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2006/02/28 (Tue) 健康診断
2月も今日で終わり。早いなあ…もう今年も6分の1が過ぎちゃった。

今日は、新入営業職員の健康診断。
昨夜の10時から午前中の診断が終わるまで、絶食しないといけなかったので、朝ごはんを食べる30分間は寝坊して、起きるとすぐに着替えて
家を出た。

出社するとS生命の支社ビルの前に、レントゲン撮影のバスが停まっていた。
集合場所は、通常の研修室の7階から4階に変更されていた。
「それでは、健診代の1,650円を徴収します。」
あれ?タダじゃないの? 
さすがは、ケチ○○と噂されるだけのことはある。

「何か質問はありますか?」
「Hさん、私外部に、健康診断書を提出したいのですが、今日の結果を、使わせてもらっても構いませんか?」
「そうですね。結果のコピーは一週間後にお渡ししますが、それでいいですか?」
「はい。提出は来月ですので、大丈夫です。ありがとうございます。」

7階が健診室に早代わり。医師の到着が遅れて、10時まで待機した。
10時10分ごろから、レントゲングループと身体測定グループに5人ずつに分かれて、始まった。
検査項目は、身長、体重、検尿、視力、聴力検査、血圧測定、レントゲン撮影、内科健診、採血、心電図の順。

服を着たまま、体重計に乗った。数値を見て思わず、
「うわ、カル~イ。」

内科健診の医師が聴診器を当ててこんなことを言った。
「身体は丈夫な方だね。お子さん2~3人いますか?」
「いえ、独身です。」

他の仲間も口々にコメントされていて、何を根拠に言うのだろうと
終了後にすきっ腹にお弁当をかきこみながら談話した。

今月2月入社で残ったメンバーはいつもの月よりも大人しいグループだとか。残った仲間たちの元職業もバラエティに富んでいて楽しい。
バスガイド、司法書士を志望していた人、美容師、看護士、
そして保育士の私。

些細なことでも、自分にとっては当たり前のことが、他人にとっては当たり前じゃないことは、よくある。
お弁当を取りにいくときには、特に目に見えない細菌の感染や衛生面は
小児科病棟や保育所ではウルサイし、トイレや食事前に石鹸で手を洗うのはこれまで当然だった。

しかし、何人かの女性たちは手を洗わないで弁当を配ったので、研修が始まって数日経ったある日こういったのだ。
「私、保育士だったから食事の前の手洗いはうるさく言われてたの。」

保育所に子どもを預けている子育て最中のママもいるから、
彼女たちには、そのことばは寧ろ敬遠されてしまった。
私、優しい保母さんだったんだけどな…
生命保険の女性たちには、実は元保育士、幼稚園教諭も少なくないらしい。

だからといって、ここで保育士面はもうできないし、私は指導者でもなんでもない。ただの見習い営業職員になろうとしている。

食事を終えても11時半から12時半まで1時間も休憩時間があったので、
4名の女性同士で雑談しながら過ごした。
何を話したか、詳細には忘れてしまったが、時々私の話し振りに、
3人がにや~っと笑った。

「何ですか、その笑い?」
「いや、ゆきんこさんって何だか自分のワールドを持っているのね。」
「ごめんなさい。私すごくしゃべりすぎちゃうみたいですね。
気をつけなくちゃとこれでもセーブしてますが、行きつけの美容室では
3時間もしゃべって独壇場になってます。」
「それにマジメだから、資料もタイミングよく出してきて、すぐに
保険の話にもっていってるじゃない。昨日聞いたばかりの講義内容の
ことなんて、みんな途中から眠くなって、ちゃんと聞いてないわよ。」
「なんだか、高校の先生みたい。」
「え?でも本当は子どもたちと話している方がずっと楽しいんです。」
「そうでしょうね。」

午後からは、3時ごろまでマナー講習。
3名の女性主任トレーナーが、ピカピカと目を光らせる。
社内研修用のビデオを視聴して、失礼な行動と適切な行動を比較して、
お客さまに失礼のない態度を実践する。
「それでは、ウィスキーの練習をしましょう。」
Aさんが昼食後、所用で早退して9名の奇数になったので、
主任の1人Kさんとペアになった。

それから、名刺交換の練習。
合格祝いにもらった名刺入れと、昨日配布された名刺を使って
またペアになると、私だけがあぶれてしまった。
よっぽど私のことみんなイヤなんだなぁ・・・
そんなのは、元祖専門の心理学とことば以上に正直なノンバーバルコミュニケーションで否が応にもお見通しだった。

先月まで、仲間はずれ行動の研究論文も話題になっていたところだから、シニカルになるしかないし、そこまで見通せてしまう自分が寂しかった。

マナー講座を単純に面白いと思うのは、やっぱりABAのおかげ。
仕草ひとつ、ことば遣いひとつにその人の人となりが反映される。
一度、フィールドに出てしまえば、誰も何にも言ってくれなくなる。
だから、健康診断を格安で受けられるのも、名刺の渡し方、笑顔の作り方ひとつひとつを丁寧に教えてくれて、修正してもらえるのは、
行動分析士に習うのと同等の価値があるのだ。

3人の主任の中でも、見た目には一番チェックの厳しそうな
主任とペアになって、名刺交換を3回練習した。
相手に向って自分の名前が正面になるように、名刺入れの上に置いて
両手で差し出す。
相手よりも自分が先に渡すのが、礼儀。
「こんにちは。S生命のゆきんこと申します。」
「ゆきんこさんですね。」
「はい。どうぞよろしく御願いします。」

そういえば、この練習どこでやったかな?
そうそう、もう5年前だけど、初めて失業したとき、日本語教師の
資格を取るのに、6ヶ月の修業期間に講義の中でデモ練習したのだった。

彼女らに敬遠されてよくわかったけど、
ゆきんこは受容しても、受容されることはない。
法的に戸籍上は、私は子どもという立場でも、若い年下の母親たちが、
私にどう接していいか戸惑っているのもわかるし、私だってわからない。 
それくらい、コミュニケーションの位相って敬語も尊敬語、丁寧語
謙譲語もある日本語は、発音は英語ほど難しくなくても、状況に応じての使い方が至難なのは、外国人のみなさんや自閉症のみなさんだけではない奥の深いものだ。

ことばに言及すると、これまた果てしなく脱線してしまうので元に戻ろう。

新人が名刺と共に、デビューするときのプロフィールをオリジナルで
作成した。
そういえば、こんなことも22歳当時にしたっけ。
自分の似顔絵イラストを描いて、吹き出しに、マジックでこんなふうに書いた。

はじめまして。S生命のゆきんこです。 
生まれも育ちもどっぷりHっ子。 
やぎ座のO型(どうぶつ占いではゾウ)
好きなこと お菓子を食べておしゃべり 小さい子と遊ぶ 動物
      ブログ・自転車 いろいろ
苦手    ヒミツです。。。


下書きをみてもらったら、
「上手だわ。なんだか絵本に出てくる絵みたいね。」
「ありがとうございます。」

帰社前のサインをして、自転車で約20分から25分母校H高校を横切って
まだ蕾の膨らまない桜並木を通り抜け、営業所に着くと自転車置き場に
ヘルメット姿の女性も同時に着いたところだった。
「Bさん、おかえりなさい。」
「ああ、ゆきんこさん。今日は寒かったでしょう?」
「いえ、Bさんのほうこそ、寒かったでしょう。」
「何か温かいものいれましょうね。今日は何がいい?」
「え~と、コーヒーにしようかな。」
「今、淹れるわね。」
「あ、まってください。私がいれます。」
Bさんの後に扉の中に入った。

結局、Bさんの気配りにまた甘えてしまった。
コーヒーを飲み始めて、何気なくBさんの後ろの壁に貼られた
成績グラフに目が留まった。
「あら、今月の成績、Bさんダントツだったんですね!」
「そうなの。今まで全然ダメだったんだけど、やっと契約が取れたのよ。」
「それは、わが事のように私も嬉しいですよ!だって、私Bさんにスカウトされたんですもの。」
「そういってもらえるだけで、幸せだわ。でもダメだと思っていた
お客さんだったから、喜びもひとしおだし、今回の契約は所長たちの手助けもあったからね。」
「もし差し支えなかったら、どんなドラマがあったのか聞かせてもらえませんか?」
「競合他社との保険商品とどちらかにしようとご夫婦でギリギリまで、
悩んでおられたんだけど、それもお友達の勧誘を受けていたにも拘らず、最終的には私に契約してくださったの。」
「どんなことが、こちらを選択された決め手になったんでしょうね。」
「最後まで断りきらなかったことや、やっぱり、無理強いはせずに
『最後はどちらを決めてもらっても私は構いません。」と言ったことだったわ。」
「そうですか。そんなBさんだったから私、今ここにいるのかも知れません。」
「あなたを誘ったときもそうだったわよ。」
「私、あの時、何て言いましたっけ?もうすっかり忘れています。」
「今までは保育士をしてきましたが、他の職種も考えています、と。
だから、誘ってみたのよ。」
「そう、それに何と言っても、Bさんのラブコール、本当に嬉しかったし、この営業所の雰囲気がよかったから。とっても熱心だったもの。」
「私もうすっかりオバサンだけどね、挑戦しようっていう気持ちがあるのよ。外にいるのが大好きなの。」
「でもね、悩むし、ココロも揺れます。私には目指していたものがありました。それを中途半端に放り出していいのかという思い。
私の身体はたった一つです。同じくらい好きなことがあって、どちらか一つの道を選ばなくちゃいけないとき、やっぱり踏ん切りがつけられない。さっきの契約の話と同じです。」
「そうよね。わかるわよ。」
「子どもたちのことは、大好きでした。でも、保育士の世界もここと
同じ。私、どこへ行ってもいじめられて泣いてばかりいました。
それが辛かったし、アルバイトで今度、先生どこへ行くの?と子どもたちとお別れするのも悲しくて…」
涙ぐんでしまった。

「あらあら、泣かせちゃってごめんね。はい、ティッシュ。
そうよね。きっと子どもにとっていい先生ほどそうでしょうね。子どもって正直だからきらいな先生の話、家に帰ったら言ってるからわかるわよ。辛かったのね。それに、正職員の保育士の方が若いのに、オバサンバイトの保育士にきつかったりするのよね。」
「いじめないでって初めに断っていても、追い出されて長続きしなかった。だからもう、子どもたちとは、他のところでかかわっていく
方がいいんじゃないかと思ったんです。」
「そうだったの。ここは大丈夫。仕事内容よりも人間関係のしんどさが大変なのはどんな職場でもおんなじだもの。この営業所は本当に意地悪する人なんていないから安心して。」
「はい。Bさんにそう言ってもらえると本当に安心します。」
「たとえ、成績の悪い時期が続いたとしても、みんなが手助けしてくれるから大丈夫よ。だって、自分が成績よくてもみんながそうじゃなかったら嬉しくないじゃない。」

心からのことばというのは、胸を打つものだ。
所長のKさんに帰りがけに挨拶した。
「何かお手伝いありますか?」
「ううん。今のうちに早く帰っておいていいよ。あさってはいよいよ企業に名刺を配りに行くからね。」
「はい。よろしく御願いします。」


憧憬のA先生に会うことはなくても、ABAはいつでもそこにある。

のどかな田園風景の広がる営業所の周辺が大好きで、イヌを散歩させているお年寄りの交流に目を細めて、自転車で帰路に着いた。


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2006/02/27 (Mon) 保険の世界はユルクナイ
17日間開催されたトリノオリンピックが閉幕したら、何となく寂しい…

今日は、ちょっと冷え込んで、
「寒いですね~。」と朝のご挨拶。

新しい職場ができて、気持ちの上ではプー太郎の時よりも
自分の居場所が見つかった。
けれども、今まで積み重ねてきた保育や障害児の仕事が、
どんどん遠ざかって行く。

その代わりにどんどん保険の知識が、流れ込んできて資料も配られる。

午前中はマナー講座
コミュニケーションで最も大切なことは、
「聴き上手になること」
どんな商品でもそうだけど、保険は尚のこと押し付けなんかはできない
から、お客様の話をじっくり聴くことから始まるというのだ。

二人ペアになって、相手の話を聞きだす相槌の打ち方や、
アイコンタクト、聞き返して関心を示すなどの技をトレーニングする。
私は、初めて話すMさんと向かい合わせに座って、お題に沿って
会話した。
「え~と好きな番組はなんですか?」
「F-1が好きで、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキします。」
「へえ、F-1?心臓が飛び出しそうなくらいに!」
「そう。ミハエル・シューマッハが好きなの。」
「え?ミハエル・シューマッハね。」
私はノートにメモを取った。
「他には?」
「ドラマでは相乗り。」
「相乗り?どんなドラマですか?」
「男女7人がラヴワゴンに乗るストーリーの恋愛ものドラマです。」
「へえ。いつ放映してるんですか?」
「月曜日の11時からよ。」

緘黙さえなかったら、おしゃべりは大好きなので、
一方的に話していることも多いんだけど、
案外、相手の話を引き出しながら聴くのって難しい。

「聴く」という文字は、十四の耳と心と書く。
人の話を聞くときは、自分の価値観や枠から離れて、耳と心を相手に傾ける。そうすれば、多くの人に求められ、愛されるでしょう。

2月6日に入社して3週間。
私が話しやすいと感じていた人たちは、殆ど姿を消していた。
誰が生き残っているのかも、面白いんだけど、
休憩時間に、喫煙しながら仲良くなったグループの方が
結束が強く、タバコがきらいな私は自然、彼女たちと
殆ど会話してこなかったので、今更入りにくいムード…

なるべく自分から積極的に話しかけようときばってきたけど、
さすがに、疲れがみえてきた。

休憩時間に机に座りっぱなしの身体をリフレッシュしようと、
7階から1階まで階段を一往復昇降して、息をきらして部屋に戻って
きたら、T課長がじっと見ていた。
「どうしたの?」
「だめですね。この頃ちょっと運動したら息切れしちゃって。
若いつもりでも、こんな感じです。」
「そうだね。僕もさ、昔はなんてことなかったのに、肩にちょっと
重い荷物を背負ったまま、ポケットから鍵を出そうとしたら、
背中の筋を捻って、痛めちゃった。」
「大丈夫ですか?」
「うん、背中にシップ貼ってるよ。」
「でも、年をとった方がいいこともありますよね。
 私、若い頃は泣いてばかりいましたから…」
「それだけ、強くなったんだ。」
「まあ、そうですね。少しは強くなったかな。」

アーティストの日比野克彦氏が、「アートはコミュニケーション」と語っている。

でも、今日は欠席者も2名あったので、こじんまりと
T課長を囲んで、みんなで会話しながら昼食を食べた。

午後は、給与体系や査定についてのお話だった。
査定や、昇格のシステムは、各保険会社によって違うらしいのだが、
聴いていてだんだん凹んできた。

契約が取れた月とそうでない月の報酬が雲泥の差なのだ。
更に、日頃の勤務態度や状況、契約に取り付けるまでの
不断の努力をどれだけしているのかも、きめ細かく全て査定され、  ボーナスに反映されるというわけだ。

がんばった人がそれなりの功績を挙げてこその給与システムに
改めてビビってしまった。


夕方、午後4時半ごろ営業所に顔を出すと、
久しぶりに所長が満面の笑みで迎えてくれた。
「おめでとう!100点取ったんだってね。」
S所長が板についた満面の笑みで拍手で迎えてくれた。
「まぐれと思いますけどね。気分は荒川静香って感じです。」
「顧客エリアを選んでもらうんだけど、どこがいい?」
お馴染みのH市内のいくつかのエリア地図を見せてもらった。
自然、官公庁に近いK町は避けて、私は商店街から、沿線付近の
O町とI町を選んだ。
「自転車で廻るなら、O町とK町の方が近くて回りやすいんじゃないの?」
「ええ、そうなんですけど、I町方面って行ったことがあまりないから
行ってみたいなと…」

何となく、毎日行き来しているK町の様子をよく知っていたのと、
万が一、緘黙を起してしまったら困ると不安が過ぎった。

不思議にここの営業所に顔を出すとほっとする。
グループで生協も頼んでいるみたいで、仲良しだ。
「ゆきんこさん、なにか飲む?」
「私が入れますよ。もうお客さんじゃないんだし。」
「あ、そう?じゃあ、コーヒー」
Bさんとの会話に割り込んで、横からHさんが注文した。
「はい。Hさん、私そういうの大好きです!」

注文の飲み物を先輩たちに給仕すると、私をスカウトしてくれた
Bさんが、手招きで呼んでくれた。
「この端末に、顧客情報を入力して、最適の保険商品を提供するのよ。」
「1ヶ月に2件も契約が取れるんですか?」
「コツを掴んでくれば、大丈夫。扉を開けて話を聞いてもらったり、
思いかけない方から注文がもらえたときは、本当に嬉しいわよ。
それが仕事の励みになっていくわ。」
「Bさん、私が入ったことで、ポイントつくんですよね。」
「そうね。でも、あなたはきっと入ってくれると思ったわ。」
「私も、Bさんだったから入ったってところがあります。」
「そう。自分がスカウトした人と一緒に働けるのも、嬉しいもの。」
「そうですね。ここに来るとなんだかホッとするんです。」

家に帰って、かいつまんで母に報告したら、こんな風に諭してくれた。
「まあ、人生経験だと思って自分の力を試してみたら?
要は、お友達を作るような感じで初めてみたらいいわよ。
そうそう、この前電話があったTさんに聞いてみたら、もうあんたとこの
保険に加入してるって。」
「聞いてくれたの?やっぱり3人に1人は既契約してるんだ。」
「ということは、残りの2人を開拓するってことでしょう。
 どうしても取れないときは、私が安いのに入ってあげるわ。」
「うん。保険って結局、ある程度豊かな国でしか、成り立たない商売だよね?」
「そうでしょう。昨日の番組見て御覧よ。オリンピックに出られる
選手もいれば、ゴミ漁りして生きている国の人だっているのよ。」
「同じ努力なら、スポーツしてる人の方がよっぽど贅沢だよね。」

I先生のブログには、昨日の活動にボランティアに参加していた方々のことを「ゼミ生にスカウトしたい。」と書いてあった。
なんだか、涙が出そうになった。

最後の母のひとことは、
「あんた、毎日よくそれだけ書いてるわね。」

2006/02/26 (Sun) コミュニティ・キャット
今日は、朝から夕方まで雨が降っていた。
こんな休日は、(プー太郎の間も天候に無関係で)
一日中、PCの前に正座している。

なんとか仕事にはありついたので、4月から夜間大学院の2年生になり、
本格的に修士論文に取り組んでいくことになる。
その意味でも2足の草鞋を履く生活がしばらく続く。
今度は、去年のようにバーンアウトしないように、健康管理にも気をつけなくちゃ。

毎日のようにI先生のブログを眺めては、しつこくコメントしていた。
滅多に返事をもらったことなんてなかったのに、
ここ数日は直接、ゆきんこ向けらしきお返事が書いてあった!    メチャクチャ嬉しかった!

