どうぞ、よいお年を!

仕事納めは、28日(月)でなんとか無事に終わりました。
カウンター越しに予期せぬ難問・珍問に迅速にお応えしないといけない底なし沼業務の一員になって3ヶ月。
最終日は、公休と、ついにインフルエンザで病欠の人員が2名不足という非常事態でしたが、
表面的には、恙無く(ホントはひっきりなしの余裕のない)28日でした。
たまったメモをおさらいしてみると、まあまあこなせてはきたようです。

しかし、何かしら達成感が得られずへとへとになってしまうのは、トドノツマリ、
『クレーム対応』係りだから・・・
年明け早々、私の誕生日と近接して2回目の年女を迎えるチーフのTさんの、
胃の痛みをこらえて数多の方方に健気に笑顔をふりまく姿がとっても嫌悪刺激。
クリスマス当日には、10月に入ってお出ましになったブラックリストに載った男性がとうとう常軌を逸して、
こっぴどくどやされていらっしゃいました。

仕事納めの午後2時過ぎのこと。
あるシニア男性の相談に応じました。
私も恐る恐る(?)対応しないといけません。
「研修中」の名札をぶら提げているのも今日限り。
成り立て3ヶ月の派遣社員といっても、組織の一員として何か問題が起こると最後まで見届けて責任を果たすのがこの組織の掟です。
なので、若干社会人4年目のチーフのお達しは、ジグソーパズル状態でバラバラにインプットされた業務内容をつなげて流れをつかもう。
わからない箇所をわからないままにせず、しつこくわかるようにつなぎあわせよう。
わからないからと途中で投げ出し、先輩に尻拭いさせるのではなく、最後まで処理せよ。
でなければいつまでも自分のカベを打ち破ることはできない。
との硬派な手厳しい指令です。

しかし、例えば、「電話で受ける質問の傾向と対策」について尋ねたところ、
「グレーゾーンのわが部署にそんなのはない。臨機応変に。」
と実に参考にならない返答だった。

さて、問題のシニア男性の訴えは、一度断られた要望を私の介添えでなんとかしてもらえないかということでした。
各部署では、お相手の要望をすんなりとは受け入れていませんから、まずはやんわりお断りという第1手段を取る。
シニア男性はすんなり要望を受け入れてもらうには、それに必要な書類を持っていませんでした。
そこで、掟破りのお相手に抗ってみたり、あるいは便宜を計らったりを瞬時にしないといけないのが、私の配属先の任務であります。

男性の足跡を辿り直して駆けずり回りました。
今回の関所は低かったのか、幸い、私の代弁で男性の要望は通り、30分以内に一件落着しました。
この対策処理は、初めて先輩の手を借りずに自分だけで終えられました。
私としては、自己満足な「終わりよければ全て良し」の仕事納めになったわけです。

その後も最終日だからといって、お相手の数が一向に減る気配なし。
夜7時30分からの忘年会も予定時刻よりも遅れて8時から10時30分までにぎやかに行われました。
「仕事納めにインフルエンザ発症とは、気の毒な・・・」
「日頃の行いよね。」
私が参入するまでシンガリだったO氏がいかに虐げられているか、この一言でよくわかる。

業務を離れて私服でフランクにしゃぶしゃぶ鍋に興じると各々の素顔が見えてきます。
去年はどこでどうしていたか、わからない、明日をも知れぬ派遣社員の運命やいかに?
来年は同じメンバーで忘年会できるのかな?
去年のメンバーで今年も残っているのは2名だというから、危うい予感がしています。

