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結婚して2ヶ月あまり。

大河ドラマの篤姫さまも、将軍さまの妻になって大儀なことである。

私の場合、未だに結婚した実感が殆どない。
大学院修了後、4月から本格的に障害者授産施設の介護生活支援員として働き出したので、
週5日8時間労働に費やしている時間の方が、1週間の主要な時間を占有していること、
実家では、パラサイトシングル時代と何ら変わらぬ、家事免除状態が維持されていること、
そして、何より未だに親族への挨拶さえもまともにやっていないこと
などなどがその理由。

世間一般からすると、結婚していないのに同棲していた2007年と
結婚したのに一緒に住んでいない2008年の狭間で、
とりあえず、無神経に恙無くやり過ごしている五月雨の3連休になった。

婚家と実家は隣町でまあまあ近距離なので、慌てず当分、週末別居婚が進行中。
しかし、婚家のお父さんもPさんに新居探しを促しているらしい。
伯母たちも、Pさんと私の「ど貧乏紙切れ婚」にブーイングを唱えた。
それで、今日、先月末の竣工式の振り替え休日をもらって3連休にした代わりに
伯母たちを実家に招待してPさんと挨拶を交わすことになった。

伯母たちがやってくる前日に従姉妹から新たに大きな花束が宅急便で届き、
母と私は、まずは手狭な部屋を掃除することから始めた。

伯母たちの心配も無理はない。
実質、ゆきんこの母方の一族というのは、強烈な母系社会で男性親族が少ない。
自然、男性親族は大人しく隅に追いやられているというのが、母方親族の集いの風景だった。
おまけに、私が生まれる以前の母と父との交際、結婚から結婚生活、離婚、その後の母子家庭まで
彼是40年以上も見守ってきた伯母たちにとっては、私の結婚が単純な紙切れで済まなかったことを
実感したのだった。

午後10時30分にPさんがスーツ姿でやってきたと同時に小雨が降り出した。
5分したかしなかったかで御母さんから携帯の電話が入り、お菓子を持って馳せ参じるといってきた。
それから15分くらいして、御母さんがかけつけてお菓子を届けにきた。
Pさんが付近の駐車場に車を停めに行き、そうこうしている間に、伯母たちが到着した。
雨が少し強くなり、母を間に挟んだ老いた3姉妹とPさんの御母さんが狭い居間に勢揃いして
恭しく正座して、深々と礼を交わした。

今時の若い衆には、面倒くさい儀礼だけど、心あるからこそ親族が遥遥駆けつけてくれたのだなあと
改めて感謝の気持ちがわいた。

「結婚してもしなくても、もちろん私は仕事を続けますが、、、」
「当然です!」

伯母たちは口にこそ明言しなかったが、
Pさんと私がこれから無事に生計を立てていけるのかに関心が集中していた。
30代を不安定雇用者として過ごしたことと、仕事が激務であるのに低収入であること、
夫は目下、報酬のない仕事に従事していることは、相変わらずの世間一般の不安材料であった。

新しい施設では、利用者の方々を送迎する年配の運転士さんと仲良くなった。
「あんたも苦労だね~」
と私の仕事振りとか、近況を話しながら労ってくれる。
「男は、妻が働きすぎだと怠けるんだよ。」
「・・・・そうですかね・・・」
「わしなんかは、母親を10歳でなくしたけど、妻の両親と同居して、最期まで面倒見たんだ。
あんたの新婚生活をみとったら、あんたがバカをみてるだけじゃないか。
しかも、仕事だって担当している人たちは、みんな大きな赤ちゃんみたいなもんじゃないか。」

そういって、代弁してくれる人がいるから、なんとかもちこたえているのかもしれない。
それに、母よりも年上の運転士さんが達観したことをいつも車の中で言ってくれる。
「金持ちじゃなんじゃといったってな、天変地異でも起こって死んでしまったらどうにもならんのじゃ。
まあ、少々給料が安くても相手に喜ばれる仕事をしとるんじゃから、いいじゃないか。
今は、障害児さまさまのご時世じゃから、昔とはくらべものにならんよ。」
「確かに福祉の充実は経済の発展に裏打ちされています。おかげで、私もご飯を食べられるわけで・・・」

通勤に路線バスと自転車を併用して田んぼの中を通勤しているところ、
梅雨明けには、自宅から電動自転車通勤を検討中。

「おんボロの中古車でいいから買って通勤すればいいじゃないか」
とPさんに進言され、本音をいえないので、ここに愚痴っておこう。

誰かに便乗はしても、自らは地球温暖化に拍車をかけたくないというエコ・レジスタンスは、私をがんこなペーパードライバーにし、雨の日も、寒暖の激しい日も自転車を愛用してきた。
考えすぎかもしれないが、往復1時間かけて町外れの山奥に居住する利用者さんを送迎するために、
どれだけのガソリンを消耗しているのだろうか?

