日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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実習終了!
2009年08月30日 (日) | 編集 |
一昨日、28日(金)の午前9時から午後5時までで、無事職業訓練現場実習を終えました。
最終日は、カウンターで対象の方々と直接面して受付けるという第1戦の実務も経験しました。
実習先は、かなり有名な施設のため諸々の職務現場実習生を随時多数受け入れているところではありますが、業務上、信用第一、絶対にどんな小さなミスも許されないという仕事だったので、やりがい充分責任重大、でも無給の丁稚奉公でした。

先輩スタッフと常々連呼していた合言葉は、「申し訳ございません・・・」と「ダブルチェック!」でした。
おかげで、水曜日・木曜日あたりには目・肩・腰に慢性疲労が蓄積し、頭痛にも苛まれました。
しかし、年配の熟女スタッフの指導のおかげで楽しく過ごせたし、ふつうじゃない対象者を相手に気遣いと臨機応変さが多々必要な部署でもあった。
最後には4名のスタッフの皆様からこんなことばをもらった。
「さみしくなるね。」
「何だか居心地よくさせてもらって馴染んでました。楽しかったです。」
「ここよりももっといいところ探しなさいよ。この部署は数をこなせば誰だってできるんだし、訓練校で習ったことが活かせる所へ行かなくちゃもったいないよ。」
「無給でしたけど、ひとつひとつ丁寧に新しい業務を教えていただき、貴重な実習経験でした。
楽しかったです。ありがとうございました。みなさんもお元気でお体に気をつけてくださいね。」
「それって、どういう意味ですか?」
最年少らしき若い男性スタッフにそう突っ込まれて、
「いえ、他意はないですよ。今日で最後だから別れの挨拶だったんですが。こんなとき、なんて言えばいいんでしょう?」

実習生のゆきんこが、この部署の普段の雰囲気にプラスアルファー効果があったのか、
それとも、他の部署に比べても粒ぞろいの気さくなスタッフで構成されていたせいか、
冗談交じりでさわやかに名残を惜しんで別れとお礼の挨拶を交わした。

しまったな~という心残りがひとつだけ。
何と新卒時以来、17年ぶりに袖を通した水色地にタータンチェックのベストと濃紺のタイトスカートの事務服姿で8月いっぱいを過ごしたのだけど、記念写メールを撮ることなく返却してしまった。

それと、私が最も不得意なPC作業もたったの30分くらいしか経験させてもらうことはできなかった。
専用端末は、実習先特有の情報管理を行っている以上は、難易度には関係なくアンタッチャブルなのは当然だ。
しかし、端で垣間見たり、申込書の窓口担当業務をするからには個人情報が丸見えなのも驚きだった。

昨年の今頃、もしかするとゆきんこの情報もこの実習先に流入するおそれがあったと思えば、
人生どうなるか全く予測がつかないのだった。

実習先が御馴染みの駅から程なく愛用の電動自転車で通勤できたのも現場に馴染みやすかったかもしれない。
紙袋に10名分の実習生の事務服を詰め込んで担当責任者のKさんにお返しした。
「皆さんには1ヶ月で各部署での実務の雰囲気を味わってもらえたと思います。また、いきなり就職される前にこのような大規模なところで実務経験されたのも意義があると思います。どうか、今後の就職活動の一助にしてください。」

最後に挨拶をして、解散しKさんがエスカレーターに向かった背後を追いかけた。
「お呼び止めしてすみません。」
Kさんは立ち止まり、振り返った。
「私にとって地元の慣れ親しんだこの施設で是非とも引き続き働かせていただきたいと思います。」
「そうでしたか。ゆきんこさんはよく働いてくれたのに、その後、申告がなくて挨拶もされていたのでどうされるのかとスタッフが言ってたのですよ。では、このメモに連絡先を書いてください。今日は上役が欠勤ですから週明けに電話連絡の上、履歴書を提出していただきますね。」
「はい、よろしくお願いします。」

実習中の合間も、ヨガエクササイズを続けることで更に、心身ともに効果は続いているように思えた。
行く度に、新規会員が入会し、レッスンを継続することで浮かない表情の入会間もない会員と、私より前から継続しているベテラン会員の心身の健康度の違いは明白だった。
脳波振動で、特に疲れたり痛かったりだるかったりするところを、自然に任せてやたらと振ったり、叩いたりすることが習慣づいてきた。全身のツボが開き、頭痛や肩こり、腰痛などもほぐれて楽になってきた。四肢の経絡からスーッとメントールのようなさわやかな感じや、以前ならへこたれてできなかったヘンゴンのポーズが維持できるようになった。最後の2人ペアでの背中叩きでは、「ア~~~」という声と共に背中をバチバチ叩かれるとこれまた爽快痛気持ちよく感じられるようになった。
いつも抑えられると痛くて溜まらず、泣き叫んでいた中丹田のツボは殆ど痛くなくなった。

機能の午前中のエクササイズでも、こんなコメントを残した。
「今日も鳥になってパタパタしていましたね。」

「どうしてでしょう?脳波振動でも丹踊でもばたばたと動き回っていますね。(笑)もともとぼーっとしていましたが、いっそうぼーっとしています。前から時々感じていましたが、全ての5番までのヘンゴンポーズが終わり、全身を開放してリラックスしているとき眉間からスーッとさわやかなそよ風がふいている気がしています。以前は喜怒哀楽が激しかったのですが、感情的にならず平常心でいられることが増えた気がします。」


時には、カラダのなかで何かが駆け巡っている感じや、ぽかぽかと暖かい感じ、大きく腹式呼吸をすると、掌や足の裏がスーッとしたり、ビリビリとしびれることも度々になってきた。
インストラクターのE先生が、入会したばかりのシニアの女性に解説した。
「丹田力がつくことで、単に体力をつけるだけでなく、いわゆる存在感のある『腹の座った人』に変われます。つまり、どんな物事にも動じず生活のあらゆる事物のなかで応用できる力が身につきます。
気迷ったり、悩んだり、考えすぎたりせず、ありのままに自信をもって生きていける力が丹田力なんです。」