特に今朝、ブログを見てみると「子どものことを自宅に帰って
家族に話すのはどうか?」という返事と共に、
「ゆきんこさんのアイデアをこれからもコメントしてください。」
とも書かれていた。

しかし、出したところで一円も報酬はない。ボランティアだ。
そこでさもしいことを言ってしまえば、ケチ臭くなってしまう。
私は構わない。私にはいつか両親が亡くなってしまえば、もう自分しか依るべきものはない。

だから、自分のアイデアも考えていることも、ここでぶちまけつつ、
誰かの役に少しでも立つのならこんなに嬉しいことってありません。
どこが違うのかと言えば、見落として気付かずにいること、
当たり前のことなんて何もないと発想を転換すること。
どんなにしょうもないことに見えても凄いことがあると思えること。

それが、ABAそのものが教えてくれたこと。

13日(月)にH図書館でリクエストして借りていた講談社ブルーバックスの
単行本を読み終えた。
『検証アニマルセラピー』ペットで心と身体が癒せるか?
ヒトと動物学会会長の東京大学の林 良博先生の著作だ。

ちょうど1ヶ月前のモーツァルトの250回目の誕生日に、
メンタルヘルス研究会に飛び入り参加した帰り道、ペットショップの店先に置いてあった業界新聞で見つけたのだ!

わざわざ大阪府図書館から取り寄せて、2週間限定で貸し出して下さったので、明日には必ず返却しないといけない。

ゆきんこは、恐らく保育所にはもう戻らない気がしている。
「自分のソシャルスキル」がないとゼミのY先生に言われたことは、
プチトラウマになっている。

新しい職場で上手くやっていけるのかどうか自信はない。
生命保険の女の園も、熾烈な火花が飛び散るだろう。
でも、保育所や保育士たちにも無数のトラウマがあった。
だから、余暇活動にボランティア活動を通して論文を書くしかない。

1日8時間みっちり子どもまみれだった去年から、
子どもとかかわる時空間が殆どなくなってしまった今、
それを確保することから、悩ましい問題だ。

緘黙児を対象を限定すると、自分自身がカミングアウトして大失敗しただけになかなか難しい。とっても悩んでいる。。。
だって、無理強いなんてデリケートな緘黙ちゃんに、そんなことできない…

『アニマルセラピー』の中で、特に印象的なのは、「コミュニティ・キャット」というネコの存在。

私の17歳当時の漫画「ぼくはネコである」のタンゴもそれに近いけど、
「地域社会ネコ」は、特定のご主人や住処を持たないが、複数のお家を
渡り歩いて複数の名前をつけられている最も社交的な世渡り上手なネコ
と定義される。
林先生が、1996年にネパールのカトマンズで3種類の形態で暮らす
イヌやネコの存在を発見し、このような人馴れした動物が、アニマル
セラピーに最適だと述べている。

人間でもおんなじで、生命保険会社の営業部長、課長たちが、
機知やユーモアに富んでいるのは、全国規模で転勤しながら、
数多の女性営業職員を毎月、毎月教育しなければならないという
激務に耐え忍んでいるからだ。

私も固定化した職場になぜか定着することができず、
アルバイトという不遇に耐え続けてきた。
ありとあらゆる自閉症のみなさんや、小児科の子どもたちと
遊びまくってきた。
その体験を毎日、I先生のコメントに書きこんできた。

ゆきんこは、「コミュニティキャット的ヒト」かも知れなくて、
結婚もしてないから、多分これが私独特のライフスタイルになって
いるのだろう。
子どものころは鍵っ子で、母が帰るまで友達の家で居候していた。
血のつながった家族で分かり合えなかったり、話ができない関係なら、
ちょっと斜めの隣のお節介おばさんが聞いてあげる。
それもダメなら、イヌやネコが一番。
だって、「ワン!」とか「ニャー」だけで、絶対ヒミツを守ってくれる。


時々は緘黙になる。それもいい。
I先生とは、たったの一言しかことばを交わせなかった。
何度もコメントしてやっと返事がもらえた。










2006/02/25 (Sat) 居場所づくりの可能性
だんだん春めいてきた。
玄関に母が活けているねこやなぎの目が膨らんで触ると、ふわふわ
本当に猫の毛並みみたいにカワイイ。

ご近所の家の軒先にも白梅が3部咲きで、思わず目を細めてしまう。

昨日は、一昨日の試験の結果発表を電話連絡するため、自宅待機することになっていたのに、いつも通り9時半に出社すると、誰もいなかった。
遅刻するよりはましなので、11時まで「アニマルセラピー」の単行本を
読んで時間を潰した。隣の壁越しに威勢のいいT課長の声が聞こえてくrのをBGMに。
10時30分前になると、T課長が徐にやってきてポンと肩を叩いた。
「おめでとう。100点だったよ。」
「えっ!?本当ですか?嬉しい!!私100点取ったの初めてです!」

イナバウワーが優美な荒川静香選手が金メダルを獲得し、銀板のクールビューティーと称された記念すべき同日に初めて100点取るなんて!!!

今日は午後2時から、大阪中之島付近に所在するキャンパス・イノベーションセンター大阪サテライトで開講された「教育実践学フォーラム2005」に参加した。
今回は、第8回目「子ども・若者の居場所つくりの可能性」
講師は、萩原健太郎先生(駒沢大学文学部専任講師)
萩原先生の専門は、社会教育学、青少年支援者の力量形成・居場所論
因みに私と同い年だが、見た目には年上に見えた。
30代は往々にして年齢不詳だから、こんなことは蛇足だけど、
働き盛りの同世代は、人生行路によってステイタスに格差が生じていることを冷ややかに感じてしまう年頃なのだ。

1985年から既に不登校生徒の対応策としてネットワークも立ち上げられたが、それ以前の1970年代から時間・空間・仲間の「3つの間」が奪われ始め、受験戦争やスケジュール管理に苛まれた子ども世代のさまざまな心理的問題が浮上してきた。生徒たちは学校のなかでは普通の顔を演じているが、「居場所」ということばや概念は定義したり、データ化することは難しい。
1990年代から「子どもの居場所つくり支援施設」が叫ばれ、例えば、古い消防署をリフォームして提供してきた。

また、1990年に渋谷コギャルのカリスマ的存在の浜崎あゆみのファーストアルバムが大ヒットし、若者の居場所の喪失感を歌った歌詞に、共感が寄せられた。
「♪居場所がなかったら、見つからなかったら、未来に期待できるのかわからずに
人を信じることは、いつか裏切られ、捨てられることだと思っていた」

萩原先生は、学部生に「居場所」についてのアンケート調査を行なった。
「中学2年までスケートに打ち込んでいた。それをやめた途端、何をしていいかわからなくなり戸惑った。友だちが悩みを聞いてくれたので、
乗り越えて、別のやりたい目標が見つかった。」

「居場所」には3つの側面がある。
①存在感の希薄化
外部の物差しで一方的に優等生とか劣等性のレッテルを貼られ、
自分が揺らいでわからなくなってしまう。
②行き場所がない
人生の方向性や生きる目標がわからない。
苛める子も苛められる子も辛い。
③身の置き所がない
「教室には自分の席がある。そこが辛うじての自分の安全地帯。」
それさえも、脅かされている。

その背景には、かつてあった共同体の脆弱化と、関係性の貧困化した環境で育っていることに要因がある。

これからの居場所作りの可能性は、学校・家庭・地域の他に、
第4の居場所が求められる。
いわゆる、大人や既存社会から逸脱したアジトのような溜まり場的な
時空間作りだ。
しかし、それはあくまでも、当事者である子どもや若者が自ら創造していくことが大切で、大人が過干渉だったり、「真綿を絞めるように」
余計な監視をすると余計に、事態がこじれてしまうことがあるので、
「支援者の支援」を研究テーマにしている。
個人対個人という親密な関係を作る「訪問部隊」から、徐々に少人数グループ「若者衆」→社会人体験へと本人の心の変化やニーズに応じた「居場所」をサポートしていく。

なかでも、「若者衆」というのは、共同生活をする寮みたいなもの。
マニラ・NZ・韓国・ローマなど日本を敢えて離れて異邦人になることで、自然と自分を見つめなおし、他者からの視線に晒される不安を解消する作用があるらしい。

支援者の要素として、権威的な立場にある教育者や専門家であるよりも、近未来を示す自分の手本になるようなきょうだい・先輩的なボランティアや指南者など、斜めの関係が相応しい。

研究者たちは、今日的な問題を論文にすることが商売だけど、
当事者にとっては、自分の不幸を手玉に取られているようであんまり嬉しくなかったりする。
以前、論文の対象になって欲しいと依頼した方に逆切れされたことがあ
るから自明のことなのだ。
「妙に、対象者を病人扱いしたり、特別な腫物扱いするから余計に
おかしなことになる。」とも、萩原先生は、後半ディスカッションで
敢えて自然体な振りにも神妙な面持ちでドクターコースの大学生たちの
質疑に答えていた。

こんなとき、私はイジワルなことに緘黙になる。
コーヒーブレイクの前に、萩原先生がメモ用紙を配り、
「折角のフォーラムですから、いろいろ意見を出し合いましょう。
質問がありましたら、書いて提出してください。」
緘黙でも、書きたいことは遠慮なく書ける。

「大学院のプレゼンテーションで緘黙だったことをカミングアウトしたのに、それを機会に同期の先生方がよそよそしくなってしまいました。
親しくなろうと近づいても、疎まれてしまいます。
社会人になって15年以上も経つのに、居場所がみつからず、自明のこととしてなやんでいます。よきご回答をお願いします。」

これに対し、萩原先生の明確な回答はなかったが、博士課程の院生の質疑に対する応答に混じってほのめかすようなことは、こんな風に述べられた。
「オウム真理教の幹部や、ライブドアの取締役しても、昭和40年以降の
若い受験戦争に追い込まれたエリートたちの起した大事件ですが、
大人になっても、熟年離婚や自殺、孤立化があって居場所がないのは、全ての世代に共通です。管理された学校や会社などの組織ではない何気なく自然発生する仲間関係のなかで、緘黙なんていつの間にか治っていたケースもありました。スクールカウンセラーや臨床心理士が、病気とか予防的対応なんて仰々しく扱うとややこしい。文部科学省が、居場所つくり事業に平成19年度に140億円の予算を立てていますが、安易に騒ぎ立てるよりも、もっとデリケートに扱うべき問題なのです。」

私が質問をしていた若輩のスクールカウンセラーの背後からじ~っと見つめていたからかしら?
仕方ないもん。教職員の集うところでは、緘黙になっちゃうんだから。

人込みに紛れているうち、一人一人の人間の顔に嫌悪感も出てきて、
背中が痛くなってくる。
でも、私には少ないけど信頼できる友達も何人かいる。
緘黙なんて気にしないで、いつも通りに話せる仲間がいれば、
そして、今日も明日も、無事に1日終わったら、それでいい。
それをブログに書き留めて、誰かに読んでもらえたら、嬉しい。
そんなささやかなことでホッとできるようになった。

人間なんて本当は何もしてくれない。
でも、念入りに描いた絵や一生懸命奏でた音楽。
そんな人間が創ってくれた美しいものに癒されることが増えてきた。

H市駅前のK百貨店の前の花屋に雪割り草の鉢植えにも微笑んでしまう。
フォーラムの先生のコメントにはだんまりで、小さな蕾に呟いた。
「かわいい。」









2006/02/23 (Thu) 2足の草鞋?
昨日、試験を終了した今日から、9時半出勤になり、初期第1研修が始まった。
講師は引き続き教育係りの1歳年上のT課長。
朝のあいさつ、語先後礼が終わると、メガネをとって、あるものを見せてくれた。
「ちょっと疲れています。クマができちゃいました。」

そうだろうな~。転勤続で全国数箇所を巡ってK支社に赴任したばかりだそうだが、恐らく女性を見る目は肥えているのだろう。
「昨日のテストで疲れたかと思いますので、今日は挨拶や、マナーについて学んでいきます。」

私はこういうの、あんまり苦にならない方かもしれない。
まずは、ウォーミングアップにマナーに関する雑誌のコピーを配布されると、順に実技トレーニングを行なった。
「笑う門には福来る」が、今年のゆきんこのモットー

豊かな表情をつくる表情トレーニング
からだにある110の筋肉のうち、54もの筋肉が顔にある。
1~11の表情の作り方があるが、笑い皺の防止には、
10番の「イキシチニヒミイリイ」のイ段の発音と、
11番の「キウイ」「ウィスキー」のウィの発音がポイント。

笑顔になるには、口角をあげることが重要。
日本人の80%は生まれつき口角が下がっているので、意識してあげることが大切。
口角だけでなく、相手のよいところを見る、思いやるといった
プラスのこころを持って目も笑わせて。

笑顔の効能 
●表情には、共振作用という、まわりの人に影響を与える作用がある。笑顔でいれば相手も笑顔になる。
●笑顔になることで、自分の気持ちも自然と落ち着いたり、前向きになったりする。いつも笑顔でいることで、免疫力もあがる。
●笑顔で口角をあげると、若々しい表情になる。

次に、入社初期4ヶ月研修テキスト「ファーストステップ」(机上編)が配布された。
S生命の保険事業で最も大切なこと、これはT課長の好きなことばだと
仰っていたが、
「悲しみとともに貧しさが訪れないように」

清貧ということばもあるが、300年以上の確たる富と誇りを維持してきた
事業精神には、なるほど含蓄がある。

スミセイの社会貢献事業のなかでも、個人的に関心が強かったのは、
障碍をもつ方々のための特別に訓練されたアシスタントドッグの育成・普及支援だ。
この訓練の課程にも、行動分析学がふんだんに使われている。
私はまだ、ABAに関して素人感覚を抜け出せていないが、
動物の行動メカニズムを、いくつかの理論にまとめあげているから、
要は、身の回りの行動現象の見方がABA的に洗練されてくるのかどうか
というだけで、その理論に基づいて、望ましくない行動を望ましく修正したり、さらにいい行動のレパートリーを増やしていくトレーニングは、どんなことでもABAなわけだ。

私が元緘黙なのか疑わしい方もいらっしゃるだろうが、
私自身が、かなりABAの効果を実証した被験体と言えるかもしれない。

犬って本当に偉いなあ~。
盲導犬や聴導犬、介助犬というのがそうしたワンちゃんたちだけど、
人間の我々の方が頭の下がる思いさえする。
私だって、本業は障害児畑で生きていきたい。

昼食が、研修期間よりもグレードアップしてお味噌汁付きになった。
嬉しい!