そのことが、巡り巡って北極の白くまさんを餓死させていることにいたたまれない私は、
やはりバカなんだろうか?

そして、事例研究できない日々刻々のPさんの変容ぶりを密かに恭悦至極としている私は、やっぱりバカなんだろう。
憂いの中に、笑顔を携えているのがゆきんこ流。

さて、明日も5時起床でいきましょう!
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五月雨が降る日は


アクセスや読み手に構わず、ひとりよがりに脈絡なく書くのがゆきんこ流。

だけど、自由奔放、全く外部の制御を受けていないのかといえばそうではない。
新婚2ヶ月とGWを越えて再就職1ヶ月を経過して、日々刻々の変化を全て叙述していたのでは、
とても書ききれたものじゃない。

斜め向かいの町までバスと自転車の併用通勤で往復3時間半と1日8時間労働で、帰宅して食事と入浴したらすぐ就寝。
翌朝は夜明け前の4時30分起床という生活リズムにようやく慣れてきた。
周囲に呆れられてもやせ我慢のエコロジカルなチャリンコ通勤は、健在だ!

新設ほやほやの職員関係は、上下関係もあいまいなのがいいところ。
利用者や保護者とも思ったよりも早く信頼関係も築くことができたように思う。
それというのも、重い障害のあるわが子と歩み続けた18年から20数年というベテラン保護者の達観した姿勢に寧ろ支援者側の方が寛大に見てもらっている気がしている。

私が担当する利用者さんは、視覚障害を伴う重度重複障害の方を含めて3名だけど、
ま~、一筋縄ではありません。
まるで日々、ゴールの見えないトライアスロン的な支援にドタバタしている。
これまで保育所の正職員保育士に浴びせられた叱咤・雑言・禁止・命令という言語機能をどうしても
使ってしまう自分に自己嫌悪する。

もう保育畑には戻らない
それは、幼年コースで学んだ3年間をそのままドボンするのに近いレジスタンスだったけど、
Y教授からも安心したという携帯メールが舞い込んだ。
けれども、人間社会、家庭の内外で使役動詞を禁句にした美しく対等な関係が、一体古今東西、どこにあるのでしょうか?
「見切り発車もいいとこ」の危うい幕が上がり、4月末から5月にかけて、とうとう風邪をひいてしまい、2日の夜には発熱で寝込んでしまった。

翌朝3日は、熱を下げたい一心でPさんと久しぶりにH駅前に繰り出して、夕食を共にした。
それもつかの間、午後10時にはPさんと別れて新宿行きの夜行バスに乗り込んだ。
その目的はといえば、同じく新婚さんのOちゃん宅を訪問するのと、そもそも大阪育ちのOちゃんと私は、Oちゃんの結婚が決まったときに約束していたことがあった。
「東京ディズニーシーへ行こう!」

しかし、Pさんが別れ際にゆきんこに刺した一言が脳裏にはびこった。
「Oさんが腹心の友だということはわかるけど、僕なら中学時代からの旧友の新婚早々に、GWの休日を邪魔したりしないし、夫婦で過ごす時間を大切にするけどな。」

Oちゃんも私も、相手をないがしろにしたつもりは毛頭なかったのだけど、
実際には、夫婦で過ごすよりも旧友で過ごす時間を優先したには違いなかった。
その一言でPさんの真意が読み取れた。
「来年以降は、もうしませ~ん。」

翌朝4日の未明、新宿にバスは到着し、Oちゃんとバスターミナルで再会した。
午前8時から午後7時半までディズニーシーを満喫できたのはよかったけど、
風邪の症状が緩和されたとはいえ、さすがに乗り物ひとつ乗るのに平均45分の待ち時間を4~5回繰り返しただけでヘトヘトになった。

そういえば、GWはどこへ出かけても人込みで辟易していたのに、よりによってディズニーシーに繰り出すなんて・・・
「勇気あるか無知じゃないか」と共通の友人Tちゃんからも携帯電話が入った。

