ゆきんこの引き出し
日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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ひとりよがり


昨日、自宅を出発して約2時間。
午前10時30分半年振りにJR神戸線に乗り、はじめての駅で降車した。
昨年通ったハーバーランドを通過して、須磨浦の海を眺めた。
不思議と水面をみているだけで少し穏やかになった。

さて、「穏やかになる」のは脳内でどんな科学変容が起こっているのだろう?
JR東加古川駅に降り立つと、ほんわかした町のムードが漂ってきた。
改札口には最寄の大学のオープンキャンパスの案内看板が表示してあった。

バスターミナルで専用マイクロバスに乗り込むと、恥ずかしながら浮いている自分を感じつつ平静を装った。
他の乗客は、キャピキャピの現役コギャル。
乗ること10分で大学の入り口に到着した。
「受付でアンケートに記入してください。」
「あの、受験生ではないのですが、こちらの専任講師の方が知人で、ご案内いただきました。」
「そうですか。では、よろしければ講義棟までご案内します。」

いつもなら気さくに何か話しかけようとオバタリアン根性を出してみるのだけど、
昨日の続きで凹んでいるので男子学生の後を無言で追随した。

「ゆきんこさん!?」
「K先生!!」
「まあ、よく来てくださいました。おひとり?」
「はい。昨日までバタバタしていて結局お誘いできませんでした。」
「遠いところ、来てくださって嬉しいです。2号館の2階なんだけど、今教材の準備中なの。」
「では、そちらでお待ちしています。」

この3月まで教職員大学院で親しくしていたK先生が、修了後H大学の講師に就任された。
オープンキャンパスの公開体験授業を担当することになり、昨日ご招待いただいた。
演題は「生命のサインをとらえる -脈拍・体温・血圧-
受験を志望してやってきた高校生から一般向けにやさしくわかりやすい実習だ。

実際に体温計・指先での脈拍のとり方・血圧の測定を実習した。
いずれも身近な計測物だけど、講義室となると改めて新鮮な気持ちで体験できた。
K先生のお弟子さんがアシスタントでペアになってくださった。

特に血圧計は、いつもはクリニックで手早く看護師さんに測定してもらうのが常だけど、
自分で相手の腕を測定するともたついていた。(だから、不器用)
女学生さんの聴診器を通して心臓の鼓動の音がドクドクドク聞こえた。
その鼓動の音と脈拍計の水銀が小刻みにリンクして上下に揺れた。
「へぇ・・・心臓の音ってこんな音ですか。生きている音って不思議ですね。」

ゆきんこのワーク☆での5ヶ月間は終わっても、私の心臓が動いている限り、
こうしてK先生に再会することもできれば、ブログにその出来事を綴り、
誰かに伝えて、わかってもらうことができる。
ありがたいことだ。

「どうだったかしら・・・ちょっと初めてで緊張しましたが。」
「いえ、先生とても落ち着いた口調でわかりやすかったです。それに、身近な問題なのにとても新鮮でした。楽しかったです。」
この大学の卒業生で現役養護教諭(保健室の先生)がK先生に近づき、挨拶を交わした。
娘さんはまだ中学生だが、御母さんと同じ職業を夢見て将来受験される決意をしたそうだ。

今時の若い人たちもしっかりしているのだなあ。
ゆきんこの場合、中学時代には、心理学を専攻し悩んでいる人の相談に乗りたいと思っていた。
それから、彼女たちの御母さん世代になってみて自分の半生を振り返ると、あたらずとも遠からずという周辺をうろうろ彷徨って、閉ざされた門の前でジタバタしてきた気がする。

心理学を学びたい。
それは幸せに寄与する科学だという憧れがあったからだ。
どうして泣いてばかりきたのか、
どうして父は働かず家でガラクタばかり作って時間を潰しているのか
母の留守には目の色を変えて私を竹の棒で叩くのか
私は誰もいない部屋で一人で泣き、母の帰宅までには平静にしていた。

悲しい過去を穿り出して自己憐憫に浸る時間を無益だとこれまで何度も自分を奮い立たせてきた。

「それじゃあ、お部屋へどうぞ。」
研究棟の非常階段をかけあがり、K先生は研究室へ案内してくださった。
「うわ!素敵なお部屋です。大学の教官ともなられると個室があるんですね。
ここでゼミもされるのですか?」
「ううん。大抵一人で居残って残務しているから、なんだか落ち着かなくて寂しいのよ。
それに、食堂へも行かないの。だって大勢のなかでたった一人で食事するのは孤独よ。」
「先生、まさにそれがかんもく症の人の姿です。」
「あなたが送ってくださったシンポジウムの案内拝見しました。
ああ、そうだわと思って、私の文献も改めて調べなおしてみたの。
よく送ってくださいました。こうして知らせてもらわないと気づかずに忘れてしまっていたことを
思い出したんです。」
「先生、ありがとうございます。」