「それがどうしたの?」というささやかなことにも嬉しいことや喜びを見出したい。

お味噌汁どころか地球の向こうには、食べるものさえままならない
飢餓に苦しむ人もある。
今はいいところしか見えてなくて、生命保険のの世界に眉を顰める
人もある。
案外、裏のWさんとか、家庭教師先のTさんが既契約者だったことは、
普段のお付き合いでは知らなかったことだ。

2時半から、正職員として登録する書類に署名・押印の手続きをして
夕方4時過ぎに帰宅した。
今日からルールが少し厳しくなり、退社時にもサインすることになったのに、初日の今日は、うっかり忘れてしまった。明日は気をつけよう。

今度は、Tくんの教材とカリキュラムの準備。
絵本に沿って、質問項目を考えた。後半は、前回の続きで粘土遊びをしようと1時間半かけて準備万端整え、再出発したはよかったが、
T家のインターホンを押して、自転車の前籠の袋をほどくまで気がつかなかった。
「あ!仕事の書類鞄と間違えた!」
「こんばんは。」
「ごめんなさい。家まで取りに帰ってもいいですか?」
「いえ、もうそのまま適当に御願いします。どうぞ中へ」

私のミスだけど、何もなしで何かやれというお題は、いくらなんでも厳しい…

しかし、こんなことも過去にはいくらでもあった。
「え~と、何か材料をお借りできますか?絵本と、新聞紙、それから
はさみと糊」
「新聞は先日廃品回収に出しましたが、ちょっと探してみますね。
絵本は、生活発表会でエルマーとりゅうをやったので今、好きなんです。」

「Tくんごめんね。忘れちゃったよ~。今日はTくんの好きな絵本にしよう。」
Tくんは、就学前にしては、なんだか小難しい集めの本を選んだ。多分、
小学校2年生くらいの内容だ。
例えば、「こんぶとわかめのちがい」とか、「絵地図を見て、目的地までのルート確認」だとか。からだの内臓の部位などだ。
でも、私が来るだけでTくんのヤル気が満々になるのは嬉しいことで、
1時間は殆ど座っていられるようになったし、知的好奇心も随分高まった彼の成長振りが、嬉しかった。

最後はチェーリングの輪つなぎきょうそうで盛り上がった。
「よ~し、Tくんに負けないぞ!がんばれゆきんこせんせい!」
「ぼくのほうがながいぞ!!」
「まって!Tくんはゆっくりやって。」
それから、Tくんは袖口からチェーリングを隠したり、マジックごっこに、最後は手錠に見立てて「ねこのけいさつごっこ」
「ゆきんこせんせいがどろぼうですか?」
「たいほする!」

この類はあんまりやりたくないごっこ遊びだけど、Tくんの社会性の広がりは充分に感じられる遊びに発展したのが嬉しかった。
2005年の2月にTくんの家庭教師を依頼されて、ちょうど1年経ち、改めて
Tくんの成長をしみじみ感じたひとときだった。

「お仕事はどうですか?」
「本当は、家庭教師を本業にしたいのですが、、、」
「だったら、そうしてください。保険の仕事は厳しいと聞いています。知人も外交員をしていて、結局もたなかったって… 」
「本業だけではとても食べていけませんもの。仕方ありません。」
「少々生活は苦しくても、本業に徹した方がいいのでは。」

また、こういうこと言われるんだから。

来週の星占いは、          
「知的好奇心が点火されそう。自分では意外と思う分野の知識習得が吉」
それって、保険の勉強ってこと?






2006/02/22 (Wed) 生命保険一般課程試験
昨日が猫の日だと思い込んでいたけど、今日の間違いだった×

今朝は、少し布団の中で寝坊して、生活ほっとモーニングを視聴した。
テーマは「患者の達人」
慢性疾患と上手く付き合いながら、医師も顔負けの専門知識を持ち、
処世術を究めている患者の紹介だ。
患者の達人になるには、いくつかの条件が必要だが、何と言っても
医師とのこまめなコミュニケーションと、生活を前向きに楽しむこと
が大切と、解説されていた。

臨床家や専門家はそもそもが当事者であることが往々にしてある。
言語障害の領域においても提唱者であるヴァン・ライパーや、ジョンソンといった吃音患者だった。

今日は、生命保険一般課程試験の当日。
試験会場は、大阪・北浜の大阪証券会議場
会場には、2番のりだった。最初に到着していたのは、Kさん。
「こんにちは。」
「こんにちは。受験票をお渡しします。会場に入る前に受付を済ませて
ください。明日は9時半出勤ですので、気をつけてくださいね。
それから、印鑑も忘れずに持参してください。」
「はい。ありがとうございます。」
事務のHさんの案内を受けて、他の受験者を待った。

「なんだか、緊張してきちゃった。昨夜もテストの夢見てなんだか疲れてるのかな。」
「夢の中まで勉強熱心ですね。大丈夫ですか?」
「私ダメなの。すごく緊張するのよ。」
「ええ?注射針射すほどでもないでしょう?」
「それは、慣れてるからいいの。」
私はAさんの背中を擦った。

毎月、いくつかの生命保険会社が合同で一斉に試験を実施しているらしい。もちろん、わたしにとっては初体験。

無防備というか、脳天気なのか初めての経験は何だか新鮮だ。
これも、ある意味年の功かな?と思うけど、緘黙だったなんてどこ吹く
風?と言う感じなのか、緘黙のみなさんからのアクセスは少ない。

私の場合、今、ここが大事。それも今日は試験当日だったのだから。
過去を忘れようとは思わない。でも過去は振り返ることはできても、
戻ってこない。回顧し出すと止め処なくメランコリックになる
泣いてばかりいた過去思考人間だった故の、今の私がある。

それでも、昨夜おさらいを終えて、布団に入ってしばらくしたら、
涙が滲んできた。どうしてか、「ことばにできない」感情ってあるのだ。

S生命の新入社員見習いの面々が他社の受験者よりも早めに揃って試験30分前に集まった受験者は、約60名ほど。
「他の保険会社でも、スカウトの仕方は同じですか?」
「うん、多分ね。」

毎月平均は100名の受験者で埋め尽くされるというから、今月は少なめ
だそうだ。
受付で受領印を押してもらった順に席に着いた。
10分前まで、最後にテキストのまちがいの多かった箇所を見直して、
気持ちの上では、いつも通りに落ち着いて試験に臨めた。

2~3問は、模擬テストにも一度も出題されていない問題もあったけど、マークシートだから2~3者択一で確立は30~50%の賭けだ。
試験時間は、1時30分から2時30分までの1時間、問題数は100問。
1回見直して、10分前に退室した。

ふと、新卒時代の医薬品卸会社のある営業マンのことを思い出した。
確か、N課長、ソニー生命に転職したんだった。
同業者になるのか・・・?

先に終えた仲間たちが待っていた。
「もう帰ってもいいんですよね?帰らないんですか。」
「まだやってる人を待っているんです。」
(へ~、もうすっかり仲良しなんだ。)

でも、その後のリアクションは悲しかった。
私も一緒に待っていたのに、試験を終えて出てきた残りの同期の数名は
どうしたか?
「お疲れ様」
声をかけたのに、私には目もくれず、素通りして、さっきの仲間の方へ
向かったのだ。そして、挨拶もせずにさっさと退散してしまった。

今日はぽかぽか小春日和なのに、背中が寒い瞬間だ。
女同士はこういうしょうもない、仲間を作ってグループが固定化してしまう。最近の研究では、既に仲間はずれというのは、幼児期から始まり、とりわけ女児は顕著になると発表されているのだから。
現役の幼稚園時代でも、経験済みだから今更、傷つくこともない。
もう、いい大人なんだから…

私が親しく話していた女性たちは、1人また1人と姿を消していた。
それでも、私ときさくに話をしてくれる人も全くいないではない。
北浜駅で三々五々に別れて、Kさんと特急の中で話した。

「私、なんかこの研修の10日間、ちっとも乗り気がしなかったのよね。
自動車免許を取るときは、お金もかけてるし、頑張って勉強したけど、
今回は家に帰って、時間を作れないわけでもないのに、めくってもみなかった。きちんとした格好も性に合わないしね。          正職員になれるということや、有給休暇があるのもいいけど、
何だか落ちてしまったほうがすっきりする気がしてるの。」
「合格したら?」
「悩んじゃうな~。落ちた方が、ああ落ちたんだって辞める理由が
できるから。」
「じゃあ、落ちたらどうするの?」
「それも悩むよ。とにかく落ち着かなくて不安なの。
早く仕事に就いて落ち着きたいよ。あなたはいいよね。独身だから縛られてないじゃない。子どもを抱えてると、身動き取り難いもん。」
「不安なのはわかるわ。私も母子家庭だったし、小学校時代は母も色んな仕事を転々としていた時期があった。とにかく、自分が落ち着いて
続けていけるのが一番大事だもんね。あとは、仕事の内容も自分に合っていれば、それでいいんだから。」
「そう。そろそろ着くよ。」
「明日、黙って休まないでよ。寂しいんだから…」
「フフフフ」

意味深なKさんの笑顔。心配だな…

駅を出ると、総合福祉施設の4階に寄り道して絵本を2冊借りた。
明日の夕方は、久しぶりのTくんの家庭教師の日だ。
「ねこくん みぎみてひだりみて」田中秀幸作 1988岩崎書店
「紙ねんどあそび」作 村上幸雄 久保たかし 1976岩崎書店

ついでに、市の自治会老人クラブの作品展も催されていたので、立ち寄った。
編み物、書道、人形、クラフト、などなど、さまざまな手工芸作品のプロはだしの仕上がり具合に目を見張った。

「あ、これは繭ですか?」
「ええ、すごいわね。」
「珍しい上に、これが絹の原料だと思うと、贅沢な作品ですね。」
「ほんと、そうね。」

足早に施設を出ると、今度は自転車に乗って、★支所へ顔を出した。
教育係のY部長と面談した。
「こんにちは。」
「ゆきんこさん、久しぶり」
新人のうちは、まだチヤホヤされているのがわかったし、単純に嬉しい。
会話がなくなって、シ~ン ちょっとしんみりする間もある。
新人の私にはまだよく見えてこないけど、どこの人間模様も
何もないわけないのかも・・・

でも、表面的でも歓迎されるのは、無視されたり仲間はずれにされるよりずっと嬉しい。
「試験はどうだった?」
「一度も解いたことがない問題が出ていました。クーリングオフだったかな?でもまあ、なんとか終わりました。」
「大丈夫だろう。」
「お茶にしますか?それともコーヒー?」
「じゃあ、お茶を御願いします。でも、もうお客さんじゃありませんから」

「それにしても、毎日人数が少なくなるので寂しいです。
昨日までがんばってた女性も、今日は来ていませんでした。」
「この時分は人数少ないし、子育て最中の女性は、春からの方が都合が
ついたりするものさ。」
「スカウトして採用するのはどうしてなんですか?
私、ここにくるまで、就職支援セミナーにも参加してたものですから。」
「色んな事情で続かなくなるのもわかるし、他にもっと大事な人生の目的があるのに、それを曲げてまでとも無理強いはできない。ただ、この縁をチャンスと思うなら、活かしてもらえれば、わが社としては嬉しいよね。 」

「保険の勉強をさせてもらったことはラッキーでした。何もわかりませんでしたし、知っておくと得することいっぱいあるんだなと。」
「そうさ。次は損害保険の試験が4月の上旬にあるからね。保険のしくみがわかって自分で最適な保険設計ができると、楽しくなるし他者との
比較もできるようになるよ。保険は、明日何があるかわからない。そのためにかけておくのさ。だって、過去は経験したからわかってるが、
明日のことなんて誰にもわからないだろう。」

「そうですね。私もここにこうしているなんて全く人生の予定にありませんでした。明日、ここにいるかどうかもわかりません。そういう気持ちでいます。H課長の生死の渕をさまよわれたという話も含蓄がありました。実はこの2月1日に従姉が亡くなったばかりというのもあって、今日無事に生きていることが有り難いことなんだなと。」
「あ、そうなの。辛いときに家族で支えあえればいいけど、他人は
なかなか口出ししにくいものだろう。せめて経済的にでも助けてあげられたら、役に立つじゃないか。」

「勉強では、相続の話も面白かったです。私、独身だから結婚した方が得なのかな?とか」
「既婚者の場合、子どもといえば、小さい子どもを想定することが多いけど、独身者は、法律上は子という立場だ。そうすると、大きく成人した子(独身者)向けの最適な保険の提案が君の場合は出来るよね。」
「はあ。いろんな立場の方々のニーズに適ったプランニングを考えるんですね。」
「保険商品も数え切れないほどあるけど、大変さの中に面白さを
見つけていければ楽しくなるさ。」

屈託なく気さくに話してくれる恰幅のいいT部長の人柄に好感が持てた。

保険の世界もどうやら底なし沼らしい。
それなのに、修士論文と2足の草鞋ちゃんと履けるんだろうか?
仕方ないのだ。私にはチョコレートを差し出す相手も、デートする人もない。

祖父に誕生した年の3月に買ってもらった同い年のお雛様は、
ガラス戸棚の中で、すましている。
ずっと変わらずに。
私の人生は日々変わっている。






2006/02/21 (Tue) ぼくは猫である
今日、2月22日は猫の日。

私は動物が好きで、犬もネコも飼ったことがある。

今日は猫の日に因んで、ゆきんこの高校2年生(17歳)に漫画研究会で描いた拙い作品をご紹介します。

題名は「ぼくは猫である。」
主人公は、当時飼っていたネコをモデルにしていますが、漫画ではクロネコです。
残念ながら、デジカメも携帯も無いので、画像をご紹介できませんが、
私の実物をご存知の方は、リクエストしてくだされば、この自作漫画もお見せしたいので、よろしく御願いします。

ある朝、おきてみるとぼくは猫になっていた。
ぼくはそれまで猫という存在に憧れ、できることなら
生まれ変わりたいとまで思っていた。

人間にかわいがってもらえるし、好きなだけ眠れる。
犬と違って家の中でかってもらえるし、
適当に食事にありつけて、
夜は月夜のおデート

こんなことを予想しつつ、ぼくはトライした。

「ニャオーン」(新聞を読んでいるお父さんのそばで)
「うるさいっ あっちへ行け!」(お父さんにけとばされる)
「ニャオニャオ」(ネぇー かわいがってよォ)とお母さんの足元で
スリスリじゃれる
「じゃましないでよタンゴ」(ちぇッ)お母さんに片足で除けられる

「しかたないからねよう」
ひとときの安らぎ…(ソファの上に寝る)
(そこへ男の子がやってきて、タンゴの上に座る)
「ギャオ~!」「あれ?」


「ったく…おちおち寝てられやしない」
「タンゴごはんよ」
「ニャオー(待ってました)」
ちょうどはらへってたんだ
「さあ、おあがり」

さっ。。。さかな!?

ぼくは大のさかなぎらいだった。
いくらはらがへっていても
これだけは願いさげだ。

そこでぼくはみんながねしずまっているのをみはからって
「ふっふっふ」(ニヤッとした悪巧みな顔)
テーブルの上においてあった肉に目をつけた。
「いただきま~す」(大口をあけて今にもかぶりつきそう)

ぱっ(暗闇に光る閃光)
「タンゴ!(肉をくわえた状態でギクッ)
ちゃんとえさをあげたのに 
どーしてどろぼうみたいなまねするのっ!!(追いかけられて逃げる)
もうおまえのようなねこはすてちゃうからねっ!!!」
(扉の外に締め出され、しっぽが挟まる)

ま、すんだことはほっといて
せっかくの月夜
ガールハントにアタックアタック!

「ヘイ!彼女ォ ぼくとあそばなーい?」(白い雌猫に声をかける)
「おう!貴様 よくもオレの彼女に手ェ 出しやがったな」
ま、まだだしてません

数分後。。。(タンゴはこてんぱんにやっつけられて泡をふいて倒れている)
「お見事でしたワ」
「はっはっ」

これが・・・これがぼくの憧れていた世界・・・?
(目を回して倒れている 星が宙を俟っている)
ニャオ ニャオ ニャオニャオ

「ん?」

ある朝、おきてみると、ぼくは人間にもどっていた。
ぼくは

「おこしてくれて ありがとう タンゴ」(やさしくなでる)

なんとなくタンゴの気持ちがわかるような気がした。


                          おわり


それでは、多数のコメントお待ちしています。

明日の午後1時は生命保険一般課程試験の当日です。もう少しおさらいしよう!

2006/02/20 (Mon) 保険のお勉強4
保険のお勉強も、3週間目に入り、いよいよ大詰め。
今日は、朝から夕方まで雨模様。このごろよく降るなあ。

気のせいじゃなく、入社説明会には30名ほどだった女性たちは、
日毎に減っていた。
「今日はまた更に少ないねぇ。」

席替えで、初めて隣合わせになったAさんと話した。
「あさっての試験会場の案内と受験票を確認してください。」
事務の女性が冒頭に説明した。
「北浜の商工会議所なんて行ったことないよ。」
「じゃあ、一緒に待ち合わせて行きましょう。」
「そうですか。御願いします。」

今日は、連続3回3時間まるまる模擬テスト。
問題の形式や出題傾向は掴めてきたが、マークシート方式のテストは
好きじゃない。
間違い探しのひっかけ問題でミスすると、たちまちに数点ロスしてしまう。

「う~ん、点数が伸びてこないな。間違ったところ確認して」
「はあ~い」

テキストを見て確認すると、前のテストでもまちがった問題をまた間違えている。

「ピンチだ!これは居残って勉強しないといけないかも。」
「そんな大丈夫よ。」
「でも、まだ一度も合格点取ってないんです。」
「あ~、ここ間違えた。」
隣のAさんの点数は、なんと95点。
「すごい!随分勉強したんでしょう?」
「まあね。休みの日にひたすらやったわ。その代わりお掃除も何にもしないで、全部旦那にやってもらっちゃった。」
「私もやったんですけど。」

…ボランティアに行ってる場合じゃなかったかな。
トリノオリンピックをちらちら見ながらじゃ、頭に入っていない。

お昼ごはんを食べながら更に会話した。
「Aさんは、どうしてこちらに来たんですか?」
「ああ、妹が所長なんだけど、忙しいから手伝ってって。」
「へえ、それじゃあ、合格したらきょうだいで同じ営業所ですね。」
「うん。でも、私仕事してるし、あんまり乗り気じゃなくてね~。」
「お仕事してるんですか?大丈夫なんですか?」
「パートなんだけど、おじいちゃんの介護なんかもあるから両立できるか心配だわ。」
「どんなお仕事ですか?」
「自営みたいなもんだから。」
「え?何だろう、ヒントは?」
「まあ、この保険に関連ある仕事よ。」
「看護婦さん?」
「そうなの。」
「それなら、わざわざ保険の仕事しなくっても…」
「あなたは?」
「私は、保育士でした。勧誘されるまでは自分の人生の予定にはなかったんですけどね。保険のお勉強したら?って誘われて。やってみると
意外と面白いと思いましたけど。私、病院でも働いていたんですよ。」
「そうなの。子どもも少なくなってるけど、いいお仕事なのに。」
「それが、いじめにあっちゃって。」
「いじわるする人はどこにでもいるもんね。女ってこわいね~。
でもね、最後には自分に一番合う仕事に戻るって」
「・・・・そうなんでしょうか。友達には今までの仕事はどうするんだって、散々言われたんです。確かに心残りはあります。」

