悟りの境地って・・・?

人間って得て勝手な生物だなと自分も含めてつくづく思う。

わたしにはずるいところがあるので、
私だけではないが、通常、人間は自分よりも位相の高い人間には
謙ったり、よそゆき顔を装う。それが本能に基づいたルールであり、
マナーだからだ。

ところが、ヒトは進化しつつも退化している。
特に19世紀以降は、医学も科学も目覚しく進歩した恩恵で
実に多様な人々が共存共栄し、また同時に競争原理のなかで
矛盾や葛藤も抱えつつ、生きることが赦される時代になった。

今月の電気料金が大幅に3割近くも減額になって、単純に嬉しい!!
オシャレも楽しめ、栗、梨、リンゴや幻の柑橘類「ブンタン」までゲットして、食べるのだ~い好きな私はそれだけで単純に幸せ気分。

やっぱり暑くも寒くもない秋は、いろんなことに取り組むのにいい季節だな~としみじみ思う。
私にとっては誰にも侵害されない秋休みという感じ。
こんな生活が当たり前になり、プーおばさんがすっかり癖になってしまうと危険だ!!

ところが、多様な人々のなかには、同時に自分も含めて生き辛いと感じる人々も増えてきた。
『普通』って何だろうと思う。

発明王エジソンが電球を発明して以来、ありとあらゆる電化製品が普及し、その結果、20世紀から21世紀のうちに、人類は途方もない地球資源とエネルギーを消耗し、現時点ではそれに歯止めがかからないようになっている。

昼夜を問わないライフスタイルは、ライフスタイルそのものやヒトの体内リズムを崩壊させ、
心身ともに多くのダメージを与えているようにも思われる。

それで、何がいいたいのか?

つまり、私はどうしてこんな時代に生まれて生きていかなければならないのだろうという怒りと悲嘆に苛まれそうになる。

そうすると、励ましたり、慰めたりしてくれる存在を本能的に求めたくなる。

その意味では、ヒトはどんなにイタチゴッコのように進化してもその功罪に悩み、自然、SALVATION(救い)を求めたがる存在なのかもしれない。

そして、怒りと悲嘆に満ち溢れないように、今流行の「セルフコントロール」「セルフエスチーム」「セルフエフィカシー」に勤しんでみる。

横文字の心理学では、特に、怒りの神経伝達物質であるアドレナリンを
放出しないようにするためのトレーニングを心理療法やら何やらで
処されるわけなのだが、虐待の老舗家族に育った父の台詞からすれば、

「そんなもんは昔から当たり前にあったんだ。」

母は、結婚前には文字通りの「几帳面」でいくつもある実家の部屋の掃除や家事全般を怠らない行動様式を確立していた。

ところが、加齢と共に室内が常にスラム街状態という父とのDV生活によって次第に掃除をしなくなっていった。

よく言えば「諦め」
悪く言えば「投げやり」
つくづくとモノはいい様やね。

父が幼少時より祖父から受け継いだ先祖代々の暴力の連鎖から
「このヒトは、どうして『お父さん』をしないのだろう?」
「どうして普通でないのだろう?」
「どうして、特に理由もなく突然、目の色を変えて怒り出すのだろう」

両親が離婚した6歳で私はなぜだか、モニタリング力というのを身につけ、父を超えていると悟ったことがあった。
勿論、当時40歳だった父の半生など、6歳の私にわかるはずもなかったけれど・・・

父は40歳で全ての歯を失って、総入れ歯になった。
会社を転々として、行く先々で辛い重いばかりしていた父を今なら慮る
ことができる。
時は、好景気で特に有能でなくても皆が新しい電化製品を次々と買い換えては「国民総中流意識」に沸いていた。

けれども、父はどの会社にも受け容れてもらえず、いつもトラブルばかり起こして辞めてしまうということを繰り返していた。

父は、誰にもわかってもらえず、苦しんできた。
ただ変人だとか、狂人扱いされて母と結婚するまでは、一畳しかない小さなアパートですさんだ生活をしていた。

今は、精神医学も進んで、重篤な社会的弱者は、公的社会保障によって
保護されるようになってきたが、いわゆる中途半端な「ヘンなヒト」は
普通のところが多すぎて、知的障碍がなければ障碍だとは認知されてこなかった歴史の方が遥かに長い。

そして、その恩恵を受けられず、家族からも誰からも見放されて、
人知れず、抹殺された人々が無数にいたに違いない。

その昔、そうした人々は「石(ごく)潰し」「禄でなし」などと蔑まれ、村八分にもなっただろう。

頭はワルクナイのに、どうして仕事ができないの??」

私はそのような死に損ないの遺伝子を運良く(運悪く)授かってここに
生きている。
同時に私には、目には見えない「悟り」の境地がどこにあるのかを、
今朝、洗濯と食器のあとかたずけをしながらふと思った。


転居して6ヶ月目の秋、アンペイドの無報酬の家事に無心に勤しむ自分ってなんだろう?

売れっ子芸能人並みに超多忙スケジュールをこなす講師の何気ない一言が、脳裏に焼きついた。
「私、結構家事好きなんです。」
<へえ、そうなんだ・・・>
ちょっとした共感を覚えた。

陽光の下に洗濯物を干す瞬間、2ヶ月前までは
「なんでやねん!!!」と腹立ち紛れにやっていた。
どうせ同じ行動なら、「悟って」やらないと老化防止にならないなと感じた。

そして、正午過ぎに布団に横たわるPさんの下着を洗って干して畳む。
千手観音だってこんなにボランティア精神に溢れているかしら?
すまして微笑んでいるだけに見えるけど?

私の1円にもならない行動を
「物好きね」
「愛情なんてすぐに続かなくなるわよ」
「ロミオとジュリエット効果ですかね?」
「またぁ、心理学に被れているからそんな表現するのね」
「ちっともクールじゃないわよ。」

20代に理想の結婚相手の条件として3高(高身長・高学歴・高収入)ということばが流行った。
バブル経済もはじけてそれから20年。

みんながいやがる3Kに勤しんだって誰にもほめてもらえなかった。
カリスマティック・アダルトなんて一体どこにいる?
私に寄ってくるヒトなんてを利用して困らせようとか、1円でも多く
お金をとろうとする人たちばかりじゃない。
それも、人の弱みにつけこんでビジネスライクにやってるカリスマ性の高い臨床心理士の類は、一番性質が悪いかもしれない。

だから、京都大学の博士課程まで修めたIS先生がいつかの講義中に自らを
「はい。私はペテン師です。治せないクライアントを治せないとわかっていてカウンセリングしてます。
だから、臨床心理士が無尽蔵に量産される現代を懸念するので、私の講義を履修しても、認定単位にしていません。」
と正直に言ったので、ちょっとは信用してみようと思った。

私が現状の矛先をI先生にメールで突きつけると、
I先生がお勧め読書として
ドゥルーズ著『無人島』
を紹介してくれた。

戦争とDVを乗り越えた母は、私を玄関で見送るとき皺皺の顔で笑う。
「仲良くしなさいよ。あなたが幸せならそれでいいんだから」

家庭の内外で、社会に虐げられ続けてきた父と母に幸せになってもらいたい。
だけど、今の自分のままでは親不孝だ。
腐り落ちてゆく日本社会の只中でどうしたら、両親の不憫な半生を贖えるのか私にはわからない。

10年前の師匠が、人込みに紛れてさりげなく近寄った。
私は小走りに師匠の横を通過した。

「私なんて『あんな施設』、『あんな学校』から来た
アウトオブ眼中の愚弟だったんでしょう・・・」
私の稚拙でヒト知れずないたった独りの『非暴力・不服従運動』は継続していた。

それは、どんなに笑顔を平和を装っても、家庭の内外に依らず100%第3次世界大戦が勃発しないと公約しない為政者に向けられた鎮魂の怒りだ。
猜疑を拭えない負傷兵のリベンジ精神に類似している。

私は怒りを鎮め、もっとクールに大好きなABA的に『悟り』を解析してみよう。
そして、遮二無二掃除をしたがる自分の心境を、どんな似非カリスマにも依存しないで、科学的に実証してみたい。


あ、またゼミの支度が後回しになっちゃった。
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はっぱをかけなきゃ!

10月5日付けで専門学校の非常勤教員という肩書きを外して、早2週間あまり。

それと行き違いに吹奏楽団でエンブレムを共に掲げた旧友のOちゃんの
再就職が無事に決まったようだ。
一昨日、ぎっくり腰を患って1ヶ月。実家(って感じしませんが)から
帰宅する間、Oちゃんの居宅の最寄り駅に途中下車して、午後1時過ぎにレストランにOちゃんを呼び出しランチを共にした。

修士論文の締切日まであと3ヶ月をきったのに、ブログまで更新しちゃって我ながら全く暢気なものだ!

それだけではない。
一度、実家へ帰るとなると、実家を交えての旧い馴染みの付き合いの方々に加えて、新しい知り合いも増加しているので、ウレシい悲鳴かも?