K先生は、昨年までは地元で養護学校(特別支援学校)で長年、障害児教育に従事してこられた。
学校心理士として、保健室登校や不登校生徒の相談も歴任され、現在は養護教諭(保健室の先生)を目指す学生を指導していらっしゃる。
私が授産施設でバーンアウトした経緯にも熱心に傾聴してくださり、労ってくださった。
「聞いているだけで、昨日までの日々がどんなに大変だったでしょう。養護学校では1対1対応の重度障害の方を一度に3人も担当するなんて無謀ですね。しかも、クリーニング業務を行っている
他の班と反目しあっていたというのも、頷けます。養護学校でも同じようなことがありますね。
重度の方の支援はやったことがなければわからないわね。」

続いてかんもく症のことについても懇切なコメントをいただいた。
「私も実は、相談センターに勤務していたときにかんもく症の方にお会いしたことがありました。
彼らは、知的障害や発達障害でなくても、明らかに特別支援の対象です。私が若い頃には、教職員は知っていたと思うし、研修のテーマにも掲げられていた時代がありました。だけど、いつの間にか次第になくなっていったのね。誰にも気づかれないうちに・・・かんもく症児がいなくなったのではなくて、
取り沙汰されなくなって忘れられていった、取りこぼされて犠牲者にさせられたということに、はっとしたんです。これはいけないことだと。」

「そうです。どうして大学院でそういってくださる先生にお会いできなかったのでしょう。臨床心理士コースの修了生にも何度もチラシを渡しました。当事者はいってみれば、存在しているのに書面からその文字を削除されて抹殺されたようなものです。だから、私が思うに、教職歴30年から40年の先生の世代の方々とそれ以降の教職員の方々の間にかんもく症についての知識の有無にギャップがあったと思います。」

「特別支援教育というのは、私は教育の基盤だと思っています。だから一人一人の困った問題に対応する教育の対象として、学会が緘黙症に注目したのは画期的なことだったんでしょう。学会の専門誌上に緘黙症の文言が載るということだけでも、今後は全然違ってくるはずです。そして、保健室の養護教諭は必ず備えておかなければいけないことですね。かんもく症だけでなく目の前のどんな問題を持った子どもに対しても適切な対応が必要です。ところが今は発達障害や自閉症だけが当事者が増えたので、それだけが特別支援の対象だと勘違いして大騒ぎしているけど、少なくても他の障害もあるってことを軽視しているのね。他にも、チックとか一般に知られていない障害はたくさんあるけど、知らなくていいということではないわね。」

「先生、ありがとうございます。報告させていただいても構いませんか?」
「いいですよ。あなたの知り合いに養護教諭を目指したい人がいたら紹介してください。」

記憶は変容し、やがて埋没して再生・再認不可能となる。
おんきせがましいと言われても、私は恐る恐る記録する。
そして、場当たり的な下手なやり方でもソーンダイクの猫みたいに、試行錯誤すればヒットすることがある。

注目されずにこっそりと、でも、ありのまま自由気ままに綴るのがゆきんこ流。

忘れたい古く遠いココロの瘡蓋は書かなくても、いつでも何度でもリピートして涙ぐむことができる。
でも、忘れたくない今、忘れてはならないことばは、明記しておきたいのだ。
忘れられない数々の刃物につきつけられたような台詞に積み重なって頭にこびりつき、悲しい記憶になったとしても。

さて、ここで深呼吸したら脈拍変わってリラックスするかもね。
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(凹んでいても) いつものように

Pさんやお義父さん、義母さんは晩餐の度に私の仕事をいつも気にかけてくれていた。

「ゆきんこさんは、何がしたいの?」
Pさんの質問にその時、本心は言えなかった。

「かんもく症の研究と支援 こぐまクリニック」

障害者授産施設での日々の勤務が私の心身の大きな負担になり、このままではまたバーンアウトするかもしれない・・・
ケアレスミスが積み重なっていつかは大きな事故になってしまうかもしれない。

ひとりひとりの利用者さんたちは、成人に達してもやはり特有のかわいらしさや純朴さ、
嘘偽りのない言動がかけがえのない個性で、私は日ごとに単純作業を通して彼らとの親交を深められたと思う。

けれども私の場合、20代からこの仕事を続けてきて、危険と隣り合わせにひやひやはらはらしながら
薄給生活にも健気に耐えてきたつもりだった。
2000年以降は非正規雇用者が増産された。
精神的にも経済的にも不安定な状態で多くの障害児の方々とかかわってきた。
履歴が積み重なるたびに、重篤なケースを任され、その度にバーンアウトしてきた。
大学院で心理学を学びなおし、現場に還元するための再スタートも、結果は同じだった。

100坪の白地の畑を一瞥し、最重度の☆班を率いてきたキャリア26年ベテラン支援員のO氏は言った。
「死ぬと思った・・・」
6月から7月にかけてO氏の辞職を仄めかす発言が多くなり私も次第に不安を煽られていった。

北京オリンピックが終わり、100坪の畑は8月の終わりにかけて様相を変えた。
授産施設で長年農作業にも取り組んできたベテランのT氏や若手の男性支援員も加勢して毎日畑へ出てきて畝を新しく作り直すことになった。
平日、都合のつく保護者も雑草抜きを手伝ってくれることになった。

そして、週明けには私の辞職が正式に伝えられた。
そのせいか、周囲は私に優しく接するようになった。
私と挨拶さえしてくれなかったTさんも、挨拶を返してくれるようになり、
帰りがけには「これ、食べなさい。」と机に飴を置いてくれた。

