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2006/10/30 (Mon) ニュースです!
本日、午後6時45分から約7分間。
NHK関西方面の番組で、地元O町商店街界隈がオンエア生中継されました。

驚きました!

この通りは、目下ゆきんこの担当地区で週1回は出没している地区。

明治時代からの老舗のお菓子屋さんに続いて現れたのは、
お隣のご主人様。ご先祖伝来の古式ゆかしき浮世絵を掲げて登場です!


そして、ゆきんこの上得意さまでした!
明日、明後日にでもご挨拶に行かなくちゃ!

やはり、全国ネットのマスコミの威力はスゴイです!
そして、ゆきんこはやはりミーハーです。
ですが、やっぱりヘタレだから、コソコソしているのが好き。

絶対、カミングアウトしたり被写体になったり、目立ったりしたくない。
そっとしておいて欲しい。
探さないで欲しい。

今日も夕暮れの観察は、人知れずコソコソ・・・

けれども、昨夜引いてみたセルフセラピーカードは、
「自立」と「リーダーシップ」

ネガティヴカードの「自立」の意味は、自分を与え続けるという決意や覚悟を怖れる。
それを解決するポジティヴカードは「リーダーシップ」の意味は、状況に対応できるヴィジョン。
誠実さを兼ね備えた抵抗しがたい魅力。自分の問題よりも、
人のことを大切にすること。


どうして、どうして、Oさんは3ヶ月で辞めさせられたの?
まだ入院しているKさんも、正式に退職になった。
どうして、私の隣にいた仲間は、どこに行ったの?
どうして支所長、いつも以上に高らかに笑うの?

おかしいでしょ?
病気になったり、ちょっと要領の悪い人をそんなにカンタンに
お払い箱にするなんて。

どうしてどうして、ゆきんこはこのままでいいの?
きっと今度は、今度はきっと私が辞める番だ。

昨夜、母がどこかから入手した「女性起業セミナー」の申し込み書を
FAX送信した。

グラグラと運命はオペラントに動き出す。
そんな胸騒ぎ

背中がゾクゾクして鳥肌が出てきた・・・
怖い!

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2006/10/28 (Sat) 秋の夜長、F教授のゼミ室で
10月も残り僅か。
バタバタとH市内を駆け巡って、このまま年老いていくのかな~。

♪何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて
そんなのはいやだ!

実際、目覚めのふとんの中で聞こえてきたのは、
J.Sバッハの♪プレリュード
あま~いチェロの音色で、一瞬くらい優雅なアルファー波を脳ミソから
放出したいものだ。

★営業所のS支所長の顔も急に老け出し、ゆきんこの目を覗き込む目も
何となく憂いと懇願と怒りとが入り混じる険しい黒い視線が突き刺さる。
「ゆきんこちゃん、いつでも同行するから、言ってね。」

そう言い残して、入ってきたばかりの新人の同行や、要職者会議に慌しく出かけて行く。
でも、今年中の支部昇格のきついノルマを課せられ、昨日の朝礼でも土曜日の自主出勤の意思表示をする挙手を過半数の営業員がするなか、
私はオペラントにしなかった。

25日水曜日、朝の朝礼で9月に査定落ちして10月有給休暇をめいっぱい使って休みがちだった子育てママのHさんが、営業員の前で別れの挨拶を
した。
上司にあたる年下のM所長との関係が上手くいかなかったのと、
厳しいノルマ、幼稚園と小学校2年の二人の子育ての両立が難しく、
勤務期間はちょうど1年だった。
M所長が花束を初めての部下Hさんに渡すとき、二人は向き合って無言で涙した。

「ゆきんこさん、最後にコーヒーを淹れるわね。」
「Hさん・・・寂しくなるね。」
Hさんは一人一人の営業員の机を廻って、恭しい笑顔でコーヒーサービスで★営業所を後にした。

翌日25日午前中から、抜き打ちのコンプライアンスチェックで、
重要書類やロッカーの顧客情報の管理状況を支社から派遣された社員が
やってきた。

「ゆきんこ先生、噂で前職に戻りたがっているってきいたけど、
営業員としてもっともっとがんばってもらわなくちゃ。頼むよ!」
と、白髪交じりの課長が傍に寄ってきて肩を揉む。
「もう先生じゃありませんから・・・」

通常、1時間あまりの朝礼が終わると、活動準備を始めるのだが、
7月に私が採用して入社したOさんが、私にわからないことを質問したり、「え?どうしよう~」と助けを求めるので、採用者は勧誘者の面倒を見るという暗黙の了解のもと、半人前以下の営業力のゆきんこが
手取り足取り、Oさんのジョブコーチみたいな関係も夏から秋にかけて
3ヶ月間続いていた。

10日前、Oさんは支所長の呼び出しを受けたあと、少し落ち込んでいた。
20日(金)にOさんと私はそれぞれの地区を巡回したあと、
携帯で連絡を取り合って、11時にS神社で落ち合った。
石段に腰を下ろして、私はOさんに言った。
「前にも言ったけど、3人の小さなお子さんを抱えて、自転車で
この仕事がずっと続けていけると思う?
私だってもう限界を感じているから、辞めようと思っているけど、
会社は思惑があるのか、査定落ちする前に不必要な契約を無理強いするんだよ。Oさん、仮にそうして今回は査定をクリアできたとして、
今度査定落ちしたときに、後から残った保険料ずっと払っていける?」
「あかんわ・・・」
「Nさんは朝から晩まで働かされているんだよ。Oさん、Nさんみたいな仕事できる?」
「でけへん。」
「自転車の運転も危なっかしいから、もしも事故に遭って、
Kさんみたいになったらどうする?保育所のMちゃん、お母さんが
いなくなっちゃうんだよ。」
「いやだ~」
「だから、支所長のことばを善意に受け止めて、仕事探しなおそう。
私も誘った責任あるし、新しい仕事探すの協力するから。」
「いや~、ゆきんこちゃん、やっぱりご縁があったのねえ。」
「この名刺あげる。困ったら使ってみて。この事務所には生活に困った人が相談にくるの。」
「ゆきんこさんに会う前はお金もなくて、仕事もなかなか見つからなくて困ってたんだ・・・ありがとう。ごめんね。」
「いいよ。謝らなくて。お菓子とか買いすぎて無駄遣いしちゃダメだよ。お金は少なくても、Mちゃんの保育所遅くならないうちに迎えに
行って、無理しないようにあとは生活保護を受けてもいいんだから。
受けたくないからこの仕事もがんばったけど、自分に合った仕事を
もう一度探しなおそう。」

それから、1週間後の27日金曜日。
前日、さぼってはいないが、お客さんの白い目や無視、拒絶反応は
相変わらずで(たまには1枚くらいアンケートももらえるけど)
お客さんたちの大半は
「どうして保険屋に?」
「早く辞めた方がいいよ。」モードに押されているため、
支所に戻って、支所長の起こり焦った笑顔に、
「ゆきんこちゃん、提案した?」の決まり文句は、
嫌悪刺激と化していた。

支所長が再びOさんに
「Oさん、折角今までがんばってもらったけどね。」
「・・・はい。お世話になりました・・・」
Oさんは涙でいっぱいの瞳で私の目を覗き込んだ。
「ありがとう・・・」
去年の秋、めいっぱい泣いていたトラウマが度を越して
私は無表情に言い放った。
「行ってきます!あとで話そうね。」

これが、THE「弱肉強食の縮図」なのだ。
そう!
私は「アルジャーノンに花束を」の別ストーリーを自分で経験してきた。

Y川河川敷に位置する公共施設に正午前に到着し、
気になるメジャーを事前にプレゼントしていた標的の主にまた3週間ぶりに出会えたのに、オオボケ

「すみません!今日はお預かりしていた資料、置いてきました。」
「なんやそれ。」
「前にもらったアンケートで設計書作ったのですが、お話聞いてもらえませんか?」
「そんなんはええわ!」

玉砕!

いつも5時になると、翌日の準備もいい加減に一番に営業所を飛び出すので、翌朝、監視のY部長の突き出たおなかがまた嫌悪刺激となり、
準備不足でお尻に火がついたように、再び営業所を出ないといけない。

でも、10月後半の秋晴れの青い空と羊雲、A川のせせらぎ、すっかり稲刈りの終わった田んぼに烏や白鷺、飼い主と散歩するコーギーやダックスにしばしリフレッシュしたり、昼食は、外で自然のスポットを見つけてぼんやりする時間を作っていた。

その分、夜の学校へ繰り出せば、やっぱり気分転換いい気分である。
火曜日の6時限目が3回連続で休講で、やっと始まった「住生活研究演習」
ご専門は都市建築というN先生が講師。
「3回も連続で休講で申し訳ありませんでした。実は6カ国協議の国際シンポジウムの準備と開催に追われていまして、先週ようやく無事に終わりました。
レジュメをみなさんにお分けしますので、どうぞ。」
授業の目標は、
「子どもとまちづくり」をテーマに、住生活研究で獲得した知見を住教育あるいは住学習として展開することを習得する。
と、シラバス)授業計画にあります。
そんなことより、都合のよい脳ミソにはこんな情報しか残されていない。
「土曜日にフィールドワークで京都の公園に出かけてみましょう。
明治以降、先駆的に学校が作られ、路地裏や玄関先の「カド」と呼ばれた空間で当時の子どもたちの遊ぶ姿を偲んでみます。お昼にはランチも
楽しみましょう。」
わ~い!

講義が終わると、はじめましてのN先生とエレベーターの前まで、仲良く談話して歩いた。

水曜日は6・7時限が専門の幼年教育コースの思想教育演習と、
心理学研究法演習だけど、この頃は、専門外の奇想天外を楽しむことにしている。

はんかちで涙を拭いながら一人一人の営業員に挨拶したり、
荷物をまとめて掃除していたOさんに、3人のお子さんが喜びそうな
販促品をたくさんあげた。
「いや~、ごめんな・・・これ、全部、自分で買ったんやろ?」
「いいの。できることはするから。でも自分でがんばれるところは
自分でがんばってよ。」

そして、昨日28日(金)約3ヶ月ぶりにF先生のゼミにお邪魔した。
掲示板の表示では演習室3とあるが、部屋は真っ暗で誰も居ない。
廊下を挟んだ図書室のPCに向かう学生のなかにFさんの姿を見つけた。

部屋の照明をつけてイスに座りしばらくぼーっとしていると、
通りすがりにFさんが私に気がついて部屋を覗き込んだ。
「どうしたんですか?」
「今からゼミなんだ。先週の火曜日あげたABAの本あるでしょう?
読んでみた?」
「まだです~!昨日のアルジャーノンだけで読むのせいいっぱい。」
「昨日の発表すごくよかったよ。気持ちが伝わってきた。」
「そうですか。あんまりちゃんと読めなかったんですけど。」
「私は元々ABA勉強したかったから、ホントはゼミ生じゃないんだけど、
去年から御願いしてお邪魔してるの。」
「そうですか。私も今からゼミです。」
「そうなんだ。じゃ、またね。」

