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2011/04/23 (Sat) こんなことって?(Is that good to be true!?)
昨日22日の正午前から今日の夕方を過ぎても雨が降り続いています。
4月の第5週目が終わりかけ、今晩のおかずは何にしようか?
まだ暮らし始めたばかりのちょうど1年前に比べたら、あまり献立で思い悩まずに拵えることができるようになりました。

今週19日火曜日には、早々と15日に応募面接した診療所から「お祈り封筒」なる不採用通知が返送されました。
期待してないんだけど、やはりちょっとは落ち込んで、それから気を取り直しました。
失業し、尚且つ子育てしていない専業主婦にはたっぷり悠々とした時間があります。
しかし、じ~っと何もせずに自宅にこもって、することといえば、日常茶飯事の家事ですが、
これも、主婦2年目に入ると次第に釈迦利器にがんばらなくてもいいようになってくるものです。

仕事もこうありたいものですが、2011年の新年の抱負として「継続は力なり」と誓ったはずなのに、
なかなか有言実行とはいかないのが歯がゆいです。
それにしても、組織の一従業員としての有償の平常勤務はマイペースとはいかないため、目まぐるしく瞬時瞬間が飛ぶように過ぎていきましたが、4月に入ってからこんなに悠々としていていいのだろうか?
ある意味、幸せなことなのかもしれません。

さて、その代わりに4月から私に新たな出会いと再会が待ち受けていました。
幼少期よりなんとなく違和感のあった姿勢の歪みとさかのぼること10年来の保育士時代から患ってきたぎっくり腰。
30代半ばより数回、発症しては、結局、医師から「安静に」とだけしか言われてきませんでした。

そこで、春分の日無料説明会で出会ったカイロプラクターのYさんに一縷の望みを託し、週1回の姿勢矯正施術を受けることになりました。高額な保険外診療を受けているのが正直辛い。
どんな業界にも多少の飴と鞭の原理が存在しているものだな~と、疑心暗鬼なオバタリアンになりつつあります。


今週21日の施術では、なりたてほやほやのセラピストOさんが肩甲骨と首、肩の緊張をほぐしてくれました。
そして、Y先生が仕上げに子ども時代からゆがんだ背骨と間接のバランスを整えてくれました。
「側彎は大分改善してきましたよ。」
ほんの30分のことですが、施術後はなんだか体全体の重だるい感じが軽やかに思えるのです。
そういえば、何もしなくても漫然と続いていた腰痛もなんだか和らいだ気がしてきました。

それから、Y先生が行きつけているというお好み焼き屋さんでランチタイムをご一緒しました。
一回りも若いのに、既に一国一城の主として「院長」の肩書きを持つY先生に小学生だった頃のお父さんのY先生の面影を重ねて「大したものだな~」と感心し、お好み焼きを3人で仲良く分け合っておいしくいただきました。
饒舌になった私の話も云々と屈託なく親身に傾聴してしてくださるY先生に思い切って本音を聞いてみました。

「Y先生、先週応募したクリニックは不採用でした。それで、従業員にしてくださるという話ですが、初対面からいきなり誰彼なしにって訳じゃありませんよね?」
「もちろんですよ。私、結構好き嫌いははっきりしてるんです。」
「では、本当に一緒に働く仲間に迎えてくださるんですか?どうして?」
「私は、ゆきんこさんに私の施術を提供できます。でも、私にはできないゆきんこさんの資質を生かして私をフォローしてもらえると嬉しいんです。ゆきんこさんがこれまで修めてこられた心理学や保育現場での経験がもったいないですし、きっと私とゆきんこさんの夢がつながると思うんです。」
「なんだか、プロポーズされたみたいにドキドキしてます。こんなところで何ですが、履歴書お渡しします。よろしくお願いします。」

