とうとうぶったおれた・・・
星占いによると、ずばり今日29日は体調を崩すアンラッキーデーと書いてある。
今年2007年の年明け1ヶ月は、例年にないイベント続きで自宅でのんびりしたのは、元日と今日を含めてたったの3日だった。
1年前に生保レディになってスカウトされたのが、支部昇格という超厳しいノルマを課せられた★営業所。
今朝、始業15分前に電話をかけた。
「おはようございます。すみません・・・体調を崩しました。
ごめいわくかけますが、休ませていただきます。」
「わかった。お大事にね。
お客さんのところへは、代わりに連絡しておくから。」
「勝手ばかりして、申し訳ありません。」
S支所長は、なぜかゆきんこには寛大だ。
いい上司でよかった・・・
再び、ふとんに入るとそれから何時間眠っただろう。
ようやく起き上がれたのは、夕方4時前ごろだった。
休日は、やっぱり休まないとな・・・
それも、どこかで契約をもらわない限り、生命保険の営業員にはご法度だから、いずれこうなることはわかっていた。
20日は、新しいプリンターを買いにヨドバシカメラへお買い物。
21日は、課外講義で、京都の学校歴史博物館などを訪問。
27日は、キャンパスイノベーションセンターに教育フォーラム
28日は、従姉の一周忌法要。
家にいる時間といえば、約6時間の睡眠時間と朝ごはん食べて
身支度する時間だけ。
全然、ブログを更新する時間もなかった。
そして、書きかけの年賀状のお返事も書けなかった・・・
旧い年上のお姉さんのこゆきさんが、ゆきんこの不在中に電話をかけて
くれたようだ。
毎年、欠かさず手描きの年賀状をくれたのに、今年はどうしたのだろうと心配して。
勿論、基本的には元気にしています。
会社も休んで、心おきなく眠ったら、回復しているからね。
だけど、2000年に入ってからというもの、
国会でも議論されているように、
ゆきんこだって、人生を翻弄されて不安定な毎年を過ごしてきた。
まともな収入を得ようと思えば、自分の許容量を越える労働条件で働かなければならない。
だけど、病気になる寸前にどうしても限界が来るので、どんなにがんばってもせいぜい1年。
マイペースを頑なに貫こうものなら、たちまち現行日本社会では、
顰蹙を買って、勝手に路頭に迷いなさい。ってことになる
昨日、従姉のKさんの一周忌法要が無事に終わったのは午後3時ごろ。
祖父の代から約60年間、家族を連続して失ったY伯母さんの一族の興亡を傍観してきた親族としては、やっぱり法事がひと段落したからといって
直ちに、立ち去るわけにはいかない。
喪服姿でしか、会うことのない親族同士の付き合いだなんて、なんだか切ないじゃないか。
2000年以降、涙に明け暮れていたY伯母さんの孫娘Aさんが、伯母のコレクションをもらって欲しいと、形見分けが始まった。
1年経過して、従姉のKさんに生き写しのAさんの屈託のない笑顔に、
私は何だかほっとしていた。
この大家族には諸々のタブーがあったのだろう。
幼児期から思春期にかけて、Aさんの子どもらしい笑顔を見た覚えがなかったように思う。
長男の10歳年下のT君に声をかけてみた。
「もう茶髪にしないの?」
「もうしないよ。」
「10年前はピアスだってしてたじゃない。」
「もう、大人ですから。」
「自分で、お父さんとお母さん、どっちに似てると思う?」
「ん〜・・・やっぱりオヤジかな?」
「私はT君が生まれる前の結婚したときのことも覚えているからね。
T君、結婚当初のお父さんよりも年上になったんだね。
何だったら、当時の写真、見てみたら?」
「ええ?いいわいいわ」
またもや、だらだらとした読むに耐えない叙述を誰かにチェックされると嫌なのでこの辺にしておこう。
私が言いたいのは、自分自身も含めて一番身近な人を大切にしているだろうか?ということ。
その教訓をS家の人々の生き様は、私に物語っているように思われる。
3人に一人がDVの経験者であるこの国の家族模様は、決して他人事ではない。
大阪の人ごみに紛れて、名もないイラチな群集は、人を人とも思わずに
押しのけて、どこかへ足早に歩いていく。
どんなスピードで歩いても、彼方の自由だけど、
そうやって、ジコチュウな目標を追い求めるあまり、
押しのけて行くことに無頓着で、
彼方は、傍にいる誰かを傷つけていることに気がついているだろうか。
ああ、久しぶりにブログ更新したら、なんだかリラックスした。
今日も、書きかけの年賀状が後回し。
明日は、午後から山の上のキャンパスに出かける予定だ。
今年2007年の年明け1ヶ月は、例年にないイベント続きで自宅でのんびりしたのは、元日と今日を含めてたったの3日だった。
1年前に生保レディになってスカウトされたのが、支部昇格という超厳しいノルマを課せられた★営業所。
今朝、始業15分前に電話をかけた。
「おはようございます。すみません・・・体調を崩しました。
ごめいわくかけますが、休ませていただきます。」
「わかった。お大事にね。
お客さんのところへは、代わりに連絡しておくから。」
「勝手ばかりして、申し訳ありません。」
S支所長は、なぜかゆきんこには寛大だ。
いい上司でよかった・・・
再び、ふとんに入るとそれから何時間眠っただろう。
ようやく起き上がれたのは、夕方4時前ごろだった。
休日は、やっぱり休まないとな・・・
それも、どこかで契約をもらわない限り、生命保険の営業員にはご法度だから、いずれこうなることはわかっていた。
20日は、新しいプリンターを買いにヨドバシカメラへお買い物。
21日は、課外講義で、京都の学校歴史博物館などを訪問。
27日は、キャンパスイノベーションセンターに教育フォーラム
28日は、従姉の一周忌法要。
家にいる時間といえば、約6時間の睡眠時間と朝ごはん食べて
身支度する時間だけ。
全然、ブログを更新する時間もなかった。
そして、書きかけの年賀状のお返事も書けなかった・・・
旧い年上のお姉さんのこゆきさんが、ゆきんこの不在中に電話をかけて
くれたようだ。
毎年、欠かさず手描きの年賀状をくれたのに、今年はどうしたのだろうと心配して。
勿論、基本的には元気にしています。
会社も休んで、心おきなく眠ったら、回復しているからね。
だけど、2000年に入ってからというもの、
国会でも議論されているように、
ゆきんこだって、人生を翻弄されて不安定な毎年を過ごしてきた。
まともな収入を得ようと思えば、自分の許容量を越える労働条件で働かなければならない。
だけど、病気になる寸前にどうしても限界が来るので、どんなにがんばってもせいぜい1年。
マイペースを頑なに貫こうものなら、たちまち現行日本社会では、
顰蹙を買って、勝手に路頭に迷いなさい。ってことになる
昨日、従姉のKさんの一周忌法要が無事に終わったのは午後3時ごろ。
祖父の代から約60年間、家族を連続して失ったY伯母さんの一族の興亡を傍観してきた親族としては、やっぱり法事がひと段落したからといって
直ちに、立ち去るわけにはいかない。
喪服姿でしか、会うことのない親族同士の付き合いだなんて、なんだか切ないじゃないか。
2000年以降、涙に明け暮れていたY伯母さんの孫娘Aさんが、伯母のコレクションをもらって欲しいと、形見分けが始まった。
1年経過して、従姉のKさんに生き写しのAさんの屈託のない笑顔に、
私は何だかほっとしていた。
この大家族には諸々のタブーがあったのだろう。
幼児期から思春期にかけて、Aさんの子どもらしい笑顔を見た覚えがなかったように思う。
長男の10歳年下のT君に声をかけてみた。
「もう茶髪にしないの?」
「もうしないよ。」
「10年前はピアスだってしてたじゃない。」
「もう、大人ですから。」
「自分で、お父さんとお母さん、どっちに似てると思う?」
「ん〜・・・やっぱりオヤジかな?」
「私はT君が生まれる前の結婚したときのことも覚えているからね。
T君、結婚当初のお父さんよりも年上になったんだね。
何だったら、当時の写真、見てみたら?」
「ええ?いいわいいわ」
またもや、だらだらとした読むに耐えない叙述を誰かにチェックされると嫌なのでこの辺にしておこう。
私が言いたいのは、自分自身も含めて一番身近な人を大切にしているだろうか?ということ。
その教訓をS家の人々の生き様は、私に物語っているように思われる。
3人に一人がDVの経験者であるこの国の家族模様は、決して他人事ではない。
大阪の人ごみに紛れて、名もないイラチな群集は、人を人とも思わずに
押しのけて、どこかへ足早に歩いていく。
どんなスピードで歩いても、彼方の自由だけど、
そうやって、ジコチュウな目標を追い求めるあまり、
押しのけて行くことに無頓着で、
彼方は、傍にいる誰かを傷つけていることに気がついているだろうか。
ああ、久しぶりにブログ更新したら、なんだかリラックスした。
今日も、書きかけの年賀状が後回し。
明日は、午後から山の上のキャンパスに出かける予定だ。
年明けのスランプ
来年の今頃は・・・
と考えている自分はせっかちなのか?
それとも、それだけ計画的な性質なのか??
本当のところは、明日のことなど誰にもわからない。
だけど、予測やシュミレーションは昔々の人々に比べたら随分、的確になってきた。
今日も初夢は見ていない。
見ていないけれども、最近、いつもおでこの当たりに張り付いている
実在人物がいらっしゃる。
日曜日の正午すぎ。
先ほど、壊れたプリンターの件で、メーカーに問い合わせたところ。
自分で、機材を修理センターに運ぶことになった。
それから、新年の占いをやってみた。
「今年は去年よりも更に公私共に忙しくなり、甘えたことなど言っていられない。寧ろ厳しく接してくれる異性とつながりを深めよ。控えめに慎んで行動せよ。」
とかなんとか書かれていた。
こわいな〜〜。
それにまたプー太郎になるんだ・・・
何度やっても、路頭に迷うのはいやだ。
今までだって、理不尽な厳しいノルマや叱咤激励に耐えてきたけど、
もっともっと険しくなるのか・・・
お部屋の中は暖房入っていて寒くないのに、背中がぞくっとします。
今週、お正月特別番組の再放送リクエストで、お気に入りの
「planet Earth」を気分転換に視聴しました。
極寒のマイナス40℃の南極で、皇帝ペンギンのお父さんたちは
おなかに抱いた次世代のタマゴを守るため、集団のパドルを作る。
何ヶ月もじっと寒さに耐え続け、短い春の訪れを、そして愛しい
妻の帰りをじっと待つ。
やがて、短い春がやってくると同時に
狩りから戻ってきた雌ペンギンの群れが流氷の海から帰還すると、
父親たちの足元で、小さなイノチが殻を突き破って誕生するのだ。
感動的だな〜!
進化に進化を遂げたヒトという種は、有難いことに2足歩行を確立し、手を使って道具を駆使することにより、発達させた前頭葉によってことばを増加させ、今日にまで至っている。
比較動物学や文化人類学、霊長類研究によると、ヒトがことばを持ち始めたのは、クロマニョン人になってから。
ネアンデルタール人の時代、ことばはなく、ノンバーバルコミュニケーションで十分、事足りていた。
便利になればなるほど、葛藤や苦悩、問題も同じだけ増えていく。
そこで、更に最先端を目指そうとする一部のエリートは、
それさえも、凌駕しようと躍起になることで、スパイラルに進化が遂げられていくのだろう。
でも、どこまで?
