりする。

先週、Oちゃん宅に暫定的にPCを借りにお邪魔した際、
手作りプリンを持参したのだが、到着して、
食べようと容器の蓋を開けてみたところ、固まっていたはずの
プリンが、液状に溶解していた。
Oちゃんが「味はおいしいよ。」といって食べてくれたのは
よかったが、自分以外の人に食べてもらう料理が、
しかもプリンなんて、卵と砂糖、牛乳を混ぜて蒸すかチンするだけの
超シンプルな加工食なのに、失敗作になってしまって、
自分なりに気になっていた。

そこで、今週、フルーツヨーグルトの代わりに、
毎朝食後に、プリン作ってチンすることを3日ほど続けてみた。
どんなことでも、学習効果ってあるものだ。
作って食べるごとに要領を得てくるから、
次第に目分量で、適当に混ぜ合わせるだけで、味も出来具合も
改良されてきたようだ。

今朝は、冷蔵庫にかぼちゃを発見し、これを茹でて皮を取り除いて裏ごしした。
そこに、卵、牛乳、砂糖、そして小麦粉を30gほど加えて、
かき混ぜ、レンジでチンすること3分30秒

ところで、NHK総合「課外授業 ようこそ先輩」では、
イルカセラピーのドキュメントをしている。
10年位前に、太地町のあるツアーでTちゃんとイルカとダイビングしたことを思い出す。
画面の中の子どもたちは恐る恐るイルカに触れていたが、
ゆきんこの場合は、水槽の中で、人差し指をイルカに噛まれたものだから、尚印象的だ。

11月末のレポート発表も終わって、去年はじっくりかけなかった
年賀状を書き始めた。
来年の干支は犬なのだが、どちらかといえば、気ままなネコ派の
ゆきんこは、今年はネコの水彩画を描いている。
しかも!
例年は全て同じ絵柄を大量生産なのだが、昨年から今年は、
ゆっくりイラストをかく時間もなく、来年の今頃もきっと
そんな暇はないだろうことを想定して、
今年は念入りに、一枚一枚、違った水彩画にしてみた。

題材は、増見芳隆ギリシャ写真集「心の旅」The Island of Greece(平凡社2004年8月9日)
図書館で見つけたこの写真集に出てくるギリシャの風景と
猫たちの穏やかな日常シーンに引き込まれてほっこりしてしまった。
来年5月までの延長公演が決まった「マンマ・ミーア」は、
エーゲ海が舞台になっているから、あの舞台装置は、
かなり周到に設置されていると改めて思い返したりする。

「エーゲ海の島々には、
今もゆったりと流れる美しい時間がある。
澄みきった青空と、海を渡る乾いた風は、
心を解放し、
裸になっていく自分が見えてくる。
深呼吸すると、「ああ、生きている」と、
腹の底から実感する。
同時に「生きている」といえない
都会の日常も思い浮かんでくる。
ギリシャを旅して20年が過ぎた。
その間、都会で生活する人の顔から、
どんどん表情が消えていった。
それは、個人から集団の顔となり、
そして、都会の風景として定着した。
女は鏡の中に、美しさを見つけられず、
男は時計の中に、時の流れを気づかない。
これは、人間が裸の自分を知らないまま、
画一化された現代社会への適応を
優先してきたからだと思える。
エーゲ海に住む猫たちが、幸福そうに見えた。
一張羅の毛皮を身に纏い、
靴も履かず、財布も持たず、
朝と昼と夜をゆっくり過ごしている。
そして、心はいつも裸でいる。
幸福そうな彼らは、人間の愚かしさを気づかせてくれた。
人々が、現代社会という迷路で
行く先を見つけられない今、
彼らは、心を裸にすることが
旅の始まりと、教えてくれた。」

今日は、各々のユニークなネコちゃんたちの絵を下描きしてみた。
毎年、心を込めて、というか水彩画はわたしの幼少時からの
趣味だから、どうってことないが、わたしなりには自分にしか描けない気に入った作品を手放し、戻ってこないのは投函する時には何となく惜しい気もする。
差し出した相手にとっては、1円にもならない価値のない作品かもしれなくてもだ。

