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2024 / 03
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グアムでの暫しの日本からの逃避行が済んだら、過酷な日本の日常に
引き戻される。

この3連休は家の中で逃避行を決めた。

土曜日の午後1時。NHK大河ドラマ「功名が辻」の再放送を横目に
母が『王子さまを40歳まで待ってみた single40's』(催馬楽つゆ子さいばらつゆこ著 2004年2月25日第1刷 ソニー・マガジンズ)という
浅黄色の本を手元にちらつかせて言った。
「結婚しないのか?できないのか?あんたどっちや?」
「どっちもや。」

母と私は10月から始まった新番組 朝の連ドラ「いもたこなんきん」に
早くも夢中である。
原作者の田辺聖子といい、主役の藤山直美といい、コテコテの大阪が
舞台であること、時代背景が昭和40年代という親近感や懐かしさが
大変気に入っている。

ついでに、主人公がなんとなく自分に似てるかも?というところも・・・

8月9月の2ヶ月は夜の学校もお休みで、ちょっと残業したり、
土曜日も出勤してダラダラと★営業所に居残って、S支所長のことばを
借りれば、「90%以上は無駄」な仕事に自分なりには勤しんでいたと
思う。

けれども、実際には成果につながらなければお給料がもらえない。
そのプロセスに各々の営業員の独自性とか、工夫アイデアがあれば
納得できるが、そうとも言い切れない妙な実力主義の世界が見え隠れすると、どうもゲンナリしてきてしまうのだ。

週明けの10月2日
「おかえり。グアム楽しかった?」
S支所長がいつもの固定化された営業スマイルで迎えてくれた。
「はい。我侭を聞いてもらってお休みいただいてありがとうございました。」
「早速、仕事の話だけど、金曜日Iさんから電話あって、ゆきんこちゃんが配っていた病気でも入れる保険のパンフレット見て、入りたいって
話だったの。今日の正午は早速、お伺いしてきて。」
「そうですか・・・」

狐につままれたように、正午Iさんの会社に伺った。
「どうぞ。そこのスリッパを履いてこちらに・・・」
「はい。失礼します。」
今までつっけんどんだった社長婦人や社長のIさんが妙に親しげになったことが不思議だ。
新しく中国からやってきた青年を3名雇い入れ、100周年記念の真新しい
パンフレットを渡すと、熱心に見入ってくれていた。
「ニイハオマ?」
「好!(ハオ)」と屈託のない笑顔。

仕事を終えて、自転車で自宅ではなくH駅へ向かった。
行き先は神戸・元町。
帰宅ラッシュに紛れて、特急や準急に乗り込み、運良く座席に座れたら
そこで腹ごしらえに昼のお弁当と一緒に作ったおにぎりを人目も憚らず
モグモグとほお張る。
ちょっとはリラックスしたいので、ビルの谷間に夕焼け雲を眺めたり、
肩を揉んだり、目を閉じてみる。

夜の学校へ1時間あまりで辿り着くと4階の掲示板の前に1年ぶりの
若い茶髪の同期生の姿があった。
「Mちゃん、久しぶり!」
「お久しぶりです。」
「うわ、お腹がぺったんこになってる!」
「はい。生まれました。」
「ごめんね~。1年間何にも連絡しなくて・・・私も転職したりバタバタしてたんだ。」
「月曜日は何を履修されました?」
「今日はゼミなの。またゆっくり話そうね。」

一端、Mちゃんとは別れて、事務局へと向かった。
「こんばんは。幼年コースのゆきんこです。あの、F先生の許可を得てゼミに参加させていただいていますが、今日はないのでしょうか?」
「さあ、F先生から何も連絡ありませんね。明日の住環境講座は休講の連絡入ってます。それからゆきんこさん、前期授業の成績表をお渡ししますね。」
「ありがとうございます。」

住環境?
そんな講義履修していたことも忘れてた。
成績は、修了に必要な32単位は1年半でクリアできたけど、
やっぱり前期火曜日6時限目の「免疫学と病理学」はギリギリの判定Dだった。しょうがない。いつも小1時間は平気で遅刻していて、束のように配られていた医学に関するプリントも全然読んでいないことは、
大腸がん外科医の権威だったH先生にはお見通しだったんだから。

その講義でいつも隣り合わせだった女性教諭にもお会いした。
「いつもあんなによく回答してたのに、随分な成績ですね。」
「いつも遅刻でしたし、最後の方は仕事も忙しくてH先生の質問に答えられていませんでしたから。」
その続きに、人生の先輩たちからまたもや、生々しい人の生死にまつわる話をお聞きすることも増えてきた。

