日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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ありがとう、さようならワーク☆
2008年09月30日 (火) | 編集 |
午前10時30分、小雨の中をとぼとぼと30分近くかけて歩いて市街地へ向かった。
まず、立ち寄ったのは銀行。本日付で施設に提出する書類に銀行印を押印してもらった。

次にバスに乗って20分。
正午には、丁度1ヶ月前まで降りていた停留所Aで降り立ち、再び徒歩30分。
今後、通勤路として歩かないだろうこの道程は、4月から8月の日々を物思いしながら行くことで雨にもかかわらず、なぜか足取りは軽やかだった。

田んぼの中に黄土色の施設が見え、やっぱり懐かしい気持ちがわいてきた。
一番先に目に入った人の姿は、T班の背高のナイスガイのMさんだった。
「お~い」
私から手を振ると、Mさんもすぐに気づいて私に手を振り返してくれた。
「こんにちは~。」
☆班の面々が支援員のO氏を囲んで玄関に腰掛けていた。
Mさんが近寄ってにこにこの笑顔をたたえた。
「あら~、みんな勢ぞろいでお出迎え?ありがとう。」
「いつもこの時間は戸外でこんな感じだよ。」
「今日は雨だね。もうお昼ご飯食べた?」
Mさんの口の周りはほのかに黄色くなっていた。
「あ~、今日カレーだったんだね。いつもより食べるの早かったんじゃない?」
続いて、Kさんが私に抱きつき、ぐいっと引っ張って隣に座らせた。
「ちょっと、痛い!Aさんだけに会いに来たんじゃないよ!!」
最終日、私が去ることを知ってシレ~っとした無表情だったAさんの反応が気がかりだったが、
相変わらずの人懐っこさで私を歓迎してくれたようだ。
「今日は朝からゆきんこさんが来るぞとみんなに伝えていたんだ。」
「ゆきんこさん来てくれてよかったね。」
「すみません。。。みんな元気そうでよかった。Yさんとも仲良くがんばっているんだね。安心したよ。」
「8月の猛暑でみんな丈夫に鍛えられたんだな。誰も休んでいないし、Kさんも発作はなかったよ。」
「じゃあ、Yさんはまだ1度もKさんの発作を?」
「はい、見ていないんです。」
「Kさん、元気そうでよかったね。♪しあわせなら態度で示そうよ。」
私が1ヶ月前まで殆ど毎日歌っていた歌を歌うと、盲目のKさんは微笑んで両手を握り合わせた。
「Kさん、私の声を覚えてくれていたね。」
「一度覚えたら、しばらく会わなくてもずっと声色を覚えているよ。」

1時で休憩時間が終わり、☆班の作業室に入ると、1ヶ月前と殆ど変わらない雰囲気で利用者さんたちは迎えてくれた。
「あれ、Oさんお腹出てますよ。」
「やっぱり?オレってこの季節太るんだよね。夏は汗もよくあれだけかいたけど、秋になると食欲が旺盛になって3キロも太っちゃった。」
「うん・・・1ヶ月もご無沙汰しているとみんな少しずつ変化しているのがわかりますよ。なんだかあの猛暑を乗り切ってみんな穏やかな表情をしていますね。」
「先週までは畑のさつまいもの収穫で忙しかったけど、今週は雨だしのんびりやってるよ。」
「空き缶踏みの作業も増えて、みんながんばってるんだね。1ヶ月前の猛暑とは大違い!」
6人の利用者さんが代わる代わる新しい支援員のYさんの指示で抵抗なく空き缶潰しに勤しんだ。
私の後任に入ったYさんが明るくてきぱきと利用者さんたちをサポートしてくれ、☆班が恙無く1ヶ月を過ごしたことがうかがえた。
ところが、Aさんときたら水遊びやら隣に私を座らせて気を引こうとたくらんでいた。
「Aさん、ゆきんこが来たら、赤ちゃんになっちゃうならもう帰りますよ。辞めたのは30%くらいはAさんの悪戯なんだからね。ちゃんとお姉さんになってねってお別れするとき言ったでしょ?」
そんなお小言には耳も貸さず、Aさんは自分の肩に私の腕を絡ませて歓喜の声をあげた。

作業意欲につながらず手持ち無沙汰だったり、心身の調子がなかなか整わなかったメンバーだけに、あんなにハラハラドキドキしながらの危険と隣りあわせだった支援が嘘のような1ヶ月が経過したようだ。

ゆきんこが1ヶ月ぶりに来たことで、新人のYさんとベテラン支援員のO氏と6名の利用者さんたちが和やかに午後の作業を終えて、降所時刻の3時はあっという間だった。
毎日勤務している時は、午後の2時間はなかなか経過しなかったというのに・・・
3時以降は、送迎車を待つT君・S君・H君たちが☆班に降りてきてクッション投げに興じた。
「最近、ここで過ごしているんだ。」
「うん。2階は誰もいないし。」
「もうクーラーもつけなくていいしね。みんな仲良しで元気で仕事していてよかった。辞めちゃってごめんね。」
「うん、いいよ。」
廊下ではRさんが恥ずかしそうに私の姿を見ては逃げていた。
「Rさん、遅くなったけど来たよ。お話しようよ!」
Rさんははにかんでしばらく逃げていたが、一緒に絵を描こうと誘うと、また1ヶ月前のように親しく会話した。
「私の夢は画家になること。」
「そうなんだ。ジミー大西って知ってる?」
「うん。でも、好きじゃない。」
「じゃあ、好きな画家はだれ?」
「え~っと漢字の名前難しいの。」
「テレビに出てる人?」
「うん。」
「だれかな?」
「これ、何描いたと思う?」
「イルカ」
「当たり!」

そうこうしていると、午後4時。
最後の送迎車を見届けて施設は鎮まりかえった。
残務の記録・清掃・物品の点検など、私の担当は新人のYさんがてきぱきとこなしていた。
Yさんとゆきんこ
明らかに違うのは若さ。
そしてバイタリティだった。
あの8月猛暑がなくても、私の許容量いっぱいのスレスレの支援は、Yさんには余裕綽々にみえた。

事務のIさんの手引きで退職の事務手続きを済ませると、「ああ、今日付けで本当に終わるのだ。」と
今までの辛苦がふっきれた気がした。
会話を交わさなかったTさんが
「旦那さんと暮らし始めた?」などと聞いてきてくれた。
「いえ、二人ともプー太郎ですよ。」
「どうなってんのよ。あんたたち新婚なのに。旦那に働いてもらえないの?」
「・・・・病気なんです。」
「ええ?」

運転士さんたちが「新しい仕事見つかった?」とか、
「一箇所面接を受けましたが、事務職だったので不採用でした。」
「ワシが連れて帰って雇ってやる。」
「夫に叱られます。」
「履歴書が立派すぎるからじゃないの?」
「立派じゃないですけど、雇いにくいでしょうね。消しゴムで消したほうが就職に有利ならそうした方がいいのかもしれませんね。」
「ゆきんこさん、お話ぶりが面白おかしいから講師がいいんじゃない?」
「肉体労働よりも、首から上の仕事の方が合っているかもしれませんね。でも、就職となると間口は厳しいです。」
「職種は何でもいいなら、キャディなんかどうだい?ゴルフ場を歩き回るけど時給はいいし、きっと福祉の仕事よりも楽にできるよ。」
「そうだ。ゆきんこさんなら、キャディは向いているだろうな。あんた話題が豊富だから。」
「そうですか?」
「もし、行ってみようと思うなら、事前に電話してよ。」
「ありがとうございます。」

「またいつでも会いに来てね。」
「お世話になりました。施設長もどうぞお体に気をつけて。」
とにかく、なんでだかゆきんこが辞めることになって、スタッフはあたたかく行く末を心配してくれていることがわかった。
5ヶ月間、この施設で過ごせたことがきっとみんないい思い出になるだろう。

ありがとう。さようなら。ワーク☆


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2008/09/30 22:13 | お仕事 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
はじめましての専門医
2008年09月27日 (土) | 編集 |
一生に1度も行かないところ、たまには行くところ
健康を維持するには出没する必要のあるところ

私は度々、その容貌から「保母さん」というよりは、かんごふさんに間違われることがあった。
でも看護師の仕事は保育士よりも遥かに高度な専門知識はもとより、タフさや冷静さ、そして人命を取り扱う仕事なのでやっぱり不適任だろう。

「エルおおさか」を退出し、正午過ぎ、次に大阪市の医療総合センターへと初受診した。
小規模クリニックを往復する程度の病気しかかかってこなかったので、総合医療センターだなんて、
受付ロビーがだだっ広すぎてそれだけで患者の群集に圧倒されてしまった。
事前に電話予約はしていたけど、予約受付と初診の受付をうろうろしてどちらが先なのか困惑した。
「あの、初めてですが。」
「あちらの受付です。」
「そちらはもう終了していました。予約はしています。」
「じゃあ、カルテと診察券は?」
「いえ、」
「では、もう一度初診受付で予約入れていることを伝えてください。」

そういうことか!ややこしい~
こんな問題は簡単そうでPDDの皆さんには実に難しいだろうな~。
お達し通りにカルテと診察券を発行してもらい、やっと関所を通過した。
エスカレーターで2階へ上がると、1階と違ってガラリと静粛になった。
ここでも、科の受付でポケベルと問診表を受け取った。
今時、病院でポケベルは活用中なのか。
診察予約時間は、12時30分だけど、通常1時間くらいは待たされるのが病院の慣わしだろう。
というわけで、ロビーに腰掛け、1時間読書タイム。
インターホンで名前の呼び出しが続き、20番目くらいにようやく順番が廻ってきた。
「よくある疾患ですよ。痛みはありますか?」
「いえ、はじめに痛かったのは3年前でした。でも初診では異常なしと見落とされ、その後も痛みも自覚症状も全くありませんでした。再度、痛みを覚えたのは7月の下旬でした。クリニックを変えてようやくMRI画像診断で疾患が見つかりました。」
「あなたのは良性ですね。」
「良性と悪性ではどう違うのですか?」
「悪性は内部が白く映し出されます。血液や脂肪で、変性してガンになる可能性があるのです。」
「どうしてできるのでしょうか?」
「う~ん、どうしてなのか?答えられません。一生気がつかずに普通に生活している人もいます。
あなたの場合も、無理に手術する必要がないでしょうね。今日は血液検査とやガン検診をします。結果は2週間後の再診でお伝えします。」

痛みもなく、手術の必要もないよくある疾患なのか・・・
診察時間が15分から20分だというのに、病院に入ってから出るまでに2時間半もかかるのは、
特に大阪市内の総合病院なら仕方がないのかな?
通院時間も往復2時間を要するので、ああ健康維持のためとはいえなんだか人生のロスタイムかもしれない。

なんといっても交通費も含めた医療費の出費に失業も重なるので、悲鳴をあげたくなる。
病院で楽しいこと?BGMはクラシックで、安らぐとか、読書する一定の時間が確保でき、日常からしばしエスケープできる環境ってところでしょうか?
もちろん重症の方や慢性疾患の方は全然違うのでしょうけど。


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2008/09/27 16:28 | 保健 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
キャリアカウンセリング
2008年09月27日 (土) | 編集 |
健康保険証の返却期限まであと2日に迫り、午前中K歯科でクリーニングをしてもらってきた。
待っている約1時間のうちに、スキナーの名著『心理学的ユートピア』もかなりよみすす
歯肉の検査では、殆ど出血しているのでよくブラッシングすることと、歯石も溜まっていたのでフロスで
こまめに手入れするようにと年若い歯科衛生士から助言があった。

これでも、毎食後5分は磨いてフロスも通しているのですが、なかなか完璧に磨けていませんね。
帰宅して連ドラ「瞳」の最終回を見届けた後の午後1時のニュースでは、生活保護世帯が過去最高を更新したと報じた。
このニュースひとつからも日本も自分もイケテないことがわかる気がする。
開き直ったわけでもないけど、失業状態が継続するのは不快なので自分に適した仕事を探しなおさないと!

