ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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がんばろうにも身体がなんだかついてこない。
・・・とじわじわ自覚される年代に入った。

先週1週間の新規イベントをダイジェストで記録しておきたい。
出遭って会話した人々の顔と名前も数えられない。
そういう意味で、私は決して自覚していないけど自分で思っていないのに
「積極的」で「行動的」かもしれない。
本当の自分はそうでなく、時代や環境がその瞬時・瞬間のTPOが私をそのように突き動かすようだ。
それは度々、無意識に脳裏に視覚イメージ化されるI先生の幻影のせいか?

12日(日)
約3年ぶりに「こころの電話相談室」に顔を出し、ボランティア相談員に復帰した。
電話の向こうのお相手は、3年前と変わらぬ常連相談者だった。
ペアでブースに入った相談員仲間のKさんも変わらぬ笑顔で私の復帰を歓迎し、大学院で学んだ日々や新婚(?)生活についても微笑ましく傾聴してもらった。

13日(祝)体育の日
三重県伊賀市に所在する島ヶ原温泉「やぶっちゃらんど」へドライブに出かけた。
20年以上の友人Hさんと緑の中をドライヴィングするだけで、爽快気分に早代わり。
レンタサイクルで、片道20分。
木津川上流の岩倉峡とそこに架かるつり橋の「しあんばし」を渡った。
次に2KM離れた重要文化財「正月堂」まで傾斜面を上ってのサイクル・エクササイズがけっこうきつかった。
復路、緩やかな下り坂をブレーキなしで一気に車道を滑るように走り抜けるのは、きる風も最高に爽快だった。
ライダーおじさんのO氏も今頃、どこかの森林をマシンで走ってるだろうな~と思いながら。
トータルで2時間30分のサイクリングに腹ペコになった。
昼食休憩を挟んで、温泉に1時間。
露天風呂も含めて湯船は5つで、地方都市の温泉施設だとこんな感じかなと思った。
(つい、地元大阪のスパワールドと比べてしまいました。)
入浴後の「たんぽぽコーヒーアイス」は250円となかなか食べ応えのある珍しい名産品でした。

14日(火)
3連休明けのハローワークは終日雨にもかかわらず、ぼちぼちの求職者が来ていた。
2枚の離職者票を提出し、求人を見たところ、なんと近隣においしい条件の職員募集があった。
でも、先に職業訓練校の申し込みを済ませた。
担当の女性が丁寧に医療事務も含めて4箇所の訓練校を紹介し、次週締切日までに一通り見学することを勧めてくれた。
それから、Tちゃん宅を訪れ飲茶レストランで久しぶりにランチを楽しんだ。

15日(水)
O氏とのプチ送別会で不意にやってきた「ホースセラピー牧場」へ午前10時30分に到着
自宅から駅前の内閣府NPOであるこの牧場がなんと自転車で15分だから嬉しい。
しかし、依頼されたボランティアワークは過酷だった・・・
午前中は暇をもてあまし、特別支援学校の生徒さんの乗馬レッスンの様子や
隣接の医科大学病院の託児所からきた赤ちゃんたちの散策の様子をぼんやりと見学して過ごした。
いやだな~。

ニコニコしてこっちを見ている赤ちゃんがいるよ。
ほらほら、ちゃんと保育士さんのところへ行かなくちゃ。
そうやってじっと見つめて座り込んで試さないでよ。
危なっかしいし、こけたらどうすんの?
保育士さんもちょっとのんき過ぎない?


見詰め合った赤ちゃんと私。
しょうがないなあ・・・
ベンチから腰をあげて、もうすぐコンテナーにぶつかりそうな彼女を抱き上げた。
私、あなたと初対面なのよ。
オレオレ詐欺だってあるのに、随分信用しすぎじゃない?

「ちゃんと先生の方へ歩いてね。」
赤ちゃんは私の手を握り、並んで歩いた。
そして、保育士さんに引き渡した。
「ありがとうございました。」
「いいえ。バイバイ。」

やっぱり同業者だなんて自己申告できなかった。

さて、午後からがまた晩夏の陽気。
全然ボランティアらしくない古参のY氏の先導で、菜の花の種付けの作業を開始した。
馬好きで物好きらしい初顔あわせのボランティアの面々も奉仕精神満載の人々だ。
馬場と周辺に転がる無数の砂利や石ころが馬の蹄を傷つけるため、その除去清掃作業だけで
クタクタになった。
こんなの、土木作業やん。。。

翌朝16日(木)
さすがに肩から背中に掛けて突っ張ってしまい筋肉痛。
午前中には、履歴書を求人先の職場へ持参して、午後1時に再びセラピー牧場へ
駅までポニーのステラ&アリスの姉弟をひいて、宣伝活動。
ゆきんこは生保レディの実績あって、先頭に立ってリーフレット配りを仰せつかった。
「こんにちは。総合福祉会館の裏にあります。遊びにきてください。」
駅前の往復20分くらいで30枚くらい配布することができた。
ポニーの闊歩する姿ははっきりと人目を引き、なでたり、ほほえんだり、携帯カメラのシャッター切ったりと反応もさまざま。
ここまでは、なかなか楽しいボランティア。
しかし、残りは昨日の続きで砂利収集作業。
その引きつった背中の筋肉痛は、5日間経過した今も続いている。。。

17日(金)
午前中は、父の住まいを訪問し、ある老人保健施設へタクシーで移動した。
短縮すると、「行きはよいよいかえりはこわい」という始末だった。
独居老人の父に担当のケアマネージャーがショートステイの手続きをするように進言したらしい。
ところが父は、終の棲家に転居できるものと勘違いしていた。
契約の際、受け入れ側と利用者側の父との意向が全く食い違っていた。
担当相談員も若すぎる上に、実習中の学生が同伴して後味の悪い会談になり、契約は不履行になった。

午後4時には、京橋に出かけた。
職業訓練校に指定されている子会社を訪問した。
人気の高いコースらしく見学希望者で満席になった。
1時間10分ほど、代表者からバックアップ支援のためのノウハウが熱弁され、かなりやる気満々になった。受講申し込み倍率は3倍以上だけど、再就職のために必要な資格もしっかり取得させてくれる模様。

所属ビルを出て、駅に向かうと後ろから見知らぬ女性が私を呼び止めた。
「あの、さっきの見学会に受講申し込みされますか?」
「はい。そのつもりですが・・・」
「私、先月落ちてしまったのです。」
「やっぱり人気高いのですね・・・」

私よりもお人好しな雰囲気の女性は不安と親しみを入り混じらせて、初対面の私に自ら色々の情報提供をしてくれた。
そして、次回の申し込みに躊躇っている様子だった。
それで、私は言った。
「私も、あんまり自分の思い通りにちっともならなかった。今回もダメもとだし、落ちるかもしれません。
でも、あなたに声をかけてうれしかったし、それで、決心がつきました。
私、もう一度あなたにお会いしたいです。そして、この訓練校で一緒に勉強したいです。
だから、申し込みますよ!」

