ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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1月も今日で終わり。
今朝のニュースでは、有効求人倍率が13年3ヶ月振りに1.0倍になった
と繰り返し報じていた。

大阪の市街地に出ると、ちらほらとアルバイト募集のポスターや、
新聞や専門誌の広告の求人も増えているみたい。

昨日午後11時30分にTちゃんと2ヶ月ぶりくらいに会ってランチした。
H市駅付近のビジネスホテルが新装して、新しい和洋折衷のイタリアンレストランができたとTちゃんが誘ってくれた。

「忙しくしてるの?」
「うん。なんだかすぐに自分で予定つくって出かけてるよ。昨日(日曜日)にも、所属している子育て支援のNPOの主宰の方が、学友の大学教官
に会わせてくれるというので、折角の機会だから、お会いして、
初対面なのに、ごちそうしてもらって3時間もおしゃべりしてきちゃった。

バリバリ団塊世代のF教授の地元のS市では、60代から70代の方々が
中心になって、今の団塊ジュニア子育て世代をバックアップしようと
奮闘しているのだけど、『まだまだ私たちが頑張らなければ』と
主役の座を譲らない感があるし、話題は、昔ながらのコミュニティを
どうやって取り戻すのか?とか、色々お膳たてした子育て支援では、
親も子どももお客さんで、主体性がないと言ってたよ。
逆に、PTA活動などは責任持ってしてくれるのに、元キャリアウーマンのママなんかは競争っぽくなったり、行事が終わるとその場限りで、
つながりが途絶えてしまうからコミュニティが維持されないって。

F教授の専門がコミュニティ心理学で、巷の生の声を拾い集めて
自分の研究材料にしつつも、アメリカのペアレンティングのシステムを
そのまま日本の今の子育て世代に当てはめるのも難しいって、
研究者サイドも忙しくて悩んでいるみたいだった。
Tちゃんの地域はどんな感じ?」

「うちのH2校区は、お母さんたちも和気藹々と積極的に活動もやってるよ。近くのU幼稚園から持ち上がりで小学校へ行く子も多いから、
つながりも続いているしね。
この前も警察の人が来て護身術の講習会があって楽しかったよ。」

Tちゃんは、少し護身術を伝授してくれた。
凶器を差し出されたとき、その腕の外側方向に身体を除けると、
犯人の腕のコントロールが利かなくなるそうだ。

「H市も物騒になってるもんね。H保育所にいたときは、不審者対応の
避難訓練もしたし、集団登下校も迎えにいかなくちゃならないんでしょう?」
「H2小は、学年ごとに帰ってくるから迎えに行かなくてもいいんだけどね。それより、仕事はどうなってるの?」
「うん。実は、生保に誘われてるんだ。」
「ええ! 今までがんばって障碍のある人たちの仕事がんばってきたのにどうして今更?」

Tちゃんの驚きように私の方がびっくりしたくらいだった。
「1月5日にハローワーク行った時に誘われたんだよ。
営業所の雰囲気よかったし、これも何かの縁かなと。
生きていくためには何でもしなくちゃって何か割り切ったところもあった。
それに、もうこの(障害児関係)の仕事も疲れたの。
何のかんの言っても先立つものは必要じゃない。」

「そんなのわかりきっててOL辞めて転職したんでしょう?
お給料も下がって休みも減るし、大変なこと覚悟して転職して
今までバイトでも頑張ってきたんじゃないの?
なのに今更どうして!?」

「わかってるよ!!」私は、声を荒げて今年初めて泣いた。

「そんなに簡単に言わないでよ。去年はずっと泣いてばかりいて
どうしてこんなにしてまで、続けなくちゃならないのかって
本当に辛かったんだから!
課長にまで呼び出されて辞めろって言われたんだよ。

学校で勉強してきたことを保育現場で少しも活かせないのが
本当に辛かった。こんなに、こんなに勉強してきたのに、
H市ではABAやっちゃダメだって追い出されたんだよ。
結局、大学行っても高い学費だけ払わされて、I先生には習えなくて、
何だか裏切られ感でいっぱいだったんだよ。」

「そうか。話し聞いてなかったけど、辛いこといろいろあったんだね。
でも、仕事は何も生保じゃなくてもいいんじゃない?
ゆきちゃんらしくないよ。」

「それも言われた。でも、私だって何もわかってないし、
見習い期間にファイナンスの勉強させてくれるというので、
ダメもとなの。それでもやっぱり保育がよかったら、また戻ることも
できるし、プロよりもボランティアの方が気楽にかかわれるんじゃ
ないかと思ってね。
障害者の世界でプロでまともに食べられる人は、ほんの一握りだし、
障害者の問題って生まれてから死ぬまでずっとエンドレスなんだよ。
日本社会は、相変わらず、福祉にはお金出さない国じゃない。
自分では、もう十分とどこかで割り切ろうと思った。
とりあえず、自分を食べさせる仕事に就いて、余暇にボランティアでも
いいんじゃないかって。」

「そうなの…なんだか泣かせちゃってごめん。
しばらく会ってない間に辛いことあったんだね。
私も、あなたが施設で働いていたとき、ボランティアに行ったけど、
本当にびっくりしたよ。こんな大変な仕事して、こんなに給料安いのかって、私にはできないと思った。そのために、もっと勉強しようと
バイトで食いつなぎながら、大学院にまで進学したんだから、
今度は、自分で看板を揚げてするんだと思っていたよ。」

「そうか。Tちゃんはそう思ってたんだ。そういう意見もあるんだけど、お金ないもん。この前も空き店舗のテナント見つけたんだ。
帰ってきて、母に言ったら「馬鹿なこと言わないで」で終わりだよ。
みんなわたしの人生に反対したり、いろいろ口出ししてくれるのは、
嬉しいけど、じゃあどうすればいいの!?って何かいい方法教えてくれるわけ?」

「綺麗事では生きていけないもんね。だから、ホリエモンみたいな人も
マスコミに踊らされてあんなことになる世の中なんだから。」
「ホリエモンみたいになろうなんて全然、思ってない。
でも、がんばっても生きていけない人もいれば、全然がんばらなくても
濡れ手に粟ということは、当たり前にあるんだよ。」

「そうだね。主婦業だって窮屈なときあるよ。ボランティアと一緒。
一生懸命やってもやらなくてもどこまで、報われているのかいないのかわからない。パートナーもがんばってるんだなとお互いに思いやったり
どこかでバランスとってるから夫婦関係も維持できる。
主婦だと、自分のお金じゃないんだというパートナーへの
気兼ねはあるんだ。働きたい気持ちはあるけど、子育てとの両立は無理だもんね。」

「身辺自立や、家事というベースの家庭のことに付加価値を持たさない国のシステムの延長上に障害者の問題があるから、その仕事はちっともお金にならないんだよ。」

というわけで、あんまり楽しいランチにならなかった。
「ごめん。今から営業所行くから、またね。本当はYちゃんとKくんにも
遊びたいんだけど。」

Tちゃんと別れて、レインコートを羽織って小雨の中を自転車で
★営業所へ向かった。

★営業所に着くと、まずはお菓子とかお茶とかがさっと出てきた。
PCで、面白い心理テストとバイオリズムも楽しませてくれた。

「どれどれ、適している職業は、
独創性とアイディアに富むファッションデザイナー
その一声に、数名の女性社員が一瞬、振り向いた。

偶然、同じ町内の女性も一緒にスカウトされておしゃべりしながら
油を売った。
「同じ町内とは世間が狭いですね。どこで勧誘されんですか?」
「イズミヤの前で。私も同業者ですけどって言ったんだけど
引っ張られちゃった。」
「ふ~ん。私はハローワークの前で。誕生日の前日にBさんに声かけて
もらって福娘さんに見えちゃって、ハハハ。ねえねえ、ここの営業所はどんな印象受けた?」
「販促品もいっぱいだし、雰囲気明るいよね。前のところと全然違います。」

3時から雨が本格的に降り出して、雨宿りしながらスタンピングなどの
手伝いをして、小止みになった4時に営業所を後にした。


昨夜の大学院の話がまた書けなくなっちゃった。
ブログに書きたくて書けていないメモもいっぱい溜まってきた。

岡本太郎やトーべ・ヤンソンの半生とか、Oちゃん宅で作ったパエリャの
こととか。
でも、スケジュールがあるのも、それなりに幸せなことかな。

バーンアウトしないように気をつけなくちゃ。








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星占いや、四柱推命では、「主役になれるとき」なんて書かれていて、
絶好調にぶっとんでいるのに、確かな手応えを感じる2006年1月の
今日この頃だけど、
人生って山あり谷あり、いいことばかりではない。
いいことについているように見える人はそれなりに水面下での不断の
努力というものは、怠っていないものだ。

今は、人生の波に乗っている。そんな実感は確かにある。
でも、それは昔の私が辛酸を体験して味わってきたことを
抜きにして、単純に羨ましいと思って欲しくないところだ。
私なりに現在完了進行形で悩んではいるのだ。
だからこそ、じたばたしているのだし、焦ってもいる。

でも、心は少しでも清清しく、ささやかなことにも笑顔を向けていたい。そうやって乗り切っていたいのだ。
そうでないと、本当に病気スレスレになってしまうではないか。

卑近なところで自ら命を絶ったり、思い通りに生きられない人たちは
ゴロゴロしている。そんなところでみんな「地球の上に生かされている」ことを忘れていないだろうか。

また、こうして前置きが長くなっちゃった。

26日木曜日の夕方、T君(6歳)の家庭教師で、兄のF君の先生をここ数年しているI先生に誘われた。
I先生は、NPOの主宰で地域の子育て支援を草の根単位で広げている方だ。
「日曜日の午後はひま?」
「はい。空いてます。」
「S市の子育て支援の勉強会があるんだけど、一緒にどう?
前から貴女を誘いたいと思っていたのよ。」
「ありがとうございます。是非、参加させてください。」
「それじゃ、正午に待ち合わせましょう。」

というわけで、I先生にピックアップしてもらい車でS市へ出かけた。

団塊世代のI先生の実家にまずは寄り道して愛犬のお散歩に同行した。
元々猟犬の雑種だから気が荒くて、他の人にはなかなか懐かない。
初対面の私に、吠えはしないものの、未知の人間の匂いをクンクンと
嗅いで、納得すると、彼は、定番のコースを突き進みつつ、ところどころで用を足していった。

「犬もキャラクターいろいろなんですね。」
「そうよ。犬種によって人懐こいのやら、ヘンコツなのやら…」
「ふ~ん。」

ああ、お風呂に入らなくちゃ…
中途半端になっちゃった。
3日間外出が続いたので、今日は、終日家の中でPCと向き合っている。
昨日は、午前、午後と連続で勉強会に出かけて、明日の午後も
所属しているNPO主宰のIさんのお誘いでまた勉強会と、なんだか
気忙しいけど、そこそこ楽しんでいる。

とりあえず、昨日27日午後の勉強会について、カテゴリーも「緘黙」を
設けて、書いてみたい。

「緘黙の輪」の当事者メンバー間でも指摘されているように、本当に
緘黙(Mutism)の知名度は低い。
当人も「灯台下暗し」で気づかないほどだが、苦しんでいることさえ、
本人自身が気づきにくい、訴える術がないのも問題を長引かせて、深刻化させる。

方や、軽度発達障碍の場合も似て非なるところがある。
ずば抜けたIQや特化した才能(モーツァルトもそうかも)のために、
奇異とか、常識外れの行動が、非常識扱いされて、一般人に障碍だとは
認めてもらえない。

まず、わかってほしいのは、一見非常識、ナンセンスな行動は、
我侭とか、ジコチュウなのではなく、気質的、機能的に普通の人と
同じようにすることが難しいということだ。
このような、勉強できるのに「ちょっと変な人」とか、普通の人にはなんてこともない環境が苦痛な人に配慮できない上司の下にいると悪循環なことになってしまう。

午後から出向いたのは、大阪市関目にある大阪市立城北市民学習センターだ。
2時から、1階のホールで生き方療法を実践する「メンタルヘルス友の会」の神経症克服体験談を聞く会を傍聴してきた。

参加者は現在進行形でお悩みの20名くらいの方々だ。
いずれも心療内科に受診したり、服薬中だが、症状が好転していないようだ。

「こんにちは。初めての方ですね。」
「はい。」
「どちらでこの情報を知りましたか?」
「え~と、今宮恵比寿神社にお参りしたときです。通りかかりの施設に
置いてありました。」

定刻2時になり、克服体験者の体験談を3名の方が壇上で報告された。
3人の体験克服者が一様にして語るのは、
「苦しみの原因は、自分の心の歪みにあった。」と述懐した。
真実の自己を見失った我利我利亡者(ガリガリモウジャ)が自分であり、劣等感は、他者を蹴落としても自分の私欲を求める優越感の
裏返しだというのだ。

例えば、カッコイイとか悪いとか、頭がいいとか悪いとか、
女にもてたいなどのコンプレックスの裏返しが、他人の目や評価を過剰に気にすることで、症状を悪化させ自分で自分を追い込ませている
と叱咤する方法だ。

重症例では、2回睡眠薬で自殺を企図して未遂に終わったが、椅子に座ることもできず、窒息状態にまで陥った事例もあった。
克服者たちは、唱道者の中根先生のことを「命の恩人」とまで言い、
「とにかく中根先生のお話を聞きましょう。私達は中根先生の教えの
通りに実践して壇上で話せるまでになりました。
真実の自己とはなにか?どうか鏡の前に座るような気持ちで聴いてください。
それは、決して美しくなく愚かであること。それを目をそらさずに
気づくことです。
ソクラテスは「無知の知」といい、ニュートンは「私が発見した真理など浜砂利一粒」と、著名であればあるほど、達人であればあるほど、
自らをまだまだ愚かで、未熟なのだと言います。
それに気づくとなぜ、治るのか?

①余計な劣等感がなくなる
②不必要なプライドがなくなる
③立派な人などこの世にはいないということが見えてくる
 敵を知り、己を知れば、普通に接することができる

2人目の男性Kさんは、公認会計士を目指し、5回の受験したが、回を重ねて不合格になるにつれ、自律神経失調症が悪化の一途を辿っていった。
母親が合格祈願のお守りを買ってきても、それに逆切れして
「こんなものかってきやがって!オレは実力で合格してみせる」と
恩を仇で返すようなことして、1週間口をきかないこともあった。
心療内科を転々としても、症状が回復しなかったが、中根先生に
気づかせてもらったことは、「恩」の重要性に気づかない者は、
犬畜生にも劣るとハッとさせられた。
それまで自分は、居丈高で有り難いとか恩などという気持ちは微塵も
持っておらず、奢り高ぶっていた。
その心の歪みを直したことで、自然、症状も改善された。

3人目は、対人恐怖症を克服したNさん(35歳)
元々内気な少年だったが、17歳の時、もてたい一心でバンド活動を
はじめたところ、思った通りの人気者になった。
ところが、真実の自分ではない、バンドで明るいフリをしている偽りの
自分とのギャップから、人の評価が気になりだし突然、対人恐怖に襲われた。

学生時代は、寮から一歩も出ないで、引き篭もっていた。

3人の克服者は、いずれも「真実の自己」を見つめることで気持ちが
楽になったと口を揃え、自分の体験を今、苦しんでいる方々の一助になればと、カミングアウトした。

休憩を挟んで3人の体験談の後に、うつ不安、神経症、恐怖症の3つの症状別に円陣になって座った。
「え~と、私はどこに?緘黙なんですが…」
「は?そんな病気があるのですか?とりあえず、自分に近いと思うところへどうぞ。」

私は「恐怖症」のグループに入った。
座っただけでは、一見どこが悪いのかわからない方々だが、
それぞれに自分の苦しみを訴え始めた。

2番目に話した男性に私はひときわ傾聴した。
「心療内科でカウンセリングを受けていますが、症状はあまり
改善していません。診断はされていないのですが、どうも場面緘黙のように思います。1対1なら話せるのですが、大勢のところや議論が白熱
してくるとしんどくなったり、眠くなったりしてきます。
これまでは、妻が支えてくれたのですが、一時症状が改善したとき
「これでもう大丈夫ね」と離婚を切り出されました。その時は承諾したのですが、その後、親しかった友人や、元の彼女にも冷たくされて
今は3人の大切な存在を失って喪失感でいっぱいです。」

私は、その男性と話したいと思ったが、まだ自分の番が回ってきていない。
「私も緘黙です。」
「え?緘黙ってどんな字を書くのですか?」
「封筒の裏に緘という印を見たことがあると思いますが、
減少の減というさんずいの編が糸偏になっています。つまり、閉じられているという意味で、特定の場面で恐くなると口を閉ざして話せなくなるのです。自分でも殆ど自覚してなくて、気づいたのは2年位前です。
私はこうして、今はどうもないのですが、ブログで緘黙で苦しんでいる
方々と出会って、もちろん顔なんて全く合わせないのですが、その方々の代表と言うことも込めて、参加しました。それから、私は24歳まで
父から虐待を受けていましたので、男性恐怖症で未だに独身なのです。
車に乗せられるとどこかへ連れて行かれるのではと恐くなるので、
デートもできないのです。」
「はあ、そうですか。わかりました。」

司会のN氏は、私の顔をじっと見ていたが、次の方にインタビューを続けた。

「対人恐怖とは、つまり相手の評価を気にしすぎていることが要因なのです。上司にとって都合のよいノルマを達成する部下でなければ、
スポイルされてしまう。でも、評価なんて所詮、その人の都合のいいように作られた代物だから、それに翻弄されることなんてないのですよ。」
私は反論した。
「すると、そうしたシステムを自分の都合の良いように作り上げている
上司や管理者の得手勝手な傲慢さに問題があるということではありませんか?」
「そうです。現代社会はとかく拝金主義になりすぎたことに神経症の要因もあると仏教の観点からは考えられています。仏心をなくしてしまったからだと。」
「私たちが神経症や恐怖症になるのは、社会のシステムに要因があると
おっしゃるのでしたら、それを改善するとか、間違った評価の仕方をしている上司に気づいてもらわなくては解決しないのではないでしょうか?」
「そうですね、それは、え~…」

別に苛めるつもりはなかったし、困っている人にとっては、
どんな方法でも、改善されれば、それに越したことはない。

26日の晩に見た番組で、ネパールのカトマンズの人々は永年、
仏教とヒンドゥー教を崇めてきたというのだし、昨今の日本人は、
平気で初詣に行き、チャペルで結婚式を挙げたり、クリスマスを祝って、死ぬときにはお坊さんに弔ってもらうという宗教には無頓着な民族だ。

結局、緘黙の情報は1000円払った割には、こんだけしかなかったけど、
ことばにこだわりつつも、ダメなら他の方法がいくらでもあるじゃない
とケセラセラな気分で、建物を後にした。

4月1日には創始者の中根 繁という先生が関東方面からはるばる有り難いお話を聞かせてくださるのだそうだ。
今日は、なんと天才音楽家モーツァルトのお誕生日だ。
生誕250周年記念のイベント諸々が盛大に行なわれたことだろう。

今日は眠い。一日中眠かった。
25日から26日までOちゃんと一緒に過ごした。

26日の午後は、講演会に出掛け、夕方は家庭教師
27日の午前も講演会、午後もメンタルへルス研究会に出かけた。

夕食後は、今日締め切りのレポートを書いて提出。
たった今、9時半に仕上げて送信したところ。

3日間バタバタしていた。
本当に多忙な人なら、日々働いたり、動き回ったりして、
充実していてもその分ブログを綴っている暇はないんだろう。

未知の人との一期一会。それが本当は、人生の醍醐味だと思う。
そういえば、私今年になって、まだ4週間くらいなのに、初めて出会った人の数をもう数え切れなくなっている。

今日は、モーツァルトの誕生日。
名曲は、世紀を超えて無数の世界の人々に愛され続けている。
それを教えてくれたのは、今日降り立った関目駅付近の小さな喫茶店の前に置かれた小さな黒板の文字だった。

あ~、今日は眠いです。もう寝ます。おやすみなさい。
スレッドテーマには、堀江社長とか、ライブドアの文字が躍っている。
昨夜、神戸元町駅改札前のコンビニの壁にも「堀江社長逮捕」と記事が
貼られていたし、JR神戸線の車中でも号外を広げて読み入る会社員の
姿も何人かあった。

人生には、何が起こるか本当にわからない。
私のブログは、どなたが見てくださっても全然構わない。
コメントをくだされば、尚のこと舞い上がる。元気も勇気ももらえる。
本当に、有り難いことなのである

英語も韓国語も中途半端で話せない。
それくらい本当は情報出力アウトプットの話すこと、書くことは、
インプット(入力)の聞くこと読むことよりも表現手段として、科学的に難しいことは、コミュニケーション障碍の代表格である、自閉症の
子どもたちからまざまざと体得してきたものだ。

元々臆病で、自分の内面世界だけを楽しんできた
他称「夢見る夢子」のゆきんこは、12歳頃から小説や自作漫画を
暇暇にかいて楽しんでいた。

交換日記も大好きで、受験勉強もそっちのけで3年間友達と続けた。

あ、前置きが長くなると学校へ行く時間が迫ってきた。

昨夜の授業はこま回し大会。たくさんの種類のこまを回した。
一番大受けだったのは、「ルーレットこま」
こまが回り終わった瞬間にかくっとクビが折れたみたいに傾いて
止まるところがとっても面白くて、回っている間は、
「222」とか「666」と唱えて待ったりするのが楽しいし、
案外じ~っと集中できるから、これも、多動タイプの数字大好きな
自閉ちゃんには、いい玩具だ!