8月の実習中に教育係りだったベテラン社員のO氏も私と入れ替わりに配属替えになったばかりでしたが、
その夜は、日頃の仕事の憂さを述懐する台詞もチラホラ。
30代前半のお嫁さん欲しい働き盛りのO氏もなかなか婚活が上手くいかないらしい。
20代はしばらくフリーター時代を過ごしたため、既に要職には就けない。
社会的地位が限定されているから、きつい業務命令があっても昇進はしないそうだ。
そうした、難しいめんどくさい絡まった釣り糸をほぐしても、褒めても認めてももらえないのが派遣社員。
できなければ、他に代わりはいくらでもいるんだからとお払い箱。
時代の憂き目に遭い、自分のせいじゃないのに、人柄や職能に特に問題があるわけじゃないのに、
派遣社員でも、格差という階層が見え隠れする。
なので、当面、見えない鉄火面を被って装うのも予防線の一手段だ。

翌日、29日の午後にはPさんのリクエストで梅田に繰り出した。
去年、新建設された高層ビルの頂上から摩天楼展望するのが、今回の目的。
週間天気予報では、29日までは温かい快晴だが、年度の節目は荒れ模様だと報じていて実際、その通りになった。
33階建ての真新しい白いビルから一望する大阪は、ぎっしりと無数のビルがひしめくようにそびえていた。
そして、向こうには生駒の山並み。真っ青な清清しい空が広がっていて、真下には交差点を整然とミニカーみたいな車たちが順序良く走り抜けていく。ちっぽけな自分が立体地図を眺めているかのようだ。

「この景色、豊臣秀吉も驚くだろうね!100年後にはこんな景色なんだろうか?」
「今だけだろうな。」

この空は、時空間の連なりの中に今年から来年へと時々刻々とつながっています。
私の命も今のところはこうして、生きおおせていますが、未来のことはケセラセラ。

梅田から福島を経て中之島界隈をブラブラしてロイヤルホテルの屋上も探訪してみました。
年末の結婚式場は、誰もいなくて二人で無料の貸切状態。
たそがれのビルに写るビルの影を観察するのも風情がありますなぁ~・・・

いつもの地元の市街地のスタバのソファを陣取って、なんてこともない話をしていたらなぜか楽しい時間はすぐに過ぎていきました。
「まだ3年しかつきあってないけど、もっと長い時間一緒にいた気もするね。」
「そうだね。」
「なかなか新居を持てないけど、お互い実家があってよかったよね。」
「うん。。。。。」

余談ですが、この自宅に引っ越してきたのは12年前のことでした。
以来、毎年初詣にはK神社で干支の土鈴を買ってきました。
2009年丑年で、全ての干支が揃い、昨日12年前に初めて買った寅の土鈴を飾りなおしました。
幼少期から、引越しが多くて一時、Pさんと同棲したことを除けば12年間過ごしてきたボロイ実家には、愛着もひとしお。
家賃もなしで、暴風雨や熱風も凌げちゃう。
このご時世にはとってもありがたいことです。

忘年会のシーズンには気の合う何でも話せて笑い合える人々に労ってもらったり、癒されたりしてハッピーな年末を過ごしました。
「旧友と共に年を重ねていけるのが、お金や仕事には換えられない幸せなのかもね。」
「おばあさんになっても、今と同じようにお茶しているところがイメージできたよ。」
「ええ!?それって、そうなるまで私たち生きているってこと?」
「そう、ずっと元気でね。だから仕事なんて生きる手段だから2の次でいいのよ。仕事のために身体こわすことないんだから。ゆきちゃんも、無理しちゃダメよ。」
「そうだね。無理せず、流れに身を任せるのもいいかな。」
「私たち、ここまで真面目にがんばってきたけど、会社や組織には正当に評価してもらえない。だったら、自分で自分を褒めて大切にできるのは自分しかないもの。」

今年は、寒いのと疲れたのとで年末の大掃除と年賀状はさぼってしまいました。
傍らには、世紀を越えたバロック時代のヴィヴァルディの名曲♪「四季」が心地よく流れています。
そして、どうぞよいお年を・・・
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テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : 日記