自分と同時に彼女を励ますべく、こんなことを言い放ってしまった。
本当は、いろんなことをやりすぎて中途半端に人生のベクトルが定まっていないのに・・・
どうしてこうなんだろう。
何かをやり遂げて、次の高い山が見えたらそれに慄いて、別の初心者の小山なら軽々上れる気がして、そっちにふらりと行ってしまう。
まるで、お子様ランド人生やな・・・

自分を励ましたり、慰めたり、癒したり、時々そんなことを求めて彷徨い、
自分に似た人に遭遇すると、自分はさておき、相手に感情移入しすぎてボロボロになっている。
今のニッポン、どなたもクレージー寸前で、時代に飲み込まれながら心の飢餓を抱えている。

ああ、母にもPさんにも何回かぼやいたけど
私はやっぱりホントは人間に生まれたくなかったんだ。
屋久杉がよかった・・・




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今週、就職活動へハローワークに出かけてから、連日ボランティアなどで外出すると、ブログに更新したい新規イベントが目白押しだった。
にもかかわらず、帰宅すると疲れきってしまいメールを確認するだけで返信もできずに、早々に布団を敷いて就寝してしまっていた。

10月中旬の本日も絶好の行楽日和。
熱くも寒くもない雲ひとつない快晴に恵まれ、母の知人つながりで誘われた「福祉バスツアー」に参加した。

参加したグループは「新生友の会」
ストーマという人工肛門・人工膀胱を利用するオストメイト(身体障害者手帳所持者)の方々は、全国に約30万人、大阪府内に5000人、私とPさんの故郷地区で約700人といわれる。
ストーマは病気ではないが、生活の不安を抱え、トラブルを抱えることは少なくないという。
そこで、「新星友の会」はオストメイトの方々が安心して快適な生活に役立つ活動を行なうことを目的としている。

今回は全然関係ないはずのゆきんこがなぜか、この会のメンバーに厚かましく臨時参加させていただいた。
なんでも、4名のドタキャンがあって急遽、穴埋めに参加しないかとこの会にかかわるスタッフからお誘いを受けた。
そして、母は娘の私と、ご近所の知人2名を誘い合わせて便乗させてもらったのだ。

「だんだん」で双子姉妹の出生の秘密を離婚して生き別れた初対面の父母から告白されたところをしっかり見終わって、8時30分に出発。
午前8時50分に待ち合わせ場所の総合福祉会館前に待ち合わせた。
この臨時の4名ときたら、主賓のオストメイトの方々に何の配慮もなく単なるルンルン気分で専用福祉バスに乗り込んだ。

会長で幹事役のNさんが、当事者なのに終日バスガイド役で約20名の参加者に色々の配慮をしてくれた。
車両内でも参加者に楽しんでもらえるようにお菓子やビールを配ったり、スケジュールの説明、
注意事項などを入念に伝えていた。

オストメイトの方々には、その障害の性質上、長時間の外出に伴うトイレ行動に大変な労苦を伴う。
だから、大半の方々は外出を億劫がって家庭内に引きこもりがちの生活に陥ってしまう。
そして、そもそも健常者だったプライドが邪魔をするのか、自らの障害を公言し、カミングアウトするにも勇気が要るのだそうだ。
「僕なんかは、これでも障害者にみられたことがないんですよね。」
と、どこからみても健常者のN氏が気さくで朗らかに参加者をリードした。

出発して1時間のうちに最初の目的地である「奈良国立博物館」に到着した。
本当は、来る正倉院展を鑑賞する予定だったのが、毎年、黒山のひとだかりで宝物を垣間見るしかできない環境では、オストメイトの方々には無茶だろうということで断念したそうだ。

さすが、いにしえの都、奈良の宝物はどれもこれも目を見張ったとしても果てしなく謎めいている。
バス中から隣席のSさんと並んで、菩薩さまの手の形や顔の表情などが実に個々1体ずつ違っているのかを見比べていると、とても制限時間40分では足りないという感じだった。

印象的だったのは、仏教の本家本元インド・ガンダーラ仏像の数々だった。
思わず、ゴダイゴのヒット曲「♪ガンダーラ」を口ずさみたくなりそうになった。

「それでは、ハプニングで朱雀門に寄りたいと思います。」
車中で、携帯のメールが親友のOちゃんから届いた。
朱雀門を背景に、参加者全員で記念写真撮影。
朱雀門の傍まで近づき、Oちゃんに写メールを送ろうとシャッターを切った。

会長のNさんが、少し困った様子でゆきんこ一行4名に言った。
「健常者がどんどん先を歩いていくと、ヤキモチをやく方がいるのですよ。
どうか、時間と行動範囲はグループ内で守ってください。」

障害といっても、色々さまざま。
表にはっきりと見えない障害ほど、普通といわれる人々にはわかりにくい。
私もN氏に言った。
「すみませんでした。でも、母には聞こえていません。離れたところからでは耳が遠くて。」

スケジュール通りに正午前には、バスは次なる目的地の「私のしごと館」に到着した。
「私のしごと館」は、バブル景気終焉期の1990年代後半に学研都市計画で、京阪奈地区に指定された京都精華町に位置する。
中身は、学齢期の児童・生徒を対象とした「キャリア教育」の総合施設で、総合学習やら、郊外学習で
利用されることが殆どのようだ。
一応、国立国会図書館と並列する国立の建物だけど、累積赤字経営でお取り潰し対象になっているらしい。

「へ~、珍しいところにつれてきてもらったわ。」
「Sさん、初めてですか?」
「ええ。ここってどこかしら?」
「奈良から15分くらいでしたね。車は便利ですが、公共交通機関だと、ウチから2時間半もかかります。途中で何度も電車が止まって、待ち時間が長いんですよ。」

そもそも寂れた野山を新開発する計画がバブル崩壊で中途半端になってしまった土地柄だから、赤字経営でも仕方がないのだ。
国立国会図書館があろうと、しごと館があろうと、巨大ショッピングモールがあろうと、
やっぱり都市部の人々がわざわざやってくる土地柄じゃないのだ。
とどのつまり、莫大な税金を投じて都市開発したのに、全く採算がとれなかった「無茶無駄町」という異名をゆきんこがオリジナル命名しておこう。