それから、続いて4半世紀ぶりに開いた心理学のテキストをセラピストのOさんにお貸ししました。
先週、お会いしたとき、心理学を学ぼうと考えていた矢先だったと話されたので、テキストを持参する約束でした。
「私が現役大学生だったころのものなので、最新の内容ではありませんがよかったら一読してみてください。」
「たくさん線が引かれてますね。このテキストからテストも出題されたのですか?」
「どうも筆跡からすると、そうですね。こんなに当時勉強したんだなって今回、改めて読み返しました。」
「私には難しいです・・・」
「大丈夫ですよ。1年生のテキストですし、怖じけないでください。誰でも最初は何もわからないところからスタートするのですから。このテキストが抵抗感あるようでしたら、もっと簡易なものを探しなおしましょうか?」

そうこうしているうちに、タイムオーバー。
カイロの施術院からほど近い場所に位置する次なるお相手のワンルームマンションへ向かいました。
待ちかねていたNPO主宰のOさんが、お洗濯の真っ最中。
「遅れてすみませんでした。お手伝いしましょうか?」
「いや、もうすぐ終わるからええよ。このマット利用者さんが失禁したから干してたんやけど、臭うかな?」
「う・・・ん、大丈夫と思いますが。利用者さんが失禁って?」
「それが、昨日私が遠方まで外出していた間に、利用者さんが救急車で運ばれてね。今日はその片づけに追われてたの。」
「なんだか大変な時におじゃますることになって、よかったんですか?」
「いいの。あなたが前の職場辞めて、こうなること待ってたんだから。」
「ええ?」
「あなたと去年8月に会った時にも言ったけど、私の事業を引き継ぐ人を探してたのよ。」
「それが私ですか!?」
「そう?本気で考えてくれるなら、私は全面的にあなたをサポートするから。」
「どうして私に?私でいいんですか?」
「あなたは、あの知的障がい者授産施設☆で、共通の知り合いのYさんの部下だった。」
「まあ、そうですが、理事には解雇されたのですよ。保育士時代から痛めたぎっくり腰でもう支援員は無理だから転職をすすめられて、それで医療事務の仕事に変えたのです。」
「私だって、交通事故の後遺症で軽度の障がいがあるけど、こうして事業をやってるわ。」
「それは、Oさんのバイタリティならではでしょう。」
「それだけやないねん。とにかく、あなたの履歴をむざむざ葬るのはもったいない。」
「私にできるんですかね。母からは10年前に保育所経営を受け継ぐという話も浮上したのですが、結局、辞世の波にのまれ、取り潰したのです。」
「それや、それ!あんたも障がい児の保育士やったし、お母さんは保育所経営をしてきた。そのノウハウと私の事業は上手く合わせられるはず。あんた、直接支援するのは難色を示してるけど、企画はできるのとちゃうか?」
たじろぐ私に、Oさんは自分の思いを私に直球で投げつけ、5月企画の宣伝用チラシを手渡した。
「私が事業主だなんて、母が猛反対します。この頃、いよいよ認知症かかってきて頑固になってきたので込み入った話をするのは厄介で。」
「今すぐにとは言わないし、あんたのお母さんを説き伏せるのは難しいのもわかるよ。クセのある人だからね。あんたたちは共依存親子だから。」
「よくわかって下さって何といっていいか・・・」
「まあ、家族の理解が一番難しいとは思うよ。元上司のYさんはこの5月からグループホームも運営することになったけど、休日返上で他の仕事と掛け持ちで実現したんだよ!」
「すごいです!」

Oさんからの思いがけない提案にただ心がぐらつくばかりで、その夜は当然寝つけなかった。

障がいのある方々や困った方たちに自分にできる何かがしたい。
遠い幼い頃、自ずと目覚めたその思いに正直に今まで生きてきたつもりだった。
けれども、時代や、自分の身の置き所で遭遇する人々の間でもみくちゃになりながら、
いつしか、自分自身を主人公にするよりも、誰かの黒子でいる立場を知らず知らずに選択してきた。
その一方で、障がいのある人々に、真摯でひたむきな情熱を惜しみなく注ぐ人々にも接し、
ただ畏れ多い気持ちも湧いてきた。
なぜなら、そうした善良すぎて逞しすぎるに女性事業者の底力に比べて、アカデミズムに被れ、つい先月まで迷い彷徨いながらも障がいのある人々と出会い、別れて、さまざまの経験や思いを重ねてきた私は、フラフラと彼らの周囲を遊山してきただけのようにも思えた。