FORTNUM & MASON

本日、平成天皇誕生日ということで、金婚式と即位20周年記念を報じる特別番組「御料車の歴史」を視聴しました。
それとは関連ありませんが、先週から今週にかけて誕生日という同じ部署の同僚たちが相次いでいました。
万年、うだつのあがらない庶民の私にとっては、平凡な2009年最後の祝日です。

因みに、私の離婚した両親は天皇陛下ご夫妻とおない年です。
その点、「JUST後期高齢者」の耳の遠い母の物忘れの激しさとプチバトル状態にあります。

12月から再び、ヨガスクールに復帰してみましたが、効果がいまいちといった感じです。
丹田力を鍛え、心身ともに健全になることを目指し、へこたれない願望を達成する。
ひいては、マイナスからプラスに転じたエネルギー天地気運(チョンジキウン)で地球上を潤すことのできるヒーラーを養成することが、ダンヨガのポリシーらしいのですが、
現実の再就職先や私生活における私は、それとは真逆の矛盾と葛藤の渦中に巻き込まれています。

つまり、ヨガでマイナスエネルギーを吐き出して、プラスに転じる時間がとれないので、
公私ともにたまりにたまったマイナスエネルギーに圧倒されています。
「この部署は、何ていうか、、、『下水処理所』みたいですね。」
「下水処理所!? その表現ぴったりですね。」
朝1番に出勤するイヌ年生まれのSさんがそのゆきんこ語録に苦笑いしてくれた。

ヨガでは、仕事上の悩みや克服できないカベの雑念で、丹田に意識を集中することができなくなったばかりか、
腰痛が辛くてヘンゴン2番のポーズが維持できず、膝と足クビ90度の姿勢に絶えられません。
「意識を丹田に集中させて!でないと、いつまでも腰痛は治りませんよ。」
最近、ヨガの徒弟からインストラクターに転じたSさんが叱咤した。

BOW(バウ)というお祈りポーズを1サイクル103回すると、気分が悪くなります。
老眼になりかけの目と短期記憶力減退の頭脳をいつも使わざるをえないので、軽く叩くだけでもものすごく痛い。

気づいたら、今年の下半期になってから入会2ヶ月以内という会員さんたちの修練の早さに追い越されていました。
丹田力がついてくると、今までできなかったことがスイスイと思い通りに実現し、自然な笑顔はなんだか神々しい感じさえします。

一方は、体内に滞った全ての汚れたモノ浄化させようというヨガの現実離れした異様に幸せそうな世界。
他方、平素の業務はカウンター越しに「すみません。」「申し訳ございません。」「恐れ入ります。」「お待たせしました。」などなどの定番台詞を連呼して無事に終わるようにとハラハラしながら津波のようにやってくる普通じゃない方方に謝ったり、怒鳴られたりしている日々です。
夫のPさんが同じ業務をやったなら、3日ももたんやろうという忙しさ。
想像した以上の業務内容の過酷さに打ちのめされています。
まるで、マンモグラフィの刑って感じ・・・

帰宅したら、晩御飯食べて午後8時台には布団を敷いて就寝しますが、真夜中に目が覚めることもしばしば。
例年、手描きの年賀状を心を込めて描く楽しみも、最早今年は断念しました。

同僚のメンバーや仕事の過酷さは、まるで自分の20代の日々を再現させているかのようです。
それでも、諸々の条件を対比させたら、現状の方が遥かにマシです。
社会人3年目の最年少チーフがなぜかベテランで、10年未満の若き乙女部隊の思惑は似ています。
そろそろ結婚して、専業主婦でひと段落したいな~
ダーリンと子育ても楽しもうっと!
という勝ちイヌ路線を狙っているから、この部署の行く末はとても危険・・・

11月下旬のある日、最高責任者で採用担当のO氏に個別相談を依頼しました。
今の配属先は、あまりにも責任とストレスが大きすぎ、残業も他の部署に比べて多すぎる。
立ちっ放しの業務では、持病のぎっくり腰の容態がよくない。
私生活とのバランスを将来的に考えると主たる生計者の私がまたバーンアウトしてしまう前に
そして、同僚にこれ以上迷惑をかけてしまわない前に配属替えをして欲しいと懇願しました。

