日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
やらせではないタウンミーティング
2007年02月18日 (日) | 編集 |
土曜日の朝は、営業に出ようか出まいかとそわそわしているが、
実質、寛ぎモードに浸ってくるのは、土曜の夕刻から日曜の午前中まで

そろそろ、営業所に出発するべと思ったが、
外は、朝からしとしと雨模様。
夕方は★営業所ではすっかり擦れ違いのNさんが、夢にまで見ていた「佐世保バーガー」を食べに出かけようと、
ドタバタの3ヶ月前のノルマが課せられる以前から約束していたのだが、

Nさんは、最も期待の高い優秀な営業員故の過労や、更年期などが重なって、体調がなかなか回復しないようだ。
「佐世保バーガーは逃げていかないからまた今度にしよう」
と、返信メールに書いてあった。

17日土曜日は夕食までに今更遅いんだけどの、
残りの年賀状20数枚を書き上げて、夜更けになっても降り続いていていた雨のなかを、気分転換に投函しに行った。

改めて、長年ずっと年賀状を下さった友人・知人に思いを馳せてみた。
既婚者も、独身者もみんな幸せに暮らしているのかな?

夕食後、徐にお雛様を押入れから出してきて飾ることにした。
居間の本棚の一部は、通常みやげ物やら、母の粘土細工の手作り人形などで少女チックに溢れているが、
これらを一時、移動させて押入れからお雛様を出してきた。

わたしの誕生日が1月で、その2ヵ月後の3月に亡き祖父が買ってくれたものだ。
小さいお内裏さまとお雛さま2体だけの立ち雛で、顔立ちも古風だけど、従姉の持っているガラスケースの3人官女付よりも、
「ゆきんこにそっくり」
のところが気に入っている。

また、銘柄は真多呂作で、実は古今人形の名手による作品だから、
案外と、オークションではいいお値段だろうと推測できる。
そういうわけで、誰にも無価値な希少価値が、私の宝物。

それから、昨夜からはじまった土曜ドラマ『ハゲタカ』をBGMに
20日火曜日のゼミに備えて、今まで書き溜めたデータのメモをワードに
転記する作業。

日曜の午前中はだらだらと過ごして、遅い朝食後に台所をちょっと掃除した。(しかし、瞬く間に汚れてしまう)
正午はNHK喉自慢を横目に、久しぶりにブログを梯子したり、
Oちゃんにメールを書いたり、1日2ページの原著音読したりと、
のほほんとしていた。

「そろそろ出かけよう。」
午後1時半に着替えて、老いた母と半分おばさんの娘が出かけた先は
自転車で5分のT保育所。

定刻の2時まで時間つぶしに、初めて足を踏み入れたこの施設を
じっくり見物させていただいた。
何を隠そう、このT保育所の四半世紀の歴史を具に知っているのは、
母と私と、そこに集合した初老の面々方だった。

元々は第2次ベビーブーム期の25年前、公私の認可保育所に入れなかった産休明けの待機乳幼児を受け入れるために、始まった草の根運動から
生まれたボロボロっちい簡易保育所に端を発している。

それから署名を集めたり、庶民のなけなしの募金や収益金を寄せ集めて
認可のT保育所が完成したのは、3年前のことだった。
私は、母のコネクションでこの保育所の採用試験も受けたのだが、
どういうわけか、やっぱり不採用になった・・・
という経緯があった。
長年、母の同僚だったIさんは、悠々自適のダンナさんの年金で
特別生活に困っていないのに、保育所の職員で、余暇には日本舞踊に
つぎ込むお金だってたくさんあるのに・・・

ゆきんこは、老いたる母を扶養しながら結局行かず後家のまま、
今また、失業寸前の苦境に追い込まれていた。

スタッフのIさんが、案内してくれた。
「へ~、ピカピカで綺麗だね。」
「収納庫の道具や機材も公立よりもずっといいじゃない。」

1階から3階までピカピカの園舎の設備をくまなく拝見して
午後2時
「要求や質問を持ち寄ってタウンミーティング」が始まった。

内容は、
困っていること、悩んでいること、何とかして欲しいこと、
公共団体や自治体に要望して欲しいこと、みんなに聞いて欲しいこと
などを持ち寄って、地域の市会議員、元H市職員のN氏(40代)に
ぶちまけようというもの。