O氏の主導・ゆきんこがフォローという6人の重度の利用者さんたちの支援体制もようやく軌道に乗り
なんとなく和気藹々とお互いが心地よく過ごせる雰囲気になったのは、盆休みが明けてからだった。

「ちゃんと事故がないように無事に仕事するのよ。」
「は~い。」
これが、朝一番の老母とパラサイトシングルまがいの年増の一人娘の台詞だ。
そして一昨日の勤務最終日まで、退職する気持ちなど微塵もなく清清しい気持ちでこの1週間が過ぎた。

月末の最終日は、利用者さんにお給料を支払う日になっていた。
29日、私の後任には8歳年下の素敵な女性支援員がやってきてO氏とゆきんこから
かいつまんで引継ぎをした。
新しい女性支援員と自己紹介をしあうと、何やら女性利用者3名は、そわそわもじもじと普段と違う様相をみせた。

そしてこの1週間は、何となく利用者さんにお別れのことばをかけていた。
「ゆきんこがいなくても、自分でできるよ。」
「新しい支援員さんがくるんだよ。」
「仲良くして素敵なお姉さんになってね。」
とおまじないのように・・・

すると利用者さんたちは、執拗に私のそばにやってきて自分でできるはずのトイレでの一連の行動なのに、何かと構って欲しがったり、抱きついて甘えてきたり、困ったことをやらかして叱られるというかかわりを求める行動が平常よりも多かった。
反対にいつもてこずらせたり、意欲を示さずサボっていた作業に勤しむ姿もあった。
彼女たちは、私が去っていくと悟ったようだった。

29日の午後2時
午前に引き続き、サツマイモの茎の束と葉を千切って仕分ける作業の最中、施設長が声をかけた。
「お給料を渡しますから、2階の食堂に上がってください。」
先月は1階玄関横の事務室窓口だったのになんだか仰々しい。
利用者さんたちも支援員も全員が勢ぞろいした。

「残念ですが、ゆきんこさんが今日で施設とお別れすることになりました。どうぞ前で挨拶してください。」

挨拶なんて何も考えていなかった。それくらい実感はなかった。
「ゆきんこさん、おはよう。といつも挨拶してくれてありがとう。
みなさんとピカピカの☆で一緒にお仕事できて、笑って過ごせました。
でも、だんだんやっぱりしんどいな・・・疲れたなと思いました。
辞めることになって本当にごめんなさい。
でも、他の支援者さんもみなさんも変わりません。
これからもお仕事ますますがんばって、お給料が増えたらいいなと思います。
そして、無理をしないで身体には気をつけてください。
ありがとうございました。」

「じゃあ、ゆきんこさんに何かいうことありますか?」
「はい!」
いつも憎まれ口だけど、憎めないひょうきんキャラのYさんがさっと挙手して立った。
「長い間、お世話になりました。ありがとうございました。」
「Yさん、素敵な挨拶をありがとう。」
「Yさん、あんな殊勝なこと言うんだねえ・・・」
担当支援員が感心して言った。

階段を下りてきたら、廊下にしゃがみ込んでRさんが号泣していた。
「どうしたのRさん?」
すると抱きついて泣きながらRさんは言った
「どうして・・・どうしてやめちゃうの、ゆきんこさん」
Rさんを抱きしめて私も涙がこぼれた。
「ごめんねRさん、ごめんなさい・・・今日はお誕生日だったのにね。
プレゼントしたビーズのブレスレットをゆきんこだと思ってね。
9月になってもきっと来るよ。約束する。」
「じゃ、月曜日きて」
「う~ん・・・それは・・・」

傍でしゃがみ込んでH君も泣いていた。
「ごめん・・・H君アイロンかけてるところいつもカッコよかったよ。
 帰りの送迎車は一緒に乗るからね。」
H君は泣きながら頷いた。

そうこうしているうちに、送迎時間が迫りまたドタバタと慌しく帰り支度をすることになった。
最後はO氏から送迎するときにもいつも通りに軽い会釈で済ませるようにと指示があった。
はじまったばかりの施設で半年以内に退職者を出すことで保護者に心配させないという方針だ。

毎月累積赤字運営の新設施設は、経費節減のため貨物用のバンを改造して送迎車として利用していた。一度に乗り込める定員は8名までなので、2往復するのに2時間弱かかった。
第1便に乗り込むと最重度の盲目のKさんにいつもの歌を歌った。
「♪しあわせなら手をたたこう・はなはな~」と彼女の小さい鼻先に触れると嬉しそうに笑った。

助手席のY君が言った。
「なあ、ゆきんこさん、なんでやめるんや?」
「ごめんなさい。・・・・つかれちゃった。しんどくなってん。
Yさん、立派な挨拶ありがとうね。
とてもジェントルでよかったよ。これからもジェントルでお願いします。」
「はい。じゃあ、さようなら!」
彼はいつも爽やかな笑顔で手を振ってくれる。
その屈託のない笑顔を見納めて私も長めに手を振った。

