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ゆきんこのふるさとは、実は七夕発祥地として有名である。
私は、未だ生年月日が住民票に記載されたままのネイティブ市民を維持している。

天皇家の縁の地名も数多く、漢字伝来の町、菊の町としても名高い。
しかし、昨今は不名誉なことで有名になってきた。
昨夏は、10年市政を治めた市長が逮捕されたし、先月は殺人事件が起きた。

子ども時代は、東洋一の住宅群が立ち並び、生誕以来三越デパートも駅前にあった。
堤防からほど近い小学校には、障害児学級もあって休み時間にじっと
「自分とはなんだか違う子どもたち」の行動をなんとなく眺めていた記憶が蘇る。

通学路に寄り道してままごとに興じた蓮華の花咲く田んぼ道は第2次ベビーブーム世代に対応し、新設高校に姿を変えた。
新設されてから20年経過した今、同じ市内の別の公立高校は少子化のために廃校になった。

その廃校になったHN高校が、センセーショナルを巻き起こしているというのだ。
わがふるさとの不名誉は、私の子ども時代には先駆的と評されたわが町独特のノーマライゼーションが仇となって浮上した問題だ。

わが町は、40万人都市であるにもかかわらず、周辺の人口が少ない都市に当然に設置されているはずの養護学校がない。
障害児を抱える保護者たちが、この20年間養護学校新設を要請するためにマスコミにも働きかけ、署名運動を行ってきたにもかかわらず、行政が首を縦に振ることなく放置されてきた積年の問題だった。

明日から始まる洞爺湖サミットと七夕と合わせてリンクしてくる問題かもしれない。
つまり、弱肉強食の原理甚だしい卑近なわが町の現象と地球温暖化問題は関連しているだろう。

というわけで、昨日午後1時~4時30分までHN高校跡地に特別支援(旧養護)学校の建設を求める実行委員会が主催する記念講演会を聴講してきた。

昨年は、大学院の所在する町に転居したけど、それが破綻して1年後。
再びパラサイトで戻ってきたふるさとは、年々住みにくさや息苦しさを実感してきたネイティブ市民として障害児教育の現状を見過ごすことはできなかった。

受付で所属を記入すると、受付の男性が言った。
「ほうほう、障害者授産施設の方ですか。なるほど、是非、聞いていただきたいです。」
会場4階の大研修室前方窓際には、お馴染みの議員団の皆さんが既に着席していた。
臨席の母が仄めかした。
「あの人、K議員よ。挨拶すれば?」
「えっ・・・いいわ。」
ここぞ、というときにヘタレ根性がわなわなとおこってくるからしょうがない。

今回のゆきんこの大学院修了以来のミッションは、手持ちの名刺を有識者に撒き散らすこと。

実行委員会の第1部は、専らの活動報告会。
ふるさとに養護学校がないために、長年、障害のある子どもたちは隣接都市まで越境スクールバス
通学を余儀なくされてきた。
受け入れ先の隣接都市の養護学校の教諭たちが次々と登壇し、持ち時間10分という限られた時間で現状報告を行った。

共通しているのは、少子化にもかかわらず、昨今10年間に障害児の児童生徒数は年々増加している。
医療ケアを要する重度重複障害児と、多動児との共存が困難であること。
特別教室を間仕切りしたり、廊下や玄関に荷物を並べても教室が足りない。
道具の準備・片付けに時間がかかる。介助員や管理職が総動員しても職員が足りない。
全ての児童がトイレが足りない、間にあわずに、失禁してしまうなど正に弱り目に祟り目と言わんばかりのアウシュビッツさながらの光景が想像された。

なんといっても、これらの子どもたちは、過去10年私が保育現場でかかわってきた子どもたちが、
そのまま小学校へスライドして過去からの諸問題を山積して現在にいたっている姿そのままだった。

この窮状を世に訴えるさまざまな取り組みを活動記録として資料配布されていたが、
驚いたのは、2007年6月26日~2008年7月4日現在まで1ヶ月に8日のペースで定例の実行委員会、街頭宣伝、署名活動、議員申請を行ってきたことだ。

発起人の方々は、登壇の端々に「この市に養護学校がないことはあまりにも知られていなかった」と
述べていたことも印象的だった。









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