私が仕えた方々

2009年も早第4週。
試用期間2ヶ月目に入ってもまだまだ気が抜けません。

それなのに、成人の日以降職場ではカゼが流行し、14日には自分で計画していた友人たちとの集いを断ってしまった・・・
一品持ち寄ってSちゃん宅でのホームパーティーを一緒に楽しむはずが、用意していたパイシチューを
自分で平らげてしまう始末。

マスク姿で出勤するのもなんだか気兼ねしてしまう第3週を過ごした。
結婚すると、自然それだけでやさしい人間関係が広がっていくものだなとまだ現在完了進行形で感じる。


仕事と家庭、公私は分けて然るべきものだけど、公私の身近なところで結婚間近な話題が浮上していると、なかなか厳格な線引きはできないものだ。
私が今のポストに納まらせてもらったのは、前任者が結婚のために遠方へ転居することになったからだ。


上司は、一回り以上も若い前任者と後任の私をシビアに比較するだろう。
ハローワークでも事務職の求職倍率は高く難関だ。
上司は対外的には柔和な表情を演出しても、部下で年増の私には容赦ない指導が入る。
ここで、アタマをクールにしてみると・・

否応なくダラダラとした履歴の数だけ、多くの上司に仕え、多くの先生に師事したゆきんこ。
その殆どが、必ずしも尊敬に値する人格者や人徳を備えていると感じたことはなかった。
寧ろその逆で、「何でこの人が管理職なんだ?!」と驚愕し、絶望して退職せざるを得ない窮地に追い込まれることもしばしばだった。
つまりは、パワハラ&リストラの繰り返しだった。

しかし、このご時世の50代管理職世代とは、どういった特徴があるんだろうか?
「アラフォー」と比べてもなんとなくピンとこない世代だ。

私が自閉症の療育施設で副主任という役割を担ったのは、バブル経済が崩壊して数年後のころだった。
次々と同僚が寿退社して、たったの4年でまだ20代にして最年長者になっていた。
1990年代に勤務していたその施設での平均勤続年数は3年足らず、平均年齢は25歳だった。
当時、歴代の主任も平均年齢は30歳前後だった。
私は昔から、人に先んじて威張っている人々に嫌悪感を持ち続けてきた。
だから、自分が若くして主任になったことに罪悪感を持ち、1年半で辞職した。
大学教員であろうと、医師や社会的地位の高い存在にどこか畏怖の念が抜けずにいた。
転職先で次々と従属した上司は皆、知性に反比例するのか、どこか居丈高だった。
それは、人間がヒエラルキーの社会構造のなかに存在し続ける種である限り、
誰にでも生涯つきまとう不快感に違いない。

新卒時の初任給よりも今の給与は明らかに低くなったが、処遇に文句はつけられない。
自然、自分が嫌悪してきた上司になることよりも部下という地位を無意識に選んだ。
先週末は雪が少し積もったようだ。
今週はなぜだかデスクワークで運動不足のせいか、背中が強張ってまっすぐ伸ばせなくなってしまった。どうも、ぎっくり腰の前兆を感じる。。。

昨晩仕事の帰りがけ、昔なじみのIさんのお勧めで整骨院へ出かけた。
「イテテテテテ・・・!そこ、すごく痛いです。」
「フフフ、ぜんぜん押してませんよ。しばらく通ってください。こんなに凝り固まっていては整体は無理です。」

前の生活支援員に比べたら、ずっと楽になったはずなんだけどな~・・・
やっぱり、若い「つもり」の年齢になっちゃったのかなぁ。
ブログも毎日更新しなくなったし、なんだかボチボチモードにはなったかも。
上司にいやがられるひとつには、私の風貌がぼ~っとした天然キャラにある。
一生けんめいのつもりが、見た目がどうしても緊迫感がない。
確かに鏡をのぞいても、その天性は仕事でいくら注意されても直らない。
しょうがいを直せって言われているのにも近いけど、理解の乏しい上司ほど、
余計にきつくあたるものだ。
そうやって部下に厳しくあたったり、弱音を吐けず素直になれなかったり、プライドが邪魔して孤立している管理職ってホントはストレスフルで寂しいのかもしれない・・・

もちろん、過去には尊敬できる素敵な憧れの上司・恩師との出会いもあった。
社会的地位を与えられ、一層精進して人徳を得るのか否かは本人の心がけ次第だし、
どれだけ部下や臣下に慕われるのか、支持されるかがそのバロメーターに違いない。
それと、年齢とは全く相関はないように思えるが、私の主観では相手に対する思いやりや慈愛がどれだけあるのかが、社会的貢献度との相関はあるんじゃないかと思っている。
そういう類のリーダーシップの研究ってあるかな?

