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過渡期ってこんな感じ?

思い立って、ブログを始めて早5ヶ月目。
日中は、テレビみながらブログ書いているのが日常のお楽しみになって
きた今日この頃だけど、
思いかけずにその日常がふとした瞬間に変化してしまうことがある。

1月5日新年早々のハローワークで出会った一人の女性。
彼女の度重ねての勧誘コールと、引きずられるように飛び込んだ未知の世界。

「はんこ持って、あさって来て下さいね。」
元保育士だった所長がさりげなく言った。
全ての年齢不詳の女性スタッフが、一同に笑顔を満面にたたえ、
「ありがとうございます。」を連呼した。

あまりの歓迎振りにこっちがたじろいでしまうほどだ。

業界も、扱う対象もまるで違うのだが、似て非なるものを直感した。

午前11時。自転車で20分ほどで、再びの営業所前に到着した。
自転車を停めていると、向かいからバイクに乗ったBさんが声をかけてくれた。
「ゆきんこさん。来てくれてありがとうございます!」

今年出逢ったばかりの、まだ3回しか会ったことのない彼女から一体、
何回そのことばを聞いただろう。

私は飢えていたし、疲れきっていた。
すっかり、羨望のI先生の門下に入れないという遮断化によって
2年間灯してきた希望の火を消去したのだ。

そこに、未知の七福神たちが現れて、お弁当も、交通費も出してくれ、研修までしてくれるし、凹んだときにはお互いに励ましあっていこうとまで言ってくれる。

保育士の世界でそんなご褒美をもらったことは一度もなかった。

持参したのは、はんこだけ。
書類の説明をひととおりした上で、私は必要書類に署名捺印をした。
一応、インフォームド・コンセント成立だ。
なんだか、まやかしの笑顔だったら…と猜疑心は顔を出す。

「ここには、1年後、なんてわからないんだけど、目的意識持っている
方がこの仕事いいんですよ。」
「そうですか。あ、ありました!」
ハリーポッターの原著を完読する。

本当は、修士論文の作成と書きたいところだったが、
大学院に在学中であることは、まだ伏せていた。
もちろん、社会に出た年数の長さからいっても、
学生である前に、失業者である意識が頭から抜けることはない。

そうだ。私の最大の目的は、ABAで論文を書くことだ。
I先生に習いたい。今もその気持ちにブレはない。

でも、辛かった。悲しかった。我慢しても何もいいことはなく、
罰ばっかりだった。
そして、先生の姿を目にする度、障害児・者を支える第1人者としての
責任の重さや笑い飛ばせない憂いを背中にずっしり背負っているんだなと思うと切なくなる。

反射的に逃げ出している私って、一体何なんだろう!?
多くの起業主と言うのは、否応なくそうした立場を負っている点では、
どんな職種や業種でも同じだけど、少し気分転換したかったのもある。

寄り道人生でも、「心は傍にいる」
それで、いいのかなって。

田んぼ道をすり抜けていく、満員電車の中でモガイていなくてもいいのも、寂れても細々営業している商店街の雰囲気も気に入っていた。

「あら、私と同じ高校なのね?」
「先輩ですか?」
「それに、英語もペラペラ?」
「いえ、もうそんなに話せません。」
「うちの子の家庭教師になってもらいたいわ。」
「その方がいいかも。」
「何か質問はありますか?」
「保育士からこのお仕事に転換されるとき、悩んだりしたことや、
感じたことを教えてください。」
「初めは勧誘されて、抵抗があったのよ。いろんなお客さんが
いるから、対応も大変。自分で試して、工夫して、それが成果に
つながることの手応えを感じていけるのが楽しいと思ったの。
種まきして、刈り取ってっていうお百姓さん的なところもあるしね。」
「そうですか。私、最近、農業にもうすうす関心があったんです。
 刈り取るって?」
「いきなり商品を売りつけずに、パンフレット配布から始めるのが
種まきね。顧客を掴んで契約に取り付けるのが、刈り取りよ。」
「それにしても、随分な歓迎振りですけど、誰にでもこんな感じですか?それとも、ある程度、人物観察もしているのでは?」
「もちろんです。どっちにしても、ちょうど人材は欲しいところなのよ。うちの営業所は本当にみんな優しくて明るいの。私のカラーかな。」
「所長さん、元保母さんですものね。しかも出身高校も同じだなんて。」
「ご縁があったのね。本当に嬉しいわ。お昼を一緒にいかが?」

こんなありふれたところに転がっていたおいしい話に裏はないんだろうか。喰らいついて毒でも入ってやしないんだろうか?
どう思う?
今まで苛め抜かれていた犬が、優しい飼い主に変ったからって、
ウウウウ~と唸って警戒しているのにも、近い心境だ。