妻子を扶養する立場にあり、遠距離通勤往復4時間のO氏は、「今すぐとは言えないが」と前置きして了解してくれました。
しかし、事態は好転してくれそうもありません。

その矢先、O氏は12月1日付けで異動してしまいました。
後任の若干29歳の責任者代行のD氏に委譲した途端、返答は180度変わりました。
「これまで3ヶ月間がんばって習得したことが、無に帰してしまいます。
辛くて苦しいだろうけど、カベを乗り越える努力をして欲しいし、がんばって欲しいです。
同僚からは、決してあなたが戦力になっていないとの評価は、聞いていません。
年明けには、研修生の名札を外して実務力を強化してください。」
「しかし、家庭とのバランスがとれませんし、もう現状で精一杯です。
ここに来てからは、たったの3ヶ月足らずかもしれませんが、私の履歴を見てくださいましたか?
嘗ては、今のチーフと同じ管理職もしていましたし、何度も身体を壊しながら転職を繰り返しました。
言ってみれば、プロを引退したばかりの桑田投手みたいなものです。
ここにたどり着くまでに、資格もたくさん取りました。キャリアカウンセラーに何回も相談して、事務職への転職をようやく果たしたのです。それなのに、どうしてよりによってこんなに重要な部署に配属になったんですか?」
「履歴書はまだ拝見していません。それに、公私のバランスを崩しかねないような事情があるなら、採用面接の際に相談されるべきではありませんか。」
「その時、貴方が採用したんじゃないでしょう。異業界で一から再スタートするのに、選択の余地もありません。」
「立場上、仕事ですから厳しいことをいうようですし、私は若干29歳の若僧に過ぎません。でも、×2で、公私共に辛酸を舐めましたよ。
元妻にうつ病を写されたけど、こうしてカベを打ち破ってうつ病を克服し、公私を両立させています。
仕事以外の私的な背景があることも承知して、やっぱり人生の中で仕事をしている時間が最も多くを占めています。
お金をもらっている時間は泣き言をいえないでしょう。」
「それは、つまり・・・配属替えはしないということですか。まるで傷口に塩を塗りこむような返答ですね。」
「がんばってください。タイムリミットを設けて、後任の責任者が正式に決まるまでのあと1ヶ月間、様子をみましょう。それでも、どうしても無理というなら派遣先丸ごとの異動になることを覚悟しておいてください。」

確かに・・・
同じ総責任者の立場にあったとはいえ、小柄でほんわか系のO氏に比べ、巨体の貫禄満々のD氏の宣告に、こんなに凹みきっていても、結局がんばるしかないのだった。
それも、代表者が変わった途端、判断も変わるだなんて。
この会社の人事や権限は一体、最終的に誰が責任とるんや?

そんな私に気分転換といえば、公私の憂さとは全く無縁の「おやっ?」と思う天然の好奇心かな?
11月の紅葉シーズンには、母が中学時代の学友と旅行に出かけて珍しいお土産をおすそ分けしてくれました。
悠々自適な学友のどなたかが、英国ブランドのティーバックをいただきました。
萌黄色のパッケージがなんだか癒されます。

APPLE
FRUIT FLAVOUR GREEN TEA

FORTNUM & MASON
PICADELLY SINCE 1707

A REMINDER OF EDEN

FORTRUM & MASON

Making The Most Of Green
Always use freshly boiled watar
and one bag per person. As green tea
is usuary taken without milk,
most people pefer the taste when
the bag is left in for a sligtly shorter
time than with tea to be taken with milk.
If using a warmed teapot, the "one for use pot"
rule may therefore not apply.