まずは、館内レストランで予約席に座り、特注のお弁当をいただいた。
メニューはいくつかあるのだけど、シニア世代の嗜好を慮って、脂肪の多い洋風定食ではなくわざわざ
和食弁当を取り寄せて用意してもらったそうだ。
「戸外でお弁当は嬉しいけど、予約席で折り詰めのお弁当よりも、家族連れがめいめい好きに注文した複数の皿の並んだプレートがなんとなくおいしそうですね・・・」
「隣のなんとかはよく見えるのよね。」
6人がけの6角形のテーブルに4人が座ると、ゆきんこの隣の空席にシニアのオストメイトの男性が1名
加わった。
お茶と味噌汁が配膳されると、各々が無言で弁当を食した。
一通り食べ終わって、母が私に弁当を固定していた輪ゴムが欲しがり、集めた。
すると、シニア男性も自分の弁当にかけていた輪ゴムを外して手渡した。
「ありがとうございます。何でも捨てる前に何かに利用するらしくて・・・」
「大事なことですよ。モノを粗末にしていたら、今にしっぺ返しがきます。」
「しっぺ返しがきますか。昨夜もテレビで放映されていました。世界的食糧危機の話。」
「そのうち、小判をかじって餓死しないといけないかもしれませんぞ。」

それからが、W氏のいい話し相手になってしまったゆきんこ。
戦前生まれで戦争で人を殺したこともあったという老人W氏は、社長を引退して今は、会長であること、地域のPTAの会長も務め、昨今の日本の教育や宗教が政治・社会の様相に悪影響を及ぼしていることを滔々と話し続けた。
あ~・・・

「ところで、あんたはどこに住んでるんだ?」
「M町です。」
「M町ってどこだ?」
「市民の方でも知らない方が多いのですが、☆病院の近くです。」
「ああ、ワシはあそこに入院しとったんだ。」

Nさんの声かけで、W氏のお相手から解放され、いよいよしごと館のゲートに入った。
・・・といっても、午後も当然、集団行動の窮屈さがつきまとう。
はじめに1時30分から上映される30分間のしごとシアターを鑑賞した。
身近な衣・食・住にまつわるしごとの中で会場の多数決で、探索する仕事内容のシナリオが選択できるようになっている。
9つのストーリーのうち、③住まいのなかの①台所に焦点を当てた「冷蔵庫」にまつわる仕事のストーリーが選ばれた。

これを説明していると大変だけど、一応、説明してみると・・・
冷蔵庫は、1200の部品から成り、ドアの開閉試験を市場販売するまでに2万回行なうこと。
冷却装置の心臓部に値するコンプレッサーを作る鋳物製造工場での一連の工程。
過去10年間のうちに研究開発の貢献によって消費電力は6分の1にまで削減されたこと。
消費者のニーズを反映させたデザインと機能を備え、より使いやすい新製品が研究されていること。
ベルトコンベアーで数え切れない各部品担当者のチームワークによって精度の高い1台の冷蔵庫が完成すること。
最後に、廃棄された冷蔵庫が粉々に細分化され、その75%は再利用されていること。

2時から30分間は館内を自由見物できるのだけど、広すぎてうろうろしているだけですぐに時間制限がきてしまった。

それでも、CGを簡単につくれるコーナーや楽器の調律コーナーを一瞥することができた。

いよいよ2時30分からお待ちかねのしごと体験コーナー
Sさんとゆきんこは、母とRさんペアとわかれて「京房・くみひも」のグループに参加した。
インストラクターが開口一番「小学校5年生以上なら誰でもできます。」と言ってくれたせいか、
隣合わせた未知の女性と話しながら、くみひもつくりを楽しめた。
昼食で一緒だったW氏も黙々と指を動かしていた。

インストラクターに「なかなかいい出来栄えです。」とほめてもらった。
すると、私の作品を見て、参加者のうち聴覚障害の男性が、冗談めいてジェスチャーで
交換しようと自分のくみひもを差し出し、私のを受け取ろうとした。
私は大げさに手を横に振って「ううん~」と拒否した。
男性と両となりの若い手話ボランティアの女性が一斉に笑った。

そんなこんなで、全員が無事に「菊結び」のストラップを完成させた。
他にも「あわじ結び」「おとこ結び」「叶むすび」の4種類のくみひもを体験した。

一方、待合室で合流した母とRさんは、「リカちゃん人形の小型製品組み立ての仕事」に参加した。
「どうだった?」
「簡単だったから、すぐできてつまんなかった。」
「でも、小さい子どもにおみやげになったよ。」
「Pさんの姪御さんにクリスマスプレゼントになるよ。」
「そうだね。」

午後4時にバスに乗り込み、着席すると、疲労感と眠気を催した。
スケジュール通り、5時にバスは総合福祉会館前に戻ってきた。

新星友の会の皆様、大変、お邪魔しました。
是非、これからも臆することなく、旅と出会いとハプニングを楽しんでください。
お疲れさまでした。
日本人物理学者3名のノーベル賞受賞の朗報と相まって、アメリカに続いて日本の株価も大幅下落そたと報じられた。

そんな社会情勢の最中、ゆきんこの日常も一寸先は闇なのだが、なぜだかモチベーションは高めだ。
不思議と「ピンチはチャンス」と思考回路を切り替えるABA(行動分析学)クセが上手く作用しているらしい。

友人のTちゃんが、再就職するという知らせもタイムリーに作用して、その翌日の今日は午後から事前にキャリアカウンセリングの予約を入れていた。

担当、カウンセラーのKさんが融通を利かせてくれて、本当なら終日拘束されて受ける職業能力検査
を別の予定を挟んで、効率よく受けられるように配慮してくれた。

おかげで、2週間前には、初回面接を午前中に済ませてから午後には大阪市内の総合医療センターに梯子することができた。

今回も、医療センターの再診予約にあわせて、私から指定した日時にカウンセリングセンターを再来所する手配を整えてもらった。

そういうわけで、午前中は総合医療センターに出かけた。
採血やがん検診の結果も異常なしでしばらく患部を経過観察することになった。
この専門医に辿りつくまで4つの医療機関でもしっくりした答えがもらえなかったのだけど、
質問に淡々と即答してもらえると、すんなり納得して安心できた。

患部は年単位で滅多に痛くなることはなかったのだが、なぜ痛かったのかは壊疽によるものだと
解説を受けた。
つまり、痛みと共に患部は縮小して死滅しているらしい。
だから、経過観察しながら自然消滅するだろうことを予見しているのだけど、
そうはいっても、人間の細胞のひとつひとつが常に変化しているのだから、ガンに変異する可能性も
0%ではないそうだ。

2階の診察室から階下の会計カウンターに下りて、少しおどろいたことがあった。
それはある常連と思しき女性患者の容貌だった。
前列に並ぶ、女性の後姿の後頭部にはおおきなイボが頭髪からはみ出していた。
そして、よく見ると衣服で隠れていない部分の顔面や手の甲にまで、女性の皮膚は同様のおおきなイボで覆われていた。

病気や疾患も無数にあって治る病気もあればそうでないものもたくさんあるのだろう。
医療科学の進歩は目覚しく、我々はその恩恵も受けているが、人が生き、そして死ぬまでの病院との往来は古今東西絶えることはないのだろう。