仕方ないのだ。ここは、そうした人生の紆余曲折が拮抗する波止場みたいな現役教職員の学校なんだから。
その中で、私は教職員経験を持ちながら、「会社員」という肩書きを提げた異色のマイノリティかもしれない。

F先生のゼミはどうやらないことがわかって、手持ち無沙汰に茶髪のMちゃんが、去年出産を控えて履修できなかった「地域子育て支援特論」の
講義室1を覗いてみた。

同い年の子育て世代の助教授S先生と、Mちゃん、同じゼミの小学校講師
Nさんの3人でざっくばらんな笑い声がきこえてきた。

「あの~・・・この講義もう習得してるんですが、ゼミがないみたいで。ちょっと参加させてもらっていいですか?」
「あれ?折角来たのにゼミないの?どうぞどうぞ。実はオリエンテーション始めたいのに、履修者全然来ないからどうしようかと思ってさ。
それで、近況報告がてら雑談してたんだ。」
「それじゃ、お邪魔します。」

話題はおめでた婚で丸1年間休学していたママになって9ヶ月の
Mちゃんの出産と子育てに端を発した。
「もう痛いのなんのって!あんな痛い思いするならもう2度と出産したくないです。」
「どんなふうに痛いの?」
年上シングルのゆきんこ、興味津々に尋ねた。
「鼻からスイカって感じです。」
「はあ~!鼻からスイカ!うん。それはMちゃん語録になりそう。」

それから話題は夏期休暇に及んだ。S先生のズボンの裾から覗いた足首が目に留まった。
「S先生、足が真っ黒ですね。」
「ああ、もう日常は研究だなんだってなんだかバタバタしてるでしょう。9月に家族で慶良間に行ってきたんだよ。」
「へえ~、詳しく聞かせてください。」
「夕陽をぼけーっと家族で黙って見てるんだ。こういう何にもしない
ゆったりとした時間って本当は必要なはずなんだよね。
子どもたちも、何にもなくったって太陽と、水と砂。これだけあれば、
退屈しないで何時間でも夢中で遊んでいたよ。」

「フランスなどにはゆったりするバカンスってありますが、日本では
どうしてできないんでしょう?」
「そういう価値観とか風習がないんだろうな~。皆さんは夏休みどうだった?」
「私は、返上で学校へ出勤してました。」とNさん。
「ゆきんこさんは?」
「私もですね~、実は昨日の朝、グアムから帰ってきました。
はい。これは空港で買ってきたマンゴーのドライフルーツです。」
「ええ!本当!?」
「はい。今日ゼミで一緒に食べようと思ってたんですが、一緒に食べましょう。」
そう言って、袋を破いて、マンゴーを振舞いました。
「いただきます。それで、どうだった?グアム。」
「ダイビングしましたよ。それからイルカウォッチング。」
「ダイビングするの?へえ、やるなあ~!」
「チャモロの人々のあの屈託のない笑顔は日本人は見習うべきですね。」

そこで3人は一瞬、無言になった。

勿論、笑えない日本人が増えていることはわかっている。
それがどうしてなのかも。
でも、なかなか改善されないところをどうしていくのか?
それがこの講座だけでない、日本の将来を左右する教職者だけでない
全ての日本人の宿題なのではないだろうか?

S先生は本題に戻った。
「子育て支援と一口に言っても、主役の親世代を抜きにした至れり尽くせりの支援は、あまり楽観視できないと思うんだ。『子育て支援』ということばにどんなイメージがある?」
先に他の2人が回答したことは、もう1週間前で記憶に留めていない。
「ゆきんこさんは?」
「私はソーシャルサポートのひとつとして大きく捉えています。
今、保育士という専門家ではなく、会社員という立場で、また、地域の一員として、ちょっとしたことが支援につながるんじゃないかと思っているんですよね。たまたま、自宅の両隣が同世代の就学前後のお子さんがいるので、時々会話したりするのもさりげない、お節介でない支援の
ひとつかなと。」

翌日、火曜日同時刻の同教室は、初回から最前席をいくつか残して教育臨床心理コースや学校心理コースの学生たちで埋め尽くされた。
しまった!居心地のよい空席を早くキープしておくべきだった。

隣の教室からイスを拝借して、廊下側の最後列に席を確保して、しばらくすると「発達障害心理臨床特論」(はったつしょうがいしんりりんしょうとくろん・・・読んだら舌を噛みそうな長たらしい科目)のプレゼンターI先生がお出ましになった。

ぐぐ~っと緊張感が頭の先から足の先まで電流のように流れた。
そして、無意識に配布されたばかりの資料プリントで顔を覆った。

「どうぞ、前の方に空席がありますから。」
首を横にブルブルと振った。
すぐ傍の受講生が、私を促した。
「どうぞ前へ。」
「ちゃんと授業料払ってもらっているんですから。遠慮しないで。」
「いえ!ここでいいです!」