Oちゃんの新居は、ディズニーシーからJR沿線で1時間あまりで到着できた。
コテコテの大阪人のゆきんこ。
東京ははじめてじゃないけど、つり革広告やら、大衆のマナー、諸々の事象のちょっとした違いが面白くてキョロキョロしてしまった。

Oちゃんの夫のHさんには結婚式以来、2回目の対面だけど新入社員当時からいつも見た目が35歳。
いかにも穏やかで頼れるタイプなのが彼女のハートを射とめたらしい?
だから、Oちゃん曰く、今更、旧友との友情を優先したからといって気にすることはないと宥めてくれたのだが、
「私の先入観ですが、Oちゃんにないがしろにされているのでは?」
「・・・その通りです(笑)」
「そんなことないわよ」
・・・とまあ、何を言っても笑って受け流してくれる奇特な御方なのだった。

子どもの日には、午前9時まですっかり寝坊して、Oちゃんの独身時代と全く変わらない厚かましい
待遇を受けた。恐縮している私にOちゃんは独身時代と微塵も変わらずに言ってくれた。
「来てくれて喜んでいるんだし、そんなに遠慮されたら返って困るよ。都合悪かったら、はじめから来てもらわないって。」
こういうこと素直に言ってくれる旧友がOちゃんでよかったな~と思った。

午後から渋谷に繰り出して、「ルノワール&ルノワール展」を鑑賞した。
こちらの会場も、ディズニーに劣らずものすごい群衆が殺到していた。
ルノワールは20年来お気に入りの印象派アーティストで、何度か鑑賞しているが、今回よかったのは、ルノワールが中年期から晩年にかけて身近な家族を心から愛し、それを作品に仕上げていった過程が、よくわかった。
これに対比させて、息子のジャン・ルノワールが父の名作をモチーフにして数々の名画を製作したことも興味深かった。
ディナーは、「銀座ライオン」でチーズフォンデュやしょうが焼きに舌鼓を打った。
帰りの夜行バスの時間までOちゃんにすっかりお世話になって、渋谷を後にした。
東京で久しぶりに連休らしい連休を過ごし6日の早朝、大阪に戻ってきた。

「ゆきんこさん、GWは『ご主人』と過ごしたの?」
と施設長がやさしく連休明けにたずねてくださった。
「『ご主人』と言われても、まだ別居ですからピンとこなくて・・」

Pさんを一人残して、友人と過ごしたとはやっぱり言えないかな~?

GW明けは早速、担当の利用者さんの個別の支援計画書を5月15日までに提出するという宿題が出された。
連休明けに3日働いて、夢の国からすっかり脳みそが現実に引き戻される。

総勢6名の利用者さんにとって、一度、作業室へ入ると玄関から靴を履き替え、隣の畑まで繰り出すのにかかる時間は、なんと15分!
利用者さんたちにとっては、その15分さえもディズニーランドの乗り物を待つ時間に匹敵するくらいのエネルギーの消耗に値する。
利用者さんをお連れする支援員のO氏とゆきんこも、それだけでヘトヘトになるのだ・・・

どうにか今日の夕食までには支援計画表も滅多と使ったことがないエクセルにルビつきで一通り入力できた。
昨今の障害者福祉現場においては、利用者さんご本人のニーズを尊重し、支援者は対等な契約に基づいてサービスを提供するというシステムになってきた。
そのため、計画書は利用者にも開示する義務があり、ふりがなつきの書面を作成することになっているそうだ。
このことは、乳幼児対象の保育所では有り得なかった計画書の掟だった。

でも、私の担当の利用者さんって、点字も読めないし、トイレもお手伝いしているんですけど、それでも
ルビいるんですか?ってここでぼやかしてもらっておこう。

「噂には聞いていましたが、福祉の給料って本当に少ないんですね~」
昔、羽振りがよかったという初老の運転士さんに添乗し、利用者さんの送迎マイクロバスで
会話も弾む。
「ええ、だから給料の話は耳に入れないようにしています。」
「あんまり働きすぎると、旦那が怠けるというよ。」
「ええ。本当は専業主婦がいいんですけど、訳ありで・・・。もう外聞はきかないことにしました。」
「ところで、特価サービスのあるスーパーを知ってるかい?パンの日は一斤75円なんだよ。」
「え~!どこですか?教えてください!!」

そういうわけで、新婚気分はどこへやら?という若葉の季節の近況であります。









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