というのも、元来のゆきんこは今では誰も信じてくれないが、
独りでオタクな世界の方が余程楽しくて好きなのだ。

今回、実家へ帰る名目は、大方、無料の講演会に抽選で当たって、
大阪方面へ出かける予定を入れた時だ。
9月から往復はがきで申し込んでいたNHKはーとフォーラム主催の
「特別支援教育の最新動向」についてのシンポジウムに参加した。
お向かいに住むDさんも一緒に当たったので10月20日の午前8時過ぎ、
スーツケースを引き摺って、バス停に向かった。

ご近所で同世代というだけで、なぜかしら位相を超えてすぐにお友達になるから不思議だ。
バスのなかで、お互いの家庭事情を打ち明けあいながらちょっとした
ピアカウンセリングがてら、目的地に10時過ぎに到着した。

会場の外から聞きなれた声色のスピーチがマイクロフォンを通して響き渡ってきた。
私もよくやるよな~。
日本で発達障碍の権威と言われる師匠のおっかけを続けてもう10年か。。。

保護者の立場にあるDさんは配布資料にメモを走らせ、私に感想を述べた。
「こんな大それた講演会でなくても、もっと地域単位でありふれた問題や悩みに気軽に参加できるような会が欲しいです。」

「わざわざ出てこないといけないのは、お子さんも預けないといけないし、大変ですね。地域によっては、小規模の集会もありますよ。私も現役保育士のときは、毎日、送り迎えの時におかあさんたちと親身に話をしていましたし、保護者同士の話し合いもこまめにしていました。」

午後のシンポジウムでは、8月のお盆の最中がリフレインするかの如く、
壇上のS先生が、大会場の観客席の隅っこに愚弟のゆきんこをどうやら見定めたらしかった。
(因みに、「らしい」といっておくのは、双方が何らかの確認をしない限り、憶測の域を出ない、研究界の掟としての表現だ)
ああ、クワバラクワバラ・・・

お気の毒に、独身を貫き、障碍児界の第1線を駆け抜けてきたS女史は
壇上で何気なく本音を漏らすと胸キュンになる・・・
「忙しくて、1ヶ月に1日くらいしか休みがありません。
束の間の休日は、何も考えないようにしています。」

わかるよね~・・・
「普通の女の子に戻りたいんです!!」
と解散宣言した若き日のキャンディーズの気持ち。

でも・・・
有言実行したのは、ミキちゃんだけだったじゃない??

梅田の紀伊国屋書店に寄り道して、発達障碍児の専門書がずらりと並んだコーナーにDさんを案内した。
就学後の特別支援教育に基づいたクラス運営などのノウハウ本が多くて、Dさんのような就学前の幼児の保護者向けに読みやすい簡便な生活習慣など改善を開設した専門書は殆どない。

そして、ぎっくり腰にもかかわらず、とぼとぼ歩いていって1ヶ月前にわざわざ確認し、カウンターの店員に頼んだのに、
「場面緘黙児への支援」はやっぱり目立つところに置いてない。

Dさんと別れて、今度は、FゼミのセンパイだったKさんと午後5時に待ち合わせた。
9月下旬に参加したシンポジウムで偶然、最後尾の列に臨席した。
終了後、ランチをご一緒して新刊して1ヶ月あまりの「場面緘黙児への支援」を紹介していたのだが、慌てた拍子にKさんは、そのまま自分の鞄に入れて持ち帰ってしまった。

後日、「Fゼミにきて下さい」とメールでやりとりしていたが、
お互いに忙しいので、結局、週末を利用して梅田で落ち合うことになったのだ。
思春期以来、お馴染みだった梅田の繁華街はあちらこちらでビルの改装工事中。
「ナビオ阪急」も、10月28日でラストだという表示が目に入り、
迷わず、レストラン街の「壁の穴」に突入した。
いつもは長蛇の列で人気のイタメシ屋で、土曜日の5時過ぎなのに、
店内は閑散としていた。

「この時間帯って、ディナーより少し早いから空いていたのかな?」
「ラッキー!!」

Fゼミでは専ら行動療法や論文の話題がメインテーマだから
(レッキとした履修科目授業ですから)私語なんかはほんのちょっとしかできないが、TPOを変えて繁華街でKさんとディナーをご一緒すると、ありふれたお友達感覚に早代わりする。

Kさんは、スパゲッティを食べながらゆきんこの近況報告やら愚痴や不平などなどを円らな瞳でニコニコと聞いてくれた。
さすがは、Fゼミの門下生。私よりも遥かに強靭な精神の持ち主だ。

そして、帰宅すると、強烈は母の度重なる尋問に耐え忍ばなくてはならない。
何と実母に娘が太刀打ちしようと弁明やら説得しても、「母娘」関係
であるからこそ、腹立たしいバトルを繰り返さなければならない
ことに無駄なエネルギーを消耗するので、1ヶ月に1回自宅に戻っても、
あんまりリラックスしないのだ。

その理由ははっきりしている。
4月からドタバタと始まってしまったゆきんこらしくない、
実家からの脱出(??)生活について、母の周囲の方々には半年経過した今も尚、センセーショナルが維持されたままなのだから・・・

21日の午前中、母と私はある女性にお目にかかった。
それから午後には駅前の総合福祉センターに寄り道して
今年で開催20年にもなる「福祉健康フェスティバル」を物見遊山して、なかなかリラックス&リフレッシュできた。

普段は各種医療施設で、有料の健康検査サービスが無料でお祭り気分で
楽しめちゃう!
定番の視力検査、聴力検査、歯科検診など。
面白かったのは、唾液の分泌量を測り、その成分が虫歯を促進しないかどうか、カラーリングするテストや、プラークを拡大顕微鏡で細菌だらけだという自覚を促す視覚画面、

ハーブティーや健康食品の試食会、カルシウム豊富な栄養バランスなどを考えたアイデア料理のレシピなどなど。

気がついたら、終了時刻ギリギリまでいろんなコーナーを楽しんだ。

食べて、遊んで、しゃべって三昧の週末で一体どこが苦心惨憺の
大学院生なのか?
それなりに苦心しているはずなんだけど、
友人・知人は私の顔をじっと見て、
「なんだか、生き生きしているね・・・」
「あ、そうかな?」
「よくいつもそんなにアケスケに自己開示しているねえ」
「私はいつもこうだし、実際、大変なんだけど、誰もそう思ってくれないの。」
「でも、面白いことや楽しいと思えることがたくさんある方が確かに
生きやすいのかもしれないよ。例えば、食べ物の偏食がない方が色んな
味を楽しめるのと同じようにね。」

結構苦労してるんだけど、と弁解しても、
楽しそうにしか見えないらしい。

おなかが空いたから、何、作ろうかな?
もう外はマックラになっちゃった!
晩ご飯食べたら、昨夜のゼミもY先生には笑顔でほめてもらったし、論文のデータまとめようっと!




テーマ : それなりにがんばってんだよ - ジャンル : 日記

未来への航空?

今日は、朝から終日雨模様。
カテゴリーに夢を設けたものの、滅多に夢をみない性分なので、
たまに見た夢を記録することにしている。

断片的にしか、覚えていないが、夢の状況は、飛行場へ向かう大型バスの中だ。
恐らく、修学旅行か何かに出かけ、丁度空港へ到着した。
全ての生徒が降りて、登場口へ向かうのを確認してから、私は最終確認と手短に打ち合わせを行い「了解しました。」とか何とか言い置いて、運転士の真後ろに座っていた席を降り立ち、タラップへ向かった。

・・・ということは、私はバスガイドかはたまた旅行引率者?


元来、父親譲りで旅行は大好き!
修士論文を書き終えたら、10年パスポートの期限が切れる前に、
また旅行へ出かけたいと思っている。

しかし、夢の中では一体、どんな方々を引率しているというのだろう?
9月のシンポジウムでは、Fゼミの修了生のセンパイだった仲良しの現役保育士Kちゃんから耳寄り情報を得たことを思い出した。

2004年から幻影を追っかけてきた憧憬のI准教授は、来春、いずこかの他大学へ赴任されるのだそうだ。
2000年ごろから教育臨床心理界で一世を風靡したH大学の行動療法の面々(Gメン?)の大活躍が功を奏し、その立役者として日本に名を轟かせた
I先生の新天地での益々の活躍が期待されるところだ。

まだ、H大学に在籍していらっしゃる間に、そして、ゆきんこがしがない
プーおばさん大学院生として在籍している間に、悪あがきでもう一度くらい追っかけしてみようか・・・・
それとも、9月の特殊教育学会のように、12月の行動療法学会で偶然、お会いできるギャンブルに賭けるか?(何の賭けなんだろ??)

イヌと遭遇してコミュニケーションが発生する確立とどっちが高いでしょう!?