エネルギーが枯渇して、第3次世界大戦が始まり、核戦争が勃発したら
そんなことを新年早々、考えているなんて本当のところは、お気楽なんかじゃない。
寧ろ、ペシミスト。
1月9日。火曜日7時限目の「発達障碍心理臨床特論」にドタバタと駆け込み、滑り込みセーフ。
今回の御題は、I先生が2000年以降、研究の主要テーマにされてきた
ペアレント・トレーニングだ。
3年前、縁続きが元で自閉症のお子さんをもつご家庭に要請され、
ピーク時には、アルバイト保育士をしながら土曜日に4件のケースを
依頼されて、サブワークの自転車営業をしているとき、
I先生の講演を始めて聴講したのは、2005年1月26日のこと。
それから、アホみたいにI先生の追っかけ行動が次第に強化され、
現在、I先生の御前で毎週火曜日に、拝聴するという夢にみた夢が
3年かかりで現実となった。
しかし、私の人生に紆余曲折は付き纏い、
「私、何やってんの?」と我に返ってしまう。
去年から始めた保険のおばちゃん業は、際限のない世界。
まるで、蟻地獄みたいに、福娘さんもどきの「目は笑っていない」造り笑顔」が眩しくて、スルスルと引き込まれてしまった。
1年経ってみると、その笑顔と引き換えに待っていたのは、
契約つけたらご褒美どうぞ!
契約なければそれなりに・・・減俸・ペナルティ
1年前に一緒に入社した仲間で生き残っているのは、母親が支部長という七光りのKさんと、ゆきんこの2名だけ。
気がつくと、5時ぴた我侭営業のゆきんこはすっかり顰蹙者。
おまけに、大学院で学んできた内容だって、保育士時代どころか、
それ以上に、厭味にしか受け取られない始末。
6時限目の講義が長引いて、配布されたプリントを慌てて受け取り、
最後列に座った。
「しまった!あと2部づつもらわなくっちゃ・・・」
論文提出締切日を明日に控えて、KさんとO先生に頼まれていたのだ。
I先生が講義の中で、「早期発見・早期対応」と幼児期からの保護者も包括したペアレントトレーニングの重要性を唱えた。
直接当事者同士が交流したり、意見交換をする機会を設けることの問題を解決する術として、最近、取り組んでいるのが、ネット活用法!
E-ラーニングの効果を将来の研究テーマに構想していらっしゃる模様だ。それをBGMに、出席替わりの白紙メモに、ゆきんこは質問してみた。
「2006年Mの会に参加したときのことを思い出しました。
T短大のH先生の講演レジュメのなかに、発達障碍児のきょうだいのなかに緘黙児がいると書かれていましたが、I先生やお弟子さんたちの事例に
いらっしゃいますか?」
講義が終わって帰りがけ、新年早々、しゃべらなくちゃ!と気負っていましたが、I先生はさっさとあまったプリントを片付けるわ、
前列の先生の質疑で話し込んでいるわで、
その周辺を2往復くらいしてそわそわ・もじもじしていた。
「ああ・・・どうしよう。言えなかった。」
「どうしたんですか?」
「プリントもらっておくように頼まれたんだけど、もらえなかったんだ・・・」
「もらいに行きましょうよ。」
「ついてきてくれる?」
「いいですよ。」
「ありがとう!」
実は、何年年齢更新しても、ついてきてもらわないとできないことが
いっぱいある。
一度降りた階段をターンして、22歳のFさんと駆け上がり、
昇りきると、I先生がまさに、エレベーターに乗り込むところだった。
「I先生!お引止めしてすみません!」
I先生がエレベーターから出てきてくださった。
「すみません。あと2部ずつ今日の配布プリントをいただけませんか。
明日が論文の締切日で、今日、欠席の方から頼まれまして・・・」
「2部ずつですね。」
「はい。すみません。お時間取らせてしまって。」
I先生は、しゃがんでバックパックからプリントを出し、渡してくださった。それにつられて、私も膝まづいた。
「ありがとうございます。」
再び、I先生がお一人でエレベーターに乗り込むとき、
顔をひょいと出して、台詞を残してくださった。
「論文は、・・・とにかく書いて提出日には出すことですね。」
「はい。・・・I先生は、10こ。」
「え?何が?」
「先生の研究論文。」
「ああ、はい。がんばります!」
翌日、10日恵比寿のその日。
ゆきんこは、哀しいことに応用試験の当日を控えていた。
(去年はお気楽に、本当に10日恵比寿の福娘さんに会いに出かけた)
「ゆきんこちゃん!I社長の奥様にごあいさつに行ったの?」
「いえ、昨日は試験直前の補講が午後からあったので」
「あかん!すぐご挨拶に行ってきて!」
「え?今日は試験の当日ですよ。」
「お電話して、午前中行けそうなら、まだ間に合うでしょう。」
え〜、もう無茶苦茶いうんやから、この会社の上司たち。
朝礼では、「絶対一発合格してや。」とか、
こんな分厚い問題集する時間なんかどこにもないのに、、、、
シガナイ使い捨て営業員のゆきんこ。
お達し通りに、作りたてほやほやの設計書を3つ作って自転車をこいで
馳せ参じた。
「明けましておめでとうございます!」
「まあ、どうぞおかけください。」
1年かけて次第にI社の奥様と親しくなってきた今日この頃、
「これにするわ。」
と即決で、今年初めてのご契約をいだたいてしまった。
「お帰りどうだった?」
「今日は、提案だけのつもりだったのに、その場で契約いただいてしまいました!」
「え〜!!すごいじゃない!」
「0所長、すみません!今から試験会場に行かないと間に合いません。」
そして、再びドタバタと天満橋の大阪城前の試験会場に向かった。
試験は午後2時から3時半まで。
マークシートだから、確実にわかる答えを除けば、あとはヤマカン・第6感の4者択一、確立25%で、マークを塗りつぶした。
試験が終わった直後から、夕方までゆとりの時間があったので、
天満橋から梅田まで1時間散歩がてらに歩いてみた。
お初天神に寄り道して、お参りした。
そこで、いくつかのお守りがあったので、「旅行安全お守り」を買った。
水曜日の7時限目は、「幼年児童心理学研究I」という講義。
前半の2ヶ月は、所属ゼミのY先生が、統計学を使った数量式データ処理の入門だった。12月から年下助教授のI先生は、精神分析派の発達心理学者。数量的な分析手法を真っ向から否定する。
ユニークな質的研究をモットーにしている。勿論、日本の心理学会においては、マジョリティ。
ゆきんこは、昔々、文学部心理学科に在籍していた。
今みたいに(今も尚)擦れていない初々しい学部生時代は、
ユングの集合的無意識とか、トリックスターが大好きだった。
「目には見えない心の奥底を一体どんな物差しで測り、分析するというんだい?」
と、メガネの奥の卓越した瞳が、チャーミングなえくぼ付きの笑顔で
黙して語る。
年明けのプレゼンターは、ママになって1年経った元小児科病棟保育士のMちゃん。
彼女の体験した事例の記録をもとに、ディスカッションを行った。
どこから見てもママには見えないMちゃんの発表を終えて、
円陣になった幼年教育関係者は、3分ほどシ〜ン・・・となった。
(寧ろ、当たり前に「奥さん」と呼ばれているゆきんこの方が、ママっぽいらしい)
ゆきんこが、挙手して質問した。
「すみません。私も1年足らずですが、Mさんと同じ小児科病棟での保育経験がありましたので、内容を読ませていただくと同時に、当時出会った、数え切れないお子さんたちの顔が走馬灯のように思い起こされました。Mさんも多くのお子さん方とのかかわりがおありだったと思いますが、特にこの事例を取り上げたのは、どういう理由でしょうか?」
「そうですね。とにかく最も、印象に残っているお子さんでした。
そして、教材のサリバンの面接とオーバーラップさせたとき、
技法や、お子さんのバックボーンを知っていたら、お子さんの気持ちに添ったもっと望ましいかかわりや、ことばかけができたのだろうと、
反省も込めて取り上げました。」
「当時は、保育士として母子関係に何らかの問題をもっていたこのお子さんに病院の中でお母さんに匹敵する存在としてかかわったわけですが、Mさん自身がお母さんになられた今、母としてご自分のお子さんとかかわっていらっしゃるのと比べてどうですか?」
「保育士としては、仕事としてゆとりをもって冷静にかかわることができました。でも、母としての私は全くゆとりがなくてメチャクチャです。」
「保育士よりもお母さんの方が大変なんですね。」
「はい〜〜。」
他には、保育現場の専門家であれば、心理面と身体面の双方から分析すれば、この事例が疾病ではなく、母子関係の問題に端を発して病気になっていることが明白なのに、医療関係者は、原因を病理に突き止め、
心理面や、人間関係に要因があることに最終段階に至るまで、見過してるのではないかという意見もあった。
身体面や病理と表裏に心理面に原因があっても、プロの臨床心理士よりも、身近な普通の人々にその治療効果を期待できることの方が遥かに
大きいのではないか。
ゆきんこは最後にI助教授を差し置いて、コメントした。
「ドクターショッピングとか、カウンセラーショッピングのし過ぎで、
専門家への不信感を募らせていくクライアントは少なくない。
寧ろ、そこに面接という技法を介さない、別のことばに置き換えると
『ああ、私が求めていたのは、この人だったんだ!!』という出会いで、クライアントが自分からどんどん好転していくことは、私が何度も体験してきたことです。
事実、保育所のなかで、障碍児加配を担当していた私は、担当の子どもがいないときには、健常児であっても、親子関係に問題のある被虐児の
暗黙の担当も同時に請け負っていました。1歳児でも初対面のご挨拶がいきなりパンチにキックです。そのお陰で、担任教師にもクラスを乱すと叱られて、バーンアウトしたのです。
自分を愛してくれる人の数は、多いに越したことはありません。
でも、たった一人も、それが、自分が初めて出会う人、それは母親ですが、この人はどんな私でも愛してくれる。絶対に守ってくれる。そうした母から確かな愛を注がれないことが、幼い子どもにとって最も辛いことなのではないでしょうか。」
I助教授が、憮然として締めくくった。
「心理臨床家は、やはり心の専門家として面接技法を用いて80%の治療成果をあげなければ、プロとはいえません。しかし、残りの20%にどのように対応していくのかが、課題といえます。皆さんからは、出会いとか、直感とか相性とか、ご縁とか、そんなキーワードも出ましたが、、、
はい・・・。私はペテン師です。」
つまり、臨床心理の「治療」という概念について、多くの心理系の学会ではもめに揉めまくっている。心という目に見えない、流動的な何か、
これは、案外工学よりも整然とも、釈然ともしないものなのだ。
数学の公式みたいに答えも1つに定まらない。
イラチすぎても、のほほん過ぎても、心理学者になるのは難しい・・・
とりあえず、条件というのはあります。
大学院の修士・博士課程で、論文を書くこと。
でも、単純にそれだけではなれない。
私は7年ものおつきあいのあった方から忘れられないことばをもらったことがあった。
「ゆきんこさんは、私たちを晒し者、食い物にするおつもりですか!」
治らないのに、治ります。
治るかどうかわからない、治らないかもしれないのに、診察して、プロだからお金はいただきます。
・・・というのが、大方の日本の心のお医者さんらしい?
