はじめましてF先生

2007年4月13日に転居して、9ヶ月。
一年も経たないうちに、再び、実家に戻ることになった。
そもそもヘタレでパラサイト歴が恥ずかしくて言えないゆきんこおばさんは、
新天地での転職と社会人大学院生の両立生活に、結果としてまた失敗した。

10月5日づけで最寄駅前の専門学校の非常勤講師のポストを追われ、
それ以後は、論文作成に専念するために、クリスマスと年末年始を返上して年を越すことができた。

無事に論文を提出したら、プーおばさんが実家に帰るのは自然なオペラント行動だろう。
そのままでは、貯金の底をついていくのは時間の問題なのだから。
「ただ好きなだけじゃ、結婚できないの?」
「仕事がなくちゃ、結婚してはいけないの?」

10代の若人の台詞なら初々しいけど、白髪が生えてきたのならやっぱり発達的にも、
常識的にもおかしい。

おかしいけれど、日本の若者といえなくなった年齢に至ってもパラサイトしている人々は、
私だけではないはずだ。(と、自己弁護)


失敗だらけの半生は、大台に年齢更新した私を何となく逞しくさせたかもしれない。
それは、多分、「オバタリアン」というかつての流行語を連想させる。
ある意味での現代社会病理のマジョリティとしての一個人が、あるお悩みだらけの女性集団にでかけて個別相談したら、
「結婚もせず、大学院に進学するとは親不孝者!!私なら絶対あんたを赦さんね。」
と罵られた。
過保護なのは自他共に認めますが、実母にもそんなこと言われたことないよ・・・
しかし、育児ノイローゼや自殺未遂だったというスタッフの面々は笑顔で私を受け容れてくれた。

昨日も、午後から久しぶりに講演会に出かけた。
場所は、週3日出没している大学院。土曜日の日中は外部に一般公開され、特別講演も催されている模様。
私がF先生の存在を知ったのは、前回のアテネオリンピックに遡る。
端的に言って、F先生の自閉症のエキスパートとしての道のりは、私の過去と擦れ違っていた。
つまり、F先生はアテネオリンピックの時分、私が度々、愛憎の念を交錯させてきたI研究室で手塩にかけられた門下生であり、私が受験した時に研究したかったペアレントトレーニングの
先行研究の指南書を執筆していた。
F先生が自閉症児の一保護者として2000年に発足したNPOは、全国的にも名を轟かせABAの第1人者として臨床心理士の称号をもって活躍していた。

受験を決意した4年前、私が直にかかわってきた自閉症の保護者の願いとオーバーラップする。
「ゆきんこ先生、ABAの勉強したいなら、この本を参考にしてください。」
そして、誰かと結婚して幸せな家庭を築こうだなんていう甘い幻想を諦め、保護者の懇願を叶えたい一心で「つみきBOOK」と「MeBOOK」「わが子よ声を聞かせて」を読み、自閉症のお子さんの家庭訪問療育に介入しつつ、予備校に通って受験勉強にも励んだ。

F先生は、約50名参加者の顔触れを一望し、「どうやら初心者の方が多いようで安心しました。」
と冒頭述べて、自己紹介とABAの初歩的な概説を始めた。

「お風呂が好きな人はいますか?」
圧倒的多数の女性が挙手した。
「どうして好きなの?」
「きもちいいいし、リラックスするから」
「嫌いな人は?」
「めんどうくさい」
「私も子ども時代嫌いでした。家がビンボウで銭湯に行かなくちゃいけなかった。
母に連れられて女風呂に入るのが恥ずかしかったし、子どもって目線が下に向かうでしょう?
すると、髪の毛やフケが溜まっているのが目に付いて汚いな~と思った。
母と銭湯に行ってもそのまま帰宅するのですが、たまに父と行くときには堂々と男風呂に入れるし、帰りがけに飲み物を買ってくれたので父と行くのは楽しかったです。父親ってたまに子育てに参加して美味しいところ取りしてますよね。」
私はひときわ大きく笑った。

ABAの解説は、私がプロの称号がないファンの段階である限り、ここではいちいち書かない。(書いても誰も読まない)

F先生のレくチャーは、既に4年前に独学の範疇にあるABA入門的なわかりやすい解説だったが、初心者にとっては、やはり新鮮だし、私自身が全くABAを知らずにうっかりはまった心境を改めて懐古し、郷愁をそそる場面でもあった。(そんなに旧くないかな)

後半、自閉症の女の子が観衆の中央に座らされ、セラピスト側の大人の指示に応じて
動作模倣や音声模倣を実演する姿に、複雑な心境になり、さまざまな子どもたちとの療育・保育の日々が蘇った。
若い日々を自閉症の療育指導に粉骨砕身した記憶は、思った以上に鮮明だ。
観衆の大半は、物珍しそうな好奇の目を一斉に幼い彼女に注いでいるのに、どうして私だけが白けてしまうのだろう。

この人だかりと笑みから、なんだかやっぱり木下大サーカスを想像するのは、私だけでしょうか?

