日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
ノーマライゼーションとは?
2006年03月30日 (木) | 編集 |
桜前線もついにわが故郷に上陸。
雨が降ったり止んだり、風が吹いたり寒かったりで、
ただでさえ不慣れなお外の営業活動には、支障を来たしている。

それでも、今週のうちに、営業所の最寄駅のK駅へ向かう線路沿いの
知る人ぞ知る桜並木の蕾が膨らんで、日毎に開花する数が増えているのを愛でていると、ペダルをこぐスピードが緩くなって、思わず
囀りながら枝に止まる名も知らぬ野鳥に、にっこりしてしまう。
雨に濡れても・・・

保険業のイメージは、とてもよろしくない。
でも、★営業所の女性たちは皆、性格美人だ。
この仕事を通して、人間模様がまざまざと見えてくる。

一週間に一度の同じ場所、同じ人と会話する定期訪問でも、
驚くほどに違っている。
「この仕事ってお天気みたい。」
「そうでしょう?お客さんも生きてるってことなんじゃない?」

「この仕事ってパチンコみたい」
「砂金探しみたい」
などと形容すると、先輩同僚がこう切り返してくる。
「見た目ほど派手じゃなく、奥も深いし、一番地味で忍耐が必要な仕事よ。」
「まずは信頼関係を築くことから始まるから、途中で根をあげて
辞める人も多いからね。」

9時出勤。体操の後、朝礼が終わると、
今日は年に1回の社内教育ビデオの視聴があった。時間は15分間。
同じビル内4階の物置兼休憩室に移動した。
エレベーターの中で3ヶ月先輩のKさん
「ノーマライゼーションってなあに?」
「聞いたことない?」
「知らないよね。」
職員一同が揃って、ブラウン管の前に注視した。
私は習慣化しているメモを取りながら。
(でも、そのノートは持ち帰らなかったので、脳ミソ内のDVDを
再生してみよう)

ノーマライゼーションとは、
障碍のある人もない人も共に心地よく生きていくこと
と定義するところからビデオは始まった。

それについて、S生命は従業員に障碍のある方々の立場に立った
劇を演じることで、人権教育や差別をなくすための啓発活動を
積極的に行なっている。
また、「Sハーモニー」という事務を取り扱う系列会社では、
あらゆる障碍のある54名の従業員の方々に配慮した快適な職場環境しながらも、健常者と同等またはそれ以上の力を発揮して就労している様子も収録されていた。
ビデオの中でひたむきに生きがいをもって働いている方々の姿に
感動したし、1年に1度は必ずこのビデオを社員が視聴して感想文を書いたり、ディスカッションの時間を取っていることが素晴らしいと思った。

1階の事務机に戻って、数分感想文を書いてから、議論しあった。
「ノーマライゼーションということばや障害をもつ方々と共に支えあって働くことの意義や、人権と差別についてどのような感想を持ったか
意見を出してみてください。」
司会のFさんのことばに、私は即、オペラントに口火を切った。

「私、こちらに来るまでに何度も言ってきましたが、勧誘してくださったのが、Bさんじゃなかったら入社していませんでした。
でも、このビデオを視聴することができて私がここに居ることに少し
納得できて、いい会社に入れてよかったなと思いました。
H市はノーマライゼーションを先駆的に導入した町としても知られて
恐らく、他市と比べても障碍のある方々の割合は多いと思います。
私の前職が障碍のある方々とかかわりの深い福祉業界であり、
ノーマライゼーションと言うことばも、障害のある方々が身近にいることもわたしにとっては普通のことなんです。
障碍をもって生まれてくることとそうでないことは、たまたまそうだった、そうでなかったというだけで誰にも起こり得ることだと思っています。

時間があれば、福祉施設へ出かけて行っていろんな障碍の方々と話をして私の方が一生懸命に生きていらっしゃることに癒されています。
精神医療センターに隣接のS園っていう施設がうちの近所にあるのですが皆さん、ご存知でしょうか?
そこには、自閉症などの発達障碍の子どもたちもたくさん通ってきているし、私はそちらの仕事の方がこれまで長かったんです。
障碍のある方々を直接知らないとか、そこから離れている人がまだまだたくさんいるから、こうした啓発の必要性があり、
それを推進している会社であることを嬉しく思っています。」
「ゆきんこさん、随分詳しく知っているみたいね。」
「どっちかというと専門かも。」
「ああ、H市の小学校はクラスに1人か2人は障害児の子どもがいるのが当たり前なんだよね。うちの子が小学生のときに、障害児の子がクラスにいて学級崩壊になったことを思い出したよ。その子が暴れてみんなが怖がって学校に行けなくなったんだ。そしたら保護者も巻き込んで、
その子のせいなんだから、クラス替えをして欲しいとか物凄く揉めて
ついには担任や学校長まで異動になるくらいの大事に発展したのよ。
結局、子どもたちは障碍のある仲間も一緒にクラスにいるんだと
ことばも殆どないその子が暴れたり、奇声を発したりするのを受け入れたのだけど、問題は親同士が折り合いがつかずにこじれてしまったの。」
「子どもが差別や偏見の意識を持つのも、元はといえば大人からの
影響を受けているんだもんね。」
「あの、同和問題っていうのはどうなんだろう。私の子ども時代、
被差別部落の地域が税金を注ぎ込んで立派な住宅建てたり、優遇して
ベンツまで乗ってる人もいたよ。」
「逆差別ってあったね。」
「とにかく子どもよりも大人の意識なんだよね。人権や差別について
問い直されているのは。障碍のある人はもちろん、相手への思いやりの
気持ちが鏡のように、映し出されるということなのよ。
誰だって自分が一番かわいい。一番大事なの。
でも、自分と同じくらい相手にも命があり、その人に尊厳があるんだっていう気付いてないから大人になっても、その必要があるのよね。」
「子どもの方がずっとものわかりいいですよ。」
S支所長が、付け加えた。
「私の父は、事故で車椅子の生活をしているのだけど、それまで旅行や
外出も楽しんでいたのに、一度、障害者になるといちいちめんどうだし、全然そうした人たちに配慮した環境になっていないから、周囲に迷惑をかけたくないって遠慮したり、楽しいことが激減してしまったわ。バリアフリーもまだまだ発展途上よね。」

人一倍気丈なBさんの、俯いて黙り込んで聞いていた横顔をそっと覗いた。
「私は小学校のころよくいじめられたよ。足のことでね。
中学になると苛める子もいなくなったけど、からかわれたことは
悔しくてたまらなかった。何も悪いこともしていないし、他は
みんなと同じなのに、どうして言うんだって腹が立った。
でも、この営業所の人たちはみんな温かくて優しくて、
私と同じ歩幅でゆっくり歩いてくれたのが、本当に嬉しかった。
ああ、辛くても若いときは泣いたりしなかったのに、この頃涙もろくて。」
「Bさん、はい。」
ハンカチを差し出し、私ももらい泣きして、今またその時のBさんの情景に自分が涙ぐんじゃった。

向かいの席のK所長は今日もお休み。
多分、起き上がれないんだろうな。
一昨日の雷雨の中での活動が、がんばり過ぎだったのはわかってたのに、私も迂闊だった。

午前中、本来なら1人で営業活動するようにお達しをもらっていたのだが、レインコートに自転車では、皆が不憫に思ってくれる。
「途中まで車に乗る?」
「いいの?一人では勇気がいるから、入りにくいお店ちょっと2~3軒
同行してくれない?」
「え~、私が同行!?」
「いいじゃないの、センパイ」

そんなギブ&テイクで、子育て世代のHさんに便乗した。
Hさんは、私が小学校5年から23歳までを過ごした思い出の地に
現在在住していて、尚且つ彼女の2人の子どもが、私が通っていた幼稚園と小学校に在籍しているのも、奇遇で同僚でありながら、
子育ての話題にもツーツーなのも嬉しい。
一仕事終えて、Hさん宅でランチタイムをご一緒した。
マンションのインターホンを押すと、4歳の坊ちゃんがドアを開けて
呼んでくれた。
「ゆきんこさ~ん。こっちだよ。」
「Tくん、ありがとう。おじゃましま~す。」

子どもは本当にいいなあ~。なんの差別も偏見もなくすぐにお友達になってくれるんだもん。

「ゆきんこさん、結局あなたって、前の仕事は何だったの?」
「さっきのノーマライゼーションのミーティングでも話したけど、
クラスの中に障碍のある子を受け入れるときに、その子どもや周囲に配慮しながらサポートする仕事よ。30歳までは正職員で自閉症の子どもの施設で指導員をしていたけど、毎晩H市には寝るだけのために帰ってきてただけだった。それから地元のノーマライゼーションの取り組みも
知りたくて、アルバイトで障害児加配の保育士をしながら食いつないできたけど、いろいろ辛いこともあってね。Kくんの幼稚園も受けたことあったけど、面接でダメだった。」
「幼稚園によっては20代の若い先生ばかり雇って、結婚までしか勤められないところも多いよね。」
「だからって、結婚せずに独身でも、子どもがいてもお金がいるし、
働かなくちゃ。」

1日の会話の醍醐味を凝縮して伝えきれないけど、
学校教育以外の一般社会という大枠のなかで、障碍のある方々も
含めたゆきんこ独自の、人間探訪とABAの模索がどこかにあると思っていた。

そう、「砂金探し」のようなちょっとした発見が!

こんな私の母は、なぜか追い討ちをかけるように帰宅直後の娘に告げた。
「未来の教師の採用試験対策講座、申し込み用紙FAX送信したよ。」
「ありがとう。」
こうして、あの夢のような余暇は4月には消滅していた。



















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2006/03/30 21:56 | お仕事 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
おもてなしは喧嘩の種?
2006年03月26日 (日) | 編集 |
廊下に置いた一輪挿しのチューリップ。
一枚の花びらの下半分は赤く、上半分は白い珍しい品種のもの。
そのチューリップが、早朝から午前10時のうちに居間のローチェストにおいているうちに、一気に開いた。

その間、傍のテレビのブラウン管には、サンデーモーニング」の街頭インタビューで口元をほころばせながら、ワールドベースボールクラシックで世界一になった日本チームの活躍を喜び合う人々の声が流れてきた。

昨日の午後、その一輪刺しの小さな花瓶は、居間の座卓の中央に飾られていた。あるお客さんを招待するためだ。

残業した週末の土曜日くらい少し寝坊したい。
(ついこの前まで失業者だったくせに)

「もう8時よ!今日はこゆきさんが来るんでしょう?」
「わかってるって!」

朝食を済ませた頃、母は友人から電話がかかってきてしばらくすると
外出していった。

「鬼のいぬ間に洗濯」ってわけじゃないけど、こゆきさんから
電話がかかってくるまでに、掃除とお料理を済ませなくちゃ!