就職活動に備えて、26日午後10時、雨の中エルおおさか南館を訪問した。
目的はキャリアカウンセリングを受けること。
皮肉なことに昨年、論文を書き進めながら受講した最後の科目は「キャリアカウンセリング特論」だった。

「おはようございます。ゆきんこと申します。」
「おはようございます。まず、所定の用紙に必要項目を記入してください。」
受付から他1名の女性と隣室へ案内され、そこで記入作業に取り掛かった。
「記入には30分くらいかかると思います。終わりましたら再び、受付へ提出してください。」

通常の履歴書と違う点は、記入欄に履歴の概要に加えて、どんな理由で就職したのか、そこで勤務した感想や退職の経緯などまであった。長々と書き込んでいると、隣の女性が先に立ち上がり私にはそれだけの無駄な履歴がありすぎるのかもしれなかった。

40分ほど経過して、受付に用紙を提出すると、担当のカウンセラーの女性が丁重に応対してくれた。
「ゆきんこさん、今日は11時30分までのご相談ですか?」
「はい。勝手をしますが、先約が入っていまして。」
「わかりました。では、初回面接ということで記入項目に沿ってお話を伺います。」

カウンセラーは私を相談室に通して真摯にインタビューを行なった。
「わたしは、いわゆる高学歴プアの部類に入ると思います。向学心がある方だと思うのですが、
障害児教育を究めたくて、機会ある毎に進学しては、学校で学んだことを現場に還元したいと望んできました。ところが、現場では往々にして元の木阿弥状態となり、上司や若い正職員との人間関係に
悩んできました。『アルバイトの分際で』とか、『あなたには保育士は不向きだから辞めなさい』『ここではあなたの理想の保育をしてもらっては困る』などと言われ続けてきました。本来ならば、障害のある方々を支援する上で職員間のチームワークが何より大切なのですが、私も自身の反省点としてそれが難しく、実際、重責な障害児保育に心身が疲労困憊してしまいニアミスのようなこともありました。」
「それは、大変でしたね。仕事には向学心もあるのに、職場の人間関係でそれが活かされなかったということですね。」
「もう行く先々の何箇所もの福祉現場で同じような結果に陥ってきたので、この際、恙無く人間関係の軋轢もない淡々とした仕事に転換したいと思います。」
「それでは、これまでの職種と一転して福祉・教育ではない分野をお考えなのですね?」
「・・・はい。そうですね。」
「会社勤務のご経験は?」
「新卒のころ勤務した会社ではじめは営業職でしたが、1年半経過し、心身症になって配置換えを上司に申請しました。今振り返ると、健康状態もよくなり、事務職は向いていたと思います。それから、
2年前にも営業で保険外交員をしましたが、厳しいノルマと学業が両立せず、論文を書き上げることに専念しました。」
「ふ~ん。すると、この3月で論文を書き上げられて、やり遂げることに対してのご意思はあるのですね?」
「そうですね。大学院でも自分のやりたかったコースで研究できたわけではなく、第2志望でした。ですから、在学中は仕事も学業も自分の思い通りにはならず、指導教官には何度も途中で辞めると悪態をついていました。それでも、論文は書き上げ再び就職したのですが、最重度の障害者の方々の支援も5ヶ月しか続かず結局、バーンアウトしました。」
「そうでしたか。では、ゆきんこさん。今日は約束の時間も迫りましたので、続きは次回にして、もう少し適性や転職の可能性などを診断していきますが、宜しいでしょうか?」

若いけど真摯で丁寧なカウンセラーの対応にまずまず自己主張はできたかも。
どうしても、上司に呼び出されたトラウマが蘇り、憤懣がこみあげてきた。
私が悪い部下だったのか、大した管理職に恵まれてこなかったのか?
少なくとも、私が心から信頼し、尊敬して献身したいと思う上司は実のところ一人もいなかった。
そんなに私の履歴が目障りなら全部消しゴムで消して一からやり直したい。

いくらスキナー博士の著作がすばらしくても、それは本の中のユートピア。「理想」郷なのだから。




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2008/09/27 15:42 | 就職活動 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
半年振りの大学院
2008年09月25日 (木) | 編集 |
昨日は、Fゼミに出かけると前置きしていたせいか、午後から身支度をしている最中にPさんから4回も電話があった。

3時30分には自宅を出て3年間通学した交通機関を経てJR神戸駅に降り立った。
5年くらい愛用してきたのびのびのバックパックには、チャンスがあればお見せしたい資料や書籍を詰め込んだ。
4時台の電車はまだ空席があるので、席に着いて
B.F.スキナー博士の小説『ウォールデンツー 森の生活 心理学的ユートピア』(1969誠信書房)の「12.保育室で(P97~)」から読み始めた。
電車に揺られていると、在学中の通学の電車のなかで色んな院生さんたちと親しくさせてもらったことを思い出した。

残念だったのは、第1志望の教育臨床心理コースの院生に限って、なかなか打ち解けられず、反対に
疎遠な感じさえしたことだった。
特に「緘黙症」のことを尋ねても芳しい反応は全くみられず、ちっとも親しげな感じを覚えなかった。
だから、他コースの院生たちからすると、教育臨床心理コースの面々だけが「あたしたちはあんたたちと別格なのよ」という妙に浮いた感じの特別な徒党にさえ見えた。

もちろん、私のジェラシーとやっかみが含まれていることは否定しませんが・・・

神戸駅には5時に到着した。
Fゼミの開始時刻は午後7時と連絡を受けていたので、まだまだたっぷりと時間がある。
そこで、地下モール街のデュオ神戸の地方物産展などを物色し、昨年、帰りがけに買い物をしていた
イズミヤハーバーランド店などで、差し入れしようと小1時間ほどショッピングを楽しんだ。

移動する際、お気に入りスポットだったスイーツハーバーの跡地は、子育て支援対策にリニューアルしたらしく、ファミリオという娯楽施設に模様替えされていた。
ありの巣エリアや絵本ライブラリーなど、ハード面では恵まれている環境だが、
だからといって、私個人の子育てのモチベーションがあがるのかといえば、相関しない。

所詮、豪華な施設ができても、自分の懐具合に子育てをする余裕がなければ、出産率が上がるどころか、スレスレの生計そのものが脱パラサイトを阻んでいる。
最近になって少子化大臣が任命されても、この20年対策が後手後手になって山積してきたのだから、やっぱり自治体の税金の使途が有効になっていないとしか思えない。

論文の総仕上げをしなければならなかった昨年の秋は、ストレス発散になぜかしら、買い物と料理・掃除などに走っていた。
それに比べて今年の秋は、、、またもや失業中
その理由は、この数年の酷暑を乗り切れなくなっていることが一番問題だ。

お買い得のクリームパンと紫芋チップスを買って地下から1階のエスカレーターに乗ったとき、
物珍しいコーナーが目に付いた。
「リラックスステーション新規オープン!!無料 トランセイバー健寿の健康回復コーナー」
「リラックス」「無料」という文字に弱いので、スルスルとためしてみることにした。

「あの、無料体験したいのですが。」
「どうぞ!!」
ありふれた椅子の上に腰掛け、フットクッションに足をのせた。
「両手を出してください。」
指示通りにすると、40代後半のセールスマンのS氏は電磁気のような機械を両手の平にあててブルブルと刺激した。

「どれくらい座っているのですか?」
「15分ね。今日、初めて?」
「はい。」
「そりゃ、ラッキーだ。毎日きたらいいよ。」
「遠方からたまたま来たので・・・次の予定は?」
「ん?あそこに受注したお客さんに営業だよ。」
予約客の名札は10名程度。
へ~!この装置のお値段40万円近くするんだよ!!

どうも思わせぶりな営業だな~
「健康1番!お金が2番!」
という売り文句で、並んで座っているお試しの他のお客さんたちにも座るだけで自然電位が全身を包み込んでさまざまの効果をもたらすことを宣伝した。

「それじゃ、このへんで。後で水を飲んでおいてくださいね。」
「ありがとうございました。」
15分経過したところで、トランセイバーの空席が埋まり、再び磁気解除のブルブル刺激を受けて、退散することとした。
身体が弱ってきたシニア世代や脳卒中などの中途障害者の心を揺さぶる商品だな。
ダメージを受けた人々の心身を癒す方法は千差万別あるけれど・・・

日没が迫り来る午後6時
いよいよ横断歩道を渡って大学院のフロントガラスを押し開けた。
「こんばんは。修了生のゆきんこです。今日はゼミにおじゃましにきました。」
「あら、どこのゼミ?」
「あ、N先生、在学中はお世話になりました。」
「まだ、(夏季)休暇中だからゼミをしている先生は少ないわよ。」
「いえ、院生さんにメールをいただいたので、もうすぐ。」
「ゆきんこさん、どの先生ですか?」
「F先生です。」
「F先生は・・・今日の予約受けていませんが。」
修了後も私の名前を忘れずに呼びかけてくれた事務担当のM嬢が便宜を払ってくれた。
「いつもは、7時頃小講義室でなさっているようです。」
「ありがとうございます。では、図書室で待機させていただきます。」

図書室に入室すると、殆ど違和感なく在学生の教職員たちが黙々とPCのキーを叩く音が響いてきた。
一度、部外者になると、PCのパスワードがないので利用できないし、コピーも専用カードを購入しないと利用できない。今度いつ再訪できるかわからないので書籍も借り出せないので、唯一、その場で閲覧するだけだ。

それでも、最新号の「行動療法研究」を閲覧して、即座にメモを走らせた。
臨床心理学コースの過去問題集も入手した。

30分経過した頃、昨年しばしば顔を合わせていた院生さんたちが入室してきた。
「あら、あなた?」
「お久しぶりです。在学中はご親切にありがとうございました。修了してちょっと立ち寄りました。」
「論文書き上げられたのね。羨ましい~。もうしんどくなってきちゃって、もう早く終わらせたいわ。」
「でも、終わってしまうと、ああ青春だったなと、ちょっと寂しいですよ。」
「そんなこと言えるなんて余裕あるのね。」
「仕上がった論文を読み返すと指導教官が尽力してくださったことがよくわかります。先生ご自身も
しっかり指導したよと仰ってくださいましたから。独りでは書けなかったと思います。」
「まあ~それも羨ましい!!私たち先生から全然ほったらかしなのよ。焦るわ~!」
「ないものねだりよ・・・」
黙々とキーを叩いていた女性がぼやいて会話に加わった。
「確かに、指導教官しだいで論文の仕上がりは全然違うと思います。でも、ちゃんと見てくださいと懇願したから私も我がままを聞いてもらったんですけどね。
先生によっては反対に敢えてほったらかしにして自分で研鑽するように指導なさらない方針なのかもしれませんし。」
「ないものねだり・・・」

年配の二人の女史が、困窮しながら論文を進める傍ら、行動療法研究を書写しているとFゼミの院生さんが入室してきた。
「I先生、こんばんは。今日は無理に押しかけまして・・・おじゃまさせていただきます。」
気のせいか、苦笑いでなんだかよそよそしいな。ホントにお邪魔ムシ?
やっぱり、院生でもない他コースの私が修了後も出没するのは迷惑なのだろうか?

今、オンエア中のスタジオパークのゲストは、FF(フォルティシモ)で1985年を風靡したハウンドドックの大友康平さん。大友氏は、バンドしながら教員になる道も嘗ては模索したらしい。進路に悩み、生徒と向き合っていく大変さを教育実習で経験し、結局、教員にはならずお笑い芸人になることも試行錯誤したとか。

続いて、入室した女性が接近し、歓喜の声で私の名を呼んだ!
「ゆきんこさん!久しぶり!今日来てたのね!!」
「ああ!S先生!私、夏休みにメールしたんですよ!」
「ごめん、携帯変えたのよ。」
「イソフラボンのめまいに対する効能を知りたくて」
「ああ、もちろん多少効果あるよ。イソフラボンって環境ホルモンだから。」
「イソフラボンは環境ホルモン?」
「うん。それで、仕事どうしてる?」
「それが・・・バーンアウトしました。」
「やっぱり私の予感的中ね。研究(の世界に)戻りなさいよ。」
「そういうS先生は?」
「がんばってるよ。月1回はまだゼミに来てるの。」
「へえ、もう修了してもまだ指導してもらっているのですか?」
「論文提出後も、まだまだ加筆修正があるのよ。講師の仕事も増えたから忙しくなったわ。」
「去年、あれだけしんどいしんどいって言ってましたけど、大丈夫なんですか?」
「うん。ちょっと楽になったよ。ありがとう。それじゃ、ゼミに行ってくるね。またね。」
「行ってらっしゃい。」

時計を見ると6時50分。
私も講義室へ移動してF先生をお待ちすることにした。

定刻を少し廻ってゼミ生のI先生・Y先生の後にF先生がお目見えした。
私は起立してF先生に一礼した。
「先生こんばんは。先日はありがとうございまし。ずっとお礼を申し上げたくて、久しぶりにおじゃましました。おはぎをもってきましたので、どうぞ召し上がってください!」
「ありがとう。どうぞみなさんで食べてください。私はドクターストップで食事制限しているのですよ。」
「ええ!去年までお菓子を持ち寄りしていたのに・・・」
「だから、それがよくなかったんだよね。」
「そうですか・・・」

おはぎだけでなく、クリームパンやコーヒーセットなど甘い持参品はなにひとつ差し出すことができなかった。
ゼミはお菓子を食べにくるところではないけれど、憩いの場所とずっと勘違いしていたのは私かな?
夏休み中、ブランクがあり2名のゼミ生さん方は、いよいよ論文の書き出し作業及びデータ処理の添
削指導を受けることになっていた模様。
特に、小学校のY校長先生はこの夏休みはほとんど返上だったそうだ。
やっぱり、善良なタフマンしかこのコースでは生き残っていけない。
だから、Fゼミの傍聴者を許容されてきた私が一番おいしいところ取りをしているのかもしれなかった。

Fゼミの場合、なんらかの療法や実践を行なう場合、まずベースラインをとる。
事前、最中、事後のデータを採集し、図表にして科学的指標に基づいて実証するのが鉄則である。
それでこそ、「何となく」の主観的経験知を誰もが認める客観的科学的に学術会で公表できるのだ。
これが、THE EVIDENCE BACED CLINICAL PHYCOLOGY というわけだ。

Y先生には
「問題の書き方に論理の飛躍がある。高齢者にはどんな問題があり、解決策にはどんな研究があったか?子どもの育ちにおいても同じで、双方がかかわることにはどんな意義・必要性があるのか流れに沿って説明し、先行研究を例示する。しかし、解明されていない点があり、実際に行なわれていない。」
I先生には
「実験的研究の場合、更に効果を確かめるには、3ヶ月経過、6ヶ月経過後というふうに実施してごらん。維持テストというんだ。やめた後も効果が残っているなら尚、完璧ですね。」

