ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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今日は節分。何もなければ、節分の行事で名高い成田山不動尊でも
行こうと思っていた。

社会性やや低めと称されている私でも、今日の特別な1日に限っては、
年の初めの抱負であるその特別の場所で「笑う門には福来る」というわけにいかなかった。
それも、「福は内」の今日、2月3日なのに…

昨夜から用意していた黒いスーツ、黒いズボン、黒いコートを身につけて黒いカバンを肩にかけた。
9時ごろに自宅を出て、向かったのは電車を乗り継いでT市役所前の葬儀
会館の2階。

10時30分母方の親族が揃った席に着席した。

母の父、祖父の葬儀まで、毎新年を祖父を囲んでいた親族は、
20年前には、21人だった。21人中15歳未満の子ども(曾孫)は
5人だった。
その5人も20代半ばの団塊ジュニア世代になり、
今回、2月1日に従姉のKさんが亡くなって、数えたところ、座席に座っていたのは、11人。
子どもは、私より3歳年上の従姉の子どもが2人、団塊ジュニアの5人の
うち、1人ができちゃった婚で1人の合計3人と母方の親族だけでも
少子高齢化がはっきりと進んでいることは明白だ。

私の座る席は、葬儀の度にじわじわと前進していた。
私の座る席には、バギーの中ですやすやと眠る2歳になって間もない
坊やがいた。

「ゆきちゃん、こっちに座って。」
「いいよ。起こすといけないから。」

更に、今回従姉のKさんを看取ったS家に関しては、慰めようのことばもなかった。なぜならS家の人々に会う時は、必ず喪服姿であり、
それが、近ごろ2年に1回という頻度になっていた。
一方、結婚式は、この従姉が結婚した12年来一度も無い。

S家は、母の姉が嫁家で、従姉のKさんは跡取りの1人娘だった。
伯母が4年前の5月に他界した葬儀の時から、既に慢性疾患の持病を
患っていたのと、母を亡くしたことで、心労が積もっていた。
なかなか結婚しない姪たちに
「あんたたち、伯母ちゃんが元気なうちに結婚してくれへんのやから」
と言い残して亡くなった。

従姉のKさんに最後に会ったのは、2004年の1月中旬だった。
この坊やが生まれて実家に帰ってきたのを祝って、叔母の家に集まっていたのだが、血相を変えてタクシーを跳ばしてやってきたのだ。

「みんなでKくんが生まれて幸せいっぱいなのに…」
Kさんの余りにも悲しい知らせに、生まれたばかりの赤ちゃんを囲んで、
全員、涙さえでなかった。この時の出来事も、親族にとっては
衝撃的過ぎた。

度重ねての肉親の死に、Kさん自身も次第に生きる気力を失って
いったことは、想像に難くなく、喪主でパートナーのYさんが、
かかわりたくない素振りをしていることも、一目瞭然だった。

午前10時
告別式場に僧侶の念仏が響き渡り始めた頃、坊やは目を覚ました。
ママの膝にちょこんと座って、大人しくしていたが、
もぞもぞと動き始めた。
生まれて初めての葬儀の参列に、ママの膝から身を乗り出して、
前列の椅子の背もたれに両手をかけて覗き込んだ。
クリクリと円らな瞳のその眼差しは、
頭から光沢のある頭巾を被った僧侶の衣装に注がれていた。

そのうち、ママの数珠に興味を示して房の部分をコチョコチョと
触って暇つぶしを始めた。

親族から順に名前が呼ばれ、参列者が焼香する姿を、坊やなりに
よく観察していた。
最後に参列者が、元の席に戻って再び、僧侶の念仏が響き渡るころ、
坊やは、数珠を持ち、両手を合わせて、お辞儀を繰り返した。

不謹慎ながら、こんな日常茶飯事の
情景の中にも、小さな坊やのオペラントなモデリングを発見して、笑いを必死にこらえた。

可哀想なのは、向かいの最前列に座っている若く美しい娘に成長した
24歳のAさんだ。
一体、今までどれだけ涙を流したのだろう。
私より彼女の方がずっとたくさん泣いたかもしれない。
兄のTくんが優しく彼女に寄り添っていた。

棺を開けて最後のお別れに花を添えた。
Kさんの顔を見て、誰もが泣かずにはいられなかった。
「お姉ちゃん、早いよ!」

バスで火葬場に移動し、再び棺に向かって合掌すると、 
今度は親族や地縁の方々との懇親の食事会を行なった。
70歳代でもこの頃は早いのに、Kさんはまだ57歳だった。
伯母の葬儀は、同じ親族メンバーでも賑やかに故人の話もできたが、
今回は、あまりにもしんみりしてみんな黙黙と食事をしていた。
いつもは饒舌なYさんも、何となく口数は少なめだった。

