ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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第2日目
日本を発った朝も、7時前に起床したが、旅先では団体行動と公序良俗が不文律であり鉄則だ。
モーニングコールはいつも6時半。
周遊ツアーのため、荷物は毎朝、スーツケースに詰めて、忘れ物の確認が不可欠。
お陰で、今回の旅は10月以降時間を気にせず、少々不摂生になりがちなプーおばさん大学院3年生だった私にとっては、体内リズムも整い、4月の就労に向けてリハビリ効果満点だった。

「おはようございます。」
ツアコンの蒋さんがロビーでお客さんを待機する。
「ツアコンのお仕事大変ですね。私の親戚が旅行社に務めているのですが、彼女は窓口カウンターです。」
2000年のモンゴルの旅でも感じたことだけど、ツアコンという仕事は、実に多彩な手腕を要しながらもコンビニ営業で酷使される職務だと「お客の立場」ながら感慨深くなってしまう。
日本語学歴20年を誇る蒋さんのバス内での説明も、立派な地理歴史の講義には違いない。
その後、日本語教師の資格を取得した私としては、蒋さんが人生行路と共に、どんな過程で堪能な日本語を話せるようになったのかも含めて興味深いものだ。

2日目のことは実は殆ど印象に残っていない。
なぜなのか、振り返ってみると殆どバスの中で居眠り状態で過ごしたからだろう。
バスで移動の走行距離も約255kmにもおよび、中国のスケールの大きさを肌で実感できた。

それでも、シータンの午前から、旅仲間の面々が笑顔とユーモアに毒されていった幕開けでもあった。
前夜、散策した町並みを日中再訪するとまた違った風情が楽しめた。
「中国は開放されたとはいえ、まだまだ問題が多い。」
と蒋さんはしかめ面で、お国事情を語った。
よくわからない工事途中の古鎮の入り口で入場料を払ったのだけど、
入った先は、地元の人々が水郷の周辺でそのままの暮らしぶりを公開しているのだ。
つまり、「突撃、うちの晩ご飯」みたいなプライバシーも何もない人民の有様が観光なのだ。
そこでは、「開放」以前の木のオマルとか、下水処理しているのかいないのかわからない手洗いの洗濯風景が見られた。

途中、4人の紳士が小間物屋で足を停めて、面白いお買い物をした。
母もその品が気に入って10元で買ったので、お店の小父さんにとっても、思わぬ臨時収入になったかも?
その品とは、モクセイの動く玩具だ。
おしゃもじ方の平板に5羽のニワトリが餌をついばむ仕組みになっているのだが、
嘴に糸がついていて平板の下で束ねて錘で引っ張っている。
平板を水平に揺すると、錘が遠心力で回転し、糸が伸縮するのでニワトリがクビを上下させる動きが
単純に笑いをそそるのだ。

以後、「4人組」と称される方々には大変、お世話になりました。

少し、余裕があるということで、「石皮弄」という幅50cmあるかなきかの狭くて古い街路に隣接する
遊覧船を楽しもうということになった。
しかし、シータンの人々はビジネスライクに物事を運べないのだろう?
ボートはなかなかやってこなかった。
自称「せっかち」の蒋さんが遅れてやってきた船頭さんに怒りを顕にしたら、今度はお客に向かって
「どうも大変お待たせしました。」

日常から外れた旅先では、何が起こるかわからない。
今回、旅の仲間はかなりいいメンバーで構成されていたらしく、何が起こっても「まあまあ」という悠長なムードがご愛嬌だった気がする。
それに反して、13億人以上もの人民がひしめき合って生きている有様が、唾を吐き掛け合ってコミュニケーションを交わすお国柄や人となりに自然反映されている気がした。

バスで鎮江へ移動した。
長江流域は、日本の自動車産業では、ホンダ、スズキ、ヤマハなども進出している。
まず、腹ごしらえで昼食のレストランで一番最後にバスに降り立ったとき、母にとっては今回の旅で最も印象的だった出来事があった。

まだ20代前後の若い女性アシスタントの王さんと運転手さんまでが、眉間に皺を寄せて年老いた男性を追い払ったのだ。
ホームレスと思しき男性は、白いカップを参加者たちの前に差し出していた。
母は、王さんに「そんなことしなくってもいいでしょう。。。」
と一度入ったレストランを出て、男性の白いカップの中にパンを入れた。
「謝謝」

観光地はどこに行っても由緒も見応えも満点だ。
旅人はそれを自身の目に焼きつけ、昨今は、デジカメやビデオにも収録し、更に長期記憶として繰り返し再生して味わいなおすこともできるようになった。
毎食、円盤の上を回転する中華料理も美味しいのだけど、ご馳走のグレードが上がるに連れてなぜかしら脂ぎっているチャーハンや諸々の珍味に舌先は次第に鈍化され、食欲も減退していったように思える。

だけど、自分も含めて他者に与えるほんの一瞬の何気ない言動の方が、やはり専門を究めただけに鋭敏になっているのかもしれない。
そして、認知症かも?の老齢の母にとっては観光名所よりも後者の方が、尚、印象深い旅になったようだ。

昼食後、鎮江での観光目玉は「金山寺」だ。
中国の有名な寺院は修復も行き届いていて、赤いボンボリ飾りと金箔の仏像が鮮やかだ。
金山寺の最も高い塔の螺旋階段を上がると、そよ風が吹いていて鎮江の街を一望できた。

それから、宋街での散策を小1時間したようだが、私も全ての旅の行程を思い出すことが難しい。
また、思い出したら付記することにして、スレッドをかえよう。
そうそう、宿泊地の楊州は、ホテルの居心地が一番快適だった。

次回、3日目南京に続く


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