Fさんと挨拶して、再びイスに腰掛けると、ふっとF教授がお出ましになった。
「おひさしぶりで~す。」
「先生、ご無沙汰しておりました。後期もよろしく御願いします。」
「はい。」
「お元気でいらっしゃいましたか?ご多忙だと聞きました。」
「まあ、なんとか生きてますよ。」
「はい、私も。I survive.」
「でも、この頃疲れやすくなったな~。はぁぁぁぁ・・・」
「そうだ。先生。お尋ねしたかったのですが、私はブログをしていまして、ブログ仲間の弥生桜さんから先生の実名入りでコメントがありました。先生のお取り計らいで来年、神戸開催のシンポジウムで緘黙症を取り上げると。事実でしょうか?」
「何?姥桜?なにさくらだって?」
「やよいさくらさんです。」
「彼は、そんなペンネームなのか。それで、ブログでどんな経緯があったんだい?」
「初めにアクセスしたのは、今年の初め、いえ、去年のクリスマスの時分だったと思います。毎日見てないし、面識はないので、ブログからしかわかりませんが、彼は高校時代から次第に症状が悪化したようです。
心療内科でもきちんと診てもらえずに、副作用に苦しんでいる様子も
読ませてもらっていました。何度かコメントももらって協力を要請されていたのですが、その頃から再就職して忙しくなったので、私のできる範囲でこの大学の心理相談室の連絡先を知らせたり、教育心理臨床コースの先生方に直接インタビューしたことをブログで伝えていました。
8月に入って、S先生と話したこともブログを通して知らせてもらったのですが、丁度数日前にまたコメントがあったので、F先生に確認しようと
思いまして。事実でしょうか?」
「彼はどんな人物だと思うかい?」
「さあ、私は一度もお会いしていないのです。ブログで、隣の市同士に
在住していることがわかったので、調子が悪そうなときには『たまには★のブランコにでかけたら?』とか『鳥獣戯画展、楽しかった?』なんてコメント入れてました。それから、私にはABAにすごく効果があり、幸せになりましたと
アピールしていました。」
「ふ~ん。」
「緘黙症の著者で河合先生という方がいらっしゃり、存命中にお手紙をもらったこともあったと。」
「なに?ぞん?」
「ゾンメイです。河合先生はもう亡くなられたそうです。」
「ああ、ゾンメイね。」
「はい。」

「それだけ?」
「は?」
「もうおしまいですか?もっとどうそ。」
「もっと何を話すんですか?」
「何でも。」
「何でもって・・・」
「なんでもはなしたいこと、どうそ。」
「ん~、、、私、今、生命保険会社で働いているんです。」
「え~、保険?私は苦手だな。」
「1月に出かけて行って、2月に入社して、10ヶ月経ちました。
でも、先生のご進言がきっかけでした。にんげんいざとなれば、
何とでもして生きていくと。自分で死を選ばない限りは。ホームレスでもなんでも。」
「そう。ホームレスの人は働かず、物乞いをする術を選択しているわけだ。」
「私を勧誘してくださったのが、足に障害をお持ちの女性だったんです。彼女が熱心さに心打たれました。今の上司も、私と同じ高校の出身で元保育士という履歴の方です。仲間関係はとてもいいのですが、
問題は法外な厳しすぎるノルマで、今年までに15件もあるのです。
一番、気になるのは、私が7月に勧誘したOさんのことです。
私より10歳年上なのですが、保育園に通う一番下のお子さんも含めて
3人のお子さんがいて母子家庭です。仕事も何回も断られて困り果てて
いたところに出会いました。実際、働いてみると、彼女には無理が多すぎたと思います。今日は正式に査定落ちしたことを上司に告げられ、
私の隣で泣きながら荷物の整理をしていました。役立ちそうな販促品をプレゼントして出てきましたが、再就職が上手くいくといいんですけど。」
「その年で小さい子どもが3人とは。」
「見通しの力が弱いように思います。私も他人のことは言えない人生ですけど。会話もするにはしますが、滑舌がよくなく声もかすれているので、なんとなくいじめられやすい要素を感じます。それでも、うちの営業員たちはみんな気さくでいいメンバーなので、彼女も私を頼りにして居心地はよかったと思うのですが。」
「ふ~ん。仕事はともかく、仲間関係はいいんだな。前職とは正反対って訳だ。」
「あんなレポート書きましたものね。先生、ご心配くださっていたのですね。」
「まあ、元気そうで生き生きしているのはいいことだ。結局、その女性は、」
「はい。私も発達障害を疑っていました。結婚歴もあり、普通に暮らしていらっしゃいますが、全般的に周りについていくのがしんどいです。幼少時のことも聞いてみると、敏感で乗り物酔いしやすかったと言ってました。そんな自分の状況に、タイムリーにT先生の障碍児心理学で『アルジャーノンに花束を』が課題図書の読書レポートが出題されました。」
「なんだい?その小説は?」
「心理学科卒のダニエル・キイス原作の有名なサイコSFです。F先生ご存知なかったですか?」
「ダニエル・キイス?いいや。」
「インターネットで検索したらいくらでも、出てきます。他には多重人格者を題材にした『24人のビリーミリガン』なども有名ですが、アルジャーノンの方は、32歳のチャーリーという知的障害者がビークマン大学の脳外科医の手術を受け、IQが68から180の超天才知能を獲得する
という物語です。」
「そんな話があったのか?」
「いえ、これは小説です。チャーリーと同じ手術を受けたアルジャーノンというネズミがいて、彼は迷路の競争をするのですが、負けてしまうんです。」

そこへ、1年生の初老の男性がレジュメを持参して入ってきた。
Y先生の修士論文の構想をまとめたものを一緒に見せてもらった。
学校外の地域力を取り戻す子育て支援活動として、「子どもヘルパー」
を隠居した元気なお年寄りパワーを活用し、その相互作用で、行動変容を検討するというものだ。

「なんだか私の論文に似ています。将来実用するのにも役立つと思います。」
「お年寄りと子どもの関係というのはいい視点だね。」
「SD法を使って、予め子どものお年寄りに対するイメージを測定しておくのも一案だろう。」
「SD法?」
「セマンティック・ディファレンシャル法:二つの対語を両端にして
その度合いを5段階で評定するんだ。例えば、お年寄りに対するイメージを「きれい-きたない」「やさしい-こわい」など」

帰りがけに、肩書きのわからなかった先生と3年生で保育士のKさん、ゆきんこの3人で駅まで歩いた。
「あなたは今、会社員なんですか?」
「はい。でも去年までは障碍児加配の保育士だったのです。それ以前は
自閉症の療育指導員で、15年くらいしていました。
大学院との両立ができず、ちょうど1年前にバーンアウトしました。
保育課長に呼び出され、ABAは他の自治体でやってくれと言われたのです。まあ、パワハラですね。先生は幼稚園ですか?」
「いえ、、、、小学校です。」
男性は口ごもった。

しかし、結局、雑談をしながら改札の前で、名刺を渡してくださった。
「あなたにこれをお渡ししておきます。それじゃ。」
「ありがとうございます。失礼します。」

なんと、先生の肩書きは「校長」だった・・・









2006/10/21 (Sat) 「発達障害を知っていますか?」その2
今週、だけでなく今年いっぱい★営業所はどたばたの秋本番を迎えて、
商い(あきない)に勤しむ日々。

でも、土曜日は強制されない限り、ブログも書きたいし、論文のデータも取りたいのでのんびり過ごしている。

19日から20日にかけて、営業員がこの半年間のうちに増員し、★営業所は同じビル内で一階店舗から元々はダンス教室だった2階を改装して、
お引越しでドタバタしていた。

だからといってその両日とも朝から在宅しているわけもないのに、
サボることは決して許されない。
午前中から正午の企業訪問までみっちり営業活動してから、
午後は営業道具一式を梱包し、昨日の午後は開封と設置作業に追われていた。

これは大阪人気質なのか、朝から晩までドタバタしていなくては
気が済まないらしく、元来、のんびりのほほんのゆきんことしては
全く性に合わない非常に厳しい日常茶飯事なわけであります。

それと因果関係があるのか、深夜寝付けずに、訳もなく涙がじわ~っと
涌いてきてしまうことがありました。

火曜日7時限目のお気に入り科目「発達障害教育心理臨床」の概説です。

「僕は、治療ってことばは好きじゃない。」
「僕は脳神経の専門家ではないのですが、」
と仰る徹底的行動主義者であられるI先生の枕詞の真意は・・・

そんな脳ミソの中身を研究して治せる訳?
それが当事者の幸せに直結している訳?
その人の器質のせいにしてない?
でも、行動だったら変えられるよね?
ポジティヴな行動変容は、いつか幸せ感をもたらすよね?
・・・と勝手に解釈している。

Q.なぜ、自閉症や発達障害の子どもたちは増加しているのか?
 同じ特別支援教育コースの教官でも、木曜日の「障碍児心理学」のT先 生が遺伝的要因が明らかになってきたと述べたのに対し、I先生は
A.「遺伝子のゲノム解読により、何十万という単位からどれが誘発因子 なのかは特定できない。メンデルの法則だってそんなに単純ではない のだ。発達障碍児のきょうだいはそのことで、結婚できないのではと いう妄想に悩んでいる。妊娠から出産に至る複雑な誕生の歴史の中に、発達障害を孕むので、予測はできない。」

Q.生育歴をインタビューすべきか?
A.立場による。プライバシーの保護や、守秘義務の遵守という許可を得 ることが肝要で、保護者と教師の関係が良好であることが前提。
・生育歴情報は、過去の出来事、例えば、対人関係の困難性では、いくつか同じような問題の継続性がみられることもある。
 また、診断の際、「統合失調症」では、過去からの積み重ねによって
 2次障害として顕著になっており、遡れば発達障害の兆候がみられた
 という場合も考えられる。
・学校で虐めにあったこと、クラス内にいた加害者のことを回顧し、苦しかった時代を 再び第3者に話すことは、当事者にとって本当に辛いこと。未だに思い出すだけで涙が出る、全部話すことは過酷。

・教師と保護者の関係が良好でなく「やばいな」という場合、第3者としてコーディネーターや教頭などに仲介してもらうことが緩衝になる。
・幼児期には、発達障害だけでなく、子育て環境の悪化や、育ちの貧しさとの混じりあいを考慮し、親支援は重要課題になる。

Q.こだわりへの対策は?
A.自閉症の主要な3特徴は、3歳以前から継続的にみられる。
 ①コミュニケーションの質的障害
 ②社会性の障害
 ③常同性・固執性(いわゆるこだわり)
 このうちこだわりは、ローナ・ウィング博士が自閉症スペクトラム(:連続体の意)の定義するいわゆる「三つ組み」となかの「イマジネーションの障害」との因果関係も指摘されるが、相関はあっても、因果はないかもしれない。

 全てのこだわりが問題なのかを考える必要がある。周囲の人にどれだけ損害を与えているかのバランスで、本人にとっては「安らぎ」。
周囲の人々が「まあ、ええやろ」と思えるのか、気になるからやめさせねばならないと「こだわって」いるのか?
例:性的なこだわり(抱きついてチューする)は何歳まで許されるか?

