「格差社会は子どもをどこへみちびくのか」

雨上がりの午後4時過ぎに★営業所に顔を出すと、3名の所長はもちろん、新人営業員も全員出勤で、こんな夕方に大名出勤のゆきんこ。
大ヒンシュク者。

でも、平日ちゃんと休まず出勤して、尚且つ暗黙の了解で休日出勤を
強いているんだから、どうしてそう思わなくちゃいけないのだろう?

見慣れない5歳の坊ちゃんが営業所内で手持ち無沙汰に紙飛行機を投げ飛ばしていた。新人営業員の一人Yさんのお子さんだ。
人懐こく出勤したての私に話しかけてきた。

「ここからヒコーキ落ちたらどうする?オネエチャン」
(ほお、オネエチャンと呼んでくれるのですか)
「この窓から降りたいところだけど・・・階段降りて、ぐるっと走って
取りに行きます。」
「え~、めんどくさいじゃない。」
「じゃあ、Yくんはどうするの?」
「知らない。」
「考えてみてよ。」

30分で支度して、休日しかお会いできない2件のお客さんのお宅へ出かけたが、残念ながら留守だった。
休日もお会いできなければ、それでも会えるようになんとかしろ!
とまた無茶苦茶なことを言ってくる。

「お疲れ様」
「いえ、支所長、今からお客さんのところへ行って来ます。」
「あ、そうなんだ。」
「はい。そのまま直帰するかもしれませんが。」
「行ってらっしゃい。」
「行ってきま~す。」

夕方5時過ぎに出発すると、大きな雨雲が立ち込めているせいもあって、
それから20分も経過するころには、殆ど真っ暗闇になっていた。
先週、偶然提案できたお客さんは、2件ともあいにくお留守だった。

そのまま、K沿線に沿ってM地区から駅6つ分をエイサオイサとH駅へ向けて自転車をこいで、6時15分。行き着いた先は、勤労者会館の2階ホール。

すでに開演の余興の和太鼓演奏が終わり、前の入り口から案内されると、母とご近所のFさんが手を振って、取っていた座席に招いてくれた。
前列に近い席に座ると、地域の若手ギタリストの平和メッセージたっぷりの歌声に会場の聴衆は魅了された。

第7回 H市の教育を語り合う父母・市民と教育者のつどい
本日の講師は、ジャーナリストの斉藤貴男さん
演目は「格差社会は教育をどこへみちびくのか」

「みなさん、こんばんは。斉藤貴男と申します。
私は、豊島区の池袋の盛り場で生まれました。
サンシャイン60とか、巣鴨プリズンのあたりです。
1956年(S31年)父がシベリアの抑留兵として帰還し、
戦争を引き摺っていた家族のもとに昭和33年に生まれました。
身体の弱い子どもだったので、当時、喘息や肥満児などの
転地療養先だった千葉の養護学校で過ごしました。半年で丈夫になり、
帰ってくることができました。
戻った地域の小学校では46番中46番で(笑)先生からは、
「お前、いいから出てってくれ」と言われ、別の先生からは懇々と諭され・・・公教育の恩恵を受けたことに感謝し、それはゆるぎないものと
信じていました。10年前までは。

国民背番号制が導入され、暗闇の光が当たるのはほんの一握り。
大半の人々は真っ暗闇に放り出される。
取材を通して、これは話しておかないという思いでいっぱいです。」
タウンミーティングのやらせ会議は面白い。
青森県のある学校長に宛てた発言についての注意事項。
「できるだけ、自分のことばで御願いしてください。」
と書いてまるでお芝居の脚本みたいに指示してある。
言わせる方(教育委員会)も言わされる方(校長)も、どうかしている。人間の魂を持っているならおかしい。

政府・与党の要人がとんでもない失言をすれば、即辞職という自浄作用がまともに残っていた時代があったのに、今は通じない。
今回の「格差社会は教育をどこへみちびくか」というテーマは、
どうにでも解釈できるわかりにくさがあるが、見事な表現だ。
結論を言えば、このまま戦争、格差社会、差別がまかり通り、
生まれつきの格差が政策的に拡大され、封建時代のように固着化する。
「教育基本法」については、HPで詳しい条文を見てください。
与党と民主党がそれぞれ法案を提出し、来週可決されます。
与党案には二つの問題点があります。
1つは、「愛国心」にかかわる表現。
個々人が自由に自分なりの愛国心を語るのは、構わない。
しかし、法律に文言が記されるときは、意味が違う。
他国の人々が嫌がり、日本のしくみに差別をもたらす。
なぜ、わざわざ書き込むのか、なんのためかを吟味する必要がある。

国家には3つの要素がある。
・国民(人間)
・領土
・政府(統括機構)
このうち、人間も領土も自然発生したものだが、政府は人為的に発生した。
2003年3月5日西村衆議院議員が言った。
「お国のために、イノチを投げ出す人間を育てるため」
安倍首相も敢えて強調している。
政府の理想はおかしい。愛国心は性質が悪い。
とりあえず、現行の教育法を踏みにじりながら進められている。

教育改革の問題点は、機会均等が打ち壊され、市場原理・競争原理に則った差別的であること。
選択し、行使できるの人は全てではない。

1999年ゆとり教育から2002年指導要領改訂30%削減で、
例えば、円周率3.14→約3とか、
台形の公式を教えないなど、内容は易しくなったが釈然としない。
これに対し、文科省は立派なことを言った。
「詰め込み教育で落ちこぼれ、ついていけない子がなくなるように。」
私は、斜に構える癖を反省して、この国を信じていいかなと思った。

しかし、教科審議会の一人だった三浦朱門氏は、
「学力は低いほうがいいんだ。世界のトップになったのは、全体の底上げをしたからで、手間暇がかかった。これからは、1000人に一人、1万人に一人のエリート教育に力を入れて、国を引っ張っていけばいい。」
本当のことを言ったら、国民が怒るので、回りくどく言ってるのだ。


続く
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