ゼミ生さんの資料に対する添削や指導助言はてきぱきと1時間あまりで終了したので、残り時間で特別なレクチャー&ディスカッションの時間になった。

「最近の親は、子どもをほったらかしにしている。娘が不登校になったと5ヶ月目で母親が相談しに来た。早くSSTやアンガーマネージメントをしないと大変な大人になってしまう。
不登校児が急増して、全国の中学校にあまねく臨床心理士が週1~2回派遣されるようになったが、出現率は減っていない。臨床心理士と教職員との協力・連携がうまくいっていないから、臨床心理士の評価が低い。プライバシーの保護や守秘義務があってセラピストから教員へ情報がもらえない。
海外はその日本の様相を見て、先進諸国のなかで不登校が多いのはおかしいと言っている。
ゆとり教育の弊害で学力テストなどの世界ランキングが下降しはじめて、経済界がクレームをつけた。結局、文科省の財源を割いて臨床心理士の派遣で不登校対策をしたのだけど、失敗したから臨床心理士の社会的地位が危うくなってきた。だから臨床心理士には学校教育界で重要なのだとその存在意義を示して欲しい。ところが、臨床心理士の認定協会は殆どが力動論者(精神分析学派)で占められている。河合隼雄氏が文化庁長官で君臨してくれているうちは見込みがあったが、政権が不安定だと、数年経っても臨床心理士の国家資格制が案件になったまま、流れてしまうだろう。心理療法は何がいいか、行動療法がいいに決まっている。精神分析では発達障害をちゃんとみれないんだ。最近は、PDDのワークショップ研究会を実施する研究者も増えてきた。きょうだいの不登校も増えて、どう引っぱり出すかが重要だ。まず、行事参加。小中高・専門学校と不登校が長引いて人とつきあうスキルが身につくとはとても思えない。20代にさしかかると取り返しのつかない可能性がある。小学生(0.03%)から中学生(2.67%)の不登校が8倍に急増する一因には、中学で給食がなくなることにある。とにかく日本全体がおかしい。ダメな国になった。核家族が崩壊し、金儲けに走った。3C(カー・クーラー・カラーテレビ)から家付き・カー付き・ババ抜きが叫ばれ、いかに生きるべきかを諭さなくなった。」

「先生、先日、杉山先生の講演会に出かけ、悲惨なお話を聞きました。杉山先生は今の日本の様相は20年前のアメリカに似ていると言っていましたが、現在のアメリカはどうなっているのでしょう?」
「アメリカでも麻薬、ドラッグ、高校生の性交などが横行したが、背景にはその国の文化や価値観がある。それにアメリカは法規制が厳格な国だ。」
「自由の反対には責任があると。でも、日本では自由ばかりで無責任になってしまった。」
「アメリカでは義務教育を終えた若者は家を出て自立するというお国柄は変わらない。」
「すると、今の日本が一概にアメリカに似ているとはいえないということですね・・・」

Y先生が話題を切り替えて、午後9時になった。
「それじゃ、今夜はこの辺にしましょう。あ、Pさんに宜しくね。」
へえ、PさんはよほどF先生に覚えがめでたいのだな。ついにファーストネームで呼んでいただくとは。
私なんかよりよっぽど相思相愛って感じ。
100回は面していないけど私などたった一回も名前を呼んでもらったことないのだ。
「先生、せっかく持ってきたので、よかったら持って帰ってください。」
「いえいえ」
お菓子を差し出したけど、2名の先生方もよそよそしく資料を片付けて随時、退室した。

EMビルの入り口でF先生に会釈したI先生が小走りで神戸駅へ向かって駆け抜けていった。
とぼとぼと神戸駅に辿り着き、新快速の空席に座ると、空腹感はすっかり通り越していたが仕方なくおはぎを食べた。

人間は感情の生き物ですから、いくつになってもパンドラの箱がひっくり返ってしまうのです。
もっとイヌを見習わなくちゃな。
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2008/09/25 15:25 | 大学院 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
胸騒ぎのプーおばさん
2008年09月24日 (水) | 編集 |
こんなにぼ~っとした穏やかな秋の快晴の正午。
自分の好きなことに思う存分、没頭しても構わないというのに・・・
なぜだか、胸騒ぎ・・・

大学院で毎週入り浸らせていただいていたFゼミに今夜7時に訪問させていただくことにした。
3年間、あんなに厚かましくリラックスしてF先生の御前にいたことが今、振り返ってみると
とっても恥ずかしい。

そもそも怖気づきやすい性格の筈なのに、よくあの大学院で管理職クラスの先生院生の皆さん方と
フランクなお付き合いができていたものだと呆れたりする。
昨日彼岸の午前中も、段ボール箱に雑然と入れていたFゼミの各々の院生さんたちの資料や臨床心理コースの資料を分類して改めて感嘆した。

ああ、やっぱり私は誰がなんといっても、暇さえあれば心理学オタクだな~!
旧友から「まだ心理学やってんの~?」と呆れられ、ボランティアばかりでまともな仕事にならなかったけど、やっぱり思春期から変わらずに心理学を愛している。
自分が直接手を差し伸べられず、困っている人々のことをただ想像するだけで胸がズキズキと痛み、
自分の自虐の傷まで疼いて涙がこぼれる。(なので、演技力あれば、女優になれそう)

自閉症の子どもたちの群集に塗れていた20代が懐かしくも、苦しい。
辛うじて発狂しないスレスレのところで、無我夢中になれるだけの気力と体力と若さ、そして、共に
がんばろうとする同僚がいた。朝から晩まで働いて相変わらず薄給だったけど、若かったのであまり将来を気にしていなかったのかもしれない。そのせいで、明日を確約してくれる社会的存在に私は
めぐり合うことができずに彷徨ってきた。

障害のある人々とかかわりを深くしながら、いつも心もとなく漠然とした不安を抱えて
「大丈夫だよ。」
「心配ないよ。」と言い続けることに矛盾を感じて苦しくなる。

そのせいか、数日眠れなかったのは。
そのせいか、久しぶりにFゼミに馳せ参じると決めたのに武者震い。。。

そこで、そんな自分を癒すべく、思い切りオタクになるときなのだろう、今。

オズの魔法使い占いによると、
マンチキンの博士に指南を受けて精進すべしとある。

グリンダ Glinda
カドリングを治めている、力のある良い魔法使い。見た目は若くて美しい。おそらくオズでは一番の魔法の使い手。オズでは魔法を使うことは禁止されているが、このグリンダと<魔法使い>だけはオズマにより例外として魔法を使うことを認められている。

移動手段として、白鳥のチャリオットを愛用。


本当に魔法使いがいたらどんなにいいだろうか?
嘗て、自閉症の兄Fくんとと多動の弟Tくんの家庭教師をさせてもらっていたころ、
お母さんには「ゆきんこさん、魔法使いみたい!」 とほめてもらったことがあった。

でもその過去は今は夢のような日々だった気がする。
とにかく、追い出されずに安心して働ける職場がないものだろうか・・・
それも夢なんだろうか?

担当証券マンのM氏から電話がかかった。
「あれ、ゆきんこさん、(日中に)どうしているのですか?」
「就職活動してますよ。」
「見つかりそうですか?」

やっぱり、仕事探さなくちゃ!



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2008/09/24 13:00 | 自己分析 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
子どもの虐待のために医療は何ができるか?その2
2008年09月23日 (火) | 編集 |
九州で起こった男児殺害の犯人が母親であったことは、発達障害関連の関係者に大きな衝撃をもたらしたことだろう。
ネットの内外のさまざまな現場で騒然としているかも

「母は死ぬまで辞められない」という15年前の台詞が蘇る。
子育ては社会全体の義務という通説も念仏のようにふりかかる。
私は特別、自身の子育てから免れてきたとは思わない。
寧ろ、自分の私的な結婚や子育ては後回しにして、保育士・支援員として従事してきたつもりだ。
はっきり言って保育業界というのは、男子禁制の砦みたいなところでクタクタになっている伝書鳩生活
だから縁という縁などなかった。
それにしても、それが続かない・・・

ブラウン管を通して殺害された男児の顔写真を見て、「ああ、この子はもしかして・・・」という予感は的中した。
男児は特別支援学級に在籍していたと報じられた。
だからこそ、プロ中のプロの支援が喫緊の急務となっているが、私の地元でもいつ起こるのかわからない他人事ではない事件だ。

殺害されてしまった男児のように、多くの困った君たちが増えているなか、その環境要因として子育て機能を十分果たしきれない親が「しつけ」という名目の虐待をしてしまうリスクは否めない。
私も父も先祖代々の虐待家族だからだ。

21日に聴講した記念講演
「子ども虐待のために医療は何ができるか」
あいち小児保健医療総合センター
杉山登志郎 先生

杉山先生をいつから知っていたか?
12年前に梅田の旭屋書店でマインド・サイエンスの総合誌を購入した。
imago[イマーゴ]1996年10月号
特集「自閉症」徹底討論 片倉信夫+杉山登志郎
自閉症者を支えるために-共感への新たなアプローチとある。

他には、D.ウィリアムズ F.タスティン バロン・コーエン
引きこもりの研究者 斉藤 環 などなど
今に受け継がれている著名人たちがズラリ。

ドナ・ウィリアムズさんといえば、今や世界的なカリスマアイドル自閉症当事者であり、ちょうど1年前に神戸の国際会議場で記念講演を行なった。
自閉症のマイブームは去っても、講演会場はものすごい関係者でごった返していた。
私はその賑わいをスルーして別の企画シンポジウムの会場へと移動したのだ。

遡ること1996年当時、今ほど社会に「自閉症」ということばが流布していなかったが、
既に心理学や精神医学界では脚光を浴びたトレンドな研究領域だった模様。
杉山先生は討論のなかで「100例以上知らない人には自閉症を語って欲しくない。」と述べている。
因みに、私も当時は療育施設で180人くらいはかかわらせていただいていました。
今ではダウン症を凌いで自閉症は凡人でもよくお目にかかるようになるほどに発症率も増えた気がしますが、なぜなんでしょうね?

当時、対談者の片倉信夫先生に年3回の指南を受けて「まぐろ」というリラクセーションを実施していた
ことも思い出しました!

そういうわけで、自閉症といえば第1人者の杉山先生。
現在の勤務拠点であるあいち小児センターは、
2001年11月に開設した子ども病院で、子ども保健センターを有している。
心療科が主軸で、臨床心理チームが独立セッションとなっている。
閉鎖ユニットをもつ心療小児科病棟がある。

ということは、これに倣って松心園もリニューアルしていくのか・・・
確かに、ご近所だからお化けが出そうな建物で、鉄格子も覘いているのです。

被虐児の扱われ方はやはり健全でない。
親に夜の盛り場を連れまわされている。
異性との関係にも問題が山積していて、フラッシュバックも頻出する。
育ちなおしに手間隙がかかる。

NHKが取り上げ30分~40分くらい放映されたあいち小児センターの虐待対応システムとは、
医師・虐待対応心理士・保健師・SW(ソーシャルワーカー)・看護師・保育士・PT・OTの虐待対応チームから成る。
トラウマ処理の経験豊富な虐待対応心理士と、恰幅のよいタフさを備えていないと虐待で生き残れない。

あいち小児センターの子ども虐待の症例(2001年11月~2008年3月)は、
最も多いのが身体的虐待で45.1%
現在の日本の様相は1980年代後半のアメリカによく似ている。

被虐児に認められる併存症の53.3%が(いわゆる軽度)発達障害である。
2大後遺症には、反応性愛着障害が47.3% 解離性障害(多重人格)が54.7%と
「好き好んで付き合いたい人じゃない」などと壇上で仰っていいのですか、先生?
しかし、愛知よりも大阪府は子ども虐待の先進地域で、6~7万件だから恐ろしい。

ADHDと虐待系の多動(反応性愛着障害脱抑制型:ベタベタタイプ)との鑑別は困難で、
解離があるかどうか、意識が朦朧とするか・他者への関心の度合いなどが鑑別点となる。

悲哀反応とは、分離不安や愛着形成の際、子どもが保護者によしよしと宥めてもらうことであるが、
被虐児の場合、数年経っても克服できない。

反応性愛着障害とは、
親やその代理となる人と愛着関係の未形成→適切な人間関係を作る能力や自制能力の欠如
激怒反応(恐怖と不安が根底にある)
自制が利かず反抗的・反社会的
共感・同情心の欠如・友人ができない
逆説的愛着(見ず知らずの人にベタベタする)

解離性障害とは、
強い心的外傷に晒されたとき、身体と意識の統一性が崩れる現象
記憶の断裂・変容(スイッチング)
人格の分裂・多重人格
解離性幻覚

子ども虐待とPDDの海外研究では、ルーマニア養子研究(Rutter,1998~2007)がある。
チャウシェスク政権下で多量のストリートチルドレンが発生した。
そのうち、自閉症を呈する児童が多数いたが、数年後には劇的に改善した。
しかし、追跡研究(Rutter,2007)では、改善例の多くに何らかのPDD症状が残存した。
戦争や惨酷な極限状態などの環境因によってPDDが生じる と示唆された。

次に杉山先生の愛知県のある女児の症例
母親は姉(7歳)に虐待し、妹は溺愛した。
母親に愛着がないので、姉はドライ。
姉は幽体離脱状態で、母の幽体とバトルした。

加害する親もまたPDDであることが多い。
被虐児の臨床像の推移(発達性トラウマ症候群 van der Kolk)は、
幼児期:反応性愛着障害→学童期前後:多動性行動障害→PTSDの症状の出現と解離症状の明確化→青年期:解離性障害と非行へと展開→成人期:最終的には複雑性PTSDの臨床像へ

PTSDの心理治療アプローチとして今、最も期待され、実用されているのは、
あの、EMDRだ!!
そこで、ありとあらゆる技法を用いてI先生も大奮闘ってわけですね。
私も一度やってもらいたいけど、高いんだろうな。
というよりも、私の場合、不要なのですが、やはり重度のトラウマ解消にどれだけ有効なのかに
関心が高いです。

発達障害児が幼児期にスパルタチックな療育を処されて成果があがったかにみえても、思春期を過ぎて生じる強引な療育の副作用もある。最近しみじみ感じることです。
とりわけ、児童精神医学領域における問題としてDSMでは判断できない診断学の限界がある。

発達精神病理学から見た虐待は、
・愛着障害と慢性のトラウマ
・自己の核となるものの不安定さ、および自律的コントロールの脆弱さ(Resilience機能の不全)
 →容易に解離反応が生じ、衝動性へ展開 →解離性症候群 →自我の分裂
・トラウマ→記憶の断裂→実行機能障害(その場反応)→フラッシュバック→体験の分裂

