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江南6都市周遊モニターツアー6日間 1日目 西塘

23日午後11時15分。
まずは、関空団体カウンター阪急交通社「トラピックス」看板前に無事に到着した。
空港という非日常な空間はそれだけで気分が高揚し、自然ワクワクともまた自律心も涌いてくる。
「通路側と窓側どちらがいいですか?」
「窓側で・・・」

旅先ではいつもトイレを気にしているくせに、母は飛行機の上空から地球の景色や雲の様子を眺めるのが大好きだ。
結局、以後のバス、列車などの乗り物では常々、VIP席をキープしてはありがたいことに同伴のミドル世代の方々にいろいろのご配慮をいただいていた。

関西国際空港発 13時15分CA922 空路、上海へ旅立った。
私にとって中国は2回目。
1回目は、確か2000年の失業間もないお盆の時節だった。

2時間30分後の上海空港は、その時の着陸した北京と比較して実に賑やかで大きな商業都市の玄関口という第1印象だった。
飛行機から直接、タラップの階段で地上に降り立った。
風が強く吹いているが亜熱帯のせいか、もう冷たく感じなかった。

とにかく、国籍を超えた人々の流れと目についた解読できる漢字と英単語を頼りに、入国審査→荷物受け取り→トイレ→両替→空港出口へと進む

2時間半で気軽に行ける隣国とはいえ、ことばと文化の違いの隔たりは厚い。
その間、母とはぐれないようにするために、自然、警戒心やストレスが高まってくる。
自国では滅多にしない母・娘の手つなぎ・腕組み行動が旅の経過と共に強化されていった。
出口付近では、オリンピックには時期尚早かといったムードで世界各国の旅人を出迎える人々が花道を作って旗やネームプレートを掲げて待ちかねていた。

「ゆきんこさん?」
と、これから1週間お世話になる現地ツアーコンダクターの蒋さんに参加者の確認をしてもらった。
ここで、はじめて同行の他の参加者ともご対面。
少子高齢化社会の象徴か、私も結構いい年のはずだけど18名の参加者の中で2番目に若いと見受けられた。
18名中、悠々自適シニア男性の参加者が多かったのも印象的。
夫婦や親子よりも男性同士の友人・知人のペア参加が多かった。
確かに、日常の気分転換を図る旅には、気心の知れた気の会う他人と、
見ず知らずの旅仲間が一堂に会して、寝食を共にすることに醍醐味があるのだろう。

日本のなかでは通り過ぎてしまう異世代・異姓・異業種の交流は、同じ日本人同士であっても「旅仲間」というにわか共通項で、話題には事欠かない。

また、話題なんて実のところ必要ないことの方が多い。
タイムスケジュールは、小刻みに朝から晩までびっちり管理されているけど、
次はどんな交通手段でどこへ行く?何を見て、何を食べる、何を買う、
旅は、何から何までが生涯学習・総合学習の過程であり、ストレスフルでいて面白くて楽しい。

「蒋介石と同じ蒋です。」
とバスの乗り組み員一堂に50代半ばのベテランツアーコンダクターの男性は自己紹介した。
それから、イケ面風の運転手さんとアシスタント兼専属カメラウーマンの王さんがお世話してくれることになった。

上海から一路、約140kmもの距離を西塘(シータン)という町までバスは走行し、1泊した。
この西塘(シータン)という町のツアーは、まだモニター段階で、中国側もこれから観光地として発展させていく知られざる観光スポットである。
そのため、今回の海外の主要な観光地になれているシニア男性陣にとっても、1泊目のいなか町にどんな評価を下したのだろうか?

1泊目のXIANG HOLLYDAY HOTEL のロビーで手渡されたアンケート用紙の意見が今後の旅行社の企画主旨に多いに反映されるだろう。

昨今、オリンピックを控えているのにチベットでの暴動でかなり世界の顰蹙をかっている中国事情。
日本人としてなのか?いっちょかみマスター研究心が動くせいか?
言語の違いを抜きにしても、ちょっとした所作や文化に違和感を覚えた。

地図にも載っていない片田舎で1泊目のホテルのお客はどうやら我々だけらしい。
とにかく、ツアコンの蒋さんが声を荒げないことには、日本では在り得ない根本的なサービスが
処されないのだ。

食事のお品書きはどこにもない。
紙もない。
ご馳走はまずくもないけど、美味しいともいえない。

「どう?おいしい?」
蒋さんが笑顔で聞きに来るので、一応
「ハオ(良い)」
「ハオチー」
「マシッソヨ」
「それ、韓国語でしょ!?」

なぜかビールだけは、日本に比べてアルコール度数も低いのに、現地価格の10倍もする。
「ねえねえ、どうして私たちの席だけ照明が消えているのかな?」
控え室もないので、食堂のウエイトレスがお客の真横で立ち話をしていて、その真上には煌々と明かりが照らされている。
なんとなく中国の人々って、無頓着なんだろうか?
という偏見が沸き起こると同時に、旅仲間の他愛ないジョークやユーモアにのせられて、
シータンの夜は更けていった。

夕食後は、小1時間の古鎮散策に繰り出した。
この地方の人々の暮らしぶりは、戦前生まれの母が日本でたとえるなら「昭和初期」のようだ。
電気もガスも必要最低限のインフラはあるらしいけど、まだまだ不十分。
夜店は、昔ながらの木造家屋でシャッターも立て板で一枚一枚蓋をする古式ゆかしいスタイルだ。
外灯もほんのりと提灯が点されていて、足元が真っ暗でよく見えない。

初日は、見ず知らずの結束間もない団体だから、母と私は散策を十分楽しめず、集合場所付近を
行き来するだけで無難に過ごしていた。

2日目 鎮江・揚州へ続く




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