Specially blended and packed in the UK
from impoted ingredients for;
Fortrun & Mason PLC
Piccadely London WIA IER England.
www.fortnumandmason.co.uk

珍しく芳しい紅茶なので、私の目上のお友達である50代世代の美容師のSさんや、
小学校のベテラン教諭のHさんともお菓子のお供に味わってみました。
1707年にロンドンのピカデリー創業とありますから、日本の江戸・元禄時代からある有名な老舗だとわかります。

因みに、ロンドンピカデリーは、20年前の1990年2月、旧友のOちゃん、Hちゃんと卒業記念海外旅行で闊歩した
思い出の観光地でもあります。
20年前はバブル景気で、まだ社会人になってもいないのにリッチな学生貴族でした。
ロンドンの観光地を朝から晩まで無邪気に歩き回りました。

今日は、さすがに祝日とあっていくつかのお誘いがあったのですが、
Pさんと夫婦らしく過ごしたいと全て断って予定を空けていました。
しかし、先ほどPさんからもまたもやキャンセルの電話が入りました。
再就職にこぎつけた2009年度中に、新居を構えようと発起して物件検索もしていたところでしたが、
それも別の深刻な訳有で頓挫してしまい、何とも意気消沈です。

政治だけでなく、ゆきんこの人生行路も相変わらず混迷中。
ヨガでは、グッドニュースがグッドブレインを造る。との合言葉がありますが、
私の場合は、相変わらず、バッドニュースに囲まれてもがいています。
とりあえず、クリスマスを含めてあと3日働けば、年末年始休暇が待ってます。
メリークリスマス!!

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ためして瞑想

仕事から帰ってクタクタになり、PCを立ち上げることはおろか、年賀状も年末の大掃除もやる気さえしない、師走の中旬です。

「ACTを実践する」も読むのが滞っていますが、心理学オタクの癒しのお供でまだ手中にレンタル中。
今、読んでいたら「おやっ?」と思う未知の記述があった。

P342
 本章(第3部 第11章)では、マインドフルネス実践にかかわる記述のなかで、注意集中を重複するサマタ瞑想に関する記述が多くみられる。瞑想には、サマタ瞑想(止)とヴィッパサナー瞑想(観)がある。
両者は目的が異なり、サマタ瞑想では、心の働きを静めることを目的とし、心を一つの対象に結びつけることが重要である。一方でヴィッパナサー瞑想では、身体が感じるすべての感覚をひとつひとつ対象化して気づくことを通し、次の二つを目指す。それは、気づきの行為が、気づかれる対象(色)と気づいている心の働き(名)に分類されること(明色分離智)を体得すること、さらには、心の一連の働きを変えていくこと、の二つである(蓑輪,2008)。「マインドフルネス」(mindfulness)とは、パーリ語の「サティ」(Sati)が英訳されたことばであり、サマダやヴィッパナサーの瞑想で行われる。気づきにかかわるものであるが、特に、ヴィッパナサー瞑想において重要な要素となるようである。サティ瞑想とヴィッパナサー瞑想では目的が異なるため、本来であれば区別されるべきであるが、マインドフルネス実践において両者が混在されることが多く、今後、その違いを整理する必要があると考える。詳しくは、『仏教瞑想論』(蓑輪顕量 2008 春秋社)をご参照されたい。


3月からマイブームになったヨガの修練でも、「瞑想」なることばが聴かれるようになった。
仕事では、実は取るに足らないミスをある女史にズケズケと指摘されてタジタジになり怖気ついてしまっている今日この頃である。ぎっくり腰の後遺症でストレスがたまると背中が突っ張り、とうとう内臓まで縮こまるような感覚に襲われた。
できれば女史の至近距離にいたくないし、かかわりたくないが業務上避けるわけにもコミュニケーションをとらないわけにもいかない。