実に、被虐児の親の4割が極めて激しい虐待か、性的虐待、その両方の未治療の被虐待経験者である。しかし、虐待環境からの保護と愛着を形成できる愛着対象者の提供の社会的インフラ(例えば、里親・乳児院・情緒障害児施設等)が圧倒的に不足しており、このレベルでわが国は既に失格!!
我々の不幸は子どもを支える文化が壊れている。

ある児童養護施設では、6畳間に11人収容。
深夜勤は、夜泣き、あやし、おもらしで忙殺され、荒れている。
今や第4の発達障害はこのように表現される。
「よい子の僕がいつも虐められ、悪い子の僕しかいない。」

最後に杉山先生は、子ども好きの学校関係者がリタイアしたら里親になってもらいたいと懇願していた。

母が帰宅し、母親がわが子を手に掛けた計画犯について話してみた。
すると母は、
「わからなくもないわ。私も同じことをよく考えたものね。」
「思春期の父を里子にしたいと思う?」
「・・・・」
「私なんて一体、何回バーンアウトしてると思う?」
「それにしても、平和ボケしてるからDVって増えているのかしら?」
「つまり、対外的に戦争しなくなったら、闘争本能が家庭内で戦争を起こすってこと?」

なかなか心身ともに恰幅のよい人格が形成されにくいわが国のようです。
私の場合、いろんなPDDのお子さんたちが走馬灯のように脳裏に流れ、逃走本能が余計にそそられてしまう怪談のような講演会でした。

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2008/09/23 18:41 | 講演会 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
子ども虐待のために医療は何ができるか
2008年09月22日 (月) | 編集 |
ダーウィン展の後の5日間、夜は熟眠できずに、諸々の思考回路がグルグル渦巻いているという感じが続いている。

昨晩も白々としてきても寝入ることも起き上がることもできず、やっとふとんから出られたのは午後2時30分だった。
遅い昼食を食べるとようやく頭のぼ~っとした感じが抜けてきた。
すっかりプー太郎モード。。。

本日の行動プログラム(仰々しい!?)は、ハローワークに行くことを変更して職業カウンセリングを電話予約してみた。幸い、26日の午前中に予約できた。正午には首尾よく紹介状を得た医療センターへも移動できそう。

昨日21日午後12時30分~15時30分
出向いたのは、その職業カウンセリングを受けるエルおおさか(大阪府立労働センター)
地方独立行政法人大阪府立病院機構
大阪府立精神医療センター・松心園
平成20年度「子どもの心の診療拠点事業」受託記念講演を受講した。
テーマは
「子ども虐待のために医療は何ができるか ~医療と福祉の連携について~
講師は 杉山 登志郎 先生
(あいち小児保健医療総合センター 保健センター長 兼 心療科部長)
対象は、子どもの医療・福祉・保健・教育に携わる専門職

というわけで、飛び入り面接を受けた直後、ご当地の面接官から案内を受けて失業中ではあったが、
受講してきた。
杉山先生の名が轟いて久しいことは、自閉症の療育施設の現役指導員であった15年前から知っていた。
けれども、今回初めて講演会を受講できるのは、今回失業して履歴書を提出しなければ知りえなかったので不幸中の幸いなのかも?

プログラムは以下の通り

□開会挨拶        松心園園長 籠本孝雄
□事業についての概説 大阪府健康福祉部保健医療室地域保健感染症課
               課長補佐   麻生 豊

□事業計画の具体    松心園医長 大石 聡

松心園の沿革は、
昭和45年自閉症児施設として大阪府が設置
昭和55年第1種自閉症児施設として認可された(都道府県には4箇所しかないうちの1つ)
平成15年大阪府精神医療センターに改組
平成18年府から独立行政法人大阪府立病院機構に移管

施設名の由来は、当時の府知事が立地が松林で覆われていたことに因んで名称をつけたとか。

平成19年度の外来初診数は486人(うち発達障害確定診断350人)
のべ外来受診者数8945人
診断主病名は発達障害(PDD)が9割を占める。
受診年齢のピークは5~7歳。受診は18歳まで
平成19年度末の初診待機者数は838名で、2年以上の待機を生じている。

入院児は主たる3類型
①家庭・学校適応が困難で、生活破綻をきたしたPDDの子ども
②障害受容の困難な家庭において被虐待状況となったPDD児
③保護者からの虐待によって精神科的治療を要する症状を来した子ども

大阪府の子ども家庭センターと連携して入院治療を設定するケースが多い。
一時保護所を補完する医療型一時保健所として機能している面がある。
平成13年~16年度の入院はのべ122ケース
平均年齢9.2歳 被虐率は74.5%

都道府県拠点病院の機能として
□専門的子どもの心の診療拠点として特別な外来機能
 重症例紹介への対処
 難治例の診断と治療
 親に対する外来ケア
 家族療法の実施

□緊急入院診断機能
 強度の問題行動児の閉鎖病棟入院
 虐待を受けた子どもの一時保護委託入院

子ども家庭センター/児童福祉施設とのネットワーク構築に関する活動(10月から展開)
・児童虐待への対処のためのネットワーク作りを事業の中核に据えて展開
・子ども家庭センターと共同でケース選定
・乳児院・児童養護施設・知的障害児施設・重症心身障害児施設・情緒障害短期治療施設を対象に
 巡回してケースカンファレンス
・医療知見の提供によって施設スタッフを支援

松心園は、発達障害児の診断・治療に関する「高次医療機関」と位置づけられた。
新たな治療技法にキャッチアップしていくため、先進的治療を行なっている他の医療機関からの講師派遣を企画し、出張研修を実施する。
子ども虐待への医療対応を進めるため、厚生科学虐待治療班と共同し、研究を進める。

□子ども家庭センターの立場から   大阪府こども家庭センター 所長 松風 勝代

□アクトおおさかの取り組み      社会福祉法人北摂杉の子会大阪府発達障がい支援センター
                       センター長  新澤伸子
 相談の実態・事業統計の分析から
成人期の相談の激増
家族 長期の在宅生活(行き場所がない)
    本人の障害受容
    本人に就労ニーズがない

本人 発達障害ではないか?
    働きたいと思っている
    求職活動するが就労できない
    離職を繰り返す

幼児・学齢期の相談は横ばい
大阪府発達障害療育等支援事業(自閉症児療育センター)6箇所の整備
特別支援教育体制の推進 

というわけで、
自分自身でまとめてみると、
①松心園が発達障害児における被虐児および重症児の受け入れと新治療開発に積極的に取り組むこと
②大阪府下の複数の新設の自閉症施設と連携し、迅速なチーム医療で支援すること

③成人期以降の就労支援など諸問題にも対応すること

それで、その対極にある緘黙症は対象に含まれているんでしょうか?

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2008/09/22 20:58 | 講演会 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
問題と課題
2008年09月20日 (土) | 編集 |
昨日は父の誕生日だった。
父の引きこもり歴はもう何十年だろう?

私は自身の生活が埒もあかずに不安定なこと、
父の生涯も障害ももう取り返しのつかないことがわかっていて
一体何をやっているのかな~とぼーっとしてしまうことがある。

他人事は他人事だとさらりとしている一般人に比べると、
良くも悪くも、私は自分の周辺に関しては他人事と思わない性質らしい。
自己分析はもう30歳までに否というほどやってうんざりしている。
どんなに自己探求したって自分が何をオペラントし、セルフコントロールするかなんていちいち計算して行動しているわけじゃないし、どんな風に死ぬのかも誰にもわからない。

昨晩も、その前夜も眠りは浅かった。
特別の1日を迎えるその前後は、荷物をまとめる段階でやはり脳内は不要なドーパミン放出されているのか、そわそわしてとりとめのない思考がぐるぐると駆け巡るものだ。

Pさんへの差し入れのお菓子とカップ麺
RさんとMさんにもお手紙とプレゼント渡そうっと!

今振り返ると、自分の結婚の前夜などは今の心境に比べたら、穏やかで安らいだ気持ちだったように
思う。

昨日の朝は、久しぶりに5時台に起床した。
おにぎりもつくって気合十分!

荷物は最小限のつもりだったけど、バックパックはピチピチに膨れた。
自宅を出たのは午前7時。
通勤ラッシュのなか、8時過ぎに大阪駅へ着くと駅構内のアナウンスが流れた。
「今夜は台風の接近に備え、お早めにご帰宅ください。」

う~ん、、、大丈夫かな?
日帰りするにはやや強硬なスケジュールだけど、泊りがけするほどでもないという目的地まで
高速バスで往復7時間あまり
現地の滞在時間は5時間30分

目的というのは、PさんとRさんの本番の応援に行くこと。
失業しなかったら、この目的地に行くことはできなかったけど、
反対にいえば、失業したから応援できたともいえるかも。

往時のバス内で既に隣り合わせの女性は何度も髪を触りながら、
目的地で開催されるイベントの分厚いプログラムに目を通していた。

途中、バスは蒜山高原や大山などを通過し、大学時代に合宿したことなどを思い出した。
現地鳥取県米子市は、台風一過の雲で上空はどんよりと覆われていたが、
のどかな地方都市の風情がいい感じ。
自分の生まれたこの町を都会だと意識したことはないけど、
殺伐とした落ち着きのないムードのなかで育った者からすれば、
ほっとできる地方ののどかな風情というのは、何だか羨ましい。
米子駅に着くと、自然スーツケースを引きずる小集団に追随した。

あれあれ?
さっきの臨席の女性、赤いスーツケースで交差点の前まで一緒だったのに、反対方向へ行ってしまった。
こっちだよ~
とココロで叫んでみたけど、わざわざ追いかけて目的から逸れるのもなんだかね。
いつでもどこでも模範的な親切おばさんできない私であった。

親切を押し売りされても、嬉しくない人たちの存在が少なくないと最近自覚してきたのもあるかも。
それも寂しい。

会場へ着くと、ロビーの受付は関係者で賑わっていた。
お馴染みらしき常連者は、地方都市での再会にちょっぴり同窓会気分かも?
人込みのなかで過去に面識のある人でも、所変わって意外に遭遇するとびっくりしてしまうことがある。
大学院で障害児心理学の講義を受講したT先生の姿も目に飛び込んだ。

「あ!先生!?」
すれ違いにS女史は絶句して不動の驚きの表情を一瞬見せた。
「こんなところでお会いするなんて・・・!」

失業中は、申し込み用紙に記入するとき、往々にして凹んでしまうことがある。
名前は当たり前として、必ず「所属」の欄があるのだ。
空欄で出せず、一応記入して受付担当者に渡した。
一日臨時会員の費用は3000円。失業者には安くない!
手続きを済ませて、PさんとMさんに再会した。
まずは、館内のレストランで腹ごしらえだけど、本番を控えているPさんに余裕がないことは察知できた。

「びっくりしちゃった。私が保育士していたときの市の発達相談員の先生にばったり擦れ違ったよ。」
よもや、S先生だってなんで私がここにいるんだろうと思っただろう。
私の人生ってなんだか平凡じゃないのかな~
普通に保育士業が恙無くできたのなら、ここに来なくてもいいんだから。

こうしたビッグイベントはやっぱり苦手で、居心地の悪さとか疎外感を感じるものだ。
特に、今回はわざわざ来なくてもよかったのにのこのこやってきてしまったというか、
自分がここにいてもいいのかなという感じ・・・

ああ、そうか・・・

MさんとPさんは事前打ち合わせのため、レストランを出ると一時解散した。
ぽつんと一人3階の会場にとり残された。
基本的に気長な私は、ひとりでぼ~っとしているのはあんまり苦ではない。

エレベーターの前にオレンジのTシャツ姿の男子学生3名が座って雑談していた。
廊下で自販機の飲み物を購入し、廊下を隔てた中庭へ移動した老賢人の姿を見てみぬふりをした。
「まさか、ABAの大御所K先生では???」

しかし、K先生にとっては私は通りすがりの見知らぬ一般人
日本のABAの神様と崇められているK先生が、私みたいな、隠れ信奉者に気づくはずもない。
もちろん、なれなれしく近寄ってご挨拶など滅相もない。

知っているのに知らんふり 見てみぬふり
その罪にならない罪が積み重なって取り返しのつかない大罪になる。
それでも、介入したために失敗した罪の方が見過ごすことよりもはるかに重い。
だから、知らんふり。

表層では、何の介入も事前事後の変化もない2者の個体は通過した。
大方のそれぞれの人生は、このように変哲もなくスルーしていくものだ。
どちらかが、明確に示すオペラント行動を生起させない限りは。
その意味で、行動療法家はいつでもどこでも抜け目ない観察者だから、
被写体になる側としては、ちっともココロが休まったきがしないのだ。

ダーウィンみたいに無心にただただ観察しているのではない。
いや、ダーウィンだって種の起源を編纂するには、相当な年月をかけ、時代の宗教者に抗って実証するまでに数々の方略を練りに練ったのだ。

すごすごと会場に戻り、資料に改めて目を通すことにした。

2時30分を過ぎて、Pさんをはじめとする発表者たちが小会議室に現れた。
机を並べて、配布物などを設置し終わらないうちに、次から次へと聴講者が入室してきた。
「どうぞ、ご署名をお願いします。」

定刻になり、マイクを通して司会進行役のF先生の声が会議室にこだました。
この先の内容については、やむなくオフレコにしなければならない。
「王様の耳はロバの耳」と書いておこう。
表現の自由があるといっても、あらゆる刊行物は、検閲を受け、時代によっては隠蔽されてきた。
人間社会には、社会性だの、不文律だのルールという縛りがあるのだ。
人間は、サルにも犬にも退化することはできない。

