日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
Oちゃん、お幸せに
2008年02月24日 (日) | 編集 |
「おめでとうございます。」
Oちゃんのお母さんに一体どれくらいの年月が流れていただろう。
留袖のお母さんは私の肩をポンと叩き、
「もう、朝から雪が積もって長靴はいてきたから大変やったんよ!」

正午、ホテル内の小さなチャペルで新しいカップルが生まれた。
チャペルには総勢20名の家族と親しい友人たちが集まった。
BGMは弦楽のカルテットとプロの女性ソプラノ歌手が朗々と歌う本格的なクラシックのアリア。

チャペルの扉が開き、父と腕を組んで厳かに一歩一歩踏み出す純白のウェディングドレス姿の新婦。

その光景を見た瞬間、ウルウルウル~と涙腺が緩んだ。

新婦は100mもないヴァージンロードを進み、祭壇で待つ新郎の横に並んだ。

一同が新郎新婦に注目しているというのに、一人クスリと笑う既婚女性。

私は新婦の前途を祝福すると共に、心の中で叫んだ!
「どうしてそんなドレスなんか着ているのよ!」

10代の頃からいつも傍にいた一番の親友のOちゃん。
彼女の花嫁姿は、他の友人たちはともかく想像したことさえない。
彼女に結婚を決意させたお相手は、親友の私が「なるほど~」と納得できる殿方だった。

神父の前で誓いを立て、指輪を交換した二人の挙式は実にシンプルイズベストで、30分で終わった。
私は初対面の新郎殿に挨拶した。
「遊びに行きますので、宜しく御願いします。」

それから親族と分かれて、参加した友人4名で会食を共にした。
Sちゃんが笑いながら、開口一番。
「もう、ゆきちゃんたら、泣いてるんだから。」
「いやいや~、涙腺が緩くなって感動しやすくなってね。」
「まあね、ゆきちゃんにとっては、Oちゃんは誰よりも思い入れのある
友達だもんね。」
「うん。本当に遠くへ行っちゃうんだね。」
「去年、プロポーズをされた時は随分悩んでいたみたいだったよ。」
「信じられないなあ~、学生時代も、社会人になってもずっと一緒だったのに」
「よくある話だけど、職場の同僚として長い付き合いがあったから、お互いに仕事振りがよくわかるし、それが自然と今日の日につながったんだろうね。」

4人のうち、最後に取り残されたシングルのゆきんこ。
彼女らのこれまでの結婚までの経緯や結婚後の子育ての話、老いていく親の話などなど、結婚してもしなくても、それぞれ悩みは尽きないようだった。
「10年前とは確かに話題が変わってきたよね。それでも学生時代に戻って話せるのが嬉しいし、今回は久しぶりに結婚式に参列できて幸せ気分だわ。」
「自分の結婚式と比べてどう?」
「そりゃ、自分が主役の時は余裕がないし、ヘロヘロで何も覚えていない。参列者の方が幸せを分けてもらっているみたいで楽しいよ。」
「ふ~ん、経験ないからわかんないな・・・」

既婚者の結婚の事前事後をインタビューしたところ、マリッジブルーや
取り残され感など、専業主婦よりも仕事を持っている方がずっと精神的には健康的なのだそうだ。

夫の家事の協力度も幸せな結婚の指標と相関関係があるらしい。

「ところで、ゆきちゃんは彼氏とどうなってるの?」
「うん・・・今もつきあってるよ。」
でも、ゆきんこの場合は???

結婚も人生も所詮、ギャンブルと同じ。
誰にとっても暗中模索のハイリスク、ノーリターンの人生に、悔いのないようにまた明日に向かってただ歩き出すだけだ。
ゆきんこの雪の日。
親友のOちゃんの雪のような裾の長いドレスが眩しく、新しい門出に拍手を送った。


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2008/02/24 20:59 | 仲間 | Comment (1) Trackback (0) | Top▲
イヌは友を呼ぶ!2
2008年02月21日 (木) | 編集 |
午後11時前。近鉄T駅に到着した。
黒い6人乗りのボックスカーが小さい改札口で停まった。
「Hちゃん、お迎えありがとう。」

T駅に降りたのは10年ぶり。
Hちゃんが引っ越して赤ちゃんが生まれたのでNちゃんと訪問した。

今日はHちゃんがトイプードルのチャイちゃんを飼い始めたというので、
動物好きなSちゃんとOちゃん、「イヌの散歩」で論文を書き上げたゆきんこの3名がチャイちゃんに会いにやってきた。

