長崎ラスク(龍馬がさるいたまち)

NHK大河ドラマにはまっているのは、今に始まったことじゃない。
同世代の福山雅治主演「龍馬伝」を毎週欠かさず視聴してます。
舞台は、長崎に転じ、今日午後1時の再放送では、龍馬とお龍夫婦が新婚旅行をするシーン。
二人は当時、女人禁制とされた高千穂の峰に登頂していました。
そして、ラストシーンは、あの有名な龍馬像の写真撮影の場面でした。
手には拳銃、足元はブーツ、天然パーマのちょんまげという斬新なスタイルです。

「おやつ食べよっか」
そんなTVドラマを見てしばらくしてから、すっかり秋めいた土曜日の午後。
我が家では暢気に龍馬にちなんだお菓子をカフェオレと一緒にいただきました。
長崎出身の大切な方からお土産にいただいた『長崎ラスク』です。
黄色と茶色のコントラストが効いているオシャレなパッケージの表に、龍馬さんの似顔絵。
「龍馬がさるいたまち」というコピーがよくわからない。
「さるいたって、わかんないな。どういう方言なのかな?」
「サルがいたってことじゃない。」
「そのまんまのわけないでしょ。住んでいたとか。」

幕末、海援隊がその製法を日誌に記してから百五十年・・・
カステラは「長崎ラスク」に生まれ変わりました。

商品名: 長崎ラスク
名称   焼き菓子
原材料名 卵、砂糖、小麦粉、バター、水飴、乳化油脂、ショートニング
内容量  16枚入り
賞味期限 22年10月23日
保存方法 直射日光を避けて冷暗所にて保存してください。
販売者  (株)すみや
     長崎県長崎市大黒町7-2
     TEL095-827-2120

あと13枚あるので、10月23日までにお昼休みやおやつに美味しくいただきたいです。
ありがとうございました。

因みに、長崎といえば20年ほど前のお正月に母と旅行したことがありました。
私の故郷の駅前から発着していた長崎直行の夜行バスで訪れました。
当時は、まだハウステンボスは建設前で、オランダ村が盛況でした。(えらい昔です!)
現在、その長崎直行のバスは廃止されてしまいました。残念です。
行きたいところも、会いたい人もいろいろいるけど、なかなか思い通りとはいきません。
だからこそ、目の前の一瞬の出会いや縁がつながっていくことが、かけがえないと思える。
そして、このブログが贈り主の目に留まっていれば、それもきっと奇跡でしょう。
それでは、晩御飯の支度の時間になりました。
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喜寿の父

9月後半の3連休は、暑すぎた夏がもうすっかり終焉したというやれやれ感を引き出す。
そして、滅多に会わない老齢の父が脳裏に浮かぶので、自分から連絡を取ろうというモチベーションが沸き起こってくる。

今夏は、独居の身寄りのない、または、はっきりしない高齢者の消息についてニュースで取りざたされていた。
このことは、私にとっても他人事などではないからだ。

ペーパードライバー教習のラストは、14日。
再就職先の事業所の駐車場や、付近のホームセンターなどの駐車場を使って、ひたすら駐車練習をおさらいした。

翌9月15日付けで無事再就職の日を迎え、新しいユニフォームやロッカー、専属の事務机などが貸与された。
初日は、支援事業と業務マニュアルの説明だけで終わり、2日目からは早速、先輩専門員のIさんと同行で2名の利用者宅を訪問した。
そして、3日目は、
「それじゃ、ゆきんこさん、道中も覚えないといけませんし、運転してみますか?」
「再就職までの間に、ペーパードライバー教習を受けて備えましたが、大丈夫でしょうか?」
「私も10年前にこの仕事に就いたときはそうでしたよ。」
「結局、後は場数ですよね。」
ぎこちないハンドル操作も、Iさんは嫌な顔ひとつせずに助手席でアドバイスを下さった。
4台ある公用車のうち、Iさんの御用達は「プレオ」だそうで、3日目も無事に運転デビューができた。
事業所に戻ると、即記録を残す。支援内容は多少異なるが、保育士や前職の事務職経験と、おまけに新卒時の車を使っての営業経験など、これまでの職務経験の約半分を総動するような感じだ。
そうはいっても、見知らぬ関係者の方々に「はじめまして」のご挨拶。
やりがいめいっぱいで、週末少し疲れました。

3連休の初日は終日室内の掃除と洗濯。
新居生活ももうすぐ5ヶ月になります。
最初に買ったドレッシングなどの調味料が一瓶空っぽになったり、
毎日使っていた扇風機にはうっすらと埃を被ってきたり、
ひと夏越えて、週単位、月単位のライフサイクルを廻すのが慣れてきた気がします。
掃除をしなくても常温で汗ばまなくなりました。

