http://sateraito.blog20.fc2.com///ゆきんこの引き出し
--/--/-- (--) スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
|

2008/01/31 (Thu) 実家に戻りました。
引越しは無事に終わった。
・・・といいたいところだけど、無難に終わったと報告した方が正確かもしれない。

昨晩の午後8時に、Pさんと私は双方の実家に荷物を降ろし、地元のレンタカー屋に辿りついた。
しかし、転居する度に諸々の事後処理のためにレンタルの大型トラックを延長し、現場検証しなければならないアクシデントに見舞われた。

その理由は、実家はせせこましい蛸壺のような町並みなので、道幅が狭すぎるという宜しくない環境にあった。
引越し屋さんに頼む代わりに、Pさんが慣れない運送をひきうけてくれたはいいが、曲がり角をトラックがゆとりをもってハンドルを切ることが誰が運転しても無理難題のM町界隈で、トラックと軒先は接触を免れることはできなかったのだ。

こんなとき、接触者同士がどのように双方の折り合いをつけるのか?
双方のソシャル・スキルが試されるわけなのだが、事を穏便に運ぶというEQのトレーニングは
人と人とのかかわりの中で育つものなのかもしれない。

丸12時間経過した今朝8時。
Pさんと私は、4回目のレンタカー屋さんで再会した。
地元でオープンして間もないスターバック・カフェに初めて入ると、平日の午前中は閑散としていて奥の座り心地のよいソファも貸切状態で寛げた。
「引越しって、案外いい全身運動だね。あちこち筋肉痛。」

それから、カラオケ屋も安い!
2人で1時間500円
マクドナルドは12時から1時にかけては、高校生やら母子やらでほぼ満席だけど、420円で
お腹も満たせた。

別居の初日は、まるで不登校生みたいな何気ない午前を二人で過ごし、子ども時代から慣れ親しんできた市街地を歩いた。

午後2時には帰宅して、PCのネット接続もスムーズに完了した。
故郷の市街地は、10ヶ月ほど不在にしたうちにそれほど変わっていなかった。
だけど、10ヶ月前に同じカラオケ屋に行ったPさんと私の関係や内面の心理状態は、固定しているようでも、その都度変化しているようでもあった。

母は、同じころ「心の電話相談室」の創設者の告別式に出かけた。
夕方帰宅して会話した。
「そういえば、マーくんが亡くなってから随分経つけど、最近よく思い出すようになったんだ。
どうして、子ども時代に彼の気持ちに気づかなかったんだろうって。お墓参りに行こうかな?」
「ああ、そうね。小学生の頃、ずっと一途に思ってくれていたよね。」

住み心地は、サンビレッジは確かに快適だった。
でも、実家や生まれ育った地縁は、子ども時代の街の面影が薄れてもすっかり全身で馴染んでしまっている。

お隣の同窓生もすっかりおばさんだけど、しばらく故郷を離れて、非日常が日常になることの積み重ねは、変わらずにあることの有難さと、変わっていけることの嬉しさを再発見できる劇的ビフォー・アフターかもしれない。

さてと。
ガレージはまだ段ボール箱でいっぱいだけど、そろそろ、明日の発表の準備しなくちゃ。
スポンサーサイト

2008/01/29 (Tue) さようなら サンビレッジ
パラサイト・シングルおばさんのゆきんこ。
また失業したので、明後日でとうとう故郷に帰ることになった。

明日の午後には、インターネットもエアコンも撤去工事を済ませて、荷造りも完了させる。
だから、ここで綴るブログは今日で終わりになる。
はじめての独立生活は、やっぱり楽しいようでも大変なようでもあった。
わたしの場合、全てにおいて要領が悪いので、日々の家事全般を回転させるだけでも結構何事にも時間がかかってしまったが、夜間大学院に通い、論文を書きながらも自炊も怠らず、週に2回は掃除もこまめにしていた。
改めて、過保護なパラサイトで母に甘えて生きてきたことを思い知った10ヶ月だった。