11時30分には、次なる目的地へ移動した。
午後6時から母との夕食を食べながら「かんもく」の話題になった。

滅多にお目にかからない「かんもく」の人々が、ブログでリンクをはじめてから次第次第に日常茶飯事になりつつあるゆきんこの人生。。。

それは、ブログやネット上だけでなく、現実ともリンクしていくだろうというゆきんこなりのボトム・アップのアプローチでもあり、当事者の方々に対する有形無形の過去の懺悔でもある。
それは、私の生業として無意識に見過ごしていた罪を誰もが背負っているのではないかという懺悔だ。

私は、若く容姿端麗なKさんにお会いしたのは、認知症もどきの母と話をしても何年前か明確に思い出せない。後にも先にもその時、たった一度だけだった。
その時のKさんの印象がまるでない。

Kさんと、母、母の同僚のIさん(故アムロの飼い主さん)、Hさん(ゆきんこの同窓生の母)そして
ゆきんこという5名のメンバーで、付近のレストランで「お別れ会」のランチパーティーを催したのだ。

何のお別れ会かといえば、母が25年間運営してきた小さな無認可の簡易保育所を閉所し、この保育所に勤務したことのある職員が集まったのだ。

ゆきんこの場合、10年前に自閉症の療育施設を退職して、言語障害の専攻科に進学を決めたのだが、入学するまでの1ヶ月間アルバイト保育士をさせてもらった。

その数年後、Kさんは、母の保育所にアルバイトという名目でやってきたので、私はKさんと一緒に働いていたわけではない。
Kさんは、ある事情があって依頼を受けて母がお預かりしていた娘さんだった。
母がKさんの御母さんから間接的に共通の知人に頼まれ、Kさんにバイトをしてもらうことになった。
当時の推定年齢は中学卒業後、高校進学はしなかったので、16歳だろう。

母はKさんのことを「こんなに綺麗な子がいるだろうか」と女性から見てもうっとりするくらいの美貌だったと強調して形容した。

保育所管理者だった母によると、Kさんのはじめの仕事振りは、はっきり言って保育どころではなかった。
Kさんは、バイト時間の大半を小さな畳の保育室にじっと正座をしたまま、動くことも話すこともしないで過ごしていたらしい。
Kさんの微動だにしない様子に、ことばを発し始めた数名の乳児・幼児たちとじ~っと見詰め合っていた。

しかし、母をはじめ、同僚保育士のIさんとHさんも彼女に特別の干渉もせずに、淡々と普段と変わらぬ
保育を務めた。
Kさんは、話すには話せたが、母だけに耳元でそっと小さな声で話したという。
母は、そんなKさんにできることから少しずつ仕事を与えていった。
Kさんの得意は、イラストを描くことだった。
Kさんは、保育室の壁面飾りや手作り絵本の作成に力を発揮した。

ある時、母はKさんに子どもたちに絵本の読み聞かせを頼んでみた。
その時、Kさんは子どもたちの前ではじめてことばを発したのだ。
「これ、ゾウやで!」

しばらくしてKさんは、デザイン好きという趣味を活かしてネイル・アートを習い出し、保育所のバイトを終えた。

後日、母がKさんのお母さんに再会する機会があったのだが、Kさんの御母さんからその時Kさんの面倒をみたことについて、感謝だとか、特に挨拶らしい挨拶もなかったことも、妙に印象に残っているようだ。

それから、数年経った現在、「Kさん」を知る母の知人から今頃になって「Kさんの話」が再浮上した。
それは、今日母が出かけたサークル活動のメンバー間での話題となった。
サークルのメンバーは、殆どが引退した嘗ての保育・教育の同業者だ。
母は、当時の保育所で過ごしたKさんの様子を回顧してメンバーに話し、彼女は恐らく「かんもく症」だったのではないか?と持ち出した。

すると、メンバーのひとりがKさんの学齢期のことを思い出したそうだ。
やはり、Kさんは学校で「話せない子ども」として教育者から認識されてはいたようだ。
しかし、やはり問題視はされずにいた。
Kさんは小学校3年生で不登校に陥った。
不登校の間、親族の中にも学校関係者がいたようで、家庭教育を受けたのだが学力も落ちていったそうだ。
そして、Kさんの母親もまた、保育園の園長という子どものプロであるにもかかわらず、Kさんの学校での様子をどのように受け留めていたのか?知っていたのかどうかさえ、闇雲だったと推測される。

母は、Kさんの情報を提供したその人に、Kさんとその御母さんの消息の手がかりまで尋ねた。
しかし、学校関係者であったその人も、今更、Kさんについてそれ以上は言及したくないという微妙な反応を示したそうだ。

こうして、Kさんの謎は謎のまま、話題に上らなくなってしまう。
誰も「Kさんはなぜ話さない子どもだったのか」、「どうしたら話せるようになるか」まで、追究しようとしない。
仮に、「かんもく症」ということばはどこかで知り得ていても、目の前にいた「話さない大人しい子は、かんもく症」かもしれないというセンサーが働かなければ、家族はもちろん、学校関係者にも当然、見過ごされてしまうだろう。

できることならKさんにもう一度会ってみたい。そして、私の近況を伝えたい。
Kさんも、たった一度だけ会食を共にした私を憶えていないだろう。

現在20代前半になったKさんが、ネイル・アートの世界をきっかけに、話せるようになったとか、
その後、結婚して幸せに暮らしているらしいという伝聞に、第4者の私は、ただその伝聞通りであって欲しいと祈念するだけだ。


昨日は、終日自宅で一昨日7日の日記を書いていた。
午前中からPCを立ち上げ、その10月7日の出会いや感動の瞬間・瞬間を丹念に綴りあげた午後3時すぎ「記事を保存」をクリックした途端、消滅してしまった。

それから、ふてくされモードに陥り再記入する気力は失せてしまった。

またダイジェストに書き直すかもしれないが、その前に今日の出来事を綴っておこう。

週明けにTちゃんから誘いがあって、デートする約束だった。
午後11時にメールでやりとりしてお弁当もつくって最寄のバス停からバスに乗った。
車窓越しにTちゃんがスマイルで手を振った。
「席をとっていてくれてありがとう。」

行き先は終点のHまで、バスで約40分かかった。
人口40万人のわが故郷は、人口衛星都市として知られているものの、
バスが山並みに近づくに連れて、その風情は実る稲田に彩られていった。
「この町って広いよね。」
「でも、H地区は代々の地の人々がずっと住んでいるところだから、駅前の市街地に比べると、
同じ市内って感じがまるでしない。」


Tちゃんとバス停を降りて短期大学の門の前から徒歩で目指すコスモス畑へのほほんと歩き出した。
Tちゃんは家族連れで以前このコスモス畑へドライブしにきたそうだ。
今日は前回よりも、日差しも強く10本100円のコスモス刈りもひととおり終わったのか、ちらちらと咲き残っているという感じだった。

