日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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ご近所さんはいいものだ!
2007年10月12日 (金) | 編集 |
すっかり寝坊生活に突入すると、もう正午。
先程まで、ちょっとした来客があり、国会中継をBGMにして談話していた。

午前中の国会答弁では、久しぶりに田中真紀子議員がお目見えしていた。
正午のニュースでは自殺予防と対策を強化する方針を打ち出す必要があると報じられていた。

昨晩、午後6時夜の学校へ出かけて、新たに追加で科目履修しようと
6時限目の「特別支援教育基礎論」を受講した。
はじめましての講師はどう見ても、私より若い才色兼備。

「え~と、え~と、、、」
しょうもない口癖などの行動観察ばかりが記憶に残るのは、やはり
3歳未満児や障碍児さんたちとのお付き合いが長かったせい?
そんなことはどうでもいいですが、
内容は、障碍児教育の盲点を補強していて冒頭からよかった。
今でこそ、諸々の障碍をもつ方々が「教育」の対象となっているが、
まだまだ歴史は浅い。

その昔、そのまた昔はどうだったのか?
障碍者の歴史を若き女史は「え~と」を交えながらダイジェストに語ってくれた。

日本人は通常、縄文時代から歴史を順行して学んでいく。
但し、諸外国ではそうではない。
縄文以前からヒストリー(ヒトの物語)はずっとずっとあって
もっともっと遡れば、ネアンデルタール人、北京原人、おサルさんに
行き着く。

それで、古代、縄文時代の障害者はどのように処遇されていたか?
生まれたら遺棄・迫害が当たり前。女性蔑視も当たり前。
障碍をもって生まれてきた子どもは川に流されていた。
いわゆる蛭子(ひるこ→えびす→恵比寿)というのは、
生まれてすぐに死んでしまった子どもの霊で、
彼らを弔う神社・仏閣はいたるところにある。

それでも農耕を始めた原始の村落共同体で、小児麻痺の子どもがいた場合、
「仲間内でまあまあやっていこや」というムラもあっただろう。

しかし、支配階級が台頭し、余剰米が搾取されるようになった。
人々は支配・被支配の関係に位置付けられ、戸籍登録も始まった。
被支配者は為政者に年貢を納めなければならなくなったが、
既に障害者の区分が為され、その程度によって年貢を免除されていた。

701年の大宝律令によると、
残疾(ざんしつ):軽度障害 年貢2分の1
廃疾(はいしつ):中度   免除
篤疾(とくしつ):重度   免除
篤疾の場合、身内の介護者を複数つけることも容赦されていた。

また、古くから日本の宗教や学術的権威は仏教であったことから、
仏教と障碍者観との関連についても意義深い。

奈良時代、奈良の大仏の建立事業に貢献した名僧「行基」には
次のようなエピソードがある。

平安時代に編纂された「日本霊異記」(にほんりょういき)によると
虐げられた民衆の味方だった行基は、言わば為政者にとっては
お邪魔虫、目の上のタンコブみたいな存在だった。
ある障碍児の母親が
「この子は10歳になっても歩けず、飯ばかり食っている。」
「川に捨ててしまいなさい。」
子どもは悪たれて
「あと3年は食いつぶしてやろうと思ったのに!」
すると行基が説いた。
「前世で借金が返せなかったから、現世でも食いつぶされているのだ。」

いわゆる「輪廻転生」説である。

史実は古いほどいい加減な言い伝えやデマであることが多いけど、
そのエピソードになぜ「行基」という人物なのか、をリサーチするのが
研究者の謎・興味・関心につながるわけだ。

中世になると、一部の障害者は「見世物」(みせもの)の被写体として
生業とする者も現れた。
つまり、芸能人のはしりだ。
例えば、手が不自由な人が残存している足で箸を器用に使って食事する

私の知る映画だと1980年代に公開された「エレファントマン」などが
該当するだろう。
頓知の一休さんの伴侶となった盲の女性、森女(しんじょ)は琵琶奏者だった。
ちなみに人気韓国歴史ドラマ(私のお気に入り)
「宮廷女官チャングムの誓い」などもこの辺りのおはなし。

江戸時代の幕藩体制化では、
当道座(とうどうざ)という職能団体(ギルト)が組織化されていた。
盲人社会における三弦、筝曲、鍼、按摩といった徒弟的技能の伝授

寺子屋では、障碍児の受け容れや積極的な教育指導もされていた。

この歴史が現代社会にも遍く継承されていることは、明白だろう。
ふ~ん・・・私が先週辞めてしまった専門学校もその延長線上にあると
言えそう。


19世紀近代に入り、西欧文化を急速に取り入れ始めた明治政府は、
諸国に使節団を派遣した。
その一人、一万円の福沢諭吉が著した「西洋事情」には、
貧困者救済施設である「貧院」(ひんいん)が紹介されている。
幼院(今の孤児院や保育所などに相当)
老院(今の老人介護福祉施設などに相当)
唖院(今の聾学校に相当)
盲院(今の盲学校に相当)
痴児院(今の養護学校に相当)
などなどの社会的弱者のための諸施設が概ね整備され、
更に、指導者のカリキュラムも構築されていた。