昨日、中日はHさん宅でWiiフィットネスに興じました。
先月お邪魔したときには、最寄り駅から電車で3つ目の駅で下車し、Hさんの自家用車で送迎していただいていました。
今回は、怖がって乗っていなかったバイクでHさん宅に向かいました。
9月に入り、必要に迫られて自動車とバイクを乗るようになった自分はおばさんになってるけど、
進化しているという嬉しさがあります。
反面、もちろん退化してしまったことも多々あります。
大学院で学んだ諸々の知識は、ほとんど現在の生活に反映していないようです。

「バイクと自動車の練習してるなんてすごいじゃない!それに、今度の仕事もあんたにぴったりでよかったね!」
と我が事のように喜んでくれたHさんとのお付き合いも、四半世紀ほどになりました。
そんな40代と50代の二人の共通項は、体力の衰えを予防するべく健康の保持です。

「私も筋トレしようっと」
いつもはバランス系の動きしかほとんどしないHさんも、コスモス(ゆきんこ)さんの筋トレ姿に感化されたようでした。
それから、Hさんの急な誘いで宵はレイトショウに繰り出しました。
午後8時からジュリア・ロバーツ主演の「食べて、祈って、恋をして」を鑑賞しました。
ストーリーは、バツ1のアメリカ女性リズが、公私共に行き詰まった人生の癒しを求めて、
イタリアで食べまくり、インド、バリで瞑想する中でさまざまな境遇の人々と交流し、最後に真のパートナーを得て自分らしさを取り戻し、再生するというものでした。

我々の感想は、
「ちょっとこの主人公の悩みは贅沢なんじゃないの?」
「ジュリアロバーツだから演じられるんだよ。普通は旅先でこんなにモテ女のはずないって!」
「人生誰もそんなに思い通りじゃないよ。」
「こんなにお金持ちで、3カ国も長期滞在なんてできないしね。」

しかし、長年の腐れ縁女同士の余暇、こころのどこかで最後の1日はやっぱり連絡をとらなきゃと思っていた。
実家で一晩明かし、午前の急用と業務用スーパーで買い物を済ませて帰宅したのは正午過ぎだった。
そして、3時ごろ忘れかけつつある15年前の居宅の電話番号を廻した。
9割くらいは留守電になっている電話の主の声がした。

昨日77歳の誕生日を迎えた父は、健在だった。
敬老だけでなく、喜寿の祝いを自治会から受けるそうで、話し声は明るく元気そうだった。
ヘルパーさんにも、地域の役員さんにも好くしてもらっていて、週2回は通院と買い物にも外出しているので、孤独死する心配もないと近況を述べていた。
今では随分、好々爺になったようだけど、私たち親子の長年の悔恨を無に帰してしまうことができないでいる。

昨晩見た映画のなかにインドで瞑想に耽る初老の男性がリズに自らの過ちで家族も何もかもを失い、
リズに嗚咽しながら述懐するシーンがあった。
「自分の過ちを赦せるようになるまでここで祈るがいい」

父が電話の向こうで言った。
「どうしているんだ?」
「転々としてるけど、時給でなんとか働いてるよ。」
「時給だって?」
「もう保育士は辞めちゃったし、生活保護とあんまり変わらないかもね。」
「もったいないじゃないか。ずっとやってきたのに。」
「被虐児や、けんかの対応で心労が耐えなかったもの。」
「まあ、仕事はなんだっていいじゃないか。自分の好きなことをして気長に生きるのがいいだろう。」
「今更、お金持ちになれないし明日ご飯が食べられたら、それでいいよ。」
「そうだ。今は生きようと思えば百まで生きられるんだぜ。ワシはまだまだ死にたくない。」
「その分、若者が支えてるけどね。」
「お前、まだ独身なのか?それも気楽でいいだろう。」

母に口止めされていて、父には結婚したことも居場所も告げられない。
離婚した父母の間に育った心の痛みは、成人した今もこんなとき疼いてくる。
せめて年に1度くらいは面会しようと電話を切った。

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ペーパードライバー教習中

<前回の続き>です。

上司になるだろう才色兼備な女性は、面接の最後に一言付け加えた。
「雨が強まってきましたね。大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。折りたたみ傘を持ってきました。少し雨宿りしてから帰ります。」

最寄の関西スーパーで買い物しているうちに、雨は小降りになった。
「ただいま。面接受けたらその場で採用決まっちゃった。」

そんなこんなで、今回の採用面接では、一体、どんな受け答えになるのか全く予想もしていなかったのだが、勝因はどうやら履歴書に書いたボランティア活動のように思えた。

さて、ぼんやりとしてはいられない。
採用が決まったはいいが、翌日の31日から1週間くらいは、罪悪感も混ざっていた。
7月下旬にパート採用された受付業務も早見習い1ヶ月余り経ち、他2名の先輩パート主婦の二人とも楽しく勤務していたところだった。
9月からいよいよシフト勤務を期待されていた従業員仲間にどう告げようかと、足りない頭がグルグルと回りだした。