午後は、野菜スープを作ってみたが、これは自分でもヒット作だった!
材料は、車エビ2尾、カニかまぼこ、ニンジン、タマネギ、キャベツ
そしてショウガ。
これらを細かく適量に刻んで、水300ccを加えて、柔らかくなるまで
煮る。さいごは、ラーメンスープで味を調える。

ショウガがぴりっと効いていて、身体もぽかぽかあったまった。
また、アレンジして作ってみよう。
午後7時のニュースでは、広島と栃木で相次いだ小学生女児殺人事件が報じられている。
大都会でなくても、日本国中が物騒で危険極まりない感じがしてまた、背中がぞくぞくしてくる。

午前10時過ぎ、市内の女性向け公共施設、3階に遅れて出かけた。
このごろいけない事に、遅刻の常習犯になっている。
ちっともルールが守れていない。

幽霊会員として所属しているNPO法人たんぽぽ組のワークショップに飛び入り参加した。
半年以上のブランクで飛び入り遅刻の私に、面識のある会員の数名が微笑んで迎えてくれた。
ゲスト講師は、大阪府S町で、「すぺーす・をかし」という人間関係やアドラー心理学を応用したセミナーを開催しているDさん。
Dさんのセミナーに参加するのは、初めてではなかった。

多分、大学院で多くの指導教官に学んできたせいと、ある程度、心理学関連の講師の守備範囲も網羅してきて、一通りは聞いたよな・・・
という素振りは、わたしを無意識に居丈高にするのだろう。
そして、失職中であっても、もうひとつの在籍している肩書きが。

Dさんは、既婚女性の参加者に前回のワーク「コラージュ」の感想を
各々に聞いた後、「自分を見つめて」というテーマで、語り始めた。

「誰もしていないことを自分でしてみたかった。」
STEP(systematic Training Effective Parenting:影響力を与える大人になるためのシステム的訓練)のリーダーやAPPLEプログラムの推進者でもあるDさん。

大日本帝国憲法から連綿と続く、日本社会と、家父長制のもとで
個人の立場は固定化され、次世代に影響を与える宿命を強調する。
第2次大戦後も、天皇家の権威が存続しつづけ、形骸化した民主主義の下で誰も公教育を実体験してこなかったことを指摘した。
「自分が動くとき、自分で気づいているのはたったの2%です。」
戦時中、思春期を過ごした人は強かだ。心と言葉を手に入れないと、
感情をことば化するレッスンが必要で、子どもに投げかけることばの
癖を自覚し、それを公開することで、情報交換できます。

ランチタイムを挟んで、午後からは、家族構成を一人ずつ確認する。
ゆきんこの場合、核家族で、一人娘とかなりマイナーな状況の場合、
水平感覚の人間関係に慣れていないから、集団適応が悪く、気配りが
足りない。周りが見えていないし、自分の子どもの立場がよくわかっていないなどなど、手厳しい分析結果が返ってきた。

当たらずとも遠からず、いや、かなり当たってるかも。
同じたんぽぽ組で、同い年のMちゃんとペアになり、友人というスタンスを
意識して、フィードバックした。
「うん・・・お互いの言い分を公平に聞くことって、育った環境が違うから
難しいんだってことが、改めてわかったかな?」
「私は、特に再発見はなかったけど、前々から数人に言われたことがあったんだけど、自分では因習に抗って生きてきたことは、とても頑固なんだって
改めて自覚できたかな?」

とはいえ、日本社会は男性社会、
企業戦士たちへの圧力が増す中で、それが教育界や家庭の中にも
浸透しているなかで、一人で生きていくなんて結婚と同じくらい
しんどいことなのだ。主宰のIさんの袖を引っ張って小1時間拝借した。