ふとyumingの♪「航海日誌」が頭を過ぎった。
BGMにして、論文に取り掛かろう。

テーマ : 夢日記 - ジャンル : 日記

ようこそSちゃん

一昨日から、分厚い掛け布団を使って就寝するようになった。
しかし、今日は日中、1ヶ月くらい逆戻りしたかのような陽気。

一昨日、修士論文のエピソード再抽出作業が終わって、指導教官のY先生に見てもらったところ、笑みを浮かべて「なんとかまとまったね。」
とコメントをもらった。

イヌの散歩のエピソードの数は、総数97抽出できた。
2006年7月~2007年6月まで、いろいろの観察記録のうち、
ボツにしたものが、半数近く。
更に、飼い主である大人と子どもとの間にコミュニケーションが生起せず、通過してしまったものが半数。
イヌを社会的潤滑油として、大人と子どもとの間に生じたコミュニケーションは10%くらいに見積もれそうだ。

昨日は正午から午後8時まで仕事をしていた。
仕事といってもアンペイドワークだ。
元々、大好きって訳じゃなかったが、
親元を離れて、全くの自由と責任を得た今、
自然と習慣化させているのは、自立した家庭人(?)としての家事全般
そのうち、一番時間を費やしているのがおそうじと料理。

転居当初は、毎日3Kの全室を掃除機と床の雑巾がけをせっせとしていた。
昨日は、とりわけ念入りに普段あまり手をつけていない窓のサッシや
電気機器に溜まった細かい埃、それから、自室に散乱していた資料の諸々を整理整頓していたら、8時間もかかってしまった。
最後に普段、使わないテーブルセットや食器なども用意した。

翌朝は、いつもより早めに起床してそわそわとお客さんをおもてなし
するために、新しい料理に挑戦してみた。
1週間前に1度練習していたけど、2回目の本日本番は、少し失敗。
レシピもいつもに比べると、事前に買い出して3倍くらいは使った。

メニューは、イタリアンスパゲッティとマカロニグラタン、
ポテトサラダ、野菜サラダ、スープと
定番らしき、イタめしメニューだけど、おもてなしするのは初挑戦!

ゆで作業だけでも、案外時間がかかった。
じゃがいも、マカロニ、スパゲッティ、ブロッコリー、ミックスベジタブル、卵
これらを予め、下茹でするのだけど、意外と面倒くさい。

それから、マカロニのホワイトソースを作った。
溶かしたバターに小麦粉を加え、牛乳を少しずつ加えながら、ソースを
作るのだけど、粉が多すぎて、結局プディングみたいに固まってしまった。
具はホタテと海老を酒蒸しにして、マカロニと混ぜ、オーブントースターで焼く。

サラダは、サニーレタスにきゅうり、プチトマト、たまねぎ、
これらはちぎったり、切って盛り付けるだけでOK!

スパゲッティも缶入りのトマトピューレに火を通して混ぜたらいいだけなので、こうやって書き込めば、そんなにややこしいメニューではない。

けれども、何をするにも処理速度遅めなので、3品がちょうど完成するころ、タイムリーにお客さんからメールがあった。

最寄のバス停まで迎えに出かけ、旧友のSちゃんがバスから降りてきた。
「遠路はるばるいらっしゃいました。」
「けっこう坂が多いね~。」

Sちゃんはバスと電車を乗り継いで、3時間近くかけてわざわざ来てくれた。
Sちゃんの自宅を訪問したことは2~3回あるのだが、昨年11月と今年5月にある目的でお邪魔していた。
目的というのは、邪なことに、私の修士論文の研究のためだった。
「イヌの散歩」を研究テーマにしたとはいえ、私自身はイヌを飼っていないので、なかなか子どもとの遭遇場面を観察することが難しい。

Sちゃんの愛犬は、子ども好きだと以前から聞きつけて研究に協力してもらっていた。

しかし今回、Sちゃんは失業してヘタレになっているゆきんこの近況伺いにはるばる来てくれたのだ。
いつまでも段ボール箱入り娘(おばさん)状態のゆきんこを
後から生まれた同い年のSちゃんの方が、10代の学生時代から頼りになる
存在として、ずっと友達で居続けてくれたことに、いつも感謝している。。。。。

おやつは、1週間前に買い込んでいたフランスのクッキーと
カモミールやブルーベリーのハーブティー。

「結局、自分を幸せにするほうが大事だよ。
自分が幸せだと言い切れずに犠牲を払ってまで、誰かを幸せにするなんてなんだかおこがましいよ。」

・・・なんだけどな~

午後4時過ぎまで歓談し、最寄り駅までSちゃんと歩いた。
「年賀状、新しい住所に送ったらいいのかな?」
「今年は書けないからいいよ。今度会えるのは、修士論文が完成してからね。」

夜の学校へ向かう乗り継ぎの駅で先に下車し、Sちゃんと別れた。
講義開始の6時半まで1時間近くも待機する時間があったが、
お陰でお気に入りの先行研究論文にじっくり目を通すことができた。

修士論文では、まず初めに、自分の研究テーマを決める事前事後に、
過去に著された近似の論文を読んでおく必要がある。
私の「イヌの散歩」をテーマにしている論文は恐らく、日本では皆無だった。

2004年に受験のために通学していた大学院予備校では、
「奇をてらったような珍しい研究テーマは、大学教官にあまり受けないからやめた方が無難だ。」
と忠告されていたし、先行研究ありきで、後続研究がテーマを継承するのが、通常のパターンだ。

私は、Sちゃんを迎えたのと同じようなルンルン気分で、やっとの思いで
入手した英語論文をじっくり読み始めた。

海の彼方で、1983年に自分と同じようなテーマで既に研究していたピーターさんの「イヌの散歩」の論文を見つけたのは、今年のGW明けのことだった。

「特別支援教育基礎論」講義が終わり、才色兼備のI先生に話しかけた。
「年上の生徒に講義するのは、どうですか?」
「もう、慣れましたね。最近はふてぶてしくなってきました。」
いいな・・・そんなこと平気で言えるの。

図書室を覗いたら後輩で2年生のNさんに会った。
年下の私が先輩で、年上のNさんに「ため口」で話すと、Nさんは時々敬語を使う。
社会人大学院は、めだかの学校みたいで年功序列も何もかも崩れて、敬語も位相もぐちゃぐちゃである。

「Nさん、毎日来て、順調なんでしょう?」

「それが、全然。どこまで進んでます?」

「私も時間かかったけど、何とかデータまとめで先生からOK出たよ。
今、結果と考察。」

「え~っ!いいな~。」

「どうして?私が進んでいるように見えるだけでしょう?先行研究なんて今年になってやっと見つかったばかりだよ。NさんのパラグアイのテーマもNさんにしかできない論文だからすごいんじゃないですか。」

「う~ん、、、私しかやっていないから困るんですよ。まとまらないから留年になるかも。」

「何もないところからするのは、確かに大変だよね。その点、一つでも
同じテーマで研究していた人が見つかったたら、このメセントって著者にすごく親近感出てきちゃって!」

「よかったですね~。で、どんな感じ?」

「彼の論文は、散歩させているイヌが飼い主と他者をつなぐ『社会的潤滑油』の役割を果たしうると帰結されている。
私の場合は、イヌが飼い主である大人と子どもとのコミュニケーションを促すというテーマだから、自ずと同じ結論に導ける着地点が見えてきた。」

「いいなあ~~。」

「世間の人には、「何がそんなに楽しいの?」という後ろ指さされる研究の世界だけどね。」

「結局、自己満足しかないですよ。仕事を辞めても、将来につながらなくても、すぐには何の役にも立たない論文を書き上げるってことは、
自己満足意外には何もない。」

「でも、それが楽しいし、独身で好きにやっていられるのは、贅沢かもしれないね。」

明日の夜も、またNさんと一緒に「家族関係学研究」を受講する予定だ。









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幼年教育実践学会第7回大会

昨日、13:10~16:10まで「幼年教育実践学会第7回大会」に出席してきました。

本学会は、会長のT先生によれば、日本でもっとも小さな学会とか。
ゆきんこの所属大学の教員と修了生・在学生で構成され、発足したのは
平成13年度なので、実にこじんまりしているけど、立派な学会のシンポジウムだ。

ちなみに、9月下旬の3連休に開催された日本特殊教育学会は、会員数
2500人以上の大所帯で、シンポジウムもあちこちで賑わっていた。

先週9日のYゼミでは、Y先生から「うちは設営担当のサブだからね。」
とお達しがあったので、12時30分と早めに到着した。
既に受付が始まっていて、2年生の幼稚園副園長のI先生が座っていた。
「こんにちは。」
「こんにちは。担当、サブゼミだと聞いたので、早めに来たのですが、
何かお手伝いありますか?」
「いえ、何もないです。」

会場はストレートの日中の若い院生さんたちが、リクルートスーツで机を移動させ、セッティングの真っ最中。
窓際に鞄を置いてお手伝いに参加した。

早めに着いていた1年生の年上の後輩にご挨拶。
「先生、半年大学院生活されて、如何ですか?」
「も~、難しいこと全然、わからへんねん。」

蓋を開けたメンバーは
大学院だから、すごい~~!
というわけでもなくて、日本の大方の教職員関係者の平均年齢が50代半ばであることから、大学院入試は、白髪交じりの院生諸氏が自然現象としての加齢に伴う記憶力の減退も考慮して、「受験することに意義ある」方式で、ハードルは結構低い。
しかし、入学したからには、出席率や出席態度、期日厳守のレポート提出をきちんとこなすことが当然の責務だ!