続いて2便目
「これで最後なんやな・・・」
「うん、またバーベキューのときに来るよ。」
「うん、きてな。」

「なんか、ゆきんこさんやめたらおもろないなぁ・・・」
「今度の支援員さん、私より若くて素敵な人だよ。」
「なんていうか、551のぶたまんのコマーシャルみたいな
ゆきんこさんがおるとき、ハハハ~(笑)
ないとき、シ~ン・・・って」
「あ~、なるほどそうか。ありがとう。
それで思い出した。こんな手遊び歌あるよ。来週はやらせてな。
♪ちゃんちゃんちゃんちゃん
おおさかにはうまいもんがいっぱいあるんやで
たこやき ぎょうざ おこのみやき ぶたまん」
「それ、♪ぶたまんっていうのかわいくておもろい。覚えるわ。」
「2番もあるよ。」
おこしやす~のお辞儀ジェスチャーがバカうけした。
「もう、Sさんはなぜかいつもゆきんこが送迎当番のときにいつも車中で発作起こすよねぇ?
もしかして笑いすぎて発作?」
「エ~~、そんなのカンケーネー!!」
喧嘩しても仲良しのTくんとSさんもいつものように
コテコテ大阪のダジャレやボケ突っ込みも飛ばしあって送迎車内は笑い声がこだました。

いつものように一人一人の利用者さんたちを送迎ポイントで降りてもらって手を振った。
「さようなら、元気でね。」

「・・・はい、無事に今週も終わりました。」
「まあ、あんたもやりすぎたんやな。それに、今回はO氏にはめられたんとちゃうか?
最初に辞めるって言い出したのは、O氏やろ?」
「O氏からは、もう人間相手の仕事に就かないほうがいいと進言されました。
以前から、管理職にはそういわれ続けてきたし、やっぱりキツイです。」
「いい人っていうだけじゃ、続かんよ。一生懸命やりすぎなんじゃ。
これまでどうにもこうにもならんかった人たちなんじゃから。」
「でも、重度といえども、一人一人はこの暑さを乗り切って成長したと思いますよ。
涼しくなってこれからサツマイモの収穫っていうときに、なんでやめるのかな~と。。。」

送迎車が施設に戻ると、いつもため口で命令口調のO氏が恭しく挨拶した。
「お疲れ様でした。」
O氏は最後にアセスメントシートを要請していたので、前夜作成した資料を提出した。
「ゆきんこさん、あんた、これだけきっちりと理解して書いているのに、どうしてできないんだ。」
「わかってても、好きでも、できないんです・・・不器用ですから。」
「オレはお前のこと心配しないぞ。」
「はい。それじゃ、☆班を宜しくお願いします。」
「おう。じゃあ、お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした。」

残務処理をしていると午後6時前後に☆班の保護者3名から相次いで電話をいただいた。
「残念です。どうして?」
「申し訳ありません・・・」
「子どものこともよく理解して対応してくださっていたし、最近調子もよくなってきたのに。」
「そうですね。思ったよりも早く馴染んで居心地よくされていました。」
「どこか、体調が悪いんですか。」
「ええ・・・まあ、いろいろと話せば長くなります。
私が辞めてもこの施設は何も変わりませんから、どうか安心してください。」


この台詞を一体、何回言ってきたのだろう。
辞めたくて辞めるんじゃない
続けたいのに続かないという悔恨がわいてくる。

でも、受け入れなくちゃ。
みにくいアヒルの子
これが私の運命なんだ。

テーマ:ゆるゆる人生 - ジャンル:日記

3周年記念も雨だった・・・

盆休み明けからの1週間が経過し、北京オリンピックもいよいよ明日で閉幕を迎える。

私がワーク☆に所属するのも残り1週間となった。
早番出勤だと、午前4時半起床、6時に家を出て7時過ぎの出勤。
窓開けに身支度、畑の野菜の様子を見たり、玄関の掃除をして
午後8時前に送迎車に乗り込むと、利用者の皆さん方を迎えて送り出す午後4時までは
ずっと張り詰めていなければならない。

週明けには常務理事のM氏の招集で臨時の職員会議が2回もあった。
その会議に私は参加しなかった。
その理由はもちろん、私の辞職が確定したからだ。
そのせいか、ずっと口をきいてくれなかったTさんが挨拶してくれるようになった。
何かといえば、どやしたりけなしたりのベテラン支援員T氏も妙なことに声色がやさしくなり、
控えめになった。
両氏は、1ヶ月前の宴会での無礼講を多少反省してくれたのだろうか?

しかし、時既に遅し・・・ It's too late
それとも、ピンチはチャンスか?