なぜだか、私の心は穏やかだ。
その理由には、私には愛情を注げる確たる対象があって、溢れているイメージがあるからだ。
今年に入って、帰宅すると余暇には新聞広告の住宅情報に目を凝らす時間が増えた。
3年通った夜間大学院の日々は充実していたけど、なんだかぼ~っと呆けている今が幸せだ。

とにかく、ストレス解消、健康第一で明日も仕事がんばろう!
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テーマ : ゆるゆる人生 - ジャンル : 日記

おめでとうは続くよ、さてどこまで?

明日は成人の日。
今年2009年に限らず出会って3度目のお正月もPさんと一緒に過ごせたのはいいが、全く想像もしないイレギュラーな正月だった。
ちょうど1年前の今頃は苦心惨憺、論文を無事に提出したのだけど、
間借りしていた山沿いの地域は、実にひっそりと静まりかえっていて、誰にも新年の挨拶などしなかった。

ところが、今年は親族間にも色んな変化があった。
ゆきんこは一人っ子だが、親族の従姉妹が子ども時代からのきょうだい代わりだった。
7日には、亡従姉妹Kさんの末娘Aさんの婚儀が整い、そのお祝いにかけつけた。
Aさんは婚約者のF氏と4月から上海で新婚生活を始めることになっている。
父親のYさんに恭しくご祝儀を差し出したが、こんなことはいい年こいて未経験だから全て45年前に長男に嫁いだ叔母任せ。
親族とはいえ、病床のお見舞いや冠婚葬祭の社交にはいつも緊張気味になってしまう。
Pさんも私も改めてお互いの親族ムードの違いにカルチャーショックを受けた新年でもあった。

さらに嬉しかったのは、一番仲良しの従姉妹のMさんが5年ぶりにイタリアから戻ってきて再会できたことだった。
「うわぁ~!A!めっちゃきれいになってる~!」
イベント好きで誰にでも人懐っこいMさんも初対面のPさんの傍に気さくに近寄り、笑顔を向けて私たちの結婚を喜んでくれた。
「ゆきちゃん、ええ人と結婚してよかったなぁ~」
偶然にも、3ヶ月前からMさんの友人と、Aさんの兄T君が交際をはじめたそうだ。
世間は狭いねと親族はいつになく朗らかな笑顔をたたえていた。

今回は初対面同士のかしこまった雰囲気が漂っていたので、次回会う機会があれば
もう少しゆっくり話せたらいいなと思っている。

この2009年の不況の最中に、再就職に婚約・出産の慶事に沸いている私の身辺は、
やっぱり結構イケテル方じゃないだろうか?
仕事初め以降、多くの方々の新年の様子を伺ったところ、バーゲンや初詣、親族の接待などでややお疲れモードの報告が多かった。
Pさんの親しい方々を紹介してもらって、楽しい会話ができることや、新しい仕事を通して温かい人々の輪が広がりつつある。
上司の厳しい指導はしばらく続くだろうけど、多少、意見の食い違いや耳の痛いことを言われても、善意なのだと受けとめる素直さや真心を大切にしたい2009年の第2週でした。

最後に、元旦にK神社でひいたおみくじを記録します。

第二十九番 吉

としつき つもる心のうれいもようようにきえうせて
みをたて 名をしられんと おもうこころざしの つうずるなり
ざいほうはいうにおよばず 知行位をのぞまば奉公すべし
よきしゅじんにおうてとりたてられ しあわせよしとなり

▲この人はこれまでうもれぎの如く世に知られず、いろいろの苦らうをしてきたれど、
  これよりおいおい 運開けて時とところにしたごうて幸を得べし、神仏を念じてよし
▲病人本ぷくす、ただし貧なれば早く、人の目上に立つ身なれば遅かるべし
▲えんだん叶がたし、ゆるゆるしてよし
▲ふしん、家うつりその外よろこび事よろずよし
▲商いはうりかい共によし
▲失物出づべし
▲争いごと勝べし相手をいたわれ
▲待人来る
▲いく月うれいの雲も今日晴れて、あさ日かがやくけさの嬉しさ