因みに、I先生の昨年10月26日の講演会の情報の一部だが、
自閉症のみなさんの余暇活動に細工したルーレットで
さりげなく選択肢を与えながら、選択させないという「裏技」で
実践研究活動を楽しんでおられる模様だ。

大学院なのに、遊んでるやんと思うでしょう?
でも、幼年教育コースだからディスカッションもテーマは
「遊び」とか「創造性と想像力について」とかになる。

ああ~時間が迫ってきた。
7時限目は、T先生と遅まきながら新年のご挨拶。
「明けましておめでとうございます」
「ゆきんこさん、年末年始はどうだった?」
「ありがとうございます。母と二人で紅白を見ました。
 明けて元旦は、おせち料理を食べて、近くのK神社にお参りしました。
おみくじを引いたら、学問に精進するようにと書いてありました。」
「そう。それはよかったね。いい修士論文書いてくださいよ。」
「はい。ありがとうございます。」

幼稚園では、定番の絵本5冊を、各先生たちが情感を込めて読み聞かせてくださった。

1・しょうぼうじどうしゃじぷた
2・ねずみのおいしゃさま
3・てぶくろをかいに
4・はなさきやま
5・てぶくろ

ゆきんこの好きな絵本は、「てぶくろ」
ロシアの有名な童話だけど、同じ繰り返しで、「おおきなかぶ」に
似た、単純な乗りのよさがある。

おじいさんが、森の中に落としたてぶくろのなかに、
ねずみ、かえる、うさぎ、おおかみ、いのしし、くまと大きな
動物たちが次々に入って、すみかにする。

異なる動物種が、共に共棲することを動物を題材にして伝える
ヒューマニズムがシンプルなストーリーのなかに隠されている。
T先生の解説によると、複数の研究者がそれぞれの見解で論文テーマに
しているそうだ。

読んでくれたのは、同じゼミ生のTさんだったので、
講義が終わってから、生意気にもこうコメントした。
「去年のアンパンマンよりすごく上手だったよ。」
「そうですか?」
「T先生、ロシアのおはなしって面白いですね。私はおだんごぱんも
好きです。」
「そうだね。じゃあ、また来週。」
「さようなら。」

というところで、タイムリミットがきた。
あ~、家庭教師の準備してないや。

それに、支所長との面白話も書けなかった。
もう行かなくちゃ。

「早く行かないと、また遅刻するわよ!!」
もう、いくつになってもうるさいんだから、うちの白髪頭のママゴンは!
昨夜午後10時30分、アラームを7時20分にセットして、入浴して布団に
入った。
洗髪して、湯船に浸かって、ブツブツと思い浮かんだことをモノローグした。

上がると、居間のテレビからハイトーンの透き通る声が聞こえてきた。
「小田和正って知ってる?」
「知ってるよ。オフコースでしょ?」
「なんで知ってるの?」
「中学時代、はやってたもの。有名だよ。」
「有名?は~、全然知らないなあ。」

団塊世代の小田和正も、もう58歳だって!

今年から、日曜日の深夜番組は1ヶ月に1回、「環境アーカイブ特集」
が始まった。
第1回目は、「水俣病」のドキュメンタリー
昭和30年の時点で既に、熊本大学医学部の研究者が、
水俣病の原因は、工場排水の中の有機水銀だと報告していたにもかかわらず、その後も「チッソ」と政府側は、その事実が明らかになっていながら、隠蔽と、排水の垂れ流しを継続し、何の対応もされなかった。
公害病と認定されたのはそれから14年後(昭和43年)のことで、
貧しく弱い立場に置かれた水俣の漁民たちは、東京裁判書の前に座り込みをしてようやく勝ち取った権利だった。

史上稀に見る日本の高度経済成長は、我々に科学技術の恩恵と物質的な
豊かさももたらしてきたが、地球や生命体に与えたダメージは途方もないものだった。
そうまでして、利益だけを追い求めることだけが、果たして個人の
幸せに直結するものだろうか?
私はそうは思わない。

その意味で、私は純粋な営利目的的に生きることが難しい人間だ。
「生保の外交員らしくない」と複数の友人に声を合わせて言われたら、
そうかもしれないとまだ心は揺れていた。

現時点で、プー太郎4ヶ月目の私。毎日が日曜日。
と言う割には、なぜだか、毎日どこかへお出かけしたり、暇があれば
それをブログにこんなに綴っているけど、
今年初めて7時台に起床した。
(お仕事中のみなさん、ごめんなさ~い)

午後1時になって、第164回目の国会が始まった。
衆議院本会議の各党代表の質問がその内容だ。
トップバッターは、民主党の前原誠司氏。
まずは、豪雪で命を落とされた方々へのお悔やみの挨拶から、
国家レベルでの災害対策の乏しさを指摘する。

朝の連ドラ「風のハルカ」もよく注視しないまま、
20日の女性就職セミナーで教わったばかりの面接メイクのおさらいで
少し濃い目の化粧をしたら、8時45分にレインコート姿で雪のちらつく中、自転車を市役所へと走らせた。
提出書類に住民である確認の市長の捺印をもらうのに、
お値段300円!もったいない!

この目的はものの5分で終了し、お次は、南★営業所へ向かった。
約束の時間の9時半きっかりに、営業所の扉を開けると、所長の大き目の声が聞こえてきた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
朝礼を中断して、Bさんが私を席へと案内してくれた。

先週の水曜日、所長が競合他社の営業員が、商品説明に来るから
見学に来るようにと案内を受けていた。

CM「♪よ~く考えよう。お金は大事だよ。」のがん保険の推奨品だ。
加入年齢にや家族構成によって、掛け金や補償額が異なっている。
めいめいに商品に関する質問が飛ぶが、特に所長は熱心に細かく
突っ込んで尋ねていた。
「高齢者の場合は、だらだらした説明だとわからないから、
要点をわかりやすく説明することが大切ね。」

今日は、締切日とかで、1週間前のイベントデーに比べると、慌しい雰囲気だった。

朝礼の最後の挨拶確認に私もシンクロナイズで社員と一緒にお辞儀した。
「おはようございます。」
「ありがとうございます。」
「いってらっしゃい。」

ふ~ん。保育所や幼稚園から求められる基本的な挨拶は、社会性スキル
トレーニングはここでも同じだ。ちょっと可笑しかった。
現役の先生たちより、遥かに上手だったりして。

私は住所確認の必要書類と、通帳の番号を事務担当の女性に伝えた。
「わからないことは、なんでも遠慮なく聞いてね。」
私を勧誘したBさんがお茶を出して言ってくれた。
初めは優しい印象だったけれど、実はとても前向きな感じにイメージは
変った。
「友達からは、らしくないって言われてるんですが、敢えてお聞きしたいのは、凹んだり、失敗談とか、ノルマが辛いとか、そんなことも
ありのままに教えてくださいますか?」

Kさんがにやっと大きな笑みを浮かべた。
「どんな仕事だって、やってみないうちからいいことも悪いことも
わからないんじゃない?大事な書類忘れたとか、初歩的なミスもあるけど、前向きなら少しずつ乗り越えていけるわよ。ノルマも初めはそんなに厳しくないから。」
「友達をなくすって聞いたのですが。」
「それは、いやがるような誘い方をしているからよ。
ゆきんこさんだって、保険いくつか加入してるでしょう?」
「はい。入ってます。」
「税金のことも勉強できるから、他者と比べてお特なのかどうかも、
丁寧に説明すれば、寧ろ感謝されることの方が多いと思いますよ。
私は、一人も友達をなくしていないわ。」

「私は友達には勧めません。ちゃんと訪問エリアは決まってるし、
新規開拓は、自分で決めて回っていくのよ。
私も、この仕事は経験が浅いけど、楽しんでやってます。
人生経験は長いですから、歯科助手とか事務員とか色々職種も変ったわ。でも、どんな仕事も子育てをしながら前向きに取り組んで乗り越えてきました。」
「歯科助手もなさってたんですか?私も応募したことあったんです。
歯医者さんが入れ歯のペーストを作るのにコツがあるって。」
「そう。それもしたわよ。それとバキュームね。」
「あれも、唾が溜まって吸い取るのにコツがあるんですよね。」
「どんなことでも、ちょっとしたことで気構えって変わるのよ。
例えば、挨拶ひとつでも、明るくはきはきしてるのと、ぼそぼそ小声で
呟くのとでは全然印象が違うでしょう?」
その答えに全く異論はなかった。
再就職支援セミナーのアドバイスそのままだった。

私は、プライベートゾーンでは至っていい印象なのに、一度ビジネスモードに入ると、まるで気の利いた好印象の演技ができなかった。
ノルマとかプレッシャーに基本的に弱腰だった。

昨日のY氏のアドバイスを参考にデメリットを敢えて聞き出してみたかったのだが、とにかく前向き発言で交わされた。
今日はこれでおしまいで、明日も午後11時に訪問する約束して、帰宅した。

雪は小止みになっていて、昨日よりも空は青く感じた。
帰宅すると、日課どおりお気に入りのブログを見た。
2ヶ月くらい止まっていた友人のブログは更新されていて、久しぶりに
コメントを入れた。

I先生のブログは更新されていないけど、時々コメントしても、
相変わらず無反応だった。
侵食を削ってもABAに全身全霊をかけて突っ走っているI先生の眼中に
私は、まるで入ってなくてちっとも心理学者の心理は読み取れなかった。
但し、現行の特別支援教育の資格制度にはかなりご不満を持っているのだろうことは伺えた。
資格という紙切れだけを取得させるだけに留まり、
対象児に確かな効果や、保護者の満足感を与えないままの技能が
伴ってこないことに、きっと不満足感があるのだろう。
手強い!

ひたひたとおばさん進行形、モチベーション弱化のゆきんこに
コールドダウンしても仕方ない。
寒いからって、お外へでない意気地なしを強化するわけない。
PCの前で悶々としているのでは、相変わらず、未来は見えてこなかった。

自分の保育の実力は、どれほど同業者に評価されてきたのかは、
査定できない。
営業なら、契約提携数がそのまま評価につながるけど、
教育界での成果というのは、それも保育界など、いい加減で曖昧だった。

答弁では、「能力主義の導入を公務員にも」と提案されている。

じっとしてブランクが長くなれば、どんなことも徐々にできなくなる。
だから、やっぱりここで油を売っていていいのだろうか?
笑顔が素敵でも、仕事は少し楽かもしれなくても、
やっぱり、ハイジでいるべきじゃないかな、私?
自分らしくあるには、今までの仕事の方が本当なのかな?
振り子のように心は揺れた。

いつもオペラント!
と口先だけでブログの外へ出ないことには、夢は現実にならない。
だから今、2月は寒くても、障害児研究会へ行こうと
ここに宣言しよう!

やっぱり杉山先生のABA入門読んでみよう。
レポートもさっさと書いて提出しよう。
どこかへ出かけると、なにか面白いことがある。
ブログやメールを開けてみると、文字が躍っていて、面白いことが
書いてある。

返信メールを送信したら、砂壁に貼ってある未来のスケジュールを真新しい1月のカレンダーに書き込んで、それを実現しようと思う。

気分は自然に素直にそんな感じ。

午後2時から、今年初めてのボランティア活動、電話相談の小さな
部屋を訪れた。
2004年6月に認定を受けて、1ヶ月に1回4時間という機序(ルール)で、始めたボランティアも、1年半くらいで板についてきた。


雪は過疎のお年寄りの小さな村を容赦なく襲った。
只今、視聴中のNHKスペシャルは「豪雪 村を襲う」
100名を超えた死者は、足腰の弱ったお年寄りだった。

事務机でタバコをふかすU氏に一礼してご挨拶。
「今年もよろしくお願いします。」
表をあげるとびっくり!両目の周辺は痣で痛々しく変色していた。
「どうしたんですか?そのお顔!」
「この間、つまづいてこけたんだよ。」
「ええ~!どこで?」
「警察の前で。」
「あらあ、痛かったでしょう。それで救急車で運ばれたんですか?」
「警察の前だったからね。すぐに呼んでもらったよ。」
「それは、警察の前でよかったですね。」

2人1組でペアになったお相手は、研修期間で顔なじみだったY氏だったが、再会したのは実に1年以上も前だった。
「久しぶりだね。」
「同期生同士のペアになりましたね。お仕事はどうですか?」
「うん、まあ、ボチボチだよ。」
「確か、1年ほど前は3ヶ月ほど泊り込みだって。」
「ああ、T市にね、建築の依頼があって。」
「Yさん、お仕事は、」
「建築だよ。」
「そうでしたよね。職種は現場監督さんですか?」
「そうだよ。」
「じゃあ、現場ではヘルメット被って事故や怪我がないように
監督するんですね。結構、気を遣うお仕事ですね。」
「うん。そうだね。ゆきんこさんも保育士続けてるんでしょう?
1年前には、偶然、淀屋橋駅や梅田あたりで会ったよね。」
「そうでしたね。あの時は、実は予備校に通ってまして、
合格したので、今は大学院へ行ってるんです。」
「へえ、どこまで?」
「神戸の元町です。」
「また行動半径が広がったんだね。」
「でも、また失業中で、転職しようかと…相談に乗ってもらえます?」

久しぶりに会ったY氏に、近況方々電話の合間を縫って相談させてもらった。

今日の相談者は、30分ほどで機嫌よく晴れやかに電話を切るケースが
多かった。殆どが常連の相談者だが、聞き手の返答が、楽しかったり
未来に期待することばが出てきたら、お互いに清清しい気持ちを
共有できた気がする。

「また、あの子に会いに行ってみようかな?」
「そうしてみたら?もうすぐバレンタインデーだから、
誰かあげる人いるの?とかアプローチしてみたら?」

「半年前から面識が会った女性とメールの交換を始めたんです。
もう、返信メールが待ち遠しくて・・・・」
「よかったですね。」
「喜びや、感謝の気持ちはすぐに表現することで、また次にも
いいことがやってくるんですよ。
笑う門には福来るっていうじゃありませんか?」
「そうですよね。私にも教えてくださってありがとうございます。」

「私、何か宗教を始めようかと思うのですが、お勧めのところは
ありますか?」
「さあ、私がいいと思っても貴女にいいのかどうかは、わかりません。
ご自分で判断した方がいいのでは?」

人生という問いには、正しい答えはないから、本当のところは、
100%完璧なアドバイスなんてない。
辛うじて成功といえるのは、「ありがとうございました。」と
気持ちよく電話を切ってもらうことに尽きるような気がする。

「生保の勧誘員の誘いを受けていて、明日も営業所に呼び出しを受けてるんです。」
「さあ、やってみないとわからないだろうけど、どんな仕事だって
いいことばかりじゃなくて厳しいよ。私の知人でノルマがきつくて心身症になった人を知ってるし、仕事に就く前に、厭なことも敢えて聞き出して覚悟しておいた方がいいよ。」
「そうですよね。確かに、今のところはいいところしか見えていないのかもしれません。」
「大学院の方はどうするの?」
「もちろん、誰でも入れるところではないことはわかっていて、
社会人になって10年以上も立ってから入ったのですから、
最後まで修めるつもりでいます。きっと母も、生保への就職よりも、
学業を優先することを望んでいますから、当面の生活のためと許して
くれていると思います。
新卒時に、ストレートで院に進学したかったのですが、その時点では、大学を出してもらったことも贅沢なことだと断念しました。
今になって夢が叶ったのですが、一人っ子の私には、両親の老後が
目前に迫っています。アルバイトで食いつなぐ生活が心もとないと、
専門性を研きたくて去年、進学を決意したのですが、蓋を開けた
大学側も、はっきり言って、社会人に門戸を開いて収益を得る方向に
変遷しているわけで、将来性が見込めるかどうかは…」

「どこだって厳しいのは同じだよ。それだけは覚悟しておいた方がいい。社会人になっても大学院へ行こうだなんて余裕があるんだよ。
本当に余裕のない人は死に物狂いで職種も選ばず働いているさ。
私だって、家にはお金を運んでいるようなもんだ。」
「そうですか。朝の生活ホットモーニングで、今『熟年離婚』が
流行ってるんだそうです。」
Y氏は苦笑いした。

「どこだってそうじゃないの?」
「でも、男女の諸々のプロセス踏んで、お子さんも成人されたのですから、私たちの世代って、そのスタートラインで価値観がズレているから
お付き合いの段階でそれ以上進まないんだから。
私の友人も半分位は、私と同じ。結婚せずに、気がついたら15年くらい経って、子どもを産んで育てるより、今までのキャリアにしがみついて必死なんですよ。同じ条件で、Yさん、仕事辞めるなんてことできますか?」
「そんなことできないよ。自分で積み上げてきたものなのに。」
「女性にだけ仕事を辞めろと強要するのは、不平等条約というものです。
結婚する女性は、初めから仕事へのウェイトは少ないから、主婦になるという割りきりがあるかもしれませんけど。
結婚を遅らせた男女の場合は、お互いの老親が足枷になるのも事実です。だから、30歳までがいいと思いますけどね。」

団塊世代のY氏と私は、忌憚なくお互いの意見を述べた。
勿論、「電話相談室のブース内で」という信頼感と安心感がそうさせていた。

その話を、創始者のU氏が耳を欹てて聞いていることもお構いなしに。

夕暮れは遅くなった。
相談室の窓から大きな雲に覆われた市街地の空が、ドーナツ状に丸く、青かった。
5時15分から少しづつ暗くなり始め、6時に戸締りをした時には、
日没していた。




まだ、食べていない食べたくてたまらないお菓子が目の前にある。

ビリッと袋を破いてすぐには食べずに、後で何かを頑張ったときのご褒美に置いておこう。

自分でこう思って忍耐できるヒトは、そうでないヒトよりも
ややレベルアップできている。
ドカベン(どデカイ大きな弁当)、早弁(正午前に授業中こっそり食べる弁当)、ジョガ弁(女学生の食べ方で好きなフルーツを最後に残して
食べる)
貴方は、どのパターンだろうか?

ジョガ弁タイプは、お利口さんタイプとABAでは解釈されている。

昨日、キッチンにある食器棚の中断電子レンジ横に発見した大好物の
お菓子!

神戸の菓子工房 イチゴ

イチゴ果肉8%配合の果肉クッキーだ。
裏面は、珍しいことに栄養成分表(100gあたり)も明示されている。

エネルギー 456kcal
水 分   5.5g
たんぱく質 6.2g
脂   質 16.1g
炭水化物  71.6g
灰  分  0.6g
カルシウム 120mg
ナトリウム 220mg
マグネシウム63mg

試験依頼先 財団法人食品環境検査協会

製造者 昭栄堂製菓株式会社
    神戸市垂水区山手7丁目7-1
販売者 株 ピュア

ピュアさん、このブログを借りてお礼申し上げます。
期間限定100円キャンペーンをうちのご近所の仮店舗で、
笑顔を振りまいてサービスしていらっしゃいましたよね。

2004年12月3日、合格通知を得た後に、ルンルン気分で店先に
住民のみなさんと列を作って配給品を受けました。
リーダーのW氏のプレゼンテーションも先生よりもすごく楽しくて
上手だったし、3日目の新入社員の男性も、笑顔が輝いていましたね。
BGMのPUFFY「♪渚へ行こう」も季節外れにファンキーで、大受けでした。

ありふれた 些細なところに 日常の 発見あって、また笑顔(字足らず)

ゆきんこ
こんなに、こんなに寒いのに、今日はセンター入試試験の第1日目。
受験生の皆さん、指がかじかむかもしれませんが、全力を尽くして
がんばってください!