「こんにちは。うわ!ちっちゃ~~い!」

まるで生きたぬいぐるみ!
生後間もないチャイちゃんは、籠のなかで後ろ足で立ち、ピョンピョン跳ねて、早速「出して出して~~」とHちゃんにおねだりした。

おまけに3名の見知らぬ客がわいわいと居間でおしゃべりを始めたから、ちょっと興奮気味。
生まれて間もないというのに、人間にちっとも警戒心がない。
一人一人の顔を覗き込んで「クンクンク~ン」と甘えたような声で鳴き誰が出してくれるのか見定めている。

身辺自立ができていないので、檻の中のトイレでおしっこをしてから出すというトイレットトレーニングの特訓中だ。

「おすわり、おすわり」
するとチャイちゃんは腰を下げた。
しかし、いつもはそろそろおしっこする時間を随分過ぎても、チャイちゃんは一向に放尿する気配がない。

「あ、ダメだ。躾は最初が肝腎なんだよね。」
Oちゃんはチャイちゃんと目が合わないようにクルリと背を向けた。

人間たちがおしゃべりをして、しばらく構わずにいると、
檻の中のチャイちゃんの鳴き声やジャンプは次第に鎮まり、2時間以上も経ってようやく放尿した。

Hちゃんのおもてなしの手料理で幸せ気分を満喫していた頃、
チャイちゃんは、檻の中から出してもらうと、3人のお客の膝に乗り、
すっかり生きたぬいぐるみのように、癒し系アイドルになっていた。

もちろん、4名の話題は、チャイちゃんのことだけに尽きず、
午後4時過ぎまで、Hちゃんが次から次へとふるまってくれるスイーツを
もぐもぐしながらなんやかんやとしゃべくりまくりだった。
気がつくと、赤ちゃんプードルのチャイちゃんは檻の中ですやすや寝息を立てていた。

何たってこんなに友情と共通の興味関心事が溢れるように長く続くとは思わなかった!

お互いの家族、教育、将来の福祉問題、仕事、趣味の英会話、楽器演奏、習い事に、資格取得。アルバムを取り出して一緒に行ったロンドンの卒業旅行などなど。

ついでに、ゆきんこの書きたてほやほやの論文に3名が目を通してくれた。自分なりに色々悦に入って解説したいところだけど、所詮、論文というのは、自己満足をいかに客観的にして「なるほどな~」と思ってもらえるのかというプロセスなのかもしれない。

「そんなめんどうくさいことに高い学費と2年も費やすんなら、まだ手っ取り早くお掃除オバサンでもしてた方がいいんじゃない?」
「そうなんだよ。発達心理学者の先生に個別に相談したことがあって、
『ゆきんこ、ダスキンにでも就職するか?』って言われたもん。
実際、去年は論文書いているより、掃除したり家事している時間の方が長かったくらい。掃除するとスカッとするんだよね。」
すると、ミセスたちは顔を見合わせた。

「うちに来てもらいたいわぁぁぁ~」

人妻というエンドレスの仕事はなかなか自分だけの時間を作ることそのものが難しく、何かに集中して取り組むことそのものが至難の技。
それでも、苦節20年心理学を続けてきたゆきんこの論文に感銘を受けてくれたようで、同窓生たちはYOSOJIの抱負を誓った。
「ねえ、また今年は英語がんばろうよ!」
「うん!一緒にがんばろう!」

学生時代、共に心理学を学んだ時間より、社会人になってからの年月は
その数倍になってしまった。
でも、母でも妻でも何の肩書きも利害関係のない友情は、こんなにもリラックスするのだな~と終始、口元はほころんだままだった。

これまでもこれからもそれぞれの人生が所々でリンクして、おばあさんになるまで、元気で笑い合える友達仲間でいたいなぁ~
とシミジミ幸せだった。

チャイちゃん、私たちを一同に会わせてくれてありがとう。
また会いに行くね!