だからといって、就職が無事にできるんだろうか?
試験にも落ちたし、まだ就職できていないんだけど、確かにケセラセラという天然の暢気さは助長されているようだ。

そういう自助努力はもとよりですが、今日は選挙当日。
ヨガスタジオからTシャツにジャージ姿のまま、歩いて付近の市役所内に突入すると、
報道の通り、わが町でも不在者投票にやってきた市民がかなり増えていました。

ゆきんこが希望している再就職先の時給はなんと750円と殆ど最低賃金です。
私が失業中に高額のヨガに投資し、精進したからといって、やっぱり政治家が意識改革していただかないことには、どうにもならないこともあります。

しかし、どうにもならないことをどうにかしたい。
そんな一縷の望みを清きわが一票に託したい。
この一票を投じれば、安定した仕事と家庭が営めるなら、それが誰にとっても本望ではないでしょうか?

「時給1000円以上を公約します!」
と街頭で支持政党のスタッフがメガホンで叫んでいるところを行き交い、総合福祉会館へと向かいました。
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2009/08/30 16:37 | お仕事 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
ヴィゴツキーの結論
2009年08月24日 (月) | 編集 |
週明けの実習現場で最終週の第4週を迎えた。
出勤前の天気は爽快な9月初旬の陽気と報じていた。
少し冷え込んだせいか、ぐっすり熟睡したわりには寝覚めは悪く、眠気が残ったまま起床した。
それでも、戸外へ出ていつもの坂道を自転車で滑り降り市街地を通り抜けると自然、清清しい気分になった。

しかし、ただならぬムードが漂う文書窓口のスタッフの面持ちが気になりつつ、実習生らしくいつも通りにご挨拶。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「大丈夫ですか?お顔の色がよくありませんね。まだしんどいのでは?」
「ええ、、、大丈夫です。」

実習の初日にオリエンテーションで個人情報保護についてのレクチャーをしてくださった
生後2ヶ月の女の子のパパである総括のO氏と文窓口担当のDさんがなにやらひそひそ話。

古今東西、ありとあらゆる人間関係が複雑でややこしく悩ましいのは、「仕方がない」?
いえいえ、仕方がないだなんて心理学者は単純にカタをつけないだろう。

「だいたいわかったやろ?」
「はい。」
先週1週間で、やっとこさ文書窓口の主要な流れはなんとか掴めた。

「でも、本気でこの業界で働きたいんやったらこの部署よりもせっかく訓練校で勉強した資格試験をそのまま活かせる部署をお薦めするわ。」
「そうですか・・・」

この仕事も奥は深いので究めればそれなりにやりがいを持って(人間関係に目をつぶれば)従事していけそうな実感を覚えていた。
とりわけ、この職場はとてもばかでかい規模の人々が入り乱れてやってくる。
同じ職種の女性部隊は100名以上はいるし、他にも多種多様の職種の人々がそれぞれのユニフォームに応じたそれぞれの役割を果たしていた。
その独特の組織運営が何といってもこじんまりした従来の保育・障がい者関連の施設とは違ってある意味閉塞感を感じさせていなかった。

それで、転記して残しておきたかったのは、昨日に引き続きヴィゴツキーのことばです。

P245  第4章  結論

われわれは、この定式化を充分な明瞭さをもって今まで述べてきたすべてのものからどのようにして行うのかについて、福音書の定式であれ、ゲーテの定式であれ、われわれが強調しなかったどのことばであれ、そこに立ち止まることはできない。しかし、これらすべての定式は、グーツマンの定式を含めて必然的に継続する必要性を認めないわけにはいかない。それらは始めに何が存在したかについて述べている。しかし、何がその後にあったのか、始めは始め、つまり運動の出発点に過ぎない。
発達の過程そのものが、出発点の否定、始めにはないが発達の道のりの最後に位置している高次の行為の形態への運動をそれ自身のなかに必然的に含んでいる。それはどのようにして実現されるのか、この問いへの解答の試みがわれわれをしてこの書物を書くようにしむけたのだ。われわれは、その試みの延長として言葉がどのようにして行為に基づいてそれ自身知性化し、発達しながら、行為を高次の行為に意志の刻印をどのようにつけるのかを示そうとした。しかし、われわれは、簡単な定式で一つの位相でこのことすべてを表したいのであるから、われわれは、次のように述べることができよう。もし、発達の始めに言葉とは無関係な行為があるとするなら、発達の最後には行為となりゆく言葉がある。人間の行為を自由なものにする言葉が。

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2009/08/24 21:05 | 研究 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
ヴィゴツキーに捧ぐ
2009年08月23日 (日) | 編集 |
今日でブログを開設して丸4年経過した。
つまり、マイブログ4周年記念日ですね。(パチパチパチパチ拍手)

「継続は力なり」とは真実だと思います。
どうにしてこんなにも心理学が大好きなのに、その道のプロになることを遮断化されているのか・・・
その煮え切らない自分で自分の思いを言語化しにくいもどかしさは、
タイムリーによくやく精読したヴィゴツキーの古典的、且つ重要な文献のなかに発見した。

とりわけ、印象に残ったのは、第5章 3歳の危機だった。

ブログを飛び出し、Pさんとめぐり会って3年目。
2005年8月23日にこのブログが誕生して3年目から4年目にかけては、それと関連付けるわけではないが、新婚生活も公私も(現在完了進行形で)不安定極まりなかった。