なんていう私は、ちょっと昔の、一応「共通一次試験」世代なのだが、あの途方もない受験勉強を受ける前から断念して第1志望大学は自宅から最寄の私立専願だった。
今思えば、どんなことでもダメもとでやっておくんだったなと
「後悔先に立たず」である。

日本は、バブル崩壊を境に年功序列も崩れて、実力主義に移行しているものの、女性にとっては相変わらず、不平等感は否めない。
女性でも、相当エリートで優秀でないと、男性と対等な処遇は得られないのだ。

今なら、一浪してでも自分の意志を貫いて将来のことも考えた選択も
あったのかなと思うけど、明日のことは、誰にもわからない。

恐れていたLD指導実習の返信封筒が届いた。参加は却下された。
うっかり申し込み忘れたK-ABCという心理検査が未修得という理由からだ。
年に何回も受講できる講座もあれば、1回逃すと来年まで待たないと
いけないなんて、なかなかシビアだ。
それも、丸3年かけてこつこつポイントを取得し、
実習を残してたったひとつになった「K-ABC」が抜けていたがために
なんて!また1年待たなくちゃならない。
あ~、時間とお金の無駄だ!!

何だかかんだって、こういう特殊な狭き門の権威たちは、けち臭い!
「僕に習わなくちゃ、他の誰も教えてくれないよ。」
そうやって、弟子を傅かせてガバッと儲けて左団扇を扇ぐ。
お高く留まって、出すものを出せば受講させてやろうという感じだ。

どうして私ってもっと等身大の幸せを見つけられないんだろう。
センター試験に合格すれば、不合格のライバルを蹴落として、
少なくとも、有利な将来が約束される可能性は高くなる。
現役高校生の場合は。

問題なのは、従来のシステムの過渡期から弊害も残されたままなのだ。
つまり、たった一度でも転んでしまえば、あとからどんなに努力しても
堅い扉が、決して開くことのなく、敗者復活戦のルールがないのだ。
一度、コームインになれば、まずは将来安泰で、いろんな特典がついている。臨時のアルバイトとの身分差は、甚だしいものだった。

ABAの世界では、ルールや環境はいくらでも個の利益のために改変しても
構わないのに、法律も含めてわざわざ不公平なシステムによって
一握りの為政者の餌食になっていることに、国民は目を見開いて、学習
しなおすべきだ。

それで、前置きの不満がたった一枚の返信封筒で噴出してしまった。
もちろん、見落としていたのは私自身の責任だし、スーパーバイザーの養成スタッフの絶対数は極小だから、大人しく1年待てばいいんだけど。

2004年1月26日。
このLD養成セミナーでABAという「最新の心理学」を知ってかれこれ2年になる。

そして、今、私の手元には、ABAの第1人者によって書かれた入門書があ
るので、是非是非、紹介したい。

失敗行動や犯罪の原因は、“心”に求められることが多い。
「あいつはやる気がない」「過去のトラウマだ」等等。
しかし、これでは、評価にこそなり得ても、問題解決にはつながらない。
(応用)行動分析学(Applyed Bahavior Analysis)は、
ヒトおよび動物の行動を「行動随伴性」という独自の概念によって
明らかにするもので、行動の原因を個体内部、つまり心ではなく、
個体を取り巻く外的環境に求めていく。
アメリカの心理学者スキナーが創始した学問体系である。
介護や医療、ビジネス、スポーツ、家庭などさまざまな現場で応用されており、大きな成果をあげてきた。


…というわけで、死んでいない人間を含める動物のやることなすこと全てが行動という定義だから、これまで閉ざされた門をドンドン叩いて
泣いているよりも、少々業界が変わってもヘコタレルことも
ないかなんて、割り切ろうとも思ったのだ。

あの営業所には、笑顔とお菓子、和気藹々としたムード。
それが、私を素直に魅了し、「行動随伴性」を強化させていた。
昨晩の天気予報では、太平洋側も雪模様と予想されていたが、
昨日より、寒さは緩んでお日様もにこにこ、ぽかぽかしていた。

「今日は昨日より暖かいですね。」
「そうですね。」
G図書館の自転車置き場で出会った主婦らしき女性と挨拶を交わした。

正午前に図書館に入って、午後1時までラルフ・フリードマン著
「評伝ヘルマン・ヘッセ」を読めるところまで読みきりつつ、メモを取った。

母が口を挟んだ。
「今度、電話相談のボランティアいつ行くの?」
私はむかついて答えた。
「22日の午後。今週になって何回聞いてるの?もう7回目くらいだよ。」
「仕方ないよ。認知症だもの。」

 稀に暗黒の深みが沈黙しているときには、私たちにはもっと多くのことができるのです。しばしの間、神となって命令する両手を突き出し、
それまで存在しなかったさまざまなものを、そして一端出来上がったら、私たちがいなくても生き続けるものを創造することができます。
音からことばから、そしてその他の脆くて無価値なものから、
私たちは玩具を組み立てることができるのです。意味と慰安と善に満ち、偶然や運命の派手な戯れよりも美しくてしかもはかない旋律や歌を                     「ゲルトルート」より

第4章 崩壊する牧歌的生活 P206

ヘッセという人も傑出した文豪である前に精神を病みやすい気難しい
波乱万丈の人生を二つの大戦を、あのドイツの中で生き抜いてきた人だ。
20代半ばで、10歳も年上のマリーアと結婚し、3児の子どもを儲けたが、
結婚生活がヘッセにとっては苦しくてたまらないもので、ついには、
破綻してしまう。

音楽家小説「ゲルトルート(春の嵐)」は、妻、マリーアがモデルであり、ムオトと主人公クーンは、ヘッセの分身なのだが、そのウェイトは
二人の男性がゲルトルートに同時に恋し、ムオトが結婚したのだが、
破綻した経緯は、ヘッセの結婚生活の終結を暗示するものだったのだろうか。

1時には完読するには間に合わなくて、カウンターに他の3冊と一緒に
返却した。同時に3冊の本を新たに借りた。

想像力を育てる本
「artyfacts 見て、さわって、しらべて、つくろう!⑧動物」2003PHP
それからリクエストしていた新刊2冊
「行動分析学入門 ヒトの行動の思いがけない理由」杉山尚子20057月
集英社新書
「発達障害者支援法 ガイドブック」2005年5月 河出書房新社
名立たる著明な執筆者のなかにI先生の名前もあって、先生のブログでもお勧めしておられる。
杉山先生も、ABA界の第1人者だ。

1時過ぎに自転車をちょっと寄り道させてみた。
G図書館付近の数店のショップが並んでいてそのうちの1軒が
シャッターが閉じられていて、テナント募集の広告が目に留まった。
メモにとって電話番号を控えた。

子ども時代住んでいた街と反対側の線路と並行に走る道路を
3年間通った小学校を通過して、市街地に向かった。
途中、大きなキャンパスを小脇に抱えた数名の高校生たちを通り越した。
目的地は、昨日の午後も過ごしたMSという勤労者会館。
その4回で昨日から2日間「女性就職支援セミナー」に参加した。
履歴書の書き方、面接時のマナーを具体的に「内定塾」キャリアカウンセラーのK氏が伝授してくださった。
参加者は、年齢も職業もバラバラな10名の女性たち。

K氏のプレゼンテーションは、明るく具体的でわかりやすかった。
好感が持て楽しく役に立つ内容が豊富だった。
本番も忘れずに上手くいくと良いのだけど・・・。

昨日1日目は、中途採用者に対する人事の視点
中途採用者の経験値よりも人間性を重視されることが多く、
担当者の期待と不安は、社会慣れしていて教育を必要としない反面、
扱い辛い点にある。調和を乱す人は、経験があっても不採用にされやすい。
不採用になりやすい要因として、
①扱いにくい プライドが高い 
(例:白いスーツシャネルのイヤリング姿の元社長秘書)
②とりあえず、受けに来ている。
③前職の仕事説明が曖昧
④マナーの悪さ 
(例:椅子にもたれて踏ん反り返っている 足を組んで座る
 筆記試験の段階でも、肘をつく、消しゴムのカスを床に撒き散らすなど細かいチェックがされているので注意)
⑤社風に合わない
これは、淡水魚が海水に馴染まないようなものなので、仕方ないとか。

2.履歴書の買い方
履歴書の種類は20種くらいはある。職歴の多い人は、空白が少なくなる履歴書を選ぶ。
封筒は、中身を折らずに入れられる角2封筒がいい。

履歴書には、ボールペンを使う。はんこはシャチハタでもいいが、
斜めには押さない。横着な人と思われる。
更に、お勧めの証明写真の達人までホワイトボードに地図を板書して
教えてくれた。とっても親切!
一押しは、京都四条寺町通り近くの「ワンダス」写真展
電話予約の上、お越しやす(京都弁どす)075-221-6693

中途採用者の場合、間違いなく聞かれるのは退職理由だ。
人間関係や病気を理由にするのはご法度である。
学歴、職歴以外にも、趣味や特技の欄も面接官はチェックしている。
面接官は意地悪なので、まず落とそうということしか考えていない。
相手の弱みを履歴書や第1印象から探るので、受ける側もそれを交わす
テクニックが必要なのだ。
「備えあれば、憂いなし!」

面接の話し方。
結論から言う。前置きがだらだらすると要点を得なくなる。
後で、理由や説明を加えて面接官に興味を持たせる。
具体的なエピソードも添えると効果的。

しかし、話し方よりも第1印象では、もっと重要なことがある。
それは、何だと思います?

心理学者のメラビアンの法則によると、合否の確定は、
話の内容が7%、話し方38% 表情ジェスチャー55%と、
話し方と表情だけで、93%になるのだ!

声は小さいより大きい方がいい、明るく話す方がいい。
笑顔でニコニコするのがいい。
人間の5つの感覚(味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚)のうち、
面接の第1印象で訴える感覚は、聴覚と視覚。
更に、視覚はどの感覚器官よりも抜群の情報受容体だ。
従って、視覚に訴える表情の練習法も具体的に教えてもらい、
これには、「ホォ~、なるほどアイデア!!」と感心した。

鏡に向かって笑顔笑顔というのは昔の話。
今は、最新ツールの携帯デジカメを使う。
携帯の画面に自分の顔を写して、面接に際して質問されるであろう
回答を想定しながら、シュミレーション練習を行なう。
これを2回連写して、ベターな方を残しておく。
更に、もう1回摂り、2枚を見比べて、より良い応答の仕方や表情を
セルフモニタリングできるというわけだ!
まさに、リハーサルにリハーサルを重ねたABAの決定版!

…なんて大袈裟かもしれないけど、ABAの巨匠たちにかかっては、
ヒトも含めた動物の行動全てはABAの理論に当てはめて解釈されるのだから、改めて感動するのは可笑しいかな?

つまり、どんなことでもトレーニングを重ねることで、その行動になれていくから徐々に緊張感は緩和されるはず。
緘黙もそのように完治するといいのだけれどね。

「明日は、実際の模擬面接を行ないます。履歴書と職務経歴書、
それから化粧品一式を持参してください。」

昨日の夕方、履歴書を買って書いた。
去年の年末までどうしても書こうと言う気が全くしなかったのに、
さすがは、就職支援のプロだな~。

2日目はK先生の教え子でビューティーアドバイザーとして活躍している
ゆきおんなさんにコーディネートしていただいた。

私はいつも通りのシンプルな化粧を5~10分で仕上げると、挙手して
ゆきおんなさんの助言を求めた。
「いいですよ。チークの塗り方も色も合っています。口紅もそれで
いいです。」
「これでいいんですか?」
「ええ。アイメイクはどうしていますか?」
「何もしていません。」
「そうですか。これでいいです。」

面接メイクは、ナチュラル、健康的、上品、控えめであることがポイント。
普段どおりのシンプルメイクでOKだったので、他の参加者を巡回している間、手持ち無沙汰になってしまった。

後半はいよいよ、椅子を並べて模擬面接の実技だ。
その前に、お辞儀の仕方や、ドアノックは3回など、マニュアル通りの
模範を、まずは、ゆきおんなさんが見せてくれ、一緒に練習。

5人一組になって、指定された受験者を評価した。
お互いに役割を代えることで、セルフチェックできるというわけ。

面接官役は、K先生だったから、質問に相手がその場で窮したときは、
親切に「~と答えればいいですよ。」と具体的に回答例をその場で
出してくれるのはいいなと思った。

ゆきんこは、なぜか練習でも、本番でも端っこに座ることが多い。
「保育士さんだったんですね。主に障害児さんが対象ですね。」
「はい。」
「どうして退職されたのですか?」
「ここ数年、契約職員で不安定な雇用が続いていました。
今回は、昨年の9月30日で契約が満了となり、失業して4ヶ月目になります。将来性も考えて、業種や職種にはこだわらず、正職員として
出直したいと考えています。」
「今、夜間の学校へ通っているのですね。」
「はい。」
「どちらまで?」
「神戸の元町です。」

「それでは、全員にお聞きします。あなたの一番の強みは何ですか?
どなたからでもどうぞ。」
「はい。」一番に挙手した。
「私は、よく感受性が豊かだとほめてもらっています。
相手のことをよく考えて、慰めたり励ましたりするのが得意です。」
「そうですか。お仕事柄そうなんでしょうね。」

「では、もうひとつお尋ねします。履歴書に書かれていることで、
特に強調したいことはありますか?どなたでも挙手してどうぞ。」
「はい。」再び1番に挙手した。
「履歴書にはだらだらと書かせてもらっていますが、まずは目の前の
私自身を見てください。」
「いい回答ですね。上手く切り返せると、面接官にたじろぐことも
少なくなってきます。」

5対1面接は、待ち時間が長い。今回は模擬面接で、笑いも少しあって
楽しんでできた。
本番は、何度となく体験してきたけど、一発勝負で何度受けても緊張する。

閉ざされた門を虚しく叩いて、泣くよりも
笑顔で「どうぞ Come in」と呼んでくれるところへ素直に出かけようかと悩んでいた。

そして、数日振りに更新されたI先生のブログには昨日の
障害児教育研究会の事後報告がされていた。
寒かったし、履歴書を書く宿題がなかったら、久しぶりに出席しようと、バナナやお菓子をぶら下げていたけど、結局行くのは、断念した。
ブログを見ると、やっぱり楽しそうだな~、行きたいな~、
ずっと条件悪くても、がんばってきたのに、お金のためだけに辞めるなんて…

来月いけるといいな。
私には、明日さえ見えてこない。

母に相談したら、一言ですげなく却下された。
「G図書館の前に、空き店舗見つけたの。テナント募集中だって。
そこで、画材やさんを開業したらどうかと思って。」
「無理よ。再三取れずに、たちまち赤字だらけになって
撤退しなくちゃならないわよ。借家の値段いくらすると思ってるの。
Iさんの自営の喫茶店だって、ランチ750円で1日平均10人しか
来ないのよ。そこから諸経費引いたら、純益いくらもないのよ。」
「じゃあ、生命保険で賛成してくれるの?」
「私も行ったことあったけど、続かなかったの。勧誘したらそれで
おしまいの世界だから、ちょっとくらい体験させてもらうのは構わないけど。あんた勧誘できるの?」

どうしよう???


昨夜の大学院の講義は、気分的に無味乾燥に終わった。

社会心理学者のY先生が、今日的幼児課題の研究論文をテーマに
コメントを聴講者に書かせ、それをベースに解説、総括するというもの。
昨晩は、第3回目で幼児期からの社会性スキルトレーニングの実践研究だ。

公認された学会誌に発表されていないこの論文は、説明不足も多々あり、論文としてはお粗末な出来栄えだと冒頭Y先生が述べた。

社会性スキルトレーニングとは、文字通りなのだが、対人関係を円滑にするための技能を学習によって高めるトレーニングだ。
初歩的なところでは、朝昼晩のご挨拶。
「おはよう」「こんにちは。」「こんばんは。」「さようなら」
「ごめんね。」「ありがとう。」
これらの基本的なことばかけが、状況に応じてできなくなっているから
幼稚園からわざわざ丁寧にトレーニングをしようじゃないかという目的だ。
私が最も大嫌いな面接トレーニングなどもその極みに入るといえよう。

確かに、大人になっても基本的な挨拶さえも、緘黙のために言語障害の権威に全くできずに誤解されたまま卒業してしまった。
その屈辱ゆえに、厭味な履歴書をもって、うろうろしては不採用に
なり続けてきた。

先生といっても、いろんな先生がいて、私が所属しているのは
幼年教育コースのため、幼稚園の先生、とりわけ園長、主任クラスの
管理職がマジョリティ。
他にもスクールカウンセラーを目指す若い女学生や、高校の生徒指導
の中堅の教師など肩書きや対象とする児童・生徒もバラバラだ。
その中で、肩書きも仕事もないプー太郎は私だけ。

それなのに、また余計な口出しコメントをして嫌がられてしまった。
「幼稚園の先生方には、この論文のカリキュラムは、読むに耐えない
お粗末なものだ。とか、形だけの挨拶を強要するような指導のねらいは
間違っていて、研究内容に納得いかないとのご意見が多いようですが、
確かに、この写真は無理に挨拶させているみたいで、印象が悪いですよね。
私は、少しABAを自分で試してきた経緯もあって、こうした課題は、
先生たちが気づかないうちに自然な形で実践しておられると思います。
そうしたものの見方や、心理学的な理論背景に則して、幼児教育のどんな場面で行なわれているかに視点を当てて下さればと思います。」

講義が終わって、生徒指導担当のE先生が私の机の前を無言で通過した。
隣の席の20代の女性に笑顔で「お疲れ様でした。」と挨拶したのに、
彼女に睨み返された。彼女は他の学生と話しても、わたしと話したことは、一度もない。

どうなってんの?教員大学院生のソシャルスキル。

6階に移動して今度は、ゼミの時間。
今回は、ざっくばらんな雑談に終始した。
「その『発達』(発達心理学の専門誌のタイトル)って役に立つよね。」
「いえ、全然。これは研究テーマのヒントになるかと思って、
去年の忘年会の前に慌ててコピーをとっていた原本です。
今日はそのコピーの方を忘れてしまって…」
「どこを取ったの?」
「ここです。キーポンというおもちゃを使った乳幼児のコミュニケーション指導の報告書です。」

と、ページを捲ろうとしたが、なぜかY先生は突っ込まずに話題を変えた。
論文のコメントをしながら、学習理論を抜きにした幼児教育なんて
有り得ないのであって、保育者がそれを自覚していることは少ないだけなのだ。

Tさんの幼稚園では恒例の発表会の練習が始まって、振り付けや台詞の
ひとつひとつまで、みっちりと先生が教え込んでいるらしい。
その形重視の表面的な保育にTさん自身が懸念を持ち続けてきた。
「発表会もシェイピング(標的となる行動様式を形成すること)だよね。」
「ああ、シェイピングねえ。」
「あれは、子どもたちに何かの意義はあるのかしら?
個人的には、自分の幼児期も保育者としても運動会や発表会の類の
イベントが大嫌いなんだ、私。でも、保護者の前で堂々と披露することが子どもの成長の証でもあり、親がその姿に感極まる瞬間でもありますよね。」
「ごてごての衣装を作らなくちゃいけなかったり、保育者にとっては、
練習したり、道具を作って発表会に漕ぎ着けるまでのプロセスが
相当なプレッシャーなんだろうが、やっぱり古典的なこの行事は、
いくら手間がかかっても、教育的意義は大きいから続いていくだろう。」

でも、私は同業者フォビアから脱してなくて、またブツブツと
Y先生やT先生の前でぼやいた。
「私、転職しようと思っています。現場がないのに失業中のままで
幼年教育の大学院にいるのも、矛盾を感じていますし、もう同業者に信頼が置けないんです。ずっとやめた方がいいって言われ続けていたし、
私も向いていなかったかもしれないと思うんです。
オルガンも弾けないし、こんなところまできたらもう正職員では
雇ってもらえません。」
「そんなふうに悪くばかりとるのは、あなた自身のソシャルスキルにも
問題があるのかもしれないよ。」

それは自分でも自覚してるけど、研究者や教育者の世界だって、ある意味では偏狭じゃないか?
それに、今夜、開催されているM市の障害児教育研究会も名ばかりの
会員で、今月も不参加。もう1年もご無沙汰している。

幼児教育コースに在籍していること、Y先生のゼミに入ったことも雑談をしていること、障害児教育研究会に参加できないこと、何もかもが
私の人生の目的から逸れていた。

諸々の不可抗力を突っぱねてまで、自分の人生の目的は、発達障碍の方々に献身することなのだと、自分の心に誓いきれなかった。
ああ、優柔不断だな。


思い立って、ブログを始めて早5ヶ月目。
日中は、テレビみながらブログ書いているのが日常のお楽しみになって
きた今日この頃だけど、
思いかけずにその日常がふとした瞬間に変化してしまうことがある。

1月5日新年早々のハローワークで出会った一人の女性。
彼女の度重ねての勧誘コールと、引きずられるように飛び込んだ未知の世界。

「はんこ持って、あさって来て下さいね。」
元保育士だった所長がさりげなく言った。
全ての年齢不詳の女性スタッフが、一同に笑顔を満面にたたえ、
「ありがとうございます。」を連呼した。