飄々とした感じのAさんは、午後からの模擬テストも難なくクリアして、
さっさと部屋を出て行った。
彼女とは対照的に、2回ともテストを受ける別室に一番最後まで残って消灯していた私。

採点したT課長が言った。
「ゆきんこさん、ようやく合格点取れたね。」
「ヤッタ~!」
思わず、自分で拍手してしまった。
「もう帰ってもいいよ。」
「いえ、まだ安心ではないので、残って補講を受けます。」
というわけで、1時間居残り補講を5名が受けた。
時間の無駄のように思えるが、丁寧な解説を何度も聞くことで、
覚えなおすこともできる。

昨夜の母のことばも脳裏に残っていた。
「今までお金と時間をかけてきたことをやり遂げなくてどうするの?
障害児さんに献身することは、あなたにとって誇りだったんでしょう。
そんなこと許しませんよ。」
「今までどおりにはできないよ。だんだん年をとるのに。」
「それでも、誰かに伝えていくことはできるでしょう。このままじゃ
中途半端だわ。」

こうしてサボっている間にも、障害児さん向けの自分のスキルは、
クラリネットを殆ど吹けなくなるプロセス同様、鈍っていく。
今日も余計なコメントはI先生のブログに相変わらず書き込んでいる。

もう少し、勉強しなくちゃ。

2006/02/19 (Sun) 母と電話相談
昨夜午後9時 NHKスペシャル「気候大異変」を視聴した。
私は結構天気を気にする方だ。
高校時代も自転車通学で、現在も自転車通勤しているから、
その日、その時の天候には、敏感なのかもしれない。

番組では、アメリカの気象のエキスパートによる未来の地球シミュレーションで、将来の自然災害を予測し、今から対策を取ろうとしている。
昨年9月にアメリカのフロリダを襲ったハリケーンカトリーヌの原因は、
地球温暖化によるもので、100年後の地球の至る所で、起こりかねないという。
100年後の日本は、雪は降ることもなく、1月には紅葉、5月には海開きが
始まり、夏の季節は約半年で、冬はなくなってしまう。
真夏には熱波のために死者も続出するという。夏の間も昨日は20℃かと
思えば、翌日は35度という激しい温度差のために、体温調節が追いつかなくなるためだとか。

また、海抜の低い地域では、巨大な台風がもたらす高潮の被害で、
大勢の人々が高いサイクロンシェルターに非難しきれず、生き残るのは20%に過ぎないとか。

その未来の災害に備えて、世界各国が巨額の対策費用の備蓄は必至と
番組は警告していた。
やっぱり、「備えあれば憂いなし」かな?

我々、20世紀から21世紀を生きている世代は、いまだ嘗てない科学技術の恩恵を受けて、ぬくぬくとおいしいとこ取りをした栄華を謳歌した
世代かもしれない。
自分が生まれる前の昔のことも、死んだ後の未来のこともわからないけど、「自分さえよければいい」人々が増えすぎたために、
未来をめちゃくちゃにしてしまうのは、あまりにも傲慢のような気がする。

昨日のボランティアのようすを母に話すと、40年間保育にかかわってきた人だけに色々のブーイングが返ってきた。
「そんな小さい子どもたちに事故や怪我でもあったら一体、誰が責任を
取るの?だいたい、偶発的なグループで何の統制もとっていないなんて
危険極まりないじゃない。」
「お母さんたちも確かに無防備よね。初対面の人を信頼しきって、
赤ちゃんを任せるなんて。」

もちろん、みんないい人ばかりならいいけど、昨日のニュースのこともあり、世の中物騒になっているのは間違いない。
信頼関係が目に見えるとはどういうことなのか。

午後2時から6時まで、電話相談ボランティアをした。
今日の当番は、初めて母とペアになった。
前回、ペアを組んだY氏が午前の当番に来られていたので、早速話した。
「こんにちは。どう?その後どうしたか、心配してたんだ。」
「すみません。ご心配かけて。今は新人研修受けています。
水曜日テストがあって、90点取って合格しないと社員になれないんですけどね。」
「そう。がんばって!」
「ありがとうございます。」
「会社はどこにあるの?」
「近いんですよ。バス通りのTとかK方面へ行く道路の茶色の建物です。」
「ああ、あの辺ね。」
「昨日、保育ボランティアに参加したら、帰りがけに総合福祉施設の近くでばったりWさんにも会いました。」
「へえ、そうなんだ。」
「あ、2時になりましたね。」
「待ち合わせたんだ。もう行かなくちゃ。」
「いってらっしゃい。楽しんできてくださいね。」
「ありがとう。じゃあ、お先に。」

今日は、前回より相談件数は少なかった。
3日後の試験に備えて、「まちがいやすい問題集」を解きながら、答えあわせ確認した。

3時ごろ、1件目の電話のベルが鳴った。
「はい。こころの電話相談です。」

「禁煙を再開して3週間になりました。でも寒いし、気分が塞いで外出する気になりません。」
「そんなときもありますよね。春になったら気分も晴れて自然と外に
出かけたくなるかもしれませんよ。」

2件目は、初めて相談するという初老の女性だった。
「先日、退院しましたが、身体が思うように動かなくて些細なことで
イライラします。主人に話しても、私の世話ができなくて
『また入院するか』なんて言うんです。半年近くも入院してたのに、
とにかく、ずっと黙り込んで何もしないでいるとそれだけで
ストレスも溜まるものですから。」
こういう話は、自然「うん、うん」と相槌が多くなる。
「それは、本当にお辛いことですね。悩みを打ち明けられるお話し相手を探してみては?
もちろん、こちらにお電話くださって、気が晴れるのならお役に立てて
嬉しいのですが。ピア・カウンセリングというお互いの悩みを相談する
グループもありますよ。」
「どちらに問い合わせたらいいでしょうか?」
「活動の窓口がある総合福祉施設をご案内しましょうか。」
「ありがとうございます。」

2件とも、所要時間は30分くらいだった。
従来のカウンセリングは、ただ聞くに徹するというものだったが、
この頃は、あれこれ提案してすっきり電話を切ることもできるように
なってきた。

悩みのない人はいない。悩むから人間。
人間だから、笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり、妬んだり、
恨んだり。

私は、できるだけ笑っていたい。どんな人にも笑っていて欲しい。
自分が笑っていても、泣いている子がいたら気になって笑えない。
そんなのは幸せじゃない。

昨日のごちゃごちゃの保育室で笑っていたのは、障碍のある男性だった。自分から私に「アハハハハ。」と笑顔を向けてくれた。
でも、なかなか笑えないな。
困っている人や幸せじゃないと思っている人が多すぎるから。
地球は声を出さないけれど、悲鳴をあげている気がするから。

午後9時「地球大異変」の第2回が始まった。

2006/02/18 (Sat) 保育ボランティアでてんやわんや
今日もぽかぽかいい天気。三寒四温の春の気配を感じます。
雪が降るほどさむ~いのも楽しいけど、今年はあまりにも寒すぎたので、先月の光熱費はいつもより遥かに高かった!
因みに気象情報によると、開幕1週間のトリノオリンピックは、北海道稚内よりも高い緯度に位置しているが、最も低い緯度で雪が降るのは、日本の北陸地方だとか。

土曜日の朝9時15分からは、NHK総合の「くらしと経済」を最近しげしげと見ている。
今日のテーマは「医療保険」
高齢者の医療費が、近々1割から2割に引き上げられる。
一生涯のうちの医療費の半分は、70歳以降の高齢になってからかかってくるので、我が家も例外ではない。
既に両親は70代に突入しているので、ご本人は「病気になんてならへんわ。」と言ってるが、それじゃあ、なんでテレビを見る距離がじわじわと前進しているの?と嫁に行かない私は、思ったりする。

ついでに目下、保険のお勉強最中の私。
スカウトされたS生命の1押し商品の医療・介護保険が、ダントツに
売れていて、追い風が吹いている。それに伴い、営業社員の採用も積極的に行なっている。
元祖、辛苦を舐めてここまでの日本社会を築きあげた戦前戦中の年金世代も、安心した医療をこれから先も受けられるのかどうか心配なので、
「備えあれば憂いなし」と加入者がかなり増えているらしい。

無事に合格したらとりあえず、私も最適な保険に加入したいと
思っている。加えて、正しくためになる保険情報も随時アップしたい。

今日の午後1時から4時半まで、H市総合福祉施設で、保育ボランティアに
参加してきた。
この施設には、度々のイベントや図書コーナーを利用していたが、
施設内の保育室に入ったのは初めて。
13日月曜日に若いお母さん向けの「小児科医を囲む会」があり、保育ボランティアを募るメールが長くご無沙汰していたWさんから入っていた。
2004年の春から夏にかけてW氏がリーダーになっている地域の子育てや
教育を考えるメーリングリストに一時加入していたご縁だ。
予定も無かったし、元来はお子様だ~い好きなので、お受けすることにした。

保育室には、子どもよりも多いボランティアが既に集合。
興味深かったのは、中高生それも男子5名を含む10名とシニアの大人が
10名で20名。老若男女バラバラなメンバーと、対象児の殆どは3歳未満児
で、乳児さん含めて20名。

どうなるどうなる3時間?

お母さんと離れたばかりの全く知らない者同士のめちゃくちゃ保育の
はじまりはじまり
母子分離もままならない1歳代の子どもたちは、大人たちで埋め尽くされた雰囲気に圧倒されて、だっこされてもわんわん泣いていた。
「ママがいいよね~。」
たらい回しにだっこするのは、この場合よくない。
「とりあえず、マンツーマンでラポートをつけましょう。」

私は、即座に滑り台に張り込み(刑事じゃないんだから)
何名かの男児たちが、登り台のところでだんご状態。
「さかさのぼりはやめようね。」
しかし、何度注意しても逆さのぼりをやめようとせず、友だちの新幹線を無理やり取り上げようとしているKくんがいた。
はじめから、最後まで彼の言動にはずっと気になることが多かった。
もっとちゃんと観察しておくべきだったけど、とにかく聞き分けがなく、複数のボランティアが、仲裁しては「ダメよ」と言われているのに、人の持っているおもちゃを我が物にするまでそのしつこいこと。

後で、K君のお母さんに「子育て困ってるでしょう?」と聞くと
「はい。」と困り笑いで答えた。
一期一会のボランティアごときでは、医者でもないのにいきなり「ADHDかも?」なんてことは言えない。
でも、プロ中のプロのI先生には適わなくとも、13年間いろんな子どもたちを見てきたから、発達障害児なのか否かくらいは、かなり的中できる
自負心はある。

見知らぬ者同士でも、誰かが音頭を取らないと、ブラスバンドでも同じだけど、楽器を寄せ集めたからといって、コンダクターなしで、
ハーモニーを奏でられないのと同じだ。

中学生の男の子が、自分の好みでカワイイ子をだっこしているが、
急に抱き上げられたら、怖くて泣いている。
あ~、やっぱり子どもとかかわりの希薄な今時のティーンたちは、
本当に子どもの気持ちとか間合いがわからないんだな~と思った。

「その子、すぐにだっこされるとこわいって泣いてるよ。」
彼はスッと窓際にふてくされて離れたが、めげずに積極的にかかわっていた。できれば、感想を聞きたいところだったけど、
デリケートな思春期の男子とかかわるのは、自分の現役時代から苦手。

手作り絵本の「地獄のそうべえ」を数人の男子が一生懸命読んでくれたけど、聴いていたのは3歳の女の子1人。これにも唖然。
「これは、難しすぎるよね~。」
バラバラにブロックとか絵本とか広げて、めちゃくちゃ保育。

まだ歩けない1歳くらいのK君が泣き止まないので、気分転換にだっこして施設内をお散歩。
「ママどこですか~?」と言うと、この人はママを一緒に探してくれるんだと、小さい子どもは魔法にかかってくれる。
スーッとトイレに入って身障者用のトイレのドアのボタンを押した。
「スイッチオン」
ドアが開く。
「あら~、ママいませんね。」
ひとつひとつの大人用のトイレを除くのは、1歳の坊やにとっては、
大冒険!しかも、扉のなかをひとつひとつ除いたり、この月齢の子どもが感覚運動期の水場が大好きな時期なのも知っていた。

電動式の蛇口に手をかざすと、
「うわ!おみずでた!!」
これを繰り返すと、ついにKくんは笑い声をあげた。
「ウフフ面白いねぇ。Kくんもする?」
彼の小さいお手手を蛇口に近づけた。
水が手を濡らした。
「あ~、気持ちいいねぇ。」
彼は自分から手を伸ばした。
「もう一回するの?1・2・3ジャ~」
Kくんはすっかりハマッてこれを5回ほど繰り返した。

エレベーターであちこち出かけるのは、かなり学習しているのか、
ボタンのスイッチにもよく手を伸ばしたが、ことばはなくても、
充分指差しで、初対面の私に要求を出していた。
まさに、無料で社会性&コミュニケーションの診断テスト

休憩がてら、私も別室のママたちの学習会にお邪魔した。
生後10ヶ月のNくんも抱っこさせてもらった。
ママに似た感じの女性に自分から目を合わせてニコッと笑う。
「あれ?全然人見知りしませんね。」
「いえ、いつもはよく泣くんです。」
「へ~、今は泣いてないのにね。どんなときに泣くんですか?」
「ん~、どんなときかな?機嫌の良し悪しもあると思います。」
「他に困っていることはありますか?」
「この頃、断乳してミルクを飲まなくなったんです。」
「離乳食は食べていますか?」
「はい。」
「じゃあ、母乳と粉乳では味が違うのかも。離乳食を食べていらっしゃるなら大丈夫だと思います。」
なんて勝手に保育のアドバイスをしてみたりして!
でも、ことばだけでなく実際の場面をみないことには本当のところは
的確な助言ものだけど。

その点、助産婦さんとか小児科医の子育て話というのは、どれだけ実用的なんだろうか?

「うわ、おしっこで紙おむつボトボトだね。」
「はい。そろそろトイレットトレーニングしないと。」
「布オシメの方が、おむつ取れるのは早いよ。紙おしめは3年くらい
かかっちゃうから。」
「本当ですか?でも、布オムツ売ってないんです。」
「そんなことないよ。私、去年保育所で、おしめかえていたんですから。保育所に通っているお母さんにどこで買ったか聞いてみたら?」

3歳未満児の挨拶の上手なこと。
4時半にママが迎えに来ても、まだ遊びたい子もいたくらいで、
最後にはどの子も「バイバイ」と手を振って帰っていった。

帰りがけには、複数のボランティアさんと連絡先も交換した。
人口40万のわが町だけど、こうした一期一会がとても貴重だ。
「さすがに保育士さんね。ちゃんと滑り台についてくださって。
もっときちんとしたボランティアができればいいのだけど。」
「どうなるかと思いましたが、最後にはみんな仲良く楽しんでいましたね。プロでないことが反って息詰まりしなくてとても楽しかったです。」
「こちらは、地域通貨です。」
「ありがとうございます。ずっと前に市長への提言はがきでリクエストしてたんです。いつからできたんですか?」
「去年の12月頃です。M商店街限定ですが、お買い物もできますし、
ボランティアのギブ&テイクにも活用してください。」

登録用紙には、提供できる内容は「犬のさんぽ」「保育(障害児を含む)」と記入した。
してほしいことは、「英会話」と「園芸」
あ、ピアノでもよかったけど。

約半年振りに保育めいたことをやってみて、純粋に子どもたちと
かかわることが私の幸せな時間だった。
それだけでなく、赤ちゃんからお年寄りまで誰も知らない人たちの
集団があっという間に仲良しになれるコミュニティになるんだなと
それが一番、嬉しかった!

いたたた、背中と腰が突っ張っていたいよ~。





2006/02/17 (Fri) 保険のお勉強3
只今、午後7時のトップニュースは、長浜市の神照幼稚園児2名が、別の園児の母親に殺害されたと報じている。

理由はどうあれ、幼い命がいともたやすく奪われてしまう日本が
恐ろしくてならない。
私自身も、大人になりきれない大人だからこそ、パラサイトシングルを維持している。

2月の入社時研修も、2月8日が初日で今日、8日目が終了した。
今日は1つ年下のH課長の担当で、午前も午後も模擬テスト。
テストそのものには、慣れてきたけど点数は昨日よりも、実施する度に
70点台に点数が下がってしまった。合格点は90点だ。
これをクリアしないと、保険を取り扱う正社員として正式に採用されない。ブログを綴っている場合じゃなくてピンチ!