ここで、小1、小4、20歳の3つで受講生の先生方約50名に挙手アンケートをとったI先生。
「どんどん数が増えますね。」

Q.自閉症の最先端脳科学研究はどうなってる?
A.あるタイプでは特定の部位に脳損傷を認めるデータもあるが、
 医学的にははっきりしていない。検査器具は、F-MRIという電磁場を
駆使したものが開発された。
 児童精神科医の十一(といち)先生(京都大学医学部)は、偏桃体(へんとうたい:情動を掌る部位)の肥大化は、脳が発達するひとつの
メカニズムであるとしている。また、頭位の成長、血中のドーパミンや
セロトニンなどの関連を検討する研究もある。

今後は、生後間もなくどれだけの自閉症の兆候を見出せるかの「0歳児
診断」の可能性に向けて、0歳児からの支援対策の開発が向こう10年の
研究開発の目標となるだろう。


やはり、この辺の話題は目を皿のように、そして耳をダンボにして聞き入り、ドキドキしてしまう・・・

というのは、とってつけたような話のようだが、
市役所の保育課のお達しにより、母が3年前に閉園してしまった定員6名の小さな乳児保育園を、ゆきんこが跡目になっていたら、という仮定法過去の構想が過ぎる。

母と「この子はどうだろうねえ?」と話していた赤ちゃんたちは、進言したその時には、お母さんたちの罵詈雑言の拒絶反応に遭って
いたが、数年遅れて「障碍児」と診断されたケースをいくつも知っていたからだ。

誰だって、その道の専門家・研究者っていう立場の人がいうことなら
たとえ真偽は明解でなくても「おかしい?」と思う余地さえなく、なんとなく説得させられてしまうのに、
そこらへんの保育士の助言には耳を傾けない。
いや、母は40年以上のキャリアを持つ立派な保育士だった。

保護者は、第1子の発達が他児と遅れていたり、違っていることに
なかなか気がつきにくいこともあり、保育所・幼稚園といった
子ども集団に入る段階でようやく発見されるのだ。

小児科病棟で新生児から思春期までのお子さんたちとかかわらせていただいた時期も経て、家庭教師をお引き受けしたご家族の下に赤ちゃんが
生まれ、私はご家族よりも早い時期から気がついていた。

でも、第3者ってやっぱり言いにくいのだ。
「もしかして?」なんて、
その一言で、「障碍児」の烙印を押す、第1発見者になるなんて
お母さんを一番最初に傷つける役を回避してきたのだ。
「どうして、まだ気がつかないの?」と思ったり、
「自分だけが気がついているなんてまさか・・・」と自分を疑ったり。

それなら、保険募集人の方が何倍も人畜無害な感じするでしょう?

昨夜午後8時から特集番組「発達障害を知っていますか?」に登場した
ある聡明な男性は、転職の後、自らの対人関係の苦しさを解明すべく
精神科医になった。

こうした「高機能広汎性発達障害」と呼ばれるIQ70以上か、
健常者よりもずば抜けた知能の持ち主は、生後2年まではことばを発していないのに、3歳以後に爆発的に語彙数が増加する特徴を備えている。
端的に言って「天才なのに(だから?)変屈な人」なのである。

I先生の講義の前に読んでいた学術雑誌「発達107号」(2006ミネルヴァ書房)の「視線認知の発達・学術的アプローチ」を読んでいたせいか、
ブラウン管のDR.アスペルガー(以下AS)の視線に注視した。
~~何となく目つきが妙な気がする。

自閉症の早期療育は通常、視線合わせ(アイコンタクト)から始まる。
つまり、ことばの通じない外国人との間でも「目と目で通じ合う」から
「一目ぼれ」という現象も起きるわけで、
諺どおり「目は口ほどにものを言い」の実証研究が、霊長類と人類との比較や自閉症者においては、アイコンタクトと視線追従の研究報告がされていたので、しばらく読み耽っていた。

研究報告によると、
自閉症児の発達の初期、少なくとも2歳前後では、視線方向への反応性が
鈍いこと、定型発達児と同程度の視線方向への反応性をみせるのは、
学齢期以降である。これと、社会性行動、対人・コミュニケーション行動との関連が課題である。

ほおおおお~!(こういう感嘆詞は実は自閉のみなさんには難しい)

2年前の年末にNHKでサイエンスの特集番組をしていたことを思い出した。地球に生命が誕生し、最高位の種ヒトへと進化したプロセスを壮大にドキュメントした内容だった。

人は2足歩行の確立により、大脳を肥大化させ、言語を獲得し、文化・文明を築き上げ、現代までの生物界の覇者となったのだが、
「なぜ、人間に白目があるのか?」という解説が印象に残っていた。

白目は、実は言語を獲得する以前からアイ・コミュニケーションの手段として、つまり「相手は何を見て、どう思っているのか?」が予測できるように進化したというのだ。

その証拠に、モンキーランドのお猿さんたちの目を観察してみよう。
白目があるかどうか。

I先生を崇拝しているからといって、全てを猿真似しようだなんて
思ってはいないので、思いっきりゆきんこ流のバイアスがかかった
報告になってしまいました。

大学院なんて答えのない問題をあ~でもない、こ~でもないとまだるっこしくぼやき合っている場所なんだってことがようやくわかってきた
今日、この頃です。





2006/10/20 (Fri) 「発達障害を知っていますか?」
もうちょっと早く帰宅するはずが、週明けのスタンバイに
時間がかかり、午後8時半まで残業。

8時半に帰宅するや否や、居間の小さなブラウン管を食い入るように覗き込んだ。
発達障害の権威のアップがでかでかと映し出され、画面の中の嘗ての師は、やや険しい表情で語っていた。
「発達障害を正しく理解し、教育する指導者の力量が問われています。
数年前からモデル校をいくつか設置し、そこでの取り組みや成果と、そうでない教育現場との格差が甚だしい。来年度からは本格的に特別支援教育が全国展開される運びとなっています。」

確かに、T先生がこれまで何度も全国津々浦々の壇上で繰り返し言い続けてきた台詞そのままだった。
実際には上手くいっている事例はほんの一握りじゃないんだろうか?

元障碍児加配の保育士で、自閉症の療育指導員だったゆきんこは、
T先生をブラウン管のなかに眺めることに、躊躇いとか苦々しさとか、とてもことばでは言い表せない感情を覚える。

週明けの火曜日、★営業所の自分のロッカーの鍵を開け、お目当ての
とっておき商品を取り出した。
それを、仕事と併用で持ち歩く私用のショルダーバックに放り込んだ。
「そうだ。ディズニーランドのチケットも同封しよう。」

国道1号線沿いのお店を数店舗巡回して、帰宅し優雅なランチタイム。
・・・と、いいたいところだけど、この頃支社からのお目付け役の監視
が非常に厳しく、ストレスが溜まってまた背中が痛くなってきている。

モネの「洋傘の女」がプリントされた一筆銭にメッセージを書き添えて
封筒の中に、その小さな箱と、それから余計なお世話でご近所の人気の
クリニックで手に入れた「高血圧のはなし」のミニ冊子を同封した。

再び、1号線に自転車を走らせ、M郵便局でガードマンさんにご挨拶。
「お疲れ様です。昼間はまだ暑いからずっと監視されてるのも大変ですね。」
「ハハ、、どうも。」
中に入り、カウンターで「所長」の名札をつけた男性に尋ねた。
「え~と、固形物が入っていますが、普通郵便でいくらですか?」
「150円です。中身は何ですか?」
「あの、物差しです。巻尺。」
「ああ、巻尺ね。」
「やっぱり書留のほうがいいでしょうか?」
「ちゃんと届いているか後から追跡するには、書留で配達証明があれば便利です。普通郵便だと紛失してもそれができませんから。」
「それじゃ、書留で。」
「350円です。」

これで、小林園芸に無事に到着するか、お楽しみ!

★営業所に戻り、火曜日の午後5時が迫ってくると、俄然、ヤル気が
涌いてきた。

「お先に失礼します!」
ピッタリ5時ピタで扉を開けると、Yちゃんが後追いする。
「ゆきんこさん、おつかれさま。気をつけてね。」
「ありがとう~!!もう、Yちゃんがそう言ってくれるの、一番嬉しいなあ。じゃあね!」
「バイバイ!」

自転車は、稲刈りが半分くらい終わった田んぼの沿道をすり抜け、昼間の保険営業よりも勢いよくH駅へと滑った。
そして5時半の特急電車に飛び乗って、空席に目ざとく座ってお握りに
かぶりついた。

6時限目の住生活特論は、3週連続の休講で、暇つぶしに学術雑誌のコーナーで「発達」(ミネルヴァ書房発行)をかじり読みすることにした。
意外に面白い内容の特集だったので、特に自閉症の頁を抜粋してコピーを取り、7時限目に備えた。
チャイムが鳴ると同時に早めに確保していた席の前に、前期授業で
一緒に「国土地理院」に出かけた1年生のFさんが座っていた。
「あれ?Fさん、ここに座ったの?」
「はい。ゆきんこさん、一番後ろですか?」
「うん。一番いい席は早めに確保しておかなくちゃ。」
「そんなのあるんですか。」
「あるよ!ここが一番居心地いいんだから。ねえ、アルジャーノンどうした?」
「買いました!でもこんな分厚い本、読んだことないですよ・・・」
「まだ提出までに時間あるから、ガンバロウ!!

そのやりとりが徐に黒板の前に立ったI先生の目に映っていたのかは、定かでない。

I先生が小1時間かけて前回の質疑応答に丁寧に全て回答したのには圧巻だった。その講義内容の詳細は、明日、綴りなおすとして、

「来週は学会に出席のため、休講にします。」
60人ほどの受講生が、順番に退席していき、最後に残ったのが
奇しくも、Fさんとゆきんこだった。

Fさんが立ち上がり、質問用紙を持って彼女の後ろに隠れるように続いて歩き、I先生に近づいた。
突如、若干22歳のFさんがくるりと振り返った。
「これって、何か質問書かないといけないんですかね?」
「質問したいことがあれば書けば?特になかったら、感想とか、印象に残ったことでもいいんじゃない。」

紙をそろりと積み重なった紙束の上において、二人でハモった。
「ありがとうございました。」

ターンして、自分の机に焦って戻ろうと、机にぶつかり
誰に言うともなく「あ、ごめんなさい」

使っていた机に戻って、片付けだしたその時、
「幼年教育コースは何人ですか?」とI先生

総合教育コースのFさんがその質問に答えるはずがない。
「・・・・・何人かな?11、2人くらいです。」
「結構居るんですね。」
「でも、私の学年は3人ですけど。」
「あなたは何年生?」
「2年生です。」
「じゃあ、殆ど1年生なんだ。ふ~ん。」

(ふ~ん・・・って?
それになんで幼年コースって知ってるんだ?初めてことばを交わすのに)

二人が片付けているとまたI先生は質問した。
「先生たち、神戸の幼稚園にお勤めですか?」
そこで、Fさんが返した。
「私、先生じゃないです!現役生です!」
「あ、社会人じゃないんだね?」
「はい。」
「・・・・・」

「それじゃ、失礼しま~す。」
I先生がタータンチェックのシャツの肩に黒いバックパックを背負い先に
講義室を出た。
Fさんとゆきんこ、またハモって
「ありがとうございました。」

さて、この会話が一体何だって言うんでしょう?

そう!
ゆきんこはついに!
ついに喋ってしまった!!
会話してしまった!!!