しかし、私は大学院では別の、いやありのままの顔だった。

昨晩のABAの講義。

飛び入りゼミのF先生が起こしになるまで、4階の図書室で調べもの。

調べた文献は、心理学と特殊教育が専門でありながら、今頃手に触れた、幻のDSM-Ⅳ(アメリカ精神医学会診断マニュアル第4版)だった。

緘黙に関する記述は、各ブログの当事者のみなさんが、紹介しているので、説明するまでもないのだが、自分の目でこの診断マニュアルには
どのように記載されているのか、確認しておきたかった。
大学院というところは、誰も教えてくれない。
わからないことは自分で調べて、突き進んでいく。これが、ユルクナイ。
教員の皆さん方にはそれぞれの自分のフィールドがあり、緘黙に
ついて関心を持っている人などいない。
大方の対象は、時代の申し子的な発達障害児・者にスポットが当てられている。

さて、Sちゃんの誕生日プレゼントにもらったミッキーのメモに
書き込んだので転機してみよう。

選択性緘黙

鑑別診断
音韻障碍・表出性言語・または、受容表出混合性音声言語・吃音症など
コミュニケーション障碍によってうまく説明できる会話の障碍とは区別しなければならない。
選択性緘黙とは違って、これらの障碍における会話障碍は、
特定の社会状況に限定されない母国語と違う言語を国へ移民した
家族の子どもは、その言語の知識の欠陥のために、新しい言語を
話すことを拒絶することがある。
新しい言語の理解が不十分であるか、会話の拒否か、選択性緘黙の診断が妥当であるかもしれない。
新しい言語の理解が十分であるが、会話の内容が持続する場合には、
妥当であるかもしれない。
広汎性発達障碍、精神分裂病、他の精神性障害または、重度精神遅滞を
持つものは、対人的コミュニケーションに問題があって、社会的状況で、うまく話せないことがある。
それとは対照的に、ある社会的状況で(例:典型的には家で)話す能力が確立された子どものみに、選択性緘黙の診断を下すべきである。
社会恐怖でみられる社会不安および回避に選択性緘黙
が合併することがある。そのような症例では両方の診断が下される。

関連する特徴には、過度にはずかしがること、対人的なはずかしさを
感じることへの恐怖、社会的孤立とひきこもり、まとわりつくこと、
強迫的傾向、拒絶症、かんしゃく、支配的または反抗的行動が特に
家庭内で認められる。
社会的または職業上の機能に重篤な障碍(例:音韻障碍・表出性言語障碍・または受容-表出混合性言語障害)や発音の異常をきたすような
一般身体がこの疾患に合併することがある。
加えて、臨床場面では、選択性緘黙を持つ子どもは、殆ど常に不安障碍
(社会恐怖)の追加診断をうける。

診断基準
A 他の状況で話すことができるにもかかわらず、特定の社会状況
 (話すことが期待される状況 例:学校)では、一貫して話すことが
 できない。
B この障碍が学業上、職業上の成績、または対人的コミュニケーション
 を妨害している。
C この障碍の持続期間は、少なくとも1ヶ月
 (学校での最初の1ヶ月に限定されない)
D 話すことができないことは、その社会状況下で要求される話しことば の楽しさや知識がないことによるものではない。
E この障碍は、コミュニケーション障碍(例:吃音症)では、うまく
 説明されないし、また広汎性発達障碍・精神分裂病・または他の精神
 病理障碍の経過中にのみ、起こるものではない。

メモを取っている最中に、F先生がお出ましになり、わざわざ図書室の
引き戸を開けて誘って下さった。

メモを取り合えて、小さな講義室に入ると、M2のN先生と修士論文の口頭試問の最終確認を行なっていた。
はっきり言って、大学教官というのは、ユルクナイ。
試問では、重箱の隅をつっつくような質問が飛び出す。
例えば、○○療法の分派の△△療法は、類似点と相似点はどうなるのか?を説得力を持って答えなければならない。
コミュニケーション能力の最高位をその瞬間に発揮しなければならない。

ここで、名曲の小箱
ラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」
悲しさと愛らしさがしっとりと調和したピアノ曲だ。

「さて、次はどうするのかな?」
N先生の文章推敲は、30分ほどで終わったので、時間が少し余った。
「お菓子はいかがですか?」
私は、「不二家のカントリーマアム」を鞄から取り出してF先生に
差し出した。

学校へ出かける時間が迫ってきた。

「MAAMという単語のスペルはおかしいな。」
どんな些細なことにもチャチャを入れるのがABAの師匠たちの
良くも悪くも特徴なのかも。
それから、話の展開で、障害児の家族に近親相姦のよくありがちなこと
で話が盛り上がっていった。
「とにかく問題が浮上した場合に、それは家族の怨念だとかなんとか
脳ミソのなかに原因をもっていくのが、大半の心理屋の解釈だが、
そうしているうちは、ABAの観点がなかなかつきにくい。
万物の現象がABAで解釈できるようになるには、修練が必要だ。」

その意味では、占い好きな私は、まだまだど素人で、
早くも足を洗おうとしている軟弱モノかもしれない。
けれども、心のどこかでは、I先生の教えを守り通したいと誓いたかった。

もしも、私が好転したことが、その成果が論文で証明できなくても、
いろんな恩恵が目に見えて現れていなくても、
ささやかな目標に向かって一歩でも、足を踏み出せば、
それが千里の道の始まりだと、教えて下さったことを忘れてはいなかった。

さあ、そろそろ出かけよう!
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