10日間の研修期間中、3日間欠席するとそのままリタイアしてしまう。
同じ支所にスカウトを受けていた隣の席のOさんは、とうとう
今日で3日目の欠席になってしまった。寂しい…
折角仲良くなれたし、彼女の従姉は私の同級生だったのに。

週明けから1人1人と出席者は減少していて今日は10名ほどだった。

保険のお勉強もさることながら、私にとっての醍醐味は、同世代
子育て最中のママたちとフランクな話ができること。
午前中、2回目の模擬テストが終わって昼食を食べながら
「私、実は夜に学校行ってるんだけど、週明けにレポートの締め切り
あるの。」
「すごいね。何を勉強してるの?」
「前の仕事は保育士だったでしょう?だから幼年教育とか、子育て支援のことなの。それで、皆さんちょうど子育て最中だからちょっと聞きたいんだけど、子育て支援にどんなリクエストがあるかしら?」
「やっぱり、病気の時の対応ね。職場に呼び出しの電話で保育所に迎えにいかないといけないのは困るわ。」
「ああ、そうね。なかなか休みを取りにくいもの。」
「保育所は預かってくれるからいいけど、学校が終わってからの時間を
どう過ごさせるかも考えるわ。」
と10歳の女の子のママ。
「夕方も遅くまで預かって夕食も食べさせて欲しいとか、朝もアメリカでは、7時から開いてて、キャフェテリアで朝ごはん食べられるように
なっているらしいよ。」
「そりゃ、ラクで助かるわ。」
「でも、家に帰って寝るだけなんて、働いている間も子どもとかかわってないでしょう?私は保育士だったから、ずっと子どもたちと長い時間
一緒だったけど、ママがいい~!!
と泣かれると、ママじゃなくてごめんってかわいそうでね。
お母さんにもよるんだけど、子どもの気持ちになったら早く迎えに来て欲しいのに、仕事のない土曜日も預けに来る人もいたからね。」
子どものいる3人の女性たちは顔を見合わせた。
「私は、子どもを公立と私立の保育所に預けてみたけど、私立の方が
保育所の先生たちの取り組みが熱心でよかったと思うよ。」
「ふ~ん。」

結局、あんまり情報収集できなかったけど、働く母の方がそうでない
専業主婦群よりは、子育てにがんじがらめになってなくて精神的な健康状態はいいみたいな気がする。

休憩時間が終わって、H課長が冒頭に雑談を始めた。
「僕は、2歳と5歳の子どもがいるんですが、バレンタインデーに
子どもの発表会があってね。見に行きたいけど仕事があるからいけないでしょう。それで、幼稚園でDVDを発売してるんです。でも、ウチは
DVDプレーヤーがないんですわ。」

課長とか部長である前に、私にとっては、家では就学前のお父さんなんだということに興味がある。
だって、家庭教師先のパパとか、友達のパートナーと接するときは、インフォーマルな領域で子育て支援をしてきたせいもある。

只今、トリノオリンピック フィギュアスケート男子シングルフリーで
ロシアのプルシェンコ選手が、滑走中。
日本人には天然の亜麻色の髪と蒼い瞳は憧れちゃうな~。
8位に終わった高橋選手は、「納得いかない部分がいっぱいです。」と
舌を出していた。

それで、課長の談話の続き
「私ごとばかりで恐縮なんですが、僕は2年前に生死の境をさまようほどの病気になりまして、今はお陰さまでこうして元気になったんですが、
幼い子どもがいますからね。やっぱり、万が一の時には遺せるものは
遺してやりたいと心底思いました。でも、元気なうちや若いうちは、
自分や家族にもしものことがあるなんて思わないでしょう?

でも、日本では自殺も多いですよ。自殺の一番の理由何だか知ってますか?」
受講者の1人が答えた。
「借金ですか?」
「そう。色々サラ金借りて、あちこちに借金返済のための借金を重ねて
いく。最後はトイチみたいなところにまで足を突っ込んで、クビが廻らなくなるんですわ。」

他の部長の談話も面白いのをいろいろ聞いた。
T部長の担当は、バレンタインデーだったんだけど、開口一番憮然と
こう仰った。
「僕はバレンタインデーが大嫌いなんです。
昔からチョコレートを食べられなくて、見るだけで吐き気がしておなかをこわしてしまうんです。娘からは代わりにお煎餅をもらいました。」

肝腎の保険の勉強よりもその方が面白いから、ちっとも頭に入らないんだなあ。

論文の構想もボチボチ考えないと…
仕事と学業の両立はユルクナイ。でも、子どものためにせっせと
働いているお母さんたちとは大違い。
でも、生きるためには学費も交通費も自分で稼がなくてはならない。

何のために社会人になって学校へ行っているのか?
緘黙症のこと、発達障碍のこと、ABAのこと、子育て支援のこと。
ひとりよがりかもしれなくても、それを論文という形にしたい。
でも、どうやって?

また緘黙になるかもしれないけど3月の障害児研究会に出かけようと
思っていた。
2月25日には、教育フォーラムにも出かけるつもり。

さて、もう少し保険の勉強のおさらいをしよう。
落ちてしまったら、また路頭に迷わないといけないもの。





2006/02/16 (Thu) 保険のお勉強2
今週に入って、春の気配を感じる。
週明けの確か13日(月)のニュースで、ねこやなぎが芽を出したと
言っていた。

昨日も今日も雨で、かっぱ姿で自転車通勤。

夜の大学院も昨夜で最後の集中講義が無事に終わった。
4月7日までは、後期休業になる。
「大学教官はいいな~休みで」と、一般の皆さんは思うかもしれない。
でも、そうではない。大学の先生は、誰も教えてくれないことを、
常に研究開発していなければならなくて、実質、侵食はもちろん、命を削るような多忙振りである。そうしてまでも、好きでなければ、できない。あるのは誰にもできないという使命感とか、ステイタスとか。


しつこいようだけど、10年以上も続けてきた障害児業界には
まだ未練たらたらで、それでも未知の生命保険業界を何となく
楽しんでいる自分もいる。

22日の「生命保険一般課程試験」テスト当日まで、あと一週間。
知らなかった生保の世界が徐々にクリアになってきた。

10時に出勤して、午前中2時間、休憩を挟んで午後2時間で3時までの研修だ。
トイレ休憩の僅かな時間に、手を洗いながら同期の新入社員の女性同士でよもやま話。

「あの、お子さんは?」
「私、独身なのよ。ここ数年そう言われているから、やっぱり子どもがいるように見えるのね。」
「そうですか!なんだかお母さんって感じがします。」
「今まで保育士をしてきたせいかな?」
「私も、この前男の子にオバサンって言われてショックでした。」
「初めて言われるときってそうでしょう?子どもいる友達は、
オバサンじゃなくて、○チャンのママって呼んでもらったり、
私もゆきちゃんて、ファーストネームで呼んでもらってるの。」

女性の顔触れも色々。保育士の世界よりも以前の職業がバラエティに
富んでいる。
工場で作業員をしていた人、司法書士を目指していたけど、断念した人
子どものために学費や生活費が必要になった人。
脱フリーターかな?みたいな若い女性たちなどなど。

教育係りの男性管理職の目も何となくシビアに光っているけど、
共通しているのは、どなたも通常町で見かけるオーソドックスな
男性に比べると、遥かに紳士で女性の扱いや社交に長けている。
充分、学校の先生になれる素養を持っている。多分、現職教員よりもずっと。。。
それだけ、社員教育と人材育成に投資できるお金と時間の余裕が
たっぷりあることが、追い詰められている教育業界に比べても
明らかだった。

なぜ、面白いと感じる余裕があるのかは、以前の障害児業界よりも
ずっと肉体的、精神的、経済的に全てに於いてラクチンだからだ。
尚且つ、生保の世界にもABAで学んだことは其処ここに見え隠れしていた。
何と言っても美しい人間関係のよさ。これに尽きる。

人間関係が良ければ、少々の仕事のしんどいことは乗り越えていける。
そうでないのは、夫婦でも家族でも親子でも最悪。
だから続かない。

福祉や教育界という人とかかわる仕事に於いて関係の悪さから逃れられなくなってしまうのは、耐えられなかった。
もちろん、どんな仕事に就いたってあらゆる人間関係から逃れられる筈はない。だから少しでも良くしていこうという努力や歩み寄りが
どこまでできるのか。

それが、新しい職場での私自身の課題のように思う。

午後には第1回目の模擬テストが60分制限であった。
採点は、83点。
正誤の間違い探しで、ことばの綾を見つけ出すのにケアレスミスが
いくつかあった。
合格点は90点以上だから、自宅に帰って練習ドリルをしながら誤答問題の再確認もした。

「なんか子どもにテストの点悪くても、偉そうに叱ったりでけへんわ。」
私の斜め向かいの女性が答案を見ながら笑って言った。

昨日から確定申告も始まったので、母と頭を突き合わせて、所定用紙に
数字を書き込んだ。

平成17年度の私の所得は、過去最悪だった。
女性の収入は結婚したり、仕事を辞めたりするとどんなにがんばってみても男性の半分にもならない。
改めて所得の少なさに、母にこう言った。

「今だから言えるけど、前の市職員たちが辞めた方がいいと言ってくれたのは、善意だったかも知れないね。」
「そうでしょう。この欄を見て。配偶者控除とか、寡婦、寡夫控除は
あるけど、独身の場合はないわよ。結婚しないと損だってことじゃない。」
「うん。保険の特約も、配偶者が優遇されてるよ。」

睡眠時間も少なくなった。今までが寝すぎだったんだけどね。
でも、今までの仕事とこれからの仕事、どうにかしてつなぎ併せたい。

さて、そろそろ寝ます。
お休みなさい。






2006/02/12 (Sun) 第12回 吹奏楽フェスティバル
午後1時過ぎ、母の誘いで市民会館で開催された吹奏楽フェスティバルを
鑑賞した。

学部で専攻した心理学も、部活に青春を捧げた吹奏楽も、私の現役当時よりも遥かに現在の方がずっともてはやされているのも驚きだけど、
私って先見の明があるのかも?

出演団体は、H市内と隣のK市も併せると17団体。
開演して1番目だった最短距離にある母校N中学を見そびれてしまったけど、それ以外は殆どの団体の発表を聞いた。
1団体につき、2~3曲20~30分間が、17団体だから、さすがに最後の方は、聞きくたびれたという感じ。
だって、7時前までみっちり6時間も聞きっぱなしだったんだから。

小学校から社会人バンドまで、曲目もたくさんあったけど、
たった4年間の吹奏楽時代に演奏したなかにも、半分くらいは、
演奏した記憶のある人気ナンバーも含まれていた。

Rex Michell  「大草原のうた」
J.バーンズ   「アルヴァマー序曲」
バーンシュタイン 「ウェストサイドストーリー」

母校H高校ブラスバンド部は、和泉宏隆「OMENS OF LOVE」
どれも思いで深い曲だけど、この中では、オーメンズ オブ ラブが好き。

社会人になってから、10年前に入ろうかな~と思っていたベアーズブラスというバンドも参加していて、
10年前に1度見学に行った頃と比べて、メンバーも趣向もすっかりゴージャスになっていた。

その頃なら、吹奏楽団の仲間同士で結婚したMくん夫妻の披露宴で
演奏できていたから、まだクラリネットも吹けたかもしれない。

「吹きたくなったでしょう?」
「そりゃあ、生演奏聴いたらね。だめだよ。ブランクの方がずっと長いし、また始めるとなると毎日2~3時間は練習しなくちゃ。
論文も書かなくちゃいけないし時間ないよ。」

本当は、絵を描くのと同じくらい音楽が好きだ。
聴いているのはつまんなくて、やっぱり演奏したくなる。

中高時代は、父が仕事をせずにずっと家に引き篭もっていた。
父に気兼ねしなくてはならなかったので、音を鳴らすなんてことはできなかった。
社会人になると、これまたバンドに所属して演奏活動を続けるのは
至難の業だ。
仕事と家庭、色々の柵の中でなかなか純粋な趣味の時間は持てなくなる。

それでもゆきんこは、まだまだ我侭贅沢な自分の時間がたっぷりある
我侭なシングルだから、子育て真っ最中の同年代の女性たちにはやっかみを受けそうだ。
仕事柄、専業だろうと兼業だろうと主婦は、エンドレスのUNPAYED WORK(報酬のない仕事)であることを知っている。
それも仕方がないんだ。だって男性恐怖症なんだから。

聴衆は、老若男女さまざまで、出演者の家族、友人、知人で、ホール
いっぱいに埋め尽くされていた。
ステージの上は、現役女子中高生で殆ど占められていて、ちらほらと
男子生徒の姿が、トランペットとかパーカッションあたりに見える。
指揮兼顧問の先生は、殆ど男性なのにね。

一番卒なく、音色も美しかったと感じたのは、ここ2~3年吹奏楽コンクールで金賞を連取しているT大学付属G高校の演奏。

唯一の小学生バンドもなかなかの腕前だったけど、演奏に余裕がない感じがした。

いずれも、拍手の大きさが上手さのバロメーターかな?
吹奏楽の世界から遠ざかって久しいけど、一緒に舞台に上がったり、
ハーモニーを奏でた友達とのつながりは今も貴重だ。

当時はステージでの座奏だけでなく、ドリルショーという立位で行進しながらフォーメーションを作って見せるなかなかハードな演奏もこなしていた。
バレンタインデーが近いので、もう時効になったからちょっと白状すると、2歳年上のドラムメジャーのY先輩が好きだった。
勇気リンリンで、告白してチョコレートも渡した。
その場で即座にあっさりフラれた。
その時のY先輩のことばも思い出した。

「俺はKさんが好きなんだ。ゆきんこ、泣かんといてな。」

Y先輩の前では泣かなかったけど、しばらく立ってから泣いた。
なんで、私じゃなくてKさんなの?

家事や子育てで毎日、追われるような生活をしている同世代のみなさん。
貴女にも、ちょっと昔は素敵な王子様がいたでしょう。
明後日は、バレンタインデーだから女学生気分で目の前のパートナーと
愛のことばを囁き合ってみてはいかがでしょうか?

ちなみに、わたしの恋占いは、
「こびないあなたの本来の美しさが輝くとき。自信をもってアピールを」

う~ん。いつも自信ないの。
誰だって振られるのいやじゃない?


2006/02/10 (Fri) 保険のお勉強
今日は、昨日よりも暖かかった。午前中は、曇り空だったのが、午後には快晴になった。

いよいよ9時間後にトリノオリンピックが開催される。
一昨年の、アテネオリンピックの期間限定2週間で、K保育所で正職員が病休している代わりにアルバイトをしていた。
お盆休みは返上で、乳児室から年長幼児さんまで全ての保育室を回り、
お掃除、後片付け、ゴミ捨て、保育、本の整理、そして午睡、
オリンピックごっこの金メダル作りなどなどをしていた。

辛うじて子どもたちと一緒に登り棒にも登れたし、子どもの頃できなかった竹馬を子どもたちに教えてもらった。
身体は加齢と共にキツくなるけど、子どもたちと笑ったり遊んだりするのは本当に幸せだった。私の天職だと思っていた。

2005年の今頃は、毎週土曜日の夕方に自閉症の女の子の家庭教師をしていた。H市は、天皇家の縁の地でもあり、なぜか起伏の多い町だ。
ちゃんと調べないとはっきり言えないのだが、堺市にある仁徳天皇稜並みの大古墳があったらしいとちらっと聞いたことがある。
既に住宅地が密集しているため、発掘調査がなされないままになっているので、定かではない。
彼女のお宅へ行くのにお菓子の箱に、手作りの七つ道具を揃えて、
自転車で小1時間、2004年アテネオリンピックの頃から真夏から真冬も、丘を超え、急な谷を超えて行った。

その時、なぜか音楽やCMソングの好きなゆきんこは、自然口ずさんでいた。
「♪★セイのおばちゃん自転車で、笑顔を運ぶふるさとよ」

2月8日(水)に入社式を終えて、S生命保険の新しく仲間になりつつある20名足らずの女性たちとも、少しづつ親しくなってきた。
同じH市付近に住んでいる共通項もあるけど、年齢もそれまでの人生も
バラバラ。蓋を開けてみると、訳ありな人も多い。

元々、生保の女性は未亡人だったり、バツイチだったりの女性の救済も兼ねている、言わば互助会みたいなものである。

新卒時代に、総合営業職に就いて営業フォビア(恐怖症)になったのと、心理学を活かした仕事に就きたくて、お給料も処遇も悪くても構わないと覚悟を決めて、元聾学校の先生が開いた私塾の社団法人で、
自閉症の療育指導員になった。
父から最後の虐待を受けて、会社を辞めて指導員になった。

ボランティアに毛が生えたようなお給料。
誰にも褒めてなんかもらえなかった。
土日もバザーの露天を出したり、廃品回収などもしていた。
今でも、いざとなればその仕事に戻ったって全然構わない。


複数の方々から「勉強好き」と称されている私にとって、
保険の知識は知っておいて損はないと思った。

講師は、私と同年代の課長や部長。自己紹介もそれぞれに個性的で意外に面白い。
特に、今日の午後から担当だった1つ年下のM課長は、愛嬌や駄洒落やユーモアもあって内容よりもパフォーマンスも面白かった。

「午後から眠くなってくるけど、がんばってね。せっかく同期で入ったし、テストに合格せんと、お給料ないからみんなで受かろうな。」

しっかり、みっちり教育してくれるし、比べたら何だけど、会社勤めを
するのは、初めてではないのと保育の世界ではお父さんが滅多に
来ないから、企業で働く同年代の男性に今まで知らないことを学ばせて
もらえるのもちょっと新鮮だ。
1960年代の働き盛りの30代~40代の男性たちは、バブル期に複数の会社から内定をもらっていた「青田狩り」と言われた世代だが、同時期、男女雇用機会均等法が施行されたにもかかわらず、これは相変わらず女性にとっては絵に描いた餅みたいに効力のない法律だ。

元来お人好しで、根っから子ども好きだからまあ、いいんだけど、
もしも男に生まれていたら、今頃はこんな風に課長くらいにはなって
部下を指導していたんだろうな。

保険の営業業務に先立ち、誰彼なしに取り扱える商品ではないので、
新人研修が、8日(水)の入社式の後、午前10時から12時10分と午後12時50分~15時00分のスケジュールが、22日まで詰まっている。