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2008/02/21 20:31 | 仲間 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
イヌは友を呼ぶ!
2008年02月18日 (月) | 編集 |
バレンタインデーの翌日。2月15日、午後7時。
誰よりも出没頻度が高かっただろう夜間大学院の図書室で、指導教官のY先生と待ち合わせ。

「先生、こんばんは。」
「ちゃんと、訂正できたかな?」
「はい・・・試験官の両先生にご指摘のあったところは修正しましたし、30回くらいは見直しました・・・」

しかし、実のところ何回も否になるほど、見つかった誤字・脱字。

今回で3作目。
9年に1度の頻度で書いてきた論文。
そもそも、私の試行回路に論理的思考などないにもかかわらず、よくやったな~と
「書き上げたことそのものに意義アリ」で自己満足。。。

12日~14日には最後の集中講義「大人と子どもの発達心理学」を履修していたのだけど、論文の訂正を3連休に集約できなかったのと、
その3日間は日本国中、雪の嵐に見舞われるという天気予報に挫けて欠席することにした。
4日間ひきこもって、論文を仕上げた。

13日には、再び印刷と製本も済ませたお陰で、バレンタインでーには
Pさんにチョコレートを渡すことができた。

翌朝、電話があってまだ20代半ばという若い証券マンが自宅にやってきた。
学生時代はアイスホッケー選手としてクラブ活動を楽しんでいたという社会人4年目のM氏は、投資銘柄を見せて提案にやってきた。
「とにかく、よきに計らってください。」

去年までしがない保険募集人だったゆきんこ。
もう金融関係者とはスパッと縁を切ったとはいえ、お金を介した人と人とのおつきあいに、どうしても不信感が拭いきれない。

チンパンジーの世界でも、長老のお墨付きを得た若いオスリーダーが、
現リーダーの地位を覆すという内部紛争や、革命沙汰はヒトの社会と何ら変わることはない。
その高すぎる知能の故に、ヒトはチンパンジーよりも遥かに進化し、
ことばとお金を巧みに操るようになり、ついにはウソにウソを重ねるようになった・・・

でも、イヌとの関係にはウソはない・・・と必死に信じたいのだ。
そして、イヌを観察するうち、どうしてイヌなら笑って赦せるのだという場面に遭遇するのだ。笑顔と共に。

証券マンのM氏に「今から論文を提出に行くのですが、ついでに駅まで送ってもらっても構いませんか?」
と厚かましくお抱え運転手になってもらい、次の目的地へと向かった。

午後1時過ぎ。
着いたところは、1年前によく出没していた元町駅。
Sさんと待ち合わせて、まずはランチ・バイキングへ出かけた。

金融機関だろうと、チンパンジーの世界だろうと、そしてアカデミックな世界だろうと、世渡り上手が出世上手というのが、社会性動物の掟だ。
Sさんとの詳しい会話内容は、保身のために割愛するが、一見ユートピアに見えてもちょっとでもドロドロ~っとした目には見えにくい陰謀が渦巻く世界というのは、霊長類に生まれたからには「無人島」で自給自足する覚悟でもしない限り、きっとないのかな~などと思ってしまう。

わたしの場合、純然たる何かを追い求めようとすれば、必ず追放されてきた。

「ねえ、レオに会いに来る?」
「うん!是非是非!9日にアムロが死んじゃった!飼い主のIさんから電話があって電話の向こうで泣いてたよ。私も、実家に戻ってから口頭試問の準備していたらアムロに会いに行くのが後回しになってしまったんだ。」

バスで移動し、Sさんのお母さんが営む花屋さんへ立ち寄った。
「レオ!」
レオに会うのは、たったの3回目だ。
レオは前足を私のお腹につけて顔を覗き込みと
「ワンワンワン!!」と吠えた。
「どうしたん!?」
「喜んでいるみたいよ。」
「覚えてるのかな?前に会ったのは去年の7月だよ。」
「覚えてるって!」

随分、私のことを信用しているんだね、レオ?
世の中、結構みんな信頼し合うのが難しいんですよ。

それから、Sさん宅にしばしお邪魔すると、
レオは飼い主のSさんの言うことは無視しているが、
私の傍らにピッタリくっついて、じっと見つめている。
照れるんだな~・・・そんなにまじまじと見つめられると・・・
そして、ついに私の唇を奪ってしまった。
鼻の下から顎までベロベロに嘗め回されてしまった。

赤ちゃんのことから死ぬまでつきあってきたアムロには、
「アムロ、舐めない、舐めない!」
と頑なにキスを赦したりしなかったのに・・・

何と若干4歳でまだ出会って3回目のレオに、私は・・・

なんていう表現をしたら卑猥だからやめとこ。
しかし、レオが愛すべき対象は、私だけではないことがわかった。

「そろそろ、学校へ行くね。レオ、久しぶりに会えて嬉しかったよ。
また会おうね。」
バス停までの道中に、レオは真っ直ぐ歩いていかない。
いろんな見ず知らずの通行人に自分からどんどん寄って行くのだ。