しかし、実家での生活に比べると最近、すっかり夜遅くまで起きていて就寝時間がずれ込んでしまい午後から最後の洗濯物を干したら、1時間もたたないうちに雨が降ってきた。


一人暮らしだと、大抵4万円くらいのワンルームに住んでいるらしいけど、
わたしの場合、二人で3Kの間取りを6万円で借りていた。

30年から40年前の同世代に比べたら、これでもかなり贅沢で優雅な暮らしぶりだったかもしれない。実際、実家よりも綺麗だし、間取りや浴室にゆとりもあって日当たり良好な部屋だった。

赤ちゃんから小学生の子どものいるファミリー世帯が中心の住民地区で、ご近所付き合いもそこそこできた。
近所の小学生の男の子たちとも
「いってきま~す」
「さむいなぁ」などと挨拶を交わした。
向かいには幼稚園に通う4歳の女の子Kちゃんとも仲良しになった。
2歳年上のお母さんのYさんとも母子共にすっかり友達になって、論文を書く息抜きに2週間に1回くらいは、お菓子を持って遊びに行った。

ゆきんこは、おばさんになってもお子様精神満載だから、25日には、リカちゃんのようちえごっこセットとおにぎりを持参してKちゃんのところへ遊びにいった。

いつもは、幼稚園で男の子と走り回っているという腕白なKちゃんだが、
はじめてのママ世代のお人形遊びにすっかりはまってロールプレイングも楽しんでいた。

なかなかおばさんになれない私は、Pさんと時々喧嘩したり、ひどいことを言って傷つけたり、泣いたり喚いたり、往々にして堪忍袋の緒が切れてしまうことがあった。
それをPさんには、子どもっぽいとか、文章が支離滅裂だとか叱られて拗ねてしまうこともあった。

でも、私はできる限りPさんにベストを尽くしたし、Pさんが一緒だったお陰で私はやっぱり毎日が楽しくて幸せな日々を送ることができたと思う。

生活は、この10年間ずっと不安定で精神的にも不安定なのに、どうして臨床心理士なんか目指したのだろう。
そんな疑問符だらけの社会人大学院での3年間だった。

明日もまた荷詰め作業が残っている。
まだ、雨降ってるなあ・・・
洗濯物が乾かへんやん。

2008/01/27 (Sun) はじめましてF先生
2007年4月13日に転居して、9ヶ月。
一年も経たないうちに、再び、実家に戻ることになった。
そもそもヘタレでパラサイト歴が恥ずかしくて言えないゆきんこおばさんは、
新天地での転職と社会人大学院生の両立生活に、結果としてまた失敗した。

10月5日づけで最寄駅前の専門学校の非常勤講師のポストを追われ、
それ以後は、論文作成に専念するために、クリスマスと年末年始を返上して年を越すことができた。

無事に論文を提出したら、プーおばさんが実家に帰るのは自然なオペラント行動だろう。
そのままでは、貯金の底をついていくのは時間の問題なのだから。
「ただ好きなだけじゃ、結婚できないの?」
「仕事がなくちゃ、結婚してはいけないの?」

10代の若人の台詞なら初々しいけど、白髪が生えてきたのならやっぱり発達的にも、
常識的にもおかしい。

おかしいけれど、日本の若者といえなくなった年齢に至ってもパラサイトしている人々は、
私だけではないはずだ。(と、自己弁護)


失敗だらけの半生は、大台に年齢更新した私を何となく逞しくさせたかもしれない。
それは、多分、「オバタリアン」というかつての流行語を連想させる。
ある意味での現代社会病理のマジョリティとしての一個人が、あるお悩みだらけの女性集団にでかけて個別相談したら、
「結婚もせず、大学院に進学するとは親不孝者!!私なら絶対あんたを赦さんね。」
と罵られた。
過保護なのは自他共に認めますが、実母にもそんなこと言われたことないよ・・・
しかし、育児ノイローゼや自殺未遂だったというスタッフの面々は笑顔で私を受け容れてくれた。