本来、自分でそんなコーディネートもしなくちゃならないのに、
気がついたら殆どのお膳立てを母が前日の金曜日のうちにしてくれていた。

21日の春分の日の午後にも前もって掃除をしていたから、後は雑多な
ものを2階へ移動させるだけ。

でも、居間には窓がなく、日中も陽が差し込まないので新年の大掃除にもかかわらず天井から、鴨居、本棚の上にはうっすらと綿埃が被っていた。
「♪春一番が掃除したてのサッシの窓に~、埃の渦を躍らせてます~」

気長に掃除しながらこゆきさんを待つつもりで、自分は暢気な性質じゃないかと思っているのだけど、何年か前にも同じ弥生の下旬に似たような状況で掃除しながら待っていたことを思い出した。

自分にとっての正午から午後という時間帯は、相手にとってそうでないときがある。
自分にとって「まだなの!?」「いつまで待てばいいの?」という感覚は、相手にとって「どうしてそんなに慌てるの?」「時間を削ってこんなに急いできたのに」という感覚の食い違いで揉め事へと発展し、
ついには収拾のつかない事態へ陥っていくこともある。

待ち呆けて3時間、正午過ぎにこゆきさんから電話があった。
「おはようございます。今から家を出発してそちらに向かいます。
傍まで来たら電話しますね。」
「気をつけてきてくださいね。」

それから1時間30分、テーブルセッティングをして、桜色のテーブルクロスの中央に、チューリップの一輪刺しを置いて、軽食を作ってサランラップをかけた。電話のベルが再び鳴った。

「こゆきです。思ったよりスムーズに来れたわ。迎えにきてもらえますか?」
「はい。今、行きますね。」

小走りで、目的地まで約1分。
10年前、いや数年前はもっと走れたのに、息切れが甚だしい…
駐車スペースの軽自動車の窓ガラスを軽くノックした。
「うわ、早かったわね。お家は本当にすぐ近くなのね。この辺りラジオ交通情報でも渋滞しているところで本当に賑やかね。公衆電話の声が全然聞こえなかったもの。」

ようやく、自宅のテーブルに座って落ち着いてもらったのは午後2時前だった。
「お忙しいのに、よく来てくださいました。」
「ううん。3月8日にM研究会に一緒に来て欲しいってあなたが電話をくれたとき、これは是非とも行かなくちゃって思ってたのよ。
忙しいとかなんだかんだ言っても、本当に会おうと思えば、無理にでも
都合をつけるものでしょう?今朝は7時に寝て、3時間仮眠とって、
午前10時に起きたの。出かける間際にバタバタと急用が入って12時になっちゃった。」
「それじゃあ、別の日にした方がよかったのでしょうか?」
「いいのよ。タイミングを逃がしたら、また会えなくなってしまうわ。貴方と私は毎日顔を合わさなくたって構わない姉妹みたいなものでしょう。あの内観療法で、お互い一番辛い時期に出逢ったのだから、前世ではそうだったと思ってるの。貴方も私も変わり者だから。」
「そうはっきり仰らないでください。時々そう言われるから、自分では普通と思っていても、認めなくちゃいけないって思っています。
でも、今の時代風潮が自分に合っていないのなら、無理に合わせて苦しくなる必要もないんです。もしかするとおかしな時代に生まれなくてはならなくて、しんどい思いをしながら生きてきたのも事実なんですから。」

こゆきさんとゆきんこが会うのは、頻繁ではなく、3~4年に一度と
いったところだろうか。
「こゆきさんに初めて会ったとき以来、障碍のある方々の支援をしてきたのですが、この1月にガラリと職種が変わってしまいました。」
「まあ、生命保険?あなたらしくないわね。」
「なんだかベルトコンベアに乗っけられたように社員になってました。でも、居心地がとてもいいし、みんな良い方々ばかりなんです。

今までがんばってきたことを中途半端にしてもいいのかという思いもあるのですが、どうしてI先生に近づけないのか、自分でもわからないんです。去年の秋、何度かI先生の講義を聞きにいったときに、『こんな施設があってスタッフが足りない』と公の場で仰っていたのですが、自分にだけ言ってる訳じゃありませんからね。」
「職種はともかく、何か人生の意味があって貴方がそこへ行く運命だったんでしょうね。だって仕事って、内容だって大事だけど、一緒に働く人たちがどうなのかも大切だものね。」
「I先生にいつか一緒に会いに行ってくださいますか?こゆきさんも、
I先生も忙しすぎて3人揃って会うなんて実現するかどうかわかりませんが。」
「もちろん、私もお会いしたいわ。あなたがI先生に会いたいという気持ち、I先生にもきっと伝わっているはずよ。
私の教え子の方にも『もっと早く貴方に会いたかった』って言う方がいらっしゃるけど、『今、会うべくして会ったのだからそれを受け入れて
感謝しましょう』と答えているわ。」

サンドイッチをおやつ代わりにもう少し、話し込みたかったところで、4時前に母が戻ってきた。

「こゆきさん、去年の11月に貴方のギャラリーに出かけたときに
姪に会いに行くように進言してくださったのに、梅田で引き返して見舞いに行かなかったんです。姪がこんなに早く逝ってしまうだなんて、あの時、貴方の言うとおりにしておけばよかった。」
「いいえ、それはお母さんのご判断で、姪御さん会えなかったのならそれが運命だったんでしょう。」

それから、睡魔が襲ってきて、私はだんだん相槌をうつだけになった。母がこゆきさんに好奇心いっぱいに人生の諸々について質問し語りあって日が暮れていった。
「ゆきんこ、そろそろ支度しなさい。」
「支度って?どこかへ出かける予定があったの?」
「いえ、もういいんです。夕方に大学院修士論文の発表会とコンパの誘いがあったのですが、もう間に合わないから断ります。今日は、こゆきさんと過ごすことを優先していたし、コンパは2~3日前に連絡があって、時間に余裕があれば出かけようと思っていたんです。」

こゆきさんが、6時半ごろ家を出てから、母と私は険悪になった。

「こゆきさんは、私の恩人よ。私に電話をかけてきたんだし、あの人の
要望を聞くのは私なのよ。まだ話したいことがあったのに、途中で帰ってきたら話ができないじゃない。横からごちゃごちゃ余計な口出しやお節介しないでよ!こゆきさんも言ってたでしょう。自分のペースで自分の食べるものや生活スタイルも身体の状態に合わせて我侭にやってるって。」
あんたのために、色々やってるのに。もう好き勝手にしなさい!・・・私が嫌いならいつでも出て行っていいのよ!」
「お金ないもん。」
「貯金を下ろして出て行けばいいのよ!」
「嫌いだなんて言ってません。おもてなしするのは私なんだから先回りしないでと言ってるだけじゃない。」
「口出しされるのがいやなら、明日から自分の好きにしなさい!冷蔵庫も食べ物も私が買いましたから自分の欲しいものは自分のお金で買って作って食べなさいよ。そればいやなら、とにかくもう黙って!」

今まで散々お世話になって、親を罵倒している自分が全面的に悪いのは
わかっているのだけど、二言目には「あんたのために」という台詞を出されるのはいやだった。
前の来客時も同じパターンの親子喧嘩なので、そろそろ1人暮らししなくちゃな~と思いつつ、もう何年もそれが実現できていなかった。

結論として、来客前後、ゆきんこは不機嫌になる傾向あり。
人に会うのは嬉しくてワクワクするけど、不器用だから余計な気遣いなんかして、神経質になることもある。
因みに、木の芽時の3月から5月は環境の変化もあり、子どもたちや障害児は、不調になりますのでご注意ください。








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2006/03/26 13:30 | 悶々 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
味な褒めことば
2006年03月24日 (金) | 編集 |
♪は~るだ、は~るだ、は~るだ、仲間の春だ!

週末の営業所で、Nたんぽぽ保育園で覚えた童謡を口ずさみながらPCを打ち込んだ。
「K市の方がH市よりもサクラの開花早かったですね。」
「え?もう咲いてた?」
「はい。企業から帰ってくる途中に咲いてましたよ。」

新米保険外交員、今時常識外れに、自家用車も携帯もないのに、どうやって仕事する?

午前中は、年下の所長の車に便乗して、自宅の隣町の1軒1軒にチラシのポスティング。
「おはようございます。チラシ入れてもよろしいですか?」
「おはようございます。正職員を募集しています。」

途中、布教活動をしている清楚な女性と会話した。
「今日はお休みなんですか?」
「はい。」
「お仕事は何を?」
「派遣でS生命のコールセンターで電話応対をしています。」
「え?私たちS生命です。時給いくらですか?」
「1200円です。」
「悪くないけど、営業の方がいいわよ。クレーム処理大変でしょう?」
「顔が見えませんからそうでもないですよ。」
「でも、あなたきっと営業できるわよ。大丈夫」
「私も3月に入社したばかりです。この近くに住んでいますが、あなたも?」
「はい。」
「それじゃあ、是非、説明会に来てください。」

チラシと名刺を渡して、ポスティングの作業を終えると、車中で上司に話した。
「この前、営業所に母が来たとき、所長に紹介するのを忘れてました。」
「いいよ。あの時パニックになっていたから。」
「え?いつの間に?全然わからなかった。随分上手に人知れずパニくってるんですね。」
「フフフ。」
「私、ブログのなかで緘黙のみなさんとつながりがあるのですが、
発症の様子などによってさまざまみたいですね。子どもの頃にしんどい
思いをしていても、環境が変わって治ったり、反ってひどくなって社会人になっても回復しない人もいて、臨床家もどうしてもくれないと嘆いていたり。パシキルってお薬があるんですか?」
「あるよ。私も飲んだことある。そういえば、私も全然話さないことあったなあ。自分では普通のつもりだけど母親がおかしいなってずいぶん心配したのよ。それで、おばあちゃんのうちにしばらく預けられていたら話すようになったって。」
「それ、緘黙かもしれませんね。緘黙って本当に知名度低くて、本人も気付いていない場合、多いみたいなんです。」
「結局、誰もどうにもしてくれないから、自分で加減して周りに理解や協力をもらいながらやっていくしかないもんね。」
「本当に6ヶ月間臥せってたんですか?」
「ウン。ゆきんこさんが来る直前までね。」
「へ~、なんだか所長の部下になる運命だったって感じ。
私も緘黙でこの仕事ができるなんてウソだろうと思われているけど、
周囲の理解や支え合いがあって、仕事が続けられるんだなと思います。私には、仕事内容よりも職場の人間関係のよさの方が重要だったんだなと。」
「それは同じ社内の営業所と比べても、チームワークはいいと思うよ。」
「生保の悪しきイメージはともかく、私が決めた理由ってそれしかなかったですから。」