差し出したその手を噛まれることは日常茶飯事だった。
犬が大好きな私だけど、ワンコがくんくんと匂いを嗅いで、品定めされるとき、その結果、ペロリと舐めたり、尻尾を振ってくれれば合格だが、犬によっては、ガブリと噛みつかれるわけだから。
やっぱり、相変わらずヘタレな自信のないその震えた手は、
しっかりとわが子を抱きかかえて守りたくても守れない、
怯えた若い母親のようだ。
ロッカーに資料を放り込むと、Mちゃんはさらりと切り出した。
「爆弾発言!二人目ができました。」
「え〜!!またできちゃったの!?」
「そう。パパが今年じゅうにもう一人欲しいって。」
「信じられない!パパの勝手じゃないの?産んで育てるのは誰よ?
Mちゃんでしょう?どうするの?今だって子育てと、大学院の両立、
大変なのに」
「そう〜、もうストレス溜まります。指導教官のS先生の指導も厳しくて
ついていけないし・・・」
「でも、身に覚えがあるんでしょう?できやすいのかもしれないけど、
状況考えたら、同意しないんじゃないかな〜?」
帰りの電車の中で、読み始めたばかりの原著
「Helping Your Child with Selective Mutism」
を早速、Mちゃんに見せてみた。
「英語ですか!?」
「去年ハリーポッターを1年かけて読み終わったから、この本も1日2ページずつね。緘黙症のことは、全然知られていないし、専門書も日本にないことがわかったんだ。今年はこの本を持ち歩いて先生たちに宣伝するの。」
「すご〜い!ゆきんこさん、保険外交員といい、いろんなことできるんですね。尊敬します。」
「尊敬なんてしなくていいよ。人生に翻弄されてちっとも思い通りになんて生きてこなかったから、仕方なしにだよ。今日のMちゃんの話、
ブログに書いてもいい?」
「いいですよ。アドレス教えてください。仕事がひと段落ついたら、うちに遊びに来てくださいね。」
「いいの?お掃除、手伝うね。体冷やさないように大事にしてね。」
FACE TO FACEの直感で、Mちゃんはいつも「うちに来てください」と
帰りの電車でいってもらえるのも、実はとっても嬉しいことなのかも。
保険の募集人なら、インターホン越しで、
「結構です!」
というリアクションが殆ど。
12日金曜日、午後7時過ぎに、演習室3に到着すると、コーヒーの香りとMr.ドーナッツが机上に並んで既に始まっていたFゼミに介入した。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしく御願いします。」
「はい。」
なんでか、F先生のゆきんこに対するリアクション。いつもこうなんだから。
3年生のKさんが10日に無事に論文を提出して、今日はお休み。
1年生のY先生が、4月から本格的にプロジェクトの研究を始めるのに、
先立って、事前アンケートの構想を4人寄れば文殊の知恵で意見を出し合った。
シニア世代のY校長のテーマは、子どもとお年寄りとのかかわりがどのような相乗効果をもたらすかを検討するもの。
今時の大人または子どもが、年長者に経緯を払ったり、世代間交流の乏しさを改善して、文化や伝統の継承をあの世に行ってしまう元気なうちに次世代に託したいという願いが込められている。
お年寄りと、子どもがかかわる前に、お互いにどのようなイメージを
もっているか、また、直系の祖父母と孫世代の日頃の交流の頻度などを
インタビューしておく必要があるだろうとF先生がアドバイスされた。
「Y先生、年始に御願いしたいことがあると、年末にお伝えしていたのですが、私3月末で今の仕事を辞めるんです。」
F先生が口を開いた。
「保険の仕事を辞めるのか?」
「はい。土日もお客さんのところへ行かなくてはならず、このままでは
データも収集できません。それに、PSさんのお手伝いもできませんし。
4月からY先生のプロジェクトのお手伝いをします。」
F先生が静かに頷いて見えた。
たった今、母が新年会から戻ってきた。
「Kさんから聞いてきたわよ。S園で発達検査の経験者を募集しているそうよ。資格はなくても経験があればいいんだって。人手が足りないんででしょうね」
「経験といっても、、、3回くらいしかしてないけど。」
「ダメもとで受けてみたら?それからNさんのところに面白い犬がいるんだって。5時から散歩に行くから、ついて行ってもいいか、聞いてあげようか。」
こんな風に、棚ボタ情報がポロリと舞い込んでくる。
それじゃ、出かける用意をしましょう!
と考えている自分はせっかちなのか?
それとも、それだけ計画的な性質なのか??
本当のところは、明日のことなど誰にもわからない。
だけど、予測やシュミレーションは昔々の人々に比べたら随分、的確になってきた。
今日も初夢は見ていない。
見ていないけれども、最近、いつもおでこの当たりに張り付いている
実在人物がいらっしゃる。
日曜日の正午すぎ。
先ほど、壊れたプリンターの件で、メーカーに問い合わせたところ。
自分で、機材を修理センターに運ぶことになった。
それから、新年の占いをやってみた。
「今年は去年よりも更に公私共に忙しくなり、甘えたことなど言っていられない。寧ろ厳しく接してくれる異性とつながりを深めよ。控えめに慎んで行動せよ。」
とかなんとか書かれていた。
こわいな〜〜。
それにまたプー太郎になるんだ・・・
何度やっても、路頭に迷うのはいやだ。
今までだって、理不尽な厳しいノルマや叱咤激励に耐えてきたけど、
もっともっと険しくなるのか・・・
お部屋の中は暖房入っていて寒くないのに、背中がぞくっとします。
今週、お正月特別番組の再放送リクエストで、お気に入りの
「planet Earth」を気分転換に視聴しました。
極寒のマイナス40℃の南極で、皇帝ペンギンのお父さんたちは
おなかに抱いた次世代のタマゴを守るため、集団のパドルを作る。
何ヶ月もじっと寒さに耐え続け、短い春の訪れを、そして愛しい
妻の帰りをじっと待つ。
やがて、短い春がやってくると同時に
狩りから戻ってきた雌ペンギンの群れが流氷の海から帰還すると、
父親たちの足元で、小さなイノチが殻を突き破って誕生するのだ。
感動的だな〜!
進化に進化を遂げたヒトという種は、有難いことに2足歩行を確立し、手を使って道具を駆使することにより、発達させた前頭葉によってことばを増加させ、今日にまで至っている。
比較動物学や文化人類学、霊長類研究によると、ヒトがことばを持ち始めたのは、クロマニョン人になってから。
ネアンデルタール人の時代、ことばはなく、ノンバーバルコミュニケーションで十分、事足りていた。
便利になればなるほど、葛藤や苦悩、問題も同じだけ増えていく。
そこで、更に最先端を目指そうとする一部のエリートは、
それさえも、凌駕しようと躍起になることで、スパイラルに進化が遂げられていくのだろう。
でも、どこまで?
エネルギーが枯渇して、第3次世界大戦が始まり、核戦争が勃発したら
そんなことを新年早々、考えているなんて本当のところは、お気楽なんかじゃない。
寧ろ、ペシミスト。
1月9日。火曜日7時限目の「発達障碍心理臨床特論」にドタバタと駆け込み、滑り込みセーフ。
今回の御題は、I先生が2000年以降、研究の主要テーマにされてきた
ペアレント・トレーニングだ。
3年前、縁続きが元で自閉症のお子さんをもつご家庭に要請され、
ピーク時には、アルバイト保育士をしながら土曜日に4件のケースを
依頼されて、サブワークの自転車営業をしているとき、
I先生の講演を始めて聴講したのは、2005年1月26日のこと。
それから、アホみたいにI先生の追っかけ行動が次第に強化され、
現在、I先生の御前で毎週火曜日に、拝聴するという夢にみた夢が
3年かかりで現実となった。
しかし、私の人生に紆余曲折は付き纏い、
「私、何やってんの?」と我に返ってしまう。
去年から始めた保険のおばちゃん業は、際限のない世界。
まるで、蟻地獄みたいに、福娘さんもどきの「目は笑っていない」造り笑顔」が眩しくて、スルスルと引き込まれてしまった。
1年経ってみると、その笑顔と引き換えに待っていたのは、
契約つけたらご褒美どうぞ!
契約なければそれなりに・・・減俸・ペナルティ
1年前に一緒に入社した仲間で生き残っているのは、母親が支部長という七光りのKさんと、ゆきんこの2名だけ。
気がつくと、5時ぴた我侭営業のゆきんこはすっかり顰蹙者。
おまけに、大学院で学んできた内容だって、保育士時代どころか、
それ以上に、厭味にしか受け取られない始末。
6時限目の講義が長引いて、配布されたプリントを慌てて受け取り、
最後列に座った。
「しまった!あと2部づつもらわなくっちゃ・・・」
論文提出締切日を明日に控えて、KさんとO先生に頼まれていたのだ。
I先生が講義の中で、「早期発見・早期対応」と幼児期からの保護者も包括したペアレントトレーニングの重要性を唱えた。
直接当事者同士が交流したり、意見交換をする機会を設けることの問題を解決する術として、最近、取り組んでいるのが、ネット活用法!