けれども、自分の不遇を嘆いてじっとしていたのでは、その時間が長引くだけだ。
おかげで、私はヨガをやったり、自然にまかせていろんなところへ出かけていってさまざまな方々の境遇を見聞させていただき、人脈を広げることで It’s not only me.
自己憐憫に浸ったり、途方にくれることをしなくなった。

今日の午前中のヨガもとってもいい感じでしたが、ヨガでは、いつも目標を決めてそれに向かって精進するようにとインストラクトがあります。

そこで、明日返却期限の『新 児童心理学講義』を完読し、ブログにアップすると決めました。

今回も、解説(柴田 義松)を抜粋して転記します。

レフ・セメノヴィッチ・ヴィゴツキー(1896~1934)は、ロシアが生んだ天才的学者の一人である。
スイス生まれの同じく天才的な心理学者ピアジェと同じ年の1896年に生まれた。
しかし、86歳の天寿を全うしたピアジェとは異なり、1934年38歳の若さでこの世を去ってしまった。
長生きしていたらおそらくピアジェと並ぶ世界の大心理学者として、またピアジェの好敵手として
全世界の心理学会に大きな影響を与えたに違いないのにと惜しまれる。

ヴィゴツキーは10月革命の起こった1917年にモスクワ大学法学部と、シャニャフスキー人民大学の
歴史-哲学科を卒業した。
文学や演劇の研究から心理学の研究へと移っていったヴィゴツキーの最初の著作は、
『芸術心理学』1925年で、「ハムレット」とかクルイロフの寓話などを分析しながら、芸術作品が我々の心に呼び起こす美的反応の法則性を明らかにしようとしたものである。

これによって学位を得たヴィゴツキーは、モスクワの心理学研究所、モスクワ国立大学、レニングラード教育大学などで心理学の研究や教育に従事し、多数の青年学徒を組織して研究者集団をつくり出し、さまざまの心理学問題に関する独創的な研究実験をおこなった。ヴィゴツキーの行った学問的業績はソビエトの心理学・児童学・精神病理学・欠陥学・教育学などの広範な分野に渡っている。
後に、ソビエト心理学会の重鎮となったレオンチェフ、ルリヤ、エリコーニン、ザンコフなどは、ヴィゴツキーの直接指導を受けた人たちである。

ヴィゴツキーの主な著作、『思考と言語』(1934)『高次精神機能の発達』(1931)『心理学の危機』(1927)などは、彼の30歳代に書かれたものである。今日、ヴィゴツキーの心理学説があらためてロシア国内だけでなく広く世界的にも関心をよんでいるのは、もっぱら彼のすぐれた精神発達の理論によるものである。
ヴィゴツキーは、子どもの精神発達を常に文化的・社会的環境と教育との深いかかわりのなかでとらえようとした。ピアジェが子どもの心理の研究において「教授的環境」をできるだけ排除しようとしたり、旧来の伝統的心理学において子どもの発達が教育の結果としてよりも、むしろ教育の前提として
考えられる傾向があったりしたのと比べ、これは、対照的な特徴だといえよう。ヴィゴツキーはむしろ発達を先回りし、自分の後に発達を従えるのでなければならないと考えた。(中略)ヴィゴツキーは、子どもが遊びにおいても学習においても、集団のなかで互いに協力し、みんなといっしょに何かをするときには、しばしば自分ひとりではできないことまでできるようになるという事実に着目し、そこから「発達の最近接領域」という彼の発達理論にとってきわめて重要な概念を作り出した。心理学者も子どもの発達状態を評価するときには、成熟した機能だけでなく、成熟しつつある機能を発達の最近接領域をも明らかにしなければならないとヴィゴツキーはいう。

ヴィゴツキーは、そこから教育はまさに発達の最近接領域において、知恵遅れの子どもの教育においてもこれらの子どもには抽象的思考の能力が弱いからといって、もっぱら直観性に基づく教育をしておれば、かえって子どもたちを直観的思考にのみ慣らし、この子どもたちにもいくらかは存在する抽象的思考の芽を育てることにはならない。
1980年以降、アメリカをはじめヨーロッパやアジア諸国でヴィゴツキーの心理学説への関心が高まるとともに、さまざまの教育改革の動きが活発化しているが、子どもにおける知覚、注意、記憶、言語的思考の発達の問題をはじめとして、児童心理学・発達心理学・障害児教育学等のさまざまの実践的問題に取り組んでいったのである。その後のソビエト(ロシア)心理学の基本的路線の多くは、ヴィゴツキーによって敷かれたものである。



今朝、目覚めとともに、昨晩から読みかけの幼児期ページから、自分の論文を引っ張り出して読み返した。
私の口頭試問で「是非、後続研究をやってほしい。」とエールをくださると共に、この著を特選してくださったIS准教授やヴィゴツキーにまで、思いを馳せてみた。


ゆきんこは人生にエラーだらけ、失敗だらけの凡庸なおばさんである。
あつかましいことに、コバルトブルーの表紙に写った在りし日のスマートな風貌のヴィゴツキーおじさんに、なぜだか、改めて親しみが湧き出し、母の生誕年に召された天空とつながっている気がした。


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2009/08/23 17:06 | 研究 | Comment (1) Trackback (0) | Top▲
新 児童心理学講義
2009年08月22日 (土) | 編集 |
5月の連休明けから4ヶ月コースの職業訓練を受講して、終了日まで残すところあと8日となりました。

盆休み明けの今週に入って、部署が変わり2週間の限定で「文書窓口」というところでお世話になってます。幸い、きさくな年上の3名の女性陣に温かく受け入れていただき、バタバタと働かせていただき、昨日21日はちょっと残業でした。週末は最終チェック作業をまとめて行うなど書類が他の日よりも多くなります。おまけに部署の主力メンバーが2名もお休みで、てんてこまいでした。
1週間のうちに仕事のおおまかな流れはつかめたものの、やはり主力戦力とはいかないので、ゆきんこの仕事振りは自己評価0.4人前ってところでしょうか。実習生はなんぼ働いても無償奉仕です。
でも、無償奉仕といっても、次々ときさくに業務ひとつひとつを丁寧に教えてもらえるのは、「実習生」だから。

