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2008/07/21 (Mon) はじめましての親族会
結婚して4ヶ月が経過した。
うだるような猛暑の3連休の中日の昨日午後
1時から4時すぎまで、P家の親族会に出席した。

出席した親族はP家の人々が9名、ゆきんこの親族が5名
Pさんのご両親の主催で、親族同士の親睦を深めようという目的で行われた。
挙行にあたり、殊にP家では過去から現在に至る諸々の清算の意味合いも込められた親族会となったようだ。

ゆきんこの親族も同様で、2000年以降喪服づきあいが主で、従姉妹のKさんが2児の母になったことくらいだろうか。
激減した私の親族の参加者は、母の長姉、母の次姉の娘婿(義理の従兄弟)Yさん、母の妹、母、私


地元の商工会議所の道路を隔てた向かいの料亭に定刻よりも早めにロビーに集まった初対面のPさんの弟夫婦と叔父さん叔母さんにまずは一礼してご挨拶した。
「はじめまして。ゆきんこです。」
「ゆきんこさん、事前に打ち合わせしておこう。」
「はい、お義父さん」
意気揚々と張り切っているPさんの御父さんが(一応)新婦の私に耳打ちした。

私は母の姉妹が集まるソファに連絡事項を伝えた。
「Yさんをどうやって紹介したらいいのかな?」
「そのままでいいですよ。」
「2番目の姉の娘の婿」
「私が6歳のとき、結婚式でブーケを渡しました。」
「そうそう。」
「随分長いおつきあいですね。まさか、私が結婚するなんて思わなかったでしょう。」
「いや、いつするのかな~と思っていたよ。なかなかいい男じゃないか!」
「でしょ?前に青い英語の原著を紹介したこと覚えていますか?あの本を日本語版にするために彼が貢献したのです。新刊して今日でちょうど1周年なんです。」
「ああ、あの英語の本を彼がね。で、今どこに住んでるの?」
「双方の実家で週末婚ですよ。といっても、土曜日の午後から数時間程度。
新しい苗字で名刺も作ったので是非、アクセスしてください。」
元公立中学校校長で、海外勤務経験もあるYさんも名刺を私にくださった。
「今は、ここでヤクザな仕事をしています。」
その肩書きは中高一環の私学のリクルーターだ。

教育関係者の何気ないことばは危険だ。
けれども、母も私も縁続きのYさんの教育界における実績が、Pさんの前途を後押しするのに強力な
助っ人になりそうだと予感していた。

しかし、そもそも人付き合いの苦手なPさん
こういうかしこまった礼服つきあいは一番苦手で逃げ出したいシチュエーションと想像された。
親族といったって初対面では打ち解けるのに今すぐってわけにはいかない。

「去年、一緒に暮らし始めたときには、Pさんは六甲山かどこかの山に登って二人だけで結婚式をするのが理想だと言っていたのですが、結局はそうはならなくて・・・」

両親族ごとに「祝い鶴」というお菓子と抹茶をいただいて、4階の予約室へ移動した。
縦長のテーブルに向かい合い、年功序列で親族が向かい合って着席し、末尾はPさんのご両親という
位置に勢ぞろいした。

双方の親族を紹介し、Pさんがご挨拶
「先輩である皆さんに教えていただき、温かい家庭を築きます。」

多くの新郎新婦が親族の前で、当たり前に宣誓するのだが、
私の場合、自分自身が主人公とか、慶びごとの席にいることにものすごく違和感があった。
「温かい家庭ってなんだろう???」

私の親族は存命者よりも他界した人々の方が多くなってしまった。
その死に様には大なり小なりの憂いが残っていたし、生き残った親族は私とPさんの行く末を案じて
いることがわかっていた。
その最大の理由は、Pさんの現在の境遇が両親が結婚した当時の状況に類似していることにあった。
特に母より10歳年上の大正生まれの長姉のSさんは、15歳にして妹たちの母親代わりを務めてきた。

Sさん自身の結婚も決して順風満帆ではなく、夫が失業中には生活に困ったらしい。
また、母は父と結婚したくなかったのに、母親代わりのSさんが父との結婚を推したので、
結果、母と私に労苦をかけたことに罪悪感をもっているようだった。
結婚相手次第で女性の後半生が左右されることをゆきんこの叔母たちは明言しないが、心配してくれているのだ。

「ゆきんこさん、今はどんなお仕事ですか?」
向かいに面して座ったPさんの2人の弟のお嫁さん同士で談話した。
「障害者の方々と一緒に働き、支援する施設です。私の担当は重度の方で視覚障害もあって結構大変です。それ以前は障害児さんの保育士でした。」
「保育士さんの方があっているんじゃありませんか?」
「その方がキャリアは長かったからね。でも、保育士の方が楽かといえばそうでもないですよ。
私は4歳児クラスが多かったけど、けんかや物の取り合いが多くて仲裁するのはとてもストレスフルだった。おまけに子どものけんかに親が出るとますますややこしくなってその方がしんどかったですね。」

P家にとっては、間もなく3歳になる姪御さんのYちゃんが唯一の子どもで、彼女に大人たちのの視線が一挙に集中攻撃だった。
最近の少子化のなかで育った子どもたちは否応なく大人の溺愛や慰めの対象になるらしいし、
初対面の嫁同士の場合、話草にはYちゃんがもってこいだったので親睦の第1歩にはなったようだ。

途中、お義父さん詩吟やお義弟さんの「千の風になって」が披露されたのだけど、
それにもかかわらず、一見和やかな親族会が私にとっては幻のように感じられた。

夕方、ゆきんこの親族は早々に立ち去りそれぞれの居宅に帰っていったが、
Pさんの家族と、ゆきんこ、母がロビーでしばらく立ち往生となった。
Pさんの弟さんが疲れてダウンしてしまったのだ。

「ゆきんこさん、どうする?今から実家に来る?」
「・・・いいよ。私はもう帰るね」
「じゃあ、家まで車で送ろうか?」
「今から母と買い物に行くの。それからバスで帰るから。ありがとう。」

誰のせいでもないけど、P家の団欒に加わるにはその瞬間に躊躇いがあった。
母と私だけの寂しい母子家庭で育ったのだから、
やっぱり自然、私はPさんとPさんの一族と過ごすよりも母を独りにしたくなくて、帰ることにした。

子ども時代の原風景が蘇った。
両親の離婚後も父の姓を名乗り続けてきた私に、両親族に対する帰属感を持てずにいた。
私が親族の一員として認められていたと自覚したのは、Pさんと結婚したからだ。

親族間のみにくいあひるの子
子ども時代の原風景は、結婚してもしなくても痛くも痒くもない状態を維持しておきたいという
心の防衛線を張っていた。

そして、明らかにPさんの生家と私の生家や家族感覚のズレを感じていた。
そのズレというのは、私の場合、Pさん自身と結婚したと思っていたのだか、
Pさんの家族の一員になったという自覚がまるでなかったことにようやく気づいたからだった。
Pさんも私もパラサイトシングルと何も変わらない暮らし振りだ。
誰もがPさんと私の奇妙な結婚にノーコメントだった。

きっとPさん一家は、名ばかりの新妻などいなくても元の家庭の温かさや明るさを取り戻していけるだろう。



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プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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