唖然

それでも、大抵の人のリアクションはまんざらでもない。
レオは最初からイヌ嫌いのヒトには寄っていかないから、寄っていけば
笑ったり、なでたりしてもらえることをわかっていて寄り道、いや寄りヒトをしているのだ。

そして、クライマックスには、レオは行きつけの理髪店の自動ドアを率先して通過し、店内に入った。

オーナーさんが接客中でないのがチャンス!
オーナーさんに突進し、おやつをオネダリし始めた。
「はいはい。」
オーナーさんは笑顔で、ソーセージを振舞ってくれた。
レオが遠慮なくガツガツとソーセージにパクついているのに、理容師さんの愛犬パグのナナちゃんは、遠慮がちになかなか食べようとしない。

「ちょっと~、レオ!?いつもこんな感じですか?」
「そうねぇ。」
「え~!そんなの人間では赦されないよ。
 レオ、世渡り上手だな~・・・ったく。ナナちゃんより厚かましいんだから」

それで、レオの歓迎振りにちょっと冷静になった。
アムロもそうだけど、飼い主と相思相愛のイヌは、
道を行き交う他のヒトやイヌにも遍く愛想がいいのではないか?

ゆきんこもイヌを観察するうち、イヌに涎を垂らすようになり、
そのうち、イヌが勝手に近付いてくることが増えてきた。
そして、アムロやレオと会えたので、アムロやレオに新しい友達を紹介してもらうことも増えてきた。

ヒトのヒトとの関係には行動の事前事後に何らかのメリットが必要かもしれない。
でも、イヌの場合はオネダリ行動も何かズル賢さがないところが、ついつい口元をほころばせてくれる。

週明けの今日の午前も、証券マンのM氏が上司と自宅へ再訪した。
「先日の説明ですけどね、母にも同意を得ないといけないんですが、
あの説明では『ハ?』で終わりです。いくら説明してもらっても細かいことはわかりませんから。要は信頼関係で、よきに計らってくださればそれでいいんですから。」
「ハハハハハ!」

M氏の屈託のない笑いが、レオが尻尾を振る様とほぼ同等のノンバーバルコミュニケーションであることを祈るとしよう。





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2008/02/18 19:38 | 日常の発見 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
アムロの訃報
2008年02月13日 (水) | 編集 |
午後12時5分。
自宅の電話が鳴った。

「もしもし。」
「あ、Iさん、お久しぶりです。アムロ元気?」
「それがね・・・死んでしまってん、9日に。」
「ええっ!!今日、明日にでも会いに行こうと思ってたのに!!」
「死ぬ間際まで元気にしてたんだけどね・・・」

しまった!!
もっと早く会いに行けばよかった!

昨日までずっと泣いていた飼い主のIさんの話をダイジェストすると、
アムロは享年13年と4ヶ月で大型犬としては長寿だった。
アムロは、センパイ犬のクロと2匹で飼われていたが、2006年11月にクロが身罷ってから、急に老け込んでいた。

2007年の4月には近所の神社で桜の花見のバーベキューを楽しむ人々の間を巡回して、そこで出会った人々にもかわいがられたりしていた。

最近では、散歩する距離も短くなって、家でじっとしていることがすっかり増えていたらしい。そのためかなり肥満になり、オシメをつけて飼い主のIさんにお尻を拭いてもらうという「介護犬」になってしまっていた。

「あの子は本当に賢い親孝行だったよ。『アムロ、いつまでも元気で長生きするか、死ぬときはポックリいくんだよ。」

すると、アムロは飼い主のIさんに言われたとおりにしたのだろうか。

雪が降り積もった9日の午前のこと。
Iさんがアムロのお尻を拭いて消毒し、それから水を飲ませようとしたとき、アムロはペロリとIさんの手のひらから水を舌でひと舐めすると、
そのまま眠るように目を閉じた。

慌ててIさんと居候のDさんがアムロを揺さぶり起こそうとしたが、そのまま逝ってしまった。。。。

Iさんの電話の向こう側の涙声を慮って、母は身支度をすると、出かけていった。
「最近、Iさん宅に行ってなかったわ!アムロも元気にしてたから、
でも、もうすっかり老犬やったんやわ。」

アムロとクロは、保育士仲間同士の母とIさんの傍で小さい子どもたちを
見守ってくれていた。

そして、今回の研究論文にはなくてはならない存在だった。
私も何だか、泣けてきた。

アムロ、クロ、ありがとう!
おしゃべりなんかはできなくても、2匹共かけがえのない大切な友達だったよ。

いやなことや辛いことがあっても、2匹に会って一緒に散歩したら、なんだかスッキリして幸せな気分になれたよ。

千の風になったら、また一緒に楽しく散歩しようね。
そして、ギクシャクしている人間関係を和やかにするのに協力してよ!