さて、遡って昨晩は、支社での研修を9時半から4時まで、トレーナーの手厚いマンツーマン指導を受講した後、
午後6時半から1時間、1ヶ月ぶりのTくんの家庭教師
もうすぐ保育所を卒園して、4月からピカピカの1年生になるTくん。

数日前にみぎ・ひだりもマスターして、絵を描いたり、カタカナもすこしづつ書き始めて、数字も10~12までわかるようになってきた。

「ゆきんこさん、Tは先生が本当に好きみたいです。
4月以降の就学後も国語・算数の指導を引き続き御願いします。」
「今後も私でいいのですか?仕事は保育、教育から遠ざかっていますし、既に残業している状態です。大学院との両立も去年、バーンアウトしたので、どうなるかわかりませんが。」

「あなたの子どもにかかわる才能を逸材だと思って、1ヶ月に一度でも構わないから、ずっとTの先生としてつなぎとめておきたいのです。」
「褒めすぎです。私だって本業で食べていけたらどんなにいいか。
でも、大学院にも授業料を納めないといけませんし、免除申請も却下されましたからね。かといって新しい仕事もいい加減な気持ちではできませんから、最優先だと思っています。」
「我侭言ってすみません。仕事は必要なことはわかっていますし、厳しいのも当然です。継続するには家庭教師だって、複数の生徒が必要ですからね。」
「私の場合、Tくんが唯一の生徒さんですものね。ハハハ」

今日は終日、S支所長の同行。この仕事を抜きにしてもめんどう見のよさが五体から滲み出ているといったキャラクターなので、安心して助手席で会話している。昔からの仲間みたいに。

「支所長、以前にもお断りしていたのですが、前職とのかかわりで、昨年、社会人大学院に入学して、4月からまた夜の講義が始まるのですが、仕事に支障のないように履修して、時間調整したいと思っていますので、宜しく御願いします。」
「うん、いいよ。どこまで行ってるの?」
「神戸の元町です。」
「遠いね。間に合うの?」
「5時に退勤させてもらえれば間に合います。」
「この仕事、自分の時間と調整して自己管理さえしてくれれば、プライベートには何も干渉しないから安心して。私だって子育てと両立しながら折り合いつけさせてもらって長年続けてきたんだから。その意味でも
他の職場よりも融通もあって働きやすいはずよ。」

今晩、久しぶりに会うはずだった前のK保育所の同僚Tさんが、体調を崩してドタキャンになった。
「電話くれたんだって?ルスにしててごめんね。今、帰ってきたところ。」
「ゆきんこせんせい~!ごめんなさい。せんせいにずっと会いたかったから、明日会うの楽しみにしてたんだけど。」
「もうせんせいじゃないよ。3月から働いてるの。」
「どんなお仕事ですか?」
「それはまた会ったときにゆっくり話すよ。とにかく早く治してお大事にしてね。」
「どうしてあの時、ゆきんこ先生やめなくちゃならなかったのかって、
私、今でも思っています。こうして話していると癒されるぅ。ずっと一緒に仕事したかったですよ。」
「わたしって癒し系なの?私もせめて3月までは子どもたちと一緒に過ごしたかったよ。途中で辞めて本当に悪かったなって、後悔先に立たず。」
「1年振り返ってみると、別に先生が辞めたからってクラスの状況は好転したわけでもなかったんですけどね。」

「ゆきんこさん、もう7時よ。お母さん心配してるでしょう?」
「あ、そろそろ帰ります。いい年してまだまだ段ボール箱に入ってるもんですから。いつまでも娘扱いを受けてちゃ、ダメですね。皆さんもバリバリ働いてお若いので、私とそんなに年齢変らないですよね。」
「まあ、ゆきんこさん。これ差し上げるわ!」
所長が喜んで販促品を差し出した。
「もらっておきなさいよ。もっと褒めたら何か出てくるかもしれないヨ」
「それに、、、いつも綺麗で輝いて見えます。」
「う~ん、それは言いすぎだなあ。」
「あんまり褒めすぎても、度を越すと気持ちを害してしまいますものね。相手の気持ちにぴったり合った褒めことばって難しいですが、大人になっても褒められるのって嬉しいですよね。」
「そうねえ・・・さあ、もうお帰りなさい。」
「はい。所長も早くお帰りください。」


それでは、ゆきんこも明日のゲストをお迎えするためにそろそろ寝ます。
お休みなさい。。。







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2006/03/24 22:47 | 緘黙 | Comment (4) Trackback (0) | Top▲
What for?(何のために)
2006年03月21日 (火) | 編集 |
今日は、お彼岸、春分の日。
3月から、会社員になり、営業活動を始めて3週間。

週明けは、会社にとっては月1回のイベントデーでも、私にとっては初体験の初仕事。

そう。1月にこのイベントに引っ掛かって、勧誘されて人生の方角がが狂ってしまったのが、この私だ。

営業員が、お客さんに声をかけて予めお誘いしてのイベントで、
Bさんから「誰かを誘っておいてね。」と週末に聞いてはいたが、
土曜日は法事で、日曜日はボランティアで丸つぶれだったので、
新入りの気軽さで、聞き流していた。

ところが、蓋を開けてみると、参加者はたったの3名。
これではイベントも寂しい限り。

S支所長が血相を変えて朝礼で言い放った。
「この人数では、講師のT課長に示しがつきません。今からでも来れる人に声をかけて!」

ひええええ~!!そんな無茶な!
「ゆきんこさん、誰かいない?」
「はあ…」

電話をかけたのは自宅。
「もしもし?」
「ああ、どうしたの?」
「10時からイベントなんだけど、お客さんがいないんだって。Wさんにも声をかけて来てくれない?」
「今から!?」
「御願い。」

母が営業所の最寄り駅付近にバイクで姿を現したのは、それから
1時間以上も経過していた。
踏み切りで延々と待ちぼうけて、もう来てくれないのではと、諦めモードで。何度か営業所と踏み切りを往復した。

この付近のロケーションがよくわからないのだが、近くにスーパーが
あるらしく、車椅子やら、杖をついたシニアの皆さんに、自転車で
行き交う女性たちと、待ち人の私と目が合って、時々会釈した。

「結構、暇そうやン。でもいきなり声をかけるのもね…」

サクラの母を案内して、既に始まっていた「年金セミナー」に聞き入った。
①公的年金の支払額は、平成16年現行で月額13300円
年々280円づつアップし、平成29年には16900円に引き上げられる。
②厚生年金は現在、年収の13.58%だが、2017年以降は年収の18.3%になる。
男性の平均寿命は78歳、女性は85歳で、妻が年下の場合は、8年から12年位の未亡人の1人暮らしが想定される。

小学生のころ、アナウンサーになりたかったT課長は弁舌を振るい、最後にこう締めくくった。
「私の場合は40歳。妻が35歳で、就学前の子どもが二人ですが、家族を
抱えてこれだけの負担に耐えられるのか、将来の不安があります。
③夫婦は他人という意識を前提に、ご主人が健康で夫婦が仲良くあり続けることも、女性にとって、家族の幸せには大切なことだと思います。」

T課長が、私の傍に寄ってきて、コメントを求めてきた。
「聞いていてどうだったかな?わかりやすかった?」
「最後のところよかったですよ。この頃、年齢を問わず離婚は増加していますからね。女性は仕事をもっておくべきだということは印象付けられたと思います。」

しかし、T課長自身は全国津々浦々の転勤族だから、妻子を連れまわす
人生をこの会社とともに続けてきては、×1だの、シングルヤンママだの、ハイミスとかの訳ありな働かざるを得ないダービー女のお尻を引っぱたいて保険料というお金を徴収しているわけだ。

そのため、「S生命です!」と訪問先の玄関で言う度に、
なんという非情な反応に耐えしのばなければならないのだろう。
仕方がないのかな?結局、お坊さんと同じで、托鉢しているようなもの。

10年くらい前から2~3年好んで通っていた占い師さんがいた。
黙ってそこに座っていても、言い当ててくれると何となく信じたくなるのが、占い好きを強化してしまう。
「あなたは、1を聞いて10を知る人なんだね。」

参加してくれたお客さんに飲み物とお菓子を振舞って歓談した。
根っからのお子様好きの私。小さい女の子のそばに寄っていった。
つい2ヶ月前まで振りまいてもらった笑顔をお客さんに返すのがこの仕事
なんだってさ。
「もうすぐ幼稚園行くの?」
「うん。」
「いいなあ~。楽しみだね。」

そういえば、幼稚園免許を取るようにゼミのY先生に勧められていたんだっけ。
「今、こんなカードが流行ってるんですか?アバターみたいね。」
「ええ、最近ね。」
「ねえ、どれがいい?」
「これ。」
「おだんごパーマだね。クルクルって頭の上に巻くんだ。」
「うん!」
「どのお洋服がいい?」
「これ!」と指差ししたポニーテールの小さなお客さん
「素敵なドレスね。」

あどけない彼女もいずれは、大人になって結婚するか、働くか?
「あと20~30年もすれば、日本はおばあさんばっかりになってるでしょうね。私、痴呆症の方々のいらっしゃる老人ホームでボランティアしたことがあるんだけど、殆どおばあさんだったもんね。」

自分の人生や生活設計をしておくことは、王子さまが現れるかどうか
わからないことを想定して、女性だからこそ正職員として働いておくことは当然なのだ。
専業主婦をしていられるセレブな女性は、パートナーに対して頭があがらないとか片身は狭かろうと、やはり経済的に余裕のある証拠。
しかし、その理由と関連してこの仕事を始めた私に、今まで懇意だった
友情にヒビが入ったのも事実で、心外だった。

気心が知れてくると先輩営業員の本音やぼやきも耳に入ってきた。
「初めは何回も断ってシブシブ入ったんだ。」
「子どもがいると、これしか他に仕事がないのよね。条件厳しくて」
「病気したら保育所に迎えに行かないといけないし、保育所では
他の子どもに移してはいけないという理由で預かってくれないものね。」
つまり、わたしも「同じ穴の狢」で拉致されたってことか?