8日の夜は大学院で、子育て支援の集中講義が始まった。
1時間以上早く着いたので、図書館に入ると、去年の前期の共通講義「人類と科学技術」で受講していたIさんに会った。
「久しぶり。元気?早いじゃない。」
「今日はゼミがあるんです。」
「もう研究論文のテーマ決まった?私はまだなんだ。」
「自分の興味のある論文を今、PCで検索してるところです。」
「へえ、数学の論文ってどんなの?」
「これです。」
Iさんは、プリントを見せてくれた。
「章立ては、心理学と一緒なんだ。でも、数学記号は全然わからない。ありがとう。」
「どうしたんですか。いつもと違うフォーマルな格好ですね。」
「ああ、実は今日、入社式だったの。何の仕事だと思う?」
「ん~、保険…ですか?」
「当たり!どうしてわかったの?」
「父親が損害保険の取り扱い店をしているんです。でも、ゆきんこさん
今までの保育士の仕事よりずっと向いてるんじゃないですか?」
「Iさん、鋭いね。」
「私も色々苦労してますから…」
「ずっと若いのにしっかりしてるね。」

6時30分になり、K市のある小学校の校長先生の実践の話を聞いた。
受講生の教育者たちが、それぞれに自己紹介をしながら出席を確認した。
「ゆきんこです。これまでは療育指導員やアルバイトで障害児加配保育士をしてきました。10月から失業していましたが、今日、支社長面接を受けて入社式を済ませてきました。」
そのことばに、私の前列に座っていたベテランの公立幼稚園の園長たちが、ビクッとして一瞬振り返った。

どの保育者も、はっきり口には出さないが、今時の幼保一元化、地域の子育て支援に頭を抱えて悩んでいた。

「楽しい子育てができる親育ちのために、みんなで子育てをサポート
する工夫と発想の転換が必要です。お父さんも一緒に協力する。育てるのはできても、子どもを産むことだけは男には到底できない。出産して味わう母と子の絆は、女性にしか経験できない醍醐味ですからね。」
「先生、もしも将来、医学や科学技術が進歩して男性も子どもを産めるようになれば、先生は妊娠出産したいと思われますか?」
「そうですね。是非、産んでみたいな。」
「ジャンケンで負けたほうが産むということなら、男女もフェアーになるという意見も聞いたことがありますから。」

また、墓穴を掘ってしまった。

不思議だけど、同窓の大学院のベテラン教職員たちが何だか
くたびれて色あせて見えた。
お父さんも一緒に子育て支援といっても、お父さんたちは、一体どれくらい自宅にいるんだろう。
夫婦で、親子で、話す時間さえないのに。
午後10時から11時にかけて、どうして電車の中でいびきをかいて寝ているおじさんたちに混じって、帰宅しないといけなくて、
大学教官たちも、夜の学校で教鞭を取って教員から授業料をせびり取って再教育してるけど、くたくたなのに、お給料は全然増えていない。

昨日は、意を決してM市の障害児教育研究会に出かけた。
電車を4本乗り継いで、片道3時間半かかる。
1月は、O養護学校のオペレッタの発表だったらしいが、今回はざっくばらんな「お悩み相談」

当事者抜きでお悩みをうだうだ話していて、いい方向へ向うんだろうか?
1年ぶりに参加した幽霊会員の私を知る人はなく、今回で参加は5回目だった。話を聞きついでに無駄な交通費と会費と時間を費やしてきた。
なぜなら、ここはわたしが未だに緘黙に陥る場所なのだ。
孤独感や疎外感が押し寄せ、背中が疼いて黙り込んでいく。

目の前には、I先生の研究室の愛弟子さんたちが神妙にI先生もどきに
話に聞き入っている。
参加者は、1年前と比較して少なかったが、20名ほどの参加者のうち、
男性の教職員が半数も占めているのが印象的だった。
ADHDを含む発達障害児、者の殆どは男性だから、重篤な行動障碍や、
非行、犯罪にまで陥った場合は、最終的には女性の体力は及ばなくなってくる。

彼らは、特別な教職者でありながら、場合によっては、警察官や自衛官医師や弁護士のような資質も同時に併せ持っていなければならない。
一定の収入とステイタスを除けば、まさに物好きでなければできない
選りすぐりのタフマンと言えるかも。
ちょっとカッコよく言えばね。

そこまでヘビーになる前の早期発見、早期療育は昔から叫ばれてきたけど、緘黙程ではなくても、まだまだ社会認知度は低く、誤解も多い。

だから、悲しいけど女性に生まれた私の力の及ぶところではなかった。

鞄の中には、高校時代に漫画研究会で描いた[MISPRINT]やサムゲタン、
包装された料理の小道具「野菜美人」を入れていた。

7時50分頃、遅れてI先生がお出ましになった。
「いつも当事者抜きでの真の願いやニーズがなかなか出てこないうちに
議論が中途半端になってしまうからなあ~。」
「いっそのこと、10日間泊り込みの合宿で徹底討論したらどうですか。」

8時になって、入り口で一礼し、誰にも気付かれず会議室を出た。
誰にもすれ違わずに1人真っ暗な夜道をとぼとぼと駅に向う。
8時20分に着いた最寄り駅の神戸電鉄恵比寿駅は、単線でホームにも誰もいない。
10日間合宿だなんて、一晩も徹夜できない私には無理!
でも、何か役に立ちたい。

自閉の人々は実はとても純粋で健気な人たちだ。
私なんかよりもずっと普通の人たちを恐れている。
彼らを正しく科学的に理解し、かかわらなかったために、
ハンディキャップは雪だるまのように膨れていく。

そんなに気にしなくても、世間一般の人たちは誰も気にしてないからと言う意見もある。
でも、それだけの事情がプロじゃなくてもある程度わかっていて、
緘黙に陥ったままじっとしてるのは、あんまり役に立たないとか、
もう辞めてしまえとか言われても、背中が疼いても、生保の仕事に就くことになっても、頭から離れることはないだろう。

2006/02/07 (Tue) 支社長面接
「はい。どうぞ。何だと思う?」
午後4時50分
母が、生暖かい半透明の汁の入ったグラスを差し出した。
「ゴーヤでしょ?」
「ぐ~っと一気に飲んで。」
うう、まずい!

今日は昨日よりも30分早く起床。
徐々に、働くモードに入ってきた。
9時半に自宅を出発した。
途中、交差点で偶然、家庭教師先のTさんと擦れ違った。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「いってきま~す。」
Tくんを自転車の後部に乗せていた。
もしかしたら、通院かも?

昨日の午前にも来社したS生命の支社ビル。
昨日のランチの時に、同期になるOさんと約束し、一緒に面接を受けようと待ち合わせた。

「おはよう。ごめん。待ったでしょう?」
「ちょっとね。席取っとくから。どっちに座る?」
「窓際。」
「わかった。はんこここに押してね。」
コートを脱いで、指示通りに行動した。

今日は支社長面接の日。
番号札の先着順に並んで、面接を受けるのだが、早い順に終了すると
教育係のT課長が言っていたので、それを見越して、定刻よりも少し早く
来社した。

面接の役に立つかな?と思って気休めに杉山先生の「行動分析学」の単行本と、先週1月31日(火)のABA特講で使った資料
「第24章 ペイ・フォー・パフォーマンス」を時間まで広げて読んだ。
pay for performanse とは、
「報酬(賃金やそれに代わるもの、ご褒美)が特定のパフォーマンス(達成)に随伴して与えられる仕組み」である。

定刻の10時になったが、なんだか女性の数が減っている。
昨日は30人は5階の同じフロアにいたのに、今日は半分くらいの
18名だった。
私はOさんの次で、9番目。

昨日に引き続き、初めは互礼
「わたしの顔をみてくださいね。大事なアイコンタクトの時間ですよ。」
にんまり笑って若手ホープという感じのT課長が、メガネの奥の目で
女性たちにさりげなく喝を入れる。
氏のやや迫力ありげなアプローチに閉口したり、お試しやいっちょかみらしい女性陣は、昨日の時点で早くもリタイアしたみたい。

「え~、面接の前に、ホワイトボードを見てください。
失礼します。御願いします。ありがとうございました。
これらの挨拶をきちんとして入室してください。支社長のT氏は、鹿児島から赴任されてまだ4ヶ月ですが、気さくで優しい方ですので、リラックスして応じてください。
明日、入社日の連絡ですが、電卓を持参してください。
それから、身だしなみをきちんとして仕事をする服装で来てください。
ジーパン、綿パン、Tシャツ、ミュール…これは、今流行りのサンダルのようなスニーカみたいな履物ですね。運動靴も禁止です。」

はあ~、今まで保育士業界で普段着にしていた服装は、ご法度か。
10年以上愛用してきた膝に穴の開いたジャージもおさらばかな…

相手に不快感を与えない清楚な身だしなみなんて基本中の基本という気もするけど、昨今の子育て事情からすると、この時点で厳しいな~、うるさいな~なんて挫折する人もいるんだろうな。

初めの6人が面接を受けている間、待機者はなぜか、「和田アキ子」さんの初心者心得のビデオを視聴した。
「ここからだと、遠いよね。」
「いえ、大丈夫です。見えます。」

画面の中のアッ子さんは、もっともらしく叱咤激励していた。
「これだけは初めに言っておくけど、厳しいことも仕事のうち。
先輩を見習って余裕を持って楽しみながらいこう。
その人を憎むより優しくしてあげたい。
ファイト・ガッツ・根性・正直さが大事。
他人に迷惑をかけると、会社・仕事・仲間に影響するから輪が大事。」

ふ~ん。これも、心理学的にはサブリミナル効果大だよね~。
何人かの友人の意見も参考に飛び込んでみたけど、
結局、結婚もなんでも、未知の世界を実際に経験して、自分で手応えを
掴むのが人生だから、
何がいいと言って、常に前向きないい発言をする社員の姿勢に好感が
持てたのと、「人間関係の良さ」それに尽きる。

次の7番から12番の新入者の面接の番が来た。
「ゆきんこさん、今の気持ちはどうですか?」
「ドキドキしています。初めて支社長にお目にかかり、お優しくて
気さくでいらっしゃるので、一目ぼれしました。」
「そんなこと言われたら、どこに隠れようかなぁ…」
K支社長は、机の下に潜り込むポーズを取った。
私も、ちょっと言いすぎたかな… 反省

「Bさんの勧誘で来られたのですね?」
「はい。ハローワークの前でお会いしました。」
「そうでしたか。彼女は足に障碍をお持ちですが、そんなことを気にせず、ひたむきに頑張ってくれています。」

小さい子どもがいる女性にも配慮してくれるところが、
多くの女性営業員を束ねるトップの寛容さが自然とにじみ出ているように感じた。

「何か質問があれば、お伺いしましょう。
この仕事はね、仲間と競い合っちゃいけません。昨日の自分と明日の自分を比べる。その方が、身についてくるんです。」

「難しい仕事で、一挙手一投足でできるとは思いませんが、そのような
心情を、支社長ご自身はどのように心がけて社員に奨励されていますか。」
「うん。この仕事は、お客さんのニーズをどれだけ的確に捉えられるか
に掛かっている。その能力は、女性の方が長けていると思うんです。
できれば、私が直に全てのお客さんにお会いして、伺いたいけど、
この地域に関しては、まだ4ヶ月で何も知らないでしょう。
だから、よく知っている女性の貴女方から教えてもらうしかないんですよ。本当は、僕が全部見て回りたい。それができないから僕の分もがんばって欲しい。そんな気持ちで励ましています。答えになってるかな?」

性別を超えたところで人間性に曇りのない人物は、こんな素晴らしいことを何のてらいもなく言えるのだなと、感銘を受けた。
それに、正直であること、挨拶を励行することも幼児期の課題なんだけど、ベースがしっかりしてるというのは、「人生の地震」にも揺らがない包容力と自信に満ち溢れている気がした。

面接を一緒に受けた女性の中には、出産で退社したが、再入社という
女性もいた。
「また新しい気持ちで、新入社員として取り扱いますので、そのつもりで。」

ただ、優しいだけでない生保の世界。ユルクナイ
隣の10番の若い女性もやや不安そう。
「お母さまが30年間もお勤めだったんですか?」
「はい。内情はいろいろ知ってるだけに、心中複雑です…」

いいのかなあ…これで
まだ迷っていた。
なんでもっと平凡じゃいけないのかな。








2006/02/07 (Tue) ブログの功罪
ブログの世界は、摩訶不思議。
人間はことばを持ち、ウソをつくこともできる有機体だ。
本当のこともウソや虚構も混ぜこぜになっている。

わたしの場合、かなりリアルに日々のことを綴っている。
プライバシーへの配慮は、これまでの仕事柄怠っていない筈だけど、
なるべく真実を綴りたいのは、自分の本能に根ざしたものだ。
このことは、かなり勇気のいることだけど、それを承知の上で
ブログを作っている人々は、話題を選択し提供することは当然だろう。

実名を公表している社会的に著名な方々というのは、常にその功罪を弁えることが必至だ。

ブログを始めた理由は、単純だったし、昨日からひたひたとS生命の
トレーニングを受け始めた私も、そのきっかけというのは、単純だった。
1月5日にハローワークで誘ってくれたのが、足に障碍を負ったBさんだったからだ。

単純に、面と向かい合わないことが前提でコメントできるのが、
ブログのいいところ。

顔を見る、声を出して実際のコミュニケーションをするのとは、大違い。
ことば以外の「その人」自身が醸しだすありとあらゆる情報によって、
話さなくともいろんなことが読み取れたり、わかったりすることは
膨大だ。

それが怖くて溜まらないから、思いかけないところで緘黙に陥り、
障害児業界のプロになりきれずに泣いてばかりきたのだ。
私の実物を十分に知る人なら、それをもどかしく思いつつも、わかって
くれている「だろう」と思う。

今年の1月から、人生のベクトルは思いもよらない方向へ動きだしている。
その一方で、過去にも片足を乗せたままにしている。
こんな中途半端な歩き方ってあるかしら?あるよね。

純粋なNPOだけで生きるなんてあまりにも過酷過ぎる。
それなら、「仕事は仕事」と割り切って、本当に好きなことを余暇にしてしまった方が、今までのように苦しまずに、ゆきんこらしいナチュラル・サポートができるんじゃないか?

それを今、試行錯誤しているところだ。

昨晩、午後5時40分ごろ
夜の学校へ向うJR環状線の電車の中で、大阪駅に着いた瞬間、
向かいの側の座席の壁面の小さな広告に目を留めた。
「ことばは感情的で、過酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。ことばのチカラを」


障碍を持つ人々の世界でことばが通じることは、常識ではない。
だからといって、彼らが無益な存在と単純に遠ざけたり、無視や軽視
してきた歴史は長いし、過去完了進行形でもある。

あまり専門家チックでなく、等身大に今を生きているちょっと変わった
日本に平凡に生まれた一女性が、自分の感じたまま、考えたまま、
行動したままを、誰かに垣間見てもらっているに過ぎない。
その意味で、ブログで自分の世界を公開することには、ようやく
ためらいがなくなってきた。
それも、お陰さまで、元気で無事であること、誰かが読んでくれている
のが嬉しいから、書ける。
だから、幸せという気持ちをかみ締められる。
もっといいのは、たった一人ではなくて誰かと共有できること。
それが、たくさんいる人は、かなり贅沢でもっと幸せだ。

その気持ちが表現できるのは、笑うっていうこれも人間にしかできない
行動のツールだ。
それを教えてくれたのは、他の誰より障碍のある人々だった。

だから、彼らをわかって欲しい。
もちろん、かかわるのはとても難しい人たちで、近づけば傷ついたり、
苦しいことも悲しいこともたくさんあった。

彼らもあなたと同じように幸せになるために生まれてきたかけがえのない存在なのだと。

2006/02/06 (Mon) 2月入社 入社説明会
2月第2週目の月曜日。午前中は雪がチラツク。

午後3時40分。只今、名曲スケッチ
ロッシーニ作曲「ウィリアムテル序曲」を聴いてます。
何となくモリモリ志気が高まるなあ~

生まれてこの方H市民のゆきんこにとって、H市という世間は狭い。
けれども、今日の初体験は、まさに「灯台下暗し」の新発見。
「このビルは、素通りで一度も入ったことなかったなあ~。」

午前10時30分、市庁舎の斜め向かいに建つその茶色いビルの5階に
集った女性たちは約30名。

プログラムの概要は以下の通り
北海道稚内支店からやってきた、いかにも明朗快活なT氏がプレゼンターだ。

① 開会・互礼 
「当社は、あいさつ、マナー、身だしなみに力を入れて教育しています。語先後礼(ごせんごれい)と言って、先にことばを言ってから、
後から礼をします。では、見本を見せますのでやってみましょう。
おはようございます!」

② S生命の概要
生命保険の加入状況は、1世帯あたり4・6件 加入率90%
今年度上期(2005年4月~9月)販売件数は4大生保NO.1
介護保険や医療保障の充実の顧客が増加している。
生命保険はどんどんよくなっている。


ここで、ブレイクの頭の体操テストでリフレッシュ
両手の指先を合わせて、まず両人差し指を擦れ合わないように
くるくると回転させる。
これが、クリアできれば、今度は薬指同士を回転させる。
案外難しくなる。

因みにゆきんこは、この指体操は既知のものだった。
薬指は、脳の分化が難しいところで、人によっては、小指が付随して
動いてしまう。
だから、左右の指の動きがバラバラなピアニストやギタリストというのは、最も認知症になりにくいトレーニングをしている人と言える。

③でも、私にできるかしら?
話し上手より聞き上手

大切なのは、気持ちと行動
成功者のタイプは、言われたことをすぐやってみる人
職場選びのポイントは、安定、成長、社会貢献、働きやすさ、仲間
御願いしたいことは、
毎日出勤、休まず出勤、ご家族への心配り、感謝
自分と家族の健康管理

④先輩社員の入社体験談 2005年7月入社Kさん
 「子どもを預けていた保育所の保護者仲間に誘われました。
楽しく勉強させてもらいました。もともとおしゃべりは好きだったので
すぐに仲良くなってもらいました。
『貴方が保険をしているのなら、御願いしたい。』と言ってもらったことが嬉しかったです。
何ヶ月に1回かある大会も楽しいし、同期生の頑張りが励みになります。


とにかく慣れ、トレーニングと豪語するのも、「ABAやんな」と
納得してしまう。

⑤「入社面接表」へ記入
明日は10時に支社長面接がある。その事前のアンケートみたいなものだ。

⑥K南支部長より歓迎挨拶
「30年前は不安でどきどきでした。29歳で入社し、59歳になりました。
30年間続けられたのは、落ち込んだときの仲間の励ましが有り難かったことです。どちらかといえば、負け組みタイプの私が、悔しさをバネにして失敗して、再挑戦させてもらえたし、何度でもチャンスをくれました。成功も失敗も重ねて有意義な人生を送ってください。」

⑦勤務条件概要の説明
 これは、会社の就業規則みたいなもの。
年次有給休暇や給与体系の説明と
お金を着服しない。破産宣告を受けた従業員は、解雇などの鉄則だ。
ちなみに初任給は、高卒以上で一律14万円。
但し、複数の生保経験者は、13万円になる。
その理由は、正職員になる前の段階で、研修費用だけを目的にしている
人が稀にいるからだそうだ。

⑧「チャレンジテスト」制限時間15分間で、漢字の読み書きと
簡単な中学程度の算数があった。
こういうのはちょっとした頭の体操でいい。
契約とか、国際連合、低額国債、約款、会釈、為替などの読み書きと、
算数は、2分の1÷6分の( )=3とかいう方程式も出題された。

ブランクが10年以上にもなると、苦手な数学はすっかり鈍っているな
と感じる。

⑨最後に明日の入社説明会の予告と
⑩閉会・互礼で正午に解散した。

S所長が、新入の2名を近くのレストランに誘ってくれた。
夜の教職員対象の学校では、論文の「仲間入り行動」の話も弾まなくて、つまらないと感じていた。
さすがは、勧誘のプロ!