E-ラーニングの効果を将来の研究テーマに構想していらっしゃる模様だ。それをBGMに、出席替わりの白紙メモに、ゆきんこは質問してみた。
「2006年Mの会に参加したときのことを思い出しました。
T短大のH先生の講演レジュメのなかに、発達障碍児のきょうだいのなかに緘黙児がいると書かれていましたが、I先生やお弟子さんたちの事例に
いらっしゃいますか?」
講義が終わって帰りがけ、新年早々、しゃべらなくちゃ!と気負っていましたが、I先生はさっさとあまったプリントを片付けるわ、
前列の先生の質疑で話し込んでいるわで、
その周辺を2往復くらいしてそわそわ・もじもじしていた。
「ああ・・・どうしよう。言えなかった。」
「どうしたんですか?」
「プリントもらっておくように頼まれたんだけど、もらえなかったんだ・・・」
「もらいに行きましょうよ。」
「ついてきてくれる?」
「いいですよ。」
「ありがとう!」
実は、何年年齢更新しても、ついてきてもらわないとできないことが
いっぱいある。
一度降りた階段をターンして、22歳のFさんと駆け上がり、
昇りきると、I先生がまさに、エレベーターに乗り込むところだった。
「I先生!お引止めしてすみません!」
I先生がエレベーターから出てきてくださった。
「すみません。あと2部ずつ今日の配布プリントをいただけませんか。
明日が論文の締切日で、今日、欠席の方から頼まれまして・・・」
「2部ずつですね。」
「はい。すみません。お時間取らせてしまって。」
I先生は、しゃがんでバックパックからプリントを出し、渡してくださった。それにつられて、私も膝まづいた。
「ありがとうございます。」
再び、I先生がお一人でエレベーターに乗り込むとき、
顔をひょいと出して、台詞を残してくださった。
「論文は、・・・とにかく書いて提出日には出すことですね。」
「はい。・・・I先生は、10こ。」
「え?何が?」
「先生の研究論文。」
「ああ、はい。がんばります!」
翌日、10日恵比寿のその日。
ゆきんこは、哀しいことに応用試験の当日を控えていた。
(去年はお気楽に、本当に10日恵比寿の福娘さんに会いに出かけた)
「ゆきんこちゃん!I社長の奥様にごあいさつに行ったの?」
「いえ、昨日は試験直前の補講が午後からあったので」
「あかん!すぐご挨拶に行ってきて!」
「え?今日は試験の当日ですよ。」
「お電話して、午前中行けそうなら、まだ間に合うでしょう。」
え〜、もう無茶苦茶いうんやから、この会社の上司たち。
朝礼では、「絶対一発合格してや。」とか、
こんな分厚い問題集する時間なんかどこにもないのに、、、、
シガナイ使い捨て営業員のゆきんこ。
お達し通りに、作りたてほやほやの設計書を3つ作って自転車をこいで
馳せ参じた。
「明けましておめでとうございます!」
「まあ、どうぞおかけください。」
1年かけて次第にI社の奥様と親しくなってきた今日この頃、
「これにするわ。」
と即決で、今年初めてのご契約をいだたいてしまった。
「お帰りどうだった?」
「今日は、提案だけのつもりだったのに、その場で契約いただいてしまいました!」
「え〜!!すごいじゃない!」
「0所長、すみません!今から試験会場に行かないと間に合いません。」
そして、再びドタバタと天満橋の大阪城前の試験会場に向かった。
試験は午後2時から3時半まで。
マークシートだから、確実にわかる答えを除けば、あとはヤマカン・第6感の4者択一、確立25%で、マークを塗りつぶした。
試験が終わった直後から、夕方までゆとりの時間があったので、
天満橋から梅田まで1時間散歩がてらに歩いてみた。
お初天神に寄り道して、お参りした。
そこで、いくつかのお守りがあったので、「旅行安全お守り」を買った。
水曜日の7時限目は、「幼年児童心理学研究I」という講義。
前半の2ヶ月は、所属ゼミのY先生が、統計学を使った数量式データ処理の入門だった。12月から年下助教授のI先生は、精神分析派の発達心理学者。数量的な分析手法を真っ向から否定する。
ユニークな質的研究をモットーにしている。勿論、日本の心理学会においては、マジョリティ。
ゆきんこは、昔々、文学部心理学科に在籍していた。
今みたいに(今も尚)擦れていない初々しい学部生時代は、
ユングの集合的無意識とか、トリックスターが大好きだった。
「目には見えない心の奥底を一体どんな物差しで測り、分析するというんだい?」
と、メガネの奥の卓越した瞳が、チャーミングなえくぼ付きの笑顔で
黙して語る。
年明けのプレゼンターは、ママになって1年経った元小児科病棟保育士のMちゃん。
彼女の体験した事例の記録をもとに、ディスカッションを行った。
どこから見てもママには見えないMちゃんの発表を終えて、
円陣になった幼年教育関係者は、3分ほどシ〜ン・・・となった。
(寧ろ、当たり前に「奥さん」と呼ばれているゆきんこの方が、ママっぽいらしい)
ゆきんこが、挙手して質問した。
「すみません。私も1年足らずですが、Mさんと同じ小児科病棟での保育経験がありましたので、内容を読ませていただくと同時に、当時出会った、数え切れないお子さんたちの顔が走馬灯のように思い起こされました。Mさんも多くのお子さん方とのかかわりがおありだったと思いますが、特にこの事例を取り上げたのは、どういう理由でしょうか?」
「そうですね。とにかく最も、印象に残っているお子さんでした。
そして、教材のサリバンの面接とオーバーラップさせたとき、
技法や、お子さんのバックボーンを知っていたら、お子さんの気持ちに添ったもっと望ましいかかわりや、ことばかけができたのだろうと、
反省も込めて取り上げました。」
「当時は、保育士として母子関係に何らかの問題をもっていたこのお子さんに病院の中でお母さんに匹敵する存在としてかかわったわけですが、Mさん自身がお母さんになられた今、母としてご自分のお子さんとかかわっていらっしゃるのと比べてどうですか?」
「保育士としては、仕事としてゆとりをもって冷静にかかわることができました。でも、母としての私は全くゆとりがなくてメチャクチャです。」
「保育士よりもお母さんの方が大変なんですね。」
「はい〜〜。」
他には、保育現場の専門家であれば、心理面と身体面の双方から分析すれば、この事例が疾病ではなく、母子関係の問題に端を発して病気になっていることが明白なのに、医療関係者は、原因を病理に突き止め、
心理面や、人間関係に要因があることに最終段階に至るまで、見過してるのではないかという意見もあった。
身体面や病理と表裏に心理面に原因があっても、プロの臨床心理士よりも、身近な普通の人々にその治療効果を期待できることの方が遥かに
大きいのではないか。
ゆきんこは最後にI助教授を差し置いて、コメントした。
「ドクターショッピングとか、カウンセラーショッピングのし過ぎで、
専門家への不信感を募らせていくクライアントは少なくない。
寧ろ、そこに面接という技法を介さない、別のことばに置き換えると
『ああ、私が求めていたのは、この人だったんだ!!』という出会いで、クライアントが自分からどんどん好転していくことは、私が何度も体験してきたことです。
事実、保育所のなかで、障碍児加配を担当していた私は、担当の子どもがいないときには、健常児であっても、親子関係に問題のある被虐児の
暗黙の担当も同時に請け負っていました。1歳児でも初対面のご挨拶がいきなりパンチにキックです。そのお陰で、担任教師にもクラスを乱すと叱られて、バーンアウトしたのです。
自分を愛してくれる人の数は、多いに越したことはありません。
でも、たった一人も、それが、自分が初めて出会う人、それは母親ですが、この人はどんな私でも愛してくれる。絶対に守ってくれる。そうした母から確かな愛を注がれないことが、幼い子どもにとって最も辛いことなのではないでしょうか。」
I助教授が、憮然として締めくくった。
「心理臨床家は、やはり心の専門家として面接技法を用いて80%の治療成果をあげなければ、プロとはいえません。しかし、残りの20%にどのように対応していくのかが、課題といえます。皆さんからは、出会いとか、直感とか相性とか、ご縁とか、そんなキーワードも出ましたが、、、
はい・・・。私はペテン師です。」
つまり、臨床心理の「治療」という概念について、多くの心理系の学会ではもめに揉めまくっている。心という目に見えない、流動的な何か、
これは、案外工学よりも整然とも、釈然ともしないものなのだ。
数学の公式みたいに答えも1つに定まらない。
イラチすぎても、のほほん過ぎても、心理学者になるのは難しい・・・
とりあえず、条件というのはあります。
大学院の修士・博士課程で、論文を書くこと。
でも、単純にそれだけではなれない。
私は7年ものおつきあいのあった方から忘れられないことばをもらったことがあった。
「ゆきんこさんは、私たちを晒し者、食い物にするおつもりですか!」
治らないのに、治ります。
治るかどうかわからない、治らないかもしれないのに、診察して、プロだからお金はいただきます。
・・・というのが、大方の日本の心のお医者さんらしい?
差し出したその手を噛まれることは日常茶飯事だった。
犬が大好きな私だけど、ワンコがくんくんと匂いを嗅いで、品定めされるとき、その結果、ペロリと舐めたり、尻尾を振ってくれれば合格だが、犬によっては、ガブリと噛みつかれるわけだから。
やっぱり、相変わらずヘタレな自信のないその震えた手は、
しっかりとわが子を抱きかかえて守りたくても守れない、
怯えた若い母親のようだ。
ロッカーに資料を放り込むと、Mちゃんはさらりと切り出した。
「爆弾発言!二人目ができました。」
「え〜!!またできちゃったの!?」
「そう。パパが今年じゅうにもう一人欲しいって。」
「信じられない!パパの勝手じゃないの?産んで育てるのは誰よ?
Mちゃんでしょう?どうするの?今だって子育てと、大学院の両立、
大変なのに」
「そう〜、もうストレス溜まります。指導教官のS先生の指導も厳しくて
ついていけないし・・・」
「でも、身に覚えがあるんでしょう?できやすいのかもしれないけど、
状況考えたら、同意しないんじゃないかな〜?」
帰りの電車の中で、読み始めたばかりの原著
「Helping Your Child with Selective Mutism」
を早速、Mちゃんに見せてみた。
「英語ですか!?」
「去年ハリーポッターを1年かけて読み終わったから、この本も1日2ページずつね。緘黙症のことは、全然知られていないし、専門書も日本にないことがわかったんだ。今年はこの本を持ち歩いて先生たちに宣伝するの。」
「すご〜い!ゆきんこさん、保険外交員といい、いろんなことできるんですね。尊敬します。」
「尊敬なんてしなくていいよ。人生に翻弄されてちっとも思い通りになんて生きてこなかったから、仕方なしにだよ。今日のMちゃんの話、
ブログに書いてもいい?」
「いいですよ。アドレス教えてください。仕事がひと段落ついたら、うちに遊びに来てくださいね。」
「いいの?お掃除、手伝うね。体冷やさないように大事にしてね。」
FACE TO FACEの直感で、Mちゃんはいつも「うちに来てください」と
帰りの電車でいってもらえるのも、実はとっても嬉しいことなのかも。
保険の募集人なら、インターホン越しで、
「結構です!」
というリアクションが殆ど。
12日金曜日、午後7時過ぎに、演習室3に到着すると、コーヒーの香りとMr.ドーナッツが机上に並んで既に始まっていたFゼミに介入した。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしく御願いします。」
「はい。」
なんでか、F先生のゆきんこに対するリアクション。いつもこうなんだから。
3年生のKさんが10日に無事に論文を提出して、今日はお休み。
1年生のY先生が、4月から本格的にプロジェクトの研究を始めるのに、
先立って、事前アンケートの構想を4人寄れば文殊の知恵で意見を出し合った。
シニア世代のY校長のテーマは、子どもとお年寄りとのかかわりがどのような相乗効果をもたらすかを検討するもの。
今時の大人または子どもが、年長者に経緯を払ったり、世代間交流の乏しさを改善して、文化や伝統の継承をあの世に行ってしまう元気なうちに次世代に託したいという願いが込められている。
お年寄りと、子どもがかかわる前に、お互いにどのようなイメージを
もっているか、また、直系の祖父母と孫世代の日頃の交流の頻度などを
インタビューしておく必要があるだろうとF先生がアドバイスされた。
「Y先生、年始に御願いしたいことがあると、年末にお伝えしていたのですが、私3月末で今の仕事を辞めるんです。」
F先生が口を開いた。
「保険の仕事を辞めるのか?」
「はい。土日もお客さんのところへ行かなくてはならず、このままでは
データも収集できません。それに、PSさんのお手伝いもできませんし。
4月からY先生のプロジェクトのお手伝いをします。」
F先生が静かに頷いて見えた。
たった今、母が新年会から戻ってきた。
「Kさんから聞いてきたわよ。S園で発達検査の経験者を募集しているそうよ。資格はなくても経験があればいいんだって。人手が足りないんででしょうね」
「経験といっても、、、3回くらいしかしてないけど。」
「ダメもとで受けてみたら?それからNさんのところに面白い犬がいるんだって。5時から散歩に行くから、ついて行ってもいいか、聞いてあげようか。」
こんな風に、棚ボタ情報がポロリと舞い込んでくる。
それじゃ、出かける用意をしましょう!