保育業界では、こういう至れり尽くせりの親切は、福祉なのに全然なかった。
今まで誰もが嫌がるドロドロクサクサした業界にどっぷり浸かって、腐らずに(時には凹みながら)
障がい児専科の保育士・療育支援員として曲がりなりにもがんばってこられたのは、子どもたちに心身ともに健やかに育って欲しい、少しでも笑って楽しく過ごして欲しいという私なりの信念や情熱があったから。

何度振り返っても、あんなにしんどい仕事よくやってたな~・・・
その過去の辛酸の数々に比べたら、他の実習生たちのぼやきや不平・不満はゆきんこにとっては取るに足らないことでした。

今回の実習では、自分の工夫次第でどうにか回避したり、誤魔化したりしながら、上手くやっていけそうな気がしています。
水曜日に、訓練校の指導教官から電話がありました。
試験の結果は、一部合格ということで、9月末に再受験することになりました。

アラフォーともなると、結果の如何や人間関係のゴタゴタに動じなくなったみたい?
何せ、ブログを開設する以前からどうしようもなかったこれまでの半生に裏打ちされてよくも悪くも逞しいものです。

今は、受験のときに親しかったメンバーとは実習先がバラバラになってほとんど交信しなくなった代わりに、同じ実習先に出向しているメンバーと親しくなりました。
そこで、今朝は同じく再受験することになったMさんと駅のホームで待ち合わせて10日振りに訓練校へ出かけました。

いつもは、スーツのヤマピー先生が、私服にジーンズ姿でお出迎え。
「3枚の問題は、1枚ずつのバランスが大事なんだ。全部で300点満点だけど、3枚の合計で210点
をクリアしている必要がある。1枚目は50点、2問目が100点、3問目が150点満点で、配点もバラバラなんだ。だから、1枚目を完璧に仕上げようとするより、配点の高い問題を間違えないことが大事。」

「それを知ってたら、もっときちんとテスト対策できたのにな~」
反省すれば、3枚目は焦ってしまって間違っているのがわかっていて直せないままめちゃくちゃに書いていたと思います。
結果は結果。

回答用紙をコピーさせてもらって、手続きを済ませるとパラパラとメンバーがやってきた。
話題は専ら、実習先の人間関係や仕事のしやすさ、通勤しやすさ、などなどの論評に花が咲いた。
誰だってイヤだな~と思う人は、おんなじで、どこへ行っても苛める人いじめられる人に2分されるらしい。

「ウチの実習先、めっちゃいいで~。みんな優しいし。」
「スタッフも資格合格した人たちばかりじゃないみたい。」
「やっぱり、一緒に働く人間関係が大事だよね~」

訓練生仲間が総じて言うには、全体的に我々の同期生たちは皆仲良くて、このメンバーでそっくり同じところで働けたら言うことなし!で一致していた。

他方、実習先でお世話になっている先輩同僚と新参実習生が風通しのいい関係を築けたのにはワケがあります。
彼女たちは、子育て最中で前職は保育士だったってこと。
「(ゆきんこが)普通の人でよかった~」とか、
「この人、数日で機密情報知ってるわよ。」
「なんだか言いやすいのよね。」
「安心してください。他言しませんから。」
「お互いの身のためよ。」
「はい・・・」
と、「実はね、、、」という内部事情にも多々触れていた1週間だった。

そんな職業訓練の近況と関係ないかもしれませんが、
元保育士のゆきんこのお盆休みは、ちょっと読書してました。

これも、社会人大学院時代当時の発達心理学者IS准教授のお薦めの著

『新 児童心理学講義』
ヴィゴツキー著 柴田 義松訳者代表 (2,002年5月25日初版 新読書社)

心理学オタクのゆきんこのモノローグですが、各学会の諸々の理論は、不完全であるが故に、
その時代潮流のパラダイムチェンジというのが興ります。

昨年のお盆休みは、心理学のなかでも徹底的行動主義学派 B・F・スキナー博士の名著2冊を読んでいましたが、アンチ行動主義の発達心理学者のIS先生は、常々、心理学の黎明期の名立たる学者が記した名著をいくつか特選されていたことが修了後も脳裏にありました。

ヴィゴツキーといえば「内言と外言」、VS ピアジェの発達認知と対比的に学説を述べよというのが、大学院受験のお題としては定番でした。
そして、1998年に在学していたときに、指導教官だったT先生はやたらとピアジェを読まなくちゃ!と
学生にハッパかけていたのに、この著が新刊された頃から次第にピアジェからヴィゴツキー理論にパラダイムシフトが変っていました。

そこで、私のブログの問題点は何をいいたいのかが、とりとめもないので、一昨年の指導教官であったY先生のイライラの種になっていました。

私は職種を変えようと、職場を変えようと一貫して変らない心理学への情熱です。
スキナーであろうと、ヴィゴツキーであろうと、心理学を追求してきた学者の名著を携え、読みふけっているのが思春期から変らない私の志向性であり、その観点から周囲の人間模様を眺めたら、
100年前も100年後も人間の本質は変化しつつも変化していない。

・・・なんて、私なりに達観して癒されています。



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2009/08/22 17:11 | 読書 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
伊丹スカイパーク
2009年08月15日 (土) | 編集 |
失業して半年経ちました。
でも、64年前の今日を迎えた当時の日本の皆様や戦没者の方々の無念さを想像すれば、戦争経験もなくて当たり前の平和ボケ世代としては、平穏無事な2009年8月15日です。