3時半にイベントが終了して、反省会が行なわれた。
M所長がホワイトボードの横に立って言った。
「週明けのイベントで、卒業シーズンということを理由にしてはいけないのですが、参加者を事前に募っておくことが不十分でした。」

「ゆきんこさん、初めての参加どうでしたか?」
「はい。私は1月にお客の立場で、今回は全く正反対の立場にあったので、敢えて素人感覚でお客の観点で言わせてもらいますと、
Bさんに勧誘を受けたときには、ちゃんとチラシもあって、イベントの内容もわかっていましたし、数日前から何度かお電話もいただいていて、
参加させてもらいました。私は納得しないと動かない性質なので、そういう丁寧な誘い方の工夫は大切だと思いました。イベントの目的がはっきりしていないと、お客さんも朝、突然電話をかけて来るように言われても、何のイベントなのか、不安だと思います。休日は所用でお誘いできるような状況ではありませんでしたし、母も知り合いを誘ってくれましたが、身支度をして駆けつけるのに1時間はかかってしまいました。」

ちやほやしてもらっていたのは、1月と2月だけだった。
幼稚園の時、好きなお話は「シンデレラ」だった。
営業所の女性たちの笑顔の裏に、企みごとがあるなんて疑いもしないで、スルスルと誘われるがままにここに来ていた。

シンデレラはガラスの靴の持ち主を探しに来た王子様と結婚して本当に幸せになったのだろうか?
いずれにしても、王子様はおじいさんになり、先にあの夜へ旅立つことは、統計の上では明らかなのである。

それにしても、生保の一般的イメージの悪さは、「飴玉セラピー」の異名を持つABA以上なのも、折角正職員になれたとしても、うれしくないところ。
「私、誘ってくれたのがBさんでなく、人間関係のいいこの営業所でなければ、入社しようと思いませんでした。
保険の勉強もしてよかったと思ってるのに、どうして友人や世間一般のの風当たりはこんなに悪いのか、それが残念でたまりません。」
「営業員もいろいろいるからね。その対応がよくなかったんでしょうね。辛いこともあるかもしれないけど、最後にはきっとお客様に感謝されるはずよ。」

今日の午前から正午にかけて、2005年4月から9月まで放映されていた
朝の連ドラ「ファイト」の総集編を視聴した。
主人公の女子高校生 優の家族が、父親の友人の取引先が不正をしたことに端を発して、マスコミ沙汰になり、倒産して家族が離散してしまう。優も好きなクラブ活動ができなくなったり、親友に裏切られたりと
不登校になる。父親の再就職先も見つからずについには、事故で怪我をして指先が動かなくなるという危機的な状況にまで陥ってしまう。

最後にはハッピーエンドで、父親は工場を再建した。優は心理学を志していつも自分を慰めてくれた競走馬の「ジョン子」の子どもを使って、想いを寄せていた男性とホースセラピストとして夢を実現させていくという結末だ。

何とも羨ましい話だけど、せめてフィクションは「めでたしめでたし」でなくてはあまりにも、現実に生きる張り合いがなくなってしまうものね。

このドラマを見ながら、今日は居間を模様替えしてみた。
京阪モールでもらった新人アーティストのポスターを貼って、カーテンは若草色のものに架け替えた。
砂壁に貼っていたいろんなイベントチラシも取り払ってすっきりさせて、「ラスカルと世界名作劇場展」のチラシを飾った。
「物語の主人公って殆ど女の子なのはどうしてかな?」

さて、この頃マスコミなどの影響もあって、誰もがこころの大切さを
かみ締めて渇望さえしているように思われる。
でも、実際には主人公の優みたいに心理学を活かしてご飯をまともに
食べられるのは、I先生など一部の諸々の恩恵や天賦の才がある一部のプロフェッショナルにしか与えられていない。(負け犬の遠吠え ワオ~ン!)
なんとかプロの臨床心理士になったとしても、エビデンス(実証)できないのが大半で、クライアントに逆切れされて、凹凹になり身を滅ぼしてしまう骨折り損な不安定で、危険極まりない職業なのも確かなのだ。

それでも、結婚、出産、子育てに望み薄の私の心には、夢だけがあった。

自分の子どもじゃなくても、わたしに抱っこさせて遊んでくれる子どもがいたら、思いっきりそうしたい。
インターホンを押すのには相当な勇気が要る。
笑顔とチラシをを振りまいて、すっかり大人になった人々の歪んだ口元がほころぶことが万が一でもあればいい。

去年、子どもたちの前で泣き顔ばかり見せていたやるせなさ、辛さ、
保育士たち、教育者の集団のなかで話せなくなったことに比べたら、 もう少し様子を見てみる余地があった。
「臨床心理の世界と決して乖離しないんじゃないか」という
ゆきんこ独自の直感が、まだ異業界に居直りの意義を感じていた。


あら!Tくんのカリキュラム考える時間がなくなっちゃった。







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2006/03/21 17:46 | 日常の発見 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
悩みはいつも人間関係
2006年03月19日 (日) | 編集 |
昨夜は、テレビの映画放送で「南極物語」を見た。
1983年の作品で、随分時間がたった気もするし、ついこの前のような気もする。
作品中に夏目雅子が存命していて、荻野目慶子もすっかりオバサンになっているから、やっぱり時の流れは感じるなあ。

そういう中途半端な年代の私も、ボランティア相談員がそこそこ板についてきた。
今日は終日、午前10時から午後6時までを電話ブースのなかで過ごし、
ひっきりなしの相談に応じていた。

まずは、常連相談者から10時きっかりに立て続けに電話のベルが鳴った。
「おはようございます。」
「え・・・と、服はどこで買いますか?百貨店とか?」
「さあ、人によると思いますが?」

「禁煙して一ヶ月半になります。」
「どうやって続けてるんですか?」
「禁断症状が出てきたら、飴を舐めたり、ガムを噛んだりしています。」

正午になって、ちょっと外出させてもらい、総合福祉施設の福祉図書
コーナーに絵本を借りに行った。

こんなに安らかで居心地のいい場所(…といってもそれは私だけかもしれないけど)があることを市民の何人が知っているだろう。

「こんにちは。絵本を借りに来ました。」
「こんにちは。」
「Uさん、質問ですけどね、小学校1年生のとき、算数は得意でしたか?」
「はい。得意でした。」
「どうやって勉強しましたか?」
「プリントの宿題を家でしていました。」
「ふ~ん。私、家庭教師をしているのですが、算数をどうやって
教えようかなと思ってね。」
「・・・・」
「あ、子どものころにどんな御伽噺や昔話を読みましたか?」
「金太郎を読みました。」
「他には?」
「・・・・、こぶとりじいさん。」
「こぶとりじいさんね。なるほど、ありがとう。」

Uさんの意見を参考にTくん向けの教材を探していると、休憩時間を
済ませて、ペアの女性が戻ってきた。
お互い存在を知っていたが、女性と話をしたのは初めてだった。
「こんにちは。また来ました。」
「こんにちは。よくきていらっしゃる方ですね。」
「あら、私の声でわかりますか?そういえば、ニュースで聞いたのですが、耳の聞こえとか速聴に鋭敏になるそうですね。声がどの辺の距離から聞こえてくるのかわかるんでしょう?」
「ええ。わかります。」
「この前、家の近所の交差点で、すぐそばにポールがあって、信号が
青なのに、目の前に横断歩道を遮って、大きなダンプカーが止まっていました。危ないので白い杖の女性に声をかけたんですが、音を聞き分けて、ぶつからないように立ち止まっていらっしゃってすごいな~と思ったんです。」
「そんなことがあったんですか。」
「雨の日は聞こえ方も変わるんですってね。」
「ええ。雨の日は全然聞こえなくて、怖いですね。」
「盲導犬は使わないんですか?」
「私、イヌが怖くて、傍で吠えられたことがあるんです。」
「ああ、イヌがこわいと使えませんよね。イヌも匂いを嗅ぎ分けて
イヌが好きな人かどうかがわかるんですよね。
算数はどうやって覚えるんですか?」
「書くと、量が浮き上がってくる特殊な紙を使って、触角を頭の中で
イメージして覚えていくんです。」
「じゃあ、普通に覚えるのと同じですか?」
「そうですね。」
「ある視覚障害者の方の話を思いましましたが、色だけは想像が難しいと。」
「ええ、私も生まれつき見えませんから、話を聞いてイメージで覚えていますが、色も混ぜ合わせたり複雑なものはわかりません。子どもの頃
塗り絵をしましたが、クレヨンは持った感じではどの色も同じですから。」
「ああ、赤は血の色で、白は牛乳の色」
「ええ、想像はできます。」
「形や重さとか、長さは触ってわかるけど、色はどうしてもね。」
「そうですね。」
「どうも、ありがとうございます。」
「いいえ、また来てくださいね。」
「ええ、また来ます。ここも居心地よくて広々していていつもきれいなんですけど、初めの頃よりは、少しカーペットも傷んできてますよ。」
「はあ~、そうですか。」

自分でも気がつかなかったが、彼女は随分前から声色を聞き分けて、
私を知ってくれていたようだった。
それなのに、今日の今まで、会話しなかっただなんて。

電話相談も、顔の見えない声だけのやりとりで、どこの誰だかわからないという匿名の気軽さで、深刻な話の中にも笑いが飛び交うこともある。
「お久しぶりね。」
「はい。私の声を覚えていらっしゃいましたか?」
「ええ。1年ぶりくらいかしら。ちょっと相談したいことがあって。」

この頃は世相を反映して金銭や経済的なトラブルの話もあったり、
自分の許容量を超えた相談内容など多岐に渡ってきたが、
それも、自分自身の辛酸舐めた体験が、何となく効を奏してくる確立が
高くなってきた。

トイレに行く時間もなく、ずっと電話の向こうにひたすら耳を傾け、
自分なりのない知恵を絞って、アドバイスもしてみた。
「ここの相談員さんのアドバイスを色々試してみましたが、
タバコがやめられません。」
「どんなことを試してみたの?」
「本数を減らすとか、種類を変えるとか。」
「どうしてやめられないのかな?」
「う~ん、自分に負けちゃう。」
「そうかぁ。いくら相談員がアドバイスしても、自分でがんばろうと思わなくちゃ、負けちゃうよね。」
「はい。」
「今日は、何本吸ったの?」
「2本です。」
「あと、何本吸いますか?」
「今日はもう吸いません。」
「明日まで吸わないで我慢できますか?」
「がんばります。」
「それじゃあ、がんばって!明日まで吸わずにがんばれたら、明日また電話をください。」
「はい。」
「自分で、明日まで吸わないって決めたんだよ。自分との約束だよ。」
「はい。ありがとうございました。」

保育士という肩書きを捨てても、私の言動は、保育所の中でも外でも
あんまり変わっていなかった。

子どものころに積み残した宿題は、大人になってもチラチラと顔を出して、周囲の人々を巻き込んでいくことがよくあるような気がしている。

因みに、石切神社のベテランの占い師さんや霊媒師さんたちの話もある相談者から教えてもらったのだが、本当かどうかはさておき、子どもの頃以前の、前世から克服できなかった課題を何百年単位で人は引き摺って生まれ変わってくるのだそうだ。

…てことは、わたしの特異な緘黙も?独身を維持していることも、
神のお告げで定められているって?

