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声なき声に

昨日は父の誕生日だったのに、気がつかないでいた。
些細なことに気づいていけるようにと、心がけていたいのに、
実際には、見落としたり、気がつかないでいることが多い。
そこが、凡人と偉人との大きな違いで、わたしは、最早
凡人の域を出ることはないと悟るしかない。

3連休で保育所の職員たちは、それぞれにリラックスしたり、
気分転換したあとの表情をしていた。
それもそのはず、日・祝で兼ねてから企画してきた職員旅行を終えて
帰ってきたからだ。

行き先は有馬温泉とか。
でも、参加した保育士たちは、わたしの前ではその話を
遠慮していることがわかった。

わたしがこの保育所に来たのは7月1日で、
それ以前から旅行の計画が建てられていたし、
その時点で、わたしは9月末日までの3ヶ月限り
この保育所でお世話になる契約だったので、
初めから誘いは掛かっていなかった。

こうした境遇の上に、保育士という仕事から
遠ざけられ、わたしに与えられるのは、正に
「猫の手」のようなお手伝いに過ぎない。

今朝は、いよいよ本格的になってきた
運動会の練習に使う道具の出し入れ、
子どもたちがダンスの練習の最中には、
九官鳥のタロウチャンの巣箱の掃除と水浴び
靴箱の掃除で午前中を過ごす。
こうした間にも、子どもたちとのかかわりは
皆無ってわけじゃないのが、今のわたしのせめてもの慰めだ。

乳児室の窓越しに12ヶ月のYちゃんが指吸いをしながら外を
眺めていたので、わたしは「Yちゃん」と手を振った。
しかし、彼女は眉をひそめてじっとわたしを見ていた。
「あれ?もう2週間も経つと、忘れちゃったかな?
大きくなったら忘れちゃうよね。」

生まれてはじめての戸外での運動会の練習で、
まだ、8ヶ月のリンちゃんは、緩やかな斜面の上に
腹ばいにされると、大泣きしていたが、
Yちゃんは余裕の笑顔で手押し車を押して、
かなり遠くから眺めていたわたしに愛らしく手を振ってくれた。
わたしも手を振りかえした。

5歳児クラスが演じる和太鼓の台を調整するのに、
所長から、台の切断を依頼された。

昼食時には、用務員のKさんが主に
職員同士が和気藹々と旅行や宿泊サービスを楽しんだ様子を
話してくれた。
一番若いアルバイトのU保育士は昨日、H市の就職試験を
受けたらしいが、採用人数8名に対して受験者は120名と
かなりの倍率で難関な試験になっている。
保育士の試験に一般常識で数学に政治学など、
篩にかけるためだけの無駄な努力を強いる問題に、
実技と面接の3次試験まであるらしい。
「最終的には面接試験での人間性で決まるんでしょうね。」
とTO所長。
「ピアノが弾ける保育士が必要よ。演奏できるとはいっても、
バッハやモーツァルトなら弾けるのに、実用的な童謡が
弾けないんじゃ仕方ないんだもの。」と主任のY先生。

わたしも、ここの採用試験は何度も受けて無駄に落ちた。
採用試験はパスした例がなく、誰もが易々と合格するはずもない
大学院なんかにはパスするものだから、どうやって生きていったら
いいのか、途方に暮れてしまう。

面接は、結局、面接官の好みに拠るところもあるんじゃないかと思う。つまり、主観とか、偏見が必ずそこに含まれるのは当然だ。
わが町の公務員族は、地元出身者はとても少ない。
住居も他市に住んでいる人が多い。
そして、わたし個人の意見で、誰にも同意してもらえないことは
わかっていて、敢えて言いたいことは、
この町は、ある政党組織に牛耳られているという胡散臭さを感じる。
同じ狢同士ではこうしたムードに違和感はないが、
例えていうなら、わたしは「醜いアヒルの子」と見做されているのだ。

Rくんは、今日もご機嫌さんで、わたしの姿を見つけると
また手を引いてくれるが、今の所長から子どもたちとの
かかわりを厳重に監視されている以上、断らなくてはいけない。
それでも、太鼓を外に出すときには、R君は健気にも
傍に来て、お手伝いをしてくれた。

午睡の時にも、Rくんが抱きついて好意を示してくれるのも
嬉しいのだが、「添い寝はしないで。」と
3歳クラスの担任からチェックが入る。
そんなわけで、ほんの僅かなのかかわりも
ちっとも楽しく保育できない。

R君が40分ごろに寝入ると、今度は自閉のJくんを
任されたが、J君の入眠確立は、R君に比べて20%といったところだ。
2時を回っても一向に寝付かないJくんに根負けして、
二人で職員室の畳コーナーに移動した。
Jくんは、カタログの上にクレヨンでアルファベットをかき出した。