嬉しい 楽しい Happy Birthday
昨年の今頃、寒くて寒くてまだプー太郎だったことを思えば、
2006年から2007年にかけての年末年始は、やっぱり全然ゆきんこらしくなかった。
独りよがりで誰もアクセスなんかしてくれなくたって構わないけど、
唯一無二の自分にしか綴れない思い出を今年も日進月歩で、続けたいと思います。
1月8日の成人式の本日に至っても尚、昨晩もすっかり熟睡で、
初夢はまだ見ていません。
1月4日は仕事初め。
正月ボケした身体を午前6時半に叩き起こして、ワンパターンだけど、
いつも通りのお弁当を作って、
中身は、ごまめ、黒豆、酢ごぼうなどのおせち料理の残りも少々。
「明けましておめでとうございます!」
営業員同士が挨拶を交わし、
初めに、新年の決意をかるたのようなデザインの用紙に書き込みました。
ゆきんこはこんな感じ
漢字一文字で、アタマにイメージで浮かんだのは、「結」と「完」
S支所長は、営業員の数と成績を増やすことを目指して
躍進の躍という漢字を書いた手前、「完」はちょっとな〜
「結」にしました。
「ひとつひとつのことを ていねいに やりとげる ゆきんこ」
年末年始の過ごし方をお菓子を食べながら各々に、発表し、新年の決意を発表しました。
ゆきんこは、偶然、エラそうに円陣になったお誕生席に座っていた。
「ちょうど1年前、Bさんにハローワークで出会ってから1年経ち、
幸せ気分で過ごさせていただきました。2005年が泣いてばかりで辛かったので、2006年の抱負が「笑う門には福来る」をモットーに、その通りに過ごせた1年でした。本当にありがとうございました。
ですが、公私共にあまりにも忙しくなり、余裕なく何もかもが中途半端で不完全燃焼でした。
今年は、そのバラバラにやってきたことをひとつひとつ丁寧につなぎあわせて、まとめる1年にしたいと思っています。」
気のせいか、S支所長は顔色を曇らせていた。
殆どの我侭を容赦し、こんなに心と笑顔を尽くして、お世話になりっぱなしの上司に、後ろめたさがないわけではない。
5日は、御題の設計書15枚作成、出入り企業の基盤情報の整理、活動準備の整理整頓などをしていたら、新人営業員同士でダラダラした午後を過ごしながら5時まで過ごした。
6日は、いよいよ私の誕生日だ。
初詣といい、誕生日といい、ゆきんこは実は雨女。
2日に引き続き朝から小雨模様。
お泊りグッズ持参で最寄の停留所からバスに乗り込んだ。
K支社に、各営業所の営業員が「新年の集い」イベントを楽しむために
一同に会した。
狭い廊下で、出勤のサインを書き込んでいると近づいてきたT課長に挨拶をした。
「明けましておめでとうございます。」
「おめでとうございます。T課長、今日はMちゃんのお誕生日ですね。
それから、本人確認法!」
「さすが、ゆきんこさん。」
これも、最初で最後の経験かと思うので、書いておきたいが、
養成部の上司たちが、「去年はいい年だった。」としみじみと
新年の挨拶をすると、昨年3ヶ月の売り上げ成績の良かった営業員が
表彰され、物品や賞与を受け取った。
後半は、みんなでぜんさいを食べた後、
ゆきんこからすれば、馬鹿げた営業所対抗のゲームが始まった。
1つは風船バレーボール大会
営業所から4名ずつ1組になって、手を使わずに顔で風船を打ち合うと
いうルール。
だけど・・・次のゲームでコリゴリすることを思えば、
バレーを選択すべきだったかも・・・
★営業所は3対0で、あっさりストレート負けだった。
その次のゲーム。
この会社では名物の早食いリレー競争だ。
9人1組で、横1列に並んで次の食物を食べきり、早く食べ終わったチームの勝ち。
食べ物は、ソーセージ・バナナ1本・かっぱ巻き細巻き2本・コッペパン2個 この組合せで2パターン、アンカーが哺乳瓶ミルク120ml
それで、ゆきんこは自己申告で、かっぱ巻き2本にトライした。
どの食品でも、咀嚼するのに一苦労だけど、
ここ数年、自然の摂理で食も細くなってきたゆきんこには、
なかなかお寿司が喉を通ってくれない。
相手チームと抜き抜かれつと、いい勝負展開していただけに、
後から3番目の自分の番で、当然相手チームに追い抜かれてしまった。
けれども、結果的にはブービーのKさんとアンカーのTさんの頑張りで再び逆転勝利したから、よかったんだけど。
新年の余興は11時半で終了し、
引き続き午後12時半から4時まで、養成部Y部長の応用試験対策補講があった。
入社してもうすぐ1年。3ヶ月おきに必ず、なんやかんやのマークシート式試験に追われてきた。
ここまでなんとか、大学院との両立にもかかわらず、ギリギリラインで一発合格してきたけど、その延長にある応用試験の合格率は30%と難関だ。数回受験し続けている中堅の営業員と、昨秋2ヶ月間お世話になったコンサルティング ディレクターMr.ハマー氏も含めて受講生は、7名。
「私は理屈で教えません。合格するための対策マニュアルですから、
受け売りしないように。」
端的に前置きで、本当に予備校さながらの理屈抜き、点取り方式の
教え方が、案外、同世代教育係のT課長よりも遥かにわかりやすかった。
従って、学習するってことは、
王道通りでは、生徒ものってこないことの教訓のように思われた。
夕方、4時半から6時半まで、ちゃあみいフレッシュチームの
「新年焼肉パーティー」が支社前の大同門で開催された。
3ヶ月前に、勝利宣言していた ベテランの「山芋チーム」と対抗で
売り上げ競争していたが、1週間ごとの3回戦で、2章1敗の勝利を収め、
年明けの1月6日と昨年から予定していた。
ちゃ〜みいフレッシュに尽力してくださったY部長と、Mr.ハマーも
ゲストに向かえ、乾杯!
グラスを掲げて
「この時期、『明けまして』なんだけど、接頭語は『お誕生日』で御願いします!」
「おたんじょうび、おめでとう!!」
「ありがとう!こんな誕生日初めてだよ!」
本当にそうなんです。
学生時代は、年明けにみんなに会うのは1月8日以降。
大人たちには、いつもお正月のお年玉と一緒くたにされていた。
こんな時節に誕生会なんか催せるはずもなかった子ども時代。
「新年に自分の初ブログ見たら、現実で私を知ってるらしい人から
コメント入ってたよ。」
「ハンドルネーム何?」
「通りすがりの♀さん」
「え〜!!」
そこで、ちゃ〜みいの面々が大笑い!
話題は忘年会に酔った勢いで、記憶にあるところとないところをお互いに検証し合った。
お酒好きの人にとっては、その時、記憶が途切れてしまうことなんて
全く何の不安材料にもならないらしい。
雨のぱらつく市街地に再び出ると、ゆきんこはH駅でY部長に別れを告げた。
「誕生日なので、これから友人宅へ行くんです。」
「それはいいこっちゃ。楽しんでおいで。」
「はい。ありがとうございます。」
あんなに多忙なのに、いつ読んでいらっしゃるのだろうという分厚いノンフィクション小説を小脇に抱えて、Y部長は先に改札に入った。
予定時刻の午後8時よりも早く、旧友のOちゃん宅に到着し、
Oちゃんのペットのおしゃべりヨウム、リンちゃんに挨拶したり、
以前よりもことば数が増えたことを発見して楽しんだ。
「マロニ〜ちゃん。」「この頃、これがブームなんだ。住所も言えるようになったんだよ。」
新年の初ショッピングに出かけた。
身支度をした飼い主のOちゃんに、リンちゃんが
「スグカエッテクル?」「ううん、ちょっと遅くなるよ。」
「バイバ〜イ」
今時珍しく、手描きの水彩画を恒例で送っていたので、音楽つながりの二人だけど、
TちゃんとOちゃんは、私に水彩絵の具をプレゼントしようという計画だったらしい。
しかし、我侭なゆきんこのリクエストにOちゃんは応じてくれた。
「画材って結構高いから、もっと予算低くていいよ。私、前からキーケースが欲しかったんだ。Tちゃんから今までもらったプレゼントも、殆ど
実用品でいつも使っているから、プレゼントしてもらったこともずっと
覚えていられるしね。毎日使うから安いのでいいから。」
「じゃあ、あまったお金でケーキを買いましょうか。」
そういうわけで、K百貨店の新春クリアランス・財布やキーケース、小物のコーナーで小1時間ほど、物色することになった。
といっても、迷うほど種類は豊富じゃなかったので、
アメリカのイラストレーター・ロックウェルのデザインした
お手ごろ価格の値引き商品に決まった。
Oちゃんも同じコーナーで財布を新調することにしたらしい。
「ありがとう。大事にするね。」
それから、地下に移動して、Oちゃんとケーキのショウウィンドウを眺めているうち、次第にルンルン気分になっていった。
「いろんなデコレーションのケーキを見ているだけで、幸せ気分になってきちゃった!」
新年早々、誕生日の夜も歳なんてお構いなしに全く脳天気!
モロゾフの小さい円形のチーズケーキを買いました。
「ろうそくは、もういいよね?」
「ケーキが穴だらけになるよ。」
けれども、お買い物を済ませて再びOちゃん宅に戻ると、
いつもはよい子のゆきんこが、Oちゃん宅でこの数年深夜から明け方に
かけてお楽しみにしていた行動を起こす体力もなく、
11時過ぎには、Oちゃんにお構いもなしに、床に就いて即効寝てしまった。
これも加齢のせいなのか、
いつから溜まっていたのかわからない数ヶ月の慢性疲労が、
ど〜っと、リラックス効果で出てしまったらしい。
自宅で、寛いで過ごしていないわけじゃないけど、
一人暮らしのOちゃん宅は、ゆきんこにとっての
癒しの別荘みたいな効果があるらしい。
それくらい、彼女の部屋は、時空間を自分の心地いいものだけを厳選して、それなりにお金と時間をかけてデザインされてきた経緯があり、
旧友のゆきんこがOちゃん宅に出没しては、何かとお世話になり続けてきた。
1月7日 日曜日。
翌朝8時に起床すると、昨晩よりもなんだか寒々しました。
都会の窓の外は、斜め45度に小雪がちらついていた。
ブラウン管のなかの芸能人の新年の過ごし方をBGMに、
昨晩ケーキと一緒に買った七草粥を賞味しました。
クリスマス会から数えると、例年を上回る5回のパーティーでちょっとうんざりしていたので、
(参加する前は、ジェラシーが涌いたり、顔出ししないと仲間はずれという観念があるから、誘われると断れない性格)
シンプルな七草粥が無性においしかったです。
それから、正午すぎにドアのインターホンが鳴った。
ダウンジャケット姿のTちゃんが寒そうにやってきた。
「おめでとうございま〜す。」
3人でピザハットの1月期間限定のピザを注文し、
Oちゃんは、とっておきのシャンパンを開けてくれて、乾杯しました。
「おめでとう!!」
「また1つ、おばさんになりました。」
「またぁ、ゆきちゃんはそういう言い方する!歳なんてどうだっていいじゃない。」
お互いの新年や年賀状などの近況を話しましたが、
今回、ゆきんこの誕生日という名目で集まった旧知の3人。
2人のお小言が、BGMのクラシカルなピアノ曲よりもゆきんこの耳にビンビン突き刺さる。
「ゆきちゃん、また3月で仕事やめるの〜!?
だから保険の仕事、あんなに反対したのに、あんたの人生もなんだか
行き当たりばったりで付け焼刃よね。一生懸命勉強だけは続けてきたから、継続力のない私にはそれはすごいと思うけど、何だか無駄な努力ばっかりしてるんじゃない?世の中、案外地道な努力よりも運の方が強いと思うんだな。」
私からすると、いつもこんな口調で飄々と或いはガツンと言い放つ
Tちゃんが、
お気楽なラッキーセレブリティに思える。
「Tちゃんからすれば、『アホが見る豚のケツ』なんでしょう!