初めてお会いしてからずっとお話しするなんて信じられなかった人と

絶対口を開いて声を出して喋るなんてことは有り得ないと
思い込んでいた人に。口を開いてしまった!

2006/10/14 (Sat) 黒い石鹸 Dudu-Osum
今週もめまぐるしく1週間が終わりました。
2006年3月から生命保険募集人として自営業を始めて8ヶ月。
相変わらず、売り上げは芳しくなく、無駄な自転車巡回をしているうちに慢性的に膝頭が痛くなってきた今日この頃。

おまけに、1年半なんとかお金と時間と忍耐を維持してきた夜間教職員大学院との両立が、そろそろいきぐるしくなってきた。

こんなときはしばらく12時43分現在、オンエア中の「パッヘルベルのカノン」に耳を傾けて心のお洗濯。
音楽家バッハ一家が暮らした家、赤い屋根の中世ドイツの面影を残す町並みが映し出される。

現実には、大阪のゴミゴミした道路に一度放り出されると、いつどこで
事故に遭いはしないかとヒヤヒヤものである。

10月9日月曜日、午後3時過ぎ、自宅から国道1号線を挟んだ★病院を
訪れた。
「すみません、Kさんのお部屋は?」
「704号室です。奥のエレベーターからどうぞ。」
二人の初老のガードマンが、患者名簿をパラパラと捲って、不慣れそうに案内してくれた。

祝日の午後、ナースセンターのカウンターには誰もいないし、
奥のスタッフルームには2~3人の看護師たちが事務処理をしていた。
みんな学校を出て間もないというくらい若い。(若すぎるのがちょっと心配)

出勤したばかりの看護師が私にようやく気付いて
「どうしました?」
「お見舞いに・・・。Kさんのお部屋は?」
「ナースセンターの隣です。」

扉の前で、Kさんのお母さんとお会いした。
「はじめまして。★営業所のゆきんこです。」
「ありがとうございます。Kは今、トイレに行ってます。どうぞ中へ。」

Kさんを待つ間、お母さんとしばらく話した。
「ご家族のみなさま、ご心痛、いかばかりだったかとお察しします。」
「ありがとうございます。随分元気になりました。」
「★病院は近いし、支所長から近況を聞いて、お見舞いをどうしようかと悩んでいました。でも、今年のうちにお見舞いに伺わず、玄関で引き返してそのままお会いできなかった方がいらっしゃいました。
後悔したくなかったので、ご心情を弁えず、我侭なことにこうしてお邪魔してしまいました。
それに、私は以前、病棟で勤務していた経験がありまして、その時は
仕事だから病室も出入りさせてもらっていましたが、第3者としてお見舞いに伺うのも、改めて難しいことだと思いました。」
「そうですね・・・病気も様々ですから・・・」

Kさんがトイレから戻ってきた。
「Kさんと最後に擦れ違ったのは、私が遠距離のM地区から自転車で★営業所に戻ってきたときでした。Kさんは白い車で退勤して帰宅するときだったんです。もうすっかり暗くなっていて、先月は全然、売り上げなかったんですね。それで、Kさんが他の営業員に『ゆきんこちゃん、かわいそう』
って呟いていたそうです。」

それから3週間あまり、Kさんのデスクは空席のままだ。
彼女の病室からは、私の住む住宅地や、得意先が一望できた。

「Kさん、これ匂ってみて。」
「あ!せっけん?」
「そう。泡も黒いんだけど、肌がツルツルになるんだって。」

成績優秀だったKさんという稼ぎ手を失い、9月末で査定落ちしたHさんも
主力メンバーから失って、★営業所は今や大ピンチを迎えていた。

リーダーのS支所長は今年中に、営業員の頭数を揃えて、支部昇格しないと★営業所のメンバーは散り散りバラバラになってしまうのだ。

支社からハッパかけの上役がやってきて、留めの激励のことばを放った。
「★営業所はもう後がない。背水の陣です!この3ヶ月で1人15件のノルマを達成しなければなりません!そのためには今までの活動を見直して
何倍も活動してください!」

支所長が涙ぐんで懇願した。
「御願いします・・・今年中に支部昇格したいんです。
ゆきんこちゃん、全然営業力ないからでけへんって思ってるんやろう?
Bさんも、Nさんも、御願いします。このメンバーをなくしたくないんです。よろしく御願いします・・・」

そのことばに、泣かずにはいられなかった。
なんという無茶苦茶な課題を押し付けてくる会社なんだ!?
信じられない!最早、ドラえもん顔の支社長の笑顔のその深層が
鬼か邪ではあるまいかと背中がゾッとした。

事務員のFさんが抱きしめて言った。
「ゆきんこちゃん、御願いやからそんな風になかんといて・・・」

人間、自分で叶えられそうな目標や課題ならモチベーションはそこそこそれに向かって上昇するものだ。
しかし、月1件が御の字という新米営業員にベテランでも無理な5件とは
同時に鼻血まで噴出しそう・・・

週明け10日、疼く膝でJRの主要駅階段の昇降を繰り返し、夜の大学院に辿り着いた。
少し早めについたので、気を利かせるツモリで、5回の相談者が待機する
遊びコーナーの一角が散らかったままだったので、片付け始めた。
すると、そこにはゆきんこの大好きな青春期の漫画単行本が勢揃いして
いるではないか!
懐かしの「はいからさんが通る 第1巻!」

午後8時過ぎ、 再びヘロヘロになってお出ましになったI先生の「発達障害心理臨床特論」で始まった。
内容なんかは殆ど覚えていない(また資料はロッカーに置いてきました)

第2回のテーマは自閉症が発見されてから現在までの歴史について。

自閉症が1943年にカナー博士と翌年、アスペルガー博士によって発表されたが、当時は第2次世界大戦中でそれほど注目を浴びなかった。

自閉症は発達障害の範疇にあるが、発達障害そのもののカテゴライズは
それぞれの学会や、医学・教育学・行政によってその定義や診断基準はバラバラで統一も、標準化も曖昧である。

また、発表されている臨床論文においても議論は分かれていたり、
I先生にしてみれば、「そんな研究やる前から結果がわかってる当たり前のことやってる。」
具体的には、高機能自閉群とアスペルガー群のコミュニケーション力の比較において、アスペルガーが優位ってこと。

あるいは、従来定説になってきた親の育て方の問題や、自閉症は心因性の障害だから、受容的にかかわれば改善されるとの精神分析的な見解の臨床家が、日本においてはまだまだ幅を利かせている。特に四国の権威においてはいい加減に引退してほしいと口走っておられた。(おお!)

因みにこの四国の心理臨床家の権威というのは、I先生よりも遥かに
名立たる先生なのに、「そんなこと言っていいんですか!?」と
ヒヤヒヤしてしまった。

・・・だって、ゆきんこの住宅地にあるお化け屋敷みたいな旧い
自閉症の専門施設は、多分、その権威のお膝元にあるんじゃないかと
勘繰っている。そちらの学派から見れば、I先生などのABA行動主義者の
方が、「飴玉セラピー」などのバッシング対象として排斥してきた
日本の障碍児臨床の攻防が現在完了進行形で続いてきたという経緯があるのだ。

いずれにしても自閉症を含む発達障害は、まだ60年ちょっとと歴史も浅く、曖昧模糊とした未知の奥深い問題が、研究分野においても水掛け議論沸騰中であるが、そんなことよりも、どうせするなら、
個別にクライアントの諸特徴を的確に捉え、当事者が幸せになるための
効果的な方略や指南となる研究・実践に寄与すべきじゃないか

というメタ・メッセージも込めたI先生のちょっとした本音が出てくるとそれが笑いとリラックス効果をもたらし、緊張感をほぐしてくださるのだった。

自閉症の方々は、高機能においても(だからちっとも高機能じゃないというのが、専門家のコメント)複雑な表情やことばの裏、皮肉や冗談、比喩などの理解が難しく、模倣行動にも異常を認めることが多い。

「手の平を相手に向けて「バイバイ」と手を振るとき、自閉症の子どもや稀に健常児でも手のひらを自分に向けていることがありますが、
健常児は発達と共に消失するのに、自閉症児ではいつまでも直らないというのは、よくありますよね。それから、地元の方言が話せず、標準語で話す。方言を話す人もいますが、私が経験した珍しい子で、TVで怪談を見るのが好きで、ドライブ最中に助手席で耳元に、おどろおどろしい声をふきかけられたのには、驚きました。」

こういうネタが面白くて、笑いをこらえる。

「宝塚ホテルで13日に小児神経学会があります。運よく定員に達していなければ、申し込めるかもしれません。HPを検索してみてください。」

「残り3分で質問してくださればと思いますが、
恥ずかしい方は、お配りした白紙に記入してください。」

誰が恥ずかしいねん?
恥ずかしいと初めから思ってる人間が目立とう精神なくして教員を目指すわけないやん。
(シャイだから教員になれへんのでしょう!)

翌日、自宅付近を巡回営業して午後2時ごろ、昼食を済ませて小児神経学会のHPを検索してみた。
何とプレゼンターは、LD学会会長のT先生ではないか。
それに場所は宝塚ホテル、参加者はきっと精神科医か小児科医対象だ。
参加費は5000円。

またこういう庶民を苦しめるような法外なお値段を設定して敷居を高くしているのは、保険商品と殆ど同じ。

「掛け金、高すぎてよう払われへんねん。入りたくても入られへん。」
という若年、多数のお客さんのお嘆き同様に、自分も叫び声をあげてしまいたくなる。

PCをシャットアウトして、★営業所に戻る道すがら、自閉症の坊ちゃんと介助員の女性のペアに擦れ違った。
「Fくん、お帰り~。」
「・・・ゆ・き・ん・こ・・」
Fくんは生え変わった大きな前歯を覗かせてわたしの名を呟いた。

営業上のお悩みは、もうひとつある。
「真昼の水商売」をやってるつもりは毛頭ないのに、相変わらずのお客さん方のリアクションに慄かなければならない。
「あんたが、休日にデートしてくれたらええんやけどな。」
「ゴルフコンペよりも営業員付きの食事会を企画してや。」
「まだ、営業員やってんのか!さっさと保育士に戻れ!」

★営業所に戻ってタバコを吹かす先輩のUさんに愚痴る。
「ひとおっと(既婚男性)に口説かれたらどうやってかわせばいい?」
「・・・・」

木曜日の6時限目は「障碍児教育特論」爽やか田中星児系のT先生が
講師だ。
「知能検査には、田中ビネー、WISC、K-ABCと3つの代表作があります。他には絵画を描いてそこから知能を測るDAMというのがあります。
それでは、皆さん6歳の子どもの描画をちょっと体験してみてください。
人物画です。あんまり考え込まずにざっとかいてみて。」

大雑把に描いていると、T先生が近寄って覗き込んだ。
「先生は、幼稚園の先生?」(年齢不相応によく聞かれる質問)
「いえ、保育所でした。」
「じゃあ、お手の物だね。」
「頭と手は大きくて、下半身が上半身よりも小さい。手の指は5本あるけど、爪はない。足の指までは描いていない。こんな感じでしょうか?」
「うんうん。なるほど。」
「この頃は漫画のような絵を描く子が多いですね。」
「そうか。子どもの絵も変化してるんだね。」