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あけましておめでとうございます。2009

新しい年がやってきた。
例年紅白歌合戦を見終わってカウントダウンの瞬間が過ぎたら、母とK神社へ初詣してから就寝する
というのが、お決まりパターンの年末年始だった。

ところが、新婚1年未満の新年は格別の幕開けとなった。
母とパラサイトシングルの私との二人家族は、平素のライフスタイルからお正月も変哲もないシンプル志向が当たり前だったのだが・・・

年末29日には、Pさんとご両親とでプチ・パーティーに招待された。
会食の後には、カラオケで1960年代のなつメロで喉を鳴らした。
音楽といい、歌を歌うことは会話に窮したときの団欒対策にはいいかもしれない。
カラオケでその人がどんな選曲をするのか知ることで、交流を深めるにもいいツールなのかも。

大晦日には、お隣さんと玄関先で話しながらTV放映されていたネタを参考に少しは掃除もしてみた。
玄関のタタキと浴室のタイル目地のカビ取り漂白など。

元日から昨日までは丸々婚家に染まって過ごした正月3が日だった。
通常、元日はシンプルな御節料理とお雑煮を食べたら、あとは年賀状に目を通して
TV三昧でぼけ~っとしているのだが・・・

まず、年賀状に変化があり、過半数の苗字は新姓で届いた。なかには「結婚おめでとうございます」と付記されていた。

元日の午後はお義母さんのおせち料理の支度の手伝いで午後を過ごした。
実は、お義母さんも含めて生まれながらにPさんの姓である成人女性はいないというのも
なんだか珍しい。
ゆきんこの実家の親族はPさん宅と正反対に女系集団でもってかしましい雰囲気の正月の団欒だったことを思い出した。

しかも、母の実家はもとより姻戚も全て大阪人一色だっただけに、Pさん一家も含めて
「大阪感覚とはなんかちゃうな~」というプチ・異文化経験を楽しんでいた。

2日は母が伯母宅へ出かけたので、終日自宅でのほほんとしていた。
伯母宅から母が電話をかけてきた。
一人っ子の私にとっては、子ども時代から従姉妹のなかでもきょうだいもどきに一番の仲良しだった
M子さんの懐かしい声が電話越しに聞こえてきた。
「久しぶり~~!イタリアからいつ帰ってきたの?」
「29日。結婚おめでとう!今回は日本にしばらく滞在するからそちらに会いに行くよ。」
「来てくれるの!?ありがとう。楽しみにしてるね!」

毎年、似たような正月番組は注視するほど魅力を感じなくなっているけど、
深夜に再放送特集されていた瀬戸内寂聴尼プレゼンテーションの「源氏物語の男君」に見入って楽しんだ。

3日の午後には、再びPさん一家と合流して姻戚の方々との新年の交流に招待を受けた。
これも、結婚したからこその格別な慶事といえるかもしれない。
生後7ヶ月の赤ちゃんを囲んで新しくうまれ変わったようなP家の正月団欒だった。

別居婚で曲がりなりにも働き続けてきたおばさん進行形の私に「嫁」とか「家内」という自覚はまるでないのだけど、はて、即親族といわれても、「はじめまして」の初対面では往々にして話題に困るもの。

そこで、必殺技はやっぱり履歴がモノをいう。
「私、保育士だったんですよ。」
するとほやほやのママ・パパとの話題は赤ちゃんのことに終始するものだ。
公私によらず、古今東西、生まれてから死ぬまで人間にはコミュニケーションがつきものだ。

2000年以降、非正規雇用者の容赦ない生死スレスレの諸問題は、既にゆきんこの公私の周辺で
まとわりついてきた卑近な出来事のなかにあった。

喪服付き合いばかりだった親族交流の中で、Pさんと出会って結婚したことは、やっぱり両家にとっても画期的な出来事だったに違いない。
なんたって、長年の私を知る誰もが
「え~!!ホントに結婚したの!?」という半分失礼しちゃう意外な展開だったらしいから・・・
ゆきんこの親族が大方他界したその後ではあるものの、Pさんにも新しい希望の婿殿として歓迎を受けて欲しいと願っている。

そして、幸せを願わずにいられない憂いも多い前途多難な2009年だけど、
なんとか乗り切って良き1年にしたいと祈ります。


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