「先週、美山町に行って来て思ったんだけど、移住して、そこで今日みたいな
自己流のワークをビジネスラインに乗せて、自営しようと思うんだけど。」
「やってみたらいいよ。ダメだったら戻ってくればいい。ただ、軌道に
乗せるにはしんどいかもね。交通費や旅費も含めて、どれくらいのコストが
かかる?それなら近場で手軽、安価な方がいいにきまってるでしょ?」
「それに、わたし自身の集客力かな。先日も発表の場でちょっと攻撃的な
感じで一方的に突き放しちゃった。2日前にもパソコンスキルとプレゼンテーション技術を職業訓練校で教えてくれるコースがあるというので、見学会に
行ってきたの。」
「今後はそれも必要なのかもね。あなたは、権威的なのよ。
でも、強みは結構あるんだから、それを惜しまないで駆使していくべき。
今までの実績と経験に自信を持ちなさい。わたしもこの仕事をするには、
管理社会の教育現場での限界を感じたから、利益は後回しにして、
あなたよりもずっと後になってもまだやろうとしているんだから。
何人もプロの指導者を見てきたけど、心から楽しんでする教育者には
滅多に会わなかったし、あなたは数少ないその人なんだから、自信を持ちなさい。やりたいことを思ったとおりにやればいい。」
「今はそれがなくて・・・同業者の罵りもあったし、体力も落ちるし、
障害児さん相手は、もう辞めて他のことも考えてみようかと・・・」
「普通の子どもの親はお金を出さないよ。なんだか、貴方のやりたいことと、適性とにズレがあって、ヴィジョンがはっきり見えてこないなあ。」
「そう。論文も何していいか、テーマがはっきりしないの。」
「でも、最近変わったみたい。強くなったね。」
「うん。もうおばさんなんだと自覚したなあ。」
「権威的だから、なかなか他の人たちとも合いそうもないものね。」
「それは、DNAのなせる業ですから・・・」
「そんな暮ししてる日本女性なんていないよ。私から見ればあなたは
立派に成功してる。どんなに恵まれているか、他の女性が羨むことも
全然、わかってないんだから。」
「そうかな。ないものねだりよね。オーソドックスな結婚は、
わたしを幸せにしないと思うわ。」
「同年代だったら、しんどくなっちゃうでしょ?」
「そう、張り合っちゃうからね。」
「相手は、年が離れている方が、安定するんじゃない。
でも、人生のパートナーは、必ずしも結婚する異性である必要もないのよ。」
「はい。それはそう思います。」
「これから、旅立つのか。誰も手伝ってはくれないけど、とにかく
チャンスがあれば、それは今までみたいに躊躇しないで逃さずに、可能性の高いところからしっかり掴んで実績を作ることよ。失敗だってするかもしれないけど、場数と経験。これしかないんだから。」
「わらしべちょうじゃみたいに?」
「そうよ。がんばりなさい。」
「はい。お時間取らせてすみませんでした。ありがとうございました。」

薄墨色の故郷に別れを告げることになるのか、まだ明日は見えてこない。
帰宅した自宅の玄関に置いてあった地域情報誌の星占いは奇しくもこう
書いてあった。
「先送りせず、今できることはすぐ実行を。楽しい時間は年末に訪れそう。」この占いって結構当たってるかも、年末はOちゃんと美山へ旅行の計画を立てたばかりだ。

さて、年賀状を書くとしよう。




昨夜は、無事にプレゼンテーションが終わった。

ぎりぎりまで、構想を練っていたら、身支度に時間がかかり、
15分くらい遅刻してしまった。
「先生、すみません!」
「来るのかなと場つなぎに焦ったよ。」
前回の「ヒトラーの児童期」を踏まえてのケース発表。

「事例は、私自身です。この文献を目にしたとき、わたしが発表するのだ
と思いました。というのは、わたしは社会科の教員免許を持っていますが、
教育実習で任されたのは奇しくもファシズムの台頭でした。」
と冒頭述べて、前回11月2日提出のレポートを読み上げた。