そういうわけで、出席者過半数は、頭がごま塩というベテラン層で小さな講義室1は満席になった。

初めにY先生が口火を切って、総会が始まり、次いで拍手で会長に再任されたT先生から挨拶があった。

続いて13:30よりシンポジウム。
テーマは、変革期の幼児教育・保育 -認定こども園をめぐって-

司会のS先生が、この数ヶ月お会いしないうちに別人のように激ヤセした
姿に多くの院生たちが驚きを隠せなかった!!(特にゆきんこ)
「今や家庭という絆の脆弱化と3分に1組は離婚し、残りの2組のカップルも不妊に悩んでいるという、産み、育てることの困難が少子化に反映されています。」

はい。私もその中にふくまれていま~っす!!(自慢じゃない)

「山田教授によれば、私たちにとってかけがえのない、生まれる条件が厳しい社会現状が次々と起こり、生まれてきたかけがえのない命がネグレクトなどの虐待に脅かされている。
家庭や地域から子ども集団を育む時間・空間・仲間のサンマ(三間)がなくなり、その置換としてインフォーマルな子育てサークルなども創出
されてきました。
また、幼保一元化の動向のなかで「認定こども園」は「第3の子ども施設」と言われながら、確固たるものではない。スタートには憶測や懸念も飛び交いました。」

話題提供は、4タイプのこども園からそれぞれのタイプを代表して
県下の3名の代表者に提言いただいた。

初めは、Mこども園のH先生
「昭和23年に児童福祉法が制定され、社会福祉法人化して30年後に
もう一箇所必要だろうと、理事長が保育園を設立した。時代は、第2次
ベビーブームと女性の社会進出が目覚しくなり、保育所の需要に迫られた。狭い園舎に子どもたちがわんさかいた。
2003年に法人を2分割して、新エンゼルプランの下に子育て支援や次世代育成の法制化を文科省は推進し、待機児ゼロ作戦が施行された。

そこで、幼保一元化の歩み寄り案が浮上した。
モデル園として「総合施設」が30箇所設置されたが、横須賀市などでは問題も生じた。
大臣のなかには、保育所から幼稚園、18歳までの学齢期の児童を管轄する「子ども省」を提案する人物もあった。

「認定こども園」には4タイプあるが、保育に欠ける・欠けないという区別よりも、2時までの短時間保育・2時以降の長時間保育という分け方にさせてください。
保護者の就労の有無に依らず、幼稚園と保育園の機能を併せ持つ施設として好評を得ています。

次に、幼稚園タイプY園のK先生は、主にパワーポイントで視覚的に園の様子を紹介した。
運営でややこしいのは、短時間保育と長時間保育とでは、サービスを提供する時間が違えば、保育料も違う。だから給食費も違ってこれが、運営上ややこしいというのだ。
醤油何%は短期保育園児の負担とかなんとか、細々したことで横須賀市では大議論に発展したとか。

最早、日本のあらゆる福祉は、国家責任から丸投げにされ民営化した功罪によって、すっかり措置制度から契約制度に変わってしまった。
これについて云々は、省略するとして、

K先生の発表はあまり印象に残っていなくて、強いて言えば、
2歳児の短時間保育をする「たんぽぽ組」と、
就労する保護者の子どもを2時以降も保育する長時間の預かり保育の
実情を報告していた。

最後は、幼保連携型のOこども園からT先生の発表。
O園は、幼稚園と保育所をそのまま合併したこども園だ。
いわば、別々の銀行同士が倒産しないように吸収合併されて1つになる
プロセスと同じだ。
デメリットとしては、ベテラン職員同士の幼稚園と保育園のカルチャー
ショックが大きかった。

例えば、昼中活動する動物と夜行性動物とが共に生活すると双方にストレスが溜まるのにも似ている。
4時間保育に慣れていた幼稚園の先生たちは、保育時間が夕刻にまで及び、記録や翌日の保育準備の時間が削減されて困憊したのに対し、
保育士たちは、その条件に慣れてきたので、それほどでもないとか。
お互いの保育方針が譲り合えず、バトルも多少生じた。
保育所では、異年齢保育は自然だけど、幼稚園教諭には、年齢の異なる
保育の捉えに抵抗感を示した先生もあったらしい。

でも、最大のメリットは、幼稚園も保育園も子どもは変化に自然に順応し、0歳から5歳まで共に保育する喜びを実感しあったのだそうだ。

ところで、会長で、指定討論者のT先生は、黒板の御前から気のせいか、
ゆきんこの方に注目していらっしゃるではないか?
おまけに年下准教授のI先生ときたら、私に遭遇するたびに、細い目の中の瞳孔をそんなに大きくして仰け反って驚かなくてもいいでしょうが。

両先生は、ゆきんこが社会人大学院生になった3年のうちに、
バーンアウトしたり、失業したり、会社員したり、専門学校の教員したり、また辞めてしまったりと、波乱万丈、煮ても焼いても食えない
ニートスレスレおばはんシングルに憂いや辟易もしているのだろう・・

すなわち、子育て支援の保育士のくせして、少子化加担の張本人ここにあり!

3時からブレイクタイム。
トイレが混んでいたので、ぶらりと外の空気を吸いに遠出したら、
時間に間に合わず、遅刻してコソコソと再入室。
I先生が受付の最後尾にいらっしゃり、勘付かれた。
こらえて、肩で笑うのはやめてくださいってば~~~
わざとじゃないんだから。

生まれつきどんくさぼよよん系なので、パンクチュアルな行動はかなり苦手なことは自認しておりますが、
上には上がいるので、自己弁護しておこう。

15分間の休憩を挟んで、質疑応答タイムが始まった。
H大付属幼稚園園長のN先生が、コメントと質疑した。
「Q.給食問題がクリアされれば、幼稚園・保育園が垣根を越えてやっとひとつになりました。保護者の就労の有無によらず子どもを保育するこども園が実現したことは、社会の要請を受けて歓迎されることです。本来は、幼児期は国が保護すべきですが、社会システムの変動のなか、社会全体としての働き方の問題があります。また、基本は家庭教育にあり、保護者が子育てのイニシチアティヴを執るべきです。この点、こども園がお任せ保育になっていませんか?親も子も基本的生活習慣を育てるという、子育て支援はどうなっていますか?」

「A.祖父母が送迎したり、父親の子育てへの協力も養成しています。地域の方々に園庭解放など行い、ボランティアで保護者に「1日保母さん」「小さな絵本館」など保育者役になってもらったり、イベントの企画を考案してもらうなどの子育て支援プログラムを企画しています。婦人会や老人会との交流会では、近々、稲刈りなどの行事を予定しています。「おやじの会」のやきそば作り「親子体験」などなど、いろんな話ができる場も設けています。」

「A.今は情報化社会。果たして保護者に子育て支援センターの役割を伝えられているだろうか?デイリープログラムの設定保育を掲示板に貼って
伝える。日々の保育を伝える説明責任「accountability:アカウンタビリティ」の必要性を台湾の幼稚園の実践から学びました。
石川島播磨造船場では、午後4時までとそれ以降の2タイプの就労を
選択できるなど、各企業では勤務形態の見直しもされてきたようです。

樋口恵子先生が、安心安全の場はもう保育所と幼稚園しかない。
その環境づくりをして欲しい。とコメントしていました。」

「Q.4月にこども園を新規オープンします。
 保育士と幼稚園教諭のどっぷり浸かった双方の保育文化・意識の壁を
どう乗り越えたらいいでしょうか?」

「A.個人的には、カベはありません。結局は個々の保育者の保育観の相違であり、カベがあること自体、おかしい。ヘンなライバル意識が邪魔しあうのではないかと思います。」

「Q.最後に、今後の夢・展望をひとこと御願いします。」

「A.幼稚園型では、2歳児クラスを設置しましたが、空き教室で0~1歳児保育をやりたくてもやれないことも多く、こども園が全てを引き受ける必要もないと考えています。子育て世帯の在宅支援は羨ましい。
乳幼児の交流の場が作っていける情報交換や特別支援との連携もしていきたいです。」

「A.地域や家庭の教育力の向上にどう役立つか?
 視察も多くなり、保育者・保護者・地域の連携で楽しかったな~という体験を増やしたい。
最近は『気になる子』も増えている。臨床心理士や保健師との連携も必要です。『子どもがしっかり育つこども園』の5年後に向けて作りたい。」

16:10には閉会し、若い院生たちが、再び懇親会のためのテーブルセッティングを始めたので、ゆきんこもせっせと手伝った。

何が楽しいといって、ケーキをお皿に盛っていると、「うわ~、おいしそうですね~」と笑顔とともに涎までこぼれそう・・・

しかし、数種類のケーキに後ろ髪をひかれつつ、ビンボウおばさんのゆきんこ、既知の卒業生の方々に別れを告げて懇親会には参加せず、
海辺にそびえるビルを出た。

サタデーナイトの昨夜は、親になりきれない親子がオシャレな繁華街に
どれくらい屯していただろう。

アーバンでネオンに輝くオシャレな週末の宵もたまには悪くないけど、ヒトは誘惑に弱く、体内時計に反して、好きな物事だけに耽って堕落してしまいそうになる。

栄枯盛衰、奢れる者久しからずや

「楽しければ、それでいいじゃん、」という価値観とモラルハザードが
鬩ぐ街中を抜けて疑問符満々で帰路に着いた。




テーマ : 大学生日記 - ジャンル : 日記

ご近所さんはいいものだ!