講義が終わって、真後ろの席に座っていた女性教諭に質問してみた。
講義中、WISCやK-ABCの使用経験があり、諸特徴について的確に説明していたからだ。
「すみません、先生、知能検査のことでちょっと教えてもらえませんか。
恐らく現場でケースをお持ちになり、検査も実施されていると思います。
私、特別支援教育士の受講最中で、あとは実習を残すだけになったのですが、知能検査を貸し出してもらえるところをご存じないでしょうか?」
「私は盲学校に勤務しているので、ケースはないのです。
特別支援教育士の免許も私が取得したときには事前の練習はそんなにうるさくなかったのですが、あまりにもそういうルーズな受講生が増えたので厳しくなってしまったんですね。」
「先生も取得されたのですね。夜の大学院もあの資格取得も、膨大な
お金と時間とエネルギーがかかり、仕事との両立で正直参っています。
わたしの場合、教職現場にいないので、時間的にも経済的にも現職の方々よりも負担が大きく、3年以内に取得できなかったので、更新にも
2万円から3万円も掛かりました。8月もやっとK-ABCの講義のポイントが
取得できたのです。」
「私も、H先生の要請があり会場のお手伝いをしていました。」
「ああ!そういえば先生、あの時司会をしていらっしゃいましたね。」
「セミナーの会場手伝いも、資格取得後、更新ポイントに付加されてるんです。」
「今は会社員でケースもなければ、実践もしていないし、資格をとっても無駄なのかな、、、、でも、中途半端はいやだから最後まで取得だけはしたいと思っているんです。」
「そうですね~。知能検査自体が、限られた公共施設にしかなく、貸し出しは難しいでしょうね。あとは、こちらの教育臨床心理コースの学生さんに聞いてみるくらいしか・・・」
「去年は、同窓の通級指導教室の先生になんとか御願いしてようやく実習させてもらったのですが、何しろ遠方で・・・
あ、お時間とって聞いてくださりありがとうございました。」

金曜日、強行スケジュールに改変された初日、
朝9時に出発から担当地区のおきゃくさんのお宅を10件も巡回した。
殆ど留守だろうとタカを括っていたが、案外、多くのお客さんたちと
まずまずのコミュニケーションが取れた。

木曜日から引き続き、自転車同行で年上の後輩、Oさんと出かけた。
Oさんが、20年前に住んでいたという懐かしの隣のN市のある地区まで
自転車で1時間足らず。午前6時半から午後1時半まで自転車を乗り回していたから、さすがにお腹がペコペコになった。

Oさんが昔住んでいた家はそのままで、その玄関先では娘さんが
珍しいことに「プレーリードッグ」を飼っていた。
「何?この動物?見たことないな。檻を引っ掻いて外に出たがっているよ。」
家の主が出てきて教えてくれた。
「随分前に知り合いの紹介で飼ったんだけど、今は輸入が法律で禁止されてるんだ。」
「へえ、そんなに珍しいんだ!わざわざこの町まで自転車で来た甲斐があったな!」

3時に★営業所に戻ったら、日報書いて、来週の計画とその準備に追われる。個人営業だから誰に迷惑もかからない・・・と言い切りたいけど、
新人ばかりが寄せ集まりなので、勤務時間内の5時までに残務が収まりきるわけがない。

次なる訪問者に携帯をかけた。
「もしもし、Tちゃんごめん!1時間くらい遅れるよ。」
おまけにメールも入っていた。
「突然ですが、今日の午後6時半にゼミをします。」

無理だよ~~~・・・そんなにいっぺんに

「それじゃあ、See you next week!」
「ゆきんこさん!」
「なあに、Yちゃん?」
「今度はYとお姫様ごっこしよな。」
「やりたいね~!でも、Sさんに御願いしなくちゃ遊べないよ。じゃあね!」
バタバタと★営業所を出て、自宅に戻り、こんどはお土産を携えてTちゃん宅へ夜道に自転車を走らせた。

「ごめん~!仕事で遅くなっちゃった!」
待っていてくれたのは、Tちゃんの二人の子どもたちだ。
「おみやげもってきたよ。はい!」
「なあに、これ?」
「グアムの水族館のお店で飼ってきたんだ。」
「ふ~ん。Yのはクマノミと熱帯魚が入ってる。」
「Kくんのはエイとサメ」
「この袋には、水が入っているから、針でつきさしたりしないでね。」
「ママのおみやげは?」
「後でママに見せるときまで内緒だよ。」

Tちゃんがいつもより奮発して手作りの家庭料理でおもてなしをしてくれた。こういうのがシングルには、会社からの無味乾燥なご褒美よりも
ジ~ンと胸に沁みちゃったりする。

「こんどはドラえもんの世界一周旅行ゲームしようよ!」
赤ちゃんのときから、年に何回か遊んできた二人だけど、
ご近所の親友宅に度々出入りしていると、子どもたちの遊び方やことばのやりとりに成長を感じて、オバアサンチックに、嬉しかったりして。

子どもならではの無邪気さやあどけない笑い声がスカっとさわやかなのだ。
Tちゃん親子だけの通常時よりも、ゆきんこが加わると、どうやら
このごきょうだいはエキサイトして遊んでくれるようだった。

「今度は日本旅行ゲーム!」
「もう9時だから、帰らなくちゃ。楽しい時間ってすぐ経つのはどうしてだろうねぇ。」

エレベーターを降りて、Tちゃんと少し話した。
「仕事どう?忙しそうだね。」
「うん。学校と両立厳しいから、もう辞めたいんだけど、辞めさせてもらえないんだ。Tちゃんの言うこと聞いておけばよかったな・・・」
Tちゃんは苦笑いした。

真っ直ぐに自分の歩きたい道を歩けない。
生きていくためにも、自分のやりたいことをするためにもお金が要る。

ブラウン管の中で「日本の終身雇用や年功序列の時代はもう再来しない。」と経済・雇用問題の専門家が冷ややかにコメントするのを目にしながら、
それでも、学位論文のテーマだった「自分らしく生きるということの意味」を反芻せずにはいられない。


2006/10/08 (Sun) 第34回N学区区民体育祭
グアムから帰国した1週間前は、終日雨でしたが、本日は暑くも寒くもないからりと晴れた運動会日和。

昨夜は、お気に入り韓国時代劇「宮廷女官チャングムの誓い」もクライマックスを迎え、チャングムの産みの親ミョンイと育ての親ハンサングンを死に追いやった宿敵・チェサングンが、最期にミョンイの墓前で全ての罪に許しを請い、自害した。

日曜日の午前中、ゆきんこはモノグサ花子だ。
遅いモーニングを済ませると、裏のWさんのインターホンが刺激になって、母が「運動会見に行こう」と誘ったので、ふらりと徒歩5分のN小学校へ出かけてきた。

午前11時ごろ。昨年母が飛び入り参加した「ぱー3」という競技名は
「グラウンドゴルフ」に変わっていて、競技は中盤に差し掛かっていた。

去年と比べると、特に大きな変化らしい変化は感じられない。
ごま塩頭の人々はマジョリティだけど、子育て世代や小・中学生も
数え切れない人数が、各自治体から参加していてそれぞれに体育祭の
雰囲気を楽しんでいたし、お世話係の自治委員さんもにこやかに
お茶や参加賞の手配に勤しんでいた。

「Nさん、こんにちは。」
「こんにちは。」
「何か競技に出られたら?」
「もう、出る競技がないのよ。」
「こちらは?」
「娘です。」
サングラスを外してご挨拶。
「いつも母がありがとうございます。」
「ああ、お嬢さんなのね。」(いつまでお嬢さんなんだか?)
電話の取次ぎは何回かあるようだが、初対面同士、しげしげと改めてアイコンタクトする。

「今日はご家族とご一緒ですか?」
「いいえ。私、一人暮らしなんです。息子は最近追い出して、寮生活を始めたわ。息子は短気だからちょっとしたことで喧嘩ばっかり。
あ~、一人っていいわよね~。あなた、うちの息子どうかしら?」
「家を出て行かないんですよ。私を怒鳴りつけてます。」
「耳が遠くなってきましたからね。何度も大きな声で言わないと
通じないんですよ。」

出好きで顔がそこそこ広い母の知り合いと、こういうやりとりが3回くらい連続して、競技に見入る。

ふと、先週火曜日のI先生の講義内容を思い出し、
競技ではなく、観客のなかにある特定の対象を探し出した。
「こういう集団行事って発達障害の子どもたちには恐怖の体験なんだよ。年に1回しかないでしょう?ご本人にとっては、地震か火事みたいな
天変地異みたいな感覚よね。こうして眺めてたら、特に異変もなく、
みんなが同じように楽しんで見えるけど、
これくらい(だいたい500人)の規模の校区なら障碍児もどこかに
いるはず・・・」
と母に解説していると、

いらっしゃいました!
「あの人、生垣の向こうに頭だけ出してるよ。」
「何してるんだろう?」
「多分、怖くて隠れてるんだよ。」

それから、競技はそっちのけで、視線は彼に釘付けになった。
サングラスのお陰か、彼は全く私の観察に気付いていない。

そこへ
母の知り合いの民生委員・児童委員のTさんが挨拶に来て、こんな話をした。
「民生委員さんって大変でしょう?」
「う~ん、、、どこまでプライバシーを配慮して訪ねたらいいのか、
わからないんですよ。
一人暮らしの方々もうちの自治体にどれだけいらっしゃるのか、
実ははっきりわからないんです。
それなのに、万が一、孤独死でもなさっていたら、私たちに責任がかかるんですよ。」
「ああ、それでしたら周辺のご近所に御願いしたほうがいいかもしれませんね。民生委員さんにも限界がありますもの。」
「そうなんです。ご近所の方に一人暮らしの方の情報提供してもらえるとありがたいんです。この頃プライバシーもうるさくなっちゃって、干渉されたくない人も増えているでしょう?」

Tさんが去って、再び生垣に目をやると、自閉症かも?の青年の姿が見えなくなっていた。
「あれ?どこか行っちゃった。」
「しゃがんで○○こしてるんじゃない?」
「それだったら、ちゃんとトイレに行って隠れるんじゃないかな?
ちょっと見てこよう。」

そろりそろりと生垣に近づき、覗いてみたらしゃがんでいた。
戻って母に告げた。
「やっぱりしゃがんでた。でも、○○こはしてなかったよ。」
「私も見てくるわ。」

母が近づくと的外れなのが、離れたところから見ていて笑えてしまう。
母が3メートルくらい離れたところを覗くと、
彼はむくっと顔を出し、生垣からそろりと出てくると、集団から遠巻きになり、誰もいないブランコの柵に腰を下ろした。

「覗いている間に、反対側からあっちに行っちゃった。やっぱり自閉の人みたいだね。」
「あんたの中学のユニフォーム着てるよ。あんまりいいデザインじゃないね。背が高いから大人みたいに見えるけど。」
「どこ行くんだろう。でも、こんな運動会苦手なはずなのに、学校の外へは行こうとしないね。
学校へ行ってる間は誰かが見てくれるけど、大人になってから誰もサポートしてくれないと大変だと思う。親は年老いていくし、運動会に参加できないのだから、社会の一員や職場に参加するのはもっと大変なのに。」

午前の部、最後の競技全員参加の「ジャンケンゲーム」に加わった。
ルールは至ってカンタン。

朝礼台に立つ、2名の役員のどちらが勝つか、予想してトラロープの左右に分かれて立つ。
負けたグループはその場を去り、勝ち残った30名に景品をプレゼント。

しかし、本当に全員参加できるカンタンな競技なのか?