昨日も、午後から久しぶりに講演会に出かけた。
場所は、週3日出没している大学院。土曜日の日中は外部に一般公開され、特別講演も催されている模様。
私がF先生の存在を知ったのは、前回のアテネオリンピックに遡る。
端的に言って、F先生の自閉症のエキスパートとしての道のりは、私の過去と擦れ違っていた。
つまり、F先生はアテネオリンピックの時分、私が度々、愛憎の念を交錯させてきたI研究室で手塩にかけられた門下生であり、私が受験した時に研究したかったペアレントトレーニングの
先行研究の指南書を執筆していた。
F先生が自閉症児の一保護者として2000年に発足したNPOは、全国的にも名を轟かせABAの第1人者として臨床心理士の称号をもって活躍していた。

受験を決意した4年前、私が直にかかわってきた自閉症の保護者の願いとオーバーラップする。
「ゆきんこ先生、ABAの勉強したいなら、この本を参考にしてください。」
そして、誰かと結婚して幸せな家庭を築こうだなんていう甘い幻想を諦め、保護者の懇願を叶えたい一心で「つみきBOOK」と「MeBOOK」「わが子よ声を聞かせて」を読み、自閉症のお子さんの家庭訪問療育に介入しつつ、予備校に通って受験勉強にも励んだ。

F先生は、約50名参加者の顔触れを一望し、「どうやら初心者の方が多いようで安心しました。」
と冒頭述べて、自己紹介とABAの初歩的な概説を始めた。

「お風呂が好きな人はいますか?」
圧倒的多数の女性が挙手した。
「どうして好きなの?」
「きもちいいいし、リラックスするから」
「嫌いな人は?」
「めんどうくさい」
「私も子ども時代嫌いでした。家がビンボウで銭湯に行かなくちゃいけなかった。
母に連れられて女風呂に入るのが恥ずかしかったし、子どもって目線が下に向かうでしょう?
すると、髪の毛やフケが溜まっているのが目に付いて汚いな~と思った。
母と銭湯に行ってもそのまま帰宅するのですが、たまに父と行くときには堂々と男風呂に入れるし、帰りがけに飲み物を買ってくれたので父と行くのは楽しかったです。父親ってたまに子育てに参加して美味しいところ取りしてますよね。」
私はひときわ大きく笑った。

ABAの解説は、私がプロの称号がないファンの段階である限り、ここではいちいち書かない。(書いても誰も読まない)

F先生のレくチャーは、既に4年前に独学の範疇にあるABA入門的なわかりやすい解説だったが、初心者にとっては、やはり新鮮だし、私自身が全くABAを知らずにうっかりはまった心境を改めて懐古し、郷愁をそそる場面でもあった。(そんなに旧くないかな)

後半、自閉症の女の子が観衆の中央に座らされ、セラピスト側の大人の指示に応じて
動作模倣や音声模倣を実演する姿に、複雑な心境になり、さまざまな子どもたちとの療育・保育の日々が蘇った。
若い日々を自閉症の療育指導に粉骨砕身した記憶は、思った以上に鮮明だ。
観衆の大半は、物珍しそうな好奇の目を一斉に幼い彼女に注いでいるのに、どうして私だけが白けてしまうのだろう。

この人だかりと笑みから、なんだかやっぱり木下大サーカスを想像するのは、私だけでしょうか?

「それでは、質問はありますか?」
「『笑う』という行動を強化するための具体的な指導はどのようになさっていますか?
私は従来、自閉症児の療育指導員でしたが、最近、緘黙症に関心をもっています。
『笑う』行動ひとつとっても、障害種別が異なれば、どんな障害にも通用すると謳われるABAもそのアプローチも違うと思いますが、先生の知見はいかがでしょうか?」
「どうしてあなたが自閉症の子どもに『笑う』という行動を獲得させたいと思い、質問したのか
不思議ですが、そうですね、観察してその子がどんなときに笑っているのかを調べ、それから
事前事後をどのようにセッティングするかプログラムします。緘黙症の場合は、社会不安が
あって緊張して笑えないのだから、リラクセーションだと思いますが。」

私はどこの誰だか知らない初対面であることを最近は活用するようになってきた。
これも生保レディ時代に鍛えられたお陰か、相手がよくわからないことは、返って
相手に対するイレイショナル・ビリーフ(歪んだ信念)の持ちようもないのだ。