そう思うと、人間に生まれたことを悔しく、恨めしく思っている人間の数は測り知れないのではないか?人間関係ほど、疎ましく猜疑に満ちた危ういものは他にあるだろうか?
ダーウィンが父に勧められた医師を生業に選ばなかった理由は、麻酔なしで小さな子どもに処置することが耐えられなかったからだそうだ。

無事発表が終わると、ほっとした表情の関係者に挨拶したのも束の間、
慌しくもと来たバスターミナルへと小走りで退散した。
バスは定刻の5時30分に発車し、指定席に座ると自然寛ぎモードにはなった。
車窓は、大山を抜けると次第に暗さを増し、日没が早くなったことを覚えた。

どういうわけか、ことばにできない気持ちというのがある。
それをブログなり何なりで言語化すれば、ココロは幾分浄化されたように感じられる。
ことばに吐き出すことが、刃になりかねないおそれをもたらすのなら、ぐっと秘めておかなければならないことがある。
それが、俗に言う精神分析の「抑圧」というものか?
開けてはならないパンドラの箱なのか?
ココロに渦巻く言語化してはならない感情。
人間だから誰にだって自然なことでしょう?
ベクトルを失った情熱は、心の中でアイデンティティと共に崩壊し、不燃焼爆発を起こそうとする。

その理由が自分のなかではっきりしているのを自覚し、隠蔽しなければならないことが辛い。
その対策に、無駄だとわかっていて、やはり私は、心理学の専門書を読み漁ろうとしている。
無駄だとわかっていて・・・










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2008/09/20 18:07 | 悶々 | Comment (1) Trackback (0) | Top▲
ダーウィン展
2008年09月18日 (木) | 編集 |
間もなく5時。
台風を予兆させるどんよりとした雲行きの中、いよいよPさんは目的地へ出発しただろうか?
屋久島上空の大型台風は日本上陸をじわりじわりと始めた模様。
既に宮崎辺りでは、お年寄りの皆さん方に避難勧告も発令され、不安そうな住民の姿がブラウン管から報じられている。
やばいなぁ~。

なぜって、明日Pさんと会うことになっている目的地に着いたら、多分台風も到着している確立が
結構高いから。。。

先ほどの午後4時22分。携帯電話に面接先の担当者から連絡が入った。
「今回は、ご縁がなかったということで・・・」
「そうですか。それでは、近くなのでボランティアなどがありましたら、宜しくお願いします。」

やっぱりなあ~。
期待はしていなかったけど、もしも採用されていたなら徒歩3分という理想的な通勤時間だったんだけどな。

昨日、その電話通知を待ち呆けて連絡がなかったので、採否の如何によらず、出かけることに決めていた。
ゆきんこの場合、保育畑で否応なく外で遊んだ習慣のせいか、オタクはどうも性に合わない。
家にいるのも結構好きだけど48時間以上じっと家にいると、3日目には何かしら用事を作って出かけたくなるらしい。

そういうわけで、まずは連ドラの「瞳」を見ながら朝食。
今日は瞳の祖父勝太郎と、母百子、瞳、そして過去の辛酸を清算すべく百子と離婚した瞳の父親が
17年ぶりに再会した。

身支度はのほほんマイペースでやっていると、食事15分の他に諸々諸々で2時間かかる。
10時過ぎに自宅を出て、前売りチケットをコンビニで購入。
図書館に取り寄せていた予約本を受け取りに立ち寄った。
ありがたいことに、地域の図書館には多分、所蔵していない専門書にもかかわらず、都道府県管轄の
図書館にも照会してくださったようだ。
それを証拠に、1冊は大阪府立図書館、もう1冊は更に入手困難だったらしく、何と「神奈川県立図書館」の所蔵書だった。

2冊のありがたい専門書をバックパックに入れるとずっしりと背中が重くなった。
そして、借り物でも入手できた2冊の本ににんまりと自己満足感が涌いてきた。
タイムリーにも、明日赴くであろう開催イベントとその2冊の本が入手できたことが自然にリンクするかのように。。。

電車で移動した目的地は、地下鉄長居駅。
ふと時計に目をやると、もう正午だった。
改札口を出てすぐ、平日の長居公園にはやはり、お年寄りの憩いの姿が目についた。
前方には、手をつないで歩いていく若い男女の姿もあり、追随するかのように目的地へ向かった。
そして、公園の沿道には等間隔に特別展ののぼりが会場までの道のりを誘っていた。

さて、着いたところは自然史博物館の「ダーウィン展」
今回は、事前に誰も誘わずに一人で観覧することにした。
大抵、誰か付き合ってくれそうな友人・知人を誘うのだけど、
9月の平日。誰も誘う人は思い当たらなかった。
開催期限が21日までと迫っていて、やっぱり見逃せないと思っていた。

平日の場合、客層はマイナーになるので独りでも案外孤独感を感じることもなく、無口にもかかわらず自然体で鑑賞できるということもある。
・・・という私は、連れ立っている相手がいるとお互い多弁になってしまい、じっくり鑑賞していないことも往々にしてあるからだ。

何より、ダーウィン展は夏休み中には、恐らく小・中学生の家族連れで連日賑わっていただろう。
群集が大嫌いな私には、ダーウィン展みたいな超人気の特別展を鑑賞する場合、
閑散とした時空間を敢えて予測しておくと、狙った通りのんびりと楽しめることに味をしめてきた。

鑑賞者は殆どが単独だった。或いは障害のある方と同伴する身内の二人連れであることが特徴的だった。

ダーウィンといえば、進化論を唱えた19世紀の生物学者としてあまりにも有名。
今では当たり前の進化論「種の起源」がどのようなプロセスで公表されたのかを
今回のダーウィン展では、とてもわかりやすく展示していた。

ゆきんこの場合、その人物像とか時代背景、周辺の人々との関係性にも関心を寄せることで親しみを
もとうとするクセがある。
だから、いけないことに現存する素敵な科学者がいたら、実物に近づこうとミーハー根性丸出しで躍起になっていることがあった。

その単純で奇抜な根性が、何となくダーウィンとオーバーラップするところがある。
ダーウィンが名門の裕福な家柄の子息であるとか、ケンブリッジ大学へ行けるほどの才気のある人というのは、科学者になるための前提だけど、
父親の反対を押し切っても、好きなものは好き、誰が何といおうと自分の気概と情熱を注ぎ込める対象があるということが、やはり凡人にはとてもできない科学者や芸術家に憧れるところなのではないだろうか。
・・・と思っているのは私だけ?

時代は大航海時代を経て、大英帝国が世界の覇者として植民地支配を遂げていた。
ビーグル号での大冒険がなければ、ダーウィンに成り代わって他の誰かが進化論を唱えたかもしれない。
もしも、父親の意に応えてダーウィンが医師か牧師になっていたら、彼自身も敬虔なキリスト教徒として神が万物を創造したと唱えていたかもしれない。

ましてや、彼に比類なき観察眼がなかったら、世に抗ってまで実証に実証を重ね、慎重に慎重を重ねた「種の起源」を刊行できなかったかもしれない。

~かもしれないの積み重ねは、ダーウィンを遡り、ダーウィンの死後も未来永劫に渡ってあらゆる科学の叡智の可能性へと連なっている。

私生活の説明も面白かった。
22歳で旅立ち、ビーグル号での航海を終えてロンドンに戻ったダーウィンは、30歳前後に、自ずと結婚を考えたが、それも科学者らしく、自分の人生に結婚の損得まで書き出した。
結局、最も身近な適齢期の女性として、母方ウェッジウッド家の出身で、ビーグル号の冒険旅行に加勢してくれた叔父の娘であったエマと結婚した。
10名の子どもをもうけてとてもアットホームな和気藹々とした家庭を築いたそうだ。

幼い頃から昆虫という昆虫と戯れ、自然のあらゆる細部に目を凝らし、誰よりも嬉々としていた天真爛漫なキャラだそうだから、妻も子どもも自分の研究対象と同様慈しむべきスペシャルな生命体だったの
だろう。

そういうわけで、失業中でも有閑マダムな台風前の1日でした。
明日は、向かう目的地を台風が直撃しないといいのですが・・・



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2008/09/18 18:04 | 科学 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
結果待ち  (ちょっとオズ占い)
2008年09月17日 (水) | 編集 |
15日敬老の日。

午前は「100歳万歳特集」を見て出かけた。
午前中立ち寄った目的地は、M駅前のロイヤルプリンスホテル。
大阪ガスが主催していた合同展示会に出かけて、もれなくいただけるバウムクーヘンをゲットすること。

11時にホテルを後にして、次なる目的地の公共施設へ向かった。
午後12時過ぎには、Pさんと、共通の知り合いであるRさんに再会した。
3人で所用を済ませ、N駅で別れるとぽつぽつ雨模様になった。
午後7時30分に「ディロン ~運命の犬再び~」を視聴して、やっぱり自分の子どもが無理なら犬を飼いたいな~と思った。

宇津井健さん演じる、インテリぶって周りの人々から賞賛されることで威厳を保っている独居老人の
お宅へセラピー犬を引退したディロンが一泊することになった。
雨夜のなか、老人は夜更けまでディロンの前で独白を始め、自分の人生を振り返った。
いわゆる、種を超えた老人と老犬のカウンセリングって感じ。
翌朝、老人はすっきりとブレーンストーミングを終えて、コンパニオン(伴侶)としてサリーという別の老犬を飼うことに決めた。

そういうわけで、自分の経済状況がなんとかなれば、やっぱり犬を飼いたいな~!!

翌朝の16日
ドラマの天気と同様に、夜中に降っていた雨が上がった。
私が出かけている間に挨拶に来たようだが、
隣の4人家族が引越しを始めた。

「今、引越ししてんねん。」
と小学校2年生のおにいちゃんが表で誰かに話していた。
私の家を挟んで両隣は子どものいる家庭だったので、反対側のBさんは引越しの様子を見ながら
「残念です~。今度入居する方もお子さん連れだったらいいのに・・・」
「そうですね~。スミマセン・・・」

我がM町内は確かに少子高齢化が甚だしい。
引越しが珍しいのは、M町は一応マイホームのお宅が多く、新築の空き地もないので
築30年以上も経っている世代がそのまま居残っている区域なのだ。
偶然、我が家の両隣に2000年以降に子どもが生まれた世帯が入居してきたのだけど、
左のお隣Aさん一家は程近い☆町の新居に移り住むことになった。
右隣のBさんは、明るく朗らかで屈託のないおしゃべりが魅力的な素敵な若奥さんだ。
真ん中に挟まっているゆきんこも子どもがいないとはいえ、玄関先では元保育士ということでごく普通のご近所付き合いをしていたが、専業主婦として子育てに専念しているAさん、Bさんに対して日中仕事で地域に不在気味の私は、自然エキストラになっていた。

雨上がりの午前は、2階の北向きの窓にも秋めいた陽光が射していた。
ガタガタと玄関先の引越しの騒音をBGMに猛暑で放置していた2階の書類を片付けた。
ダンボール箱には、2007年の日付のついた書き直しに書き直した論文の原稿のコピーやら大学院の
関係資料、行く先々でゲットしたチラシなどがごちゃまぜになっていた。
これらを分類している私は、今またプーおばさんか・・・
日の目を浴びないだろう自己満足論文をぼんやりと見つめて呆然とした。

引越しセンターのおにいちゃんたちも、多分、不安定雇用のバイトなんだろうな。

今日は、面接から1週間経ったのでそろそろ採否の結果の電話がかかってくるんじゃないかと思いつつ、気晴らしにブログを綴っている。





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2008/09/17 14:25 | 自己分析 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
M町ライヴコンサート
2008年09月14日 (日) | 編集 |
何事につけ、身近に見聞きしたことを忘却させないように、きままに綴って保存するのが
ゆきんこ流。

数日前からM町自治会役員のSさんからしばしばお誘いの電話を受けて自治会館へ出かけてきた。
その目的は、午後2時開演のライブコンサートを鑑賞すること。

会場といってもこじんまりとした自治会館だから、20畳くらいの広間に30名くらいのM町住民が押し寄せるともう満席。よくNHKで放映されていた「ご近所の底力」に登場するプチ宴会場みたいな感じだ。
座席も簡便に配置されて、内壁に沿ってパイプ椅子が並べられ、中央には座布団が敷き詰められた。
観客層はざっと30名~40名
その大半は、シニアのご隠居世代で、男性も10名ほど。
子どもの参加はその孫世代でたったの2名。
そのうち、見覚えのあるお祖母さんと孫娘のペアが既に最前列に着席していた。
「もう小学校2年生?早いねえ~」
お祖母さん友だち同士の語らいに孫娘さんはごく自然に溶け込んでいた。

「あの子、エリちゃんだ。」
「あんた名前まで知ってるの?」
「3年前の自治会のハイキングに参加してたでしょ?」
「よく憶えてるね。」
「あの時、幼稚園児だったけど、自分から自己紹介してきたんだよ。
あんなに人懐っこい子もいるんだね。」


今回の演者は、セミプロと無名のプロとのコラボレーション。
オープニングは、地域のハーモニカ同好会仲間の☆さんと、砂さん
平素は付近の老人ホームなどで慰問コンサートを行い、活躍していらっしゃるそうだ。
そんなお二人の演目は
「恋人よ」「ああ、上野駅」「パリのシャンソンメドレー」など哀愁を誘うメロディーと音色に
同世代シニアの女性観客もノスタルジックに聞き入っていた。

30分経過して、演者は無名プロの若者世代2名に交代した。
一人は、地域のラジオ局でパーソナリティとして活躍中の女性
女性は、一見して華やいだいかにも芸能関係者というオーラとサービス精神満載の笑顔をふりまいていた。
趣味で二孤という中国の弦楽器を始めて2年とのことだ。
もう一人は、斉藤慶多というプロのシンガーソングライターだ。
2004年にプロデビューしたそうだけど、まだまだ無名らしい。