私の歩いてきた軌跡に素直な興味と理解を示し、これからの人生に前向きに愉しくかかわっていけそうな出会いに感謝して残りの半生を捧げてもいいのではないかと思っている。
新しい出会いに触発され思春期から青年期にかけて抱いていた情熱を甦らせた。
そして、当時の心理学読本やノートを改めて覗き込んでいた。

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2011/04/18 (Mon) 桜の花びらが散って
失業中にもかかわらず、先週9日土曜日から金曜日まで毎日外出していました。

土曜日は、午後から母を招いて、最寄の桜の名所を散策。
この名所を訪れるのは今年で5回目を迎えました。
おなじみながら、他の名所と違うのは目の前まで桜の花を愛でることができるのと、枝振りがどっしり安定している感じがします。
その先にある☆M宮にもお参りしました。
歩き疲れて帰宅し、夕ご飯を母にふるまいました。
「薄味で上品な味付けね。」
主婦2年目にして高野豆腐と筍の煮物を実母にほめてもらいました。

日曜日は、早朝6時前に起床。実家の近くで知り合って間もないA先生に便乗させてもらい、大阪市内まで出かけました。
目的は、日本姿勢学会大阪地区「基礎セミナー」に参加すること。
参加者は4名と例会より少なく、しかも、そのうち3名は関係者。
つまり、サクラの皆さんに囲まれて初参加は私だけだった。
必然、元看護師の講師Iさんの講義も何となく私に一極集中して、終日5時まで朝貢するのは疲れました。
おまけに、厚かましくスタッフに交じって懇親会にも参加しておしゃべり三昧のし通しで実家に帰ったのは午後10時でした。

月曜日は通院。ラッシュに紛れて2日連続大阪市内へ。
3年前に発覚した疾患の異常検査の結果を主治医に聴きに行きました。
結果は異状なし。診察はものの1分で終わりました。
それから午前11時にはSちゃんと、桜ノ宮界隈で花見散策を楽しみました。
週明けから驚いたのには、シニア世代や専業主婦群の悠々たるレジャーを満喫する姿でした。
東日本大震災をこうむった方々には申し訳ないほど、西日本は平穏です。
その群衆の中に、私が含まれていることをお許しください。

大川沿いの桜並木は、そよ風に吹かれて花びらがはらはらと舞い落ちてきました。
このなんとも雅な風情で、花見弁当とあったかコーヒーを満喫しました。
バス観光のシニアの団体が、どうしたことか、大川に突進していきます。
ザブンと川に入水すると、水上バスに早変わり。
河岸の見物客がバスの乗客に手を振り、なんだか一瞬盛り上がりました。

火曜日は、元雇用者だった事業所へ出かけ、総務担当のY氏からようやく離職票を受け取りました。
それから、ボランティアセンターで災害ボランティア。
といっても、今日も受け付けたのは毛布2組とタオル各種ゴミ袋1袋分でした。
それらを段ボール箱に梱包して、あとは会場の掃除。
ひとまず、災害ボランティアについては、活動を15日を以て終了するそうです。

水曜日も、午前6時に起床し、7時過ぎには朝食を食べ終えました。
喪服姿で出発。午後9時半には、天王寺を経由して目的地には予定時刻にはなんとか到着しました。
2000年代より実家方の親族が集まるといえば、いつも喪服でその人数は一人また一人と減っていきます。
今回は、叔父の告別式。
その中に「初めまして」という親族がいたのなら、もう少し懇親したいところですが、
告別式とあっては、黙って涙ぐむしかないのでした。

最近は故人の好きな曲がBGMに使われることが多いようです。
叔父さんが北島三郎がお好きだとは知りませんでした。
生前、お見舞いに行くべきだったと反省しました。
弔問客をもてなす叔母さんもさすがに看病疲れやら諸々の疲労を背負っているかのように見えました。