もちろん、F先生がI先生の門下生で、I先生に類似したオーラを放っていることは、百も承知していた。

F先生の子ども時代のビンボウエピソードにも好感をもったので、参加者が帰った後も果敢に
アプローチしてみた。
4年前には、何度やってもI先生が畏れ多くて逃げ出してばかりいたというのに、、、
それも、私なりの純然たるアドヴォカシー精神がオペラント行動を突き動かしていた。
(BGMは、♪もえあがれガンダム)

「F先生、保護者主体のNPOのシステムをどのように開発されましたか?」
「主にはネットを使ったメーリングリストでの個別相談と、情報提供だね。でも、会員の回転は早いし、来るもの拒まず、去るもの追わずでやってますから。
あなた一人でそんな余計なお節介しているの?それより自分で生きていく手段を考えるのが先じゃないの?あなたの活動では生計が立てられないでしょう?」
「でも、日本では誰も見向きもしてくれないのです。緘黙症のことに・・・」
「小児神経医学会の駆け出しの研究者に要請してみてはどうだい。私のNPOも後援に専門家がいてくれて、アメリカのロヴァス博士の著作権を侵害しないしないように、私のオリジナルを加味してABAの家庭療育マニュアルを刊行しているんだ。この本だって、海外の博士のお墨付きを得たものだろう?」
F先生は、1ページ1ページ丹念に紹介した『場面緘黙児への支援』をめくって言った。
「もちろんそうです。でも、これ1刷だけではどうしようもないのです。学校現場はPDDでそれどころではないですし、ABAだって通用しないのが学校現場の現状ですから。」

私より先にF先生に不満をぶつけてきた母親の台詞は、保育現場にいたときから何も変わっていない。
「今年の校長はまだPDDのことを理解しようとしていたようですが、教頭がちっとも・・・」
F先生は母親を諭した。
「やっぱり、保護者だって譲歩したり、先生を信頼しようとする姿勢が大切だよ。お互いに信頼関係を結べないことが一番、子どもにとって弊害があるんだ。確かに叱ることでしか対応できない先生の方がずっと多い。実際、私は短大の講師だったから女子学生にほめことばより叱った方が効率よく場が静粛になることもわかっている。学校現場にも保護者として文句をいいたいことなんていくらでもあるけど、親だって演技力いりますよ。親だって先生だってPDDの子どもを取り巻く人々はみんなしんどいんだというところで、信頼しあう、お互いの辛苦を労う先生と保護者の信頼関係が大切です。」

信頼関係か・・・
そのことばも保育現場では、常に飛び交っていた。
私がかかわっていたのは就学前の自閉症幼児だから、数年後学校にスライドしたら問題はますますエスカレートしているのはありありと想像できた。
そして、大学院の全ての指導教官の疲労困憊の姿は3年間私の嫌子であり、ABAを研究したいという行動の消去を余儀なくさせたのだ。

つい20年前までは、自閉症が誰も見向きもしない障害種別だった。
今は、教育界で知らないでは済まされない障害だ。
でも古今東西、誰も見向きもしない見過されている問題に焦点を当てられるのが、マイノリティの醍醐味なのかもしれない。

どんな障害種別も克服できるという幸せのツールABAは、引き攣り笑顔と屈託のない笑顔をどのように行動形成するだろうか?


2008/01/20 (Sun) ありがとうお菓子さん!
2008年年明けから全国で厳しい寒波に見舞われています。
平成元年生まれの方々が新成人ということで、彼らが生まれた当初、彼らと同い年だった私は、彼らの2倍生きてきて、未だに学生で大人になったと言い切れない自分に改めて恥じ入ってしまいます。

今日は、センター試験の当日にリスニング問題にアクシデントが生じた模様です。
受験生の皆さん、寒波に負けず、落ち着いて臨まれたでしょうか?
私の世代に比べると、少子化傾向で受験戦争はそれほど過酷ではないだろうと思いますが、
それでも、受験勉強そのものは、自分との闘いには違いありません。

論文作成の修行中、そもそもヘタレな私のささやかな幸せは、お菓子を食べること。
お菓子さん、私の舌鼓を喜ばせてくれてありがとう!