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2008/02/13 12:35 | 仲間 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
自己夢分析
2008年02月13日 (水) | 編集 |
午前9時過ぎ。
携帯のベルが鳴り、ふとんから飛び起きた。

「ゆきんこさん、おはよう。元気?」
「Sさん、おはようございます。」
「その後、どうしているか気にしてたんだよ。口頭試問無事に終わった?」
「ありがとう。8日にね。でも、15日までに再提出。」
「私も明後日までに、提出なんだ。」
「お互いもうひとがんばりだね。」
「また、レオにも会いにきてよ。」
「うん。是非!」
「ゆきんこさんも、心理コースをまた受けるの?」
「ううん。私は就職するよ。Sさんは受験するんでしょう?」
「3月にね。計画書作るしんどかったけど、今回は楽しかったよ。今度こそ、自分のやりたいテーマで研究できるわ。」
「がんばってね。」

失業して、早5ヶ月目。本日も日本列島は冷蔵庫のように寒いけど、
それは日々の寝坊の言い訳にはならない・・・

昨日から、今朝にかけて恙無く?一日中自宅にいて、思いつくまま、リコーダーで即興演奏を楽しんだり、久しぶりにぼや~っと昼間から再放送の連ドラを見たり、参考図書の『ソロモンの指輪』を飛ばし読みして気ままで凡庸な(やや自堕落な)週明けを過ごした。

それまでの3連休は、自宅でアンペイドの論文の手直しに次ぐ手直しばかりしていたのだから、慢性的な眼精疲労と倦怠感を伴って時にはフ抜けたようなスランプが押し寄せることがある。
これも、ネオテニー(幼形成体)を維持してきたとはいえ、極自然な老化現象でしょうか???

昨晩のニュースでは、なんとサミットの防犯対策に代々木警察が結成した「ワンワンパトロール」が結成されたと2度も報じていた。
これこそ、ゆきんこのオリジナルな(突飛な)後続研究テーマになるはずだったけど、貧乏おばさん学生はいい加減に『働かざるもの食うべからず』なのだ。

もちろん、お金と時間と才能に恵まれていたなら、私はまだまだ「研究」やっていたい!!!

それを暗示するのかどうかはわからないが、
久しぶりにみた夢を記録しておこう。

映像は、赤茶色のレンガでデザインされた地上10階建て位のマンションが出てきた。地上4階部分までは中央を主軸にして、建物ごと回転するしくみのマンションだ。90度垂直に回転させると、内空洞部分から自動車が出入りできるようになっている。

4階の稼動回転部分は、まるで回転ドアのようにせわしなくクルクル回り、私は向かいの建物の中から心配そうに眺めていた。回転軸の接合部分の壁にはヒビが入り、いつかは倒壊するだろうと危惧していた。

私は不意に、自分のいる建物の内部を探索しつつ、見学させてもらうことにした。この建物は、一部、公民館の機能を果たしていた。
はじめのうちはよくわからかかったが、YMCAか何かの慈善団体が主催する講習会が実施されているようだった。
スタッフからプライバシーの保護に留意して、見学するように許可を得ると、閑散とした学習室を1室1室見渡した。

人の気配は感じる。しかし、どこに誰がいるのかわからないほどひっそりしていた。
ここでは、昨今、問題になっている発達障碍の子どもたちのIEPに基づいた特別支援学習がマンツーマンで厳かに行われていたのだ。

