日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
夢の特別支援教育士
2008年02月05日 (火) | 編集 |
2008年も早1ヶ月経過した。。。

おばさん宣言したはいいが、自分自身はノーマルに生きてきたつもりでも、ハンディキャップだらけの紆余曲折続きだったことを思い知る瞬間がある。
そして、ストレスで背骨が疼く。

引越しという非日常イベントが一段楽して、現実の続きが戻ってくる。
実家のガレージや自分の部屋が段ボールの山に埋もれていて、
まだまだ片付いていない中で、週末締め切りのイベントが3つも一度に
押し寄せた・・・

明日で実家に戻って1週間。
2月1日には、2時間連続で夜の学校では「家族関係学特論」と「キャリアカウンセリング特論」の発表をなんとか無事にクリアしたのはよかったが、週末は、P家にご招待されたり、引越し疲れがどっと出て少しさぼってしまったのが運のツキ。

悪あがきの連戦連敗。
結局、自分の限界を感じて、3つのうち2つはドボンすることに決めた。

週末に3つのデッドラインがあるうち、2つを断念したのには、大きな理由がある。
それは、今の今まで私は、学校教育界におけるはみだし者であり続けてきたという悔恨である。
プライドを鼻にかけた学者の面々に謙りながら卑屈な葛藤を
ぶら提げて3年間大学院へも奉公を続けた。

3つのデットラインとは、
①修士論文の口述試験
②特別支援教育士の資格申請書類
③特別支援教育基礎論のレポート3枚分

この3つを仕上げるのにもう2日を切ってしまった。
暢気なことに、明日は終日、友人との別離を惜しむイベントを先約に入れてしまったので、どうあがいても間に合わない。

どうしてこんな追い討ちをかける重要なイベントが3つも同日に重なっているのだろう。
修士論文とその後も引越しや家事全般にかかりっきりだったとはいえ、確かにそれまでに時間調整は工夫次第でできたかもしれない。
それも、②の書類に事前に目を通す余裕は随分前からあったはずだから、①に囚われて今日ギリギリまで放置していたのは仕方がない。

でも、②に関しては書類を申請する時点で、もうこれ以上資格取得のためにお金と時間とエネルギーを費やす意義を感じなくなったのだ。
まるでプチンと夢への糸が切れてしまったみたいだ・・・

申請書類の中には、特別支援教育にかかわった履歴と、その実績、更に
それを証明するための在職証明が必須となっている。

所詮、私は現役の学生時代からどういうわけか、学校教育界に介入することを赦されない運命にあったのかもしれない。

5年もかけて私は、「特別支援教育士」も含めて教育界で通用するはずのライセンスを全て持ち腐れてきたのだ。

特殊教育特別専攻科を追われてから、人間関係でもみくちゃになって何箇所も転々としてアルバイト保育士として食いつないだ10年間。
それなのに、どれだけの履歴があるのか、
どれだけの実績があるのか、
私には何もない。

この資格取得のためにどれだけ右往左往してきたのか、砕け散った半生を所定の履歴書に淡々と記述することはできなかった。

まるで『オツベルと象』と重なって、嘗ての師匠やI先生の壇上の宣伝文句が頭の中を駆け巡る。

T教授「特別支援教育士のライセンスをとってください」
I教授「夜間の教職員大学院を受験してください」


="#3333FF">「苦しいです・・・サンタマリア」

そのたった一言が私の10年を翻弄し続けた。

なんだ、、、、
そんなこと言ってバーンアウトすることがわかってて、
教育界からはみ出した人間に追い討ちをかけるように、どうして受講料ばかりこんなに際限なく取り立てるんだ。

私には、今、対象とする子どもも働く現場もない。
働こうとすれば、心身共に疲れ果て、半年も経たずに現場を追われてきたんだ。
その私に一体どんな履歴を書いて出せっていうんだ。

もう疲れた・・・
お金も時間も返して欲しい。
私の履歴を返して欲しい。
今更、修士なんかもらったって、将来に何にも関係ないじゃない。

どうして今まで師匠たちが壇上で踏ん反り返った「オツベル」だったと気がつかなかったんだろう。
私にはあの大学の階段を転げ落ちたときから、学校教育界に敗者復活の道なんて既に閉ざされていたのに。

「特別支援教育士」は安穏とした社会的地位を約束された教員や心理職だけしか資格申請できないじゃないか。

それとも、修士も諸々の資格取得も、単なる趣味教養と自己満足で終わらせておけばいいのか???

これからは全て捨て去ってお掃除おばさんだって、何だってする。
マジメに働いてそれでご飯が食べられたら。
学歴や資格がいくらあっても、それが仕事にならなくちゃダメなんだ。
全ては無駄な自己投資と徒労に終わってしまうだけだ。
「先生」という肩書きの人々は、誰一人として私の将来を約束なんてしなかった。

「それはあなたの努力不足でしょう?
 それはあなたの自己責任でしょう。
 それはあなたの僻み根性でしょう?」

格差社会という不公平感を自助努力だけでどうやって贖えるのだ?
私は生まれながらの誰にも支援されてこなかった被虐児なんだ!

もう、腐れ果てた学校教育行政に未練はない。

でも、やらなくちゃ。
最後までやならくちゃ。
まだ死ぬわけにいかないし、大切な人たちのためにベストを尽くす環境があって、役に立てることがあるのなら苦心惨憺して取ろうとした資格
取得なんて、単なるプライドとこだわりに過ぎないだろう。






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2008/02/05 23:49 | 悶々 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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