周囲の親族は猛暑のなかお墓参りを済ませたようですが、今年は参列の必要もなくGW並みの気分でお盆を迎えました。

13日から16日まで人並みにお盆休みをいただき、昨日14日午後から久しぶりにPさんと日帰りドライブへ出かけました。
行き先は、伊丹スカイパーク。

2~3年前に創設された憩いの公園ですが、それまでは、伊丹空港のフェンス沿いに田んぼや空き地もあって飛行機マニアの方たちの観光スポットとして知られていた穴場だそうです。

飛行機といえば、専ら国内外旅行の乗客として利用する立場にあり、空港のフェンス越しに間近で見物目的で鑑賞したのは、はじめての経験でした。

スカイパークは、フェンスに沿って整然と設計されていて、子ども連れの家族も大型固定遊具や噴水で水浴びしながらちょっとしたレジャーも楽しめるように工夫されていました。

お盆前のせいか、離着陸する飛行機は5分おきの感覚で次々と滑走路を行き交います。
昨日は熱風が心地よく終始吹いていて、晴天に恵まれ、飛行機見物にはいい日和になりました。

「青い空、緑の大地、YONEXの世界だ~!!」

中学高校時代、(遠い昔)バドミントンメーカーのYONEXのCMのシーンにJALやANAの国内便が
さわやかに滑空する模様は、時間を忘れて見飽きない。

途中、見物スポットを変えてスカイパークを出て移動しました。
伊丹市と豊中市の県境を徒歩で15分ほど移動して、飛行機マニア御用達のスポットに着くと、
さっきよりも本格的なマニアの皆さんが、千里川沿いのフェンスに面して本格的なカメラや三脚をセットして待ち構えていました。

「ほら、滑走路に鏡みたいに景色が写ってる。蜃気楼だ。」
「はじめてみたよ!」

スカイパークでは庇に日陰があったけど、このマニアスポットは直射日光がじりじりと皮膚をこがしつけた。

「今年は梅雨が長引いたせいか、入道雲が見えないね。」
「あっ、来た!」
空の彼方から光る物体が接近してきた。
飛行機と可視できる大きさから、どんどん自分に向かって突き進んでくる。
もう少しでぶつかりそう!!

うわああああああ~~!!
頭上、スレスレ200メートルもしない高さを飛行機のお腹が風をきった。
真上を仰いで振り返り、フェンスを越えて滑走路に突入すると数秒後、飛行機は無事着地した。


確かにこのスポットでなくちゃ、このド迫力、この5体で感じるジェット噴射の音と風は味わえない。

管制塔からの導きで、パイロットは正確な空路の上を滑って、プロペラ機や小型機は右側へ、大型機は左側の滑走路へと舞い降りていった。

真後ろから離陸する飛行機を眺めるのも面白い。
スピード感を殆ど感じない。
すべるように遠ざかりだんだん小さくなっていったかと思うと、山並みに向かってふわりと上昇した。
山を越えたら、くるりと緩やかに旋回して、2分もしないうちに米粒大になり、空の彼方へ吸い込まれるように見えなくなっていった。

「なんだか、飛行機がうらやましいね。乗りたくなっちゃった。」

200年前には、こんな空飛ぶ物体は地球上にはなかったんだな。
それが、100年もしないうちに、二つの大きな戦争で大活躍するようになり、多くの戦死者を増産する武器にもなった。

空は平和で、飛行機は鳥のように私たちを運ぶ道具であって欲しいです。

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2009/08/15 15:10 | 日常の発見 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
うつくしの森の物語
2009年08月08日 (土) | 編集 |
今日から、甲子園の全国高校野球が開会され、理想の男優リチャード・ギア主演の日本の名作「HACHI」が全国ロードショー公開。
でも、トップニュースはアラフォーとしては見逃せないのりピーの逃走事件かな?
どうやら、出頭したという最新報道も入ってきました。

8月4日から職場実習が始まり、無事にやっとサタデーを迎えました。
実習の模様はダイジェストにまとめて書くこととして、

今日は久しぶりに劇鑑賞を楽しみました。
わんわんコミュニティで出会ったチワワのモモちゃんの飼い主Tさんにメールでお誘いがありました。
Tさんの小学校3年生の娘、Aちゃんが出演する子ども劇団8月公演を見に行きました。
同日、旧友のHさんを誘って、午後からデートすることになりました。

その前に、午前中行きつけの美容院に寄り道しました。
肩まで伸びてしばらくポニーテールにしていた髪を切ってすっきりショートにしました。
彼是、12年越しのおつきあいになるSさんに近況を話し、ドッグカフェオーナーと現在の職場実習の様子を話しました。

すると、ゆきんこが結婚してしばらくしてから、娘さんも結婚したという朗報に添えてSさんのアドバイスは、
「ゆきんこさんは勉強が好きだし、全くやったことがないドッグカフェよりも、資格や勉強好きの特性を活かせる今の実習の方が向いていると思うわよ。」
「私もそう思ってる・・・。実用的ではないので、保育士もこの歳で挫折せざるを得なかったと思うんだ。」

スッキリショートヘアに変身して、午後12時半過ぎに自宅を出発。
お馴染みの総合福祉会館のエレベーターに乗り込むと、
フリースクールの主宰BX先生にお会いしました。
「先生、こんにちは!」
「ああ、こんにちは。」
「あれ?先生私のこと、覚えてくださってるんですか?」
「もちろんですよ!」
去る3月15日にわんわんコミュニティに飛び入りして、いきなり論文とドッグCAFE構想を持ち出したときのインパクトが大きかったのか、まだ5回しかお目にかかっていないBX先生に対するゆきんこの印象は大きかったらしい。