始めに、女性が「少年時代」「涙怱々」「上を向いて歩こう」を演奏。
2年でポップス3曲も披露できれば、十分な腕前だと思った。

斉藤君は、さすがにプロなんだなという演奏だった。
でも、難点を言えば、こんな小さな会場で音量がひときわ大きすぎたこと。
最前列の小学生エリちゃんは、斉藤君の目前で両耳を塞いだ。

演目は、中島みゆきの「糸」 
3番目の歌詞を自分でアレンジしてつけたという童謡「しゃぼんだま」
それからオリジナルソングの「HERO」
友人の結婚の門出にと作詞作曲したそうだ。
最後は「上を向いて歩こう」を全員で合唱して盛り上がってフィナーレ。
「もう少し大きな声で!」
「プロシンガーになったつもりで!!」
と観客を盛り上げるのも上手く、歌い終わるとほのかに熱気が残った。

無名のプロだから、自分自身を売り込むことにも余念がない。
曲の合間には、プロらしく18日にリリースするニューアルバムの宣伝したり、
コンサートの最後には今月オンエアされる予定のTV出演のチラシなども配布していた。

玄関の下駄箱の横に立っている斉藤君を全く無視して通過する根性はなく、
チラシを受け取って、お世辞ともいえないことばをかけた。
「この写真よりも実物のあなたの方がずっといいですよ。」
「ありがとうございます。」

無名といっても芸能人を目の当たりにするのは、なぜだかこっちが気恥ずかしい。。。
アーティストだからなのか、芸能人というのは目立って注目されてなんぼの商売なんだもの。
スポンサーがない無名の芸能人はなかなか売り出すこと自体が大変なんだろうと思う。
たまには、こんな非日常もいいけど、普通の凡凡とした暮らしがやっぱりいいな。

因みに、この斉藤君は、M町のギタークラブの先生も
月1回兼任している。
私の母は斉藤先生にいっちょかみで入門しているらしい。



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2008/09/14 16:28 | 鑑賞 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ベガスの恋に勝つルール
2008年09月12日 (金) | 編集 |
昨晩はぐっすり眠れたのだけど、鼻水はだらだらと出ている9月第2週の金曜日。
失業して10日以上経過すると、だらだらモードが板についてくる。
・・・・という私は案外、公私の変化に対してある程度、適応力ある方なのかも?

本当は、今日通院する予定で9月1日には電話予約を入れていた。
しかし、私と同じ疾患の患者さんの先約殺到で飛び入りの「予約外外来」でも待つだけ無駄という
返答だった。

数箇所巡ってMRIまで撮ってようやく疾患が判明してから、クリニックで新たに専門医に紹介状を交付
されるのに2週間。それから紹介状付の初診にこぎつけるのに更に2週間。

そういうわけで、この疾患の兆候に気づいたのが遡ること3年前だったことを思うと、
初診で誤診された上に、
「こっちは失業してるのだ~~~!!!」と腹が立つのも通り越してしまう。
これで、私たちは果たして安全な国・地域・医療・教育を享受しているといえるのでしょうか?

自己反省を少し付け加えるなら、患部は将来増殖するおそれがあるものの、
自覚症状がありながら、放っておいたのは自認します。
8月に初診したI医院でも
「ガン検診受けますか?」
「いいえ。」
「本当に受けませんか?」
「はい。」
と医師に念押しされても自分の意思で断ったのだから。

そういうわけで、専門医に初診するのは電話予約が無事に完了して9月下旬の某日と決まった。

それで、今から書くのは一昨日10日の午後のことです。
午前11時から約20分に渡る面接はとりあえず無事に終わった。
帰宅してスーツから花柄Tシャツとハーフカットジーンズパンツに着替えたら、
一路、梅田に繰り出した。

10日の予定は本来8月末には予定をつくって待ちかねていたレジャーだった。
ところが、予定外の面接が急遽午前中に入ったので、時間をずらして待ち合わせた。

午後1時。JR大阪駅の改札口で久しぶりにSちゃんと再会した。
失業や凹む度に、共通の趣味や話題などで私を何気に癒してくれるSちゃんは
私にはかけがえのない友人となっている。(大袈裟?)

仲良しの友だちなら好きな所へ一緒に出かけ、一緒に楽しむというのは自然なことで、
Sちゃんとは、それが時間をかけてゆるゆると無理なく持続してきたという感じかもしれない。
一頃は共通の趣味だった英会話でも話題が盛り上がり、それはともかく
Sちゃんは、そこら辺のプロよりも聞き上手で安心できるセラピストタイプであることが
私にとって貴重なのだ。

今回は、久しぶりにレディースデーで洋画鑑賞しようということになった。
上映時間まで2時間半くらいあるので、うどんをすすって近況を述べ合った。
女性(ゆきんこの代名詞?)というものは、論理的でなく感情的な生き物だ。
だから、Sちゃんだけでなく、午前中の面接官も含めた複数の人々に大まかな人生行路なり、
近況報告を口述やブログで繰り返し反芻することで、私はこの10日間くらいで十分、ココロの整理を
つけることができていた。

不遇続きだったのは、自分のせいだけじゃない。
時代のせいでもある。
でも、その時代の中で自分が知らず知らずに澱のような有形無形の罪作りをしてきたことを
自覚する人はどれだけいるのだろうか?

Sちゃんにいろいろ聞いてもらううち、
心理学や障害児・者の世界で生き延びようとすることが無理だと見えてきた。
結婚は、ただ好きというだけでは続かない。
一番大事なのは、生計を立てられるのかどうかということ。
夫婦でわかりあえない心情は必ずあるから、女性同士の友情は不可欠だということ。

耳の痛いアドバイスもあるけど、同い年でも結婚暦がずっと長い先輩として当たり前の忠告だ。
事実を受けとめて夢だけで生きていけないと悟れるのも
子どもっぽかったパラサイトシングルが少しは大人になった証拠なのだろう。
開設当初はブログの功罪を気にしなかったのだけど、
最近、干渉や中傷を懸念して真っ正直レコ台詞を記述する勇気がなくなった。。。
「正直者がバカを見る」
ブログの中と現実とを交錯するしっぺ返しが怖いのだ。


「さて、そろそろ移動しようか。」
TOHO梅田パラスは、ナビオ阪急がなくなってからリニューアルされた映画館。
今回、Sちゃんのリクエストで鑑賞する映画は、こじんまりとした小劇場で落ち着いたムード。
客席は100~150くらいで、既に鑑賞客の95%が若い女性で占められていた。

タイトルがタイトルだもんね。
「ベガスの恋に勝つルール」
自分のことばで解説しますと、
何事にも一意入魂・ハイテンションのキャリアウーマン・ジョイは同棲相手と別れて失恋した。
同時期、社長の息子ジャックが雇用者の父親に解雇を言い渡され、失業した。
そんな二人が、凹んだ気持ちを癒すべく憂さ晴らしにベガスで出会い、意気投合。
泥酔状態で一夜のうちに結婚してしまい、スロットマシンで300万ドルをゲット。

しかし、通常有り得ない急展開は一夜の過ち。(そこはドラマ)
素面に戻ると、300万ドルの争奪に躍起になり、即法廷離婚を申し立てた。
裁判官のお達しで6ヶ月間結婚生活を維持した後に、採決することとなり、
その間、同居生活を営みながら定期的にカップルカウンセリングを受けることも課せられた。

成り行きのギャンブル婚がスタートし、夫婦は相手を落としいれようと悪戯や策略を練る。
ときには、仲むつまじい夫婦を演じ、お互いのピンチに協力しながら、相手のいいところも
ダメなところも分かり合って受け入れていく。

半年後、採決の法廷でカップル・カウンセラーは二人をこう評した。
「問題は山ほどありますが、信じられないほど相性が抜群の夫婦です。」

結末は、ジョイは仕事で昇進のチャンスもライバルに譲って、退職し、
お互いの愛情を確かめ合ったにもかかわらず、慰謝料も一切受け取らず、ジャックの家を出て離婚した。
ジャックは失踪した元妻の思い出の砂浜で
「君に賭ける!」
と改めてプロポーズするラストシーンだ。

午後5時
鑑賞した後で阪急32番街のお気に入りの喫茶店でコーヒーブレイク。
映画の世界は有り得ないシチュエーションが気分転換で、ラブコメディだから女性に人気なのは、
頷けた。
現実は、こんな一攫千金なんて夢また夢のスクリーンの話。

だけど、目線を変えてみれば、今の私にとっては共感する部分は十分有り得た。
今、正にゆきんこは失業したばかりの新婚6ヶ月目ということもあり、
仮にシングルだったり、普通のOL、普通の専業主婦だったらまた感想は違っただろう。

予期せぬ有り得ない出会いとか、6ヶ月の同居生活の中で、自分を素直に出せる相手に出会ったこと自分を見つめなおし、再生していくこと。
離婚そして、再びのプロポーズから本当の結婚生活が始まるという映画のシナリオは、自分の近況と重なりあうところが多かった。

そういうわけで、ゆきんこにとっては以外に現実とオーバーラップしている映画だった。
違う点はいくつもある。
「ベガスの恋・・・」では、一攫千金は、ゆきんこの現実にも有り得ない。
(私はギャンブルは好みません)
ジャックは、だらしないプー太郎でも、社長の御曹司だということ。
現実には、そんな上手すぎる話は有り得ませんってば!

だから、スクリーンの向こう側に関与しないありのままの平凡がいいですよね?














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2008/09/12 13:14 | 鑑賞 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
とりあえず、面接に行きました。
2008年09月11日 (木) | 編集 |
昨日から、鼻水が断続的にだらだらと出ている。
昨晩は、やや興奮気味で深夜3時過ぎまで寝付けず、くしゃみと鼻かみを繰り返していた。
屋外が白々とした夜明け頃、やっと浅い眠りが訪れたが、寝不足と鼻かぜで頭がぼ~っとしていた。
そのまま午前中から午後2時過ぎまで、寝転がりうつらうつらして脳ミソがなかなかスッキリしません。

そんな今日とは違って、失業中にしては充実した1日を過ごした昨日は・・・

朝まともに7時台に起床してまともに朝食をとり、気を引き締めた。
快食・快眠・快便と出だし好調の朝。

夏から秋にかけてのリクルートスーツの選定にしばし躊躇した。
紺色の長袖上下では、暑苦しい。
さりとて、クールビズっぽい縞柄7部袖のブラウスではいささかカジュアルな印象?
それで、薄手のベージュのパンツスーツに落ち着いた。

先方に着いたのは、午後9時40分。
一昨日、飛び入りした2階の事務局を再訪した。
「おはようございます。」
すると、案の定人事担当者が目を丸くして答えた。
「面接時間は11時ですよ。」
「すみません。早とちりでした。では、1時間後に出直してきます。」

自宅に帰って待機してもよかったのだが、向かいに建立する古式ゆかしい
お馴染みのK神社に母と二人で移動した。
一体、親掛かりで何回やっているのだろう無駄な神頼み。。。

「どうか、採用されますように・・・」
と拍手を打った。

本殿にわずかのお賽銭を投じて、ついでに裏側にある小さなお稲荷さんの祠2つにも拝んだ。
それから、ゆっくりと徒歩で移動し、隣町のIさんを不意に訪れた。
その前に、Iさんの家のまん前にある祠のお地蔵さんにまで願掛けをした。

「こんにちは。」
「ああ、ゆきちゃん、ひさしぶり。まあ、あがって・・・」
10歳の子ども時代からお馴染みの母の同僚だったIさんは、母その2という感じのおっかさんだ。

「うちの子、今から面接受けるんよ。」
「あ、そう。どこ?」
「すぐそこのNセンター」
「え~!!そりゃいいわ!近いし、あんたが今までがんばってきたことが生かせるじゃない。
受かったらええなあ~。」

「たまたま、ハローワークで見つけて履歴書もっていったら、面接してくれることになってん。
11時だから、ちょっと待たせてもらっていい?」
「ええよ。」

お馴染みの3人で雑談などしゃべっていたら、すぐに時間が経った。
あんまり寛ぎすぎないように自制して、10時30分にIさん宅を一人で出た。
朝夕はタオルケット1枚ではひんやりしてきたが、日中はこんな上下のスーツではまだまだ暑い。

10時45分
事務局前のエレベーターの脇に佇んで待機しているとまばらにスタッフが廊下を通過していった。

10分前
人事担当者のデスクに改めて挨拶に出向いた。
「先ほどは、早とちり致しました。」と一礼した。
今度は、廊下のソファにかけて待機するように案内された。

定刻まで、質疑応答のシュミレーション
すると、年配の女性スタッフが気さくに声をかけてくれた。
「面接?どんな職種?」
「サポートスタッフです。多分、館内の入所者の方のサポートだと思います・・・」
「ああ、看護師さんじゃないのね?」
「いえ、私の専門は一応、心理学なんですけど」
「ああ、あそこにいたわ、心理士さんね。」

この女性との気さくな会話で緊張はほぐれた。


いよいよ、11時を廻った。
「ゆきんこさん、お待たせしました。」
担当者に案内され、面接室の前まで追随した。
「では、私が先に中へ入ります。5秒たってからノックして入室してください。」

(5・4・3・2・1・・・)
knock knock
「どうぞ」
ドアを開けた瞬間、3人の男性スタッフが対面に目に飛び込んだ。
もう数え切れないほどのこの似たようなTPO
何度経験しても、一瞬、めまぐるしい脳内変化が起こり、心拍数は上昇しているはずだ。