「自閉症の子どもたちをどのように理解し、信頼関係を築くのかが、
最も困難であり、今もってそのことはわからず、体得できていない。
もっと率直にいえば、健常者といわれる人々の間でもそれを
実感してこなかったように思う。」

そして、10月29日の高遠菜穂子さんのイラク・ファルージャの現状報告の講演会「命に国境はない」のあらましを紹介した。
彼女が30歳で、国際ボランティアという仕事に使命感をもって挑む姿に、
わたしも及ばずながら肖りたいとの思いで代弁してみた。
「会場から高遠さんの平和の概念とは何かという質問に、彼女は
『戦火の中にも子どもたちや素朴な人々との交流もあるし、今の日本は
戦場ではないが、平和とはいいきれない現象が次々と起きている。
平和は一人一人の心の中にあるのかどうかということだと思います。」

「歴史は巨大な楔(くさび)のように現在の奥深くまで打ち込まれているのであって、もしも、われわれが挑戦を受けている諸問題の現在性を強調するあまり、現在のなかに喰いこんでいる問題の歴史性を看過してしまうならば、
おそらくは手痛いしっぺいがえしを受けるほかはあるまい。」
大塚久雄『社会科学と信仰と』

続いて、H市の広報に目を転じて、アルバイトで在籍していた
創立35年の市立K保育所から高濃度のアスベストが検出され、
11月2日にご近所の廃園したM幼稚園に移転したこと。
移転したこと、このエリアが国家公務員の居住区で、
66年前の年3月1日に弾薬庫が大爆発を起こす大惨事があったこと、
全国でも先駆けて、「非核平和宣言都市」になったことを述べ、
当時、H市民会館の大ホールで「戦争を知らない子どもたち」を
歌った思い出も告げた。

市長のノートブックのページを読んだ。
「ある女性の市民からの匿名のメールでは、卒業式が全校同じ形式など、
H市の教育は右より過ぎて、戦前の思想に戻っていると考えられる。
子どもたちや孫たちを戦争に行かせたくない。これからの日本を背負う
子どもたちの教育を市長個人の考え方でしてほしくない・・・と。
10年前に就任した当時、「高校受験の地元集中」の行き過ぎた指導があり、
多くの中学生たちが志望校を受験できず、悲しい思いをしていました。」
そして、わたしもその当事者だった。

「終戦日にあたって」は、戦争を知ってる子どもたった母の手記だ。
家族と別れて親戚に縁故疎開し、寂しいかった思い出や、
親戚の赤ちゃんを子守りし、冷たい川でおしめをあらったこと、
木の実や芋の茎を食べたこと、空襲の赤い炎を丘陵から眺め、
みんな死んでしまったと思ったこと、終戦の8月15日に家族と再会し、
ほっとしたこと、終戦後も当時の国民学校では、墨塗りしかしなかったこと
やがて、闇市に品物が並び始めたが、手に入るのは、お金次第だったことなどを綴っている。
また、母が今年3月に視聴した映画「誰も知らない」の感想寄稿文も紹介した。
「この物語は、どこの国のできごとか?わが国の話とは、とても考えられない
無知な母親をもったきょうだいが、出生届も、就学もできず、物扱いされ、
捨てられ、荷物のようにボストンバッグに詰め込まれて、医者に診てもらうこともなく一生を終わる。このような幼子が経済大国と自負するこの日本に
いるとは、信じられない。誰も知らないでは済まされない!」

それから、母が記録したわたしの育児記録
生後6ヶ月で初おすわりの写真の横に
・おすわりができる
・ねこと遊ぶ
・外が好き
・手に触れたものはしっかりと掴んではなさない。
・足を踏ん張って立つ
・ぴょんぴょんととびはねる

そして、1992年10月、民間カウンセリング教室の卒業記念で記したエッセイを読んだ。
「今日のこの日のために、13年前に書いていたのかもしれませんね。」
『私の夢は、カウンセラーになること、そしてもうひとつは、自分なりの
家庭を持つこと。誰もが持っている、けれどとても大切な人生の課題とも
いえること・・・・・。
しかし、今私はこの夢の前に立ち止まっていると言った感じです。