今回の子ども劇団の演目はBX先生脚本の「うつくしの森の物語」。
そもそも地元のN中学の先生だったBX先生は、一戦を引退し、不遇となった嘱託教員の傍ら卒業生主体となる「不登校」「ひきこもり」「障害児・者」の進路に苦しむ仲間の居場所となるフリースクールとして2年ほど前に子ども劇団を発足させた。

そのフリースクールの名は悪名高き「とれぶりんか」という。
その名の由来は、子どもの権利条約の基礎を築いたユダヤ系ポーランド人ヤヌシュ・コルチャック先生と200人の孤児が命を落とし、灰となって再生を誓い合った「トレブリンカ強制収容所」に因んでいる。
彼らの犠牲を無にしないように、彼らの想いを受け継いだ世界中の子どもたちや若者たちとつながっていけるようにという願いを込めている。


ゆきんこの論文と創業計画の詳細は、アップしきれないのと、ちょっと起業秘密にしていますが、
今年1月にわんわんコミュニティが発足して間もなく飛び入りしたゆきんこの夢と合致したのと、
私より有名人となった元家庭教師先のTさん親子もこのコミュニティに参画していた力強い有志だったので、すんなりと意気投合したわけです。

ついでに、自慢ではありませんが、ゆきんこ21歳当時の学位論文は「生きかたについての一考察」
をご紹介。
第2次世界大戦経験の世代と非経験の世代の2群の比較において、戦争、病気、差別と貧困という3つの極限状態のノンフィクションを精読し、所定の設問についてディスカッションなりコメントをしてもらって、自分の平素の生きかたに対する価値観が変容するかどうかを検討しました。
題材にした戦争のノンフィクションは、アウシュビッツの強制収容所で他の捕虜たちの身代わりとなって殉死したコルベ神父を取り上げました。

21歳当時、母校N中学に教育実習した時も、偶然、授業を任されたのはヒトラーの台頭の箇所で、
論文に協力してもらったのは、ちょうど20年前の夏休みでした。
教育実習の同窓生たちに、母の経営していた小さな保育所を提供してもらって研究しました。

そういうわけで、根っからのネクラ学生だった21歳の私とそれから障がい児・者界隈で20年経過した現在の私は、BX先生の想いとものすごくオーバーラップするわけだ!!


さて話は今日の出来事に戻って・・・
物語は、
うつくしの森を新規事業開発を目論む事業者と村長の交渉から始まった。
うつくしの森に住むタヌキたちが次々と殺され、存亡の危機に曝されていた。
村長の娘サヤカは、英才教育を施されることを拒んでいた。
盲目のかわりに目に見えないものが見える。
普通の人間の傲慢さや醜さを忌み嫌っていたサヤカは、タヌキのアニキと親友になり、人間との架け橋になってタヌキのコミュニティを守りたいと願う。

アニキがサヤカと親しくなったことがタヌキたちに発覚し、一時は亀裂が入るが、結局、タヌキたちは盲目のサヤカの真心を信用することとした。
しかし、サヤカの願いは虚しくタヌキたちは惨殺され次々と銃に倒れ全滅してしまった。

人間を猜疑し憎むサヤカは、自分もそうした強欲な人間であることを再認識し、タヌキたちに生き残ることを誓い、弔うのだった!

パンフレットによると、この子ども劇団の他にも、BX先生のコーディネートで、「音楽部」「ふれあいマップ隊」「カフェ」「国際交流部」「環境部」などさまざまな専門部が若者の手で作られた。
その最新部署である「わんわんコミュニティ」に突入したところ、ゆきんこの同志がどば~っと集っていた。

ゆきんこワールドは広がっているのか狭まっているのかわからない。
銃弾に倒れ息を引き取ったブン太を演じたAちゃんは、その昔、ゆきんこが通ったS小学校の後輩だし、旧友のHさんは、4年前その小学校に勤務していた。

舞台の上には特別支援教育コーディネーターのH先生が現在赴任しているT小学校の卒業生の姿があったらしい。
そして、実習先はこの総合福祉会館の斜め向かいにそびえている。

公演が終わって、タヌキのメイク姿の子どもたちが入り口で丁寧におじぎしてくれた。

今度は、H先生と少し喫茶店で近況を談話するとH先生の自宅へ引き返した。
H先生の甥御さんが、母の保育所で赤ちゃん時代を過ごして以来、アート仲間としての家族同然のおつきあいは、甥のY君が24歳になった今も現在完了進行形だ。
当時、高校生だったゆきんこが同業種として公私共々相談しあってきたベテラン教諭のHさんとしては、とうとうの転職に複雑な思いがあったらしい。
でも、Hさんのお気に入りのお洋服の数々をゆきんこが着脱しては二人して姿見鏡を覗き込んで微笑んだ。
「ちっとも、スタイルが変わらないからよく似合ってるよ~!」
「本当にもう着ないの?」
「もう着れないから捨てることもできないし、あなたに着てもらえたら嬉しいのよ!」
「やっぱり、持ち前のアートセンスが選んで買った洋服に現れてるね。ありがとう!愛用させてもらいます。」
数年ぶりに見せてもらったHさんの描きかけのキャンバスは以前と明らかに画風が変わっていた。


昨晩、ヨガ仲間のNさんとひさしぶりにヨガで汗を流した。
元不登校生だったまだ20代半ばのNさんは、後輩の問題生徒たちのサポートという重責を担っている。自らの過去を払拭しようとヨガワールドに飛び込んだ彼女も劇的ビフォー・アフターを遂げている。

私より後からスタジオに加わったNさんは、仰向けになっての脳波振動エクササイズに没頭すると、
手足をバタバタさせて断末魔の如く泣き叫んでいた。
しかし、出すものは全て出し切ってエクササイズが終わると、ケロリとさわやかな笑顔を称えていた。