すると、廊下の向こうから若く優秀な特別支援教育士の称号を持つ
女性スタッフに囲まれて、嘗ての師が歩いてきた。

私はそれを察知し、T先生に気づかれないようにロビーに戻ってさっき窓際がから怪訝に眺めていた建物に再び目をやった。

しかし、窓際で後ろを向いて知らんふりをしてみても、やはりT先生に気づかれてしまった。

T先生もとりまきの才色兼備の女性たちに囲まれたまま、自動ドアを出て通過していった。

私は、それを見届けると安心してまたこっそりと白く、何の変哲もない学習室を物色することを再開し、面識も屈託もない女性スタッフに案内してもらいながら、笑いながら談話した。
「ADHDの子どもたちも、こんなに静かでひっそりとした環境を整えたら落ち着いて集中して学習できるんですね!学校現場とは大違いです。」

知っているのに知らんふりしたままの10年前の師は、私に気づかれないように壁際からそっとその様子を観察していた。


どうして今朝方になってこんなリアルな夢を見るんだろう。
全国の発達障碍の界隈でT先生の名を知らない人はいない。
10年間かけて特別支援教育にお金とエネルギーは全て費やした。
だから、今までのこだわりを捨てて今度こそ、自分らしい人生を自分なりに歩きなおしたいのだ。




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2008/02/13 12:05 | | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
なんとか凌いだ口頭試問
2008年02月11日 (月) | 編集 |
いい加減にまっとうな大人になりたいという願望があるにもかかわらず、ネオテニーのまま、年を重ねるのもなんだか不甲斐ない。

前回みたいな、キレキレと思しき記述をそのまま遺しておくと、
自他共に「子どもっぽい」と評されても仕方がない・・・

それを裏付けるかのように、稚拙ながらも苦心惨憺して3年係りで仕上がりつつある修士論文の審査は、去る8日の午後9時前に訪れた。

大学院では、いくつかの専門分野のコースに分かれてどうやら殆どのコースの院生の皆さん方は、1月下旬のうちに口頭試問を終えていた。

私の場合、2月以降の家賃を払う余裕がなかったので、実のところは、
私の所属する幼年コースの審査日が2月以降で好都合だったのだけど、
実家に戻って入れ替わりに間もなく遠くへ引っ越してしまう旧友Oちゃんとの別離を惜しんで、Oちゃん宅を訪問したり、特別支援教育士の資格申請書類にもたついていたら、論文の中身は1ヶ月経過して丸ごと自分の頭からすっかり忘却されていた。

約3週間ぶりに論文のファイルを開けておさらいするところからやり直し
一体、試験官3名からどんな突っ込みがくるのか皆目わからないし、シュミレーションもできない。

姑息にも、ゼミのセンパイや他コースで親しくなった院生仲間に事前に
メールでアドバイスを求めてみた。
すると、大抵の返信は
「おちついてリラックスしてがんばってください。」
という内容で、あんまり参考にならなかった。

今回は、問題と目的の先行研究集めと論証で大いにてこずったので、
(指導教官からは常々、書き直し作業の繰り返しで凹んでいた・・・)
しつこく他の文献も読み込んで、自分の論文の中身にまで十分に目を通していなかった。

8日当日は、正午過ぎには自宅を出発して学校の図書室に入った。
「あれ?Nさん、昨日、口頭試問終わったんじゃないの?」
「終わったけど、まだレポートの締め切りがあるのよ。」
「試問が終わった後でよかったね。私なんて試問と同日に2つも締め切り日が重なって、結局、残りの2つはドボンだよ。」

まあ、グダグダ言い訳はいくらでもできるけど、
人間誰しもが、自分自身の限界や身の程をキリキリと思い知らされる場面がある。

本日の審査者は、午後6時30分から3名で、私はオオトリだった。
待ちに待った図書室での約6時間。

図書室の廊下を挟んで向かいの演習室3に在籍していた試験管は、
N教授と、I准教授だった。
「学籍番号と氏名を言ってください。」
「どうぞ着席してください。」
「それでは、あなたの論文について5分ほどで説明してください。」

私は、お達しの通り、何とか受け答えした。
こういうとき、自分では一体どこを見ていたのか、目玉が泳いでいたかもしれない。

内容はともかく、先人たちの「リラックス、リラックス」という助言が
大いに助かった。
念仏唱えのようなプレゼンテーションがなんとか終わると、
まず、質疑は年下准教授のI先生から始まった。
「叙述や質問の内訳ですが、具体的な内容と項目が羅列されているので、イヌに関するかどうかでもっとスッキリまとめたらどうですか?」
「はい。」

