4ヶ月目の授産施設

「ワシとあんたの仲じゃから・・・」
という接頭語で、ゆきんこのヘタクソな仕事ぶりを温かく見守ってくれる昭和7年生まれの年配者のA氏と、週末の送迎者の中でぼやいてみた。

独身時代は、こういう台詞はセクハラだと目くじらを立てていたが、ヘタレモードの時にはどうでもいいですよ~と投げやりな七夕も去った7月第2週。

「結局、どんな仕事も楽じゃないが、人様のめんどうをみる、それも障害のある人なんていうのは、
まあ~、余程善良な人か、バカしかできんよ。」
その自然体のおじさんの口調が、やれやれと利用者さんを送り届けた私をフッと笑わせてくれる。

「Aさんは運転士のお仕事をこれまで続けてきてどうでしたか?」
「ん?わしの場合は、転職のときには自分が潮時だと思ったときに、ちょうどうまい具合に他から誘いがあったんだよ。そのときの仕事が辛くても転職先を探すことで乗り切れたんじゃな。」
「ふ~ん・・・そうですかぁ」
「どうしたんじゃ?なんか、しおらしい返事じゃな。辞めるのか?」
「いえ、辞めたりしませんよ。」

試用期間3ヶ月が経過して、職員の個人本採用契約を受ける時がきた。
初番が、私で利用者さんたちを送迎者で見送って間もなくの午後4時過ぎ
常務理事のM氏と相談室で面接した。
約30分間、殆どM氏の一方的な発話で私は無条件に「はい」と応答するだけの契約だった。
つまりは、「新設の授産施設は3ヶ月目にして赤字経営状態なので、ない袖は触れない。支援計画内容を見直し、しっかり儲けよ。」との仰せである。

しかし、カンタンにハイと返事できないのが、重度重複障害者の吹き溜まりであるわが☆班。
障害者更正施設で長年貢献してきた熟練支援員O氏への期待と希望は消失寸前である。

利用者一人一人が問題行動を噴出させるか、あるいはトイレを何往復するだけで1週間がヘトヘトになる。
それでも、☆班だけの自己満足かもしれなくても、利用者のみなさん方は、O氏とゆきんこの支援に
一言も文句を言わず、個々には改善振りを見せてくれ、保護者との連絡ノートにも朗報を伝えた。

O氏がたった一人で100坪近くの農園の畝上げから日々の畑の手入れを大型農耕機具もなく、正に
戦後じゃないの?という鋤・桑を人力で耕す。
農耕具や種・肥料購入の請求をすれば、事務方に「経費の無駄遣いだ」とお小言を言われるので、
自分の給料から材料を購入する。
耕している間に、誰かが逃走しては連れ戻す、もしくは逃走しないように見守る、その30分以内に誰かが失禁する、トイレ誘導するという有様だ。

トイレ誘導といっても、車椅子の身体障害者2名を含む☆班は、畑から施設内への移動に少なくとも
3分、靴の履き替えに3分、最後にトイレ着脱し用を足すのに10分・・・
これを4人分やっているわけだ。

昨日も、登所してすぐ女性の利用者をトイレ誘導したところ、15分以上もかかってしまった。
その間、残りの5名の利用者を支援者が待機させなければならず、畑の収穫作業がオジャンとなってしまった。
「判断ミスだぞ!!」
「すみませんでした」

6名のうち、1名は重度の自閉症でどうやら水中毒症状も呈している。
うだるような暑さ・高湿度ともなれば、彼はアトピーもひどくなるのでイライラ感も増幅し、それに伴って、渇水と排尿を10秒単位で繰り返す。
ついでにトイレで水遊びやマーキングで気分転換するからトイレはアンモニアの臭気を帯びて水浸し。

支援員よりも大柄の彼が、昨日の午後も「何気に」ゴンゴンと頭を叩いたり、壁に頭を打ち付けたり、手噛みを始めたら、自ずと狂気めいた目つきに変わった。
他害を懸念して施設長や看護師も駆けつけて、彼を宥めたり、精神安定剤を服用させるなとの対策をとることになった。

でも、もう遅かった。
「もう俺はきれた」
「俺の知ったこっちゃない!」と主担のO氏は言い放った。
その日の個人面接でO氏は自身の力量の限界を理由に、常務理事に正式採用の契約を断った。

たったの3ヶ月でO氏の勤労意欲を台無しにしてしまったのには、組織力の稚拙さにあると考えている。
赤字スタートの新設の授産施設内で、他グループの自立部門や就労支援部門の支援員が実にシニカルなのだ。
喩えていうなら、他のグループはインドなどの新興のアジア諸国だが、☆班といえばアフリカさながら
という様相。

施設長には「掃除して何か作業考えて」といい置かれてあわてふためく始末。
午前中には、地域の支援学校から教諭と保護者が見学にくるから、「やってます、がんばってます」と
いう格好を見せないといけないのに・・・
「すみません。今、畑から帰ってきてクールダウンしてます。」
机の上には何もなく、もの言えぬ利用者さんたちがじっと着席しているところをお目にかけただけだった。

支援者は、この3ヶ月かけてようやく利用者さんたちを静かに一定の時間着席しているようにトレーニングにはこぎつけた。

しかし、それだけじゃ「なにやっとんねん」という冷淡な評価しかしないのだ。
この評価を下すのは他でもない他グループの支援員だ。

油断すれば支援者が目を離した隙を狙って、笑いながら利用者が別の作業室へ走っていく。
別の利用者がトイレに駆け込み、下半身裸で佇んでいる。
やることなすことが全て職員間でのバッシングの対象。
弱り目に祟り目でO氏はGW明けから腰痛や不定愁訴をこぼすようになり、とうとう辞職の声明となった。

「質はともかく、施設はとりあえず回っていくことは回っていくさ。」
「Oさん、どうするんですか?」
「きかんといてくれ!俺はせっかくやりたかった仕事に戻れると思ってここへ来たんだ。
それなのに、みんなバラバラじゃないか!」
「障害者の施設なのにどうしてでしょう?」
「障害者畑で生きていく術や手の内を見せるわけないだろう?そうやって、残ったものが淘汰されていく世界なんだ。だから俺は、自分の限界を感じて辞めることが悔しいんだよ。」

確かに、職員間のコミュニケーションは支援者と利用者間に比べて希薄だ。
定時になれば、さっさと帰ってしまう。
そのひとつには、授産施設といえども営利目的事業があり障害者を抱えて遂行することだけでも、
職員がクタクタになっていて親睦するだけの余裕がないことにある。

施設長も、わずか3ヶ月のうちに職員間の仲の悪さがひいては、利用者の方々に影響して、悪循環に陥っていくことを懸念していた。

きゅうりや茄子・プチトマトも汗だくになってO氏が収穫してくれた。
でも、買ってくれる第3者がなければ、自分たちの給料で賄わなくてはならない。

O氏の辞職宣言に、明日の施設運営に一抹の不安を覚えた。
O氏を追い込んだ古株の職員にも少しは、言動に責任を感じて欲しい。
どうして、目も見えない、歩けない、ことばも話せない、生きていくだけでやっとの人に営利目的のどんな行動ができるのでしょうか?
そのための支援内容とは、何なのでしょうか?
私には何のアイデアも浮かんできません。
誰も教えてくれません。

まるで、薄氷を踏み外して餓死していくホッキョクグマや両親を亡くして途方にくれる孤児と似ていませんか?
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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