「久しぶり!前から美人だったけど、更に美人になったね!」
「ホントですか。最近、生徒たちが親しんで寄ってきてくれるようになりました。」
「最初に会ったときが、アイコンタクトのエクササイズだったでしょ?正直、目つきがこわかったもん。
あの時から3ヶ月経ったけど、笑顔や目元や優しく自然になったよ。」
「ゆきんこさんもですよ。」
「私も変わったのかな?とにかく毎日新しい出会いがあって前は苦手だと思っていた人とも何の気ないしにすぐ仲良くなれるようになったよ。もともとその傾向はあったけど、ますます人脈が広がっている感じ!毎晩、ヨガをやってるせいかな?」
「毎晩ですか!?」
「うん。そして、いつも宇宙のことを考えてる。」
「へえええ~!!」

やっぱり、ヨガのインストラクターのお達しの通り、毎日、毎時がキセキなんでしょうか!?
このまま実習がうまくいけばいいなと、お盆休みに先立ち天に召された万物に祈りを捧げます。

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2009/08/08 20:31 | 鑑賞 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
実習前オリエンテーション
2009年08月03日 (月) | 編集 |
ブログにアップしきれない諸々のことも何かとある2009年の葉月です。
1日には、若田さんが「きぼう」から帰還されたのですが、週明けの訓練校ではあえて話題になりませんでした。

そこで場違いな宇宙の話題なんぞ持ち出せば、また仲間はずれにされかねません。
お盆休みに先んじて34度の猛暑の中、母と伯母たちは今日、早々に祖父の墓参りを済ませてきました。

いつものおりひめ号に乗ると、いつもより少し空いていて、席に座ることができました。
天満橋駅のいつものトイレに入ると、なんと顔見知りの懐かしい方とご対面。
「あら!N先生。」
「あら~!!久しぶり!どうしてるの?」
「失業してて訓練校に通ってます。お急ぎでしょ?」
「うん、主人が入院してて見舞いに・・・」
「お大事に。また電話します。」

N先生との馴れ初めは、16年前の新大阪のカウンセリングセンターでの出会いに起因している。
当時、医薬品卸売りメーカーの営業部で新人販促レディをしていたのだけど、
職場の人間関係と仕事のストレスで半病人のように凹んでいたグレーだった私も蘇る。
新大阪に位置するマンションの一室が事務所になっている民間のカウンセラー養成講座に通い心理学オタクのゆきんこは、股関節に軽い障害をもつN先生と同期生として諸々のカウンセリングの技法を習得していた。

あれからカウンセリング教室はどうなったんだろう?
その後、今回のように偶然再会する機会があったのは、確かちょうど10年の夏だった。
10年前も、私は現在と同じような状況にあった。

失業して訓練校に通い、日本語教師資格を取得するために境筋本町の所在地まで繰り出していた。
同時に、水彩画を趣味にしてノンプロが主催するギャラリーなどにもぶらりと出かけていた。
地元H駅前の市民ギャラリーに入ったとき、今回のようにN先生に再会した。
10年前のN先生は、自分でマンションを借りて「イルカの学校」と称するカウンセリング教室の主宰となっていた。
私は失業中であったため、そもそもの心理学オタクの延長上にN先生のカウンセリング教室にも出没させていただき、公私共にいろいろとご相談させていただいた。
そのときいただいた幻想的なイルカのイラストは今も大切に自室の砂壁に貼っている。
そのときN先生のおすすめでカウンセリングに集った女性たちと楽しんだセルフセラピーカードは、
今も人生の折々に験している。

N先生が紹介してくださり、スーパーバイズもしていただいたお陰で若干30歳にして、国分康孝先生にお目にかかり、教育カウンセラーの資格を取得することもできた。

しかし、10年前に取得した2つの資格は未だに活かしきれないまま、今回も新たに資格試験に臨んだ
自分ってなんだか堂々巡りを繰り返しているのかも・・・?

明日から現場での職場実習を目前に、訓練校のNY先生から約1時間オリエンテーションの説明があったが、総勢60名の女性がすし詰め状態の狭い教室に集められると、終始私語は収まらなかった。

「これ、あげる。」
「カイくんシールじゃない!?いいの?」
「うん、いっぱいあるから。」
なんだかひとつ年下のMさんの行動って、、、、
ここだけの話今まで私がお相手してきた幼い方々と似ているんじゃないかと持ち前の専門領域の嗅覚で勘ぐっていた。

私も天然万年ネオテニーだから、いいんだけどさ~

「いつも実習前は皆さんをヨメに行かせるような気持ちです。くれぐれも、無断欠勤はやめてください。何か困ったことやトラブルがあれば、ハローワークではなく、訓練校に相談の電話を入れてください。
この訓練校とつながっていられるのもあと1ヶ月ですからね。それと、おタバコは気をつけてください。
体調も自己管理能力のうちです。実習先の人間関係はこちらでフォローの仕様がございません。」

おっしゃるとおりなんだけどね~・・・
若い時は、全てお達し通りの当たり前の社会人マナーが遵守できてこなかった気がする。
諸々の配布資料の中に実習評価シートが目に付いた。
ABCの3段階で、自己評価と実習先の担当者の評価とが分かれている。
なんだか、小学生のつうしんぼみたいで、また凹む。

NY先生からの説明が終わり、解散時刻を過ぎても訓練仲間はいつもよりも長々としゃべりこんだり、
メルアド交換に時間を割いていた。
しばらくがやがやしている間に、心理学オタク後輩になったAちゃんに前約束の雑誌を手渡した。
「あ、FRAUだ。」
「でも、発行年は97年。今のAちゃんくらいの歳に買ったんだ。これで、しばらく楽しめそう?」