「せっかく来たけど、あんまり咲いてないね。」
シニア世代の女性の三々五々のグループがまばらに歩いたり、畦に腰を下ろしてお弁当を食べたり
する姿もあった。

ブラブラ歩きをしていると、前方から軽トラックが近づいてきた。
「黒豆の枝豆買わない?」
「100円?」
「ううん、一株500円」

こっちは失業者。安いといっても単価が高い!
Tちゃんが買ったので、トラックが遠ざかってから交渉してみた。
「ねえ、お裾分けしてもらえる?うちは母と2人だし、そんなにはいらないんだ。」
「いいよ。」
そういうわけで、100円分を切り分けてもらった。

棚田になった、稲とコスモスの地帯を一巡して、正午から午後に向けて日差しが強くなってきた。
一望して日陰が見当たらず、何となくもと来た道を辿っていくと、短大の裏門付近に木陰とベンチを発見した。

「ちょっとここに座ろう。」
Tちゃんがコカコーラのベンチにパンダ柄のピクニックシートを敷いてくれた。
「は~。もう10月なのにまだ暑い・・・」
ゆきんこの拵えたオリジナルおにぎりと付け合せのおかず、Tちゃんの果物、おもちを並べてお弁当タイム。
「いただきます。」
「どうぞ。実は、Tちゃんのお弁当、期待してたんだけどな。ママだから幼稚園の遠足弁当も作ってたんでしょ?」
「ああ、ごめん。子どもたちはもう給食だからね。」
「私も保育士時代はずっと自弁だったけど、人に食べてもらえるようなお弁当を作るのは自身がなくて」
「私もいわゆるキャラクター弁当などは、子どもたちに作らなかったよ。野菜の好き嫌いがあるとレパートリーが少ないから、見た目のかわいらしさまで追求できないし。」
「でも、子どもって味より見た目のおいしさに誘われて食欲が増すこともあるじゃない?」
「そうだな。ママ友だちでも上手でかわいいお弁当作る人はいたよ。」

話題は、卑近な子どもの話、Tちゃんのママ友だちが次々と再就職したので、日中過ごす友達が減ったこと、なかには、子育てのブランクにもかかわらず、私学の教員に復帰したというスーパーママ友の話、それに感化されてTちゃんも2週間前に応募した面接で採用が決まり、来週から働き始めることになったこと、母として21世紀を託す子どもの将来への不安、宗教や迷信の科学的実証の可能性や、幼い子どもたちへの影響の功罪、自分の死後にはどの墓にどんなふうに入るのか、婚家との付き合い方などなどバスのなかでも往復1時間で、多様に展開していった。

おしゃべりがつきないうちに、自宅の最寄のバス停に着いたのは、午後2時過ぎ。
「うちに寄っていく?」
「・・・うん。じゃあ、3時前まで。」
Tちゃんの子ども2人が小学校から帰ってくるまでの小1時間、立ち寄ってもらった。
駐車場のフェンスの掲示に目を留めたTちゃん
「この地域も区民体育祭あるんだね。」
「うん。来週の日曜日。私も3年くらい前に参加したことあるよ。大縄跳び。」
「うわ~。あれは大変!ところで、さっきのバス停までの道がもうわかんなくなっちゃった。」
「帰りは送るから。ごめんね。全然掃除してないけど、どうぞ。」

Tちゃんを自宅にお迎えしたのは、12年ほど前になる。
駅前の市街地に住んでいるTちゃんが、遠隔のゆきんこ宅まで来ることはこんな機会でもないとそうそうないことだ。

母のもてなすコーヒーブレイクで、次の話題は趣味の話。
ノーベル賞受賞者の人生ってなんと羨ましいことか・・・と。
凡人は、好きなことを究めていった果てにそれを生業にして、一生を遂げることなんて難しい。
それに恵まれているのは天性の知性と飽くなき好奇心、そして死ぬまで続けられる安泰な社会的地位のある数奇な人々だけだ。

それでは、せめて趣味だけでもと思うが、ブラスバンドに青春を捧げたあの学生時代の環境を自分たちでどうやって再生できるだろう。
Tちゃんの姪御さんが、今現役のブラスバンド部員で、トロンボーン奏者として活躍しているそうだ。
聞けば、コンクールで優秀な学校は私たちの現役時代と変わらない懐かしい学校名も飛び出した。
「優秀な学校は何年たっても優秀なんだね。」

Tちゃんは、子どもたちの個性を母として見守りつつ、これからどんな趣味や興味・関心を持ち、どんな仕事に就き、どんな人生を歩いていこうとするのか、その思いを馳せているようだった。
自分たちは、ぼんやりと思春期を過ごし、世相の動向にあまり関心もなければ、自然、進路や職業の選択がその後の人生を大きく作用することに、非常に疎くて無防備だった。
その分、青春時代は危機感もなくある意味謳歌できた世代だったと思う。

たとえ、配偶者に守られて安泰にみえたとしても、日本社会全体の未来展望が明るくなければ、その日、その日の憂さ晴らしや暇つぶしも楽しむことができないと、Tちゃんの話題から感じ取ることができた。

私としては、7日の出来事とTちゃんの仕事再開の報告に就職活動のモチベーションが高まった。
配偶者に幸せを確約されなかった私は、やはり、泣いても、凹んでも、自分で自分を奮起させるしか方法はない。願わくば、ノーベル賞並みの人生に肖りたい。
けれども、出生の段階から能力・進路に至るまで、格差をつけられていて「運動会」さえ同じように競争しろだなんてやっぱりおかしいだろう?

全知全能の神様がいるなら、生れ落ちたところから是正してもらいたいものだ。


8月末まで授産施設の☆班で相棒だったO氏からお誘いを受けて、送別会代わりのお食事にでかけた。

勤務先は川向こうのI市に所在していたが、O氏の居宅はゆきんこと同じ市内なので、気軽に同じ市民同士で11時30分に駅前に待ち合わせた。
月曜日から金曜日のデイタイムはO氏と☆班のメンバーでがんじがらめだったけど、仕事を離れて、休日の午後にランチをご一緒すると、自然、開放感と笑みがこぼれた。

O氏によると、ゆきんこが去ったからといって赤字累積状態がエンドレスに続くワーク☆の運営も経営も危ういことには変わりない。
だから、4月にスタートした施設が落ち着くまでには、3年以内に古参メンバーの入れ替わりもあるだろうし、O氏自身も「時間の問題」なのだという。

但し、18年間障害者更正施設で最重度の問題行動だらけの方々と格闘してきたO氏のコメントでは、
「あんたはもう、福祉はやめといた方がいい。これ以上やせ我慢しないで、自分に合った仕事を選びなおせ。」
と再度、釘をさされてしまった。