木曜日は、午後からハローワークへ
前日の非日常イベントで午前中はなかなか起床できず、慢性化している腰痛が辛く感じました。
ハローワークへ行くと、これまた驚くべき失業者の人だかりでした。
とりあえず、失業認定の手続きをさっさと済ませるはずが、なんと30人待ち。
夕方5時過ぎまでかかってしまいました。
手持無沙汰に、時間が過ぎるのもなんだかもったいない。
待ち時間に元勤務先に近い場所でパート求人を見つけました。
年齢、資格、経験すべて不問という条件に思わずとびつきました。
早速、係の方に仲介していただくと、
「明日、紹介状と履歴書を持って、午後1時に面接に行ってください。」
ということになりました。
それから、カイロの治療矯正に行き、そこでもセラピストになりたてという女性と親交しました。
話し込んでいると、あっという間に夜が更け、帰宅は午後7時半を廻っていました。

夕食後から翌金曜日の午前にかけて、履歴書を整え、面接用のスーツに着替えました。
面接も嫌というほど受けては落ち、今回は週末、突然の面接でなんだかヘロヘロでした。

この第4週目の土日は休日らしい休日を過ごしました。
そして、月曜日。
天気予報では、午後から雨になるというので、午前中のうちに買い物を済ませてきました。

私は一応、兼業主婦の期間が専業主婦である時間より長いため、月曜の午前中買い物をしたのは初めてでした。
しかし、驚きました。
最寄りのKスーパーは、なんと、平素買い物をしていた午後4時ごろよりも多くの買い物客で大賑わいでした。
その証拠に買い物かごを乗せるキャスターが余っていないのです。
その上、レジにもぞろぞろと人が並び、袋に詰め替える際の荷物置き場も空きスペースがないくらい。
もしかして、買占め現象が関西にも?

帰り道に通過した公園の桜は、雨が降る前にほとんど花びらを散らして葉桜になりかけていました。
交差点に来ると、小学校の先生が新1年生と思しき生徒さん数名を引率していました。
「じゃあ、渡る人はここで解散します。」

それにしても、
失業者の午後は長い。退屈なのになぜかイライラしてきます。
仕事のストレスと仕事がないストレス。
そのどちらも経験して、人間だから失敗やら挫折感、自責の念やら、やるせなさ、そういう物事と思い出が降り積もっていく。
そして、かけがえのない人、物事を失い、先の見えない日々を避難所で過ごされる方々を想像するに、やっぱり胸が詰まって、ことばもなくなる。

いっそのこと、桜のように儚く美しく、恨み言も何もなく散っていけたら・・・
しかし、桜の花びらはわずか1週間前後のうちに散ってしまっても、桜の木は、初夏も真夏も秋も冬もいつも見つめて黙ってそこに居てくれています。
私たちが年に一度の満開の桜にしか注目していないのかもしれません。

2011/04/08 (Fri) カイロプリント
卯月も第2週に入り、子どもたちにとっては新学期の始まりです。
4月に入って1週間はぽかぽか陽気に恵まれていましたが、今日は天気予報通りに粉糠雨が降っています。

さて、私は暢気に失業2週間目。
昨日は何をしていたのかといえば、午前中は翌日雨が降るだろうことを見越して、お洗濯。
正午過ぎには、バイクのナンバープレートを外し、買い物鞄に入れてまずはK市のボランティアセンターへ

先月3月31日に災害ボランティア登録をしてから初仕事です。
内容は、東日本大震災の被災地に送る予定の物資を受け付け仕分けること。
しかも、受け付ける物資は新品のタオルに限定されています。
他の自治体では、どうやらもっと品数も多いみたいなんだけどね。

しかし、実際には一般市民の来訪はすでにピークを超えてだ~れも来ませんでした。
仕方がないので、私がやったことといえば、自宅から辛うじて提供した新品タオル5枚。
それを自分の連絡先と提供物品を記入するリストに加えました。