盆休み明けにはワーク☆の畑に爽やかな風が吹き渡り、
♪夏の終わりのハーモニーが流れてきそうな気配だ。
そして、険悪なムードも幾分ほぐれていた。

種から目を出したプチトマトは初年度にしては上出来で、豊作だった。
無農薬の香しい深いオレンジ色のプリプリした感触が、市販品よりもおいしかった。
Mさんがもぎ取ったトマトを目を離した隙に、Aさんがもぐもぐと食べていた。
「あ~~!!やめろ!それは商品だぞ!!」

そのトマトの畝は網を取り外し、茎も根っこから引き抜いてしまった。
私が辞めたからといって、利用者さんたちの安全を確保しながら共に仕事を続け、尚且つ
売り上げを伸ばしていかなければならない使命を支援者は負っていかなければならない。
利用者といっても、重度重複障害者のウェイトが高いと、支援者の責めは重くなる一方だ。
しかし、嘗ては自宅待機の対象だった方々もこうした施設が受容し、仕事を付与されることになった経緯には、当然メリットとデメリットを孕んでいるのだ。

はてさて、ゆきんこよ。どこへいく?
どうして、こんな転機には、こんな天気なんだろう?
ブログを始めて今日で3周年だ。
3周年といっても、開設した日と同じ雨模様じゃなんだかすっきりしないよね。
昨日、郵送されてきた「ねんきん特別便」を見たら愕然としたせいもあるし、
今夏受けざるを得なかった複数の医療サービスに腑に落ちないもどかしさもあった。

けれども、雨の日も悪くない。
今夏は雨が少なく10日に1回くらい降っても、雷と洪水がひどかった。
今週も晴れの日が続き、地割れした畑には恵みの雨だ。
ワーク☆の畑の土は粘土質だし、カサカサしているので水遣りの手間が大きく省ける。

そして、蝉の鳴き声がデクレッシェンドする夏の終わりから蜻蛉が空を舞う秋の初めが大好きだ。
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テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

『科学と人間行動』

アテネオリンピックの年に紀伊国屋で発見した翻訳書を入手した。

府立図書館から拝借したその専門書の返却期日は明日まで。
大学図書館なら夏期休暇中なら2ヶ月は貸し出してくれる。

しかし、修了した今、北京オリンピックが来るまで読まずにいたのは、自分のせい。
ABAの初心者から脱する気配も、今更セラピストになる可能性もない私が読んでも
仕方がない518ページにも渡る分厚い本だけど、
明日、返却するのは名残惜しいので、とりわけ印象に残った文章を引用・転写させていただきます。(私のブログなんて誰もアクセスしてませんから・・・)

「セラピストが初めて患者に出会ったとき、(患者から)"問題”を与えられる。
患者は常に不利な行動や危険な行動の新しいパターンを、行動を理解する新規の経歴とともに示す。
しかし、セラピストは最終的に"何が悪いかを見つけ”、行為を矯正するコースを示唆できるだろう。
それが問題に対する彼の解決である。
しかし、そのような解決が個人に提案されたとき、たとえそれが正しくても、必ずしも効果的でないことは往々にしてある。
しかし、もし患者が自分自身でその解決に至ることができたら、彼は効果的なコースを選択する可能性が非常に高い。
(中略)
誰が見つけたにしても"解決を見つける”ことが治療なのではない。どこに問題があるかを患者に話しても問題となる独立変数を効果的に変化させることにはならず、したがって、治癒への進歩もほとんどありえない。どこに問題があるかを発見した場合、解決が患者自身のうちからもたらされ、それが重要というのではなく、彼自身で解決を発見できたことは、実はその問題に関連する行動が大きく改善されたに違いないことである。
セラピーは、患者に自分の問題を発見させることではなく、患者が自らそれを発見する方法で患者を変えることである。」


ところで、
私は自分が何者なのか、どうして生まれてきたのかという自問自答に回答できていない。
ABAを完璧に理解していないくせに、励行してきたことがある。
無駄と思える徒労に過ぎない障害児・者支援の日々の積み重ねのなかに、自己満足的な変化を見出すときだ。

例えば、現在の施設で最も成長したと感じる利用者の女性Mさんの行動変容があった。
4月からGWにかけて彼女の失禁の回数は1日に10回近くだった。
私は彼女の腰元のようにトイレと更衣室を往復し、下着やトイレを洗って過ごした。
この失禁行動の減少を目標に、1ヵ月後には一連のトイレットトレーニングがだいたい確立して、
私のサポートなしに自分で用を足し、失禁はゼロになった。
彼女に幼児期に出会っていたらもっと楽に身辺自立できたのじゃないか?
これまで彼女にかかわってきた人々は何をしてたのだろうとも思った。

それだけでも、すごいと思うけど、
真夏の炎天下でトマトの収穫を一番してくれたのは、Mさんだった。
無発語のMさんの知的水準は私の推測では1歳半にも満たないだろう。
Mさんが1日も休まず、笑顔で送迎車に乗り込み支援者とがんばってくれたこと。
これくらいしか、私にはご褒美といえるものがない。
事実、授産施設は赤字が膨らんでいく一方で、ボーナスもない。
施設長には、
「すごい履歴だけど、ゆきんこさんってこの施設では何ができる人なのかわからないわ。」
と凹まされ、モチベーションも口角も下がった。

なぜ、自分もジリ貧で慢性的な疾患があって、病んでいる実家と婚家を引きずって、
いつ、どこで利用者の誰かが、事故や発作を起こすかどうかハラハラドキドキしていても
ほんの一瞬、ひきつり笑顔でいられるのか?

「ブリッコだなあ」(嫌子)とPさんはゆきんこの傷心を慮ってくれないけど、
食事の後かたづけの食器洗いをオペラントにやってるらしいし、お義父さんとお義母さんは、
笑顔で私を迎えてくださる。(いずれも好子出現による婚家訪問行動の強化?)