すっかり寝坊生活に突入すると、もう正午。
先程まで、ちょっとした来客があり、国会中継をBGMにして談話していた。

午前中の国会答弁では、久しぶりに田中真紀子議員がお目見えしていた。
正午のニュースでは自殺予防と対策を強化する方針を打ち出す必要があると報じられていた。

昨晩、午後6時夜の学校へ出かけて、新たに追加で科目履修しようと
6時限目の「特別支援教育基礎論」を受講した。
はじめましての講師はどう見ても、私より若い才色兼備。

「え~と、え~と、、、」
しょうもない口癖などの行動観察ばかりが記憶に残るのは、やはり
3歳未満児や障碍児さんたちとのお付き合いが長かったせい?
そんなことはどうでもいいですが、
内容は、障碍児教育の盲点を補強していて冒頭からよかった。
今でこそ、諸々の障碍をもつ方々が「教育」の対象となっているが、
まだまだ歴史は浅い。

その昔、そのまた昔はどうだったのか?
障碍者の歴史を若き女史は「え~と」を交えながらダイジェストに語ってくれた。

日本人は通常、縄文時代から歴史を順行して学んでいく。
但し、諸外国ではそうではない。
縄文以前からヒストリー(ヒトの物語)はずっとずっとあって
もっともっと遡れば、ネアンデルタール人、北京原人、おサルさんに
行き着く。

それで、古代、縄文時代の障害者はどのように処遇されていたか?
生まれたら遺棄・迫害が当たり前。女性蔑視も当たり前。
障碍をもって生まれてきた子どもは川に流されていた。
いわゆる蛭子(ひるこ→えびす→恵比寿)というのは、
生まれてすぐに死んでしまった子どもの霊で、
彼らを弔う神社・仏閣はいたるところにある。

それでも農耕を始めた原始の村落共同体で、小児麻痺の子どもがいた場合、
「仲間内でまあまあやっていこや」というムラもあっただろう。

しかし、支配階級が台頭し、余剰米が搾取されるようになった。
人々は支配・被支配の関係に位置付けられ、戸籍登録も始まった。
被支配者は為政者に年貢を納めなければならなくなったが、
既に障害者の区分が為され、その程度によって年貢を免除されていた。

701年の大宝律令によると、
残疾(ざんしつ):軽度障害 年貢2分の1
廃疾(はいしつ):中度   免除
篤疾(とくしつ):重度   免除
篤疾の場合、身内の介護者を複数つけることも容赦されていた。

また、古くから日本の宗教や学術的権威は仏教であったことから、
仏教と障碍者観との関連についても意義深い。

奈良時代、奈良の大仏の建立事業に貢献した名僧「行基」には
次のようなエピソードがある。

平安時代に編纂された「日本霊異記」(にほんりょういき)によると
虐げられた民衆の味方だった行基は、言わば為政者にとっては
お邪魔虫、目の上のタンコブみたいな存在だった。
ある障碍児の母親が
「この子は10歳になっても歩けず、飯ばかり食っている。」
「川に捨ててしまいなさい。」
子どもは悪たれて
「あと3年は食いつぶしてやろうと思ったのに!」
すると行基が説いた。
「前世で借金が返せなかったから、現世でも食いつぶされているのだ。」

いわゆる「輪廻転生」説である。

史実は古いほどいい加減な言い伝えやデマであることが多いけど、
そのエピソードになぜ「行基」という人物なのか、をリサーチするのが
研究者の謎・興味・関心につながるわけだ。

中世になると、一部の障害者は「見世物」(みせもの)の被写体として
生業とする者も現れた。
つまり、芸能人のはしりだ。
例えば、手が不自由な人が残存している足で箸を器用に使って食事する

私の知る映画だと1980年代に公開された「エレファントマン」などが
該当するだろう。
頓知の一休さんの伴侶となった盲の女性、森女(しんじょ)は琵琶奏者だった。
ちなみに人気韓国歴史ドラマ(私のお気に入り)
「宮廷女官チャングムの誓い」などもこの辺りのおはなし。

江戸時代の幕藩体制化では、
当道座(とうどうざ)という職能団体(ギルト)が組織化されていた。
盲人社会における三弦、筝曲、鍼、按摩といった徒弟的技能の伝授

寺子屋では、障碍児の受け容れや積極的な教育指導もされていた。

この歴史が現代社会にも遍く継承されていることは、明白だろう。
ふ~ん・・・私が先週辞めてしまった専門学校もその延長線上にあると
言えそう。


19世紀近代に入り、西欧文化を急速に取り入れ始めた明治政府は、
諸国に使節団を派遣した。
その一人、一万円の福沢諭吉が著した「西洋事情」には、
貧困者救済施設である「貧院」(ひんいん)が紹介されている。
幼院(今の孤児院や保育所などに相当)
老院(今の老人介護福祉施設などに相当)
唖院(今の聾学校に相当)
盲院(今の盲学校に相当)
痴児院(今の養護学校に相当)
などなどの社会的弱者のための諸施設が概ね整備され、
更に、指導者のカリキュラムも構築されていた。

このことは、福沢初め、多くの知識人をう~ん・・・と
唸らせるセンセーションだった。

また、I女史は昨今のモンゴル障碍児事情にも触れた。
日本の国内格差もさることながら、海外の格差も甚だしく日本の非ではない。

モンゴルでは、
1960年~ 特殊学級設置
1990年~ インクルージョンの思想
2000年~ 国家の方針としてインクルージョンを導入

どんなことでも、書面化してようやく事象はGO ONする。
ヒトの場合は、不言実行ってのもあるけど。
結局、モンゴルの場合、文言としてはインクルージョンが謳われたが、
ソフトの実態は、もぬけの殻という現状のようだ。

すなわち、障碍児教育の障碍種別のエキスパートを養成する学術機関も
カリキュラムもない。
極僅かに、ロシアやハンガリーなどで留学経験を経た学識者がいるに過ぎない。当然、公的財源もない。

昔も今も、社会的弱者の救済は極端に言ってお金次第であるのは否めない。

古今東西、貧富の差と社会的弱者に対する施策は、四苦八苦と表裏一体なのだろう。

最後に講義室に居残ってしまい、初対面の初々しいI先生と談話した。
「先生は、どちらの現場でしたか?」
「保育所で障碍児加配の保育士でした。」
「大変ですね。」
「はい。両立できず、結局バーンアウトしまして・・・」

7時限目は、お楽しみのFゼミの時間。
音楽療法士のIさんは、あんぱんを
ゆきんこは、クッキーを
Y校長先生は、カステラを
F先生からは、飲み物を
持ち寄って、データとにらめっこ。

Y先生の研究テーマは「シニアと子どもの異世代交流」
お年寄りが童心に返り、自身の子ども時代の遊びを孫世代に伝授する
ワークを重ねることで、双方のイメージが好転するかどうかを
データにしている。

Y先生のお困りは、データを確かなものにするには、母数といって
協力してくれる方々がマジメに、定期的に、たくさんいることが前提になる。
しかし、研究は「ボランティア精神ありき」なので、
毎回休まず、参加してくれる殊勝な参加者に苦闘するのだ。
このご時世の、生身の協力者のボランティア精神は、
今日、明日にも「もういかな~い」と不安定になる。

参加者の数が安定せず、少ないと、
実践研究そのものをドボンにしてしまうのだ。

1年生のI先生もどうやって実行したらいいか困りつつ、
アンパンを頬張った。
研究ってちっともカッチョ良くない。
どうしてこんなに悩んでいるんだろう。
まるでアリ地獄の世界だ。

