日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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社会性スキルトレーニング
2006年01月19日 (木) | 編集 |
昨夜の大学院の講義は、気分的に無味乾燥に終わった。

社会心理学者のY先生が、今日的幼児課題の研究論文をテーマに
コメントを聴講者に書かせ、それをベースに解説、総括するというもの。
昨晩は、第3回目で幼児期からの社会性スキルトレーニングの実践研究だ。

公認された学会誌に発表されていないこの論文は、説明不足も多々あり、論文としてはお粗末な出来栄えだと冒頭Y先生が述べた。

社会性スキルトレーニングとは、文字通りなのだが、対人関係を円滑にするための技能を学習によって高めるトレーニングだ。
初歩的なところでは、朝昼晩のご挨拶。
「おはよう」「こんにちは。」「こんばんは。」「さようなら」
「ごめんね。」「ありがとう。」
これらの基本的なことばかけが、状況に応じてできなくなっているから
幼稚園からわざわざ丁寧にトレーニングをしようじゃないかという目的だ。
私が最も大嫌いな面接トレーニングなどもその極みに入るといえよう。

確かに、大人になっても基本的な挨拶さえも、緘黙のために言語障害の権威に全くできずに誤解されたまま卒業してしまった。
その屈辱ゆえに、厭味な履歴書をもって、うろうろしては不採用に
なり続けてきた。

先生といっても、いろんな先生がいて、私が所属しているのは
幼年教育コースのため、幼稚園の先生、とりわけ園長、主任クラスの
管理職がマジョリティ。
他にもスクールカウンセラーを目指す若い女学生や、高校の生徒指導
の中堅の教師など肩書きや対象とする児童・生徒もバラバラだ。
その中で、肩書きも仕事もないプー太郎は私だけ。

それなのに、また余計な口出しコメントをして嫌がられてしまった。
「幼稚園の先生方には、この論文のカリキュラムは、読むに耐えない
お粗末なものだ。とか、形だけの挨拶を強要するような指導のねらいは
間違っていて、研究内容に納得いかないとのご意見が多いようですが、
確かに、この写真は無理に挨拶させているみたいで、印象が悪いですよね。
私は、少しABAを自分で試してきた経緯もあって、こうした課題は、
先生たちが気づかないうちに自然な形で実践しておられると思います。
そうしたものの見方や、心理学的な理論背景に則して、幼児教育のどんな場面で行なわれているかに視点を当てて下さればと思います。」

講義が終わって、生徒指導担当のE先生が私の机の前を無言で通過した。
隣の席の20代の女性に笑顔で「お疲れ様でした。」と挨拶したのに、
彼女に睨み返された。彼女は他の学生と話しても、わたしと話したことは、一度もない。

どうなってんの?教員大学院生のソシャルスキル。

6階に移動して今度は、ゼミの時間。
今回は、ざっくばらんな雑談に終始した。
「その『発達』(発達心理学の専門誌のタイトル)って役に立つよね。」
「いえ、全然。これは研究テーマのヒントになるかと思って、
去年の忘年会の前に慌ててコピーをとっていた原本です。
今日はそのコピーの方を忘れてしまって…」
「どこを取ったの?」
「ここです。キーポンというおもちゃを使った乳幼児のコミュニケーション指導の報告書です。」

と、ページを捲ろうとしたが、なぜかY先生は突っ込まずに話題を変えた。
論文のコメントをしながら、学習理論を抜きにした幼児教育なんて
有り得ないのであって、保育者がそれを自覚していることは少ないだけなのだ。

Tさんの幼稚園では恒例の発表会の練習が始まって、振り付けや台詞の
ひとつひとつまで、みっちりと先生が教え込んでいるらしい。
その形重視の表面的な保育にTさん自身が懸念を持ち続けてきた。
「発表会もシェイピング(標的となる行動様式を形成すること)だよね。」
「ああ、シェイピングねえ。」
「あれは、子どもたちに何かの意義はあるのかしら?
個人的には、自分の幼児期も保育者としても運動会や発表会の類の
イベントが大嫌いなんだ、私。でも、保護者の前で堂々と披露することが子どもの成長の証でもあり、親がその姿に感極まる瞬間でもありますよね。」
「ごてごての衣装を作らなくちゃいけなかったり、保育者にとっては、
練習したり、道具を作って発表会に漕ぎ着けるまでのプロセスが
相当なプレッシャーなんだろうが、やっぱり古典的なこの行事は、
いくら手間がかかっても、教育的意義は大きいから続いていくだろう。」

でも、私は同業者フォビアから脱してなくて、またブツブツと
Y先生やT先生の前でぼやいた。
「私、転職しようと思っています。現場がないのに失業中のままで
幼年教育の大学院にいるのも、矛盾を感じていますし、もう同業者に信頼が置けないんです。ずっとやめた方がいいって言われ続けていたし、
私も向いていなかったかもしれないと思うんです。
オルガンも弾けないし、こんなところまできたらもう正職員では
雇ってもらえません。」
「そんなふうに悪くばかりとるのは、あなた自身のソシャルスキルにも
問題があるのかもしれないよ。」

それは自分でも自覚してるけど、研究者や教育者の世界だって、ある意味では偏狭じゃないか?
それに、今夜、開催されているM市の障害児教育研究会も名ばかりの
会員で、今月も不参加。もう1年もご無沙汰している。

幼児教育コースに在籍していること、Y先生のゼミに入ったことも雑談をしていること、障害児教育研究会に参加できないこと、何もかもが
私の人生の目的から逸れていた。

諸々の不可抗力を突っぱねてまで、自分の人生の目的は、発達障碍の方々に献身することなのだと、自分の心に誓いきれなかった。
ああ、優柔不断だな。


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2006/01/19 21:00 | 大学院 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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