それは、ABAの師匠たちとスキナー博士のお陰といえば、あまりにも拡大した論理の飛躍なんだろうか?

公私共にトイレに入っている時間がいささか長めの私だけど、
排泄行動は、実は人類の永遠不滅の研究テーマなんじゃないかと思っている。
確か、I先生の研究論文にもあったよね!?
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テーマ:小さなしあわせ - ジャンル:日記

お盆らしいお盆

実感はまるでないけど、一応新婚さんのゆきんことPさん

戦没者追悼式典も終わった午後、のんびりとした盆休みの3日目を迎えている。
母はタイムリーに「靖国」という映画鑑賞に出かけた。
終戦当時、10歳だった母には戦争は忘れられない過去とあって、オリンピック中継よりも
戦争もの番組に見入っている。

かたや、別居のPさんはどうやら自分との戦いの真っ最中のようだ。
携帯で「うちにきますか?」と誘ったところ、あっさり断られた。

昨年、確か盆休みらしい盆休みはなく、週3日の非常勤だった。
仕事内容は何をしていたのか覚えていない。

今年は、とりあえず人並みに3日間の盆休みと土日で5連休になった。
1日目の13日には午後から婚家のPさん宅へ出かけて、お墓参りに参上した。
ちょうどPさんのお祖父さんが他界されて30周年の命日だそうだ。
お墓に参る前に、応接間で若かりし頃のお祖父さんのモノクロ写真を拝見した。

もう一枚は、お祖母さんが嘗て東京の一等地でサンゴ宝石店を営んでいた頃の資料を見せていただいた。
お祖母さんは付近のケアハウスに入居していらっしゃるとのことで、墓参りの後に結婚の報告に出かけるのが、スケジュールとなった。

お墓参りの前にPさんがLIVEで女子バドミントンの試合を見たいというので、応接間で視聴した。
スエマエが韓国ペアと対戦したが、敗れた瞬間、Pさんもガックリきていた。

それから、お義母さんの準備を手伝って4人でお祖父さんの眠る墓地へ向かった。
見晴らしのいい小高い新興の墓地からは、隣町のH市から河川の向こうの山々まで一望できた。
お祖父さんの眠るお墓にPさんと並んで手を合わせて拝んだ。

続いて、ケアハウスのお祖母さんを訪ねた。
お祖母さんもケアハウスに入居されてまだ半年も経っていらっしゃらないのだが、
職員が親切で優しいので、快適に生活されているとのことだった。
お祖母さんの部屋壁には、宝石商時代の写真が飾られ、昔の思い出話も聞かせていただいた。
「そんな話じゃなかったでしょう。」
とお義父さんがお祖母さんの話を訂正した。
「認知心理学の本には、記憶の変容について書いてあったよ。これだな。」

高齢者福祉施設には、意外とご縁のなかった私には、ケアハウスの雰囲気も興味の対象だった。
入居者の半数以上は女性が占めているから、食堂や廊下のカーテン模様も花柄が目立った。
1階デイケアルームの入り口には、電動乗馬セラピーの機械も設置されていた。
玄関には、セキセイインコとイヌのももちゃんも飼育されていて、アニマルセラピーも活用しているらしかった。

午後6時には再びPさん宅に戻って、お義母さんの夕餉の支度を手伝うことになった。
「今までは誰も手伝ってくれなかったでしょう・・・」
しかし、ヨメ意識など微塵もない私が手伝いになるのか、足手まといになるのか、
おしゃべりの方が多くなってしまい、いつもより晩御飯の時間は遅くなってしまった。

私が今の職場で仕事を長続きさせられそうもないことを婚家も気にして聞いてくれる。
「結婚してもしなくても、仕事はもちろん続けます。だけど、自分のキャリアを振り返り、
仕事を選びなおす上で安定していて長続きすることが大切だと思うんです。
Pさんとも早く一緒に暮らしたいです。」

食卓に沈黙が流れた。

話題は、自動車運転免許の条件や「紅葉マーク」で盛り上がり、午後9時過ぎに退席した。
「最後にちょっと見せたいものがあるの。」
最寄り駅に車が着いた途端、思い出したようにリュックからオレンジの分厚い専門本を取り出した。
「これが、元祖スキナー博士の名著。翻訳者には、F先生の名前もあるでしょう?
アテネオリンピックの時に、紀伊国屋で立ち読みしてたのだけど、その時には全然わからなかった。
受験のときからもっと簡単なABAの入門書やK先生が監訳された本から読み進めて今、原著の訳本を読んでみると、なんとか読めるようになったな~。」
「へえ、もう修了したのに、まだ専門書読んでるなんてすごいな。」
「やっぱり、まだ被れてるんだね。」

Pさんと手を振って別れたはいいが、お義母さんのお土産を車に置き忘れてしまった。

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どうする?ゆきんこ

北京オリンピックが開幕して8日目は、63回目の終戦記念日。

大半のスポーツシップがない日本国民にとっては、お盆のシーズン。
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んだ過去は、戦争を知らない世代にとって
「そんなのカンケーネー」というギャグで交わされがちだ。