またもう一度食べたいな~と思う再入手が困難なお気に入りお菓子は、そのパッケージさえも、捨てるのに勇気がいります。
だからといって、いつまでも捨てなければ、ゴミともコレクションとも判別がつかない。

ですから、そのパッケージを捨てる前に、そして、自分の脳ミソに保持しておくことが難しいので、ブログに記録しておきましょう。

①しっとりチョコ(1袋80g エネルギー466Kcal) リスカ株式会社 
 サクサクッとしたコーンパフの軽やかで口当たりの良いテイスト・・・。
 甘さをおさえた、まろやかチョコと香り豊かな絶妙のハーモニー、新感覚のこだわりの美味 しさがグ~ンと広がります・・・。

②カマンベールチーズ(100gあたり 290kcal)よつ葉乳業株式会社YAA
 大自然の恵み豊かな酪農王国北海道十勝の良質で安全な生乳を原料に、チーズの本場
 フランスで名高いイズニー社との技術連携で丹念につくりあげました。上品で深い味わいを
 そのままパックにしたチーズの傑作です。

③スイートバジル Swedeponic久住(大分県竹田市久住町)
 久住高原の恵まれた自然の中で作っています。国際規格ISO9001:2000の認証を受けた
 マネジメントシステムで栽培管理しています。
 http://www.swpkuju.jp

④生チョコミニ抹茶 ハマダコンフェクト株式会社(兵庫県姫路市飾磨区) 
 京都市宇治産抹茶使用 北海道産生クリーム使用 季節限定

⑤ちっちゃなプリッツずんだ 東北地区限定 Glico

⑥純生入り大福  ポエム
 北海道原乳でつくった生クリームと素材の風味豊かな餡を国産餅米だけを使用したお餅で
 包み込みました。名水百選「西条うちぬき水」を使っています。
 
⑦ガレットピロー スタンドバック(Pause Galette Broye du Poitou)
 フランスのポワトゥー地方の伝統菓子ガレット。添加物を一切使用せず焼き上げた、バター の風味豊かなこだわりの味をお楽しみください。
 輸入社:株式会社エイム 神戸市中央区磯上通4-2-5
 URL http://www.eim.co.jp

Made with pure butter using a traditional family recipe with no baking powders or
presevatives,Goulibeur galettes are a delight for food lovers everywhere.
Goulibeur galletes are perfect for anyone who wants a snack during the day.
Slip one into your child's back pack or have one at work when you deserve a brake... there's always a good excuse for a treat.

私ってやっぱり変わっているのかな?
こんなお菓子の袋さえ、何度もパッケージをしげしげと眺めては名残惜しそうにゴミ箱へ捨てることを躊躇っているだなんて・・・
見落としていないか、見過していないかと不安になる(こだわり)。 
 
研究というある一分野の世界には、ヒトという特殊な種の最高傑作の宝庫が、連綿と果てしなく続く、ネバーエンディングストーリーの世界だ。

その入り口で、大人になりきれずネオテニー(幼児成体の意)に慄いている私は、転居と口頭試問を控えてムンクの「叫び」に近い心境に陥っている。 

それとは全く関連ないけど、一度捨て去ってしまった諸々の事物は、もう2度と取り返しがつかないという予期不安にも、同時に陥っている。つまり、時間軸はどんなに科学が進化しても付加逆だという取り返しのつかない人生の紆余曲折。

それは、「かえがえのない」今、ここという瞬間に過敏になっている自覚症状だ。

また、思考回路がグルグルと暴走し始めた。

お菓子は、そんな私にとってまさに英語の直訳通り元気を回復させる refreshmentだ。

大人になっても、お菓子が大好きで、その袋さえ手放せない万年保育園児の私。
もう、登り棒に登れない、鉄棒で逆上がりできなくなって、白髪がちらつき出して、何者にもなっていないなんの威厳も、手本も示せないオドオドしている自分がただ、惨めだ。
泣いたり喚いたりしたって、ますます自分を幼稚化させているだけなのに。