そんなこと聞いたら、修論が書けないじゃないの!

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2006/03/19 20:59 | ボランティア | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
従姉の49日法要
2006年03月18日 (土) | 編集 |
殆ど毎日更新していたブログ、1週間ぶりである。
1週間前に、インターネット接続が不可能になり、ブログが故障してしまった。
プロバイダーに問い合わせるのに、同時に電話発信もできなくなって、身近な人や会社に携帯を借りたり、公衆電話を探したりと、あたふたして、ようやく昨夜、モデムの交換、接続に漕ぎ着けた。

「死人に口なし」と言うけれど、死ぬまで気付かないことがあったり、
死んでその人の存在の大きさにやるせないほど、気付かされてしまうことがある。死んでしまってからでは、遅いのに悔やんでも悔やみきれない思いに、生き残った者は逝ってしまった大切な人の面影に、苛まれてしまう。

その只中にいる人々に否応なく会わなければならないとき、
第3者としては、どのように接していいのか本当にわからない。

死者を弔う仕事である僧侶という聖職者は、遺族とかかわるときに、
どんなことを心掛けていらっしゃるのだろうか?

母と朝7時半に起床して、朝食を済ませて、また黒いスーツに身を包んだ。
朝から曇り空で午後からずっと雨。昨日から卒業式もあちらこちらで
行なわれていたのに、あいにくの天気になってしまった。

「明日は息子の大学の卒業式なのよ。最後だから見納めておこうと思って。」
私を勧誘してくれたBさんが、隣の席で言った。
翌日の今日、母と私は、亡き伯母宅へ出かけた。
従姉が結婚して以来、物心つくころから、この家で客扱いを受けたことはなく、到着するや否や、お茶の接待が始まった。

しかし、S家の女衆が相次いで亡くなって、台所や衣類の細々した勝手が
わからないなりに、儀式の合間に、Kさんの1人娘のAさんに尋ねながら、
ことを進めて行くしかない。
「ねえ、ハンガーある?」
「2階に。コートかけなんて、いつもお客がくるようなレストランでも
あるまいし。」
「そりゃ、そうだね。」
まだ布団の中らしき兄を起こして妹ながらに涙ぐましい努力を、
なんとか手伝いたかった。

ご近所の住職様が、定刻前にお出ましになり、間もなく午前11時
法要が始まった。
2月2日の葬儀に比べると、随分と寛いだムードになっていた。
30~40分ほどで、滞りなく終わり、今度は納骨に墓場へ移動。
そのころ、雨が降り出した。

数珠を持って、叔父のIさんと並んで歩いた。
口数の少ないIさんと何気ない話はちょっと苦手だけど、
「あ~、降ってきましたね。」
「中に入り。」
「この頃体調、どうですか?」
「うん、いいよ。」
「K子さんは?」
「今日は、幼稚園の修業式があって来れないんだ。」
などと話した。

納骨の時には本格的に降ってきた上に、喪主のYさんが慌てて
「お花忘れた!」と自宅に引き返したり、
お線香をつけていなかったり、墓石にお水をかけるばけつやひしゃくも
慌てて用意したりと、3人の遺族はバタバタしていた。

反対に、Kさんが可愛がっていた愛犬のダックスフント、アポロが好奇心丸出しに、人間たちの間をしっぽをフリフリ、縫い歩いては抱っこしてもらったり自分からペロリとキスしたりと、愛嬌を振りまいていた。

そのせいか、親族たちは心を和ませて共通の話題も弾んでいた。

2月に拾わせてもらったKさんの骨を、墓石の窪んだ穴に押し込んで
納骨した。なんだか、とてもあっけなかった。
Yさんがばけつの水をかけて灰の屑を流して掃除した。
それもKさんの身体の部分なのに。

すぐ傍の御堂で、またお茶を飲んで歓談して食事会までの時間潰し。
親族は総計20名出席しているものの、喪服だけのお付き合いでは、
どこのどなたかさっぱりわからないのも、冠婚葬祭じゃないだろうか?
という私自身も常連出席親族なのに、謎の人物扱いを受けていた。

私は、知り合いのなさそうなシニアの女性の横に座った。
「何度かお会いしていますのに、どんなつながりかわからなくて」
「そうですよね。私は、Kさんの祖父の従兄の妻にあたります。
夫は既に7年前に亡くなりまして。」
「はあ、Kさんの結婚式でお会いしましたでしょうか?」
「いえ、しませんでした。」

つまり、今回の法要は従姉のKさんが主役なのだが、私も知らない随分
昔に亡くなられたKさんの御祖父さん、御祖母さんつながりの4親等くらいまでの親族まで出席されているのだ。

「もっとちゃんと聞いておけばよかった。」
「お葬式の段取りなんて、滅多にすることじゃないし、私だって一度もやったことないんだもん。できなくて当たり前よ。順番が逆だよね。」
「ハハハ。」
Aさん、苦笑いだけど、笑える余裕はできたようだった。

誰もいなくなった御堂を片付けて、消灯すると再びS家へ移動。
「仕事はどう?慣れた?」
「うん。ぼちぼち」
「何の仕事してるの?」
「観光業」
「へえ、ツアーコンダクター?」
「ううん。大変だから窓口カウンター」
「そうだよね。ツアコンは責任重いし、ずっと張り詰めてるもの。
カウンターの方が気楽だね。」

再び、座敷で叔父のIさんと隣になった。
「おじさん、M子さんは、今度いつ帰ってくるの?」
「この前、帰ってきたんだよ。」
「ホント?教えてくれればよかったのに。もう3年も会ってないよ。」
「今度は夏に帰って来るって。バタバタしてすぐに戻ったからね。」
私は、向き直って反対側のKさんと同年代の女性に話した。

「こちらのMさんと私とKさんが従姉同士なんですが、Mさんの妹が
イタリアで仕事をしているんです。」
「そうですか。何のお仕事を?」
「確か化粧品だったっけ?」
「はい。修道院で物品販売しているんです。」
「でも、Kさんと随分年が離れているのね。」
「そうですね。Kさんが結婚したとき、まだ6歳でした。花束を贈呈するのに、どっちがKさんに渡すかジャンケンして、Mさんが買ったので、
私は負けて、花婿のYさんにシブシブ渡したんです。」
「そう。私はまだ嫁ぐ前だったから知らなかったけど、子どもが生まれたばかりのころに、こちらにお邪魔したこともあったわ。」
「嫁がれる前は、どちらのご出身ですか?」
「宝塚よ。」
「タカラジェンヌの町のご出身なんて素敵ですね。新年にベルばら見に行きました。」
「また、ブームになって連続講演が盛況みたいね。私、よくタカラジェンヌに間違えられたわ。」
「そうでしょうね。わかります。」

喪主のYさんが、談話を遮るように切り出した。
「え~、ここでインフォメーションをさせていただきます。
みどりの日は、母Y子の7回忌と祖母の25回忌を予定しております。」

 歓談もたけなわになってくると、次第にデクレッシェンドして、最後には、後片付けが待っている。
「ゆきんこ、そろそろお茶をお出しして。」
「わかりました。」
叔母のH子さんは、実の娘がちょこんと座るドまん前で、どうして
姪の私に指示するのだ??
まあ、いいけど。

また厨房と、座敷をお盆にお茶をのせて、何往復もして、お茶碗を洗っては拭いて、を繰り返す。
する人(女性)はするけど、しない人(男性)はしない。
「ねえ、コーヒーどうする?」
「コーヒー?」
「あのさ、言いにくいけど伯母さんの時は、コーヒー出してたよ。」
「そうだったっけ!?」
「どうする?」
「やっぱり、お出ししよう。」

なんで私も親族なのに、この家を仕切っているの?
しかし、嫁同士(私は嫁になったことはないけど)の結束が何となくできて、チームワークも抜群にコーヒーも一通り振舞うことができた。

Yさんは、海外赴任の経験とステイタスもあり、対外的なところで音頭を
取るのも上手い人だ。でもそれと裏腹に家の細々したことは、多分それほどできないだろうことは、想像に難くなかった。

「Aちゃん、今回お掃除がんばったんでしょう?」
「ありがとう。いらないもの全部捨てたんです。」
「御祖母さんは、いつも綺麗にお掃除してたものね。」

印象に残ったのは、人間よりもずっと愛想のいい天然コンパニオンの
アポロの存在だ。伯母のY子さんと入れ替わりに、S家の一員になり、
Kさんが添い寝していたそうだ。
幸い、みんな犬好きの方々ばかりで、アポロを抱っこしてはニコニコしていた。

Yさんは、親族一同に色々ウンチク話をしていたのに、なぜか最後の最後まで後片付けに残っていた母と私に気兼ねなのか、気まずいのか、面と向かって話をしたくないようだった。

というのも、はっきり口に出さなくてもその訳は、伯母のY子さんがS家に嫁ぎ、Kさんが生まれてから死ぬまでの半世紀以上の永年に渡って、
間接的なシナリオを、プレイバックすれば、薄々わかることだった。

だから、伯母にちょっと似ている母と私は暗黙の了解で、スッと存命中の伯母たちの代理ができるのだった。

親族を見送りだしたYさんと玄関先で、ようやく話した。
「ああ、雨止まないですね。あいにくの天気になっちゃいました。」
「ゆきちゃん、最後までありがとうな。これさして、気をつけて帰ってや。」
「Yさん、これ値札ついてるじゃない。Aさんの買ったばかりの傘じゃないの?私、傘持ってるから、大丈夫。」

愛妻を亡くしてすっかりシオラシイYさんに、いつも通りの挨拶をした。
「それじゃあ、また。失礼します。」

阪大病院に寄り道して、夕方5時半にH市駅に戻ると、傘の花を広げた外大の女学生の袴姿が、目に眩しかった。




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2006/03/18 21:37 | 仲間 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
笑顔も花咲く?M研究会
2006年03月10日 (金) | 編集 |
今週も、無事に1週間終わった。
この2~3日はいきなり3月下旬の春の陽気で、気温も15℃から17℃。家の軒先の梅の花も満開で土筆も出てきた。
火曜日から木曜日の3日間は、初対面の総務や教育係り部長の手ほどきを受けながらの机上学習と、営業実践活動が3日交代で行なわれた。