私だって、人生思い通りにならなくていつも苦しんでるんだから。
だけど、保険の仕事でいろんな人と話したんだよ。1年のうちに1000人は話したと思うな。」
「へぇ〜!1000人すごいね!私にはできないよ。
でも、ゆきちゃんが誰かの役に立ちたいのなら、あなた自身が幸せにならなくてどうするの?どうして自分がやりたくないのに、強引に頼まれたからってあんたが、自分のあるべき目標や夢を後回しにして渋々上司や会社の犠牲になんなくちゃいけないのよ。
わざわざ苦しい思いを自分から引き受けているなんて、
あんたの辻褄の合わない人生、全く理解できないわ。」
「今のメンバーには感謝してるよ。上司も私を可愛がってくれているもの。年末年始のパーティーだってこんなに頻繁に楽しんだのは初めてだった。」
「結構じゃないの。」
「でも、違和感は募っていく一方だったんだ。いつもご馳走に囲まれているこんな生活、いつまでも続くなんて私らしくない。
10年前からやりたくてできなかった自分のやりたいことは、ボランティアだから、お金もなんにもなしでは生きていけない。
お金を稼ぐためには、自分のやりたいことは後回し。
どっちかしか、選択肢がないのなら、自分は後者を選ぶことに決めたから。
いつも心配かけてごめんね。」
「別に・・・。
私はあんまり悩まない性質だけど、いろんな人の思惑を考えすぎる人って、その人にいくら腐るなよといっても、仕方がないんだ、無理なんだな〜ということは、わかってきたよ。
でも、ゆきちゃんは、悩んでいることをいつもことばにしているから、病気にはならないと思うけどね。
私のママ友達も数ヶ月前から鬱になったらしい。気がつかなかったけど・・・うつ病の人たちは増えているみたいだね。」
帰宅した直後、あんだけゆきんこの人生に口出ししていた二人は、
再び、ケータイに思いやりメッセージを遺していた。
現役時代で楽器を奏で合った友情が、3人ともすっかり吹けなくなってしまった年月が増えていっても、本音を言い合える関係が続いてきたことそのものが、プライスレスの最高の誕生日プレゼントだと実感している。
でも、今年は本当に別格だった。
いつまでも子どもっぱさが抜けないままに祝ってもらってるのも
おかしいよね。
いつもは二人とも、私の誕生日なんて気にも留めていないのだから。
Thanks My Friends!
2006年から2007年にかけての年末年始は、やっぱり全然ゆきんこらしくなかった。
独りよがりで誰もアクセスなんかしてくれなくたって構わないけど、
唯一無二の自分にしか綴れない思い出を今年も日進月歩で、続けたいと思います。
1月8日の成人式の本日に至っても尚、昨晩もすっかり熟睡で、
初夢はまだ見ていません。
1月4日は仕事初め。
正月ボケした身体を午前6時半に叩き起こして、ワンパターンだけど、
いつも通りのお弁当を作って、
中身は、ごまめ、黒豆、酢ごぼうなどのおせち料理の残りも少々。
「明けましておめでとうございます!」
営業員同士が挨拶を交わし、
初めに、新年の決意をかるたのようなデザインの用紙に書き込みました。
ゆきんこはこんな感じ
漢字一文字で、アタマにイメージで浮かんだのは、「結」と「完」
S支所長は、営業員の数と成績を増やすことを目指して
躍進の躍という漢字を書いた手前、「完」はちょっとな〜
「結」にしました。
「ひとつひとつのことを ていねいに やりとげる ゆきんこ」
年末年始の過ごし方をお菓子を食べながら各々に、発表し、新年の決意を発表しました。
ゆきんこは、偶然、エラそうに円陣になったお誕生席に座っていた。
「ちょうど1年前、Bさんにハローワークで出会ってから1年経ち、
幸せ気分で過ごさせていただきました。2005年が泣いてばかりで辛かったので、2006年の抱負が「笑う門には福来る」をモットーに、その通りに過ごせた1年でした。本当にありがとうございました。
ですが、公私共にあまりにも忙しくなり、余裕なく何もかもが中途半端で不完全燃焼でした。
今年は、そのバラバラにやってきたことをひとつひとつ丁寧につなぎあわせて、まとめる1年にしたいと思っています。」
気のせいか、S支所長は顔色を曇らせていた。
殆どの我侭を容赦し、こんなに心と笑顔を尽くして、お世話になりっぱなしの上司に、後ろめたさがないわけではない。
5日は、御題の設計書15枚作成、出入り企業の基盤情報の整理、活動準備の整理整頓などをしていたら、新人営業員同士でダラダラした午後を過ごしながら5時まで過ごした。
6日は、いよいよ私の誕生日だ。
初詣といい、誕生日といい、ゆきんこは実は雨女。
2日に引き続き朝から小雨模様。
お泊りグッズ持参で最寄の停留所からバスに乗り込んだ。
K支社に、各営業所の営業員が「新年の集い」イベントを楽しむために
一同に会した。
狭い廊下で、出勤のサインを書き込んでいると近づいてきたT課長に挨拶をした。
「明けましておめでとうございます。」
「おめでとうございます。T課長、今日はMちゃんのお誕生日ですね。
それから、本人確認法!」
「さすが、ゆきんこさん。」
これも、最初で最後の経験かと思うので、書いておきたいが、
養成部の上司たちが、「去年はいい年だった。」としみじみと
新年の挨拶をすると、昨年3ヶ月の売り上げ成績の良かった営業員が
表彰され、物品や賞与を受け取った。
後半は、みんなでぜんさいを食べた後、
ゆきんこからすれば、馬鹿げた営業所対抗のゲームが始まった。
1つは風船バレーボール大会
営業所から4名ずつ1組になって、手を使わずに顔で風船を打ち合うと
いうルール。
だけど・・・次のゲームでコリゴリすることを思えば、
バレーを選択すべきだったかも・・・
★営業所は3対0で、あっさりストレート負けだった。
その次のゲーム。
この会社では名物の早食いリレー競争だ。
9人1組で、横1列に並んで次の食物を食べきり、早く食べ終わったチームの勝ち。
食べ物は、ソーセージ・バナナ1本・かっぱ巻き細巻き2本・コッペパン2個 この組合せで2パターン、アンカーが哺乳瓶ミルク120ml
それで、ゆきんこは自己申告で、かっぱ巻き2本にトライした。
どの食品でも、咀嚼するのに一苦労だけど、
ここ数年、自然の摂理で食も細くなってきたゆきんこには、
なかなかお寿司が喉を通ってくれない。
相手チームと抜き抜かれつと、いい勝負展開していただけに、
後から3番目の自分の番で、当然相手チームに追い抜かれてしまった。
けれども、結果的にはブービーのKさんとアンカーのTさんの頑張りで再び逆転勝利したから、よかったんだけど。
新年の余興は11時半で終了し、
引き続き午後12時半から4時まで、養成部Y部長の応用試験対策補講があった。
入社してもうすぐ1年。3ヶ月おきに必ず、なんやかんやのマークシート式試験に追われてきた。
ここまでなんとか、大学院との両立にもかかわらず、ギリギリラインで一発合格してきたけど、その延長にある応用試験の合格率は30%と難関だ。数回受験し続けている中堅の営業員と、昨秋2ヶ月間お世話になったコンサルティング ディレクターMr.ハマー氏も含めて受講生は、7名。
「私は理屈で教えません。合格するための対策マニュアルですから、
受け売りしないように。」
端的に前置きで、本当に予備校さながらの理屈抜き、点取り方式の
教え方が、案外、同世代教育係のT課長よりも遥かにわかりやすかった。
従って、学習するってことは、
王道通りでは、生徒ものってこないことの教訓のように思われた。
夕方、4時半から6時半まで、ちゃあみいフレッシュチームの
「新年焼肉パーティー」が支社前の大同門で開催された。
3ヶ月前に、勝利宣言していた ベテランの「山芋チーム」と対抗で
売り上げ競争していたが、1週間ごとの3回戦で、2章1敗の勝利を収め、
年明けの1月6日と昨年から予定していた。
ちゃ〜みいフレッシュに尽力してくださったY部長と、Mr.ハマーも
ゲストに向かえ、乾杯!
グラスを掲げて
「この時期、『明けまして』なんだけど、接頭語は『お誕生日』で御願いします!」
「おたんじょうび、おめでとう!!」
「ありがとう!こんな誕生日初めてだよ!」
本当にそうなんです。
学生時代は、年明けにみんなに会うのは1月8日以降。
大人たちには、いつもお正月のお年玉と一緒くたにされていた。
こんな時節に誕生会なんか催せるはずもなかった子ども時代。
「新年に自分の初ブログ見たら、現実で私を知ってるらしい人から
コメント入ってたよ。」
「ハンドルネーム何?」
「通りすがりの♀さん」
「え〜!!」
そこで、ちゃ〜みいの面々が大笑い!
話題は忘年会に酔った勢いで、記憶にあるところとないところをお互いに検証し合った。
お酒好きの人にとっては、その時、記憶が途切れてしまうことなんて
全く何の不安材料にもならないらしい。
雨のぱらつく市街地に再び出ると、ゆきんこはH駅でY部長に別れを告げた。
「誕生日なので、これから友人宅へ行くんです。」
「それはいいこっちゃ。楽しんでおいで。」
「はい。ありがとうございます。」
あんなに多忙なのに、いつ読んでいらっしゃるのだろうという分厚いノンフィクション小説を小脇に抱えて、Y部長は先に改札に入った。
予定時刻の午後8時よりも早く、旧友のOちゃん宅に到着し、
Oちゃんのペットのおしゃべりヨウム、リンちゃんに挨拶したり、
以前よりもことば数が増えたことを発見して楽しんだ。
「マロニ〜ちゃん。」「この頃、これがブームなんだ。住所も言えるようになったんだよ。」
新年の初ショッピングに出かけた。
身支度をした飼い主のOちゃんに、リンちゃんが
「スグカエッテクル?」「ううん、ちょっと遅くなるよ。」
「バイバ〜イ」
今時珍しく、手描きの水彩画を恒例で送っていたので、音楽つながりの二人だけど、
TちゃんとOちゃんは、私に水彩絵の具をプレゼントしようという計画だったらしい。
しかし、我侭なゆきんこのリクエストにOちゃんは応じてくれた。
「画材って結構高いから、もっと予算低くていいよ。私、前からキーケースが欲しかったんだ。Tちゃんから今までもらったプレゼントも、殆ど
実用品でいつも使っているから、プレゼントしてもらったこともずっと
覚えていられるしね。毎日使うから安いのでいいから。」
「じゃあ、あまったお金でケーキを買いましょうか。」
そういうわけで、K百貨店の新春クリアランス・財布やキーケース、小物のコーナーで小1時間ほど、物色することになった。
といっても、迷うほど種類は豊富じゃなかったので、
アメリカのイラストレーター・ロックウェルのデザインした
お手ごろ価格の値引き商品に決まった。
Oちゃんも同じコーナーで財布を新調することにしたらしい。
「ありがとう。大事にするね。」
それから、地下に移動して、Oちゃんとケーキのショウウィンドウを眺めているうち、次第にルンルン気分になっていった。
「いろんなデコレーションのケーキを見ているだけで、幸せ気分になってきちゃった!」
新年早々、誕生日の夜も歳なんてお構いなしに全く脳天気!