あまりの歓迎振りにこっちがたじろいでしまうほどだ。

業界も、扱う対象もまるで違うのだが、似て非なるものを直感した。

午前11時。自転車で20分ほどで、再びの営業所前に到着した。
自転車を停めていると、向かいからバイクに乗ったBさんが声をかけてくれた。
「ゆきんこさん。来てくれてありがとうございます!」

今年出逢ったばかりの、まだ3回しか会ったことのない彼女から一体、
何回そのことばを聞いただろう。

私は飢えていたし、疲れきっていた。
すっかり、羨望のI先生の門下に入れないという遮断化によって
2年間灯してきた希望の火を消去したのだ。

そこに、未知の七福神たちが現れて、お弁当も、交通費も出してくれ、研修までしてくれるし、凹んだときにはお互いに励ましあっていこうとまで言ってくれる。

保育士の世界でそんなご褒美をもらったことは一度もなかった。

持参したのは、はんこだけ。
書類の説明をひととおりした上で、私は必要書類に署名捺印をした。
一応、インフォームド・コンセント成立だ。
なんだか、まやかしの笑顔だったら…と猜疑心は顔を出す。

「ここには、1年後、なんてわからないんだけど、目的意識持っている
方がこの仕事いいんですよ。」
「そうですか。あ、ありました!」
ハリーポッターの原著を完読する。

本当は、修士論文の作成と書きたいところだったが、
大学院に在学中であることは、まだ伏せていた。
もちろん、社会に出た年数の長さからいっても、
学生である前に、失業者である意識が頭から抜けることはない。

そうだ。私の最大の目的は、ABAで論文を書くことだ。
I先生に習いたい。今もその気持ちにブレはない。

でも、辛かった。悲しかった。我慢しても何もいいことはなく、
罰ばっかりだった。
そして、先生の姿を目にする度、障害児・者を支える第1人者としての
責任の重さや笑い飛ばせない憂いを背中にずっしり背負っているんだなと思うと切なくなる。

反射的に逃げ出している私って、一体何なんだろう!?
多くの起業主と言うのは、否応なくそうした立場を負っている点では、
どんな職種や業種でも同じだけど、少し気分転換したかったのもある。

寄り道人生でも、「心は傍にいる」
それで、いいのかなって。

田んぼ道をすり抜けていく、満員電車の中でモガイていなくてもいいのも、寂れても細々営業している商店街の雰囲気も気に入っていた。

「あら、私と同じ高校なのね?」
「先輩ですか?」
「それに、英語もペラペラ?」
「いえ、もうそんなに話せません。」
「うちの子の家庭教師になってもらいたいわ。」
「その方がいいかも。」
「何か質問はありますか?」
「保育士からこのお仕事に転換されるとき、悩んだりしたことや、
感じたことを教えてください。」
「初めは勧誘されて、抵抗があったのよ。いろんなお客さんが
いるから、対応も大変。自分で試して、工夫して、それが成果に
つながることの手応えを感じていけるのが楽しいと思ったの。
種まきして、刈り取ってっていうお百姓さん的なところもあるしね。」
「そうですか。私、最近、農業にもうすうす関心があったんです。
 刈り取るって?」
「いきなり商品を売りつけずに、パンフレット配布から始めるのが
種まきね。顧客を掴んで契約に取り付けるのが、刈り取りよ。」
「それにしても、随分な歓迎振りですけど、誰にでもこんな感じですか?それとも、ある程度、人物観察もしているのでは?」
「もちろんです。どっちにしても、ちょうど人材は欲しいところなのよ。うちの営業所は本当にみんな優しくて明るいの。私のカラーかな。」
「所長さん、元保母さんですものね。しかも出身高校も同じだなんて。」
「ご縁があったのね。本当に嬉しいわ。お昼を一緒にいかが?」

こんなありふれたところに転がっていたおいしい話に裏はないんだろうか。喰らいついて毒でも入ってやしないんだろうか?
どう思う?
今まで苛め抜かれていた犬が、優しい飼い主に変ったからって、
ウウウウ~と唸って警戒しているのにも、近い心境だ。

しかし、私は大学院では別の、いやありのままの顔だった。

今日は、阪神淡路大震災から11年目の記念日だ。

直接、災害に遭われて、過酷な歳月を過ごされてきた方々には、
決して忘れえぬ悲しい日なのだろう。
無念にも、命を落とされた方々のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

ゆきんこの住む地域もあの震災の日、地割れの音が響いていた。
倒壊した建造物はなく、時計が倒れた程度だったが、電話は7時を
回ったかどうか、ともかく午前中のうちに混線状態でつながらなくなり、近畿一円の交通機関も止まって、通勤を余儀なくされた。

暢気にテレビを見ているうち、長田地区の火災の現場も放映され、
その日は一日中テレビにかじりついていたことを思い出す。

翌日には、職場に顔を出せたが、神戸エリアではなくとも、
1週間くらいは、軌道に乗らなかった。
当時、療育施設に通ってきた対象児の3割近くは、神戸方面から
1時間近くも電車を乗り継いで通ってくれていたし、
指導員のなかにも、神戸の在住者が1名いたからだ。

別の指導員仲間も、ミニバイクで一軒一軒のご家族を見舞って、
近況報告してくれた。
ライフラインが大阪と神戸を断絶し、小回りの聞く乗り物が震災直後は随分役に立ったらしく、指導員のU君は、精力的に巡回し、ボランティアに勤しんでいた。

私はというと、なす術もなく彼の報告を聞くとか、会員同士で支給の物品を寄せ集めるということしかできず、残った女性指導員で、
通常通り通ってくることが可能な子どもたちの療育を再回した。

1ヶ月くらいは、車中で寝泊りする家族もいて、当時まだ幼児で、
重度の自閉ちゃん家族だっただけに、どんなに困っただろうと回想される。

結局、指導員のKさんは、震災を境に事実上の退職を余儀なくされた。
以後、ボランティア活動に専念する傍ら、神戸方面を新拠点に、フリースクールの主宰として、いよいよ本格的に創始しようと意欲を燃やしていた。

元来、臆病者の私は、震災ボランティアなどという大役は
とても自分にはできないと思い込んでいたが、それでも
そう遠くない神戸の方々の不穏な日々に知らん顔している自分で
いるわけにもいかなかった。

少ない夏休みを2回にわけて、震災以来、ぱたりと療育施設に来れなくなったK先生への思慕もあって、意を決してボランティア活動に参加した。

そこは、全くの異次元空間だった。
JR兵庫駅付近のボランティアセンターの本拠地は、即席の
キャンプ施設という感じで、公園にプレハブ住宅が立ち並んでいた。
にわかボランティアの私にできることといえば、入居者の慰問くらいだった。

それも、考えてみればご迷惑な話だ。
どかどかとよそ者が入ってきて、親切そうな素振りで物見遊山に、
身の上話に聞き入るのだ。
とうとうと語るお年寄りには、ある意味達観した貫禄を覚えたが、
もちろん、閉ざされたままの扉も少なくなかった。

私だったら、絶対誰も入れないだろうと思う。

今朝も、特集番組を見ていると、長年住み慣れた町が、あの震災で
一変し、再建できない空き地のままの所有地を公団の窓から
眺めるある工場主のドキュメンタリーが放映されていた。

私も生まれ育ったこの町に対する愛着は、人一倍だから、
町並みが変わって、もう元に戻らないという切なる思いは
年降るごとに深まるのだろうと思う。

友人の中には転勤族もいるから、「住めば都」と土地に執着しない
性質の人もいるし、心理学的には適応的で、好ましいのかもしれない。

因みに1月17日は、母方の祖父の命日でもある。

宮沢賢治と同い年の祖父は、99歳の大往生。私は当時17歳だった。
この明治生まれの祖父も一人息子の母子家庭で、母親が再婚するのを機に10歳で丁稚奉公を始めた。

大阪で2番目の建築業者の登録を受けたが、儲け根性はそんなになくて、
叔父の代でつぶれてしまった。

両親が離婚したとき、母は実家に戻れなかった。
叔父家族がそれを拒否したからだった。

祖父を看取った母の弟は、3年前に既に他界していたという知らせを
実は、この新年に受けていたのだが、親族に看取られない両親の家系っておかしいんじゃないかと思う。

従って父方・母方の親族共に、あまりにも疎遠な私がよすがにするのは、生誕の住み慣れたこの地縁しかないのだ。
こんな家族環境に育ったから、私は一般社会に対しても概して適応は
芳しくなかった。

そんな回顧ばかりしてると、自分の明日さえ、ブルーにしてしまう。
震災から10年経とうと30年経とうと、あの日、あんなことがなかったらと悔やみきれなくなるからだ。

大人になって、そんなことはお構いなしに、屈託なく笑い合える友達は
一人っ子の私には、お金より何よりかけがえのないものだ。

ベルばらに引き続き、Sちゃんを呼び出して、あるささやかな
イベントに出かけた。
ABAにはまる前から、ゆきんこは大の占い好き。
1月5日に、ハローワークの前で待ち伏せていた女性から度々電話で
勧誘されて、ふらりとイベントに参加してきた。

目的は、★占い 四柱推命 (鑑定士 高橋秀帆)
    ★血液サラサラ診断

H市駅から4つ目の駅に降り立ったのも、初体験!
隣町のK市は田園も広々としていて、このK駅もホームに誰もいなかった。

駅前の建物の一室を開けると、年齢不詳の明るい笑顔の女性たちが
私とSちゃんを熱烈歓迎してくれた。
テーブルにはお菓子も並んでいる。
壁には、えべっさんの竹細工の扇も飾られていた。
まるで福娘さんやな。

「今日は、お友達も誘ってよくきてくださいました。本当にありがとう」
「お電話ありがとうございました。」
「コーヒーいかがですか?それともお茶?」
「コーヒーお願いします。」

何だか好きなものに囲まれてご機嫌モード。
「それじゃ、早速占いしますか?」
「はい。」
Oちゃんと私は、階上のマンションの一室に案内された。
全く普通のマンションの一室で鑑定士さんが、座卓に座って待っていた。こんなのいいな~。

私は、コーヒーをすすりながら結果に聞き入った。
「今年は変化の年ですね。引越しとか、転職とか。」
「そうですか。去年一昨年と、人間関係で辛い思いをしたものですから。」
「2年前からよくない年回りなんですよ。大サッカイです。
デリケートで、神経を病みやすいところがあるのね。あまり思い悩まないように気分の切り替えを上手にするといいです。芸術的なことを
続けるといいわ。夢見る夢子みたいなところがあるでしょう?」
「アハハハ~!」
Sちゃんと目と目を合わせて笑った。
「金星人でお金には困らない相が出ていますから大丈夫です。」
「え~、それは当たってないような…あの、結婚運はどうですか?」
「30代はダメね。41歳ごろとあります。でもあなたは晩婚の方が
幸せになれるタイプよ。」
「そうですか。今年のおみくじでも子宝少なしとか書いてあって、
学問に精進するようにとは、あったのですけど。」
「そうね。あなたの名前、学問の相も出ているわ。」
「ふ~ん。生年月日と姓名だけでそんなにわかるんですか。」

次にSちゃんも占ってもらった。
「貴女もゆきんこさんと似てるのね。よく気が合ってお互い解りあえるでしょう。」
「はい。」
Sちゃんと私はハモッて返事した。

階下に降りると、笑顔の女性社員の皆さんが再びの笑顔。
「どうでしたか?」
「はい。当たってました。」

今度は、血液サラサラ診断だ。
先にSちゃんが受診して、私があとから受けた。
採血の特別な道具をプチッと押さえると、左人指し指の指紋の上に
赤い雫が表面張力で浮き出した。
「先生はお医者さんですか?」
「いえ。東洋医学を修めていますから、採血はできません。
ですから、ご自身でしていただいています。」

接骨士が細長いガラス板に乗せて顕微鏡を通して、
PC画面に映し出してくれた。
これも、初体験!!
「うん。(血液の状態)なかなかいいですよ。朝食はパン?それともごはん?」
「ごはんです。それと味噌汁。殆ど和食です。」
「それがいいです。でももっといいのは玄米。」
「はあ。硬いものがいいんですか。」
「硬さよりもしっかり咀嚼するのがいいんですよ。1口30~40回」
「何か気になることはありますか?」
「朝と夜のトイレが近いです。それから、温泉などで長湯するとフラフラします。」
「コーヒーは1日どれくらい飲みますか?その他の水分は?」
「毎食後、お菓子と一緒に牛乳に混ぜてカフェオレにして飲んでいます。1日にスプーン2~3杯でしょうか。お茶も緑茶です。」
「それ、やめましょう。コーヒーに含まれるカフェインは、利尿作用
を促進するので、水分が必要以上に排泄されてしまいます。
そのためお茶が欲しくなるのです。緑茶に含まれるタンニンも、
鉄分の体外に尿として排出されます。だから、血球の真ん中が薄くなっているものもいくつかあります。」
「コンペイトウ型のもありますね。」
「ストレスや老化で球体が変形したものです。それから、ここにプリン体もあります。」
「プリン体?」
「そう。バター、チーズなどの乳製品、うなぎやいか、マグロなど
の魚介類に多く含まれるものです。それを取りすぎているのでしょう。
冷え性の傾向もありますから、大根・人参・生姜など身体を温める根菜類をたくさん食べてください。甘いものも控えてください。身体が冷えて血を汚してしまいますから。」
「はい。コーヒーとお菓子はダメですか…」

お菓子とコーヒーは、人生最大のお楽しみの代名詞。
それを控えろだなんて。ウウウウウ・・・・

診断を終えたばかりだというのに、社員のBさんにお菓子を
勧められると、自動的に手が出てしまう。
それに、社交にかけてはプロ中のプロの保険外交員たちにちやほやされて、しょうもないおしゃべりに花が咲いた。
「髪の毛が多くて伸ばせないんですよ。美容師さんにいやがられてね。ロッドが足りないって。ソバージュあてたらバッハか、セバスチャン、
キャンディ・キャンディになっちゃう。」
「あなた面白くて、ユニークだわ、ゆきんこさん。」
「今、占い師さんにも言われてきました。保育士だったから鍛えられたのもあると思いますけど。」
「私もこの仕事の前は保育士だったんです。この仕事、保育士と
結構似てるのよ。ここは、まだ出来て2年しか立っていないから
お互い年齢やキャリアも気にしないで楽しくやってます。」
「本当に、明るくて雰囲気も楽しいですね。」
「また保育のお仕事を続けられるかどうかは、2ヶ月の試用期間のうちに
考えてみたらどうですか?4月採用のことが多いでしょう。」
「そうですね。保育士の世界も女の園で、いろいろありました…」
「無駄はありませんよ。ファイナンシャルの勉強もできるし、
一番は豊富な人生経験ができますよ。損はしません。」

う~ん、なかなか素敵なお誘い文句に心は揺れた。
後からやってきた同じ町内の女性は決心を固めたようで、
机を挟んだ向かい側から、ニカッと手招きした。

営業所を後にして、Sちゃんと私が小学校1年生で遠足に出かけた
ハイキングコースを散策して雑談した。

「私、多分あの営業所へ行ってみようかな?」
「え?ゆきちゃんが?今まで幼年教育の勉強と実績積んできたのに、
どうして?確かに雰囲気よかったけど、最初はおいしそうな餌をばらまいて気分よくして勧誘するのは、外交員のお手のものじゃないの。
純粋無垢なあなたには向いてないと思うなあ。」

「教員だって、公務員だっていろんな人いるじゃない。みんなから税金取り立てて湯水のように無駄使いしてるよりも、ずっといいと思ったのよ。教育畑ももう正職員なんて無理だし、バイトなら保育所は、
1000円切ってるもん。怪我の対応などの親から来るクレーム対応も、年々険しいから、外交員の方がまだ気楽かと思ったの。
ヒトラーのお父さんだって、公務員だったんだから。
どっちにしても、働かなくっちゃ。
でも、母がきっと黙ってないだろうな~。」

「そうだね。年はいっても箱入り娘だもんね。」
「段ボールだけどね。今朝、母に『今幸せ』って聞いたら、
そんなこと考えたことないって。」
「それだけ必死に、あなたを育ててきてくださったんだもの。
先立つものに困っても、娘には辛い思いをさせたくない母心よ。」
「母って死ぬまで切ないよね。」

目的地の生駒市内に位置するくろんど池には4時15分に到着し、
帰り道は日没のうちに始発駅に戻るべく、早足で歩くと5時15分発の
普通電車に乗り込んだ。

「ねえ、今度は有馬温泉行かない?」
「いいけど…」

おいおい、仕事も勉強もどうしたの!?



雨上がりのいいお天気。そして、生暖かい小春日和。
「ローズマリーどこやったのよ?」
「外へ出して、桶の水につけて置いたよ。」
表へ出て、それを確認すると、身支度をして出発進行!

特急に揺られながら、ヘッセの自叙伝を読んだ。

行き先は、夜の学校でお馴染みの元町。
でも、目的の建物は、兵庫けんみん会館。
建物の中に入り、エレベーターに乗って気づいた。

「ああ、ずっと前に来たことあったな。確か、モンゴル旅行へ
行った時の旅行仲間のお誘いで、大正琴のコンサートに来たんだ。」
9階まで上がると、既に定刻間近い受付は、何人もの参加者が
列を作って並んでいた。

「お名前は?」
「ゆきんこです。」
「リストに載っていませんね。お連れの方は?」
「いえ。一人です。」
「では、こちらに改めてご署名ください。」
参加費は500円。資料代500円も高い!!
講演会はロータリークラブが後援のタダが当たり前のゆきんこには安くないお値段だ。

なんとか滑り込みセーフで、会場の後方に空席を見つけて座った。
主催は、兵庫県高機能広汎性発達障碍児・者・親の会
「ピュアコスモ」さんの講演会
講師は、ペック研究所・よこはま発達クリニック 
児童精神科医の吉田友子先生で、
講演テーマは、「高機能自閉症、アスペルガー症候群の理解と支援」
自分について悩んでいる人を支援するために必要なこと

児童精神科医は、日本では極少で、都道府県に1人いるかいないかだ。
その殆どは、この10年でようやく多数派になりつつある
発達障害児を対象にしていると言っても過言ではなく、
小児科医でも、PDDの認知ががようやく始まったところだ。

従って、午後1時から6時までみっちりアスペルガーのことについては、
語りつくせないという感じで、午後はあっという間に終わってしまったが、「ペックシンドローム」ということばはあっても、
緘黙のカンの文字さえ、ついぞ、吉田先生の口からこぼれることは
なかった。

それでも、色々の諸事情や圧倒的な症例の数に裏打ちされたと
思われる、真摯な不用意な慰めもない報告には、数人の
この業界の権威の講演を聴き続けてきた私としては、納得できるものだった。

印象に残ったことは、アスペルガーと一口に言っても、
全く同じ症状の人はいないわけで、個性に応じることが大切であること。遺伝の関連は否めないもので、誰にでもスイッチが入れば、
PDDは起こりうる卑近な障碍なのだ。と吉田先生は軽く流した。

しかし、一見、IQも高い優等生で、大人しく孤立しているタイプの
「アルーフ(孤立)型」に落とし穴がある。

思春期から社会人にかけて、受け身形、従い続けていつも
いい子いい子でお世話ばかりしてもらっていると、
「いや」とか「わかりません」「休みたい」などと意思表示できず、
トイレも我慢してサポーターなしでは、自分で動けなくなってしまうというのだ。

日本社会のコモンセンスが一般的に、そうした一切反抗しない、
従順な子どもを賞賛するという根深さも環境要因として大きい。

内容そのものに夢中になって「他人事」の範疇で、
症例を聞いているうちは、ABAを信奉してからお得意になっていた
メモも捗るのだけど、ふっと当事者モードに入ってくるとダメだ。

やっぱり、教育者や専門家は誰一人として私や父のことを理解も支援も
してくれなかったじゃないか。
I先生の前でも、ちっとも緘黙治ってないじゃないか。

すると、放心してきて、涙が滲んでくる。

こうしている間も、周囲の関係者がみんな怖くて堪らなくなって来る。
このまま、支援者にずるずる引き込まれて、一生を台無しにされたくない。
否応なく発達障害者の娘でも、母ではないのだ。
まだ、今なら選択肢があるのだ。普通に誰にも阻害されずに
生きていく権利が。

2回目の5時の休憩時間に、私はI先生の姿を見かけた。
鼓動は早くなり、その瞬間、駆け足で遠ざかった。

明らかに、私のI先生への思いは憧憬から憎悪の念に変っていた。
この会のサポーターでもあるI先生は、特別桟敷席にお出ましになり、
レジュメを一通り読み終えると、桟敷の衝立に左肘をついて
うなじに手を当て、吉田先生の話に傾聴された。
テーマは、クライマックスの本人への告知のについてだ。