大学院に在籍してわかったことは、自分のバカさ加減と、大人になりきれず右往左往してまた社会に放り出され、「居場所」を失った子どものままの自分の姿だったのかもしれない。
だから、お菓子の袋が捨てられなくて、もじもじじたばたしている。
でも、捨ててしまおう。おばさんにならなくちゃ。

2008/01/13 (Sun) 魁よりはじめよ2008
明けましておめでとうございます。
2007年から年を越して、約2ヶ月間ご無沙汰していました。

オンエアほやほやのニュースでは今日から、「日本災害復興学会」が発足したそうだ。
それから、オリンピックイヤーに生誕したゆきんこの年齢も繰り上がり更新して今年は大台に乗ってしまいました。
今年もちゃんとブログ更新できるかな?

私のブログは純粋な日々の徒然で、自分のために記憶力減退防止の目的で我侭気ままに綴っています。

自分という唯一無二のかけがえのない出来事を綴っています。

さて、日曜大河ドラマ「篤姫」の第2回をBGMにして丸2ヶ月間の経過をどのようにダイジェストに綴ろうか?

修士論文作成のクライマックスは、自分の記念すべき誕生日にやってきた。
親友のOちゃんや、Tちゃん、学友のSさんなどなどから嬉しい「お誕生日おめでとう」携帯メールがあって、
「自分で自分に論文完成という記念に残る誕生日プレゼントができました!」と返信した。

提出締切日はその4日後の1月10日(木)だったので、かなり余裕で製本やら、要旨(論文をダイジェストにまとめた文章)も仕上げたので、指導教官のY先生にお目にかかるまでは、
そわそわと落ち着かなかったけど。。。

だって、物騒な世の中になってしまった昨今の日本津々浦々ですから、油断大敵!
他のゼミの院生たちも、クリスマスから年末年始かけて締め切り間際まで、四苦八苦してるのは、お互い様に百も承知しているのだけど、

Y先生ときたら、本(ゴミ!?)が山積みの研究室で年末12月27日の最後のゼミで
「論文の受理は、10日の午後8時くらいでいいかな?」
「はい。締め切りギリギリまで、悪あがきします。年明けにもう1回見てもらえますか?」
「いいけど、3が日は返信できるかどうかわからないよ。」

しかし、正月3が日は当然、遠慮したのだが、論文作成の過程を山登りに喩えたら、そろそろ完成までに峠を越えてふもともみえてきたところで、手直しされては、またバタバタしてしまう。
何度か見直したけど、自分で自分の間違いにはなかなか気がつかないものだということが、
Y先生の指導の最中に、「これでもか、これでもか・・・」と打ちのめされていた。

また、赤ペン修正だらけになることがわかっていて、ギリギリに校正を御願いできない。

だけどお正月には、Pさんと即席のおせち料理やお雑煮も食べたし、最寄の神社に初詣にもでかけた。
誕生日には、「サイゼリヤ」で晩餐も楽しみ結構ジタバタしないで優雅な感じで完成させることができた。


翌日1月7日
論文作成の同士で、且つ論文ネタのキーパーソンであったS先生から携帯電話があった。
「どうできた?」
「もう、しんどかったわ~~。提出の準備できた?」
「昨日、誕生日にできたよ。表紙は、年末に文房具店で買ったけど、綴じ紐だけ100金に買いに行こうと思って。後は引用文献のページの確認に図書室に行くつもり。」
「私も文房具店に封筒を買いに行くの。綴じ紐はようさんあるから、あげるわ。車ででかけるから、今から待ち合わせて一緒に行こう。」
「ええ、いいの?ありがとう!助かるよ。」

S先生の自宅の最寄り駅で合流し、行きつけの大型文具店を紹介してもらってお茶をしながら
ダベリングした。
最近、分野に寄らず、「社会人大学院生」を志す人々は増えているらしく、
知人が受験するという話題で盛り上がった。

論文を提出しようとする2名のおばさん
その印象は、世間の人々からはどんな評価を受けるのだろう?