スポーツ音痴の私でも、連日オリンピックを放送されることで次第にテレビに釘付けになるのだから
日々のコツコツとした取り組みが大成することもあれば、瞬時に台無しになる事象の瞬間瞬間に、
飽きもせずABA的な発見で少しでもクールにしようと試してみたいのだが・・・

ワーク☆での、辞職騒動はO氏から一転してゆきんこにダイレクトにふりかかってきた。
4月から気力と足りない体力で重度重複障害の方々の支援に粉骨砕身してきたが、
いよいよ急ピッチに展開した。

「オレ、8月末で辞めるから」と言っていたO氏。
施設長のY女史の説得で心の変容が起こったらしく、
「辞めるのやめたんだ。」
どう考えても、多動の他、諸々の問題行動満載のN君と、精神安定剤を減量し始めたI君が
いつ暴動を始めないかと冷や冷やハラハラしながらの支援は、障害者入所更正施設における輝かしいキャリアを積んできたO氏以外に代行できる職員はいない。

オリンピックの開会式が始まる前の金曜日の夕刻。
利用者の皆さんを無事に送り届け、トイレ掃除をしていた私に施設長がしゃがみ込んで話し始めた。
「ゆきんこさん、送迎車の添乗のことだけど、あなたが添乗したときにトラブルが起こるのはどうしてなのか、検証しないといけないわね。」

施設長は来る監査報告のための準備をしている。
そこで、事故報告書に目を通し、私にこんな問いかけをしたのだ。
「開所以来、あなたの報告書が一番多いの。こういう報告書は大きな事故が起こらないようにするための大切な資料になるんだけど、それにしても、どうしてあなたの報告が一番多いのかしら?」
「先生、実は私もこの仕事をずっと続けていけるかどうか気がかりなのはそのことです。
私が担当しているのは、片時も目を話せない利用者の方々です。でも、そうでなくても私は女性で、この通り華奢な体格ですから、成人に達した利用者の方々の大半ががっしりした体格でとても互角ではありません。何か事があったときには、自分ではセーブできないギリギリの物事が何度もありました。」
「あなたを見ていると、思いやりがあって優しく親切にかかわっているのがわかります。でも、授産施設では利用者さんと時には身体をはって闘わなくてはならないときもあります。これまでのあなたの履歴や適性から判断しても、この障害者施設は合ってないかもしれないわね。」
「やはり、先生もそう思いますか?」
「事故が起こってからでは取り返しがつきません。あなたにとっても相応しい職場を探しなおすほうがいいかもしれないわね。」
「そう言ってくださって何だかほっとしました・・・結婚しても、離婚することだってできるのですものね」

こんな話の流れのまま、8月の第2週は終わった。
私から現在の仕事を継続する自信がないことは、相談したが辞職を明言した覚えはなかった。

週明けの11日。午前中から常務理事のM氏も出勤していたので、施設長の口添えで夕刻に相談の機会を設けてもらった。
「そういうことなら8月末日にしたらどう?」
「でも、就職活動もやり直しになりますし、求人もすぐ見つかるかわからないので今すぐってわけでもないのですが・・・」
「遅かれ早かれの話なら、ダラダラしないで時間に区切りをつけた方がいいでしょう。もうしばらくなんだから、あなたも気楽にやればいいよ。この仕事は張り詰めすぎていては続かない。」
「折角、採用していただいたのに残念です。利用者さんにも情がありますし・・・体力と気力さえ何とかなれば。」
「残念だね。まあ、そういう理由で辞職する人が大半ですよ。」

確かに、O氏とゆきんこではキャリアも技能もまるで違う。
生活介護といっても、子どもの保育と障害者の身辺自立の支援も似て非なるところが大きかった。
施設長が早速、求人公募の手続きをしたらしく、ほっとした反面、何だか腑に落ちないところもあった。

支援員の胸中に関係なく、利用者さんは高らかに笑ったり泣いたり、洗面所で水遊びに興じる。
飽きるとふらりと室内を出て、引き止められることでかかわりを求める行動に翻弄される。
送迎車のなかで、突然、誰かが誰かを小突く、注意するとへへへと笑う。

施設外部のゆきんこの周辺の人々は、私の窮状を察して心配してくれた。
盲目の最重度の障害のある人に、就労支援の方法など思いつかないのも無理はないし、
身辺自立もしていない人に労働させるなんておかしいと
私の辞職理由に反対する人はなかった。

ママになったヤワラちゃんだって、いつまでも金メダルを取り続けることはできない。
自分でもそもそも無謀だった障害児・者の支援にかなりの歳月を費やしたことにもう悔いはない。

今さらの別居新婚と、今すぐ死ぬわけにも、働かないわけにもいかない四十路の進路変更は相変わらず、闇雲のなかだった。
そんな最中、ようやく私の手中には、日本の行動分析学者たちによって約された
『科学と人間行動』(B.Fスキナー著)があった。

どうなる?ワーク☆

甲子園での90回目の全国高校野球大会が無事開幕した模様

親睦会から尾をひいて、うだる暑さと共に不快感窮まる授産施設での1週間
月曜日にヘッドハンティングで登用されたO氏が正式に辞職願いを提出し、盆休み明けまでの勤務となった。