モロゾフの小さい円形のチーズケーキを買いました。
「ろうそくは、もういいよね?」
「ケーキが穴だらけになるよ。」
けれども、お買い物を済ませて再びOちゃん宅に戻ると、
いつもはよい子のゆきんこが、Oちゃん宅でこの数年深夜から明け方に
かけてお楽しみにしていた行動を起こす体力もなく、
11時過ぎには、Oちゃんにお構いもなしに、床に就いて即効寝てしまった。
これも加齢のせいなのか、
いつから溜まっていたのかわからない数ヶ月の慢性疲労が、
ど〜っと、リラックス効果で出てしまったらしい。
自宅で、寛いで過ごしていないわけじゃないけど、
一人暮らしのOちゃん宅は、ゆきんこにとっての
癒しの別荘みたいな効果があるらしい。
それくらい、彼女の部屋は、時空間を自分の心地いいものだけを厳選して、それなりにお金と時間をかけてデザインされてきた経緯があり、
旧友のゆきんこがOちゃん宅に出没しては、何かとお世話になり続けてきた。
1月7日 日曜日。
翌朝8時に起床すると、昨晩よりもなんだか寒々しました。
都会の窓の外は、斜め45度に小雪がちらついていた。
ブラウン管のなかの芸能人の新年の過ごし方をBGMに、
昨晩ケーキと一緒に買った七草粥を賞味しました。
クリスマス会から数えると、例年を上回る5回のパーティーでちょっとうんざりしていたので、
(参加する前は、ジェラシーが涌いたり、顔出ししないと仲間はずれという観念があるから、誘われると断れない性格)
シンプルな七草粥が無性においしかったです。
それから、正午すぎにドアのインターホンが鳴った。
ダウンジャケット姿のTちゃんが寒そうにやってきた。
「おめでとうございま〜す。」
3人でピザハットの1月期間限定のピザを注文し、
Oちゃんは、とっておきのシャンパンを開けてくれて、乾杯しました。
「おめでとう!!」
「また1つ、おばさんになりました。」
「またぁ、ゆきちゃんはそういう言い方する!歳なんてどうだっていいじゃない。」
お互いの新年や年賀状などの近況を話しましたが、
今回、ゆきんこの誕生日という名目で集まった旧知の3人。
2人のお小言が、BGMのクラシカルなピアノ曲よりもゆきんこの耳にビンビン突き刺さる。
「ゆきちゃん、また3月で仕事やめるの〜!?
だから保険の仕事、あんなに反対したのに、あんたの人生もなんだか
行き当たりばったりで付け焼刃よね。一生懸命勉強だけは続けてきたから、継続力のない私にはそれはすごいと思うけど、何だか無駄な努力ばっかりしてるんじゃない?世の中、案外地道な努力よりも運の方が強いと思うんだな。」
私からすると、いつもこんな口調で飄々と或いはガツンと言い放つ
Tちゃんが、
お気楽なラッキーセレブリティに思える。
「Tちゃんからすれば、『アホが見る豚のケツ』なんでしょう!
私だって、人生思い通りにならなくていつも苦しんでるんだから。
だけど、保険の仕事でいろんな人と話したんだよ。1年のうちに1000人は話したと思うな。」
「へぇ〜!1000人すごいね!私にはできないよ。
でも、ゆきちゃんが誰かの役に立ちたいのなら、あなた自身が幸せにならなくてどうするの?どうして自分がやりたくないのに、強引に頼まれたからってあんたが、自分のあるべき目標や夢を後回しにして渋々上司や会社の犠牲になんなくちゃいけないのよ。
わざわざ苦しい思いを自分から引き受けているなんて、
あんたの辻褄の合わない人生、全く理解できないわ。」
「今のメンバーには感謝してるよ。上司も私を可愛がってくれているもの。年末年始のパーティーだってこんなに頻繁に楽しんだのは初めてだった。」
「結構じゃないの。」
「でも、違和感は募っていく一方だったんだ。いつもご馳走に囲まれているこんな生活、いつまでも続くなんて私らしくない。
10年前からやりたくてできなかった自分のやりたいことは、ボランティアだから、お金もなんにもなしでは生きていけない。
お金を稼ぐためには、自分のやりたいことは後回し。
どっちかしか、選択肢がないのなら、自分は後者を選ぶことに決めたから。
いつも心配かけてごめんね。」
「別に・・・。
私はあんまり悩まない性質だけど、いろんな人の思惑を考えすぎる人って、その人にいくら腐るなよといっても、仕方がないんだ、無理なんだな〜ということは、わかってきたよ。
でも、ゆきちゃんは、悩んでいることをいつもことばにしているから、病気にはならないと思うけどね。
私のママ友達も数ヶ月前から鬱になったらしい。気がつかなかったけど・・・うつ病の人たちは増えているみたいだね。」
帰宅した直後、あんだけゆきんこの人生に口出ししていた二人は、
再び、ケータイに思いやりメッセージを遺していた。
現役時代で楽器を奏で合った友情が、3人ともすっかり吹けなくなってしまった年月が増えていっても、本音を言い合える関係が続いてきたことそのものが、プライスレスの最高の誕生日プレゼントだと実感している。
でも、今年は本当に別格だった。
いつまでも子どもっぱさが抜けないままに祝ってもらってるのも
おかしいよね。
いつもは二人とも、私の誕生日なんて気にも留めていないのだから。
Thanks My Friends!
全然、ゆきんこらしくない新年2007
数少ない、(5人未満?)常連ゆきんこファンのみなさま
新年、明けましておめでとうございます。
今年も時々、遊びにきてください。よろしく御願いします。
それから、今年も年賀状を下さった現実で既知のみなさま。
変わらぬ新年のご挨拶をありがとうございました。
皆様のご多幸を心からお祈りしております。
喪中でもないのに、あまりの忙しさに年賀状を書けず、本当にごめんなさい。(だったらブログを休止した方がよかったですが)
私は表裏ともいつも手書きで差し上げていたので、どうしても時間を捻出できませんでした。
本日、午後6時過ぎに帰宅してさっきから気になっていたことがあった。
「ANBELIEVABLEのスペルが間違っている。」
ちゃんと直したもんね。
いいじゃないの、まちがいのない人生なんてないんだから!
このように何気なく言い放たれたことばというのは、
受け手を大いに惑わせたり悩ませたり、いろいろの解釈がなされる。
これが、認知心理学においては、極端には「偏見」へとつながっていく。
自分よりも遥かにIQの高い対象に、
大抵の人間は何の文句のつけようもなくなる。
文句つけられるのは、権威をもっているか、または
ソシャルスキルに問題のある方々のような例外。
そして、なぜだか、向き合った人間同士は、
「自分は相手にどう思われているんだろう」
「自分は相手にどんなリアクションしたらいいんだろう。」
その初回から数回においては、すごい緊張してしまうわけだ・・・
それを克服するには、地道な努力の積み重ねしかない。
もう何年、10年という付き合いの旧知の仲ならどうってこともない。
だけど、プライベートゾーンに入ろうとする時には、
私はこれまでずっと慎重派だった。
それで、か弱いゆきんこの方略は、相手にスキを与えて
徹底的にピエロになろうと、「努力」しているのです!
新年早々、全然意味不明の書き出しで申し訳ありません。
明日は悲しいことに仕事初めで、★営業所に出勤。
3が日くらい大好きなお布団に囲まれて、寝正月。ぼ〜っとナマケモノに
なりたい。。。と夢見ていた。
初夢はまだ見ていません。基本的にあんまり夢を見ない方。
元旦は、紅白歌合戦が終わると、即座に徒歩5分のK神社に初詣。
願い事は、大学院受験のための予備校時代も含めると3年連続同じかな。
「まともな仕事が見つかりますように。
論文無事に書けますように。。。」
次にひいたおみくじ。
第45番 吉
こう名はほまれをあらわさんと おもう心ありてなり
いまだ知行や禄は行く先々に有りても 手にいらぬなり
目上のかたの ひきたてにあづかり こう名をあらわすとなり
行くさき一面に香華生じて 知行を得て身の上さかゆるなり
▲このみくじにあたる人は、物事十分なるかたちなり、
十分なればかならずかくることあり、
よろづつつしみてひかえめにすればますますよろし
▲あらそいごと勝つとも相手をいたわるべし
▲待人くる少し遅し
▲病人本ぷくす
▲よろこびごとよし
▲えんだんは近き方よし
▲家うつりふしんよろし
▲旅立ち大いによし
▲商売は木か糸に縁あることたるべし
▲子に縁深し、苦労することあれど後大いによし
▲失物出づべし、急にさがして出ざれば時を経て出づべし
それから、恒例の干支の土鈴を買いました。
例年と違うのは、母の馴染みのご近所さんたちが、数名参道の端に並んで新年の挨拶を交わしたことだ。
「明けましておめでとうございます。」
「まだ、親の脛かじってます。」
「今年も就職祈願です・・・」
遅い午後に母と二人でシンプルなおせち料理とお雑煮を
食べてから隣のTVの笑点をBGMにお気に入りブログを眺めていたら、
何となく夜が更けていた。
そろそろ明日の計画の打ち合わせをしないとな・・・
と、お相手にメールを書いている最中、携帯のベルが鳴った。
元旦の夜、手先の器用な母は、紙粘土の製作を始めた。
できあがった作品を見て、初笑い!
「かわいいね! ウリボウ。」
初詣で買った土鈴の猪の子どもを7匹も作ったのでした!
翌朝2日は、予報通り小雨が降っていた。
身支度をして午前9時半に家を飛び出したが、最寄のバス停に走っている
最中に、バスが通過してしまった。
「あ〜!新年早々遅刻か!」
即座に携帯ですみませんコール
「雨降ると、正月でも遅れるからヤキモキしますね。」
「駅でお待たせしているので、余計に・・・」
などと一緒にバスを待つ未知の年配の女性と初会話。
正月3が日で道路は混んでいなかったが、
お相手は、乗るはずだった電車をちょうど見送って、ぽつんとホームの端で待っていてくださった。
「明けましておめでとうございます。」
「明けましておめでとうございます。」
私の人生の予定には、2006年の10日前までは、こんなことになるスケジュールなんてなかったのだ。
行き先は、京都・北野天満宮。
高校か、大学受験以来、実に実に久しぶり。京都市内のどこに位置しているのかも知らない。
移動のバスは同じ行き先を目指す乗客が徐々に乗り合わせて増えていった。
傘を射しながら参道を歩いた。参道は意外に狭く、
端から端まで、ズラリと屋台が立ち並んでいたが、
殆ど目に留まらずに、境内へと傘の波に准じて足を進めた。
小雨にもかかわらず、境内は受験生とその家族の集団で賑わっていた。
本堂を探して、傘を脇に置くと、拍手を打った。
「緘黙の会がうまく運行していきますように。」
それから、学業に精進できるように牛さんのアタマをなでなでしたり、
お香の煙をアタマにかけたり、
学問の神様、菅原道真公を祀る天満宮ですることといえば、
当然、絵馬に祈願の筆入れをすること。
それで、全然持っていない久しぶりの毛筆で一筆書きました。
「修士論文 完成! ゆきんこ」
参拝者は年配の方々もいらっしゃるのですが、合格祈願を
この年代でしているのは、10代の現役受験生以外では
我々だけかも・・・
手本どおりに絵馬に年齢書かなくて、よかった〜〜
それから、ちょっと疲れたので喫茶店でレモンティーを飲みました。
おなかがなかなか空かないので、気がついたら2時間くらいしゃべっていた。
どうしてこんなにしゃべっているんだろう??????
今まで全然知らなかったわけじゃないけど、
私に対してあまりにも、オープンマインド過ぎるんじゃないか?