「私、失業していて、もしも声をかけてくれたのが、Bさんじゃなかったら、お誘いを受けていなかったと思います。私は障碍のある人々と
これまでかかわってきましたから。
それに、所長が高校の先輩で、保育士だったとか、同期のOさんが、
同い年で同級生の従姉と言うのも、不思議なご縁ですよね。」
「本当ね。仲良くやっていきましょう。うちの営業所、本当に仲が
いいでしょう?報われない保育士の仕事のしんどさよりも、営業は学歴不問の実力主義だからね。」
「そのシステムも公平でアルバイトだった私には、附に落ちるところがありました。
それに、優秀な方は、意外とマジメでコツコツした営業向きじゃなさそうな方だというのも。」
「本当にそうなのよ。私だって気がつけば、14年。それも、初めは
家事の片手間だったのが、今は所長だものね。」
「宝石つけて、ブランドの鞄もオシャレだし、保育所ではそんなこと
できませんから。」

何が嬉しいといって、年月を重ねなくても、すぐに解り合える関係に
安心感があった。

あ、時間だ。
そろそろ学校へ行こう!







2006/02/05 (Sun) 尼崎グループ Intercity Meeting
昨日は午後から尼崎市のアルカイック・ホール オクトへ出かけた。

午前9時15分からオンエアされていたNHK総合「くらしと経済」では、
奇しくも「生命保険」について特集されていた。
生命保険の由来は、なんと聖職者にあるというのも驚きだった。

俗世と隔絶していた中世の牧師の世界で、仲間の牧師が亡くなる以前の
今でいう互助会の延長上に「香典前倒し制度」が転じて、
17世紀のイギリスで産業革命の頃に世界初の生命保険会社が設立されたそうだ。

当時から、香典が年齢に関わりなく一律だったのだが、
それでは、存命率の高い若者に長期に渡って負担がかかるのは不公平だというので、若年者は低額、加齢と共に高額という最低限のルールに
則って、複雑な現行の保険制度が確立したらしい。

その番組を見ていた時分、電話が鳴った。
新しい上司になるかもしれないS所長からだった。
「昨日は、大変でしたね。」
「ありがとうございます。お陰さまで滞りなく済みました。」
「6日のことだけど、10時30分に支店まで来てもらえますか?
ビルは駐車場の隣にあります。」
「はい。わかりました。連絡ありがとうございました。」

11時半ごろ自宅を出発して、いつもより乗継がスムーズだったので、
JR尼崎駅には12時30分ごろに到着した。
夜の学校へ行くには、素通りしかしない駅だったけど、改札口には、
色んな行事があるのか、小学生のグループもいて賑やかな感じがした。

予めインターネットで調べて、目的地は阪神沿線の方が近いのはわかっていたが、地図と現地は想像から逸脱していることが往々にしてある。
尼崎駅から歩き出して15分くらいするとだんだん鼻先も冷えてきて、雪もちらつき出した。

今回の講演会は
2005-2006年度国際ロータリー第2680地区
尼崎グループIntercity Meeting
「これから始まる特別支援教育とLD・ADHD・高機能自閉症へのかかわり方」
講師は、大阪教育大学名誉教授、大阪医科大学客員教授
特別支援教育士資格認定協会会長 竹田契一先生

ロータリークラブが、アメリカのシカゴで発足して今年で101年目。
昨年2005年が100周年記念で、竹田先生が会員として精力的に
慈善事業の一環として、PDD関連の講演会を兵庫各地で巡業してこられた。
101年は、「ワンオーワン」初めに戻る、初心に帰るという意味が
英語的にはあるそうだ。

竹田先生の追っかけを始めてかれこれ10年以上も経っていることに
改めて気づいた。
10年前に、発足した日本LD学会もこんなに巨大な且つ深刻な問題にまで
なっていようとは、予測していた人はどれだけいただろうか。

講演に先立ち、ロータリークラブの関係者や、尼崎市長の挨拶もあった。
市長の白井文さんは、就任3年目の女性市長。
「平穏無事なのが当たり前の日常生活を、気づかないところで
支えてくださっている多くの方々に、高いところからではございますが
改めて本当に有り難いことだと感謝申し上げます。
軽度発達障碍のお子さんをお持ちのお母さん方が、大きな負担を抱え、
母子の孤立という現状に、認識を深めながら取り組み、心から応援したいと思います。また、今日ご来場の皆様には、子どもたちが生き生きと
育つ社会のために今日の講演内容を広めていって欲しいと思います。」

そういえば、尼崎市は、子育て支援や社会福祉も改善されつつあると
噂に聞いた。
どうしても、家庭や身の回りのことは生得的に女性の方が優位なのは、
幼児期の子どもが好んでするままごと遊びからも明らかだろう。
先着600名という募集参加者人数が、事前にメールで伝えられていたのだが、従来、竹田先生のロータリークラブ関連の講演会は、神戸の西山記念会館がここ数年定番で、2005年の1月も満席の立ち見状態だった。
受講者は、当事者の保護者・教育者が殆どだった。

今回は、席も会場も広々している上に、初めてないし2回目の聴講という
初老の男性諸氏(殆どがロータリーの会員)という、直接的には関係なさそうな受講者層が目に付いた。

私も1月26日(木)の午後に、こうした背広姿の中小企業のオーナーたち
に混じって、紅一点、全然場違いな「近畿産・学・官連携ビジネスショウセミナー」なんかに参加しているのだから、イレギュラーというのは、このよくわかんない21世ににおいては、バリアフリーって感じで、
私はいいんじゃないかと思っている。

とかく障害者の問題は、企業戦士一点張りの従来の男性諸氏にとっては
何億光年も彼方の他人事かもしれない。
しかし、それを卑近なもの、身近なものとして見直してみることから
異なる人々同士の歩み寄りが始まる。

だから、ゆきんこは敢えて場違いなところへ出かけて行って、
馴染んでみようと人生のシフトを模索中。(勇気リンリン冒険中)
その範疇に、多分、占い師さんの予告した「転居」とか「変化」という
ことがあるのかもしれなくて、生保の仕事も付随して舞い込んできたの
かもしれない。

竹田先生の講演会も追っかけで年に平均3回くらいは聴講してきたから、
同じネタを繰り返し聞いているところもあるのだが、
耳にタコができると退屈するのではなく、そこに新たな発見が絶対に
あるものだ。
冒頭には、PDD関連の最新情報がタダで聴けるから、寒くてもノコノコ
短い足を動かして、聴きに行く。

「平成10年4月1日から全国34500校で一斉に特別支援教育がスタート
します。
3年前(2003年3月)に大阪教育大学を退官して、47都道府県の巡回指導を始めました。
これまで、対象となる特別支援は小・中の義務教育のみに限定されていましたが、行政も珍しいことに、縦割りシステムを見直し、文科省と厚生労働省が連携して、幼稚園から高校、ひいては社会人にいたるまでのトータルサポートの施策をようやく打ち出しました。
2004年12月に発達障害者支援法が策定され、2005年4月から施行されました。」

第3者からすれば、「それがどうしたの?」という話かもしれない。
少子高齢化に拍車がかかるなかで、次世代が健やかに誕生するかどうかは、親のライフスタイルや、大人を取り巻く社会全体が健全なのかとう
ことまで話が及んでくる。

紆余曲折の末、結婚、出産したわが子が、障害児なら、「晴天の霹靂」
その割合は、結婚どころか、お付き合いさえも難しくなった1960年世代、晩婚化、晩産化、明確化していない環境ホルモンとの相互作用で、急増している。
この頃は、「実は親が発達障碍だった。」という遺伝要因もはっきり
してきた。

「これまでの教員の力量は、10人中10人を右向け右という指導で、
右を向かない子どもを強制的に右を向かせていました。
これからは、右を向かない子どもはなぜ向かないのか?どうしたら
向いてくれるのかを科学的アプローチで方略を立てる時代に変わっています。それを指導するコーディネーターの派遣で、担任と協力しあって
個別のプログラムを立てていくことになります。」

講演が終わって、2月4日当日の午後6時に隣のアルカイックホールで
オペラ「フィガロの結婚」のポスターに目を留めた。
もっと早く知ってたら、一緒に鑑賞できたのにな。

さて、ゆきんこの運命はどうなるんだろう?
保険の営業は、企業や家庭を巡回訪問する仕事だ。
内容は違うけど、アフターフォローやサポートも似て非なるところがある。難しい商品であればあるほど、お客さんのニーズにピッタリ適って
満足たるものでなければならない。

それも、ちょっと違った脳を生まれながらに負ってきた赤ちゃんが、
死ぬまで幸せに暮らせる工夫を足りない知恵をどれだけ絞って
捻出できるのかにも相当する。

もちろん、灯台下暗しの緘黙のことも忘れてはいない。
論文テーマは、緘黙症のことにしようか、試行錯誤中。
パッチワークのようにバラバラに見えてつなぎ合わせたい過去と未来があった。

ABAのF先生は、先週火曜日のゼミで、うたた寝からふっと目を覚まして、私に足りない脳ミソに熟練した研究の視点を加味してくださった。
「思いつきだけで牛や馬をセラピーに使って、貴方の将来性と結びつかなかったら、仕方ないからな。」
「はあ。ということは、犬とかネコとか身近な小動物ですか。」

人間同士がダイレクトな関係を持つとき、ギクシャクして
親の子殺し、子の親殺しというのも、気をつけないとエスカレートしやすい危うい昨今。
昨夜の土曜サスペンスで橋田寿賀子脚本の「夫婦」というドラマを見た。

親類間の夫婦関係が我侭言ったり、罵りあったり、次第にすれ違って、家出したり、不倫したり、嫁姑の云々があったりと、こういうドラマばっかりみてだんだんうんざりしていく。ホント、いけないなあ。

「御祖母さんが、戦争前に私と同い年で5人も子どもを残して死んだとき、御祖父さんも男やもめで大変だっただろうね。子どもの頃どうしてたの?」
「商売が忙しかったから、ほったらかしでしょう。学校にも行ってなかったわよ。学校行っても、戦争中だからスミ塗りばっかり。」
「それで、食事は芋づるだもんね。そんな子ども時代だったんだから、
何にも怖くないよね。」
「そうね。何にもない焼け野原からこんなにモノだらけになったんだもの。死んでいった人よりも、残された人が後始末をして新しいものを
作り出していくほうがずっと大変なことだと思うわ。
あんた、大学院生なんだから新聞ちゃんと読みなさいよ。」



モーツァルトでも聞いて、脳みそスッキリさせなくちゃ。



2006/02/03 (Fri) 従姉の告別式
今日は節分。何もなければ、節分の行事で名高い成田山不動尊でも
行こうと思っていた。

社会性やや低めと称されている私でも、今日の特別な1日に限っては、
年の初めの抱負であるその特別の場所で「笑う門には福来る」というわけにいかなかった。
それも、「福は内」の今日、2月3日なのに…

昨夜から用意していた黒いスーツ、黒いズボン、黒いコートを身につけて黒いカバンを肩にかけた。
9時ごろに自宅を出て、向かったのは電車を乗り継いでT市役所前の葬儀
会館の2階。

10時30分母方の親族が揃った席に着席した。

母の父、祖父の葬儀まで、毎新年を祖父を囲んでいた親族は、
20年前には、21人だった。21人中15歳未満の子ども(曾孫)は
5人だった。
その5人も20代半ばの団塊ジュニア世代になり、
今回、2月1日に従姉のKさんが亡くなって、数えたところ、座席に座っていたのは、11人。
子どもは、私より3歳年上の従姉の子どもが2人、団塊ジュニアの5人の
うち、1人ができちゃった婚で1人の合計3人と母方の親族だけでも
少子高齢化がはっきりと進んでいることは明白だ。

私の座る席は、葬儀の度にじわじわと前進していた。
私の座る席には、バギーの中ですやすやと眠る2歳になって間もない
坊やがいた。

「ゆきちゃん、こっちに座って。」
「いいよ。起こすといけないから。」

更に、今回従姉のKさんを看取ったS家に関しては、慰めようのことばもなかった。なぜならS家の人々に会う時は、必ず喪服姿であり、
それが、近ごろ2年に1回という頻度になっていた。
一方、結婚式は、この従姉が結婚した12年来一度も無い。

S家は、母の姉が嫁家で、従姉のKさんは跡取りの1人娘だった。
伯母が4年前の5月に他界した葬儀の時から、既に慢性疾患の持病を
患っていたのと、母を亡くしたことで、心労が積もっていた。
なかなか結婚しない姪たちに
「あんたたち、伯母ちゃんが元気なうちに結婚してくれへんのやから」
と言い残して亡くなった。

従姉のKさんに最後に会ったのは、2004年の1月中旬だった。
この坊やが生まれて実家に帰ってきたのを祝って、叔母の家に集まっていたのだが、血相を変えてタクシーを跳ばしてやってきたのだ。

「みんなでKくんが生まれて幸せいっぱいなのに…」
Kさんの余りにも悲しい知らせに、生まれたばかりの赤ちゃんを囲んで、
全員、涙さえでなかった。この時の出来事も、親族にとっては
衝撃的過ぎた。

度重ねての肉親の死に、Kさん自身も次第に生きる気力を失って
いったことは、想像に難くなく、喪主でパートナーのYさんが、
かかわりたくない素振りをしていることも、一目瞭然だった。

午前10時
告別式場に僧侶の念仏が響き渡り始めた頃、坊やは目を覚ました。
ママの膝にちょこんと座って、大人しくしていたが、
もぞもぞと動き始めた。
生まれて初めての葬儀の参列に、ママの膝から身を乗り出して、
前列の椅子の背もたれに両手をかけて覗き込んだ。
クリクリと円らな瞳のその眼差しは、
頭から光沢のある頭巾を被った僧侶の衣装に注がれていた。

そのうち、ママの数珠に興味を示して房の部分をコチョコチョと
触って暇つぶしを始めた。

親族から順に名前が呼ばれ、参列者が焼香する姿を、坊やなりに
よく観察していた。
最後に参列者が、元の席に戻って再び、僧侶の念仏が響き渡るころ、
坊やは、数珠を持ち、両手を合わせて、お辞儀を繰り返した。

不謹慎ながら、こんな日常茶飯事の
情景の中にも、小さな坊やのオペラントなモデリングを発見して、笑いを必死にこらえた。

可哀想なのは、向かいの最前列に座っている若く美しい娘に成長した
24歳のAさんだ。
一体、今までどれだけ涙を流したのだろう。
私より彼女の方がずっとたくさん泣いたかもしれない。
兄のTくんが優しく彼女に寄り添っていた。

棺を開けて最後のお別れに花を添えた。
Kさんの顔を見て、誰もが泣かずにはいられなかった。
「お姉ちゃん、早いよ!」

バスで火葬場に移動し、再び棺に向かって合掌すると、 
今度は親族や地縁の方々との懇親の食事会を行なった。
70歳代でもこの頃は早いのに、Kさんはまだ57歳だった。
伯母の葬儀は、同じ親族メンバーでも賑やかに故人の話もできたが、
今回は、あまりにもしんみりしてみんな黙黙と食事をしていた。
いつもは饒舌なYさんも、何となく口数は少なめだった。