論文作成の道のり
それは人それぞれでブログにその醍醐味をどのように綴っていいのかわからない。
けれども、論文には、起承転結、問題→目的→方法→結果→考察→結論という方式は
コースが違っても、プロセスは同じだ。
だから、全然違うテーマをそれぞれ探求しつつも、
「どのあたり?」
「今詰まっている・・・」
「骨組みはできた」
「やばい・・」
とかなんとか、ぼやいたり、苦しんだりもがいたりしながら同士として、共感することができるのだ。

そして、ゆきんこおばさんはカフェで呟く。
「人生を賭けて払った犠牲は大きかったから、単なる憧れだけではよう薦めないな・・・」

それでも、今回の論文はゆきんこにとっては3作目。
9年に一度のペースでゆっくりじっくり完成させた作品になった。

1月10日午後8時
10日恵比寿で賑わう夜、6時限目の「特別支援教育基礎論」を受講して、廊下に出ると
Y先生と向かい合った。
「お!いい顔してるな!!」

昨年までは毎週火曜日に演習室6でビシビシと赤ペンだらけの指導が続いた。
年明けは、演習室2という今まで入ったこともない小部屋に入った。
「先生、改めまして明けましておめでとうございます。昨年、ご指導いただきありがとうございました。」
規定どおり、審査願、黒表紙の論文本稿と副本2部、要旨3部を恭しく提出した。
「一時はテーマも変わって、問題と目的も手間取ったけど、先行研究も適当なものが見つかってなんとか形になったね。」
「はい。先生のご指導がなかったら、ここまでには仕上がりませんでした。
何度も繰り返し書き直すことで、いかに自分がアンポンタンなのかを痛感しましたが、
新知見も得られて、先生のご専門からも逸れずに、仕上げることができました。」
私は深々と一礼した。

手渡した瞬間、先生も私も双方の屈託のない向き合った笑顔に「師弟愛」を実感したかも?

翌日、1月11日(金)午後6時30頃
どうしてゆきんこおばさんの胸は高鳴るのだろう?
廊下の曲がり角でI先生にばったり出会った。

2004年11月17日
第1志望の面接試験で一言も何も質疑されなかったI先生の憧憬は、今も脳裏に焼き付いていた。

「こんばんは。」
「・・・こんばんは。」
曲がりが門でそのまま擦れ違った。

2006年1月10日
I先生がエレベーターに乗り込む間際に、私にかけてくれたことばがリフレイン
「論文は、提出日までに出すことですね。」


冷静を装って、社交辞令のすまし顔で、仏頂面のI先生と擦れ違った。
しかし、小走りに図書室に引き返し、学友のNさんに詰め寄って耳元で呟いた。
「I先生に会ったよ!」
「え!どこどこ??」
ミーハー根性丸出しのはしたないおばさんたち。(だから嫌われるのに・・・)
廊下でI先生を探した。
「ゼミかも。どこかの演習室だよ、きっと。」

そうこうしているうちに、Nさんと一緒に履修している「家族関係学」の講義が始まった。
7時限目の「キャリア・カウンセリング特論」も終えて、Nさんを迎えに再び図書室に戻った。
「I先生は、どうやら演習室2にいらっしゃるようだった。でも、姿は見えなかったな。ねえ、
ゆきんこさん、I先生はあなたを知っているの?」
「どうなんだろう?実は、確かめたことないんだよね。年明け早々、思いがけずI先生にお会いできるなんて思わなかった!」

そういえば、1年前は、生保レディ。
中国にも進出している社長さんから、10日恵比寿の日に保険の契約をもらった記念日だった。
年明けは、昨年に続いて好調な模様。
論文を出しても、A(先行条件)B(行動)C(後続課題)は、まだまだ続いている。

寒い夜空の下に年明けのゴミ袋を捨てたら、段ボール箱を拾って、今まで収集した資料や書籍を詰めこむ作業が待っている。

フリースに着替えたPさんが言った。
「もう、準備始めたの?」
「うん。ぼちぼちとね。」

I先生と私、出会ってから今日までいつも曲がり角で擦れ違ってばかり。
幼なじみのマーくんには思い出の中でしか会えない。
またいつかどこかで会えるかも!という予感が、ドーパミンを脳内で放出させる。

プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。