「そうですね~。私も曲りなりに続けてきたのは、やっぱり利用者さんたちが好きだから。でも、今回は新規オープンということで期待が高かっただけに、スタッフには幻滅も大きかった。運転士のAさんが言ってましたけど、『この(障害者相手の)仕事はバカかよほど善良かのどちらかしかできない。』って。それで、どちらが生き残っているかといえば、バカの部類の人たちです。」

「うんそうだよ。善良なだけじゃ、潰れてしまうし、バカな奴らがいい奴を潰してしまうんだ。」

「それでは、利用者さんのためになりませんよ。」

「特に、新規オープンの施設というのは、縄張りの確保をしたがるんだな。利用者サービスよりも自分の私利が勝ってしまう性質の人間が管理職になると、福祉施設は質が低下していく。古参のベテランはやっぱり後輩を指導してフォローしなくちゃいけないのに、☆の年配のスタッフたちは足ひっぱりばかりだろう。それで人間性が丸出しになったから、オレは即刻辞めようと思ったんだ。」

「今回はいい勉強させてもらったと思ってまた仕切り直しです。もうどこへ行っても期待せずに淡々と仕事をしたいですね。」

「あんたの人の良さが上手く活かせる仕事が見つかるといいんだけどなぁ。・・・オレっていい奴だろ?」

「はい。辞めたあとのことまで心配してもらってありがとうございます。私よりいい人ってあまりいなかったんですけどね。だからOさんは損ばかりで儲からないでしょ?今日は妻並みの待遇ですけどいいんですか?」

「今日はいいさ。あんたの送別会なんだから。ホントに妻並みの待遇だな。。。」

「お互いのパートナーに悪いでしょうか?でも、あくまで同僚ですから。」

アジアンデイズで90分食べ放題のデザート付き飲茶コースでお腹を満たすと、今度は私がO氏を誘った。
「Oさん、まだ時間大丈夫ですか?」

「ああ、移動してシフォンケーキでも食べに行く?」

「その前に腹ごなししませんか?一緒に行くならOさんがいいなと思っていたところです。」

「どこだい?」

「総合福祉施設の奥にできたホースセラピー牧場です。」

「へえ。」

正午を廻ると、日差しはさらに強くなった。
そもそも初訪問するにはヘタレなところがあるので、福祉業界にどっぷり浸かったO氏に同伴してもらうにはいい施設だった。
施設の概観から真っ先に目についたのがフェンスに掲げられた複数の企業広告だった。

「ちゃんと大手のスポンサーついてるんだ。」

「こういう施設も企業と連携してちゃんと設けているんだぜ。」

事務所のカウンターで1日見学料300円を支払った。NPOなのにやはりタダでは見せてくれないらしい。

ポニーや引退したサラブレッドが柵の中をのんびり歩く姿が心地いい。

「ああ、馬がうらやましい~!今度、ここへみんなを連れてこよう。」

木陰のベンチに腰掛けて、O氏と1時間ほど談義を再開した。
O氏が真面目すぎるのか、元同僚だから仕方ないのか、話題は☆班で語らっていた内容の延長で、
障害児福祉施設の経営・運営や未来展望などなどに終始した。そして、プライベートの話。
何せ、ゆきんこの新婚生活ははっきり言って前途多難。
O氏とゆきんこではどっちが波乱万丈だろう?
というくらい他人事ではない半生を開示しあえる間柄になっている模様。
それというのも、福祉は人間関係のドロドロが渦巻く環境と格闘してきた日々とゆきんこの生い立ちまで聞いてくれたO氏は、この業界に見切りをつけないと幸せになれないということを諭してくれたのだ。

「あんたも家のことは口外しないほうがいいんじゃないか?他人は事情もわからず言いたいことを言うさ。」

「心配してくれてるから干渉も仕方ないと思うのですが、夫に私の周辺の外聞を言っても仕方ありません。自分で差し止めておかないといけないのがしんどいですね。独身と何も変わらないのに、結婚したらしたで、周囲がこんなにうるさいとは思いませんでしたよ。確かに心配はかけていますが、迷惑はかけていないでしょう?と言い返したいです。」

「もうやせ我慢するな。結婚は二人で決めたことだし、あんたたちのキャラで選びあったんだろう。
それなら仕事は福祉にこだわらない方がいい。だいたい福祉の仕事を敢えて選ぶ人間にはそれなりの理由があるんだ。大抵は結婚していないか、しても子どもがいないか。特に障害者福祉は本人だけでなく家族の支援も必要だから、自分の私生活との両立が難しいんだよ。」

「じゃあ、Oさん、一度は去った障害者畑にどうしてそんなに喜んで戻ってきたんですか?」

「ん?オレはあいつらが本能のままに生きることそのものを楽しんでいるのが羨ましいんだ。Dなんかそのまんまだろ?眠くなったらその場に寝転ぶ。やりたくないことはやらない。でも、それを全部許してやるから、あいつはついに仕事を拒否しなくなった。」

「はあ、確かに・・・何者にも縛られない自由人ってことですか?」

「うん、そう。オレは、あいつらを障害者だとか、精神薄弱とかいうのはおかしいと思っている。あいつらは、ただ目標を決めれば、後から時間がかかってもやれるのさ。だからややこしい専門用語なんて使わずに『知恵遅れ』でいいんだ。あいつらといるとオレの野性の血が騒ぐんだ。そうじゃなかったら、もっと儲かる仕事に就いてるさ。」

「Oさん、心底この障害者の仕事が好きなんですね。」

「オレは思春期には相当荒れ狂っていたんだ。だから、生まれ育った夜の都会の光景がこの地方都市よりも心地いいのさ。まだ20代若さをぶつけあうには、障害者のむき出しの世界がいつしか、オレの不良性にいい作用があったんだな。そのオレの野性と障害者の本能のままの姿が響きあうんだ。」

「ドクをもって毒を制すってわけですね。」

「そそそそ!あんたは、楽しい話をするのが上手だから、キャディはいいと思うよ。ものは試しくらいで、無理なく続けられる仕事にしたらいい。」

「そうですね。今までの仕事はボランティア程度がいいかなと思っています。どうぜ、不景気でボランティアしかないし。もし、近々利用者さんと来るなら私もここで手伝えるように手続きします。」

「ああ、もう今やるの?」
たばこをくゆらせていたO氏は、携帯の灰皿に吸殻を入れ、ベンチを立ち上がった。

ボランティア登録するにしても、年間登録料が2000円とはなんでだ!?と思うけど、こうやって財布から出費がかさんでいく。初のボランティア参加は菜の花の苗付けで10月15日に予定が決まった。