さっきの自閉症の中学の後輩クンは、参加しただろうか?

最後のジャンケンで30名が景品を獲得し、参加者はそれぞれの地区のテントに戻ってお弁当をもらった。

M町の子どもたちのなかに、気さくに近づいてきた小学生の男の子。
サングラス越しに私の目を覗き込んできた。
「オレもサングラス持ってきたらよかった。」
「かけてみる?これは、アメリカのサンフランシスコで買ってきたんだよ。はい。」
外して、少年に手渡した。
「ちょっと大きいね。」
「オレのはお菓子のオマケについてたよ。」

自閉症の彼は私服に着替えて、M町のテントに戻ってきた。
少年は恰幅のいいスーツ姿の、腰に「副会長」のリボンをつけた男性の横に近づき、お茶とお弁当を受け取った。

はあ、お父さんはかなり立派なステイタスの人らしい。

彼はテントの周りを迂回して、お弁当を持って小学生の女の子グループ
の横に腰を下ろした。

私はそれを見届けてなぜか安心して、ジャンケンゲームで離れ離れになった母を捜しつつ、校門の向こうの横断歩道を渡った。

「おかえり。遅かったじゃない。」
「うん。あの人、うちのM町に住んでるみたい。」
「今から、銭太鼓の練習していい?」
「いいよ。」

というわけで、BGMは「♪こんぴらふねふね」でお送りしました。



2006/10/07 (Sat) アルジャーノンに花束を
グアムでの暫しの日本からの逃避行が済んだら、過酷な日本の日常に
引き戻される。

この3連休は家の中で逃避行を決めた。

土曜日の午後1時。NHK大河ドラマ「功名が辻」の再放送を横目に
母が『王子さまを40歳まで待ってみた single40's』(催馬楽つゆ子さいばらつゆこ著 2004年2月25日第1刷 ソニー・マガジンズ)という
浅黄色の本を手元にちらつかせて言った。
「結婚しないのか?できないのか?あんたどっちや?」
「どっちもや。」

母と私は10月から始まった新番組 朝の連ドラ「いもたこなんきん」に
早くも夢中である。
原作者の田辺聖子といい、主役の藤山直美といい、コテコテの大阪が
舞台であること、時代背景が昭和40年代という親近感や懐かしさが
大変気に入っている。

ついでに、主人公がなんとなく自分に似てるかも?というところも・・・

8月9月の2ヶ月は夜の学校もお休みで、ちょっと残業したり、
土曜日も出勤してダラダラと★営業所に居残って、S支所長のことばを
借りれば、「90%以上は無駄」な仕事に自分なりには勤しんでいたと
思う。

けれども、実際には成果につながらなければお給料がもらえない。
そのプロセスに各々の営業員の独自性とか、工夫アイデアがあれば
納得できるが、そうとも言い切れない妙な実力主義の世界が見え隠れすると、どうもゲンナリしてきてしまうのだ。

週明けの10月2日
「おかえり。グアム楽しかった?」
S支所長がいつもの固定化された営業スマイルで迎えてくれた。
「はい。我侭を聞いてもらってお休みいただいてありがとうございました。」
「早速、仕事の話だけど、金曜日Iさんから電話あって、ゆきんこちゃんが配っていた病気でも入れる保険のパンフレット見て、入りたいって
話だったの。今日の正午は早速、お伺いしてきて。」
「そうですか・・・」

狐につままれたように、正午Iさんの会社に伺った。
「どうぞ。そこのスリッパを履いてこちらに・・・」
「はい。失礼します。」
今までつっけんどんだった社長婦人や社長のIさんが妙に親しげになったことが不思議だ。
新しく中国からやってきた青年を3名雇い入れ、100周年記念の真新しい
パンフレットを渡すと、熱心に見入ってくれていた。
「ニイハオマ?」
「好!(ハオ)」と屈託のない笑顔。

仕事を終えて、自転車で自宅ではなくH駅へ向かった。
行き先は神戸・元町。
帰宅ラッシュに紛れて、特急や準急に乗り込み、運良く座席に座れたら
そこで腹ごしらえに昼のお弁当と一緒に作ったおにぎりを人目も憚らず
モグモグとほお張る。
ちょっとはリラックスしたいので、ビルの谷間に夕焼け雲を眺めたり、
肩を揉んだり、目を閉じてみる。

夜の学校へ1時間あまりで辿り着くと4階の掲示板の前に1年ぶりの
若い茶髪の同期生の姿があった。
「Mちゃん、久しぶり!」
「お久しぶりです。」
「うわ、お腹がぺったんこになってる!」
「はい。生まれました。」
「ごめんね~。1年間何にも連絡しなくて・・・私も転職したりバタバタしてたんだ。」
「月曜日は何を履修されました?」
「今日はゼミなの。またゆっくり話そうね。」

一端、Mちゃんとは別れて、事務局へと向かった。
「こんばんは。幼年コースのゆきんこです。あの、F先生の許可を得てゼミに参加させていただいていますが、今日はないのでしょうか?」
「さあ、F先生から何も連絡ありませんね。明日の住環境講座は休講の連絡入ってます。それからゆきんこさん、前期授業の成績表をお渡ししますね。」
「ありがとうございます。」

住環境?
そんな講義履修していたことも忘れてた。
成績は、修了に必要な32単位は1年半でクリアできたけど、
やっぱり前期火曜日6時限目の「免疫学と病理学」はギリギリの判定Dだった。しょうがない。いつも小1時間は平気で遅刻していて、束のように配られていた医学に関するプリントも全然読んでいないことは、
大腸がん外科医の権威だったH先生にはお見通しだったんだから。

その講義でいつも隣り合わせだった女性教諭にもお会いした。
「いつもあんなによく回答してたのに、随分な成績ですね。」
「いつも遅刻でしたし、最後の方は仕事も忙しくてH先生の質問に答えられていませんでしたから。」
その続きに、人生の先輩たちからまたもや、生々しい人の生死にまつわる話をお聞きすることも増えてきた。

仕方ないのだ。ここは、そうした人生の紆余曲折が拮抗する波止場みたいな現役教職員の学校なんだから。
その中で、私は教職員経験を持ちながら、「会社員」という肩書きを提げた異色のマイノリティかもしれない。

F先生のゼミはどうやらないことがわかって、手持ち無沙汰に茶髪のMちゃんが、去年出産を控えて履修できなかった「地域子育て支援特論」の
講義室1を覗いてみた。

同い年の子育て世代の助教授S先生と、Mちゃん、同じゼミの小学校講師
Nさんの3人でざっくばらんな笑い声がきこえてきた。

「あの~・・・この講義もう習得してるんですが、ゼミがないみたいで。ちょっと参加させてもらっていいですか?」
「あれ?折角来たのにゼミないの?どうぞどうぞ。実はオリエンテーション始めたいのに、履修者全然来ないからどうしようかと思ってさ。
それで、近況報告がてら雑談してたんだ。」
「それじゃ、お邪魔します。」

話題はおめでた婚で丸1年間休学していたママになって9ヶ月の
Mちゃんの出産と子育てに端を発した。
「もう痛いのなんのって!あんな痛い思いするならもう2度と出産したくないです。」
「どんなふうに痛いの?」
年上シングルのゆきんこ、興味津々に尋ねた。
「鼻からスイカって感じです。」
「はあ~!鼻からスイカ!うん。それはMちゃん語録になりそう。」

それから話題は夏期休暇に及んだ。S先生のズボンの裾から覗いた足首が目に留まった。
「S先生、足が真っ黒ですね。」
「ああ、もう日常は研究だなんだってなんだかバタバタしてるでしょう。9月に家族で慶良間に行ってきたんだよ。」
「へえ~、詳しく聞かせてください。」
「夕陽をぼけーっと家族で黙って見てるんだ。こういう何にもしない
ゆったりとした時間って本当は必要なはずなんだよね。
子どもたちも、何にもなくったって太陽と、水と砂。これだけあれば、
退屈しないで何時間でも夢中で遊んでいたよ。」

「フランスなどにはゆったりするバカンスってありますが、日本では
どうしてできないんでしょう?」
「そういう価値観とか風習がないんだろうな~。皆さんは夏休みどうだった?」
「私は、返上で学校へ出勤してました。」とNさん。
「ゆきんこさんは?」
「私もですね~、実は昨日の朝、グアムから帰ってきました。
はい。これは空港で買ってきたマンゴーのドライフルーツです。」
「ええ!本当!?」
「はい。今日ゼミで一緒に食べようと思ってたんですが、一緒に食べましょう。」
そう言って、袋を破いて、マンゴーを振舞いました。
「いただきます。それで、どうだった?グアム。」
「ダイビングしましたよ。それからイルカウォッチング。」
「ダイビングするの?へえ、やるなあ~!」
「チャモロの人々のあの屈託のない笑顔は日本人は見習うべきですね。」

そこで3人は一瞬、無言になった。

勿論、笑えない日本人が増えていることはわかっている。
それがどうしてなのかも。
でも、なかなか改善されないところをどうしていくのか?
それがこの講座だけでない、日本の将来を左右する教職者だけでない
全ての日本人の宿題なのではないだろうか?