このことは、福沢初め、多くの知識人をう~ん・・・と
唸らせるセンセーションだった。

また、I女史は昨今のモンゴル障碍児事情にも触れた。
日本の国内格差もさることながら、海外の格差も甚だしく日本の非ではない。

モンゴルでは、
1960年~ 特殊学級設置
1990年~ インクルージョンの思想
2000年~ 国家の方針としてインクルージョンを導入

どんなことでも、書面化してようやく事象はGO ONする。
ヒトの場合は、不言実行ってのもあるけど。
結局、モンゴルの場合、文言としてはインクルージョンが謳われたが、
ソフトの実態は、もぬけの殻という現状のようだ。

すなわち、障碍児教育の障碍種別のエキスパートを養成する学術機関も
カリキュラムもない。
極僅かに、ロシアやハンガリーなどで留学経験を経た学識者がいるに過ぎない。当然、公的財源もない。

昔も今も、社会的弱者の救済は極端に言ってお金次第であるのは否めない。

古今東西、貧富の差と社会的弱者に対する施策は、四苦八苦と表裏一体なのだろう。

最後に講義室に居残ってしまい、初対面の初々しいI先生と談話した。
「先生は、どちらの現場でしたか?」
「保育所で障碍児加配の保育士でした。」
「大変ですね。」
「はい。両立できず、結局バーンアウトしまして・・・」

7時限目は、お楽しみのFゼミの時間。
音楽療法士のIさんは、あんぱんを
ゆきんこは、クッキーを
Y校長先生は、カステラを
F先生からは、飲み物を
持ち寄って、データとにらめっこ。

Y先生の研究テーマは「シニアと子どもの異世代交流」
お年寄りが童心に返り、自身の子ども時代の遊びを孫世代に伝授する
ワークを重ねることで、双方のイメージが好転するかどうかを
データにしている。

Y先生のお困りは、データを確かなものにするには、母数といって
協力してくれる方々がマジメに、定期的に、たくさんいることが前提になる。
しかし、研究は「ボランティア精神ありき」なので、
毎回休まず、参加してくれる殊勝な参加者に苦闘するのだ。
このご時世の、生身の協力者のボランティア精神は、
今日、明日にも「もういかな~い」と不安定になる。

参加者の数が安定せず、少ないと、
実践研究そのものをドボンにしてしまうのだ。

1年生のI先生もどうやって実行したらいいか困りつつ、
アンパンを頬張った。
研究ってちっともカッチョ良くない。
どうしてこんなに悩んでいるんだろう。
まるでアリ地獄の世界だ。

そんなFゼミにABA(応用行動分析学)やりたさで、
部外者なのに飛び入りし、入り浸ること早2年。

「シニアと子どもがペアになって協力しないと進まないゲームがいいんじゃないか?」
F先生のご指南や昔話も大いに役に立つ。

「駆け出しの若いドクターの話だけどね、
老人ホームに出かけて、お年寄りがみんなオムツで寝たきりであることを憂いて、何かできないかと知恵を絞った。
一人一人何をしたら楽しいのかをインタビューして、一人よりも
みんなで共有できる趣味を考えた。
それは、オーケストラだったんだよ。
1年後、驚くべき結果がもたらされた。
紙おむつで寝たきりだった老人たちは、皆、オムツが取れて
オーケストラを習熟させ、別の老人ホームへ慰問コンサートに
訪れるようになったんだ。」

「へええええ!!すごい話ですね!まさに音楽療法!」

それから、しばしY先生はゆきんこの私的相談にのってくださった。
その間、F先生はうたた寝を10分すると、風のように去っていった。
ゆきんこも、トイレに忘れ物をしたことに気がつき、無駄に地下鉄を②往復していたら、帰宅は午後11時30分になってしまった。

明けて遅い午前、朝食をのんびり食べ終わると、インターホンが鳴った。
お向かいのDさんが来てくださり、お招きした。
「昨日、申し込んでいた特別支援教育の講演会の参加賞が届きました。
是非、ご一緒しましょう。」
「私のところへも昨日投函されていました。まあ、上がってください。」

立ち話よりは、部屋の中の方がココロも落ち着き、打ち明け話もしやすくなる。
「ちょうど同世代で、娘のことを相談するのにぴったりの人が向かいでよかったです。誰にだってできない相談ですから・・・」

・・・と言われて、私は行きずりの人の身の上話を聞いてしまう
よくわからない特技といってもいいのだろうか?

手元には9月30日買いたてほやほやI先生とIS先生の最新の著作
自閉症支援 はじめて担任する先生と親のための特別支援教育」
をお茶と共に差し出した。

「この本もお役に立つでしょうか?
 今は、訳ありでいろんなことを抱えている人が多いですよね。
そんなとき、独りで抱え込まずに、相談できるとラッキーだけど、
心配なのは、誰に相談していいのか、自分でもどうしていいかわからずにじっとうずくまってしまうことだと思います。」

「でも、すごいですね。若い学生のときなんてそんなに真剣に勉強しなかったし、もうすっかり忘れているけど、ずっと仕事を続けてきたなんて。」

「ううん。実は専門学校は、先週退職してしまいました。夜の学校と両立できず、またバーンアウトで長続きしないんですよ。
 私たちの世代って不登校にいじめ、自殺、モンスターペアレントだの
当事者だけど、今はこの本のタイトル通り、先生も親も一緒にどうしたらいいのか、協力してがんばっていこうという時代になっています。」
「それじゃあ、ご近所で、同世代なんだから、敬語を使うと堅苦しいわね。」
「ああ、そうね。徐々に親しくなりましょう。」

・・・とDさんが帰ってこんなふうに綴っていたら、2時間半も経過。
データ処理が後回しになってしまった!!


















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2007/10/12 14:40 | 仲間 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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