「ゆきんこと申します。どうぞ宜しくお願いします。」
「どうぞおかけください。」
「失礼します。」
着席

「この度は、ご応募ありがとうございます。」
「こちらこそ、面接の機会をつくっていただきありがとうございます。」

3者の方々の自己紹介の後、「サポートスタッフ」の具体的内容について一通り説明を受けた。

あれ・・・???
なんと、サポートスタッフというのは、事務局内の一般事務を指すらしい。
「ゆきんこさん、ワードとエクセルは使えますか?」
「はあ、これまでの職務経歴では私は障害児・者のサポートに従事してきました。
しかし、事務は未経験ではありませんし、困らない必要最低限のパソコンスキルはあります。」
「??今回は、事務職の応募だったのですが、それでよろしいのですか?」
「すみません。その、、、サポートスタッフというのは、私の従事してきた対象となる障害者の方々の
サポートだと思って、応募しました。」
「ハローワークで求人の職務内容をご覧にならなかったのですか?」
「私が目にした求人票には、概要でサポートスタッフとだけあり、他の業種の求人の一覧表の中に
見つけたのです。」

そういうわけで、ミスマッチかもしれないのだけど・・・
あとは、1分間の自己PR
面接官から履歴書をもとにいくつかの質問を受けた。
私が最後に強調したのは、自宅から最寄の勝手知ったる地域住民としてこのセンターに日ごろから
興味を持ち続けてきたことだった。

「実は、10年前に書いた論文は、当時S園に通う自閉症のお子さんを家庭訪問させていただき、
執筆しました。保護者の取り計らいでそのお子さんのセラピーの様子も見学させていただきました。」
「そうですか。あなたが取り組んでこられた療育とS園ではどうでしたか?」
「やはり、共通点はたくさんありましたし、論文を書く上で大変参考になりました。
徒歩5分もかからない地元住民なのに、スタッフになりたいなあと思いながら通過していました。」
「そうでしたか・・・いやあ、あなたの実績が生かせる職場には違いありませんが、今回は事務職ですから・・・」
少し、惜しそうにスタッフが感想を述べた。
「障害児・者相手の仕事は好きでどうにかこうにか転々としながら続けてきました。
でも、私は見ての通り華奢な体格ですし、実際支援する上で見た目以上に重労働のこの職務を続けていく上でニアミスのようなこともありました。たとえていうなら、オリンピック選手でもいつかは、引退するときが自ずとやってくるようなものです。将来、同居の母親の介護を請け負っていくことに備えて、この数年は自分のライフスタイルを考え直していました。」

この台詞にスタッフも無言で慎重な面持ちだった。

面接時間は20分くらいだっただろうか?
席を立ち、部屋を出ると、廊下のソファには私より若そうな女性が待機していた。


苦手な面接は、いつも2日前くらいからとりあえず、質疑応答のダイアログをシミュレートしているのだけど、実際終わってみると、今回も全く予想から外れていた。
いい年こいてもういいかげん、就職活動も面接も終わりにしたいというのが本音なのだ・・・

ここまで綴って何だか、熱っぽくてだるい
本格的に風邪をひいてしまったみたい。






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2008/09/11 17:11 | 就職活動 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
NPOセンターからお呼び出し
2008年09月09日 (火) | 編集 |
午前中は、メールチェックしながら、とりあえず面接のシュミレーション
小心者(誰もそう思わないので自称)だから、面接は得意と思ったことがない。

午後ものほほ~んと好きなサイトにアクセスして暇潰し。
していた2時過ぎ電話のベルが鳴った。

「ゆきんこさんのお宅ですか?」
「はい。」
「NPOセンターのUと申します。今日は忙しいですか?」
「はあ?」
「先日、申し込んでいただいた話し合いをもちたいと思いまして、お待ちしているのですが・・・」
「あ!ごめんなさい。受理した連絡がなかったので、抽選からもれたのかと思っていました。
きっと応募多数なのかと・・・」
「いえ、反対です。当方NPOの新企画なので、参加者はあなたを含めた2名しかいないのです。
もし御近くで今からでも来てもらえるならお待ちします。」
「迷惑かけてごめんなさい。では、今から伺います。」

昨日に引き続き、不意の呼び出しで急ぎサプリMへ自転車を走らせた。

昨日出没したNPOの団体とは、別棟のNPOセンター事務所へ顔を出した。
「失礼します。先ほどお電話いただいたゆきんこです。」
「こちらも事前に連絡をさしあげず失礼しました。会議室へ案内します。」

今回の目的は、1枚のちらしがきっかけだった。
失業ほやほやの9月1日
このNPOセンターの企画にFAX応募したのだ。
そのちらしの企画タイトルは、
「こんな時、あんなこと、どうしてる?本当のところ、どうしたらいいの?」

対象は、日々の暮らしのなかで疑問をもっている市民
      ひとりではなかなか解決できない課題をもっている市民

廊下の奥の会議室に案内されて初対面のご挨拶。
「それでは、自己紹介していきましょう。」
まずは、企画・司会者のUさん
当NPOセンターの無償スタッフとしてさまざまな問題を提起し、解決するための具体的支援を行なっているそうだ。

続いて、☆2丁目のNさん長年のサラリーマン生活を引退し、悠々自適のシニアライフを謳歌していると
いいたいが、実は暇をもてあましていて、市内数箇所の図書館や書店に出没している。
最近、毎日が日曜日で曜日がわからない。お連れ合いは、現役時代は朝夕の2食で済んだのに、今は昼食をつくる必要があるとめんどうがっている。引退後の自分のライフスタイルを模索するため、時々このNPOにも参加しているそうだ。

最後にゆきんこ
「ゆきんこです。M町に住んでいます。
生まれも育ちもこの町で、住民票は生年月日が市民になった日です。
仕事は、障害児の保育士ですが、長続きせず失業をくりかえしてきました。
今回も8月末で退職した矢先、このチラシを見つけ、応募させていただきました。」
「それで、こんなテーマなのね?」
「はい。本当は、ここで討議する疑問点ではないかもしれませんが、専門機関では堂々めぐりで解決したとはいえないので、こちらに応募しました。」
「そうでしたか。Nさん、ゆきんこさんの疑問点は何だと思いますか?」
「???」
「それでは、ゆきんこさんからどうぞ。」
「はい。もう自己紹介の段階で既に言ったのですが、『バーンアウトせずに好きな仕事を続けるには
どうすればよいか?』です。バブル経済が崩壊して以来、非正規雇用で10年くらい食いつないできてはいますが、好きな仕事の障害児保育は、見た目以上に大変な重労働です。契約期間は3ヶ月から
半年くらいで、転職の度に履歴書はダラダラとしたものになっています。一見、キャリアが重なっているように見えますが、過重な業務なのに契約期間と共に放り出されてしまいます。正職員としての雇用
があっても、実質正職員に匹敵する実務能力はないので、上司から呼び出されては「もう人間相手の仕事はしない方がいいと忠告をうけて退職に追い込まれます。そして、ハローワークへ行けば、私の
経歴を見て同じ職種をすすめられるので、実力スレスレのところで身がもたないことがわかっていて、
でも、年齢を重ねると体力的にもう無理だな・・・またバーンアウトするなとわかっていて同じ職種に
仕方なく就くことを繰り返しているのです。」

「バーンアウトって専門用語よね。一般の人にはわからないでしょう。」
「はい。わたし、心理学の用語です。」
「そう。あなたの話、想像がつくわ。あなたと同じ様な境遇の人々がいても、その用語を知っているかどうかわからないわね。いわゆるワーキングプアかしら?」
「いえ、ワーキングプアほど深刻ではありませんが、予備軍って感じです。
一応有資格といっても、正職員と非正規雇用者との間に歴然とした格差があるのです。」
「ニートのNPOグループなら知っているけど、そのメンバーとも違うわね。」

「ニートやフリーターでもありません。ちゃんと安定した雇用条件で普通に生活したいけれど、
正職員並みの過酷な労働では身が持たないので、転職を繰り返しながら最低限の身分保障水準で生き延びている群です。
例えば、正職員なら保障されていても、非正規雇用者は、薄給から身銭をきって国民健康保険や国民年金に加入しなければなりません。私の給与が少ないので母を扶養家族にできず、そのため、
別々に国保に加入し、ダブルで支払わなくてはなりません。このまま加齢すれば、将来、親の介護の心配もあり、憂いは募るばかりです。」

「なるほど、ここで問題を提起していただきましたが、10年間ということで即解決というのも難しそうですね。
バーンアウトというキーワードから仲間を集めたり、気分転換にNPOに参加することで、
堂々めぐりの仕事に何かのヒントや突破口になるといいなと思います。
私も専門ではなく手探りですけど、情報提供しますね。」

「ありがとうございます。電話で呼び出してくださってありがとうございました。」
「外に出ると、気分転換になるでしょう?」
「そうですね。私は結構そのタイプです。
でも、それが難しく相談することもできず部屋にいらっしゃる方はどうなんだろうと・・・。
自分の心配よりも仕事柄、気になります。でも、自分の生活そのものが安定しないと相手の支援ができないというのが一番のジレンマなのです。本当はやりたいから、何度、バーンアウトしてもこれまで続けてきたのですから。」

「それじゃあ、長丁場でがんばりましょうね。もしも、仕事が見つかるなど、あなたに異変があれば、
連絡してください。」
「わかりました。」

私の問題提起が深刻だったのか、初老のNさんは
「あなたの暮らしぶりが想像できないですね。
我々の時代はひとつの会社で終身雇用が当たり前だったから。」というコメントだった。

再放送「その時、歴史が動いた」の玉音放送を横目にブログを更新している自分は、
まだ今のところ、余裕があるかも??

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2008/09/09 17:34 | 仲間 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ハローワークへ行ったらば・・・
2008年09月08日 (月) | 編集 |
ブログを更新しつつ、自分の日常を綴るにも気が滅入っているときも多い。
私のブログは捌け口の自己チュウ・自己満・ストレス解消ブログである。
拍手が欲しいとか多くの人にアクセスして欲しいという願望もない。
だから、私を知る現実の人々に曝す気は毛頭ないことが前提だ。
そして、言論の自由・思想信条の自由を侵害されるのも不快だ。

過去にも「ブログ書いてるねん。」と警戒なく公言して、
現実の人々に発覚してトラブルや喧騒の原因になったことがあった。
そうなると、継続するのは難しいと悩みながら更新している。

でも、何度も断っているように、悪気など全くない。
私はただ事実をありのままに綴っているだけなのだ。

自分の人生は進展しているのか、後退しているのかわからなくなるときがある。
失業中の休日も平日も部屋でじっとしていても、ネットを眺めていてもあんまり面白くない気分。

そこで、今朝は10時から3回目のNPOに母を同伴で参加してきた。
このNPOの存在を知ったのは、遡ること今年の5月の終わりの日曜日だったか?
地域のリサイクル品のオークションが廃校になったM小学校の体育館で行われ、
お目当ての物品を取得しようと馳せ参じた。
そのとき、帰りがけに母と狙っていた折りたたみのちゃぶ台は残念ながら、くじ引きでハズレ。
別の人のものになった。

そのとき、体育館の入り口付近で「ぼかし」という作物の肥料を100円で購入した。
サプリMの一角に「ぼかし」を作っているNPOが所在していることがわかり、
ワーク☆の最重度の利用者さんたちにも取り組んでもらえるのではないかと思案していた。

季節は耐え難い猛暑へと移り変わり、ワーク☆内の職員関係が悪化するなかで、
私の提案は、施設長にもOさんにもあまり注目されなかった。

週明けの今日午前10時。
もともとは理科室だったそのNPOの活動拠点に顔を出すと、メンバーのひとりの方がきさくに声をかけてくださった。
「ひさしぶりですね。お仕事はどうですか?」
「それが、この猛暑で身が持たなくなりまして・・・。」
「ああ、大変だったんだね・・・」
「失業したので母を連れて仲間入りにきました。」
このNPOのシニアメンバーは、本当に気さくで自然の野菜が好きな素朴な方々だなというのが
第1印象だった。

代表のYさんが恭しくゆきんこ母子を招きいれ、丁寧に1時間かけて説明してくださった。
パイプ椅子を車座に3脚並べて真ん中にポリ容器を置き、個別説明が始まった。
野菜のくずなどをそのままゴミにせずに、簡単に肥料にするためのプチ講習だ。
まず最初に、専用のポリ容器に新聞紙またはポリ袋を敷いて、通気性をよくする。
次に、料理のときに残した野菜の切りくずと、「ぼかし」を混ぜ合わせる。
最後に、土や砂袋を上から重石にして蓋をする。

H市の委託を受けてモニターになれば、容器は無料で貸し出してくれるというので、会員登録することになった。
年間登録料はたったの500円
代表のYさんによると、NPOだから、とりわけ積極的に会員を募っていないのだが、
会員は市内で120名くらいだそうだ。

11時30分ごろになると、また持ち寄りの野菜の下拵えが始まった。
今回、おもしろかったのは、クリーム色の大きな花つまり、オクラの花の煮びたしだった。
飛び入り親子に
「どうぞ、おかけください。」と古参のメンバーがやさしく促してくださった。
「ありがとうございます。いただきます。」
配膳のお手伝いも完了し、自家製のお野菜が数品目元実験台のテーブル上に並んだ。
さつまいもの茎の煮付け、かぼちゃ、ゴーヤのいためものなどなど
興味津々の「オクラの花の煮びたし」もご賞味させていただいた。

「あ、おいし~い」
オクラの花が見ても可憐、食べてもこんなに美味とは新発見!
まだ出会って間もない人々との交流が私は好きだ。
名前も人柄もわからない人々は、私に対する偏見も先入観も何もないから安心だ。
多分・・・

隣り合わせの女性がおべんとうのごはんを分けてくださり、私利私欲のないシェアリング精神って
ほんと素朴に癒されるな~としみじみする。
7名の方々が食事をしながら来るNPOフェスタの出店について話を弾ませている間に、
母とゆきんこは、あとかたづけを手伝った。