そんなFゼミにABA(応用行動分析学)やりたさで、
部外者なのに飛び入りし、入り浸ること早2年。

「シニアと子どもがペアになって協力しないと進まないゲームがいいんじゃないか?」
F先生のご指南や昔話も大いに役に立つ。

「駆け出しの若いドクターの話だけどね、
老人ホームに出かけて、お年寄りがみんなオムツで寝たきりであることを憂いて、何かできないかと知恵を絞った。
一人一人何をしたら楽しいのかをインタビューして、一人よりも
みんなで共有できる趣味を考えた。
それは、オーケストラだったんだよ。
1年後、驚くべき結果がもたらされた。
紙おむつで寝たきりだった老人たちは、皆、オムツが取れて
オーケストラを習熟させ、別の老人ホームへ慰問コンサートに
訪れるようになったんだ。」

「へええええ!!すごい話ですね!まさに音楽療法!」

それから、しばしY先生はゆきんこの私的相談にのってくださった。
その間、F先生はうたた寝を10分すると、風のように去っていった。
ゆきんこも、トイレに忘れ物をしたことに気がつき、無駄に地下鉄を②往復していたら、帰宅は午後11時30分になってしまった。

明けて遅い午前、朝食をのんびり食べ終わると、インターホンが鳴った。
お向かいのDさんが来てくださり、お招きした。
「昨日、申し込んでいた特別支援教育の講演会の参加賞が届きました。
是非、ご一緒しましょう。」
「私のところへも昨日投函されていました。まあ、上がってください。」

立ち話よりは、部屋の中の方がココロも落ち着き、打ち明け話もしやすくなる。
「ちょうど同世代で、娘のことを相談するのにぴったりの人が向かいでよかったです。誰にだってできない相談ですから・・・」

・・・と言われて、私は行きずりの人の身の上話を聞いてしまう
よくわからない特技といってもいいのだろうか?

手元には9月30日買いたてほやほやI先生とIS先生の最新の著作
自閉症支援 はじめて担任する先生と親のための特別支援教育」
をお茶と共に差し出した。

「この本もお役に立つでしょうか?
 今は、訳ありでいろんなことを抱えている人が多いですよね。
そんなとき、独りで抱え込まずに、相談できるとラッキーだけど、
心配なのは、誰に相談していいのか、自分でもどうしていいかわからずにじっとうずくまってしまうことだと思います。」

「でも、すごいですね。若い学生のときなんてそんなに真剣に勉強しなかったし、もうすっかり忘れているけど、ずっと仕事を続けてきたなんて。」

「ううん。実は専門学校は、先週退職してしまいました。夜の学校と両立できず、またバーンアウトで長続きしないんですよ。
 私たちの世代って不登校にいじめ、自殺、モンスターペアレントだの
当事者だけど、今はこの本のタイトル通り、先生も親も一緒にどうしたらいいのか、協力してがんばっていこうという時代になっています。」
「それじゃあ、ご近所で、同世代なんだから、敬語を使うと堅苦しいわね。」
「ああ、そうね。徐々に親しくなりましょう。」

・・・とDさんが帰ってこんなふうに綴っていたら、2時間半も経過。
データ処理が後回しになってしまった!!


















テーマ : 小さなしあわせ - ジャンル : 日記

Let's Nuts !(レッツ・ナッツ)その2

自分を怠けさせるのも、頑張らせるのも自分次第?
でも、自分でがんばるには限界もあるので、それなりの条件が必要?
例えば、自分が好きだと思える指導者や年上の人間には、自然、素直に従えるだろうか?
年上で知識の豊富なヒトであっても、尊敬できず、好きになれなくて反抗してしまうこともある。

逆に自分よりも後から生まれた人でも、自分よりも秀でた才能の持ち主であれば従うべきか?
年功序列が崩れ去り、年下の上司に使える機会が増え、
滑舌の悪くなってきた両親に、「老いては子に従え」などど言えるほど
立派に自立していない。
・・・と平日の真昼にPCを叩きながら思う。

9日(火)に夜の大学院で、修士論文の指導ゼミがあった。
相棒で某私立幼稚園後継者のTさんも遅れて参加し、険悪ムード漂う
Y教官とゆきんこの間に緩衝材としていてくれたので大助かり(ほっ)

そもそも、遡ること2006年6月、緘黙症に関心をもち、
社会心理学者のY先生に相談したところ、専門外の上に、
対象者もいない前代未聞の研究は、あなたのレベルでは到底無理!
とケンモホロロに却下され、7月から観察記録データを収集しはじめた。

それ以前から、生々流転の保育所でバーンアウトして、プーおばさんになり、
3月にY先生に紹介された転職先も蹴り倒したのだから、指導なんてしたくない憎たらしい徒弟であって仕方ないはずだ。

自分の儘ならない生活をぼやくのはいい加減にしよう!
それもこれも、「自己責任」なのだから・・・

それでも、コツコツ溜めたデータを只今、清書してまとめる作業に入ったが、ヒトも含めての動物の行動ときたら、なかなか「カテゴリー分類」しにくいものだ。
憎たらしい徒弟の稚拙なデータだろうと、納得のいかない中途半端尚且つ独りよがりで自分勝手な、「分類」というのは御法度になっている。

物理学に肖って、モノをココロに置換することによって始まった心理学は、常々「それはあなたの解釈でしょ?」
「自分勝手な思い込みでしょ?」
という突っ込みから免れない。
私の修士論文など、50%の架橋に入ってきて、「やっぱり稚拙だ・・幼年コースだもの。」
と自分の実力の限界や先行きが見通せてきたけど、自己満足に終わらない論文に仕上げるには、もうちょっとの辛抱が必要だ。

で、レッツ・ナッツのその2です。
プーおばさんの、エンゲル係数を下げる技。
でも、ゆきんこは単純に食べるのが大好き。
昨日も一駅電車に乗って、昨年会社の同僚だったKさんとランチしてから、付近の商店街をぶらついて、つい衝動買いしてしまった・・・
いけないな~、
煩悩を払って倹約しないといけないのに、
仕事の柵から解放されると、享楽的になってしまいます。

ゆきんこおすすめのナッツその2の紹介です。
「さかなっつハイ!」

日本人に不足しているカルシウムとマグネシウムが理想バランス(2:1)に近い形でバランスよく含まれています。
DHAもたっぷり含まれています!
カリッとアーモンドとあっさり脱脂ピーナッツ
国内産100%の小魚ミックスがとってもおいしい。

原材料名 
アーモンド、いわし、落花生、植物油脂、砂糖、食塩、ゴマ、トレハロース、水あめ、魚介パウダー、香辛料、香料、調味料(アミノ酸等)ビタミンD

内容量 10g×25袋

製造者 東洋ナッツ食品株式会社
    〒658-0023
    神戸市東灘区深江浜町30番地

この食品は、大学の図書室で気前よく知らない院生さんたちにもばら撒いて奉仕してしまい、あっという間になくなってしまいました。
そろそろ、夜の学校へ行かなくちゃ・・・

to be continued 「Let's Nuts その3」









テーマ : 頑張れ自分。 - ジャンル : 日記

Let's Nuts !(レッツ・ナッツ)

3連休の最終日は、未明からしとしと雨が降っている。
失業直後は、しかも、その理由は不適応感満載気分がすぐには抜けないので、明日までに指導教官に提出すべき資料がなかなか捗らない。

失業体験も、一度や2度なら、「いい経験」と言えるけど、私の場合、
バリバリキャリアウーマンとは正反対に、ちっとも自慢にならない。

昨今の日本経済は、アメリカに端を発したサブプライムローンの影響で
全世界的に株価が下落し、不景気模様・・・
収入と反比例にエンゲル係数が増大する一方の私の家計。

只今、TVのヤングピープルズコンサートという番組を視聴中。
ブラウン管から、軽快に「♪バードランド」がオンエア中。
ブラスバンドに明け暮れた時代も次第に遠ざかるけど、音楽や芸術、
何にしても自分の好きなことで生業を立てられるのなら、少々、
生活が苦しかろうと、やっぱり楽しみのウエイトの方が大きいはず。
最後はみんなで弾けようと大勢の子どもたちがハーモニカや玩具の笛をなど持参の楽器を携えて観客席からステージに登壇し、「♪星条旗よ永遠なれ」で番組は終わった。

昨晩、ブラスバンド部時代からの親友Oちゃんからの喜ばしくも寂しいお知らせに一喜一憂しつつ、はてさて、今を少しでも楽しくするにはどうすればよいか?

10月に入って駅前のスーパーでは、5日の金曜日まで特別にポイント5倍ウィークセールを実施していた。
自然、財布の紐が緩み、普段は買い込まないものについ手が伸びてしまう。
このスーパーは品物はいいけど、他店に比べるとやや値段が高い。
ご近所さんの紹介で、食パン一斤100円で売ってくれる寂れたコンビニの
Hさんとこで賄える。

更に安くて栄養価を損ねずに購入する方法を考えてみた。
それは、ズバリ!賞味期限の長い乾物・缶詰類を購入すること!!

そして、安くて栄養価の高い食品とは、すなわち豆類とナッツ!