「へ~」
「うん。知ってた。」
こういう淡々としたケースもあれば、
どうしたら普通になれるんだろうともがいて苦しんだり、
ゆきんこみたいに、臨床畑で、よその自閉ちゃんたちのサポートをしてきながら、
2年前に自分の緘黙と、父がPDDだか何かだろうと気がついた
「灯台下暗し」の場合は、フラッシュバックしたり、
反って不信感や混乱も招くケースも少なくない。

つまり、ブログの外からは決して出ないし、
下手にカミングアウトして、無慈悲な一般人に不用意に
傷つけられてしまうリスクも多い。
発達障碍の人々が増えている一方で、日本という国そのものは、
相変わらず障害者だけでなく、社会的弱者に配慮した
心理的支援システムが整ってはいない。

うちなんかは、確固とした聖職者・教育者一族でありながら父を
迫害し、勘当しておきながら何食わぬ顔をしているのだ。
そして、どの専門機関、教育機関にも、私の居場所はなかった。

私には居場所なんかもう何処にもない。
だから、作るしかない。
お金も、信じられる人も何の当てもない。

でも、夢は諦めていない。
私が渇望して止まない夢のクリニックは、亡き祖母の切なる願いだと
去年、最後のクリスマスのセミナーで気付いたからだ。

吉田先生は、何度か笑をとってくれたのに、
I先生ときたら、ただの一度も笑わなかった。
お正月くらいのんびりすればいいのに。
一笑もできないほど凹んでいるなんて、有馬温泉でも行ったらいかがですか?
いつも心配なんだからね。

「♪悲しみは雪のように」がアタマにリフレインした。
そして雨が降ったら、雪崩になるから、雪は侮れないですね。
雪に埋もれて篭っていたら、鬱々しちゃうし、こんな故郷に育ったオヤジが、おかしくならないわけないよね。

私は、悲しければ悲しいだけ、大袈裟に高らかに笑う。
そうしても、幸せなんて実感できない。

講演が終わったら、けんみん会館の自販機の中に面白いものを見つけた。
「あ!淡路島牛乳」

癒しやさんなんてペテンじゃないの?
牛さんは、お乳を人間にも飲ませてくれるよ。
青い空は、何も言わずに、心を清清しくしてくれるよ。
お月さんを眺めたら、今夜は隠れて逃げてしまった。
人なんて厄介な生命体が生まれるずっと前から
クタクタの地球を見守ってくれていても、疲れてしまうこともあるよね。

どうか、ゆっくりおやすみなさい。

午後2時から6時までの電話相談のボランティアから母が帰宅して、
午後7時、夕食を終えたところ。

気温が3月下旬から上旬の気温雪の被害、死者は89人とニュースのトップで放送中。
この20年余りで記録更新し、戦後5番目の多さだとか。

母が電話相談の小さいオフィスから持ち帰ったお菓子を
ご紹介しよう。

お子様性格丸出しのゆきんこは、大のお菓子好き。
大学の吹奏楽団時代に、クラリネットのT先輩に、
「ゆきちゃん、お家はお菓子やさんなの?」
とマジメに質問されたことがあった。

コンクールのための夏季合宿に参加するのに、
2袋分のお菓子をぶら提げてきたことがあった。

毎食後に、牛乳またはカフェオレと何がしかのスイーツを食べる。
朝食の後のデザートは、白玉あんみつだった。
イケナイ習慣かもしれないけど、
「鶏ガラ」と称される体重は、青春時代から全く変動しない体質だから、ご容赦いただきたい。

それで、ゆきんこのお勧めのお菓子は、
「まちのお菓子屋さん」抹茶チョコスナックだ!
ココアパウダー入りのコーンパフを抹茶チョコでコーティング。

販売メーカーも珍しかった。
リスカ株式会社RS5
〒300-2722
茨城県結城郡石下町蔵持900
フリーダイヤル0120-708118
受付時間、祝祭日を除く月~金8:00~17:00

携帯あれば、映像もお知らせできるんですけどね~。

もう少し待って、文字からイメージを膨らませるのもいいと思いますから…

リスカさん、おいしかったです。
これからもおいしいお菓子作ってくださいね。

夢の「こぐまクリニック」には、お菓子コーナーと、おもちゃコーナー
それから、おしゃべりしてもしなくてもいいソファもあって、
横には、アムロとかクロとか、コロとか、リンちゃんとか、
いろんな鳥もいて、
天然素材の画材も置いている、たまにはお悩み相談もする。
面白いこと教えてくれる先生を呼んできて、
アハハハ~なんて笑っている。
みんなでお料理作ってパーティーする。

時々、美山ツアーとか企画して山村留学する。
そんな好きなことだらけのお店作りたいなあ…
人間を含めた動物は、生きている限り、行動する。
これは、心理学のなかの行動主義の定義である。

その意味では、死なない限りは誰もが何かをしている。

昨夜から雨が降り続いているので、2日間は自宅の居間にいる。
…なんてことも、このご時世の失業中の独身貴族だからできる。
だからといって、単純なナマケモノとは思われたくはない。

雨があがったら、ローズマリーを鉢植えにしよう。
とにかく外へ出てみよう。

明日は、何かが待っている。
その先の先には、死が待っているとわかっていても、
道中は、楽しく面白おかしい寄り道人生だったらいけないんだろうか。

いけないっていうその論拠を述べて欲しい。
あなたの言うとおりにすれば、わたしの幸せを確約すると。
神様だって言えないことを、どうして地球に生かされていることに
無頓着なあなたに指図できるだろう?


え~、ブログ見たり、メールの返信して寄り道してたら、
何を書くんだったかな?と遮断された記憶を呼び戻すのに
ちょっと時間がかかってしまうことがないだろうか?

昨夜から今日の午前中にかけて、今年初めての雨が降り続いている。
明日は、講演会に出かける予定を作ったのだけど、
何となく明日が待ち遠しい。

一人っ子の私は子どもの頃から一人でも退屈はしない性質だけど、
降り続く雨はなんとなく鬱陶しい。
これが、冬中続く雪国の方々の鬱陶しさはどんなだろう。
正午の手話ニュースでは、記録的な大雪のなかで、各地で
被害・雪崩が相次ぎ死者は86人を数えたという。

時間がいくらでもあるというのは、忙しすぎる方々にとっては、
厭味なのかもしれないけど、そこは、社会システムに問題が
まだまだ山積されているからと居直ってみたりする。

スクールの語源スコラというラテン語は、「暇な」という意味で、
暇がたっぷりあって、することなすこと我侭気侭、それを
ブログに好き勝手に書いているに過ぎないのだから、
なんという贅沢なんだろう。

しかし、このままではいけないと勿論、心のどこかでは思っているのだ。

マスコミや世間の動向を見ていると、新しい発想やアイデアを
出しては、実行するということが煽られているような気がする。

そうした裏舞台やからくりに気づかない脳天気人間なら、
もう少し上手く運をゲットできるのかもしれない。

連ドラの主人公ハルカは、涙で旅行会社の社員たちに別れを告げて、
故郷に新天地を求めて旅立っていく。
もともとは、大阪生まれの女の子なんやけどな。
「旅行に行って帰ってくると、家がしみじみいいと思って帰ってくる
まあ、浮気と一緒やな。」
と支店長役の桂 文珍氏の台詞。

ゆきんこの「風のハルカ」の未来予想だけど、
ハルカは幼なじみの正美君と結婚して、時期女将になるんじゃないかな
この推理かなり自信アリです!

ゆきんこは、芸術とともに、自然が好きだ。
ずっと大阪で育ったし、母も大阪生まれ、父の里とは疎遠だったので、
故郷は、この街。でも自然はどんどん少なくなり、住みにくくなった。
自然と共存したいという思いは、子どものころから漠然と持ち続けていた。子どもの頃から、「アルプスの少女ハイジ」の世界は、憧れ、
理想郷に近かった。

ヘッセの「春の嵐」を読み終えて、
高橋健二著「アルプスの少女ハイジとともに」(1984彌生書房)
を昨夜のうちに読み終えた。
典型的なテレビっ子、漫画っ子、アニメっ子だった私は
読書を嗜んだことがあまりなかった。

この本の副題は、「シュピーリの生涯」であり、高橋氏は、
著名な作家の伝記研究家である。
彼女の代表作は燦然と輝く世紀を超えて読み継がれるであろう「ハイジ」だが、主人公の孤児ハイジだけでなく、車椅子のクララ、
頑固なおじいさん、盲目のおばあさんなどの登場人物は、
彼女の原体験に起因している。

ヨハンナの父は精悍な医師、牧師の血を引く母という両親に
育まれ、兄の友人だった青年シュピーリ氏と結婚、25歳で弁護士の妻となった。

一人息子のベルンハルトの子育ての傍ら、公務で多忙な夫とすれちがいの退屈な結婚生活を送っていたが、子ども時代のエピソードを
散りばめた童話を、中年期から晩年にかけて精力的に執筆活動を続けた。

シュピーリは71歳のとき、看護婦学校の記念帳に、ゲーテのことばを
書いてサインしている。

「幸運は、だれに一番美しいしゅろの枝をさしのべるだろうか。
喜んでことをなし、なしたことを喜ぶ人に。」


そうだよね~。これもABAの真髄にわたしの場合は帰結していく。

私はここでじっとしている。
幸運はやってこない。
自分から向かっていかなくちゃな。

でも、対人不安や恐怖は治っていない。
PCのメールや、テレビ、著作などの超間接的コミュニケーションは、
その受動態である限り、十分な恩恵を受けられる。
無駄に傷つかなくていい。

保育所といい、初めて就職した会社といい、「渡る世間は鬼ばかり」
と言わんばかりに精神的苦痛を与えてくる上司や同僚はどこに行っても必ずいた。
それが傷口に塩を塗りこまれているように、本当に辛くてたまらなかった。


失業と言う名目で、父と同様にいい年して引き篭もっているには
違いないのだ。

Sちゃんは、上手に慰めてくれる。
「それは、引きこもりじゃないよ。学生してるじゃない。」

興味のある新聞の求人広告を見るけど、電話をかけられない。
履歴書を引っ張り出すけど、失敗して返却されてきた過去の
履歴書の束を見ると気が滅入る。

その意味では、表面的に「普通じゃない」「明るくて元気じゃない」
と複数の人が言っても、本当にはわかってないじゃないかと、
猜疑心が顔を出す。

その矛先は、あんなに憧憬していたABAの師匠に向けられていた。
勿論、直接かかわった信頼関係をダメにし、されてきた多くの
同業者たちに比べると、I先生の功罪は無にも等しいもので、
第3者からすれば、私がひとりよがりに悶えているだけだ。

大河ドラマ「巧妙が辻」の台詞
「父母を失っても、こうして笑うことができる。」
「ひとはなぜ、いくさをするのでしょう?」
「ひとに欲がある限り、いくさの絶えることはなかろう。」

いくさは男性の専売特許じゃないか?
端的に、オノコは、攻撃欲求や闘志も強い。死の本能も。

土曜日のプログラムでは、「地球大好き」をよく見ている。
今日は名古屋市の自転車通勤推奨の取り組み。
通勤手当を自転車の場合は4000円、自動車では、1000円にした。
Sさんの通勤時間と経費は、
地下鉄 30分 9110円/月
自動車 15分 5000円/月
自転車 15分   0円

自分のペースで途中の景色や鳥、魚も観察しながら
楽しく且つ健康にも地球にも優しく、経済的だ。
この取り組みで、名古屋市民の自転車通勤者は600人増加
自転車通勤者は、1300人減となった。

デメリットもあり、ドイツに比べると自転車専用道が整備されていない
ため、車道を走ると事故に巻き込まれる危険性も高い。
沿道の植物の蔓に車輪が巻き込まれたりすることもある。
これらを克服するのに、HPなどの掲示板で市民の草の根の声も参考に
ガイドマップの作成も行なった。

レンタサイクルショップを市街地の要所に設置するなど、
車から人、自転車社会への転換を試みる街作りが展開されつつある。

ところで、ゆきんこは占い好きである。
心理テストもやってみたら、今年は変化の年、複雑、波乱万丈とあった。
もう保育士を続けることはないだろうという予感は、
度々の同業者の罵りと進言から、兼ねてから潜在意識にあったものの、
相変わらずの暗中模索だった。
こんな時代だから、みんなおんなじなんだけど…

その意味では、暇がたっぷりあっても、こうしている間にも、
お金は使う一方、仕事はないという行動の遮断化された精神状態は、
ユルクナイのだった。
昨日も終日お出かけだった。
目的は1月のメインイベント宝塚歌劇「ベルばら」の観劇だ!

出かけるまでに少し時間があったので、
宮中でオンエアされていた歌会始(うかたいはじめ)を視聴しながらまずはブランチ。
今年のお題は、ゆきんこの抱負でもある「笑み」である。
「赤とんぼ 群れ飛ぶ秋の真ん中で 母の笑顔を 押す車椅子」
「われ笑めば、母も笑まひぬ おほかたの 過ぎ来し日々は 忘じ給ふに」
「子どもらのましてや老いの笑まぬ顔 ひとつもあらず 古きアルバム」

などなどの初歌が披露されていた。
いずれも、テーマはなんとなく少子高齢化って感じしませんか? 

旧友のSちゃんが、取りにくいチケットを苦心惨憺(?)してゲットしてくれた。
Sちゃんと2005年の10月に初めて宝塚歌劇を鑑賞したのがきっかけで、
「ベルばらも見たいね~」と言っていた。
11月の終わりから、前売り券の販売が始まり、12月の初めにはとうに
完売していた。
12月は、職業訓練校の見学や選考会があり、予定が立たない状態だったのだが、選考会に落ちた直後にSちゃんが、急遽手配してくれたのだった。
改めてSちゃんに、感謝!ダンケ!

13時半に梅田のビッグマンで待ち合わせしていたが、
少し早く着いたので、紀伊国屋書店に立ち寄り、心理学のコーナーを
目指した。緘黙症の本を探そうと思った。
うろうろと書棚の通路を歩いているうち、幼児教育のコーナーに
足を停めた。

アッ!!
私は何を発見したのか?
なんと「こぐま幼児教育研究所」の諸々の教材だった!
まさか、1月8日の初夢は正夢なのか??

咄嗟に2006年の真新しい手帳の1月12日の欄に書き込み、
再び、BIGMANのスクリーン前に小走りで戻ると、Sちゃんが待っていてくれた。
「明けましておめでとう!お誕生日会も兼ねて今日は楽しもうね。」

13時40発の宝塚行き快速急行に乗って、宝塚へ。
電車の中で、年末年始の近況やブログのことを話した。
「今年の積雪、尋常じゃないね。雪が滅多に降らない街に住んでること
自体も有り難いことなんだろうね。」
「もし、ドラえもんがいたら、どこでもドア欲しいよ。」
「私も。時間も交通費も省けていいのにな。」
「ある程度のことは科学技術の躍進で何とかしてきたのだろうけど、
時間のコントロールに関しては、SFの域を出ないだろうね。」
「過去は振り返って、子ども時代描いていた自分の将来と随分違うんだなと思えるけど、未来が予めわかっているなんてつまらないよね。」
「そうだね。明日何が起こるかわからないから、楽しいんだもの。」

今年初めての宝塚歌劇の前には人だかりがいっぱい!
正月気分もすっかり抜けた平日の真昼の光景とは思えない。
男性の姿もチラチラ垣間見えるが、殆どが中年以上の女性たちだ。
「はぁ~、さすがベルばらだね。」

2時半に2回目の開場があって、今回は中央のA席でなかなか鑑賞するには
いい座席が取れた。内装もコテコテに女性好みのばらのモチーフが
装飾されていた。

途中、幕間の休憩を挟んで3時から6時までの3時間をベルばら一色に
満喫した。

印象的なのは、何といっても主役のマリーアントワネット
14歳でフランス王妃になり、異国のスウェーデンの貴公子
フェルゼンとの禁断の恋(これが、いつの時代も女心をそそるんだな~)
フランス革命で全てを奪われ、気高くもはかなく30歳の若さで断頭台に
昇っていくラストシーンで幕を閉じた。

マリー役の白羽ゆりさんの熱演ぶりに、ただただ感嘆とため息の出る思いだ。
艶やかな透き通る声が、音楽好きなわたしの脳ミソを官能的にさせる。


神様は意地悪だ!
どうしてこんなに容姿端麗、才色兼備、最高の芸能センスを兼ね備えた
女性が宝塚という殿堂に集約されているのに、
ストリートチルドレンの描いた居心地のよい場所は、生まれる前の
子宮の中だ。

フェルゼンに密かな思いを寄せるオスカル、オスカルを命がけで
守り抜こうと身を挺する幼なじみのアンドレの恋
「思う人には思われず、思わぬ人に思われて」のやるせない
4角関係は、どんなことばの表現もない。
(でも、こういうのがなぜかヒットするんだよなぁ)

ベルばらの魅力は、ドロドロのストーリー展開にもかかわらず
革命前のフランスの栄華を極めた煌びやかな貴族社会の在り様が
なんとも言えず、うっとりロマンティックにさせるのだ。

「君の全て、君の身体に流れる血潮の一滴まで愛している
こんな台詞は目の前のダーリンが言ってくれるはずないもの。」
「諸外国の男性はちゃんとI love you って言うもんね。」
「男装の麗人だから、女の人の心を掴む理想の男性像に徹することができるんだろうね。
でも、天海祐希さんって、1991年度のアンドレ役で脚光を浴びたけど、
宝塚時代のことについてはあまり語りたくないらしい。
お決まりのイメージじゃなくて、自分らしい俳優でありたかったらしいよ。私、ファンなんだけど。」
「Sちゃんの好感持てる女性像なんじゃない?」
「そうよ。ゆきちゃんはどう?」
「わたしは、保育士だし、自分が子どもっぽいからなあ。
昔からミンキーモモとか、ハイジが好きだった。ハイジごっこなんて
小学校の高学年になってもやってたよ。」
「ハイジになりたいんだ。」
「そういえば、ハイジって実は、障害者の話なんだね。今まで意識したことなかったけど。」
「そうだよ。」

涙をそそるベルばらのクライマックスは、
地位も名誉も夫も子どもも全て失った死を待つだけのマリーの台詞だ。
「どうか、わたくしを愛しているのならこのままフランスの王妃として
死なせてください。いえ、わたくしは王妃である前に、
あの子たちのなのです。」

ウルルルルルル~
ワサビ効果とタマネギ効果が私の両目を新年早々涙で曇らせた。

子どもを産んだ以上は、どうなってもこうなっても母という
呪縛から不倫以上に逃れられないのは「女の性(サガ)」かなぁ。

理想の男性を演じきる男装の麗人のアイデンティティとか、
深層心理ってどんなかしら?