予測通り、週明けの今日も3回もどやされてしまった。
女史の罵声は、名誉のためにオフレコにしておこう。
しかし、昨日日曜日の午前中にヨガに勤しんだせいか、マイナスエネルギーがある程度浄化されたのか、精神的なダメージは少し和らいだ気がした。
若き同僚乙女の皆さんたちによれば、私に対する女史の仕打ちは、まだまだ自分たちの新入りの頃よりも優しいとか・・・
「これは新人の禊(ミソギ)ですかね。もう慣れるしかないですね~・・・ミスばかりの私がいけないんですから、指摘されたって言い返せないですもん。」
「他の部署に変わっても同じ様なことはありますよ。取り返しのつかない失敗は、自分だけの経験じゃないから、できるだけ未然に防ぎたい。この部署は最も責任が重く人目に曝されて辛い分だけ、助け合っていきたいんです。」
若く優しいチーフが困り笑顔で宥めてくれた。
「それを聞いて久しぶりに目頭が熱くなりましたよ。どうして、私、ここに配属になったんでしょう、、、よりによって。つい4ヶ月前にはここにいなかったのに。。。」
「私も、なんでここにいるんだろう?何やってんだろうって思ってます。」
「チーフも?おんなじこと思ってたんですね。」

チーフの敗れた嘗ての夢は教員になることだったという。
そんな若きアイドル系の痛々しい笑顔に癒され、癒し返したいと明日も精進いたします。
そして、たまには平穏無事な日常を祈りつつ、瞑想をためしてみたいもんです。

テーマ : ヲタクのメモ - ジャンル : 日記

無理は禁物

2009年も師走に入って、残り4週間足らずとなりました。
1ヵ月後には年齢更新日がやってきて、嬉しいような哀しいような。

おかげさまで再就職先の仕事も3ヶ月目に入りましたが、毎日が追い立てられるようなせわしなさと、
諸々の人間模様の最中にもみくちゃになっています。
前月は、公私共にストレスや疲労がピークに達して、帰宅したら受験勉強、そして就寝。
就寝しても、ぐっすり眠れずなんだか夢の中でも仕事をしていることが多かったです。
仕事ではミスが一向に減らず、一通りの業務が終わるとチーフから小1時間のおさらいレクチャーの残業が続きました。
疲労感とテクノストレスでお達し通りにミスを修正できないし、脳ミソがストレスフルに溢れかえって情報処理を拒絶反応している感じ・・・

仕事ではカウンター越しに、さまざまのお相手がさまざまの書類を手に手に問い合わせにこられます。
しかし、私は見たこともない書類の内容を理解できずオロオロと先輩同僚に丸投げしているので、少しも自分で解決できません。
夢の中でも同じような光景が脳裏に浮かんできます。
とうとう、3日前にはこんな夢を見ました。

カウンターの内側で何も書いていない真っ白な書類を手にどこもって行ったらいいのかわからなくて、右往左往していました。
目が覚めて洗面所の鏡の自分の顔を覗いたら、くっきりと眉間に皺が刻まれていた。


話は前後しますが、11月は、自分としては正念場の1ヶ月がようやく終わったという一安心感もありました。
月末には、自分が言いだしっぺのイベントがあったのでそれを無事に終えることができ、ほっとしました。
遡ること、シルバーウィークのある日。
縁あるシニア男性H氏のお誘いを受けて大阪成蹊大学の講堂に出かけました。
その催しは、『経営パラリンピック』といい、福祉と経営の融合を目指し、障がい者の一般就労・雇用に寄与するシンポジウムでした。

その後、縁あって、H氏の仲介で経営パラリンピックの主催者の大学教授であるY先生と対談させていただくことになりました。
Y先生と対談させていただくに際し、最早、事務職のおばさんになった私よりも、Y教授に紹介したい特別支援教育界隈の関係者の方々を紹介する機会にしようと思い立ちました。