受け付けの机には、どなたかが用意してくださった被災者の方々へ送る寄せ書きの色紙がありました。
季節に合わせて桜模様で飾られています。
そこで、色紙に一筆。
「You are not alone. 人という字は支えあってできています。人間として、人々の間で共に生きていきましょう」
ともっともらしいことを書き込みました。

それから、本当はタオルだけ受け付けているはずですが、
どうやら衣類とか、その他の物品も交じっているため、それらを仕分けて段ボール箱へ納めました。

しかし、ボランティアコーディネーターのUさんによると、
物品を受け付けているにもかかわらず、被災地に届けるルートや手配が全く算段つけられていないというのです。
おまけに、市と社会福祉協議会とで窓口対応が一本化されていないらしく、せっかくの市民の善意を代行してくれるものやらどうやら。
早い話が、たとえば、歯ブラシ一本届けようにも、送料の方がコストが高いのなら義援金の方がマシだとか。

誰も来ない1時間30分という詰め時間はとても長かったです。
しかし、正確にいうと、物品提供者は誰も来なかったのですが、朗読ボランティアのメンバーらしきシニア女性グループが2時前からぼちぼちと集まり、車座になって雑談を始めました。
すると、部外者の私にもうれしい「棚ぼた」現象が起こりました。
「ご苦労様です。どうぞ」
と、コーヒーとドーナツを差し出してくださいました。
「いいんですか?」
「どうぞ、どうぞ。」
「では、遠慮なくいただきます。」

次なる行動目標のために、2時ジャストにはボランティアを終えて元従業していた事務所へまたもや顔を出しました。
総務担当のY氏が、私にこう告げました。
「今日は離職理由のサインだけで、お渡しする3枚目は改めて郵送します。」
「それじゃ、翌週火曜日もボランティアで来るのでその時、受け取りに来ます。」
「ボランティア?」
「そう。退職直後、災害ボランティアに登録しましたので。」

事務所をものの5分で退散し、次に向かったのは実家。
母の所有するバイクを廃車するため、署名と捺印した書類を3時には市役所へ提出しました。
母のさながら幼児化に似た老いていくプロセスを見ていると、一体、いつまでひとり暮らしできるんだろうかな~?と心配。

そして、3時40分。予約時刻を10分オーバーしてしまいましたが、メインイベントのカイロプラクティックのクリニックへ到着しました。
このクリニックの所在条件に少し難点があるんじゃないかと、ふと思いました。
というのは、バイクを駐車するところなく、診療室前まで階段を上らなくてはなりません。
腰痛や姿勢に問題のある患者さんは、これだけでもかなりの難関のはずだろう。

しかし、クリニックの扉を開けると、複数の患者さんでにぎわっていました。
冗談ではなく、海老のように腰が曲がり切ってしまったお婆さんがお爺さんと仲睦まじく来られていました。
帰りがけには、生まれて間もない赤ちゃん連れの若いお母さんとも待合室ですれ違いました。

「ゆきんこさん、お待たせしました。先週1日のカイロプリントの結果です。」
このクリニックを初めて訪問したのは、退職した翌日の4月1日でした。
なぜか、3月と4月の節目は退職してがっかりというよりも、翌日予約していたカイロの初診に期待する気持ちの方が強かったのが不思議でした。

多項目に渡った問診票に健康状態や、改善したい希望などを書き込んでいきました。
身長、体重、骨密度、体脂肪率、血圧、体温など、一通りの身体計測を終えて初体験したのが「カイロプリント」
「まず、この黒い上下スーツに着替えてください。」
次に、本来、シンメトリーになっている体の左右の肩・腰・骨盤・膝・足のポイントと中央線上の額・顎・みぞおち・臍に白いドットシールを貼る。
最後に、方眼模様の壁に沿って正面と、側面の写真を撮った。