午後6時カーテンコールを見納めて、劇場を出ると外はもう真っ暗だった。
梅田の阪急3番街に最近新装オープンした和洋折衷のイタリアンレストランでスパゲッティのディナーセットに舌鼓を打った。

長年付き合ってきた聞き上手なSちゃんに、またもや大学院や研究の構想をベラベラとしゃべっていると彼女は私を優しく見つめてこう言ってしてくれた。
「ゆきちゃん、本当に勉強が好きなのね。職場ではちっとも生き生きできないのに、そんなに楽しそうに話すなんて大学にいるあなたはまるで水を得た魚のようね。」

「そう?私変ったかな?」

「おしゃべりになったよ。だいたい、一度大学を出てしまったら、
普通は研究とか論文なんてめんどうくさいものだし、仕事よりも
勉強の方がいいってそっちを選ぶんだからその方が合ってるんだよ。」

「そうかもね。もう保育所に行ってもここまで来たら雇ってもらえないもの…」

「そりゃ、雇う方だって扱い辛いわよ。狭き門かもしれないけど、
研究の道も考えてみたら?」

「そうだなあ、多分、研究者の助手みたいなのが合ってると思うな。
ストレートで院に行きたかったけど、中高時代は、親父殿が10年間も
引き篭もって全然勉強できなかったんだ。それで、母に負担をかけたくなくてその時は、断念したけどね。」

「あなたって、何のかんのいっても真正直にここまできたじゃない。
昔辛い思いをたくさんした分だけ、これからはきっといいことが待ってるよ。人生って収支はおんなじになるような気がするな。」

「ありがとう。Sちゃんから見て、私に合うパートナーってどんな人だと
思う?」

「うんと年上がいいんじゃない?」

「やっぱり、ハイジだからおじいさんとか?」

「そんなに年上じゃなくても、包容力ある人がいいでしょうよ。」

「そんな人いるかしら?」

「諦めなくていいよ。結婚だってご縁のものだし、結婚しないで、
お互い別々の暮らしをしながらも、パートナーだという気持ちを
持ち続けていられるのなら、それが一番理想的だと思うけど。」

「そうだね。ところで、私の話は面白い?人によっては退屈させやしないかなと、友達も限定されるからね。」

「ブログの話といい、大学院の話といい、そんな話題持ってるのは、
ゆきちゃんだけだよ。私たちの年代の女性は、もっと住んでる世界が
狭いもんだよ。友達だって、自然淘汰されて残った人と仲良くやっていけたら、お互いに無理しなくて楽しいじゃない。」

「でも、プライベートの友達は、普通の生活してる人たちで、
私だって全然平凡だと思うけど?」

「カウンセラーの人が言ってたけど、研究や専門家の世界も狭くて、
世間知らずのことが多いから、プライベートは普通の感覚持っておくのが大切なんだってさ。」

「だから、私たち凡人だから、心理学専攻したのに、
臨床心理みたいなドロドロした世界は、ダメだったんだね。」

「普通が一番いいよ。マリーみたいに王族に生まれても、最後は死刑かもしれないもの。」

「普通でよかったね。」

Sちゃんと別れて、読みかけの「春の嵐」のラストページを読み終えた。
水と油みたいな正反対のところに惹かれあったゲルトルートとムオトは、
結婚したのに、愛し合っていたのに、お互い傷つけ合って、苦しくなって別居した。
ムオトは逃げた妻に未練たらたらにアル中に耽って命を落とした。

青春時代に好意を寄せ合っていたゲルトルートと不具のクーンは、
再び友情を温めあう仲に戻ったが、青春時代ほど輝かしい関係は戻らないと、クーンが彷彿とするところでストーリーは終わっている。

一個の人間は人格の一貫性を保ちつつ、瞬間瞬間に変化している。
それを確かめる時間の経過や一定の流れの中で、この地球の上に
生きている。
それが、途方もなく不思議でたまらないことで、小さなことで
くよくよしているのなら、もっと自然に自分にも相手にも何か
楽しいことをすればいいんじゃないかと思えた。

午後9時過ぎ帰宅して、母に聞いてみた。
「研究者ってさあ、ある意味子ども心っているよね。」
「そうなんじゃない?淡々と過ごしている人に新しい発見なんて
できないでしょう?」
昨日は、終日強行ハードスケジュールだった。

1日も出かけないときは、終日自宅のPCの前にじっとしていることもあるけど、一度外出すると、めんどうなので複数を梯子することが、
この頃増えてきた。

時系列に頭の中のDVDを再生したがるゆきんこの脳ミソなんだが、
(DVDはないからね)

まずは、初日の大学院から巻き戻してみよう。
Oちゃんの自宅へPCを返して、正午今宮恵比寿へお参りした。
新世界の商店街を抜けて「づぼらや」でふぐうどんを食べて腹ごしらえしてからスパワールドの午後を満喫した。
午後6時過ぎに手を振って別れ、新今宮駅から神戸元町へと向かった。

JRの電車の人込みに紛れると、新年気分はすっかり吹き飛んでしまう。
7時半ごろに大学院に到着し、小さな図書室に入ると、いつになく
賑やかだ。
「数日徹夜の連続ですっかりハイだわ~!」と言いつつも、
修士論文を無事、提出した直後のN先生の表情は、なんとも言えない
清清しい感じが伝わってきた。
その他の臨床心理コースのM2の同窓生たちが、総出でギリギリ提出の
方々の助っ人の真っ最中だった。
こんな光景を見るのは初めてだった。

私は埋め尽くされた読書机から逸れて(1月8日の初夢と同じやン)
図書室の一角の各心理学会の論文集をパラパラと捲った。
弥生桜さんとの約束が私の念頭にあったからだ。
案の定、どの冊子にも緘黙に関する論文はなかった。

8時前に5階に移動して、廊下のソファに腰掛けて、ABAの初講義を待った。
すると、そこへN先生とF先生がスタスタとかけて来た。
「さあ、今からゼミをするぞ。君も来なさい。今日は講義はしないから。」
「え?今日は講義ないんですか。でも、私先生のゼミ生ではありませんから…」
「いいから。」
私は、リュックと上着を丸抱えにしてF先生について移動した。
エレベーターの前で、F先生が見知らぬ教え子の先生に新年の挨拶を
交わし、私も改めてお辞儀した。
「先生、ご挨拶が遅れました。今年もよろしくお願いします。」
「はい。」
エレベーターではF先生はいつもレディファーストだ。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。お先に。」
欧米で留学経験のあるジェントルマンは、こうしたささやかな行動に
卒がなく、ちょっとお姫様気分になって嬉しい。

バタバタといつものゼミの小部屋に入ると、常連のHさんがお待ちかねだった。
「さて、今日はまだ話してない人にしよう。誰かな?」
「はい。」と私は即座に挙手して、座ると口を開いた。
「待って。M2の二人が来てからだ。」

しばらく待機して、ゼミ生のN先生が引き戸を開けた。
「すみません。もう少し手伝って、そのまま打ち上げに出ます。」
「そうか。わかった。お疲れ様。」
「あの、私も手伝えることありますか?」
「いえ、大丈夫です。」
「君はM1だろう?M2の仲間で何とかするよ。
それじゃあ、頭の中にあることを言ってみて下さい。」
「はい。私、9月末にアルバイトの契約が切れて仕事はありません。
秋ごろまでは、これまで細々続けてきた自閉症の子どもを対象にした
家庭訪問療育とペアレントトレーニングをテーマに考えていましたが、
事例もありません。
年末年始にかけて、8月からはじめたブログを通じて緘黙症の方々と
知り合いました。もちろん面識なんて全くないのですが、
彼らは、その存在を知られずに苦しみ続けてきたことを知りました。
専門の文献や研究者もどうやら少なくて、お座なりにされているらしいのです。」
「ブログ?なんだかああいう実体のないやりとりは、気をつけたほうがいいぞ。それに、一体どうやってそんな人たちとつながるようになったんだ?」
「よくはわかりませんが、ブログを作っている人たち同士で、
共通の項目を探し出してアクセスできるのです。わたしの場合は、
大学院の内容も含めて詳細な日記を公開してるに過ぎません。
11月の終わりに、幼年教育コースでプレゼンテーションする機会があり、自分自身を事例にして緘黙のことを開示したことをブログに載せたところ、アクセスしてくれた人がきっかけでした。」
F先生は私の顔をじっと見た。
「まてよ。君が緘黙?ここでこうしてちゃんとしゃべってるじゃないか。その笑顔だってちっとも不自然でもなんでもない。」
「先生は、最初から大丈夫でした。初めてお目にかかってゼミを見学させて欲しいとお願いしたとき、『どうぞ』と仰ってくださったので
安心できたのです。わたしの場合、最初がいけたらいいんです。」

「へ~、そりゃ肝腎の最初が好印象でよかったね。私はコワんだよ~。じゃあ、緘黙になったときはどんな風になるんだい?」
F先生は笑顔で質問を続けた。

「面接はダメです。落ちるために受けてるって感じです。声が上ずってビブラートします。何度も同じ繰り返しで辛くなるので、就職支援セミナーも梯子すると余計に落ち込みます。」
「そうだなあ。鬱の奴でそんなこと言ってたな。面接では能面みたいに
固まって落ちてしまうって。緘黙の理由は何だ?」
「父から虐待を受けていました。」
「あ~!君はお父さんから叩かれていたのか!!被虐児だったのか!!」
F先生は右手を額に当て、眉をへの字にして憐れんでくださった。

「場の雰囲気にも弱いので、昨年1年は保育現場では休憩時間なども
保育士たちが怖くてだんまりでした。行く先々で怖い上司がいて、
2時間もの執拗な説教があると、父の虐待がフラッシュバックするから、
涙がとまらなくなるんです。母にはいい加減いい大人なんだから
職場で泣くのはやめなさいと言われるのですが。
父と別居して何年も経ちましたから今でこそこんな感じですけど、
20代の頃はもっと沈んでいました。俯いて中学校に通っていました。」

「なるほどね。だから、上司がいない方がいいんだったら、僕は自分で自営ことを薦めている。
1日4~5ケース、1日1時間通常5000円~1万円を格安で2000円にしてあげたら、なんとか食べていけるさ。」
「そう思っていて、反対があってずっとできずにいました。
5年間、療育施設で働いて自分でやりたいからと辞めて、専攻科へ進学し
ました。でも保育士になるとT先生に言ったら、何言ってんだと。
最初の保育所も4ヶ月しか続かなくてそれ以来、転々としていました。」

そこへ、もう一人のゼミ生のKさんが入ってきて論文を提出した。
「Kさんは、3年の長期履修だから、正式の提出は来年度なんだが、
もう1年あるから、英語の論文読解でもみっちりやったらどうだい?」
「先生、ダメです。中学英語からやり直さないと。この科に入れたのは
受験のときに英語がなかったからで、ホントよかった。」
「あ~、英語できないから、入学出来ないわ…」
「今からやりなさいよ。いつからだってやろうと思うことに年齢なんて
ないさ。」
「私も英語やり直したのは、30歳からです。今年はハリーポッターの
原著1日2ページ。元旦から読み始めて、25~30ページ読みました。」
「へえ、すごいじゃない。」
「去年まで5年間、この時間は英会話を楽しんでました。初めは、
中学の初級英語から初めてある程度自信がついたから、受験しようかなとそれも、動機になりました。」
「5年間英語をしていたのは、どうして?」
「T先生に修了するときに英語ができなくちゃダメだと言われたからです。」

F先生はまた私の顔を見つめた。
「へ~、君、T先生の研究室にいたのか。私はこの頃T先生によく会うんだ。失語症からLD、LDから高機能自閉症と、T先生はその時代の潮流に乗って行くのがうまいんだなあ。」
「本当は、I先生のゼミに入りたかったんです。
2年前に、LD教育士の講義でI先生の講義を初めて聴きました。
もうおかしくって、笑い転げていたんです。会場で『H大学のサテライト
受けてください』って宣伝したから、は~いって単純に受けました。
ABAのAの字も何も知らなかった。最先端の心理学っていうのも
引っ掛かって偶然、梅田の紀伊国屋でI先生のABA入門を見つけて買いました。マニュアルどおりに試してみたらかなり上手く行きました。
なるべく叱らないでほめてあげるだけでいいんだって、
ただそれだけでした。
10ヶ月間予備校にも通って心理英語にも取り組みました。
でも、結果は、第1志望は不合格でしたけど。
後期からABAがようやく始まっていつI先生が来るのかと心待ちに
してました。でも、来られないんですね。」

「なるほどね。T先生といい、I君といい、時代の流れを上手く捉えて
いく人間は人を集めることも上手いんだろうな。自営するにしたって、
宣伝力、集客力が大切だ。」
「それがなかなか上手くいかないんですよ。」
「はい。自分自身が商品として是非ともあなたにと価値ある存在であることが大切と、起業セミナーでも言ってました。でも、怖がりだし、
自信がなくて・・・」
「人生なんて死ぬまで進んでは立ち止まり、考えて歩き出す。それで
いいじゃないか。生き方はいくつかにカテゴライズされるだけだよ。
死ぬか、病気になるか、ホームレス、自分で働いて稼ぐ、誰かに依存して相手を働かせて食わせてもらう。つまり結婚だな。そのどれかだ。」
F先生は、人差し指から順番に指を出した。
「私は、4番目がいいです。」
「それが一番健全で合理的だろう。発達臨床心理研究センターの
事務員をしていたTさんが、契約が切れてから一念発起して
O市で障害児の療育指導を自営で始めたんだ。うまく軌道にのって、40ケースを持っている。障碍児は純粋だからね。真心で指導すれば、必ず
それに応えてくれる。大人になるまで親身にサポートしてあげれば
彼らの役に立つし、きっと保護者の励みや支えにもなるはずだ。」
「見学に行ってみたいです。」
「年賀状が届いていたから次週Tさんの連絡先を教えてあげよう。」
「ありがとうございます。」
「あの、私も便乗していいですか?」
「ええ、一緒に行きましょう。」

ABAの諸先生方は、実のところはユルクナイ。
障害者であっても、「自立」を推奨する。
ABAの真髄は、オペラントに行動することだからだ。
ホントに冬の寒さのように厳しい。

依存しようとしなだれかかれば、その時はプロンプトで支えてくれるけど、
その力をさりげなく緩めて、手を離す。そしてお月様のように冷ややかに見守っている。
「ほら、自分で立てるわ。彼方を遠くから見守っているわよ。」

やっぱり、結局「己こそ己のヨルベ」なんだな。
今、ふっと思い出したんだけど、一昨年の冬
ニュージーランド、マオリ族の留学生ケーシーと話した。
やっぱりってことばは、英語にないんだけど、便利な表現だ。」
と彼は冒頭の口癖にして流暢に日本語を話していた。

英会話の帰り道、旧街道を市街地までマンツーマンでサイクリングしながらヘタクソな英語を聞いてくれたことが懐かしかった。
南半球のNZは今、真夏。
2年前、私がプレゼントしたコタツの上掛けを彼はどうしたかな?

また英会話行きたいな。もうすっかり話せない。

TVの上の二つの小さな雪だるまは今見たら、頭と頭をくっつけて立っている。これは、「人」っていう原型の絵文字に似ている。

ぞうきんは一枚、ぞうりは一足、ぶつゾウは一軀(いっく)と数える。
いろんな「ぞう」の数え方がある。

さて、今日も寒いけどI先生のゼミに出発進行、エイエイオー!
今日は成人式。
大阪府の新成人は9万4600人と3年連続減少している。
因みに私は自分の成人式には行かなかった。
来て行く晴れ着もなく、当日雪が降っていたのがその理由。

ゆきんこは、この頃NHKのプログラムが好き。
母の証言によると、2歳の頃から数学の教育TVにかじりついていたらしい。もちろん、凡才だから「見てるだけ」で内容もその事実も自分の記憶に留めていない。

ついでに、年下の幼年発達心理臨床のI先生の受け売りマメ知識だけど、
「わたし」という1人称を使い出したり、エピソード記憶ができるように
なること、ウソをつけるようになるのも3歳からだ。

NHK海老沢会長の辞任以来、信頼回復に努める有意義な番組満載で
自己探求の示唆を与えてくれるものが多い気がしている。
特に、現実の憂さから乖離した世界遺産や、アーカイブ、生々しいドキュメンタリー、歴史の色濃いアーカイブなど、「オカタイ」番組がゆきんこの好子。

バブルが弾けて、今年で早15年だそうだが、その弾けた翌年に
社会人になってから文字通り、公私共に碌なことは無かった。
その間に、どうしようもない元祖発達障碍の父(エジソンはお呼びじゃないけど)との七転八倒も含めると
生まれてこの方、踏みにじられ続けてきた人生に、今や
誰の指示・命令・見下すだけの単なる品定め的な助言にも
最早、耳を貸す余裕もないほど私は憤っている。(ちょっと大袈裟)

顔なんかあわさなくったって、私には不思議に、自分にとって
フィーリングの合う人なのかどうかも、ブログを一瞥すれば解るのだ。
それは、本当に苦しい立場に身を置いた弱者が、誰に身を預けるのが
自分にとって最良なのかを嗅ぎ分ける本能だ。

自分では気づいていなかったが、その最たる方々(障碍のある人々)が、
すーっと私に寄ってくる感覚を、素直に嬉しいことなんだ、
有り難いことなんだと鈍感なことにまるで気づいていなかった。

それを確かめるのが本当に怖かった。
だから、私の心は決まったのだ。
昨夜、引き込まれるようにヘルマン・ヘッセ「春の嵐」に読み耽りながら。

こんなときは、ともかくおまじまいの「クールダウン」
カッカしやすい、八つ当たりが上手な指導的立場にある人や
一家の主殿は、愛すべき従業員や家族を本当に大切にしてほしい。
1昨年の冬を過ごした4歳クラスの男の子たちも気短な子が多かったので、いつも警察官よろしく喧嘩の仲裁ばかりに追われていた。
「♪カッカカッカ プンプンするかわり、歌ってごらん、アイアイアイ」
と宥めると、一応ほとぼりがさめたものだ。


「ハリーポッター・炎のゴブレット」は、元旦から2ページずつ
読み進んで、第2章「The Scer」(傷)に入った。

昨夜からヘッセの「春の嵐」を読んでいると、
多分、私は非常に感情移入しやすいタイプなのかもしれないけど、
耽美ながら、憂いと優しさがミックスされたこの純文学が、すこぶる癒し効果がある。
なぜだか、郷愁を誘い、自分の人生ともオーバーラップする想いがする。

どうしてゲルトルートは、意に染まなかったはずのムオトと結婚したのか?
本当の意味で幸せなのかどうかもわからないで、卒のない顔をして
主人公に友情を維持できるのか?
わからん!

そういえば、成人式恒例だった「青年の主張」「青春メッセージ」が
とうとうなくなってしまった。寂しい。
毎年、若者の清清しい主張がいいな~って励みになって見てたんだけどな。

昨日の夕方「いのちを見つめて」という番組で、
小児ガンの臨床に33年間携わってきた小児科医のドキュメンタリーに
釘付けだった。
20年前、小児ガンは日本ではまだ不治の末期医療だったが、
1985年最先端のアメリカの医療技術を学んで日本に帰国したものの、
やっぱり、日本に温存されてきたタテ割システムの中で
思うように、臨床に活かしきれなかったことが述べられていた。
既に30年前に、アメリカでは小児ガンの治癒率は80%に達し、
異業種の水平的なコラボレーションが確立し、忌憚のない
意見交換の元で、患者を中心に手厚い医療と看護が施されていたのだ。

特に、どんなに幼い子どもであっても、命の尊厳を大切にし、子どもにわかる平易で、誠実な病気の告知、説明と同意のもとで治療にあたることが徹底されている点も印象深かった。

「一度、ウソをつけば、またウソの上にウソを重ねなければならない。
それよりも正直に、子どもに告げる。
『白血病って、お医者さんにもまだ原因も、治るかどうかわからないんだ。でも、治るかもしれない。わたしも治るように頑張るから、
一緒にがんばろう。」

もうだめだ。もう死を待つだけのなんの存在意義もない小さな子どもでも、だからこそ「最後まで真摯にずっとそばに居てくれたのが嬉しかった」と亡くなった後で、母親から伝えきいたそうだ。


さて、日本に温存してきたタテシステムの地べたで、
5年前(2002~2003)嘗ては小児科病棟保育士だった私。
11ヶ月の失業期間を経て、自転車で10分足らずのご近所のH市民病院
待望の第1号に白羽の矢を立てていただいた。
勿論、お試しだからどんな病棟保育をするのかも、医療関係者も
興味津々(そんな余裕はない?)だったかもしれない。

でも、威張ってみたところでたったの1年しかもたなかった。

前人未到の仕事内容は私にマッチしていたし、居心地もよかった。
子どもたちや家族を励ますことも、癒すことも本当に嬉しくて充実した1年だった。
結婚していれば、続けられたかもしれない。

耳にタコができるほど、入院患者のご家族からは、(お世辞かもしれないけど)
「結婚してないの?」
「いい奥さんになれそうなのに、どうして??」
と言われ続けていた。

当時、ワークシェアリングで入職した保育士のIさんは、きっと元気で
お仕事を続けていらっしゃるだろう。

辞めたくて辞めたのではなく、ナースステーションの医師、看護士に
見送られて本当に泣く泣く辞めた。
H市の大赤字財政。医療に直接、関与しない余計な経費の保育士に
払う給料もスズメの泪ほどで、月収は手取り7万円。
医療現場の従業員なのに、医療保険にも加入できない矛盾。
長居はできそうもなかった。

母の知り合いの保育園の紹介があって、通勤には時間が掛かるけど、
給料も今よりましだし、毎日働けるからと諭され、惜しまれて辞めた。

本当は、自分の方が病気で早く退院したかった子どもたちばかりだったのに、長期入院の子どもや、何に何回も入院しないといけない
子の方が、単発入院の子どもたちよりずっと優しくしてくれた。
手作りの作品やお手紙もたくさんもらって、今も大事な宝物だ。

あれ?
さっきまではまっていた今日の特別番組「夢の美術館」のことを
書こうと思ってたのにな…
も~!よかった!!5時間没頭してメモを取りまくりました。
やっぱり、血が騒ぐのだよね。アートと癒しの世界には。

ゆきんこが、以前から拝みたい仏像は、国宝第1号
京都・広隆寺の「弥勒菩薩」
弥勒は、遥か56億7千万年後の未来から、不安に怯える人々を支え、
慈悲深く微笑をたたえ見守ってくださっている。
余計なことは一言も仰らずに。

そう。ゆきんこは「未来」と話がしたい。
だから今は弱くて小さくても、未来たくさん持っている人たちと話したい。

こんなに悲しい人たちをたくさん作り出して、
無駄遣いしまくった上に、儲け根性だけ丸出しで、
少なくなったお金を独り占めして、地球まで苛めて、壊してダメにして、まだまだ戦争ばかりして
バーミアンの仏の頭もなくなったやん!