そこで、ゆきんこの小さい人脈のなかから、2名の方をご紹介してY教授の面会の場を作ったというわけです。
その(私にしては)画期的な対談の日は、数回の日程調整を経て、11月29日(日)場所は新阪急ホテルと決まりました。
前日の28日は3度目の正直にしたい資格試験を天満研修センターで受験しました。
2連休とも返上で大阪まで出かけてクタクタになりました。
対談は、和やかに各々の自己紹介だけで3時間に及びました。
なぜなら、集まった5名の方々の馴れ初めやら、人生行路も含めると1人で小1時間はかかってしまいます。
しかし、5名とも初対面にもかかわらず「障害者の幸福に寄与する支援者」という立場にあった共通項で話題がつきることはありませんでした。
何より、Y教授の寛容で気さくな人柄と、独自の経営理念に魅惑され「この縁がきっかけで何か新しいことが創造できそう!」な予感を一堂に感じて別れました。

さて、アラフォーともなると、30代とは違って心身ともに俊敏とはいかない日々を感じています。
週明けの20代の同僚事務員との朝のご挨拶。
「少しは疲れがとれましたか?」
「全然です。」
「私、疲れるって漢字はそうだ~・・・ヤマイダレなんだと思いながらカウンターにきました。」
その台詞に、SさんとTさんが苦笑いを浮かべた。
そういうわけで、いつの疲れかわからない慢性疲労がど~っと出てきて、なかなかブログ更新する気力さえありませんでした。
新しい職場は週休2日ではないので、今週は昨日土曜日の午後1時までは4時間勤務がありました。

「疲れたでしょう。もうあがっていいですよ・・・」
「チーフも・・・。お言葉に甘えてお先に失礼します。」
もっともっと疲れていても、中間管理職のTさんは部下の私に疲労感に満ちたスマイルで挨拶を交わした後も、残務が続く。
偶然、同期入社のAさんと一緒に退勤したので、以前から留保していた駅前界隈ランチに繰り出すことができた。

午後2時30分には、事前の約束通り、旧友のHちゃんと駅前の大型手芸店で待ち合わせた。
今回、再就職が無事に果たせたのは、Hちゃんの協力によって実現できたかもしれない。
今年3月の失業直後から、先んじて職業訓練を受講して資格試験の一発合格の後にストレートで再就職していたHちゃんに色々と相談して、おまけにテキスト一式まで10ヶ月間も借りていた。
テキストは3回も受験する羽目になった資格試験勉強に大いに役立った。
手先が器用で典型的な主婦の鑑のようなHちゃんは手芸が得意で、時々私のふるさとにある手芸洋品店に御用達にきていた。
そのついでに、テキストを引き取りに来ることになって3ヶ月ぶりに再会した。
Hちゃんのテキストを付箋やラインマーカーで、かなり汚してしまったけど、優しいHちゃんも役に立ってよかったと喜んで受け取ってくれた。

ミスタードーナツに腰を下ろして、どうやら共に再就職を果たした新しい業界は、職場は違っても、他業界と比べても容赦なく厳しいらしいねと語り合った。
「今週の星うらないに、『無理は禁物』と書いてあったの。真にうけたわけではないけど、タイムリーに上司に個別相談してもらう機会をもらって、配属替えを要請してみたの。履歴書の希望欄に『特にありませんが、ライフワークバランスに配慮して欲しいと記述したけど、2ヶ月勤務してみて自分の限界を超えた業務内容だと思うし他の部署と比べても業務内容が重過ぎて不公平ではないか・・・と。」
「よく言ったわね。その『ライフワークバランス』ってことばも上手く使ったね。」
「今までだってバーンアウトスレスレに働いてきて、ぎっくり腰の慢性化で保育士から転職したことも話したら、
検討するという返事をもらえてほっとしたよ。」
「よかったね。今まで通りの残業ばかりの仕事じゃ、無理が重なって体をこわしそうだものね。」
それにしても、バブル絶世期にはまだ18歳の学友だったHちゃんと、こんな世知辛い時代にちらほらしてきた白髪と小じわのあるお互いの笑顔に癒されてるなんて、
ちょっと幸せなひとときでした。

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