このお楽しみカイロプリントの姿勢評価を聴きに再来したのでした。
「あ、お腹が出てる。」
「カイロプリントの姿勢では思ったほど悪くはないんです。実は、痛みを訴えておられる腰や背中のゆがみよりも、頭の角度が前傾になっています。腰以外には首などに痛みを感じませんでしたか?」
「そういえば・・・、症状はぎっくり腰がひどかったので、首はさほど痛みやゆがみが気にならなかったかもしれません。」
「体はつながっているので、痛みや患部そのものにアプローチしてもよくならない場合、その源を直さないとよくならないのですよ。ゆきんこさんの場合は、」
「首からゆがんでいる。」
「そして、側面の歪みが大したことはないのですが、正面写真では、肩に比べると骨盤が上下にずれています。この場合は、他者からもそれほど姿勢が悪いとは見られませんが、たいていは左右、前後に捻じれているのが殆どです。首の施術矯正から始めると、徐々に背中と腰も連なって改善してくると思いますよ。」
「なるほど~。。。今まで整形外科や接骨院でも背中のつっぱり感をどうしてもくれませんでした。ただ痛み止めの湿布とか、ストレッチとか。」
「姿勢の矯正は日本では医療の範疇にないので、治療の仕方を知らないんでしょうね。私も元はリハビリを習得しましたが、習いませんでしたから。」
「ちょうど、今週はNHKの番組で腰痛対策のシリーズをやってるので視聴してるんです。」
「あら、そうですか!?」
「でも、真似してやってみても果たしてこれで効くんだろうかと思っちゃうんですよ。」
「腰痛といっても、原因や症状は様々だから、TVでオンエアされるのはあくまで一般的な対処法です。だから、どうしても例外的に治らない人が出てきます。カイロは言わば、オーダー治療。ひとりひとりの症状や原因が違いのだからアプローチもきめ細かく的確になります。」
こうやって科学的なデータを用いて説得されると、サテライト時代のクセが抜けきれず、素直に納得してしまう。

私よりも一回りも若いセラピストの施術に癒されて、痛みの根源の首のツッパリ感が緩んで、なんとなく腰もいつもの鈍痛が和らいだ気がした。
寝ているときの枕の高さも助言してくださり、後頭部が布団に接するくらいが理想の高さだと教わった。
「ありがとうございます。早速、今夜から実行します。」

最後に、メアドを交換した。
親切なことに、Y先生の勧めで10日大阪・天神橋で開催される日本姿勢科学学会「基礎セミナー」に参加することになり、当日、便乗させていただけることになった。
「お父さんのY先生は、私のこと覚えてくださってましたか?」
「それが、父は帰宅したら寝ているので話す機会がないのです。」
「え?一体何時までお仕事されてるのです?」
「夜10時くらいかな。」
「それは、先生も帰りが遅いし、お父さんも早寝ですかね?」
「そうですね。父は現役教員の時から結構早寝でしたよ。」

初回訪問で私のカルテに書き込まれたY先生の珍しい苗字に遠い記憶があった。
「私、小学校のころ、Y先生と同じ名前の先生に教わりました。」
「それは、私の父です。」
「じゃあ、先生はY先生の御嬢さん!?」

そういうわけで、親子WのY先生のお世話になるだなんて、30年以上も経って予知できるだろうか?
Y先生は、すでにご隠居されているとのこと。
当時、何歳だったのかなY先生?

2011/04/06 (Wed) 桜並木の奥には、親子杉
平凡でつまんないなどとぼやいていられない、未曽有の災難がいつ他人事ではなくなるかもしれない。
そういう切実感を誰もが、感じている今日このごろでしょうか?

それにしても、ただいま失業中にもかかわらず、私の卯月はこんなに穏やかでいいのでしょうか?
昨日は、日本晴れだというので、布団を干し、多分、大好きな掃除をしたらやっぱり埃が拭われてすっきりしました。
すると、なんだか明日が楽しみになってきました。
「天気予報では明日も日本全国快晴!やっぱり花見にいこう!」

午後1時。
出かける前にピーナツバターを塗ったトーストを食べて、ぽかぽか陽気の戸外へ電動自転車を走らせること数分後。

平安時代から貴族に愛でられてきたという桜の名所へ着きました。
きっと、私だけではないだろう平日真昼の花見見物人。
なんと先んじて、大勢の市民の方々が車座になり、6分咲きの桜の下で宴会を楽しんでいたのでした。
しかし、集団の特性をじっくり眺めてみると、
主婦グループ、ヤンママグループ、女子中学生グループ、引退シニア男性グループ、パパ抜き3世代家族など、
やっぱり働き盛りの男性は除外されていました。