こんなグレーなとき、初老の集団の中にあって何も知らない幼子は、何よりの癒し効果をもたらす。
私は、ラッキーにも、誕生以来、ご無沙汰だった坊やの横に座った。

「Hちゃんは幼稚園?」
「うん。」
「聞いたよ。英語ペラペラなんだって?」
「いやいやそんな」
「でも、母の話では、Kちゃんは2歳当時、『耳なし法一』の話を
暗記して話せたって。」
「へえ。」
「Kくんは、トモダチもういるのかな?」
「Hの幼稚園のともだちのきょうだいがともだちかな。」

坊やは、仕出し弁当の中に、面白いものを見つけてイマジネーションを広げていた。
しょうゆ指しをゆらゆらしながら
「おさかな~」
「おさかなだね。」
「エビ、エビ!」
「エビ好きなんだ。」
「かいじゅう」
「かいじゅうみたい。えびかいじゅうガオ~!」

好きなものだけ、ママに食べさせてもらうと、膝から離れて
今度はトーマスのリュックサックから絵本を取り出した。
指差ししながら繰り返し叙述してくれる。
「しょうぼうしゃ」
「きゅうきゅうしゃ」
「ぱとかー」
「うわ、たか~い」
「あっ、かじです!」
「あぶない」
「ぱとかー」とヘリコプターを挿した。
「へりこぷたー」

坊ちゃんは、2歳になって間もない。語彙はこれからどんどん
増えていくかわいい盛りだ。
時々、咳をするのでトントンと背中を叩いて
「だいじょうぶ?」と聞いてあげると、もうすっかりなかよしになった。
坊やはみんなにやさしい。すっかり耳の遠くなったおじいちゃんにもやさしい。
「バイバイ」
「バイバイ」
おじいちゃんと坊やは笑顔で手を振った。

「また、(坊やを)貸して」
「いいよ」
明らかに社交辞令だったけど、従姉は苦笑いで承諾した。

従姉と坊やをエレベーターの前まで見送って、戻ってくると
Kさんの長男のTくんは、ぽつりと部屋の隅でぼんやり足を伸ばして座っていた。

再び、火葬場にバスで向かうと棺の中のKさんは白い骨だけになっていた。Kさんと同世代の名前のわからない親戚の女性と並んで呟いた。
「お姉ちゃんと年が近いんですね。私、なんだか思い出しちゃいました。結婚式のこと。」

Kさん夫妻は、憧れの若夫婦だった。
うちの両親の離婚と入れ違いに、招待客500人という相当豪華な派手派手婚だった。花嫁のお姉さんのフィナーレの花束贈呈で、従妹のMさんにジャンケンで負けて、私は花婿のYさんに赤い花束をプレゼントしなくてはならなかった。伯母のお手製のドレスを着て初めての参加した結婚式だった。

歳の離れた団塊のKさんファミリーの歴史は、私の人生と冠婚葬祭の度にリンクしている上に、2000年以来、度重ねての葬儀続きでは、本当にどんなことばをかけたらいいのか、そのソシャルスキルが全くなかった。

1人娘のAさんの風貌は、白無垢の新婦だったころのKさんそっくりで、
母が間違って「Kさん」と何度も声をかけそうになっていた。
「ダメよ。禁句だってば。」

骨壷のなかのKさんと遺影に再び親族が合掌して、4時過ぎに告別式の
全てが終了した。
偶然、最後に退室して、誰もいなくなった控え室を振り返ったら、
まだ十分に若いKさんの遺影が、何となく寂しかった。
「寂しそうだね。」

帰りの電車の中で考えた。
ひとり、またひとりと減っていく嘗ては4世代同居の大家族だったS家のメンバーを離れたところから見守るしかない親戚の1人に過ぎなくて、何も言えない。
こんなときは、どんなに饒舌な社交家でも、気持ちさえことばにできない。

ホリエモンはお金で人のココロも買えると言ってたけど、
それでは、心の方がお金よりも価値がないというようにも聞こえる。
かけがえのない家族や愛する人はやっぱりお金でもクレジットでも
買えないし、クーリングオフとか交換もできない。

お金より、人の方が軽くなってしまって、大事な人を大事にしていなかったことに、病気や死んでしまってから気づいても、どうしようもない
後悔や無念さだけが惨たらしく残っている。

無くなったお金やモノは命があれば、取り戻せるチャンスがある。
でも、たった一つの命は、もうお金でも何をしても、どんなに償っても
帰ってこない。


2歳の坊やには、今日のことなんてまだ記憶に残らないだろう。
そして、「寂しい」という感情の分化もいつかは、しみじみと感じる日が来るだろう。



2006/02/03 (Fri) 友達の友達は友達だ。
昨日の予報通り、今日は晴れて少し暖かい2月2日だ。

午前8時30分ごろ、母が喪服を身に纏いながら言った。
「あんたも今のうちに用意しておきなさいよ。」
2階に上がって衣類を取りに行く。
黒いコート、黒いスーツ、黒いズボン。
これを身につけて、今日会う約束の二人と待ち合わせをするのは、
ちょっと気が退けた。

「明日の葬儀だけでいいかな?
こんなことになるなら、去年、小雪さんと会ったときに
梅田から引き返さずに、Kさんのお見舞いに行ったらよかったね。」
「そうね。入退院は繰り返していて、時間の問題だったけど。
じゃあ、帰宅する頃に電話入れるから。」
と母は言い置いて、出かけた。

10時30分に向かった先は、これでもう最後にしたいハローワーク
失業認定のカウンターに所定の用紙を入れた。
「ゆきんこさん。就職はいつですか?」
「来週から試用期間になります。正式採用は4月です。」
事務員は淡々と処理して、手続きを行なった。

就労支援のキャリアカウンセラーがいようといまいと、デッドラインは自分で決めてかなり気にする性質というのも、これから飛び込もうとする未知の業界にある意味では向いているのかもしれない…

次なる待ち合わせ駅の時刻に到着するまでに、時間にはかなり余裕が
あったので、紀伊国屋書店でちょっと立ち読みしてみた。
谷川俊太郎の最新本や、「姿三四郎」の小説はどこかなと本棚の
通路をうろうろするうち、コーナーの芸術関係の書籍の前に立ち止まった。
アメリカの絵本作家ターシャ・テューダーの本もぱらぱらと捲った。
そこへ、2歳くらいのかわいい女の子と、お母さんがやってきて
コミュニケーションを始めた。

天然の子ども好きと研究者モドキの好奇心に、ついつい観察のチャンス!と耳を欹てた。
「ねこちゃん」とページを捲って、指差しし、お母さんの方を見る。
「これ、ねこちゃんの写真やで。」
「ママ、これとって。」
「はいはい。」別の写真の本をお母さんが取って手渡した。
「ハムスターだよ。」
「うわ、ちっちゃい!」とまた指差してママを見た。
「ホントだ。ちっちゃいねえ。」

見るからにやさしそうないいお母さんだったので、私も介入させてもらった。もちろん、故意にではなく「自然に」
「見てください、これ。大人の塗り絵ですって!
子どもの頃、塗り絵してよく遊んだんですけど、こんなのあるんですね!」
「ホント、大人用の絵になってる。」

こんなささやかなことだけど、「共同注視」同じ対象を一緒に見て
ことばをやりとりできるのは、素晴らしく美しいそしてシンプルな
コミュニケーションなのだ!!

…なんていちいち健常児の当たり前のひとコマに過ぎないけど、
通じないのが当たり前の自閉ちゃんとは、明らかに違うことは、
こんなちょっとでも、ちゃんと鑑別できる自分の観察眼に
ちょっと自信あったりして!
でも、いくら上手でもお金にはならない・・・

女の子は、ママの方は常に見ていたが、私については一切無視だった。
おうちで育っている保育所の子どもでないことは、正午近くに書店にいることからも推測できた。
いきなり根掘り葉掘りと聞くのは、厚かましいと思ったので、ほんの3分くらいしてから、その場を離れた。

12時半。待ち合わせ場所の鶴橋駅に、3人の同年齢の女性が会した。
SちゃんとOちゃんは初対面。
でも、私にとっては二人は古い友人だ。

早速、韓国料理屋の選定に移った。
3人で話しながら、共通のニーズに適ったお店探しをする。
お値段とメニュー、料理の分量や店の雰囲気などを検討する。

ズラリと似たようなお店が並んでいても、待っている客があるのかないのかも、人気度のバロメーターになる。
結局、3人で決定したのは、店の名前は確認してなかったが、
写真で定食メニューと値段を提示してあった韓国料理屋だった。

Sちゃんは、石焼ビビンパ
Oちゃんは、から~いスープのセット(名前は忘れてしまった)
ゆきんこは、トックスープ定食を注文した。

初対面の二人がどれだけ時間が持つのかな~というのが、
ちょっと心配なところだったが、全くのノープロブレム。
商店街をブラブラして、買い物をした。

鶴橋駅付近に、碁盤目状に広がっている韓国風の大きな商店街の中で、
3人が足を停めたのは、健康食品のお店だった。
「これ、他のお店に比べるとこの量でかなり安いよ。」
Sちゃんが、ゆず茶の大瓶を手に取った。
タイミングよく、店のおばさんが現れて、声をかけた。
「そうよ。他のお店よりもずっと安いです。」
なんとなくの雰囲気で、おばさんはその瓶を受け取り、新聞紙に
包んで袋に入れた。
次いでOちゃんも手に取り、分量の多さに躊躇っていたが、
「半分こしようよ。」
「あ、そうしてくれる?」
すると、またおばさんの手はさりげなくスルリと包装して、
二人は自然と、お財布の紐を緩めた。

私も躊躇いがちに、サムゲタンという食品に注視した。
「これ、ソウルへ旅行したとき、食べに行ってとてもおいしかったんです。今やっているチャングムの王様の療養のための宮廷料理ですよね。」
「ちゃんと番組見てるんだね。高麗人参やいろんな薬味が入っていて
滋養にいいんですよ。」
「もし、自分でつくったとしたらどれくらいになりますか?」
「こんな値段よりももっとかかるわよ。」

また、おばさんはさりげなくサムゲタンを受け取って、
包装したので、私はお財布を取り出した。
「お上手ですね。勉強させてください。私も商売始めるんです。」
「そうなの?どんな商品売るの?」
「生命保険です。」
「そりゃ、一番売るのが難しい仕事だわ!」

そういえば、そうだった。
それから、入った喫茶店で、話題はなぜか私のことばかりだった。
当然のことながら、初対面同士の二人の共通の話題は、私にならざるを
得なかったけど、よくも悪くも、自己開示しすぎの私を長年知っている
二人は、今正に転機の私に、彼女たちらしく進言してくれた。

考えてみれば、本当に有り難いことだった。
「今回の転職のことも何人もの人に相談して、アドバイスもらいすぎて思い詰めたり、ソシャルスキルがないっていうのも何回も考え込んで、背中が痛くなっちゃってね。」
「気にしすぎだよ。」
「うん。それも、昨夜、ゼミの時間に指導教官に言われた。同じゼミ生のTさんも幼稚園の時期オーナーでしょう?だから、私が保育士の仕事から全く別の仕事に就こうとしていることにすごく驚きつつも、
職場の仲間関係の重要性を感じているって、言ってくれた。」
「そんなに真剣に生きてる人って少ないんだから、思い詰めないで。」

日が暮れた頃、鶴橋駅で別れて、私はOちゃん宅で先週、一泊させて
もらったときの、諸々の忘れ物を引き取らせてもらって帰宅した。

Sちゃん、Oちゃん、お疲れ様でした。
またいつか、3人で会いましょう!











2006/02/01 (Wed) やや睡眠不足
よく雨降るなあ…今日で3日間連続で降っている。
天気予報では、明日は晴れるらしいけど。

今日から2月。
PITAPAカードが関西エリアの私鉄で広範囲に使えるようになった。
今日も午後2時に★事務所に出向くことになっている。

昨夜はよく眠っていない。
まだまだ、これでいいのかなあという優柔不断が顔を出す。

午前中オンエアされていた参議院予算委員会では、
この数年のあらゆる格差社会が、必要な専門家特に、医療関係の
質量の低下の悪循環を招いたのではないかという民主党員の指摘が
印象に残った。

昨日もブログを書いて、午後2時に★事務所に出向くと、
生保の営業この道30年という60歳代の女性と面談した。
見るからにバリバリのキャリアウーマンだったという女性で、
好奇心いっぱいの凛々しい顔つきで私に話しかけてきた。

「私はもう引退して数店の支店を廻って皆さんのサポートのお手伝いをしています。どんなことでも相談してくださいね。
素敵な人が来てくださって嬉しいわ。」
私を一目見て、お世辞なんだろうか?
「ありがとうございます。何もわからなくてピンと来ないのですが。」
「そうでしょうね。それでいいんです。素直で感謝する気持ちを
ことばにできるのですから、そのまま行けばいいですよ。
あなた、お子さんは?」
「子どもがいるように見えるんでしょうね。 初対面の方によく言われますから。独身なんです。」
「あら、それじゃあ仕事に専心できていいじゃないの。じゃあ、ご両親と同居なの?」
「いえ、母と2人暮らしです。」
「お母さんにずっと甘えてきたんじゃないですか?家に帰ったら
ご飯ができているんでしょう。そろそろしっかりして楽をさせてお上げなさいよ。」
「はあ。以前はお弁当は自分で作っていましたが…。」
「がんばったら、報酬も増えるし、時々は自分にご褒美をあげるのも張り合いになるわよ。私はよく海外旅行も楽しみましたよ。」
「どこがよかったですか?」
「そうねえ、イタリアかしら?」

などなど、ほんの1時間くらいしかいなかったけど、
保育や子育て情報も含めて、実は営業所に居ながらにして
巷の生の声が聞けるのも、私にとっては大きな収穫なのだ。
女性だけの職場ということや、通勤の便も女性が働きやすいように
工夫している。
年齢も幅広いし、現役子育て世代も多いので、そんな話もフランクにできる。
私の上司になりそうなKさんは、人生に紆余曲折あって、
子育てに悩んでカウンセリングも受けているらしいが、
仕事にやりがいを持ってメリハリをつけたことで、心身の健康を
取り戻し、子育てとの両立を楽しんでいると語って、
また外出していった。

保育士という肩書きを捨てても、私はどこかで捨てきってはいない。

夜の大学院へ出かければ、ABAの話ですっかりF先生のゼミ生モドキに
なって、ゲラゲラと笑い転げている。
先週はF先生にケーキを頂いたので、お返しにといってはなんだけど、
★支所でもらった販促用のバレンタインデーチョコレートをそっと差し出した。イメージキャラクターの松嶋菜々子の写真入り

ABAの時間ともなれば、その理論的背景に基づいたネタ話や、
I先生の話ばかりしているので、団塊世代の現役教員の先生方も
そろそろうんざりしてきたようだ。気をつけないと…

「私って多分、単純バカなところがあるんです。
夢中になるとそれにのめり込むから、友達にも呆れて注意されることも
あるけど、とにかく一度はまると、この先生好きだな~と
思ったら、成績がドンドン上がるタイプです。」
「あ~、そういうタイプの方がI先生のゼミとかペアトレ(ペアレント・トレーニング)に向いてるかも知れませんよ。」

因みに、ペアレントトレーニングとは、発達障碍の子どもを持つ
保護者に、関係が改善されるような具体的なアプローチの方法を
ABA(応用行動分析学)を使って、楽しく子育てしようというもので、
I先生の研究の主要テーマなのだ。

「ブログ見てるだけでも、すごく勉強になるもの。毎日見てる。
コメントはもらえないけど、初めに書き込んだらお返事くれたことが
あってね。
『ペアトレに参加しようという保護者はそれだけで意気込み十分だと思うのですが、そうでない自分みたいな受け身な保護者にはどのように
アプローチしますか?』と質問したら、その時だけ珍しく回答してもらったんだけど、お返事もらってすごく悩んで、その夜は眠れなかった。だって、いつも具体的な助言をと仰っているのに、どんな返事だったと
思う?『このお料理にこのワインとという感じでどうですか?』
全然、わからないから母親に聞いてみたら、母はこう解説したのよ。

『レストランのメニューの中には色んなお料理とそれに合うワインも
色々あるから、いくつか提示してお勧めしなさいという意味でしょう?』ってね。」
「はあ~、ゆきんこさんのお母さんもすごいですね。」
「私の母、結構イケテル母でしょう?」

I先生を直接知る関係者の印象もABAという学問への関心も勿論、人それぞれだが、I先生のゼミ生になれる学生はいずれも優秀だと評判だった。

 自分の中では生保にちょっと寄り道したとしても、
本線のABAから逸れたつもりはなかった。
生保の世界が目標を掲げて、達成していくプロセスや、
がんばったら確実に報酬に結びつくという応能主義システムは正に
ABAの理論に裏打ちされたもので、不当にアルバイト保育士でいるより
納得いくものだった。

反面、一人ぼっちで、丸2年ABAを巷で試してきた結果、
1年前の今日にも、私は職場を追われて打ちのめされていたことを
思い出さずにいられなかった。
丁度、国会中継を見ながら、子育て支援室に窮状を訴えた極寒の
1年前の2月1日を。

昨夜はよく眠れなかった。

ABAや障害児の世界を知らない人にはよくわからない叙述になってしまった。
I先生が執筆された「発達障害者支援者法」のペアトレの項も枕元で読んで悶々としていた。 
しばらく治まっていた背骨が疼いた。

今朝、母に呟いた。
「わたし、障害児の仕事の方がいいのかな?」
「何言ってるの!?あんたが生保の仕事に変わるって決めたんでしょう?」

どうして眠れなかったんだろう。
I先生、もしかして待っていたらどうしようと、
なんの根拠もない胸騒ぎだけがあった。

もう行かなくちゃ。

BSでは「毎日モーツァルト」という番組があるらしい。
いいなあ~。BSないんだよなぁ…








プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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