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2015/05/04 (Mon) ありがとう、さようなら(こころの断捨離)
5月は新緑の季節。楽しいGWの到来です。
でも、私の心は、少しわだかまっています。
「死んでからじゃ、もう会えないのだ」という思いです。
今年は、戦後70年という節目の年だからでしょうか?

しかし、23年前に来訪した父の郷里、
つまり、父方の祖父母への思いは、その時以来、ようやく心の断捨離ができたように思います。

5月2日~3日の一泊2日で、老齢の父に付き添い、お墓参りの旅に出かけました。
既に要介護2の独居老人になった父が郷里に戻るのは、40年ぶりのこと。
40年前には、小学校2年生になったばかりの私も祖父の葬儀に参列しました。
それから、母の勧めで、祖母の病院に見舞いに行ったのが、24歳の時でした。

事の発端は、一昨年の師走、父の姉が亡くなり、従兄が訃報を知らせてくれたおかげです。
3年ほど前から、父が私に郷里に連れて帰ってほしいとせがんでいたのですが、なかなか条件が調いませんでした。

今回は、私にとっても3回目の父方の親族との再会でした。
高速道路を一直線で、父の生家には予定通りに着いたのですが、
門構えや家の様子が変わっていて、父も私も戸惑いました。
従姉のMさんが玄関先に現れ、「叔父さんですか?」と確認できました。
既に、4月の下旬には祖父と伯父の法要は済ませたとのこと。

「僕の家なんだから、泊めてもらえばいいじゃないか」
と空気読めない暢気な父。
世代交代した従姉に迷惑をかけたくなく、
たったの3回しか会っていない父の実家の親族とは隔たり大きく、
事前予約で少し離れた場所に宿をとりました。

若おかみさんが親切に、リクエストに応じて下さり、
足腰の弱った父に椅子や、毛布を運んだり、
また、食事のメニューや観光のコツなども教えてくださいました。
「こちらは、マンダイという魚で、当地では今が旬です」
「立山ポークというブランドの豚肉です」
と宣伝していただいたメインディッシュがとっても美味しく、
採れたてのふきのとうなどの山菜てんぷらに舌鼓を打ちました。
私は単純なところもあって、美味しい食事をいただくと幸せになります。
温泉も前評判通り、炭酸泉で肌がつるつるすべすべになりました。
出立の時にも、若女将さんが写真を撮ってくれて、
家業を手伝う小学生のお子さんたちも挨拶をしてくれました。
ツイッターにコメントしてもよさそうですが、
小心者ですから、ここに付記しておきます。

出発前夜から翌日にかけて、いよいよ従姉と叔母に再会すると思うと、
早めに就寝したものの、その夜は頭の中で会話シュミレーションが駆け巡り、 
緊張気味で少しは眠れただろうかという感じでした。

おかしなもので、血族ではあるものの、父方の一族は私には敷居の高い人々でした。
「遠くの親戚より近くの他人」をそのまま地で生きてきた私です。
そのため、跡取りである一人娘に生まれた従姉のMさんには、
独身時代から同じ姓で長い年月生きてきたはずなのに、
私には冷血な一族のイメージしかありませんでした。

3日の午前10時過ぎ。
Mさんは、準備万端整えて、私たちを接待してくれました。
しかし、父は生家の憂い、悩みの種であったことが会話から実証されたので、
「仔細はお話しするまでもなく、独身時代の素行の延長ですね」と
私から、父の報告をするのはダイジェストにせざるを得ませんでした。

お経をあげて、お祖父様と伯父様の掛け軸と、先祖代々の系図も見せてくださいました。
歴代のお墓の前で焼香もさせてもらいました。
父の妹のTさんが、父の諸々のエピソードを語って下さり、
「私、貴方の妹ですよ!」
「ゆきんこちゃんが、娘でよかったわ。あなたは、(伯母の)Mさんに似ているわね」
「この人、本当ならもっといい人生送れたはずなのよ。。。でも、親に逆らってばかりでしたもの」
とつぶやいてくれました。
奇遇なのか、血筋なのか、叔母のTさんは嫁いでから、保育所経営を続けてきたと語ってくれました。
「私も結婚は遅かったのですが、保育士として自閉症のお子さんたちの支援を15年ほどしてきました。」
「そうだったの?話が合いそうね。」

また従姉のMさんも、祖父母や父の古いアルバムと
敷地内を一巡し、ご先祖様の骨壺も見せてくださいました。
「叔父さんのこと、私なりに気にしていました」
「父が生前、憎らしいけどどうしても気になる弟と言っていました。」
「もうこれで最後でしょうから、どうぞ持って帰ってください。」
とありったけの御みやげ物を数々渡してくださいました。

祖父の葬儀以来、40年間『行方不明者』扱いだった父。
仕方ありません。自分からは一切連絡もせず、今回の墓参りだって、
自分の好き勝手に「故郷が恋しくなったから連れて帰ってくれ」という
要望に、応えなければお祖母さまにすまないからです。

生まれてこの方、好き勝手放題、迷惑かけ放題の80年。
それも、平和で医療福祉の充実した日本の高齢化社会の恩恵が大きいです。
断絶した全くかかわりのなかった親族ですが、
父と衣食を共にした者同士。
胸の内はどうやら同じだったとわかりました。
そうでなければ、この墓参りは実現しなかったと思います。
物理的には、足腰の悪い父を電車を乗り継いで連れてくることは到底不可能だったので、
昨年、マイカーを所有できたことが大きく功を奏しました。

はじめての一人旅で、祖母を訪ねて、それから3年後の平成7年
94歳の長寿を全うしたとMさんが告げてくださいました。
お祖母様はなぜか、孫娘の私を放蕩息子が帰ってきたと思い込んでおられたそうです。
口にはせずとも、帰ってこないどうしようもない息子が心配でたまらなかっただろうとも
話しました。

その時点で、もうお目にかかることも、この地を再訪することもないと
思ってきたので、私としても父を連れ帰ることができ、改めて感無量です。
今回もその思いを新たに、郷里の古いお寺を後にしました。

父は体調を崩すことなく、上機嫌でした。
子どもの頃から、父の顔色ばかり見てきた私。
そして、学問好きの祖母の心を想像するに、背後霊は祖母じゃないかと思いながら、大学院まで精進し生きてきました。
祖母と父、2世代分の親孝行ができてほっとしています。
連休明けには、何かいいことありそうな気がします。

もしも、幼い頃、若い頃に生き別れたままの懐かしい人がいたら、再会の機会がいつか訪れますようにと
祈りましょう。
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プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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