はじめに、N議員からパワーポイントを使っての、市民アンケートの報告があった。

それは、資料を基に後ほど付記するとして、
ゆきんこにとっては、生涯忘れられない、憤懣やるかたない思いを
今こそ、ぶちまける好機(?)を得たり!!

いつもは、至って温厚なんだけど、
ゆきんこは、長年そんじょそこらの凡人に比べたら、
のほほん顔には似合わない辛苦を舐めてきた半生を自負してきた分、
自分でも信じられないくらい豹変してしまうことがある。

だから、それを間のあたりにした数少ない人々は、
私の言動に、顔を一瞬にして曇らせてしまう。
だから、N氏の場合も同様で、ぶちまけた後に
「な~んだ、お前もノーリアクションかよ」
・・・と白々しくなってしまうのだ。

具体的には、既にブログを立ち上げて以来その日、その瞬間をしたためてきたことに過ぎないのだが。
そういえば、受験合格を果たした翌年の2005年2月当時のことが
蘇った。

「市政がこれまで改革という名のもとに行ってきたことを、
私は、2004年当時から複数の医療福祉施設をアルバイトの非正規雇用者として、具に体験してきました。
今まで、交通安全管理について議論が為されてきましたが、
他の行政についても、同様のことが言えます。
つまり、市民が数名、「ここは危ないよ。これはよくないよ。」
などと些細な、困ったことを自治体に訴えても、それが大事になったり、事例数を束ねない限りは、重い腰を上げて対策を立てたり、解決しようなどとしない。一事が万事、事件や事故になってから、あとの祭りで誰かが大きな犠牲を払わない限り、善処しようとしないお役所の悪しき体質を目の当たりにしました。

私は生まれ育ったこの町で、自分の専門分野である障害児保育に
アルバイトでも、薄給でも構わないから貢献したいと思ってきました。
しかし、市の臨時職員として転々とするなかで、唖然としたのは、
こうした弱い中途半端な立場の職員の処遇が劣悪なばかりか、
尻拭いさせるだけさせて、都合が悪くなるとお払い箱にしてしまうというシステムそのものでした。

例えば、私は市民病院の第1号小児科病棟保育士として勤務しました。
当時は、医療裁判や管理体制などの問題が浮上するなかで、
「ヒヤリ・ハッと報告書」が実施されていました。
悪しきイメージを刷新すべく、お試しモルモットのように
私のファイルが廻ったのです。

また、就学前障がい児施設のS園においては、たったの3ヶ月契約の私を
園長が呼び出し、解雇を言い渡されました。
大学院にまで進学し、最も効果があるとされる最先端の行動分析学を現場で当事者の方々に役立てたいと思っても、
それが園長や主任の反感を買い、
「ここでは、ABAはできません。他でやってください。」
と言われたのです。
他にも類似した嫌がらせで、退職に追い込まれた人もいると聞いたので
なんと空恐ろしいことかと思いました。

その窮状をN議員に訴えたにもかかわらず、動いてくれなかったので、
私は、半強制的に辞表を書かされたのです。」

「当時の園長はI氏ですか?」
「はい。その後、あからさまなパワハラにハローワークや労働監査基準局、弁護士さんにまで掛け合いました。けれども、有形無形のパワハラは、提訴する場合、しかも被告はこの場合、市長になるので結局、実証が難しく勝ち目はないと、泣き寝入りせざるを得ませんでした。」

「もういい。気が済んだでしょう。」
母が横槍を入れた。

いいえ。泣き寝入りで善処されるなら、そのままでも何も言いません。けれども、私だけではないのです、泣き寝入りを強要された数々の
方々が結局、格差社会の負け組を担わされているのですから。」