とりあえず、最初に電話したのは、知人のペーパードライバースクールを自営するOさんだった。
「ご無沙汰しております。新しい仕事で車を運転することになりまして。」
「そうですか。どんなお仕事を?」
「利用者の方たちの家庭訪問をする支援員です。」
初回の教習は、9月2日と決まった。


そして、勤務交代のその時、引継ぎをしていたYさんと、Iさんに思い切って報告した。
「とてもいいにくいのですが、昨日面接を受けたら採用が決まって、両立できなくなりました。。。」
「ええっ!!もうひとつのパートは、ここと両立で探すと言ってたじゃない?」
「すみません。まさか採用されるとは思わなくて、ダメもとで受けたのですが、こんなことになって・・・ごめんなさい。」
「どうしよう・・・9月のシフト組んでたのに・・・」
「ちょ、ちょ・・・っと待って。明日まで考えさせて」
「ほんとにごめんなさい・・・お二人にご迷惑かけてしまって」

この後のことは、綴りたくない。
端的には、ご主人から大目玉をくらった。
8月末日で退職となった。

ABA(応用行動分析学)にかぶれ、ブログを更新させてきた過去が私を自ずと気分転換上手にさせたのだろう。
私に不思議な出会いと別れが拮抗し、転機はまだしつこく感じられる猛暑の中だというのに、明らかな季節の変わり目とシンクロに去来した。
まるで、真夏のミンミンゼミの声で目覚めるやかましい朝がパタリと止んで、
夕闇が6時代に迫り、宵に涼やかに鳴く鈴虫の声のように。

凹む間もなく帰宅すると、盆休み中に新たに出会ったあるNPOの管理責任者のOさんからメールで誘いが舞い込んだ。
不思議なご縁で、Oさんは現在、私が幼少期を過ごした町に在住されている。
ワンルームマンションを多目的な居場所として提供していらっしゃる。
それに、私が一昨年、勤務した授産施設でお世話になった施設長のYさんと旧知の仲というので、格別意気投合したのだった。
Yさんが地元で娘さんと知的障がい者の作業所を新設するにあたり、手ほどきに現地まで行くというので、
即答でお供することを承諾した。

9月1日。Oさんと正午にH駅のホームで待ち合わせた。
「よくお誘いくださいました。ありがとうございます。」
「なかなか返事がこないから、ダメなのかと思ったけどね。」
「まだパート勤務してたらお供できませんでしたけど、昨日の今日辞めたところでした。」
「どうしたの?」
「別の事業所に採用が決まって、2足の草鞋を履けなくなりました。」
「おや、まあ」
出会ってまだ2回目だというのに日暮れまで電車とバスを乗り継ぎながら懇意に話し続けた。

2日の10時には、元門真自動車運転教習所指導教官のO氏に自宅前に来ていただき、第1回目のペーパードライバー教習が始まった。
「ご無沙汰しております。今日からよろしくお願いします。」
O氏に再会するのは、これで4回目だろうか。1年以上経過していた。
初めて出会ったのは、2009年3月末のこと。
商工会議所が主催した「創業者セミナー」に参加したときだった。

「私、ペーパードライバーなんです。」
「ここにお客さんおったわ!」
隣りのテーブルに座したのがご縁で、その時、教習所を脱サラして創業して間もなかったO氏の名刺を頂戴していた。
「では、初めに免許書確認させてもらいますね。」
初回の教習では、ハンドルを握るのは、実に20年ぶりだと改めてゴールドカードの自動車免許証を見つめ、時の流れを感じた。
「ちゃんと、ミッション車で取得したんですね。」
「他の人よりすごく時間がかかりました。当時の指導教官が熱心すぎてちょっと強面の方でした。」

さて、おそるおそる一直線の初心者コースを走って様子を見てもらったところ、
「う~ん、ブランク長いわりには、思ったよりも上手く運転できてるね。」
「ほんとですか!」
「通常10回で終了だけど、これなら6回で一人で運転できそうだよ。」
新しい勤務先に就業するまでの2週間の間に1回50分、全6回の教習で再び、運転できるなんて!
自転車や公共の交通機関だけではなかなか行けない所へ自由に行くことができ、行動半径が大きく広がる嬉しさがこみ上げた。

何せ、ハンドルを握らなくなったのは経済的な理由はもとより、やっぱり事故になったらどうしようという不安が先立ってしまったからだ。
忘れもしない、24歳のいつの頃か、
運転技術を鈍らせたくないと、当時、JR茨木駅でOちゃんと月1回待ち合わせてレンタカーを借りてドライブを楽しんでいた。
ミラーを見るのが苦手でOちゃんとペアになり、助手席に座った方がドライバーの補佐役で地図や位置確認などの役割を交互にすることで辛うじて乗っていた。