「オレが教えた苗付けが役に立つじゃないか」

「はい。今日はごちそうになっていいんですか?」

「いいよ。」

「ありがとうございます。今はとりあえず、財布の中にお金があるってことですね?」

「あんたうまいこというなぁ~」

「いえ、失業したのですから、お金のことは切実ですもの。。。私もこの看板みたいにスポンサー探さないと」

「じゃあ、オレ買い物するからここで。」

「ありがとうございました!」

私にとってはO氏は、子育てを終了して、ややくたびれかけた好感度高めの親父世代に見えるのだけど、笑顔の向こうには、重度障害者の方々とさまざまな試練を乗り越えてきた野性が息づいているのだと思えた。

昨日は、9月下旬に取り寄せていた2冊の図書の返却日だった。
気温は27℃と再び9月中旬並みの汗ばむ陽気だった。
正午前には自宅を出て、市街地の図書館へ出向いた。
隣接する総合福祉会館の福祉図書コーナーはいつも閑散としていて集中して読書するにはもってこいの環境だ。

そこで、ソファに腰掛け一気に読み終えることにした。
本のタイトルは
『森の生活 WALDEN TWO 心理学的ユートピア』 by B.F.Skinner(1948)
もう60年前(昭和23年)に著された作品だというのに、今のマイブームはなぜだかスキナー博士なのでとても新鮮な気持ちで読めた。

もくじは以下のとおり

  序   古武 弥正(関西学院大学心理学研究室にて)
1.戦後のある日                  1
2.第二ウォールデンへ             10
3.雨のない街                  17
4.お茶をのみながら              26
5.衣装談義                   32
6.雑踏を避けて                 39
7.食生活                     45
8.労働クレジット                 50
9.お客様の作業                 67
10.作業場見学                 75
11.芸術について                85
12.保育室で                   96
13.感情論                    102
14.教育論(感情教育)             106
15.教育論(知育教育)             120
16.恋愛論                    133
17.家の問題                   143
18.迷い                      154
19.過去の共同社会に対する批判      159
20.道徳論                    163
21.心の分析                   187
22.医療施設                   192
23.ユートピア論(宗教・政治論)        199
24.宣伝                       213
25.横断的観察                   220
26.縦断的観察                   226
27.第二ウォールデンの分胞(指導者の原理) 231
28.告白                       253
29.非難と弁明(自由論・民主主義論)     263
30.幕間                       291
31.車のきしみ                   294
32.回顧と展望                   298
33.神学                       309
35.心のあらし                   319
36.帰郷                       332
解題(訳者付記)                   337
あとがき            宇津木 保 うつきただし

非常に盛りたくさんな1冊で、もう1冊借りていた『マインドフルネス&アクセプタンス』(2005 ブレーン出版)は全く読む時間がなかった。
ウォールデン・ツーのような古典的図書は、日本国内でわざわざ神奈川県立図書館から取り寄せたくらい稀少価値の高い著作だから、もう2度と読むことはできないだろうと、できるだけ丹念に読んでみた。

私の頭ではとてもついていかない果てしない内容だ。多分、あと3回くらい読んでも真髄はわからないだろう。
それでも、行動分析学の始祖であるスキナー博士に敬愛をこめて、拙いながらも自分のわかる範囲でコメントしておきたい。

解題から引用してあらすじを述べると

原著はスキナーが夏期休暇を利用して一気に書き上げたそうである。
1965年には8版を重ね、当時の経営者のための再教育セミナーのテキストに活用された。
人間工学あるいは人間の行動科学について原理的な結論に達したフレイジアという男が、その原理にしたがって想像した心理学的ユートピア「ウォールデン・ツー」を心理学教授のバリス、哲学教授の
キャッスル、戦争から帰還したばかりの2名の若者ロジャースとスティーブ、彼らの女友達バーバラとメアリーの合計6名で、数日間にわたって見学した時の描写を中心とした物語(フィクション)である。
登場人物中のフレイジアとバリスは、スキナーの分身的人物とみられる。
その内容は、もくじにも示されたとおり、社会生活の広範囲にわたって理想社会のさまざまな問題にふれ、常識的あるいは哲学的批判に対する、心理学的あるいは行動科学的見地からの主張や弁明がある。そして、積極的強化の原理に基づく理想社会の現代における可能性を徹底的に追及してみせる。第二ウォールデンを成立させる基本的原理は「強化」の原理である。
この概説から 「科学と人間行動」とも重なり、日本の行動分析学の心理学者たちにも確実にスキナー博士の心理学的ユートピアの構想が受け継がれているのだろうと頷ける。

さらに、私が印象に残った箇所を抜粋してみたい。
目下、失業中、生まれてこの方低所得の私にとって「労働クレジット」は嬉しいシステムだ。

全ての老若男女に「失業」という概念がない。そして労働の対価となる貨幣が存在しない。知性や能力の差異に応じて好きなときに好きなだけ好きな労働をすれば、規定された単位のクレジットに換算される。今の日本では家事・育児・介護などの女性が不当に請け負わされてきたアンペイドワークや福祉におけるボランティアは、無償の奉仕のままである。しかし、心理学的理想郷では、全ての労働とみなされる行動をクレジットに換算して、日常生活の衣食住の必需品も貨幣を用いずに賄われる。過不足も貧富の差もないので無益な搾取もされない。経済状態の格差もないので、若者は自由に恋愛し、適齢期には相応しい男女が結婚して定数の子どもを育てることができるシステムだ。
                               
次に、心理学的ユートピアを創設したフレイジアの最も心にのこる台詞を引用したい。

「行動の科学は科学の科学なんです。それは話すことについて話し、知ることについて知るところの特殊な術なんです。さよう、そこには行動の原動力に関する面倒な問題もあります。すべての科学は、競争的文化の産物ですから、今でも大部分の科学者たちは、競争によって動かされていますし、少なくとも、科学を支えているものは競争的な人たちです。しかし、科学的な方法を用いて人間行動を研究しようとする場合には、競争心の存在は即ち自殺を意味します。生き残ろうとすれば、結局、争ってはいけないのだろうという、今までとは大分違った事実が明らかになってきます。」

「いろいろな点で、実際の第二ウォールデンの創造は近代科学の見地から見た世界の進化よりは、キリスト教的宇宙観の精神に酷似しているのです。」

バリス  「愛とは何でしょうか?」
フレイジア「結局、積極的強化の別名じゃありませんか?」
バリス  「あるいは、その逆ですかね」
フレイジア「人間と犬との協同作業は、人間や動物を奴隷扱いすることとはえらい違います。」
バリス  「一体、いつになったら、人間社会も奴隷的社会としてではなく、協同的社会として分類されるようになるのでしょう」

この本を読み終えたのは、2時過ぎだった。
3時には帰宅して裏のWさんとお茶しながら英語の話をする約束をしていた。

福祉図書コーナーの一角のテーブルで気に入った台詞を書き出し、3冊の書籍を借り出した。
そして、カウンターの聴覚障害のある女性スタッフに印刷室の場所を尋ねた。
持参のおにぎりをほおばって一休み。帰宅時刻まであと30分。
見開きのスキナー博士の肖像写真のコピーをとった。
総合福祉施設から市立図書館へ移動し、2冊を返却して帰路に着いた。