S先生は本題に戻った。
「子育て支援と一口に言っても、主役の親世代を抜きにした至れり尽くせりの支援は、あまり楽観視できないと思うんだ。『子育て支援』ということばにどんなイメージがある?」
先に他の2人が回答したことは、もう1週間前で記憶に留めていない。
「ゆきんこさんは?」
「私はソーシャルサポートのひとつとして大きく捉えています。
今、保育士という専門家ではなく、会社員という立場で、また、地域の一員として、ちょっとしたことが支援につながるんじゃないかと思っているんですよね。たまたま、自宅の両隣が同世代の就学前後のお子さんがいるので、時々会話したりするのもさりげない、お節介でない支援の
ひとつかなと。」

翌日、火曜日同時刻の同教室は、初回から最前席をいくつか残して教育臨床心理コースや学校心理コースの学生たちで埋め尽くされた。
しまった!居心地のよい空席を早くキープしておくべきだった。

隣の教室からイスを拝借して、廊下側の最後列に席を確保して、しばらくすると「発達障害心理臨床特論」(はったつしょうがいしんりりんしょうとくろん・・・読んだら舌を噛みそうな長たらしい科目)のプレゼンターI先生がお出ましになった。

ぐぐ~っと緊張感が頭の先から足の先まで電流のように流れた。
そして、無意識に配布されたばかりの資料プリントで顔を覆った。

「どうぞ、前の方に空席がありますから。」
首を横にブルブルと振った。
すぐ傍の受講生が、私を促した。
「どうぞ前へ。」
「ちゃんと授業料払ってもらっているんですから。遠慮しないで。」
「いえ!ここでいいです!」

人知れず、試し試されているのがわかった。
緊張感がボルテージに達すると、黒板の前だろうが、臨席だろうが教職員の面々はたちまち恐怖の対象だ。だからいつでも逃げ出せるように
この場所を選んで座る。そして、講義内容など全く耳に入らなくなる。

冒頭、I先生は発達障害の概要は医学的見地、教育学的にも、遺伝学的にもまだ不明確で混沌としている歴史の過渡にあり、いずれにしても
人材不足の窮状を訴えた。
兵庫・大阪・京都の数箇所に発達障害相談支援センターを設置したので、
まずはアクセスしてみて欲しい・・・と。

「私の専門は自閉症でして・・・」
ふとしたI先生のキーワードに思わず、反応して顔をあげた瞬間、
アイコンタクトしたり、自制しながら笑ってしまう自分をカウントしてしまう。。。(いけない自意識過剰なセルフモニタリング)

それでも、もう一人の自分は、一言も漏らさず講義を聴き取りたいという思いで必死にメモを余白に走らせる。
その日プリントは、ロッカーに置いたままで現時点では詳細に綴れないので、内容は後日付記したいと思う。

それから、ABAのF先生のゼミ生、Kさんと大阪駅まで会話した。
「F先生はいつも言ってるわ。日常茶飯事がABAで物事を見られるようになってくるとすごく面白いんだって。でも、私はそこまで気にしてないのよね。ゼミの時間もF先生の機嫌の悪いときに鋭い質問が飛んできて、
ちゃんと答えられないと、ものすごい叱り様よ。」
「そうなんだ。『私は怒ったらもの凄くコワイんだよ』って仰ってたものね。ABAのレポートで釘刺しになったのか、私には努めて穏やかに接してくださってるみたい。成績もAをもらったよ。」
「どんな内容を書いたんですか?」

「なぜ、ゆきんこは2006年2月現在失業したのかの経緯を書いたの。
2004年にI先生のABAの講義を初めて聞いてすっかりはまって好子(こうし)になったことや、小学生時代、ピアノの先生が怖くて、叩かれた途端、通わなくなって練習しなくなったからピアノは弾けないこと。
(嫌子による行動の消去)
1年前、叱責の多すぎる保育士とペアになり、保育界でバーンアウトして転職したこと、それから再就職を渋ってモラトリアムしているけど、
貯金がなくなって、なんとかしなくちゃともがいている葛藤状態を
行動の事前・事後のダイアグラムで表現したの。」
「ふ~ん。私、やっぱりそんなにABAにのめりこんでないですよ。
F先生からも『Kちゃんは、精神分析向きじゃないのか?』と言われたり。ABAが科学的にわかっている人なのかどうかは、わかるみたいです。」
「I先生だって、ああやって講義の間も日常的に、一瞬、一瞬、ABAを駆使してると思うんだ。
HP見て、のこのこと障碍児教育研究会に飛び入り参加でM市まで
出かけたときも、今思えば、あれはベースラインとって観察してたんだよ。
部屋の隅になんだか怪しい人がラップトップの陰にいるなあ、と思ってたけど、それがI先生だなんて初対面ではわからないでしょう?」

水曜日には、幼年教育コースのS先生、Y先生のオリエンテーションが
続けてあった。仕事で絵画コンクールに応募してくれたお子さんたちの
介添えをしてくれたT先生とゼミのTさんにお礼方々絵画を返却した。

S先生は教育学の立場から、幼年教育思想を歴史を遡って振り返り、
未来の日本社会を背景とした幼年教育のヒントを示唆する講義を展開される。
また、7時限目のY先生は、研究論文を実際に作成するにあたり、
研究の目的や方法、データ処理の仕方を具体的に演習方式で教えてくださることになっている。
「何分、初めての試みなので、うまくいくかどうかわかりませんが、
エヘへ。」

・・・にしても、こんなデータでいいのかよ?という
誰にもわかってもらえない研究を始めたゆきんことしては、初歩中の初歩レベルのこんな講義は本当に有難い!

木曜日は、「障碍児特論」で1ヶ月4回シリーズで3人の講師が入れ替わりに、知的障害、聴覚障害、視覚障害について教授する。
初回は、飄々とした感じの痩せ型・色白のお兄さんみたいなT先生が
早速、レポートを提示した。
「10月26日までに、
ダニエル・キイス原作のベストセラー『アルジャーノンに花束を』(早川書房)を読んで、その要旨とコメントを書いてきてください。」

え~!このくそ忙しい生保の仕事と両立で、また読書!

夜の学校が始まったはいいが、ウレシ迷惑、ありがた迷惑。
それじゃあ、この誰も見向きもしないブログ書いてる時間をなんとか
すればよかったり、パンパンてんこもりの人生のスケジュールを自己責任において、調整しなければならない。あ~、しんど。

金曜日、学校には行っていない。
午前中から、担当地区のおきゃくさんの所へ2往復して申し込み契約を
交わした。S支所長が、端末に入力を終えて一言。
「ゆきんこちゃん、よかったね。」とスマイル。
でも、素直でないことに私の口元は歪んだ。
半年で、生保レディになりきれるわけもないけど、お客さんと保険契約を交わし、これでご飯を食べていることの実感や喜びが相変わらず込み上げてこないのだ。

Nさんが午前中に、O所長に予め断りを入れてくれた。
「O所長すみません、今日は5時で上がらせてもらいます。以前から他の
営業所の同期入社仲間と同期会をしようと言ってまして、今晩になりました。」
「いいよ。行ってきてちょうだい。」

昨日は午前も先輩営業員の同行があったり、みっちりフルスケジュールで午後5時に★営業所に戻った。それから日報を記入した。

昨日会えなかったおきゃくさんには、夕方6時過ぎに日没した頃、再訪して返事を伺いに行った。
「この間、提案させてもらった件で、お返事を聞きに来ました。」
「あ、あれ?見てないし、考えてなかった。」

ガックリ・・・

Nさんから携帯が入って、H駅付近の「神戸・にんにくや」で4名の営業員たちが落ち合った。

+営業所のHさんは早くも退職を考えて、競合のF生命のパンフレットを持ち込んでいるし、新人研修のW部長の言動や研修内容を真似ては、愚痴を言ったり大笑いしたりと、飲み会で各営業所の不満が噴出した。
「あのW部長の『はい、ちょっとこっち見て』とか『おはようございまあ~す』のイントネーションやめてほしいんだよね!」
「アハハハハ!お腹痛いよ!」

皮肉なことに、隣のテーブルはどこかの会社の上司と部下のグループが
慎ましやかに、こっちの話題にヒヤヒヤと傾聴していることもお構いなしに・・・

「ゆきんこちゃん、あんたはそのままでマジメ路線でそれで普通やねん。でも、他の営業員からすれば、あんたは浮いている。」
「どういうこと?」
「つまり、営業成績を『どうやってあげてるの?』の質問のニュアンスが、あんたと他の営業員の場合、違うんだよ。」
「同じ字面でも、意味が違うんだね。それがウソやごまかしのわからない自閉症の障害なんだけど。で、どう違うの?」
「女性営業員たちは『真昼の水商売』と呼ばれてきたのよ。コツコツこまめに通ったり、大した活動しないで、『お客は自分で選んでいいねん』と言っている輩は少なくないってこと。だから、ゆきんこちゃんが
『どうやって?』と聞くのは、どんな会話をしたのか?どんな販促ツールを使ったのか?ということだけど、他の営業員は、どうやって相手を
そそったのかと探りをいれてくるのよ。私、呆れたからなるべく彼女たちとはかかわらないで、ゆきんこちゃんと一緒にいるようにしてるの。」

「その話聞いて、私、会社に入ってこの仕事を心底辞めたいと思ったよ。」
「でも、辞めるタイミングを逃がしたね。来年までは禁句だよ。」
「あ~!!1ヶ月前に聞いてたら辞めたのに!保育士の話ももちかけられていたんだよ。」
「ゆきんこさん、保育士だったんだものね。」

「それにこの人は、夜の大学院に行って、なんだか難しい研究をしたいんだって。私も自分のために引き止めていたけど、それがわかったから
自分の行きたいところへ行けばいいと言ったの。」

「でも、みんなはどうしてわかってて、生保の仕事を選んだの?
私は何にもしらなかったんだよ。」
「何にも知らずに入ってくるあんたの方が珍しいんだよ。
バイトやパートに比べたらやっぱり収入いいもの。子育てや生活、マンション買うのにお金かかるんだから。」

「ゆきんこちゃん、あんたはまともでも、まともでないひとに
そのまま『まともでない』と言ったら、敵を作って自分の首を絞めてしまう。だから他の営業員のやり方には口出ししない方が身のためだからね。」

「本当に人間って恐ろしいね。
元の仕事に戻ると言っても悩みは尽きないよ。I先生に久しぶりに会えたけど、ボロボロに疲れきってて、ぶっ倒れるんじゃないか見ていられないよ。」

裏のWさんのご主人は、3日前ゆきんこがお孫さんの絵画作品をお返しに
行ったとき元気だった。
それから間もなく、倒れて入院したそうだ。

私は暢気に、宿題レポートに取り掛かろう。

2006/10/01 (Sun) グアムでイルカウォッチング
ハファデイ!
只今、午後1時過ぎ。
自宅には午前11時すぎに到着して、荷物の整理をしてトーストを食べて
ほっこりしたところです。

9月28日(木)から10月1日(日)3泊4日のグアム旅行へ旧友のOちゃんと
行ってきました。

5月の連休明けからOちゃんと少しずつ話し合って、お盆明けから携帯などでやりとりしながら、当日を迎えました。
今回の旅行は殆どの手配をOちゃんに任せきりで申し訳なかったですが、
3年ぶりのケアンズでのスキューバダイビングを再実現できてよかったです。

28日は午前から午後にかけて荷造りして、午後5時に関西空港へ向けて
出発しました。関空へは2時間で到着するだろうはずが、
平日、JR天王寺発の関空快速は、30分おきくらいしか出ていないのが誤算だった。そして、ご迷惑なことにラッシュアワーの大阪を通過するはめになったこともロスタイム。

発車ホームを探すのにうろうろしていて、気がついたのが、
16番ホーム、午後6時37分発の「特急はるか」
慌てて駆け込んだが、無残にも目の前で「はるか」の扉は閉まった。
「あ~!間に合わない・・・」

次の関空快速は6時51分発。
これじゃ、待ち合わせ時刻の7時15分に到着するのは不可能だ。
仕方なくOちゃんに携帯に留守電メッセージをいれた。

「・・・ごめんOちゃん、はるかに乗り遅れちゃったよ。」

約30分遅れの午後7時45分。関西空港駅から指定の旅客ターミナル前に
バタバタと駆け込むとOちゃんがシートに座って待っていた。
「Oちゃん、ごめん!」
「スーツケース、あのカウンターで預けて。」

スーツケースと引き換えに搭乗券を受け取ると、
息つく間もなく徐々に足を進めて、出国審査の関門でパスポートを提示しながら、殆ど余裕らしい余裕もないままに、15番ゲート前まで辿り着いた。