部長たちの転勤人生にまつわるエピソードとか、人生訓とか、マイワールドなんかを聞くのも面白くて、どっちかと言えば、ある意味、
教職員でない人生の先生たちに妙な面白さを感じている。

現在は、社内用PC端末を操作しながらの「生涯サポート2級」という
免許を取得するためのトレーニングも受講中。
何もかもが、前職にはなかったことだから、それが楽しい。

昨日は、I先生もお出ましになるM市の障害児研究会に出席した。
あんまり先のことは、考えすぎず「今、この時、ここ」の諸々をようやく楽しめるようになった私なので、思いつきや閃きで行動してしまっていることもある。
それも、自分の脳ミソが発するオペラントだからいいのだ。

午前中は、PC操作のおさらいをしながら、支社長面接を待機した。
11時に7階建て支社ビルの4階フロアーの支社長室に通された。
4人1組になり、どっしりとした皮のソファに座る。
第一印象からとても気さくで真摯なK支社長の懐の深さを感じ、
私は物怖じせずに、質疑に答えた。
「ゆきんこさん、このままわが社の社員として手続きさせていただいて
よろしいですね?」
「・・・はい。」
「実践に出てまだ3日くらいでしょうか?どんな感想をお持ちですか?」
「そうですね。保険のことは全く知りませんでしたので何も知らなかったのだなあと、楽しく新鮮な気持ちで勉強させていただいています。
初めは無我夢中で支所長のリードで名刺を持って挨拶回りをさせていただきました。しかし、友人知人の勧誘にかんしては、いままでの仕事や私の人となりをよく知っての上で、さまざまな反応があり、抵抗を感じました。私は失礼ながら、S生命とこのようなご縁がなければ、
契約者でもなく、こちらにこうして座っていることもなく、世間一般の保険業のイメージがさまざまであることに正直、驚いています。

「そうですか。貴重なご意見をありがとう。ゆきんこさんは誰に勧誘を受けたのでしたか?」
「Bさんです。ハローワークの前でした。」
「そう。Bさんでしたね。わが社に貴方に来ていただいて嬉しく思っていますよ。私に何か聞いておきたいことはありますか?」
同席の3名は特になかったようだったが、私は口火を切った。

「自分がいいと思うものなら進んで提案できると仰っていましたが、
私は、保険はもちろん当社の商品知識についてもこれから学んでいくことになります。私はそれをお客様にお伝えしてするにあたって、支社長ご自身が他者と比較して、アピールできる特徴がありましたら、折角の機会ですので、是非、伝授していただけませんか?」
「うん。それは何と言っても、お客様一人一人のニーズに応じた商品のラインナップが豊富であることと、一押しは、高年齢層向けの『千客万来』だね。」
「ありがとうございました。」

午後1時に早退して、H市駅に向かい特急に乗ってホッと一息ついた。
夕方の研究会まではまだ時間があった。

淀屋橋駅からロイヤルホテル行きのシャトルバスに乗り、ロビーで
目的地への行き方を教えてもらった。
目的地は、中之島の「国立国際美術館」
午後2時半に到着し、夕方4時ごろまで「プーシキン美術館展」を
鑑賞した。
知人の数日前のブログに同美術展についての感想が書かれていたのに
感化されたというわけでもなかったけど、ちょうどいい気分転換が
できそうな空き時間を過ごせそうだなと思いついた。

就職前の1月にはSちゃんを誘っていたけど、そうそう遊び呆けていても
いけないと、その頃は思っていた。

展示品は、どれもお気に入りの印象派からピカソのキュビズムまで、
名画がずらり!
おまけに、平日も満杯でゆっくり鑑賞が難しいことは、昨年7月に人気を博して開催されていた「ゴッホ展」で経験済みだったけど、
午後2時にもなると比較的、観客は少なくゆったり寛いで鑑賞できたのも満足感があった。

詳しくは日を改めて記録することにして、

夕方4時過ぎに美術館を後にし、大阪行きのシャトルバスに乗って
到着したら、もう5時になっていた。
「時間、間に合うかな…」
無理だった。

乗り継ぎはまずまずスムーズだったけど、K電鉄の恵比寿駅に着いたのが
6時50分くらいで、現地会場には7時10分ごろ到着した。
先月2月9日に参加した時は、参加者は20名足らずだったと記憶しているが、今回は40名以上はいただろうか。

I先生はお疲れなのか、プレゼンターの先生が話しておられる前で、
こっくりこっくりうたた寝していた。と思いきや、ふと目を覚まし、
どんぴしゃりのコメントが飛び出す。
はぁ~、、、、前から思っていたけど、地獄耳に千里眼
何と、あんなナポレオン式睡眠であっても、眠りながら傾聴しているだなんて、さすがは傾聴のプロ、臨床心理士は違うなぁ~
果たしてその数分のうたた寝シーンを発見して面白がっているのは、
何人かな?

今回は、1月の講演会では聞けなかった「笑い声」まで大収穫。
というのは、ゆきんこは(もしかして誰も)I先生の実態を知らない。
これもプロに徹してこそ確立された行動スタイルなのだろうけど、
臨床心理士は、常に相手の鏡であり、人となりなんてむやみやたらと
晒すものではないからだ。
毎回、感じるのはI先生ほど自閉症のみなさんのために人生を捧げ尽くしている御方なんだな~と心底思っていて、全然話さなくても、
それが明日の保育への希望へとつながっていたのだ。
去年の秋までは。

今日も上司のS所長に、
「ゆきんこちゃん、天然(ボケ)入ってるけど、そこが貴方の
いいところよ。」
と、ほめことばか何かわからないおことばを頂戴した。

今の仕事は、それなりに楽しくて、M研究会に出れば、そこは営利を介さない障碍をもって生まれてきた子どもたちに最善を尽くそうとする教師たちの集団も、「こんなに素朴にいい人たちが集まってるんだ。」
とだんまりでも、少し安心する。でも、名前を知っているのは有名人のI先生だけで、他の目的なんて何もなかった。
何度、その研究会に足を運ぼうと、対象児のない限り、今のところは机上の空論に過ぎないのだ。それはあんまり嬉しいことじゃなくて、
会場の何人かの先生たちが画像の子どもたちのベル合奏に拍手をしても、
障害児の世界が遠ざかっているのを感じていた。

今の営業所でも、何人かが
「ゆきんこさんって、マジメで先生みたい。」と言う。
生保の女性たちは、先生集団に比べたらそのキャラクターのレンジ(幅)は大きい。換言したら、個性的ってことかな??

会社学校と学校教育は何となく違う。
全ては人間の営みであって、他種の動物にはないということだけは確か。

今日は、初任給も頂いた。嬉しい!!
一日のうちに何度笑ったのか?
それが幸せのバロメーターじゃないだろうか?

1週間仕事をした金曜日は心地よく眠いです。







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2006/03/10 20:31 | 講演会 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
背中が痛い、雨の自営業
2006年03月06日 (月) | 編集 |
週明けの仕事はじめ。今日は啓蟄。例年より遅く春一番が吹いた。
午前9時時点では、曇り空だったが、単独での営業活動としては、あいにくの雨で、身動きがとりにくかった1日だった。

Sれい室で、9時半に互礼を交わし、はじめはベルクラブ会員の紹介ビデオを視聴した。
「どんどんたまる。 いろいろえらべる。いつでも使える。紹介した方、された方が得をします!」
ビデオのなかの俳優は、明るく軽やかに宣伝している。
「今日はお友達相手だから、気軽に自分のペースで廻れると思いますよ。」

そういえば、T課長も言ってたもんね。
「自分がいいと思うものなら、自信をもって勧められる!」

しかし、実際は違う。
自転車は却って市街地の中は歩きにくい。
まずは、ボランティア活動をしている心の電話相談室を訪問した。
「こんにちは。どうも。」
「今日は、実は御願いしたいことがあって・・・。」
「なあに?」
「私、就職が決まったんです。」
「そうよかったわね。どこなの?」
「ここです。」
リーフレットを出した。
その途端、Iさんがドギマギと困惑したように、退いたのがわかった。
「そうねえ。今は電話応対中だから・・・」
「そうですね。では、お昼ごろに出直してきてもいいですか?」
「ええ。」

ことば通りに出直して、次には総合福祉施設の4階図書コーナーを訪問した。
「こんにちは。」
「やあ、ゆきんこさん。その後おとうさんはどう?」
「ありがとうございます。今のところ連絡はないので、大丈夫だと思います。ただ、もう階段を自分で上り下りできないんですよ。
この前訪れたら、姉に会いたいと言ってました。
もう30年くらい会っていませんから、父が72歳ですからね、伯母も随分な年齢になっていると思うんです。」
「そうか~、お父さん72歳か」
「はい。身動きが本当にとれなくなってしまう前にもう一度会わせて
あげたいなと。」
「そういうことなら、途中まで送るのを手伝ってあげよう。」
「ありがとうございます。」
「僕にできることならなんでも言ってね。」
「ほんとうですか?」
「うん。」
「それでは、もうひとつ御願いがあります。ここでもいいんですが…」
「そう?じゃあ、奥で聞こうか。」

Wさんは、衝立の奥のビデオコーナーに案内してくれた。
「すみません。仕事の御願いです。」
私はそろりとリーフレットを出した。
「あ~!もう保険はダメ!S生は解約して、今はAのガン保険に入ってる。」
「いえ、契約じゃないんです。売りつけたりしませんから。
ノルマがあって、この会員の名前だけ集めないといけないんです。」
「困ったな~、僕、女性に頼まれると断れないんだ。」
「ご迷惑かけませんから。とりあえずお名前書いてもらうだけです。」
Wさんは不承不承サインしてくれた。
「ありがとうございます。嬉しい!」
「じゃあ、またね。」

さて、出直しの正午にはまだ時間がある。
図書館で少し気分転換して、動物雑誌のメモを取った。

正午過ぎに、再び相談室を訪れると、2名の年配相談員からは、
涙のちょちょぎれるお小言をちょうだいした。
「私たちはもう年金暮らしで、こんなボランティアをさせていただいてますけどね。こんな場所で営利行動をするなんてあなたのイメージが
崩れますよ。息子もアリコに入社してますけど、私は一切かかわってないの。年寄りは騙されやすいでしょう?」
「そうですね。個人情報保護法もありますから・・・。」
「でも、社会勉強にはなるはずよ。お役に立てなくて悪いけど、
ここで営業するのはダメ。他でがんばってきなさい。」
「はい。もうここではしません。」
「まあまあ、おなかすいたでしょう。お菓子とコーヒー召し上がれ。」