かの有名な「哲学の道」も、3年ぶりに歩いてみた。
実は、歩いている最中、結構緊張していて、殆ど頭の中は真っ白だった。
隣のお相手はかなり疲れたらしく、特急電車に乗り込むと
本当にすやすやと寝入ってしまった。
信じられない・・・・なんという無防備。
こっちは、昨夜だって「浅い眠り」だったんだから…
午後7時前に帰宅したら、母が伯母のところで一泊したので、
その夜は心置きなく 快適な一人暮らしを謳歌できるはずだった。
来週の10日には、保険のむずむずかしい応用試験が控えていて、
あ〜、なんでこんな束になった問題集なんて、正月番組みたいのに、、、
それよりも、なによりも、
私のティッシュペーパー並みの軟弱な感受性は、
私を時間差攻撃してくる。
喫茶店で交わした会話がリフレインした。
「寂しい・・・」
私は「寂しい」ということばに過敏だ。
「じゃあ、私でも傍にいたら寂しくないの?」
だけど、人間って我侭だから、いくら寂しいと言ったって
傍にいて欲しい相手は、選り好みするはずなのだ。
私に会うまで、どれくらい寂しかったのだろう・・・
それを想像すると、母がいない居間で、
新年早々じわわわ〜〜と、3回も初泣きした。
3日は神戸・三宮へ繰り出しました。
昨年から、いつか暇を作って「オルセー美術館」を鑑賞したいと
前売りチケットを財布に携帯していましたが、
明日から仕事初めで、最終日の1月8日までに見る機会を逃がしそうなので、一人でも絶対、見に行くぞ!と買った時から決めていた。
お正月の芸術鑑賞も初体験だったけど、多分、もう2度としないだろう。
料金アップなのに、寿司詰めの館内で、3時間みっちり鑑賞した。
いつもなら、ストレス解消に、作品に見入っているうち、
脳ミソがスカ〜っとしてくるのを実感できるんだけど、作品よりも、人混みが気になって仕方がなかった。
昨日ご一緒したお相手が、同行を快諾してくださったので、
結局、新年早々、まだ5回しかお目にかかっていないのに、
2日連続で15時間も一緒に時を過ごしたのだ。
私だって、「寂しい」からって誰とでも並んで歩きたいわけじゃないのだ。
どうしてなのか、ABA的に行動の現象だけで叙述するのは、
3年目の信奉者には、そんなに難しいことじゃない。
だけど、今年の3が日はやっぱり有り得ない格別の幕開けだったんだ。
そして、この両者の関係をどのようにカテゴライズしてよいか、
私は、数日悶々とする。
悶々としても仕方がないから、明日のためにお布団しいて寝ましょう。
新年早々、意味不明の文章ですが、
わざわざ意味不明に書いております。
何卒、ご了承ください。
猪突猛進せずに、一歩一歩前進できる良き1年でありますように。
ゆきんこの今年の抱負 決まりました!
>「親しき仲にも 礼儀あり」strong>
新年、明けましておめでとうございます。
今年も時々、遊びにきてください。よろしく御願いします。
それから、今年も年賀状を下さった現実で既知のみなさま。
変わらぬ新年のご挨拶をありがとうございました。
皆様のご多幸を心からお祈りしております。
喪中でもないのに、あまりの忙しさに年賀状を書けず、本当にごめんなさい。(だったらブログを休止した方がよかったですが)
私は表裏ともいつも手書きで差し上げていたので、どうしても時間を捻出できませんでした。
本日、午後6時過ぎに帰宅してさっきから気になっていたことがあった。
「ANBELIEVABLEのスペルが間違っている。」
ちゃんと直したもんね。
いいじゃないの、まちがいのない人生なんてないんだから!
このように何気なく言い放たれたことばというのは、
受け手を大いに惑わせたり悩ませたり、いろいろの解釈がなされる。
これが、認知心理学においては、極端には「偏見」へとつながっていく。
自分よりも遥かにIQの高い対象に、
大抵の人間は何の文句のつけようもなくなる。
文句つけられるのは、権威をもっているか、または
ソシャルスキルに問題のある方々のような例外。
そして、なぜだか、向き合った人間同士は、
「自分は相手にどう思われているんだろう」
「自分は相手にどんなリアクションしたらいいんだろう。」
その初回から数回においては、すごい緊張してしまうわけだ・・・
それを克服するには、地道な努力の積み重ねしかない。
もう何年、10年という付き合いの旧知の仲ならどうってこともない。
だけど、プライベートゾーンに入ろうとする時には、
私はこれまでずっと慎重派だった。
それで、か弱いゆきんこの方略は、相手にスキを与えて
徹底的にピエロになろうと、「努力」しているのです!
新年早々、全然意味不明の書き出しで申し訳ありません。
明日は悲しいことに仕事初めで、★営業所に出勤。
3が日くらい大好きなお布団に囲まれて、寝正月。ぼ〜っとナマケモノに
なりたい。。。と夢見ていた。
初夢はまだ見ていません。基本的にあんまり夢を見ない方。
元旦は、紅白歌合戦が終わると、即座に徒歩5分のK神社に初詣。
願い事は、大学院受験のための予備校時代も含めると3年連続同じかな。
「まともな仕事が見つかりますように。
論文無事に書けますように。。。」
次にひいたおみくじ。
第45番 吉
こう名はほまれをあらわさんと おもう心ありてなり
いまだ知行や禄は行く先々に有りても 手にいらぬなり
目上のかたの ひきたてにあづかり こう名をあらわすとなり
行くさき一面に香華生じて 知行を得て身の上さかゆるなり
▲このみくじにあたる人は、物事十分なるかたちなり、
十分なればかならずかくることあり、
よろづつつしみてひかえめにすればますますよろし
▲あらそいごと勝つとも相手をいたわるべし
▲待人くる少し遅し
▲病人本ぷくす
▲よろこびごとよし
▲えんだんは近き方よし
▲家うつりふしんよろし
▲旅立ち大いによし
▲商売は木か糸に縁あることたるべし
▲子に縁深し、苦労することあれど後大いによし
▲失物出づべし、急にさがして出ざれば時を経て出づべし
それから、恒例の干支の土鈴を買いました。
例年と違うのは、母の馴染みのご近所さんたちが、数名参道の端に並んで新年の挨拶を交わしたことだ。
「明けましておめでとうございます。」
「まだ、親の脛かじってます。」
「今年も就職祈願です・・・」
遅い午後に母と二人でシンプルなおせち料理とお雑煮を
食べてから隣のTVの笑点をBGMにお気に入りブログを眺めていたら、
何となく夜が更けていた。
そろそろ明日の計画の打ち合わせをしないとな・・・
と、お相手にメールを書いている最中、携帯のベルが鳴った。
元旦の夜、手先の器用な母は、紙粘土の製作を始めた。
できあがった作品を見て、初笑い!
「かわいいね! ウリボウ。」
初詣で買った土鈴の猪の子どもを7匹も作ったのでした!
翌朝2日は、予報通り小雨が降っていた。
身支度をして午前9時半に家を飛び出したが、最寄のバス停に走っている
最中に、バスが通過してしまった。
「あ〜!新年早々遅刻か!」
即座に携帯ですみませんコール
「雨降ると、正月でも遅れるからヤキモキしますね。」
「駅でお待たせしているので、余計に・・・」
などと一緒にバスを待つ未知の年配の女性と初会話。
正月3が日で道路は混んでいなかったが、
お相手は、乗るはずだった電車をちょうど見送って、ぽつんとホームの端で待っていてくださった。
「明けましておめでとうございます。」
「明けましておめでとうございます。」
私の人生の予定には、2006年の10日前までは、こんなことになるスケジュールなんてなかったのだ。
行き先は、京都・北野天満宮。
高校か、大学受験以来、実に実に久しぶり。京都市内のどこに位置しているのかも知らない。
移動のバスは同じ行き先を目指す乗客が徐々に乗り合わせて増えていった。
傘を射しながら参道を歩いた。参道は意外に狭く、
端から端まで、ズラリと屋台が立ち並んでいたが、
殆ど目に留まらずに、境内へと傘の波に准じて足を進めた。
小雨にもかかわらず、境内は受験生とその家族の集団で賑わっていた。
本堂を探して、傘を脇に置くと、拍手を打った。
「緘黙の会がうまく運行していきますように。」
それから、学業に精進できるように牛さんのアタマをなでなでしたり、
お香の煙をアタマにかけたり、
学問の神様、菅原道真公を祀る天満宮ですることといえば、
当然、絵馬に祈願の筆入れをすること。
それで、全然持っていない久しぶりの毛筆で一筆書きました。
「修士論文 完成! ゆきんこ」
参拝者は年配の方々もいらっしゃるのですが、合格祈願を
この年代でしているのは、10代の現役受験生以外では
我々だけかも・・・
手本どおりに絵馬に年齢書かなくて、よかった〜〜
それから、ちょっと疲れたので喫茶店でレモンティーを飲みました。
おなかがなかなか空かないので、気がついたら2時間くらいしゃべっていた。
どうしてこんなにしゃべっているんだろう??????
今まで全然知らなかったわけじゃないけど、
私に対してあまりにも、オープンマインド過ぎるんじゃないか?
かの有名な「哲学の道」も、3年ぶりに歩いてみた。
実は、歩いている最中、結構緊張していて、殆ど頭の中は真っ白だった。
隣のお相手はかなり疲れたらしく、特急電車に乗り込むと
本当にすやすやと寝入ってしまった。
信じられない・・・・なんという無防備。
こっちは、昨夜だって「浅い眠り」だったんだから…
午後7時前に帰宅したら、母が伯母のところで一泊したので、
その夜は心置きなく 快適な一人暮らしを謳歌できるはずだった。
来週の10日には、保険のむずむずかしい応用試験が控えていて、
あ〜、なんでこんな束になった問題集なんて、正月番組みたいのに、、、
それよりも、なによりも、
私のティッシュペーパー並みの軟弱な感受性は、
私を時間差攻撃してくる。
喫茶店で交わした会話がリフレインした。
「寂しい・・・」
私は「寂しい」ということばに過敏だ。
「じゃあ、私でも傍にいたら寂しくないの?」
だけど、人間って我侭だから、いくら寂しいと言ったって
傍にいて欲しい相手は、選り好みするはずなのだ。
私に会うまで、どれくらい寂しかったのだろう・・・
それを想像すると、母がいない居間で、
新年早々じわわわ〜〜と、3回も初泣きした。
3日は神戸・三宮へ繰り出しました。
昨年から、いつか暇を作って「オルセー美術館」を鑑賞したいと
前売りチケットを財布に携帯していましたが、
明日から仕事初めで、最終日の1月8日までに見る機会を逃がしそうなので、一人でも絶対、見に行くぞ!と買った時から決めていた。
お正月の芸術鑑賞も初体験だったけど、多分、もう2度としないだろう。
料金アップなのに、寿司詰めの館内で、3時間みっちり鑑賞した。
いつもなら、ストレス解消に、作品に見入っているうち、
脳ミソがスカ〜っとしてくるのを実感できるんだけど、作品よりも、人混みが気になって仕方がなかった。
昨日ご一緒したお相手が、同行を快諾してくださったので、
結局、新年早々、まだ5回しかお目にかかっていないのに、
2日連続で15時間も一緒に時を過ごしたのだ。
私だって、「寂しい」からって誰とでも並んで歩きたいわけじゃないのだ。
どうしてなのか、ABA的に行動の現象だけで叙述するのは、
3年目の信奉者には、そんなに難しいことじゃない。
だけど、今年の3が日はやっぱり有り得ない格別の幕開けだったんだ。
そして、この両者の関係をどのようにカテゴライズしてよいか、
私は、数日悶々とする。
悶々としても仕方がないから、明日のためにお布団しいて寝ましょう。
新年早々、意味不明の文章ですが、
わざわざ意味不明に書いております。
何卒、ご了承ください。
猪突猛進せずに、一歩一歩前進できる良き1年でありますように。
ゆきんこの今年の抱負 決まりました!
>「親しき仲にも 礼儀あり」strong>
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