父のような人と結婚するくらいなら、一人でいるほうがましだ。
母のような苦労に満ちた相手に翻弄させられる生き方は絶対にしたくない。

父は母にとって夫になれず、わたしにとって父にもなりえなかった人です。
エリクソンのいうところの発達の第1段階である信頼感を得ることが
できなかったのでしょう。

父が収入を入れたのは新婚当初の一度きりで、後は質屋や相場に消えていきました。持って帰ってくるのは、ゴミタメから拾い集めたガラクタばかり。
極めつけはいつ墜ちるともわからない人間爆弾です。ひっくり返るお膳、
暴力の嵐。その繰り返し繰り返しを今日まで続けてきました。』

ざっと一気に紹介して、小1時間、聴講していた10名ほどの教職員は、
黙してわたしを見つめていた。

「何か質問はありますか?」
I先生が口を開いた。
正面の最前列にお決まりに座っていた、優秀なセラピストのAさんが
質問してくれた。
「これだけのたくさんの内容も込めて、なぜ今、自らが事例になろうと
思ったんですか?」
「開示してきたのは、初めてではありません。私の事情を全て知って、
生涯つき合っていける友人も複数いますので、心配には及びません。
ただ、同業者や、教職者にいざ、改めて語るのは、こんな風に声も
上ずるし、私の中ではまだ解消されていないのでしょうね。
今までは、言えなかった。大人になって、こんな時代になって、
やっと言えるようになったのです。本当に辛い渦中にいる時には、
どうしても言えなかったのです。
自分をまな板にかけることは、とても勇気のいることで、緘黙も治ってはいません。私たちがこれから、事例かかわり論文を書く際には、その対象を
決して軽軽しく手玉にとってはならないと思うし、それ以前に、今回は、
自らが対象になることで、その再び心のかさぶたを先生方の前に晒す必要があると思いました。わたしにとっては、今持って、先生方が同業者である前に、
信頼に足る存在なのかと疑いつづけているわけで、成人しただけに見る目はシビアです。」

続いて、大ベテランの幼稚園の園長先生
「お母さんってとても文章がお上手なのね。」
「ありがとうございます。母に伝えます。」

そしてI先生の総括コメント
「まとめなくちゃいけないんで、ごめんね。
え、私の妻も年上の社会心理学者です。私の家族は両親も、兄弟も祖父母も健在です。妻は、親のモデルに是とする家庭環境で育った人は、早熟型とし、
外界への適応も良好だが、葛藤が生じる場合の、社会不適応や敵対心との
相関性を研究しました。

何世代の人かな、ゆきんこさんの命名が曾祖母に因んでいるということですが、たくさんの資料を含めて感じたメッセージは、
『歴史を忘れるな』ということではないでしょうか。
家族から受け継いできた正しい歴史認識なかに、そして自らの人生、
発達は、時間軸の中にあるということを忘れないようにしたいですね。
特に、昨今の日本人全般にその意識が薄れているのではないでしょうか。」

授業終了後、わたしは、憮然としてI先生の板書を吹き消した。
あまりにも、教鞭を取る人々の白白とした無反応に嫌気がさしていた。
「ああ、消してくれてありがとう。」
「いえ、いいんです。折角、一生懸命発表したのに。。。」
「そんなことでめげてたら、この仕事できないよ。私なんてしょっちゅう」
「え?先生も??」
「先生のパートナーも心理学者で、わたしと同い年だったんですね。」

なかなか自分を語るって難しい。
どうしても、そのときのことを思い出すから感情的になっちゃうね。

そういえば、もう一人のI先生は国際的な学会にご出席だったらしい。
11月8日に、押しかけ受講したときに修士論文のエピソードを何気なく
語っていたけど、当時を偲んでいたかもしれない。




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