惨敗×

再び支社に戻り、カッパを着て自転車で自宅に引き返した。
今度は、裏のWさん宅へ。
「こんにちは。今日は仕事で来ました。昨日御願いしていた書類書いてもらえますか?」
「いいわよ。どうぞ中へ。」
水曜日に早速、口頭で承諾を得ていたので、近況をお聞きしてから、
次の目的地へ。

木曜日に名刺を持って支所長の同行で自己紹介して巡回した23店のうちの1店がご近所で、店長さんが既契約者だったので、飛び入りしてみた。
「こんにちは。お仕事中すみません。店長様はいらっしゃいますか?」
「今日は休みです。」
「それでは、明日は?」
「明日も、月曜日と火曜日が休みです。」
「そうですか。では、また改めて…。こちらはウィークリーニュースです。」

今度は、Fさん宅へ。Wさんの紹介を受けていたが、彼女も古い知り合いのご近所さんだ。
「私、ここに就職したの。」
「いつから?」
「この3月から。それで、早速仕事するように言われてるもので。」
「うちもずっと前に旦那が職場で入ってたみたい。」
「そうなんだ。」
Fさんはわざわざ律儀に証券を見せてくださった。
「アンケートも書いてもらっていい?」
「いいよ。大変だね。」
「うん。ありがとうございます。」

N中学隣の行きつけの美容院のSさんは、外出で店を閉めていた。
最後に、バイクや自転車でお世話になっているFさん。
「なんですのん?」
「あの、生命保険です。」
「あ~・・・ちょっと忙しいねん。もうすぐ税理士さんきはるから。」
「じゃあ、また別の日に。」

とりあえず、行こうと決めて行った心当たりは全て廻った。
自転車で3度目の支社に戻るとトレーナーは、
「あれ?今日は直接営業所に帰社でしたよ。それに、ゆきんこさん、
営業所に電話したの?所長が心配してたわよ。私、電話してあげるわ。」
「ああ!ごめんなさい。3時に電話したらいいと思っていました。」
「朝は必ず、電話するか顔を出してね。」
「はい。以後気をつけます。」

今度は、PCも積んでまたカッパを着る。
営業所まで自転車で20分くらいかかるから、荷物が籠に入りきらないし、濡れないように袋をかぶせたりすると、それだけで鬱陶しくなってくる。

端末に入力するけど、まだ慣れないので、他の人々の手をいちいち煩わせるのもストレスが溜まる。
私の入力を指示しながら、K所長が携帯でアポを取っている。
「所長、次は?」
所長が手で遮った。
「はい。それでは明日、4時半にお伺いします。」

隣で私をスカウトしてくれたBさんも指示してくれるけど、
「ごめんな。私もよくわかってないねん。」
「いえ…」
でも、入力の手際が悪くて、送信したあとに3回も同じ画面を出したり
ペン操作ミスで、見たことがない画面も出てくる。
「こんなの全然やってません。」
「そうなの?もう私もどんな順番で覚えたのか、忘れちゃった。」
アンケートの集計をしているうち、名前を見ても誰のことだったか、
顔が思い出せず、忘却の彼方へ消えていく。

そうこうしてたら、所長は先に帰ってもう6時になっていた。
「あんまり根詰めるとしんどくなるから、もう帰り。」
「はい。やっぱりしんどくなってきました。」
「お疲れさん。」

要る物と不要なものの区別もついてないので、Sれい室に預かってもらっていた記録用紙も置いたままで、はんこやコメントがもらえなかった。
大事な書類は、同じ建物の4階に上がってしっかり施錠しないといけないけど、かなりめんどうなので保管は曖昧になっているとか。
またPCと鞄を籠に入れて、7時前に帰宅した。

「あんたまだ入ったばっかりなのに残業して4月から学校行けるの?」
「う・・ん。初めのうちは、5時までだから。電話しなくちゃいけないって叱られちゃった。」
「携帯持ってないから、買ってくださいって言えないの?」
「自営業扱いだから、買うように言われてるよ。」
「自腹を切るのはおかしいでしょ?会社の経費で落とすべきじゃない。家には携帯を買うお金はありませんって。」
「そんなこと言えないよ。健康診断も自腹なんだから。」
「会社辞めるって言ったら?」
「それならそれで、別に痛くも痒くもないんじゃない?」

それで、昼食も抜きでこんなにブログに綴りなおしていたら、もう9時だった。
ああ、しんどい。背中が痛い。
お休みなさい。





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2006/03/06 21:10 | お仕事 | Comment (4) Trackback (0) | Top▲
子育てに優しい社会
2006年03月05日 (日) | 編集 |
3月2日木曜日、3日金曜日と2連日、保険会社の初期実践研修があって、
疲れがどーっと出てきた。S所長のリードで案外スムーズに挨拶廻りしたつもりだったけど、よっぽど緊張していたみたい。

昨日、今日の休日はすっかり自宅で寛いでいる。
でも、ゆきんこはこれが自分では普通なんだけど、
「あんたって本当にマジメね~」と数日会って、会話した人に言われてしまうものだから、そうなのかな。


昨夜は11年間続いてきたNHKのバラエティ番組「お江戸でござる」が
スペシャル最終回で、スタッフの黒子のみなさんも涙ぐんで手を振っているのに、ちょっと感動した。

I先生が講演会で「メモを取る人が好きだ」と仰っていたことに相当、
インパクトがあったので、以来、かなりの「メモ魔」になった私。
昨夜は、メディアで「子育て」に関する内容を書き留めたので、
報告したいと思う。

今や、情報戦争というくらいブログも含めてあらゆる情報が飛び交っている。その中で、風前の灯火なのが、「新聞」
「新聞を読まないのは知識人と言えない。」と度々言っていた母は、
玄関セールスお断りは通常なのだが、A新聞社の配達員さんに懇願されて、1ヶ月前に定期購読し始めた。
お陰で、居間は正月1週間だけ美しかったのに、日々新聞の束が積もってきた。

その新聞の記事のなかで、30代の団塊ジュニアの過半数は未婚という
データが報告されていた。

昨日の「ラジオ高校講座」では「就労と健康生活」について
これからの企業の課題は、労働基準法や育児休業法などに則って、
従業員が、1日時間労働、年次有給休暇完全消化、週休2日制における
余暇活動や社会・家庭生活の充実させ、労働時間短縮に貢献する企業システムを構築する優良企業を賞賛していく動向を目指すと報告されている。

長い目で見て、従業員を長時間労働や過労死にまで追い込むと経済的には逆効果。しかし、従業員の健康管理を積極的に促進することで、欠勤率を下げ、医療費も削減されるというのだ。

T会社の調査では、1975年欠勤した従業員数はのべ年間2万2000人
100人が200日間休んだことになる。対応策は何もされず、
1995年の欠勤日数は5万5000日にも上った。

1981年健康対策室で体力作り測定を行ったところ、
1989年の欠勤日数は、約2万日→売り上げ高に換算すると
140人が250日間休んだことになり、支払い給与10億円の3倍にあたる3億円の売り上げ経費を浮かせたことになる。

しかし、健康つくりの経済効果はお金に換算できない。
大切なのは、個々人が日頃から心身の健康状態やストレスに気付き、
リラクゼーションやメンタルヘルスケアを行なうことだと述べていた。

余暇活動は、疲労回復、健康増進、趣味やスポーツでストレス解消と人生を豊かにする。

確かに仰るとおりなんだけど、それが難しい職場環境や個々人のもって生まれた特性や状況には限界もなきにしもあらず。

また、昨晩11時からオンエアされていた「子育てに優しい社会」の
テレビフォーラムでは、子育てに積極的な男性著名人や、今時社会のあり方や女性の社会進出を妨げない環境システムの構築、今後の子育て支援策の具体例なども提示されていた。

子育てがしにくくなった最大の要因は「コミュニティの破壊」だと
一様に同意していた。
お母さんが孤立無援の孤独な子育てに悩むなかで、シニア世代の
NPO代表の女性が自宅を開放して、お母さん同士のしゃべり場や居場所つくりを提供し、若い母親たちも、安心して
「もう1つの実家です。」とインタビューで答えていたのが印象的だった。

実際の保育現場は、殺伐としていて、「信頼しなさい」と子どもにいいながらもフェンスを厳重にして「不審者対応」の避難訓練もするという
矛盾した保育が為されている。

私自身の風貌は、「あらお子さん何人?」とか「奥さん」なんて
しょっちゅう言われていて、街中よりも田舎が合っていて、
のほほ~んと保育しているのが性に合っているんだろうと思う。
過酷な生命保険の世界よりずっと・・・

我々世代が従来一辺倒ではない、多様な女性の生き方を模索し、実現してきたなかで、企業戦士であり続けてきた男性陣は、まだまだ「靴下を
履かせてもらうのが男らしさ」と時代錯誤だというのも、諸々の一因だったり、歯止めがかかって、子育てに希望や楽しさが実現化するのは、
20年から30年はかかるだろうなんて意見もあったから、
私にはもう手遅れだよな~と、独身の子育て支援者としては、虚しかったりする。

子どもも夫婦もお金だけじゃなく愛情も大切。
ABAでは「愛情」ってことばは使わないけど、愛情なくてもとりあえず、「随伴性」というクールなやりとりの繰り返しを始めることから、
愛情の貯金が増えていく。

ああ、疲れちゃった。
明日もノルマあるんだよな~。
初めは厳しくないなんて、嘘つき!