2001年アメリカNYでの同時多発テロ事件を契機に、手荷物やボディチェックが厳重にも厳重になっていることは承知していたが、
それを身を以って経験したという感じ。

化粧水や日焼け止めクリームやジェル、飲料水もすべての液体が機内持ち込み禁止になった。
そのため、手荷物のバックパックからスーツケースに化粧・洗面道具一式を詰め替えたり、ボディチェック後に、飲料を改めて買ったりとめんどくさいこと。

帰路のグアムを出発するときは更に厳重で、スーツケースの鍵は開放したままランダムに抽出され、入念なチェックが入る。
靴も脱いでX線のチェックが入る上に、うっかりバックパックにオレンジジュースを入れたままだったことを忘れてまた引っ掛かり、係員からはゲートをくぐる前にジュースを目前で飲み干すようにと指示を受けたほどだった。

とにかく、飛行機内の指定席に着席してしまえば、やれやれとリラックスできたはいいけど。

関空-グアム間は約3時間。グアムが1時間早い時差になっている。
従って到着したのは、グアム現地時間の29日(木)深夜1時。
真夜中に現地スタッフの出迎えで、宿泊先の オハナオーシャンビューホテルへ異動した。

真夜中のグアムの夜景にネムネムの目を凝らしてみると、
ガソリンスタンドが目に付いた。
「76」やMobile Shell石油などなど。
10分くらいで、目的のホテルに到着し、睡魔がピークに達していたので、339のお部屋に入って、スーツケースからパジャマを取り出すと
Oちゃんに構わず、早々にベッドインして就寝した。

翌朝、午前9時起床。
ホテル内の「チャモロ亭」というレストランで朝ごはんを摂った。
Oちゃんの情報によると、「チャモロ」とは先住民のことばで、
「高貴な」という意味がある。
塩コショウのよく効いた大き目のソーセージを食べながら、
ガイドブックにも載っている「チャモロ亭」でディナーを食べようと話した。

オプショナルツアーの迎えのマイクロバスが来るまでに、部屋に戻って
バタバタと出かける用意をして、(室内でNHK海外放送のニュースや朝の
連ドラ『純情きらリ』を視聴しながら)10時30分に出発。

赤道に近いグアムの気候は熱帯モンスーン。今は雨季の終わりで、
毎日雨が降ったり止んだりしている。
天気予報を見てもいつも同じで、マリアナ諸島の上空で、台風の雲が渦巻き、生まれては消えるという天気図だ。

しかし、一度雨に打たれて、浜辺に腰を下ろせば濡れたことを気にしている暇もない。
Oちゃんが、片言英語でダイビングのインストラクターに3年ぶりに
ファンダイブすることを予め伝えてくれたお陰で、
インストラクターの男性は、至れり尽くせりのサービスで、一から復習しながらリードしてくれた。当然、日本語で。

とにかく「リラックス、リラックス」
ケアンズでは、ボートから逆さまにドボン!のダイビングだったけど、
今回は、ビーチからじわじわと深度を深めて、水深5~6メートル。

さんご礁のなかに、小さい青い魚の群れ、ソーセージを臆することなく
食いちぎりにくる大きな熱帯魚の群れ。
こんなファンダイブを数年に1回とはいえ、楽しむ機会に恵まれてきた
私どもは、最早フツーの水族館では物足りなくなっている。

個人的には、潜水するということは、音声言語は役に立たなくなる。
ブクブクと水泡の音や自分の呼吸の音以外のコミュニケーションは
専ら身振り手振りだけ。
その意味でダイビングの世界は、ノンバーバルの国際語と換言できるわけだ。たまには、お魚さんたちとアイコンタクトするのも面白い。

しかし、スキューバダイビングはやっぱり危険なスポーツだ。
くわえているレギュレーターが外れたらどうしよう・・・
耳抜きができないと頭蓋内と水圧とのバランスが悪くなり頭痛や、減圧症という病気になる恐れもある。

マスクが曇ってきたら、今回のインストラクターはこまめに海水をマスク内に流し込んできたので、苦手なマスククリアもしないといけなかった。

ファンダイブの所要時間は45分間だけど、海水はしょっぱいので、
喉も渇いて、体温も次第に奪われてくる。
だから、ゆきんこの最適時間はだいたい25分から30分のショートダイブで、その分お値段も安くしてもらえると嬉しいんだけどな。

陸に上がれば、ちょっとした英語学習にもなる。
グアムは初心者にうってつけのお手軽な海外だ。
殆どの看板のロゴは、日本語と英語が併記されている。
現地観光スタッフも殆ど、日本語と英語のバイリンガルだから、
少々下手な英語でも、「ちゃんと話さなくちゃ」などと焦る必要もなく、堂々とジャングリッシュにトライしてほしい。
それくらい、グアムは日本観光客向けに専属アレンジされたパラダイスなのだ。

自分では意識していないが、
「ゆきちゃん、英語好きだね~。」と言われてしまった。
「そう?一頃に比べると、全然話せないし、読めなくなったよ。」
ダイビングにしても、英語にしても、ABAにしても、程ほどでのめり込むほど好きだというマニアックな専門領域にはなかなか到達しないのが、私の弱点かもしれない。

午後はホテルのプールで貸しきり状態のスイミングをOちゃんと気ままに
楽しんでから、シャワーを浴びると、ホテル街にくり出した。

オレンジの入り口のデザインが斬新な建物に入っていくと、
そこは大きなフロアのJPというショッピングセンター。

3時すぎで、朝食を食べたきりすっかりお腹がすいていたところに、
みやげ物の菓子の試食サンプルが商品と共に陳列されていた。
「ちょうどよかったね~。」
試食にかこつけて、殆どのクッキーをいただいて、空腹を凌いだ。

「明日、出直してここでおみやげ買おうよ。」
その代わり、その場で買ったのが絵葉書。
共通の友人Tちゃんに、現地から絵葉書を送る約束をしていた。
3年前のケアンズでも同じことをして、Tちゃんから好評を得て、
予め彼女からのリクエストされていた。

そこから、雨宿りがてら、プラザホテルからハードロックカフェへ歩きながら2時間ほどウィンドウショッピング。
途中足を止めたのは、スキンケアの専門店。
販売スタッフのお勧め品の黒い石鹸「Dudu-Osun]をお土産に買った。アフリカ・ナイジェリア原産の蜂蜜や、天然ハーブ、
ライム、レモン果汁、アロエを配合してあるらしい。

今、使っている石鹸がなくなったら試してみよう!

水族館のみやげ物ショップでも、店員の可愛いお姉さんに紹介してもらったジェル状の玩具を買った。
ついでにOちゃんは、ウミガメの赤ちゃんのぬいぐるみも。
周辺のブランドショップは「見てるだけ~」でお値段のタグを見て見ぬフリをして通過する。

雨が上がりかけた頃、日本人観光客で賑わうホテルのラウンジを泊り客に紛れて通過し、サンセットビーチを拝むことができた。
デジカメを構えて海をバックにしていたら、地元の青年たちが練習するカヤックが通過していった。

夕食には少し早かったが5時半ごろに、付近のハードロックカフェ・グアムでディナータイムを楽しむことにした。
Oちゃんと「グアムの夜に乾杯!」してグラスを傾けた。
ウエイターのお兄さんとOちゃんの携帯の機種が偶然同じで、二人とも
驚いていた。どうやら同じ機種でも、日本の方が契約使用料金も含めても断然お安いらしい。

夜も更けて、ホテルに帰る途中に、ABCストアーを2軒はしごして29日が終わった。

明けて3日目の30日(土)
前日、ホテルのロビーで追加の電話予約したオプショナルツアーに出かけた。
2日連日、同じ運転手のロバートさんがお出迎え。
「イルカウォッチング?」
「いえ~す」

29日と違うちょっと遠方の波止場に着くと、そこからクルーザーに乗り換えて沖へ向かった。

浜から遠ざかって眺めるグアム島は一面が鬱蒼とした緑緑。
反対側は何ともいえない美しく青い海。
空は残念ながら灰色の曇り空だが、それでも陽光が差し込んでまずますの天気。
沖でクルーザーはエンジンを止め、乗り組んだ日本人観光客たち20名ほどが、イルカがやってくるのを待った。

3人きょうだいの子どもたちのうち、長男くんが叫んだ。
「お~い、イルカ!」
「でてこないね。」

「あ、あそこ!」
「いたいた!」
「何匹かな?」
「いち・に・さん・し・ご・ろく」
「6匹いた?」

初対面のくせに、馴れ馴れしく会話していくゆきんこ。
お兄ちゃんは気さくに返事をしてくれたが、妹は「誰あんた?」という
反応だった。

そんなことはどうだっていい。
今回、グループの野生のイルカをグアムの沖で大発見!
それだけで、日頃の憂さがどれだけ吹き飛んだことでしょう。
生きててよかったな~と思う贅沢極まりない瞬間です。

それでもお子様たちは、10分以上もイルカがなかなか顔を出してくれないことに退屈しきって、
「ねえ、もうお魚と泳ぎたいよう・・・」
と言い出した。

「それじゃ、もう一回出てきたところを見たら移動して、シュノーケリングしましょうか。」
日本人スタッフのリカさんが、合図して、お客たちは、救命胴衣とシュノーケルを装着すると、梯子を伝って海に入水していった。

Oちゃんと私も一番最後に海に入り、水面を覗き込んだ。
うわ~!

縞模様の熱帯魚の大群!
こちらは、海のど真ん中とはいえ、救命胴衣のお陰で絶対沈まないから
安心して覗き込んでは、ウォータープルーフのカメラでバシバシと
お魚を撮り捲り。

帰りのバスでも運転手のロバートさん、アカペラで日本人客を楽しませてくれました。
「今度はスキヤキをみんなで歌って。」
「♪上をむういて、あるこおおう~。」

ホテルに到着すると更にサービスは過剰になった。
悲しそうなジェスチャーで、わたしを抱きしめ、目前にはロバートさんの頬が!
こうなっては、別れのキスをしなくてはならない。
そして、Oちゃんには!!

チャモロのみなさんって屈託のない笑顔がチャーミング。
現在は、アメリカに属しているが、第2次世界大戦中には、日本の占領下において激戦地ともなった。
マゼランに発見されて以来スペインの統治下にあって、生粋のチャモロ人もチャモロ語も現存していない。

今はなんとなく、日本人観光客の落としておくお金で経済が成り立っているという気がした。

午後は少しDFSショッピングモールをブラリとしてから、日暮れまで周遊バスに乗ってみた。

そして、午後8時、再びチャモロ亭でディナーを楽しんだ。
透明なのにほのかに甘いココナッツジュースは、なかなか美味しかった。もちろん、チャモロのお料理も。

翌朝、起床は午前3時。
午前6時には雨の中、飛行機はグアムを離陸し、雲の中へと上昇していった。

午前8時25分帰国した関空の上空も雨雲に覆われていた。
終日雨の10月1日、日曜日。運動会はどうだったのかな?
畳の上にはグアムから持ち帰ったパンフレットやお土産が散らばっています。

明日はまた★営業所。
そして夜の学校でも後期授業が始まります。

旅は疲れますが、やっぱり楽しい。
今度は誰とどこへ行こうかな?
未知との遭遇のような旅気分で過ごせたら、毎日がもっと楽しくなるんでしょうけどね。







プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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