午後1時すぎに、またもやおみやげのゴーヤとさつまいもの茎をもらった。
「またきてくださいね。」
「はい、またきます。」

いいなあ~~
こんな肩のこらないメンバーって。。。

NPOを後にして、母が自転車置き場で言った。
「市役所に行くけど、あんたはハローワークにでも行ったら?」
「うん、そうだね。」

このNPOに出かけなければ、自宅で終日うだうだしてただろう。
軽運動も兼ねて、慣れた道のりを移動した。

ハローワークに着くと、かつて同業者だった生保レディの勧誘は一人もいなかった。
久しぶり・・・というか、定職があれば、もちろんうろうろしたくないところではある。
中に入ると、求職者の数は決して少なくなかった。

そして、ひとなかに母の姿があり、求人ファイルを見ていた。
「保育士の求人、まあまああるわよ。」
「保育士はもういいの。」

それから、掲示板のフレッシュ求人を一望
「ほらね、結構、障害者施設の求人ってあるけど、時給が700~800円だったら来ないよ。
でも、こっちは☆駅付近の花屋さんで20万円もある。」
「花屋なんてダメよ。運転免許書必要ってあるよ。」
「そうか、配達なんてできないな・・・ペーパードライバーだから」

不意に玄関先のチラシを一枚抜き取り、かばんに入れる前に目に留まった求人があった。
トイレから出てきた母に見せてみた。
「・・・ねえ、この求人ならどうかな?正職員じゃないけど、社会保障ひととおりあるのに、条件不問だよ。なんといってもうちから徒歩5分。」
「これがいいわ!すぐに応募しなさい!」
母子で意気投合したフィット感のある求人に早速、その場で所定の応募用紙に記入し、受付箱に入れた。
母は次なる目的地へと先に退出した。

待つこと15分。

「ゆきんこさん。」
カウンターの向かい側の女性が応募用紙を手に取り、求人先に電話を入れた。
「ごめんなさい。もう少し早く応募してくだされば・・・。求人先が人数が揃ったので打ち切ったところだそうです。」
「そうですか・・・」
「あなたの履歴だとぴったりだったのに、残念ですね。この求人は先週登録されたばかりだったのですが、タイミングってあるんですよね~。」
担当者がいかにも残念そうに言ってくれると、なんだか惜しい気持ちが込み上げてきた。

ま、しょうがないか・・・

午後3時に帰宅して、ここまでの今日のブログを書きかけていた。







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2008/09/08 16:16 | 就職活動 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
ちょっと自己分析
2008年09月07日 (日) | 編集 |
誰でもそうだと思うけど、失業して暇になったというのはおもしろくない。

いくら時間がたっぷりあるからといって、凹んでいること自体がやりきれなくなる。
この10年間、ニートやフリーターなどで、生殺しのように若い時間を無為に過ごさせられた人もそうなのかもしれない。

気分転換にネットサーフィンもするけど、なんとなくココロから楽しんでいるのではない気がしている。
なんていっている私はわがままなのかな?

すると、自己分析サイトに行き着いた。
テストをやってみると、このような結果だった。

あなたは母性の人です。聖母マリアのように慈悲の光でまわりの全ての人を優しくつつみこみます。心優しく面倒見が良いので、誰からも好かれ、まずあなたの事を積極的に悪く言う人はいません。ただし、人への尽くし方にも注意が必要です。あふれでる包容力で暖かく人を包み込むので、その気持ち良さに他人はつい心を許してしまいます。しかし次第に関係が深まるにつれて、その暖かさが暑苦しく、うっとおしがられるようなこともありがちです。「わたしがこんなに尽くしているのになぜあなたはわかってくれないの?」なんて思ったことがありませんか?こんな気持ちをかかえつつ我慢していると、葛藤状態から「自律神経失調症」にかかってしまう危険性があります。もう少し他人との距離のとり方や気持ちの読み方を学習しましょう。また、目先の親切や優しさが総合的な判断より優先し、大局を見誤ったり大きなチャンスを逃したりする事もありそうです。クールになれないところがあなたらしいのですが、冷静な判断力が高まればもっと飛躍することが出きるでしょう。
自分がこの文章にあてはまるのかといえば、全てがあてはまっているわけではない。
これまで複数の人々から指摘されてきたことが、直らないので就職活動にも積極的になれないし、
通り一遍の努力では認めてもらえない過酷な時代だな・・・と本当に凹む。

完全に凹みきると、自暴自棄になりそうなので、持ちこたえられる理性で平静を装っても、悔し涙が滲む。
ゆっくりしたいけど、なんだかこのままではいけないという焦りと実行できない葛藤が渦巻いている。



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2008/09/07 17:41 | 自己分析 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
友だちはいいものだ!!その4
2008年09月05日 (金) | 編集 |
一体、何度目だろう?の失業第1週目。
1日から3日までは、自宅でPCとにらめっこや本を読んで過ごした。
「NLP理論」という本を借りたまま、読めずにいた。
天気は雨が降ったり、やんだりでなんとなく出かけるにも億劫なぐつついた空模様。

この年になると、良くも悪くも失恋や失業の繰り返しに呆れてドライになる感じ。
それというのも、もともとは私は決してドライどころか、結構喜怒哀楽ははっきりしているタイプなのに、
時代や環境の変化で「またか・・・」と鈍化させられるという始末だ。

家の中でじっとしていてもくさくさしてくるので、3日の夜になって翌日は出かけようと決めた。
明けて昨日の4日は星占いによると、ベストは山羊座生まれだと報じていたそうだ。
天気もココロ模様も曇りのち晴れとなるか?

先週までの午前4時40分起床から今週の起床時間はだいたい8時前後
それから家を出たのは、10時前。

まず立ち寄ったのは、(電動)自転車で10分ほどのO先生の自宅。
インターホンを押すと部屋の奥から「は~い」と主の声が聞こえた。
「おはようございます。朝から突然に押しかけまして。」
ワーク☆やそれ以前のゆきんこの人生行路の仕掛け人といったら聞こえが悪いかもしれないが、
実際にはそのようなキーパーソンである就職斡旋のO先生に、電話で事後報告するわけにいかなかった。

「すみません。せっかく先生にご縁をいただいたのに、この猛暑で身体が続かず先月末で退職しました。」
「そう・・・僕も一度見学をと思っていたけど、残念だったな。」
「施設は順調です。先生の教え子さんも作業を毎日がんばっていますし、オープンしたばかりということで、卒業生の様子を見学に養護学校の先生方にもたくさんおいでいただきました。
ただ、私は施設内で最重度の方々の支援を任されて、結局バーンアウトした次第です。
申し訳ありませんでした。」

次に向かったのは、そこから自転車でさらに数分のサプリMという施設。
廃校になったM小学校の各教室をNPO団体に開放し、ボランティア活動が展開されている。
私は、主に失業中の平日にふらりとやってきた場所だ。

6月の下旬に一度訪問して以来2度目のNPOを再訪した。
「おはようございます。突然きましたが、仲間に入れてくださいますか?」
「どうぞ、じゃあ、あなたも作業に加わってください。」

このNPOは、野菜の皮などの生ゴミを再生肥料にする取り組みと、家庭菜園などを趣味にしている
人々のボランティアだ。
ワーク☆での農作業の取り組みの一助にならないか?尚且つ、個人レベルの趣味でもお金をかけずにエコロジカル・全くの人畜無害そうなシニアのメンバーが気に入って、仲間入りした。
作業も至ってシンプルで、大きな盥に米ぬかと糖蜜をひたすらかき混ぜるだけ。
これなら、利用者さんにも大丈夫だろうと思った。
前回6月21日に初参加の時にも、メンバーの方々は授産施設の窮状に親身に傾聴してくださり、タダでたまねぎやヤーコンという珍種の野菜まで株分けしていただいた。

「こうやってかきまぜるだけでも手のひらがツルツルするから、顔にもつけたらいいと思うのよ。」
初対面のシニアの女性と並んでかき混ぜながら会話も弾む。
「そうですね。」

「その後、お仕事はどうですか?」
代表のYさんが質問してくれた。
「ありがとうございます。前にお話したことを覚えていてくださったのですね。
実は、この猛暑で身体がもたなくなってしまい、8月末日で退職しました。
また仕事を見つけるまで、参加させてもらっていいですか?」
「どうぞ。お母さんにもお声をかけてモニターになってくださると嬉しいです。」

11時30分頃になると、ゴーヤや紫たまねぎを持ち寄り、昼食のおかずの下拵えの手伝いを始めた。
結婚したとはいえ、殆ど有名無実。
台所仕事はやっぱり苦手だけど、こんなとき初老の男性陣は自ずと遠巻きの観覧者になる。
おまけに、いよいよ出来上がりの正午には、次なる目的地へ行くために退散することになった。

それでも親切な皆さん方だ。
「今度はお母さんとゆっくりおいで。」
「これ、荷物になるかもしれんけど、持っていき。」
とまたもや自家栽培のゴーヤと滅多に市販していない珍しい中国野菜もお土産にいただいた。

次なる目的地は8月以降数回訪問しているI医院。
I医院では小規模で私の疾患は治せないと診断された。
紹介状を書いてもらい、転院先を手配してもらった。
故郷には、駅前にとても立派な医科大学の付属病院がある。
にもかかわらず、I医院の系列大学医学部とは学閥が違うので、
地理的には目と鼻の先に隣接しているからといって、利便性のよい病院に紹介状を書いてもらえない
らしい。

ってことは、紹介状なくして患者の得手勝手で医師も病院も選べないのか~~?
「前回の女医さんには、3ヵ月後の再診と言われたのですが、失業しましたし、
やっぱり患部にひきつったような違和感があります。はじめの医院でどうして誤診されたのかと
思うと、早く処置して欲しいです。」
「ここではっきりわかったんだから、それでいいじゃないか。」

次いで、会計担当者には、
「紹介状は書きますが、他院をご希望ならここから紹介する次の医院を経由して手続きしてくださいね。」

なんと・・・紹介状1枚で1000円か~
失業者には弱り目に祟り目じゃ・・・

それから、急いで図書館に借りていた本の気に入ったことばをメモして返却。
新しく読みたい専門書を2冊リクエスト。9月はせっかくだからひとまず読書の秋としよう。
K百貨店の地下でバウムクーヘンを買った。

最後の目的地は駅前にほど近いマンションの一室。
インターホンを押すと、懐かしいKちゃんの声が返ってきた。
「は~い。どうぞ~。」

自分が何者でもなかった学生時代の友達は本当にいいな~
何でも話せる友だち。
正直、私にはこのブログで書き綴ってきたことなど、必要ないのかもしれない。
旧友たちと、「うんうん」と数時間もお菓子食べながら語り合えば、80%くらいは報告が済んでしまうのだった。

「じゃあ、また仕事探さなくちゃいけないね。」
それ以上に、Kちゃんだけでなく、メールなどのやりとりで、何人かの友だちが
私の近況のなかでも、今回の疾患をとても心配してくれたのだった。
とても嬉しくてありがたかった。
お金は仕方がないとして、友だちに恵まれたのは私のかけがえのない宝物だ。

失業したのはともかく、やっぱり放っておけないよね、これ以上。。。
MRIという検査まで受けたくらいなのだから、大した疾患なんだろうなあ~。

病気や怪我・悩み事というのは、私の場合、自分以外の人々に余計なお節介をするというのが、
私の身についた業みたいなものだった。
もしかすると、自分自身のことは一番後回しだったのかもしれませんな。

夏休みが終わって、小麦色に焼けた小2のK君と小4のYちゃんが帰ってきた。
私が大学院へ行ったり、一時この町を離れていて2年以上会っていなかったので、
二人は嬉しそうにはにかんで、ママのKちゃんと私の会話に聞き入り、気もそぞろという感じだった。
「ねえ、2人共、小学生だから私と遊ぶのはつまんないかな?」
「・・・・」
「Yは最近、『ガラスの仮面』にはまってるの。」
「へ~!そういえば、Yちゃん漫画家になりたいって言ってたよね?」
「今はケーキ屋さん。」
「また変わったんだ。」

帰宅間もなく猫かぶりしていたYちゃん。
Kちゃんが晩御飯の支度を私と一緒に始めると、自分も手伝うとヤル気満々になった。
「へえ~、ママのお手伝いでハンバーグも作るんだ!」
「気が向いたときだけよ。Yちゃん、きれいにこねて!」
「もう、わかってるってば~!!」
「かわいいし、うらやましいね。自分の娘とお料理なんて。」
「でしょ?ゆきちゃんも今からそうしたら?」
「私はよそ様のお世話だけで、今更、余裕ないよ。」

YちゃんとKちゃんにとって、ゆきんこはママの仲良し友だちで家族モドキという認識だろう。
「Yちゃん、ママのお誕生日のカードに『世界一大好きなママ』って書いてある。
でも、Yちゃんが生まれる前から私だってずっとママの友だちだよ。」

最近は、自分の子どもでもかわいくなくて、児童養護施設は子どもたちで満杯だそうだ。
かけがえのない学齢期を他愛無く遊べる子ども時代に禍根を残した私は、
結構、児童養護施設に無意識の抵抗感がある。

夕食後も宿題を後回しにして私を遊びに誘う2人のきょうだいに別れを告げて
8時には帰宅した。

偶然、嫁して半年の共通の旧友Oちゃんからも連絡があったので、「スカイプ」でよもやま話を
2時間も楽しんだ。
「ブログ見てたよ~。ゆっくり休んで・・・」なんて
タイムリーに慰めのメールも舞いこんできた。

20年以上続いた友情は、年月を重ねた分だけ確かなものになったと実感できる。
こんなとき、私は素直に幸せを実感できる。
そして、そんなのは嘘だ。信じられないという誰かに、
そんなことないというメッセージを
何となくのゆきんこ流のブログで伝えたい。

おしつけがましくなく、ありのままの自然体で・・・
セルフ・セラピーカードは『真実』を告げた。


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2008/09/05 12:36 | 仲間 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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