さすが、I准教授!!整理してまとめるのがお得意だ。
確かにゆきんこの思考回路も引き出しも分類が曖昧だ。
その点、I准教授は頭の中も理路整然としているし、実際、研究室も
家庭でもこまめに掃除して生理整頓スッキリしているのは事実らしい。

「この論文は大人の応答性やひいては地域の教育力を目指していますが、あなたの所見をもう少し発展的に述べてもらえませんか?」
「従来ですと、教育力は、大人から子どもへ伝授されてきたものでしたが、今回はイヌを介することで、学校でしかるべき教育を受けた子ども
たちのイヌに対する言動が、反対に大人に教育力を発揮するのではないかと考察しました。」
「なるほどね~。確かにエピソードも見せてもらいましたが、大人の応答がこんなに少ないのかと思いました。再検討して今後の課題も是非、取り組んでください。」
「はい。ありがとうございます。」
最後は紳士的にエールを贈ってもらい、ほっとした笑顔だ。

続いてN教授の突っ込みは更に厳しかった・・・
「コミュニケーションの定義はどこに記述していますか?
「すみません・・・」
「対象となる子どもたちの年齢は?」
「小学生までです。」
「だったら、それも記述しないといけませんよ。」
「はい・・・」
「それから、どうしてコミュニケーションの媒介にイヌである必要があるのですか?」
「もちろん、両者の関心を引く媒体であれば何でも構わないのですが、
現場が地域であることと、地域で飼育されている最も身近な動物はイヌ
であること、人間と同等とまでいかなくても、イヌは人間に親しみ、ことばを聞いて従うという特性もあります。」
「私も、幼児期の子どもの心性が動物と合うのではないかと感じています。確か、動物と人間に関連する学会もあるのですね?」
「はい。人と動物の関連学会と、学校飼育動物研究会です。」

でも、2名の教官に「なぜ、イヌなのか!?」と突っ込まれると、
こじつけた言い訳しかできなかった。

「それから、数値で表されているのは、パーセンタイル値だけですが、
検定はしなかったの?」
「私は検定はできません。自分のできる範囲での分析はここまででした。」
「それじゃあ、信頼性ないじゃない。言い訳ですよ。」

・・・という感じでタジタジだった。

最後に司会のY先生からも留めの指摘があった。
「引用文献のリストの記述がメチャクチャだよ。これでは全く信用のおけない論文だ。アルファベット順に並べて。カンマやピリオドの使い方も間違っている。」
「はい。すみません・・・」
「年明けから提出日まで一度も見なかったから気にしてたけど、
考察以下のところは、思ったよりもよく書けていたね。今日指導を受けた箇所をちゃんと修正すれば、通ると思うよ。」
「はい。ありがとうございます。」

その日の調子や、先生の一言一言に生徒は一喜一憂するし、認知が歪んでしまいこともある。
自分の身の丈以上のことはできないし、あ~だ、こ~だと言うのが指摘マン・・・いや指導教官のお勉めだ。

徒歩30分かけて、借りていた文献を図書館の返却ポストに放り込むと
間借りしていたサンビレッジよりも遥かに遠い実家に帰宅したのは、すっかり午前様だった。

結局、PCの前で訂正だらけの3冊の論文の束と首っ引きの3連休だった。

明日は早朝からまた3日間泊まりがけの最後の集中講義だ。
それでは、早めにおやすみなさい。

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2008/02/11 21:13 | 研究 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
夢の特別支援教育士
2008年02月05日 (火) | 編集 |
2008年も早1ヶ月経過した。。。

おばさん宣言したはいいが、自分自身はノーマルに生きてきたつもりでも、ハンディキャップだらけの紆余曲折続きだったことを思い知る瞬間がある。
そして、ストレスで背骨が疼く。

引越しという非日常イベントが一段楽して、現実の続きが戻ってくる。
実家のガレージや自分の部屋が段ボールの山に埋もれていて、
まだまだ片付いていない中で、週末締め切りのイベントが3つも一度に
押し寄せた・・・

明日で実家に戻って1週間。
2月1日には、2時間連続で夜の学校では「家族関係学特論」と「キャリアカウンセリング特論」の発表をなんとか無事にクリアしたのはよかったが、週末は、P家にご招待されたり、引越し疲れがどっと出て少しさぼってしまったのが運のツキ。

悪あがきの連戦連敗。
結局、自分の限界を感じて、3つのうち2つはドボンすることに決めた。

週末に3つのデッドラインがあるうち、2つを断念したのには、大きな理由がある。
それは、今の今まで私は、学校教育界におけるはみだし者であり続けてきたという悔恨である。
プライドを鼻にかけた学者の面々に謙りながら卑屈な葛藤を
ぶら提げて3年間大学院へも奉公を続けた。