各々盛り上がっているグループを横目に、桜並木を奥へ奥へと進むと、雰囲気はひっそりと一変し、鎮守の神社の鳥居の前に来ました。
2月の半ばに訪れて以来、今年は2回目です。
境内に続く石段の前で、登ろうか、引き返そうかとしばし、迷いました。
くるりと振り返ると、前回、見過ごしていたご神木に目が留まりました。
「親子杉」です。

太い幹に支えられ、上方に3本に分かれた幹がまっすぐ天に向かって伸びています。
立札には、「家内安全・円満・安産の御神木」と書いてありました。
私にとっては幼い頃よりの何よりの願い。
思わずこの杉に手を合わせ、拝みました。

そして、さっきまでためらっていた境内への階段を上り始めました。
「♪一日一歩、三日で三歩。」
足を交互に踏み出すだけでも、前進しているには違いない。
我ながらポジだなと思う。

2度目の階上までの参拝は、思ったよりも早く着きました。
「こんにちは。」
展望を先に楽しんでいたシニアの男女4名と会話しました。
「今日の見晴らしはどうですか?」
「あなた、前にもここへ来たことあるの?」
「2月に来ました。その時は、まだ雪が積もっていて曇ってました。」
「そう。ここへはよく来るの?」
「いえ、今日で3回目です。近所に住んでますけど、住民になってもうすぐ1年です。」
「そうなの。」
「どちらからですか?」
「N市よ。」
「見晴らしが良ければ、大阪市から万博、京都まで見えることもあるそうですよ。」
「そう。今日はどうかしらね。」
「今日は春霞だな。」
「春霞?」
「ああ、温かい陽気だと反って霞んで見晴らしは良くないんだ。1月から3月の晴天が一番眺めがいいんだよ。」
「そうですか。展望するなら冬がいいんですね。」
「うん。」
「ありがとうございます。それじゃ、ちょっとお参りしてきます。」

なんていう偶然の出会いとちょっとした会話は人畜無害。
後腐れなくていいな。

再び元来た桜の並木道を戻り、小学生の男の子たちが小川のザリガニに夢中な傍で、
立て看板の案内をメモしました。
平安貴族の和歌を一句。
「またや見ん K野の御野のさくら狩 花の雪散る春のあけぼの」(新古今和歌集 藤原俊成)

気分はすっかりおじゃる◎になりました。


2011/04/05 (Tue) みんなへ、自分へ、Good luck!
2月ニゲル、3月サル。
4月1日から専業主婦になり、5日目が終わりました。
つまり、3月31日をもって支援員の仕事は契約満了につき、退職しました。
ハローワークの求人の通り、6か月余りの臨時雇用でした。

3月の最終週の休日には、3度目のはまーさん夫妻をお迎えしました。
無報酬の家族サービスは、有償の仕事ほどではないけど、やはり嫁行専科の妻に押し付けられます。
「休み明けなのに、お疲れみたいですね。」
「嫁行はしんどくてもお金になりません・・・」
4名分の朝食を作ってヘロヘロで出勤したら、すれちがい様にI次長につい本音でぼやいてしまった。
それも、無事に終わって契約当初から書けずに溜まっていた記録も仕事もきっちり終えてサルつもりでした。

3月末日には、まるで年末年始のように次々とさまざまな課の方たちが送別の挨拶に来られていました。
勤続○○年という立派な経歴の役職の方々が、退職辞令を受けて今年は、例年以上の人事大異動があった模様。
具体的には、局長も次長もポストが変わったとか、はたまた、重職を任されていた正職員が2名退職するとか。
あとは、ファイルの整理整頓と、終業1時間前には机や身辺整理・整頓をしました。
なんでも、この事業所では年1回3月末日に席替えをするそうで、私の席には4月1日から専門員さんが座ることになりました。
終始一貫厳しい熱血指導だったI専門員。
「隣に移るだけですから、あとは私がやっておきます。不要なものと個人情報だけは処分してください。」
そして、こう付け加え、送別の品を手渡されました。
「これは、私からです。私が勝手にしたことですから。」
「・・・ありがとうございます。最後までご迷惑とご心痛かけました。」
「私は、地下室へ行きます。それじゃ。」