私にとってはブログは半分趣味、半分課題かな。
楽しいうちはいいけれど、それにノルマ意識が芽生えてくるとしんどくなる。

一休み、一休み








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2006/03/05 14:32 | 鑑賞 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ぬれおかき
2006年03月04日 (土) | 編集 |
自分を和ませてくれるものは、人間の優しさだけじゃない。
人間同士がお互いの慰めになればいいのだけど、
それでは、どうして夫婦は相容れず、離婚も絶えないのだろう。

そのまんま東とかとうかずこの離婚記者会見にそう思う。

今年の正月3が日に二人の伯母が初めてうちに来てくれたとき、
H市駅前のデパートでお菓子をいろいろ買ってきてくれた。
その時、はまったのが 「ぬれおかき」

これを紹介したくて、しばらく袋のパッケージを捨てずに置いていた。
(ごみなのに、汚いねぇ)

岩崎製菓の「新潟ぬれおかき」(一袋190g)はこんがり焼き上がったおかきに、甘口の醤油だれを『しっとり』と染み込ませ、『もっちり』とした食感に仕上げました。湿気ているわけではありませんので、そのまま安心してお召し上がりください。

あたためると一層おいしく召し上がれます。

①「新潟ぬれおかき」をお皿にあける。
②電子レンジの目安(1袋:約30秒くらい、5個:約20秒くらい)
③焼きたてのおいしさをお召し上がりください。

原材料名:水稲もち米、しょうゆ(大豆、小麦を含む)発酵調味液、麦芽糖、還元水飴、砂糖、でん粉、カラメル色素、調味料(アミノ酸)
とうがらし色素、乳化剤

標準栄養成分表(一袋190g当り)
エネルギー511Kcal
たんぱく質9.1g
脂質   1.0g
炭水化物  116.5g
ナトリウム 2090mg
食塩相当量 5.32g

製造者 岩塚製菓株式会社
〒949-5492新潟県長岡市浦9750番地

岩塚さん、ホームページもあるんですね。
http://www.iwatukaseika.co.jp/


ところで、今までおつきあいしてきた自閉症のみなさんと
かかわることは、月に1回のTくん宅だけになってしまった。
自宅までお邪魔させてもらえるほどのお付き合いというのは、
あんまりなかったけれど、少ない家庭教師の経験のなかでは、
Fくんと作ったホットケーキ、Mちゃん、Kちゃんと作ったバレンタインデーのクッキー、インリアル・アプローチの論文を書かせてもらったKちゃん、KちゃんやYくんとは時々、「レンジでチン」のお料理ごっこを
楽しんだ。
自閉症のみなさんは、どうやら大好きな電化製品のなかでも、とりわけ
電子レンジが好きみたい。

食べ物・飲み物を入れて、スイッチ・オンすると、残り時間がカウントダウンで数字表示される。
それをじ~っと見ていることは、数字大好きな自閉ちゃんにとっては、
あんまりイライラせずに、楽しんで秒数の変化を注視していられる。
ついでに、数の逆唱の練習もできる。「あと何秒?」なんて
「あと」ということばの意図も理解できるようになり、発音の練習にもなる。いいことづくめなんである。


チンしたらあったまる。
蓋を開けたら、食べ物が出てくる。最後に好子にありつけるというわけ。

従って、この一連の動作にかんしては、全て指示なくオペラントに
行動様式が形成されるはず、と想定できるのだ。

料理は、療育施設においても、かなり頻繁に取り組んでいた課題だ。
写真もアルバムにどっさり撮っているので、PDDの関連者にはいつかご参考までにお見せしたいものだ。

ABAのI先生は、思春期には心理学じゃなければ、工学部に進学を希望していたらしい。
時々、技術系のネタと自閉症のみなさんとの好子をコラボレートしたような話ネタが飛び出してくる。


親父殿は、本来、機械イジリが好きで、トヨタに勤めたかったとかなんとかぼやいていたことがあった。 
私はあんまりそういうのは好きじゃなかったけど、物心つく時分の4歳ごろには、押入れが既に町工場状態で、父は金属板の火花を散らして
何やら作ったり、削ったりするのが好きだった。
ご先祖代々の家業が、お葬式にまつわるものだから、否応なくR大学で修行しなければならなかった。

そういえば、人が亡くなったときにしゃしゃり出てくるのは、坊主と保険屋ということも思い出した。
どうしようもない因果かな?

因みに岩塚さんの所在地、私の祖母のふるさとなんです!
今年は豪雪のために、桜はしっかり目を覚まして、開花するのは例年よりも早まるそうですよ。

もうすぐ春ですね。
そして、きっと余暇活動や家庭教育という学校以外の幅広い領域で、
私の人生と教育の模索が始まるのだなという予感がする。

名刺を持ちまわってたくさんの人々に会える。
初対面の新米保険屋が疎まれるのは当たり前。
でも、「がんばりや。」と声をかけてもらい、これまで自分が受け付けられずに毛嫌いしてきた人々にも笑顔を向けている自分は、
子どもたちだけに限定しない、ライフ・コンサルタントとして幅が広げていけるかも・・・と
梅から桜の季節へと向かう日々のなかで、蕾とともに期待を膨らませたいと思う。



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2006/03/04 12:45 | 日常の発見 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
明日はデビュー
2006年03月01日 (水) | 編集 |
今日から3月。朝から雨、雨。
昨日に引き続き、女性トレーナーの下で、研修が続く。
会社専用の白いPCがレンタルで配られて、タッチペンをマウス代わりに
操作していく。

場合によっては、お客様の家まで持参して実際に操作していただくこともあるらしい。
いずれにしても、年齢に関係なくゆきんこはお子様性格丸出しで、
新奇なものを面白がってしまうところがある。

「このPCメーカーはどこですか?やっぱり系列のNEC?」
「そうよ。」
「T課長が仰ってました。アサヒビールも系列なんだって。中之島の病院も見つけました。」
「でも関連はないわよ。M病院と同じ。」

休憩時間に、一番若い新人の1人に声をかけた。
「ねえ、Oさん。明日の会社回りは今日と同じ服にするの?
もしよかったら、私のスーツ1着もらってくれない?」
「ええ??」
Oさんは、背中を引いて驚いたふうだった。
「身長は何センチかな?」
「147センチです。」
「私は156センチなんだけど」
自分でも、彼女にアプローチするのは苦手意識があったのだけど、
さりげなくジャケットのファスナーを下ろして彼女の肩にかけた。
「じゃあ、明日持ってくるね。」
「ありがとうございます。」
Oさんは、照れくさそうに首を傾げて挨拶した。

ペン操作が悪いのか、入力するとき画面がスムーズに変わらなくて
時々、トレーナーに助っ人してもらったが、淡々とレジュメに沿った課題をこなしていくと時間がかなり余ったらしい。
「今月の新人さんたちは大人しくて優秀ですね。それじゃあ、
お昼にしましょう。」

1ヶ月前に30人集合した女性たちも、今日はたったの6人
こじんまりみんなでテーブルに座って食べた。
座った女性のうち、独身は私を含めて2名。自分たちの結婚式の話で
盛り上がった。面白かったのは、知り合いの中に3回結婚した女性が
いて、相手の両親にも気に入られてとても幸せに暮らしているという話だ。
うらやましい~~

午後からも、PC端末の操作があり、眠くなりかけたころにお客様向けの
星占いとか、スロットマシンもついていて、ついつい夢中になる。
「仕事運と、頭脳運は90もあるけど、恋愛運は相変わらず低いな…」

その一方で、万が一の保障金額の算定項目では、笑えないシビアな
データもある。
「Iさん、お母さんに入浴介護を週に何日させてあげたいですか?」
「そうですね。5日間。」
「じゃあ、入力しましょう。」
「うわ、キョ~レツ!介護にこんなにお金がかかるなんて!」

他人事ではなく、加入しておかないと介護期間がどれだけ続くのかも
わからない現実が迫ってくる。
手元にある財布のお金は、いつの間にか散財してしまうことも多い。
そこをなんとか切り詰めて、賢くいざという時のためにどう使うのか?
それがお金というものかもしれない。

お金の心配なんかしないで、明日はなんとかなるさとお気楽になど生きていけない。
長寿国日本の栄華も、「今は昔」という日がいつか来るかもしれない。

私が個人的に疑問に思うのは、被保険者が健常者である場合の
ケースを想定した、例題が多いんだけど、
日本の近未来は、もっとグローバリズムも進んで、多様化しているし、
それじゃあ、精神疾患の場合の保険あるんだろうか?

それよりも、何よりも3時以降のほんの30分で甘くない生保の世界の
本性を知った。
明日はいよいよ会社訪問で名刺を配って挨拶する。
初日は、不安もいっぱいなので、スカウト先の支部・支所のヘッドが
同行してくれる。

「久しぶり~!Kさんじゃなくてごめんね。」
「お忙しいのにごめんなさい。」
「昨日も大阪市内まで出かけたよ~。でも、途中で電話して
遅れます。って言って、ベネトンでお買い物しちゃった。」
「そんなのありですかぁ?」
幸い、所長と私は、元保育士で母校も同じという意気投合があり
終始笑顔で、笑いも飛び出す。中央だけなんだか浮いているのに、
他の新人・上司のペアは、なんだかあまり会話が弾んでいない。

さて、笑いはここまで。
2日ぶりにお出ましになったT課長の血相が変わっていた。
「新人さんも、明日から目標を掲げて会社訪問をしてもらいます。
取締役か保険担当者に名刺は5枚もらってくる。契約取り付けは、3月と4月で合計3件です。それが、今後の査定につながっていきます!」

ひええええ~!!やっぱり、超キビシイノルマあるやん!!
気分は、よしよしと今まで優しく手ほどきされてきた牧場の子ウマが、
ある日、突然ダービーのゲートに入った。
そんな瞬間だった。

営業なんて、大昔心身症になったのに、心の中に一瞬北風が吹いた。
「最初は、断られるために名刺を配られるようなもんだからね。
断られて当たり前よ。」
「はい。このベルクラブって何ですか?」
「あなたにとっての応援団みたいな人たちいない?」
「そんなによくわかってないのに、説明できません。20人も友達
いないよ…」
「明日は、どこへ行こうか?自転車だよね?」
「はい。」
「そしたら、1号線沿いをあたってみよう。」
「わかりました。あ、そうだ。明日、誕生日の人がいるのでそこも追加していいですか?」


「挨拶は明るく、元気で、素直に!」T課長の目は全然笑っていなかった。

わかるな~。課長が私と同じ誕生日で同じ幼稚園に通っている女の子の
お父さんをしている時間なんてちっともなくて、休日にはくたばって寝てばかり。家事も育児も理想的にフェアにできない。
「家庭内単身赴任」と言ったこと。

元キャッチャーのT課長のことをダービー営業女調教師と命名しようかしら?

家に帰って母に呟いた。
「今度の法事で、名刺だしたらやっぱり不謹慎かなぁ?」
「やめておきなさい。何を言われるかわからないわよ。」

保険のイメージはどんなに笑顔の練習をしてもやっぱりあんまりよくない。
だからこそ、嫌子と対提示の女性の笑顔(好子)をくっつけて習得性好子にする必要がある。
チヤホヤされた時期は、1ヶ月。
(つまり釣った魚に餌はやらないってことかな?)

それでも、営業所の女性たちの気遣いの仕様には大いに見習うべき
不断の努力が滲み出ていることを私は感じ取っていた。
「人様のお金をかき集めている仕事」と思うと笑顔の口角は下がるけど、初日はたくさんの知らない方々にお会いできるのを楽しみに
出かけようと思う。

雨の中、私より小さくて若いママのOさんと笑顔で別れた。
「明日、スーツどうする?」
「明日は営業所で、こっちこないから。」
「じゃあ、今度来るときだね。がんばってね。」
「はい!」
自分よりも彼女にエールを贈りたかった。




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2006/03/01 19:20 | お仕事 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