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3月25日(火)、中国江南の旅も架橋に入ってきた。
架橋というのは、心理学の記憶の分野においても一番曖昧糢糊としてしまうことが実証されている。
認知症かも?の母に質問したところ、やはり既に忘却の彼方だ。

楊州観光は、午前中、大明寺と楊州博物館で小1時間を過ごした。
大明寺は、日本でもお馴染みの鑑真和尚で名高い寺院である。
観光客も自然日本人が多いとのこと。
唐代、はるばる楊州の彼の地から、日本に着陸するまで6回目の渡航で成功した。
今は、私のようなちびっ子おばさんでもスイスイと飛行機とバスを乗り継げば、ものの3日で観光が楽しめる。本当にありがたいことだ。

楊州博物館は、2006年10月に開設されて間もないそうだが全般的に科学技術においては日本の最先端の功績は大きさを感じる。昨今、GNP率が中国に比して低迷しているとはいえ、「美術館」が好きな私としては、どうしても退屈気味になってしまう。

入り口を中心に二つの館の左側に殆どの参加者が入っていったが、母と私は右側から入館した。
楊州の町の縮尺立体模型地図が1階フロアいっぱいに展示されていた。
図画・工作といえば、絵画に興味が偏っている私としては、模型や彫塑の類は生来的に関心の対象にはなりにくいようだ。

楊州を後にして、バスは正午には南京に入った。
飲茶を楽しんだレストランでは、アメリカの女子高生の修学旅行らしい集団とも隣席になった。
そこでは、動脈硬化や高血圧に効果があるという宣伝にほだされてナツメを3袋100元で購入した。
因みに現在の外貨は多少、円高傾向で1元が約15円に相当する。

午後、世界文化遺産に登録された「明孝凌風景区観光」を楽しんだ。
さすがに世界文化遺産とあって、さまざまな世界各国の観光客と擦れ違ったし、一番楽しめた観光地だった。
また、世界遺産に登録されている地区というのは、そのスケールが壮大だ。
けれども、こうした周遊ツアーで楽しめる範囲は時間は小1時間、空間も極有名な箇所の周辺をチョロチョロして写真を撮れば「はい、おしまいで~す!」という感じである。
効率最優先のお楽しみ袋方式のパッケージツアーだから文句は言えない。

「霊谷寺」は、早い話が、南京大虐殺の果てに殉死した軍艦の慰霊が祀られている。
戦争経験者である母は常に感傷的に被害者や弱者側の心情を慮るが、単に憂うのではなく、戦争のメカニズムや根源を正しく知り、人類普遍の恒久的平和のために具体的には何をすべきかは、未来人に託されている。

このとき、参加者同士でも過去の戦争に対するコメントのやりとりがあった。
「史実は正しく伝承し、政治や教育に対して自分なりの考えを持つことが大切だ。
ニンゲンにとって最も危険なことは、自分も相手も蔑ろにして毅然としなくなることだ。」
と「4人組」の社長さんと話した。
「先日、私の町に国際ジャーナリストの江川証子さんが講演会に来ました。彼女は海外のマスコミからしばしば、『オウム真理教』と『アルカイーダのNY襲撃事故』との相違についてコメントを求められるそうですが、さて、何と答えたと思われますか?」
「う~ん、なんだろうな・・・」
「答えは、相手に対する『憎しみ』だそうですよ。」
「そうかな?そんなに単純ではないと思うが。」

なんていうウンチク話ができるのは、海外における知的好奇心を小父様方と楽しめるゆきんこ流の
旅の醍醐味のクライマックスかも?

25日はスケジュールも満載で、さらに夕方から日暮れにかけて南京城の「中華門」を訪れた。
それまでジョークで参加者を賑わしていた「社長」さんは、ゆきんことの会話に関心を示してくださったらしい。
中華門では、社長さんと母と3人で話しながら、展示物を鑑賞した。
「あなたは何だかその辺の普通の女性とは違うね。」
「そうでしょうか?」
「きちんとした考えをもっているようだ。お仕事は?」
「福祉です。障碍児保育の。4月からは成人の方の施設で働きます。」
「専門は何?」
「心理学です。この春修士になったので、この旅行は修了記念にきました。ドクターになるには、母がいい加減にしろというので、もう働きます。」
「そう。私の妻も音楽療法士として活動しているよ。」

さすがに加齢とは関係なく、「亭主元気で留守がいい」世代らしき海外赴任で鍛えられた見識の深い日本の紳士方には敵わない。
聞くところによると、代表取締役「社長」をはじめとする4人組は錚錚たる吾人であることがわかってきた。
他の御三方も、工学の世界では博士号をもつ有名人だとか。
それにもかかわらず、(そうとも知らず)終始、お茶目なジョークやユーモアたっぷりのコメントで他の参加者を笑いの渦に引き込んでいた。

とっぷり日も暮れると、さすがにバテ気味になってきた。
塩漬けが特徴的な南京ダックも賞味したけど、その後も「夫子廟」へ繰り出し、南京で一番賑わう繁華街を散策した。
母と私は、「社長」とお近づきになったことで「4人組」ご一同に加わらせていただくことにした。
何かにつけ、「あら、どこにやった?ないない・・」とか、
「部屋番号わからへん」
「これなんぼやった?」
「どこで買ったっけ?」
「もう忘れた、ヘヘヘ」を連発し、

「その質問、もう4回目!!」
とムカついてくると、最早少々ご迷惑を承知でも、第3者に介入してもらった方が事なきを得るものだ。

旅先では何が起こるかわからないので、多少のジョークやユーモアで難題を解決しようとするのが、
工学でも心理学でも極意なのかもしれない。
人生という大きな長い、けれども終わってしまえば、あっという間の旅も同じかもしれない。

南京といえば、「玉簾」とか「ドテ南瓜」「大虐殺」とイメージがあまり涌いてこなかった。
人口の規模は日本の神戸に相当するようだ。
揚子江流域の南端に位置する実際の南京という街の印象は、夜の歓楽街を散策したせいか、北京よりもかなり陽気な明るさを覚えた。
偶々かもしれないが、上海のような貧富の差も目に見えてなく、悪質な押し売りもなかったので、中国の中でも治安も悪い印象がなかった。
もう1泊するなら、大抵上海止まりになってしまうだろうから「南京」とアンケートには答えた。

6日間中、最も過密なスケジュールの3日目だった。

次回、4日目 南京から無錫へ に続く
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