ゆきんこの独断と偏見で特にお気に入りの3品を紹介しよう。
この3品は、独りよがりでなく、一応自弁のお供に隣人たちにも配布して
まずまず好評だった食品であることを先に断っておこう。

その1.Coop's ゴールデンレーズン入り「果実ミックス」内容量80g
・ビタミンB1、E、食物繊維を豊富に含んでいる。
・原材料:ひまわりの種(アメリカ)、かぼちゃの種(中国)、レーズン(トルコ)、クコの実(中国)、松の実(中国)、黒大豆(国産)、
植物性油脂(パーム油、コーン油、なたね油、オリーブ油)

栄養表示:1袋80gあたり
エネルギー 410kcal
たんぱく質 19.3g
脂質    28.9g
糖質    15.7g
食物繊維   6.3g
ナトリウム  52mg

1日摂取目安量に対する百分率では、
ビタミンB1が64%(0.64mg)、ビタミンEが96%(9.6mg)補えると
表示されている。

第2次大戦を経て飽食社会の今の日本だけど、格差社会の犠牲を払った社会的弱者としての貧困層も拡大してきた。
一見、お金に困っていないようでも、心身の栄養が偏っていると、やはり見た目も中身もギスギスしてしまうだろう。

この世界各国から集められた国際的なナッツを、色んな料理にトッピングする。
例えば、春雨サラダ、ほうれん草のお浸し、チャーハンなどに混ぜる。
たまには、寒天ゼリーとか、クッキーとか、もちろんそのまま口にほり込んでもNO PROBREM!

その2、その3は、to be continued・・・

テーマ : 小さな幸せ - ジャンル : 日記

臨床のお祖母さまへ

10月も第2週目に入った。

今朝、放映されたお気に入り番組「サンデーモーニング」の風を読むのコーナーでは、時津部屋で起こった親方を含む集団イジメ事件を取り上げ、現在の日本社会のいじめ風潮が学校だけでなく広く社会一般に流布している現象であることを複数のコメンテーターが指摘していた。

10月というのは比較的好きな、もしかすると一番好きな月かもしれない。

その前月の9月は、私の脳裏に忘れられない思い出がふと蘇る季節でもある。

日本人にとっては3月から4月にかけての卒業・入学のシーズンがオーソドックスに出会いと別れの郷愁に駆られる季節だろう。

私にとっての9月は、父の生誕の月でもあり、臨終の祖母と永遠の別離を交わした月だった。

私と父方の祖母との思い出は、ごく少ししかない。
母は5歳で結核だった祖母と死別した。
父方の祖母がいつ生まれ、いつ土に還ったのか、私は知らない。
背後霊という存在が本当にあるのなら、私の場合は、父方の祖母ではないかと思っている。

何の前触れもなく、私は2回か3回しか会ったことのない祖母をふと思い出す。そして理由もなく涙ぐんでしまう。

祖母は、私の生誕を誰よりも喜んでくれただろう。
母がいくつかの名前を考えていたようだが、
初孫でもない私にわざわざ、今時全く流行りでない名前を命名したのだ。

祖母に命名された古風なファーストネーム。
それは、祖母の母の名前だ。
つまり、私は曾祖母と同じ名前を授かった。

最近、私と同じ名前の曾祖母はどんな人だったのだろうと
別居の父を度々訪れては、聞いてみることが増えた。
父も年老いて、祖父から折檻され続け辛かった幼少時の思い出話や私に暴力を振るっていた過去を懺悔するようになった。

24歳当時、私は今より(今も)もっと暗くて、大人しく地味な感じだった。
父から断続的に受けていた暴力から逃れて別居した。
新卒社会人だった私は、会社ぐるみで有形無形のいじめに遭って心身症になり、苦心惨憺して辞めたのも、3年目の9月だった。
医薬品の会社を退職して、1ヶ月もしないうちに自閉症の療育施設に採用が決まったが、そのしばらくの間、母が提案してくれたので、祖母に逢いにサンダーバード号に乗って、初めての一人旅に出た。

7歳の時、祖父の葬儀に参列して以来、17年ぶりに父の故郷に足を踏み入れた。
父の生家は、とても大きすぎてどこが玄関なのかわからない。
何の前触れもなくやってきた私を迎えてくれるだろうかと、不安でいっぱいになった。

勝手口から現れたのは、伯母だった。
「え?あんた誰?」というリアクションの次に、
「あらあ、おばあさまは、今、ここに居ないんだよ。入院しておられるの。それに、知らせようかと思ったけど、ずっと音信不通だったでしょう。3年前に伯父さんも亡くなったんだよ。」

一応、親戚扱いを受けたようで、座敷に通してもらい、伯父上の位牌に
手を合わさせてもらった。
それから、従姉のMさんが結婚し、跡取りになる3歳の男の子にも会った。
伯母は若い頃、祖父・祖母が存命中は嫁の立場であり、結婚以前の父との関係も険悪だったことは想像に難くなかった。

従姉が車で祖母の入院する病院まで付き添ってくれた。
病室に入ると、祖母はベッドに臥せって分厚い本を読んでいた。
振り向いて、私の顔をまじまじと見ながら、父の名を繰り返し叫んだ。

「御祖母さん・・・御祖母さん・・・」
子どもの頃からずっと会わずに成人した私を見て祖母はその瞬間に、
私を認知したのだろう。
そして、私にクルリと背を向けるとコミュニケーションを遮断した。

ヒトは健全ならば、コミュニケーションしたい存在のはずだ。
しかし、私は、当時の名付け親の臨終の祖母にさえ、背を向けられた。

父の生家は、ヒトを弔う家業のくせして先祖代々いじめ家族みたいなものだ。
不出来な人間は、自然、排斥される運命を背負わされる。
現代日本が社会福祉国家だと一体、誰が言い切れるのだろう?

祖母は、曾祖母が大好きだったのだろう。
古く忌まわしい家に嫁すまでは、学問好きで生き生きとした娘時代を過ごしていたかもしれない。
祖母は、父と孫の私に逢わずして、どのように息をひきとったのだろう。本当に安らかに眠ることができたのだろうか?
それとも、赤ちゃんポストや孤独死の増加する現代日本を憂いて、
私の背後霊になってくださっているだろうか。




テーマ : なんとか生きてます - ジャンル : 日記

心の垢もお洗濯

10月第1週の土曜日。
9月の先週末とうって変わって爽やかな秋の快晴。
こういうお天気はだ~い好き!

しかし、大好きな暑くも寒くもない清清しい秋に
なぜかゆきんこは度々プー太郎をしていることが多い。(産休でも育休でも寿退職でもないプー太郎でいるのはいやだ!)
商いばかりで秋ないのも、いやなのだろうけど。。。
所詮、古今東西、人間はたとえ無駄に心理学を何年究めようとも、煩悩と生老病死四苦八苦から逃れることはできない。

昨日まで「せんせい」と呼称されていた私の肩書きは、昨日で終わってしまった。

今頃、憧れのI先生は東京で「あそびとコミュニケーション」というお題目で不特定多数の聴衆の前でご講演の最中だろう。

私が退職するという最終日の昨日10月5日、オフィスは腫物を抱えるように鎮まり、蟠っていた。
地位の高い管理職ほど恭しく挨拶を交わしてくださり、何故だか、気遣いや配慮に優れているものだと数々のホモ・サピエンスを観察させていただきながらシミジミと感じるものだ。
それは、母親が幼い子どもをどのように遇するかにも似て非なるものがあるかもしれない。

「もしよかったらどうぞ。」
とプレゼントを手渡してくれた明朗快活な若き教員は餞のことばをくれた。

「懇意にさせていただきたかったのですが、私とは話しづらかったのでしょうか?もしよければ、最後にお気持ちを聞かせてもらえませんか。」
「私も、修士論文を書き上げるのに寝食を削って大変な思いをしました。先生にとっても大切な論文を書き上げられる大切な時期を迎えられると思いますし、完成させる達成感もひとしおだと思います。いい論文を書き上げてください。」

結構神経質なので、どうして最終的に複数のスタッフからネグレクトされるに至ったのかを分析せずにはいられないが、
(慇懃な言動にカチンときて、でくの坊だったからに決まっているでしょ)
その方々に関しては、沈黙を守ったままに真相は闇の中。

私の場合、アスペルガーと勘違いされやすいのか、
長年行く先々の保育現場でなぜだかいじめまがいに遭遇してきただけに、多分、嫌われているんだろうな・・・という被害妄想は転職を繰り返す度に雪だるま式に膨れ上がっていた。

どうしてチビでどんくさいのんびりしたキャラクターのままでいたら、
嫌がられてしまうのだろう。
ちょっと間違っただけでどうしてイライラしたり、ムカついたりされて一方的にペコペコと謝っているのだろう。
「みんな違ってみんないい」という文言のままに、生きていてはいけないのだろう。