「それでは、質問はありますか?」
「『笑う』という行動を強化するための具体的な指導はどのようになさっていますか?
私は従来、自閉症児の療育指導員でしたが、最近、緘黙症に関心をもっています。
『笑う』行動ひとつとっても、障害種別が異なれば、どんな障害にも通用すると謳われるABAもそのアプローチも違うと思いますが、先生の知見はいかがでしょうか?」
「どうしてあなたが自閉症の子どもに『笑う』という行動を獲得させたいと思い、質問したのか
不思議ですが、そうですね、観察してその子がどんなときに笑っているのかを調べ、それから
事前事後をどのようにセッティングするかプログラムします。緘黙症の場合は、社会不安が
あって緊張して笑えないのだから、リラクセーションだと思いますが。」

私はどこの誰だか知らない初対面であることを最近は活用するようになってきた。
これも生保レディ時代に鍛えられたお陰か、相手がよくわからないことは、返って
相手に対するイレイショナル・ビリーフ(歪んだ信念)の持ちようもないのだ。

もちろん、F先生がI先生の門下生で、I先生に類似したオーラを放っていることは、百も承知していた。

F先生の子ども時代のビンボウエピソードにも好感をもったので、参加者が帰った後も果敢に
アプローチしてみた。
4年前には、何度やってもI先生が畏れ多くて逃げ出してばかりいたというのに、、、
それも、私なりの純然たるアドヴォカシー精神がオペラント行動を突き動かしていた。
(BGMは、♪もえあがれガンダム)

「F先生、保護者主体のNPOのシステムをどのように開発されましたか?」
「主にはネットを使ったメーリングリストでの個別相談と、情報提供だね。でも、会員の回転は早いし、来るもの拒まず、去るもの追わずでやってますから。
あなた一人でそんな余計なお節介しているの?それより自分で生きていく手段を考えるのが先じゃないの?あなたの活動では生計が立てられないでしょう?」
「でも、日本では誰も見向きもしてくれないのです。緘黙症のことに・・・」
「小児神経医学会の駆け出しの研究者に要請してみてはどうだい。私のNPOも後援に専門家がいてくれて、アメリカのロヴァス博士の著作権を侵害しないしないように、私のオリジナルを加味してABAの家庭療育マニュアルを刊行しているんだ。この本だって、海外の博士のお墨付きを得たものだろう?」
F先生は、1ページ1ページ丹念に紹介した『場面緘黙児への支援』をめくって言った。
「もちろんそうです。でも、これ1刷だけではどうしようもないのです。学校現場はPDDでそれどころではないですし、ABAだって通用しないのが学校現場の現状ですから。」

私より先にF先生に不満をぶつけてきた母親の台詞は、保育現場にいたときから何も変わっていない。
「今年の校長はまだPDDのことを理解しようとしていたようですが、教頭がちっとも・・・」
F先生は母親を諭した。
「やっぱり、保護者だって譲歩したり、先生を信頼しようとする姿勢が大切だよ。お互いに信頼関係を結べないことが一番、子どもにとって弊害があるんだ。確かに叱ることでしか対応できない先生の方がずっと多い。実際、私は短大の講師だったから女子学生にほめことばより叱った方が効率よく場が静粛になることもわかっている。学校現場にも保護者として文句をいいたいことなんていくらでもあるけど、親だって演技力いりますよ。親だって先生だってPDDの子どもを取り巻く人々はみんなしんどいんだというところで、信頼しあう、お互いの辛苦を労う先生と保護者の信頼関係が大切です。」

信頼関係か・・・
そのことばも保育現場では、常に飛び交っていた。
私がかかわっていたのは就学前の自閉症幼児だから、数年後学校にスライドしたら問題はますますエスカレートしているのはありありと想像できた。
そして、大学院の全ての指導教官の疲労困憊の姿は3年間私の嫌子であり、ABAを研究したいという行動の消去を余儀なくさせたのだ。

つい20年前までは、自閉症が誰も見向きもしない障害種別だった。
今は、教育界で知らないでは済まされない障害だ。
でも古今東西、誰も見向きもしない見過されている問題に焦点を当てられるのが、マイノリティの醍醐味なのかもしれない。

どんな障害種別も克服できるという幸せのツールABAは、引き攣り笑顔と屈託のない笑顔をどのように行動形成するだろうか?

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テーマ : おだやかな心でいるために - ジャンル : 日記

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