3つのデットラインとは、
①修士論文の口述試験
②特別支援教育士の資格申請書類
③特別支援教育基礎論のレポート3枚分

この3つを仕上げるのにもう2日を切ってしまった。
暢気なことに、明日は終日、友人との別離を惜しむイベントを先約に入れてしまったので、どうあがいても間に合わない。

どうしてこんな追い討ちをかける重要なイベントが3つも同日に重なっているのだろう。
修士論文とその後も引越しや家事全般にかかりっきりだったとはいえ、確かにそれまでに時間調整は工夫次第でできたかもしれない。
それも、②の書類に事前に目を通す余裕は随分前からあったはずだから、①に囚われて今日ギリギリまで放置していたのは仕方がない。

でも、②に関しては書類を申請する時点で、もうこれ以上資格取得のためにお金と時間とエネルギーを費やす意義を感じなくなったのだ。
まるでプチンと夢への糸が切れてしまったみたいだ・・・

申請書類の中には、特別支援教育にかかわった履歴と、その実績、更に
それを証明するための在職証明が必須となっている。

所詮、私は現役の学生時代からどういうわけか、学校教育界に介入することを赦されない運命にあったのかもしれない。

5年もかけて私は、「特別支援教育士」も含めて教育界で通用するはずのライセンスを全て持ち腐れてきたのだ。

特殊教育特別専攻科を追われてから、人間関係でもみくちゃになって何箇所も転々としてアルバイト保育士として食いつないだ10年間。
それなのに、どれだけの履歴があるのか、
どれだけの実績があるのか、
私には何もない。

この資格取得のためにどれだけ右往左往してきたのか、砕け散った半生を所定の履歴書に淡々と記述することはできなかった。

まるで『オツベルと象』と重なって、嘗ての師匠やI先生の壇上の宣伝文句が頭の中を駆け巡る。

T教授「特別支援教育士のライセンスをとってください」
I教授「夜間の教職員大学院を受験してください」


="#3333FF">「苦しいです・・・サンタマリア」

そのたった一言が私の10年を翻弄し続けた。

なんだ、、、、
そんなこと言ってバーンアウトすることがわかってて、
教育界からはみ出した人間に追い討ちをかけるように、どうして受講料ばかりこんなに際限なく取り立てるんだ。

私には、今、対象とする子どもも働く現場もない。
働こうとすれば、心身共に疲れ果て、半年も経たずに現場を追われてきたんだ。
その私に一体どんな履歴を書いて出せっていうんだ。

もう疲れた・・・
お金も時間も返して欲しい。
私の履歴を返して欲しい。
今更、修士なんかもらったって、将来に何にも関係ないじゃない。

どうして今まで師匠たちが壇上で踏ん反り返った「オツベル」だったと気がつかなかったんだろう。
私にはあの大学の階段を転げ落ちたときから、学校教育界に敗者復活の道なんて既に閉ざされていたのに。

「特別支援教育士」は安穏とした社会的地位を約束された教員や心理職だけしか資格申請できないじゃないか。

それとも、修士も諸々の資格取得も、単なる趣味教養と自己満足で終わらせておけばいいのか???

これからは全て捨て去ってお掃除おばさんだって、何だってする。
マジメに働いてそれでご飯が食べられたら。
学歴や資格がいくらあっても、それが仕事にならなくちゃダメなんだ。
全ては無駄な自己投資と徒労に終わってしまうだけだ。
「先生」という肩書きの人々は、誰一人として私の将来を約束なんてしなかった。

「それはあなたの努力不足でしょう?
 それはあなたの自己責任でしょう。
 それはあなたの僻み根性でしょう?」

格差社会という不公平感を自助努力だけでどうやって贖えるのだ?
私は生まれながらの誰にも支援されてこなかった被虐児なんだ!

もう、腐れ果てた学校教育行政に未練はない。

でも、やらなくちゃ。
最後までやならくちゃ。
まだ死ぬわけにいかないし、大切な人たちのためにベストを尽くす環境があって、役に立てることがあるのなら苦心惨憺して取ろうとした資格
取得なんて、単なるプライドとこだわりに過ぎないだろう。







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2008/02/05 23:49 | 悶々 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