N議員は黙り込んだ。

「N議員、どうお考えでしょうか?私は最終的には、K課長の呼び出しまで受けて、『あなたは保育士には不適任ですから転職すべきです。H市ではあなたの理想の保育はできません。他市でやってください。』と
まで言われたのです。私はK課長の職務濫用にもさることながら、
自分の故郷を掌る市職員の人徳のなさに、憤懣やる方ない思いでいっぱいでした。」

「あのK氏は今はもう保育課長ではありません。元々保育のことなんて何もしらないんだ。」

「私は言ったんです。こんなずざんな保育をしている町に、保育士である前に、生まれ育った市民として安心して子育てができないし、
自分の夢を自分の町で叶えられないなんて、次世代の目の前の子どもたちにはそんな悲しい思いをさせたくない。すると、K課長は
『夢なんて子どもみたいなことを言うな』と言いました。
なんという人がヘッドなのだろう。自分だって幼いわが子を市の保育所に預けているのに、わが子にも同じことを言うのだろうかと耳を疑いました。

そういうわけで、私はこのことがすっかりトラウマとなり、
以来、保育畑から遠ざかりました。復職を躊躇うほどの心理的な痛手を受けたのです。
市民を辞めようとさえ思ったほどです。」

N氏はコメントした。
「まずは、非正規雇用者という身分です。何を言っても聞き届けない、
管理職にとって自分たちにとって都合が悪いと判断された雇用者は、容赦なく泣き寝入りさせられるでしょう。そもそも、次世代を担う子どもに貢献する保育士などの専門職をそのような劣悪な処遇にしていることが、市政として間違っています。
また、私も市会議員の前は市職員でしたが、職員間での派閥や諸々の因縁は確かにあって、その延長上にあなたのようなアルバイト雇用者が、
最も犠牲を払いやすいのです。

S園については、いわく因縁のあるややこしい施設だと聞いています。
職員間でもいがみ合ったり、ギクシャクした人間関係ですから、
護らなければならない子どもの世界にもそれが波及していることは、不安もひとしおでしょう。」
「ハイ。」
私は深く頷いた。

ミーティング終了後、N氏は私に話しかけようとしなかった。
寧ろ、よそよそしかったくらいだ。

私は、構わない。
私を信じ、受け入れ生き生きとさせてくれる時空間を提供してくれる
「環境」を保障してくれる、誰かが、何かが存在してくれたら・・・

「ABAに被れるな」と言われても、
保育の世界で、誰も彼もが信じられなかったひとりぼっちの私には、
I先生のお助け入門書が、私のお守りだったんだ。

T保育園の玄関で、母の元同僚だったという、初対面のHさんと話した。
「私、ずっとこの町で母と二人で生きてきたけど、
母以外の人を誰も信頼できなくて、いつまでも家を出られないのかもしれません。もうすっかりいい大人なんですけどね・・・」


その唯一無二の母親さえ、信じられないという苛め抜かれた子どもたちが増殖されている日本社会に、明るい未来はあるでしょうか?
I助教授とも、ギロンしたいお題目です。

自分の人生は不遇に次ぐ不遇で、親不孝ばかり。
だけど、私は腐りそうになるココロを戒めて、自転車を停めた。
ご利益のあった、Iさん宅前の祠の中でひっそりと微笑むお地蔵さんに
手を合わせた。
「合格しますように!」

それから、初詣以来、誰もいないK神社の鈴を鳴らした。
「合格しますように!」

初めての飼い主さんやワンコたちともコミュニケーションを楽しんだ。
99%の出会いは、通りすがりに終わってしまう。


私には有難いことにコトバがある。
時にはやさしく、時には辛辣に自分の行動や感情や思考・心情を
コトバに文字に置き換える。

それは、きっと誰かの目に留まり、何かを伝えているだろう。
たとえ、1パーセントでも0ではない。
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2007/02/18 19:44 | 講演会 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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