・・・ということは、O氏が背負っていた重い責めは、ずっしりとゆきんこの背中に・・・
そう思うと、憂鬱だったO氏のふっきれた表情と裏腹に、私の表情が険しくなりだした。
最重度の利用者さんにこれから一体、どんな支援をしていけばいいのか、全くアイデアが浮かんでこない。

週明け送迎者の運転士さんが、親睦会の様子をきいてくれた。
私は「他言しないでくださいよ。」と前置きしてから運転士さんに詳細を伝えた。
Tさんからとばっちりを受けていない他の職員もTさんの気性をわかっていて
「あの人はあのキャラできたんだな。もう今更直らないよ。」という類似のコメントを残した。

それから、3日後の7月最終日
玄関で帰りがけの私に、送迎車で戻ってきたTさんが私の顔を睨みつけていった。
「ちょっと、親睦会のこと運転士にいったでしょう!
私はああいう席でもなければ、話す機会がないから敢えて言ったのよ。
自分のいったことぐらい自分で言うのに、その席にいなかった運転士に言うなんて
感じワル~!!」
「・・・・すみませんでした。」

Tさんのこの台詞で、彼女が先週の発言を全く反省していないことがわかった。
もうこの人と一緒に働きたくないと思った。

「その人もかわいそうね。60代半ばまで自分を改められずに人から嫌われたまんまきたなんて。
あんたがその人を直してあげたら?」
「無理よ。恐ろしいおばさんなんだから。私の言うことなすことなんでも攻撃の材料なのに、20年以上も年配者をどうやって直すっていうの?」

Pさんにも仕事の窮状はこれまで愚痴程度にしか聞いてもらえていなかった。
「Pさんに仕事を辞めるなと言われるとストレスが溜まる。」
「わかった。もう言わないよ。じゃあ、ゆきんこさんどんな仕事がしたいの?」
「もう保育士はしない。・・・・う~ん、清掃業がいいかな?
辞めてもいいといってくれてホッとした。夫と母に心配してもらって幸せ者です。」
これが大学院修了者の台詞だ。
大学院出たって、返って一般人にとっては煙たいお邪魔虫なのだ。

その夜は浅い眠りで翌朝、平常通りに出勤するなり早速施設長に事の次第を伝えた。
「Oさんが辞めることになって、ゆきんこさんはどうするのか気がかりだったのよ。」
「Oさんの辞職が一因でないわけではありません。でも、私は3月に施設長の面接を受けたときにも
人間関係を一番大切にしたいと言いました。紹介をしてくださった先生もその点は安心できると太鼓判を押してもらって再就職したのです。それが、開所間もなくこんなことになって落胆しています。仕事は少々きつくても、給与も少なくても職員関係がなにより大切なのです。しかし、Tさんに何を言われるかと怯えながら仕事をすることが、ひいては利用者さんや保護者の方々に取り返しのつかない
事故につながらないかと、不安なのです。実際、Oさんが抜けたあとの☆班が私一人で対処できるはずはありません。」

「私の立場からTさんに進言できるのは、支援の仕方は支援員ひとりひとりの個性や職歴に応じて発揮してもらっているから、Tさんのやり方がベストではなく、それを他の支援者に押し付けることはできないということだけよ。あなたが不快な思いで追い詰められていることは見ていてわかります。
でも、年配で自分のやり方にもプライドをもっているTさんご自身が自省しない限り、私も人となりのことをとやかく言えないのよ。この組織を束ねられないことに私も悩んでいて、正直、私も辞めたいと思っているのよ。」

「そうでしょう。私が先生の立場でもそう思いますよ。」

「でも、豊富な職歴のある人々が開設からどんどん険悪になっているのは、私の監督のせいなのかしら?ひとりひとりが引き起こしたことでしょう?」

「それは、私自身にも問題がないわけではありません。誰もが赤字経営で関係を修復するだけの
余裕がないのですね。この暑さも士気をどんどん萎えさせているように思います。」

次に、送迎車に乗り込むと運転士さんに問い質した。
「私、他言はしないでくださいって言ったと思うのですが。」
「オレ、言ってないよ。Tさんから親睦会の話題を自分で切り出したんだ。」
「でも、また誰が言った言わないってことになれば、私も信用してお話できなくなります。
Tさんとすれ違う度に、何を言われるかと怯えているのですよ。私、気が弱いんです。この仕事も不向きだからもう辞めようかとまで思いつめています。」
「あんな人どこにだっているんだから、ゆきんこさんも思いつめずにもうちょっと我慢したらどうだい。
自分をいじめる人がいるという理由で、その度に転職したらあんたが損するだけだよ。」
「他業界から我慢しますよ。でも、障害のある人をサポートする職場の行く先々で職員同士が険悪なのは、もう懲り懲りしているのです。」

送迎車に一人また一人と利用者が乗り込む。
ことばも拙い彼らは、嫌なことがあっても噛んだり、引っかいたり、唸ったり吠えたりすれば、
あとはご機嫌でいてくれる。
その笑顔に少しは労われているかもしれない。
その日、その瞬間が無事に終わり、夕方の送迎車が空になったとき、静寂と安堵が訪れる。
猛暑の気だるさが私の帰属感や勤労意欲を低下させていた。

テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴13年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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