また、仕事で営業車に乗ることもあったのだが、その時にはエンストしたり、一方通行を逆さに入ったりと
度々恐ろしい目に遭っていた。

今回の教習では、不安よりも楽しさの方が大きくなっていたし、この道30年のベテランO先生の指導で安心して教習に臨めた。
いや、新しい仕事で必要に迫られたことが運転のモチベーションをあげさせたかもしれない。
身近なところでは、老いて難聴になった母が、事故に遭うリスクが高まり、次第に外出しなくなってしまったことが大きな要因になっていた。
最近の報道では、雇用の不安定と、生死の確認もされないまま、高齢者が人知れず孤独死を遂げてしまう因果は、家族間の絆を断ち切られてしまったことが背景になっていると解説されていた。

2回目の教習は4日。
小高い丘陵の新規住宅予定地の起伏の多い蛇行した道で複雑なハンドル操作練習。
初回では、テキトーにまわしていたハンドルの加減が車体の左前アンテナを目安にすることがわかってきた。
「こわいと避けようとして急ハンドルをきってしまうけど、一番大事なのは、まずブレーキ操作。」
「はい。先生の経験から運転やめといた方がいい人っていますか?」
「いるよ。ブレーキが遅れる人。急に止まれないときは、追突するからね。」
「じゃあ、早めにブレーキ踏めばいいんですね。」
「そうだね。」

3回目は、6日。
徐々に、いつもの慣れた道も走行するようになってきた。
はじめに、K駅のロータリーで待ち合わせの練習。
「駅のまん前は人とタクシーで混雑するから少し離れたこの位置をお勧めします。」
「教習所よりもとても実用的ですね。ありがとうございます。」
それから、スポーツセンターの大きな駐車場で駐車練習。
3回出入りしてぶつからずに停められたけど、ミラーをみながらまだまだなんとなくの感覚だ。
ポイントは、ハンドルを1回転させてまた、反対に一回転戻して直進し、斜め45度の角度をキープすること。
駐車にはどうも自信が持てない。

この日は退職してから1週間。
午前の教習を終え、午後から思い切ってガラスの自動ドアをくぐって再び、お詫びの挨拶に訪れた。
「この度はとんでもないご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。」
「こういう運命だったのかもね。」
「そういってもらえるとちょっとほっとしました。こんな辞め方、罪悪感でいっぱいで。
 その後、シフトはどうなりましたか?」
「本店から若奥さんが来て埋め合わせてくださってるわ。」
「そうですか。今日はお客できました。」
依頼の物を預けて、支払いを済ませ、笑顔で自動ドアを出ると、わだかまりの気持ちは少し楽になった。

そして、4回目の教習は8日の午前11時から正午過ぎまで。
台風が北陸地方に接近し、運行が気になったが、小雨程度でほぼ平常運転ができた。
長距離で万博公園付近の大きなロータリーを素早く車線変更。
それも、O先生がタイミングを見計らって指示器を出す指示をしてくれるからであって、
「こんなところ、独りでは絶対無理やわ。」
と、ぼやきながら安全運転。
「上り坂では、スピードが落ちるからもっとアクセルを踏んで。前の車についていかないとスピードにムラがあるのはよくないよ。」
しかし、バックライトが点灯しない大型トラックの後部をしばらく走るのは、ちょっと困った。

勤続30年という輝かしい履歴を投げ打って、自営のペーパードライバー教習に転じたのにはそれなりの理由があったらしい。
全国には、何百人もの同業者がいるらしいのだが、地元ではニーズがあるのに教習所では儲からないのでことごとく断っていたそうだ。
そこで、幟を揚げたのが偶然ご近所のO氏だった。

次回、5回目の教習は12日(日)の予定だ。
一昨年の秋にボランティアをしていたホースセラピー牧場の沿道で待ち合わせ、Oさんを便乗してもらうことになった。
O氏の教習の魅力は、何といってもすぐ実用できる技術を効率よく身につけさせてくれること。
そして、マイルドな人柄に裏打ちされたさりげない指摘もソフトで、すぐ改善しようと思わせてくれることだ。

それにしても、私の望みは何といっても、安心感のある長期雇用だったはずなのに。
誰かが遺した耳の痛いことばが脳裏に焼きつく。
「人生は思い通りにはならない。しかし、やった通りにはなる。」
今年に入ってはまっているお気に入り番組の「ゆうがたクインテット」がちょうど終わった。
さてと、今夜のおかずはかぼちゃのスパゲッティサラダにしましょう。