人知れず、試し試されているのがわかった。
緊張感がボルテージに達すると、黒板の前だろうが、臨席だろうが教職員の面々はたちまち恐怖の対象だ。だからいつでも逃げ出せるように
この場所を選んで座る。そして、講義内容など全く耳に入らなくなる。

冒頭、I先生は発達障害の概要は医学的見地、教育学的にも、遺伝学的にもまだ不明確で混沌としている歴史の過渡にあり、いずれにしても
人材不足の窮状を訴えた。
兵庫・大阪・京都の数箇所に発達障害相談支援センターを設置したので、
まずはアクセスしてみて欲しい・・・と。

「私の専門は自閉症でして・・・」
ふとしたI先生のキーワードに思わず、反応して顔をあげた瞬間、
アイコンタクトしたり、自制しながら笑ってしまう自分をカウントしてしまう。。。(いけない自意識過剰なセルフモニタリング)

それでも、もう一人の自分は、一言も漏らさず講義を聴き取りたいという思いで必死にメモを余白に走らせる。
その日プリントは、ロッカーに置いたままで現時点では詳細に綴れないので、内容は後日付記したいと思う。

それから、ABAのF先生のゼミ生、Kさんと大阪駅まで会話した。
「F先生はいつも言ってるわ。日常茶飯事がABAで物事を見られるようになってくるとすごく面白いんだって。でも、私はそこまで気にしてないのよね。ゼミの時間もF先生の機嫌の悪いときに鋭い質問が飛んできて、
ちゃんと答えられないと、ものすごい叱り様よ。」
「そうなんだ。『私は怒ったらもの凄くコワイんだよ』って仰ってたものね。ABAのレポートで釘刺しになったのか、私には努めて穏やかに接してくださってるみたい。成績もAをもらったよ。」
「どんな内容を書いたんですか?」

「なぜ、ゆきんこは2006年2月現在失業したのかの経緯を書いたの。
2004年にI先生のABAの講義を初めて聞いてすっかりはまって好子(こうし)になったことや、小学生時代、ピアノの先生が怖くて、叩かれた途端、通わなくなって練習しなくなったからピアノは弾けないこと。
(嫌子による行動の消去)
1年前、叱責の多すぎる保育士とペアになり、保育界でバーンアウトして転職したこと、それから再就職を渋ってモラトリアムしているけど、
貯金がなくなって、なんとかしなくちゃともがいている葛藤状態を
行動の事前・事後のダイアグラムで表現したの。」
「ふ~ん。私、やっぱりそんなにABAにのめりこんでないですよ。
F先生からも『Kちゃんは、精神分析向きじゃないのか?』と言われたり。ABAが科学的にわかっている人なのかどうかは、わかるみたいです。」
「I先生だって、ああやって講義の間も日常的に、一瞬、一瞬、ABAを駆使してると思うんだ。
HP見て、のこのこと障碍児教育研究会に飛び入り参加でM市まで
出かけたときも、今思えば、あれはベースラインとって観察してたんだよ。
部屋の隅になんだか怪しい人がラップトップの陰にいるなあ、と思ってたけど、それがI先生だなんて初対面ではわからないでしょう?」

水曜日には、幼年教育コースのS先生、Y先生のオリエンテーションが
続けてあった。仕事で絵画コンクールに応募してくれたお子さんたちの
介添えをしてくれたT先生とゼミのTさんにお礼方々絵画を返却した。

S先生は教育学の立場から、幼年教育思想を歴史を遡って振り返り、
未来の日本社会を背景とした幼年教育のヒントを示唆する講義を展開される。
また、7時限目のY先生は、研究論文を実際に作成するにあたり、
研究の目的や方法、データ処理の仕方を具体的に演習方式で教えてくださることになっている。
「何分、初めての試みなので、うまくいくかどうかわかりませんが、
エヘへ。」

・・・にしても、こんなデータでいいのかよ?という
誰にもわかってもらえない研究を始めたゆきんことしては、初歩中の初歩レベルのこんな講義は本当に有難い!

木曜日は、「障碍児特論」で1ヶ月4回シリーズで3人の講師が入れ替わりに、知的障害、聴覚障害、視覚障害について教授する。
初回は、飄々とした感じの痩せ型・色白のお兄さんみたいなT先生が
早速、レポートを提示した。
「10月26日までに、
ダニエル・キイス原作のベストセラー『アルジャーノンに花束を』(早川書房)を読んで、その要旨とコメントを書いてきてください。」

え~!このくそ忙しい生保の仕事と両立で、また読書!