こんなグレーなとき、初老の集団の中にあって何も知らない幼子は、何よりの癒し効果をもたらす。
私は、ラッキーにも、誕生以来、ご無沙汰だった坊やの横に座った。

「Hちゃんは幼稚園?」
「うん。」
「聞いたよ。英語ペラペラなんだって?」
「いやいやそんな」
「でも、母の話では、Kちゃんは2歳当時、『耳なし法一』の話を
暗記して話せたって。」
「へえ。」
「Kくんは、トモダチもういるのかな?」
「Hの幼稚園のともだちのきょうだいがともだちかな。」

坊やは、仕出し弁当の中に、面白いものを見つけてイマジネーションを広げていた。
しょうゆ指しをゆらゆらしながら
「おさかな~」
「おさかなだね。」
「エビ、エビ!」
「エビ好きなんだ。」
「かいじゅう」
「かいじゅうみたい。えびかいじゅうガオ~!」

好きなものだけ、ママに食べさせてもらうと、膝から離れて
今度はトーマスのリュックサックから絵本を取り出した。
指差ししながら繰り返し叙述してくれる。
「しょうぼうしゃ」
「きゅうきゅうしゃ」
「ぱとかー」
「うわ、たか~い」
「あっ、かじです!」
「あぶない」
「ぱとかー」とヘリコプターを挿した。
「へりこぷたー」

坊ちゃんは、2歳になって間もない。語彙はこれからどんどん
増えていくかわいい盛りだ。
時々、咳をするのでトントンと背中を叩いて
「だいじょうぶ?」と聞いてあげると、もうすっかりなかよしになった。
坊やはみんなにやさしい。すっかり耳の遠くなったおじいちゃんにもやさしい。
「バイバイ」
「バイバイ」
おじいちゃんと坊やは笑顔で手を振った。

「また、(坊やを)貸して」
「いいよ」
明らかに社交辞令だったけど、従姉は苦笑いで承諾した。

従姉と坊やをエレベーターの前まで見送って、戻ってくると
Kさんの長男のTくんは、ぽつりと部屋の隅でぼんやり足を伸ばして座っていた。

再び、火葬場にバスで向かうと棺の中のKさんは白い骨だけになっていた。Kさんと同世代の名前のわからない親戚の女性と並んで呟いた。
「お姉ちゃんと年が近いんですね。私、なんだか思い出しちゃいました。結婚式のこと。」

Kさん夫妻は、憧れの若夫婦だった。
うちの両親の離婚と入れ違いに、招待客500人という相当豪華な派手派手婚だった。花嫁のお姉さんのフィナーレの花束贈呈で、従妹のMさんにジャンケンで負けて、私は花婿のYさんに赤い花束をプレゼントしなくてはならなかった。伯母のお手製のドレスを着て初めての参加した結婚式だった。

歳の離れた団塊のKさんファミリーの歴史は、私の人生と冠婚葬祭の度にリンクしている上に、2000年以来、度重ねての葬儀続きでは、本当にどんなことばをかけたらいいのか、そのソシャルスキルが全くなかった。

1人娘のAさんの風貌は、白無垢の新婦だったころのKさんそっくりで、
母が間違って「Kさん」と何度も声をかけそうになっていた。
「ダメよ。禁句だってば。」

骨壷のなかのKさんと遺影に再び親族が合掌して、4時過ぎに告別式の
全てが終了した。
偶然、最後に退室して、誰もいなくなった控え室を振り返ったら、
まだ十分に若いKさんの遺影が、何となく寂しかった。
「寂しそうだね。」

帰りの電車の中で考えた。
ひとり、またひとりと減っていく嘗ては4世代同居の大家族だったS家のメンバーを離れたところから見守るしかない親戚の1人に過ぎなくて、何も言えない。
こんなときは、どんなに饒舌な社交家でも、気持ちさえことばにできない。

ホリエモンはお金で人のココロも買えると言ってたけど、
それでは、心の方がお金よりも価値がないというようにも聞こえる。
かけがえのない家族や愛する人はやっぱりお金でもクレジットでも
買えないし、クーリングオフとか交換もできない。

お金より、人の方が軽くなってしまって、大事な人を大事にしていなかったことに、病気や死んでしまってから気づいても、どうしようもない
後悔や無念さだけが惨たらしく残っている。

無くなったお金やモノは命があれば、取り戻せるチャンスがある。
でも、たった一つの命は、もうお金でも何をしても、どんなに償っても
帰ってこない。


2歳の坊やには、今日のことなんてまだ記憶に残らないだろう。
そして、「寂しい」という感情の分化もいつかは、しみじみと感じる日が来るだろう。


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