言われた通り最後に、メモの走り書きやら去年のスケジュールカレンダーなど、すべてをシュレッダーにかけて破棄しました。
「こんなにメモっても、最後はみんなゴミになってなくなっちゃうんだな・・・」

さて、アルバイト臨時雇用者の私にも、いよいよ別れの時がやってきました。
午後4時過ぎ。
I次長に手招きを受けて事務所の前方に立つと、席替えを始めていた全職員がその手を止めて私に注目しました。
「なんだか夢のように過ぎ去っていった日々でした。もっともニーズの高いお仕事で大変ですから、どうか、皆さんまずは、お体には気をつけてご自愛ください。ありがとうございました。」
これまでの送別では、もっともゴージャズな花束を受け取りました。
「ゆきんこさんも、腰を大事にね。」
元々は保健師のI次長から優しいことばをかけていただきました。

3階事務所の入り口まで、I次長と直属上司にあたるTさん、Yさんの3名が恭しく送り出してくださいました。
「どうか、体には気を付けてね。」
「はい、みなさんも。この1年はK市の住民になり、どっぷりとK市に染まった1年でした。これからは一市民としてよろしくお願いします。」
一礼して、雑然と席替えをする事務所を後にしました。

翌4月1日。エイプリルフール。
それは、私の異名かもしれません。
思いっきり朝寝坊してから、午後1時過ぎにボランティアセンターへ顔を出しました。

「すみません。取りに来ました・・・」
31日。最後に挨拶したのは、同施設内ボランティアセンターの職員。
そこで、ベラベラと油を売って、災害ボランティアの登録手続きを済ませて帰宅したのはよかったのですが、
クリーニングに出すはずの制服の入った紙袋を置き忘れてしまい、翌日の午後、再訪したというわけです。
といっても、ボランティア登録したのですから、再就職が決まるまで、しばしば不定期に出没することになりそうです。

週明けの昨日4日も、午後から早速ボランティアにでかけ、事務所にも制服を返却しました。
すると、元上司のTさんと、I専門員から呼び出しが。
「ゆきんこさんの退職後、ファイルを整理しました。昨年の記録が未提出のままですが、メモなど残されていませんか?」
「すみません。Iさんから個人情報はすべて処分するようにとのことだったので、一切残していません。すべてシュレッダーに・・・」
「もう随分過去のことで、きっと記憶されていませんよね。」
「はい・・・申し訳ありません・・・」
「わかりました。何とか残った資料で埋め合わせましょう。」
Iさんが、PCを立ち上げた。
「あの、Iさん、最後の最後まで尻拭いさせましてすみません。これは私の気持ちというか、お返しです。」
「そうですか。お元気で。」
「Iさんも、お体に気をつけて」

一応、こんな風に送別したのですが、また明後日、離職票を取りに行くことになっています。
施設の玄関口で保健師のSさんに会いました。
事業内容は異なりますが、職員の殆どが要請を受けた利用者の方々をこまめに訪問するため、4月になってもいつものご挨拶。
「お帰りなさい。」
「あら、ゆきんこさん。」
「お世話になりました。」
「ぎっくり腰、お大事にしてくださいね。」
「ありがとうございます。Sさんも子育てとの両立、がんばってくださいね。それじゃ、また送別会で。」
「ああ、来週また会えますね。」
「はい。お疲れ様でした。」

そういうわけで、退職直後の会話はこんな感じでした。
花束には、「ゆきんこさんへ Good luck!」
と誰かが、メッセージを添えてくれました。
今、私がもらったことばを、みんなへバトンタッチしたいです。


プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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