夜の学校が始まったはいいが、ウレシ迷惑、ありがた迷惑。
それじゃあ、この誰も見向きもしないブログ書いてる時間をなんとか
すればよかったり、パンパンてんこもりの人生のスケジュールを自己責任において、調整しなければならない。あ~、しんど。

金曜日、学校には行っていない。
午前中から、担当地区のおきゃくさんの所へ2往復して申し込み契約を
交わした。S支所長が、端末に入力を終えて一言。
「ゆきんこちゃん、よかったね。」とスマイル。
でも、素直でないことに私の口元は歪んだ。
半年で、生保レディになりきれるわけもないけど、お客さんと保険契約を交わし、これでご飯を食べていることの実感や喜びが相変わらず込み上げてこないのだ。

Nさんが午前中に、O所長に予め断りを入れてくれた。
「O所長すみません、今日は5時で上がらせてもらいます。以前から他の
営業所の同期入社仲間と同期会をしようと言ってまして、今晩になりました。」
「いいよ。行ってきてちょうだい。」

昨日は午前も先輩営業員の同行があったり、みっちりフルスケジュールで午後5時に★営業所に戻った。それから日報を記入した。

昨日会えなかったおきゃくさんには、夕方6時過ぎに日没した頃、再訪して返事を伺いに行った。
「この間、提案させてもらった件で、お返事を聞きに来ました。」
「あ、あれ?見てないし、考えてなかった。」

ガックリ・・・

Nさんから携帯が入って、H駅付近の「神戸・にんにくや」で4名の営業員たちが落ち合った。

+営業所のHさんは早くも退職を考えて、競合のF生命のパンフレットを持ち込んでいるし、新人研修のW部長の言動や研修内容を真似ては、愚痴を言ったり大笑いしたりと、飲み会で各営業所の不満が噴出した。
「あのW部長の『はい、ちょっとこっち見て』とか『おはようございまあ~す』のイントネーションやめてほしいんだよね!」
「アハハハハ!お腹痛いよ!」

皮肉なことに、隣のテーブルはどこかの会社の上司と部下のグループが
慎ましやかに、こっちの話題にヒヤヒヤと傾聴していることもお構いなしに・・・

「ゆきんこちゃん、あんたはそのままでマジメ路線でそれで普通やねん。でも、他の営業員からすれば、あんたは浮いている。」
「どういうこと?」
「つまり、営業成績を『どうやってあげてるの?』の質問のニュアンスが、あんたと他の営業員の場合、違うんだよ。」
「同じ字面でも、意味が違うんだね。それがウソやごまかしのわからない自閉症の障害なんだけど。で、どう違うの?」
「女性営業員たちは『真昼の水商売』と呼ばれてきたのよ。コツコツこまめに通ったり、大した活動しないで、『お客は自分で選んでいいねん』と言っている輩は少なくないってこと。だから、ゆきんこちゃんが
『どうやって?』と聞くのは、どんな会話をしたのか?どんな販促ツールを使ったのか?ということだけど、他の営業員は、どうやって相手を
そそったのかと探りをいれてくるのよ。私、呆れたからなるべく彼女たちとはかかわらないで、ゆきんこちゃんと一緒にいるようにしてるの。」

「その話聞いて、私、会社に入ってこの仕事を心底辞めたいと思ったよ。」
「でも、辞めるタイミングを逃がしたね。来年までは禁句だよ。」
「あ~!!1ヶ月前に聞いてたら辞めたのに!保育士の話ももちかけられていたんだよ。」
「ゆきんこさん、保育士だったんだものね。」

「それにこの人は、夜の大学院に行って、なんだか難しい研究をしたいんだって。私も自分のために引き止めていたけど、それがわかったから
自分の行きたいところへ行けばいいと言ったの。」

「でも、みんなはどうしてわかってて、生保の仕事を選んだの?
私は何にもしらなかったんだよ。」
「何にも知らずに入ってくるあんたの方が珍しいんだよ。
バイトやパートに比べたらやっぱり収入いいもの。子育てや生活、マンション買うのにお金かかるんだから。」

「ゆきんこちゃん、あんたはまともでも、まともでないひとに
そのまま『まともでない』と言ったら、敵を作って自分の首を絞めてしまう。だから他の営業員のやり方には口出ししない方が身のためだからね。」

「本当に人間って恐ろしいね。
元の仕事に戻ると言っても悩みは尽きないよ。I先生に久しぶりに会えたけど、ボロボロに疲れきってて、ぶっ倒れるんじゃないか見ていられないよ。」

裏のWさんのご主人は、3日前ゆきんこがお孫さんの絵画作品をお返しに
行ったとき元気だった。
それから間もなく、倒れて入院したそうだ。

私は暢気に、宿題レポートに取り掛かろう。
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ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴17年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。