今の大人たちの言うことなんてどうして信じられる?
どうしてこれ以上、従い続けなくてはならないの?
その理由をお医者さんみたいに、わかるように説明してよ。

面接のテクニックの前に、誰も「緘黙」のことも知らないくせに
誰が治してくれるっていうのよ!!

仕方ないから「♪歌えバンバン」自分で歌って癒しま~す!
「ねえねえ、年賀状にブログ見たよって書いてあった。
イラストもアップすればいいのにって。」
「じゃあ、そろそろ誕生日にケータイでも買う?」
「うん。今度の就職に自分で買うよ。」

一昨日、誘拐された新生児の赤ちゃんは早朝無事に保護されたらしい。
犯人の目的は、院長への恨みから身代金を要求したが、正午前には逮捕された。
ご両親はどんなにホッとしただろうな。

日本海側は、まだまだ大雪が降り積もっている。
昨日のニュースでは、3m75㎝もの積雪に達した地域もあるとか。
なんだか、わたしのペンネーム変更した方がいいかな
なんて思っちゃう。

昨日のブログを書いてから、しばらくカラーセラピーで遊んだ。

その時々の気分で気になる色って変わっているし、
例えば、室内装飾の自分の落ち着く色や、服の好みなど、
自分を自然に象徴する色が誰にでもあると思う。

去年の秋から冬にかけて、「純白」が気になっていた。
調べてみたのだが、黒や灰色などのモノトーンはあるのに、
あとは3原色とその混ぜ合わせの12色から直感的に
気になる色を選んで、占うというサイトが多かった。

日々、何気なく心に浮かんだことをこんな風に綴っているものが、
全ての人に共鳴してもらえるなんて思わないけど、
「みんなちがってみんないい」「自分らしくていい」と
素直に思うことが、誰にとっても大切だと思う。

昨夜は、「週刊子どもニュース」癌治療最先端の現場の医師や患者たちのディスカッション、
「大長今 宮廷女官チャングムの誓い 大事典」などを視聴した。

週刊子どもニュースでは、子どもが将来の夢の職業のランキングをしていたが、
男の子の第4位が「研究者」女の子の第1位が「保育士、幼稚園の先生」なんだって。

ふ~ん。どっちもいいイメージのお仕事ですけど、甘くないんだなぁ。

癌治療は、まだまだ医師の技量や地域格差が甚だしく、
端的に、どこの病院に入院するかで、余命も決まるといっても過言でないという激白がされていた。
大阪府の東大阪市の総合病院の手術後5年以上の存命率が47%と
府下最下位の成績で、たまたまその隣のデータも目に入った。
2005年の10月にご近所の「さわやか健康教室」に出かけた☆病院は、67%だった。

ゆきんこは大の韓国ファンってわけじゃないが、
韓国には、斉州島(チェジュド)とソウルを旅行したことがある。
高校時代世界史が好きだったり、そもそも旅行好き、
英語だけじゃなくて、日本語教師の訓練校とか、
前のソウルで開催されたワールドカップの頃、
小児科病棟時代にその延長上で、韓国語も少々習っていた。

ドラマでも、ドロドロした男女の三角関係ものよりも、
不遇や辛い経験をバネにして乗り越えていく主人公のお話なんかが好き。

今晩はいよいよ大河ドラマ「巧妙が辻」が始まる。
ゆきんこは、俳優 上川隆也氏のファンだ。
30歳で下積み舞台役者を経て、山崎豊子原作「大地の子」で主演してからずっとファンなんだけど、
「白い巨塔」のズタボロ弁護士の役といい、熱血一途なキャラクターがいいな~と思っている。傍にいたらしんどくなりそうだけどね。

新年の党首インタビューでは、年収200万円以下の世帯が5分の1と
定職に就けない若年層が、結婚や出産、子育てに不安を抱えているため
経営者の雇用倫理の是正や安心できる福祉国家の再構築を声明し、
諸外国も今後の動向を懸念している。と野党各党は述べていた。

さっきから、新聞記者みたいなオカタイことばっかりだらだら書いてるけど、
これらは全部、自分のことなのだ。
2年3組の憧れの君は、新聞記者になったし、5年生の時は、一応新聞委員だったのでご容赦願いたい。

それで、今朝のトピックは8日目にして、やっと初夢を見ました!

場所は、キャンパスの一教室。
15~20名の学生と8年前(1998)の指導教官のT先生がお出ましになった。
T先生の夢を見るのは8年振りかもしれない。

教室は、やっぱりその当時のディベートの準備の最中で、学生たちは
そろそろ設営を終えようとしていた。
その様子をT先生が教室の端の椅子にかけて腕組をし、足を組んで眺めていた。
私は、もう座ってもいい頃かなと、席に着こうとしたが他の学生たちは
まだ座っていない。
T先生と鉢合わせするのがイヤで、手持ち無沙汰にうろうろしていた。

そうこうしているうちに学生たちは皆、席を埋め尽くし、
私の座る席がなくなってしまった。
仕方なく、壁際に立って、これから始まる資料に目を通すと、
一枚、広告が目に付いた。私は食い入るようにその広告を見た。

「こぐまクリニック 新規オープン 求人募集」
アットホームで親切モットーにマンツーマン療育します。


クマのロゴの入った小さい可愛い保育所みたいな理想のクリニック
場所は、ゆきんこの最寄り駅から3つ目のK駅で
ちょっと田舎っぽさが残る郊外の、ゆきんこの夢と理想が凝縮された
ようなTPOのクリニックだった。
まるで、ヘンゼルとグレーテルがお腹を空かせて森の奥で見つけた
お菓子の家みたいに。

これを創設したのは、T先生だった。

けれども、ゆきんこはここ一番の大事な要求が苦しくて出せない。
ああ!!緘黙になった!

…というところで目が覚めちゃった。

何という夢なんだ。あまりにリアル過ぎた。
なんで「こぐま」なんだろ??
この数年間、T先生にずっとずっとずっと緘黙だった。
私は講演会に出かけるたびに知っていた。

失語症の権威でT先生もずっと私と話したがっていらしたこと。
T先生が私にあんなこと言わなかったら、試そうとしなかったら、
私は大好きな先生と笑って普通に話せたのに。

「フン。中学生のディベートだな」
「なんだ書けるんじゃない」
「あんな3流大学から来たのか」
「なに!言語障害の専攻科に来ていながら、保育士になるだと!?」

それ以来、私は保育所を何箇所転々としただろう。
シンデレラになれないシンデレラ同然に、新人正職員の保育士の下で
口をつぐんで掃除に雑用をしていなければならなかっただろう。
「あら~、カシコイ人ってすぐに熱を出すんですね。」
「何だその療育は!それで10年やってきたのか!!」

パワハラは有罪にならない。いつもクビを切られたのは私。
でも、私の心の中では無期懲役だ。
いい加減、降り止まない大雪みたいに…

また泣けちゃったから、涙拭いてお掃除しよう。
失業中の平々凡々な日々の積み重ねは、自分からちょっとしたイベントを作らなくては、無味乾燥なものになってしまいがちだ。

私も生まれてこの方、独身なんだけど、多分、専業主婦ってかったるくなってしまうことってあるかもしれないと今を疑似体験しながら想像する。

嬉しいことに今年はブログのお陰か、
「お誕生日をお祝いしてくれたメール、コメント」が去年よりも多かった。
本当に幸せいっぱいで、有り難いことだった。
ひとりぼっちの幸せなんて本当は有り得ないから、
このハッピーは、誰かにバトンタッチしなくちゃね。


昨日のブログを書き終えてから、裏のWさんに帰省先のおもちをいっぱい
お裾分けしてもらって、日もとっぷりと暮れた午後6時前、自転車を5分ほど走らせた。
目的地は、行きつけの総合病院。

「どちらの科ですか?」
「婦人科なんですけど。」
「婦人科は診療時間が限定されていまして、夜間は行なっていません。明日の午前診療ならありますが。」
「そうですか。明日出直します。」

そういうわけで、今日の午前中に出直して戻ってきたところだ。
昨晩から、ちょっとずつ読み進めているヘルマン・ヘッセ「春の嵐」に
没頭すれば、待っている女性たちも数名だったし、待ち時間は短かかった。
「ゆきんこさん。こちらの問診に必要事項を記入してください。」
案内しながらも、人を「ミル」職業の人々は、
瞬時のうちに微細なこともチェックを怠らないことが習慣づいている。
看護婦さんは、私の手元の書物に目を走らせた。

実は、婦人科の受診は全く初めてだった。(ああ、恥ずかしい!)
女と生まれたからには、思春期以降のいずれかの時期には
避けて通る事のできない科であった。

へ~、こんな問診表初めて。
男性には、一切、聞くことじゃないよな。

「ゆきんこさん。子宮ガン健診受けたことありますか?」
「いえ、ないです。」
「え?受けたことないの?じゃあ、折角いらっしゃったのだから一緒にどうぞ。健診だから500円で済みますよ。」
「あ、はい。」

待ち時間は、主人公の「ゲルトルート」が出てきたお陰で
緊張しないで過ごせたのだが、いざ診察の瞬間は、
にこやかな看護婦さんや、やっぱり医師は男性だったか…
それも、わたしより年下で、まだ駆け出しみたいやん。
なんで婦人科の専門医になったんやろ?

それに、問診表を手渡した男性事務員のスマイルが意味深で奇妙だった。もちろん、わたしの逞しい想像力のなせる業なんだけど。

グルグルと諸々の想いが交錯し、ピンクのカーテンに包まれた
診察室に通された。そしてかねがね噂に聞いていた診療台もピンク。
「じゃあ、ここで下着を脱いでくださいね。」

う~~~、ワン!

診察時間は約10分。
私は、平静を保って医師と再び対面した。
「別に卵巣も、子宮もどこも悪くないけどね。」
「ふ~ん。そうですか。」
「じゃあ、2週間後には結果書類を郵送しますね。」
「ありがとうございました。」
「お大事に。」

お大事にったって、どこも悪くないのに、病院だからまあ業務用のご挨拶か。
わたしも、小児科病棟に居たときは場つなぎに誰彼なしに言ってたもの。

総合受付で会計を待つ間、老若男女に混じってまた本を読んだ。
壁に貼られた市民向けの健診表を見ると、子宮ガン健診の対象は25歳からだった。
特別なことでなく、当たり前の「朝飯前」のことなのだ。
癌は、国民病。3大死因の1つで、3人に一人はがんで死亡する。
今回の初受診は医療関係者からすれば「今までよく受けずにきたね。」って感じじゃないかな。

文字の羅列でも、音楽と恋愛のシンフォニックな調べを思わせる
この小説の小宇宙が、思いがけず自分にマッチしている気がした。

主人公と同じ実年齢にこの小説を読んでいたなら、私の人生も違っていたのかも…

本来勉強していなければならなかった10代は、読書なんかには目もくれていなかった。
漫画を読んでは描いて、自分の周囲では見つけられない自由や自然に憧れていた。

H市という周囲の環境の影響は大きくて、地元の母校は辛うじて進学校だったけど、表面的には誰も勉強をしていなかった。勉強だけでなく掃除もだ。

その意味では、全く野放図で、いい加減な校風の高校時代を過ごしたお陰なのか、20年以上も経って、失業の余暇にそんな埋め合わせを無意識にしたかったのかもしれない。

だって、病院ってところは、何かを否応なく患っている人々の溜まり場だ。
私も1日8時間、泣いたり喚いたりの子どもたちとなんやらかんやら
していたし、夕方5時過ぎには、入り口のところで恨めしそうな顔で
送り出されていた日々は、1年と持たなかった。

生々しい現実がつらくて、弱い人々が増殖しているこの瞬間に、
私も「春の嵐」を携えて、モガイテイルには違いなかった。

さて、続き読もうっと!
2006年度の6日目。
いよいよわたしの誕生時刻が迫ってきた。

今朝のニュースでは、生まれて10日の赤ちゃんが
何者かに誘拐されたと報じていた。
新年早々、なんという事だろう。
どうしてこんなことをする人が増えているんだろう。

犯人さん、あなたにもお父さんとお母さんがいて、
お母さんは苦しい思いをして産んだんだよ。
あなたが大きく成長するまで慈しみ育ててくれたんだよ。
一体、あなたの人生にその行動をしなければならない
何があったというの??

おっと、熱くなってるなあ…
今日も、雪国はお年寄りが家の中に埋もれていて雪かきも儘ならない。
除雪にかかる経費も20万から30万円もかかるそうだ。

さて、ゆきんこは只今、なんと10年前の懐かしいお気に入り
アーティストのBGMをかけて、ご機嫌さんである。
「傷つけあうより、素直な心と微笑み選んだの
優しさ忘れて暮らしていたこと初めて気づいたの
輝いていた頃の私に再び戻って」

お送りする曲は、アルバムIMPRESSIONSから「♪もう一度」
アーティストは竹内まりや
朝のトーク番組では、森光子さんが、竹内の作詞、パートナーの山下達郎の作曲の歌をプレゼントしてもらったとか。

昨日、ハローワークを後にしたわたしは、G美術センターへ向かった。
H市の市街地から隣駅のG駅の沿線に小学校時代4年間住んでいた。
いつ通ってもとても懐かしくなる。

あの頃、通りでゴム段をした友達の子どもたちは
年賀状の中で小学生になっているのだろう。
でも、私たちの子ども時代の遊びは殆ど踏襲されていないように思う。

なぜ、こんなにも懐かしいのか。
ゆきんこの初恋の思い出もここに詰まっているからだ。
この頃、コミュニケーション力が備わっていないと相手に伝わらない
云々の番組や記事もよく目にする。
わたし自身が常にそれに苛まれ続けてきた。

わたしは、当時から内気な大人しめの女の子だったと思う。
でも、あまりクラスの周囲のことよりも、自分の内的世界を充実させることの方が好きで、休み時間もじっと机に座って過ごしていた。

障碍のある子どもたちの存在も、
既に小学校2年生ごろから、気に留めていたように思う。

自分の誕生日にこれから書こうとすることは、なんだか変かも
知れないけど、ここ数日気になっていた男の子がいる。

7歳当時の初恋の相手は、同じ2年3組の中にいた。
隣合わせの彼の似顔絵を同じ班の友達よりも念入りに描いたことも思い出す。

でも、気になる男の子というのは、「♪年下の男の子」なのだ。
年下といっても、まーくんは同じ年の12月生まれで、学年が1つ下だった。
そして、小学校5年で転居のためにこの地域を離れてから思春期を経て、
成人後も長い間会うことはもちろん、思い出すことも無かった。

しかし、22歳の時に彼と最期に無言のお別れをした。
当時の彼の友達や、彼女も集まってうつむいていた。

私には幼い頃、彼の勉強部屋で年の離れた弟が生まれたときに
「二人の赤ちゃんみたいだね」とかなんとか言って
かなりリアルなお母さんごっこをしていた。

幼稚園から小学校まで一緒だったが、クラスはいつも隣り合わせで、
母親同士が幼稚園の同僚で、ご近所という間柄だった。
でも、その頃の私は、まーくんの気持ちに本当に鈍感だった。
毎日遊んでいたのは、もちろん女の子ばかりだったが、
意中の男の子は、遠くから眺めているだけで、
自分から話しかけるなんてことは滅相もないことだった。

まーくんは、なかなか機転も利いて、知らず知らずに至れり尽くせりという感じで時々遊んだものだ。
彼のことをなんとも思っていなかったから暢気に遊べた。

彼はわたしの転居した先にも、お母さん弟と一緒に遊びに来てくれた。
確か、当時流行だったマグネットが裏返るオセロゲームを楽しんだ。

まーくんのことは、あくまでも友達で幼なじみだったけど、
わたしは男女のそんなスタンスに今でも心地よさを覚える。

もう思い出の中でしかまーくんに会うことはない。
彼は22歳でこの世を去った。
バイク事故で頭蓋骨がめちゃめちゃだったので、
お通夜では棺の中を見ることもできなかった。
少年のころから端正なハンサムだったけど、
青年になった写真を見せてもらった限りでもなかなか立派な感じがした。
はっきりと脳死状態だったが、マラソンで鍛え上げられた心臓の鼓動は
なかなか止まらず、その間、彼のお母さんは半狂乱状態に追い込まれた。

写真には、雄雄しく走る姿が映し出されていた。
有名私大の陸上部の4回生で、箱根駅伝に出場することを嘱望されていた
矢先の事故だった。
それまで、思春期をただひたすらに走り、恋もしただろう。

同世代といっても、いつどこでどんな風に出会うのか、
大人になって社会的な地位が明確になると、
真心や素直な気持ちで人と接することが難しくなる。

まーくんは、性別も感情も何もかもを凌駕している特別な存在として、わたしの胸の中に残る優しい思い出なのだ。

ねえ、まーくんどうして今頃現れたの?
天国で、思いっきり走っていてよね!






午後7時18分。只今、ラジオ英会話中級で
O.ヘンリー原作「20年後(After 20years)」を聴いている。
ミレニアムの2000年からずっとラジオ英会話を聞くことも、
辛うじて続けてきた日課のひとつだが、「英会話入門」時代から
プレゼンターの遠山顕先生のプログラムが、一番のお気に入りだ。

昨年2005年3月号の「リスニング入門」のプログラムも好きで
去年1年間はそのテキストを1日5~10分念仏のように唱えていた。
内容は、認知症予防のアメリカの最先端研究、オスカーワイルドの「幸福の王子」とO.ヘンリーの「最後の一葉」

さて、昨夜は入浴後、布団に入るとぐっすり熟睡した。
ぐっすりノンレム睡眠だから初夢はまだ見ていない。

今日も全国雪模様みたい。特にご先祖さまのかの地は酷い。

ゆきんこの地域に雪が降ることは珍しいけど、
今朝は冷え込んで、ちらちらと小さい小雪も降っていた。

今年は戌年。
双子の兄弟が司会の朝の生活ほっとモーニングで
「犬をほえさせないトレーニング」を視聴者のリクエストに応じて
再構成していた。
これも、実はABAのオペラントと同じ。
ドッグトレーナーの解説も、I先生のブログと同じだった。
「ほえることを叱るよりも、ほえないことがいいことなんだよと
教えて、ほめてあげるのが効果的なんです。」

午前10時に自転車で自宅を出た。どこかへ出勤だったら嬉しいけど、
目的地はハローワーク。目的は、失業認定を受けること。
2階で同じ境遇にいた人は10名をきっていた。
求人閲覧して数分もしないうちに、呼び出しを受けて階下に降りた。

ここで、ラジオのプログラムが変って
「♪星から落ちた迷い子」ハイ・ファイ・セットがオンエア中
寂しげな哀愁漂う笛の音が印象的

「♪友だち見つけた」石川ひとみ
前奏の小鳥のさえずりがいいな。

ひとりぼっちじゃないんだよ
ずっとわすれないで だいじなこと
みんないっしょにてをつないであるこう

けんかしたこにほほえみを
ほらなかなおり
あおいそらにだかれ
かぜにゆられ
みんなともだち
てをつないであるこう
みんないっしょにあたらしいうたうたおう

介護・福祉の求人ファイルを手に取り、10分~20分ゆっくり目を通す。
介護スタッフを急募している事業所がかなりあった。
時給は850~1000円といったところだろうか?