不思議なことに、ABAを知った日から4年目に入っても興味津々ドーパミン放出性格は未だに維持されているらしい。
失業中にもかかわらず、バッテリーを付け忘れた電動自転車のペダルをなぜか軽快に踏みしめていた。

単純な「刺激と反応」の縮図に被れている私って、やっぱり脳天気なのかしら?
今日から10月。私の大好きな季節。2年連続失業月。
8月の完全失業率が増えていて、有効求人倍率が0.8%だというから厳しいな~・・・

午後1時過ぎから国会中継を視聴した。
麻生新内閣の所信表明に対する民主党の威勢のいい質疑と代弁は少しリラックス効果があったのかうたた寝BGMになってしまった。

今から記録するのは、去る9月26日(金)の午後のこと。
旧友のなかでも、一番身近にかかわる機会の多いTちゃん親子を再訪した。
なぜなら、Tちゃんは同じ大学のブラスバンド部の仲間だったが、
卒業して以来、Tちゃんの結婚・出産・子育てになぜかしら家族並みに関与してきた経緯があった。

専門医に初診を終えて、駅前に居を構えるTちゃん親子をふらりと訪れた。
この10年くらいは、Tちゃん宅と最寄のハローワークは徒歩10分以内ということもあり、度々失業状態に追い込まれたときの私の止まり木になっている。

週末の金曜日。Tちゃんの愛児である小4のYちゃんと小2のKくんははにかみながらも私を迎えてくれた。
学齢期に入った二人は、幼児期全身運動系の遊びを脱して、個性に応じた遊びを展開してきた。
もはやおばさん保育士の介入は不要というわけ。
姉のYちゃんは、クラスメイトのMちゃんを招いてリカちゃんごっこに興じ始めた。
弟のKくんは、少し面白くない様子で二人の遊びを敬遠してするするとリビングに移動した。
しかし、ママは友人のゆきんこと自分には関心のない大人の話を楽しんでいる。
夕食までには時間があるし、なんだかふてくされた表情のK君。
そこで、彼が起こした行動は・・・
ママの膝にスルスルと座り込んで甘えた声で言った。
「ねえ、ママ~、つまんない・・・」
「DSでも何でもやったらいいやん。」

Tくんの内心を察するに、遊び相手は欲しいけど自分の興味に応じてもらえないし、ママとゆきんこの友情に少しヤキモチをやいているようにも見えた。

DSはママからのお達しで20分間だけということになっているらしい。
20分経過して、DSにも退屈したK君。
おもむろに生物の図鑑2冊を持ち出し、テーブルの上にもってきた。
「へえ~、K君お勉強嫌いっていってたけど、こんな難しい図鑑を見るんだね。」
幼児期から、レンジャーもの好きでシリーズや分類が得意だった彼が自然、生き物の分類に興味を持つ学齢期を迎えたことは頷けた。おまけにゆきんこと同じ星座であることでKくんとゆきんこは年の差を
意識せずに共通の話題を展開し始めた。

「K君に声かけたらよかったね~。この前、ダーウィン展へ行ったんだよ。いろんな生き物の仲間がわかって面白かったよ。でも、わからないことがあったから教えてくれない?」
「いいよ。」
「こっちは、魚のなかまの本で、もうひとつは哺乳類の本なんだ~。」
「うん。そうだよ。」
「どう違うの?」
「え~と、魚は海にすんでいる。」
「じゃあ、動物は海にすんでないの?」
「ううん。海にすんでる動物もいるよ。」
K君、哺乳類のページを開いて、イルカやクジラを見せてくれた。
「あれ?イルカとクジラって魚でしょ?」
「違うよ。動物!」
「だって、海にすんでるから魚じゃないの。動物みたいに足がないもの。」
「ううん。ヒレが違うの!!」
今度はK君、サメとイルカの模型を見せてくれた。
「ほら、サメは横にヒレを動かすけど、イルカは縦にヒレをふるの。」
「あれ?サメはイルカの仲間でしょ?」
「違うよ。サメは魚。」
「じゃあ、サメとイルカはどうしてヒレを振る向きが違うの?」
答えに困ったKくん
「ママ~・・・」

すると、そのやりとりを聞いていた姉のYちゃんが割って入った。
「だから、サメは卵を産むから!」
「ああ、サメは魚で、魚は卵を産むんだ。」
「そう。」
「イルカも卵を産むんじゃない?」
「違う!赤ちゃんを産むの!」
「赤ちゃんを産むのは動物なんだ。動物は卵を産まないの?」
「卵を産む動物もあるよ。」
今度はK君、ページをめくってカモノハシを見せた。
「ふうん。カモノハシは卵を産むのに動物なんだ。でも、足はあるね。それにホニュウルイって書いてある。ホニュウルイって何だろう?」
「・・・・ねえ、ママ~・・・」

すると、Yちゃんがむきになって言った。
「ホニュウルイは、赤ちゃんを産むの!」
ここで字義通りの「おっぱいを飲む」という答えや生殖のしくみの違いまでは説明できない。
「そうか。魚じゃないのに海にすむイルカがいてヒレを振る方向が違ってる。卵を産むのにカモノハシはほ乳類?ふ~ん。なんだか不思議だなあ?」
「だから、シンカしたんだよ!」
「ええ!シンカ?シンカって何?ダーウィン展でも同じこと書いてあったよ。」
「あのね・・・」
小4でもう進化論を教わるとはびっくりしたけど、Yちゃんは図式まで書いて説明し始めた。
小学生ともなると受け売りの報告もできるようになるとは、お見事!

「はじめに宇宙の隕石がぶつかって冷えて固まって、地球ができました。そこに雨が降って海ができました。海のなかでアミノ酸が生物になりました。それからサンヨウチュウとか、昔の生き物があって、
魚になって、動物になったの!そして、人間が最後なの。」
「へえ~すごいすごい!Yちゃん、ダーウィンと同じ説明だよ。でも、生き物って神様が作ったんでしょ?これは、魚です、これは人間ですって神様がつくったんじゃないの?」
「違うよ。」
「でも、Yちゃんの幼稚園ってキリスト教の牧師さんが作ったんだよね?クリスマス会のイエスさまの劇では、神様が動物や地球を作ったという話だったよね?」

今では進化論が通説の現代に創世記も同時に語り継がれている。
今でも、進化論に反駁する敬虔なクリスチャンはいるのだろうか?
当時、宗教界のバッシングを受けても進化論を唱え、後世の科学技術の躍進させたダーウィンと、それ以後も古今東西人類最多の信者数を維持する創始者イエス・キリストとどっちが偉大だろう?

神の子であり、最も優れた頭脳を獲得するまでに進化した凡人はそのどちらの恩恵もありがたく享受しているのだろう。
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