「お世話になりありがとうございました。
それでは、学校へ行かせていただきます。」

少しこげた手作りクッキーと引き換えに
花嫁のブーケでもなんでもない退職の花束を、入社1ヶ月というN氏から
受け取った。
専門学校のガラスの自動ドアを隔てて、教員の方々と3度目の敬礼を交わし、校舎に背を向けて最寄り駅に向かった。

専門学校では再々試験に若い学生たちが玄関ロビーで一喜一憂、はたまた自分のことなのに殆ど3無主義状態の10月第1週。
転じて、海の臨む繁華街の只中にある夜の社会人大学院は、後期授業が
始まり、平均年齢55歳という各種教職員が、慢性疲労を蓄積させつつも
賑やかに集まった。

昨晩から新開講される「家族関係学研究」は講義室6で行われるはずだった。
午後6時すぎに一番乗りで、それまで一度も入室したことがない部屋に入った。

何と、前期授業で使用した隣の講義室5は窓越しに海とネオンの観覧車が眩しいのに、この部屋はまるで倉庫みたいに狭いし、窓もない。

10分ほど経って、見慣れた年上後輩の院生がドアからひょっこり顔を出した。
「あれ?この部屋ですよね、家族関係学。」
「そう。ここに講義室あるなんて知らなかったでしょ。
Nさん。お帰りなさい。どうだったパラグアイ?」
「もう聞かないでよ。自分が順調だからって~」
「私はもう3年だし、あと3ヶ月で論文書かなくちゃ。後期はこれしか履修してないんだ。でも、せっかくだからもう少し履修しようかな。」
「確か、仕事もしてましたよね。大丈夫?」
「ううん。今日で仕事辞めちゃった。」
「ええ?どうして?」
「結局、職場に迷惑かけて両立できなくて。またプー太郎。」
「私たちの場合、太郎じゃなくてプーオバサンって言うのよ。」
「ああ、もうおばさんだものね。それにしても、我々のようにいい年こいて結婚もせず、定職にも就かずに、大学院なんか行ってどうするんだと、世間の風当たりはきついんだよね。社会人大学院といっても、両立は厳しいからどっちつかずになってどっちかを辞めるしかないもの。大学院を辞めている人も多いでしょう?」
「ええ、いるの?」
「結構いるよ。途中で姿を消しちゃう院生。管理職の先生だと責任重いから仕事優先になるでしょう?」
「ああ、園長とか主任ならどうしてもね。」
「私だって、いざ社会人大学院生になってみてこんなに人生が狂わされるなんて思ってもみなかった。今回仕事を辞めたのも、たったの5ヶ月しか続かなくていろんな方々の厚意を無にしたり、反感かったりしてしまったから、Nさんみたいに迷惑かけずにパートか何かで両立するのがいいかもね。」

7時を廻って講師はまだ現れず、変わりに事務局のY氏がのっそりと現れた。
「どうも申し訳ありません。休講通知が出されていたことに今確認して
気がつきました。」

こんな時、仕事ができない私は、向学心だけは丸出しにして厚かましく
他の講義室に梯子する。
演習室10のドアを開けた。
「こんばんは。あの、ご迷惑でなければ見学してもよろしいでしょうか。」
「見学ですか?まあ、どうぞ。」
「ありがとうございます。お邪魔します。」
マンツーマンで演習が始まっていたところ、幼年コース2年のN先生の斜交いに座らせてもらった。

「今日は鉛筆2本を使いますね。はじめは私の拍手をきいてそれを紙に
鉛筆で書いて表現しましょう。」
先生が全くのアト・ランダムに手拍子を打った。
弾くように、鉛筆の芯を紙にタン・タン・タンと載せた。

次に音楽に合わせて、鉛筆を思いのままに白い紙の上に走らせると、
それだけで随分開放的な気持ちになった。

一番面白かったのは、自分の手の皺を紙面をみないで描いてみるという
ワーク。
普段は見つめることもない自分の手のひらの一つ一つの皺を丹念に
白い紙に書いてみた。
「一番気に入った作品を選んで、感想を述べてみて下さい。」
N氏は左右にもった鉛筆で伴奏と旋律とを分けて自由に自分らしく描けたという作品を選んだ。

私は迷わず手の皺の作品を選び、「あやしい」と表現した。
「中学時代は手のデッサンをしたことがありましたが、紙面をみないで
皺をなぞるように楽しく描けました。もうひとりの自分を表現したみたいです。」

いい年こいて社会人大学院生のプーおばさんのゆきんこは、
世間から見れば何を考えているのかわからない「あやしい」奴。
しかし、私から見れば、思考力や感受性を蝕まれている方々の方が
余程あやしい・・・

人間はみんなあやしいから、疑心暗鬼になり、ますます信頼することが難しくなっているのかもしれない。

本当はもっと素直に、青空の下で生き生きと生きていたいだけなのに
どうしてPさんは、午前10時に布団に入って眠りにつくのだろう。
空はこんなに青くて、いいお天気なのに。

Pさんのようにくたくたになったシーツを干した。
正午になるまでに乾いた。
昨日まで職場で着ていたシャツも下着も一緒に洗った。
あやしげな心の垢まですっきり落ちて、青空の下、風に揺れている。

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災い転じて・・・

昨日、9月30日月曜日。午前9時15分頃。
専門学校のNO.2の上司に定型の茶封筒を恭しく手渡した。
「あと1週間、宜しく御願いします。」

10月に入って、ちょっと嬉しかったこと。
前回の、ぎっくり腰のネタで何人かの友人・知人から気遣いのメールなどなどをいただきました。

なんだか上手くいきにくい我が人生に、ヘタレになっているときほど、
ありがたいな~と身に沁みる。

5月の連休明けから5ヶ月間。
週3日の非常勤の新しい仕事は、やっぱり続かなかった。
電話の向こうで母がケロリと言ってくれた。
「どうせ、4月まで身動きとれないんでしょう?」
今までも、今も母には心配と苦労をかけ通し・・・

隣で私の何倍速ものスピードで「体が3つ欲しいですよ~」と
一回り以上も若い男性教員はぼやきながらもセカセカとせわしなく立ち回っている。
だから、私に自然反感を持っても仕方なく、隣席同士のコミュニケーションは次第に消失していった。

そういうわけで、
いい年になっても、未だに人づきあいのまずさやどんくささは克服されていない。
退職届を出して、火の車のような職場から消え去ることでケリをつけるというヘタレ方式はもうこれ以上なんとかしなければならない。
この10年間その繰り返しばかりで、後輩たちに何の示しもつかない私が偉そうに教壇に立つことがどうしてもできず、学生たちの前で戸惑っている自分を自覚せざるをえなかった。

今回、退職に至るプロセスは、TPOは違っても同じことを何度も繰り返した私の過ちだった。

なんでか、新卒の頃から特別な白羽の矢を立てられる立場に立たされては、上司の大きな期待を裏切り、呼び出しを受けて執拗に叱責された。結果、人間関係がギクシャクしたり、同僚に嫌われたり疎まれて、本来の自分が発揮できなくなるばかりか、職場適応自体に問題が生じてくるのだ。
履歴を重ねたからといって、それだけ箔がついているのではなく、
寧ろ、無駄に転職を繰り返して、キャリアそのものが傷だらけに近い状態に追い込まれているようなものだ。

それくらい私の半生は、翻弄に満ちていたのだ。
勿論、半分以上は、自己選択と自己決定の連続だった。
何を学び、何を生業にし、誰と共に人生を歩むのか、
ダメになると、スルリと手を放して逃げようとする自分の愚かさ

「好きならできる!」とI先生
「逃げてもいいよ」とIS先生

自らも苦悩し、同じ苦しみを共有する仲間と共存する覚悟をするには、
もっともっと逞しくならなくちゃな・・・
そう言っている割には、根は暢気。

転居したこの5ヶ月で毎日は、家事のなかでも買い物と料理を強化することが楽しくなった。

昨夜、黄緑の封筒を開けると、5年越しで取得してきた最後の難関ポイント特別支援教育士・指導実習の合格通知書が入っていた。

今宵、出窓の簾をはずし、赤いチェックのカーテンに架け替えた。

土日は早朝5時起床で山の中のキャンパスまでIS先生の「障碍児支援法」を受講して寝坊ができなかったせいか、なんだかスランプ。
学校の先生たちも休みが全然ない。
同じ乗り合いバスで知り合った中学校の女性教員のK先生は、今年から
特別支援教育コーディネーターに指名され、必要に迫られて受講した。
だけど、同時に5歳の男の子のお母さんでもあるK先生の私生活が多忙になったために、息子さんは保育所で喧嘩が絶えず、生傷を作って帰ってくると相談を受けた。

「それは、愛情不足ですよ。今回も土日返上で外出してたら、いったいいつお子さんと過ごすのですか?幼児期は短いですが、だからこそ親子の時間を大事にして欲しいです。ほんの5分でもいいから抱きしめてあげてください。私はそれができない時代だと察知したから独身なんですよ。ずるいかもしれませんけど。」

今夜は少し早く寝ようかな・・・





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