次いで、PCで職業訓練校を検索した。
フォークリフトやCADとかいう学校案内はあるけど、
自分のキャリアや適性には合わない気がした。
農業や林業の案内もあった。フ~ン・・・

ハローワークカードを職業訓練案内の受付箱に入れて
2~3分して呼び出しを受けた。

「明けましておめでとうございます。」
「明けましておめでとうございます。」
思えば、親戚以外で初めて新年の挨拶を交わしたのは、
年末にもお世話になったこの窓口の男性だった。
「ポリテクセンターの結果はどうでしたか?」
「それが、ダメでした。面接も頑張ったんですけど・・・」
「面接も意気込みとか要領ありますからね。」
「はい。それで、ほとほと困っています。どうしたらいいでしょう。
今までの現場では、不向きだとずっと言われ続けていまして・・・」
「これまでのお仕事は障害児保育ですね。」
「でも、上司にはどこへ行ってもいつも嫌がられて、履歴書を着き返されて着ました。自分で言うのも何ですけど、資格も履歴も履歴書からはみだしてしまうのです。その割には、机上のことは好きなのですが、
現場では、でくの棒扱いになってつらい思いをしてきました。」
「机上っていうと?」
「実は、夜の学校へ行ってるんです。昼間の仕事との両立ができなくなったことも、今回の失業の一因でした。」
「何の勉強をしてるんですか?」
「もちろん、今までの仕事に付随することです。幼年教育と子育て支援
について学んでいます。
仕事そのものは、それなりの自信もないわけではないですが、
上司の監視があまりにも厳しくなりすぎると、本来の自分の力が
発揮できなくなって、プレッシャーに弱いので、
ちょっと神経質なところがあるんです。新しい職場や人間関係にも
すごく緊張しますので、慣れるまでに時間もかかるし、バーンアウトを繰り返してきました。」
「あなた、見たところとてもセンシティヴで聡明な印象を受けますね。」
「はい。ありがとうございます。よくそう言ってほめていただくのですが、ただそれだけでは生きていけませんから。」
「要するにパワハラでしょう?そんなのはどんな職場へ行っても
いつの時代でもつきまといますよ。」
「はい。それで去年も苦労しまして、このへんうろうろして、
いろんな相談所をたらい回しでした。
もういやなんです。毎年のようにここへ来るだけで疲れてしまいます。
両親の介護も迫ってきていますから、給料も少なくていいし、
処遇もそこそこでいいです。とにかく安定したところがいいんです。」

男性は、わたしの顔をじっと覗き込むように諭してくださった。
「私もね、ここへ来たのは去年の春です。リストラされてから、
棚卸もしました。だらだらとした履歴や資格、功績なんてあなたより
ずっとありますよ。それを直に雇用主に突きつけたら厭味なだけです。
あなたより再就職にも時間がかかった。
失業した中高年の集いなんかにも顔を出して語り合いましたよ。

在職中は、元々エンジニアの仕事をしていまして、上司と部下の間で
板ばさみになり、仕事そのものよりも人間関係でもみくちゃになっていた。それがきっかけで、キャリアカウンセリングについて学び、現在
こうしてここに座らせてもらっていますけどね。」

「そうでしたか。何だか不思議です。
わたしの習いたい先生も、工学か心理学の選択肢があって、結局
心理学を専攻したそうです。
機械だって、所詮は人間が作り出すもの。会社の利益追求も、人間の
最低限の健康や幸福追求に根ざしたものでなければ、本当の意味での
利益にはならないはずだと思います。」
「仰るとおりです。」
「それで、わたしどうしましょう。やっぱり棚卸ですよね。
去年もカウンセリング受けたのですが、理屈っぽいとかなんとか
お叱りを受けてそれもプレッシャーで。
熱心過ぎる方で無理無理3ヶ月のうちに就職したにはしたのですが、
結局ここへ出戻ってきました。」
「そういうことなら、同じことの繰り返しでしょう。
プレッシャーがダメなんだったら、自分でするしかないじゃないですか。
こちらの業務は、職業訓練校の斡旋ということですから。
4月になりますが、もう一度ポリテク受けますか?」
「はい。でも、4月にはなんとかどこかへ就職したいのですけど。
あ、なんだかこんなに親身に聴いていただいて、本当にありがとうございます。」
「自分に自信をもってください。人生ってどうなるかわからないものですよ。」
「いざとなれば、どんなことでもしようと思います。」
「そんなこと言えるのだから、まだ余裕あるんですよ。
もっと切羽詰まった高卒の若い女の子の方が意気込みもあるってもんだ。
上司なんて蛙の面に小便くらいな強かさで、立ち向かっていかなくちゃ。私はそのくらいのことだってしたんだ。」
「ええ!そんなこと・・・トイレ掃除だって何だってしてきました。
そうか、かけられた小便は拭いて洗えばそれでいいんですものね。
そうは言っても、誰だって自分の人生は一度きりなんです。
人生のうち仕事にかけるウェイトは大きいんですからいい加減な気持ちで選びたくない。納得のいく仕事を選びたいです。」
「がんばってください。」
「はい。今日はこうして貴重なお話を聞かせていただき、とても
勉強になりました。ありがとうございました。」

最後は笑顔で深々と一礼し、ハローワークを後にした。

外には、寒そうに女性の生命保険外交員が待ち伏せて声をかけてきた。
「よかったら、一度来て見ませんか?」
「そうですね。行ってみます。」
ちらしを受け取り、連絡先を記入すると私はG図書館へ向かった。
2006年も明けて早4日目になった。
TVも殆ど通常の番組に戻っている。
毎年、クリスマスから年末年始、明けて10日ほどは、タイムリミットがやってくるため、そわそわしてしまう。

というのは、明後日は年令更新日(誕生日)が迫ってくるからだ。
あ~、、、それに、今はとても眠い。
午後から母が出かけて、やれやれと午睡を2時間してみたが、
やっぱり眠い~~~

午後11時過ぎまで伯母が不意に我があばら家へお出ましになり、その接待に追われていたのだ。

ちょっと、仕事仲間からもらったリラックスのアロマキャンドルの
芳香を嗅いでみよう。

2日の午後1時前に自宅を出て、母の姉妹に会うために叔母の自宅へ新年の挨拶に出かけた。
3時過ぎに到着し、叔母の御もてなしで手作りのおせち料理をいただいて、持参のケーキを食べながら、お互いの近況やら、正月番組の品定めを言い合いながら、
ふと、母の育て親にあたる長姉の伯母が何気なく切り出した。
「あなたのご近所にいい神社があったわね。明日お参りしたいわ。」
「ええ、どうぞ。」

母は、躊躇うことなく二つ返事した。
え?年末お掃除したにはしたけど、お客さんを招くほど綺麗にしていなかった。
伯母の一声で、その晩からがわたしにとって一大事!

母は、その晩叔母宅に予定外の1泊することになり、
私は夕食前に叔母宅を後にして、一人自宅へ戻った。
午後8時半に帰宅して、3時間玄関先や軒先をざっと掃除した。
明けて3日の午前から2時過ぎまで、また延々4時間あまりひたすらに
掃除掃除。
なんたって、狭くて小さいのは確かだし、普段は誰に気兼ねなく
母と私の要不要の私物が四方八方に散らばって雑然としている居間を
応接間に変身させなければならないから、てんてこまい!

更に一度掃除しだすと、本格的になってしまう。
整理整頓、照明器具や鴨居、窓の桟、部屋の隅々の綿埃や、台所、トイレの水周りの水垢に、インテリアまで、こんなに汚かったのかと呆れながら、
それでも、初めての来客を新年に迎えるのに、できるだけ
綺麗に掃除したかったので、合計7時間も掃除に集中した。

テーブルクロスと来客用の食器でセッティングで2時半ごろ完了。
今度は、近所の神社のお参りを済ませた伯母上2名を伴って母が戻ってきた。
「ようこそいらっしゃいました。ちゃんと年末に掃除してたらよかったんですけど、まさかお出でになるなんて思わなかったので…」
「あらあ、汚くて狭いってお母さんが言ってたけど、なかなかいいじゃないの。」
こう感想を述べてもらうと、掃除した甲斐もあった。ホッ

伯母たちは、我が家の間取りを口々に品評しながらお菓子を食べて一息入れた後、
母が叔母と二人で夕餉の支度をいそいそと始めた。
その間、伯母と新年のブログ披露したり、歓談して接待した。
「美山へ行ってきたのね。わたしも行きたいわ。」
「ええ、是非お出かけください。5~6月がお勧めのシーズンですって。」

私が生まれる前の母の家族とはいっても、やっぱり親しき仲にも
礼儀ありだったり、年1~2回くらいと冠婚葬祭の付き合いって
なかなか骨が折れたりしないだろうか?

いつの間にか、「そんなことまで」っていう言って欲しくない情報や近況が間接的に知れ渡っているというのが、親戚コミュニケーションのつらいところ…

結局、伯母上はご機嫌で我が家へ延泊することになった。
我が家は狭い。
茅葺屋根の「久やさん」とは違う。

川の字になって床に就き、9時半には眠りに着いた。
しかし、明け方5時半ごろまで、私は眠りに落ちることができなかった。
母と私は通常、真っ暗にして眠っているが、伯母は小さい灯りをともしたまま眠るというのだ。
川の字の伯母と母というオールドシスターにサンドイッチにされて、
両側の寝息や寝言を確かめながら、また頭上の灯りがどうしても眩しくて、
眠れぬ暇つぶしのために、頭の中にさまざまの音楽が浮かんでは消えた。

正月には、こんなおもてなしは別段不思議なことでも大袈裟なことでもない。
叔母宅の台所の食器の後片付けを手伝いながら、叔母がぼそっと
「役に立つわァ」と漏らすと、単純に嬉しくて家で暇潰しの3が日よりも
ずっと充実していたと思えたりする。
「気遣いって言うのは、本当に大切ね。でも、遣わなさ過ぎたり、遣いすぎずほどほどの気遣いが難しい。」

もちろん2人の伯母上さまたちが、風の吹くなかをはるばる訪れてくれたことも嬉しいことには違いなかった。

その一方で、予定外のイベントに母が2つ返事して狂わされたことにも
伯母を無事に見送った後で、怒りが心頭してきて、睡眠不足も手伝ってまた当り散らしていた。

ま、いいか。
とりあえず、1階はいつもより格段に綺麗になった。
しかし、2階は・…(想像しないで)

またこんな日記になっちゃった。
明日からは、いいことだけをピックアップして書いていこうかな。

元旦から始めたハリーポッター「炎のゴブレット」原著音読
1日2ページの習慣は、とりあえず4日維持している。

今晩はお風呂にないってぐっすり眠ってドリームキャッチャーの初夢に期待しよう!
午後8時過ぎ。
只今、「ウィーンフィルニューイヤーコンサート2006」
生衛星中継を視聴中。

I先生はクリスマスも元旦もやっぱり研究に勤しんでおられたので、
久しぶりに読みきっていなかったABAの名著「ことばと行動」を
ちょっと読んでみようかと思ったんだけど、

音楽や芸術は、幼児期からのゆきんこの好子。
道草だらけののらりくらりあかずきんちゃん人生で、
にわかに師匠の真似をしてみたところで、所詮猿真似の域を出ないのなら、元旦であろうとなかろうと心置きなく好きなことをすればいい。
結局、その方が長生きすると思うんだよね~。

今年は、モーツァルト生誕250周年
CMのBGMでお馴染みの耳慣れしたクラシックの名曲もいいけど、
そうでなくても、クラシック楽器の音色は、元ブラスバンド部
ゆきんこの脳ミソを新年早々癒してくれる。

ウィーンなんて遥か彼方には、お金も時間もいくらあっても
いけるものではないから、自宅でPCに向かいながら楽しめるなんて
サイコーだ!

軽快なアップテンポの喜劇曲「ジプシー男爵」で、
泣き虫もケロリとご機嫌さんである。

21世紀今でこそ、クラシックだが、18世紀~19世紀当時は紅白歌合戦のポップスってわけ。
前半の数曲の中で一番気に入ったのは、
ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ「憂いもなく」
バイオリンニストたちが「ハッハッハ」とピチカートで発声する。

音楽はいいな。
「ハッハッハ」という笑い声は、万国共通の楽しさの合言葉だ。

他にも「芸術家の生活」「芸術家のカトリーユ」(1858)
というシュトラウスのあまり知られていない作品もある。

音楽の天才モーツァルトは、実のところ変人で周囲の人々は
彼の扱いにはほとほと困ったらしい。
芸術でご飯を食べるということも、並大抵ではなく、後世に残る
作品を生み出すのに、彼は「死に物狂い」の日々を送っていた。

 ってことは、I先生も現在進行形なのか??
私も大晦日にポストに入っていたLD学会の封筒を開けて
なんでか指導実習の往復はがき申し込みしてたもの。

その前の「にんげんドキュメント」では、脱高校教師から、
出張実験科学者になった木村でんじろう氏(50)の
「科学は科楽(かがく)」という番組も面白かった。

学校の成績も悪く、教科書一辺倒の学習に楽しさを見出せなかった
富山県の少年良太君(10)に科学の面白さを目覚めさせ、そこから
でんじろう先生とりょうたくんの「蓄音機」作りをテーマにした
長いトンネルの旅が始まった。
「作り方は教えてあげないよ。いくら失敗してもいいからね。」
それが、良太君のファイトを駆り立てた。
「不器用でも苦労して自分でやるのがいい。」
も~!それって、イジワルなオペラントってことやん。

「こんにちは」と紙コップに連呼する良太君
でも、何度トライしても針先の録音シートは無言だった。
自閉症の子どもたちにことばを教えることもそれに似ていると思った。
そんな蓄音機を発明したのは、元祖LDのトーマス・エジソンということや、良太君は父の故郷の少年だということも、
私には、意外な、ささやかな元旦の発見だった。

ねえねえ、あのカッコウの鳴き声の楽器は初めてみたけど、
面白いから、自閉ちゃんのボイストレーニングになりそうだけど!!
それも、演奏するのは一番シンプルなのに、クローズアップなんて
いいじゃない?

次の曲は「狂乱のポルカ」ですって!
明けましておめでとうございます。

今年はどんな1年になるでしょうね。
できれば、笑顔いっぱいで過ごしたいものです。

我が家はここ数年、老いたる母と二人きりのお決まりの新年を過ごしている。
新年といっても、平日通り、いつも通りである。

嫁に行かないハイミスの娘、母方の祖父母も20年前に他界しているから
帰省する必要がない。
伯父伯母も相次いで他界して、親戚の寄り合いもない。

普段は手をつけられない部屋の中を大掃除もしてみた。
BGMには、20歳の初めてのアメリカ周遊旅行で買った「シェーラザード」をかけてみた。
大晦日は紅白歌合戦を見た。余興のコロッケの物真似にアハハと笑った。

元日の朝は、母と2人で「明けましておめでとうございます」
と挨拶して、雑煮を頂く。
黒豆、ごまめ、数の子、酢ごぼう
小さな重箱から4品を2つづつ小皿にとって、頂く。

例年とちょっと変えてみたのは、全くの年末年始らしいことを極力省ききってしまったことだ。

トリはSMAPの「トライアングル」で締めくくった紅白歌合戦が終わると、さっさと母と消灯して眠りに着いた。
「なんとなく」反戦を示唆するこの歌は、戦争を知らない多くの日本人たちへのメッセージを残しているような気がした。
「紅白」は、視聴率に関係なく毎年楽しんできたが、今年はNHKも
随分、趣向を凝らして、脱マンネリの「変化した紅白」を印象付けていた。

大晦日の紅白は、
北海道出身の42回最多出場の北島三郎のバックは、やっぱり
紙吹雪やナア・・・とか、
アーカイブで都はるみの「ふつうのおばさんになりたいんです」が、
妙に懐かしかったり、可笑しかったり、
ああ、その前に、キャンディーズの解散の台詞
「わたしたち、ふつうの女の子にもどりたいんです!」
っていうのも、あったよね。
アリスも再結成したら懐かしいけど、すっかりみんなおじさん、おばさんやわ。

反対に、最近の若者アーティストの顔も名前も歌も全く初めてで、
その点、やっぱり自分もおばさんになったと認めたくなくても認めざるを得ない・・・
それに、今時の歌は何が流行しているのかよくわからない。
寧ろ、飽きのこない歌詞もないクラシカルミュージックの方が古くて新しい。安らぐ。

一番良かったのは、[MY Revolution]の渡辺美里
同世代は、あの歌がいい。元気が出る。
本当に「走り出せる」気がする。カラオケで歌ってみよう!

毎年は、番組終了後、深夜のうちにご近所から徒歩10分以内の特別史跡に指定されている初詣に出かけるのだが、
翌朝の方が、参道に並ぶ時間を省けると、計算してみた。
昨年、アルバイトの若い巫女さんが寒そうにしていて、
「おめでとうございます。わ~、寒いでしょう?」
と挨拶したことを思い出したのだ。
確か、2004年の大晦日は雪だった。そして、雪のちらつく元旦の初詣だった。

今朝は11時ごろに初詣に出かけたのだが、2005年の深夜の初詣に比べると、ぽかぽか陽気に恵まれ、計算通り、待つ時間も10分程度だった。
「多くは望まないけど、せめて安定した収入が欲しいなあ。」
なんて、並んでいる間もつぶやく。

看板のお手本通りに2礼お賽銭を掘り込んで、拍手を2回打つと、
厚かましいことにいくつも願い事が浮かんでくる。
「就職、勉強、上手く行きますように。
 論文書けます様に。
 それから、みんなが仲良しで平和でありますように。」

次に、干支の土鈴を買った。
「ここに引っ越してきてから今年で10年経つんだね。」
「毎年、その度にここで干支の土鈴買い続けてきたものね。」

深夜、元旦の初ニュースによると、数字ははっきりと忘れてしまったのだが、戌年生まれの日本人は730万人くらいで最も少ないそうだ。
1934年(昭和9年)72歳の老齢人口よりも、
1994年(平成6年)12歳の人口の方が多いというのも、
少子高齢化が伺えるデータだ。

うちの母が、この年女だから12歳くらいの孫がいてもよさそうなものだが、残念ながら、うちの場合は殆ど手遅れである。

その後、ひいたおみくじは、39番で吉だった。
このおみくじが、例年なぜだか当たっている。
音読しながら、神社を後にした。

「少しもきずなき玉これは智ある人なり されど未だ磨かざるあらたまなり
これをみがきて光を顕わすなり 学問してちえをみがけとなり
目上の人に見出されて玉のひかりと徳もあらわるるなり
人も立身出世してよろこびにあうことおおしとなり

▲このみくじにあたる人は、その身発明にして才智をもって世に名を
しられ大いに立身出世あるべし、さもなき人も随分志をみがきはげむときはそれ相応に用いられ仕合せすべし、神仏を祈りてよし
▲悦びごと十分よし▲待人おそく来る▲のぞみ事かなう
▲失物くろうしてたずね出ずべし▲あらそい事かち也
▲やうつり、ふしん、むこどり、就職、たび立よし▲売買よし
▲職は、土、金、かみに縁あることよし ▲子宝すくなし
▲身をつつしみ守らば授ずかる事あるべし

「ふ~ん。やっぱり勉強しないといけないのか。
確かにこの神社、合格学問に関してはご利益あるんだけど、
縁結びはさっぱりだもの。子宝少なしだって。

多分、御祖母さんが難産で、その後も死ぬまでずっと大変だったし、
何だか、あなたは結婚しないで、わたしの分まで好きな勉強を存分に
やりなさいって言ってくださってる気がするなあ。
でも、自分のお願いだけじゃなくて、みんな仲良しで平和でありますようにって一番お願いしたよ。」
「あ、それ忘れちゃった。何よりもまず平和が一番よね。
それがなかったら、他のどんな願い事も何も叶わないわ。」

去年は、Oちゃんと学問の神様菅原道真公を祀っている南森町の
「天満宮」へお参りした。
でも、この神社は何の神様なんだろう?

生協を取りに行く母の元同僚のIさん宅をちょっと覗いてみたが、
家族団らんを新年早々お邪魔するのも何なので、
道端のお地蔵様にも手を合わせてお参りした。
「なあに?オンカカソワ??隅っこに貼ってあるおまじないの漢字読めないよ。」

本当のところは、嫁に行きたくないわけではない。
子どもは自分の子じゃなくても、どの子も可愛くて、
孫を膝に乗っけて頬ずりしている母くらいの女性を見ると、
やっぱり、胸キュンになってしまう。
少子化と言われながらも、仕事柄、母と私ほど子どもの頃から、子どもにまみれて半生を過ごしてきた親子はないと自負してきた。

郵便受けの年賀状は、何年も顔を合わせることの難しくなった
懐かしい方々から寄せられる。
次第に疎遠になってとうとう音信不通になった人も少なくなくて
却ってどうしているかな?と思いはそちらへ向かってみたりする。
だって、折角限られた人生の中で、出逢って仲良くしてくれた人たちなんだもの。

そういう意味では、案外、寂しがりやかも?
引っ込み思案な割には、細く長くのお付き合いは、相手以上に
大切にするところもある。
だから、寂しくなる。

テレビの上にしょうもないマスコットを飾って元旦らしくしてみた。
神社で買ってきたばかりの犬の土鈴、
美山のおばあちゃんからもらった犬のぬいぐるみ
犬のオリガミ、手作りの絹糸の毬の前にふたつの雪だるま
クリスマス前に母がティッシュペーパーで丸めて作ったのだが、
捨てようとしていたのを、もうしばらく飾りたくて並べた。
手も足もない小さい雪だるまは、バランスが悪いのか一人で立てなくて転んでしまう。
だから、毬をバックにおいて、隣に一回り大きい雪だるまを置いてみた。

人との支えあいもそうありたい。
自分で、一人で立っている、自立しているといっても、この頃は
冷たく言い放った何でもかんでも「自己責任」に聞こえる。
どんなに才能に恵まれた人でも、辛いときや寂しい時は、ニーズに応じて支えて欲しい。
だから頑張っていけるし、乗り越えていける。
日本語には、「お陰さまで」という黒子に徹する顔を出さない
支援者に対する素晴らしい褒めことばがある。

私は、紅白の舞台裏のスタッフをステージの上のアーティストよりも
労いたい思いでいっぱいだ。

明日は、母と二人で叔母を訪ねてみよう。
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