「明日の待ち合わせ時間は8時40分に駅前の改札口にしましょうか。」
などと、実習先から最も至近距離の私が自然、遠方から来る他4名を誘導していた。

午後からハローワークでの失業認定を控えて、5人組で炎天下の西天満公園界隈に繰り出した。
その前にランチタイムを楽しもうと約束していた。
偶然、見つけたCAFEは、全員まんざらでもないこじんまりした雰囲気のお店だった。
最近、飲食店業界に感心を持ち出した新たなヴィジョンで店内を物色しながらも、仲間との会話も楽しんだ。
サラダランチか、プレートランチで迷った挙句、枝豆スープやチキンもついている1000円のプレートランチを選んだ。
「このケーキりんごですか?」
「そうです。」
「おいしいです!」
「ありがとうございます。」
そのやりとりに4人が一斉に笑った。
「あれ?うけましたか?」
「だって、素直に感想言うんだもん。」
「私、コメント上手かも?」

心理学と研究の世界、そして凡庸な失業者とヨガの修練者としての感性で仲間の会話やキャラを失礼ながらゆきんこ流に分析してみると、
自分のあるべき枠の中で新しい仕事への期待と不安、でも、ごく当たり前に働いたお金で自分と身近な人々と共有できる人生を満足させて、プライドをキープしたいという現代女性のいじらしさが見え隠れしてくる。つまりは、自己実現なのかな?

「この大不況でどの国の人も人生を狂わされている。私も新婚1年目には夫のお父さんに今からでもがんばって!(子どもを産みなさい)と言われたけど、夫婦共々失業してるし、今朝の新聞では韓国の
方が出生率が低下してるんだって。大不況で結婚を延期したり、破談になっている人たちもいると書いてあったよ。」
「・・・・」

忘れないうちに付記しておきたい名台詞があった!
7月31日に放映された朝の連ドラ「つばさ」での斉藤由貴の台詞だ。
「歳を重ねても大人になれるわけじゃない。結婚しても夫婦になれるわけじゃない。」今のゆきんこには、なんとも胸に沁みることばだ・・・・・!!

5人組とは、13時過ぎに解散して、一人天満橋のジュンク堂で書物を物色した。
今話題の村上春樹『1Q84』、ブルーバックス南部博士の『クォーク』などなど。

実習先で身につける黒のハイソックスに、スーツ、シューズ、ブラウスも買い揃えた。
おっと、忘れてた。スーツにアイロンをかけなくちゃ!!

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2009/08/03 20:51 | 就職活動 | Comment (2) Trackback (0) | Top▲
かやぶき緑茶
2009年08月02日 (日) | 編集 |
日本全国、ぐずついた空模様ですっきり梅雨明けしない8月が到来した。
でも、そんなときでも珍しさ面白さを追求するのがゆきんこ流。

その事の源を遡れば、やはりこのブログを開設しようと意を決するきっかけをくださったI先生のクールでも温かな眼差しが蘇る。
受験が終わって、伸びきったゴムのような心境で訓練校で過ごす最後の1週間が終わった。
いつもCMのキャッチコピーを用いて駄洒落やユーモアで講座を盛り上げてくださったY先生が
「皆さん、『最後の授業』って学校で習いましたよね?」
平均30代前半と思しき大半の受講生が「そんなのしらね~」という無反応だった。

わかんねぇ、しらねぇ、かんけーねーという若者の源流もまた、
三無主義とか新人類と呼ばれたアラフォー世代に由来している。
今月末には、選挙ですが、ちゃんと改善されるのでしょうか?
Y先生と最前列に座るゆきんこは次第にアイコンタクトを増やしていった。
これも長年ノンバーバルも含めたコミュニケーションや、即ラポールを築く技を身につけたABA(のおかげと思っている。

昼休みには、ランチ友だちのアラサーのAちゃんと西天満公園でダベリんぐするのも楽しいひとときとなり、携帯メールの頻度も次第に高まっていった。
訓練校から西天満公園までの道中に、パラソルを立てて屋外店頭販売をしている此花区のサンユウ
ベーカリーのおじさんとすっかり顔なじみになった。

なんと全品80円で、もっとも安いものではミニパン5個入り80円という最安値でサービスしているのだ。
この安さを、商工会議所で集った創業者のビジネスメンバーに報告したところ唖然としていた。

去る7月30日木曜日のこと。
Aちゃんと品定めをしていておじさんとこんな話になった。
「こんなに安くて大丈夫なんですか?」
「儲けは殆どないけどなんとかね。ちょっと待ってて。」
すると、おじさんは一時姿をくらまし、他のお客さんがいないところを見計らって缶のお茶をサービスしてくれた。
「いいんですか!こんな過剰サービス。」
「いいよ。その代わり明日も買いに来て!」

翌日31日、その口約束通りに再び、パンを買いに行った。
すると、気前よくおじさんは2日連続してまたお茶をサービスしてくれた。
「このお茶、美山の名水ですよね!?私知り合いの方が美山にいるんです。
こんな珍しいお茶をどうやって入手しているのですか?」
「知り合いからさ。」

美山といえば、ブログを開設した2005年の11月に知能検査のトレーニングをするために、
はるばる同窓生のS先生を訪ねて、協力していただいたことを思い出した。
寸足らずのところで、結局、4年前の特別支援教育士の資格取得は到達されぬままだ。

黄緑色のどんな自販機でも販売されていないお茶缶までもが懐かしく郷愁を誘った。

MIYAMA MEISUI
京都のお茶かやぶき緑茶

品名 ●煎茶
原材料名●煎茶、ビタミンC
内容量●340g
製造者●美山名水株式会社
京都府南丹市美山町島神田1番地1

そういえば、はじめて来訪した美山は2006年合併して南丹市になると噂されていた。
受験も終わったことだし、星占いのお告げ通りに、ストレス発散に旅に出かけたいなぁ~
星のお告げは
「意欲の高さがかえってスランプ感を招く。結果を急がずマメにストレス解消」








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2009/08/02 19:40 | 日常の発見 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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