Y主任が午睡から早く目覚めた12ヶ月のTくんを
畳コーナーに座らせていたが、
わたしが近づくとTくんは、2週間以上も会っていなかったのに
わたしがお世話したことを記憶に留めていたらしく、
8月からはまっていたミルク缶のポットン落としに集中しだした。
それに飽きた頃、紙コップでできた「いないいないバア」の
クマさん人形を見せた。

「いないいない・・・」というと、
「バア」とTくん。
それを数え切れないくらいTくんは、「バア」「バア」と
発語した。わたしは、彼が「バア」という度に
クマちゃんをコップから突き出した。
つまり、Tくんは、「バア」と自分が言えば、クマちゃんが
顔を出すことも、わたしがそのクマちゃんを操作していることもわかっているのだ。
そして、コップを畳に置くともっとしてほしいので、Tくんはコップをを取ってわたしに差し出す。
「ありがとう」わたしは受け取り、また「いないいない・・・」

こうしたシンプルだが、モノ(クマちゃん)を介在した
コミュニケーションは、既に1歳前後から始まる。

さて、自閉のJくんの場合は、1歳でこうしたやりとりが
できただろうか?
Tくんが2時半におやつの時間になって、Y主任に抱かれると、
彼はわたしの方を見つめて泣いていた。
こんな瞬間が、母じゃなくても胸キュンになってしまう。

気を取り直して、Jくんのお相手をするが、全く通じていない
とは感じないものの、
「やっぱり一方通行だよな~」と、なぜかそこがわたしの笑いの
ツボを誘ってくれる。
4歳のJくんは音声言語は獲得しているが、概ね動詞抜けの1語文だし、職員の使う電話や印刷機の電光表示などに目ざとく反応する。

「オリガミ」
「オリガミするの?」
Jくん、勝手にオリガミの棚から取り出そうとするので
TO所長「一枚だけだよ」
ゆき「何色ですか?ピンク?紫?」
Jくん「ピンク」
ゆき「ピンク1枚ください。」
Jくん「ピンク」
ゆき「1枚ください」
Jくん「ピンク!」
・・・とまあ、こんな感じだった。
「ください」の意味がわかんなかったかな?

わたしの手前味噌な主観と感性でしかないが、
母子と愛着している1歳ごろの赤ちゃんは、
養育者との間に共に「絆」を感じることができるのだが、
その点、自閉ちゃんはやはりそれが全くないとは
断定しないまでも、薄いな~と感じる。

ところで、帰宅してお気に入りの師匠のブログを
拝見すると、これに近い専門的な情報が提供されていた。
つまり、1歳半健診前後に自閉症の兆候をより早く
行動観察から把握する研究が進んでいるらしい。

その点では、わたし自分で言うのもなんだけど、
元来は引っ込み思案でも、自己宣伝することも必要なので、
10歳のころから沢山の赤ちゃんや、障害を持って
生まれてきた子どもたちとも接してきた経歴から、
かなり早くから、健常乳児か否かは、見極められると思う。
・・・でも、誰かが認めてくれないことには、
わたしは、のこぎりで木片を切ったり、電話番をするなどの
平凡なバイトおばさんに終わってしまっても、
自業自得だっていう気がする・・・誰にも文句は言えない。

12ヶ月のYちゃんは2週間も会わなくても
わたしのことを憶えてくれていたと後から思い返した。
きっとそうだ。彼女はこう感じたかもしれない。
「ねえ、ゆきんこ先生。8月までは毎日遊んでくれたのに、
どうしてこのごろちっともお部屋に来ないの?」

そう思うと、あの事故がなかったら、わたしは、
Yちゃんや他の赤ちゃんたちと遊んだり抱っこしたり
楽しいことがいっぱいできたのに・・・
とまた、胸キュンになる。

「そんな処遇で、あなた屈辱的じゃないの?」
夕餉の支度をしながら、元同業者の母が聞いた。
「そりゃあ、屈辱的だよ。でもなぜだか、保母さんたち、わたしに
気兼ねして敬語使ってくれるの。平気でわたしも更に謙るから、
それで自尊心をキープしてるの。」

故郷の自治体からは、絶縁状を突きつけられたわたしだが、
ペーパーの保育士試験で一体、保母の感性や資質がどれだけ
測れるというのだ。面接でどこまで「人間性」を確認するというのだ。
そんなのは、当の赤ちゃんたちや子どもたちに「選挙」してもらった
方がよっぽど、理に適ってやしないだろうか。
お世話して欲しい養育者を、赤ちゃんは自己選択できる能力を
持っているんだから。

やっぱり、この仕事をそう簡単に辞めるわけにはいかない。
「気持ち」や「ココロ」がわかりにくい坊ちゃんたちの
行く末が、さっきの9時前のニュースで裁判沙汰になった
青年の判決と、師匠のブログ、父の生涯がリンクしていくだろうと
予感するからだ。





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